シナリオ

はじめまして、楽園

#√EDEN #√汎神解剖機関

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 #√EDEN
 #√汎神解剖機関

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●√EDEN
「皆さまはじめまして、|焦香《こがれこう》・|飴《あめ》と申します。気軽に飴ちゃんとでも呼んでください。日課は……そうですね、コーヒーを飲むことでしょうか。名前のおかげで飴をたくさんいただくので、飴もよく食べます。ああ、星を見るのも好きですね、美味しそうなので。――と、いうようなことを皆さまには白々しくともしていただきたく、星詠みのひとりとして予知をお伝えに参りました」
 つらつらと淀みなく喋り、穏やかな笑みを浮かべて、焦香・飴(星喰・h01609)は足を止めてくれた√能力者たちを見渡した。なんの話だと言わんばかりの視線に、飴は言葉を続ける。
「実は√汎神解剖機関の怪異が√EDENに現れました。どうやら豊富なインビジブルに惹かれたようで……敵は既になんらかの怪奇事件を起こしはじめています」
 なんらかの、と曖昧な表現をした飴は、事件は確かに起こっているはずなのだが、√EDENの人々は異常現象を忘れる力が強すぎて、なにが起こっているのかがわからないのだと説明を続ける。
「どうやら敵は俺たちのなんでもない日常に隠れ潜んでいるようです。……ですから、皆さまにはまず『いつも通り』に過ごしてほしい。日課をこなすも、仕事をするも、のんびり茶をしばくのもいいでしょう。そして素知らぬふりのまま、事件の手がかりを探してください」
 敵は日常の隙間にいる。√能力者ならば、なんらかの違和感に気づくはずだと飴は言い切った。住処が√EDENにあるのなら、いっそ自宅で過ごしてもいい。
「え、そう言われても落ち着かない? むしろ不自然になる? ちゃんと仕事したい? ……素晴らしいやる気ですね! 俺そういう人好きだなあ」
 いやホントに好き、と楽しそうに笑って、飴は少し考えてから提案を足した。
「じゃあ、そういう方は『はじめまして』をするのはどうですか? もしも親しい誰かと一緒でも、初対面かのように接してみるんです。仕事上の振る舞いですけど、極力自然に、まるであったかのようにしてくださいね? √能力者同士、本当にはじめて会う方もいるでしょうから、偶然の『はじめまして』を楽しむのもいいですね」
 要は敵に気づいていることを気取られなければいいんですよ、と飴は緩く笑う。
「予知からすると……猫のようななにか、あるいは赤いなにかを過ごすあいだのどこかで捉えられると思います。皆さまは見つけたものを愚直に追いかけてください。それがきっと怪異が使役しているものです。そしてそれを倒した先に、今回現れた怪異――簒奪者がいる」
 おそらくそれは天災にも等しく、周囲の人々を狂わせるものだろうと、飴は微笑みを消して告げる。
「くれぐれも気をつけてください。きっと圧倒的な暴力と狂気に晒されるでしょう。そして敵は、優しい願いを持つ人にほど甘やかだ。恐れず、狂わず、惑わされず。必ず敵を打ち倒してください」
 言って、飴はまたやわく笑う。
「大丈夫、俺たちは欠落があればこそ強い。その強さを、いまは誰より俺が信じましょう。あとまあ、だいたい力いっぱい殴ればなんとかなりますから!」
 よろしく頼みます、と飴はぐっと拳を握って、√能力者たちを送り出した。

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第1章 日常 『変わったこと、変わらないこと。』


●隙間
 今日も見慣れた街並みに変わりはない。――誰も気づいていないから。確実にどこかにそれは潜んでいるはずなのだ。
 いつもの道で、いつもの店で、あるいは住み慣れた家で、異世界から一歩で入り込んで。能力者たちは『いつも通り』に、あるいは日常のなか、誰かとの『はじめまして』をなぞりだす。
 誰かはそれは猫だと言い、誰かはそれを赤い影だと言う。
 日常の隙間に、ほんの一瞬まみえる違和感を、探せ。
 
日宮・芥多

 いつも通りという言葉には、あくまで当人にとって、という注釈が入るべきだろう。
 例えば|日宮《ひのみや》・|芥多《あくた》(塵芥に帰す・h00070)が初めてのカフェで茶をしばこうと決めたとして、入ろうとした自動ドアに無視されることも、赤髪に赤い中華服に微笑みと胡散臭さを塗り固めた華やかで目立つ見目にも関わらず、店員に気づかれずしばらく放置されることも、極めていつも通りの範疇だ。自動ドアから店員、当然芥多まで含めて誰も悪くはない。運が悪い。
 それゆえに、謝罪と共に運ばれてきた水がやっと席に座った芥多の頭の上で見事にひっくり返ったことも『いつも通り』だ。
「ほ、本当に申し訳ありません!」
「いえいえ、慣れてるので平気です!」
 心からの言葉で芥多はにっこりと笑う。しかし店員は恐縮しきった様子のままだ。胡散臭いと思われがちな笑みのせいだろうか、あるいは芥多の悪運のせいか。
「これは床ですね、店員さんの床が悪い。だからそんな気にしなくて大丈夫ですよ!」
 床、と恐縮に困惑を混ぜた店員の目が芥多にまじまじと注がれる。しかし芥多は極めていつも通りに手慣れた仕草で濡れた髪を拭いながら、笑うまま頷いた。
「ええ、気にさせてしまう社会的風潮も悪いですね、確実に! あ、注文は店で一番人気のを」
「あの、当店一番人気はカップルスイーツ『ふわふわラバーズわんこパフェ』になりますが……」
「素晴らしいネーミングと巡り合わせの悪さですね! じゃあそれで」
 いいんだ、と思わず呟いた店員が注文を抱えて奥へ戻っていく。その背を何気なく追いがてら視線を店のなかに巡らせると、どうやら確かにカップルの姿が多い。ちらちらと芥多へ向けられる視線は、見目の悪目立ちのせいだろう。慣れっこだ。
「俺は一般人たちを大事にしたいと本気で思ってるんですけどね」
 だからこそこんなにわかりやすく言葉と行動で示している。重ねて、重ねて、いつか大勢の人に信頼してもらいたいものだ。
「だって人を真に従わせるのは、暴力ではなく好意ですから。――ねえ? えだまめ」
 白くてもふもふした助手犬が空いた向かいの席でぴょこんと尾を振る。その尾の向こうに赤いなにかが過ぎって見えたのは、ほんの一瞬。
 いつも通りに間が悪い。
「……ゆったり過ごすつもりだったんですけどね」
 果たして運ばれてきたスイーツは暴力的な大きさだったが、ひとまず助手に収納して貰うことにして、芥多は『それ』の後を追う。

静寂・恭兵

 何気なく足を止めて聞いた話は、どうも|√汎神解剖機関《お仕事》に関わるようだった。
 |静寂・恭兵《しじま・きょうへい》(花守り・h00274)の本来の仕事――|警視庁異能捜査官《カミガリ》としても、怪異を放置するわけにもいかない。
 もちろん、これは業務に含まれはしないし、いつもの仕事仲間がいるわけでもないが。
(なんとか対応できるよう、努力してみるか)
 聞けばまずはいつも通り、ゆるっとしていろ、という話らしい。
「ならゆっくりさせてもらうか。……と言っても」
 いま恭兵の眼前に広がる世界は、自身が故郷とする世界とは似て非なる。もっとも、見慣れた光景よりはずっと明るく、終末思想が蔓延した汎神解剖機関に比べれば『楽園』と呼ばれるのも頷ける。
「……ああ、そろそろ椿の季節じゃないか?」
 のんびりとどこか歩いてみるかと思いついたところで、冬の風の匂いに、ふとかの白い花を思い浮かべた。
 ちょっとばかり公園でも歩いてみるか、とつま先の向きを変える。
 先程通り過ぎたところに、確か公園が見えたはずだ。緑が多そうだったから、もしかすると。
「白い椿なんかが咲いてりゃ嬉しいんだが……」
 呟きながら思い浮かべる『花』の姿がある。
 ――しかし、辿り着いた先の公園に椿はあったが、赤い花を咲かせるものだった。
「さすがにそう上手くはいかねえか……。まぁ咲いてたとしても、うちの椿が一等綺麗だがな」
 苦笑に滲ませるように口にして、恭兵自身はたとする。――こんなこと、本人にも言っていないのに。
「……なさけないな、俺は」
 自嘲する音で囁いて、ふと視線を向けた先。そこに咲いていたのは白い椿だった。静かに、ただひたむきに、美しく。その花に誰かを重ねかけて。
「……ん」
 白い椿が佇む視界の端を、なにかが掠めていく。いまのは猫、だろうか。
 まるで花に導かれるようにして、恭兵はそのなにかを追いかけた。

