狂える断罪の黑刃
「死ねやオラァ!」「うるせえボケがァ!」
暗闇に反響する罵声と怒号。火花散らす刃と銃声。そして仙術義体の駆動音。
これらは積層都市下層において日常的なものだ。
統治機構の庇護を受けられぬ掃き溜めの住人達は、自らの力で成り上がりを目指す。
この世は武強主義。力さえあれば上層で豊かな暮らしをすることも夢ではない。
畢竟、それは互いに蹴落とし合い、喰らいあうことを意味していた。
暴力や犯罪に手を染める者、マフィア等の犯罪組織の傘下に入る者は跡を絶たず。
そうした輩どもによる小競り合いが、下層の闇をより昏いものとするのだ。
「もうやめてぇ!」
飢えた獣どもの争いに巻き込まれる、か弱き者たちの嘆きは聞こえない。
武強主義において、泣くしかできぬ者に価値はないのだから。
この世に正義はない。あるのは強者が全てを得る理だけ。
――異を唱える者がいるとすれば、それは。
「――都市内での私闘は違法行為」
ふらり、と。闇の中から滲み出るように、ひとりの娘子が姿を現す。
憂いを帯びた端正な容貌。手にするは細身の直剣。
身に纏う装束は、軍警の制服に似ている。
「あぁん? 誰だよお前」「小娘が、邪魔すんじゃね――」
抗争の最中だった男達の言葉は、途中で断ち切られる。
娘子の傍らより出現した黒刃が、彼らの首を刎ねたのだ。
「な、なんだこいつッ!?」「まさか、最近噂の『極戒道士』って……ひぃ!!」
その瞬間から、白熱の抗争場は一方的な処刑場と化した。
娘子が剣を振るうたび、符を放つたび、断末魔の多重奏が響き渡る。
逃げる者も、命乞いをする者も、彼女は見境なく全ての生命を奪った。
「――掃討完了」
程なくして、流血の赤に染まった血に、彼女以外に息をする者はいなくなる。
そう。強き者も弱き者も、誰一人として。
――『極戒道士』|黑翠《ヘイツゥイ》。かの娘は今宵も、正義を為す。
●
「√仙術サイバーの上海で、最近『|鬼城《ゴーストタウン》の殺人鬼』が噂になっているそうよ」
まるで世間話をするような口調で、オピウム・ラ・トラヴィアータ(放浪の|魅魔《サキュバス》・h06159)はそんなことを語りだした。
「積層都市の下層にふらりと1人の女道士が現れて、人も妖魔も見境なく殺し尽くして去っていくって話。怪談めいた話だけど、どうも実在するみたい」
星詠みであるオピウムは、星を眺めていた時にたまたま噂の真相を予知したらしい。
機嫌が良くなさそうなのは、それが酒の肴としてはあまり面白くない話だったからだろうか。
「殺人鬼の正体は『|黑翠《ヘイツゥイ》』って名前の、元軍警道士の娘よ」
元、と付くように彼女はすでに軍警に属してはいない。流れの仙術使いとして、何者にも従わず個人で活動している。つまりは下層で殺戮を行っているのも、他ならぬ本人の意思ということだ。
「もともとは正義感の強い子だったみたいだけど、真面目過ぎたのが良くなかったのかしらね。汚職まみれの警察内部に裏切られて、愛する人を喪ったそうよ」
信じていた組織の腐敗と、武強主義の過酷な現実を目の当たりにして、黑翠は狂った。
今や彼女の精神を支えるのは過剰なまでの正義感のみであり、軍警を抜けた後も悪党を殺し続けている。
「彼女のターゲットは鬼城や貧困層で暴れる妖魔やテロ組織、反体制派のマフィアにチンピラ……まあ、ようするに下層住民のほとんどね」
黑翠に理性は残っていないため、悪党に裁きを下すたび、居合わせただけの一般人も巻き込まれるケースは少なくない。疑わしきは罰するを信条に、己の判断のみを基準に殺戮を繰り返している。
「人呼んで『極戒道士』。正義に狂った鬼城の殺人鬼のできあがりってわけね」
彼女の凶行がいつまで続くかは分からない。いつかは返り討ちにあうか、あるいは己自身が犯罪者として裁かれる日が来るかもしれない。だが、それまでに積み上げられる幾多の死者は、上海下層を血で染め上げるだろう。
「彼女を止めたい? 今どこにいるかは、わたしにも詠めなかったわ。でも彼女のことだから、悪党どもが小競り合いをしてる所に先回りすれば、そのうち鉢合わせするんじゃないかしら」
ヤクザやマフィアの抗争、チンピラの喧嘩、武侠の腕試しなど、下層において流血沙汰は日常茶飯時だ。力を持たぬ者にとっては迷惑な話だが、そうした場所に黑翠が現れる可能性は高い。
「まあ、そんな所に首を突っ込んで、自分も巻き込まれずに済めばいいけど」
目当てが来るまで争いを眺めているのもいいし、黑翠に先んじて悪党どもを叩きのめしてもいい。オピウムは自分が予知したことを伝えるだけで、行動を縛る気はないようだ。
「黑翠のせいで、今の上海下層は荒れてるわ。他にも余計な面倒事に巻き込まれないように、せいぜい気をつけることね」
話を終えたオピウムはおざなりな忠告を残して、ふらりと何処かへと去っていった。
狂った正義感に従い殺戮を繰り返す『極戒道士』黑翠。その凶行を阻止する選択肢は、√能力者達に委ねられた――。
第1章 冒険 『悪党どもの小競り合い!』
(とりあえず戦闘能力の無い一般人が巻き込まれそうになるまでは様子見で)
積層都市上海の下層区にて、乱闘騒ぎを繰り広げる男たちを、ユウリ・スプリングス(暴食の姫・h13492)は静観していた。なにが理由で争っているかは知らないが、いちいち止める気はない。
(無関係の人を巻き込まない限りは当事者同士の喧嘩だからね)
無関心とも言えるが、同じように考える者はここでは珍しくない。足早に立ち去る者、観戦して野次を飛ばす者など対応は様々だが、このような諍いはそこら中で起きている以上、いちいち止めようとする者のほうが珍しいのだ。
「もう勘弁ならねえ、ブッ殺してやる!」「こっちのセリフだボケが!」
「きゃっ?!」「やべっ、逃げろ!」
が、次第にヒートアップしてきた争いは、やがて凶器を持ち出すに至る。銃器やら|仙術義体《サイバーパーツ》やらの流れ弾が一般人を巻き込むようになれば、流石にユウリも止めに入る。
「はいはい、ほどほどにしないと怖い殺人鬼が来ちゃうわよ」
「あぁ?! なんだテメェ!」「ガキは引っ込んでろ!」
小柄な容姿から実年齢以上に幼く見える女の制止など、頭に血が上った荒くれ者どもが聞くはずがない。ユウリもそれは分かっていたので、すぐさま実力行使に移る。武強主義の√仙術サイバーでは、言葉よりもよっぽど「説得力」があるだろう。
「いい加減にしなさい」
