薔薇の香りは悪の園
なんだかとっても心地よい薫り。
甘く馨しいそれに惹かれた少女たちの行く先に、一軒のフレーバーショップがあった。寒々とした空の下、軒先で艶やかに咲く色とりどりの薔薇。花々はまるで陽射しに焦がれるかのように、じっと道ゆく人々を眺めるばかり。
そんな店から漂う薔薇の香は、もはや出所が花かアロマオイルかわからないぐらい、柔らかく優しく嗅覚を癒す。
「ねえねえ、ここミキたちが話してたトコじゃない?」
「そうかも! わっ、見てコレ。プチギフト向きだって~、カワイイ~!」
女子高生たちの声が弾めば、なんだなんだと通行人たちの意識も集い始める。そこへ。
「いらっしゃいませ」
嫋やかな女性店員が顔を出す。ローズ色のリップが印象的な女性だ。
「外は寒いでしょう? 中でご覧になってくださいな」
「ええー……でもぉ、買うつもりはまだ無くてぇ」
戸惑う女子高生を前に、見ていくだけで構わないと店員はゆっくりかぶりを振る。
「いつか必要になったとき、うちのことを思い出していただければ幸いですから」
「……じゃあ、ちょっとだけ。ね?」
「うん。ちょっとだけ見てこ」
こうして彼女たちは店内へ招かれる。ショーウインドウを飾る薔薇たちが、どこか嬉しそうに身を揺らし、彼女たちを迎え入れた。
●星詠み
「いってて……もう、なんであんなとこに掃除機が……って、あ」
脛をさすりながら集合場所へ入って来た松浦・定家(ブックマーク・アクセプター・h02372)は、まじろぐ√能力者たちを見るやコホンとひとつ咳ばらいをして。
「待たせたな! 実は組織が隠れ蓑として運営してるお店があるんだ。滅ぼそう!」
高らかに弾むような響きで話し出す。ゾディアック・サインと呼ばれる未来予知に基づいた情報だ。紛うことなき星詠みの話ゆえに、√能力者たちの面持ちも変わる。
「隠れ蓑というとやはりスタッフが……?」
ごくりと喉を鳴らした√能力者の一人が尋ねれば、うむ、と定家も頷いて。
「スタッフになりすました組織の協力者たちが、罪なき人々を引き込もうとしてる!」
一見すると普通の路面店だ。淡い白を基調とした西欧のアパートを思わせる外装は、一言で表すなら「おしゃれ」で。店内に足を踏み入れたなら、アロマオイルをはじめ、ディフューザーやドライフラワーなど、生活をやさしく彩る商品が並んでお出迎えしてくれる。
主に取り扱っている花こそが、ショーウインドウや軒先を飾る『薔薇』なのだが。
「当然、ただの薔薇じゃないぞ! 悪の組織で栽培されたものだからな」
ゆえに、この店で販売されている薔薇の香りを嗅ぎ続ければどうなるかは、想像に難くない。
徐々に狂っていくのだ。
悪を善として行動し始めたり、組織そのものへの忠誠や信仰を胸の内で培い、日々の営みから外れていってしまう。そんなこと、あってはならない。
「とはいえスタッフの殆どは協力者に過ぎん。裏で指示しているような奴を引きずり出さなければな」
スタッフとして紛れ込んだ組織員も中にはいるだろうが、基本的には『ただ組織や悪事に傾倒している者』または『何も知らず協力者となっている者』と考えた方が良い。
彼らを締め上げても良し。
自信があるなら、説得や口車に乗せるなどしてうまく使うも良し。
いずれにせよ悪の組織の行いは、たとえどんなに小規模でも、巡り巡ってプラグマの野望『全ての√の完全征服』に繋がってしまう。つまり。
「対処するべき存在に違いないのだ! だからよろしく頼む!!」
びりびりと響き渡る定家の激励が、仲間たちの耳を劈いた。
第1章 冒険 『怪しいお店』

悪意の園となる店の真相など知る由もなく、日常は続いていた。
だからヴァレリー・クラヴリー(人間(√マスクド・ヒーロー)のゴーストトーカー・h01101)は見咎められない位置で祈りを寄せる。
散策日和に呼び止めて悪いね、と挨拶して迎え入れたのは、海老に似た|見えない怪物《インビジブル》だ。
「あのお店、怪しい品を運び入れたりしていないかな?」
慣れた口振りで、件の店を目で示しながら問う。
『夜な夜な店の裏で段ボールが運ばれてたな』
「中身は知らないかい?」
『流石にそこまでは。只の段ボールだぞ』
何の変哲もない運搬作業に見せかけているのだろうと、ヴァレリーは顎を撫でた。
「人の出入りについても教えてくれると嬉しいな」
すると海老はヒゲを揺らめかせて――。
●店の前で
ひとを狂わせる花の薫り。
胡乱な響きに西織・初(戦場に響く歌声・h00515)は息を浅く吐いた。
(「狂わせるものも、いろいろあるんだな」)
ギターを握る指に力が入る。大丈夫、と己へ言い聞かせた。狂わされる誰かへ、手の代わりに音を差し出すのだと決めてやってきたのだ。
初がそうして呼吸を整える間も、戦友たる他の√能力者たちは言葉を交わす。
「敵情視察は任せて」
黒栖・鳳華(閃甲令嬢・h00099)が口火を切った。
言うが早いか彼女は、|タクティカル・セルを展開《レギオンスウォーム》する。賑わいの足元に混ざった鳳華の一部は、すぐさま偵察に出た。
「イイ感じの雑貨が並んでるんだもの。使わせてもらわないと」
インテリアに混ざった一機から齎される主な情報は、客と店員の数と配置。
軽やかな声を弾ませる女子高生二人に、会社員の男女。手を繋いで回るカップルと、ゆったり歩む老夫婦など――何処にでもいそうな装いの人たちだ。
そして店内スタッフは三名。どうやらバックヤードにも二人いるようで。
「店内にいても、接客の必要がないときは掃除とか整頓をしているみたいね」
