シナリオ

香気に満ちよと囀るがよい

#√汎神解剖機関 #宿敵旅団 #ペンタクルム・ゲート #王劍『縊匣』 #『囀る沈黙』レティセンス #幹部宿敵

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 #√汎神解剖機関
 #宿敵旅団
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 #王劍『縊匣』
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『ペンタクルム・ゲート』関連シナリオ

これは、宿敵旅団『ペンタクルム・ゲート』に関連するシナリオです。これまでの物語は、#ペンタクルム・ゲートで確認できます。
このシナリオに登場する宿敵は、宿敵主との『Anker』関係が失われており、シナリオに参加しただけでは絶対死しません。宿敵主に対して冷淡な反応(他の参加者と同程度の反応)を示す事も多いため、その点は理解の上ご参加下さい。

 煩い。臭い。汚い。実に嫌な三拍子だった。
 休日、賑わうシーシャバー。華やかに見える空間で、客は煙の味を楽しんでいる。煙草の嗜み方というのも時代によって変わるものだ。現代の阿片窟とは誰が言い出したものか……流れてくる甘い香りに眉をひそめ、囀る沈黙はため息をついた。

 敗北の苦渋。王劍は自分たちの手から失せ行方不明、作戦は見事EDENにより挫かれた。爪を噛み、レティセンスは不機嫌に息を吐く。蒐集していた『お人形』はずいぶんと減ってしまって、飾りたかった『お部屋』も消えてしまい、今はどこにあるのやら。
 だが、あのゲートは熱心な|お仲間《・・・》がきっと再建を果たすだろう……自分が必死にならずとも。何をするにも人任せが多いのは信頼ではなく、逆だ。役に立たないのなら信頼する必要はない――冷徹かつ自己本位ではあるが、組織とはそのようなものだと彼女は割り切っていた。どこで何が起きていても、彼女は素知らぬ顔。誰かの隙を狙っても良いじゃないか、なんて。

 バックヤードで倒れている女性の頬を撫でて、少女はつまらなそうに息を吐く。彼女の放つ甘い香気はドアの隙間を通り、換気扇を通り、店内へと満ちていく……。
 いずれ香気は満ち満ちて囀りのひとつすらも止まり、彼ら、彼女らは文字通りの物言わぬ人形と化していくことだろう。

「……ん……?」
 ――かたり。女性の手から、フォークが落ちた。

 囀る沈黙、レティセンスは目を細める。あと少し、もう少し。獲物のために爪を研ぐ――。

●おとどけもの。
「ま~た厄介事の『お届け』だー!!」
 星詠み、オーガスト・ヘリオドール(環状蒸気機構技師・h07230)。相変わらず喧しく、相変わらずの声量で声をかけながら、両手を合わせて頭を下げている。
「いや、忙しいところに本当にごめんね! 俺も忙しかった! で、結構無茶めなお願いなのはわかってるんだけどさ~! 動き出したってんなら仕方がないよねえってこと!!」
 どのような理由があれど簒奪者というものは容赦もなく、その企みが止まることはなく、容赦などしてはくれない。こちらとて『そう』してやる必要などないのだから対等だ。

「舞台はシーシャバーだ。香りにまつわる場所だね。レティセンスはここを利用してお客を『人形』にして戦力を増強してやろうーって考えてるみたい。というか……どれかといえば、『減ってしまった手駒の補充』みたいな感覚かもしれないけど」
 オーガストは顎を揉み、どこか遠くへ視線を向ける。
「バーの中は既に良い香りがしてきてる。今なら十分間に合うから、どうにかしてお客さんを避難させたり、あと換気とかも効果的かもね。ちょっと工夫いるけど……なんとかなるでしょ!」
 指をぱちんと鳴らして気楽そうにウインクをしてみせるオーガスト。他人事だと思っていそうな所作だが本人は、至って、冷静である。

「とにもかくにも、阻止しなけりゃどうなるか……わかってるでしょ? 頼んだよ!」
 オーガストは手を振って、EDENを送り出す。
 さて、どこから手を付けたものか。

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第1章 冒険 『被害者の救援』


クラウス・イーザリー

 香気に満ちていく空間へと、足を踏み入れる。年齢確認をと求めてくる店員に身分証を軽く見せてから、『あちらの席へ』と案内された席へとつく。
 周囲はまだ賑やかだ。それでもどこか空気は不穏なものになってきており、話が止まるグループも見られる――どうやら『囀る沈黙』の香気は、徐々に、然し確かに染み入っていっているらしい。クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は目を細め、唇をきゅっと結ぶ。ハンカチで口と鼻を覆って、香気を吸い込みすぎないようにと動く。

「(ここで奴を止めないと、被害が出る上に戦力増強を許してしまうことになる)」
 急いで止めなければ。だが、手段はある程度選ぶべきだ――。幸い各々の席を区切るカーテンは分厚く、自分の姿を目視できるのは店員くらいしかいない。そして何より、薄暗い店内だ。多少その暗さが増しても問題はないだろう。
 クラウスは静かに息を整えて、影竜と融合する。放たれた影は静かに店内へと満ちて、レティセンスが放つ『香り』よりも直接的に、人々へと干渉する。

「……ね、そろそろ切り上げる?」
「そだね。なんか、吸いすぎたかな……気分悪くなってきちゃった」
 カーテン越しの隣席から聞こえてきた声。
「なんかおかしい……こう、なんだろう……」
「酔ってきたみたいな」
「そう、それ」
 別の席からも聞こえてきた声。手応えにクラウスは頷いた。『ここから冷静に逃げなければいけない』。彼らは騒がないように、そっと席を立つ。
「この香りを吸っちゃ駄目! 早く逃げて」
 席を離れ、通路を歩いている青年にクラウスが声をかけた。はっと目を見開いた青年は、まるで「なるほど」と何かに気がついた様子で頷き、歩く速度を早めて立ち去っていった。

