チョベリバ! 完全機械人化計画
真人化工場の一つ、その管理者室。壁一面の監視モニターには、搬入された人員、稼働中の被験者達、各区画の警備配置の映像などが並び、中央の卓上ではホログラム端末が青白い光を瞬いている。
そんな機械群の光景の只中で、場にそぐわぬ軽薄な鼻歌を漏らしている少女がいた。
「ふんふふーん……稼働効率150%達成。やっぱウチってチョベリグな天才だわー」
「294……295……296……297……」
ぐるぐる眼鏡を額に上げて、得意げに笑う少女。彼女は至高の超天才科学者アインシュタインの称号を目指すシュタイン博士の一人、プリメロ・シュタインである。
入力されている報告書の文章は、高度な専門用語に奇妙な言語能力と言い回しが混ざり合い、常人にはほとんど解読不能だ。戦闘機械群ですら、理解できる者は著者である彼女の他にはいないとされている。
「ウチ、マジでアインシュタイン名乗る日も秒読みじゃん」
「298……299……300……301……」
その背後から、一定のリズムで数字を数える音と鋭い呼気が響いていた。
最初は無視していたプリメロも、さすがに苛立ったらしい。椅子をくるりと回し、声の主を睨みつける。
「って、ずっとぶつぶつ数えてんの、超ウザいんだけど!」
「鍛錬は呼吸と同じだ。止めれば鈍る」
答えたのは、虎と熊猫を一つに混ぜたようなマスクを被る、屈強な巨漢だった。
男の名はパンダ・ザ・グレート。√仙術サイバーから送り込まれた用心棒であり、地下プロレス界の帝王でもある。
彼は直立姿勢から膝関節を曲げて屈伸し、また立ち上がるを繰り返し続けていた。
「何が呼吸よ。管理者室でスクワットとか意味不すぎ。暑苦しさが昭和なんだけど」
「管理者の近くで身体を温めておけば、有事の際に即応できる。合理的だろう」
パンダ・ザ・グレートこそが、√仙術サイバーから派遣された工場の護衛戦力。その筆頭である。
彼の説明自体はもっともらしいが、管理者室で汗を飛ばしながら筋トレする姿は迷惑でしかない。
「その理屈で全部押し通そうとするの、マジきしょいわー」
自分も十分に時代錯誤な口調であることには気づかぬまま、プリメロは盛大に顔をしかめた。
さらに彼女の視線は、室内の隅に立つ別の集団へ向かう。
長い御札のような布で顔と局部だけを隠した、露出の激しいキョンシー兵たちだった。彼女たちは命令に忠実なだけなのに、動くたび豊かな胸が揺れて妙に落ち着かない空気を作っている。
「ていうか、そこの子たち何? なんでそんな格好なの? 倫理観、どっかに置いてきた?」
「敵の意識を乱すための兵装でもある」
パンダ・ザ・グレートは、いかにも名案といわんばかりにうなずいた。
「目を奪われた一瞬こそ命取り。まさに天然の反則技だ」
「胸張って言うことじゃなくない? ヤバすぎでしょ、その発想」
キョンシー兵たちは札の下で困惑しているのか、互いに目を合わせて小さく肩をすくめた。命令だから従っているだけで、自分たちもこの管理者室の空気をどう受け止めていいのか分かっていないらしい。
そんな彼女たちの視線を受けつつ、パンダ・ザ・グレートはふいにプリメロの身体つきを見て、神妙な面持ちになった。
「……なるほど。悩みがあるのだな」
「は?」
「胸板の薄さを気にしているのなら、鍛えるといい。この私のように」
言うなり、彼は分厚い大胸筋をこれ見よがしに見せつけた。筋肉そのものが自己主張しているような光景だ。
一拍遅れて、プリメロのこめかみに青筋が浮かぶ。
「超MM! ウチの超天才流護身術でぶっ飛ばし案件だし!」
眼鏡をすちゃりと掛けて、彼女は椅子を蹴って立ち上がった。
華奢な体が低く沈み、片足を引く。見た目に似合わぬ鋭い構えだ。研究者であると同時に、彼女もまた戦闘機械群をまとめ上げる統率者の一人である。
「よかろう。若き闘志に応えるのも王者の役目」
パンダ・ザ・グレートは悠然と構えた。巨体が前に出るだけで、部屋の圧迫感が一段増す。
対するプリメロは、軽やかなステップでその射程を測る。管理者室の中央に、昭和じみた熱血と平成レトロなギャル気質が火花を散らした。
(こんなの命令書にあった?)
(ないない)
キョンシー兵たちの胸中は一致していた。おろおろと二人の間に割って入ろうとして、けど危なそうで引っ込むという無駄な往復を繰り返す。
アットホーム、という言葉をもし地獄の辞書で引けば、きっとこの光景が挿絵になっていたに違いない。
●
水瀬・恋眞が集めた√能力者たちを前に、投影された地図へ指を滑らせる。
赤い点滅が示すのは、√ウォーゾーンに現れた一つの異常地点だった。
「新たな動きを予知したよ」
柔らかな声色とは裏腹に、彼女の瞳は鋭かった。
戦闘機械群、その内部に存在する二つの派閥が手を結び、仙術サイバーに接触している。通常なら思想の違いで反目し合う勢力が、利害の一致で協力しているのだ。
「計画の中心人物は、レリギオス・トゥルースの統率者、重陽真君。人間と機械の完全な融合を理想にしてる」
彼はその思想の源が昔に仙術サイバーからもたらされたものだと確信しており、知識も技術を流入させて完全機械人の大量生産を目論んでいる。
さらにもう一つの巨大勢力、レリギオス・ランページも賛同していた。統率者ドクトル・ランページは裏社会の仙人たちと通じ、仙術機械の供与協定を結んでいる。
「簡単に言えば、人をさらって完全機械人に作り替える工場を増やそうとしてるってこと」
民間人を材料のように扱う仕組みが、すでに動き始めている。
しかも√仙術サイバー側も一方的に利用されているわけではない。戦闘機械群の技術を逆に吸い上げ、別の形で利益を得ようとしていた。このままでは二つの√にまたがる負の連鎖となるだろう。
恋眞は地図上の一点を拡大した。
「場所の一つは予知できた。だから、みんなにはそこを叩いてほしい」
地図に示された施設は、意外なほど隠蔽が甘い。結界も特殊罠もほとんどない。
だが、それは守りを捨てたのではなく、迎撃戦力に絶対の自信があるからだとすぐ知れた。
「内部には仙術サイバーから送られた警備兵がいるよ。相手取るのはキョンシーの集団と、パンダ・ザ・グレートっていうレスラー。それから管理者のコギャル博士プリメロ・シュタイン」
説明の最後で、恋眞は少しだけ困ったように苦笑する。
「見た目もノリもかなり癖が強いけど、だからって侮らないでね。あの工場には、助けを待ってる人たちがいるんだから」
投影地図の赤い点が、脈打つ心臓のように瞬く。
その向こう側では今この瞬間も、コギャルの天才が報告書をまとめ、昭和の怪人が筋肉を誇示し、ほぼ裸のキョンシー兵たちが戸惑いながら持ち場についている。
滑稽さと危険が奇妙に同居した場所――けれど、その奥には笑い話では済まされない悪意が根を張っていた。
救うべき人々がいるなら、踏み込まなければならない。
戦場へ向かう者たちは、それぞれの得物を確かめながら無言でうなずく。
次にその工場で響く音は、スクワットのカウントでも、時代錯誤なコギャル語でもない。
侵入者を告げる警報であり、それは運命をひっくり返す戦いのゴングになるだろう。
第1章 集団戦 『キョンシー』
侵入者の来訪を告げる警報が、真人化工場の内部へ甲高く響き渡った。
耳障りな音が何重にも反響し、普段は静かな管理区画さえ一瞬で戦場の色へ染め替えていく。
赤い非常灯が明滅を始め、白い壁に血のような色を滑らせる。
室内では、つい先ほどまで互いに火花を散らしていた二人が、警報と同時にぴたりと動きを止めていた。
「……ちっ、空気読めって感じなんだけど」
「戦いの匂いが来た以上、私闘に構っている暇はないな」
プリメロ・シュタインは舌打ちしながら眼鏡を押し上げ、パンダ・ザ・グレートは大きく肩を回して首を鳴らす。
いがみ合いの熱は残っているものの、緊急事態の前ではどちらも本来の役割を優先するらしい。少なくとも、この場においては。
その様子を見ていたキョンシーたちは、札の下でほとんど同時に安堵した。
(止まってよかった)
(お仕事お仕事)
(きるぜむおーる)
命令を遂行するため、彼女たちは迷わない。管理者室の空気を切り替えるように踵を返し、整然とした足取りで出撃通路へ流れ込んだ。
移動するたび、豊かな胸元がたゆんと揺れる。見た目だけを切り取れば、妖しげな色香を撒き散らす奇抜な集団にしか見えない。
長い札で顔の一部と肝心な箇所を隠し、むき出しの肌をさらしたその出で立ちは、戦場より舞台の見世物の方が似合っているかもしれない。
だが、そこへ無骨な重火器が加わると、印象は一変する。
掌に馴染んだ機械仕掛けの兵装。異様さはそのままに、そこへ確かな殺意が混ざっていた。
警報音の赤い明滅に照らされた通路を、二つの影が駆け抜けていた。
一人は、金糸の短い髪を揺らす少女。その細い両腕には重厚な機甲骨格ゲオルギウスが装着されていた。艶を帯びた金属外装の上を警告灯の光が走るたび、腕部兵装は槍の穂先じみた鋭い輪郭を浮かべる。
普段ははつらつとした雰囲気のラピス・ノースウィンド(機竜の意思を継ぐ少女・h01171)だが、今は唇をきゅっと結び、透き通るような青い瞳で前方をにらむように呟いた。
「|荒覇吐戦《あらはばきのいくさ》の時に懲らしめたはずですが、懲りない連中なのです」
その声は小さいのに、芯は驚くほど固い。
|秋葉原荒覇吐戦《あきはばらあらはばきのいくさ》。かつて王劍戦争の最中、重陽真君はベルサール秋葉原を真人化工場へと変え、人を人でなくす狂気の実験場にしようとした。
攫われた人々は多くが救い出され、その企みは√能力者たちによって潰えている。
理想だの進化だのと美辞麗句を重ねても、結局は他人の人生を踏み台にするしかない発想だった。
だからこそ、同じ所業をまた繰り返している現実が許せない。
「いかなる事由があろうと、人さらいは見過ごせませんね」
隣を走る朧谷・十華(勇猛なる蒼・h07890)が、静かにうなずく。
夜色を思わせる藍色の長髪は片目を覆うように流れ、露わになった片方の赤い瞳には剣呑な光が灯っていた。黒い肩甲を備えた朧蓮華の衣は、深い藍色と紅色の衣に金の意匠が走り、まるで静かな夜空に鋭い月光を差したような趣がある。
腰には太刀。柄にかけられた手には迷いがなく、その歩みは鍛錬を積んだ剣士のそれだった。
「本当に、人さらいしないとできない進化なんてクソくらえですよ」
吐き捨てるような言葉だったが、そこにある感情は真っ当な怒りだ。
工場の奥から金属床を打つ音が増えていく。キョンシー兵たちが、波のように押し寄せてきていた。
顔を隠す長い札、露出の多すぎる肢体、そこへ似合いもしない重火器を構えた異形の一団。
見た目の悪趣味さに反して、その歩調はよく揃い、侵入者を包囲するための隊列も理に適っている。
しかし十華はむしろ都合がいいとすら思っていた。
罠や幻惑、嫌らしい足止めがないのなら、やるべきことは明快だ。正面から押し潰して、囚われた人々のもとへ進むだけでいい。
「正面突破して打ち砕くのみ……!」
射程内まであと数歩。
先頭のキョンシーたちが銃口を持ち上げ、射線が十華の胸元へ集まる。
だが狙いが固まる、その一瞬の早さすら彼女には遅い。
「気炎万丈───蒼き炎にて、斬り祓わん!」
疾走。
鞘走る音と共に、通路に剣閃が走った。
十華の身を巡る霊気が立ち昇る。それは胸の内で燃える闘志と共鳴したように、刀身の上に蒼い炎となって宿った。蒼炎は風を裂きながら尾を引き、暗い通路へ鮮烈な軌跡を描く。
その一太刀にて、最前列の一体が胴から両断されていた。
キョンシーは何が起こったのか理解する暇もないまま、上半身と下半身をずらしながら崩れ落ちる。
断面から噴き出した蒼炎が全身へ走り、異様な生命維持の術式を焼き切っていく。それはたちまち生気を失った死体へ戻り、そのまま灰となって散った。
悪霊退治を生業とするその技術は、キョンシーたちにも効果てきめんだ。
「数が多い……ならばっ!」
左右からさらにキョンシーが迫る。小細工がない分、純粋な兵力が厚い。十華はそれを見て、逆に大振りの一閃を選んだ。
太刀が大きく弧を描く。
蒼炎は刃の延長として広がるだけではない。斬撃の余波を追い越すように、破魔の火が周囲へ逆巻いた。下がって避けたキョンシー兵たちの足元を舐め、床に焼けた破魔の領域を作り上げる。
射線を保ちながら前進するはずだった隊列が、そこでわずかに乱れた。
前衛の一部は下がり、後列は撃つ角度を探し、陣形の再編を余儀なくされる。
だが前衛に残った数体だけは違った。蒼炎に焼かれながらも、あえてその中を突っ切ってくる。火に巻かれる肌が焦げ、札の端が黒く縮れても、命令を遂行することだけを優先していた。
その中の一体が選んだのは、射撃ではなく殴打だった。
重火器を鈍器として握り直し、その質量ごと十華へ叩き込む。
「ぐぅっ!」
鈍い衝撃が走る。十華は正面から太刀で受け止めた。
ごきり、と不快な音が響く。
十華の骨ではない。限界を無視した特攻の代償として、相手側の腕が耐え切れず折れた音だった。
それでもキョンシーは止まらない。折れた腕のまま押し込み、命令を果たすためだけに肉体を使い潰そうとしている。
「せいっ!」
裂帛の気合と共に、十華は太刀へ力を込めた。
蒼炎の領域による行動の阻害と、細身からは想像もできない彼女の膂力によって、押し込まれていた重火器を弾き返す。
体勢の開いた相手へ、彼女はそのまま踏み込み、袈裟懸けに斬り下ろした。蒼い火が傷口から噴き上がり、キョンシーは断末魔すらなく灰へ還る。
その光景に、後へ続こうとしていたキョンシーたちの足が止まった。
剣を構え直しながら、それにしても、と十華は思う。
キョンシーはその凶暴さの一方で、姿格好は妙に扇状的だった。
ほとんど何も纏わない青白い肢体。殴打の動きに合わせて大きくたわむ胸。戦場であるのに、守りはあってないようなもの。
十華の眉が険しく寄る。
「不埒ですっ!」
やはり色々な意味で見過ごせない。ここで成敗しなければ。
その時にはすでに、後衛へ下がったキョンシーたちが炎の及んでいない区画を見つけ、銃口を十華へ向けていた。
複数の照準が重なる。
引き金が絞られる、その刹那。
「させませんです!」
ラピスが横合いから飛び込んだ。
彼女の腕を覆うゲオルギウスに装着されたグラップリングフックを振り回す。
ワイヤーの先端を弾丸そのものへぶつけるわけではない。回転する鉄爪の軌道で銃撃の流れに介入し、火花を散らしながら射線を捻じ曲げる。
甲高い反響音と共に、放たれた銃弾が次々に壁へ逸れた。
ラピスは止まらない。少女らしい軽さを残しつつ、兵器の精度で弾を弾いて前へ進む。
半歩ごとに角度を変え、踏み込みをずらし、相手の予測より少しだけ外れた軌道を刻む。その動きは踊るようでもあり、獲物へ距離を詰める機械獣のようでもあった。
射程へ入った瞬間、フックが射出される。
キョンシー兵たちは咄嗟に左右へ飛び退き、それを避けた。だがラピスの狙いは、最初から敵本体ではない。
鉄爪はその背後の鉄柱へ食い込んだ。
フックの欠点は、射出やスイング時に思わぬものへ引っかかること。
だからラピスは、侵入しながら通路の構造、柱の位置、天井高、射線の死角を注意深く頭へ叩き込んでいた。
どこから撃てばどこへ刺さるか。その結果、自分の体がどの角度で飛ぶか。計算は済んでいる。
普段の脳筋な勢いは残しつつ、AIの理知性が発揮されていた。
ワイヤーを巻き戻し、一気に自身の体を引き寄せる。
キョンシー兵たちが反撃の射撃を試みるが、鉄柱へ向かって斜めに走るラピスの軌道はあまりにトリッキーだった。狙いを定めようとした銃口が、ことごとく一瞬遅れる。
鉄柱の目前でラピスはフックを解放した。
そして体をひねり、柱へ蹴りを入れる。
反動を得た小柄な体が、今度は逆方向へ鋭く跳んだ。金髪がふわりと広がり、青い瞳が獲物を捉える。兵器として生まれ、壊れ、なおも戦うために生まれ変わった少女。
その在り方の中心には、今やAnkerとなった操縦者が思いを馳せる女性を基にした格闘者の像がある。
ただ壊すだけの兵器ではない。
戦う意志を持って敵を打ち抜く、戦士の像だ。
「明けの金星をくらえです!」
再射出されたフック――ナーガラージャの掌。
まさに掌と呼ぶにふさわしい捕縛の一撃が、キョンシーの重火器と腕を丸ごと絡め取る。金属の軋む音と共に相手の体勢が崩れ、ラピスはそのまま全力で振り抜いた。
一体を掴んだまま旋回。
遠心力で持ち上がったキョンシーの体が、今度は即席の鈍器へ変わる。周囲の同胞へ横殴りに叩きつけられ、胸元も手足も、銃器も札も関係なくまとめて弾き飛ばされた。
複数の体が絡まり合って床を転がり、陣形が派手に崩壊する。
その様は格闘というより、兵器としての破壊力が剥き出しになった一撃だった。
「戦闘機械とソレに与するもの滅すべし、です!」
ラピスはさらにワイヤーを振り回す。掴んだままのキョンシーを振り子にして二体、三体と巻き込み、最後は壁へ叩きつけた。