ユウリは小型拳銃「ベルスター」を連射し、敵の威嚇と無力化を図る。正確な弾道計算に導かれた銃弾が、男たちの手から武器を撃ち落とし。それでも止まらないようなら、続け様に手足を射抜く。
「うげっ?!」「ぎゃふっ!」
わずか数秒で武器を失い、地べたに這いつくばる男たち。実力の違いを見せつければ、もう歯向かう気は起こさないだろう。戦意が萎えていくのを確認してから、ユウリはふっと硝煙を吹き消した。
「――ここは無問題」
その様子を、いつの間にかひとりの少女が眺めている。陰鬱な雰囲気をまとった、端正な顔立ちの女道士――話に聞いていた通り、あれが巷で噂の『極戒道士』だと察したユウリは、すぐさま銃口をそちらに向けた。
「貴女に人は殺させない」
この事件への意気込みを【|誓い《オース》】として√能力を発動し、決闘空間を形成。この中には戦闘力のない者は立ち入れず、すでに中にいた者は範囲外に転移される。一般人の安全確保にはうってつけの術だ。
「貴女気づいてる? 貴女自身が貴女の嫌いな悪になっている事に」
「……」
さっきもやったように、手足狙いで無力化を図るユウリ。だが、今度の相手はそこらの荒くれ者とはわけが違う。少女は無言のまま漆黑の念動剣を出現させ、銃弾を瞬時に切り払った。
「裁くのは貴女のやる事じゃないわよ」
「……裁かなければならない。誰かが」
険しい声色と眼差しで問うと、極戒道士はただ一言答え、決闘空間から去っていく。
結果的に先んじて「裁き」を下したユウリのことを、今はまだ裁くべき悪人とは認識しなかったらしい。暗闇に溶けていく少女の姿を、暴食の姫はすぐに追いかけた。
「鬼城の殺人鬼ねぇ……気に食わねぇ」
どんな事情があるのか知ったことではないが、下層出身のムツキ・レイニィサイン(ラプチャー・フォックス・h12371)からすれば、極戒道士『|黑翠《ヘイツゥイ》』の所業は迷惑千万でしかなかった。
「なんだってテメェの気持ちの慰めに下層民の命が使われなきゃならねぇんだよ。一発、お灸を据えてやらねぇとな」
上層の連中からすれば無法者の溜まり場かもしれないが、こっちはこっちで懸命に生きているのだ。勝手な理屈で荒らし回るなら、下層にも強者ありという所を思い知らせてやろう。怒気と闘気を漲らせ、少年は行動を開始した。
「下層には下層なりの秩序があるハズだが……なるほど、こりゃ確かに荒れてんな」
ムツキが知っている下層の空気感と比較しても、現在の上海下層は殺伐としていた。
もともとの治安の悪さに殺人鬼の噂が拍車をかけたのか。ここにもまた、怒号を張り上げ殴り合う男たちがいた。
「どえらい人だかりも出来て……決闘? 女の取り合い?」
事情を小耳に挟めば、なんとまあ下らない話だ。どっちが先に惚れただとか、俺のほうがいい男だとか、下らない意地の張り合いがエスカレートしたすえの喧嘩。渦中の女性が「もう、やめてよ!」と叫んでいるが、耳を貸す様子はない。
「何もこんな時期に……いや、これが下層の空気だよなぁ」
らしいと言えばらしい話に肩の力が抜けたムツキは、ひとまず争ってる2人を止めることにする。風よりも疾く近付いて、紫電を帯びた「雷鳴刀」を一閃。これぞ【電磁抜刀・塵旋斬り】だ。
「安心せい峰打ちじゃ」
「がふっ?!」「ぐげっ!!」
一瞬で叩き伏せられた男たちは、無様な悲鳴を上げて地べたに這いつくばった。動ける程度に加減はしたが、喧嘩を続けるのは無理だろう。ムツキは刀を鞘に戻すと、呆気にとられている周囲の野次馬どもを睨みつける。
「ほら帰った帰った!」
「なんでぇ、もう終わりかよ」「シケた幕引きだなァ」
やいのやいのと喧嘩を煽り、どっちが勝つかと賭けをしていた野次馬も、部外者が勝負を掻っ攫っていったら興が冷めたようだ。つまらなさそうにぶつくさ言いつつ、散り散りに去っていく。
「姉ちゃんもだ。好みの女が死ぬトコを見るのは忍びねぇ」
「あ、アンタ、なんで……?」
取り合われていた女性のほうは、まだ状況が飲み込めずに目を丸くしている。男どもが熱を上げるのが分かるくらいには、思わず目を惹かれるくらいの美人だ。さっきの決闘に彼女自身の責任はないはずだが、黑翠がそれを汲んでくれるかは分からない。
「……噂、知ってんだろ。殺人鬼が来る前にさっさと帰んな」
「っ……わかった。ありがとね、あのバカどもを止めてくれて」
神妙な表情でムツキがささやくと、女性はぞくりと背筋を震わせ、こくりと頷いた。
彼女もこんな所で死ぬのはごめんだろう――一方で、勝手に騒ぎを起こす迷惑な男どもでも一応情はあるのか。喧嘩を止めてくれたことには感謝を告げて去っていった。
「そこで倒れてる2人もだ! 絶対に家から出るなよ!」
「うぐぐ……」「ち、ちくしょぅ……」
いいトコなしだった男どもは、鞭打つような一喝でよろよろと立ち上がり、女のあとを追って歩き去る。喧嘩の続きがやりたけりゃ、殺人鬼騒動が収まった後で好きにすればいい。下層らしいバカどもを見送って、ムツキは笑った。
「正義とは何なのかって考えさせられるね」
下層に蔓延る犯罪者、無法者、テロリストを、武力を以て一掃せんとする『極戒道士』黑翠。それが正義感に基くものだとしても、個人の感情と判断による一方的な裁きに、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は疑問を抱く。
「居合わせただけの一般人を巻き込む正義なんて、正しいとは思えないけど」
どんな正義を掲げるのであれ、明らかに不要な流血沙汰を見過ごすわけにはいかない。
上海下層を訪れた彼は【機械仕掛けの瞳】を使用し、偵察用ドローンを発進させた。
(目立つような大きめの争いが好ましいかな)
目を閉じて、ドローンと感覚を共有しながら付近を調査すると、マフィアの構成員らしき武装した連中が争っている現場を見つけた。積層都市の下層がこうした犯罪組織の根城になっているのはよくある話で、縄張り争いも日常茶飯時だ。
「これ以上、ウチのシマで好き勝手すんじゃねえ!」
「あぁん? いつからテメェらのシマになった!」
利権やメンツのために起こる無法者の諍いは、無力な人々の都合など考えない。近隣住民は慌てて避難を始めるが、このままでは流れ弾による被害が出るのは避けられそうになかった。
「殺人鬼の件がなくても、放ってはおけないね」
クラウスはドローンと共にすぐさま現場に向かい、抗争するマフィアにドローンたちを突撃させる。これらに戦闘用の機能はないが、囮となって意識を逸らすくらいはできる。
「うおっ?!」「邪魔すんな!」「誰が操ってる!?」
