クリームシチューに愛を込めて
●大好きな人
今日の夕食の献立はどうしようか。
リビングで洗濯物を畳みつつ、シル・ウィンディア(精霊の娘の導き手・h01157)はぼんやりとそんなことを考えた。悩ましいし決めるのが面倒くさいと思う一方、こんなことで悩めるのは幸福な証拠だという実感はある。
かつて冒険者であったシルは、それなりに修羅場を潜った経験がある。必然、選択を誤れば死ぬような切羽詰まった状態で頭を悩ませたこともあるし、逆に何を食べるかの選択肢など与えられなかった状況に陥ったこともある。石ころをしゃぶって飢えをごまかすような羽目と比べれば、コロッケにするかハンバーグにするかなどで悩めることなど、贅沢以外の何物でもない。
そんな風に幸せを噛みしめていたところ、ふと、シルの視界に自身のそれとそっくりな青色の頭髪が入りこんだ。
「ね、お母さん。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
頭髪の主――愛娘であるエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)に言われ、シルは首を傾げた。
「お願いの内容によるわね。何かしら?」
愛する娘の言うことならば何でも! というような母であろうとは、シルは思わない。過剰な甘さは子の成長にとって毒になる。
もっとも、エアリィは年齢の割にかなり分別があるので、少なくともここ一、二年ほどは大したワガママを聞いた覚えはないのだが。
「えっとねー、シチューの作り方を教えてほしいの」
「シチュー?」
「うん」
笑みを浮かべるエアリィ見やりつつ、シルの脳裏にまずよぎったのは『まだ早くないか』という思いだった。
が、まあ、よぎったのは本当に一瞬だけだった。
ローティーンなりとはいえ、エアリィは頻繁にダンジョンにも足を踏み入れている一端の戦士である。料理は火を使うといっても、普段彼女が繰り出している精霊魔術に比べれば蛍火のようなものだし、包丁とて彼女が扱う刀剣類より物騒ということはない。危険性がどうのという心配なんぞは、的外れもいいところだろう。
次いで思ったのは、これはどの程度本気で指導するべきなのかということだ。
極論、食事として成立する最低限で構わないなら、食材にしっかり火を通して適当に塩でも利かせれば、それで事足りる。しかし、凝りはじめた途端に際限なく凝れてしまうのが、料理というものだ。
会得したいレシピをシチューのそれに絞っているのなら、冒険時の即席料理ではなく、普段の食事で使える類のものを求めていそうではある。やる気がどれくらいかは、動機次第だろうか。
「いきなりな話だけど、シチューが作りたくなったのはどうしてかしら?」
愛娘に笑みを向けつつ、言う。
「んーとねー、あたしが作ったご飯を食べてもらいたい人がいるの」
「へえ お友達?」
「んー、おともだちっていうより……」
エアリィは数瞬だけ考えてから、元気に言う。
「大好きな人っ!」
「……ん?」
シルの笑顔が、ほんの少しだけ強張った。
シチューといっても様々あるが、今回は鶏肉のクリームシチューを作ることにした。シチューといえば、で最も丸いのはこれだろうという判断である。
まずは具材を切る。鶏肉、ジャガイモ、ニンジンは一口大にざっくりと切り、タマネギはくし切りに、ブロッコリーは房をバラして芯をやや細かく切る。
野菜はこの手の定番以外でも別に何だって構わないのだが、味や彩り、何より栄養バランスの調和に優れているのが、定番たるゆえんなのだろう。シル自身、自分以外の誰か、特に家族の口に入る物を作るという意識を持つようになってから、栄養バランスについては特に留意するようになった。
「お肉は、先に火を通そっか」」
鍋底に薄くバターを塗って、鶏肉を炒める。これをするのとしないのとでは、出来上がった際の肉の香ばしさが大きく変わる。
肉に焼き色が付くか付かないかの頃合いで、ブロッコリーの房以外の野菜を投入する。ここで塩をパラパラと淡く振りかけておくと、野菜に焼きが入るのと同時に水分がじんわりにじみ出てくる。
