シナリオ

くろぴとよつはと! みんなで水着の夏休み

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 夏だ。それは人間たちが浮かれて海で遊ぶ季節。

 強い日差しに照らされた砂浜では、色とりどりのパラソルが並び、波打ち際から絶えず歓声が上がっている。
 海に入る者も、砂浜で遊ぶ者も、海の家へ駆け込む者も、誰も彼も夏という季節を当然のように満喫していた。

「海だー……けど」

 怪人48番ことよつはは、白い砂浜の真ん中でひとり立ち尽くしていた。
 透けるように白い肌。柔らかく跳ねる銀白の髪には、白い花と橙色の葉を模した髪飾り。今日はいつもの装いではなく、白いワンピース水着に薄布を重ねた涼しげな格好である。

 人間たちのように夏を満喫してみれば、自分にも|四つ葉のクローバー《しあわせ》が見つかるかもしれない。
 そんな淡い期待まで抱いていたのだが。

「……ひとりだと、何すればいいんだろうねえ」

 右を見れば友達同士でビーチボール。左を見れば恋人らしい二人がかき氷を分け合っている。
 誰かに声をかけようにも、楽しそうな輪の中へ割って入るのは少し違う気がした。
 眩しい夏の景色の真ん中で、自分の周囲だけぽっかり空白になっているようだった。

 ●

 夏だ。それは人間たちが浮かれ、普段にも増して海を汚す季節でもある。

 砂に埋もれた空き容器。波打ち際に流された包装紙。海の家の周囲に残された食べこぼし。
 魚類の生活圏を好き勝手に荒らす行為など、ブラックバス怪人くろぴには到底見過ごせない。

「やっぱり人間は駆除しなくちゃ……!」

 銀から淡い緑へ移ろう長髪を潮風になびかせ、ブラックバス怪人くろぴは拳を握った。浅黒い肌に鮮やかな緑の瞳、耳元には魚の鰭を思わせる器官が覗いている。
 そして今日は、目にも眩しいビキニ姿だった。
 もちろん遊びに来たわけではない。水着なら周囲へ溶け込みやすく、人間たちも警戒しない。完璧な潜入作戦である。

 かくして魚介類系秘密結社アクアインベス、真夏の人類駆除作戦が開始されようとしていた。
 もっとも、戦力の集まりはすこぶる悪い。
 ブルーギル怪人のルギオはインドアボーイゲーマーな習性で出社拒否。アメリカナマズ怪人のきゃねるは作戦中にもかかわらず勝手に休憩へ入り、海の家で限定スイーツを堪能している。

「どうしていつもいつも自由なの、あの子たち……!」

 リーダーの嘆きは潮風にさらわれた。
 どうせ水着になるなら、夏期休暇を取って人の少ない川辺でのんびりしたかった――などとは、これっぽっちも思っていない。思っていないったらいない。

「もういい、いくわよ……!」

「ぷれー!」

「れこー!」

 元気よく返事をしたのは、一番弱いプレコ戦闘員たちだけだった。
 丸っこい魚の顔につぶらな瞳、へにゃりとした口。茶褐色の斑点が浮かぶ太い尾には大きな尾鰭が付き、短い手足をゆるい水色や桃色の服から覗かせている。
 悪の戦闘員というより、どう見ても愛嬌のある水棲マスコットだ。

 そんな彼らが、作戦の一環として自主的に落とし穴を掘ろうとする姿は、海辺で遊ぶ子供にしか見えなかった。

「わっ、変な生き物。怪人かな?」

「ちょっ!?」

 その一体がひょいと抱き上げられた。
 捕まえたのは、白い水着姿の少女――よつはである。

「かわいいね」

「ぷれぇー」

 腕の中でプレコ戦闘員が嬉しそうに身をくねらせる。
 実際かわいいので仕方ない。

「こらー! 人間相手に嬉しそうにしない!」

「わたし、人間じゃなくて怪人だよ?」

「え、そうなの?」

「うん。ひとりで退屈だったから、ここの人たち全員洗脳して遊び相手にしようかなって思ってたところ」

「…………」

 笑うよつはの足元で、陽光とは無関係に影がぬるりと蠢いた。
 魚類保護を掲げて人類駆除を企む女怪人と、人間をまとめて操って遊ぼうとする女怪人。
 方向性は違うが、どちらも十分に危険だった。