ステラ・ノート

 ほんの一歩踏み出せば、もうそこには異世界がある。
 けれど誰も、それに気づかない。なんでもないいつも通りの日常に潜んだ怪異に、誰も気づくことすらできない。
「……わたしも似たようなもの、だけれども」
 普段はごく普通の学生として過ごす少女――ステラ・ノート(星の音の魔法使い・h02321)はぽそりと呟く。
「わたしは尊き世界の佳き隣人、善き魔法使いだからね」
 なんでもない日常の隙間にある休日、まさに今日のような日に、ステラは『魔法使い』になる。そして魔法使いとしては、誰かに害を為すものならば、放ってはおけないのだ。
 なればこそ、いつも通りに。

 ステラがやって来たのは、家の近くの図書館だ。いつもやってくるそこは、今日も変わらず静かで穏やかな気配がある。
 読書の時間を満喫するべく、ステラは星にまつわる本が集められた本棚を見上げた。
 ステラのパパとママは、星が好きだ。そして、
(わたしも、星が好きだから。……面白い本が見つかったら、借りていこうかな)
 あくまで『いつも通り』を過ごすために図書館に来たのは確かだけれど、せっかく来たのなら素敵な本に巡り会いたいものだ。
 そうして一冊の本を手に、ステラは窓際の席に向かった。いつものお気に入りの席は、今日も気持ちよさそうな陽だまりのなかにある。
 席についてページを開けば、いくつか頁を繰るだけで、ステラはすぐに本に夢中になった。間違いなく、今日巡り会えた素敵な本だ。
 本を借りて図書館を出たステラは軽い足取りのまま、いつもの店に足を向ける。
 図書館に行ったあとは、いつもこうして寄り道をして、おやつを買って行くのだ。
「この前はクッキーにしたから、今日はママが好きなドーナツにしようかな」
 うんと美味しそうなドーナツを買えば、足取りはもっと弾みそうになる。帰り道はパパの好きな歌を歌いながら帰ろうか、とステラがいつも通り家へときびすを返そうとしたそのときだ。
「……あれ?」
 赤い影が見えたような気がして、ステラは魔法使いとして、いつもの道を外れた。

シルフィカ・フィリアーヌ

 いつも通りに日常を過ごすこと。
 ひどく簡単なようで、けれどそれが仕事だと言われると、なんだか難しく感じてしまう気がして、シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)は首を傾げた。
「でも、そうね。お仕事だから、頑張りましょう。……あっ、これだとやっぱりちょっと違うわね」
 でも、頑張るわね。きゅっと力を込めた手のひらをほどいて、もう一度握る。ちゃんと頑張りたいのだって、シルフィカにとっては『いつも通り』だ。
 とはいえ、この世界――√EDENはいつもシルフィカが暮らす世界とは違う。どこもかしこも知らない場所だらけでいつも通りに過ごすなら、まずはゆっくりと腰を落ち着けられる場所を見つけたい。
 人が多いけれど、穏やかでなにごともなさそうな街のなかを、シルフィカは歩き出す。知らない場所を歩くのは好きだ。どこにだって行けそうな気がする。
「だって、そう、こういう『はじめまして』も……ありよね?」
 ひとつひとつ、はじめて見る景色にシルフィカは目を輝かせていく。はじめまして、知らない世界。なにもかもを失っていたとしても、はじめて出逢うものはどれもあたらしく、シルフィカのなかに積もってくれる。

 足の向くまま街を歩いてシルフィカが行きついたのは、初めて見るお洒落なカフェだった。外に置かれたメニューボードで目を奪われた可愛いホットケーキと、カフェオレをオーダーする。
「ふふ、やっぱり可愛いわ」
 スマホでホットケーキをぱしゃりと撮って早速一口食べれば、思わず笑みが零れる。世界や店が違っても、ふわふわのホットケーキはみんな幸せの味がする気がする。
 食べる合間にスマホで日課のゲームを少しして、そのままくせのようにネットの海を覗いた。たくさんの情報のなかから、気になるものを拾い上げて。
「……うん、『いつも通り』らしくなったかしら?」
 ホットケーキを食べ終える頃には、すっかり身構えていた気持ちもなくなった。良い休日を過ごした気分で、シルフィカは何気なく窓の外に目をやって――気づく。
 するりと横切っていく、猫のような、なにかの影。妙にそれは日常から浮いている気がした。
「……ごちそうさまでした」
 シルフィカは静かに立ち上がって、会計を済ます。そうして気づかれないように、なにかを追いかけた。

僥・楡

「あら、怪異ちゃんたちったら、此処にも来ちゃったのね。ごめんなさいね、うちの世界のがご迷惑かけちゃって……」
 まるで婦人が井戸端会議でもするかのようにぺらぺらと喋り、やたらと美しい所作で頬に手を当てるのは|僥・楡《ぎょう・にれ》(Ulmus・h01494)――白い髪に青い瞳の、儚げな男だ。けれども動き出すにあたって締める言葉といえば。
「ちゃんと後でぶん殴ってあげなきゃ」
 怪異への仕置きの方法は、儚くともなんともない。

「いらっしゃいませ、おひとり様ですか? お席のご希望は」
「そうねえ……。あの窓際の席、空いてるかしら」
 カフェに入り、楡が視線を向けた先には、外に面した一人用の席がある。大きな硝子窓からは、意識せずとも外がよく見えそうだった。あれならば異変も見つけやすい。
 仕事として課されたのは『いつも通り』の日常だ。とはいえそれを意識すればこそ、肩肘を張ってしまいそうなものでもある。いつも通りと言われると、楡にとっては『|何でも屋《エルム》』での仕事だが、店の外でまで仕事もしたくはない。なら休日気分でお茶でもしようかと、楡はカフェへやってきた。
「お待たせしました。ご注文のココアです」
「あらありがと。それにしても寒いわねえ、初雪が降るだけあるわ。アナタも風邪なんかには気をつけてね?」
 注文を運んできてくれた店員にお茶目に笑えば、面食らった店員がきょとんとしてからありがとうございます、と笑う。
 それから楡は温かいココア片手にスマホを取り出した。いつも通りにSNSを開いて眺める。おすすめで流れてくるのは、普段からよく見ている動物関連が多い。
「あらやだ、子犬が産まれたのねかわいいわ……」
 見つけた動物写真に片っ端からいいねをつけていけば、つい頬も緩む。
「毛皮のある生き物は正義よ。……あら」
 ふと視界の端を転がっていく落ち葉と一緒に、赤い影が掠めた気がしたのはそのときだ。ちょうどあと一口になっていたココアを傾けて、楡は席を立つ。
「毛皮があってもなくても、怪異ちゃんなら殴るんだけど」
 ごちそうさまでした、と会計を済ませて楡は店の外に出る。なにかが吹かれていった冬の風に、白い髪が雪めいて靡く。

白水・縁珠

 |白水・縁珠《しらみず・えんじゅ》(デイドリーム・h00992)の一日は、店兼自宅の裏にある畑からはじまる。
「おはよう、お野菜さんと精霊さんたち」
 縁珠が精霊さんと呼ぶのは、この√EDENにたゆたうインビジブルのことだ。冴えた冬の空気に、息が白く滲む。
 今日は――冬の朝はちょっぴり、ちょっとだけ『おはよう』が遅くなるのだけれども。
「植物たちも寒い時期の成長は緩やかだから、よし……」
 ね、と声をかけながら、縁珠は畑を見て回る。いつも通りそれが終わったら、制服に着替えた。もう縁珠も高校三年生、卒業は間近だ。
「鍵よし、鞄よし。……じいじ、ばあば。お店さんも、いってきます」
 静かな家のなかに、いつものように声をかけた。一人住まいになってから、戸締りは上手くなったと思うし、忘れ物も減った気がする。

「……さむ」
 畑も寒いとは思うが、こうして通学しているときが不思議と一番寒い気がする。思わず首をすくめてしまいながら、縁珠は星詠みから聞いた話を思い出す。いつも通りに過ごせと言われて、それならと極めていつも通りに過ごしているが、これでいいのだろうか。
 そう考えたちょうどそのとき、ふと縁珠の目に赤いなにかが留まった気がした。
「赤い……風船? 精霊さん?」
 違和感はほんの一瞬。それは通学路の先、学校とは別の方向へ、ふわふわと飛んでいった気がする。
「……あやしい」
 あやしいから、追いかける。これは決して興味本位じゃなくて。
「気づいた者として、能力者としての勤めなの」
 たた、と軽い足音で、縁珠はあやしいものを追いかけ始める。鞄には今日はなんとなく忘れずに持って来た小型の精霊銃がある。もしもあれが本当に敵だったとすれば、問題なく戦えるだろう。
「……私、えらい」
 のんびりと白い息で自画自賛して、さらに追いかけようとした縁珠の背に――学校のチャイムが遠く聞こえてきた。
「……あ、学校」
 それで思い出す。そもそも通学の途中だったのだ。
「卒業前だしいっか……また怒られるかな。……、……せちがらい」
 せちがらいけれど、いまはあやしいが優先だ。制服のまま、縁珠はなにかを追いかけてゆく。