話ながら少しでも呼吸を深めると、軒先で揺れる薔薇の香気が仄かに届いてしまう。だから鳳華は、溜息をつく代わりに拳をきゅっと握り締める。
外でも柔らかく漂うこの甘い芳香が、人を狂わせるだなんて。
(「相変わらず、人の心や思いを利用した最低な連中ね」)
鳳華の憤りが狙い澄ましていると、そこへ。
「僕からもいいかい?」
片手を揺らしたヴァレリーも合流を果たす。
「海老君が言っていたんだ。明らかに普通じゃない人物が店の裏路地に現れるって」
「えび……?」
仲間がざわめくも彼は続ける。
――海老曰く。
店の裏手をキャリーカートで行き来する人影を目にしたという。移動時の騒音を参考にすると、近場から段ボールを運んできているらしい。
「これから調べるなら店の裏だけど……」
ヴァレリーの一言を機に先ずは避難誘導が先だと頷き合い、各々の意志が赴くがまま靴先を向けた。
首肯した初も周囲の建物を仰ぎ見る。これなら音も良く伝うだろう。人々の胸にもきっと。そう一種の信頼めいた情で指先を温めて、ギターを爪弾く。
メロディアスな欧州ポップス風の旋律が、店の前で舞い踊り出した。
●入店後
わあ、とだしぬけに歓声があがる。心躍らせた薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)が溢れさせたものだ。
「どこ見ても可愛い! あっ、これとかプレゼントに……」
「ヤバ、待ってこれ素敵すぎない!?」
コイン・スターフルーツ(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00001)の声も、同じぐらい朗々と弾む。
直後、二人して注がれた視線に気付く。微笑ましそうな声がそこかしこで零れたものだから、ヒバリはきまり悪げに精油瓶を摘まんだ。そして、これは仕事と言い聞かせて挙に出る。
オリジナルブレンドなる品を手にした女子高生たちの横で、独り言として段階を踏む。
「香りもデザインも間違いなく最っ高ー……なんだけど」
迷う素振りは、女子高生からテンションを削ぎ取った。
「駅ビルで売ってた物の方がずっと安かったなー。名前違くても同じ香りな気するし」
慎重に何度も|試香紙《ムエット》を嗅いで、やっぱり同じだ、と確信を得たとばかりに呟く。
「見た目も一緒なら、あっちの方がいいかぁ。はあ、バイト入れなきゃ」
学生らしい口振りを最後に、ヒバリは二人から距離を置いた。
すると女子高生たちも、気まずそうに別の商品へ興味を向け始める。
彼女たちの気が逸れた僅かな時間をも、コインは近くで活かす。領域内に揺蕩う心証を|コップの中の流動性《イン・マイ・セクター》であやふやにするぐらい、お手の物。
耳を傾けて貰いやすくなった店内は、同じ喧騒でも雰囲気に差が生じた。
その後ろで会社員の男女が吟味するのは、薔薇を模ったアロマポット。
「あ~っ、それめっちゃ良い! センスあんね!」
ひょこっと顔を出したコインが、気さくそうな女性と目線を重ねて笑む。いかにもこの分野に明るそうな|女学生《コイン》の言動は、女性にとっても無視できない要素なのだろう。
「こういうの、学生さんに人気だったりする?」
そう尋ねられたからコインもこくこく頷いて。
「うん! やっぱおしゃれなカンジのオトナ雑貨って嬉しいし」
「……いいわね。実は研修に来ていた子に渡したくて」
年頃の子の反応は参考になるらしい。香りやカラーなど助言を求められたコインは、暫く会社員二人に付きっ切りとなる。
同じ頃、店の外で聴衆を眺めた初の眦は、ほんのり和らいでいた。
音色に惹かれ集まった人々は、初の演奏を友として身を揺らし、種々の笑顔で場を彩っていた。店の軒先を飾る薔薇よりもずっと鮮やかに。
(「この人たちも一般市民、なんだよな。それも罪の無い」)
すぐ傍で培われる悪意すら知らぬ彼らの平穏へ想いを馳せ、胸が痞えた。許せない、という一心が曲へ籠もる。
そんな心持ちも伝播したのか、通行人の関心は初に吸い寄せられ続ける。おかげで後から入店する人影も無く――初はそこで、はたと手を止めた。
「あの、うちの店の前でそういうの、やめてもらえます?」
店員が苦情を告げに来たのだ。
「許可も間合いも取ってるし、音量も抑えてるけど……他に問題が?」
毅然と対応する初に、業を煮やしたのだろう。店員は店の脇から続く路地を視線で示し、こう促す。
「埒が明きませんね。……裏で話しましょう」
初はその誘いを断らなかった。
店でも流れは進んでいる。
話に華が咲いたところで、コインがいよいよ行動に移したのだ。
「あっこでもうちょい話さない? せっかくだし」
言いながら店の外を振り向く。路上で誰かと話している初の傍に、ちょっとしたベンチも待機している。準備は万全だ。
「実は……他のオススメなお店も知ってるんだ」
参考になる情報を増やす囁きを添えれば、承諾までは瞬き程の間だった。
先ほど聞こえ漏れたヒバリの呟きも、会社員たちの中で尾を引いていたのだろう。
会社員コンビとコインが出ていくのを見届けて、ヒバリは店の象徴たる薔薇のことを店員に尋ねる。
「見たことない品種ばっかりで、すごいなあって!」
「薔薇にお詳しいのですね」
「まあねって誇りたいけど、店員さんと比べたら全然ですよー」
はにかむと店員が微笑んだから、機を逸さず踏み込む。
「この辺りで栽培されてるんですか? もっと見たいなぁ」
キラキラした眼差しで射貫くヒバリに、相手も嬉々として。
「店の裏側に作業場がございますよ。……見学なさいます?」
そう誘った。
●繋ぎ目
