シナリオ

|深層《キオク》に眠る

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水藍・徨

 いつまでここにいなくてはいけないのだろう。
 閉じ込められた殺風景な部屋――大人たちは収容室と呼んでいた――の景色は幾日を経ても気力を奪うように思える。時折連れ出される先の真白の空室との往復にようやく慣れた頃、水藍・徨(夢現の境界・h01327)は自由帳の中の世界に閉じ籠り続けることに限界を覚えた。
 不安と孤独に支配され、殆ど現実逃避のようにして頭の中の空想を綴り続ける日々からやっと顔を上げる。然れども見渡した先には何ら動くものもない。ふと湧き上がる漠然とした恐怖心から逃げ出すすべも見当たらず、寂しさばかりに蹲っていた少年は、定期健診と称して訪れる白衣の職員からの問診に初めて要望を零した。
「ここには、その、僕以外の子供はいない、のですか?」
「自由帳が好きなようだけど、寂しくなったかな」
「……はい。寂しいです」
 両親に会いたい――と言うたび、大人たちが曖昧な表情で彼を見るのを知っていた。その表情が些かならず恐ろしく思えるから、大好きな父母との再会は、少なくとも彼の|収容《・・》が終わるまでは為されないのだと疾うに理解している。
 代わりの申し出は、職員にとってはその場で却下するほどのものではなかったらしい。幾らか考えるようなそぶりを見せた後、彼は首を横には振らず、他の|先生《・・》と相談すると告げて去っていった。
 それから暫く、徨の暮らしぶりは変わらなかった。
 一日三食が運ばれて来る。時折外に連れ出されては、彼に宿ったという異能を使うことをせがまれる。徨には何の意味があるのか分からぬが、言われた通りのものを生み出し、或いは消してみせる。大人たちが満足げな顔をしたら部屋に戻る合図だ。彼らが鍵を開けてくれなければ決して内側からは開かない戸の中で、自動的に電気が消えるまでの間を自由に過ごす――。
 徨が自身の口にした願いを殆ど忘れた頃になって、訪れた大人は、彼を呼び寄せて笑った。
「前に、他に子供たちがいないかって言ってただろう。交流の許可が出たんだ」
「会って、良いんですか?」
「隙に遊んで過ごしても良いよ。ただし、ちょっと薬を飲んでもらうことになるんだけど、良いかな?」
 少年は一も二もなく頷いた。やがて案内された部屋にいた四人の子供たちが一斉に彼の方を向いたときに、心底から嬉しくなって、徨は飛び込むように彼らの裡へと混じっていった。
 ――以来、徨は日に数時間だけ、同世代の子供たちと自由に遊ぶ許可を得た。
 新しく投与されることになった薬の詳細は、彼には知らされていない。故に一人で部屋に戻ったときの寂しさが日に日に強くなるのも、皆と遊んで夢中になっているときの喜びや楽しさが無辺のものに感ぜられるのも、まさか薬のせいであるとは思わなかった。長らく誰とも顔を合わせることの出来なかった身の上で、急に新しい友人が四人も増えたことで、孤独が余計に浮き彫りになったのだ――と思うのが精々だった。
 それぞれ性格の全く異なる四人のうちで、殊に仲良くなったのが五十鈴・慎だった。徨の能力に一番に興味を持っていた彼は、しかしその内気さゆえに、最初は話し掛けることすらままならなかったらしい。
 その手を些か強引に引いて笑った少女は、見目に違わぬ快活な声で真城・陽菜と名乗った。
「あのね、この子――五十鈴君っていうんだけど、あなたと遊びたいんだって!」
「僕と、ですか……?」
 促されて目を遣った先で、慎は幾度も頷いた。か細い声の名乗りに応じてからというもの、彼らは急速に仲良くなっていく。
