メイデン・オン・ザ・キャットウォーク
●√ウォーゾーン
「ミケ、今日は機嫌がいいね」
少女に指先で優しく撫でられると、猫は満足げに喉を鳴らして細い目を閉じた。
戦闘機械都市“ミアス・ガータス”。
かつて人類が奪還したそれの居住区域から少し離れた場所。非常灯が仄かに照らす半地下の隧道、その縁に伸びる|点検通路《キャットウォーク》の上で、少女は束の間の安息を味わっていた。
明日をも知れぬ日々の中で、足元に寄り添う小さな命は、夢のような心地よさを与えてくれていた。慢性的な食糧不足の中、配給された物資を猫などに分け与えるなと大人に罵られた事もある。それでも諦めたり見捨てたりできなかったのは、小さく狭い空間で暮らす|彼ら《猫》が少女にとって唯一の家族だったからだ。
「ごめんね、ドナ。ご飯はもう残ってないの」
縋ってきた一匹に申し訳なさそうな声を返すと、灰白色のそれは「仕方ねぇ」とばかりに鳴いて、撫でられるのを待つように丸くなる。そこに憂いを覚えない訳ではないが、少女は満たされずとも穏やかな日々が続けばいいと、そう思っていただろう。
けれど、日常とは容易く崩れ去るものだ。静寂を裂く轟音。びりびりと痺れるような震動が伝わり、異変を感じた猫たちが少女の下に集ってくる。
「……なんだろう」
装飾もない冷たい鉄板の合間、僅かに設けられた覗き窓のような隙間から外を窺った少女は、大きく目を見開きながら自身の口を両手で覆った。
見慣れない服を着た“同じ顔の女性たち”が街路を横切っていく。人の形でありながら金属の軋む音を立てていたそれは、手にした刃で都市の住人を次々と斬り殺していた。
あちこちで火の手も上がり、その中を逃げ惑う人々の悲鳴が段々と小さく、少なくなっていく。それが意味するところを理解できないほど少女も幼くはない。見るに堪えない光景から目を背けて縮こまると、猫たちが少女を守るように身体を寄せてきた。
「どうして、こんな……」
飢えにさえ向けた覚えのない絶望が、囁きとなって無人の通路に消える。
覆せない運命の先に待つものを想えば、非力な少女の頬を一掬の涙が伝った。
●星詠みの語るところによれば
「――とまあ、これが|私に降ってきた予知《ゾディアック・サイン》でございます」
星詠みの|獺越《おそごえ》・|雨瀬《あませ》(流るる語り部・h05081)は語り、√能力者たちを見やる。
「件の都市が襲撃された理由までは分かりませんがね、√ウォーゾーンの人類と言えば機械に虐げられる側でございますから、とにかくこれでもかと人死にが出るのは間違いないでしょう。老若男女の区別など無く、ね」
それを予め知る事が出来たのだ。勿論、見過ごす訳にはいかないだろう。
「行ってくださる、というのであれば、もう少しお伝え出来ることもありますよ」
雨瀬はそう言って、さらに言葉を継ぐ。
「まずは敵の尖兵について。これは量産型のメイド人形で大した強さじゃないようですが、とにかく数が多い。おまけに幾らかで纏まって動いとりますから、集団から一人二人でも取り逃すと『皆さんの存在が敵方にすぐ察知されてしまう』かもしれませんな」
それを許さぬとばかりに発見した敵を迅速かつ徹底的に撃破しながら、一気に攻め上がるというのはシンプルに有効な作戦だろう。
「その場合は相手方も態勢を整えられませんから。敵指揮官を撃破するにあたって優位な状況が作れるでしょうし、指揮官を倒せば虐殺は止められるでしょう」
もっとも、それまでの僅かな間には道中で遭遇しなかったメイドたちが破壊や蹂躙を行うだろう。その被害がどの程度、どのように及ぶかは星詠みにも分からない。
一方、敢えて一部の敵を逃し、√能力者の出現を知らしめるのも作戦の一つだ。
「敵さんの指揮官は慎重というか臆病というか、まあはっきり言ってしまえば“我が身が一番”なタイプのようでして。|蟻んこ踏みつぶす《一般市民の虐殺》だけのつもりで居たら|狂暴な虎《√能力者》が出てきた、なんて話になると真っ先に自分の守りを固めに動くでしょう」
敵方には後詰めとして、尖兵とは異なるメイドの大規模な部隊が控えており、それらに守られた指揮官を撃破するのは難しくなるはずだが……裏を返せば敵が一か所に集中する事になり、単に市民の虐殺が止まるというだけでなく、予知にあった無辜の少女や猫たちも確実に助かると断言できる。
「一直線に突き進むか、後の労苦を背負ってもとするか。それは皆様がお決めになることですから、私は只々“何とかしていただける”ことを祈るだけでございますよ」
では、ご武運を。
雨瀬は頭を軽く下げながら言って、話を終えた。
第1章 集団戦 『お掃除ロボット『DSN205型0番台』』

機械都市“ミアス・ガータス”に辿り着いた√能力者たちは、すぐさま敵と出会う。
「……あら、そんなところにもいましたの~?」
やや緩慢な語り口のそれは丈の短いメイド服に身を包み、片手に剣を携えていた。
刃先から滴る濁りは油か――それとも。
「どうしましたの~?」
「まあ、新しい人間ですの?」
「さっさと処分しないと御主人様に怒られますの~」
メイドは次々に沸いてくる。路地の狭間、鉄柱の陰、建物の屋上。
そうして、数に任せて√能力者たちを葬ろうとして。
「……あら~? こいつら、何かちょっと変ですの~」
「ただの人間じゃないっぽいんですの~」
「メイドセンサーの故障ですの~? これだから|初期型《ふりょうひん》は困りますの~」
「お前も同じですの~。でも御主人様には報告した方がよさそうですの~」
疑問と罵倒と相談を手短に纏めると、一機が踵を返す。
都市中枢部――敵指揮官のところへと√能力者の出現を告げに行くつもりだろう。
それを止めるか見逃すか。選択の影響は、星詠みが告げた通りだ。
燻る炎。幾つかの瓦礫。仄かに漂う焼け焦げた臭い。戦場では物珍しくないそれらの合間を駆け抜けた先に、場と不釣り合いなメイド姿が窺える。
(「全部片づけて一気に攻めた方が合理的……だけど」)
星詠みの言を思い返せば、最良と最善は両立しない。
ならばどちらを選ぶべきか。判断を下すのは自らの信念、またの名を正義。
(「私は私の正義を信じるわ」)
後の苦労が分かっているとしても、より多くを確実に救える道を。
憧憬を抱く二人、己が名と技の中に生きる彼女たちだって、きっとそうしたはずだ。
(「――ってことで、あえて何体かは放置する!」)
カレン・イチノセ(承継者・h05077)は決断と共に散弾銃を構え、あの日見た金髪灼眼のスーツ姿を追うように敵へと突っ込む。
細めた青い目は狙撃兵を務められるほどのものではない。ゆえに射程限界ギリギリから面を制圧するように弾を散らせば、メイド人形たちもさすがにセンサーで存在を捉えたか、一本の糸で操り手繰られるようにして一斉に襲撃者の方を見やる。
「人間ですの~?」
「でも機械ですの~」
「半端な混ざりものですの~」
「じゃあ|私たち《不良品》以下ですの~」
「……ふざけるんじゃないわよ……!」
言うに事欠いて量産型の機械人形にそんな評価をされるだなんて。
さすがにむかっ腹が立つ。その怒りを吐き出すようにして引き金を引けば、雨あられと降り注ぐ鉛玉を受けて穴だらけになった一体のメイド人形が崩れ落ちた。
「まずいですの~。どうしますの~?」
「私がメイド長と御主人様に報告してきますの~」
言うが早いか、同胞に咎められるのも気にせず戦場に背を向けたメイド人形を、カレンは予定通り黙って見送る。
あれが√能力者の襲撃を告げれば、敵の指揮官は戦力を自らの下へと集め、虐殺の手を止めて守りに入るはずだ。
(「……でも、敵の戦力は少しでも減らしておくべきよね」)
伝令役は一人でも十分だ。残りは全て葬り去ったとしても影響はない。そうと断じればカレンの動きはさらに速く、影さえ踏ませぬ勢いで敵との間合いを詰めて。
「かなり重いから覚悟しておいてよね!」
振り上げた|黒鉄の拳《フォーティ・キャリバー》が風を切って唸る。メイド人形の顔に打ち込んだ無骨な右手は、人間と異なる冷たく硬い感触を砕いて屑鉄に変えたが――。
「野蛮ですの~」
「大人しくさせるですの~」
仲間が破壊される様に悲鳴も上げず、メイドたちは布のようなものを伸ばしてくる。
「お前はどこから来たんですの~?」
「白状するですの~」
緩慢な語り口に騙されそうだが、要は拷問にかけようというのだろう。
捕まる訳にはいかない。一見して生身と変わらない義肢の左脚で地を蹴れば、敵の攻め手を上回る速度は攻撃力へと転化して再びメイドを穿つ。
一撃必殺。一撃離脱。そんなスピードとリズムを重視した格闘術の前に、機械人形は為す術もなく一つ、また一つと動作を停止させて、物言わぬ鉄塊と化していった。
「九、いつも通りだ」
呼びかける東條・時雨(東條探偵事務所の所長。・h05115)の声が、いつにも増して怒気を孕んだものである事に気付いたとしても、|九《いちじく》・|白《つくも》(壊し屋・h01980)は無言のままで先を促す。
「俺が援護する。お前は後ろを気にせず、奴らを叩き潰せ!」
返答は一度の頷き。それで十分。後は合図が下るのを待つだけだ。
時雨が“対戦闘機械群用量産型PDW”を構えるのに合わせて、彼に随伴する戦闘用ガイノイドの“ヘカテー”も照準を定める。
その銃口が火を噴けば――戦いの幕開け。
先んじてメイド姿の機械人形たちに襲い掛かる鉛玉を、白の巨躯が力強く追っていく。行く手を遮るように生えていた鉄柱を理外の膂力で圧し折り、猛然と敵群の中に飛び込む最中、振り上げた片腕へと何処からか飛んでくるのは一基の卒塔婆。
何処へ捨てようとも必要な時に手元へと戻って来るそれは、|邪魔するものは薙ぎ払え《ガイシュウイッショク》という白の意志を示す為の得物。空を裂いて俄かに撓り、数多の銃弾に足止めされる機械人形たちへと炸裂すれば、二振りで幾つもの首を刎ね飛ばして使い道の無いガラクタを量産してみせる。
「さて、次はどの不良品がスクラップになるんだい?」
サングラスで己の正体と鋭い視線は隠しながらも、口元は邪悪に歪めて敵を煽る。