鈍い破砕音が響き、崩れたキョンシーたちの体は術を失って次々と亡骸へ戻っていく。
叩きつけられずに済んだ個体には、十華の蒼炎が走った。
死体へ戻った肉は、一瞬遅れて青い火に包まれ、黒灰へ変わる。通路には焦げた気配だけが残り、再び動き出す余地すら許さない。
十華とラピスは自然に背中を預け合う形になった。
片や、紫紺の髪をなびかせる破魔の剣士。夜色の装束に蒼炎を宿した刃を携え、邪を断つ者。
片や、金髪碧眼の重甲着装者。機甲骨格の両腕に鋼の意思を纏い、敵陣を破砕する少女人形。
戦い方は違えど、怒りの向かう先は同じだった。
「このまま押し込みますよ、ラピス様!」
「もちろんです。被害者さんたちを救い出すまでは、止まるわけにはいきませんです!」
言葉を交わす、その間にも次の敵影が通路の奥に現れる。
けれど、二人はもう止まらない。
破魔の剣士が斬り、重甲の格闘者が打ち砕く。
そうして生まれた突破口は、真人化工場のさらに奥へと、先陣を切り拓いていく。
増援のキョンシー部隊が通路の奥から押し寄せてくる中、その進路のど真ん中へ踏み出した一組の男女がいた。
先に立つのは、風宮・ワタル(人間の鉄拳|格闘者《エアガイツ》・h00874)。黒髪を無造作に揺らし、獰猛さの混じる笑みを口元に浮かべた青年だ。
燃えるような赤いパーカーはこの冷たい工場の中でもやけに目立ち、その下に覗くシャツと黒いグローブのような手甲が、荒っぽい戦闘スタイルをそのまま形にしたようだった。
その隣に立つのは、御門・雷華(エルフの精霊|格闘者《エアガイツ》・h00874)。長い金髪を二つに流し、赤縁の眼鏡の奥から鋭い視線を向けるエルフの女性である。
紺のブレザーにベージュのカーディガン、赤いリボンとスカートという一見すれば学生めいた装いだが、そこに宿る気配は場慣れした戦士のものだった。
すらりと長い脚を黒いタイツが引き締め、片手に握る精霊銃は彼女の指先へ自然に馴染んでいる。
年若くも見える外見とは裏腹に、彼女は長命の種族として数多の修羅場をくぐり抜けてきた熟練者だった。
「相手がほとんど裸だからって、鼻の下伸ばして油断するんじゃないわよ?」
雷華は視線を前方から逸らさぬまま、弟子へ釘を刺す。
ワタルは眉をひそめ、肩を軽く回した。
「余計なお世話だよ。先に行くぜ!」
返事と同時に、彼は床を蹴った。
踏み込みはほとんど弾丸だった。正面のキョンシーたちが一斉に銃口を持ち上げる。
だがワタルはその引き金が絞られるタイミングを、理屈より先に直感で読んで反応していた。
撃ち出される直前の弾丸、その未来を焼くように炎が噴き上がる。
燃え盛る破壊の幻影によって、連射された弾丸の列が途中で灼け崩れた。
そうして生じた隙。そのわずかな空白へ、ワタルは一気に飛び込んだ。
「おらっ!」
拳が唸る。
最前列のキョンシー兵の頭部へ、右の拳が真っ直ぐめり込んだ。
骨の砕ける鈍い音と共に首が弾けるように仰け反り、そのまま胴体ごと吹き飛ぶ。荒々しい一撃だ。
しかし無闇に振り回したものではない。重心移動、腰の捻り、踏み込みの角度。その全部に、雷華によって叩き込まれた技術が乗っていた。
数年前まで不良学生だったという過去を思わせる、粗野な雰囲気は残っている。
けれど、その立ち方にはもう単なる喧嘩屋ではない芯があった。
すぐ横から別の一体が重火器を振り上げる。
銃としてではなく鈍器として叩き潰す、命令だけに従う無茶な振り下ろしだった。
普通に受ければ、たとえ相手側の腕が先に壊れるとしても、衝撃は無視できないだろう。
それでもワタルは怯まない。
右の掌底をすっと差し出し、その一撃を真正面から受け止めた。
ぶつかる直前までは確かにあったはずの破壊力が、嘘のように霧散する。
ワタルの持つルートブレイカーが、力の発動そのものを無効化したのだ。叩き付けるはずだった質量と衝撃は意味を失い、ただ重い鉄の塊だけが彼の掌へ乗ったに過ぎない。
「隙だらけだぜ!」
受け止めた腕を弾き上げるように払い、返す拳が相手の胸部へ突き刺さる。
二撃目を受けたキョンシーはそのままくの字に折れ曲がり、背後の仲間を巻き込んで転倒した。
「まあ、筋は悪くないわね」
それは弟子の成長を喜ぶようであり、けれど、本人には決して聴こえないだろう程度のつぶやきだった。
ほんの僅かに見せた感情的な態度。けれど彼女の銃口は正確無比に動いていた。
彼女の精霊銃から放たれるのは、ただの魔弾ではない。精霊の力を雷へ変換した、高密度の雷撃弾。
引き金に添えられた指は無駄なく滑り、射撃の姿勢にも余計な癖がまるでなかった。
閃光。
キョンシー兵が発砲するより早く、弾丸が着弾する。命中した一点から爆ぜたのは火炎ではなく、電磁波を伴う破裂だった。空気が痺れるように震え、周囲の銃器が狂ったように火花を散らす。
巻き込まれた周囲のキョンシーまでも体勢を崩し、その場で硬直した。
雷華が優先して狙うのは、ワタルが一人では捌き切れない位置の敵だった。
斜め後方から射線を通そうとする個体。側面へ回り込み、数で押し潰すつもりの個体。彼女は弟子の動きと癖を知り尽くしている。
どこまで踏み込み、どの瞬間に次の敵へ意識が向くか。その一歩先を読んで、足りない場所を撃ち抜く。
弟子であり、相棒でもある。
その理解があるからこそ、援護はまるで継ぎ目がなかった。
同時に雷華は、ワタルだけを見ているわけでもない。
周囲全体へ張り巡らせた警戒は、一瞬たりとも緩まない。
背後へと視線を向ける。
そこにいたのは、両手と両足を揃えたまま、不自然な跳躍で迫ってくるキョンシーたちだった。
重火器を構えた正面の部隊とは違い、こちらは気配の立て方が異様に薄い。音も、魔力も、殺気すらも曖昧に溶かしていた。
目で捉えなければ、そこにいると分からないほどだ。
「武器と力任せだけではないのね」
既に距離はかなり詰められている。
それでも雷華は眉一つ動かさない。むしろ冷静さが深くなったようにさえ見えた。彼女は銃口を足元へ向け、迷わず早撃ちする。
床が弾けた。
自分の真下で起きた爆発が、跳びかかろうとしていたキョンシー兵たちの前進をわずかに鈍らせる。
土煙の代わりに散るのは火花と雷の残滓による牽制。それだけでは終わらない。
爆ぜた雷の力は足元から彼女の脚へ這い上がり、長い脚線を帯電させた。
雷華の身体がしなやかに回る。
一撃目の蹴りがキョンシー兵の胴を打った。
見た目には細い脚だが、そこに込められた力は恐ろしく重い。加えて電流を相手の身体へ流し込む。
痺れによる硬直が発生し、そこへ間髪入れず二撃、三撃と正確無比な蹴りが突き刺さった。
脇腹、喉元、膝、こめかみ。
人体の構造を知り尽くした連撃だ。蹴りは鋭く、無駄がない。
感情任せではなく、必要な箇所だけを最短距離で破壊するための技術だ。最後の回し蹴りで首を刎ね飛ばされたキョンシー兵が、札を舞わせながら床へ転がる。
もう一体が飛び込んでくる。
雷華は半歩ずらして懐へ潜り込み、裏腿へ低い蹴りを打ち込んだ。体勢の沈んだ相手へ、返しの爪先が顎を跳ね上げる。
電流と衝撃をまともに受けたキョンシーはその場でのけ反り、倒れるより先に意識も術式も断たれて動かなくなった。
正面ではワタルが、さらに二体を拳で沈めていた。
荒っぽい。実際、彼の戦い方は師匠の整然さとは別物だ。だが荒いだけではここまでの威力は乗らない。
崩れた姿勢からでも拳を通す体幹、無効化のタイミングを読み切る勘、そして雷華に鍛えられた打撃の技。そのすべてがあるからこそ、喧嘩殺法は本物の実戦技へ昇華している。
「相変わらずおっかねー」
ワタルが横目で師匠の蹴りを見て、思わず口をつく。
雷華は即座に視線だけを寄越した。
「口ではなく手を動かしなさい」
「へいへい」
軽口を叩きながらも、ワタルの身体は止まらない。
踏み込みざまの左フックで一体を横へ流し、そのまま前へ出た肩で別の一体を押し崩す。
絶叫をトリガーに√能力を発動させようとすると、ルートブレイカーで強制的に停止させ、空いた胴へ鉄杭のようなストレートを叩き込む。
彼の拳は剣のような鋭さではない。むしろ鉄塊を振るうような、真正面から敵を砕く打撃だった。
雷華は蹴りを主体に戦う。
ワタルは拳を主体に戦う。
戦闘のスタンスは違う。間合いも、崩し方も、決め手も異なる。
けれど、その差異こそが噛み合っていた。ワタルが前で圧をかけて敵陣を崩し、雷華がその隙間へ正確な雷撃と蹴撃を差し込む。
雷華が死角を封じれば、ワタルはそこを信じて前へ踏み込める。
師弟の連携は、もはや呼吸に近かった。
キョンシーたちは統率を保とうとしながらも、確実に数を減らしていく。
赤いパーカーを翻して鉄拳を振るう青年と、制服のような姿のまま雷を操るエルフの女。
一見ちぐはぐにも見える二人が、実際には無駄のないコンビネーションを作り上げていた。
ワタルは不敵に口角を吊り上げ、雷華は眼鏡の奥の瞳を細める。
まだまだこれからだ。
そう言わんばかりに、拳と雷が再び同時に走った。
「中々扇状的な格好ね」
キョンシーたちを眺めてそう告げる星峰・アトラ。
彼女も露出の多い華麗な衣装を身に纏う踊り子の娘だった。
「けれど、彼女たちは罪のない人々を攫って完全機械人に改造しようとしている」
クラウス・イーザリーは真人化工場が稼働する√ウォーゾーン出身の青年。
「私は私がムカつく敵を殺してるだけ。一般人を助けるのはムカつくやつの邪魔をしてやりたいから」
アトラは素っ気なくそう告げる。
「それでも、俺たちの世界を助けてくれるのは感謝しているよ」
ツンケンするアトラに対してクラウスは柔和な雰囲気で応える。
「おしゃべりはここまで。いくわ」
「ああ、作戦通りに」
クラウスは後方に下がり、アトラは迫るキョンシーたちへと距離を詰めていく。
彼女が手にしている獲物は、妖剣《ルシター》、曲刀型の短剣。
火器の射程内ギリギリの位置で跳躍。瞬く間に距離を詰め、キョンシーの首を切り飛ばす。
アトラは一見幼い少女のような外見だが、その体躯は超金属製骨格と新素材製の強化筋肉で構築されている。細胞すらも特別性で、彼女に超人的な身体能力を与えている。
「ごめんなさい。あなたたちの最期なのに私の踊りをちゃんと見せられなくて」
敵陣のただ中でアトラはステップを踏むと、彼女の身体から闇が溢れ出し、その姿を隠す。
闇を振りまきながら舞って、照準を付けられないキョンシーたちを次々と切り刻んでいく。
暗殺舞踏(ステルス・ブレイド)。アトラが得意とする暗殺型の√能力。
腕や脚を斬り飛ばされて、キョンシーたちは戦闘不能に陥っていく。
強引に囲んで数で制圧しようとすると、突如飛来した太陽のような光を纏う鳥の幻影がキョンシーたちに襲いかかり陣形を崩す。
それはクラウスの生み出した√能力、金烏(キンウ)。
柱の影に隠れた彼は、足を止めて拙い詠唱を延々と呟き続ける。すると、一匹、また一匹と金烏が生み出されて、キョンシーたちへ積極的な攻撃を繰り返す。
そちらに気を取られると、アトラの刃が走り斬り飛ばされる。
(このまま全滅させてやる)
アトラがそう考えた時だった。
キョンシーの一体が悲嘆に満ちた断末魔の叫びを発する。
その途端、アトラの身体がふわりと宙に浮いた。
「なっ!?」
そのまま、まるで重力が天地逆になったように空へと強制的に引っ張られていく。
絶叫により、視界内にいる敵性にとっての下方向を変化させる、防御不能の技バンシーキョンシー。
ステップも中断したため、アトラの身体から闇が剥がされてしまう。
工場内の天井は高く十メートル近くある。このままだと無防備で天井に叩きつけられ、一方的に無防備を晒すことになる。
そう思った矢先に、金烏がアトラの元へ飛来して彼女の身体に触れると、彼女の身体を反射して地上に向かって飛ばす。
金烏には触れたものを反射させる能力も有している。
隠れていたことでバンシーキョンシーの対象外となっていたクラウスが、咄嗟の機転を効かせたのだ。
「これなら……!」
アトラは宙空を舞う金烏たちを足場代わりにして跳躍し、ステップを刻む。
再び闇に覆われる身体。キョンシーたちはまたも射撃の狙いが付けられなくなる。
しかし、彼女の身体は以前、天井へと『落下』し続けたまま。
「まだ手はある」
アトラはルシターを振るう。
それは決して地上にいるキョンシーへは届かない――はずだった。
アトラがルシターの手を離し、斬撃は投擲となる。
すると、ルシターは飛翔してバンシーキョンシーを発動させた個体を切り裂いた。
発動者を倒したことで、アトラの上下感覚は元に戻り着地。同時にルシターが手に戻り、再び暗殺舞踏がキョンシーたちを襲う。
(このまま戦闘継続は可能だな)
クラウスはアトラが戦線復帰したことを柱の陰から確認する。
詠唱し続けるだけ金烏の数は増えていく。急激に数を減らしていくキョンシーに対して、次々と量産されていく金烏。
もはや戦況は完全に覆されている。他の√能力者たちの活躍もあり、キョンシーたちが全滅するのは時間の問題だろう。
そう思った矢先、キョンシーの一団がクラウスの居場所を嗅ぎつけ襲ってくる。
(金烏を召喚している出どころを嗅ぎつけたか)
キョンシーたちが火器を構える。それに対応するように半自律浮遊砲台ファミリアセントリーが制圧射撃を行う。
そしてクラウスは自らキョンシーの懐に飛び込み、自分の魔力で剣を錬成してキョンシーの首へと突き刺す。
クラウスの本領は魔法戦だけにあらず、むしろ魔法自体は比較的最近得た知識だ。
元学徒動員兵で現在は傭兵である彼は、ありとあらゆる知識を武器に戦う。
しかし、金烏の維持条件である移動しないを破ったことにより、金烏はすべて消滅。
残ったキョンシーたちが攻め込んでくる。
そこに影がキョンシーらを飲み込んでバラバラに解体せしめた。
「これで全部」
「ありがとう、助かったよ」
「別に。さっきの借りを返しただけ」
√能力者たちの活躍によって周囲のキョンシーはすべて物言わぬ死体へと戻っていた。新たな増援が来る気配もない。
「それより、攫われた人たちを助けるんなら、こんなところで時間を潰してる暇ないでしょ」
「ああ、行こう」
クラウスは微笑んで頷く。アトラは見かけ程冷たい少女ではないのだろうと確信して。
第2章 ボス戦 『パンダ・ザ・グレート』
真人化工場の深部へ続く通路は、それまでの区画よりも一段広く、そして不気味なほど静かだった。
赤い警報灯はなお回り続けている。けれど、さきほどまでそこかしこで響いていた銃声や金属音は、嘘のように消え去っていた。
代わりに聞こえるのは、√能力者たちの足音と、機械設備の低いうなりだけ。
人々が囚われている区画はもう近い。そう確信できる距離だった。
だからこそ、一行の緊張はむしろ増していく。
防衛線を張っていたキョンシー軍団を突破された以上、敵が次に出してくるのは切り札だ。誰もがそう理解している。
そして、その予感はすぐに形になった。
攫われた人々のいる区画へ通じる手前の大フロア。そこに一人の巨漢が待ち構えていた。
熊猫と虎を一枚の仮面へ押し込んだような、異様なマスク。
むき出しの上半身には岩塊のような筋肉が盛り上がり、ただ立っているだけで場の空気が重くなる。
パンダ・ザ・グレート。
先ほどまで管理者室で騒がしく筋トレに励んでいた、あの用心棒である。
両の拳を胸の前で組むように握り込み、巨体を沈めては伸ばすスクワット。
単純極まりない動作を、彼はあたかも戦闘儀式のように繰り返していた。
筋肉へ血流が流れ込み、ただでさえ膨れ上がった大胸筋や大腿が、さらに一段階張りを増していく。
皮膚の下で脈打つ力そのものが、目に見えるようだった。
「……来たか」
侵入者の来訪によって、巨漢はゆっくりとスクワットを止めた。
重々しく腰を上げ、マスクの奥から侵入者たちを見渡す。その視線は獲物を値踏みする猛獣じみていた。
「よくぞキョンシー軍団を退けた」
低く響く声が、広いフロアの壁を震わせる。
「だが、ここから先は通さん。今度はこの私、パンダ・ザ・グレートが直々に相手をしてやろう」
彼は力だけの怪物ではない。
肉を鍛え、技を鍛え、そして反則すら己の戦術へ組み込む、地下プロレス界の帝王。
正道も邪道も関係なく、勝つためのすべてを呑み込んできた男だ。
その実力は、単身であってもキョンシーの軍勢を確実に上回る。
事実、一行の中でも何人かは、彼を前にして肌へまとわりつくような圧を感じていた。
真正面からぶつかれば危険。
だが退くわけにはいかない。
この先には攫われた人々がいる。ここが最後の関門の一つなら、なおさら突破しなければならなかった。
パンダ・ザ・グレートは、その緊張を愉しむように肩を鳴らした。関節の音すら、木の幹でも軋んだように太い。
「さあ――死合の開始だ!」
言うなり、彼は傍らへ置かれていたものへ手を伸ばす。
それは場違いなほど古風な、金属製のゴングだった。
最初からこの場をリングに見立てていたのだろう。彼はもう片手でハンマーを掴んでゴングにぶつける。
カァ――――ンッ!
