春を結ぶ
桜の花が舞う季節。別れを経て新たな道へと進む者たちが、初々しくも緊張した面持ちで街を歩く日にはまだ少し早い今日この日。
春独特のあたたかくも穏やかな空気を身に浴びて、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は薄青の空を仰ぐ。まだ少しだけ冷たい風が境華の黒髪を攫い、新生活への期待に満ちた身体を落ち着かせるかのようだ。
瞼を閉じて鶯の鳴き声に耳を傾ける境華の鼓動の速度は、いつも以上に早い気がする。それもそのはず。今日は同い年の友人との大切な約束をしているからだ。緊張をしているといえばしている。けれどもそれ以上に楽しみなのも事実で――。
「……境華ちゃん。」
己の名前を呼ぶ声に、意識が鶯から声の主へと向く。はっとして境華が顔を向けると、そこには少女が立っていた。同い年の大切な友人。その友人こそが、境華の眼前。長い前髪の隙間から赤い瞳で境華を見つめるその人、小弓・佐倉(夜黒の椿・h08163)だ。
――事の始まりは数日前。
「あと数日もすれば高校生だなんて、まだ少し夢のようです。」
「高校……?」
高校。保護をされるまでは、年に沿った学習環境の無かった小弓にとって、当たり前のように受験も進学の話もない。想像も出来ない世界の話に、首が傾くけれども瞳に好奇心の色が乗る。境華の話に興味があったのだ。
「はい。新しい制服を着て、今よりも難しい勉強を学ぶことになるのですが……。」
「これを機に、幾つか新調したい物がありまして。」
「新調……?」
小弓はゆっくりと瞬きを繰り返す。ホケキョと遠くで鶯が鳴き、風に触れる桜の木が微かに揺れた。高校、新調。ともすれば、境華のように高校に行く人たちが、街を歩いているはず。春独特の浮足立つ世間の空気感や、新しい学校を楽しみにしている人たちの顔。そんな姿を間近に感じることが出来るはず。
「……わたしも…一緒に行っても、いい?…ですか?……春の街、気になる。」
「わぁ……良いのですか?もちろん、喜んで。」
思わぬ申し出に、境華の言葉がやさしく綻ぶ。それならば時間は?場所は?とあれよあれよと話は進み、こうして2人は待ち合わせをしてお出かけをする事になったのだ。
あたたかい春の日差しが2人を包み、新生活に向けての空気を彩る。此方を覗き込む小弓の瞳を捉えた境華は、鶯の鳴き声を背景に改めて小弓へと挨拶を交わす。
「小弓ちゃん、こんにちは。」
「こん、にちは……境華ちゃん、まった?」
「いいえ、先程来た所です。全然待っていませんよ。」
おずおずと前髪の隙間から境華の顔を覗き込む小弓を安心させるように、境華はやさしい言葉で告げる。境華の表情こそ派手には動かない方だが、言葉の節々に小弓へのやさしさが乗る事を、小弓もまた感じ取っている。ほっ、と胸を撫でおろし『ありがとう』の言葉を告げると、そわそわと落ち着きなく周囲を見渡し始めた。
小弓の口が音を乗せないままに開閉を繰り返す。頭の中では色んな言葉が駆け巡るというのに、緊張からか何を言えばいいのか分からないまま。結局口を閉ざして、小弓は境華の隣に並んで一歩を踏み出す。
そんな様子の小弓を横目に、境華もまた眦を静かに緩めた。今日が楽しみだったのは、何も境華だけではないと言う事が分かったのだから、緊張をしていた身体から徐々力が抜けて行った。
「まずは文具店に行きましょう。シャーペンと、それから蛍光マーカーと……。」
指折り数える境華の隣で、小弓は肯定するように小さく頷き前を見据える。文具店は目と鼻の先。ここからそう遠く離れていない場所にある。
自動ドアを潜り抜け、白に包まれた店内へと足を踏み入れる。文具店独特のインクの香りが鼻先を掠め、店内に飾られた新生活応援キャンペーンと書かれたのぼりが一番に目に留まる。のぼりを横目に2人は、シャーペンやボールペンなどが数多と並べられるコーナーへと足を向ける。