水を差される形となったマフィアの両陣営は、飛び交うドローンを撃ち落とそうと、空に向かって武器を振り回す。この間にクラウスは近くにいる一般人の元へと向かった。
「早く逃げて。ここは危ないよ」
「お、おうっ!」「ありがとよ、兄ちゃん!」
√仙術サイバーの住人たちにとっては、この程度の小競り合いは日常茶飯事。時間を稼ぎさえすれば、必要以上に怯えずにさっさと逃げていく。一般人が荒事慣れするほど治安が悪いのは違う意味で問題がありそうだが、今は手間がかからなくて助かる。
「逃げ遅れた人はいないね。よし」
クラウスの目的は一般人を逃がすことが最優先事項だが、可能なら争いそのものも止めたいとは考えていた。なので予想よりも早く避難が完了すれば、自ら武器を取り抗争に介入していく。
「殺さないようにぶちのめさせてもらうよ」
「なんだよお前……ぐへ!?」「てっ、テメェ、どこのモンだ……がはっ!」
硬度強化したドローンを盾にして攻撃を防ぎつつ、急所を外した銃撃や、レイン砲台の威嚇射撃、魔力兵装による峰打ち等で、次々に暴漢を叩き伏せていくクラウス。マフィアの下っ端と戦場育ちの傭兵では実力差は歴然で、場が鎮まるまでに然程の時間はかからなかった――。
「気の触れた元軍警道士か。ったく、|劉山泊《うち》の販路で騒動起こすんじゃねえよ」
√仙術サイバーを股にかける鏢局「劉山泊」にとっては、上海下層も商売上のルートの一部である。治安が悪いのは下層の常とはいえ、最低限の秩序も保たれないレベルになると、鏢師部門長としては困る。
「とっととシメちまわないとな」
よって事態の解決に乗り出した劉・涼鈴(神腿公主・h12276)は、件のイカれた道士が現れそうな場所を探す。ようや血の気の多いバカやしょうもないクズが乱闘騒ぎを起こしているような場所をだ。
「おうおう、随分と景気よくはしゃいでんじゃねえかよ、チンピラどもが」
おあつらえむきな流血沙汰の現場に出くわした涼鈴は、よく通る大声で挑発の言葉を投げかける。その効果は覿面で、争っていたふたつの陣営が鬼のような形相で振り返った。
「あァん?」「なんだテメェ、ここらじゃ見ねえ顔だな」
居丈高な発言に加えて、鮮やかな紅い旗袍という出で立ち。下層ではお目に掛かれないような上等な衣装は、自然と人々の注目を集める。同時にそれは敵意と反感を買う要因にもなった。
「しばらくしたらここは鉄火場になる、木っ端どもは引っ込んでろ」
「うるせぇ!」「テメェこそ、部外者が首突っ込んでくんじゃねえよ!」
忠告しようがそんな言い方では当然、侮辱にいきり立って向かってくる。多少は腕に覚えがあるからこその反応だろうが、対する涼鈴は劉家拳皆伝の達人。チンピラ風情に後れを取ることはない。
「てめえらなんざ、流派の奥義を使うまでもない」
「がふっ!?」「ごげっ?!」「ぎゃはぁっ!!」
稚拙な技を見切り、流麗な手さばきで得物を受け流し、超人的な怪力で蹴っ飛ばす。
仙術でもなんでもない、ただの功夫で鎧袖一触。彼女が動くたびに、まさしく木っ端のようにチンピラどもが宙を舞った。
「どうだ、まだやるか?」
「ひ、ひぃ!」「イキってすみませんでしたぁ!!」
実力差を分からせたところで、涼鈴は全身から闘気を迸らせ【劉家秘伝・蚩尤恐圧】を発動。耐え難いほどの恐怖を与えられたチンピラどもは、さっきまでの威勢はどこへやら、ネズミのように一目散に逃げていく。
「しばらく大人しくしてな」
この程度で腰を抜かす根性なしなら、殺人鬼に狙われればひとたまりもなかっただろう。遠ざかっていく小物の背中を見送って、涼鈴は本命がやってくるのを待つのだった。
第2章 集団戦 『軍警道士』
様々な乱闘騒ぎに介入し、噂の『鬼城の殺人鬼』が現れるのを待つ√能力者たち。
だが、そこで一同は予期せぬ相手と遭遇することになった。
「お前達、例の殺人鬼を探しているのか?」
高圧的な口調で話しかけてきたのは、黒い制服を身に着けた女たち。
下層の住民とは明らかに身なりが違う。もっと上の層から来た連中だ。
「私達は上海軍警だ」
「この事件は我々が捜査することになった」
軍警道士――軍警察直属の仙術使い。
治安維持の為ならいかなる暴力も辞さぬ、武強主義社会における秩序の守り手だ。
彼女たちが殺人事件の捜査を行うのは、職務としておかしいことではない。
が、その態度には妙な引っかかりを感じる。
「貴様らが何者かは知らないが、今後は私たちに任せてもらおう」
まるで、部外者がこれ以上この事件に関わることを阻止したいような。
件の殺人鬼こと『極戒道士』黑翠も元は軍警道士だったことを踏まえれば、その理由は察しが付く。
元軍警道士が発狂して人を殺し回っているなど、軍警察からすれば「身内の恥」だ。
犯人の正体が露見する前に、内々に始末をつけたいと考えても不思議ではない。
この軍警道士たちは自分たちの手で黑翠を抹殺し、真相を闇に葬る気なのだ。
「お前たちは、犯人についてなにか知っているようだな?」
「詳しく取り調べさせてもらうぞ。拒否権はない」
「もし逆らうならば、公務執行妨害として処罰する」
そして彼女らの仕事には、真相を知ってしまった者の口封じも含まれている。
下層市民の権利や生命を尊重する気はさらさら無く、不都合な事実をひた隠し、形式上の治安さえ守られればそれで良いようだ。
√能力者たちは、そんな連中に目をつけられてしまった。
警察が動いてくれるなら「はいそうですか」と後のことはお任せする、というわけには残念ながらいかないようだ。迷惑な話だが、降りかかる火の粉は払うしかあるまい。
この世はなべて武強主義。腐敗した権力の横暴には此方も力をもって抵抗するまで。
問答無用の「取り調べ」を行わんとする軍警道士に、√能力者たちは身構えた。
「証拠も令状もなく、そもそもたかが取り調べのために拘束かい?」
いくら武強主義の世の中とはいえ、あまりにも強権的な『軍警道士』の振る舞いに、涼鈴は皮肉げな態度を取る。下層には下層のルールがあり、こんな捜査をすれば反発されるのは目に見えているだろうに。
「随分と大仰な捕り物だ、何か後ろ暗いことでも?」
「うるさい。邪推が過ぎるぞ、貴様」「この場で処罰されたいか?」
その質問に道士達は顔をしかめ、銭剣を握って涼鈴を取り囲む。これは脅しではなく、彼女達は本気だ。捜査中に下層で”暴徒”の1人や2人叩きのめしたところで、なんの問題にもならない。
「へいへい、私ゃ善良な市民なもんでね、軍警道士様の下知には従う所存――」