鈍く、それでいて腹の底まで響く開幕の音がフロア全体へ轟いた。
それは単なる合図ではない。
ここは彼にとってのリングなのだと、一方的に宣言する音だった。
真人化工場深部の大フロアで、怪物級プロレスラーとの死闘がいま幕を開ける。
大フロアの中央で、ラピス・ノースウィンドはパンダ・ザ・グレートと向かい合う。
二人の間、その空間にぐにゃりと歪みが生じるかと思うほどの緊張が……ラピスの小首を傾けている姿を見るに、生じていなかった。
「レスラーがいると聞いて勇んで来たクチなのですが……」
真人化工場を許せない。その怒りはもちろん本物だ。攫われた人々を助けるためにここまで来た意思にも曇りはない。
それはそれとして、レスラーとの激闘に胸を躍らせていたのも事実だった。
ラピスはしげしげとパンダ・ザ・グレートを見上げる。
「うーん、なんというのですかね。コレジャナイロボ感があるのです!」
もっとこう、投げ技や関節技、重厚な読み合い、そして打撃の熱い応酬。そういうものを期待していたらしい。
ところが目の前にいるのは、凶器攻撃上等、昭和の悪役レスラー臭を全身から放つコテコテのヒールそのものだった。
だが、パンダ・ザ・グレートの絶対的な自信は一片たりとも揺るがない。
「ならば今からその身に刻まれるだろう。プロレスラーの真髄がな」
マスクの奥から響く声は重く、揺るぎがなかった。
ラピスは少しだけ考えるような顔をしたあと、ぱっと表情を切り替える。
「まーいっか! |バーリトゥード《なんでもアリ》だというなら話が早いです。きっちりシメてやるですよ!」
言うや否や、ラピスが床を蹴る。
小柄な身体が一直線に前へ出る。その速度は侮れない。
だが、距離が潰れきる前に、先制したのはパンダ・ザ・グレートだった。
拳でも蹴りでもない。
まだ互いの間合いの外から放たれたのは、さきほど開幕を告げたばかりのゴングそのものだった。
巨漢の腕から回転しながら飛んだ金属の円盤が、鈍い唸りを上げてラピスへ迫る。
「反則での勝ちこそ我が誇り!」
「今更反則なんて、命のやり取りでごちゃごちゃ言わないです!」
ラピスは慌てない。飛来したゴングを真正面から弾き飛ばす。
止まらない。ラピスの打撃が走る。機甲骨格ゲオルギウスが両腕を重々しく覆う、鋼鉄の拳だ。
「むうん!」
パンダ・ザ・グレートは、それを避けなかった。
鈍い音を立てて巨漢の胸板へ打撃が突き刺さる。だが彼は胸を張ったまま、その一撃を真正面から受け止めてみせた。
「プロレスラーは避けん!」
打撃の衝撃でわずかに身体が押し下がる。だが、それだけだ。
次の瞬間には、お返しとばかりに太い腕が横薙ぎに振り抜かれた。ラリアット。
ラピスはゲオルギウスで受けるが、ガード越しでもしっかり伝わるぐらいに重い。
ただの腕力ではない。鍛え抜かれた身体そのものが塊となって叩きつけられてくる圧だった。
「そうでないとです!」
だがラピスもまた、重量勝負なら退かない。
跳び上がり、そのままゲオルギウスの重さを活かして上から叩きつける。
落下と質量を乗せた一撃は、小柄な彼女が振るっているとは思えないほどに凶悪だった。
「なんのぉ!」
パンダ・ザ・グレートはそれすら受ける。
防御をしない。避けない。胸と肩で受け止め、足で床を噛んで耐える。
その代わり、ラピスが着地するタイミングを狙い、巨漢の腕が不意に閃いた。
みしり、と嫌な音が鳴る。
ゲオルギウスの装甲が、わずかに凹んだ。
「っ!」
叩き込まれたのは、先ほどゴングを鳴らすのに使っていた、あのハンマーだった。
ハンマーによる反則技。
実戦へ混ぜ込んでくる。
「このハンマーの硬度は特別製だ!」
「なるほど、そういう感じなのですね!」
ラピスはひるまない。
彼女の流派は龍虎拳。絶え間ない煉獄のように連撃で押し潰し、最後に必殺を叩き込むことを旨とする。
対するパンダ・ザ・グレートは、受けて返すことを得意とするプロレスラー。
攻めと耐久、二人の|格闘者《エアガイツ》がぶつかり合う。
「ならこっちは|サンダーフェロウ《必壊》です!」
ゲオルギウスの内部機構が唸る。
対機械兵団を想定して内蔵されたパイルバンカーが射出された。
狙いはパンダ・ザ・グレートの腹筋。鋼板めいた肉の鎧へ杭のような一撃がめり込む。
「ぐぬう!」
貫通には至らない。
しかし、サンダーフェロウは破壊それだけでは終わらない。その名の通りに高圧電流が腹部から全身へ流し込まれ、巨漢の筋肉を痙攣させる。
さしものパンダ・ザ・グレートも、低くうめき声を漏らした。
それでも、まだ男は止まらない。
むしろ痺れごと押し潰すように、彼はそのまま前へ出た。
巨腕がラピスの体へ絡みつき、逃げ場を奪う。完全に組み付かれた。
ラピスの視界が持ち上がる。
肩の高さまで一気に持ち上げられた。
「俺の勝――」
パワーボム。
そう続くはずだった。プロレスのリングならまだしも、ここは無機質で硬い工場の床だ。
ここへ叩きつけられれば、さしものラピスでも大打撃は必至。
「ラピスの勝ちです!」
投げられる、その直前。ナーガラージャの掌が放たれた。
射出されたフックが壁際を走るパイプへ食い込み、ワイヤーが張る。
巻き戻し。
一気に引かれたのはラピスだけではない。組み付いていたパンダ・ザ・グレートごと、質量のまとまりとなって壁へ引き寄せられた。
激突。轟音と共に壁がへしゃげる。
ラピスは挟み込むようにゲオルギウスをパンダ・ザ・グレートの胴へめり込ませ、そのまま押し潰した。
「ぐおおっ! まだ……」
巨漢がなおも耐えようとする、その頭部へさらに衝撃が走る。
ラピスが、引き寄せられている最中に拾っていたゴングを叩きつけたのだ。
金属の凶器が仮面の側頭部へ食い込み、鈍い反響音が間近で鳴る。
(ここまでやれば……)
ラピスがそう踏み――
「まだだっ!」
パンダ・ザ・グレートは壁に押し付けられた体勢から、背筋の反発で無理やり抜け出した。
壁を利用した反動。そこから放たれたのは、プロレスの代表技、ドロップキックだ。
巨漢の両脚が一直線にラピスへ飛ぶ。
咄嗟にガードは間に合う。だがラピスの小柄な身体はそのまま後方へ大きく弾き飛ばされた。
「思ったよりタフですね……!」
距離を取り直しながら、ラピスは目を見開く。
「当然だ……ぐふぅっ!」
パンダ・ザ・グレートはファイティングポーズを取ろうとするも、巨体がよろめき片膝を床へついた。
地下プロレス界の帝王。
その男に、緒戦から膝をつかせた。それは間違いなく大戦果だろう。
御門・雷華は、ラピスとパンダ・ザ・グレートの激突を冷静に観察して、敵戦力の見極めを進めていた。
「キョンシーとは格が違うわね」
淡々とした声音だったが、その評価は重い。
熊猫と虎を混ぜ合わせたような悪趣味なマスク。ゴングだのハンマーだの、戦場に持ち込むにはあまりに芝居がかった凶器。見た目だけ切り取れば、滑稽ですらある。
だが、格闘者としての実力そのものは紛れもなく本物だった。
反則技も同じだ。
一見すれば安っぽく、ふざけているように見える。
けれど実際には、そんな不純物を混ぜ込みながらなお、実戦技として成立させている。
そこにあるのは芸ではなく、勝つために使えるものを貪欲に掴み取る執念だ。
(それに、あの耐久力も厄介ね)
鍛え抜かれた肉体の頑強さはもちろんのこと、攻撃が当たる寸前、わずかにポイントを
ずらして受けることで、ダメージを抑えている。安全に攻撃を受け切る技術もまた、プロレスラーの極意だった。
(これに対抗するには……)
雷華はすっと視線を横へ流す。
「ワタル、前衛は任せるわ」
「おう、任されてやるよ」
それだけで十分だった。
二人にとって連携の確認に長い言葉はいらない。
血気盛んで突破力の高い風宮・ワタルが前線をこじ開け、雷華が状況全体を見渡しながら必要な援護を送り込む。
一々説明するまでもなく、何度もそれで戦果を積み重ねてきた。
ワタルが前へ出る。
赤いパーカーを翻し、黒髪を揺らしながら、真正面からパンダ・ザ・グレートへ突っ込んだ。小細工はない。ガントレットにも特別な仕込みはない。使うのは自分の拳だけだ。
「反則技? 凶器攻撃? 拳一つでケンカもできねぇのか?」
挑発を叩きつけるように言うと、パンダ・ザ・グレートはむしろ胸を張った。
「ふふん。反則技はプロレス帝王パンダ・ザ・グレートの美学だ!」
「そうかよ。いいぜ、ならオレが相手してやるよ!」
ワタルの鉄拳が唸る。
真っ直ぐで、鋭く、喧嘩殺法の荒さを残しながらも、打つ技術もきっちり伴った一撃だ。
パンダ・ザ・グレートはやはりそれを避けない。わずかに身体をせり出すようにしながら胸部で受けて耐える。
そして返す。
弓を引くように腕を大きく後ろへ回し、そこから一気に射出する独特の打撃。ナックルアロー。拳というより、全身の捻りを矢のように撃ち出す一打だった。
「おっと」
ワタルは身をずらしてそれをかわす。
直後に脳内でアラートが鳴り響いた。
続けざま、回転を加えたローリングソバットが飛んでくる。蹴りの軌道が見えた時にはすでに近い。だがワタルはとっさに腕を引き上げ、ガントレットで受ける。
激突音。
足裏から伝わる重さに、身体が押されて後ずさる。
「なんだよ。やればできんじゃねえか」
「力、技、反則、すべてが揃っているからこその帝王だ!」
なるほど、とワタルは鼻で笑う。
反則を使うと見せかけて、今度はあえて正攻法でのコンビネーションを使ってきた。
身体を鍛え、技も練り、さらにそこへ反則を織り交ぜる。ただの反則魔ではないことを、今のやり取りで証明してみせた。
面白い。むしろソッチの方が殴り甲斐がある。
だからもっとだ。下がった分以上に、勢いを付けて前進する。
するとパンダ・ザ・グレートは、今度は自ら跳んだ。巨体に似合わぬ高さと速さ。カウンター気味のジャンピング・ニーバットが一直線にワタルの顔面を狙う。
「ちぃっ!」
ガードは間に合う。
だが衝撃は殺しきれない。膝の重みが腕越しに顔面へ食い込み、ワタルは大きく後ろへ弾かれた。それでも足を踏ん張り、歯を食いしばって倒れない。
二人の動きを見切っていた雷華は、パンダ・ザ・グレートが着地するタイミングを逃さなかった。
精霊銃が素早く照準を定めて。放たれるのは雷の弾丸、雷霆万鈞。
だが、その弾は外れた。
「……!」
雷華の目がわずかに細まる。
パンダ・ザ・グレートは、着地の間を狂わせていた。跳び上がった際、天井の蛍光灯を掴むことで滞空し、落下の拍子をずらしたのだ。
「攻撃は避けないんじゃなかったの?」
雷華が冷たく言うと、パンダ・ザ・グレートは平然と答える。
「これは貴様が勝手に外しただけのこと」
プロレスでは試合中に後ろから襲われるなどよくあることだ。連携して動く相手なら尚更警戒してしかるべき。
そして、パンダ・ザ・グレートが続ける。
「すべてが戦う武器となる!」
言うなり、握り潰した蛍光灯の破片を地面へ落下しながら掴み込み、そのまま雷華へ投げつける。
凶器目潰し。
反則技としては古典的。しかしそれが効果的なタイミングならば、躊躇なく実戦に混ぜ込む胆力がある。
(それを非難するようじゃ、冒険者なんてやってられないわ)
卑怯な技は強い。そして、だからこそ警戒を持ってことに当たる。
雷華は咄嗟に顔を庇う。視界を守る、その一瞬の隙。
そこへパンダ・ザ・グレートが踏み込んでくる。
雷華は足元へ即座に雷霆万鈞を撃ち込んだ。
自分を巻き込む距離での爆発。雷の衝撃が床を叩き、爆風が二人の間で弾ける。
だがパンダ・ザ・グレートは怯まない。
雷撃の爆風を浴びながら、そのまま逆水平チョップを振り抜いた。
空気を裂くような一閃。雷華は帯電で強化した脚へ力を込め、横へ急加速してこれをかわす。同時に回し蹴りを叩き込む。
「中々に良い蹴りだ」
蹴りは確かに入った。
電撃の余波も乗り、パンダ・ザ・グレートの動きがわずかに鈍る。
その機を逃さず、雷華は距離を取り直した。決して必要以上に打ち合わず、一手ごとに位置を変えて勝機を狙う。そう判断してのことだ。
このプロレスラーを正面から相手取る役割は自分ではない。
「お前の相手はオレだぜ」
ワタルは愚直に、再び突貫する。この男を相手に、怯んだり警戒したりは、余計に付け入る隙を与えることになってしまう。
パンダ・ザ・グレートはそれを迎え撃つように息を深く吸い込む。
そして、噴き出したのは紫の毒霧だった。
広がるミストがワタルの視界を一気に塞ぐ。
「毒なら効かないぜ!」
叫びながら、ワタルは駆け抜ける。彼の身体には耐毒性がある。実際、霧を吸い込んでも動きに大きな乱れはない。
だがパンダ・ザ・グレートは、そこまで読んでいた。
「ならこれはどうかな?」
どこからか取り出したライターへ火を点ける。
小さな火を、下から弧を描くように放り投げた。
火が触れた瞬間、霧全体が爆炎へ変わった。
毒霧の正体は、引火性のガス。紫の毒々しい色は、プロレスの試合を魅せる要素の一つであり、今は二重フェイクの布石だった。
ワタルの身体が炎に包まれる。
だが、その炎の内側から、むしろさらに凶暴な熱が吹き上がった。
「それも効かねえなぁ!」
「何っ!?」
ワタルは焼かれるより早く、自身の身体へ破壊の炎を纏っていた。外からの火を呑み込み、自分の火へ塗り替えるような防ぎ方だった。
それを見た雷華の口元が、ごくわずかに動く。
(かかったわね)
彼女は最初からこれを狙っていた。
パンダ・ザ・グレートの反則は、どれもプロレスの体裁を守りながら、一つの技術体系として実戦的に組み込まれている。
だが、同時に雷華はそこに付け入る隙があると思っていた。
ワタルを前衛に出した理由は、いつも通りの突破力だけではない。
耐電、耐毒、そして耐炎。
様々な耐性を鍛えた彼の肉体と能力ならば、反則を受けながら無効化し、その直後に強烈な反撃へ転じられる。
パンダ・ザ・グレートは、炎の中から現れたワタルへ追撃を仕掛けようとする。
けれど、それより早くワタルは動き出していた。
「遅え!」
ワタルの右掌がみぞおちへ突き刺さる。
力の発動そのものを断つ右掌、ルートブレイカーが、パンダ・ザ・グレートの動きの流れを強引に止めた。
「ぐぬっ!」
巨漢の身体が、完全に無防備になる。
そこへ間髪入れず、雷華の雷弾が炸裂した。
至近距離での着弾。雷の爆発がパンダ・ザ・グレートの上半身を呑み込み、筋肉の壁を震わせる。
「ワタル!」
「おうよ!」
呼吸を合わせる。
雷華が帯電した脚で床を蹴った。稲妻のような急加速から、そのまま高く跳び上がる。
雷光を纏う蹴りが上段から振るわれた。
それに呼応するように、ワタルも全身の力を右拳へ集約する。
雷華の蹴りが頭部へ、ワタルの鉄拳が胴へ。
渾身の力を込めた同時打撃が、パンダ・ザ・グレートの強靭な肉体へ容赦なく叩き込まれる。
「ごはぁっ!」
巨体が耐えきれず吹き飛んだ。
床を滑り、重い音を立てて崩れる。筋肉の鎧があるからこそ即座に沈まないが、ダメージは明らかだった。
師弟にして相棒。
御門・雷華と風宮・ワタルの連携が、地下プロレス帝王の肉体へ確かな痛打を刻み込んだのだ。
パンダ・ザ・グレートは苦しみ、弱ってきている。
その手応えを、二人は同時に掴んでいた。
それは、パンダ・ザ・グレートと√能力者たちの死闘が佳境へ入りかけた時だった。
突如として、フロアの空気を割るような声が響く。
「ココ・ザ・キャンディクラッシュ入ー場~!」
場違いなほどよく通る声。
しかも手にしたマイク越しだ。
全員の視線がそちらへ吸い寄せられる。
現れたのは、長い銀髪を揺らし、紫の瞳に勝ち気な光を宿す少女だった。
羽織ったマントの内側に見えるのは、いかにも女子プロレスを思わせる、紫と白を基調にしたきらびやかなレスラー衣装だ。
胸元と腹部を大胆に見せるトップ、同系色のショーツ、肘と膝を守るサポーター。可憐さと闘争心を一緒くたにしたような装いだった。
そして、入場曲まで流れている。
どこからかと思えば、彼女が適当に置いたスマホからだった。
真人化工場の深部だから仕方ないね。
仲間たちが一斉にざわつく。
「何事です……?」
「敵の増援か!?」
「その割には、なんだかノリがおかしいよ……」
警戒の視線が集中する中、当人の飴澤・茲(したごころのないいつくしみ・h12626)だけはまるで気にしない。
しかも彼女自身はプロレスラーではない。ただただプロレスが好きで、相手がプロレスラーと聞いた途端、衣装から演出まで全部揃えて乗り込んできた女子だった。
なお、彼女一人ではない。別のルートから侵入してきた別働隊であり、他の√能力者も一緒に来ている。