「高校生活が3年となると、3年生になるまで使い続けることの出来る物が良いですね……。」
「あとは、派手なデザインよりも落ち着いたもの。このようなシンプルで上品なデザインが良いのですが……。」
シンプルな黒色、銀、茶。手に馴染みやすくてスマートな物とインクの色やシャーペンの形を確認しながらも、更に書き心地を確かめる境華を眺め、小弓もまた同じように色とりどりのペンを手に取る。ボールペン1つにしてもサイズ感、書き心地、文字の太さが全部違うのだから不思議だ。この中で、自分の手に馴染むものを、となると時間もかかってしまうのだろう。
さらさらと試し書きの紙に猫の絵を描いた小弓は、1本のボールペンを握りしめて境華へと向き直る。
「わたしはこのペンが好き、かも。書き、やすい。」
「それもデザインや色も含めて、小弓ちゃんらしくて素敵ですね。」
境華の言葉を受け、小弓の変化の無い表情が少しだけ和らいだのも束の間のこと。小弓が小さく声を漏らす。
「……ぁ。」
「どうかしましたか?」
突然小さな声を漏らした小弓の視線を境華が辿ると、そこには猫をモチーフとした文房具のコーナーが設置されていた。白猫、黒猫、ぶちに三毛。メモ帳だけではなく、ポチ袋やノート、付箋にシャーペン等々、猫好きにはたまらないコーナーであることには間違いない。
そちらのコーナーへと、吸い寄せられるように足を向けた小弓は、数多の猫がいる中で迷うことなく黒猫の付箋を手に取る。
「……どうしても、猫ちゃん、見ちゃう。」
「猫……かわいいですよね。」
「猫ちゃん、ノートから見えてたら、かわいいなって……。」
「ノートからこの子が覗いていると、何度でもこのページを捲りたくなってしまいそうですね。」
「小弓ちゃんは、そちらの付箋にしますか?」
こくこく、と何度も頷く小弓は黒猫の付箋に決めたようだが、やはり他の黒猫も気になるのか視線は静かに他の黒猫たちを眺めている。
「……どの子も、かわいい。」
「確かに、どの子もかわいいですね……。」
「この子も魚を咥えていて、とてもかわいいです。」
「本当、だ……。」
境華の示したそれは、黒猫のポチ袋。ポチ袋とはいえ、普通のポチ袋とは違いきちんと猫の形をしているのだ。互いにかわいいとこぼす最中、不意に小弓が境華に顔を向ける。
「境華ちゃん、は……決まった…?」
今日の目的は境華の文房具を新調する事だ。猫に気を取られている中で、そのことを思い出したのだ。
「私は少し悩んでおりまして……。」
「こちらとこちら、小弓ちゃんはどちらがいいと思いますか?」
境華が示した2本はどちらもシックなデザインのシャーペンだ。片方は黒、もう片方は濃い紫で、どちらも大人びた雰囲気の1本。同じメーカーの物なのか、細身で軽く、更には握りやすいというのも魅力的な部分だろう。
「どっちも、境華ちゃんに……合う。」
じっ、とシャーペンを見比べ、それから境華を見つめる小弓が口を閉ざして数分。漸く決まったのか、持ち上げた人差し指が黒色を示す。
「猫ちゃんと、同じ色。」
思わずだろうか。小弓を見つめる境華の目が、静かに細まった。猫と同じ色だなんて考えたこともなかった。そう言われると確かにこの黒いシャーペンは黒猫の色だ。猫の形では無いけれど、思わぬところで共通点を見つけてしまえば、声色に喜びの音も乗るというもの。
「でしたらこの黒にします。」
「わたしも……この猫ちゃんに、する。」
選ばれた1本を大切に握りしめ、境華は小弓を見つめる。小弓もまた黒猫の付箋に決めたようで、2人は支払いを済ませて次なる場所へと向かう事にした。
「いいな。」
向かう最中、不意に小弓が立ち止まる。視線の先には色も形も様々な制服が並んでいる。この近くの学校のものだろうか。入学おめでとうと書かれたのぼりと共に、学校名のプレートも添えられていた。
「同じ服着て……仲良さそうに歩いてる人たち、よく見かける。服が理由じゃ、ないだろうけど…いっしょの学校って……楽しいのかな。」
