ありえた世界
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「こちら、735。任務を遂行します」
黒いスーツ姿、仮面を身につけた一人の簒奪者は、淡々とした口調で通信を入れる。
『了解』という返事を聞いてから、735と名乗った簒奪者は任務を遂行。正義を名乗る存在が現れる前──どれだけの悲鳴が聞こえたとしても、気に止めることなく粛々と悪事を働く。
場所は、√マスカレード・ヒーローのとある街。
この世界の悪の組織は、ヒーロー達によって影で運営されていた。ヒーロー達が輝かしい活躍をするために、自ら悪の組織を運営するのが当たり前となっていた。
735と呼ばれた戦闘員もまた、組織の中で意思疎通能力・怪力・感情抑制装置などの改造を受けて育った。今の生活が当たり前で、何一つ疑うこと無く任務をこなす日々。けれどそれは、ある日突然変化を迎えた。
怪人がクーデターを起こした。
正義のヒーローに使われる日々に怒りを露わにし、ヒーローだった存在は次々と失脚。信じていた世界が変わる。目の前で起きていた混乱の中で、735番は感情を無くしてしまった。
頼る場所は無くなった。
唯一残ったのは、生き残った735番を守る戦闘員達。何一つ疑うこと無く、735番を信じてついてくる。信じられる仲間は彼らだけなのだと、感情を失ったとしても漠然と感じていた。
「次の標的は──」
クーデターの後、簒奪者として動くようになった735番は他の√世界へ渡りながら悪事を働いていた。全ては、√マスカレード・ヒーローを支配するため。そのためには、膨大なインビジブルが必要になる。
どれだけの√世界を渡り、悪事を働き、インビジブルを得たか。
「まだまだ足りません。最も効率の良い場所……次の標的は、√EDENとします」
戦闘員達は735番の言葉に頷き、最もインビジブルが多いとされる楽園へ襲撃を始めた。
争いのない楽園。
空には悠々とインビジブルが漂い、今まで見てきた世界よりも溢れているその光景を仮面越しに眺めながら、人々が賑わう街を建物の屋上から眺めていた。
『任務を遂行します』
735番が先陣切って一般人の中へと紛れれば、インビジブルを得るために素早い動きで蹴りなどの体術を駆使して人々の命を散らす。その動きは速い。突如として複数人が殺されたのを見るなり、街中のあちこちで悲鳴があがり始めた。
戦闘員達も735番に続いて、民間人を襲撃。多くのインビジブルを回収しながら戦っていれば、騒ぎを予知した星詠みによる指示を聞き、現場へと駆け付けた√能力者が735番の前に姿を現した。
「お前が暴れてるっていう簒奪者か。ここで倒させてもらう」
『邪魔をするなら排除します』
√能力者は愛武器である刀を手に構えれば、ダッシュで駆け寄り攻撃を繰り出してくる。735番は攻撃を見切り、横へと飛び退いてすぐカウンターを仕掛けようと蹴りを入れれば√能力者の脇腹へと入った。
「ぐっ!!」
入れられた蹴りは重い。一瞬呼吸を忘れるが、何とか痛みに耐えて刀を構え直す。まだやれるという鋭い眼差しを向けられたとして、735番は静かに仮面越しに見据えるのみ。再び√能力者が向かってくるのを待ち構え、再び蹴りを入れようとしたところで目の前にいたはずの姿は消えていた。
「二度も同じ手は食わない」
『………!!』
インビジブルと入れ替わり、735番の背後へと回り込んだ√能力者は背後から鋭い一閃を放てば、避ける間もなく大きく斬られる。ダメージは大きい。それでもまだ戦えると思ったところで戦闘員達が735番を守るべく、√能力者との間に割って入って攻撃を仕掛けていた。
だが、現れた√能力者は一人じゃなかった。二人、三人、四人と現場へ駆けつけ、戦いはより激しさを増していく。
735番含む戦闘員と√能力者達の戦いは激化し、戦闘員も何人か倒されてしまった。735番もまた怪我が多く、呼吸も絶え絶えになりながら√能力者達を見据えていた。
「ここまでた、観念しろ」
「これ以上、暴れさせるつもりはない」
流石に数はいたとしても、傷も多くなればなるほど不利になる。引くべきとも考えるが、どれだけ感情を失ったとしても倒れた戦闘員を見捨てる事は出来なかった。
死んだとて生き返るのなら、今ここで倒れたとしても問題ない。そう判断した735番は、命尽きるまで√能力者達と戦い続ける。
そして──。
「これでトドメだ!」
ここで死ぬんでしょうか。
√能力者からの攻撃を目の当たりにし、これが最期の光景なのかと冷静に考えていた。
死ぬのも怖くない。
寂しい、悲しい。その感情も無い735番は死を受け入れ──そこで意識は途絶えた。
▽
「…………!」
ハッと目を覚まし、体を起こす。
尋常じゃない汗。怖い夢を見ていたような感覚。
見下・七三子は妙な恐怖感を落ち着かせようと、深呼吸を何度と繰り返した。
(ゆ、夢……私が、簒奪者になってた……)
悪の組織に育てられた。
一歩違えば、有り得たかもしれない光景だった。
呼吸が次第に落ち着いてくると、目を閉じて思い返す。
今は笑い合える友達がたくさんいて、美味しいものを食べたり、大切な人と過ごす時間がある。満ち足りた幸せを手にしなかったかもしれない世界を考えるだけで悲しくなった。
「……大丈夫、今の私はいっぱい幸せって言えますから」
誰に言うでもない言葉。
ふと七三子は立ち上がり、アクセサリーボックスから羽根を象ったネクタイピンを手にする。
今があるから、大切がいっぱいある。これからも大切にしたい。七三子はネクタイピンをそっと指先で撫で、柔らかく微笑んでから再びボックスへと仕舞った。
「明日は、ちょっといつもより甘えちゃおうかな……」
敵だったら──そう考えると怖くなる気がして。
ポツリと呟いてから、七三子はベッドに戻り再び目を閉じる。
有り得たかもしれない夢は、夢のままに。