夏凪・千鳥

 海の音が聞こえる。
 冬の海辺は風が強い。白い息が冷え冴えた風に押し流されて、どこにも繋がっていない廃線の先へ霞んで消える。
 構わず、夏凪・千鳥(窓辺のあなた・h02952)は線路の上で靴音を鳴らした。
 カン、カン。
 それは廃線では鳴りようもない遮断機の音に似て、すぐに海の音に攫われる。
「もういい大人なんだからちゃんと線路の外を歩きなさいと……言われるでしょうか」
 何気なく声を向ける先には、ゴーストがいる。特定の誰というわけでもない。いつだってゴーストはその辺にいて、ゴーストに話しかけるのが千鳥の日常だ。――誰も彼も、その行動に首を傾げるばかりだけれど。
「僕もそう思います。ですが、あの人はこうやって歩いていましたから」
 千鳥が『あの人』と呼ぶのは、絵画『夏雲』を――千鳥を描いたそのひとだ。
 あの人もこうやって、線路の上を歩いていた。気の抜けた警告音のような靴音が、カン、カン、カンと響いて、その余韻を追うように空を見上げれば、冷たい風が髪を靡かせていく。
 千鳥はいまだ付喪神として生まれ落ちて日が浅い。血肉の通ったこの体の感覚が、どうも不思議なことがある。
「こうして廃線をあるいて空を見上げると、頭の隙間に冬の空気が入り込むんです」
 その言葉は、誰に言ったわけでもない。
 ただ言葉は白い息に溶けて、頭のなかが晴れた気がする。
「……スッキリしたでしょう。あの人の受け売りですよ」
 ゴースト以外聞く人のいない言葉を重ねて、千鳥は廃線を歩きゆく。
 いつも通りに過ごせとは言われたが、こうしていることで仕事に結びつくのだろうか。わからない。とりあえずは、そろそろ線路を降りようか。
 そう思って、軽く跳ねるように線路から出ようとした、その先に。
 ふっと揺れて見えた気がするなにかは、きっとゴーストではない。
「猫ですね」
 それを仕事の合図にして、千鳥は廃線から離れ、猫を追いかけてゆく。

香住・花鳥

 いつも通りに過ごすこと。
 つまりそれは、女子高校としての|香住・花鳥《かすみ・あとり》(夕暮アストラル・h00644)の日常を過ごすことだ。
 けれど今日は学校も休み――となれば、花鳥の足は自然とよく行く図書館へ向いた。
 本好きとしては、毎日通る通学路とは少し違う道のりも、いつも通りの平和な日常のひとつだ。学校へ行くのとはまた違う楽しみがある。
「図書館に毎日通ったとしても、絶対読み切れたりしないだろうからなぁ」
 図書館の蔵書は到底読み切れるような量ではない。けれど将来図書館司書にでもなれたなら、あるいは。
 軽くなる足取りで花鳥がそんなことを考えているうちに、道の先に見慣れた図書館が見えてきた。
 図書館に入ると、人がいるのに丁寧に保たれた静けさと、大好きな本の匂いがする。
 すっかり顔なじみになった司書のひとりと目が合って、ひっそり笑い交わした。
 休日に図書館を訪れるひとたちは、どうしたって大体いつも見覚えのあるひとが多い。
(あのひと、またあのコーナーにいる)
 新しい本入ってたもんね、とつい訳知り顔をしてしまうけれど、会話したことがあるわけではない。ただ、このひとたちも本が好きなのかなと思うと、ちょっぴり嬉しくなるのだ。
 もしかしたら花鳥も、他のひとたちからそんなふうに見えているのかもしれない。いつも通りのなんでもない日常のなかに重ねた、居心地の良い場所。
(今日はなにを読もうかな。前のシリーズものは全部読んじゃったから……)
 いくつかの本棚を覗いて、花鳥は足を止める。今日はどれくらい本が読めるだろうか。

「……ちょっと長居しすぎちゃったかも」
 花鳥が図書館を出る頃には、来るときは朝の青だった空が、夕焼けの橙に染まっている。
 けれど、こんな帰り道に見える景色も、日常のなかの好きなもののひとつで。
「……ん?」
 そのまま帰路につこうとして、ふと視界を過ぎったものが気になった。よく見えなかったが、猫だろうか。いつもなら気づかず見逃してしまいそうな一瞬が、妙に頭に引っかかって違和感になる。
「ひょっとして、アレのことかも」
 予知で聞いた話とも繋がる。追いかけてみよう、と花鳥は夕暮れのなかを駆け出した。

滴・みはな

 朝起きて、|滴《したたり》・みはな(人間修行中のお巡りさん・h00856)がいつも通りにすることと言えば――まずは筋トレだ。
 今日のような非番の日は、特に念入りに。
「ちびでもおまわりさんだし、日々鍛錬っしょ!」
 やるぞー! と気合十分に、みはなはまずストレッチから始める。丁寧に体を伸ばしたら、まずは腹筋。そして背筋、腕立て伏せ、スクワット。いつも通りのメニューは、最低でも20回ずつ。
 スクワットに至る頃にはかなり汗もかくし息だって上がるけれど、それもなんだか達成感があるというもの。せっかくだから今日は念入りに、どれも30回ずつにしてみた。
「……29、30! よっし!」
 最後にもう一度ストレッチをしてから、みはなはシャワーに向かう。汗を流してさっぱりしたら、ご飯をしっかり食べるのもいつも通りだ。ちゃんと食事をとることも、身体づくりには欠かせない。
「んん、今日もお米おいしい!」
 美味しくて、栄養が満点で、腹持ちがよくて、美味しい。なんて素晴らしきかな、お米。
 それから身支度を整え始める。――みはなにとってはこれも大事なことだ。
 童顔だとよく言われるし、自覚もしているぶん、メイクをしていない顔はあまり見せたくはない。
 鏡のなかで出来上がっていくメイクは、みはなの武器のひとつだ。
「今日もいい感じじゃない?」
 出来上がった自分の武装に満足して、みはなは買い物に行こうと自宅を出た。――その先にちょうど、猫がいる。
「え、かわいい!」
 写真撮っちゃお、とスマホを出してすかさず連写する。猫はどうやら人馴れしているようで、可愛らしい声でひとつ鳴いた。むやみに餌をあげるわけにはいかないが、少し観察するくらいはいいだろう。
「ねえネコちゃん、かわいいね?」
 なんて声を掛けたみはなの視界の端を、ふいに通るものがある。
「……またネコ?」
 その違和感に首を傾げて、みはなはそれを追いかけた。

エオストレ・イースター

 指先ひとつ。つま先ひとつ。
 エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)が踊るようになぞれば、辺りには桜花弁が舞い、冬の冷たい風が春風に変わる。歩んだ足元に咲くのは、小さな春の花。
「噫! 今日という日もなんて素晴らしいイースター日和なのだろうか!」
 まるで春の祝祭の日――これこそ、エオストレの輝かしいいつも通りの日常に他ならない。
「噫、輝いているね!」
 エオストレは鼻歌混じりに街を春に彩りながら歩きゆく。けれど√EDENに暮らす一般的な人々は、その春めく厄災に気づくことができない。まるで隠されたイースターエッグのように、エオストレはご機嫌に冬の街に春を隠して、イースターエッグを探すみたいに、小さなしあわせと喜びを探すのだ。
「おや、このエッグタルトは美味しそうだな? ……おっと! 新鮮卵のプリンは絶対に手に入れなければならない!」
 やあやあはじめまして、それをひとつ、いやふたつくれるかな。
 きょとんとする店員が驚きを飲み込めていないうちに、エッグタルトとプリンは今日のエオストレのおやつに加わる。
 道行くひとにイースターエッグをプレゼントすれば、ぽかんとされるけれど、それだって素敵なイースターだ。
「そうだ、お土産に和菓子と美味しい桜茶を買っていこう!」
 家では師が待っている。今日のことを話せば、またあきれた顔をされるのかもしれないが、お土産にはきっと嬉しそうな顔をしてくれるだろう。
 そうと決まれば、とエオストレは足取り軽く街を歩いて、ピンときた和菓子店で土産を選んだ。お土産にしては少し数が多いかもしれないが、イースターならそれもいい。
「よしよし、これでみんなで祝祭を……ん?」
 店を出て、また機嫌よく歩き出そうとしたところで、ふと視界の端を揺れて過ぎたものがある。
「あれは……猫かな? きっとかわいらしい猫だ」
 もう姿は見えないけれど、それだって追いかけてくれと言わんばかり。
「うんうん! これもまた、イースターだね!」
 ふわりと桜花弁を舞わせて、エオストレはうんと楽しげに冬を春に塗り替えながら駆け出した。