「制服……。実は私も着たことがなくて。憧れてしまいます。」
「境華ちゃんも?」
「はい。進学先の高校も制服の無い所なので、これから先も着る予定はなく……。」
「……もし境華ちゃんと同じ学校だったら。」
2人揃ってディスプレイされた制服を見つめ、小弓はもしもの話を口にする。朝は一緒に登校をして、今日選んだ猫の付箋を境華のノートに貼り、同じように自分のノートに貼って楽しんだり。帰り道には寄り道をして、甘いものを食べに行ったり。それだけじゃない。学校行事だって境華と小弓。2人揃えばきっと、うんと楽しくなるのだ。
「……お揃い。」
「制服は、難しくても……何かおそろいが、ほしい。おそろい……何なら、できるかな…?」
「そうですね……。何が良いでしょうか。」
小弓の髪飾りのカチューシャやリボンは境華がつけると目立つ、簪は髪の毛の短い小弓には難しい。お揃いで、それでいて学業の妨げにならないものを歩きながら探す。そんな中、ふと小弓の視界にアクセサリーショップが写り込んだ。
「ヘアピン……。」
「ヘアピン、ですか?」
吸い込まれるように足を向けたそこには、かわいらしいヘアアクセサリーが並んでいた。カチューシャ、ヘアゴム、バンドにピン。鮮やかな色から落ち着いた色。装飾も様々で、選びがいがありそうだ。
「確かに前髪を留めるだけではなく、後ろ髪や横髪につけている方も見かけますし……。」
「一緒に、探そ。きっと境華ちゃんも好きなの、あると思う……思います」
先程、境華がヘアピンのアレンジについて言っていた。前髪ではなく、横髪も。後髪を留めることだってできる。それならコンプレックスのある小弓も、自らのコンプレックスを気にすることなく境華とのお揃いをつけることが出来る。
そしてなにより、友達と一緒に選ぶということ。友達とお揃いを持つということ。その特別さが、少しだけ不安を抱えていた境華と小弓の背中を強く押した。
「小弓ちゃんがそういうなら、ヘアピンを一緒に選びましょう。」
「うん、境華ちゃんと……おそろい…。」
あれがいいかな?それともこっちかな?と選ぶ2人の頬は微かに赤らみ、普段から表情の変化の少ない2人ではあれど、傍から見ても楽しんでいる様子が十分に伝わる。
繊細な装飾の数々は、触れると壊れてしまいそうで。小弓はそっと指先を伸ばしてピンを摘まみ、丁寧に掌の上に乗せる。
「境華ちゃん、これ。」
「とても可愛いですね。これにしませんか?」
「うん……、これにしよう。」
2人の手の中には、花を模った水引とタッセルのついた和風デザインが施されたヘアピンがおさめられている。どちらもそれぞれのイメージに合った落ち着いていて、けれどもかわいいデザイン。
きっと1人だったら選ばない物かもしれないけれど、お互いの色を思わせるようなそれを見ていると、どうしてか指が吸い寄せられていたのだ。
「つけかた……わからない、けど……。」
「付け方についてはまたお教えしますね。」
また。つまり今日この日だけではなく、この先がまだあるということだ。握りしめたお揃いのヘアピンと、それから一緒に選んだ文房具を抱える小弓の頬は、先程よりも紅く染まっている。染まる頬に合わせて、花でも飛ばしそうな勢いだ。
「今日はありがとう。」
「こちらこそ、今日はとても楽しかったです。また今度。」
紅く染まる小弓の表情を見つめ、同じように今日という日を胸に抱えた境華もまた口を開く。優しく紡がれる言葉に合わせて、桜の蕾も咲き誇る。
次はつけ方を教えよう。その次は一緒にお茶を飲もう。そのまた次は、高校の事を話そうか。これから先、話をする機会はまだまだあるだろう。次への話を胸に、境華は春の空を見上げる。
空を見上げた境華の背後で「またね。」の言葉を残して帰路へと着く小弓の足は、浮つく気持ちを乗せ、桜の舞う道を小走りで駆けて行く。
互いの腕、抱えられた袋の中で眠るヘアピンが、春の光をやどしていた。