 クラウスの周囲から徐々に、人々がいなくなる。店員も気づいてはいない――いいや。
 そわそわと落ち着きなく肩を揺すったり、靴の踵を床に打ち付けたりと落ち着きがなくなってきた。その目を盗んで、クラウスはそっと窓を開ける。換気の時間かと思っているのだろう、人々はそれを当然のように受け入れていた。
 幸いにも動けない人はいないようだ。そして、レティセンスが姿を見せることもない。だがこの店の奥に彼女が潜んでいるのは明らかだ……。
 一般人を逃がすため、静かな、人と空気を追い出す『換気』が始まる。

赫夜・リツ

「えっと……未成年なんですけど、大丈夫……ですかね……」
 店員に恐る恐る見せた身分証、赫夜・リツ(人間災厄「ルベル」・h01323)の名前が乗ったそれに対して店員は少々苦笑しながらも、「ニコチンフリーのフレーバーなら提供できますよ」と言われて、彼はほっと息をついた。
 分厚いカーテンに遮られたボックス席に案内されたリツは、周囲を見回す。レティセンスは店内の奥に引きこもっているのだろう。彼女が出てこないうちに、この室内の人間たちすべてを避難させる必要がある。
 だが、一人では荷が重い。だからこそ、複数人で分担しなければならない。ここはその程度の規模があるバーだった。

「(他の幹部の人たちも動き出しているって聞いたけど、そうか……レティセンスさんも動き出したのか……)」
 彼女が鳴りを潜めている間、既に活動を再開していた簒奪者たちも多く。だが彼女はどうやら、変わらずの単独行動・マイペースに行動しているようだ。
 この|香り《・・》がする以上、彼女が『人形』を増やそうとしていることは明らかだ。当然、そんな所業、させるわけにはいかない。何が何でも止めねばならない。

 ……店内は徐々に、静かになりはじめている。先駆した者が多少逃がしたとはいえ、それだけでは手が足りない……。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、えっと……!」
 リツはフレーバーの注文を聞きに来た店員に、困った笑顔を返す。シーシャを吸いにきたわけではないのだが、不自然に思われないように立ち回る必要があるか。「おすすめを……」と切り出したあと、店員の様子を伺う。どこか……虚ろな目をして。フレーバーをメモしている彼女に、声をかけた。

「大丈夫ですか? そろそろ換気したほうがいいかなって思う……んですけど」
「……あ。そ、そうですね? なんかぼんやりしてました。危ない……ありがとうございます、気を使って頂いて」
「いえ……!」

 店員は案の定、店内の異変に気がついていない様子だった。あまり聞きすぎるのも問題かと非常口は目視で確認し、「ちょっとお手洗いへ」と席を立つ理由を作って、自分も窓を開けにいく。
 香りはまだ回りきっていない。うとうとと船を漕いでいる人へ、大丈夫ですかと声をかけたリツは、静かに目を開けた客と視線を合わせた。
「外、出るなら肩を貸しますよ」
「ああ……ありがとう」
 これで、少しは足しになればいいのだが。次は、根本的な香りの根絶を狙うべきか。従業員控室らしき扉を横目に、リツは客の男性に肩を貸す――。

ディラン・ヴァルフリート

 アンドロスフィンクスは消え去った。王劍、縊匣は『清羅』と共に消え行方知れず。
 それでも彼らは各々、自らの思惑のために行動する。個々簒奪者として、あるいは未だ王劍を狙って。
 レティセンスにおいては――主にその協調性のなさから――ゲートの再建は誰かが行うと考えているのだろう。自らの戦力、その増強へと舵を切った。
 ただ、それはそれ。個となればただの簒奪者――人々に被害が出る以上、見逃す理由も無し。

 店番をしていた店員が換気で席を外しているうちに、店内へと滑り込んだディラン・ヴァルフリート(|義善者《エンプティ》・h00631)。彼の冷淡な目がぼんやりと光りを放つ。
 【|仁刻《ロア》】――|生命《いのち》の本質は真に善か。香気に溢れる空間、それを打ち消さんばかりに放たれたそれが、音も光もなく客たちを包みこんでいく。

「……やっぱいつもと味違うよな」
「うん。なんか、甘い気がする」
 煙草の煙を吸うことをやめた客たちが、甘い香りの根源を探り始めた。そっと誰も居ないボックス席へと身を隠すディラン。香りは、ダクトから流れてきている。レティセンスがあそこにいるのは間違いないだろう。

 何かがおかしい……だが、それを冷静に捉えている客たちは、そっと席を立つ。レティセンスの香気によって侵されていた思考が少しすっきりしてきたようだ。
 そのまま会計を済ませ、店外へと出ていく彼らを見てディランは静かに目を細めた。

 自らが手を下すよりも、自主的に避難してもらったほうが都合が良い。研ぎ澄まされた第六感をダクトへと向ける。奥に気配と、濃密な花の香が漂っているが、今のところはそれ以上を感じることはできない。
 レティセンスが店内の状況に気づいていないのか、それとも何かがあるというのか。自身も香りに飲まれることがないようにと注意を払いながら、彼は従業員控室と思しき扉へ視線を向け、『あの奥だ』という確信を得た。