野菜の上げる悲鳴が『じゅーじゅー』から『くつくつ』になったところで、しばし見守りタイムだ。
「……ところで、エア?」
暇ができたタイミングで、シルはそろりと愛娘に声を掛けた。
「なぁに?」
「その……お料理を食べてほしい、大好きな人? っていうのは、どんな人なのかな?」
先刻、エアリィはシルの『友達か』という問いに対して、明確に否定をしてきた。
つまり、その人物に対して友情とは一線を画する感情を抱いているということだ。微笑ましい話だとも思わないではないが、母親としては何より心配が勝つ。
「うーん……」
エアリィは目を閉じ、指を頭に当てた。しばらくうなってから、パッと顔を明るくして母へと向き直る。
「まずねー、かっこいいの!」
「うん」
「けど、おちゃめなところもあって」
「うんうん」
「それから、すっごく親切でやさしくてー」
「ふんふん」
「一緒に居て安心して、ほわほわあったかい人ー」
「――……」
にこにこと屈託のない笑みを浮かべるエアリィの横で、シルは天を仰いだ。
何もわからない。いや、わかることもあるのだが。
そういうことではない。いや、実はそういうことなのかもしれないが。
無闇やたらと思考が巡り、ざっと見積もって二周か三周くらいしたところで、結局何を聞いてみたところで自分は納得などしなかったのだろう、という結論に到る。
その人の人となりなんぞは会ってみなければわからないし、何となれば会ってみたとてわからないことは多い。仮にエアリィの説明が言葉巧みであったとしても、そう、シルには何もわかりようがないのだ。
「なるほど……そっか。エアが大好きになる人だもの、いい人なのね」
「うん!」
どうにかこうにか調えたシルの言葉を、エアリィは底抜けに明るく肯定した。
シルとしても、今のところはそれで納得するしかなさそうだった。エアリィが大好きになるような人物で、かつ、どうやらエアリィのことを大事に扱ってくれているらしい人物だとわかっただけで、一旦は満足しておくべきだろう。
「ねえお母さん、まだ見てるだけ?」
「えっ? ああ、そうね。次は……」
シルはシチューに意識を戻した。
次は――この段階で市販のクリームシチューのルーをぶちこむという勝利確定の必殺技もあるにはあるが、今回は手作りにこだわるわけだから、それは禁じ手にするものとして――まず、小麦粉をふりかけるようにして鍋に加え、じっくりと具材に絡ませ、なじませる。
なじんだな、と見えたところで、牛乳を少し注ぐ。
さらに、このタイミングでブロッコリーの房も入れる。他の野菜と比べてずっと火が通りやすいブロッコリーは、野菜を炒めている時に一緒に入れると、グズグズに崩れてしまう。味についてだけいえば別にまずくなるわけでもないが、味が大差ないのならばなおさら、見栄えは良い方が良い。
牛乳を注ぎつつ、木べらでゆるゆるかき混ぜ、ダマができないようにする。人によってやり方は様々あるのだろうが、牛乳を何度かに分けて注ぎつつかきまぜていると、事故が起こりにくい……というのが、シルの所感である。
また、このタイミングで味付けも行う。
味付けの主戦力は塩と胡椒だが、こだわる人ないしその道のプロなどは、ここで手製のブイヨンを入れたりする。
が、ブイヨンをも一から手作りなどというのは、どう考えても料理初心者にやらせる工程ではない。これはもう単純にとんでもない時間が必要になってしまうのと、何の骨を使うやら、何の肉を使うやら、香味野菜は何をどれくらい、ハーブは……といった具合に、それこそ人の数だけレシピが変わってしまうし、これが絶対的な正解という答案のない部分でもあるからだ。
シルとて、作れと言われれば作れなくはない。が、数時間に渡って延々とアクと脂を取り続ける作業や何かは、そんなに好き好んでやりたいとは思わないし、確実な代物を作れるという自信もない。
そこで今回シルが使うのは、乾燥させた海藻の粉末である。これを加えると、塩胡椒だけでは生み出せない、独特の旨味を持たせることができる。流石に、料理人が本気でこしらえたブイヨンに比べれば深みや複雑さで負けはするが、家庭料理の範疇であればこれで十二分だろう。