スキンヘッドに浅黒い肌の巨漢の振る舞いは傍目に見ても恐ろしいが、しかし機械人形たちに畏怖という感覚はない。語尾を緩慢に伸ばす語り口で|戦闘陣形の種別《フォーメーションZ》を告げ、機械らしく遊びも無駄もない動きで白を取り囲もうと試みる。
一切の感情を含まない、その秩序整然たる行動は時雨が|腐るほど見てきた《・・・・・・・・》であろうもの。
なればこそ読みやすい。否、予想や予測という範疇ですらない。もはや確定した未来を見ているに等しい。どうせそんなことだろうと沸き上がる嘲りも怒りに転じて、引き金を引けば正確無比な銃弾が機械人形の眉間を貫く。
「人間風情が調子に乗るなですの~」
機械が気の抜けた声で威圧するような台詞を吐いても、ヘカテーとの連携で弾幕を張る時雨には中々近づけない。
そちらばかりに注意を向ければ剛力無双の巨漢が殴る蹴るの喧嘩殺法で襲い掛かり、片腕で持ち上げた機械人形を別の機械人形へと叩きつけて粉々に粉砕してみせた。規格外すぎるそれは末端の機械兵ごときで対処できるものでなく、けれども白の手から逃れようとすれば銃弾の軌道さえも自在に操る時雨の射撃に狙われて御陀仏。
まさに八方塞がり。しかし機械人形たちは状況を覆すような戦術など持ち合わせておらず、それでも全滅に向かって一直線の事態から抜け出すために最終手段とも呼ぶべき方策を取った。
「こいつらの事を御主人様に報告しますの~」
そう宣う一機が戦場に背を向け、機械都市ミアス・ガータスの中枢部へと走り出す。
もはや自分たちだけではどうにもならないから、より強大な戦力に後を託そうという訳だ。あからさまな逃走。普段であれば、そんなものを見過ごしてやるはずはないが。
「クソッタレの木偶人形が、とっとと失せやがれ!」
叫ぶ時雨は逃げる一機に照準を合わせながら、敢えて銃口を下げる事で足元への威嚇に留める。
白も同様だ。行く手を阻もうとするものこそ肘鉄一発で粉砕してみせるが、深追いはしない。
(「ま、仕方ないね」)
そうする事で敵の指揮官に脅威の存在を知らせ、虐殺から防衛に転じさせて都市内の被害を減らす。
|住人《大》の為に、白自身を含めた|√能力者《小》に負担を強いる。それこそが当初からの作戦であり、利他の精神ではなく白の矜持による目論見。
「……頭で分かってはいるが、な」
苦虫を嚙み潰すような顔で呟いた時雨が煙草に火を点ける。
機械では成し得ない、相反する感情と理屈の狭間でこそ生まれるその表情を言葉少なに見つめながら、白は敵指揮官のもとに正確な報告が届く事を願った。
やはり肉に当てるのと鉄に当てるのでは感触が違う。
そも、|久世《くぜ》・|八雲《やくも》(山羊髑髏の仮面医師・h01940)は内科医だ。朝から晩まで|刃《メス》を握って病巣を切り取るのでなく、検査結果に応じた薬物療法を行うのが専らの仕事であろう。
それでも|プラスチック柄《安っぽい見かけ》の使い捨て手術器械を握り、メイドの姿をした機械人形を組み立て前の部品よりも細かく刻んでみせたのは、それこそが|都市《まち》を蝕む病の唯一にして絶対なる治療法だったからだ。
「これじゃあ、解剖というよりは解体だがね」
素っ気なく皮肉るような台詞を吐く。たとえ自己満足と等しい義侠心で首を突っ込んだのだとしても、ひとり命と向き合うべき時には、山羊の頭骨に秘された顔も真剣であるに違いない。
「変な奴ですの~」
「変な骨ですの~」
「御主人様に報告しないといけませんの~」
何処か間の抜けた声で口々に宣うメイド人形は、すぐに同胞の一人を機械都市ミアス・ガータスの中心部へと走らせた。
八雲の、ひいては√能力者の逆襲を知った臆病な敵指揮官は、すぐさま守りを固めに入るだろう。
(「それはそれでいい。寝覚めを悪くしたくはないからね」)
守勢に転じるという事は、即ち都市に向けた暴虐の手を止めるという事。破壊と殺戮が中断され、犠牲となるはずだった者たちが救われるのであれば、後に自らが苦労を背負うと解っていても敵を見逃すのは予定通り。
だが、逃走離脱を許すのは一機だけだ。
「どちらが処分される側か教えてしんぜよう」
あっという間に刃こぼれしたメスを捨てて、霊刀を握る。
刃長|二尺四寸《73cm》、全長|三尺《91cm》。外科の商売道具などより余程手に馴染むそれを構えて、四方を牽制するように目を配れば、メイド人形たちも本陣に走らせた一体を守るつもりでいるのか、先に進ませまいとばかりに八雲を取り囲む。
「フォーメーションパターンBですの!」
「……ま、定石と言えば定石だろうね」
此方の得物は刀と拳とメス。多数を相手取るに向いているとは言い難く、数に任せた包囲戦術で退けようというのは、実に機械らしい合理的で効率性の高い判断だと言えよう。
なればこそ容易に予想出来る。傾向と対策だ。メイド人形たちがそう攻めてくると分かっていれば、此方も打つ手を用意できる。
「策というには烏滸がましい、力技かもしれんが――」
長剣の薙ぎ払いに霊刀を添えて受け流し、拳や蹴りには同じ手段を用いて対抗。
攻撃をいなしながら十分に敵群を引き付けたところで、八雲は研ぎ澄ませた意識を周囲へと放つ。殺気とも呼びたくなるそれが|精神《心》でなく|物理《回路》に干渉したとすれば、ラベリングは“念動力”の名でされるべきだろう。
機械には理解できない力――とまでは言い難いが、しかし少なくともメイド人形たちの想定外であった事は確か。処理に時間を要している間に踏み込んで霊刀を振るい、肘、膝、肩、腰、首と装甲が貧弱そうな部位を狙って次々に打ち込めば、血の代わりに油を垂れ流す敵は機動力を失い、恨みがましく視線だけを投げてくる。
人のそれと見紛うような瞳だ。薄っすらと青く、濁りの無い瞳。
だから何だ?
「がらくたに用はないよ」
山羊骨の奥から冷やかな言葉が零れる。再び手に戻ったメスが、メイド人形と共に手近な鉄柱をも解体する。
崩れる最中にも幾つかに分割された瓦礫は八雲に迫る機械人形たちへと降って、単純な質量でそれらを圧し潰すことで“がらくた”へと変えていった。
√能力者は完全に死ぬことが出来ない。
たとえ死を迎えてインビジブル化しようとも、いずれ必ず元の状態に蘇る。
永遠の輪廻に終止符を打てるのはAnkerのみ。
それが全ての√能力者に共通する常識であり、世の大多数にとっての非常識である。
(「普通の人は一度死ねば終わりだ」)
クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)の独白は無色透明のようでいて、無辜の人々を理不尽に貶める機械戦闘群への怒りを孕んでいた。
他でもない、クラウス自身が|この世界《√ウォーゾーン》の人間であり、家族を失った天涯孤独の身であるからだ。それでも口を真一文字に結んだままで戦場を駆けるのは、単に|感情表現《アウトプット》をあまり得意としていないだけ。
それに引き替えて、シアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴン・プロトコル》・h02503)などはすぐ顔に出る。
「むー、よくないのに。よくないのにー」
むくれ顔をつねり引っ張り、どうにか戻そうとしているものの一向に直らない。けれどその表情の源がクラウスの胸中と同義であるなら――本人が悶々としているのはさておくとして――溢れんばかりの良心の証左を必ずしも隠す必要はないだろう。
「別にいいんじゃない、そのままで」
「ふぇ?」
みょーんと青い肌を引っ張っていたシアニは緑の大きな目で少年を見やる。
しかし、クラウスから同じ台詞が返って来ることはなかった。
「敵だ」
短く告げた彼と同じ方に視線を移せば、路地を制圧するように並ぶ幾人ものメイド人形の姿が窺えた。
あれを完全に殲滅するか、それとも後の負担になると知って少し逃がすか。
「あたしは逃がしたい」
竜人の少女が躊躇いなく意志を明かすと、人間の少年も無言のままに頷いた。
√能力者は完全に死ぬことが出来ない。
ならば己が身を圧し潰すほどの苦難を背負っても、進むべきは多くの命を救う道。
その道を征くにあたって今日、同じ想いで背を預けられる相手と出会したのは、戦場における唯一の幸運かもしれない。
「さあ! 先に止まった方の負けだよー!」
堂々と声を上げながら進み出たシアニの両脚は空色に輝く|不完全な竜《フォルスドラゴン》の脚。
割り砕く程に強く地を踏み締めて一気に加速する少女を、メイドたちはセンサーに捉えはしても反応が追い付かない。
横薙ぎに振るわれたシアニのハンマーが纏めて搔っ攫うように機械人形を打ち叩く。派手に転がって路地や鉄柱や鉄の壁に衝突したそれらは、電流を浴びたように痙攣した後にあちこちを小さく爆発させて沈黙する。
「なんですの~?」
「よくわからないけど捕まえますの~」
まだ無事なメイドたちが緩慢な声で宣うと、それらは一所に留まらないシアニを捕らえようと襲い掛かる――が、しかし。
反攻に立ちはだかる人影。その背から降る光の雨は竜人へと伸びかけた手を貫き、そのままメイド人形たちを全て押し流すように過ぎていく。
「俺は逃げも隠れもしない。幾らでも掛かって来るといいよ」
敵の意識を集める為のあからさまな挑発。
クラウスの意図は明らかだが、それを見越した対応を取れるほど機械人形たちの回路は良質でなかった。
「メイドフォーメーションパターンZですの~!」
号令一下、陣形を組んだメイドたちは華麗なチームワークでクラウスへと――。
「とぉー!!」
仕掛けようとしたところで竜の脚に蹴り飛ばされて、早速隊列を乱す。
二人の√能力者が即席コンビながらも敵を上回る連携力を発揮しているのは、|初期型《不良品》メイド人形たちとの単純な|能力《性能》差によるのだろう。攻撃を妨害したシアニへとまた注目が移れば、竜人はその強靭な脚力を武器に高く飛び上がって捕縛を目論む敵から逃れ、天仰ぐ機械人形たちには再び光の雨が降り注ぐ。
ならばとメイドたちがクラウスに目を向け直せば、今度はシアニのハンマーがスクラップと化した人形を砲弾代わりに打ち出して攻撃。慌てて散り散りに避けようとする敵の動きはクラウスが瞬時に弾道計算へと組み入れて、レイン砲台からの冷徹なまでに正確なレーザーがメイドたちにトドメを刺していく。
「このままではまずいですの~」