 分かり易いカバーストーリーを演出するには、丁度良い。火のない所に煙は立たぬ。だがそれを『今』|行ってやる《・・・・・》かは話が別だ。店内に残る客たち、それらをどのように動かすか。それこそ手駒のように、丁寧に――あるいは盤上、ざっと払ってやるべきか。
 おもしろみのある思考、それで笑みの一つでも浮かべられるならよかったが、そのような|暇《いとま》は生憎、ディランには存在しなかった。

コウガミ・ルカ

「(レティセンス……? 俺のことを「静かなのにうるさい」って言ってた敵のことか)」
 静かなのに煩い。吠える声は聞こえない。だというのに、その心に渦巻く唸り声が止むことはない――。以前、発狂にも近い声をぶつけられた。コウガミ・ルカ(解剖機関の飼い犬・h03932)は記憶に残るその姿と、喚き声を思い出していた。
 以前も人間を『人形』に仕立て上げようとしていた相手だ。容赦をする必要はない、止めなければ。

 現場となっているシーシャバーへと辿り着いたルカは、戻ってきた店員へと警察手帳を見せる。流石に身分に驚いたのか、店員の肩が一瞬跳ねた。
「警視庁、コウガミ。捜査の協力依頼」
「そ……捜査、ですか? えっと、営業許可などの手続きでしょうか。店長を呼んできたほうがいい、でしょうか?」
 やはりこのテの店の店員である、話が早い。だが早すぎるというのも問題だ。ルカはあえて細かく説明しすぎることなく、動こうとした店員の耳元へと顔を近づけ、ひそひそと彼に告げる。

「犯罪者がここに逃げ込んだ可能性がある」
「あ……なるほど……」
 小さく頷いた店員。客の出入りが普段と異なっていることに、どうやら彼も勘付いていたようだ。思えば、普段見ないタイプの客や、早めに席を立つ客が多い。その大半がEDENであったり、彼らが避難誘導をした客たちなのだが。頷いた店員に対してルカは続けて話しかける。
「出入り口の解放と、非常口も。換気は」
「そっちは今やっていたところです。もう少し見てきたほうがよさそうですね」
 少し席を外します。そう言った彼は再度、店内の見回りへと戻っていた。夏の熱い風が窓から吹き、煙と香気を流していく。それでもルカの嗅覚は、レティセンスの匂いを逃すことはなかった。

 この匂いは知っている。甘ったるく、沈黙を好み、立っているだけでも華やかな香り。だが気配は異なる。彼女はどこまでも自分勝手で甘やかな少女の災厄。奥の部屋にいる――そして、彼女以外の気配もひとりぶん。
 これは少々厄介になるかもしれない。ルカが見据えた先の従業員控室への扉。あの奥に『すべて』の秘密がある。
 暴くにはまだ多少、時間が必要だ。店内の構造を把握しながら、ルカは店舗の奥へと歩みを進めた。

神咲・七十

「シーシャバー……私、入っても大丈夫でしょうか?」
 大丈夫だ。何せ店員はお取り込み中、たとえ戻ったとしても姿さえ見つからなければよいし、神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)の持つ能力ならば、いくらでも誤魔化しが効くことだろう。

 香りは随分薄まって、しかしダクトから『供給』され続けているがゆえにたちが悪い。他のEDENの動きにより、店内はだいぶ静かになってきたが、それでも惑わされ、留まっている人が存在する。香気を吸い込みすぎないようにと、口を覆い目を細めた七十の視線は、奥の扉へ注がれていた。
「まぁ、でも取り敢えず避難はさせていきましょう」

 換気に廻っている店員が帰ってくる足音がする。あまり深く悩んでいる暇はないようだ。七十は小さく歌を口ずさみ、召喚した|邪神の欠片《フリヴァく》と共にバーへと入店した。そして、店内の奥に生まれるは――|隷属者《異形》。
「さて、これで準備はできましたね♪」
 うぞり蠢く気配に客たちが勘付き始めた。……ボックス席から通路を覗き込んだ客が甲高い悲鳴を上げた。
「きゃああぁッ!?」
 ――その悲鳴をきっかけとして、店内は混乱の渦に包まれた。攻撃する意図はなくとも蠢く隷属者を見て怯える客たちが慌てて席を立ち、入口へと向かって駆け出す。避難誘導とは? これはこれで目的を達成しているのでOKだ。

「さて、あっちは危険ですよ。そっちから逃げて下さい」
 誰に告げるともなく言葉を紡ぎ、なりふり構わず逃げ出す客が真横を通るのを目にしながら七十は静かに店内を見る。
「うわッ……あ……ああっ!?」
 続いて、店員の悲鳴。店員が慌てた様子で店内の客たちへと避難を呼びかける。阿鼻叫喚に近い様だ。この様子ならば――奥に潜む『彼女』もきっと、この店内の異変に勘付くことだろう。

「んぅ、騒ぎも拡げていけば増幅拡散していきますから。後は上手く誘導するだけですかね?」
 彼女を引きずり出すためにも、隷属者たちにはもう一芝居売ってもらわなければ。恐ろしげなうめき声を上げ、席をひとつ、またひとつと巡らせていく。一人も逃げそこねることがないように。
 混乱の中、必死に走る人々を隷属者を操り店外へと誘導しつつ、七十は隣に立つ|少女《フリヴァく》とこくりと頷きあった。

第2章 冒険 『仕掛けられた謎を解く』


 蹴り開けた扉の先に見えたのは、長い長い通路。その奥、開けっ放しになっている扉の奥――人影が、見えた。
 蹲るように、丸まり、床に転がっている男性らしき影。動かないのか動けないのか、彼は微動だにしない。

