いつか、氷の様に。
さりさりと削られる氷は淡雪の様に。
きらきらと輝きながら降り積もって。
あまいあまい蜜をまとって幸せな夢を見る。
――ひとくちで溶けて消えたとしても、
❅
じわりと蝉の鳴き声が響く、夏の或る午後。
閑静な路地で、小弓・佐倉はふと足を止めた。
立ち止まった小弓に気付いた護霊のヤグロがふわりと翻る。彼女の視線の先には一枚のポスターがあった。
落ち着いた書体で綴られているのは『Limited Summer かき氷』の文字。かき氷の写真は華やかで美しく、輝いている様で。汗ばむ程の気温の中でも見ているだけで涼し気だった。
色々なフルーツで彩られたかき氷の中には小弓の好きな桃の姿もあり、思わずお店に視線を移す。
そのポスターを掲げていたのはオーセンティックなフルーツパーラーで、店構えにも重厚感が感じられた。気軽に入れるお店と云うよりは、大人でも〝ちょっとしたご褒美〟に訪れる様なお店だと解る。
そろりとポスターを見直して、確認したお値段もそれなりの価格だが、先月『|黄龍会《ヰヱロゥドラゴン》』のミルクホールを手伝った時の臨時収入がある為、今の小弓なら大丈夫。
後は、お店に入る為の勇気。小弓一人だと後込みしてしまうけれど、誰かと一緒なら――。
考え込む小弓にヤグロが顔を覗き込んでくる。小弓は顔を上げて、ゆらゆらと燃えるヤグロを見た。
ヤグロは頼もしいけれど、今回の付き添いにはちょっと向いていないだろう。
「なんでもない、よ。」
ヤグロにそう柔らかく答えた小弓の頭に思い浮かんでいたのは。
「……うん、」
小弓は決意する様に頷くと、その相手を|お誘い《・・・》する為に家路を急いだ。
二階建て、築浅のアパルトメントの一室。そこが、小弓が今身を寄せている家だ。
彼女を保護し、そのまま家族として一緒に暮らしている木邑・零壱と夕飯の準備をしながら、小弓はお皿を手にそっと零壱を見上げる。
「|零壱《れーち》、あのね、お出かけできる日、ある? ……行ってみたいとこ、あるの。」
控えめに、けれど彼なら気付ける位の期待が籠められた視線に零壱はぱちと眼を瞬かせた。そして小弓から皿を受け取って、料理をよそいながら答える。
「行ってみたい場所? 同行するのは良いけど……俺で良いのか? 友達とじゃなくてよ。」
「うん、……零壱が、いいの。」
料理の盛られたお皿を受け取って、小弓は頷く。それを食卓に持っていく背を、零壱は感慨深く眺めた。
彼女を保護したばかりの頃はやはり遠慮がちで、自分の希望を素直に口にする事もなかったので嬉しい変化だ。
それに、『一緒に出掛けたい』なんて可愛いお願い、叶えてやるのは吝かではない。
「わかった。食べ終わったら、空いてる日確認するな。」
零壱が残りの皿を食卓に運んでからそう声を掛けると、小弓は嬉しそうに口元を綻ばせて頷いた。
食事を終えて、スケジュールを確認した二人は約束の日を決めるとカレンダーに印を付ける。
小弓はその日が来るまで、カレンダーを見る度にそわそわと過ごした。
そんな姿も零壱に微笑ましく見守られながら迎えた当日。
|大人《・・》な空間に少しでも相応しい自分になれる様に、小弓は精一杯のお洒落をして、|センパイ《・・・・》に教えて貰ったメイクにも挑戦した。
「なんだ、今日はいつもより『お姉さん』って感じだな。」
おめかしした小弓を見た零壱はそう云うと、淑女をエスコートする様に恭しく手を差し出す。
「うん……大人のお店に、ふさわしい、格好。」
褒められて自信を持った小弓は頷いてその手を取った。
小弓に案内されて到着したフルーツパーラーを前にして零壱は周辺を見回す。