「フォーメーションパターンAにチェンジですの~!」
危機感も緊張感もない呼びかけだが、それでも陣形に変化があったのは確か。
もはや二人の正体などどうでもいいから始末しようというのだろう。長剣を振りかざして次々に迫り、その勢いで以てクラウスとシアニの動きを鈍らせたメイドたちは、ようやく鼻先まで刃を近づける事に成功した。
だが、最後の一押しが叶わない。クラウスへと向かうそれは|忽然と離反して《ハッキングされ》同胞に斬りかかり、生じた混乱の最中に機械すら割り砕く手斧と光刃の居合一閃で屑鉄に。
シアニへと挑んだものは刃が振り下ろされる瞬間にハンマーを合わせて弾かれる。外見からは想像し難い戦闘経験を積んできた彼女にとって、竜の爪牙に遥か劣る斬撃など脅威ではないのだろう。
「こいつらヤバいですの~」
「御主人様に報告するですの~」
悲鳴に同調した一機が、踵を返して戦場から逃れていく。
それを見逃し、指揮官に脅威を伝えて守りを固めさせるべきと決めはしたが。
「わすれもの、だよっ!!」
単に見送るのは腹立たしいと、シアニがスクラップと化した敵をハンマーの一撃で叩き飛ばしてから吼える。
「次はあなた達がこうなる番だから!」
「……これで、虐殺が止まると良いけど」
竜人の威嚇にも顔色一つ変えずに呟き、クラウスは逃した敵が期待通りに働く事を願った。
その両眼は何故、世界の重なりを|幻視《み》る事が出来るのか。
答えは多々在れども、不動・影丸(蒼黒の忍び・h02528)は一つ確たる信念を持つ。
(「救える命に手を伸ばさず、√能力者を名乗れるものか」)
この機械都市ミアス・ガータスに今日降りかかる災いを知り得ておきながら、見過ごすなど言語道断。なればこそ己が使命を忍務と掲げ、必ずや成し遂げてみせよう。
「ジ! クガ! イフリズ! 出よ、倶利伽羅龍王剣!」
誓願を呪言に変えれば地に広がる曼荼羅から一振りの刃が飛び出して、それを逆手に構えた影丸は機械都市の路地を疾風のように駆け抜ける。
草鞋履きの両足は微かな音も立てず、黒ずくめの装束は這い寄る闇の如し。影から影へと渡る忍びの気配を、|初期型《不良品》メイド人形などが掴めるはずもない。
そうして敵群へと迫った影丸は炎纏う剣の一太刀で宙を切り裂く。歪み、捻れ、灰も残さず燃え尽きて虚空と化した其処には世界を補うべく周囲の空間が流れ込み、その巻き添えを受けた数体のメイド人形は何が起きたのかも|理解《分析》できないまま、己の身を中空に漂わせた。
「――これで崩れたな」
地の軛から解かれたメイド人形たちが最期に聞いたのは、驕るでも蔑むでもなく、只々事実だけを告げる声。
影丸が九字を切るように倶利伽羅龍王剣を振るえば、機械人形は悉く鉄屑と化して、再び地へと落ちる前に跡形もなく燃え尽きる。
「もしかして敵ですの~?」
「敵なら処分――」
緩慢な台詞を垂れ流す間にまた一つ。機先を制して敵陣を崩し、勢いそのままに切り込んだ影丸の剣は、休む事無く戦闘機械群の尖兵を葬っていく。その度に刃に纏う炎が宙へと紅蓮を描き、靡く漆黒の首巻の長い影を地に垂らす。
「フォーメーションBを崩すなですの~」
「相手は一人ですの~。慌てるなですの~」
宣う機械の従者たちは声音こそ変わらないが、急襲による混乱は明らか。
それを助長するのは影丸の技。忍びは切り裂いた空間に敵を引き寄せるだけでなく、時に自らを委ねる事で縮地の如く瞬間的な移動を行って、彼我の間合いを自在に操る。メイドたちが長剣一本で追い回すのは至難の業。
だからこそ、彼女たちには|戦闘陣形《フォーメーション》という武器が必要であったのだが……型落ちの機械でも理解る事を忍びが見抜けないはずもない。此処に影丸という兵を呼び寄せてしまった時点で、既に機械兵たちの敗北は必定だったのだろう。
それでも意地を見せたか、流れの中で一体のメイドが影丸へと迫った。
「お片付けの時間ですの~」
間の抜けた声と共に振り上げた剣が閃く――が、しかし。
忍びを討つはずだったそれは忽然と現れた同胞の胸に刺さり、瞳を濁らせて機能停止するそれを見やったメイドは、喚いたり泣いたりする事もなく暫し佇む。
ほんの一瞬。瞬きする程の時間だ。それでも戦場に在ってはならない無防備な瞬間を、機械でも動揺するのだと見るか、はたまた単に|不具合《エラー》だと思うか。
引き寄せの技でメイド人形を盾にした影丸は何も語らず、すぐさま自らに肉薄した敵の背後を取って始末する。
その冷淡とも見える有様に、戦力を減殺された機械兵たちも遂に処理限界を迎えた。
「これ以上は無理ですの~」
「御主人様に報告しないとですの~」
言うが早いか、数機のメイドが影丸から逃れるように駆けていく。
さんざっぱら空間を操ってみせた忍びが、それを追って討ち果たすなど造作もない事であるのは明白だが――影丸は足止めに残った敵を切り伏せると、その場に留まって遠ざかる背を見送る。
(「√能力者の襲来が指揮官に露見する。それこそが最も多くを救う道であるなら」)
後の困難の種になろうとも敢えて逃そう。
影丸は不動の信念で以て選び取った未来を見据え、一先ず矛を収めた。
第2章 日常 『キャットまみれのキャットウォーク』

戦闘機械群の指揮官のものと思しき怒声が、彼方から響いてくる。
√能力者たちが敵の尖兵を逃して自らの存在を明らかにすると、機械都市の方々で暴虐に勤しもうとしていた機械人形たちは、すぐさま都市の中枢部に集められて指揮官防衛の任に就いた。
これで当面は無辜の人々に犠牲が出る事もないだろう。もっとも、群どころか軍と呼べるほどの機械兵たちが一所に集まったことで、√能力者たちも軽々に仕掛ける訳にはいかなくなってしまったのだが――それも含めて、全ては予知された通りだ。
故に、現状を打開する策も授けられている。敵指揮官のすぐ側へと続く点検通路。かつてこの機械都市が人類に仇なす存在だった頃の名残であり、人が住まうようになったが為に忘れ去られてしまった小路。其処を通り抜ければ、防衛部隊に阻まれず一気に敵指揮官の首を狙えるはず。
かくして、√能力者たちは件の点検通路へと忍び込む。
……と、其処に居たのは怯える一人の少女と、通路を埋め尽くさんばかりの猫の群れ。
「ティツィ、だめ!」
少女は√能力者に飛び掛かろうとした一匹を抑えるように抱えて、潤んだ瞳で此方を見やる。都市の様子を隠れて見守るしかなかった不安からか、それとも見慣れぬ者たちの姿に自身の命運も尽きたと思っているのか。
いずれにせよ、彼女を庇うように取り囲む猫たちからは強い敵意が滲んでいた。ともすれば刺し違えても主人を守ると言わんばかりの鋭い視線だ。
さて、このままでは敵の下に辿り着く前に大変なことになってしまうだろう。
猫たちの警戒を解き、少女を安心させてやらねばなるまい。
……そんな事をしている|時間《余裕》があるのか?
大丈夫だ。敵部隊は未だ強固な守りを維持しているはずだが、姿を現さない√能力者たちを警戒し続けるのは機械でも中々の負担であろう。臆病な敵指揮官には今暫くプレッシャーだけで消耗してもらい、此方は猫との戯れで英気を養うのだ。
「……うん、無事だ。予知通り、もしくは詠み通り、だね?」
何処かに向かって話しながら現れたのは山羊骨仮面。
|点検通路《キャットウォーク》の少女がぴくりと身体を震わす。それに今気づいたとばかりに目を向けて、骨被りの中身である八雲は肩をすくめると少女に向かって言った。
「ああ、失礼。こちらの話だ」
どちらの話だ? なんて少女が問い質すはずはない。骨の下に男の顔があるだろうことは声からも想像がつくが、明らかに街の者でなければ学徒兵などでもなさそうな怪しい白衣の男に対して、何の力もない娘が出来るのは只々身を硬くするくらい。
その緊張を少しでも解そうと、八雲は努めて友好的だと感じさせるように声を出す。
「小生含め我々は、メイド機械達を追い払い、これから指揮官を倒しに行くところさ。シンプルに言えば、味方ってわけだよ」
「みかた……助けてくれるの?」
「勿論」
当然だ、任せたまえとばかりに胸を叩いて、それから八雲は自嘲気味に続ける。
「怪しい人物と思われても仕方ないのもいるけどね。小生とか」
「……しょーせーさんは、どうして骨なんか被ってるの?」
「どうしてって、強そうだろう?」
「そうかな……?」
「そうとも」
自信たっぷりに胸張って答える。
真偽は重要でない。大事なのは少女を安心させること。だから今は“しょーせーさん”で構わないし、骨を被っている理由にもそれらしさがあればいい。そもそも、その骨は適切な|役割を演じる《ロールプレイング》の為の道具なのだから。
「……それで、良ければそこらでシャーシャー言ってる猫達にも、小生が味方だと伝えてはくれないかね」
「え、あ、うん」
ハッとした顔で応じた少女は猫たちを手招きして呼ぶと、少し気の立っているそれらを優しく撫でながら言う。
「大丈夫だよ、みんな。あのお兄さん……あの、ちょっとあれだけど、怖くないからね」
(「あれ、とは」)
あまりポジティブな意味には聞こえないが大人として聞き流す事にしよう。それに少女のボディーガードたるニャンズにまだ納得していただけないというなら、彼らを篭絡するに相応しいアイテムだって用意してある。
「ほうれ猫達、存分に跳びつき跳ね回り遊び尽くすといい!」
取り出したるは八雲が家の近所から引っこ抜いてきたエノコログサ。
俗称、ネコジャラシである。この独特の形をしたブラシのような穂を視界で振り振りしてやれば、猫たちも忽ち夢中という訳だ。
「ほうれほれほれほれほれまてまてまてまて小生の仮面は爪とぎではない!」
容赦なくガリガリしてきたふてぶてしい猫を摘まんで顔から降ろす。
しかし、その隙に入れ替わりで乗って来るニューフェイス。
「待てと言うに。そんなにがっついても餌はないぞ。腹が空いたなら他をあたれ他を」
これでは心こそ癒されても身体が休まらない。後にはまだ戦いが控えているのだ。
「だから爪を立ててくれるな。隣の者を退けてくれるな。焦らずとも全猫じゃらして――じゃら――ええいそんなにじゃらされたければじゃらしてやろうじゃないか!」