頑迷な敵意を感じ取った涼鈴は、諸手を挙げていったんは従うと見せかける。「最初からそうすれば良かったのだ」と、軍警道士達の気が緩む一瞬――刹那の虚を突くために。
「――なワケねーだろ!!」
「がふッ?!」
直後、女豹の如き跳躍から、鋭い飛び蹴りが突き刺さる。目にも止まらぬ早業、これぞ【劉家奥義・麒麟無影脚】なり。反応すらできなかった相手は、もんどり打って地に伏せた。
「武強主義が権威を笠に着ちゃあお終いだろうよ」
「き、貴様ッ……!」
蹴り足を軽く上げた構えで、ふんと鼻を鳴らす涼鈴。この世は「強いやつが偉い」のであって、断じてその逆はない。肩書きで人を従わせたいのなら、先に力を見せてもらわなければ。
「|手前《てめえ》の道理を通したけりゃ、問答無用でかかってこいや!」
「粋がるなよ屑が!」「私達の力、思い知らせてやる!」
こうも馬鹿にされた上で挑発されては黙っていられるはずがない。不意打ちで1人倒されたところで、数の上ではまだ軍警側が有利。教練通りの【軍警式集団銭剣術】で袋叩きにしようとするが――。
「多対一の鉄則、脚を止めることなく駆け回る!」
涼鈴は自慢の健脚を活かし、相手を上回る速度で動く。軒を連ねるボロ屋の壁や看板、剥き出しになった鉄骨やパイプ――ごちゃついた下層特有の地形が、彼女に地の利を与えてくれる。
「くそっ! 野猿のようにちょこまかと!」
あらゆるものを足場にした縦横無尽の挙動に、お行儀のいい軍警道士の戦い方ではついていけない。彼女らが振るう銭剣は空を切るばかりで、包囲の内側に涼鈴を留め置くこともできない。
「遅い遅い! どこ見てやがる!」
「がふぅッ!?」
華麗な三角飛びから再び放たれた蹴撃が、軍警道士を石ころのように吹っ飛ばす。神域に達した腿法の絶技と牛妖魔人間の怪力を前に、軍警の権威などなんの力もなく。心得違いをした愚か者は、ひとりずつ着実に地に這いつくばらされるのであった――。
「まぁ軍警がやるって言うなら文句はないけど……」
上海を騒がせる『鬼城の殺人鬼』の捜査に軍警察が乗り出した。これだけなら職務としてなんらおかしな所はない。しかしユウリは、彼女達の態度から後ろ暗いものをはっきりと感じ取っていた。
「民を守る為って言うか、あの子を殺して口封じでもするつもりかしらね?」
「”あの子”? やはり貴様、なにか知っているな」「署まで連行させて貰う」
その一言で『軍警道士』達もユウリへの警戒心を強める。狂乱した元同僚が市井で殺人を繰り返しているなど、絶対に明るみに出せない汚点だ。真相をもみ消すためならば、疑わしきは罰するに限る。
「あら、私まで? よくは知らないけど降りかかる火の粉は払わせてもらうわ……さぁ行くわよヘルハウンド」
ユウリはあくまで人から話を聞き、一度本人と顔を合わせただけ。それだけで容疑者のような扱いをされるのは業腹だが、おとなしく連行される気もさらさらなく。抜き放った二丁一対の銃が意思表明になる。
「抵抗するなら容赦はしない」「この上海で私達に逆らって、タダで済むと思うな!」
大義名分を得たとばかりに軍警道士達も攻撃体制に。制式装備の銭剣を構え、統率の取れた動きで仕掛けてくる。1人1人の力量はさほどでもなさそうだが、集団となれば厄介だ。
「ちょっと頑張らないとね……」
ユウリは【|黒炎増加《フレアチャージ》】で銃の連射速度と攻撃範囲を高め、軍警道士の集団戦法に対抗する。二丁の「ヘルハウンド」より放たれる炎は黒く染まり、弾丸はショットガンのように散らばる。
「ぐッ?!」「奇妙な妖術を!」
獄炎弾を受けた軍警道士は重度の火傷を負いたじろぐが、他の者はそのまま斬り掛かってくる。銭剣に宿る浄化の力は、果たして魔王の契約者にも通じるのか――試してみたいとは思わず、ユウリは回避に専念する。
「ほらほら、数が減っているわよ」
「くっ。舐めるなよ小娘!」
攻撃を見切り、舞い踊るように身をかわしながら、ヘルハウンドの連射で少しずつ敵を倒していくユウリ。たった1人にこのまま翻弄されてなるものかと、軍警道士達は【軍警式集団銭剣術】の包囲を狭める。
「ちょっと仲間ごとなんて、何考えているのよ!」
「構わん! 職務の為だ!」
あまりに味方同士の距離が近すぎると、同僚にも攻撃を当ててしまう恐れがあるが、彼女達はまるで意に介していない。歪んだ仕事熱心ぶりに顔をしかめながら、ユウリは包囲を逃れようとするが、その足がふいに止まる。
「我らが仙術を侮るな!」
「あぁもう、鬱陶しい!」
捜査に先駆けて軍警道士達が【軍警式仙術祭壇】で執り行った大規模仙術儀式の効果が、ここで現れる。呪術的に逃走を禁じられたユウリは舌打ちしながら、四方八方より迫る敵に銃口を向け。
「こうなったら、ありったけよ!」
冥府の獄炎をさらに供給されたヘルハウンドから、漆黑の陽炎が立ち上る。ぐっと銃爪を引き絞れば、放たれる弾幕は嵐の如し。包囲を狭めたということは、向こうにも逃げる隙間はないということだ。
「「ぐあぁぁぁぁッ!!!?」」
仙術儀式で相手の行動を失敗させられるのは一度きり。予想以上の反撃を受けた軍警道士達は、銭剣を届かせる前にまとめて吹き飛ばされた。紙一重の差ではあったが、戦場において「惜しかった」など慰めにもならない。
「私の勝ちね、まだやる?」
「ぐっ……ま、まだだ……!」
それでも立ち上がる根性のある道士もいるが、多くの者が大火傷を負い、敗色濃厚なのは明らか。法と秩序を守るべき軍警察が、罪人を裁く冥府の獄炎に焼かれるというのも、皮肉な話であった――。
「自分たちでカタを付けるつもりなら任せていいかと思ったけど、口封じしようとするなら話は別だ」
権力を振りかざした『軍警道士』の横暴な捜査に、唯々諾々と従うクラウスではない。
不都合な真実を闇に葬ろうとする、腐敗した正義の圧力を、彼はきっぱりと拒絶する。
「取り調べに応じないというなら、お前も犯罪者だ!」
すぐさま軍警道士達はクラウスを取り囲み、【軍警式集団銭剣術】を仕掛けてくる。
応じようが応じまいが、最初から力付くでやるつもりだったのだろう。制服を着ていなければ、どちらが犯罪者かわかったものではない。
「乱暴な取り調べもあったものだね」
銭剣での一斉攻撃をさっと回避しながら、クラウスは【乱戦遊戯】を使用。こういった多対一の戦闘では、周囲の地形や相手の動きを読んで、それを利用することが重要だ。
「悪いけど、捕まる気はないよ」
「きゃっ?!」「ぐはっ!!」
軍警の身体や振り回される銭剣、周囲の壁などを蹴って跳び、的確に蹴りを叩き込む。
