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春霞の|狂想曲《ラプソディ》
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今宵は年に一度の“百花祭”。
頭上を見上げれば朧月が春の霞に濡れ、淡い光を振り撒いている。その下で舞い踊るのは季節の|花弁《はなびら》か、あるいは浮かれた者たちの不埒な心か。
軒を連ねる屋台には提灯が吊るされ、仄赤い灯りがゆらりゆらぁり、と揺れていた。その揺らぎは行き交うものたちの影を歪ませ、路地へと引き延ばし、奥で嗤う気配を誘う。
風に乗って運ばれてくるのは噎せ返るような百花の芳香、三味線の軽快な歓迎の音色、愉快に弾む声音、――だけのはずだった。
『いい加減にしなさいよ!』
調和を引き裂くのは明らかな怒号と痴話喧嘩の気配。
春の柔らかな空気に似つかわしくない刺々しいやり取りを興味に駆られ面白半分に覗き込む者、眉を顰め迷惑そうに厄介事から距離を取る者、あるいは何事もなかったかのように振る舞い我関せずと祭の喧騒へ逃げる者と反応は様々だ。
ただひとり、|その女《・・・》だけは違っていた。
あちこちで芽吹く騒動をひとつひとつ楽し気に眺めている。
まるでそれが彼女の目的であるかのように、花を愛でるように「面白いこと」を探していたのだ。
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「なぁ、花のお祭りに興味ある?」
星詠みである一・唯一(狂酔・h00345)はこてり、と首を傾げ√能力者たちへ問いかけた。
「とある街でな、毎年やってるもんらしいねんけど」
毎年、春の訪れを祝うように妖の都が極彩色の花々で埋め尽くされる「|百花祭《ひゃっかさい》」。花の香りが幻惑を誘い甘い雰囲気漂う街の中、恋人あるいは大事な人、縁の深い友人へ花を贈り絆を確かめ合うという七日間限定の催しである。
提灯の灯りに照らされた夜の境内に並ぶ花市には、様々な世界と季節の花が溢れ、ここにない花は存在しない、とまで言われるほど。月光を吸って咲く夜光月下美人、言葉を解す人面菊、贈る相手への想いの強さで色が変わる移り気の薔薇など変わったものまであるそうだ。
「なんや今年はな、色恋沙汰の痴話喧嘩が多いみたいやねん」
実り報われる想いがあるならば、破れ捨てられる想いもあるということ。
「泣き寝入りなんて御免やー、って、かたっぱしから喧嘩するのはええねんけど」
それはそれで迷惑なのだが。
どうやら花を叩き付けた者たちは、そのまま目についた幸せそうな二人組を見つけ、仲を引き裂いてやろうだとか、自分が取って代わろうとかしているから困った事になっている。
「せやから、楽しむついでにちょーっと凝らしめてくれへんかな?」
騒動を起こす者たちは皆『だって|あの人《・・・》が…』と言い訳をするらしい。つまり|黒幕《・・》がいるということ。
|人身御供《めんどうごと》の気配しかない。もしくは|生贄の儀式《やっかいごと》。
「気ぃつけてなー!」
√能力者であれば惑わされる事はないだろう、と|星詠み《コイツ》はにっこり笑ってみんなの背を押すのだった。この野郎。
第1章 日常 『君に捧げる花を』
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提灯の紅に縁取られた石畳を歩けば、そこはもはや花の海。
百花が咲き乱れる賑わいは絢爛豪華な春の祭りに相応しい光景である。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい! 今宵の花は、贈り主の心を吸って紅を増す『吸血椿』に、秘めた想いをを代わりに叫ぶ『お喋り百合』! 王道の『|真夏のマドンナ《ひまわり》』もあるし、この季節にピッタリな『大輪桜の鉢植え』もあるよー! さぁさぁ素敵な贈り物をどうぞ!」
露天商たちの軽やかな呼び声が飛び交う中、あなたは祭に習い、花を選ぶことでしょう。
一輪に想いを込めても良し。
溢れんばかりの気持ちを込めた花束も良し。
大きさや種類は何でも良し。好きなものを、気になったものを選ぶのが吉。
恋や愛なんて甘い匂い、感謝や友情の爽やかな香り、――贈る心が大事なのだから。
ヴォルン・フェアウェル(終わりの詩・h00582)は賑わう人混みの中を|相変わらず《・・・・・》穏やかな笑みを浮かべながら歩いていた。
「花かぁ」
いつかどこかで嗅いだことのある生花の匂い。
部屋を満たす人工的な甘い香りにも似た何かが、ふと彼の歩みを緩ませた。
「昔は|仕事《暗殺》で必要な|女性《手駒》に贈ったりもしたものだけどね」
雑踏に掻き消された小さな独り言は軽やかで、何処か遠い。あの頃は“想い”などという|幻想《ことば》を信じていなかったせいだろうか。必要だったから差し出し、役割が終われば|忘れる《どうでもいい》。ただそれだけの行為だった。
「最近はさっぱりなんだよなあ」
店主の呼び声に誘われる客の一人に混じって、ヴォルンは店先に並んだ一輪を指先でなぞる。淡紫の花房は風に揺れ柔らかな影を足元に落とした。
「とはいえ多少なりと特別な花なら、|同居人《アンカー》に渡すのも悪くない」
今なら誕生日プレゼントだと言い訳も立つ、と|青空《かれ》を思い出す。己を繋ぎ止める、|錨《そんざい》へ。虚ろな心に確かな重みを残す彼に。
露店に並ぶ花々の中からヴォルンが選んだのは、ひとつの鉢植え。
藤に似ているが、微かに光を帯びるそれは見知らぬ世界の品種らしい。水も陽も最低限でよい『|幽藤《ながふじ》』は時の流れから外れたように長く咲き続け、寄り添うように咲く姿が人気らしい、と店主はにこにこと教えてくれた。
「簡単な世話で長持ち、か。僕たち向きだね」
ヴォルンはくすりと笑う。決して自分たちはロマンティックな間柄ではないけれど、たまには目を慰める植物のひとつが傍に在ったっていいだろう。言葉に為らない|何か《・・》を形にして贈るのも悪くない。
「少ししょげていたみたいだしね」
最近少しだけ陰っていた表情が脳裏を過った。
ヴォルンは鉢を抱え、喧騒の中へと戻っていく。
差し出したとき|彼《アンカー》がどんな顔をするのか――きっと面白そうな反応をしてくれるだろう、と。