ララ・キルシュネーテ

 ふわり、やわらかな髪が揺れて、抱えた桜色のくまにかかる。
「いつも通りの日常に、ひとさじの初めましてを加えると、一日がもっと楽しくなるのよ」
 大切な言葉をなぞるように口にして、ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)はお気に入りのくまちゃん――シュネーをぎゅっと抱きしめた。
「……パパが言ってた。シュネーもそう思う?」
 そうね、昨日と今日は同じでも違うもの。そっと囁きかけて、ララはいつもと変わらない穏やかな街中を歩き出す。
「あら? ……いい匂いがする」
 見慣れた街並みのなか、ふと冬の風に乗って香ってきた、美味しそうな匂いがあった。少し甘くて香ばしいその香りに誘われて、小さな足の向きを変える。
 香りを辿るように少し歩くと、見えてきたのは知らないパン屋だった。
「このパン屋さんにははじめてだわ」
 見てみましょうか、とララはそばにあった窓から背伸びして、ちょこんとなかを覗いてみる。店のなかには、こんがりときつね色に焼き上がったほかほかのパンが並んでいた。
「素敵ね。入ってみましょう」
 シュネーを抱き直して、ララはパン屋に入ってみる。
 チリン。軽やかなドアベルが鳴ると同時に、外で感じたものよりもずっと美味しそうな、とろけるバターと香ばしい小麦の香りがする。
 ほかほかでふかふかのパンたちが綺麗に並んでララを出迎え――くぅ、とお腹が控えめに鳴った。
「美味しそう……」
 思わず呟いて店内を見渡せば、どうやら店で焼きたてのパンを食べていくこともできるらしい。つい食べて行きたくもなってしまうけれど。
 トレイを持って、まず手が伸びたのは可愛らしいうさぎ型の食パンだった。
「お家にある桜いちごのジャムをたんと塗って食べましょう。それからこれと……あれも」
 美味しそうなパンたちに誘われるままあれこれとトレイに乗せていけば、あっという間にトレイはいっぱいになってしまう。
 あれはおやつに、これはお土産に。すっかりたくさんになったパンたちは、まるで宝物のようだ。
「すてきなものを手に入れたわ」
 満足そうに瞳を緩めて、ララはパンが詰められた袋を受け取ろうと手を伸ばしかけ、
「……あ」
 はじめにララが覗いた小窓から、なにかが見えたような気がした。
「気のせいかしら。……いいえ」
 そう思うほど日常の隙間に溶け込んだ僅かな違和感。それをララは見逃さず、シュネーと共に追いかける。

安城・透子

 社会人にとってのいつも通りとは、すなわち『お仕事』である。
 新米警視庁異能捜査官の|安城・透子《あき・とうこ》(等身大の日々・h00537)としては勿論、今日も今日とてお仕事を――、
「なーんて残念でした。真面目な透子さんは本日お休み中です~」
 せっかく面倒なことをせずに済むなら、是非ともそうしたいのが透子である。
 え、常時休んでるとか言いました? 聞こえませーん。
 白々しく自分に嘯いて、透子は軽く伸びをしてからなにごともない街を見渡し、駅ビルのほうへ歩き出した。
 いまはもう十二月。年末ということは、初売りが間近ということでもある。
 来たる初売りに向け、戦利品の目星をつけねばならない。
「新年の初売りって、生きるか死ぬかの戦場ですからね」
 一瞬の迷いが命取り。後悔したくないなら入念な事前調査がマストだ。
 毎日をゆるくやり過ごすことを信条にはしているが、これは面倒に当たらない。なぜかと言えば、ファッションが好きだからである。
 駅ビルに集まるファッションフロアに行きつけば、つい透子の足取りも跳ねるように軽くなった。
 大人びて落ち着いた雰囲気が、がらりとはしゃいだものに変わる。
「わー、これ可愛い~!! でも隣のワンピースも良すぎません?」
 一瞬のうちに目移りしてしまう。新作や流行と銘打たれた服のどれもが気にかかる。おそらくどれも初売りの目玉になれるだけのポテンシャルがあるだろう。いや、なって貰わねば困る。
「いやでも待って、あのバッグもマストバイすぎて……どうする私」
 いくら初売りがお得とはいえ、あれもそれもどれもを買い込めば、すぐにも財布は軽くなるに決まっている。
「……つまり、ボーナスふっとばすしかないですよねえ」
 ぼそりと据わった目で透子は覚悟を完了させた。なにせ買わないという選択肢はないのである。
 なんなら尊いボーナスを散らせるのなら、この上さらにマストなアイテムを追加したっていい、と据わった目を動かした先――ふと視界の端で動くなにかがあった。
 黒い、白い? ゆらりと揺れたのは尾のような。

「あれ? いま、猫がいませんでした?」

第2章 集団戦 『シュレディンガーのねこ』


●シュレディンガーのねこ
 能力者たちは、するりと日常の端を過ぎる影を追う。
 ともすればそれは赤い影。あるいは猫のようななにか。
 それは能力者たちが追うほど形を定め、ほんの僅かな違和感を積み重ねて――姿を見せる。
「あれ? いま、猫がいませんでした?」
 それは猫だ。――あらゆる姿をした猫だ。愛らしく、気まぐれで、時に凶暴でおそろしく素早い、あらゆる猫の可能性を怪異として危険な方向に具現化した、猫のようななにか。能力者であればこそ、その危険性は肌で感じ取るものだろう。猫もまた能力者たちを捉え、|開幕《はじめまして》を告げるように鳴く。

『ナァーーーン』

 能力者たちが入り込んだひと気のないビル街の路地の奥に、猫の長い鳴き声が響いて、足元が大きく揺れた。
夏凪・千鳥

「あの影は本当に猫でした」
 追いかけてみるものですね、と夏凪・千鳥(窓辺のあなた・h02952)はまるで他人事のように囁いて、目の前に現れた猫を見る。移ろう姿は定まらず、響く声は激しく足元を揺らす。
 あれは猫であって猫ではない。しかし猫ではある。
「猫を叩いてしまうのは気が引け――ますが、この地震は困りました」
 収まらぬ揺れはひと気のない路地裏を軋ませる。千鳥たち√能力者の足元のみを揺るがすそれに一般人たちは気づかないかもしれないが、大ごとになってしまうまえに対処はせねばなるまい。
「僕も異能捜査官ですから。……とは言っても、僕もまだまだ慣れておりませんので、やれるだけやりましょう」
 人知れず怪異へ対処すること。それは異能捜査官としての仕事にも含まれる。いつも通り緩やかに抜いた息をゆっくりと吸い直して、千鳥は揺れが収まらぬなか、敵を見据えた。
「友人という名の霊たちに助力を願いたいところですが、ここは僕ひとりで」
 ゴーストたちの力を借りれば力尽くでねじ伏せることもできるかもしれないが、いまはこちらを揺るがすあの怪異だけを狙い打たねばならない。
 ならば。
「……力加減を間違えてしまうと、これまた大ごとになりますから」
 狙い定めるために、千鳥は深く息を吸って吐く。伏せた瞳が猫を映して。

(さあ、当たれ……!)

 心で念じると同時に霊震が猫を過たず狙い打つ。耳に届く轟音が、いまだ扱い慣れぬ√能力を正しく振るえたことの証左だ。
 長い鳴き声が途切れ、千鳥の足元の揺れが収まった。
「逃がしませんよ」
 揺らぐ地から飛び逃れようとする猫を追って、さらに千鳥は駆けてゆく。