 ●

「ぐすっ……なんてひどい人間たち……そんな√世界、壊れて当然よ……!」

 十分後。
 浜辺のパラソルの下では、よつはの身の上話を聞き終えたくろぴが、目元を押さえて本気で泣いていた。

「よつはちゃん、一緒に人類を駆除しよう! 私たちならきっとやれるよ!」

 人類駆除思想さえ除けば、くろぴは基本的に情に厚い。
 熱烈な勧誘を受けたよつはは、困ったように笑いながら少し考え、やがて砂浜の向こうを指差した。

「うーん。それじゃあ、あっちの水着コンテストで優勝したら、手伝ってあげる」

「…………はい?」

 特設ステージの看板には、ちょうど参加者募集の文字。
 こうして偶然出会った二人の美少女怪人は、人類駆除より先に水着コンテストで戦うことになった。

 ●

「――そんな感じの事件なんだけど、みんなは夏を満喫してるかな!?」

 ほどよく冷房の効いた部屋で、水瀬・恋眞はスクリーンに真夏のビーチを映し出した。
 その前に立つ恋眞自身も、赤や水色、橙の南国花柄を散らしたビキニ姿だった。ターコイズブルーのネックレスを幾重にも飾り、頭にはピンクのハート型サングラス、腰には白いハイビスカス柄の浮き輪まで完備している。
 足元の白い厚底サンダルから覗く爪まで青緑に塗って、格好だけなら誰より海へ行く気満々だが――本人が直接現場へ向かう予定はない。完全に気分の問題である。

「ボクは直接現場には行けないからさ。せめて気分だけでも……ね?」

 集まった√能力者たちから向けられる、同情とも呆れともつかない視線にも負けない。挫けない。
 恋眞は咳払いひとつで話を戻した。

「それはともかく、今回は人で賑わうビーチに、怪人が二人。片方は部下を連れたアクアインベスのリーダー、もう片方は条件さえ整えば他人を操れるよつはちゃん。普通に考えたら、かなり厄介な組み合わせだよ」

 ただし、二人が出会ったのは偶然だ。
 共闘関係を築いているどころか、今は水着コンテストの勝負に意識を持っていかれている。

「よつはちゃんは、一夏の楽しい思い出が作れたら満足するみたい。くろぴちゃんも真面目だから、コンテストを途中で放り出して暴れたりはしないと思う」

 そしてよつはが帰り、会場が√能力者だらけとわかれば、くろぴたちも自分たちが圧倒的に不利なことくらいは察して撤退するだろう。
 ならば今回は、殴り合うより夏を楽しんだ方が話が早い。

「コンテストのテーマは『躍動感のある美しさ』。ステージで水着を披露するだけじゃなくて、ビーチボールやビーチフラッグみたいな遊びで競ったりもするよ。もちろん、勝ち負けにこだわらなくても大丈夫!」

 実行委員の中には事情を知る|現地協力者《モブキャラ》も紛れ込ませてある。
 多少派手に遊んだところで、進行面の心配はいらない。

「要するに、みんなで本気で遊んで『楽しかった』って思わせてあげて。そうすれば、よつはちゃんが人を操ることも、くろぴちゃんたちの駆除作戦も、今日はまとめてお休み!」