お客さんを働き蜂にしようだなんて、なんて不届きな花だろうか。
ヴァレリーは軒先で揺れる薔薇を眸に映し、苦みを噛む。作戦が進んでも、店はヒーロー側の動きだと捉えていないようだ。
内緒だよ、と人差し指を立てた時の、照れるような海老の様相を思い出して、ヴァレリーが片頬を擡げる一方で、鳳華はいよいよ溜息を落とす。
――それぞれの誘いにも、頑として反応しない客が数名いる。
店の外で状況確認に勤しんでいた鳳華としては、焦れったさも覚えてしまうぐらいに。
「あと少しなのに……」
現場から完全に市民を避難させれば、協力者に詰め寄るのも、店を詳しく調べることも叶う。
思案を巡らす鳳華の鼻腔へ、そこで微かに届いたのは。
変なにおい。
それは仲間の働きかけで生じたものだった。
時を遡ること十数分。
ユッカ・アーエージュ(レディ・ヒッコリー・h00092)も客の一人として足を運んでいた。仲間たちの様子を眺めて時に微笑み、時に見守り、短いひとときの色付きを堪能する傍ら、商品を眺めていく。
あら、と不意にユッカは声を零す。様々な薔薇を用いた品々は統一感もバラエティの豊かさも保ってはいるが――薔薇の精霊らしき姿が見当たらない。
悪い力で歪み、捻じ曲げられた可能性も念頭に置き、充分警戒しながらポプリへ顔を寄せる。
「ん~? 変なの。全然いい匂いしないわねぇ」
陰口を落とすことに抵抗を抱きつつ、前振りとして必要だったから。
「おかしなお店」
呟きの葉をひらりと舞わせて、来客たちの思考へ波紋を生ませる。
(「悪の組織というのは本当、困ったさんね」)
草花を悪事に利用されるだなんて、見過ごせない。
まもなくユッカは囁く。力を貸してと、ひとの耳には届かぬ音を紡ぐ。
そうして心通わせたのは、店が入った建物を遊び場とする精霊たち。水や風をはじめ、一帯の土地を本来拠り所としていたかれらは、ユッカの内緒話を楽しそうに聞いていた。
「今なら悪戯しちゃって良いと思うわよ」
やりすぎないようにね、と一言繋げてユッカは精霊たちの『お遊び』を待つ。
その間、客を外へ誘導する仲間たちに邪魔が入らぬよう、折を見て店員へ声をかけるなどして隙間を潰した。
やがて事態は花開く。
一般客の嗅覚を刺激し、こころを乱す薔薇の薫りで満ちた世界は。
「……なんかヘンな匂いしない?」
不快を示す客の声を機に、色を変えた。
よく吸い込んでみないと勘付かない程度の、異臭。それこそが、水と風の精が奮発して施した悪戯――下水の空気を店まで押し上げた、さりげないもので。
気付かぬ客も多いが、カップルはそそくさと退店した。
(「力づくの手段を用いなくて済んだのは、良かったわ」)
荒事で客や通行人を巻き込むより、だいぶ穏便だ。
そして再びユッカは語り掛ける。|遍く御座す全ての友よ《アブソリュート・トーカー》、と善き隣人へ呼びかける。
やっと気付いた老夫婦が転ばぬよう、ユッカが足元へ注意を払い、精霊は店近くの仲間へ加護を招く。
序盤、|仲間《コイン》が拡げた√能力も功を奏している。当時店内にいた客は、避難の際に手足を打ったとしても、回復できる状況にあるのだ。大事にはならない。
ユッカがちらとスタッフを一瞥してみれば、異臭騒ぎで客はいなくなった一方、店員はてんやわんや。暫くは彼女たちを、店内に留めておけるだろう。
そのときだ。
店舗横の路地裏から、ギターの音色が響いてきたのは。
第2章 ボス戦 『『マンティコラ・ルベル』』

ギターの音色は、店の脇――入り組んだ路地へと√能力者たちを導いた。
踏み込んでみれば、店の裏手へと誘われていた二人の姿があり、更には。
「おかしいですわね、こんなにお邪魔虫が発生していたなんて」
薔薇がある。
馨しい薔薇が咲き乱れ、花弁を躍らせ、時々ぼとりと花が落ちて。生と死を繰り返すような薔薇たちの様相を伴ったソレは、紛うことなき悪の怪人。
かの女は、女の姿をした怪人は、薄暗い路地にあっても艶やかな色彩を放ちながら言う。
「まあ何でも構いませんわ。厄介な枝は、ここであたくしが剪定すれば済む話」
艶やかな口紅で弧を描き、怪人は|咲《わら》う。
かの者が笑み、動くたびに、店を成していた数々の薔薇と同じにおいが漂いだす。
「さあ、道ゆきを阻む者どもよ、わたくしの薫りを抱いて眠るがいい!」
背の高い建物たちが見下ろす路地裏に、ギターの音が切々と吹き渡る。
奏者の西織・初(戦場に響く歌声・h00515)は、ビル群の影が圧し掛かる路地を――井戸底のような暗さが支配する風景を、彩り続けた。
近くでは薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)がうんうんと頷きながら敵影を見据えている。
「やー。黒幕さんが案外近くにいてくれて助かっちゃったなー」
そうして導く者と、堂々たる姿で現れた怪人とがにらみ合う場へ踏み込んだ緇・カナト(hellhound・h02325)が、両者を見て笑う。
「はは、いいねぇ」
何やら謀を働いていたと聞き、駆けつけてみれば。悪の怪人はのこのこと路地裏を出歩く始末。
(「ま、逃げ隠れしないで出てきてくれたんなら僥倖」)
殴れば良いだけ。今から成すべきことは単純明快であるがゆえ、カナトの意欲も募る一方だ。
そうして「人数が増した」という視覚と同じぐらい明瞭に、変わらず壁から空へこの上なく良く伝う音がマンティコラ・ルベルを惑わせる。
「未だやめぬだなんて随分と呑気ですこと」
女の笑みに合わせて蠍型が放たれる。かれらはまるで観客と化すかのように、初を目指した。
今のうちに、と合図の代わりに弦を強めに弾く。
