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咲き映える幻月花
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朽ち果てた祈りの神殿を冷たい月光が照らしていた。
「此処か……」
青年は吐息を漏らすように静かに呟いて、廃墟の教会を見上げた。
月明かりだけが静かに降り注ぐ丘には幻月花と呼ばれる白花が咲いている。
満月の夜にだけ花開くという幻月花は、絨毯を敷き詰めたかのように仄かに発光しながら咲き映える。
曰く、この花は逢いたいと願った光景を現に映し出す習性を持つのだという。
かつて、逢えぬ人々を思う人々が集い哀しみに暮れる心を慰めていたという話もある。
その人々が遺したのが、丘の中心に聳え立つ教会の廃墟だ。
(此処ならば、もしかして……逢えるのだろうか)
青年――エリアスは拳をきつく握り締める。
何を賭しても叶えたい想いがある。叶うはずもないと嘲り笑われたとしても己はこの|妄執《ねがい》を棄てることは出来ぬだろう。
(それでも、――)
擦り切れた祈りを携えて、何度も願った夢は残骸すら最早無い。
それでも、絶えることのない望みは埋火のように心に燻り、思考を支配している。
祈ったとて望んだものは得られぬかもしれない。必死に伸ばした手で掴み取った夢は幻に過ぎぬかもしれない。
「だけど、俺は諦めるわけにはいかないんだ」
エリアスは己に言い聞かせるように呟いてから、教会廃墟の扉を開けた。
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「昔は、幻月花の丘って呼ばれていたらしい」
集まったEDEN達に水縹・雷火(神解・h07707)が語るのは、とある丘に群生する|怪花《・・》の話だ。
とある山間の村。その外れの丘に満月の夜にだけ花開く幻月花と呼ばれる花がある。
白昼夢のように人々に夢まぼろしを魅せる花は、逢いたいと願った光景を現へと映し出す。
大体はもう逢えぬ人々や記憶との邂逅らしい。だが、喪失を経験した人々は例え幻だと理解していても縋り付きたくなるのが人の心というものだろう。
都合の良い|陶酔《ゆめ》を魅せる花をいつしか信仰対象とする信者すら現れた。だが、元々が片田舎の村はずれに咲く花。
幸いといって良いのか――あまり教えは拡がらずいつの間にか、宗教団体擬きは廃れて彼らが遺した教会の廃墟のみが虚しく存在している。
「まぁ、こんな花がまともな花なわけないよな。一応、歴とした怪異の一種らしい。けど、怪異っていうには力が弱すぎるというか……早い話がほったらかしになっていたんだよ」
もたらす現象は満月の夜の幻のみ。それも人々を夢の世界に陥れたり生命を脅かすようなものではない。
ゆえに、存在は認知されつつも誰も手を出さず放置されていたのだという。
眼前まで迫った黄昏と戦う√汎神解剖機関の人々に、斯様な怪異まで構っていられる余裕はなかったのかもしれない。
「でも、クヴァリフの仔が取り憑いて少々話が変わってくるんだ。クヴァリフの仔が取り憑いた幻月花は√能力者の意識に干渉してくる程に力が強くなっている。まぁ、力が強くなったと言っても白昼夢を見せられるとかそれくらいだな。昏睡状態にされたりとかそんなことはないから其処は安心してほしい……まぁ、今のところは、だけど」
雷火は一度言葉を句切り、改めて息を吸う。
「クヴァリフの仔と幻月花の噂を聞きつけて、襲撃してくる簒奪者がいる。蒼葬のエリアスと呼ばれる男だ」
浄炎を操る熾天使憑きの青年。真面目な性格のようだが、感情の起伏は激しい。
そして、幻月花の教会へと何か思い詰めた表情で訪れている光景が見えた。
「何かを思い詰めているみたいだった。なんでか、まではわからないけど……」
エリアスが抱えている事情も、幻月花に訪れる目的も、何かは現時点では解らない。
だが、目的がクヴァリフの仔だとしても幻月花だとしても悪用されたら厄介だ。
「だから、お前達にはエリアスを退け、クヴァリフの仔を確保してほしい――それが、今回の依頼だ」
エリアスが出現するのは満月の日の夜半。場所は丘の中心部に在る教会廃墟。
今より向かえば、教会へ向かう道中で軽く満月を愛でたり、幻月花を見てまわれる程度の時間はあるだろう。
「うーん、幻月花の咲く光景を例えるのは難しいんだけど強いて言えば芝桜とかネモフィラの花畑みたいな感じが近いのかな? ぼんやりと発光してる白い小さい花が丘一面に咲いているんだ。結構、綺麗だと思う」
幻月花の力が特に強まるのは教会廃墟の中だ。
√能力者であれば、教会廃墟に立ち入るまでほとんど影響を受けないだろう。
「よろしく頼む」
雷火は満月のような金色の双眸で真っ直ぐにEDEN達を見つめた。
第1章 日常 『幻想の花園』