眼差し鋭い猫たちの前に軽々と玩具を出したのが運の尽き。
八雲は両手にエノコログサを持って|点検通路《キャットウォーク》を逃げ回る。
それを何十匹もの猫たちが追いかけるのを眺めているうちに、いつの間にか少女もくすくすと小さな笑い声を立てていた。
どんな|世界《√》でも猫は猫。
どんな|世界《√》でも少女は少女。
だから解り合うことは決して難しくないはずなのだ。
それはある意味、戦うより大変なことではあるかもしれないけれど。
「俺達は敵じゃないよ」
姿勢は低く、声は優しく。
そうして敵意が無い事を猫たちに伝えながら、少女には言葉で以てそれを教える。
「俺達はこれから敵の指揮官を倒しに行くんだ。ここを荒らすつもりは無いよ」
「……そう、なの?」
「ああ」
嘘偽りはない。信じてもらえるかはさておき、少女に意志を示すのは容易い。
問題は猫の方だ。言語を解したコミュニケーションの精度はどうしたって人同士のそれよりも劣る。だからこそ態度や声音で訴えかけているのだが、それにしたって完璧とはいかない。
少女が「あっ」と声を上げる間もなく、そっと伸ばしたクラウスの手を黒猫の爪が襲った。
うっすらと赤いものが滲むのを見れば、少女の顔は瞬く間に青褪めていく。
無理もない。先制攻撃とは反撃の口実を与えるものだ。同じ機械都市の住人の中にすら「そんな猫どもに」と冷たい視線をぶつける輩がいるというのに、見ず知らずの人間を傷つけてしまうなど何をされたっておかしくはない、と思うだろう。
「あ、あの、ちがくて、あの、ごめんなさいっ!」
慌てふためく少女が黒猫を抱え上げる。
同時に何匹もの猫が駆け寄り、クラウスとの間に入って鋭い視線をぶつけてきた。
人の言葉にすれば――やるならやってやるぞこの野郎、というくらいか。
(「たくましいね」)
人が機械に虐げられる世界の片隅で、少女と猫が身を寄せ合って生きている。
その光景に得も言われぬものを味わいながら、クラウスは傷つけられた手を拭って、もう一度差し出した。
「見ての通り、大したことはないから大丈夫だよ。それより……」
「……それより……?」
「良ければ、一度撫でさせてくれないかな」
猫を触るのは初めてでもない。最近も他の|世界《√》で触れる機会があったくらいだが、どうにも今日の猫様たちは一筋縄ではいかなさそうだ。
となれば、やはり飼い主の助力を仰ぐのが手っ取り早い。そんな考えも多少含めての申し出をしてみると、その淡々とした語り口や表情の薄さも相まって、少女には何だか“猫好きだけど猫から相手にされないお兄さん”くらいに思えたのかもしれない。
抱えっぱなしの黒猫に何か言い含めてから、おずおずとクラウスに近づいてくる。猫の方は未だに少し不服そうな面をしていたが――今度は大人しく撫でられてくれた。
和解成立だ。他の猫たちの警戒心も一段薄れて、少女もホッとした様子を見せる。
「それにしても、たくさんいるね」
「う、うん。なんだか気が付いたらこんなに大家族になっちゃって……」
ぎこちなく語る少女。
それを聞きながら、クラウスは他の√能力者が落としたらしい猫じゃらしを拾い上げた。すぐさま左右に振ってみせれば、腕の中でもたもたと黒猫が動き回るのを見て、少女も僅かに柔らかな表情を覗かせる。
やはり、どんな|世界《√》でも猫は猫。少女は少女なのだ。
カレン、と呼ぶ声に僅かばかり身を硬くするも、それが馴染みのものであると気付いて一つ息を吐く。
「追いついた――で、状況は?」
必要最小限で尋ねるのは銀髪の少女、アンナ・イチノセ(狙撃手・h05721)。
並ぶとアンナの方が|下《妹》に見えるやもしれないが、同じ姓を名乗っていても二人は姉妹ではない。
姉妹ではないが、しかし共に実験体の少年兵であったカレンにとって、アンナは血よりも濃い絆で結ばれた|相手《Anker》と言えよう。
「そうね、とりあえず説明しておきましょうか」
アンナの様子を窺いつつ、カレンは事のあらましを話す。
ここまで何と戦ってきたのか。これから何と戦うのか。
「……ん。もうだいじょうぶ」
余計な装飾のない報告をすんなりと飲み込んで答えたアンナは、先を想像するように視線を彼方へと飛ばしながら言った。
「こういう場所は、わたし得意な方。上から援護するよ」
「それは――」
ありがたいけど、と続けるはずだったカレンを制して、アンナは更に言葉を継ぐ。
「敵の指揮官は守りを固めてるんでしょ? だったら狙撃手の出番。|対物《ASVK-M》も持ってきてるから安心して」
「……安心、ね」
俄かには頷き難い。
√能力者であるカレンは“死にたくとも死にきれない”が、そうでないアンナは“死にたくなくとも容易く死ぬ”のだ。
そして、戦場ほど“|死《それ》”が身近なところもない。幾ら人類が虐げられる側の√ウォーゾーンといえど、銃弾飛び交う中を行くのと機械都市の何処かで慎ましやかに暮らすのとでは、どちらがより長生きできそうかなんて問うまでもない話。
とはいえ、だ。誰も彼もが市井で安穏を享受できる訳でもない。少年兵と括られる通り、まだ幼い時分から争いの中に身を置いて来たであろう二人にとって、もはや生きる事は戦う事と同義に違いない。
「わたしはカレンと一緒に行くよ」
同じ青い瞳が微かに揺れるのを見つめて、アンナは言う。
「わかってるけど。わたしは|カレンとは違う《√能力者じゃない》けど。いまさら、平和には生きられないから」
「……そうね」
それだけの付き合いとはいえ、言外に伝わってしまうのも考え物だ。
カレンは観念したように頷く。止めても無駄……というより、カレンも最初から強く止める気はなかったのだろう。
いまさら。そう、いまさら己の半分を何処か安全なところに閉まって隠して、それで何もかもが丸く収まるだなんて思えないのはカレンも同じ。
結局、目の届くところで生きていてくれるのが一番なのかもしれない。
(「だから、せめて私がしっかり盾になってあげないと」)
自分なら何度殺されたって死なないのだから――なんて、切なげな決意も見透かされたか、アンナが肩をすくめて宣う。
「そもそも狙撃に関しては、施設にいた時からわたしが一番成績良かったしね」
「う……」
「カレンは何番目だったかな。わたしは一番上だから忘れようがないけど……おかしいな、全然思い出せないなー」
「あーもう。ハイハイ、わかったわよ」
普段は寡言のくせに、|カレン《ひと》に何か言う時だけは淡々と、しかしずけずけと物を言う。
「狙撃が苦手なのは確かに事実だから。頼りにしているわよ」
「ん」
カレンの言を受けて、それでいいのだとばかりにアンナは短く答えた。
――と、ここで終われば何だか良い話の雰囲気だったが。
肝心なことが一つ忘れ去られているままだ。
「っと、猫だ」
アンナの台詞に、カレンも辺りを見回せば、いつの間にやら目つきの鋭い獣たちに取り囲まれている。
「なんかすごく威嚇されてるんだけど……」
「カレン」
「私のせいなわけ!?」
「|呼んだだけ《バレたか》」
「だ、大丈夫よ~私たち、あなたたちを助けにきたんだから、怖くないわよ~」
「……やっぱり威嚇されてるよ、カレンが」
「なんでよ!?」
「だってわたし、どっちかというと猫っぽいから、嫌われないと思うんだけど」
「その自信は何処から湧いてくるのよ……」
などとお笑いな掛け合いを繰り広げている間にも、猫たちはさらに増えていく。
「大丈夫、わたしたちは、味方」
「……って言っても伝わらないかしら。それなら、直接触れ合ってみようかしらね!」
多少の傷は厭うまい。
先に進むことを許してもらうためにもと、二人は意を決して猫たちに手を伸ばした。
片や、猫の群れに囲まれた少女。
片や、スキンヘッドにサングラスをかけた浅黒い肌の巨漢&顔の右半分に火傷痕が残る胡麻塩頭のオールバック中年。
絵面で判断するなら完敗だ。もちろん男たちの敗北である。これを窮地に駆け付けたヒーローと思うか、純真無垢を踏み荒らしに来た悪漢と思うかは、誰かに尋ねて回るまでもないだろう。
(「私たちがこれ以上近づいても怯えさせるだけかもね」)
それを分かっているから、まず誤解を解くべく|白《ツクモ》が両手を挙げてゆっくりと床に座る。
「っと、わりぃな嬢ちゃん。ビビらせちまったか」
申し訳なさそうに言った時雨も、バツが悪そうに頭を掻きながら膝をついた。
まるで降伏する兵隊のような振る舞いだ。不器用にも程がある。しかし三十過ぎのおじさんと六十手前のおじさんにはこれが精一杯の努力なのだろうし、むしろ満面の笑みで飴玉でも出しながら迫られた日には、少女も却って恐ろしさのあまりに卒倒していたかもしれない。
「……あ、あの……えっと……」
「すまないね。私たちは怪しい者じゃ――」
ない、と言いかけて白は僅かに首を傾げる。そして時雨の姿を見やり、次に己の姿を思い返して、再び少女へと視線を戻すと何か重大な事実にでも気付いたかのように言葉を継いだ。
「いや、めちゃくちゃに怪しいな?」
「あ……あぅ……」
見るからにパワー系で悪そうな顔のおじさんは少女を困らせるばかり。
時雨も嘆息しながら聞き流すしかない。そして誰もツッコんでくれないのなら、自分で蒔いた種は自分で回収するしかない。白は「そうじゃなくて」と一言挟み、出来る限りの優しい声を意識しながら続ける。
「君たちに危害を与えたりはしないよ。それは約束する」
「……ほ、ほんとに……?」
「ああ、本当だとも。私の名前は白。君の名前も聞いていいかな?」
「名前……ぱ、|パレット《palette》って、いうけど……」
「パレット。良い名前だね」
うんうんと頷きながら返せば、会話のボールは必然的にまだ名乗っていない一人に転がる。
「……ん? ああ、俺は時雨だ。よろしくな」
さすがに握手を交わすまではいかないが、自己紹介は交流の基本。名前を知れば少なくとも、相手を不審者と呼ぶしかない、なんてこともなくなる。
「しっかし、随分と大量の猫だな。全部嬢ちゃんが世話してるのか?」
「う、うん。だって、みんな家族だから……」
時雨の問いに、パレットなる少女はおずおずと答える。
「猫にご飯をあげるなんてもったいないって怒られたこともあるけど、でも、だからって放ってはおけないもん……」