「うるさいと思ったら。まだ邪魔するのね。本当にしつこい!」
 空間に響き渡る甲高い声。部屋の中、開け放たれたままの扉の前に立ち、男性との視線を遮るは『囀る沈黙』レティセンスだった。
 素足がぺたりとステップを踏み、ふわりとドレスを翻す。途端、溢れてくるのは、濃厚な香気――。
 甘い香りが満ちる中、レティセンスは静かに目を細め、そして唇をにっこりと吊り上げる。
 瞬間。目の前の空間が歪んだ。すぐそこだったはずの部屋がぐっと遠ざかり、ぐにゃりと曲がった廊下の壁に遮られる。気づけば通路は迷路のように入り組んで、ただ、どこからともなく、少女の声が響く。

「気づいたの。何も、普通の人間ばっかり人形にする必要なんてないじゃない、って」
 満ちた香りを吸いすぎればどうなるか。彼女の√能力はシンプルであるが、だからこそ強力だ。呼吸と共に吸い込めばじわじわと心身共に蝕んでいくその香気。

 ――早急に奥へと、レティセンスの元へと辿り着かなくては、どうなるか。

「EDENならきっと、もっと良いお人形になるわ――そうよね? きゃははっ♥️」
 できるだけ遅く、おいでください。
 お人形遊びの準備をして、待っています。――なんてね。
クラウス・イーザリー

 俺の心は俺のものだ。
 何かや誰かに揺さぶられようとも、それは確かなこと。根幹。己が己であるという自己同一性を希薄にしようと迫る香に、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は小さく眉根を寄せた。
 人形になんてなってやるものか。物言わぬ彼らをレティセンスがどのように扱ってきたかをクラウスはよく知っている。徹底的に使い潰してみせる彼女に従う必要などない。

 呼び出し展開したドローンたちが四方へと散っていく。口元をハンカチで覆い香気を吸い込みすぎないようにするが、この香りは√能力で生み出されたものだ。少々心もとない。自分の周囲に風を起こして纏い、甘ったるい匂いを散らしながらドローンの行く先を見る――。
 迷宮とはいえ即興で作ったものかやや作りが甘いようだ。それこそ、時間稼ぎを目的としているかのような構造。行き止まりを確認したドローンを自分のもとへと引き上げさせながら、クラウスは走り出す。
 一般人と違い耐久力があろうとも、長居をすればどうなるかはお察しだ。最短距離を走らなければ。ドローンが先に香気の濃い場所を検知する。近づけば、必然濃くなる香気。

 思考に混ざる|雑音《ノイズ》が足を止めろと囁いてくる。一歩踏み込むたびになぜ進むのかと問うてくる。お前に未来などないだろう。希望を持てないお前がよくも。煩い。煩い。煩い――ああ、『囀る沈黙』が何を考えているのか、今ならば少し理解できてしまう気がする。
 ――身を委ねてしまえば楽なのに。ハンカチを握る手に力が入る。
 何も考えなくてよくなれば。肺が痛い。頭が重い。足を止めれば、きっと楽になれるのに。
 楽になるとは何だ。歯を食いしばり、深く息を吐く。軽く首を振って考えと香気を払おうとする。完全に拭い去ることのできない懸念、念慮、脳の襞にこびり付くもの。

 それでも生きて。心身共に無事に、『大切な人』のところへ帰らなければ。
 いつのまにか立ち止まっていたことに気が付き、クラウスはまた深く一歩を踏み出した。香気満ちる空間まで、後少し。

ディラン・ヴァルフリート

「寧ろ……今まではその発想が無かったと?」
 ただの感想だ。届いているなどとは端から思っていないし、返答など当然求めてもいない。
 ただのその場での思いつきか、気まぐれか。あの災厄のことだ、どうせその発想の『きっかけ』は些細なものだったことだろう。
 ディラン・ヴァルフリート(|義善者《エンプティ》・h00631)は顎に手を当て逡巡する。『在り方』――自分以外のすべてを雑音と断定するそれが辿り着くには十分な結論か。
 囀る沈黙とは無邪気で、向こう見ずで、己の思考こそを頂点と断ずるような『少女』なのだから。

 さて。この悪趣味な迷宮の踏破、それを真正面から行ってやる気は更々ないとばかりに、ディランはふ、と――肺の中の呼気を、吐ききった。

 異形化。めきりと鱗が軋む虚竜の体が、長く伸びる廊下を軋ませる。軽く首を振るのにも窮屈だが、呼吸を必要としない姿というものは都合が良いものだ。
 とはいえ香気は√能力によるもの――鼻や口から吸い込むことこそが最も効果のある『摂取』だろうが、肌からも滲むものだと考えたほうがいい。
 ならば散らすべきだ。己の体と香気が漂う空間、その間に空気の層を生み出す。常に循環し続ける空気がレティセンスの香を遮った。これほど多段に用意されては、香りなど意味を持たないだろう。

 レティセンスがこれを眺めていれば、それこそ地団駄を踏んで文句の一つや二つ――否それ以上を言ってのけてくれただろうが、その姿は未だ見えない。竜の体が迷宮へと不躾なまでに力強く踏み込んでいく。
 宿敵旅団とも長い付き合いとなったものだ。縊匣が手元になくとも、こうして活動し続けるとは。そして戦うたび、新たな手札を準備してくる。
 ――ディランの唇がもし、今、弧を描くことができるものだったのなら、少しはそれを吊り上げてみせたかもしれない。虚竜はただひとつ鼻を鳴らす。
 周囲に人間の気配はない。罠も単純な迷宮ひとつか。己の香気に頼ったもの。随分と自信に満ち溢れていて何よりだ。存分に、踏み荒らしてやろう。