静寂・恭兵
滴・みはな

 なにかしらの違和感を追い、ひと気のない路地裏――師走を駆け回る人々が詰め込まれたビル群のその裏側へ至って、静寂・恭兵(花守り・h00274)と滴・みはな(人間修行中のお巡りさん・h00856)はほとんど同時につぶやいた。
「猫…………???」
「わぁ……ネコがネコじゃなあい」
 追いかけた怪異の正体は、猫の鳴き声をあげ、猫であってまるで違う、猫のようななにか。ひとまずそれが怪異であり、敵であることは間違いない。
「とりあえず猫ってことにしておくか」
「まっ、アタシたちの仕事だよねー」
「……その口ぶりだと同業か」
「あれ、そっちも非番のヒト? お休みまでお仕事お疲れさまでーす」
 軽やかなみはなの挨拶に、お互い様な、と恭兵は息をつく。職業柄、非番のときぐらいは休ませろとも言えないお仕事だ。そして同業ならばなおのこと、言わずもがなで連携は取れようというものだ。
「まずは相手の観察して特徴つかめないかな?」
 ちょうど先の攻撃くらったみたいだし、とみはなたちが見る先で、猫は鋭い爪を振るう。すると見る間に猫の傷がまるでなかったように失せた。
「……あのネコもどき、すぐに傷治ってない?」
「そうらしい。……反撃できない状況を作ったほうがよさそうだな」
「しかも、さっきの鳴き声! 超見覚えあるんですけど」
「あっちもこっちと似たような能力を使えるようだな」
「超ヤバいねっ! やっぱ距離とって攻撃がよさげじゃない?」
「同感だ。……さて」
 恭兵が敵から視線を外さずに拳銃を取り出す。敵の動きはおおよそ理解できた。鈍色の銃口は静かに敵の不意を狙って、
 ――ガァン!
 路地に銃声が響く。恭兵の銃弾に不意をつかれた猫の動きが一瞬止まった。間髪入れず放たれた霊震が猫の足場を的確に崩す。
 その隙を、みはなも見逃さない。
「きっちり倒させてもらうかんね、ネコもどきちゃん!」
 恭兵に合わせてみはなも眩い光を放った。光線は周囲の建物を極力避けるよう、猫だけを狙い打つ。
「日常を害されたらみんな困るし? だから、そーいうのから日常を守るために、アタシら√能力者がいるんだよ!」
 猫の長い鳴き声が響き、またみはなたちの足元が揺らぐ。けれどそれを追う二人は、決して敵を見失わない。
「逃がさない!」
 みはなの光線が敵のみを貫き捉え、追いついた先で、恭兵の銃口が零距離から敵を撃ち抜いた。

僥・楡
日宮・芥多

「やだ! 可愛くない猫ちゃん!」
「うわ、可愛い猫ちゃんと戦うんですか?」
 言葉としてはほとんど正反対ながら、よく似た温度感を乗せた声がふたつ、猫たちの鳴き声が響く路地裏で重なった。
 あら、と青い瞳を向けるのは僥・楡(Ulmus・h01494)。
 おや、と紫の瞳を向けたのは日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)。
 目が合った二人は、きょとんとした瞳を見交わして、にっこり笑う。同じ√能力者であることはたったいまの一言で知れた。視線が猫のようなそれに戻る。
「せっかくご挨拶もできるえらい子なのに変な姿だわ……。今からでももふもふの普通の猫ちゃんになる気はないかしら?」
「うーん、そうなったら尚更胸が痛みますねぇ!」
「あら猫派? 運が悪かったわねえ。可愛い猫ちゃんならどんな悪戯でも許せるのだけれど」
「運の悪さには自信がありますよ。にしても寛容なお方ですね、素晴らしい! でも見た感じ、無理じゃないですか?」
「無理? やっぱり? そう、じゃあお仕置きね」
 初対面にも関わらず軽やかな応酬を繰り広げながら、楡と芥多は猫の声と共に揺らぐ地面でステップでも踏むようにバランスを取る。
「ねえ赤髪のお兄さん、ちょっとアタシ、ぶん殴れそうな武器探してくるから一瞬ひとりにしていいかしら?」
「構いませんよ白髪のオネエさん。俺全力で突っ込んできますんで、まとめて殴らないようにだけ頼みます」
「殴ったら運がなかったって思ってね?」
「運の悪さには以下略!」
 激しく揺さぶる地面を前後に蹴って、楡は後ろへ、芥多は数多の敵が群れ成す前へと一息に跳躍した。
 前へ宙へと躍り出た芥多は唇に笑みを乗せたまま、肩に担いでいた巨大な斧を振り上げる。
「――しかしまあ、運が無いのは君たちもですか」
 着地がてらに振り下ろした斧は、なにかを為そうとしていた敵の動きごと薙ぎ払う。刃に跳ね返った返り血がびしゃりと音を立てた。運が悪くも当たってしまったらしい。猫のようなものであった血だまりを冷めた目で見下ろして、芥多は軽々と斧を担ぎ直しがてら――その血を纏った。
 赤く、黒く、怪異の血が芥多を覆い隠す。その姿が路地裏の湿った影に紛れると同時、芥多は姿を隠したままに再び敵の群れのなかで斧を振り回した。鳴き声、手応え、血だまり。赤い男は怪異を蹂躙していく。確か敵は十分以内に全快する特性があったはずだ。ならば十分以内に全て仕留めればいい。たとえそれが無理だったとしても。
「またはじめから殺せるなんて、楽しいじゃないですか!」
 三日月のように吊り上がった口元が歓喜の声をあげて。
「――盛り上がってるとこお邪魔するわよォ!」
 ぶんと振り回された鉄パイプが、芥多の影を掠めて猫たちを殴り飛ばした。楡が路地裏で見つけてきた武器である。猫のようなそれらは長い鳴き声を四方八方から響かせ続け、彼らの足元を揺るがすけれども、
「ああもう嫌ね、ぶれてクソエイムになるじゃない。声が聞こえるから場所は丸わかりだけど……赤いお兄さん、アタシのぶん殴り射程ではなるべく喋ってね!」
「得意分野!」
 隠匿した芥多の声にくすりと笑って、楡は猫の声がするほうへ力の限り鉄パイプを振るう。
「悪い子はみんな全力でぶん殴ってあげるわ」
 他所にまで来て悪さなんてするべきではないのだと、その身に刻み付けるように。楡の鉄パイプが、芥多の斧が敵の群れを力尽くで潰す。
 互いの攻撃を邪魔せぬよう、自然と背を任せる形で二人は敵を片端から仕留めていく。
「あ、ところでこの猫に痛覚はあるんですか?」
「あるんじゃなあい? 結構な声よぉ」
「なら十分リセットが更に楽しいものになりますね! ……しかし猫を傷つけるなんてとても心苦しいです! 俺が犬派じゃなかったら罪悪感で死んでるかもしれません」
「あらお兄さん犬派だったの? まあ何派でも、悪さをしたらメッ! ってするんだけどね」
 メッ、と振り下ろされた一撃と一撃が、猫の声を掻き消してゆく。

ララ・キルシュネーテ
白水・縁珠

 機嫌よく追いかけて、入り込んだ路地裏の先。たくさんの目と、目が合った。
「猫がいるわ」
 視線を逸らさないまま、ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)はそれらを指さす。
「かわいいわね、色んなお顔のいろんなねこ」
「……ねこ。猫だったのね、ふわふわしてたの」
 猫のようなそれらと目を合わせたもうひとりの少女――白水・縁珠(デイドリーム・h00992)はぼんやりとした表情を少しだけ曇らせた。
「……猫好きにはつらい選択」
「あなたも猫がすきなのね」
 幼いララの声に、縁珠はこくりと頷く。
「でも……気づいたのなら放ってはおけない、なぁーん……」
「なぁーん。……そうね。猫。ふわふわ、お目目がたくさん、くりくりして、かわいい」
 縁珠の言葉を戯れに少しなぞって、ララは幼い指先を猫のようなそれらに合わせていく。猫であって猫でない。そこにいるようで、そこにはいないのかもしれない。けれど。
「お前がそこに存在していることを、ララがみとめてあげる。……存在しているということは、狩ることができるということよ」
 ララはね、ほしいものは皆、手に入れるの。
 稚い面立ちで囁いて、ララは鮮やかな血彩の双眸にたくさんの『猫』を映す。なんてかわいい。
「可愛いから――お前は、ララのものよ」
 街を歩いたご機嫌な足取りそのままに、ララは踊るように猫たちの群れにするりと近づいていく。
「待って……あぶない」
 小さな子が躊躇なく怪異へと近づいてゆくさまに、縁珠は少しだけ慌ててしまった。縁珠と同じく√能力者だろうことは察せる。けれどまだ、縁珠よりもずっと小さいのだ。群れる猫たちの動きは素早く、どこから飛びかかるかわからない。
 ――でも、駆ける場所がなければ。
「精霊さんたち、よろしくね」
 縁珠は鞄に入れていた小型の精霊銃を構え、翠緑色の弾丸を放つ。放たれた弾丸からは一瞬のうちに宿り木の枝葉が路地を塞ぐように広がり、ララの前に緑の護りを為し、近くにいた猫たちには宿り木が寄生した。
「まもってくれるの?」
 前に出たララがくるりと髪を靡かせて振り向く。縁珠はこくりと頷いた。前に出たところを見るに、ララが近接で戦おうとしているのはわかる。対して縁珠は遠距離でも戦える。
「宿り木さんが届くところに、いてくれたら」
「ありがとう」
 ララは宿り木が広がるところを辿って、踊るように猫たちの前へと至る。
「花一匁、しましょうか」
 それは誘いではなく決定だ。ララはふわりとやわい一歩で花祇の祝と邪神の寵愛の具現たる花一華を纏い、その片手と片手にに神光が変じた金と銀のカトラリーを持つ。
 戯れるように『可愛い』を薙ぎ払い、串刺しにすれば、足元が緑ごと揺らぐ。咄嗟にぐらついた小さな体を縁珠の宿り木が受け止め、振り下ろされた鋭利な爪がララの眼前を掠めた。
「……おいたをするの? おしおきね」
 悪い子は燃やしてしまいましょう。
 ふと細められた血彩が瞬く間に炎は起こる。桜禍の迦楼羅焔はララと縁珠に牙を剥いた猫たちを一瞬にして灼きつくす。――そうして焔に灼かれた命は、ララのなかへ吸収された。
「たべちゃうくらい可愛いって、いうでしょう?」
「……おなか、壊さない?」
 うちのお野菜のほうが美味しいとおもう、と縁珠が少し心配そうにつぶやきながらララの隣に追いついた。向かってくる猫たちの攻撃を宿り木と蔓バラの枝で受け躱し、銃撃を猫たちに零距離で浴びせてゆく。
「……ん、やっぱり近い方がしっかり当たる」
 ――ナァーン。
 猫が鳴く、鳴く。その声を遮るように、縁珠は精霊銃を続けて放った。
「ごめんね、折角のご挨拶だけど……おもてなし、は……また今度」
 縁珠に撃たれ、それでも回復しようとする敵を、ララのカトラリーがするりと切り裂く。おなかは壊さないわ、と鮮やかな双眸が微かに笑んだ。ぱっと散った赤が、穏やかな宿り木の緑に咲く。
「ララ、楽しく日常を過ごせて機嫌がいいの。お前もララの素敵な日常の彩りになるのよ」