隠れる気など初にも更々ないが、蠍がひしめく路地で動くのだ。主導をこちら側が握るに限ると考えて、仲間たちを瞥見した。
初の演奏に蠍型が誘われている隙に、暗夜の色で毛並みを染め上げた黒兎が、跳ぶ。
リリアーニャ・リアディオ(最期の頁・h00102)は華やかな香気を振りまく敵を視認した。薔薇の花を、色香を纏うのは他でもない怪人。
考えただけでリリアーニャも吐息を零してしまう。惜しいわね、と呟きつつ指先で宙を撫でて、足場から足場へ飛び移っていく。
「立派に咲いた花には、何の罪もないのに」
薔薇だけではない。素敵なお店。そこに出入りした人たち。
数えた分だけリリアーニャの思考を濁らせるのは、怪人が日常風景として在ったすべてを『巻き込んだ』という事実だ。込み上げた情が足の温度を上げる。
彼女が景色と空を蹴っていく間、声を発したのはヒバリだ。
「そういえば名乗ってなかったね」
バーチャルキーボードのKey:AIRをタカタンと軽やかに打ち、小型無人兵器レギオンを呼び出しながら掛ける声。
「私はヒバリ。枝から枝へと飛び移って、あなたのその花を散らしてあげる」
おかげで地上は蠍やレギオンが行き交い、賑やかな舞台となる。
得意げにヒバリが告げるやレギオンたちが披露するのは、かごめかごめの唄を彷彿とさせる挙動。ぐるりとマンティコラ・ルベルを四囲して回ったかれらに、ヒッ、と悲鳴にもならぬ声を漏らして怪人が呻く。
「何てこと……あたくしを埃塗れにしようなどとッ」
「埃だけで済むならいいじゃんねー」
ヒバリの一声を機に、麗しき薔薇も艶めく蠍も構わずレギオンたちが撃つ。
一斉放射だ。
レーザー砲の輝きは、薄暗い路地裏を疾走する流星のようで。
「ね? ね? すごいっしょ? やる時はやる子たちなんだからね」
誇らしげなヒバリの『CODE:Chase』を直に浴び、怪人は肩を震わせた。
「この身を汚そうなどと、赦しませんわ!」
またしても女の元から蠍型が躍り出る。
ふとヒバリが目線を外した先では、初の足元へ纏わりつこうとした薔薇の印たちが爆ぜていて。けれど初は、壁際のゴミ箱やコンテナを足場に避けて回る。
「意外と素早かったな。でもうん、当たらなかったら問題にならない」
初を追っての爆破は彼を足止めできぬまま。そしてヒバリを総攻撃した蠍型もまた――展開されたDef:CLEARの|障壁《バリア》に勢いを吸われてしまう。
「ふぃー……強気マインドで悪さするのは良くないよね」
「ふふ。小娘に解るはずもありませんわ」
胸を張ったまま揺らがない怪人を遠く見やって、ううん、と初が小さく唸る。
「いつ言おうか迷ったけど……」
それまでギターを弾いていた指を虚空へ捧げ、乾いた風を感じたら。
「俺の演奏で興味を無くす程度なら、確実に失敗していたよ」
「なっ、あたくしが!? 失敗ですって!?」
怪人の澄ましたような口許から、湿った熱を溢れさせる。もちろん初も特に躊躇う理由もないから、ゆっくり頷いてみせて。
まもなく「降り注げ」と唱えた。
彼の歌が『|属性音:涙雨《エレメント・レイン》』を招き、ざあざあと薄暗い路地を満たす。降るのはもちろん只の雨ではなく、水の弾丸だ。
マンティコラ・ルベルを数え切れないぐらいの雨が叩く。
圧し掛からんばかりの重い空気で、路地が独特の色を生み出す。
「報いを受けるといい。悪事に手を染めた者の末路は、決まっている」
「本当よ」
怒りに耳を膨らませたリリアーニャが溜息交じりに呟きながら、清らかな棘で牽制する。
「まさかお叱りだけで済むと思っているなんてこと、ないわよね?」
敵を睨みつけると、肝心の怪人はひくついた片頬をもたげていた。
「お叱りなんて誰からも受けませんわ。あたくし、負けませんもの」
「……そう」
憐れむでも呆れるでもなく、ただ淡々と怪人の反応を受け止めたリリアーニャが、その女の腕を蔓で払う。のびやかな蔓に弾かれた腕を引き戻す頃にはもう、魔女の咲かせた花が眼前にあって。
「薔薇を好むなら、さあ、私の可愛い子たちも見て?」
リリアーニャを貫かんとしたルベル・アローとすれ違うようにして、花弁という名の大きな口を開けた人喰い薔薇が――怪人の片腕へと喰らいつく。
それこそがリリアーニャのもたらす『|黒薔薇の呪い《スペル・オブ・ローゼズ》』で。
「ああ、なんて美しい薔薇、ですの……?」
闇が滴る可憐さに、マンティコラ・ルベルがほうと感嘆の息を落として見入る。だからリリアーニャも、ふ、と浅い吐息の|後《のち》に言葉を紡ぐ。
「どんなに綺麗でも、咲き残れるのはいずれかひとつだけ」
底無き色を宿す美しい薔薇は、女の片腕を喰らったまま咲き誇る。
「私の可愛い子こそが、未来まで咲き続ける花だわ」
「ぐっ、ゥ……そんなことは……!」
「あるだろうよ」
同意を示すように口を開いたのは、カナトだ。
銃口を怪人と黒薔薇の狭間へ向けて、呼気を一瞬止める。悪の怪人が拡散し続ける匂いが、実に鬱陶しい。
「それだけ振り撒いていたら、散るのも早いだろうな。ああそうでなくても……」
構えた精霊銃が光を求める。カナトの想いを籠めた弾は、かのマンティコラ・ルベルが生み出す鮮烈な赤にも、悪意の匂いにも興味が無い。彼の知る美しさは、もっと濃くて手の届かぬ夜にある。
「バラ共々、引きちぎってやろう。どうせ……」
そんなに強くはない。
怪人と薔薇を示唆するカナトの呟きに、マンティコラ・ルベルの唇が怒りを刷くも。
(「仕事は早く終わらせるに限る」)
カナトは口端を上げ、エレメンタルバレットの『雷霆万鈞』で毒々しい怪人を撃ち抜く。女へ弾丸が届いたと誰もが視認した直後、爆ぜた音と粉塵が空気を震わせる。