この男、涼しげな顔をしてなかなか足癖が悪い。間髪入れぬ二連撃を食らった軍警達は、カンフー映画のワンシーンのように吹っ飛んだ。
(できるだけ殺さずに無力化したいな)
今回の相手は妖魔や戦闘機械ではなく、品行方正とは言えないが一応は警察官だ。無闇な殺害を躊躇したクラウスは、銭剣を蹴飛ばして武器を奪い、急所を外した蹴りで気絶させていく。敵の命を気遣えるのは、それだけ実力に開きのある証でもある。
「くそっ! 抵抗するな!」「おとなしく裁きを受けろ!」
ひとり、またひとりと同僚が倒されていく中、軍警道士達は躍起になって包囲を狭めようとする。わざわざ下層まで捜査に来て、本星にすら会えずに返り討ちにあったのではメンツに関わる。彼女達も必死であった。
「熱くなりすぎだね」
「うるさいッ!!」
クールな態度を崩さないクラウスへ、怒りに任せて振り下ろされる銭剣。これなら受け止められそうだと判断した彼は、周囲に魔光の盾を張って防御。敵の攻撃が同僚にも向かうように仕向ける。
「ぐあッ!? う、腕が……!」「す、すまん!」
多勢で1人を包囲した結果、同士討ちを招くとは迂闊なことだ。同僚の銭剣で打たれた軍警道士の腕は、完全に折れていて使い物になりそうにない。自分が誘発したこととはいえ、これにはクラウスも「もっと周りをよく見た方がいいよ」と苦笑する。
(こうやって派手に争っていれば、その内黑翠の方から来てくれるかもしれないね)
なおも向かってくる軍警を軽くあしらい、蹴り飛ばしつつ、クラウスはそんなことを考える。下層で狼藉を働く腐敗した元同僚も、黑翠にとっては粛清すべき対象だろう――彼の意識は目の前の敵よりも、周辺の警戒へと向けられつつあった。
「いくら共通の敵がいるとはいえ、不祥事の隠蔽を見過ごすわけにはいきませんね」
凶行を阻止したい√能力者達、真相を消し去りたい『軍警道士』達、どちらも追っている相手は同じ。しかし目的を異にする以上、協力できる余地はなく。汚職警官の類に阿るのは、ヒルデガルド・ガイガー(怪異を喰らう魔女・h02961)の主義にも反した。
「此処は力ずくでも黙らせていただきます」
「ならば、こちらも力尽くだ」「素直に従っていれば、痛い目を見ずに済んだものを」
被疑者が抵抗の意思を示せば、軍警道士達は直ちに【簡易軍警霊令符】を武器に貼り付けた。周囲のインビジブルがその符に集合し、銭剣を量産型疑似王劍に変形させていく。
「破壊と鏖殺の刃よ、心ゆくまで邪命を屠り尽くせ」
迎え撃つヒルデガルドは【|狂月乱舞《サヴェージフェンサー》】を発動。身に纏う雰囲気が獣の如く荒々しいものへと変わり、呪詛と炎が刀に宿る。人の世を生きるための淑女の仮面は剥がれ、戦闘狂の本性が現れた。
「さあ、まとめてかかってこいよ」
「コイツ……ッ!」「あっ、待て!」
挑発的な笑みと鬼気迫る殺気に、ひとりの軍警道士が先走った。インビジブルの薄い下層では、量産型疑似王劍の性能もオリジナルとは比べ物にならないが、それでも普通の武器とは一線を画する――。
「温いな」
「ぎゃぁッ?!」
それを、ヒルデガルドの斬霊刀「黄泉」は一撃で叩き折った。燃え盛る激情を体現した【憤怒爆炎刀】を食らった軍警道士は、断末魔の悲鳴と共に吹き飛ぶ。無謀にも突出したツケだ。
「部外者相手に勝手に武力行使してる時点でテメェらも黒翠とかいうイカレたガキと同罪なんだよ、まとめて俺が調理してやるぜ」
「こ、このッ……!」「もうタダでは済まさんぞ!」
悪辣な公僕への敵意を隠しもせず吐き捨てるヒルデガルドに対し、同僚をやられた軍警道士達もいきり立ち、今度こそ一斉に【軍警式集団銭剣術】を仕掛けてくる。同時にインビジブル退散の符も放って、√能力の威力を低下させる小細工も忘れない。
「こんな紙切れで、俺を封じられるとでも思ってんのか?」
ヒルデガルドは再度【憤怒爆炎刀】を放ち、ばら撒かれた【簡易軍警霊令符】を一枚残らず吹き飛ばす。そして軍警道士達が斬り掛かってくるタイミングで、返す刀で【呪詛侵蝕刀】を一閃。
「断末魔を奏でな」
「「ぎゃぁぁぁァァーーーッ!!?」」
強烈な呪詛を盛り込まれた斬撃は軍警の制服に仕込まれた霊的防護を破り、その身を深々と抉り斬る。下層にこだまする道士達の絶叫――仮に致命傷を免れたとしても、呪いは神経の隅々まで行き渡って、彼女らの体をマヒさせていた。
「よ、よくも……っ!」
一斉突撃のタイミングからワンテンポ遅れた者だけが、幸運にも一網打尽を免れた。
同僚の敵を討つべく、彼女は震える手で斬り掛かってくるが――束になっても敵わぬ相手に、単騎でどうして一矢報いれよう。
「甘いんだよ」
「ぐふっ?!」「し、しまっ……きゃぁ!!」
霊的防護で敵の霊力を上回るヒルデガルドは、疑似王劍をたやすく受け流しつつ、倒れている敵を盾にして同士討ちに遭ってもらう。同僚の剣で斬られるのも、こいつらには自業自得というものだろう。
「さあ、まだまだいくぜ」
「ひ、ひぃっ!」「も、もうやめて……!」
バーサーカーの魂に火をつけたが最後、軍警部隊を此処で殲滅するまで、ヒルデガルドの暴威は止まらない。麗しき狂戦士は殺意に満ちた笑みを浮かべ、呪詛と爆炎の刀を振るい続けるのだった――。
「よぉ軍警共、お勤めご苦労さん」
皮肉たっぷりな笑みを浮かべて、『軍警道士』達に声をかけるのはムツキ。身内の不祥事を隠蔽するために奴らがあくせくと駆けずり回るのは、下層住民としてはいい気味だ。
「この前北京の連中に好き勝手踏み荒らされておいて、今更沽券を気にしようってんならお笑いだぜ」
「なッ、このガキ……!」「警官侮辱罪で逮捕するぞ!」
彼の言う通り、数ヶ月前にもここ上海では大規模な抗争が起こっており、軍警察はそれを鎮圧できなかった。今回の捜査はこれ以上評価が下がるのを防ぎ、少しでも点数を稼ごうという思惑もあるのか――彼女達の反応は、図星を突かれた時のそれだ。
「件の殺人鬼の想い人とやらも、そうやって難癖付けてその手にかけたのかい?」
「……ッ。貴様、なにを知っている?」
その一言で、軍警道士達の反応は「怒り」から「警戒」そして「殺意」へと目まぐるしく切り替わった。もしも黑翠の離反にまつわる真相まで知られているなら、目の前のガキは「生意気な下層民」から「絶対に始末しなければならない敵」になるのだ。
「……へっ。どこまで知ってるかはご想像にお任せするよ。それとも身体に聞いてみるかい? 出来るモンならな」