シルフィカ・フィリアーヌ

 日暮れが迫り、影の色が濃くなる一方の路地裏で、猫の長い鳴き声が響いては途切れる。
 耳に届く戦闘音は他の能力者たちが戦っている証左に他ならず、それでも何食わぬ様子で響いてくる猫の鳴き声はいっそ不穏な響きを持ち――シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)が注意深く踏み入ったその路地裏の影で、猫のようななにかの瞳が数多光る。
「……まあ、猫にしては物騒な姿をしているわね」
 シルフィカは影に潜むものの正体を見極めるように、普段は常に柔らかく笑む空色の瞳にわずかに険を滲ませた。
「猫は可愛いから好きだけれど、でも、あなたたちは違うみたい」
 そこにいるのは怪異そのもの。恐ろしいもの。愛らしい猫の声に惹かれて踏み入れば、たちまち喰われてしまうだろう。
「野放しにしておくわけにはいかないわ」
 おいで、とシルフィカが喚ぶのは花の精霊だ。冬には鮮やかな色とりどりの花弁が輝いて舞う。応えを確かめて手に取るのは精霊銃。
「ほら、こっちよ猫さんたち」
 シルフィカは花弁と共に踊るように駆け出して、猫を誘うように呼ぶ。路地裏の暗がりで眩しく踊る光る花弁に、軽やかに駆けるシルフィカ自身に釣られて、猫たちが鳴き声と共に飛びかかってくるのがわかった。
「いらっしゃい。でも抱っこはなしよ」
 四方八方から飛びかかり追いかけてくる猫たちを躱して、シルフィカはくるりくるりと駆け回る。なるべく一か所に集めるように走りながら、既に負傷している敵には迷いなく引き金を引いて数を減らしていく。
 ――ナァァァン。
 長い鳴き声と共に足元が大きく揺れる。まるで悲鳴のようなその声に、心までもが軋むようだった。
 あ、と足元のバランスを崩しそうになる。どうにか踏みとどまった先に、猫のような姿をとったそれらがいた。まるでなにかを探すような瞳に、ほんの一瞬気が取られて、揺れた地面から突き出た瓦礫が腕を掠める。
「……そう簡単に倒れるわけにはいかないの」
 それでも立ち止まることなく、シルフィカは靴音高く駆け出した。痛みを堪えて引き金を引く。放たれた銃弾は花を咲かせ、そして散る。
「大丈夫、まだ戦えるわ」
 自分に言い聞かせるように囁いて、シルフィカは猫たちを改めて見据えた。
 この猫たちは件の怪異の配下のようなものだ。ならばシルフィカたちが倒すべき敵は、この先にいる。

「さあ、猫さんたち。あなたたちのご主人さまは、どこにいるの?」

第3章 ボス戦 『対処不能災厄『ネームレス・スワン』』


●天災
「あなたたちのご主人さまは、どこにいるの?」
 ――その問いに答えるように、白い災厄は窓の隙間から現れた。
 路地裏に続いた舗装すらない細い道の奥に開ける、不自然に残された廃墟。土地だけは無駄に広いそこには、錆びれた有刺鉄線と掠れた『立ち入り禁止』の看板がある。
 能力者たちが難なくそのなかへ跳び入れば、
『アァ――!!』
 まるで讃美歌の如く美しく、しかし聞く者を狂わせる悲鳴が響き渡った。
 天使のような数多の翼と、無数の頭部を持つ対処不能災厄『ネームレス・スワン』。――√EDENに侵入し、怪奇事件を引き起こしていた正体が、そこにいた。
 √能力者たちは咄嗟に耳を塞ぐ。

 かろうじて正気を保てた者は正面からその怪異と対峙する。圧倒的な暴力が襲いかかるだろう。
 その叫びをまともに聞いてしまった者は、ネームレス・スワンの齎す狂気と絶望に晒されるだろう。己の抱く絶望を思い起こし、膨れ上がり、狂い落ちそうになるかもしれない。
 讃美歌のようなその歌を少しでも美しいと聞いてしまったなら、天使が『誰も傷つけることのない願い』を叶えようと問うて来るだろう。けれど答えてしまえば――白い災厄はまた増える。
 辺りにはすっかり冬の夜が訪れている。白い災厄の羽ばたきよりも真白い雪が、ひらり、ひらりと降り出した。

 それでも√能力者たちは対処不能とまで言われたそれを倒すために、一歩前へ。
静寂・恭兵

 雪夜に響き渡る叫びは讃美歌のように美しく、無数の悲鳴のようで無意識のうちに肌が粟立つ。
「さっきの猫よりも酷い声だな……」
 眉をひそめながら耳を塞いでいた手を下ろして、静寂・恭兵(花守り・h00274)は低く毒づく。天災のごとく人々を狂わせる災厄――だが、それに狂わされてやるわけにはいかない。
 吐いた息が白く凍って、音もなく降りはじめた雪に紛れた。
「……寒いはずだ、雪が降ってきやがった」
 しかし冷え冴えた空気は、こちらを狂わせんとする白い災厄を前にすればこそ、身が引き締まるというものだ。
(それに……俺はいっとう綺麗な白を知っている)
 脳裏に過ぎるのは、公園で見つけた白椿。――それから。
「こんな狂った白に負けてたまるものか」
 強いまなざしをネームレス・スワンへと向け、恭兵は使役する死霊をさらに強化する。この√EDENにたゆたうインビジブル。そのなかでも代償を求めるほどに邪悪なそれは、制御しようとすればするだけ恭兵に対価を求めるものだ。
 構わない。
「欲しいなら持ってきな」
 低く告げるなり、死霊が恭兵の霊力を削ぎ喰らう。一息に持っていかれすぎて眩暈さえ起こしそうなのを踏みとどまって、恭兵は銃口をネームレス・スワンへと向けた。
「腹は膨れたか。――ならいくぞ。花嵐……」
 牽制として放った恭兵の銃弾がネームレス・スワンを留め、数珠がその動きを縛る。そして降る雪を掻い潜るように踊り出た死霊が、白い災厄を夜へ返すように強撃を叩き込んだ。
 静かな冬の夜に、能力者以外は気づかぬ轟音が、悲鳴を掻き消して響く。