ぴり、とひりつく感覚はしかも――仲間たちの糧となった。帯電を纏う√能力者たちが集う中、カナトは敵を顎で示す。
「どうせアレも下っ端にすぎない」
「こ、このあたくしを……アレ呼ばわりとは!」
怒りで拳を震わせたマンティコラを前にしても、カナトの態度は揺らがずに。
「事実だ。親玉に使われてるだけの怪人なんてのはな」
「あたくしは期待されているの、どんな指令も成功させてますのよ!」
地団駄を踏んだマンティコラ・ルベルは、サソリの尾針がついた髪鞭で彼の舌を切ろうとする。だが触れようにも雷の余韻が、怪人自身を苦しめた。
そこへ思いついたようにヒバリがぐいと顔を近づける。怪人に物申すために。
「あんね、エモい気持ちを利用するの、よくないよ」
「ふん、その程度で揺らぐから弱いのですわ!」
店という形を利用した敵にはやはり、後ろめたさの一つも無いらしく。
それでもヒバリは「そっかなぁ」と首を傾いだ。
「可愛いものが好きとか、あの人を喜ばせたいって気持ちは、強いよ」
知らないの? と問うように告げる。あまりに無邪気で純一なる投げかけは、怪人の唇を固く引き結ばせた。
仲間たちがそうやって投げかけてきた想いの数々を、傍でユッカ・アーエージュ(レディ・ヒッコリー・h00092)も耳にしたから。
何故。どうして。
マンティコラ・ルベルへ問い質したい気持ちが募ってやまず、眉根を寄せた。
踏み入った路地裏が、いかに薄暗く陰鬱とした空気を漂わせていても。
艶やかな色とかたちを。馨しい薫りを。立派に咲かせて身を飾ること自体は、美しいはずなのに。
(「それでも尚、悪徳に身を堕とす誘惑というのは強すぎるのかしら」)
悪の華として周りを傷つけていく生き方に、理解は寄せられない。
だからユッカはかぶりを振って、怪人を――罪なき者を陥れるだけの、揺るぎない邪悪の塊を見据えた。
「お灸を据える必要が……あるみたいね」
声が、震える。
普段であれば浮かべない面持ちに、ユッカ自身の心を乗せて。
腹の底まで冷たい空気を吸い込んだら、戦場を見守るか、あるいは惑うしかない精霊たちへと呼びかける。
共にあの怪人へ、教えてあげましょうと。
そうして戦友となる精霊たちの視線を受け取り、手を掬い、彼女は広がりゆく薔薇の香気に抗う。危険な薔薇を纏ったマンティコラ・ルベルが駆けたところで、ユッカを驚かせるには値しない。
「私が、貴女を倒すわ」
ケープを脱ぎ去り、静かな呼吸の果てにユッカはルベル・アローへの反逆の意志を返す。
「……|多重恩寵・春《エレオス・エアル》」
光で路地を照らしたユッカが第一に放つのは、春の息吹だ。
生命の始まりを連想させる春の力強さを伴い、赤き矢を弾いたら。精霊たちの想いを結んだ目映さで、怪人を眩ませる。
残る片腕で輝きを遮ったマンティコラ・ルベルが短く呻いた次に視認したのは、己の赤が的へ届かなかった光景で。
「何回繰り返しても同じよ」
ユッカはそう言い切る。
「貴女がまたしでかそうとしたって、結果は変わらないわ」
「結果ですって?」
「ええ、そう。聴いていたわよね? 失敗するだけだと」
他の√能力者たちから。真っ直ぐに。
思い起こさせるユッカの言葉運びに、マンティコラ・ルベルの尾が震えた。怒気を隠さぬ蠍の尾をも、ユッカは澄んだ月を思わせる瞳に映す。
「私とこうするのはね、自然の脅威を相手取るようなもの、と思ってちょうだい」
言の葉で気力を削ぎ落としつつ、彼女が次手に仕掛けたのは、夏の鼓動。
「|多重恩寵・夏《エレオス・セーロス》……」
知られざる力を覚醒させながら、眉に迫った赤き矢を再び吹き飛ばす。
「どういうことですの、あたくしの……あたくしの一撃に落ちないなんて」
困惑の怪人をよそに、ここまで段階を踏んできたユッカは、灯した腕力を連れて光の翼を羽撃かせた。
「――|多重恩寵《エレオス》!!」
彼女の走った軌跡を、光が描きあげる。
舞った羽根|一片《ひとひら》が、精霊の声援がユッカを見送る。
いずれも一瞬の出来事だった。それこそ怪人がまばたきをする暇も持てないほどに。
ユッカはその素早さで以て近づく。
しかし怪人とて黙って見過ごしはしない。薔薇を宿す蠍型の群れで翻弄しようと試みた、マンティコラ・ルベルのその動きでさえも、ユッカは風の戯れであるかのように払いのけ――ぐっと手首の形を整える。
「許されないことをしたのよ。わからない?」
精霊たちの加護を得た掌底で打ち、マンティコラ・ルベルの胸元を抉った。
ふらつく女の上半身が大きく揺れ、一撃の重さを知らしめる。
昼寝を食む猫すら存在せぬ建物たちの谷間。表通りの喧騒から切り離された路地裏で、戦火の交わりが寒々しい景色を唸らせていく。そんな中でマンティコラ・ルベルがギリリと苦みを噛み締める様を、ヴァレリー・クラヴリー(一杯の平穏・h01101)はヒーローマスク越しに目撃した。
揺らぎに揺らぐ怪人の姿にヴァレリーが息を吐く。
「人心を惑わす不埒な悪は……ここで刈らせてもらう」
言うが早いか、羽根飾りを靡かせて黒服のヒーローは疾駆した。路地から路地へ、時おり壁を蹴っては方向転換を連ねて、赤蠍の視覚を惑わせていく。怪人としても意識せざるを得なかった。この戦場よりも濃い黒を、これでもかと滾らせて走る人影は。
こうして、赤と黒が新たに暗がりで灯る頃。
わぁ、とコイン・スターフルーツ(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00001)が感想を言葉に換えた。