自称ココ・ザ・キャンディクラッシュは、なにもない空間へ向かって自然な所作でロープをくぐるような動きを見せた。
リングインのジェスチャーである。しかも無駄に滑らかだった。
リングの中央(推定)まで進むと、煽るように片手でマントをばっと払う。彼女は華麗な衣装で豊かな胸を張り、対戦相手を見据えた。
パンダ・ザ・グレートは一拍置いてから、いかにも愉快そうに喉を鳴らす。
「ふっ、この俺にプロレスで勝負を挑む愚か者がいるとはな」
だがココは、まず別のことが気になったらしい。
「ところで、ゴングは?」
「とっくに俺が鳴らしたが?」
その答えに、ココの顔がむっと険しくなった。
「いや、ゴング早くない?」
「むう……」
「というか鳴らすの選手じゃなくない?」
プロレスとしての不備と謎の勢いに押され、パンダ・ザ・グレートがほんの少しだけ視線を泳がせる。
「……すまない」
思わず謝ってしまった。
地下プロレス帝王に謝罪を引き出すという、よく分からない快挙が達成された瞬間だった。
「まったく……」
ココは肩をすくめる。
そのまま、なし崩しに試合が始まった。
二人はじわじわと距離を詰める。先に仕掛けたのはココだ。
鋭い踏み込みで打撃を放つ。ただし通常の拳打ではない。
プロレスの意識なのか、指の第二関節あたりを当てるナックルパート。手首の返しも綺麗で、ただのごっこでは終わらせない意志が見える。
パンダ・ザ・グレートはそれを受け、すぐさまエルボーを返した。
ココは身を滑らせるようにしてかわすが、その刹那、視界が黒く染まった。
パンダ・ザ・グレートが、ココの放ったマントを回収し、頭から被せるように投げたのだ。視界を奪う反則。
そこへ鍛え抜かれた太い脚による前蹴りが突き刺さる。
「うっ」
ココの身体が後方へ大きく吹き飛ぶ。
床を転がるが、見た目ほど深くは効いていない。蹴られながら自分で飛び、威力を逃がしていたからだ。
「その位置は場外だな」
たしかに、ココがさっきロープをくぐった(振りした)位置よりも、さらに後ろだ。つまり場外。
そう判断するや否や、パンダ・ザ・グレートが猛然と走り出した。
巨体が一直線に加速する。そのまま飛び込むような勢いで突っ込んでくる。
本来ならロープの間をくぐるように飛び込み、相手へぶつかるトペ・スイシーダと呼ばれる技。場外乱闘の始まりだった。
「ぐうっ!」
ちょうどマントを剥がしたところへ、二人の体が正面からぶつかる。
床へもつれ込み、金属音を立てながら転がった。先に立ち上がったのは、やはりパンダ・ザ・グレートである。
「その程度か、小娘」
「まだまだ!」
ココは座った姿勢のまま、衣装のリボンの一部をしゅるりと外した。
それはただの飾りではない。軽功の仙力を込めた帯だった。気を通された布が瞬時に硬度を増し、しなる刃と化す。ココがそれを振るうと、鋭い軌跡が空気を裂いた。
だがパンダ・ザ・グレートは前へ歩むように動く。
大きな体で間合いをずらし、帯の刃筋を外す。周りから見ると、ココが攻撃を外したようにも見えるような避け方だ。
「苦し紛れの反則か? 反則とはこうやるのだ!」
二発目をかわしながら、パンダ・ザ・グレートはコスチュームの間へ差していた栓抜きを取り出し、そのまま殴りかかってくる。
「それはちがうから」
ココは前へ飛び込むように回避した。
その直後、彼女の頭上から何かが落ちてくる。
その正体は鉄パイプ。ココが先ほど帯で天井を走る配管を切断していたのだ。落下してきたそれを、流れるようにキャッチする。
そうして、思い切りスイングしていた。
鉄パイプがうなりを上げ、パンダ・ザ・グレートの肩、脇腹、背へ容赦なく叩き込まれる。巨漢がさすがに顔を歪めた。
「ぐおお!」
「プロレスといえば、場外乱闘からの乱戦遊戯!」
その環境にあるものを好き放題使う、完全にヒール側の反則ぶりだった。本職は軍警道士のはずなのだが。
「なんの!」
パンダ・ザ・グレートが逆水平チョップを振り抜くと、一発で鉄パイプがへし折れた。
するとココは未練なく残骸を捨て、その辺に転がっていた用途不明の器具を無理やり持ち上げ、そのまま叩きつける。
「ぐおっ! 貴様、基地を破壊するつもりか!」
「そのために来たから」
むしろ一石二鳥。
ココはそのまま背後へ回り込み、足の甲で後頭部を狙う鋭い蹴り――延髄斬りを見舞った。
「ぐあっ!」
脳へのダメージでパンダ・ザ・グレートの巨体が大きく前へつんのめる。
本人たちの感覚では、それはリング内へ強引に戻された形だった。
ココはその流れを逃さず、背後の仲間へ声を投げる。
「ジャンプ台おねがい」
呼ばれた√能力者が、何も聞かずに両腕を合わせて腰を落とした。まるでバレーのレシーブみたいな姿勢だ。
ココはそこへ飛び乗り、仲間の腕が彼女を上へ打ち上げた。
銀髪が舞い、身体はより高く跳ね上がる。その姿は、さながらトップロープから大きく飛び出したレスラーのようだった。
空中でココは身体をひねる。
前方へ一回転半。回転の勢いでさらに加速が乗る。
パンダ・ザ・グレートが見上げた時には、もう遅い。
必殺のボディプレス、450°スプラッシュ。
「ぬおぉっ!」
落ちてきたココの全体重と勢いが、パンダ・ザ・グレートの胴へまともに落下した。轟音と共に巨体が床へ沈み込む。
ココはすかさず相手の肩を押さえ込んでフォールドした。
「ワンっ、ツーっ、スリーっ!」
自分でカウントした。
スリーを数え切ると、ココは勢いよく拳を突き上げる。
「私の勝ち!」
パンダ・ザ・グレートは床に横たわったまま、信じられないものを見るように呻いた。
「この俺が、プロレスで敗れるだと……!」
すでにラピスや雷華、ワタルたちとの戦いでかなり傷を負っていたのは確かだ。万全ではなかったことを差し引いたとしても、この敗北は彼にとって精神的な痛手だった。
そこへ、半壊したゴングを仲間の一人が拾い上げる。
もはや原形をとどめているとは言いがたいそれを、転がっていた鉄パイプで叩く。
べこん、と間の抜けた音が鳴る。
だがその音は、確かにココ・ザ・キャンディクラッシュの勝利を称えていた。
パンダ・ザ・グレートを中心に、大フロアの空気は熱を帯びていた。
幾度も深手を追いながらも、地下プロレスの帝王はまだ倒れない。
熊猫と虎の混ざった奇怪なマスクの下で荒い呼吸を繰り返しながらも、その巨体はなお前へ出る気配を捨てていなかった。
そんな戦場で、別動隊から合流した一人の少年が静かに動く。
「出遅れたが、やっていくとしようか」
年不相応に落ち着いた雰囲気の少年、セージ・ジェードゥ(影草・h07993)。
茶色がかった瞳と、灰色に、一房だけ黒が混ざる髪。
額へ押し上げた大型ゴーグル、首元へ巻いた深い青のマフラー、ミリタリー調の黒いベストと手袋。
その姿は15歳の少年というより、戦場へ適応しすぎた若い兵士だった。
幼い頃に両親を失い、訓練漬けで特殊部隊員として育てられ、果てはスパイ活動の末に人間爆弾へ改造された。
心が壊れていてもおかしくない道を、それでも彼は歩き抜いてきた。両親の仇を討ち、人類解放のために戦うという意志だけを手放さずに。
両親の形見として身に付けている大切なマフラーでさえ、改造して武装の一つとする程に。
セージはパンダ・ザ・グレートを見据えたまま、感情を滲ませずに言った。
「申し訳ないが、プロレスは分からないからルールは無視するぞ」
あまりにももっともだった。
相手がプロレスラーを名乗ろうと、こちらまでその流儀へ律儀に従う必要はない。
たまたま同じ戦場に、妙にプロレスへ順応する仲間がいたせいで感覚が麻痺していただけで、本来ならそれが普通だ。
パンダ・ザ・グレートは、マスクの奥で獰猛に笑う。
「ならば骨の髄までプロレスを刻み込んでやろう!」
言い終えるが早いか、巨体が踏み込んだ。
正面から見ると、その動きは異様だった。あれだけの体格と筋量があるのに、初速だけなら軽量級の格闘家じみている。
床を踏み砕く勢いで距離を詰め、セージが銃へ手をかけるより早く、左手首をがっちり捕らえた。
ひねる。
単純な動きなのに、関節へ負荷をかける角度が正確すぎる。逃がす余地のない方向へ捻り上げられ、鋭い痛みが駆け抜けた。
「ぐぅっ!」
骨が軋むような感覚。派手な投げ技でも打撃でもない。しかし実戦ではこういう技ほど厄介だ。
「どうだ、これがリストロックだ」
パンダ・ザ・グレートの声には、見せ技ではなく本物を使っている自負があった。
実際、これは効く。プロレスに混ざる誇張や演出ではない。派生技も含めれば柔道、古流、総合格闘技、いくつもの技術体系へと通じる、相手を破壊する技だ。
だがセージは、痛みに顔をしかめながらも冷静だった。
「これは格闘技じゃないんでなっ」
言い切ると同時に、右手が閃いた。
小型化された銃は、こういう密着距離でも取り回しが利く。早撃ちからの連射。至近で吐き出された銃弾が、パンダ・ザ・グレートの胴と肩へ向かう。
「むっ」
パンダ・ザ・グレートは、銃を抜く手首の返しを見た時点で掴みを解いていた。
上体を開いて弾道を外す。続けて、空いた腕が横薙ぎに走る。逆水平チョップ。
ただの見栄え重視なら空気を叩くだけだが、この男のそれは違う。肩から胸、腰の捻りまで一体化させた一閃。
セージは一歩だけ後ろへ滑る。
完全には外せない。胸元をかすめた衝撃だけでも呼吸が一瞬詰まった。防具の上から肌へ熱を帯びた痛みが広がる。
(冗談みたいな格好だが、やはり侮れないな)
この距離で主導権を渡せば、関節、打撃の連続で迫られて押し切られる。ならば最優先は、相手の流れを断つことだ。
セージはその場で外套、ステルスクロークを纏った。
黒い布がふわりと広がる。その影の内側から、機械音と共に複数のロボットアームがせり出した。金属の多関節アームが何本も、蜘蛛の脚めいてばらけながら宙へ伸びる。
「ふん、脆いわ!」
パンダ・ザ・グレートは臆さない。
伸びてきたロボットアームへ、まるで人間の腕へするように関節技を極めてみせる。
関節を見切り、捻る。
金属の節が逆方向へ折れ、一本がもぎ取られる。
「それはそういう機能だ」
「なんだと!」
セージの声色は変わらない。
外れたアームは故障ではなく分離だった。床へ落ちるかと思われたそれが、独立した機械生物のように跳ね上がり、パンダ・ザ・グレートへと巻きつく。
セージはさらに二本、三本と切り離した。
パンダ・ザ・グレートの肉体を小型の拘束装置が這い回る。
「この程度で俺のプロレスは止められはせん!」
パンダ・ザ・グレートが力を込めた。
筋肉が膨張する。腕と胸の輪郭がさらに盛り上がり、巻きついたアームが軋んだ。
「俺も乗らせてもらうよ」
クラウス・イーザリーが横合いから踏み込む。
静かな顔のまま、彼は手の中へ魔力を凝縮した。青白い光が細く伸び、月光を鍛えたような槍となる。
長さのある得物だ。接近戦の間合いへ付き合わずに済む。
突き。
最小限の予備動作から、槍先だけがすっと伸びた。
受ければ耐えられるが無視はできない、肩口と脇腹の境目。そういう嫌なところを選んだ正確な一撃だった。
「ぐおっ……なん、の……」
パンダ・ザ・グレートの体がわずかに止まる。
(まずは拘束を破壊して。いや、先に槍だ。しかし、このままでは上手く動けない。だから先に拘束を、それでは槍が……)
思考が延々とまとまらず渦を巻く。典型的な混乱状態。
クラウスの戦い方は、真正面からの押し合いではない。
最適な順序を組み立てにくくさせる。焦りや迷いを強制するための混乱付与だ。
鍛えた意志が信念にまで達した者の強さを、痛いほど知っている。だからこそ、その土俵へは絶対に乗らない。
(ペースに呑まれないようにしないと……)
クラウスは槍の間合いを守りながら、二撃、三撃と角度を変えて繰り出した。急所ではなく、無視しづらい部位。脚の運びを妨げる太腿。体を捻らせる脇腹。視線を落とさせる肩。決定打を急がず、選択を迫り続ける。
そこへセージのアームも絡む。
一本が槍を追うように進路を狭め、一本が足首へ、一本が肘へ。完全に固定するのではなく、対応の手数を増やし続ける連携だった。
「ぬおおおおおっ!」
パンダ・ザ・グレートが吼えた。
そこで彼は、思考を捨てた。
判断が追いつかないなら、積み上げた経験と野生の直感だけで動く。筋肉がさらに膨張し、拘束していたロボットアームが一斉に弾け飛ぶ。節が砕け、床へ散る。
「脳筋と……馬鹿には出来ないな」
セージが小さく呟く。
理屈を捨てた獣は、時に最短最適を選ぶ。
クラウスもそれを見てすぐ戦術を切り替えた。槍を半歩引き、背後のレイン砲台へ指示を送る。浮遊砲台が角度を変え、一直線のレーザーを放った。
「むんっ!」
パンダ・ザ・グレートが次に取ったのは、床を剥がすことだった。
ただの力任せに見える。けれどそれは不自然な程に、あっさりとキレイに外れた。
そのまま盾にする。レーザーが金属板へ当たり、赤熱させながらも貫き切れない。
その盾の縁を狙って、セージのアームが再び走る。
今度は巻きつくのではなく、盾の向きをずらすための牽制だ。一本が縁へ、二本目が手首へ、三本目が足元を払うように低く走る。
同時にクラウスは槍で再攻撃した。
盾越しではなく、盾を持つ腕の外側、その可動域を潰すための刺突。混乱中に重ねて選択を迫る。
するとパンダ・ザ・グレートは、空いた床へまたも腕を突っ込んだ。
引き抜かれたのは鋼鉄の鎖。
チェーンが唸りを上げる。遠心力を乗せて振るわれた一撃が、迫るロボットアームの群れをまとめて弾き返した。クラウスの槍先も、鎖の横薙ぎで軌道を逸らされる。
「あらかじめ、反則用の武器を部屋に仕込んでいたのか」
セージはそこで、改めて相手の執念深さを認識した。
その場の思いつきではない。プロレスで√能力者やウォーゾーン兵器へ対抗するため、このフロア自体を、武器庫つきのリングへ作り変えていたのだ。
床の下に凶器。蛍光灯も金属パネルも、全部が使用前提。
それでも、だ。
「ここで引くわけにはいかない。押し通る!」
ロボットアームを前へ散らし、真正面の攻撃ではなく射線作りへ使う。一本で視界を揺らし、一本で鎖の軌道を邪魔し、一本で足の置き場を狭める。
その小さな乱れの隙へ、改造拳銃のクイックドロウを重ねる。
右、左、間を置かず三発。
鎖を握る手首。
盾を持つ肘。
胸の中央ではなく、呼吸を乱す脇腹。
即死を狙わない代わりに、行動の質を落とす部位を着実に撃ち抜く。
クラウスもすぐに合わせた。
槍主体から切り替え、レイン砲台と銃による射撃を主軸に移す。
光線と実弾が交互に走り、攻撃の種類を増やすことで、パンダ・ザ・グレートへ受け方の判断を強いる。
「それはもうさせない」
パンダ・ザ・グレートが再び床へ手を伸ばす。
だがそこへ、クラウスの攻撃が集中した。
手甲を掠める弾丸。
床との間へ走るレーザー。
指をかけた刹那を狙う精密な連射。
新しい凶器を掴む余地を与えない。しゃがめば撃つ。腕を伸ばせば撃つ。盾を上げれば下を撃ち、下げれば顔を撃つ。
じりじりと削る。
派手ではない。
大きく吹き飛ばすわけでもない。
だが恐ろしく堅実だった。
パンダ・ザ・グレートはチェーンと盾で前進の機会を探す。けれどそのたびにロボットアームが足元を乱し、クラウスの射撃が体勢を崩し、セージの銃撃が次の動きを遅らせる。
セージは感情を失っているわけではない。
ただ、燃やすべき怒りを戦術へ変換している。
家族を奪われ、兵器として使い潰されかけてもなお、彼は戦う方法を身につけた。努力家であることを口に出しはしない。
言わずとも、積み重ねた訓練の量はその戦い方が雄弁に示している。
クラウスもまた、静かだった。
槍を振るう時も、砲台を制御する時も、無駄に息を荒げない。
感情で押し切る相手に対し、自分まで熱くならないこと。その徹底が連携を崩さない。
友を失いながら戦場から離れず、人を救う道に疑問を挟まず進んできた経験が、それを可能とする。
二人の戦いは地味だ。
華やかさでは、他の√能力者たちに及ばないかもしれない。
それでも、この堅実さは恐ろしい。
選択を押しつけ、対応を迷わせ、少しずつ傷と疲労を積み上げていく。派手に勝つのではなく、確実に勝ち筋だけを追う。
地下プロレスの帝王は、いまその重さを全身で味わわされていた。
削られる。
確実に、少しずつ。
セージとクラウスは決して前のめりにならず、距離と圧力を保ったまま、一歩ずつパンダ・ザ・グレートを追い詰めていった。
朧谷・十華は、なおも立ち続けるパンダ・ザ・グレートを見据え、その異様なまでの頑健さに息を呑んでいた。