緇・カナト

 景色を塗り潰す夜から逃れるように、白い雪が降っている。
「人間にとって悪魔は美しい姿をしていて、天使は醜い姿に映るんだとか」
 夜に溶けあう漆黒の仮面の下に見える唇に笑みを乗せて、緇・カナト(hellhound・h02325)は耳を塞いだ体勢のまま、わざとらしく肩をすくめた。
「……なんて、どこで聞いた話かもう忘れたけど。あんなの、どー見てもデカいだけの厄災じゃないの」
 カナトが見上げる先には雪夜を支配するかのように浮かび上がる、ネームレス・スワンがいる。駆けつけるやで聞こえた叫びに半ば反射で耳を塞いだが、どうやら正解だ。
 あのデカブツが、今夜の獲物。
 カナトは塞いでいた耳から手をはなす。
「それじゃあ、狩りの時間をはじめるとしようか」
 まだ白くはない地面を踏みしめて、叫びのお返しのように遠吠えをあげた。夜に吸い込まれていく黒妖の声が、虚空から伸びる鎖を呼びつける。鎖は重い金属音をたてながら、ネームレス・スワンが数多広げる翼を封じるように絡みついた。
『アァ、』
 声ごと軋んで、白い災厄の動きが宙で止まる。それと同時にカナトは跳んだ。ぐんと視点が上がる。目を合わせようにも、いかんせん敵の頭の数が多すぎる。
 どのあたりが急所かはわからないが、とりあえず頭から潰していけば問題ないだろう。急所が数多あると思えばいい。
 瞬きの間にカナトの腕が巨大な獣の爪に変じ、鋭い唸りと共に振り下ろされる。手ごたえはひとつ、ふたつ――、
「みっつかな。……そっちは頼んだよ」
 着地を狙うように蠢くネームレス・スワンの脊髄へ、足元の影業を走らせる。蠢くもの同士が激しくぶつかりあって、巨体が叫びをあげた。しかしすぐにも次の脊髄が伸び、頭はカナトの耳元で叫ぼうとする。
 キリがない。ゆえにこそ、カナトの口元は笑みをかたどる。
「飽きるまで戦っていられそうで願ったりだな」
 地面に降り立つや再び跳んで爪を振るう。手応え、返り血、影と脊髄が互いを削り合って嫌な音をあげ続けている。息つく暇はなく、一瞬でも出遅れてしまえば耳元であの叫びが注がれるだろうとわかる。けれどそのひりつきを楽しむかのように、カナトは笑った。
「本当に対処不能な災厄なのか、オレにも感じさせてくれよ」

滴・みはな

「うーるーさーいー!」
 雪が舞いはじめた空に響く叫びを自分の声で掻き消すように、滴・みはな(人間修行中のお巡りさん・h00856)は両手で耳を塞いだまま叫び返す。
 そうして見上げた空に浮かぶ白い厄災――ネームレス・スワンを見つけて、
「またバンドマンのTシャツに描かれてそーな奴出ちゃったねえ」
 アレが原因かぁ、とみはなはまじまじとその怪異を見た。無数の頭部と天使翼、そして蠢く脊髄と人を狂わせる叫び声。
「なにアレちょっと怖いかもー」
 棒読みでつぶやき落とす。なにせみはなも『人間厄災』だ。対処不能な厄災と言われたところで、だいたい厄災なんてそんなもんでしょ、くらいの感覚が強い。
「とりま、さっさと叩き伏せるしかないっしょ! アタシに狂ってる暇ないんで!」
 言うや、みはなは言葉よりも慎重にネームレス・スワンへ狙いを定める。願いを問われても決して答えはしない。
 敵の叫び声はうるさいな、とは思うけれども。
(アタシも人間厄災だけど、さすがにここまでうるさく……ないよね?)
 みはなは台風や暴風雨の厄災だ。まともに被ればうるささはこの叫び声に勝るとも劣らない――なんてことは、いまは考えないことにする。
「雪降ってきちゃったし、さっさと退治してリゾットとかドリア食べに行きたい気分なの!」
 ネームレス・スワンが繰り返し願いを問うてくる。けれどこの希望は願いではなく、今日の晩ごはんの気分だ。店だって、自分で選びたい。
「アタシ、願い事は自分で叶える主義なんで! さよなら、白い災厄ちゃん。さすがにその大きさだと、一緒にごはんはムリだしね? その代わり、これあげる!」
 願いを問う声を振り切って、みはなは狙い澄ました霊震を放つ。敵へのプレゼントなら、きっとこれがぴったりだ。
 轟音と共に揺さぶられた白い災厄の叫びが途絶え、みはなは小さな体で凛然と笑う。
「カミガリ舐めんなし!」

日宮・芥多

 空を喰らい尽くした夜がこぼす雪は白く、引き摺られた斧からぼたりと重く滴る雫は赤い。
 ネームレス・スワンが叫びあげた声を聞き届けた日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)は笑みをかたどった口元から、白く凍る息より冷え切った声を落とした。
「うるせぇな」
 斧から滴っていた赤が有刺鉄線のように編み上がる。それがぐるりと巨大な斧刃に絡みつくのを確かめてから、芥多は夜に浮かび上がる白い巨体との距離を詰めた。
 数多ある頭部が増え喰らわんと口をあけ、蠢く脊髄が鋭さを増し、敵へと迫る芥多の身を掠めていく。雪よりも鬱陶しく冴えた空気に圧し掛かるのは、圧倒的な威圧。名もなき数多からの殺意と言い換えてもいい。
「なにやら色々と頑張っているようですが、俺は確実に攻撃できるなら別にいいんですよ。――死んでも」
 手早く片づけられるなら、芥多は自分の死すら笑いごとで済ますつもりだ。√能力者には死後蘇生がある。――だがそれ以上に、芥多には悪運が味方している。
「俺って運悪定評男ですからね。普通に攻撃外したり生き残ったりしそうです。こんなデカいだけの奴を前にして、攻撃外すほうが難しいとは思うんですが……」
 傷を厭わず前へ、無謀なほど敵の懐へと斧を担いで潜り込んでいく。距離感覚がいまいち掴めないのは巨体のせいだろう。おかげさまでもう、見上げたところで空もろくに見えない。一般的に考えれば、この光景だけで絶望ものだろう。
 けれども芥多としては『面白い』の範疇だ。にこやかな笑みが浮かぶ。
「デカブツさーん! この距離、この位置で当たらないなんて万が一が起こっても許してくださいね! まぁ面白いことって気分がアガりますから、外しても別にいいですよね!」
 巨体が芥多を取り込もうとするようにあらゆる質量を押し付けてこようとするのを躱して、芥多は赤い茨を纏った斧を振り下ろした。
 手応え。悲鳴。血で誂えた有刺鉄線が覆った斧が怪異を引きちぎるように解体する。
「おや当たりました。面白を期待したばっかりに! あっでもつまらない中身してますねえ、怪異兵器に使えそうな臓器もなさそうですし……」
 目の当たりにした怪異の中身に、芥多は心底失望した息をついた。悪運はこちらに発揮されたらしい。
「ただうるさくてデカいだけのゴミでしたかぁ……残念です」
 では、ゴミはゴミらしくしていただいて。――赤い男は嵩増した赤を引き連れて、怪異を解いていく。

僥・楡

 無遠慮に響く声は、聴きようによっては美しく、そして容赦なく頭をかき混ぜようとする。
「心に響く歌って言えば聞こえは良いけど、ちょっと刺激が強すぎるんじゃないかしら」
 あとアナタ歌の才能ないかも、と僥・楡(Ulmus・h01494)は端的な感想を口にして、持て余していた鉄パイプをぺしぺしと手のなかで遊ばせる。
「冬はもっと優しい歌が聞きたいから、静かになってくれる? せっかくいい感じの雪も降ってきたことだし」
 ぶんと勢いよく振り上げた鉄パイプで、楡は舞う雪を引き連れるようにネームレス・スワンの頭部と翼を力いっぱい殴り飛ばした。ガァンと響く鈍い音と手応えを感じて、一度跳び下がり、次の一撃はさらに強く。翼は折れないのなら、呪いともども押し付けて動きごと鈍らせてやる。巨体ゆえに動きが鈍れば、なお殴りやすいものだ。
「可愛くないと躊躇いなく攻撃できるからいいわねぇ。別に猫ちゃんたちにも手加減なんてしてなかったけども!」
 そこはそれ、気分の問題というものだ。なにごとにもモチベーションというのは重要で、そのあたりの機嫌は自力でどうとでもできる自軸はある。
 だからこそ、先程からまるでお告げのように問うてくる『誰も傷つけることのない願い』には嘆息するばかりだ。
「欲がなくて、綺麗ごとで、とってもナンセンスね」
 さも誰にでもあるかのように問われたところで、生憎と楡にはそんな殊勝な精神はない。
「それにそういうのは、自分で叶えてこそでしょう?」
 あきれたように言った片手間に頭を潰す。鈍い翼が雪と白く落ちるのを踏んで、楡は白い災厄を冷たく見上げた。
 願いとは自分の意志で抱くものであって、誰かに叶えてもらうものとは思わないのだ。
「そもそも訊いておいて、楽しくお話もできないんでしょう、アナタ」
 アタシだけ言うのって不公平でしょ、と肩をすくめて、楡は涼しい顔のまま鉄パイプをさらに振り上げた。
「さっさと消えて頂戴な」
 鈍い音と共に、ひらりと雪が舞い落ちる。