 恋眞はスクリーンいっぱいの青い海を背に、弾む声で笑った。

「それじゃあ――楽しい一夏を過ごしてきてね!」

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第1章 冒険 『砂浜での激突』


 一人では勇気が出なくても、誰かと一緒なら踏み出せることがある。

 思えば、水着コンテストへの参加を持ち出したのもそうだった。
 自分の境遇に本気で涙し、その勢いのまま人類駆除へ誘ってきた真面目系ギャル怪人を前に、思いつきとその場のノリだけで「あれに勝ったら手伝ってあげる」と指差した。

 深い考えなど何もなかった。
 けれど口にしてしまった以上、今さら引っ込みもつかない。

 一人だったなら、自ら審査される側として人前へ出ようなど、考えもしなかっただろう。
 少なくともその前に、海辺の人間たちをまとめて操り、審査そのものを意味のないものにしていた可能性の方が高い。

『続いての参加者は――よつはさんです!』

 怪人48号ではなく、登録しておいた大切な名前がスピーカーから響いた。

「はーい」

 軽く片手を挙げ、よつはは白いワンピース水着の裾を潮風に揺らしながらステージへ踏み出した。

 姿を見せるなり、客席のあちこちから明るい声が飛んでくる。
 先ほどまでとはまるで違った。
 誰も自分を見ていなかった砂浜で感じた、ひとりだけ景色から切り離されたような疎外感。それが今はない。

 知らない人たちの視線が一斉に自分へ集まっている。
 大勢に注目されることへ落ち着かなさはあったけれど、少なくともこの時だけは、自分も賑やかな夏の景色の中にいる。

『それでは、何か特技をお願いします!』

「特技かあ。じゃあ、これで」

 よつはは袖へ手招きして、開始までの間に買っておいた三つのりんごを運ばせた。
 一つを司会者の頭へ。残る二つは、左右へ伸ばしてもらった手のひらに載せる。

「えっ、あの……これは?」

「大丈夫、大丈夫。動かないでね」

 にこやかな忠告を受けた司会者の頬が引きつった。

 真夏の日差しが落とすよつはの影が、足元でざわりと蠢く。
 黒い輪郭は地面から浮き上がるように形を変え、細く鋭い無数の影矢へと変貌した。

「それじゃあ、いくよー」

 三本だけが群れから抜け出す。

 風を裂く音が続けざまに走り、頭上と両手のりんごを正確に射抜いた。
 赤い果実が弾け、破片が壇上へ散る。
 司会者本人には傷一つない。

 客席を満たしたのは、喝采ではなかった。

「えっ、今の何?」

「矢……?」

「司会の人、大丈夫!?」

 驚きと困惑が波のように広がっていく。

「……あれ?」

 よつはは首を傾げた。

 ――√能力は、ちょっとやりすぎたかなあ。

 そんな考えが浮かんだところで、ぱち、と乾いた音が一つ鳴った。

 誰かが手を叩いている。
 それに続いて別の誰かも手を合わせ、二つ、三つと音が重なっていく。司会者が無傷なのを確かめた人々の表情から緊張が抜ける頃には、戸惑いは大きなどよめきと喝采へ変わっていた。

「…………」

 今度はよつはが目を丸くした。

 自分に与えられた怪人としての力。
 人を欺き、傷つけ、操り、最後には正義に倒される役割を果たすために使ってきたものが、今は自分の意思で誰かを驚かせ、楽しませている。

「……ふふ」

 胸の奥が、妙にくすぐったい。
 悪くない。
 怪人として力を振るって、こんな気持ちになったのは珍しかった。

 ●

 その頃、ステージ袖では。

 ――どうしてこうなったの?

 くろぴの頭の中を、同じ疑問が延々と巡っていた。

 人類駆除を企めば、だいたいEDENたちが現れて阻止される。
 だったら、よつはを仲間に迎えられれば大きな戦力になるはずだ。今の無数の影矢だって、あれほどの精度で操れるなら十分すぎる。

 だから、水着コンテストで勝つくらいやってやろうと決めた。
 しかし、今となっては、完全な安請け合いだったと思う。

「む、無理無理無理……こんなの聞いてない……」

 人類駆除への意欲だけなら誰にも負けない。
 けれど普段の仕事は、スポットライトを浴び、大勢の視線を一身に受けるようなものではなかった。

 そもそも、こういう華やかな催しは怪人ではなくヒーロー側の担当ではないだろうか。

 ――助けて藍ちゃん!