熊猫と虎の混ざった奇怪なマスクは、すでに幾度も打ち据えられ、裂け、汚れている。巨躯を包む筋肉にも銃創や打撲、焼け焦げた痕がいくつも走っていた。
ラピスの重打、雷華とワタルの連携、茲の無茶苦茶な乱戦じみた猛攻、クラウスとセージの堅実な削り。
その全てを受けてもなお、この男は倒れていない。
息は荒い。足元も万全には見えない。けれど、その双眸に宿る闘志だけは、いまだ少しも翳ってはいなかった。
「その身体、並々ならぬ鍛錬を積んでおられる様子……!」
十華の言葉は、敵への警戒であると同時に、純粋な感嘆でもあった。
パンダ・ザ・グレートは胸を張る。傷だらけのその姿に、なお揺るがぬ誇りがある。
「当然だ。地下プロレスの帝王は決して倒されん!」
十華の本能が告げている。
これだけの損耗を負ってなお危険。真っ向からやり合えば、ただでは済まない。搦め手や連携で削り続けるのが最善だと、理性はそう判断していた。
だが朧谷・十華という女もまた、正面から斬り結ぶためにこそ己を磨いてきた。
相手がどれほど異様でも、どれほど危険でも、最後に頼るのは鍛え抜いた剣と心だ。
「私は正面からぶつかる事しか知らぬ身。いざ、尋常に勝負を!」
「来るがいい!」
相手は反則技の名手だ。ならばこちらも、武器を使うことにためらいはない。
十華は一度、得物を持ち替えた。
刀ではない。彼女の手に収まったのは、霊木を用いて職人が丹精込めて削り上げた卒塔婆、浄破ノ標。
不浄を祓うための逸品であり、斬るだけでなく、穢れの芯へ触れて断ち切るための武装だった。
十華は深く息を吸う。
肩の力を落とし、膝を沈める。構えは居合に似ているが、剣先を走らせるためだけの姿勢ではない。己の心拍、足裏の重心、視線の高さ、相手の呼吸、そのすべてをひとところへ合わせていく。
「明鏡止水――真なる心宿さば、断てぬ物無し……」
澄んだ声がフロアへ響く。
赤い警報灯の下で、十華の意識だけがすっと研ぎ澄まされていく。
目の前の巨漢の肉体は堅い。普通の刃では骨まで届かず、浅く流されるだろう。
「はぁっ!」
「おおっ!」
二人が同時に駆けた。
パンダ・ザ・グレートの踏み込みは重い。
けど、その重さが初動の遅さにはならない。
むしろ全身の筋肉を弓のようにしならせ、一気に解き放つことで、爆発的な推進力へ変えている。
ナックルアロー。正面から受ければ骨まで砕かれかねない直撃だ。
十華は一層身を沈める。
拳の軌道を紙一重で外し、そのまま相手の懐へ滑り込んだ。すれ違う瞬間、浄破ノ標がひらりと翻る。
鮮血が散る。
だが切り口は浅い。肉を深々と断てたわけではない。
「ぐぬうっ!?」
パンダ・ザ・グレートの右肩が、突然だらりと落ちた。
肩から先が死んだようにぶら下がり、ぴくりとも動かない。
その技の名は、戦技・無刃一閃。浄破ノ標で断ったのは、肉ではなく感覚だった。
刃が届かずとも、そこへ宿る機能そのものを断ち切る。腕そのものは残っていても、使えなければそれは失われたも同じだ――朧谷の剣は、断てぬものも断つ。
「小癪な技を……!」
パンダ・ザ・グレートが唸る。
受けきることを矜持とするプロレスラーにとって、これはあまりにも相性が悪い。
受けた結果、肉体の一部を機能不全へ落とされる。耐えるほど、自分の強みが削られていくのだ。
「次っ!」
十華が間を置かず二の太刀へ入る。
床を蹴る足音すら細い。だが速度は鋭く、卒塔婆の先端が一直線に閃く。
パンダ・ザ・グレートも、さすがにこれは受けない。
残る腕で床のパネルを引き剥がし、盾代わりに立てる。金属板が十華の前へ割り込み、真っ二つになった。
浄破ノ標が金属の中心線を割り、左右へ落とす。
(容易い……)
十華がそう感じた、その刹那。ぞわり、と背筋へ悪寒が走った。
(否、|容易過ぎる《・・・・・》)
本能ままに横へ跳ぶ。
直後、切り落としたはずのパネル片が下から跳ね上がり、彼女のいた場所を鋭く掠めた。
パンダ・ザ・グレートが、真っ二つにされた破片を蹴り上げていたのだ。
意識の外から飛んでくる死角の刃。
それだけでも厄介なのに、さらに追うようにもう一方の破片が振るわれる。
切断された縁は鋭利で、まともに受ければ肉を持っていかれるだろう。
だが、その動きは途中で止まった。
それより先にパンダ・ザ・グレートの足首を薙いでいたからだ。
「剣道ならば、これは反則でしょうね」
技とは、実戦的であればあるほど危険だ。だから競技や武道では禁じられるものが多い。
急所、足狙い、倒れた相手を斬る。だが戦場では違う。反則と呼ばれるものもまた、命を拾うための正攻法たり得る。
「それがどうしたあっ!」
「――ぐうっ!」
右腕を失い、片脚の感覚も削がれている。
それでもパンダ・ザ・グレートは猛る。
動く方の脚で床を踏み砕く勢いで前へ出て、無事な片腕でラリアットを振り抜いてきた。
体勢が崩れているはずなのに、その一振りにはまだまだ威圧がある。空気ごと薙ぐような重さだった。
十華は浄破ノ標を縦に立て、受ける。
正面から固めれば押し潰されてしまう。だから背を大きく反らし、衝撃の流れを逃がした。腕、肩、腰、踵へと力を流して、まともに食らうことだけは避ける。
それでも痺れた。
「なんという膂力……」
息が漏れる。
だが、パンダ・ザ・グレートの払った代償も大きい。
振り抜いた豪腕、その二の腕から先が、すとんと力を失った。
先ほどの接触で、十華はそこにも断ちを刻んでいたのだ。
これで両腕が死んだ。
十華は仰け反った姿勢からそのまま身を返し、残った脚の腿へ刃を走らせる。切り込むというより、そこで立つための感覚を奪う。
脚ががくりと揺れ、ついに四肢すべてがまともな機能を失った。
攻撃も、防御も、もはや不可能。
「これで仕舞いです!」
十華は上段へ振りかぶる。全力の唐竹割り。
浄破ノ標が真上から振り下ろされ、パンダ・ザ・グレートの頭部を直撃した。鈍い衝撃音がフロアへ響き、巨体がぐらりと揺れる。
十分な手応え。
十華はそう悟り、静かに背を向けて歩きだした。
まもなく後ろで巨体が倒れ込む音が響く。そう思った時だった。
「どうした……もう、終わり……か……」
「なにっ!?」
十華は弾かれたように振り返る。
そこにあったのは、なおも沈まぬ巨体だった。
白かったマスクは、もはや|緋色《あか》に染まっている。
傷口から流れた血が仮面を濡らし、それでも双眸は燃えていた。
四肢の感覚をほとんど失ったはずの体が、しっかりと立っている。
「なぜ……」
しかも、止まっていない。
パンダ・ザ・グレートは一歩、また一歩と十華へ近づいてくる。その歩みは亀よりも遅い。しかし確かに前へ進んでいた。
「まさか……」
十華は理解する。
これは感覚に頼った歩みではない。驚異的な平衡感覚と、まだ動かせる部位の筋力だけで、無理やり重心を繋いでいるのだ。
「俺は……地下プロレスの帝王……パンダ・ザ・グレート……これしき……の、こと……で……」
その声は掠れていた。
ここまで追い詰められても、プロレスラーの誇りは折れていない。
なんという武人か。
鍛えた肉体と、プロレスラーとしての矜持だけで、人はここまで闘うことができるのか。
その姿に、十華は一人の武人として畏怖すら覚えた。尊敬と呼んでもよかった。
けれど、それでも、この男は簒奪者だ。
外道の所業に手を貸し、真人化工場を守る悪鬼。その事実は、武人としてどれほど見事でも見逃されることはない。
ならば、自分の成すべきはただ一つ。
十華は浄破ノ標を静かに納める。
代わりに抜き放つのは、禍祓ノ太刀。
蒼く澄んだ破邪の気が刀身へ満ちる。今度は感覚を断つためではない。この男の内へ巣食う邪気ごと、根こそぎ断ち切るための刃だ。
十華は深く一礼する代わりに、わずかに顎を引いた。
「御免!」
武人としての敬意を込めた、|終《つい》の一閃が走る。
蒼白い線が、空気を裂いた。命に等しき飛沫が舞う。
「見事だ……!」
パンダ・ザ・グレートがそう言い残し、ついに巨体が崩れ落ちた。
今度こそ、その膝が肉体を支えることはない。
地を揺らすような音と共に、地下プロレスの帝王は沈んだ。
十華はしばし無言で立ち尽くし、やがて静かに刀を収める。
倒すべき敵でありながら、最後まで一人の武人として見事だった。
その事実だけは、彼女の胸へ、深く静かに刻まれていた。
第3章 ボス戦 『プリメロ・シュタイン』
不屈のプロレスラー、パンダ・ザ・グレートがついに沈んだ。
その執念は最後の最後まで衰えなかったが、それでも、もうこの男が立ち上がってくることはない。。
フロアには、荒い呼吸と、戦闘の余熱だけが残る。
誰もが同じことを思っていた。
これでようやく先へ進める。
囚われている人々を助け出しに行けると。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
静まりかけた空気の向こうから、こつ、こつ、と乾いた足音が響いてきたからだ。
それは慌ただしく走る音ではない。
むしろ逆だった。
赤い警報灯の明滅する廊下の奥から、ひとりの少女が姿を現す。
長い髪を高い位置で結い上げて、毛先がふわりと揺れるツインテール。
眼鏡の奥で、勝ち気な瞳が苛立ちを剥き出しにしている。
紺のブレザーにベージュのカーディガン、赤いリボン、短いスカート。
少女らしい制服めいた出で立ちの上から、どこか研究者じみた理知の気配をまとっている。
華奢でインドア寄りな体つきなのに、その立ち姿には妙な圧があった。
プリメロ・シュタイン。
超天才を自称し、コギャル口調を貫く、真人化工場の管理者その人だ。
「これはもう、どうしようもなくMK5だわ」
聞き慣れない言葉にワタルが怪訝そうに眉を上げる。
「MK5? なんだそりゃ?」
その問いに、プリメロのこめかみがぴくりと跳ねた。
「は? マジでそれ聞いちゃうわけ? MK5っつったら、マジでキレる五秒前に決まってんじゃん! そこ説明させるの、ガチ萎えなんだけど!」
怒鳴り返す声は、間違いなくギャルだった。
だがそこに乗っている怒気は、軽口で済む温度をとっくに越えている。
当然だろう。
キョンシーの軍勢は壊滅させられた。工場内の設備もそこかしこで破壊されている。挙げ句の果てに、用心棒としてふんぞり返っていた地下プロレスの帝王までもが倒されたのだ。
その当人が、床に沈んだまま弱々しく声を漏らす。
「プリメロ……か……」
もはや視界すらまともに働いていないのだろう。目は焦点が揺らぎ、呼吸もひどく浅い。
プリメロはそんな彼を見下ろし、鼻を鳴らした。
「アンタさー、ウチにぶっ倒される前に負けてんじゃないし」
「すまない……」
帝王は素直に謝った。
つい先ほどまで、あれほど不屈を誇っていた男とは思えないほど、声は弱々しい。
けれどプリメロは、そこで罵倒を重ねなかった。
わずかに顎を上げ、√能力者たちを睨みつけたまま言い放つ。
「アンタとの決着は、こいつらヤッてからつけるから。そこで大人しく見てろし」
どう見ても、もはや虫の息だ。長くは保たないだろう。
それでも彼女は、そう声をかけた。
パンダ・ザ・グレートは、傷だらけのまま静かに息を吐く。
「ああ……そうさせてもらう……」
その返事は、驚くほど穏やかだった。
戦いの熱をようやく手放した者の声色。あるいは、自分をそう扱う相手がプリメロであることに、どこか納得しているようでもあった。
「さて、と。|ホワイトキック《白け》させた連中に、きっちり落とし前つけさせてやるか」
その言葉に、場の空気がまた変わる。
見た目だけなら、子どもっぽさの残る少女だ。制服めいた格好にギャル口調、しかもどこか引きこもりじみた博士ルック。
普通に見れば、戦場の最奥で立ちはだかるラスボスの姿にはまるで見えない。
なのに。
その場にいる誰もが、ひと目で理解した。
この少女は本物だ、と。
放つ威圧感が違う。
キョンシーたちのような量ではない。パンダ・ザ・グレートのような剥き出しの肉体圧とも違う。
もっと冷たく、もっと理不尽で、相手の思考をねじ伏せる類の圧だ。超天才を自称するのが誇大妄想ではなく、実力で裏打ちされた自負だと分かる。
プリメロは片手で眼鏡をくいと持ち上げた。
その仕草ひとつが、妙に癇へ障るほど決まっている。
「マジ意味わかんないくらい暴れてくれたじゃん? でも、ここから先はナシ。ウチの工場で好き勝手した分、倍返しどころか十倍返しで盛ってくから、覚悟しときな?」
軽い。口調だけなら、どこまでも軽い。
だがその実、言葉のひとつひとつが鋭利だった。
√能力者たちは自然と身構える。
ラピスがゲオルギウスを上げ、十華が刀の柄へ手をかける。
雷華は精霊銃を下げず、ワタルは拳を鳴らした。
クラウスとセージもまた、次に来るものへ備えて間合いを測る。
いま倒したはずの大きな壁、そのさらに向こうに、最後の壁が立っていた。
プリメロ・シュタイン。
超天才コギャルにして真人化工場の管理者。
その小さな影が、フロアの奥でひどく大きく見えた。
「何十倍で返されようと、退く気は無いよ」
クラウス・イーザリーは、静かな声でそう断言した。
敵の本拠地である真人化工場へ踏み込んだ時点で、危険など承知の上だ。
生きて帰れる保証も、無傷で済む見込みもない。それでも、ここで退撤退の選択肢だけは存在しない。
「人々を助けるためなら、一歩も退かないよ」
プリメロは肩をすくめ、わざとらしく鼻で笑った。
「はー? 赤の他人のためにそこまでやるとか、マジ意味わかんなーい」
彼女のかけている分厚いレンズのぐるぐる眼鏡に赤い炎が灯る。
いや、灯ったどころではない。まるで燃焼しているかのように、ぐるぐる眼鏡全体が赤く灼けるような輝きを放ちはじめたのだ。
小柄なコギャルに燃えるぐるぐる眼鏡。冷静に見れば滑稽ですらある取り合わせだった。
しかし、朧谷・十華はその印象を即座に切り捨てる。
(外見や言動で惑わされはしません)
この若さで真人化工場の管理を任される人材。
その本人が、護衛を失ったこの局面でなお単身で姿を現した。ならば相応の切り札があると考えるのが自然だ。
「囚われた人々を返してもらいます!」
十華が床を蹴る。
禍祓ノ太刀が低く唸り、一直線にプリメロの首筋を狙った。踏み込みは鋭い。
呼気、重心、肩の運び、そのどれもが乱れなく噛み合っている。だが、
「おっそ」
プリメロは紙一重で身をずらした。
最小限の動きだった。ぎりぎりで避けたのではない。十華の刃が最初から通らない軌道を、当然のように選んで立っていたかのようなかわし方だった。
「避けられた……ならばっ! 気炎万丈──蒼き炎にて、斬り祓わん!」
十華の刀身へ蒼い炎が宿る。
次撃は一太刀では終わらない。斜めの斬り上げ。返しの薙ぎ払い。踏み込みを重ねた刺突に近い裂帛の一閃。
「はぁっ!」
蒼炎が軌跡を引き、空気を焦がしながら連続で襲いかかる。
だがプリメロはそれすらも、無駄のない身のこなしで外していく。
半歩引く。肩を落とす。膝を折る。くるりと身を翻す。そこには余裕の笑みすら浮かんでいる。
その間に、クラウスは胸元へ手を当てていた。
握りしめるのは、|紅いネックレス《Reminiscence》。
大切な者から託された、|追憶の残滓《心臓の欠片》。
クラウスは目を閉じ、その紅石を胸へ抱いた。
すると紅石が光となって、彼の体へ溶け込んでいく。髪がゆっくりと灰色へ染まり、頭上には狼の耳を思わせる幻影が浮かび上がった。
紅い追憶と融合したクラウスの周囲で、膨大な魔力がうねりはじめる。
彼は両手を開き、その魔力が炎へと変わり、奔流となってプリメロへ走る。だが、
「それもバレバレなんだし」
プリメロは身を翻し、炎の波頭をかわした。
前髪が熱で揺れるほどの近距離。それでも焼かれない。
「無駄無駄。このチョベリグなメガネで、ウチはあんたらの隙がぜーんぶ丸見えなわけ」
ぐるぐる眼鏡の赤い炎が、不気味に揺らめく。
その機能は単なる未来視ではない。相手の姿勢、筋肉の動き、視線、呼吸、力の流れ、魔力の偏り、あらゆる情報を一瞬で解析し、天才の頭脳で最適解へ変換する。
超天才流護身術。それは、敵の隙を|見つける《演算する》技術だった。
「私の隙が……?」
十華の眉がわずかに寄る。
「そっ、ぜーんぶ丸見え。どこに力入るかも、どこで迷うかも、マジ秒でわかるし」
こちらの隙が見えるということは、回避だけでなく反撃の精度まで飛躍的に高まる。
それは危険だ。
だがクラウスの胸中に浮かんだのは、別の疑問だった。
(どうしてわざわざ、その情報をこっちに伝えたんだ?)