 牽引するのは専ら陽菜である。隅で密やかに声を交わすだけになりがちな二人を引っ張って、幼い子供の遊び道具ばかりが並ぶ広々とした部屋の中心に向かうのだ。時に徨の開いた自由帳を皆で捲り、その物語の世界と戯れる。積み木で作る城は、ともすれば外の世界にいる間には|子供っぽい《・・・・・》と思うようなものだったかも分からないが、それでも皆で作り上げたと思えば殊の外嬉しかった。
 穏やかに見守るようにしている桜木・鈴華の眼差しが、時折皆に混ざるのも、徨にとっては楽しいことだった。同世代のはずが随分と歳上に見える、嫋やかで上品な所作の彼女は、恐らくは育って来た環境が許すような遊びだけに加わって控えめな笑みを零していた。
 しかし――。
 唯一、黒川・灼だけが、彼にとっての憂鬱の種だった。
 徨の目に映る限り、灼は全ての物事に苛立っているようだった。そもこの部屋で同世代の子供と共に遊ぶこと自体が彼にとっては苦役に等しいようにも見える。所作は常に乱暴で、他の子供たちが戯れていればこれ見よがしにあしざまに吐き捨てる。協力して作り上げたものをあからさまに不愉快そうに破壊してみせることもあった。
 殊に穏やかな徨と内気な慎のことは気に入らなかったようだ。何かにつけて苛立たしげに近寄って来ては、無理矢理に腕を引き摺って彼の望むことに付き合わせようとするのである。
「おい、さっさと動けよグズ」
「待ってよ、ぼ、僕……」
「灼、痛いっ、やめろって! 慎も嫌がってるだろ!」
 慎の訴えと徨の抗議が聞き入れられることはない。そういうときには割って入る陽菜の声ばかりが頼りだった。
「ちょっと、黒川君!」
 叫ぶような声音は怒りを帯びている。ここに|収容《・・》される前から正義感の強いあまりに暴走するきらいのあったことは瞭然だった。
 飛び込むように二人を庇う彼女のことを、鈴華は大抵、心配げに見詰めている。助けに入りたい思いは理解出来るが、彼女には斯様にして怒鳴るようなやり方が分からないように見えたし、たたらを踏んでは援けを求めるように視線を巡らせるさまはやけに似合っているように思えた。
 そうしている間に、陽菜が無理矢理に灼の手を掴むのだ。
「五十鈴君と水藍君が嫌がってるでしょ! やめなさいよ!」
「うるせえな! 黙ってろブス!」
 ――さしもの灼も少女に手を上げるのは憚られたか、或いはもっと別の理由があったのか、吐き捨てるばかりで二人を解放するのが常のことだった。
 彼にだけは近寄りたくない。他の三人が好意的で、殊に触れられたくない宝物――世界を書き綴る自由帳と万年筆の存在を尊重してくれるから、灼にはその存在すらも悟られたくなかった。今は会えない両親からの大切な贈り物だ。幾重にも綴って来た物語の全てが詰まった自由帳は脆いから、機嫌の悪い彼に見付かれば戯れに引き裂かれるような予感もしていた。
 幸いにして面々が全員揃うことは稀だった。誰かと二人きりで遊ぶこともあれば、一人が欠けていることもある。灼は問題行動を認められていたのか一人で現れることもなかった。職員たちに問えば|そういうもの《・・・・・・》だと返答があるばかりだった。
「君にも健康診断とか研究協力とかがあるだろう。みんなにも同じようなことがあるんだよ。ここはそういう施設だからね」
 ――そう言われてしまえば、納得するほかになかった。
 兎も角、徨は状況を喜んで受け入れることにした。灼のいないときにはElpisを語り、物語を綴る。いるときには自由帳も開かず万年筆も持ち出さない。幸いにして一度も彼の目に留まることはなく、やがて破局が訪れる。