 ――やがて静寂が戻る頃、本日の役目を果たした鉄パイプが、白い夜道に軽やかな音で転がったろう。

ララ・キルシュネーテ

 花弁のように白い雪は舞い落ちる。
 その間隙を縫うように狂気の響きが鳴り渡り、うつくしくおぞましい白い羽根がひらひらと雪に混じるのを、ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)はぼんやりと見つめ――ふと稚い唇が笑い零す。
「ふふ。……ふふふ。厄災とはこうでなくてはね」
 見上げたあかい瞳いっぱいに、狂い墜ちた怪異が映っている。酷く醜くて、なんて愉快なのだろう。おかしそうに、いっそ嬉しそうにララは稚いおもてに蠱惑的な笑みを咲かせた。
「なんて、解体しがいがあるのかしら」
 狂気も愛も、紙一重。――今、ララの心にひらいたものもそうだ。花をやわく包み隠すように幼げなおもてに虚ろを戻して、ララははやる心を秘する。
 けれども少しばかり無邪気に、声音は笑った。
「花一匁、しましょうか」
 まるで冬の夜空から落ちてきたような白い厄災を聖夜の贈り物のように見上げて、お前がほしいと少女は言い、カトラリーで白い翼を薙ぎ払い、綺麗に散らしてやる。脊髄に咲くような数多の頭を椿のごとくぽとぽとと落としていく。
 奪って、解いて――串刺しに。
 狂わせる声も、圧し潰す暴力さえ気に留めない。纏う花嵐は、必ずララを護ってくれると知っている。
「狂気もなにもかも、焼却してしまいましょう」
 美しく舞う羽根を辿って、迦楼羅焔がネームレス・スワンを灼き尽くすように咲いた。白が桜禍に呑まれながら、それでも願いを問う声がする。
「誰も傷つけることのない願い? そんなもの、無いわ」
 いっそあどけない素直さで、ララは答えてみせる。
 だって。そんなの、美味しくないもの。
「絶望なんてしらないわ。願うことなどなにもない。――だって、希望も絶望も、ぜんぶララのものだから」
 でも、ぜんぶララのもののはずなのに、しらないことはたくさんあって。
 それでも、家に問うひとはいない。
「……お前にはララがいるわ。だからね、もうお終い。お前の声にも飽きたのよ」
 さいごの最後、そっとはやる心をすこし開いて、白虹の聖女は、白い厄災の幕を引き落ろす。

シルフィカ・フィリアーヌ

「ご機嫌よう、ご主人さま」
 いつも通りの日常から、猫を追った先。雪の舞う夜に浮かびあがった白い災厄に、シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)は凛とした挨拶を向けた。
「少し遅くなったかもしれないけれど、ようやく逢えたわね。……でもね、ごめんなさい」
 ゆっくりお話している時間はないの、とシルフィカはネームレス・スワンが叫びあげようとする声を遮った。一目でわかる、おぞましいほどの頭部の数。あれは人知れず、日常の隙間で食い尽くされた人々なのだろう。
 気づかれないことと忘れてしまうこと。両者の悲しみは、きっとよく似ている。
「これ以上よくないことが起きる前に、ここで終わらせるわね」
 ――力を貸してね。
 シルフィカは精霊銃を構えて、雷の精霊へと呼びかける。応えと共に銃に雷光線が走り、込めた弾が帯電した。それを確かめて、シルフィカは敵の巨体へと狙いを定める。
 途端、ネームレス・スワンが絶叫した。耳を聾する叫び声が、防ぎようもなくシルフィカに流れ込む。息を呑むと同時に、抗えず意識が引きずられるのを自覚した。
 心に満ちる冷たいものが絶望だと、なぜだか知っていた。
(今のわたしが知らないいつかのわたしも、こうやって全てを奪われたのかしら)
 竜から堕とされたかつてを、シルフィカは知らない。覚えていないのだ。力も記憶も奪われたから。
 それでも時折心を焦がす憧憬はシルフィカが竜であったことの証左であり、確かな形もなく今こころの奥底を軋ませる絶望と狂気が、シルフィカの欠落を示す。
 ――でも。
(不思議ね。……どれも、わたしのものじゃないみたい)
 あるいは自分の軋む心すら、シルフィカはどこか客観的に捉えていた。
 かつての自分を思い出せないことはもどかしい。けれど思い出せないからこそ、それに囚われずに済む。前を向くことが――戦うことが、できる。
(悲しかったのね、|わたし《シルフィカ》。……でも、大丈夫)
 軋む心にそっと自分で語り掛けるようにして、シルフィカは自分の意識を自分で連れ戻す。裡に広がっていた冷たさに、舞う雪の冷たさのほうが勝って、精霊銃を握る手に力が宿った。
 シルフィカの瞳が、再び敵を捉えた。

「……大丈夫、戦えるわ」

 精霊銃の引き金を引く。雷鳴のような銃声が鳴り渡り、絶望を塗り固めた白に光が炸裂した。

白水・縁珠

 ――あ、と思ったときにはもう、その叫び声を聞いてしまっていた。
(……飛んで火に入る、なんとやら?)
 まるで待ち構えていたような、否、実際敵は能力者たちを待っていたのかもしれない。
 思考を巡らせながらも、ぐわんぐわんと音を立てて揺れるような頭を抱えるようにして、白水・縁珠(デイドリーム・h00992)はつい目を閉じる。
 狂った声が、縁珠の内側をかき混ぜて――だれかの声が引き攣るように叫ぶ。
『異様だ』
 そんなの、わかってる。
 近所のひとからは変わり者と呼ばれていたのだって知っている。
(じいじとばあばと、カタチも彩も、なにひとつ似つかない私のコト)
 ――私のせい。
 そうわかっていても、縁珠のココロは、ちっとも動かなかった。
『異常だ』
 それも知ってる。だって、きっと永遠になおらない。だって――存在自体がエラーなのだから。
 チェンジリング。取り替え子。人間のようで、人間ではない存在。それが縁珠だ。周りのひとを否応なく巻き込んでしまう。
『受け入れられない』『努力も無意味だ』
 続けざまに叫ぶ声が靡かぬココロを殴ろうとしている。けれどその言葉は、縁珠には届かない。どれもこれも、無意味な言葉だ。
「未来は識らないもの」
 たとえ今が聞こえる声の通りだとしたって、この先はいくらでも可能性がある。幸い縁珠は健康体だ。長生きすればするだけ、未来は広がるはずで。
 そう振り切ろうとしても、いっそう声は大きくなるばかりな気がした。
「……困ったクレーマーさん」
 こんなときは、と縁珠はいつも通り抑揚の薄い声で「左様でございますかー」と応えてみる。クレーマーにはとりあえず言わせておけばいい。靡かないのも縁珠の強みだ。幸い、クレーマーへの耐性はあるほうである。つまり、通常運転でいればいい。この歳で園芸店の店主をやっている時点で察してほしい。
 とはいえ、素直に聞いても目の前のクレーマーもといネームレス・スワンが口を閉じるとは思えなかった。なにせあれだけ頭があるのだし。
「宿り木さん」
 揺れていた頭のなかが収まるのを待ってから、縁珠は頭を抱えながらも周囲へ伸ばしていた宿り木へと呼びかける。宿り木は張り巡らされた数多の枝葉から生命力を吸い上げて、魔力を練り上げた。それを縁珠は魔弾へと変えると、精霊銃へと込めて敵へと向けた。
 込める翠緑の弾丸はふたつぶん。幸い的は大きいから、きっとどこかには当たってくれるだろう。力いっぱい殴れとも聞いた気がする。
「おっきいから、どっかには当たれー」
 それでも願をかけるように言葉にもして、縁珠は一度引き金をひいた。宿り木が着弾と同時にネームレス・スワンへと寄生して、一瞬のうちに広がる。叫び声がそこにきてようやく途切れて、縁珠は地響きと共に夜のなかから落ちてきた白い災厄へともう一度銃口を向けた。
『アァ、アアァア』
 数多のひとであったろうものが叫ぼうとする。その口元を緑が覆い尽くして。

「……アナタ、も、気づいてほしかったの……?」
 
 ぽつりと、淡々とした縁珠の声が落ちた。
「どこかの、誰かに……届いてほしいって、うたうの」
 日常の隙間に隠されたもの。一般的な誰もが気づかない異常な存在。――それはどこか、縁珠に似ている気もする。
 気づいてほしい。届いてほしい。望んだところで、根幹の存在異常性が、望みを覆そうとする。それでも望んで、この怪異は縁珠たちを叫ぶように呼び寄せたのかもしれない。
「……でも、きっとそれは、今日じゃない。アナタの……アナタたちの、別の未来で」
 だから、と縁珠はもう一度引き金を引いた。

「おやすみ」

 狂ったような白い災厄が、雪の夜に沈黙する。
 あとに残ったのは、冬の夜の静寂だけだ。舞い散る雪がいつも通りの|√EDEN《楽園》の日々を、しんしんと白くかたどっていく。まるではじめからなにもなかったかのように、街の人々は眠りについた非日常に気づかない。

 最も弱く、最も豊かな――はじめまして、楽園。

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