「生意気なガキね」「その言葉、後悔させてやる」
もはや取り調べという段階ではない。ムツキを取り囲もうとする軍警道士達の動きからは、確実にここで始末するという意思が感じられる。淀みのない集団行動からは、流石に軍警としての練度が感じられた。
(囲んで棒で叩くのがお得意か。なら包囲される前に撹乱してやる)
完全に逃げ場を失う前に、ムツキは【影分身の術】を発動。装備も能力も自分とそっくり同じ分身を、一挙に20人ほど呼び出す。「なにッ?!」と驚く軍警道士達の前で、彼らはバラバラに散開した。
「「俺"達"が相手をしてやるぜ!」」
「こいつ、ニンジャだったのか!?」「う、うろたえるな! 本物は1人だけだ!」
泡を食った道士達は慌てて応戦するが、数的優位を失ったうえに、地の利は向こうにある。積層都市下層はムツキの庭だ――屋根の上を駆けたり壁を走ったり、地形を活かして縦横無尽に動き回り、本体を絞らせない。
「くそっ! どれだ、どれが本物だ?!」
得意の【軍警式集団銭剣術】も封じられた軍警道士は、四方八方から飛んでくる仙術手裏剣を銭剣で弾くのがやっと。焦燥にかられるうちに連携は乱れ、隙を見せた奴から刈り取られる。
「「まずはてめぇからだ!」」
「ぎゃぁッ!?」
手裏剣で武器を弾き、雷鳴刀で斬り伏せ、とどめは獄炎布で焼却。分身との一斉攻撃を受けた道士は成すすべなく斃れる。本来なら彼女らがやりたかった戦法を、逆にやり返された形だ。
「囲んで叩くのはそっちの専売特許じゃねぇんだぜ?」
「く、くそっ!」「こんなハズじゃ……!」
不敵な笑みを浮かべながら、ムツキは分身達と共に敵を翻弄し続け、速攻かつ確実に数を減らしていく。群れていた時は偉そうだった軍警道士達も、こうなってしまえば最初の威勢はどこへやら。焦燥、恐怖、絶望に苛まれながら、順番に始末されていった――。
第3章 ボス戦 『黑翠』
「くそっ! 覚えていろよ、貴様ら! この件は本部に報告してやる!」
下層にて横暴な捜査を行う軍警道士を、武強主義に則り撃退した√能力者達。
ボロボロに叩きのめされた道士の生き残りは、捨て台詞を吐いて逃げていく――。
「――どこへ逃げる?」
「ッ?! お、お前は……ギャァァァァーーーッ!!!」
だがその直後、言葉は断末魔の絶叫に変わる。
闇の中から現れた少女が、一太刀にて軍警道士を斬り捨てたのだ。
噴き出す血飛沫は雨のように、だが一滴も彼女に降りかかることはない。
その容姿は、噂に聞いていた通りのもの。
憂いを帯びた端正な容貌。手にするは細身の直剣。
そして、たった今斬り伏せた軍警の制服に類似した装束。
彼女こそが|鬼城《ゴーストタウン》の殺人鬼こと、人呼んで『極戒道士』|黑翠《ヘイツゥイ》。
上海下層にて連続殺人を繰り返していた、元軍警道士であろう。
『お前達も……治安を乱す悪、か』
どこか虚ろな眼差しで、黑翠は√能力者達に視線を移す。
その瞳は焦点が合っておらず、まさに心ここにあらずの様相。
にも関わらず発する凶気は、下層のチンピラや先程の軍警など比べ物にならない。
信じていた組織に裏切られ、愛する人を喪い。
かつては正義感あふれる軍警の少女は、狂気に堕ちた。
いまや彼女の精神を支えるのは、過剰に歪んだ信念のみ。
”悪”とみなせば、即座に殺す。
善悪を審判するその瞳が、いかに曇っていようと。
無辜の市民を、いくら巻き添えにしようと。
そして今、黑翠の凶刃は√能力者達を次なる標的に選んだ。
理由如何を問い、説得を試みたところで無駄であろう。
目の前にいるのは、理性なき「正義」という名の狂人だ。
「――掃討する」
口数少なく、死を告げる『極戒道士』。
上海に死をもたらす殺人鬼との、戦いの火蓋が切って落とされた。
「お前さんが件のトチ狂った元軍警道士か」
噂を追って下層を巡り、ようやく相見えることになった「|鬼城《ゴーストタウン》の殺人鬼」に、涼鈴が声をかける。その問いかけに『黑翠』は答えることも名乗ることもなく、澱んだ眼差しを向けて一言。
「……執行開始」
インビジブル集合の【極戒霊令符】を貼り付けた、無数の漆黑の念動剣が、”悪”を討つべく一斉に放たれる。彼女にとっては積層都市で騒乱を起こす者全てが、粛清すべき不穏分子だ。
「境遇は伝え聞いてる……随分とまぁ、眠てえ話だ」
飛来する念動剣を縄鏢で絡めて逸らしながら、涼鈴は言葉を続ける。愛する人を失い、組織に失望し、狂気に堕ちた――演劇にでもすればお涙頂戴の話だが、彼女は一切同情しない。
「『悪』ってのは何だ? 私に言わせりゃ、死んだやつが弱かったのが悪い、死なせたくなかったのに守れなかった手前が悪い」
武強主義の世の中において、弱き者はなにも守れない。だからこそ誰もが強者たらんとするのだ。「正義」を掲げるならば尚の事強くあらねばならず、責任の所在を他に求めて「悪」とするのは、それこそ惰弱としか言いようがなかった。
「もっと言えば、|劉山泊《うち》の商売の邪魔をするのが何より悪い」
「……うるさい」
涼鈴がこの事件に関わったのも、結局の所は劉山泊の、ひいては己の利のためである。
他所様の悲劇など知ったことではない言い草に、黑翠は微かに眉をひそめ、攻撃の激しさが増した。
(口先で矛を収められる手合いじゃねえ。なら徹底的に挑発して、怒りで技の冴えを鈍らせる)
無口ですましたツラをしているが、動機からして黑翠は激情型の人間だろう。感情が行動に乗るタイプで、本人よりも剣から怒りが伝わってくる。隙を見出すとすればそこだ。
「剣の数が多いな」
下層の地形を利用して駆け回り、縄鏢を鞭のように振るう涼鈴。絡めて逸らされた念動剣は剣同士でぶつかりあい、相殺される。さっきの挑発が効いたのか、攻撃の精度は明らかに落ちていた。
(けど、いつまでもは躱せねえ)
追い詰められる前に剣雨を潜り抜け、【極戒霊令符】の重圧も跳ね除け距離を詰める。
間合いに入れれば反撃の時間だ。涼鈴が足払いを仕掛ければ、黑翠も即座に躱す――。
「折り込み済みだ」
「……ッ」
地を這う蛇が如く、半歩引いた脚に絡まる縄鏢。黑翠が体勢を崩したところへ、涼鈴は半歩よりも少し深く踏み込み。蹴り足に闘気を纏わせた、強烈なひと蹴りを叩き込んだ。
「劉家奥義・蚩尤激甚脚!!」
巧みに敵を追い込み、必殺の一撃を確実に叩き込む――これぞ、兵主神たる蚩尤に肖った絶技なり。”神腿公主”の強撃をもろに受けた”極戒道士”は、悲鳴も出ぬまま吹き飛ばされた。
(対話が通じる相手じゃないか……)
