烽夏
時々、このまま目を覚まさなければよかったのにと思いながら起きることがある。
「……何でちゃんと目が覚めるんだよ」
意識が眠りから浮上するや、枕もとに置いた端末で現在時刻を確認して――斯波・紫遠(くゆる・h03007)は寝起きで掠れた声で毒づいた。当然、自分にでしかない。まだ早朝、いつもなら自堕落に寝こけているはずの時間なのに。
駄々を捏ねる子供のように身体を丸めて寝返りを打てば、ぴったりと閉めて寝たはずのカーテンの隙間から一筋差し込んだ光に片目が灼かれた。ああ、もう。ぐうたらしてないで起きろって? うるさいんだよ、わかってる。
「わかってるよ、……ジジイ」
のろのろと身体を起こす。カーテンを開ければ、空には僅かに朝焼けが残っているものの、あの日と同じ夏の青さを主張していた。ぼんやりした頭に蝉の声がじわじわと響いてきて、紫陽花色の灯火と、鯨幕、養父の遺影――目を合わせることもしなかったあの葬式の喪主の姿が脳裏に閃いていく。あの日、魔女によって再生された紫遠の記憶は、決していいものではなかった。それなのに見せつけられて、それで『いい加減向き合え』と養父に言われたような気になってしまったのだ。
夏、時期は丁度故人が帰ってくるというお盆頃。墓参りをする理由はいくらでもあった。だから、この夏は養父の墓参りに行こうと決めた。
それでも気は進まない。せめて他の人に会わないように早朝に行くことに決めて、ついでに寝坊したらなしにする言い訳まで用意した。何ならいつも通りの無駄な夜更かしも欠かさず、眠ったのは深夜だったというのに。
「……行けばいいんだろ、行けば」
やけにはっきり目が覚めているものだから、あきれてしまう。紫遠は買っておいた花と、まだ未開封の線香を手にして準備もそこそこに家を出た。別に、誰に会うでもない。強いて言えばジジイくらいだ。
花と線香を手に歩く慣れない早朝の街はまだ静かで、空ばかりがやたらと青い。
紫遠の目論見通り、墓にはまだ誰もいなかった。そそくさと備え付けの桶に水を汲んで、掃除用の道具も拝借する。墓石は当然ながら、ちっとも変わった様子はなかった。まだこの夏は親族も参っていないのか、少し雨風に汚れて雑草が育っている程度だろうか。とりあえず、掃除を済ませて花を変える。それから線香をあげて、一応形だけそれらしく手を合わせた。
けれどもそれもしばらくだけで、紫遠は改めて周囲を見渡した。どうやら住職はいない。それを確かめてから、ポケットに突っ込んであった煙草を取り出す。いつも紫遠が吸っているのとは別の、年季の入った銘柄だ。まずは自分の分の一本、それから養父の分のもう一本。一口吸った煙はいつも紫遠が吸うものより数倍身体に悪い味がして笑ってしまう。
線香立てに煙草を同居させて、ふう、と紫煙を吐き出した。
ざり、と墓場の砂利を踏む音が紫遠の真後ろで聞こえたのはその時だ。
「どういう風の吹き回し?」
「……オリビエさん」
驚いて振り向いた先には、見覚えのある|天狐《・・》がいた。夏を色濃く切り取ったような藍色の髪と鮮やかな琥珀色の瞳が、紫遠を捕らえる。逃げ場はない――その距離に至るまで、どうやら気配も足音も消してあったらしい。オリビエ・ライブラ(人妖「天狐」の錬金騎士・h07252)。養父の旧い友人であり、死にたがりの紫遠を力尽くで𠮟りつけてくれた|ただの他人《・・・・・》。その距離感を測っていてくれていることは、紫遠もさすがに理解しているけれども。
「貴方、今までまさちゃんの命日の七月と盆には顔出さなかったでしょう?」
「えーっと……その。ちょっと、思うところがあって……?」
挨拶も前置きもすっ飛ばして躊躇なく切り込まれる。それに思わずたじろいでしまうのは仕方がなかった。何しろオリビエは年若く見えても人妖、生まれは遥か昔である。要するに、紫遠より余程生きた経験が長いのだ。彼女から見れば紫遠など、未だ赤子同然なのかもしれない。とはいえ、無用な子供扱いもされないことは承知の上だ。あまり話にもたついていれば紫遠の逃げ場のほうがなくなると知っている。
「……この間の戦争で、夏の思い出を読まれる機会があってさ。その時の内容が……まぁ、ジジイの葬式で」
素直に明かせば、まだ新しい記憶が容易に蘇る。あの、暑苦しいのに身体の芯は冷えている感覚。養父の実の息子と目を合わせないようにしていた、居心地の悪さ。再生されたそれは、思い出すと言うより、もう一度体験した感覚に近かった。
「気まずさも思い出したけど、いい加減なんとかしなきゃいけないな、とも思って」
「まあ、まさちゃんの子と貴方、折り合いが悪いものね」
顔を合わせたくなかったのでしょ、とこれも真っ直ぐ言い当てられてしまえば、紫遠からは返す言葉もなくなってしまう。言い訳のように、
「いつもは起きるの遅いから。今日、もし早く起きれたら墓参り行こうって思ってたら……起きれちゃって。これはジジイが呼んでるな……って」
我ながら気まずいから墓参りにも行かないなんて、ガキのようだとわかってはいたのだ。情けない、とつい音になった弱音を、オリビエはあっさり、そうねと無関心に肯定した。その無関心さにむしろ紫遠は救われる。
「成程、それで墓参りにね。……アタシから言うことは何もないわ。だいたい、子供が来てくれて嬉しくない人達じゃないでしょう」
いかにも気まずさを持て余して視線を逸らすばかりの紫遠に、オリビエはあきれた様子のままで視線を墓石にやった。紫遠の養父とその妻が眠る墓だ。オリビエは『まさちゃん、エミちゃん』と二人を親しく呼んでいた日のことを、昨日のことのように思い出せる。実の子でなくとも、紫遠のことを本当の子のように気にかけていたことも。
「それは、貴方が一番わかっているはず」
「うん。……そっか、まぁ、あの二人なら喜んでくれる、のか」
どこか呆けたように、紫遠は墓石を見つめて呟いた。そうだ。そんなこと、言われるまでもなくわかっていたことのはずだったのに。きっと、『やっと来た』とか『|宿題《・・》は終わりそうか』とか、いかにも親みたいな顔をしてくれるだろうことが、こんなに易々と思い浮かぶのに。
気づけば落ちかけていた煙草の灰を携帯灰皿に落として、そのまま消してしまう。その頃には線香も、養父に寄せた煙草も消えかけていた。紫煙と煙草がくゆるのを、生温い夏の風が押し流していく。
「……さて、こんな暑い中にいたら熱中症になるわね。行くわよ」
「え、行くって」
「何ぼさっとしているの。貴方も来るのよ。この近くに穴場の喫茶店があるの、特別に教えてあげるわ」
「でも、オリビエさん。俺はまだ」
「墓参りは済んだでしょう。なら、たまには年上の昔話に付き合いなさい」
うん、とまた情けない音で返事をして、きびきびと歩き出す天狐の彼女の後に続いて歩き出す。一人で来て帰るなら、もっと逃げるような気分になっていたのかもしれない。過去から――夏から。向き合えなかった|養父《かぞく》から。ただ、墓に参っただけだけど。
「……またな、ジジイ」
うだる夏の青さが少しだけ、嫌なものではなくなったような気がした。