赫夜・リツ

 赫夜・リツ(人間災厄「ルベル」・h01323)は、迷宮の奥深くに気配を消したレティセンス――彼女が吐き捨てた言葉に目を細めた。
「(レティセンスさんの狙いはEDENなのか)」
 ……『EDENならきっと、もっと良いお人形になるわ』――冗談にしてもたちがわるい。視線を遮られる前、部屋の床に転がされていた影は何だったのだろうか。もしEDENであればまだ間に合うだろう、しかし一般人となると話は別だ。早急に動かなければ、その人もまたレティセンスの『駒』として盤上に置かれてしまうだろう。
 操り人形にされるのも、なるのもごめんだ。リツは迷宮と化した周囲を見回し、きゅっと唇を結ぶ。

 先に進むにはこの迷宮を踏破しなければならない。……だが、それが困難であることは目に見えて明らかだ。もっとも、その『視界』が本当に自分の正しい認識に基づいた視界なのか――正直なところ、リツは自信が持てなかった。
「(香りで思考に影響が出て、こんな風に見えているのかも……)」
 感覚を確かめるように、壁に手をつく。手袋越しに感じる指の感覚は正しく肌に返ってきているように感じるが、これも幻覚であるとしたら。取り出したるは機械の小鳥。ちると囀ってみせたそれを先攻させる。

 人間よりも安全に先へと進めるだろうかと先へ向かわせるも、視界そのものは人間のそれとたいして変わりはないか。行き止まりを認識して引き返してきたそれを見て、リツもまた踵を返し――その時、ふらつく自身の足元に気がついた。
「……っ」
 己の口元を手で覆い、周囲を改めて見回す。視界に変化はない。変化が、なさすぎる。通路は無機質でいやに冷たい。これでは少々、時間がかかるか。

「ごめんギョロ、ちょっと……無理させるよ!」
 血液貯蔵瓶、その|中味《血》が異形の腕へと注がれる。……ぐあ、と分厚い瞼を開けた目が笑みを浮かべるかのように目を細めた。
「(大きな音を立てたら、また怒られそうだけど)」
 怒られたところでどうなるか。相対するは簒奪者なのだから遠慮の必要など何ひとつないはずだが。
 殴り壊す迷路の壁――香りが強くなる先へ、先へと。リツは実直に、拳を振るう。

神咲・七十

「う〜ん、迷路ですね……こういうの苦手なのですが……」
 神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)は目前に広がる迷宮を見てむぅとひとつ息を吐く。
 軽く覗いただけでも先行き不透明な通路だ、策なしで突破しようなどとは考えないほうがいいだろう。散々迷った後で泣き言を言っていては、遅いにもほどがある。

「仕方ないですね、人海戦術で行きましょうか」
 七十の隣で、同じように息を吐く|邪神の欠片《フリヴァく》が前に出る。
「と言う訳で、またお願いね♪ フリヴァくちゃん♫」
 ……可憐な少女の姿をしたそれが、唇を開いた。空間に反響する歌声と――どこからともなく、壁や床から這いずるように生まれ出る隷属者たち。意思も何もなく見える彼らがあっという間に通路を埋め尽くし、よろよろと探索を始めた。
 人海戦術ではあるが、速度としては多少、本物の人間やそれに類するものを使った時とは劣る。七十自身も探索に加わり、迷路の攻略へと挑む。

「んぅ……この甘い香りを吸い過ぎる前に突破出来るといいですが……」
 どこからか溢れてくる香気は間違いのない√能力。終始神経をすり減らす猛毒である。しらみ潰しに通路を行かせ、詰まった隷属者たちが動かなくなるのを見届けて、次の通路へと移る間に――ある隷属者がくしゃりと潰れた。
「……時間的に、無理があるかもですね?」
 自身はまだ十二分に動けるが、『召喚存在がさらに召喚している』のが隷属者。数を重視するがゆえに、耐久力という意味では『もたない』。武器を振られれば盾にはなるが、不可視の攻撃を受け続けさせるには心許ない存在だ。

「まさか|ところてん方式《・・・・・・・》で行くのもあれな感じなのですが……」
 こうなっては、ね? フリヴァくと視線を合わせた七十、歌う彼女と声を合わせる。さらに増産される隷属者。
 力技がまだ残っている。香気の強い方へ行けば、隷属者は早くに崩れるのだ。それを廊下に満ちるほどに生み出せばどうなるか――隷属者たちを文字通り足場にして、七十はふんと小さく鼻を鳴らす。
 隷属者らが苦しむほうへ。彼らがみっちり詰まる迷路には探索という概念はもはやない。数の暴力を用いて奥へと、進む。

コウガミ・ルカ

 まただ。
「……っ……グルルル……」
 唸り声を上げるはコウガミ・ルカ(解剖機関の飼い犬・h03932)。甘ったるく鼻を抜けていく香りに不愉快に喉を鳴らす。好きじゃない。否忌むべきものである。レティセンスの甘い香りを過敏に捉える鼻を今ばかりは恨みかねないか。
 不快感を露わにしながらも、ルカは迷路を睨み、そして甘ったるい匂いを辿り始めた。甲高い声はまだ聞こえない――だが近づけば近づくほど、根源である香りは濃くなるはずだ。そして、危険度も増す。

 行き止まりで反響する己の足音を聞き行き先を定め、ルカは進む。どうやら少しばかり作りは単純、奥があるとは限らないが、香りの方向を見定め……最短経路を、その鼻と耳で『導き出す』。

 ガン、と静寂を割る音が響き渡った。砕かれたのは迷路の壁だ。反響から推測した通り、その先にも道が続いていた。どこまでショートカットをしたのかはわからないが、それでも香気が強くなっているのだから、間違った道ではないだろう。
 時短というには派手な破壊行為だ。レティセンスの作り出した空間とはいえ、『|物《壁》を壊した』という事実には変わりなく――。となれば、報告書を書かなければならないか? 少々思考は呑気なものだ。これから先のめんどうくさいことを考えている。