こんな場所があるんだなぁ、と云った表情で店を眺める零壱を促して、小弓は店の入口に立った。
重い扉を押し開くと、上品な鐘の音が二人の来店を告げる。
「いらっしゃいませ。」
出迎えてくれたのはベスト姿の男性ウェイター。「二名様ですか?」と確認して来るのに小弓はこくこくと頷いて。
「それではお席にご案内致しますね。」
アテンドが女性ウェイターに入れ替わり、二人を店内へと誘って行く。
内装も落ち着いた色合いで大人っぽく、穏やかなクラシックが流れていた。
小弓はそっと隣の零壱を見上げる。零壱は|大人《・・》なので、今回のお店にぴったり。
(やっぱり、零壱に来てもらって、よかった……、)
それでも緊張から小弓は席に着くまで零壱の袖を握った。
二人は案内されたテーブルに向かい合って座り、メニューを受け取る。
「コキューはどれにするんだ?」
「私は、桃のかき氷を……おねがいします。」
ポスターを見た時から決めていた小弓は、そう迷いなく伝えられた。
「じゃあ俺は、檸檬の奴にするか。」
「桃と檸檬のかき氷ですね。承知致しました。」
注文を確認したウェイターが一礼して下がっていくのを見送って、小弓はちゃんと注文出来た事にほっと胸を撫で下ろす。
「……それにしても凄い店だな。」
此は確かに一人では入りづらいだろうな、と零壱は店内を見回した。
「うん、一緒にきてくれて、ありがとう。」
そう云って頭を下げる小弓に、零壱は良いんだよと笑って。
暫く待つ内に、先程のウェイターが大きなトレイにかき氷を二つ乗せてやって来た。
「此方が桃のかき氷と、檸檬のかき氷です。」
それぞれの前に、美しい硝子の器に盛られたかき氷とロングスプーンを置いてかき氷の説明をする。
「わ……、」
「こういう感じで出るんだな……、」
焦がれていた甘い桃の香りに小弓は眼を輝かせ、デザート然としたその姿に零壱は素直に驚いた。
小弓の頼んだ桃のかき氷は、ふわふわの氷に薄桃色のピーチジュレとシロップがたっぷりかかり、器の縁には大きくカットされた完熟白桃。更に氷の中にはピーチミルクアイスが隠れている。
零壱の檸檬かき氷も、同じくふわふわの氷に鮮やかな檸檬イエローのシロップがたっぷりかけられて、氷の側面には透明感のある輪切りの蜂蜜檸檬がぐるりと飾られていて。お好みで追加出来る蜂蜜シロップが別添えされていた。
説明を終えたウェイターが、かき氷を並べて楽しそうな二人を見て微笑む。
「一緒にお出掛けされるなんて、素敵なご兄妹ですね。」
「あ、ああ……はい、」
ウェイターの問い掛けに咄嗟に頷いた零壱は、微笑みを残して下がっていくその背を一瞥してから照れ臭そうに小弓へ視線を移した。
「はは、兄妹だってよ……よそにそう思われるって嬉しいっつーか……なんかむず痒いな?」
「……うん、嬉しい。……零壱と一緒にいるのが、ほかの人から見ても、ふつうに見えるの、嬉しいよ。」
零壱の言葉に、小弓も頬をじんわり桃色に染める。そしてその火照りを冷ます様に、柔らかな氷を掬って口に運んだ。
「おいしい、ね。零壱のは? ……零壱も、これ、たべる?」
「ああ。じゃあ一口交換するか?」
器を交換して食べ合った氷はどちらも美味しくて、自然と口元が綻ぶ。
(いつか、氷みたいに、溶けてなくなっちゃう日々かもしれなくても。今はこの|冷たさ《しあわせ》を噛み締めたい。)
小弓は『いつか』を思い、きゅっと眼を閉じて氷を味わう。
けれど、その姿を柔らかく見守る視線があった。
彼女が望めば、その|甘い夢《しあわせ》が形になる日が来るのかも知れない。
――いつか、彼女の強張った心が、氷の様に解けた時に。