 ◆

 |研究協力《・・・・》のための呼び出しを受けて連れて来られた部屋の中にいた顔を見て、徨は思わず瞬いた。
「慎?」
「徨君……今日は一緒なんだね」
 小さく手を振る慎に半ば反射的に手を振り返しながら、彼は当惑して白衣の職員を見上げた。
 徨が協力するときに、誰かが傍にいたことは一度もない。せいぜい観測用のカメラと、硝子越しに指示を送る研究者たちがいるばかりだった。そこに友人が一人いる――というのが、やけに不安を煽ってならなかったのだ。
 案内された先の部屋に更に背筋を悪寒が這い回る。二人は別々の、隣り合った部屋に入るように指示を出されたのである。
 研究者たちに曰く、遠隔発動に関する実験であるらしかった。徨の見えないところ、研究者たちの指示もないところで、彼の能力――|想像の創造《ディミウルグ》がいかにして機能しているのかを、慎が見届けるという。
「その……慎でなくては、いけないんですか?」
「ああ。だって君の能力を一番よく知ってるのは彼だろう? 少しの違和感にもすぐに気が付ける相手じゃないといけないんだ」
 そう言われてしまえば納得するほかになかった。徨が今までで一番に能力を見せて来たのは慎だ。Elpisのことを両親以上によく話したのも。確かに彼であれば、発動に際して何かがあればすぐにも気が付くだろう。
 不安を抱えているのは二人とも同じだ。どちらからともなく扉の前で顔を見合わせて、先に口を開いたのは慎だった。
「大丈夫、かな。徨君……」
「……きっと大丈夫。戻ったら一緒に遊ぼう、慎」
 自分の不安を表に出してはいけない――と、徨は咄嗟に判じた。自分も同じように想っていると吐露すれば、慎は尚のこと塞ぎ込んで怯えてしまうだろう。そうなれば。
 ――どうなるかは分からぬが、決していい結果にはならないだろうと直感している。
 頷き合って扉を開いた。いつものように指示を出すための無線通信機が置いてあるのを確認して、徨は意識を常より強く集中した。
 幾つも指示されたことを熟すのはいつもと同じだ。やがて疲弊した頃、ようやく満足したらしい彼らによって解放された徨は、ふらつく体を支えられながら、それでも硬く鎖されたままの隣の部屋を見遣っていた。
「慎は……慎は、どうしていますか……?」
 問い掛けに幾許の間があったことは|茫洋《ぼんやり》と認識していたが――。
 それが何を意味しているのか、徨には分からなかった。
「大丈夫だよ、先に部屋に戻るようにって指示なんだ」

 ◆

 |想像の創造《ディミウルグ》の感情増幅による変化について、一定の成果が得られました。
 当該個体に感情を増幅する薬品を投与し、被検体と■■日間の交流を行いました。結果として当該個体は被検体1~4に対し強い感情を抱くようになりました。■月■■日時点の解析で実験の前提条件を満たしたと判断し、フェイズAを実行しました。
 当該個体の能力発現には顕著な乱れが生じ、維持と発動のそれぞれに幾つかの失敗や暴走がみられました(別紙ログ参照)。
 情報収集が終了した段階で実験を終了しましたが、被検体1は衰弱し、■時間後に死亡しました。当該個体の使用した能力との直接の因果関係は現時点では不明です。
 また被検体1の死亡に伴う当該個体の変化を確認するため、当該個体に対しては委細を伏せて被検体1の死亡のみを告げることを、■■■■によって承認しました。経過報告書の提出は■月■■日■■時までに行われる予定であり――。