 大切な友人――と、くろぴが一方的に認定しているアロワナの名前を胸中で叫ぶ。
 今やヒーローとなった彼女に何度勧誘を断られていても、やはり頼りたい癖は抜けない。
 元来、くろぴは臆病なブラックバスなのである。

『続いて、くろぴさん!』

「ひゃ、ひゃいっ!」

 思いきり裏返った声が出た。

 くろぴはおそるおそる壇上へ進む。
 浅黒い肌に映えるビキニ姿で、両手には派手にデコレーションされた愛用のバールのようなもの。普段なら敵へ振るう頼もしい得物を、今日はお守りよろしく胸元へ抱え込んでいた。

 それでも姿を見せれば、よつはに負けないほど会場が沸く。

「う、うぅ……」

『それでは、くろぴさんもパフォーマンスをお願いします!』

「…………」

 固まった。
 戦闘なら、隠れる。そして近付いて凶器で殴る。
 だいたいそれである。

 防衛本能を活かした隠密も、霧を纏っての奇襲も、人前で披露して盛り上がる芸にはどう考えても向いていない。

 救いの声は、予想もしない方向から飛んできた。

「スイカ割りをやります~」

「きゃねるちゃん!?」

 ステージ脇からひょっこり姿を現したのは、くろぴの部下であるアメリカナマズ怪人きゃねるだった。

「面白そうなので、お手伝いにきましたぁ」

「理由ーっ! というか、何でスイカ割り!?」

「ルギオくんにスマホで相談したらぁ、バール持ってるんだしスイカでも割ればって」

「雑すぎない!?」

 普段は好き勝手にしているくせに、妙なところで部下同士の連携が発揮され、しかも導き出された結論が恐ろしく雑だった。

「プレー!」

「レコー!」

 今度はプレコ戦闘員たちまで現れ、大きなスイカを抱えて中央へ運んでくる。

「じゃあ、店長ぉ。目隠ししますねぇ~」

「え、ちょっと待っ――」

 きゃねるは手早くくろぴの目へ布を巻くと、そのまま遠慮なく体を回し始めた。

「ひゃわー!?」

 ぐるぐる、ぐるぐる。
 あっという間に平衡感覚を奪われ、くろぴの足取りが頼りなくなる。

「楽しそうな組織だなー」

 自分の出番を終えて袖へ戻っていたよつはが、その光景を感心したように眺めていた。
 個人のパフォーマンスという観点では何かがおかしい気もするが、客席の反応は上々である。

「プレー!」

「レコレコー!」

「そっちですぅ~。あ、ちょっと右かなぁ」

「どっち!? プレコちゃんたちは何言ってるかわかんないし!」

 役に立たないプレコ戦闘員たちの声と、あまり頼りにならないきゃねるの誘導を受けながら、くろぴは千鳥足で前へ進む。

 足元の感触と周囲の声だけを頼りに、おおよその位置を探る。

 ――もう、なんとでもなれー!

「やあああっ!」

 ヤケクソ気味に振り下ろしたバールのようなものが、確かな手応えを返した。

「店長ぉ~、お見事です~」

「プレプレー!」

「レッコォー!」

 きゃねるに目隠しを外される。
 視界に飛び込んできたのは、見事に割れたスイカと、その周囲をぴょんぴょん跳びはねて喜ぶプレコ戦闘員たちだった。

「おおーっ」

 袖にいるよつはも、観客と共にぱちぱちと手を叩く。

 一人でステージに立った自分とは違い、くろぴの周りには自然と誰かが集まってくる。
 随分と弄られているようにも見えるけれど、あれもきっと、リーダーとして築いてきた関係の表れなのだろう。