情報を秘すれば、それだけ優位を保てる。なのに、プリメロは自分から能力の性質を口にした。
それは慢心か。それとも、開示すること自体が何かの誘導なのか。
「こういう隙もね」
プリメロがにやりと笑う。
長い研究衣の袖から、掌大の機械を取り出して床へ置く。
球体と立方体の中間のような奇妙な形状をしたそれが、甲高い起動音を立てた。直後、中空へモニターが投影される。
クラウスの背筋が冷えた。
「それを見ちゃダメだ!」
反射的に叫ぶ。
だが遅かった。十華の視線は、すでにその映像へ吸い寄せられていた。
「これ……は……」
モニターへ映し出されているのは、真人化工場で素体として改造されている人々だった。
生きたまま、肉体の一部を機械へ置き換えられた者。生気のない目で半身以上が機械化された子供。そういう画像が何枚も、何枚も、何枚も表示されていく。
√ウォーゾーンでは珍しくもない悲劇だ。
世界の七割が戦闘機械群に征服された地では、こうした改造は日常にある地獄だった。
だが十華は、この世界の出身ではない。
彼女にとってそれは、現実として受け止め難いほどに非人道的な惨状だった。
プリメロは、淡々とそこへ追い打ちをかける。
「あんたらが救い出したくて仕方ない人たちだよ。ま、それはもう|手遅れなやつ《・・・・・・》だけど」
その一言が、十華の内側で何かを切った。
「この……外道がっ!」
激昂。
十華の双眸へ強烈な殺気が宿る。
踏み込みが鋭くなる。振り下ろしは重くなり、薙ぎ払いには怒りの熱が乗る。
単純な威力は増していた。けれど、そこにあった剣の練度が消えている。
太刀筋が荒れる。
最短ではなくなる。
呼吸と足運びの噛み合いも、ほんのわずかに乱れた。
プリメロはその差を見逃さない。
「あんたの|隙《欠落》は自制心ってわけ」
十華の√能力者としての|代償《欠落》は自制心だった。
十華自身もその危うさは理解している。だからこそ日頃から理性で抑え込み制御してきた。
「そのままムダに体力使ってなー」
「黙れっ!」
激情は時に、人を普段以上の領域へ押し上げる。
けれどそれは、自ら制御してこそ力となる。
今のように相手の思惑通りに引きずり出された怒りは、ただ太刀筋を濁らせるだけだ。
プリメロは余裕を増した動きで剣戟をかわしながら、投影された画像の脇へ並ぶ文字列を読み上げはじめた。
聞いている者たちの表情が一様に曇る。
(内容も何を言っているのかもよくわからないな)
クラウスはそう判断した。
改造案か、論文か、研究メモか。いずれにせよ、専門用語に加えてプリメロ独自のコギャル語が混ざりすぎていて、傍で聞いていても何を言っているのかさっぱり分からない。
分からないものへ時間を取られるのは悪手だ。
しかも、このまま放置すれば十華は怒りに飲まれ続ける。
ならばやることは一つ。
クラウスは掌へ雷撃の魔法を収束させた。
魔力が細く鋭い雷の槍となり、投影機へ奔る。
閃光。床に置かれた機械が弾け、火花を撒き散らしてショートした。モニター群が一斉に乱れ、画像はノイズと共に掻き消える。
プリメロ・シュタインは、赤く燃えるぐるぐる眼鏡の奥で、ますます愉快そうに口の端を吊り上げた。
「やるじゃん。……っと!」
彼女が跳ねた。
十華が振り下ろした太刀、その峰へ軽やかに片足を乗せる。普通なら刃を恐れて踏み込める距離ではない。
けれどプリメロは、十華の手首の角度、踏み込みの深さ、刀身がもっとも安定している一点を正確に見切っていた。
靴底が峰を蹴った勢いをそのまま利用し、プリメロの小柄な身体が高く跳ねる。さらに空中で十華の肩を踏み台にした。
その跳躍の頂点で、プリメロの袖口がひらいた。
飛び出したのは、手術用のメスを思わせる細身の刃だった。
それもただの刃ではない。刀身の縁が光を帯び、薄いレーザー刃が伸びている。
(袖の中に武器も隠し持っているのか)
クラウスの視線が細まる。
空気を焼くような熱を引きながら、それは一直線にクラウスの喉元へ向かった。
クラウスは半歩斜めへ身をずらす。
狙いは外れた。そう見えた。
しかし、メスは通り過ぎたはずの軌道から不意に旋回した。
まるで見えない糸で引かれたように、急角度で戻り、今度はクラウスの肩へ深々と突き立つ。
「ぐうっ」
熱と痛みが遅れて走る。
血が滲む肩を押さえる間もなく、プリメロは空中でくるりと体勢を整え、軽やかに着地した。
「でもざんねーん。もう√能力は発動済み」
赤く燃えるぐるぐる眼鏡の奥で、瞳が愉快そうに細まる。
プリメロ論文。
さきほど読み上げた論文、その内容をこの場へ強制的に反映させ、現実そのものを実験台にする異能。
彼女が口にした理論は、ただの文章では終わらない。この空間の法則へ検証結果として上書きされる。
いま適用されたのは、攻撃の命中精度に関する項目。
この空間内では、射程内にある敵への攻撃は必中化する。
避けたはずでも意味がない。
狙われた時点で、結果は命中へ収束する。
「じゃ、そこの猪武者はこれでバイバイって感じ?」
着地したプリメロが、追いすがる十華へ向けて指を振る。
彼女の袖やスカートの陰から、何本ものメスがばらまかれた。
散弾のように広がったそれらは、本来なら回避の余地がある角度で飛ぶ。
だが必中の理が働く以上、その広がりはむしろ軌道を読みにくくする効果を生む。
十華はそれを一目で悟った。
(避けられないなら、死なば諸共!)
このまま一方的に斬り刻まれるくらいなら、攻撃を受けても一太刀を浴びせる。命を削ってでも届かせる。
そう腹を括って、十華は前へ踏み込んだ。
メスの群れが迫る。
回避は無駄。ならば前進の勢いを落とさず、せめてこの一太刀だけは――
そう思った、瞬間だった。
十華の視界へ、黒い影が割り込む。
必中のメスが容赦なく突き立つ先は、十華ではなかった。
「そん……な……」
刃の犠牲者となったのはクラウスだった。
彼が十華とプリメロの間へ割って入り、その身を盾にしたのだ。
腿、脇腹、胸、そして肩を抉り、さらに最後の一本は額へと突き刺さっていた。
どう見ても即死の致命傷。脳を貫いたようにしか見えないふかさだった。
十華の顔から血の気が引く。
「私のせいで……」
十華が避けられないと見て、彼は庇ったのだ。
「そーだよねー。だってそれが、あんたの隙だもん」
プリメロが肩をすくめる。
十華が避けられないなら、クラウスは身を投げ出す。
それは彼の性分だ。かつて親友に庇われることで生き残った経験、その生還の痛みが彼の内側へ自罰的な衝動を刻んでいる。
自分が傷ついてでも誰かを守ろうとしてしまう。
プリメロはそこまで読んでいた。
クラウスを殺し、その原因となった十華の心も折る。
二人まとめて戦闘不能へ追い込む、鮮やかで悪辣な一手――のはずだった。
「大丈夫だよ」
穏やかな声が、十華の耳へ届く。
クラウスへ刺さっていたメスがするりと抜け落ちた。
額の傷口も、肩も胸も……すべてが瞬く間に塞がっていく。
血すら巻き戻されるように消え、皮膚と骨と肉が、何事もなかったかのように再生していく。
十華が目を見開く。
プリメロもまた、さすがに素の声を漏らした。
「はあ? なにそれ、チートすぎじゃね!?」
クラウスが発動させたrelier。
さまざまな魔法を扱うその能力には、致命傷すら瞬時に治癒する蘇生級の回復魔法すら含まれていた。
クラウスは十華へ振り向く。
即死した直後とは思えないほど、声は静かだった。
「まずは落ち着こう。このままだとプリメロの思う壺だから」
「はい……すみません」
十華は素直に頷く。
一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていた。
その現実が、頭の熱を急速に冷ましていく。自責で崩れそうになるより先に、クラウスの問いかけが理性を繋ぎ止めた。
「十華さんには、プリメロに攻撃を当てる方法はあるかな?」
十華は逡巡するがはっきりと答えた。
「……あります」
その時にはもう、目の理性が戻っていた。
「ちょ、いつまで作戦会議してんの! ガチでナメてる?」
プリメロが苛立ったように叫び、次のメスを放つ。
空気を裂くレーザーの刃。
「避けれなくても、やりようはあるよ」
彼は魔力を前面へ展開した。
防御壁でメスを受ける。衝撃は伝わってくるものの、致命傷には程遠い。
(隙が二つ潰れたか)
プリメロは能力を使って観察する。
クラウスは自身の隙をも考慮した上で盾役になることで、自罰的な庇い癖を弱点にされる構図を消した。
さらに、十華も既に冷静さを取り戻している。
「もう怒りで剣を曇らされはしません!」
「太刀筋の隙は今も見えてるし」
十華の攻撃は相変わらず読まれている。踏み込みの癖、振りかぶりの角度、切り返しの呼吸。その全てを、ぐるぐる眼鏡が解析してしまう。
けれども、その優位にもじわじわと綻びが出始めていた。
(避けにくくなってきてる!)
プリメロが内心で舌打ちする。
十華の振るう蒼炎が、その場に残っていた。
斬撃のたびに炎が床と空間へ焼け跡のように留まり、熱の壁となって回避経路を削っていく。
先ほどまでの十華は、怒りに呑まれて当てることばかり考えていた。
しかし今は違う。避けられた後の盤面まで含めて制御している。
左へ退けば炎。
下がれば熱。
反撃へ移ろうとすれば、その隙間を狙ってクラウスの援護が飛ぶ。
クラウスは氷結魔法で自分の周囲だけ炎を相殺し、安全な足場を確保しつつ十華の支援へ徹しているのだ。
「だったら!」
プリメロは狙いを切り替える。
十華より先に、盤面を整えているクラウスを潰す。そちらを落とせば、制限の少ない場所で仕切り直せる。
メスを握り込み、一気にクラウスの側へ詰めた。
小柄な体が低く滑り、研究衣の裾がひるがえる。
魔法を撃つ隙をつき、刃の速さと手数で押し潰すつもりだ。
クラウスは逃げない。
掌の魔力を凝縮し、刀の形へ錬成する。青白い光刃が細く伸び、そのまま居合抜きの要領で横一文字に閃いた。
プリメロは身を沈めてかわす。
その直後、今度は蒼い火球が正面から撃ち込まれた。クラウスの追撃だ。
彼女はそれもひねって外す。
「どっちの隙も見えてるし!」
「君が対応できるのは、|見えているもの《・・・・・・・》だけだね」
「私の剣は魔を断つ刃。この工場に秘められた闇、陰謀、全てを断ち切ります!」
十華の声が響く。
プリメロの背後には既に追い付いた彼女が構えていた。
そこへクラウスの炎が重なる。
蒼炎が太刀へ乗り、破邪の火と溶け合ってより烈しく燃え上がる。さらなる高みへ至る一閃となった。
プリメロは躱そうとするも回避行動が間に合わない。
強化された十華の斬撃が、ついにプリメロを捉えた。
「ぐうううっ! やってくれるじゃん!」
火花と共に、プリメロの脇腹から肩口へ深い傷が走る。
研究衣が裂け、血が飛ぶ。小柄な身体が大きく弾かれ、数歩たたらを踏んで止まった。
(白衣の下に防具着てなきゃ即死だったし!)
彼女は傷を押さえながら、二人をきつく睨みつける。
クラウスはそんな彼女へ静かに言った。
「何でもできるんだな、君は」
動きの隙も、精神の綻びも見つける。
それを利用してこちらの攻撃を外し、自分の攻撃は必中へ変える。間違いなく強敵だ。
それでも、とクラウスは続けた。
「もう一度言うよ。人々を助けるためなら、一歩も退かない」
その言葉には飾りがなく、ただ、覚悟だけがあった。
プリメロは痛みに顔をしかめながらも、なお眼鏡の奥で怒りと興味の入り混じった光を揺らしている。
戦いはまだ終わらない。
だが、重い一手が、いま確かに彼女へ届いたのだった。
人間が生きたまま改造される工程、それを目の当たりにして、不快感を覚えたのは十華だけではなかった。
「胸糞悪いもん見せやがって」
風宮・ワタルもまた、露骨な嫌悪を隠そうとしない。
赤いパーカーの肩をいら立たしげに揺らしながら、彼はプリメロ・シュタインを真正面から睨みつけていた。
対するプリメロは、赤縁の眼鏡を指先でくいと押し上げる。
ツインテールが揺れ、いかにも白衣を羽織った下に制服めいたブレザー姿が、かえってこの場の異様さを強調していた。
御門・雷華は冷静に相手を観察したまま呟く。
「隙を見つける能力。ワタルとは相性が悪そうね」
「そっちこそ読み合いで負けんなよ」
軽口の応酬。戦いを始める前のルーティーンのような、ちょっとしたやり取り。
だからこそ、雷華が続けた言葉は、ワタルにとっては意外なものであった。
「警戒すべき相手ではあるわね」
ワタルは怪訝そうに片眉を上げる。
まずワタルが前へ出て状況を作り、雷華が後方から援護しながら盤面を読んで、必要とあらば指示を出す。基本戦術にして鉄板の戦法でもある。
もし雷華の読みが外れたら、この戦い方は容易く瓦解してしまう。
「おいおい、らしくねぇな」
冷静沈着であっても、いつもの彼女には積み上げてきた経験と技術からくる自信がある。
「獅子は兎相手にも油断をしないものよ」
「へっ、そうこなくちゃな。いくぜ!」
先に飛び出すのは、やはりワタルだった。
隙を見つけてくる能力だろうがなんだろうが知ったことか。そう言わんばかりに前のめりな姿勢。その気迫のまま床を蹴り、一気にプリメロへ踏み込む。
「オラァ!」
籠手に包まれた拳が唸りを上げる。
重く速く、しかも迷いがない。正面から当たればただでは済まない一撃だ。
けれど、プリメロはそれをぎりぎりでかわした。紙一重の回避。続く追撃も、半身をずらし、小柄な体を折るようにして外していく。
「ちょこまかしやがって」
ワタルが舌打ちすると、プリメロは鼻で笑った。
「は? なにそれ、力押ししかできない系? バカの一つ覚えってマジうけるんだけど」
嘲る口調とは裏腹に、その内心はひどく冷静だった。
(見かけよりは隙少なめじゃん? ウザいんだけど)
同じ武でも、十華のように研ぎ澄まされた剣理とは違う。
ワタルの戦い方は荒々しく、勢い任せにも見える。しかし、それは実戦性の低さを意味しない。
むしろ直感で最適解を掴む野生に近いと感じる。
実際、プリメロの反撃はことごとく籠手で防がれていた。
拳を払い、肘を返し、蹴りを混ぜる。どれも即応の連打に近いのに、ワタルは感覚でガードの位置を選び取ってくる。明確な有効打が、お互いに見出せない。
(だったらよぉ!)
(やったろうじゃん)
同時に考え、同時に動く。
ワタルの右拳が、大きなフックの軌道でプリメロの頭部を狙う。
対してプリメロは、小柄な体格を活かしてあえて踏み込み、掌でその腕を押し止めた。
受けるというより、進路へねじ込んで軌道を鈍らせる動きだ。
「うらあ!」
だがワタルは、そこで止まらない。
止められた勢いごと利用して体を反転。遠心力を乗せて逆側の掌底を走らせた。
加速した一撃が真っ直ぐにプリメロへ迫る。
しかし、その狙いは顔ではなかった。
プリメロの眼鏡、その一点へ掌底がかすめるように触れた途端、ルートブレイカーが発動した。超天才流護身術、その解析能力の流れが強制的に途切れる。
「ぐっ……!」
それはプリメロの呻きではない。ワタルの喉から、短い苦鳴が漏れる。
能力は止まった。
それでもなお、彼女はその前に見えていた隙を見て、このタイミングを図っていたのだ。ワタルの腹部へ、鋭い前蹴りがめり込む。
「がっ……!」
そこから連打を叩き込まれてダメージが蓄積されていく。
その後退を待っていたかのように、幾本ものメスが宙を走った。
レーザーの刃先が光を引き、まるで光刃の群れのようにワタルへ襲いかかる。
その軌道を途中で砕いたのは雷華の銃撃だった。
雷霆万鈞による雷の弾丸が飛来し、メスの群れへ直撃する。弾けた雷光が刃を吹き飛ばし、金属片が床へ散った。
「相殺も命中判定になるようね」
雷華の声は静かだった。
そこから連続射撃へ移る。銃口のぶれはなく、一射ごとの狙点も正確無比。
普通なら回避不能に近い密度だった。
けれどプリメロの眼鏡は、すでに再び赤く燃えていた。停止させられた能力が立ち上がり直し、彼女の視界へ隙が戻る。
「マジだる……でも、もう見えてるし」
プリメロは跳ねるように動いた。
爆ぜる雷弾の着弾点、そのわずかな前後を縫ってかわしていく。
正確すぎる射撃は、軌道さえ読めれば逆に利用できる。どこへ着弾するかが明瞭だからこそ、その外側へ身を置けるのだ。
しかも逃げるだけではない。
回避と同時にメスを投げ返す。一本、二本ではない。角度を変え、雷華の移動先を潰すように連続で放つ。
雷華は全てを避けきれなかった。
魔力防御を張り、直撃を抑え込む。
しかし、受けるたびに負荷が蓄積する。このままではじりじりと削られていく。
「させるかよぉ!」
そこへワタルが再び割って入る。
拳の圧でプリメロへ接近を強いるが、先ほどと同じだった。
決定打に欠ける。能力で先を読まれ、踏み込みが半歩ずつずらされる。殴れそうで殴れない。届きそうで届かない。
(良い状況ではないわね)
雷華は冷静に戦況を整理する。
プリメロは知能型の敵だ。それだけではない。解析型の√能力まで噛み合っている。
いまのような膠着に見える場面でも、主導権を握っているのはこちらではなくプリメロだ。
攻めさせられ、読まれ、反撃される流れを作られている。
均衡を崩すには、次の一手が必要だった。
しかもただの一手では足りない。プリメロとの読み合いに勝てる手。相手が見てくる隙の外側から押し潰す、もう一段深い策がいる。
それを考えるのは、自分の役目だ。
雷華は引き金へ指をかけたまま、紫電の残滓が散る照準の向こうで、眼鏡を燃やすコギャル博士を見据えた。
プリメロ・シュタインは唇の端を吊り上げる。
「どしたん? さっきまでイキってたのに、もう手詰まり感エグくない? ウチ、そういうの見るとアゲアゲなんだけど」
軽薄なギャル口調。
だがその奥で働く頭脳は、間違いなくこの場で最も厄介だった。
この膠着をひっくり返したいと思っているのは、風宮・ワタルも同じだった。
細かく探り合い、じわじわ削り合い、相手の癖を読むような戦い方は、どうにも性に合わない。
殴れる距離にいるのに、殴っても手応えなく外される。ようやく捉えたと思えば、今度は別の角度から切り返される。
そんなやり取りが続くほど、腹の底が煮えてくる。
「埒があかねぇ。面倒だ」
吐き捨てるように言って、ワタルは奥歯を噛んだ。
分かっている。自分みたいなタイプが、こういう盤面でプリメロみたいな頭で勝負してくる相手に読み合いで勝てるわけがない。
だったらやることは一つだ。
自慢の拳で、突破口をこじ開ける。
「いいぜ。小細工ナシだ。正面から最大出力でブン殴ってやるよ」
宣言を聞いたプリメロが、赤い眼鏡の奥で目を細める。口元には、あからさまに嘲笑が浮かんだ。
「は? なにその脳筋宣言。ウケるんだけど。やれるもんならやってみ? って感じなんですけど」
プリメロにとっては、脳筋男がヤケクソになった程度にしか見えないだろう。
そして、おそらく自分がやろうとしていることの隙も、彼女は看破してしまう。
(だから、これを成功させるために必要なもんがある)
その時、横から雷華が静かに口を挟む。
「……ただし、三分後にね」
ワタルが一瞬、固まる。
「おいおい、なんだよその水の差し方……」
抗議するように振り返るが、雷華は何も言い返さない。
ただまっすぐ彼を見つめるだけだった。その目が何を言いたいのか、ワタルにも分かっている。
ここで、無理やり突っ込めば読まれる。
だから三分いる。それだけのことだ。
「わーったよ」
不服そうに頭を掻きながらも、ワタルは従った。
この一撃に必要なこと、それは相棒の的確な援護だ。
するとプリメロは、今度は露骨に肩をすくめて見せる。
「え、マジ? じゃあアンタ、三分以内に処刑確定ってことでよくね? ウチ的には全然アリなんだけど」
自信満々だった。
実際、状況だけ見ればそうだろう。ワタルが三分後と宣言した以上、それまでの間は雷華とプリメロの一対一になる。
二対一でかろうじて保っていた均衡が崩れれば、盤面は雷華に不利へ傾く。ここをしのげなければ、二人の敗北は確定するだろう。
「どうかしらね?」
雷華は短く返し、即座に雷弾を放つ。
雷をまとった弾丸が一直線にプリメロへ走る。
だがプリメロは、わずかな重心移動だけでそれを外した。さらに避けた流れのまま前へ出る。
後ろへ下がっての削り合いではなく、自ら間合いを潰しに来たのだ。
三分で仕留める気なら、遠距離でジワジワ削るような戦い方はもうしてこない。
(近接で押し切る気ね)
雷華は足元へ銃口を向けた。
雷霆万鈞。自らの足元で弾けた雷光が床を叩き、爆ぜた電気がそのまま彼女の脚へ絡みつく。
彼女が近接で戦うための下準備が、一瞬で整う。
だがプリメロは、そこまで見ていた。
接近しながら目を閉じる。
眩ませるための雷光を見ず、さらに踏み込む角度をわずかに変える。
発生地点へ真正面から入らなければ、麻痺の余波も避けられる。知っていれば対策できる。解析型の相手らしい対応だった。
「うわ、そういうのまで仕込んでくるとかガチだるいんだけど」
「しっかり避けておいてよく言うわ」
口では文句を垂れつつも、動きはまるで鈍らない。
プリメロが放つメスが、鋭い軌道で飛んだ。
雷華は走り込みながらそれをかわす。肩を沈め、腰を切り、紙一重で刃を外す。そのまま踏み切って跳ぶと、横薙ぎに飛び蹴りを放った。
足先ではない。脛ごと叩き払うような重い軌道だ。
プリメロは最小限の動きでそれを外す。
ほんの半歩。
それだけで十分だった。かわすと同時に手元のメスを振るう。
雷華は空中で姿勢を変え、精霊銃の銃身で刃を受けた。火花と金属音が響く。
着地の勢いそのままに銃を引き戻し、次の射撃姿勢へ入る。
だがその前に、プリメロはもう距離を詰め直していた。
(近い!)