なにを言った所で、あの娘にとって自分達は問答無用で掃討すべき咎人でしかない。
まさに「鬼気迫る」という形容詞が似合う、極戒道士『黑翠』の無言の気迫を感じて、クラウスはすぐに戦闘体勢に入った。
「過剰な正義に囚われているというか、もう正義しか信じられるものが無いんだろうね。こうなってしまった経緯を鑑みると悲しいな……」
正義感あふれる軍警道士が、殺人鬼と成り果てるほどの絶望。それを覆せるような言葉をクラウスは持っていない。慮るくらいしかできないが――しかし、ここで抵抗しなければ、今後も下層にて「鬼城の殺人鬼」の凶行は続くのだ。
「黙って排除されてあげる気はないよ」
「……そう」
黑翠の【極戒霊令符】創造に合わせて、クラウスは【recollection】を使用。前者の周囲に漆黑の念動剣が現れ、後者の周囲には追憶の花片が舞う。由来は原理は異なるが、どちらもインビジブルを集合・退散させる√能力だ。
「どうか、力を貸して」
集合の霊符を貼られた念動剣が飛来すると、退散の花片が清らかな魔力を放つ。相反する能力同士がぶつかることで相殺された結果、|霊力《インビジブル》を失った剣は力なく地面に突き刺さった。
「……なら、直接斬る」
飛び道具が通じないと分かれば、今度は黑翠自身が斬り掛かってくる。寒気すら感じる凄まじい重圧に、クラウスも戦慄を禁じ得ないが――それが退散の霊符によるものならば、今度は集合の花片で相殺できる。
「受けて立つよ」
短剣付きの二丁拳銃に花の幻影を纏わせ、魔力防御で相手の攻撃を防ぐ。√能力を抜きにしても黑翠の技量は達人級だが、クラウスとて歴戦の傭兵だ。紙一重で刃を見切ると、相手の間合いからダッシュで離れる。
(言葉が通じないのなら無理にでも止めなければいけない)
憐れみを感じても手加減はしない。巧みに距離を取ったクラウスは、二丁拳銃「無明」の銃爪を引き絞る。追憶の花片により弾丸に集められたインビジブルは、着弾前に極戒霊令符により離散させられるが――それで弾の威力がゼロになるわけではない。
「……ッ!」
腹を撃ち抜かれた黑翠の表情が、微かに歪むのに気付いても、クラウスは銃を撃つのを止めない。いつか彼女が救われることがあればいいと願いながら、人々の命を守るため、そしてこれ以上彼女に罪を重ねさせないために。
「来たな、殺人鬼とやら。それとも『ご立派な軍警殿』と呼んでやった方が良いか?」
正義を掲げ、私見に基き断罪を行う――狂気のままに下層民を殺めてきた『黑翠』へ、ムツキは皮肉を籠めて言い放つ。なんでも腐敗した警察に裏切られてこうなったらしいが、しょせんは同じ穴の狢だ。
「悪だと断じれば無実の奴も手に掛ける……そこに転がってる連中と大差ねぇだろ、お前も」
一瞥するのは軍警道士の骸。こちらの事情を考慮せず、勝手な都合ばかりを押し付けてきたこいつらと、黑翠のなにが違うというのか。下層民からすればどっちも迷惑極まりない「正義」だ。
「……正義に犠牲は付き物、なんて寝ぼけたこと言うなよ?」
「……全ての悪を掃討する。私の正義は、それだけ」
ムツキに睨まれても黑翠の瞳は澱んだまま、手にした【翡翠剣】の刃を拭う。正論を説かれて止まれるような段階は、とっくに過ぎ去っているのだろう。いまや理想を見失った正義感だけが、亡霊のように彼女を衝き動かしている。
「気に食わねえんだよ、その目が!」
なら力尽くで叩きのめすだけだと、ムツキは【雷遁・疾風迅雷】を発動。己の内で高め、漏れ出した仙力が雷へと変異し、運動力を飛躍的に高める。そのスピードはまさしく稲妻だ。
「瞬き禁止だぜ!」
「……疾い」
速攻で距離を詰めてきたムツキの雷鳴刀と、黑翠は翡翠剣で切り結ぶ。技量においては黑翠が優るが、速度と手数の差はそれ以上に大きい。絶え間ない連続攻撃を捌ききれず、身体のあちこちに傷が増えていく――が。
(あの剣、仙術を断絶する地帯を作れるのか)
黑翠が剣の柄をくるりと返し、刃を地面に突き立てた瞬間、嫌な気配を感じたムツキは後方に飛び退く。【翡翠剣】の効果による仙術断絶地帯では、彼の√能力も弱体化する。疾風迅雷を失ったまま近接戦を続けるのは流石に悪手だ。
「だったら、こうすりゃいいだろ」
一旦距離を取ったムツキは、断絶地帯の外から刀を投げつける。それなりに威力の乗った投擲だが、このレベルの達人には牽制にしかならないだろう。案の定、黑翠は簡単にそれを捌く。
「もらったぜ!」
「……なに?」
それを追いかけるように突進するムツキ。刀を手放したのは囮とするためだったのかと、一手遅れて黑翠も気付く。仙術断絶地帯に再侵入した瞬間【雷遁・疾風迅雷】の効果が弱まり、移動速度は落ちるが――。
「仙術自体は止めれても、それで得た加速までは止められねぇだろ?」
慣性の理に従って我が身を刃と化し、ありったけの力を籠めた【雷刃穿手】を放つ。
過酷なニンジャ修行を経て鍛えられた貫手は、隙を見せた黑翠の胸元を深々と抉った。
「寝ぼけてんだよテメェは。何でその矛先を軍警上層に向けなかった?」
抗えよ、理不尽に――下層からの成り上がりを目指す彼だからこそ、その言葉は重く。
黑翠はなにも答えない。いや、答えられなかったのかもしれない。その口は血の混じった吐息を吐き出すだけで、焦点の合わぬ澱んだ瞳は、迷走する正義を体現していた。
「ようやく現れましたか、辻斬り娘さん。そんなに人を斬りたければこの私がじっくり相手をして差し上げますよ」
裏切りと絶望で正気を失い、無道なる殺人鬼と化した『黑翠』。その殺意があえて自分に向くよう、ヒルデガルドは挑発する。相手のそれにも劣らぬほどの殺気を放ちながら。
『……血の匂い』
それを裁くべき”悪”の気配と捉え、黑翠が剣を向ける。確かにヒルデガルドは生粋の戦闘狂、戦場においては無慈悲に数多の怪異を殺めてきたが――それでも彼女のように見境をなくしてはいない。
「掃討する」
「やってみろよ」
無表情のまま斬りかかる黑翠を、ヒルデガルドは獣のような笑みで迎え撃った。初手の【翡翠剣】を斬霊刀で受け流し、追い打ちの念動剣を退魔礼装と空想科学スーツで防ぎ、逆に魔力を吸い取る。それでも頬から血が滲んだ。
「流石じゃねぇか、大した腕前だぜ。あの雑魚軍警どもじゃテメェの首を取れなくて当然ってもんよ」
剣術と仙術を組み合わせた黑翠の戦技は、√仙術サイバーにおいても達人級。生半可な腕前では太刀打ちできまい。『極戒道士』の異名は伊達ではないと実感したヒルデガルドは、むしろ愉しげに口の端を歪めた。
「だから俺様がいただいていくぜ」