「……いいなあ」

 零れた声は、会場の賑わいに紛れて消えた。

「なみこちゃんも、どこかで海水浴とかしてるのかな?」

 数少ない友達の顔を胸に浮かべながら、よつはは楽しげなアクアインベスの面々を見つめる。
 その輪の中にいるくろぴが、ほんの少しだけ羨ましかった。
エレノール・ムーンレイカー

 くろぴに続いて名前を呼ばれたのは、エレノール・ムーンレイカーだった。

 銀色の髪を揺らして壇上へ上がったエルフは、そのまま中央まで歩くと背筋をすっと伸ばした。肩を開き、胸を張って正面を向く。
 琥珀色の瞳に柔らかな笑みを浮かべ、観客へ片手を振った。

 身に着けているのは、深い紺色の競泳水着。首元まで覆う生地には細い白銀のラインが入り、胸元には小さな白い意匠がひとつだけ添えられている。
 飾り気を抑えたデザインは、引き締まった体つきと長い脚を隠すことなく、競技用らしい洗練された印象を引き立てていた。

 怪人の次はエルフ。
 先ほどとはまた違った珍しい参加者の登場に、客席から期待を含んだ声が上がる。

「コンテストをご覧になられている皆さん、こんにちは。普段は冒険者をしています、エレノールと申します」

 エレノールは落ち着いた声音で名乗り、観客に半身を見せた。装飾で視線を集める水着ではないからこそ、均整の取れた体つきがそのまま魅力になる。

「さて、この競泳水着。一見地味に見えますが、動きやすさだけでなく、美しいシルエットも魅力なんですよ」

 片足を後ろへ引き、泳ぎ出す直前を思わせる構えを取った。

 競泳用の生地は肩まわりの動きを妨げない。ポーズが変わるにつれて濃紺の表面に生まれる陰影も移ろい、エレノールの身のこなしへ軽やかな印象を添えていた。

「今回のテーマ『躍動感のある美しさ』にもぴったりだと思います。しっかり魅せていきたいと思いますので、よろしくお願いしますね」

 最後に微笑んで一礼すると、客席から大きな拍手が返った。

 ステージ袖でその様子を見守るくろぴには、ひとつ気になる点があった。

「……エルフ?」

 √EDENに、本来なら存在しないはずの種族。
 異なる√から来た者が目の前にいるというだけなら説明はつく。けれど、人類駆除作戦を始めた今日、この場所で遭遇したとなれば話は別だった。

 ――まさか、もうEDENたちが来てる……?

 まだ断定するには早い。
 胸に引っかかった疑念を抱えたまま、くろぴはエレノールの様子を訝しげに窺った。

『ではエレノールさん、続いて何か特技をお願いします!』

「特技ですか?」

 問いかけに、エレノールは少し考える。

「それでしたら、身体変化の魔法で誰かに化けてみましょうか」

 誰を選ぼうかと周囲を見渡したところで、袖にいるくろぴと目が合った。
 エレノールの顔に笑みが浮かぶ。

「くろぴさん、ちょっとこちらへ来ていただけますか?」

「えっ、私!?」

 先ほど自分も出場したばかりだ。嫌な予感を覚えながらも、くろぴは手にしていたバールのようなものをステージ袖の壁へ立てかけ、壇上へ上がってエレノールの隣に立った。

「それでは、くろぴさんに変身してみますね」

「ちょ、ちょっと待って、そういう――」

「流転せし万象を捉え、変化の力を示せ」

 詠唱と共に√能力が発動した。

 銀色の髪は長く伸びながら淡い緑へ染まり、白い肌には健康的な褐色が差していく。エルフ特有の尖った耳は形を失い、代わって耳元に魚の鰭が現れた。
 顔立ちも体格も、鮮やかな緑の瞳も、さらには水着姿まで隣にいる本人そっくりへと組み替わっていく。