「それで、こんなところを棲家にしてるんだね」
「うん……」
白の言にもパレットは頷く。
√ウォーゾーンにおける人類の情勢を鑑みれば理解は出来る話だが、しかし無垢な善意の為に人目を避ける羽目になるとは世知辛い世の中だ。
(「……|東條《所長》」)
(「ああ」)
とにかく、まずはこの都市の平和を取り戻すところからだ。
その為には必ずや敵指揮官を倒さねばなるまい。二人は決意を新たにすると共に、今の少女にしてやれることを――大人が心無い者ばかりでないと示すべく、また努めて穏やかに尋ねる。
「よかったら、この子たちを撫でてもいいかな?」
「え……? あ、うん、たぶんだいじょうぶ……」
不安げなパレットが視線を彷徨わせると、むすっとした顔の真ん丸い三毛猫が何かを察したように白の下へと近づいてきた。
猫としては大柄な方だろうが、それにしたって白と比べれば小動物だ。力加減に気を払いながらそっと頭を撫でてやれば、一先ずお眼鏡にはかなったのか、三毛猫は黙って顎の下まで撫でさせてくれる。
その手触りと温かさを堪能していれば、不思議な活力が湧いてきた。
「ちと今は手持ちの食い物はねぇからよ。今度、何かもってきてやるよ」
時雨も膝の上に乗ってきた白猫を撫でながら言って、何気なく問う。
「こいつら、何が好きなんだ?」
「えっと、えっと……虫じゃなかったら、何でも食べるよ……?」
「……そうか」
台所事情が垣間見える台詞だ。
事が済んだら白に持たせるだけ持たせて再訪せねば――と、そう思ってしまったのは時雨の面倒見の良さ故だろう。
すんすんとすすり泣くような音だけが響いていた。
|点検通路《キャットウォーク》の少女は立ち尽くし、猫たちはその周りを取り囲んでじっと一点を見やるばかり。ならば音の源は何処かと辿れば、そこには緑の御目目を潤ませた竜人の娘が一人。
「もー……もー……!」
誓って牛の真似ではない。
言葉を失くす、という言葉を大いに味わっているのだ。
それほどまでにシアニの心は揺さぶられていた。飛び掛かろうとする猫を止めた少女と、身を盾にしても絶対に少女を守ろうとする猫たち。|都市《まち》への襲撃と|√能力者たち《見知らぬ人々》の来訪に恐怖を抱かないはずがないというのに、互いが互いを思いやって行動するその姿に、シアニの緩めな涙腺はあっという間に崩落してしまった。
(「あんな機械より、この子たちの方がずっとすごいよ……っ」)
「……あ、あの……だいじょうぶ……?」
おずおずと様子を窺うように少女が尋ねてくる。
いけない。よくない。助けに来たのに逆に気遣われている。
(「もー……あたし今回こんなのばっかり……」)
先走る気持ちを中々制御できないのはこれからの課題かもしれないと、己を省みながら目元をマントで拭って、シアニは少女と視線を交えながらニッと笑ってみせた。
「怖がらせちゃってごめんね。悪い奴らはあたしたちが追い払ってくるから、心配しないで」
「……本当に……?」
「うん。だいじょーぶ! あたしたち強いから!」
片腕で力こぶを作るようにしながら言って、その声がまだ微かに震えている事に|自嘲《わら》う。
泣き笑いのままではまるで説得力に欠けるだろう。それでもシアニを見つめる少女が一度だけ頷けば、同時に足元から「にゃあ」と鳴く声がした。
目を落とすと真っ白な毛並みの猫が一匹、薄緑の瞳でシアニを見上げながらぴたりと寄り添っている。
「わ、わわ……」
「……ふふ、ラファもお姉ちゃんのこと心配してるみたい」
「ラファ、って言うの? この子」
「うん。優しい子だから、|鳴《泣》いてる子がいるといつも一番に寄っていくの」
「そうなんだ……」
言いながら困ったような視線を向けると、少女はニコリと笑って片手を小さく揺らす。
撫でてみたら、と勧めているらしい。それならと屈み込んで、恐る恐る手を伸ばせば“ラファ”なる白猫の方が自ら首を擦りつけてくる。
「わぁ……」
少しばかり痩せ気味のようだが、ふわふわとした毛が温かく心地よい。よく見てみれば凛々しい顔立ちをしていて、確かに他者を案じるだけの余裕を持った年長猫、という雰囲気だ。
(「うう、可愛いなぁ、格好良いなぁ」)
目を細めるラファの顎下を擦ってやりながら、シアニはまた視界が歪みそうになるのをぐっと食いしばって堪え、他の猫についても少女に尋ねた。
「えっとね、あそこのむすっとした顔の真ん丸の三毛猫が、とってもマイペースなミケ。そっちのすらーっとした灰色のがドナ。細いのに食いしん坊なの。黒猫のティツィはちょっと怒りっぽいけど家族想いな子で……あ、虎毛のレオはすごくいたずらっ子だから気を付けてね。あのサビ柄のレンなんか、いっつもレオに何かされては追いかけまわしてるんだから」
あとは、あとは――と、口早に語る少女をシアニも心温まる想いで見守る。
彼女にとっては猫たちこそが家族で、猫たちもまた同じ気持ちを抱いているのだろう。そして生まれや育ちどころか、種族さえ違っていても受け入れてくれる存在のありがたみは、シアニにも思い当たるところがあるはずだ。
「どうか家族のこと、守ってあげてね」
名残惜しさを覚えながらも白猫から手を離して、その澄んだ瞳を見ながら言う。
果たして言葉を理解しているのか、それは「にゃん」と答えた。
いい子だ。間違いなく。だからこそ守らなければならない。
「あっちのことは、任せて!」
少女と猫たちに力強く宣言して、シアニは|点検通路《キャットウォーク》の先へと進む。
その声からは、もはや僅かな震えすら感じられなかった。
自らより大きな相手に立ち向かうというのは、決して容易い事ではない。
それを躊躇いなくやってみせようする猫たちは優しく、主思いで、そして強い。
そんな猫たちに慕われる少女もまた、優しい娘なのだろう。
彼女たちを救う事が出来て本当に良かった。影丸は心の底から安堵しつつ、まずは自身とその目的を明らかにして事態の収拾を試みる。
「俺は不動・影丸。俺は……いや、俺たちは、このミアス・ガータスを守るために来た」
掃除ロボとの戦いを見ていただろう? と問いかければ、少女は様子を窺うようにしながらゆっくりと頷く。
僅かでもあれを目撃していたのなら疑う余地はないはず。
「ここを通ったのは敵の指揮官を倒すためだ。君や猫たちの棲家を荒らすつもりはない。どうか安心してほしい」
「……う、うん……」
元より多弁でもない影丸は、持った言い回しなどせずに分かりやすく直球勝負。
果たして狙いは奏功したか、少女は僅かに緊張を解いたように見える――が、次の瞬間。
|点検通路《キャットウォーク》の猫たちが次々と少女の前に飛び出し、今にも影丸へ飛び掛からんとばかりに体勢低く、毛を逆立てて唸り声を上げた。
彼らの見やる先には――影丸の肩越しに、或いは足元の陰から続々と現れた“忍猫”たちの姿が。
見慣れぬ同族に|点検通路《キャットウォーク》の猫たちの警戒心は高まり、彼らの咆哮に対して忍猫たちもまた応じるように鳴き声を返す。
「にゃおーん!(なんだお前ら!)」
「にゃおーーん!(縄張り荒らしか! それとも人さらいか!)」
「にゃおーーーん!!(この娘に少しでも爪を立ててみろ、八つ裂きにするぞ!!)」
「……にゃむにゃむ(待たれよ、我ら不動の忍猫なり)」
「……みゃおーん、にゃん(貴殿らの主君に対する忠義の深さ、感服いたした)」
「……うー、にゃん、にゃーお(この地に太平を取り戻さんが為、我ら力を尽くさん)」
概ね、そのような会話だったのだと影丸は理解した。
少女は些か狼狽えていたが、それも一時のこと。猫の群れは互いに一匹ずつが尻尾を上げながら近づいていくと、幾度か鳴き合った後に敵意がないと理解したのか、何処かを案内するように並んで歩いたり、身体を軽く擦りつけ合ったり、或いは|双方の主人《影丸や少女》の足元に寄ってきたりと、様々な形で打ち解けた様子を見せる。
「よ、よかったぁ……ケンカしちゃうかと思った……」
「すまない。驚かせてしまったな」
「ううん。お兄ちゃんも猫ちゃんとおともだちなんだね」
「……ああ。皆、大切な相棒たちだ」
「そっかぁ。えへへ、なんだかうれしいな。みんなも、新しいおともだちができてうれしいよね」
少女の声に、影丸の足元にいた白猫が優しく「|にゃおん《そうだね》」と声を返した。
時に、猫が原因で虐げられた事もあるとは星詠みも語っていたところ。影丸は少女の心の内を暫し慮り、程なく懐から細いブラシのようなものを取り出してみせる。
それは勿論、定番中の定番アイテム。ねこじゃらし。屈み込んで振ってやれば、白猫のみならず三毛猫も灰猫も黒猫もわーっと駆け寄って、忍猫共々右に左にと文字通り目の色を変えて追い回す。
「ちょっと、|ラファ《白猫》も|ミケ《三毛》も|ドナ《灰猫》も|ティツィ《黒猫》も……もう、みんなはしゃぎすぎだよぉ」
困ったように言ってはみたものの、もはや一つの巨大な毛玉のように固まって跳び回る猫たちの姿に、少女も堪えきれず年相応の無邪気な笑い声を上げては、目じりに涙まで浮かべるほど。
その尊さは影丸にさらなる使命感を抱かせて。必ずや忍務を完遂し、命と未来を守り通すのだと無言のままに誓った忍びは、戯れの玩具を少女に預けるとおもむろに先を見やった。
すると、暗闇の彼方から一羽の鴉が舞い戻る。それは斥候として放っておいた忍獣の一つであり、鴉から敵陣の様子を伝え聞いた影丸は忍猫たちに目配せすると、少女に向き直って尋ねた。
「君の名前を教えてくれないか」
「わたし? うんとね、|パレット《palette》っていうの」
「パレット。君はくれぐれもここから動かず、猫たちと待っているんだ」
影丸の声に揺らぎはない。
それでも少女には感じられるものがあるのだろう。不安を瞳に滲ませながらも、今の自分には首を縦に振るしかないのだと知った顔で一度、しっかりと頷く。
「にゃおん……(なんだお前ら、もう行くのか)」
「……みゃう(うむ。束の間ではあるが楽しかったぞ。友よ)」
猫たちも別れを惜しむように鳴き、その切なさを払うように歩き出した影丸の後を、忍猫軍団が追っていく。
「お兄ちゃん!」
微かに震える声へと振り返れば、パレットは猫を抱きすくめて言った。