 ◆

 慎と交わした約束が永久に果たされぬものになったことを徨が知ったのは、それから数週間の後のことだった。
「あの後、急に……何があったのかは調べているところだから、分かったら伝えるね」
 ――ただそれだけを淡々と告げて閉じられた扉の向こうを、少年は愕然と見詰めていた。
 何が起きたのかは分からない。きっと知ることも出来ないのだろう。大人たちはいつも誤魔化すときに|また後で《・・・・》と言うことを、彼は疾うに知っている。両親といつ会えるのかと問うたびに、その言葉ではぐらかされて来たからだ。
 それでも、彼らが嘘を言ったことは一度もないことも、分かっている。
 ならば慎は本当に死んだのだろう。徨が研究協力と称して別々の扉に入った後に、何かがあって――。
 ――何かがあったとするならば。
 徨はきつく抱き締めていた自由帳を見た。己の力がどのようなものなのかは説明されていたし、それが危険視されるようなものであることも分かっている。だから何を言われても素直に従って来た。周囲の大人たちは、少なくとも彼よりも早く彼が恐ろしいものであることに気が付いていた。ならばよく彼の危険性を理解していると思ったからだ。
「僕が……?」
 そうであるとしか思えなかった。
 この力が――人間災厄と呼ばれる力が、それを慕ってくれた慎の命を奪い去ったのだ。煌めく眼差しが頭の中に蘇り、最後に不安を訴えた声を思い出す。大丈夫だと告げたその友人に|殺される《・・・・》絶望を思ったときには、もう自らの力で立ってはいられなかった。
 嗚咽と共に縋るように抱き締めた自由帳が、慎を再び蘇らせてくれることはない。|死んでしまった《・・・・・・・》事実を受け止めてしまった創造主は、いつか無意識のうちにそうしたように、死者を被造物として作り出すことは出来ないのだ。
 代わりに、耐えきれなくなった心が壊れる前に、指先は縋るように一つの形を描き出した。
 開いた自由帳に綴るのはElpisの続きではない。一度も描いたことのない|魔物《・・》が、徨の前に巨大な尾鰭を揺らがせた。
 一頭の真白い魚だった。月のような鰭と金色の眼差しを湛えたそれを|茫洋《ぼんやり》と見上げて、少年は瞬きもせずに己の心に蓋をすることを決めていた。
 ――こんなに苦しいのならば、何もかも忘れてしまおう。
 悲しみも、悲しみに通ずる大切な誰かの記憶も、魔物に食べさせてしまえば良い。
 生み出した箱は青く悲哀の色を写し取った。夜の色をしたそれを差し出せば、創造主に従順な被造物は彼の意図をすぐに理解する。大きく開いた口で喰らった途端に、あれほどに満ちて溢れた苦しみは徨の中から消え去って、代わりに深い夜色に染まった魚がどこかへ揺らめいて消えていった。
 それから――。
 一人欠けた子供たちは、不自然に空いた空席に見て見ぬふりをするようになった。彼らにもどう受け入れて良いのか分からぬ事実が横たわり、それを極力感じさせぬように触れぬようにする。その中でただ一人、|何もなかったかのように《・・・・・・・・・・・》振る舞う徨の存在に、少女たちは顔を見合わせて首を横に振った。
 きっと彼は一番親しかった慎のことを受け入れたくないのだ――というのが、幼い彼女たちの出した結論だった。無理矢理に直視させるようなことをしたくない優しさも、少なくとも陽菜と鈴華の間には共通項として通じ合ったものだ。
 他方、なお苛立ったのは灼だった。
 いかに見下していたとしても、彼にとって慎は同世代の子供の一人に変わりはなかった。その死には相応に複雑な思いを抱いていたのだろう。常であれば死者にも悪態を吐いていたであろう彼すらも、空いた穴には決して自ら触れようとはしなかった。
 代わりのように、徨に対する当たりは強くなった。委細は知らされず、彼が死に関わった可能性すら知らぬ灼の暴力は、結局のところは徨が慎を何らも覚えていないような振る舞いをすることに対する拒絶反応にすぎなかった。
「おいグズ、何平気な顔して突っ立ってんだよ」
「痛……何の話だよ!」
 そうして言い争いの起こるたびに挟まる声も幾らか質を変えた。陽菜は切迫したような非難の声で無理矢理に割って入るようになり――何より、鈴華が追随するようになったのだ。
「黒川君!」
「おやめください、灼様」
 二人に言われてしまえば乱暴な言葉すらも出て来ないらしい。或いは灼自身も、何か絶大な違和を感じ取っていたせいかも分からない。少なくとも、大きく舌打ちをした後に、徨は解放されるようになった。
 そうして離れていく灼の代わり、気を逸らすように少女たちが徨を囲む。そういう日々に僅かな不審を感じながらも、核となる全てを忘却した徨には、何も理解し得ることはなかった。
 ――やがて二度目の|研究協力《・・・・》が訪れたとき、そこにいたのは灼だった。
「灼?」
 名を呼ばれた少年はあからさまに視線を逸らして舌打ちをした。今日は何もして来ないのだな――と思ってから、徨は灼の腕が軽い拘束を受けていることに気が付く。
 何故だか、一度感じたことのあるような気がする悪寒が背筋を駆け抜けた。然れども彼の裡から切り離され、どこにもなくなった記憶が蘇ることはない。代わりに不安げに見渡した先の職員は、常とさして変わらぬ笑みを浮かべてその背を押した。
「今日は二人で協力してもらうからね。彼が暴れてしまうと困るから、こうさせてもらってるだけなんだ。終わったらちゃんと解くからね」
「分かり……ました」
 信じて良いのかどうか分からぬまま向かった先の扉の前で、徨はひどく憂鬱な思いに駆られた。
 一度見たことがあるからではない。灼と同じ部屋で、能力を使うことになったからだ。少なくとも画して来た自由帳と万年筆を見せねばならぬ。そうなれば、きっと次に会ったときには|出せ《・・》と言われてしまうに違いない。あると分かれば破壊されてしまうかもしれない――とまで考えたが、さりとてここまで来て|止めたい《・・・・》とは言い出せない。結局は開いた扉の向こうに送り込まれて、どっかりと鉄の椅子に座り込んだ灼が苛立たしげに貧乏ゆすりをしながら腕の拘束を揺らすのを横目に、徨は指示された通りの能力を使い始めた。
 特段、何かがあったようには思えなかった。灼は常のような悪態も暴言も零さなかったし、しかし何か変調をきたした様子も見られないまま、実験は終了された。
 先に部屋から出されたとき、徨はやはり一度感じたことのあるような恐怖と不安を覚えた気がした。振り返れども灼が出てくる様子はない。今度はその後のことを訊きもせぬまま、返された部屋で独り、何も起こらぬことを一心に願うことしか出来ないままだった。
 ――その祈りが届かぬことも、今は知らず。