「キレイ! 紅の色! すっごくキレイだね!」
突然の褒め口撃に驚いたのだろう。ふん、と顔を逸らしたマンティコラ・ルベルの声音もやや震える。
「あたくしの良さが分かる者もいるようですわね」
「せっかくだし、もっと薔薇をひらひら~って踊らせてよ!」
「それぐらい朝飯前ですわ」
煽てられた怪人が瞬く間に花嵐を生み出せば、コインも全力の拍手で彩って。
「ヤバーッ、悔しいけど映えすぎっ」
はしゃぐ様子で怪人の意識を惹きつけたコインの、その後ろ。
薄暗い路地に転がる砂利を踏みしめて、黒栖・鳳華(閃甲令嬢・h00099)は敵をねめつける。
(「あの薔薇が……多くを惑わそうとしたのなら」)
鳳華は右手へ意識を集わせ、ライトキャリバーをしかと握り締めて歩き出した。
その間も花に嵐、薔薇に蠍と怪人の呼び集めた蠍型が、減速せずにいるヴァレリーを狙うも、スコーピオン・ローズの魔の手すら彼は翻弄した。赤外線での索敵を果たしたとて、目まぐるしく動く彼を捕え切るのに手間取っていたのだ。
「ええい、ちょこまかと! さっさと落ちなさい!」
痺れを切らしたマンティコラ・ルベルが、かのヒーローの足を止めるべく、間近へと迫る。しかし――花開きて風雨多し。
「甘いな」
一言と共に灯したヴァレリーの『|Homme mort fait guerre.《オム・モール・フェ・ゲール》』が、路地でもはや見物人と化していたインビジブルと現在位置を入れ替える。
魚らしい目をますます丸くさせたインビジブルは、形を保っていられない。蜘蛛の巣を思わせる網が、蠍も薔薇も絡めとった。只でさえ色褪せ、喰われ、汚れたマンティコラの身が軋む。
「そろそろ悪事の継続なんて諦めるんだな」
体勢を崩したマンティコラ・ルベルへ、ヴァレリーが告げる。怪人は鼻で笑った。
「華麗なる悪に、諦めという花は咲きませんわよ!」
気概を損なわずに怪人は赤を咲かしていく。
そこで、鳳華の眼差しが敵を射貫き、口唇が空気を震わせた。
「そちらは想定外なんでしょうけど……」
表通りの明るさを背に、鳳華は暗がりの怪人を眼差しで圧する。
「アナタが出てくる流れは、とっくに織り込み済みよ」
「ふふ、でしたらその考えごと、あたくしが叩き潰すまで」
尚も懲りぬ様相を目にしたコインが、鏤められた蠍型を視界内へ収めて。
(「あーあ。これが悪い組織じゃなかったらなあ」)
想い馳せつつ、ポーチへ手を入れる。
こうして路地裏という舞台が乱れに乱れた、その果て。
機を窺っていた鳳華が、標的を捉える。
鼻腔を相も変わらず擽るのは、やはり薔薇であったけれど。
惑わされないわ。美しい薔薇をいくら保とうと。
揺らがないわ。路地を吹き抜ける風が、どんなに薔薇の薫りを届けようと。
何度目かの夜を越えた今日このとき、『現在』と呼べる瞬間へ|模擬演習《シミュレート》の成果を結びつけるすべだって、鳳華は得ている。
だから、かかってきなさい、と手招いた。
煽られた敵が風切の音を連れて駆ける。決して狭くはない路地を薔薇の薫りが通り抜けるのを逃さず、鳳華は片足を軸にし、体をねじるようにずらす。
念には念をと光波が踊る実体剣で風ごと、敵の不敵な笑みを切り捨てたら――蠍めいた挙動で敵がルベル・アローを放ってきた。
しかし何の因果か、地面すら射抜けぬ矢となって、勢いが朽ちる。明らかな「失敗」だ。
「良いスピードだけど、残念ね!」
的にすら届かなかった哀れな矢を、鳳華は竜の力を模倣した強化外骨格で払い飛ばして。
「言ったわよね? 想定通りなのよ、全部」
鳳華の一声に連なり、コインがポーチにしまってあった「とっておきコスメ」を指先でなぞる。
「薔薇の薫りも商品なんだよね? じゃあほら、お金!」
「……何?」
マンティコラも思わぬ言動にぴたりと動きを止めた。だからコインも笑みを咲かせて。
「お代とか払わなくっちゃだよね、はいどうぞ!」
耐魔コスメをなぞっていたコインが怪人へ与えたのは。
――チャリン。
始まりを報せる一枚の金貨。
けれど直後、大量の金貨の雨が降り、マンティコラ・ルベルを眩い輝きで埋め尽くす。
「あなたが日常を壊そうとしたからだよ!」
明るい声音のまま告げるコインを、動きの鈍った怪人がキッと睨んだ。
「人間如きの日常なんて、あたくしたちの礎になるのが幸福ですのよ!」
「そんなの、私が絶対ぜっったい止めちゃうんだから!」
告げながらコインは、襲い来る蠍の爆発を避けていく。
「わ、わっ、っと……セーフ!」
鮮やかな身のこなしで避けきったコインの後背を、ささやかな爆風が撫でるだけに留まった。
マンティコラ・ルベルは疾うに膝をついていて。
「話して貰おうか。君の組織は何を企んでいた?」
穏やかな青に確かな意志を灯して、ヒーローマスクの下からヴァレリーが尋ねる。
すると悪の怪人は、くつりと喉を鳴らして笑い――最期の言葉を花開かせる。
「おまえたちヒーローにはできないことを……するだけ、ですのよ」
第3章 ボス戦 『『ドロッサス・タウラス』』

どうして、あのヒーローたちは強いのかしらと。
マンティコラ・ルベルは、結局かれらの言葉を理解できぬまま花弁を散らし、薔薇の残り香だけがそこかしこに転がる。
「あたくしは……立派に、役に……」
そんな囁きさえも路地をゆく冷たい風に攫われて、掻き消えたのだ。
店を支配していたものと同じ香りは、ほぼ消失した。まだ微かに残っているとはいえ、そのうち冬のにおいに混ざって跡形もなくなるだろうと。そうヒーローたちが路地の奥へ目をやったなら。
――ブルォォォゥゥッ!!