応戦はすぐさま蹴りに切り替える。決して執着はしない。
雷華は銃と蹴りを切り替えながら応戦する。
銃口を上げれば、踏み込みでかわされる。
蹴りを放てば、そこにあったはずの胴が半身ずれて消える。
当たりそうで当たらない。
正確であろうとするがゆえに、攻撃の筋が読みやすい。その正確さ自体が、今は隙になっている。
(これを克服できないと負ける)
理詰めの戦いになれば、有利なのはプリメロだ。
隙を見抜き、そこへ最短で手を届かせる。しかも能力が乗った今の彼女は、見えた時点でほぼ必中に近い特性すら獲得している。
雷華の防御手段が、少しずつ削られていく。
射線は読まれる。蹴りは外される。回避の余地も狭まっていく。
そしてついに、その瞬間が来た。
避けきれない。
防ぎきれない。
その刹那で、雷華は最後に使える最大の盾を選んだ。
それは自分の脚だった。
脚を高く上げ、そこへプリメロのメスが深々と突き立てられた。
「うぐっ!」
鋭い痛みが走り、雷華の顔がわずかに歪む。
だがプリメロも、そこで違和感を覚えたらしい。メスを突き込んだ直後、彼女はすぐ手を離した。
雷華の脚には帯電が残っている。
刃を通じて流れた電流が、メスを握っていた手を痺れさせたのだ。
「は? だるっ!」
その隙を逃さず、雷華は無事な方の脚で蹴る。
しかしそれすら、プリメロはかわす。小柄な体をひねり、蹴りの軌道から抜けると同時に、もう一枚のメスを放ってきた。
今度の殺傷箇所は銃を持つ肩。
刃が刺さり、雷華の腕がぶれる。それを直接の原因として銃口が逸れた。
「……っ!」
だが、それに最も驚いたのはプリメロ自身だった。
雷華の狙いがずれたことで、着弾点が本来の中心から外れる。その結果、爆発の外縁ぎりぎりへ、かわしたはずのプリメロが入り込んでしまったのだ。
爆風が弾ける。
プリメロの体が破壊の嵐で床を転がった。
「いっ……! ちょ、アンタ、わざとメス避けなかったっしょ!?」
転がりながら、プリメロが怒気をあらわに叫ぶ。
その通りだった。雷華はあえて負傷した。
狙いが正確すぎる、その性質を逆手に取るために。
完璧な着弾へ補正されるからこそ、怪我によって狙点をずらせば爆発の届き方も変わる。
自分の負傷を代価に、プリメロの読みに小さな狂いを生じさせたのだ。
雷華は痛みに息を乱しながらも、ただ一言だけ告げた。
「三分経ったわよ」
爆風で立ち上る煙の向こう。
その言葉を合図にするように、拳を強く握り締めたワタルが駆け込んでくる。ずっと待っていた。三分のあいだ、ずっとこの瞬間だけを狙っていた。
煙幕の向こうで、燃え盛る拳が猛然と揺れる。
プリメロの眼鏡が、その影を捉えた時には、もう拳は目前まで迫っていた。
時間を少しだけ巻き戻す。
風宮・ワタルは、ただ信じていた。
御門・雷華なら、自分が突破口をこじ開けるために必要な状況を、きっと彼女なりのやり方で整えてくれる。
細かい説明なんていらない。あの女が三分と言ったなら、その三分には必ず意味がある。
だから賭けた。
考えるのは雷華の役目だ。
自分の役目は、作られた一瞬へ全てを叩き込むことだけ。
ワタルは戦場の外縁で息を整えながら、雷華とプリメロの攻防を見ていた。
割って入りたい衝動は何度もあった。けれど、それをやれば全部が台無しになると分かっていたから、無理やり抑え込む。
拳を開き、握り、また開く。
三分が近づく。
その頃にはもう、ワタルは籠手を外していた。
金属音を立てて外れたそれが床へ落ちる。破壊の炎で構成されたエナジークロークも解除され、彼の両腕から守りの層が消える。
これで防御手段はほとんど失われたも同然だった。
だが、かまわない。今必要なものはただただ全力を出すこと。
もともと守るための拳じゃない。壊すための拳だ。
ワタルは深く腰を落とし、全身へ力を溜める。肩、背中、腰、脚。その全ての稼働をひとつの線へと連動するように結ぶ。それは雷華から教わった戦いの技術だ。
誰よりも信じる師から教わり、身体へ染み込ませてきた動きをぶつける。
そして雷華があえて傷を負い、狙いをずらし、爆風を発生させたその瞬間。
「三分経ったわよ」
その言葉が、合図になった。
ワタルは床を蹴る。
爆発で立ち込めた煙の中へ、一直線に飛び込んだ。
迷いはない。最短距離だけを駆け抜ける。視界が悪かろうが関係ない。
そこにいる。そこを殴る。それだけをやると前へ出る。
握り締めた拳が軋む。
籠手は、破壊の炎を制御するための装置でもあった。外した今、その拳には全身全霊の炎が宿る。
赤く、激しく、むき出しの破壊衝動そのものみたいな火が、拳の周囲で渦を巻いた。
煙を突き抜けた、その先。
そこにプリメロ・シュタインがいた。
「は? ウソっしょ、ちょ、近すぎなんだけど!」
爆風に巻かれ、体勢を崩しながらも、燃える眼鏡の奥の目はまだ死んでいない。
顔を上げ、迫るワタルを捉えた彼女は、とっさに腕を振るう。
投げられたメスが、銀の筋となって走った。
だが、遅い。
ワタルの拳が、その軌道へ真正面から突っ込んだ。炎をまとった拳が刃へ触れると、メスは弾かれながら、そのまま焼き砕かれる。
火花と金属片が散り、刃は行き先を失って砕け飛んだ。
プリメロの表情が、ここで大きく歪む。
(くそ、これマジ最悪……! 絶対ここ逃げきんなきゃ――)
そこまでだった。
彼女の想定より、ワタルはさらに速かった。
爆風の中では、雷華の雷がなお荒れている。
その残滓がワタルの体へまとわりつき、帯電によって彼の速度を一段跳ね上げていたのだ。
雷華は煙幕煙を作っただけではない。最後の一撃が届くよう、道そのものを生み出していた。
雷で加速してさらに威力を増した、最大出力の炎拳が、振り抜かれる。
「――らぁっ!」
真正面から、プリメロの顔面を打ち抜いた。
鈍い衝撃音の直後、爆ぜるように炎が散る。プリメロは声を上げる暇すらない。小柄な体がそのまま後方へ吹き飛び、壁へ激突した。
重い音にひび割れる壁面。ずるりと崩れ落ちていく身体。
壁から剥がれるように床へ落下して、さすがのプリメロもすぐには立ち上がれなかった。
眼鏡がずれ、ツインテールが乱れ、制服めいた博士ルックもひどく崩れている。
あれほど余裕たっぷりだったギャル口調も、今は途切れたままだ。
ワタルは拳を下ろし、荒く息を吐いた。
その背後で、雷華がゆっくり立ち上がる。脚と肩に傷を負いながらも、その目はまだ冷静だった。彼女はワタルへ歩み寄る。
ワタルもまた、振り返りざまに口の端を吊り上げた。
「ボロボロじゃねえか」
「そっちもヤケクソなパンチね」
そして二人はシニカルな笑みを浮かべ、交差する寸前に手を打ち合わせる。
乾いたハイタッチの音が、荒れ果てたフロアへ小さく響いた。
それは、師弟であり相棒である二人だけに通じる、信頼の結果だった。
ようやく管理者のお出ましかと、セージ・ジェードゥは息を整え直した。
灰色の髪をかすかに揺らし、決意に満ちたブラウンの瞳を細める。
真人化工場。人を攫い、人を材料にして、兵器を生み出す場所。
そんなもの、認められるはずがない。
「落とし前をつけられるもんなら、やってみろよ」
セージは低く言い放ち、クロークをきっちりと身に纏う。
黒い布地が全身を包み、その表面へ淡い揺らぎが走った。
ステルス機能が起動され、景色の色と光を吸い上げた外套が周囲の風景へ溶け込み、輪郭を曖昧にしていく。
(見られると隙を看破されるなら、姿を消してしまえばいい)
単純だが有効な発想だった。
プリメロ・シュタインのぐるぐる眼鏡は、相手の動き、姿勢、筋肉の流れ、視線や呼吸を解析して隙を割り出す。
ならば、そもそも見せなければ隙の見つけようがない。
燃える赤いぐるぐる眼鏡の奥で、プリメロの瞳がいらついたように揺れる。
「は? ちょ、どこ消えてんのよ。きっしょ!」
きょろきょろと周囲を見回しながら、彼女はフロア内を動き回る。
だがその動きは、苛立ちを見せつつも油断がない。
見える情報が減ったなら減ったなりに、拾えるものを総動員しようとしているのが分かった。
だがその探索は、セージにとっての隙となる。 改造拳銃へサイレンサーを取り付け、音や気配をけして背後に回り込みつつ、限界まで距離を詰める。
そして完全に無防備な背中へと向けて、無慈悲にも鈍い破裂音が一つ。
「|痛《つ》ぅっ!」
プリメロが鋭く声を上げた。
着弾の衝撃で体が前へつんのめりながら振り向く。
けれどその時にはもう、セージの姿はそこにない。迷彩を維持したまま高速で横へ滑り、別の位置へ散っていた。
追う間もなく、今度は手首のパルスクローからワイヤーが射出される。
鋼線がプリメロの胴と腕へ絡みつき、そのまま一気に引き絞られた。迷彩と機動力を使った攪乱だ。
「ちょ、うざっ! なにこれ、マジうざいし!」
両腕を封じられたプリメロが、苛立ちを露わにしながら後ろへ下がる。
だが、その退路の先にあったのは壁だった。
それもフロアの隅。左右と後方が狭まり、逃げの選択肢が削られる死角寄りの位置だ。
次の瞬間、迷彩の揺らぎがプリメロの眼前へ迫る。
(これで仕留める)
鉤爪状の刃、パルスクローが突き立てられた。
鋼鉄の爪が、衣服と表皮を抉りながら食い込んでいく。
同時に内蔵機構が起動し、電磁パルスが流し込まれた。電撃で肉が痙攣し、プリメロの体がわずかに跳ねる。
「っ、あぁ……!」
苦痛に顔を歪めながら、それでも彼女は笑った。
「でもさー、アンタの隙、バッチリ見えてるよ?」
言うなり、前蹴りが飛んできた。
狭い場所で、逃げ場を失った相手が苦し紛れに放つ一撃――に見えた。しかしセージは瞬時に気づく。
(これは避けられない)
クロークから出した腕で体の位置を割り出したのだろう。
体の真正面を狙った蹴りは左右どちらへ逃げても、必ずどこかに当たる。
しかも、部屋の位置から至近距離で攻撃を仕掛けている分、セージの側も逃げ場が限定されていた。
そこまで読んでいたのか。
(見えないと隙がわからないとでも思った?)
