銃口は斯く語る
一発の銃砲は、時に千の言葉よりも雄弁である。
御伽を語れば身に宿る。故に神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)には、本の他に武器を構える必要のあることは殆どない。借り受ける物語に綴られた文字と、紡ぎ出す伝承が彼女に加護を与えてくれる。
だが。
必中の投射物が瓦解するのを見た。目の前に蠢く半透明の妖――ちょうど紙魚によく似る姿を前に、境華は静かに目を眇める。
およそ天敵といって良い存在であろう。纏う物語の力が喰らわれていくのを感じる。一匹二匹であれば対処も出来たろうが、眼前で気儘に揺らめくように見える姿は、紙を喰らう害虫さながらに犇めいていた。語る端から物語そのものに飛び付く蟲どもの無体を前にして、浅く息を吐いた少女は徐に一冊の本へ手を掛けた。
否――。
本ではない。
分厚い本の形状をしたそれは、単純に表紙を捲ろうとしただけでは開かない。境華のみが知るロックを外せば、幽かな音と共に機構が動作するのが分かった。開いた表紙の先にあるべき頁はない。指先に触れる冷たい感触を握り締める。
細緻な紋様の施された一本の銃が、少女の繊手に収まっていた。
使い手の印象に違わぬ、儚く美しい花の如く見える装飾は、その実で祭儀的な意味合いを孕んでいる。
羅紗銃――名を『綴り』。
織り成す布にて叡知を紡ぎ、次代に伝える魔術師たちのやり方に着想を得た、御伽の加護の新たな使い方である。
語れば語るだけ喰らわれる。即ち言葉を紡ぐのでは速度が足りぬということだ。
一つの物語を音にて区切り、声の限りに知り得る表現の全てを尽くす――語りとは、ある種の|分解《・・》である。
音色と言葉を細緻に紡いで力を高め、口を閉じると同時に再び一つの物語に組み上げる。かくてようやく加護を借り受けるのだ。その速度が届かぬのであれば、角度を変える必要があるだろう。
即ち――|圧縮《・・》だ。
抜き放った銃に籠めるのは実弾ではない。赫々たる光を内包した物語の束だ。語るには長すぎる叙事詩の英雄、或いは数多の伝説に分かれ全てを語りきることの出来ぬ神の力を借りるには効果的な方策である。
籠めた光纏う言葉の弾丸は『|聖なる知の賛歌《リグ・ヴェーダ》』を語る。
神々の王と目された雷雨の神の加護。のちに太陽の片鱗をも宿した、悪竜を打ち破る英雄神の力が銃口に宿る。
一発の銃砲よりも千の言葉が力を持つことを、境華は疑ったことがない。御伽守として、声なき物語の終幕を是としようと思ったことがあるわけでもない。しかし、それは即ち、語る他のやり方を否定するものではなかった。
彼女は理解している。
千の言葉を、時に一発の銃砲に代えねばならぬこともある――と。
引鉄より轟雷が鳴った。圧縮された語り切れぬ物語が雷神の鉄槌となって降り注ぐ。貪食の紙魚どもは色めき立って爆心地へ近寄らんとするが、理性なき無秩序な動きが奏功することはない。
怪物どもが幾ら小さな口を動かせど、爆ぜる叙事詩の加護が全てを屠る方が早い。無数の言葉は散り散りになるより以前に細く悍ましい蟲の体を食い破り、降り注ぐ雷が境華の敵を消し炭に還した。
――嵐が過ぎ去る。名残の風は僅かな雨の気配を孕み、残った不浄の気配を攫って少女の長い黒髪を揺らす。
息を吐く頃には目の前には何もない。緩慢な瞬きののちに静かに目を伏せた境華は、指先の触れる冷たい銃身に静謐に声を零した。
「ありがとうございました」
返答はない。
取り出したときよりも|緩慢《ゆっくり》とした仕草で、少女の指は銃身をケースへしまう。彼女しか知らぬ機構がロックの音を幽かに鳴らした。それきり沈黙した重く冷たい|頁《・》は、再びその力を要したときにだけ、御伽守の前へ姿を現すだろう。
何事もなかったかのように踵を返す境華の頭上には、雷雨の過ぎ去った後の快晴ばかりが広がっていた。