 ◆

 灼がいなくなったと聞いて、徨の裡に湧き上がったのは途方もない怒りだった。
 自らの意志で悲しみを喪った彼には、此度は紙で手渡された訃報を前にして、涙を流すことは出来なかった。代わりのように蠢く怒りが誰に向けられているのかも、暫くは分からないまま立ち尽くしていたのである。
 やがて――その矛先にいるのが、己自身であることが分かった。
 死亡時刻やその他の情報はぼかされている。ただ名前と結果だけが味気なく記された通知書に、しかし彼は確信していた。
 |また《・・》己のせいだ。
 研究協力の直後から、陽菜も鈴華も灼に会っていないと言っていた。むろん徨も彼と顔を合わせてはいない。それが何を意味するのか、忘却したといえども二度目の経験が、徨に全てを伝えて来る。
 あの一室で、徨は何か致命的なミスを犯したのだ。あのときには問題なく見えた灼に、さながら遅効性の毒の如くして染み着く何かを与えてしまったに違いない。己の力で何が出来るのか、概略ばかりで全容の分からぬ徨にとって、一見すれば荒唐無稽な妄想の如くも思える因果は深い現実味を帯びた真実に思えた。
 恐ろしいことが起きていたのだろう。いつも指示に従うばかりだった彼には、真実自分が何を目的として|それ《・・》をやらされていたのかすら分からぬのだ、責任の在処はどこにも示されていない。しかし無機質な通知書の与えて来る冷たい現実は、少年の前に暗澹たる影を掛けていた。
 |ただ命じられただけだ《・・・・・・・・・・》と思うのは簡単だ。
 だが――己が何をしていたのかも分からぬままに、友人を一人喪ったことだけは事実だった。
 灼は命を落とした。徨が力を上手く扱えなかったばかりに。
 深く湧き上がる怒りのままに、彼は味気ないベッドを幾度も叩いてみせた。どれほど苦手としていたからといって、命を落として欲しいと願ったことは一度もない。彼がどれほど暴力的な性質であったとしても、良い思い出よりも厭な記憶の方が数多に思い出されても――幾日にも渡って交流を続けて来た顔は鮮明に思い出せるのだ。
 もう二度と会えないと思うたびに、幾つも己への怒りが溢れ出る。不条理を物に叩きつけるだけでは到底御しきれぬ荒れ狂う感情を|どうすれば良いか《・・・・・・・・》、徨はもう知っていた。
 一度もやったことのないはずだった。それでも出来ると知っていたのが何故なのかも分からない。ただ、溢れ出て心を壊そうとした感情から解放される方法を、|一度目《・・・》と同じようになぞっただけだ。
 迷いなく開いた自由帳に描き入れるのは二匹目の魔物である。いつ描いたのだか|覚えのない《・・・・・》魚の隣に、荒れ狂うままに強く書き殴った狼が、たちどころに真白の体で具現化する。
 大人しく頭を垂れているそれに色を付ける方法も分かっていた。次いで徨の翳した掌の上に現れるのは、深紅に染まった箱だった。
 彼自身を破壊せしめるほどの悲しみの次には、溢れ出る怒りを。己自身が壊れて、千々に引き裂かれてしまう前に――全て魔物に食べさせて、奥深くに封じてどこか遠くへと運んでしまえば良い。広大な自由帳の中に描かれる世界のどこか、徨の頭の遥か遠くに消し去ってしまえば良い。
 捧げれば恭しくも見える仕草で喰らった狼の毛並みはたちどころに同じ憤怒の色に染まる。一度大きく遠吠えをしたそれは、やがて主の感情を遠ざけるため、魚と同じように何処かへと消えて行った。
 それで、徨は二つ目の記憶を失った。