「みんなで待ってるから! だから絶対、絶対、無事に帰ってきてね!」
「……ああ」
少女の優しさを裏切る訳にはいかない。
行ってくる、と短く答えた影丸は|点検通路《キャットウォーク》の向こうへ消えていく。
パレットと猫たちは、その背中が見えなくなってもまだ、見送り続けていた。
第3章 ボス戦 『統率官『ゼーロット』』

|点検通路《キャットウォーク》の終端まで来ると、都市中枢部に立つ敵指揮官――統率官『ゼーロット』の姿が良く見えた。
「ええい、本当に敵などいるのか!? ポンコツメイドの見間違いではないのか!!」
未だ姿を現す気配の無い|脅威《√能力者》に苛立つそれは、先に退けたあのメイドたちとは異なる型の戦闘機械群に罵声を飛ばしている。態度の悪さゆえにメイドたちからはあまりよく思われていないのか、護衛すべき主との間にそこそこの空白地帯を作られているところに虚しさを感じるが――さておき。
敵は此方に気付いていないようだ。勢いよく襲撃すれば確実に先手は取れるだろう。それは半地下の|点検通路《キャットウォーク》から背後を狙うのでも、或いは通路の終端と繋がっているビルの屋上から飛び掛かるのでも、はたまた他の方策でも良い。大事なのは“どのような形であれ先制攻撃は可能”という事。
そしてもう一つ、忘れてはならないのは……信頼関係に欠くところがあるとはいえ、一応の仕事として敵指揮官を守るべく応戦するメイドたち。
彼女らへの対処を怠れば苦戦を強いられるのは間違いないが、しかし部隊の数が数だけに全滅させるのは現実的でない。メイド部隊には牽制を行って行動を妨害し、ゼーロットを討ち取るのが最善の策だろう。
=====
Bルート通過により戦闘難度が上昇しました。
護衛メイド部隊は以下の通りに行動します。
POW:強化ビーム 技術革新を与える光線でゼーロットの戦闘力を強化します。
SPD:諜報活動 |予め《一章で》収集した√能力者の情報を伝え、ゼーロットを支援します。
WIZ:蝶の羽搏き 他√の現在地と同じ場所を観察し、メイド間で伝え合うとなんやかんやで√能力者にダメージが入ります。
プレイングでは、ゼーロットだけでなくメイド部隊への対処も行ってください。
流れを『√能力者の先制攻撃→メイド部隊への対処→ゼーロットからの攻撃→√能力者の追撃』とイメージしていただくと、良い結果が出やすくなると思います。
√能力や技能、それらに関わらない行動などを存分に活用してください。
ただし“異なる√能力の複数使用”は『連撃(追加行動)』になるので、プレイングの記述だけでは行えません。システム上で正しく追加していただくようお願いします。
なお、メイド部隊が使用する能力は通常の戦闘ルール同様、√能力者が使用する能力値と同じものです。
=====
「所詮はスクラップ同然の不良品ども。やはり見間違いではないのか……!」
「――見間違いなんかじゃないさ」
忽然と響いた声は電磁ブレードの訪れと同着。
凄まじい威力の斬撃と迸る電磁パルスに、統率官ゼーロットは身体の一部を屑鉄として散らしながらもんどりを打つ。
ビルの屋上からの落下速度を加えた一撃であれば、当然の結果とも言えよう。それだけの凄烈な奇襲を成功させながら自らは器用に勢いを殺して、地に降り立ったクラウスは土煙の中に沈むゼーロットから四方を囲うメイド達へと目を移す。
敵の指揮官を屠ったとは思っていない。しかし、電磁パルスに回路を蝕まれたであろうそれに追い打ちを掛けるよりも、掃いて捨てる程にいる護衛部隊への対処を優先させなければ、クラウスの奇襲も命知らずの特攻に終わる可能性を捨てきれない。
そうはさせじと――などと意気込んだり息巻いたりはせず。無責任な楽観も過度な悲観もなく。
ただ戦闘機械群との戦いにおいて為すべきを為す。粛々と進める戦闘行動の次なる一手にクラウスは拳銃を取り、その一方で数多のメイド達に簡易的なハッキングを試みる。
一機や二機ならいざ知らず、都市の蹂躙を目的として組織されたメイド部隊が|それぞれに独立して《スタンドアローンで》動いているとは思い難い。それらには情報共有と指揮系統の円滑化を企図したネットワークが必ず構成されているはずで、其処に適当な信号を飛ばしてやれば――予測通りに大なり小なり混乱は生じた。
加えて、お掃除メイドロボとの緒戦で採った戦法と異なる戦い方を用いれば、敵にとってクラウスは完全なる未知の襲撃者と化す。
(「メイド達が得た情報も活かす余地はないな」)
希望的観測ではない。拳銃に|半自律浮遊砲台《ファミリアセントリー》も合わせての制圧射撃を浴びせ掛けながら、クラウスは優勢を断定すると作戦をさらに次の段階へと動かす。
それは即ち、敵指揮官の打倒。
「……やってくれたな、生肉如きが!」
バルス流入の影響を完全には拭えていないのか、或いは単に損傷の度合いが大きいのか。
いずれにしても耳障りな歪みを孕んだ声で吼え猛り、戦いに復帰した統率官ゼーロットは白い外套を脱ぎ捨てる。
露わになった腹部に赤く光るのは、威力より射速を重視するビーム光線の発射口。
「肉片ひとつ残らぬほどに粉砕してやるわ!」
気炎を吐いて狙い定め、ゼーロットの腹部から光が迸る――その刹那。
「遅いッ!」
超常の力にて強引に先んじたクラウスが手斧を振るえば、放たれるはずだった光線は不完全な形で漏れ出るに留まり、一部の行き場を失ったエネルギーがゼーロットの中で弾け飛ぶ。
「ぐ、うおっ……!?」
数度の細かな炸裂音と共に火花が散り、呻きながら膝を負ったゼーロットはクラウスの姿を探し求めた。
しかし、急襲の後に素早く光学迷彩を纏った彼を見つけるのは至難の業。万全であればともかく、損傷を負った上に配下のメイドたちとすら満足に連携出来ていない今のゼーロットには不可能と等しく、それは敗北を決定づけられたのと同義でもあった。
隠密状態を維持したまま、背後へと回り込む事に成功したクラウスが電磁ブレードを振りかざす。
装甲を容易く砕き、機械の身体の内側へと捻じ込まれた刃が再びパルスを流し込めば、統率官ゼーロットは散々に詰った護衛のメイド達の前に、スクラップ同然の不良品と呼ばれてもまだ足りないほど惨めな姿を晒すのだった。
怒りを滲ませながら采配振るう機械戦闘群の統率官を、都市に並ぶビルの上から見下ろす少年が一人。
額を縦断する傷跡の下、戦闘支援用の電脳ゴーグル越しに窺う眼差しは冷たく、それこそ課せられた任務を果たす為だけの機械のようにさえ思えたが、浅黒い肌の少年が非人道的な“組織”の被験体であったと知れば、誰もが異論なく現状を受け入れるだろう。
もっとも、それを問う者も居なければ、今この場において重要なのは少年の――|黒鉄《くろがね》・|彪《あきら》(試作型特殊義体サイボーグ・h00276)の“これまで”でなく“これから”。
ただ一点を見据え続ける彪の目的は一つ。
それを為すべく宙に身を投げた時、彼の背で翻った大きな黒い翼は、音もなく空を裂いて持ち主を討つべき敵の下へと運ぶ。
もはや飛行というよりも自由落下に近い急降下は、それでいて繊細で僅かな軌道のブレも許さない。何処に身を隠せる訳でもない空中からの奇襲は全く気付けないほどのものではなかったはずだが、しかし機械兵でありながら頭に血を上らせた統率官ゼーロットと、彼に対する忠誠心に乏しいメイドたちでは、圧倒的な速度で迫る相手を先んじて発見する事など叶わない。
「――!」
|自身が持つ技能を十二分に《空中移動や空中ダッシュを》活用して、寸分違わずゼーロットの頭上へと落ちる彪の背後から、先端に刃を備えた尾のような部位が|幾つもの《・・・・》鈍い光を放つ。
ようやくその気配を感じ取った時、機械戦闘群の統率官に出来たのはみっともなく身を縮める事だけ。
「ぐ、うぅ……!!」
絞り出すような声と共に幾つもの破片が散らばる。ゼーロットを蹂躙せんと八本に増えて襲い掛かった義体拡張パーツ『オロチ』でもさすがに一撃必殺とはならず、しかしそうなるのも織り込み済みであったか、彪は慌てる素振りもなく間合いを取ると、すぐさま通りの良い声で周囲に呼び掛けた。
「|そいつら《メイド達》はお前らに任せる、喰い散らかすなよ」
何を言って――と、ゼーロットを護衛するはずのメイド軍団に浮かんだ疑問はすぐさま晴れる。彪の呼び声に応じてどこからともなく現れた数機の鳥形支援ユニット『アオタカ』が、四方に矢の如く猛襲を仕掛ければ、それを厭うメイド達は一応の主人を守ろうと近づくどころか、逆に鳥から逃れようと遠ざかっていくばかり。
「あいつらお前のこと守ろうとしねぇぞ。お前嫌われてんじゃねえの?」
「ば……馬鹿を言うな! 貴様のような生肉如きが調子に乗りおって!!」
憤慨するゼーロットからすれば、自らを傷め付けた『オロチ』だけでなく、翼たる義体拡張ユニット『コクヨク』が見えていても尚、彪は生身生肉の部類に入るらしい。
さすが、機械は頭が固いようだ。それでも“創造”という行為は成し得るのか、怒りに震えるゼーロットは彪を威嚇するように吼えながら、自らの片腕に何かを施し始める。
「ここに来たことをすぐに後悔させてやろう! 所詮はタンパク質の塊に過ぎぬ貴様らなど、純然たる機械兵器で――ぬおっ!!」
「……」
然しもの彪も、こいつは一体何がしたいんだ、と思ったに違いない。
ゼーロットは反撃用であろう新兵器を片腕に形成した。しかし、それは実力を発揮する前に忽然と爆発し、あろうことか使い手だけにダメージを残して消失してしまった。護衛だけでなく兵器にも運にも見放されるとは哀れなものだ。
けれども、彪には憐憫や同情など一切浮かばない。万が一にもゼーロットを助けようとするメイドがいないかと『アオタカ』達の働きも含めて気を払いながら、自らも牽制に『オロチ』を操り嗾けつつ、最大の獲物には刃と化した『コクヨク』と共に日本刀『翔天』で斬りかかる。
手数も質も敵を圧倒するに十分なそれを為す術なく受けて、ゼーロットはただ怒りと苦しみに悶えるしかなかった。
「それじゃ|東條《所長》、援護よろしく」
「おう」
ぶちかましてこい――と付け加えるよりも先に、戦友の大柄な体躯はビルの屋上から落ちていく。