 変化が終わった時、ステージには二人のくろぴが立っていた。

「えええええっ!?」

 本物が真っ先に叫んだ。

 観客も遅れてどよめく。
 左右に並んだ二人の外見には、判別につながるような違いがない。

『これはすごいですね! せっかくですから、本物を見分けられるか試してみましょう!』

「試すって誰が――」

「ぷれー!」

「れこー!」

 呼び込まれたプレコ戦闘員たちが、短い手足を懸命に動かして壇上へ集まってきた。

 二人のくろぴは、そのまま何も言わずに立っている。
 プレコたちは揃って足を止め、片方を確かめてから、もう片方へ顔を向けた。何度か首を傾げ、丸い瞳をぱちぱちさせる。

「ぷれ……?」

「れこぉ……?」

 いつもの元気はどこへやら、真剣そのものだ。

『さあ、本物のくろぴさんはどちらでしょう!』

 問いかけを受けると、プレコたちはそれぞれに答えを決めて動き出した。

「プレー!」

 一体が本物の足元へ。

「レコー!」

 別の一体は、エレノールが変身した偽物の隣へ並ぶ。

 後に続いた仲間たちも二手へ分かれ、最後にはきれいに半数ずつとなった。それぞれが自信ありげに、自分の選んだ方こそ本物だと主張している。

「…………」

 くろぴの頬が引きつった。
 毎日のように顔を合わせている部下の半分に間違えられている。

「では、答え合わせをしましょうか」

 エレノールが√能力を解いた。
 淡い緑に染まっていた髪は元の長さへ戻り、その色も銀へと変わっていく。褐色だった肌は白くなり、耳元の鰭が消えると、代わってエルフ特有の尖った耳が姿を現した。
 やがて全身の変化が解け、そこには再び濃紺の競泳水着を纏ったエレノールが立っていた。

「プレプレー!」

 本物を選んだ組が、一斉に飛び跳ねた。

「れ……れこぉ……」

 反対側では、間違えたプレコたちがその場にへたり込む。頭を抱える者、呆然と口を開ける者、悔しそうに尾を揺らす者までいる。

 あまりにも素直な反応に、会場のあちこちから笑い声がこぼれた。

「ふふ、皆さん可愛いですね」

 エレノールも楽しそうに笑い、勝ち誇る組と落ち込む組を見比べる。
 判定役だったはずのプレコたちまで立派な見世物になってしまい、客席の盛り上がりは先ほど以上だった。

 そんな賑わいの中、くろぴは改めてエレノールへ意識を向けた。

 √EDENにはいないエルフ。
 そして、人間には到底真似のできない力。

 今の光景によって、最初に抱いた疑念は確信へと変わっていた。

 ――やっぱり、もう来てる。

 表情には出さないまま、くろぴは周囲にいるはずのEDENたちへの警戒を強めるのだった。

小明見・結

 舞台袖の奥から、小明見・結は白い水着姿の少女を窺っていた。

「よつはさん……それが彼女の名前なのね」

 以前に向き合った時、彼女が名乗ったのは怪人48号という番号だけだった。
 互いに譲れないものがあり、最後まで和解には届かなかった。結は他の道を探したかったけれど、よつはの望みを受け入れることもできず、結局は戦うしかなかった。

 だから、こうして何事もなかったように夏の催しへ参加している姿に、結はひとまず胸を撫で下ろした。

 ――元気そうで、良かった。

 できることなら、今度こそ落ち着いて話をしてみたい。
 けれど、その前に自分の出番である。

『続いての参加者は、小明見・結さんです!』

「はい」

 名前を呼ばれ、結は人目を気にするように髪を整えてからステージへ出た。

 腰を越えて流れる艶やかな黒髪と、鮮やかな青い瞳。
 彼女が選んだのは、胸元をしっかり覆う濃紺の水着だった。上半身を包む生地は身体へ沿うすっきりとした形ながら、露出は控えめ。腰から下には同色の短いスイムスカートを合わせている。
 光を通しにくい深い色合いも相まって、華美さを抑えた端正な装いだった。