「味見をするならこのタイミングかな。小皿にちょっとだけすくって、よく冷ましてから味見するのよ」
「ほうほう」
「それから、味見で一番大切なのは……好奇心に負けちゃわないこと」
「ほうほ……え?」
エアリィがきょとんと首を傾げるのを、シルは微笑しつつ見やった。
「味見してるとね……『何か普通の味じゃ物足りない気がする』とか『アレを混ぜたらもっとおいしくなるんじゃないか』とかいう思いつきが頭に降ってくるの。そういうのって、自分ではとっても素晴らしいモノみたいな気がしちゃうけど、いざすると大体はロクなことにならないわ」
「……ほうほう」
一般論である。
そして、多少なりと料理をした経験のある人間であれば、まあ、洗礼か何かのように必ず一度はやらかす失敗である。
「いつか……たくさんお料理の経験を積んだら、自分なりのアレンジに挑戦してみてもいいと思うわ」
「つまり、今じゃないってことね」
「そう、今じゃないわ。大好きな人が、一口食べた途端に引っくり返るなんてことになったら、エアは嫌でしょう?」
「それは絶対イヤ!」
むん! と握り拳を作り、エアリィは言った。
「好奇心に負けない! 覚えた!」
「その意気よ」
魔物でも殴り倒しに行きそうなほど気合いを入れている娘の様子を眺めつつ、シルは微笑を浮かべた。
エアリィの態度からしても、彼女はよっぽどその人物のことが大好きなのだと感じ取れる。
それほどまでに想う人が、ついにできたか。できるような年頃か。
そんな感慨が浮かぶ。一方で、エアリィのあまりの無邪気っぷりが、少しばかり気になりもする。友情ではないとして、果たしてそれは恋とか愛とか呼べるような感情なのだろうか、と。
シルとエアリィとの母娘関係は、かなり良好であるという自負はある。だが、いくら仲良しな母親が相手とはいえ、恋をした人についてのあれこれを、こうまで明け透けに告げてくるものだろうか。思い悩むとか、恥ずかしがるとか……もっとこう、モジモジしたものがあっても良さそうなものだが。
シル自身も、まあ割と年齢の若いうちから恋をしたし、それが実って家族を作ることができた口である。そんな自分の場合はどうだったかとかえりみてみるが、それも遠い過去のことであって、細やかな心の機微なぞはパッと思い出せない。恋に恋をしていた。そんな時期もあったかもしれないし、なかったかもしれない。
まあ、シルがどう気を揉んだとて、エアリィの気持ちはエアリィ自身の物だ。それとどう向き合うも、彼女自身の勝手だろう。
「とろみが少ないと思ったら、小麦粉をちょっとずつ足すの。一気にドバッと入れたらダメよ。それからダマを作らないように、ゆっくり、丁寧にかき混ぜるの。やってみる?」
「うん!」
木べらを渡されたエアリィは、言われた通りにゆるゆると鍋をかき混ぜ始めた。
いくらか危なっかしい手つきではあるが、まあ、最初にしては上出来だろう。あと三、四度も同じように指導してやれば、完全にシルの手助けなしにでもシチューを作れるようになるだろう。
自信が付いてからか、あるいはすぐにでもか。どちらにせよ、エアリィが想い人にシチューを振る舞う日はそう遠くはなさそうに思う。
そうなったら、どうなるだろう。シルからすれば顔も何もわからないので、想像するのも難しいが。喜んでくれるか、あるいは困惑が勝つのか。無反応だったり、気味悪がって突っ返したりなどという線――は、流石にエアリィの話や様子から察せるところでは、考えなくても良さそうではある。
いや。それでも万に一つ。億に一つ。
「……まあ、エアを泣かせるような人だったら、ちょっぴり『お話』しなくちゃだけど」
「? 何か言った、お母さん?」
「ううん、何でもないわ」
シルはにっこりと満面の笑顔を作った。
その人の人となりは、会ってみてもわからないことがある。毎日顔を合わせていても、全幅の信頼を寄せ合っていてさえ、なおわかっていない部分があるかもしれない。まあ、もしかしたら、の話だが。