どうやら完全にキレているようだが、事此処に至っては好都合。
その力を存分に振るう為の支援こそが“所長”の務めであれば、時雨は屋上に|折り畳み式の金属板《フレックスウォール》を設置展開する事で簡易拠点を作成し、其処に堂々と陣取って戦いの支度を整える。
一方、飛び降りていった白は空中で|卒塔婆《倶利伽羅剣》を地面と垂直に構え、一直線に敵指揮官へと落ちていく。
護衛にやる気があれば、その強襲も本懐を遂げる前に察知されただろう。しかしメイドの大群とそれを統率する長の間には強い絆も忠誠心もなく、その事実を詳らかにするかの如く奇妙な空白を開けた守備隊形のままでは、たとえ気付いたところで対応も間に合わなかったに違いない。
そして仮に間に合わせたとしても、果たしてメイド如きに襲撃者の排除が叶ったどうかは疑わしい。なぜならそれは浅黒い肌の巨躯に相応しい怪力と落下の衝撃力を握った卒塔婆と合わせ、敵指揮官たる統率官ゼーロットをただ一撃で肩口辺りから貫いてみせたからだ。
悲鳴ともつかぬゼーロットの叫びは着地の衝撃に呑まれて、濛々と立ち上る土煙の中から飛び出した白は、その身を|黄昏色《黄金》に輝く魂の炎を溢れさせる朽ちかけの姿へと変えながら、今度は拳を振りかざしてメイド部隊へと突っ込んでいく。
狂戦士じみたそれにメイド達が対応を逡巡すれば、遥か上方からは銃弾が雨あられと降って進退どちらの選択肢も潰してしまう。
(「親玉を相手にするには、俺じゃぁちと火力不足だが――」)
量産機相手なら十分やれるはずと、持てる射撃術の全てを駆使する時雨の攻勢を一言で言い表すとすれば、それは弾幕。
確かな速射技術によって放つ銃弾を戦場全てを覆い尽くさんとするほどに広げながら、それでいて一発ずつに観測手付きの狙撃のような正確性を持たせ、射手の位置に気を取られた者たちには跳弾も利用して側方を急襲し、殲滅に至らなくとも敵の動きを牽制して、白への援護に繋げる。
その恐ろしいまでに完璧な支援に応えるべく、白も剛腕振るって連打連打と拳を見舞えば、護衛のメイド達は紙のように軽々と吹き飛ばされて、次々にスクラップへと成り下がった。
「ええい、役立たず共め……!」
自らも無様な姿になりながら、ゼーロットは不満げに言い放つ。
だが、それも束の間。敵指揮官に突き刺したままの卒塔婆を手元へと呼び戻した白が、メイド達の無力化を終えて猛然と突撃を仕掛けると、慌てて逃れようとするゼーロットを先んじて襲うのは上方からの牽制射撃。
「くっ……忌々しいっ……だが!」
後退すらも許されないというのなら、腹を括って迎え撃つくらいの矜持はゼーロットにもあったようだ。
忙しなく両手を動かし、あっという間に作り上げたのは自身とメイドが受けた鉛玉を倍返しにしようかという射撃用新兵装。
「まずは貴様からだ!」
吼え猛りながら白へと狙い定めて砲撃を始めれば――巨漢は引き金を引くタイミングに気付いていたかと思うほどに既の所で攻撃を見切り、最低限の弾を卒塔婆で受け流すと、そのままゼーロットに突っ込んでいく。
そして繰り出すのは両肩を破壊する打撃から、胴への袈裟斬り、喉元への打突。
速く、重く、荒々しいそれを大仰な新兵器など構えたままで受けきれるはずもなく。侵略の目論見も機械の身体も纏めて卒塔婆に打ち砕かれたゼーロットには、もはや不満を言葉にすることすら許されなかった。
やっぱり|凄い《違う》、とアンナは思う。
ビルの屋上からの強襲。確実に先制できる状況を活かして迅速な決着を狙うと決めたカレンは、何の躊躇もなく空中に身を躍らせて、討つべき目標へと落ちていく。
その姿を|点検通路《キャットウォーク》の端に陣取って見つめ、自分を重ねて想像すれば、浮かび上がるのは明らかな死だけだ。血よりも濃い絆で結ばれた間柄であればこそ、アンナは遥か及ばぬ片割れの能力につくづく感心するばかり。
とはいえ、それは自分を力不足の足手まといなどと卑下する理由にはならない。死なない|彼女《カレン》には彼女の、そして自分には自分の戦い方があるのだ。
「さて……」
程なく雷霆の如き一撃を受けるであろう敵の指揮官は様子見に留めて、アンナはメイドたちの動きを警戒する。
他方、カレンは重力に引かれるがまま、弾丸のように空を裂いて進む。
それだけの速さを以てしても、彼方の焦がれた背は未だ遠く。なればこそ少しでも距離を縮める為に、眼前の障害を排してさらなる一歩を踏みしめる。決意を握り込んだ右手は固く、堅く、鉄など容易く穿つ|黒鉄の拳《フォーティ・キャリバー》となって。
速度を加えた一撃は、機械戦闘群を統率する指揮官の半身を破砕するかのように炸裂した。
「お、おぉぉぉ!?」
嗚咽とも悲鳴ともつかぬ歪な機械音声が響く。衝撃は統率官の足元までも粉々に打ち砕き、濛々と巻き上がる土煙から逃れるように飛び退いたカレンは、すっかり姿の隠れてしまった指揮官に気を払いながらも、ぐるりと一帯を取り囲むメイド軍団に目を移す。
「……襲撃ですか?」「そのようです」「主は?」「さあ?」
口々に語るメイドたちは意外や落ち着いていて、その様子が返って一応の主人たる統率官への忠誠の薄さを窺わせるが。
(「関係ないわ」)
敵は敵。悉く打ち倒すべきものに変わりなく、カレンは握りしめたままの拳で次の獲物を狙う。
護衛部隊と聞けば警戒もするが、数で勝る相手は個々に強大な力を持つ訳ではない。その証拠に接近戦を挑むカレンの速さに追いつけるものはなく、拳はメイド服の装甲を紙のように貫いて、機械兵を只の屑鉄へと墜としていく。
不審な動きを少しでも見せる気配があれば、それを狙って拳打を放ち、カレンが自らの視界に収めきれない範囲はアンナの狙撃銃がフォローする。時折、何処か遠くを見つめるように立ち尽くしたり、言伝を回そうとするようなメイド人形がいても、その行為が結実する前に阻害し続けたなら、カレンとアンナには“良く解らないが邪魔は出来ている”くらいの感覚しか残らない。
その微妙に薄い達成感こそが、皮肉にも護衛のメイド部隊を封じている何よりの証明であるのだが……あまりに優勢が過ぎるのも考え物かと思案すれば、果たしてカレンの予想の一端は的中したのか、土煙に消えていたはずの統率官の声が彼方から響いた。
「ええい、生肉ごときに傷つけられるとは……!」
乱れてくぐもった音にも強い怒りを滲ませて、ゼーロットは護衛メイド人形の合間から襲撃者の片割れを見やる。
カレンも視線には応じるが、しかし先のように勢い勇んで殴りかかる事は出来ない。そうしてしまえば、いくら忠誠心に欠けるメイド達だって黙ってはおらず、飛び込んできたカレンを囲んで叩いて圧し潰してしまうだろう。
(「瞬間移動なんて厄介な能力だね」)
点検通路を飛び出したアンナは物陰に身を隠しつつ思い、カレンが如何にして状況を打開するつもりなのかと様子を窺う。
答えは――程なく得られた。機械兵を相手に万夫不当の戦いぶりを見せていたはずのカレンは、明らかに攻勢を弱めたばかりか、すっかり消耗してしまったように肩で息をして、忌々しげに敵指揮官を見据える。
「ふ……ふはは、どうやら限界のようだな!」
ゼーロットはメイド達を盾にした情けない状態でありながら、さも自分の力で戦況を好転させたかのように宣う。
その姿をカレンの様子と比べて、アンナは片割れの狙いを確信すると共に、それを完遂させるべく影の如く動き出す。
(「一発は食らう覚悟で誘い出そうとしてるみたいだけど……大丈夫、私がフォローする」)
(「……アンナ、頼んだわよ」)
通信をしたのでもなければ、念話などしてみせた訳でもない。
それでも通じ合うからこその片割れなのだろう。カレンは守りを捨てたかのように立ち、敵指揮官との向き合いに意識を集中させる。
「諦めもついたか。生肉の分際で手間取らせおって」
嘲笑うゼーロット。その視線がカレンでなく、傍らに揺蕩うインビジブルへと向けられた時、アンナは片割れのすぐそばに照準を合わせて、未だ空っぽの空間へと引き金を引いた。
銃弾は戦場を渡り抜けて――程なく、カレンの真後ろに瞬間移動で現れたゼーロットの手を貫く。
「――なっ!?」
予想だにしない急襲は物理的な破壊だけでなく、統率官ゼーロットに致命的な隙を齎す。
そこを見逃すカレンではない。振り向きざま、握り締めた右拳から繰り出すのは桁違いに重い一撃。
「人を生肉扱いするんじゃないわよ!」
咆哮と共に炸裂する|黒鉄の拳《フォーティ・キャリバー》がゼーロットの装甲を貫く。
そのまま吹き飛ばされて転がる統率官を見やり、手を払ったカレンは不満げな表情を直そうともせずに言い放つ。
「|私達《・・》を侮りすぎたわね!」
殊更、大きな声だったそれを物陰で聞いて、アンナもまた小さく頷いてみせた。
半地下を這う点検通路から一転、高いビルの屋上に立ったシアニは密やかに辺りを見回す。
遠くには√能力者たちが訪れるまでの間、機械戦闘群が振り撒いた蹂躙の跡が窺える一方、眼下の敵指揮官は自らの周囲を(不自然な空白を挟みつつも)護衛部隊で固め、装甲にかすり傷一つ負いたくないという意志をこれでもかと言うほど露わにしている。
(「……すっごく、やだ」)
他者を容易く傷つけ、踏み躙るくせに、自分はそうされたくないという二重基準。
その歪さを感じ取って強張る顔に、伸ばそうとした手をはたと止めて、シアニは少し前のことを思い出す。
いいんじゃない、そのままで――と、あの学徒兵の少年は言ってくれた。戦場で溢した些細な一言ではあるが、それはシアニの心にぽたりと落ちて、小さくとも確かな波紋を起こしていた。
「……よしっ」
厭うことも隠すことも必要ない、胸に湧き上がる想いと共に気を引き締め直すと、俄かに緩んだ顔は微かな笑みを浮かべる。
それを竜鱗貼り合わせたマントで深く覆えば、未だ機械兵の感覚器に掛からないシアニの気配は、都市に漂う硝煙の臭いに紛れて消えた。
そして戦場の只中へと落ちていくまでの短い間でさえ、シアニの存在に気付くものはいない。
張りぼての厳戒態勢を欺いた身体は重力に引かれて速さを増し、止められる事も止める気もないそれは両足を空色の不完全な竜に変えると、主従の狭間の空白へと降り立って全力で牙を剥いた。
「――大変なことになっちゃうよー!!」
