彩相‐ラプラスの反証
ぼんやりと歩いていた少女の足が、ひたりと止まった。
俯いていた視線が上向き、闇色の眼がゆっくりと周囲を見渡す。微笑みの形で閉じていた唇が、僅かに綻んだ。
吐息に紛れて転げ出たのは、きっと短い間投詞。そこに、遠浅の砂浜で小指の爪先ほどのシーグラスを見つけたような『気付き』があったのは確かだ。
少女の足が、少し早くなる。
夜よりも深い闇色の衣服が風にはためく。裾が落ち着く間もなく、少女は誰かの隣にひたり。
――Ankerに殺されたEDENはもう生き返らない。
「 」
誰かの耳朶へ、少女が何かを囁く。
そして困ったように眉を下げ、へにゃりと相好を崩す。
「……ごめんね、ありがとう」
■■であった時と同じ笑みで、少女が呟く。
『ちがう』
これで終われる。満ちるのは、安堵か、赦しか。
『ちがう』
振り下ろされる誰かの手を、少女は変わらぬ笑顔で受け入れる。
『ちがう、ちがう。ちがわないけど、ちがう――!』
🌼🌼🌼🌼🌼🌼👿🌼🌼🌼🌼🌼🌼
花の香りが漂っている。
花と言うより緑の匂いかもしれない。
噎せ返る程のものではないのにどうしようもなく胸騒ぎがして、|戀ヶ仲《こいがなか》・|くるり《ーーー》(Rolling days・h01025)はきつく眉を顰めた。
「おはなし、聞いてもいいかなぁ」
自分のそっくりさんがいる。
違いは瞳と服装の色だけ。顔立ちや背格好は、まるっきり鏡写し。
「うん、うん。そっかぁ」
耳馴染みの好いやわい声。けれど向けられているのは|自分《くるり》じゃない。
そっくりさんは優しく誰かに寄り添っているように見える。そっくりさんの目には、弱り切った第三者が映っているに違いない。
くるりには見えない。
(――、ッ)
見えないのに、視得る気がしてくるりはえづいた。
背筋を冷たいものが伝う。そのくせ内側は熱くて焦げ付きそう。
「そんなことがあったんだね」
そっくりさんは否定しない。そっくりさんは肯定する。
それは無責任で虚ろな包容。ひび割れた心に染み入る甘い毒。
(だめ、だめ。だめだよ)
くるりが伸ばした手は、そっくりさん達へは届かない。その間にも、そっくりさんは優しさで浸食する。
「だいじょうぶ、きみはなんにも悪くないよ」
そっくりさんが細めた瞳の闇は底無し。鷹揚な首肯に衣擦れの音を立てる服は、さながら一切の光を吸い込むブラックホール。
(だめ、だめ、だめ! だめだってば!!)
分かる。
心がぐらぐらしている時、あんな風にされたら簡単になびいてしまう。
なびくまで、そっくりさんは一時間でも一日でも一週間でも傍にいて、話に耳を傾け続けてくれるだろう。
分かる。
けれど。
「落ち着いた? 良かった。じゃあ、のろ――」
「だ、ダメだって、言ってるでしょっ」
踏み出したくるりは、ひっ、と息を飲んだ。
光のない目がくるりを見ている。くるりへ目を向けたまま、うっそりと笑みを深くしている。
とてもとても、幸せそうに。
「――、ぁ」
(なんで!?)
喉に閊えた声を、くるりは心で叫ぶ。
分かっている。
闇の色を纏うそっくりさんは、ただのそっくりさんなんかじゃない。
(……あれは、私)
ごくりとくるりの喉が鳴る。
心臓が痛いくらいに跳ねていた。激しく脈打つこめかみから、まだ出血してない方が信じられない。
昏い目をして恍惚と微笑んでいるのは、くるり自身。
分かっている、分かってしまえる。だからこそ、分からない。分かりたくない。
「っ、そうだ! アクマ!」
見出した一筋の光明が、不快の圧をぶち破って声を世界へと押し上げる。反射で吸った息が、わずかに息苦しさを遠ざけた。
(絶対にそう。あれはアクマになにかされた私。でも、何を――)
「おはなし、聞いてもいいかなぁ」
「ひぃっ」
答えを求め懸命に巡らす視線。不意に割り込むモノクロな笑顔に、身の毛がよだつ。
「くるしいの? かなしいの? いくらでも、聞くよ」
「聞かなくていい!」
くるりは叫びながら、闇色くるりの傍らに人影のような靄を視る。間違いない、アクマだ。けれど確信と同時に、新たな疑念が芽吹く。
「どうして、そんなに幸せそうなの!?」
分からない。自分がアクマの隣に在って、幸せそうにしている理由が全く分からない!
「こわいの? おはなし聞くよ」
「私は、そうはなりたくない!」
ありったけの理性をかき集め、くるりは闇をねめつけた。
分からないけれど、くるりの心は折れていない。アクマに屈しないという強固な意志がある。
「私はあなたには絶対に、ならないっ」
握った拳の内側に爪を突き立て、くるりは吼える。その強い拒絶に、ふと闇くるりの表情が揺れた。
「私は、居なくなった方がいいのかな?」
困ったように眉を下げ、へにゃりと崩れた相好は完全な鏡写しで。
「ちがう、ちがう。ちがわないけど、ちがう――!」
花の香の向こう、うっすらと何かが匂った。