獣の咆哮が空気を、地面を震撼させる。
何事かと警戒を薄めずにいた彼らは直後、奥からやってくる巨躯を目撃した。
雄々しき体躯で金棒を振り上げた、新たな怪人の姿を。
「ルベルめ、下手を打ったなァ」
鼻息荒く唸った巨躯はしかし、消え去った薔薇を惜しむでもなく、蠍の死を悲しむでもなく、ただただ『阻む者たち』へ殺意の眸を向ける。
「我の指令通りに動いてくれたとはいえ、ヒーローなんぞにやられるとは」
言い終えた途端、かの怪人は重量感のある金棒で建物の壁を小突き、ヒーローの姿かたちを一人分ずつ捉えていく。
「まァ花の替えは幾らでも利く。ここは我がヒーローを叩き潰し、名をあげるとしよう」
はらりと落ちた赤き花弁を気付かず踏み潰して、雄牛めいた怪人は叫ぶ。
「我が名はドロッサス・タウラス! 逃げるなら今の内だヒーローどもォッ!!」
凶暴さで造り上げたかのような金棒が、けたたましい轟音と瓦礫片とで、路地を恐怖で満たそうとする。
だから踵で砂塵を踏み鳴らして、黒栖・鳳華(閃甲令嬢・h00099)は凶器の持ち主をねめつけた。
「逃げる、ですって? 誰のことを言っているの?」
「我の前にいるヒーロー以外におらぬなァ」
傲岸不遜を模ったかのようなドロッサス・タウラスが、幾ら鳳華たちを見下そうとも。
「こっちの台詞よ。逃げるならさっさと逃げなさい」
返す鳳華の声色は微塵も削がれない。簒奪者は抗う者たちを見渡して、やはり卑俗な嗤いを溢れさせる。
明らかな悪に肌が粟立ち、コイン・スターフルーツ(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00001)は腕をさする。
「セリフ! 叫び方! この感じ!」
パタパタと足踏みを繰り返して興奮を発散させたら、現れた簒奪者を指差す。
「あなたが事件の……黒幕っしょ!」
「如何にも!」
高らかに返答が響けば、コインとしても眼を爛々と輝かせずにいられない。スマートにポーズを決めて、余裕と油断で着飾ったドロッサス・タウラスへ宣言する。
「叩き潰すんだよね、ふふん、上手くいくかな?」
「我が強撃を受けて、無事な者などおらぬ!」
ずっしりした武器だ。殴られたらひとたまりも無いだろうとコインも理解して、笑顔で敵の眼を惹く。
「残念、この探偵がそうはさせないんだから!」
欣然と挑発したコインは唇へポテチを挟み、ぱり、と軽快な音を零す。
「やれるものならやってみるが良い!」
譲らぬ簒奪者へ、そこまで言うならとリリアーニャ・リアディオ(最期の頁・h00102)が言葉を連ねた。
「……力比べをしてみる?」
彼女の提案が向かう間に、大きく伸びをした薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)は、レギオンから仲間へワイヤーを繋ぎ始める。
――CODE: Assist、起動。
「接続中限定のサポートプログラムだよ。あ、みんながちょー強いことはわかってるよ?」
ヒバリが補足を告げている内に、サポートを受けた仲間たちはそれぞれ昂ぶりを感じ始めた。
「もっとイケてるところを見せてほしい的な?」
「バラを摘んでおしまい、といかないのが怪人相手だからな」
任されたとばかりに、緇・カナト(hellhound・h02325)も標的を一瞥しながら顎を引く。
(「怪人なんて腐る程いるけど、今度のは雄牛かぁ」)
せめて食べ甲斐があるようにと呟き、ドロッサス・タウラスの様子を窺う。
ああ、とリリアーニャは嘆息と共に視線を落とす。
――折角美しかったのに。
潤んだ青が映すのは、散らされた命。花として人々の眸を癒した名残が、物言わぬ路地の一部と化している。
「花に罪はないから」
しゃがめば、潰されて間もない花弁が微かに匂い立つ。だからこそ。
「とても……残念に思うわ」
胸裏へ靄を感じる。慈しむ気持ちが僅かにでもあったなら。
哀れむ心が少しでも芽生えていたのなら。
浮かんだ言葉を並べてはかぶりを振る。どれも此処に居る簒奪者には似合わない。
直後、低い風声が重たく宙を薙いだ。
タウラスの金棒が、支援を担うヒバリの脇腹を狙って振るわれたのだ。
ヒバリがすんでのところで飛び退けて事なきを得たが、金棒は宙を殴るしかなく――止まり切らなかった動きの余波で、年季の入った非常階段を無残な姿にさせる。
「ちょっとちょっと! 私、後方支援員なんですけどー!」
破壊力を目の当たりにしてヒバリが敵へ抗議するも、相手はフンと鼻を鳴らすだけ。
「ネイル欠けさせたら許さないかんね!」
ヒバリが口を尖らせると、簒奪者の目つきが怪訝そうになる。
「ネイルだとォ?」
「そーだよ、今日のお楽しみ用にお手入れしてきたんだから」
「今日のお楽しみだとォ!?」
ドロッサス・タウラスが怒声を轟かせた。
鼻息の荒さから、彼が苛立ちを募らせていると√能力者たちには分かる。
「我らの邪魔をしておきながら! 頭は他を考えているというのかァ!」
「ったり前じゃん。ってなワケで早く終わらせるよ」
雄牛の凄みなどに屈する気配は、ヒバリに無い。彼女にとってこれも『本日のお仕事』で、お仕事の後に予定を入れることなど珍しくない。
怒り任せに牛の巨体が地を蹴った。
――ああ、ほら。来る。
感覚で覚ったカナトの眸が、漆黒越しに敵を捉える。鋼鉄めいた敵の装備が武器の通りを鈍らせるのではと感じたから、夜の|輩《ともがら》たる影を|嗾《けしか》ける。
路面を這った猟犬が、吠える代わりに簒奪者の蹄を滑らせた。
「何ィ!?」
悪運はいつだって、大口をあけて獲物が落ちてくるのを待っているのだ。一驚に暮れたドロッサス・タウラスは、金棒を振るうのに僅かながら遅れる。
一拍。たった一拍でもズレたなら世界は一転するのだ。
敵もそれを察したのだろうか。ヴァレリー・クラヴリー(一杯の平穏・h01101)は、ドロッサス・タウラスが金属の煌めきを宿す瞬間を見た。ヒーローマスク越しでも突き刺さるぐらい、あらゆる存在の干渉も受け付けない眩さが、√能力者たちの前に佇んだ。