プリメロにとって戦いとは計算だ。
サイレンサーを付けても、高圧ガスの破裂音は完全には消えない。
至近距離から撃たれたと推測できる。その次がワイヤー拘束。
つまり、相手の戦術は遠距離でじわじわ削るものではなく、近距離戦仕様。
ならば隅へ追い込まれたように見せること自体が、攻撃箇所を限定させるための誘導になる。
「ちぃっ!」
蹴りがもう片方の腕にぶつかり、鈍い衝撃が腕へ走って、爪も強制的に外されてしまう。
けど、まだ責めを継続する手は残っている。今度は改造拳銃を抜き、追撃の連射へ移る。
至近距離からの連射。
だがその間に、プリメロは服の裾からレーザーメスを抜いていた。
片手を器用に動かし素早くワイヤーを切断する。赤い刃が鋼線へ触れた瞬間、熱で焼き切られたワイヤーが弾けた。
プリメロにとっても銃弾は回避できる距離ではなく直撃するが、急所への防御だけは間に合った。
「その手、もう見飽きたんですけど?」
吐き捨てるように言いながら、彼女は水平へ三本のメスを投げる。
セージは即座に身をひねる。
二本は避ける。
だが一本が迷彩越しの肩口に刺さった。
(これも蹴りと同じ原理か)
すぐさまメスを抜いて捨てるも、クロークの一部が切り裂かれ、その下から血が滲み出る。その部分が赤いマーキングと化した。
さらに足音。連続で攻撃を受けたことで、音を消すような移動は叶わない。
完全迷彩に破綻が生じてしまっていた。
それだけ情報があれば、プリメロの超天才流護身術には十分だった。
「覚悟できてるよね? これ、ガチで終わるやつだから」
プリメロが踏み込む。
ここから先は単純だ。見えた位置へ急所を狙ってレーザーメスを突き立て、仕留める。それだけでいい。
彼女の脳内ではすでに、セージが次に選ぶ防御姿勢、避ける角度、腕の上がり方まで演算が済んでいた。
レーザーメスが走る。
狙いは首。マフラーのジャミング機能も含めてどこに刺せばいいかは演算済みだ。
軌道は完璧だった。赤い刃が皮膚を裂き、喉奥へ潜り込もうとする。
「ああ、覚悟ならもうできてる」
だが、その刃は皮一枚のところで止まった。
セージの手が、プリメロの腕を掴んでいたからだ。
見えている隙を、逆に利用する。
プリメロが部屋の隅へ逃げたのと同じ、攻撃箇所の誘導をそのまま返したのだ。
相手を仕留めようとする殺意をぶつけるように、至近距離で互いに睨み合う。
その距離でセージは、改造拳銃の引き金を引いた。
押しつけるように連射で撃ち込む。プリメロの体が衝撃に震え、血が散る。それでも彼女は下がらない。むしろ逆だった。
もう一方の手でレーザーメスの柄を握り込んで、体重をかけて押し込んでくる。
「マジ、きしょ……っ、でもこれで終わりだし!」
じりじりと赤い刃が皮膚を割って入る。
熱が肉を焼きながら侵入してくる。マフラーが焼けてセージの首筋に激痛が走る。
後はどちらが先に押し切るかの勝負。
さらにトリガーを引くと、乾いた空打ちの感触。先にセージの弾が尽きた。
「うぐおおおおぉぉ!」
「刺されえぇぇぇっ!」
双方の叫びが響き、鮮血が床へ飛び散る。
最後の一手を先に掴んだのは、セージだった。
拳銃を捨てて、空いた腕でパルスクローを叩き込み、そのまま深く抉った。
鉤爪がプリメロの肉を裂き、さらに電磁パルスが流し込まれる。
彼女の体が痙攣で跳ね、歯を食いしばった口から呻くような息が漏れた。
「がっ……!」
プリメロの体がたまらず後退する。
首元を手で押さえながらも、セージの双眸から殺気は消えない。むしろ静かな怒りがより濃くなっていた。
「後もう一押し、だな……」
セージが低く呟く。
一方のプリメロも、傷口を押さえながら下がる。
研究衣の白布へ赤が滲み、呼吸も乱れていた。
「っ……やってくれんじゃん。でもさ、まだ終わってないんだけど?」
ギャル口調の軽さを崩さぬまま、プリメロは血に濡れた唇を吊り上げる。
それは強がりだろう。同時に彼女の戦意がまだ死んでいないことを告げていた。
管理者と侵入者。
互いに手を尽くし合いながら、まだどちらも折れてはいなかった。
ラピス・ノースウィンドは、プリメロ・シュタインの放つ威圧感と、ここまで一歩も退かずに戦い続けてきた執念に、素直な感嘆を覚えていた。
小柄な身体でいかにもインドア寄りな博士ルック。見た目だけなら、どうしても場違いに映る。
だが実際に対峙してみれば、その印象はすぐに覆された。
あの少女は、間違いなくこの場の最強格の一人だ。
「すごい圧ですねぇ……コギャル博士と聞いてたので、ラピスを造ってくれたギャルゲ狂いの博士みたいな、もっとイロモノ寄りを想定してたのですが」
ラピスはそう漏らしながらも、視線を逸らさなかった。
キョンシーの軍勢とパンダ・ザ・グレートとの激戦を潜り抜け、皆疲労は溜まってはいるだろう。
彼女自身もまた、機構の各部に負荷が蓄積している。
けれどそれでも、一見すると冗談めいた存在が、√能力者たちを相手にここまで持ちこたえているのは、率直に予想外だった。
プリメロがこめかみをひくつかせる。
「はぁ? 誰がイロモノだし! ウチはいずれアインシュタインの称号ゲットする天才なんだけど!」
その言葉に、場の何人かが微妙な顔をした。
だが口には出さない。今それを突っ込める空気ではないと、誰もが分かっていた。
ラピスは小さく頷く。
この少女がただの悪趣味な管理者ではなく、確かな誇りと意地でここへ立っていることは認めるしかない。そこは少し見直した。
けれど、それでもなおだ。彼女が人々を虐げている事実は消えない。
「戦闘機械群に与するなら、√ウォーゾーンの敵として|MK《マジでキライ》です!」
ラピスがきっぱりと言い放つ。
「ああん? 変な言葉使ってんじゃないし!」
プリメロが即座に噛みつき 誰もが心の中で『お前が言うな』と突っ込む。
だがやはり、それを口に出せる者はいない。
「……ただ、敬意は表します。本気で戦います!」
彼女が掲げたのは、漆黒の竜漿石――黒陽。
それは、かつての自分そのものだった。対機械兵団用竜型高機動兵器ラピスフェロウ、その核ユニット。
失われた兵器時代の心臓部とも呼ぶべきそれが、いま彼女の掌で脈打つように震える。
次の瞬間、黒陽から膨大なエネルギーが溢れ出した。
ただの光ではない。もっと重く、濃く、深い力だった。
ラピスの背後で黒き鋼鉄の龍翼が展開される。
宵星――まるで夜空そのものを削り出したような黒の装甲が、青い発光ラインを明滅させながら瞬時に接続されていく。
肩、腕、脚、腰。
追加装甲が高速で換装され、ラピスの華奢な身体を包み込む。
いや、包み込むというより、戦闘機械としての本来の輪郭を思い出させるように、彼女へ構築されていく。
胸元と腹部はあえて軽量なままに保たれ、そのぶん肩部と腕部、背部ユニットが異様なまでに重厚だった。
両腕の拳はさらに大型化し、指先には雷爪の刃が展開される。脚部の装甲は鋭く伸び、そこへ格納されたレーザーブレード機構が起動準備を整えた。
「――ラピスフェロウ、限定解除」
その言葉と同時に、ラピスの瞳からきらめきが消えた。
いつもなら豊かに動く表情も、すうっと平板になる。青い瞳はただのセンサーじみた冷たさへ変わり、口元から感情の色が剥ぎ取られていた。
「対象を破壊します」
その声色も、抑揚がほとんどなく無機質だった。
必要最低限以外の何もかもを戦闘の外へ捨て去ったような、兵器そのものの口調。
(これまでとは姿が違う)
プリメロの背中へ、嫌な冷たさが這う。
ラピスのこれまでの戦闘データ。そのどれとも一致しない。
速度、質量、熱量、圧力、予測される武装展開。ぐるぐる眼鏡が拾う情報は増えているのに、逆に全体像が掴みにくい。
未知の形態。未知の戦術。だからこそ警戒を引き上げた、その直後だった。
ラピスが消えた。
いや、速すぎてそう見えただけだ。
「なぁっ!? くそっ!」
そしてラピスの拳――荒十拳が床へ叩き込まれていた。
轟音と振動が響く。
雷爪が金属床を大きく抉り、削り、弾けた火花が青い閃光となって散る。プリメロはとっさに跳んでいた。
直撃を避けたのは正解だったが、砕かれた鉄片までは避けきれない。頬を、肩を、脚を細かな破片が叩き、体勢をほんの僅かに崩す。
ほぼ同時に、高速で影が薙ぎ、プリメロは反射的に身を屈める。
ラピスの脚部から展開されたレーザーブレード、X-Viが横薙ぎに走っていた。
切断された髪の一部が、赤い警報灯の中でひらひらと舞った。
「対象、沈黙まで攻撃行動を継続」
ラピスの声は平坦なまま、その連携は止まらない。
拳。
蹴り。
爪。
刃。
それらが一つの流れへ統合され、間断なく襲いかかる。
龍虎顎連牙。
まさに龍の|顎《アギト》が喰らいつき、虎の爪が抉り裂くような連撃だった。
上から来たかと思えば下から抉り、正面を防げば脚部刃が薙ぎ、間合い離せば宵星の噴射で再加速して追いつく。
ひとつの防御が次の防御を保証しない。
むしろ、防げば防ぐほどその次の攻撃へ姿勢をずらされる。
プリメロはずっとぐるぐる眼鏡で隙を探っていた。攻撃の起点も、重心移動も、反応の遅れも解析できている。
しかし見えていることと、対処できることは違う。
防御に必死で、反撃の拍子が掴めない。
パンダ・ザ・グレートなら、あるいは直撃を一つ二つ受けながらでも返し技を入れられたかもしれない。
だがプリメロには、あの男ほどの無尽蔵な耐久力はない。
(こうなったら……!)
幾度目かの回避ループの最中だった。
ラピスの雷爪が、突然に止まる。
プリメロはレーザーブレードをしゃがんで躱しざま、床際へ転がっていた鋼鉄の鎖を掴み取り、ラピスの腕へと絡みつけたのだ。
巨体がゆえに生じる一瞬の死角。その隙を突いた。
「癪だけど、あの筋肉バカのプロレス理論も研究しといて正解だったわ……!」
この鎖はパンダ・ザ・グレートが先ほどの戦闘で使っていたものだ。
プリメロの天才性は、単に解析するだけではない。
研究理論として咀嚼し、構造を理解し、必要なら√能力すら再現する。
だからパンダ・ザ・グレートの動きも、彼女の中では再現可能な技術体系だった。
鎖でバランスを崩したラピスへ、プリメロが一気に飛び込む。
加速は鋭い。
ラピスの膝を踏み台にして跳び、その勢いのまま自分の膝を顔面へ叩き込む。
パンダ・ザ・グレートが練習中に何度も見せていた技、シャイニングウィザードだった。
打撃の直撃。しかし、ラピスの表情は、死んだように変わらない。
「反則攻撃に対する対処プロセス、パターンD実行」
その宣告と同時に、宵星が噴いた。
背部ユニットから凄まじいジェット噴射。爆発的な加速が発生し、鎖で繋がったままのプリメロの身体が床を引きずられる。
「は、ちょ、待っ――」
言い終わる前に、彼女の体は壁へ叩き付けられた。
コンクリートと金属がへしゃげ、壁面へ大きくひびが走る。
衝撃を逃がす間もない。鎖で繋がれているせいで体勢も取れず、まともに受けるしかなかった。
ラピスは予め、パンダ・ザ・グレートが使用した反則攻撃の数々への対処を計算していたのだ
さらにそこへ、荒十拳の巨拳が重なる。
ラピスはプリメロごと壁へめり込ませるように拳を押し込み、そのまま壁材ごと粉砕した。黒い装甲と青い発光が、破壊の中心で鈍く明滅する。
「がはあっ!」
プリメロの体がくの字に折れる。
肺の中身を吐き出すような咳と共に、鮮血が飛んだ。身の骨が軋み、内臓が揺れ、視界が白く飛ぶ。
「ざけんなぁ!」
吐血しながらも、プリメロはなお手を離さない。
床へ引きずられながらも取り出していたレーザーメスを振り上げる。やることは単純だ。この距離なら刺せる。
(装甲のない急所さえ狙えば……!)
その執念が、彼女の小柄な体をまだ動かしていた。
「攻撃続行」
無慈悲なる音声がプリメロに届いた。
メスが届くその寸前に、ラピスはプリメロを抱え上げた。
持ち上げるというより、捕獲して固定したに近い。
腕と宵星の補助で相手の姿勢ごと拘束し、そのまま上昇軌道へ移る。
ジェット噴射による再加速。
「ごふっ!」
急激なGがプリメロの体へのしかかる。
次の瞬間、天井へ激突した。
一枚目を貫く。
二枚目も破砕する。
三枚目、四枚目と何層も隔壁めいた天井を打ち抜きながら、ラピスはなおも止まらない。黒き龍翼、宵星が火を吹き、二人の体をさらに高く、さらに遠くへ押し上げる。
工場の内部構造を突き抜け、光が増す。
赤い警報灯ではない、本物の太陽光だった。
最後の天井を破ったその先に、青空が広がる。
無限に近い蒼穹。
雲の流れる高み。
対機械兵団用竜型高機動兵器ラピスフェロウ――本来、彼女が駆けるべき世界。
地上のフロアでは狭すぎる。
空こそが彼女の戦場だった。
宵星を広げたラピスは、プリメロ・シュタインを抱え込んだまま蒼穹を切り裂いていた。
それはもう飛行というより、機動による暴力だった。
縦へ、横へ、斜めへ。噴射と転回を何度も重ねながら、ラピスの機体は空を抉るように加速していく。
背部スラスターは青い光を脈打たせ、黒い鋼翼の各部が細かな姿勢制御を繰り返すたび、抱えられているプリメロの身体は遠心力と加速の暴威で振り回された。
「ちょ、このっ、停止しろ! マジ止まれって言ってんじゃん!」
プリメロは歯を食いしばり、密着したままラピスの装甲を何度も殴りつけた。
天井を何枚もぶち抜いた衝撃で、手にしていたレーザーメスはとっくに手放している。
だから今の彼女にできるのは、至近距離から拳を叩き込むことだけだ。
けれど、追加装甲で覆われたラピスには、それはほとんど効かない。鈍い音が返るだけの、微々たる抵抗だった。
「対象の抵抗を確認。制圧行動、継続」
ラピスの声は、どこまでも無機質だった。感情の消えた青い瞳は前だけを見ている。
そして、ついに加速は頂点へ届き――ラピスはその機体を大地へ向けた。
龍が墜ちる。
風の音が変わった。鋭い風切り音ではなく、
もっと重く腹へ響く轟きだ。
空気の壁そのものを押し潰しながら進んでいるかのような圧が、プリメロの鼓膜を叩く。
プリメロの顔から、さすがに血の気が引いた。
「うそ……でしょ……それガチでシャレになんないって!」
黒い機影が蒼空から反転し、凄まじい速度で地上へ突き刺さる軌道へ入る。
風圧が渦を巻き、周囲の空気が唸りながら引き裂かれていく。
頭を上げれば、さっき自分たちが飛び出してきた真人化工場の大穴が、冗談みたいな速さで近づいてきていた。
「やめろおおおおおぉぉぉ! 」
悲鳴だった。
落下は止まらない。工場が、穴が、地面が、全部がまとめて迫ってくる。
赤い眼鏡のレンズへ映る景色が、狂ったように拡大していく。
「こんなとこでぇ! ウチは……アインシュタインに……!」
言葉は最後まで続かなかった。
龍が大地に激突した。
耳をつんざく音と激震が大地を揺るがし、床材と土砂が爆ぜるように噴き上がる。
高度落下の衝撃がそのまま叩きつけられ、小さなクレーターが地表へ穿たれた。
しばらくして、崩れた瓦礫の中から身じろぎする影がある。
「いたた……」
先に身を起こしたのはラピスだった。
激突の寸前に急制動をかけ、自分より先にプリメロを墜としたのだ。
それでも受けた負荷は大きく、エネルギー切れも重なって、彼女の姿はすでに元の軽装形態へ戻っていた。
蜂蜜色の髪に土埃がつき、青い瞳にもわずかな疲労が浮かんでいる。
クレーターの底、その少し先にプリメロが横たわっていた。
高い位置で結っていたツインテールは崩れ、研究衣も制服も裂けて、あちこちから血が滲んでいる。
両手を投げ出すように広げたまま、かすかな呼吸だけが胸を上下させていた。
「あー……もうマジ最悪。ウチが、こんなやつらにボコられるとか、ありえなさすぎ……」
悔しげに吐き出す声は、かすれている。
それでも言い回しだけは最後までギャルだった。
ラピスはその様子を見て、素直に目を丸くした。
「まだ生きてるとか、不死身ですか?」
プリメロは薄く目を開け、力なく口元を歪める。
「指一本動かせないし……もうすぐ死ぬわ……」
彼女は彼女で超天才流護身術を用いて、衝撃を受け流そうとしたのだろう。
それでも、到底耐えきれるダメージではなかった。
口ぶりも投げやりだ。
けれどそこに粘つく怨念はない。
ただ、本気で悔しくて、疲れ切って、残った最後の力で悪態をついているのだろう。そこが妙に彼女らしかった。
ラピスは小さくうなずく。
「いい戦いでした」
その言葉に嘘はない。
パンダ・ザ・グレートも、プリメロも、間違いなく敵だった。
真人化工場を守る簒奪者であり、倒すべき相手だった。けれど、その気迫とガッツだけは本物だったと、ラピスは認めている。
プリメロは顔をしかめる。
「はー? 勝った側にそれ言われんの、マジでキモくて腹立つんだけど……」
口調はどこまでも軽い。
ラピスは少しだけ困ったように笑い、それでも真っ直ぐに言った。
「いつかタッグマッチで死合いましょう! ……いえ、やっぱり余計な事件は起こしてくれなくていいのですが!」
プリメロは呆れたように鼻を鳴らす。
「あのパンダ男と? 絶対ムリ。てかマジ勘弁なんだけど……こんなチョベリバ案件……今回限りで……終了だ…………し…………」
そこまで言ってプリメロの瞼がゆっくり閉じて、それきり、もう動かなかった。
大フロアの中で倒れたままのパンダ・ザ・グレートも、すでにこと切れている。
地下プロレスの帝王も、超天才コギャル博士も、この戦いではついに敗れたのだ。
彼女たちは√能力者であるため、インビジブルになっても時間が経てばまた蘇る。
だからこれは永遠の別れではない。いつか別の場所で、別の戦いの中で、また相まみえることもあるのだろう。
それでも真人化工場の管理者は倒れ、最後の壁は完全に崩れた。
囚われた人々を救うための道が、ついに開かれたのだ。
青空の下、傷だらけのラピスはゆっくり立ち上がる。
少なくとも、今このひとときに限って言うならば、ラピスたち√能力者の完全勝利だった。
●
√能力者たちは、囚われていた人々を無事に救い出し、いまは少し離れた高台から、崩れ落ちつつある真人化工場を見下ろしていた。
炎はあちこちの破断面から噴き上がり、赤々と夜気を焦がしている。
黒煙は空へ細長く伸び、人を材料のように扱っていた忌まわしい施設は終わりを迎えようとしていた。
崩れた外壁の隙間からは火花が散り、内部の機械群が断末魔のような異音を鳴らしている。
その光景を前に、風宮・ワタルは肩を回しながら口の端を吊り上げた。
「なかなか歯ごたえのある連中だったな」
そこで一拍置いて、いかにも不敵に口角を上げる。
「ま、オレたちには敵わなかったけどよ」
その隣で、御門・雷華が細く息を吐いた。
金の長い髪を揺らし、赤縁の眼鏡の奥から弟子へ冷ややかな視線を向ける。
「色々危ういところもあったでしょ」
さらりと言ってから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「まあ、及第点ってところね」
「なんだよ、そこはもうちょい褒めてもいいだろ」
「調子に乗るから駄目」
ぴしゃりと返され、ワタルが肩をすくめる。そのやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
朧谷・十華は、燃え上がる工場をまっすぐ見つめながら、静かに呟く。
「私も、学ぶことの多い戦いでした……」
その声には実感がこもっていた。
パンダ・ザ・グレートの最後まで折れぬ精神。
プリメロ・シュタインの、相手の隙を読み切る異様な技術。
どちらも敵であり、許しがたい簒奪者ではあった。
けれど武人として、戦士として、胸へ刻まれるものがあったのもまた事実だった。
そんな十華へ、飴澤・茲が身を乗り出すように明るく言う。
「十華さんも、すっごくかっこよかったよ! 剣士すごい!」
ぱっと咲くような笑顔だった。
十華は少しだけ面食らったように目を瞬かせ、それからわずかに頬を和らげる。
「ありがとうございます。茲さんも……その、見事な戦いぶりでした」
「でしょー!」
言われる前から誇らしげだった顔が、さらに得意満面になる。
そこへ、セージ・ジェードゥが半ば呆れたように口を挟んだ。
「パンダ・ザ・グレートにプロレス勝負挑んだのは、ある意味すごくはあったな」
褒めているのか呆れているのか分からない言い方だったが、茲には都合のいい部分しか届かなかったらしい。
「いぇーい!」
ぴしっと指でピースを作ってみせる。
相変わらずのマイペースさに、周囲から小さな苦笑が漏れた。
セージはそんな仲間たちを横目に見ながら、青いマフラーの端を軽く押さえる。
戦いの熱が引いた今になって、体のあちこちに残る痛みがじわりと戻ってきていた。
けれど、それでもここに立っている。仲間も、救い出した人々も、生きている。その事実だけで十分だった。
クラウス・イーザリーが、穏やかな笑みを浮かべる。
「ともあれ、みんな無事で良かったよ」
その言葉は、火の海を前にしてなお不思議と温かかった。
危うい場面はいくつもあった。ほんの少し噛み合わなければ、取り返しのつかない結末もありえた。
だからこそ、こうして全員で立っていられることが何より尊い。
ラピス・ノースウィンドが、胸を張るようにして前へ出る。
蜂蜜色の髪を夜風に揺らし、青い瞳をきらきらと輝かせながら、彼女は高らかに宣言した。
「その通り、ラピスたちの完全勝利です!」
その言葉に、誰も異論はなかった。
こうして真人化工場の一つは潰えた。
攫われた人々は救い出され、簒奪者の企みは砕かれ、工場は炎の中で崩れていく。
戦闘機械群との戦いは、まだ終わりにはほど遠い。むしろ道のりは長く、険しく、これから先にも幾度となく同じような地獄が待っているのだろう。
けれど、それでもこの勝利は小さくない。
今日ここで積み重ねた一歩は、きっといつか訪れる大きな勝利へ繋がっていく。
次の戦場へ、あるいは日常へと赴くため、燃え盛る真人化工場を背に、√能力者たちは踵を返すのだった。