「……否。首が落ちるのは貴方」
対する黑翠の側も、剣戟を交わすことでヒルデガルドの力量を推し量っていた。そこらの小悪党とは別格だと判ずれば、懐より【極戒霊令符】を放つ。周囲のインビジブルを退散させ、自分以外の√能力の威力を低下させる符だ。
「破壊と鏖殺の刃よ、心ゆくまで邪命を屠り尽くせ」
させじとヒルデガルドも【|狂月乱舞《サヴェージフェンサー》】を発動。呪詛侵蝕刀と憤怒爆炎刀の連撃で、ばら撒かれた極戒霊令符を一気に切り刻む。凄まじい重圧をものともせず、白刃が閃くたびに呪詛と炎が吹き荒れ、戦場は暴威に染め上げられていく。
「――急急如律令」
だが黑翠は、ヒルデガルドが符の対処に手数を割かれた隙を狙って、翡翠剣を地面に突き立てた。そこを起点として周囲は「仙術断絶地帯」となり、術者を除く一切の行動が阻害される。
「なるほどね。本命はこっちか」
手札を使わせるための囮に符を使ったあたり、狂っていても頭はキレるらしい。流石にここで戦い続けるのは分が悪いと察し、ヒルデガルドは速やかに離脱を図るが、黑翠も当然追い討ちをかけてくる。
「テメェも俺と同じだ。正義なんぞ建前、本当は救いようもねぇ物狂いどもを命に代えてでもとことんぶっ潰すのが何よりも好きでたまらねぇ。そうなんだろ?」
劣勢に立たされてもなお笑いながら、ヒルデガルドは黑翠に問いかける。声色に籠められた感情は糾弾ではなく共感。自分がそうであるように、黑翠の唱える”正義”とやらも、とっくに形骸化している。
「……違う。私は正義の為に、悪を討つ」
だが、壊れた精神を支える最後のよすがとして、正義に縋り付く黑翠にとって、それは決して認められぬ事だった。微かに見せた動揺が、足と剣を鈍らせる――その所為でヒルデガルドの離脱を許してしまう。
「我が千里眼、如何なる怪異とて逃がしはせぬ」
仙術断絶地帯から逃れたヒルデガルドはアンチマテリアルライフル「シルフィード」を構え、【|鬼哭砲《オーガバースト》】を発動。鉛玉の代わりに撃ち出されるのは霊力の波動――それは複雑な弾道計算のもと、壁や障害物を幾度も跳弾する。
「テメェがあくまで正義を名乗るなら、その正義と心中させてやるよ」
「ッ……!!!!」
対√能力者用に特別設計された対物狙撃銃に、ヒルデガルドが渾身の霊力を籠めたのだ。その一撃は黑翠の回避も防御も凌ぎ、腹に大きな風穴を開けた。滴り落ちる血とともに、念動剣がからんと地に落ちる――それでも、彼女はまだ剣を手放さなかった。
「また会ったわね」
調査中に一度垣間見た顔と再び顔を合わせ、二丁一対の銃を構えるユウリ。あの時と同じで、会話が成り立つ気配はほとんどない。違いは『黑翠』がユウリを掃討すべき悪と見做していること。
「……全ての悪は、私が滅する」
「私が悪? 貴女の方がよっぽど悪人でしょう」
過剰なまでの正義感に衝き動かされ、無実の者すら巻き添えにして私刑を執行する。
狂人に堕した黑翠の所業は、まさに本人が憎む悪そのもの。「だから……」と語るユウリの瞳に、怒りの炎が燃え上がる。
「燃え尽きろ、潔くな」
改めて【|誓い《オース》】を発動したユウリを中心に、半径20mが決闘空間となる。今度は、あの時のように逃しはしない――今の彼女の心象について俗な言い方をすれば、ガチギレであった。
「……掃討する」
そして今回は黑翠も退く理由がない。【極戒霊令符】を貼り付けた念動剣と【翡翠剣】、手持ちの武器と術具の全てを使って刑を執行する気だ。すでに深手を負っていながら、技と殺気には些かの衰えも感じられない。
「ダンスの時間だ」
靴裏に地獄の炎を集束させ、人間離れした走力と空中移動を可能とするユウリ。決闘空間の内部を縦横無尽に動き回りながら、ヘルハウンドで【|絢爛舞踏《ヤンマーニ》】を踊る。鳴り響くは銃声のデュエット、乱れ飛ぶは獄炎の銃弾だ。
「……黑剣よ、征け」
だが敵もさる者、漆黑の念動剣で銃撃を迎え撃ち、流麗な運足で間合いを詰めてくる。
そしてユウリの首筋を狙って翡翠剣を一閃――幾多の悪を屠ってきたその切れ味は、すでに目にした通りだ。
「一つ聞くが、てめぇの大切な奴ってのは悪人になっちまった今のてめぇの姿を見て、喜んでくれるクソ野郎だったのか?」
必殺を期した刃が、間一髪でエネルギーバリアに阻まれる。首筋から血を流しつつも、ユウリは憤怒のまなざしで敵を睨みつけ、問う。すると虚ろであった黑翠の表情に、かすかな感情が生じた。
「………違う」
「ちげぇだろ? ならよ……」
動揺とも呼べぬ些細な隙を見逃さず、銃床で殴りつけ、アクセルブースターで蹴り飛ばす。剣の間合いから銃の間合いへと、距離を引き離したユウリは再度ヘルハウンドの銃爪を絞る。
「悲しみから逃げる為に大層な建前使ってバカやらかしてんじゃねぇぞドカスが!」
ユウリには過去の記憶がない。だが彼女とって「復讐者」とは、なぜか他人事と思えないような、なんとなく放っておけない存在だった。悲しみのあまり狂う姿には痛みを覚え――同時に、正義という建前を使って悲しみから逃げる姿を許せない。
「……っ。違う、私は」
「なにも違わねえだろっ!」
このまま彼女が凶行を繰り返すことは、自分で大切な人を侮辱しているようにしか見えない。だから此処で終わらせる。飛来する念動剣を見切り、ブースターの最大出力で躱し。内なる激情を冥府の獄炎に焚べて、ありったけの火力を叩き込む。
「壊れた人形のまま死ぬんじゃねぇ……それじゃ誰も救われねぇ」
炎弾が全ての念動剣を撃ち砕くと、ただ一振りの翡翠剣を携えるのみとなった黑翠の元へ、ユウリは自ら飛び込んでいく。さながらロケットの勢いで肉薄し、銃口を胸元に押し付けて――。
「一人の人間として、泣いて後悔しながら逝きやがれ」
せめて、そのくらいの願いは叶うかな? との想いを籠め、最後の一発を零距離で。
冥界にて罪人を裁く炎の弾丸は、裁く者から裁かるべき者へと堕ちた、元軍警道士を撃ち抜いた。
「……ぁ……」
致命傷を受けた黑翠の手から、からんと音を立てて剣が落ちる。胸に空いた傷を触って、しばし呆然としていた彼女は――糸の切れた人形のように、ゆっくりと仰向けに崩れ落ち、天を仰いだ。
「……ごめん、なさい……」
最期、それは誰に向けた言葉だったのか。積層都市の狭い青空を見上げる黑翠の瞳は、もうなにも映していなかった。狂い果てた心の残滓のような、一雫の涙だけを遺して。
――ここに、上海下層都市を恐れ慄かせた『|鬼城《ゴーストタウン》の殺人鬼』は斃れたのだった。