 ◆

 |想像の創造《ディミウルグ》の感情増幅による変化および実験後の行動について、一定の成果が得られましたので、経過を報告します。
 当該個体に対する感情を増幅する薬品の投与は継続して行われています。また現在の被検体との交流日数は■■日間となっています。
 ■月■■日のフェイズA実行後の被検体1の死亡、及び■月■■日のフェイズB実行後の被検体2の処理に関して、それぞれ当該個体への伝達方法を変更しましたが、当該個体の行動に顕著な変化はみられませんでした。
 当該個体はフェイズAによる被検体1の死亡通知においては顕著な悲しみ、フェイズBによる被検体2の死亡通知においては顕著な怒りを示した後、特殊な生成物(以下、特殊生成物A、特殊生成物Bと呼称)を生成し、生成した箱を経口摂取させました。その後、特殊生成物A及び特殊生成物Bは空中に浮かび上がり、収容室の壁に接近して反応ごと消滅しました。
 その後、当該個体は顕著に示していた感情的反応を示さなくなりました。また、被検体1及び被検体2に関するカウンセリングとヒアリングを行いましたが、当該個体は死亡した被検体に関する記憶と関連実験に関する記憶を忘却していることが確認されました。
 感情的反応の消失は現在に至るまで恒久的に発生しているものと思われます。これに伴い、感情を増幅する薬剤の投与について、■■■■との協議を要する可能性があります。
 フェイズC及びフェイズDは予定通りに実行される予定です。今後の動向に細心の注意を払う必要があります。また、被検体3及び被検体4の精神状況の顕著な悪化が想定されています。カウンセリングについては当該個体より被検体を優先し、当該個体にはヒアリングを中心とした接触を行うようにスケジュールを調整してください。
 当該個体が記憶及び喪失した感情機能を再取得する可能性が示唆された場合は、■■■に連絡を行い、経過を観察してください。再取得に際して危険が生じた場合には、サイト■■の■■■■■を利用することで、当該個体の無力化を――。

 ◆

 やがて少年は全てを忘却する。
 三度目には喜びを。四度目には楽しさを。彼らと共に過ごしていた記憶ごと、全てを魔物に引き渡し、虚ろな安寧の揺り籠の中で|微睡《まどろ》み続けることとなる。
 何もかもを思い出せぬまま、ただ|己の殺した《・・・・・》子供たちの曖昧な記憶を真実であると抱えたままで――。

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