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ほどけてしまえ

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國崎・氷海風

 香りは甘くとろけ脳までどろりただの脂肪まみれの肉塊へと変えてくれる。

 目前に立つ|男《標的》は沈黙している。動けないのではない動かない、どろり。
 氷海風から目を離せない。楽しげに笑うその唇から鮮やかな虹彩からすべてから。グラスを取り落としそうになった男を見て、氷海風はくすりと優雅に笑みを浮かべた。
 男は氷海風に隅へと導かれひそやかな言葉のやりとりを。小さな声は甘ったるく、そして、殺意のひとつも滲んではいなかった。
 パーティーは賑やかだ。だあれもこちらを見てはいない。だあれも。

 ――甘い香りが周囲に広がる。昏き光はぶわりとひかった。

 削られるは正気である。さくりとひとくち甘くやわらかいケーキのように。口溶け柔らかふわり、口の中でほどけてしまえ――。
「あ」
 女の手を取る男の腕。力強く手首を、爪が食い込むほどに掴み上げる。正気はひとつもありはしない。悲鳴が響き渡る。狂気はいくらでも伝播する。瓶を掲げて人の頭に振り下ろす者。髪を強く引き悲鳴を楽しむかのように笑う女。誰もが正気のままに、狂気に陥った。
 隅で泣きわめく人々はまるで小動物のよう、それを指をさし笑う男の背中を強く蹴りつける足がある、地獄はどこまでも。

「楽しいねェ」
 まだグラスを回している氷海風は標的たる男に微笑んだ。男の、既にとろけた思考は、狂気に浸り切ることができなかった。
「楽しいなりに、楽しいことをしようか――」
 手を引かれ、後ろ髪を引かれるような心地で、男は氷海風に連れられテラスへと出る。見事な取っ組み合いをしている男女が目に入った。首を締められている男が女を無理矢理に持ち上げ、そして手すりの向こう側へと押しやる。落下。だが首を掴まれていた男もまた同じく落下を果たし、ぐしゃり。
「あれ。良いねェ」
「良いですか」
「わからない?」
 くゆる煙が否定の言葉を塞ぐ。熱を持つ煙管の先が男の首に押し当てられた。瞬く間に赤く染まる肌。痛みも忘れぼんやりとした目で氷海風を見る姿を眺め。氷海風は笑い声を上げる。
 ぐ、ぐ、と押しつけられ。後ずさり――背に当たるは手すりだ。だが、それ以上は行けない。生きたい。ボイルされた脳みそでもそれは確かで、氷海風はそれも織り込み済みだ。取り出したるは細身のナイフ。つつ、と胸から上へと這う切先から逃れようと首を振る男。それでも逸らすことは難しく、ああ喉元へ。

 事件は集団ヒステリーとして処理された。

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