アクチュアル・タウラス――それはヒーローも怪人も問わず、すべてを拒む。拒んだ上で星炎の|息吹《ブレス》で戦場を支配するのだ。
ならばとヴァレリーが瞥見した先、誰が居る訳でもない空間へ彼は尋ねた。
「一寸、協力してくれるかい?」
応じる声はなくとも、ヴァレリーには感じ取れる。姿なきインビジブルが、平穏な日常から遠ざかった路地で彷徨うインビジブルが――彼と立ち位置を変えた。綺麗に入れ替わったのだ。それも瞬時に。
「今だ」
敵のエネルギーが枯渇する頃合いを見計らって、ヴァレリーが声をあげれば、すかさず火花めいた輝きが散る。鳳華の持つ一振りのライトキャリバーが、暗がりを裂いていく。
駆け回る間も、コインは塩気で意識を研ぎ澄ませていた。少女の脳裏を過ぎったのは先ほどの簒奪者の言葉。
(「花の替えはきく、ね」)
痛いとか苦しいといった感覚はないけれど。胸でほんの少しだけ、せつなさが産声を上げる。
「……敵だったのにな」
やりきれなさを咀嚼したら、ポテチはあっという間に粉々になって、溶けてしまった。
つい先刻そこで散ったルベルを思い起こしたのは、鳳華も同じで。
(「方向性が違うだけだった。成し遂げようとする意志は、確かにあったから」)
想い馳せれば眉根も寄る一方だ。だからライトキャリバーの切っ先を敵へ向け、鳳華は突進していく。
風も残り香も、すべてを切り拓いて疾駆した勇ましい足。止まり木を持たぬまま、曲芸めいた軽業で敵の視覚を騒がせつつ、発するのは。
「何を企んでも好きにさせないわ!」
自分たちが阻む者であると突きつけるための一言。
「グブルゥゥ……ッ、ヒーローどもに我は止められぬゥ!」
「いいえ。その夢は間違いなく潰えるの。今ここでね」
新緑を思わせる|眼《まなこ》で鳳華が示した不動の精神に、ふざけたことを、とタウラスが唸る。けれど恨み言さえも、光の前では掻き消える。
光を迸らせた手斧が、雄牛とも呼べる姿めがけて舞ったのだ。
シュルリと風を切る音さえも鋭利で。
ドロッサス・タウラスの巨躯が、その音ごと刃を弾き飛ばすべく金棒を振り回した刹那。
「用があるのは、こっち」
手斧を投げたカナトが指し示すのは、タウラスの上腕部。
ドロッサス・タウラスの腕を痺れが駆け抜け、ひりつく。
軋み、ばきりと響いた音は簒奪者の片腕が折れた時のもの。
「ぐ、ゥ……何故これほどまでェェ!」
耐え切れず金棒をがむしゃらに暴れさせたタウラスの手で、路地裏を囲う外壁のそこかしこが折れ、抉れ、ヒビが伸びる。
けれど「大丈夫だよ」と仲間たちの耳にコインの声が聞こえた。皆が眼だけ向ければ、踊る金棒や曲の影響を受けないよう動き回るコインが、頷く素振りを交えている。
そう。領域内にあったものは『|コップの中の流動性《コインが展開した力》』の影響を受けた状態だ。傷つき、或いは四辺の建材が欠けても、時間の経過で戻る。
「その名も、持久戦でじわじわ削ってく作戦!」
どうだと言わんばかりに胸を張り、コインが口角を持ち上げる。
実際、振るえば総てを壊せた牡牛にとって、『時間が経てば戻る』光景は屈辱でしかないだろう。
「ブルグァァォ!!」
苛立ちを宿した星界金棒が、近くにいた鳳華の脳天を狙う。
しかし鳳華はライトキャリバーを自身と金棒との間に置き、辛うじて肩口が打たれるだけに留めた。だというのに全身が打ち砕かれる心地だ。思わず苦痛を噛み殺し、狂った牡牛の二本目の腕が折れるのを視認して。
次に仕掛けようと向き直った時、レーザーブレードが彼女の傍にあった。
「替えは幾らでも利くなんて言ってる内は、アンタは絶対に勝てないわよ!」
簒奪者の力なき腕を切り落とし、|均衡《バランス》を失わせる。
ぐらつき悶えるタウラスへ、今度は闇を纏ったカナトが紡ぐ。
「自覚が無いなら、教えてあげるのも良いか」
花の替えが幾らでも利くなんて、余裕をかましている相手でもある。突きつけてやれば感情のひとつも乱れることだろう。
「もう支えてくれる|存在《ウデ》はない。手駒扱いも幾らでもいるって、知っていた?」
カナトの言を受け、ギギギとタウラスが憤りと悔しさを咬み潰す音が零れる。
ほらぁ、とヒバリも息を吐いて。
「仲間は大切にしなきゃじゃんね」
――仲間。
鮮やかな響きは、耳にしたヴァレリーへ思い起こさせる。簒奪者の怪人のことも、花も、悪しく扱うタウラスの生き様。ヴァレリーの喉をそこまで冷やす光景だ。
(「意識すると気分が悪くなる」)
隙を逃さず、散乱するゴミを足場にして路面を滑っていく。
銃口も持ち主同様に迷わず、ブレず、タウラスの足を的確に撃ち抜いた。簒奪者の呻きと銃声が空へ昇り、消えるより先にタウラスがよろめくも。
「おのれぇえぇ! ヒーローどもォォッ!」
雄牛のスマッシュは、路地を叩き割らんとする勢いでリリアーニャへ迫る。重量のある一撃はしかし、微睡を湛えた彼女を折るに至らない。
だってほら、そこには――もうひとりの|わたし《リリアーニャ》がいる。
影が簒奪者の視界で揺らめけば。僅かでも気を取られてしまうもの。しかも此方はヒバリの力で反応する速さに磨きがかかっている。ゆえにリリアーニャが浴びるのは、一撃の余韻となる破片たちのみ。
金棒がアスファルトを抉った直後、リリアーニャの細腕がしなやかに伸び、悍ましい獣の手へ変化した。覚醒した本能によって黒光りが妖しく走った刹那、鋭利な爪が簒奪者の胴へ穴をあける。
「|英雄《ヒーロー》だなんて。私は、そう呼ばれるような存在ではないけれど」
巨躯の懐で彼女が囁く。
「勝機を見誤るほど愚かではないわ。粗雑なお前と違って」
腹立たしさを包み隠さず告げ終えると、ドロッサス・タウラスはまるで人形のように崩れ落ちた。
何故、とタウラスが問う。幾度も問い、理解が及ばぬ存在を睨んだ。
すると仰臥した彼に影が掛かる。ヒバリが顔を覗き込んだのだ。
「ごめんだけど私、時間は守る系なんだよね。おつおつー」
こうして、意気揚々とヒーローを倒すつもりでいた牡牛の怪人は、悪行を進める余裕もなく朽ちていった。
路地に薔薇の残り香が煙る。しかし其処にはもう、悪の薫りは漂わない。