「壊したのは、敵の物。公共物じゃない」
 よし、これでいこう。……小さく自分に言い聞かせるように頷いて、再度ルカは拳を振るった。
 壁をより深く抉るも今度は行き止まり。位置を変えるべきかと小首を傾げ、そしてまたその力を振るう。

 力加減は容赦なく、次々とコンクリートと思わしき壁をぶち抜いていく。その破壊のさまはまるで遊びに興じているうちに『本気』になってしまった犬のようだ。
 ルカは主治医の診察室、その戸を加減を間違えて壊したことを思い出した。あれはひどかった。しかられた。
「……もう大丈夫だって、思ったんだけどな」
 何も大丈夫ではないかもしれない。香気が満ちた通路を進むたびに、思考に淀みが発生する。己が化物である事実を思い出す。本来受け入れられるわけはない自分の身の上、経歴、エトセトラ。レティセンスの√能力により、思考が削り取られていく。
 人間災厄「麻薬犬」。囀る沈黙とは広義のお仲間。だからこそ彼女は、ルカに対してその狂気の言葉を存分に振るったのではないか。だからこそ、『雑音を嫌う』という彼女の価値観は、『自分自身をどう扱うか』というスタンスにまで踏み込んでくるのではないか。
 自然と唸り声を上げる、鈍く焼けた喉で声を出す。考えたくもない思考に頭を振る。

 ともあれ何もかもは遭遇したあとだ。壊す。壊す、壊す……傷んできた手首を回して、それでもルカは愚直に、まっすぐと進む。
 鼻腔を刺す香気が、いっそ痛いほどに濃くなる。近い。もう、すぐそこだ。

 ――香気は満ちて。目前現れた扉を見たルカは、そのまま扉を強く蹴り上げた。報告書に追記だ。

第3章 ボス戦 『『囀る沈黙』レティセンス』


「あら、意外と早かったわね」
 EDENが蹴破った扉の先、災厄は確かにそこにいた。
 ぺたりと座る彼女は、眠る『人間』の頭を膝に乗せ、その髪を漉くかのように撫でながらEDENらを待っていた。実に優雅なものだ。店長らしき人物をそっと床へ横たえて、レティセンスはゆっくりと立ち上がる。爪先が踊るようにステップを踏む。

「不躾な子もいたけれど、いいわ、許してあげる。全員私のお人形になってくれるんでしょ?」
 それは嘲りを含んだ言葉だ。全員だなんて、人形になってくれるだなんて、ひとつも思っていないはず。クスクスと声を上げて笑う彼女はスカートの裾をつまんで、ゆっくりと――|お辞儀《カーテシー》をした。

「……あの子を下手に巻き込まないよう、ご用心♥️」
 にっこりと笑みを浮かべる彼女は、愛らしい少女でしかないが。
 その本性は、お察しだ。
クラウス・イーザリー

「許す気なんて無いくせに」
「当然でしょ? けれどEDENのお人形、ひとつくらいは欲しいものだわ!」
 きゃはは、と耳障りな高笑い。クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)はその声を聞き流しながら考える。自分たちも人形になってやるつもりは無いから、お互い様かもしれない、けれど。『お互い様』で済むのならこんな事態にはなっていない。
 普段ならば銃口をその脳天に向けていてもよかったが、万が一手元が狂えば人質となっている者が危ない――接近し攻撃を加えるのが一番か。手元に引き寄せた機械槍、一気に踏み込んでレティセンスに近接する。黒い茨がレティセンスを包み込むようにして現れ、その一撃を受け止めた。

「せっかちさんね! あなたから人形にしてあげようかしら?」
 刈り取られる茨、クラウスを狙って射出される刺突の茨。棘が頬を掠めて、それでもクラウスは引くことをしない。反撃として繰り出された一撃がレティセンスの体を切り裂く。ち、と小さく舌打ちをした災厄はひらりとスカートを翻してクラウスから距離を取ろうとする。

 人質となっている店長らしき人物を気にしながらも、巻き込まないように注意し――それで意識が逸れ、レティセンスの茨を腕に受けつつ、クラウスは思考を蝕む毒に頭を振った。
 おとなしくしていればよいものを。そうすればあなたも赤くなれるのに。嘲笑にも似た毒の思考。
 唇を噛み締め、茨を逆に引き寄せて拳銃を引き抜いた。用いるは弾丸ではなく銃身に取り付けられた短剣だ。傷と毒を祓い除け、レティセンスが派手に動くことを徹底的に阻止する。
 対するレティセンスは今のところ、店長への興味が失せているらしい。目の前のEDENに対応することを優先している様子だ。お人形候補をそう簡単に渡すものか、と考えているのだろうか――ともあれ。

「ちっ……!」
 いざとなった時――銃口を向けての接射に備えるように、レティセンスの足元は防戦のために、踊っている。

ディラン・ヴァルフリート

 義善であれ何であれ、悪を罰することは良しとされている。好しとされているかはともかくとして。
「どうも……お久しぶりです。其方の景気は、あまり宜しくなさそうですが」
「そうね、こんにちは、|雑音《ノイズ》のひどいひと」
 瞼を下ろしゆっくりと目を細め、『囀る沈黙』は唇を尖らせる。