宣戦布告も束の間、やはり不完全な竜化を果たした腕に握られた巨槌が地を叩く。
巨大な爆弾でも落ちてきたか、あるいは局地的な大地震でも起きたかと思うほどの轟音と衝撃は、ただそれだけで横っ面を巨槌で殴られたのと変わらないほどの感覚を機械兵たちに味わわせた。
そうして瞬間的に圧倒されれば判断も反応も鈍る。敵指揮官――ゼーロットは勿論、数多の護衛部隊も雁首揃えて立ち尽くすばかりのなか、ただ一人砕いた地を踏みしめて跳ね回るシアニのハンマーは暴風の如く唸って暴れ、まず先に護衛のメイドたちを纏めて薙ぎ倒す。
堅牢堅固を目指して集めた戦力も、一息に吹き飛ばされてしまえば逆に混乱を招く。ぶつかり合い、倒れ重なり、思わず「ストライク!」と叫んでしまいたくなるほどに雪崩れていくメイドたちには、主たる指揮官をどうこうする余裕など持てるはずもない。
「……ええい!!」
急襲と意に沿わない配下たちの動きに苛立ち、忌々しげに唸るゼーロットが手元に銃火器を作り出す。
こうならぬように、と整えた態勢を力で捻じ伏せられるのは心底不快に違いない。まして、それは言葉の端々から戦闘機械群以外の全てを見下すような態度を滲ませていたのだ。怒り、敵意を剥き出しにして反攻を狙うのは当然であろう。
故に傲慢さも浮き彫りとなる。勢いのままに暴れるシアニとて反撃を予期していないはずがない。それが敵指揮官の些細な動きさえ逃すまいと|目を光らせて《見切って》いる事に気付けば、あるいはゼーロットも幾らか知恵を絞って対抗したかもしれないが――機械にあるまじき逆上で回路を熱暴走させているポンコツ指揮官のセンサーは曇りに曇って、襲撃者にも自由な意志とあらゆる手段が存在するという至極当然の事実さえも忘失したまま、何の成果も挙げない銃撃を垂れ流すばかり。
そんな相手であれば、再び欺くのも容易い。
「とりゃあ!」
ヒーロー参上とばかりに威勢よく叫んで、シアニはマントを引っぺがす。敵の狙いを逸らす|認識阻害《迷彩》の役目を果たしていたそれが剥がれて、浮き彫りになったシアニの実像と先頃までの虚像、その差異を埋めるべく迫られた再観測の合間に、竜人は稲妻のような軌道で突撃してゼーロットの手元を蹴り上げた。
「ぬおっ……!」
不完全といえど竜は竜。ただ一撃でゼーロットの兵装はスクラップと化しながら彼方に消えて、しかしそちらには目もくれず討つべきを見据える緑の眼差しは、シアニの意志を克明に示す。
「次はあなた達がこうなる番って言ったよね!」
「なに……!」
「悪い機械は、びたーんだ!」
物分かりの悪い機械へと明言してやれば、竜化した腕がハンマーを高々と振りかざす。
抗う為の武器はない。護衛が介入する余地もない。
あらゆる計算が万策尽きたと示しているだろう。
それでも自らが蔑み侮った相手に敗北する事を認められないのか、激情のままに絶叫するゼーロットへと叩きつけられた巨槌は、その質量にシアニの想いも乗せた一撃で以て、機械戦闘群の長を沈黙させたのだった。
戦場での誓いに|少女《パレット》との約束を重ねて、一諾千金。
影丸は|点検通路《キャットウォーク》から素早く飛び出して物陰に身を潜める。自らが其処から来たと知られれば、さらなる敵襲を恐れた機械戦闘群の指揮官が護衛部隊を差し向けないとも限らない。そうして、ほんの僅かでも無辜の少女や猫たちに危害が及ぶかもしれないと思えば、不安の種はどれほど小さくても摘み取っておくべきだ。
(「彼女達の憩いの場が無くなってしまう事は避けたいからな」)
たとえ都市ひとつを救おうと、その陰で涙が一粒でも流れたのなら、それは敗北と等しい。
当然のようで厳しく、しかし厳しくて当然であるのが忍びの道。己が忍務と定めた使命をこれからも果たし続けようとするならば、たとえ修練を積んだ山岳から離れても、常にその厳しさに晒されているのだと思うくらいでいなければならないだろう。
言うなれば、覚悟だ。
(「お前にそれがあるとは思えないな、ゼーロット」)
人の暮らしを暴力で蹂躙しておきながら、いざ自らに矛先が向けば何重もの人形の壁を築いて身を守る。
卑劣な機械兵の真なる格を測るには、やはり刃が相応しい。影丸は逆手に剣を構えて地を蹴り、限界まで引き絞られた矢の如く飛び出して一気に間合いを詰める。敵陣の真っ只中に紅い線を残して突撃するその姿には、当のゼーロットも護衛のメイド部隊もギリギリまで気付く事すら叶わない。
それほどに素早く、一瞬の出来事。不浄を焼き清める迦楼羅炎を纏って繰り出す一太刀は、人の形をした機械の頭部を真一文字に裂く。
絶叫――とも言い難い雑音じみた機械音声。人の顔に当たる部分を両手で押さえて悶え蹲るゼーロットの様子から、影丸の急襲が大打撃を与えたのは疑いようのない事実だった。
必然、その異常に反応した護衛のメイド部隊が一斉に視線を注ぎ、一応の主たる存在を傷つけた忍びを目に留める。
主従の関係が微妙であれど、機械戦闘群を脅かす存在を見過ごす訳にはいかない。敵地に乗り込んできた影丸の勇猛果敢を暴虎馮河に変えるべく、彼女たちが動き出すのもまた必定。
とはいえ、それは囲んで殴りかかったり銃火器を振り回したりするのでなく、影丸の姿を認めて指差しながら、口々に何かを呟くばかり。
一見して大きな意味があるとは思えないその行為が、やがて巡り巡って√能力者たちへの危害になるという。俄かには信じがたい話だが、しかし√能力にはそうしたものも多々あるのだと言ってしまえば身も蓋もないか。
ともかく、敵の行動やその意味を知り得ているなら、予め手を打っておくのも当然の事だ。
影丸が鋭く指笛を鳴らせば、参戦を今か今かと待ち侘びていた鴉や隼、雀などの“忍鳥”たちが次々と舞い降りては渦巻くように飛び交いながら鋭い嘴や爪で襲い掛かり、その猛襲と方々で散らせる多量の羽で以てメイドたちのかく乱を狙う。
果たして目論見は奏功したか、護衛の機械人形たちは頭上の間近を飛ぶ忍鳥を払うのに手間取り、通信を用いた連携を取るどころか、隣の同型機と言葉を交わす余裕すらも奪われていく。
そうして“部隊”としての機能を封じられたなら、そこに在るのは個々に孤立した機械人形でしかない。影丸の合図で一斉に|怪鳥忍法・地鳴を披露し《カァカァギャアギャアピーチクパーチクと鳴き》始めた忍鳥にあらゆる連携方法を阻害されたままでいる限り、元より忠誠心に欠けるメイドたちが無理を通してまでゼーロットの傍にまで駆けつける事など万に一つもないだろう。
つまりは心置きなく大将首を取りに行けるというものだ。思い思いに暴れ回る頼もしい忍鳥軍団を一瞥して頷き、影丸はゼーロットへと視線を移す。
それもまた例外ではなく、忍鳥たちの襲撃の対象となっていた。初手の一撃で大きな傷を負った影響か、夥しいほどの鳥の羽の中でゼーロットは闇に溺れるように藻掻きながら、苦悶と苛立ちを雑音として零している。
(「忍鳥忍法・羽吹雪の術だ。今のお前では逃れられまい」)
如何に機械の兵といえど、周囲の状況を把握するには何らかの手段を用いているはずだ。触覚、聴覚、そして視覚。
人の常識に当て嵌めるなら、最も重いのは視覚。目で見た情報。八割を占めるというそれを失った時、強いられる不自由は想像に難くない。
そして――人の形と変わらないゼーロットもまた、多くをそれに頼っていたようだ。振り回す腕は忍鳥を捉えられず、あまつさえ影丸に背を向ける始末。
(「その様子ではインビジブルを探す事もままならないな」)
視界内のそれと自身の位置を入れ替える、言わば瞬間移動のような√能力――リモデリング・フィンガーを多用されれば、護衛部隊の合間を逃れゆく敵指揮官を追うのは影丸でも一苦労だったろう。
しかし初撃で与えたダメージは、間違いなくゼーロットの視覚機能を低下させている。逃れる先を見つけることもままならないなら、√能力を満足に発動できない機械兵など鉄の案山子でしかない。
潔く斬り捨てるべし――と、炎纏う刃を構えた影丸に、しかしそれもある種の意地を覗かせた。
「おのれ……タダでは済まさん!」
顔を覆っていた手を退けて、痛々しい傷跡を露わにしながらガサつく声で吼える。
それほどの自信がまだあるのか、或いは虚勢か。影丸が斬りかかろうとすれば、待っていたとばかりにインビジブルと入れ替わるゼーロット。
歪に捻れて溶けるように消えた姿が再び現れたのは、元の位置からそれほど離れていないところ。逃れたとするには心許ない距離だが、しかし機械戦闘群の指揮官の狙いはあくまでも反撃。
攻撃を仕掛けてきた相手と接触するギリギリで転移して、入れ替わったインビジブルの放電に巻き込む。れっきとした|反撃《カウンター》だ。
「生肉風情が、鋼鉄の強さを思い知ったか――」
と、宣うゼーロットの暗く狭い視界に揺らめくのは電気を帯びて揺蕩う|魚《エサ》一匹。
|影丸《獲物》の姿は何処にも見当たらない。
「な……」
何故だ、と声にするよりも先に感じた気配は己の後ろから。
今のゼーロットでも十分に理解できるほどの、その強烈な殺気の正体は言うまでもなく影丸。
視界=転移距離の制限を踏まえれば、敵の狙いも行先も、忍びには筒抜けだったのだ。
「終わりだ」
短い宣告の後、紅蓮の刃が居合の如く敵を断つ。
影丸の“不動明王利剣呪”の前では鋼鉄も紙切れ。上下に分たれて崩れ落ちたそれは盛大な爆炎の中に消えて、ミアス・ガータスを脅かした主犯は、一時の死を迎えた。
それを見届けるや否や、護衛のメイドたちは散り散りになって逃げていく。
(「主君への忠義もない配下など……いや、そもそも主君と思ってすらいなければ、この有様か」)
間抜けな御主人様気取りが消えたなら用などないと、そう言わんばかりのメイドたちを追討はすれど、全滅は現実的でない。街中からメイドの姿が消え失せるまでは戦いを続けた後、影丸は刃を収めた。
これで都市は壊滅の危機を免れ、無辜の少女と猫たちにもささやかな安息が戻る。
忍務、完――いや、まだだ。忍びは約束を違えない。
「帰らなければな」
影丸は再び点検通路へと足を向けた。
無事を示して勝利を伝える。そうして、|彼女《パレット》を心の底から安心させてこそ、全てをやり終えたと――忍務完了だと言えよう。