「どの|雑音《ノイズ》が本物なのか知らないけれど、あなた、ちょっと煩いから嫌いなのよね」
 髪の毛を弄りながら不機嫌そうにディラン・ヴァルフリート(|義善者《エンプティ》・h00631)を見るレティセンスは、ひとつ息を吐いてから、呼吸をひとつもしていない虚竜を見た。
「つまらない方法で来たみたいだけど、息を吸わないからってどうにかなるとは思わないことね!」
 ぶわり。スカートを翻したレティセンス、ベラドンナの花びらが散り、周囲に香気が満ち溢れる。
 しかしそれも織り込み済みだ。発される香りに合わせて発動されたオーラの暴風が部屋に吹き荒れる。完全に香りを払うことはできないが、それでも十分だ。

「このっ……本当、姑息なのよね!!」
「褒め言葉でしょうか」
「嫌味よ!」
 振りまかれ続ける香気を浴びながらも、ディランはちらりと倒れている店長を見る。今のところは無事だ、意識を失っているのは好都合。下手に動かれるほうが面倒だっただろう。
 生きてさえいればいい。後にどうとでもなるのだから。
 視線によって鈍る動作をものともせず、レティセンスの香りは徐々にディランを蝕んでいく。特殊な香気だ。√能力でない手段で防御を固めようとも、√能力が勝るもの。混ざる雑音に細められた目は、何を考えているのか。

「必要に迫られての作業でも……人形集めは、楽しいですか?」
 |影刻《ロア》。音無き残響、彼女はお気に召すだろうか。竜のかたちを写し取った影の|傀儡《かいらい》、見えざる刃が無防備なレティセンスの肌を裂く。その影に気を取られているうちに背後へと。ディランの一撃が、レティセンスの背に然と切り込まれる――!
「ッ……たのしいに、決まってるじゃない!」
 吐き出した捨て台詞、まだ彼女は戦い続ける気でいるようだ。

赫夜・リツ

 静かに、確かに、僅かに――動いている。店主はまだ人形と化してはいない。ならばそれは無事と呼ぶべきだろう、か。
「(とはいえ人形にしたいという気持ちがある以上……)」
 いつ、レティセンスの気が変わるか。もとより気まぐれでヒステリックな災厄、ここで派手に暴れられてはかなわない。店長を巻き込まないよう立ち回る必要がある。赫夜・リツ(人間災厄「ルベル」・h01323)は自分に言い聞かせるようにこくりと頷いた。
 彼ら宿敵旅団が個々で何を思い動いているのか。リツにはまだ想像できていないが、無関係な者を巻き込む所業は許されるべきではない。EDENとして何が何でも阻止しなければ。
「あら、どこを見てるの? 私に見惚れてるのかしら」
 故に、このように笑う災厄の言葉など気にする必要はないのだ。

 ――深紅の光が軌跡を作り出す。光すら置き去りにする超加速でレティセンスへと接近したリツ、その腕がレティセンスの体を打ち据えた。強烈な一撃にレティセンスのか細い体がくの字に折れ、かは、と小さな息を吐き出す――!
「ッ……この!」
 しかし彼女は倒れることなく茨の触手を伸ばし、リツの腕を抉るために巻き付けようとする。
 棘まみれのそれを引きちぎりながら、リツは次なる触手を世界の歪みで弾き飛ばし、さらにレティセンスの体へと一撃を繰り出した。
 もとより近距離戦には不慣れなのか、彼女のステップはややおぼつかない。対するリツの足取りは確かなもので、一歩踏み込むたびに確実な一撃を狙ってくる。
 舌打ちをするレティセンス――それに対応するリツの体にも毒が徐々に回ってくるが、未だ戦える。たとえある程度耐えられる体であっても、慢心はしない。リツは小さく頷いて、彼女との距離を詰めたまま、店主を巻き込まないように立ち回っている以上、ある程度の負傷は仕方がない。

「っ……、捉え、た!!」
 異形の腕が攻撃を受け止め、そして振るわれる腕がレティセンスをぐっと掴み、そのまま部屋の奥へと投げ飛ばした。
 壁に激突しかけたレティセンスはすぐさま体勢を立て直し、触手を勢い良く伸ばしてくる。この距離ならば次の一手が間に合う――レティセンスの左手を狙ってリツが投擲するは『黒刃』だ。
 咄嗟に触手で弾き返すも、念動力により動きを補正された黒刃は、レティセンスの手に確かな傷をつける――!
「っ! 何するのよ!!」
 災厄の左手は途端に力を失い、手首からだらりと垂れ下がる。動かなくなった左手を庇いながら、レティセンスはリツへと吠えた。だが彼は動じない、彼女にまともに応答したところで返ってくるのは罵倒だけだ。

「(誰も人形にさせたりしない)」
 その誓いを胸に、リツは囀る沈黙を見据える。ピーチクパーチクと不機嫌そうだが、それでいい。その声に合わせて、嘲笑うかのごとく異形の腕が疼く。

ヒルデガルド・ガイガー

 ひらりひらりとスカートの裾を振ってみせる災厄、ご機嫌と不機嫌の間にいる。
「見た目に似合わず物騒なことを仰いますね、可愛いお嬢さん」
「あら、お姉様。私の魅力が分かるだけ素敵ね♥️」
 多少機嫌が良くなったとしてもそれは一時的なものだ。香気を振り撒くことは既に止めているが、いつ倒れている店長をうまく『使う』か分かったものではない。

「売られた喧嘩はとことん買わせていただきましょう」
 構えた得物の輝き、刃に映るはレティセンス――さあ、不恰好に踊ってもらうお時間だ。ヒルデガルド・ガイガー(怪異を喰らう魔女・h02961)の長身が、レティセンスの体に濃い影を落とした。

 先手を取ったのはレティセンスだ。無数の茨を生み出し、一部は己の防御へと、そして残る茨をヒルデガルドへと向け勢い良く射出する。迫る切っ先にヒルデガルドはふん、と鼻を鳴らした。
「ガキが。まともに通ると思ってんのか?」
 ヒルデガルドは嘲るように笑った。――霊圧を受けて萎れる茨、それを踏み荒らしながら近接する彼女。レティセンスが目を見開き、己の体へと檻のように巻き付けようとした茨さえ動かない。焦るレティセンスの体を霊力の鞭が拘束し、そのまま霊力刃が、レティセンスの体を切り裂く――!
「あ、ぐ、あぁっ!!」
 悲鳴と共に血液代わりの花びらを散らすレティセンス。拘束がほどけた瞬間、爪先を踊らせ距離を取るレティセンス。一筋縄ではいかない相手だと理解したらしい。冷や汗をかきながら、彼女はヒルデガルドを強く睨みつけた。

 振りまく香気が再度部屋の中へと満ちていく。だがヒルデガルドはそれに少々首を傾げて、嘲るように笑うだけだ。
「趣味の悪ぃお人形遊びなんかしやがって。この俺様を操りたきゃテメェの命で対価を払わせてもらうぜ」
「チッ……命なんか差し出しても、あなた、きっとちっとも動かないでしょう!」
 香気を振りまきながら放たれる黒い茨。鈍い毒によって思考に若干のラグが生まれたからか、避けようとしたヒルデガルドの体を掠めるようにして傷つけていく。だが彼女がそれで止まるわけもなし。黄泉の刃は然とレティセンスの体を狙い切り裂いていく。

「う、ぐっ!!」
 彼女がどこから香気を発しているのか、定かではないが。少なくともスカートを翻している以上、下半身だろうか。太ももを狙い放たれた侵蝕刃が肉を抉り取る。欠け落ちた肉片を拾い上げ咀嚼しながら、ヒルデガルドは更なる追撃をレティセンスへと叩き込んでいく。呪いのごとくゆっくりと――互いに消耗し続ける戦い。だが、優勢なのはヒルデガルドだ。

「俺は簒奪者なら女子供だろうと手加減する気はさらさらねぇ。チビに似合わねぇ破壊力で死ぬほど俺を楽しませてくれよな」
 放たれた茨を撫で斬りながら、ヒルデガルドは楽しげに笑い声を上げた。レティセンスは苦しげに囀ることしかできない。

コウガミ・ルカ

 コウガミ・ルカ(解剖機関の飼い犬・h03932)のとらえた匂いは、覚えのあるきつく、甘い香りと、血液の匂いだった。
 この匂いは嫌いだ。
 元凶は目前、迷路で拾いあげた匂いよりも格段に強い。あまくとろけて頭の中がつっかえる感覚。不用意に近づけばレティセンスの思うつぼか。
「人形に、なるつもりはない。前も言った」
「く……この……バカにしてッ……」
 ルカの宣言に対し、囀る沈黙は苦しげに声を上げている。礼儀も何もあったものではない。猟犬に必要なのは主人の言葉だ。ルカは淡々と、己の首輪に手を伸ばす。カチリと音を立てた|それ《スイッチ》――そして取り出したるは、ナイフ。
 レティセンスがそれに身構えた次の瞬間。ルカはその刃を、自分の首へと滑らせた。

 ぱ。と、レティセンスの首から花が咲いた。否、それは血液だ。散った途端に花びらへと変わるそれ。ルカが傷つけた首筋から花咲くベラドンナ――!
「いっ……づ、あぁ!!」
 悲鳴を上げて首を押さえる少女。ルカの首元からも同じように血液が垂れていく。痛覚を麻痺させた肉体でも若干の違和感を感じ取りつつも、ルカは平然と言葉を発する。
「……巻き込まない。傷を受けるのは、俺とお前だけ」
 倒れ込んでいる店長を一瞥したルカ。自傷によって共有された傷――それが、ルカのものだけがゆっくりと、しかし確かに埋まっていく。レティセンスは首を抑えたまま、まるで『化物』でも見るような表情で、ルカを睨みつけていた。

「……もう一度、受けるか?」
 死なないなら、死ぬまで続けるだけだ。ナイフを握るその手を狙い、声を失ったレティセンスの茨が奔る。それを切り捨て、一定の距離を取りながらルカは静かに――|雑音《ノイズ》の少ない思考で、的確に切断していく。
 まだ動くか。動いてみせるか。細めた目の先、憎悪に満ち溢れた視線が、囀ることすら許されなくなった『目』がルカを睨みつけていた。はらはら散り行くベラドンナ、長くはないが――厄介だ。このまま発狂されてはたまらない。もとより、狂気に満ちているのだから、発狂もなにもあったものではないかもしれないが。

 狩猟本能は正しく制御されている。再度スイッチを押そうとするその指先に茨が届いた。だが、引き剥がせない。かちり押し込まれたボタン、次なる狙いは――。

「ッ――あ」
 ようやく絞り出せた声は、囀りと呼ぶには不恰好だった。解けていく茨が影となって、薄まり、消えていく。……ルカが狙ったのは、己の心臓だった。
 深く貫かれた刃。流石に耐性があれど、それは自滅行為。『呪い』をまともに受けたレティセンスは、胸から滴り落ちるどす黒い血液が自らのドレスに染みを作っていくのを見た。あり得ない。とどめのために、自ら共倒れを選ぶなど――!

「ッ……うる、さ、ぁ」
 辛うじて聞こえた声を最後に、レティセンスがその場に崩れ落ちる。ルカもまた、床に膝をつき……胸に突き刺さったままのナイフから、手をゆっくりと離したのだった。

 囀りは、止まった。

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