 大勢の前に立つと、やはり落ち着かない。
 頬に熱を感じながらも、結は観客へ向き直った。

「こういう水着って、あんまり着慣れていないんです。肌がたくさん見えるものは、その……ちょっと恥ずかしくて」

 照れを隠しきれない言葉に、客席から柔らかな笑いが返る。

「でも、この後も色々あるみたいですし、動きやすいものにはしてみました。せっかく参加するなら、ちゃんと楽しみたいですから」

 スイムスカートの裾を軽く摘まんで見せると、明るい拍手が起こった。

『それでは結さん、何か特技を披露していただけますか?』

「特技……」

 問われて、結は返答に詰まった。

 実戦で用いる術なら身につけており、誰かを守る場面では精霊の力も借りてきた。
 けれど、水着コンテストのステージで観客を楽しませる芸となると、すぐには思いつかない。

 その時、傍らに寄り添う気配へ意識が向いた。

 ――精霊さんって、多分ほかの人には見えないわよね。

「お願い。ちょっとだけ手伝ってくれる?」

 小さく囁くと、精霊たちが応えた。

 ステージ脇に用意されていた色とりどりのボールが、誰の手にも触れられないまま宙へ浮かぶ。

「えっ?」

「浮いてる……?」

 客席がざわめいた。

 一つが高く上がれば、別のボールがその下を潜り抜ける。ボールは三つ、四つと数を増やし、空中に弧を描きながら行き交う。
 やがて、ステージの左右から放たれた紙吹雪まで、風もないのに舞い上がる。

 結には、それぞれへ働きかける精霊たちの気配が分かる。
 けれど√能力者ではない観客に見えているのは、色鮮やかな品々がひとりでに踊る不思議な光景だけだ。

「わぁ……!」

 驚きが感嘆へ変わり、会場の空気が華やぐ。

 結は目立つことが得意ではない。
 自分だけに歓声が集まるよりも、こうして皆が同じものを見上げて楽しんでくれる方が、ずっと居心地がよかった。

 最後にはボールが一列に並んで静かに床へ降り、紙吹雪だけが名残惜しそうに宙を漂う。

 大きな拍手に包まれ、結はほっとしたように笑った。

 ●

「あの子も来てるんだ……」

 舞台袖では、よつはが結の様子を眺めていた。

 エレノールに続いて結まで現れた以上、どうやらEDENたちは既に会場へ入り込んでいるらしい。
 以前なら、その姿を見つけた時点で戦いになっていた。

 ところが、ここまで誰も自分に攻撃を仕掛けてこない。
 人間に対して強い敵を向けるくろぴにも手を出さず、普通の参加者として水着コンテストを楽しんでいる。

「夏休みの邪魔しないなら、いっか」

 ならば、よつはにも急いで敵対する理由はなかった。

 むしろ問題は別にある。
 先ほどのくろぴは、かなり観客に受けていた。
 このまま彼女が優勝すれば、約束どおり人類駆除を手伝わなくてはならない。

「それはちょっと困るかなあ」

 もちろん、その条件を持ち出したのは自分だ。
 反故にするつもりはないけれど、エレノールや結をはじめとしたEDENたちが勝つなら話は簡単になる。

 本来なら敵である彼女たちが、今回はくろぴの優勝を阻みうる競争相手になっている。

「ふふ。じゃあ、頑張ってもらおっかな」

 戦わず、苦労もせず、楽しい夏の思い出だけを持ち帰る。

 そんな美味しい展開になるなら、EDENたちの参加も悪くない。
 よつはは床へ向かう紙吹雪の最後の一片を目で追いながら、密かに彼女たちを利用することに決めた。

見下・七三子
レオン・ヤノフスキ

 見下・七三子は、当初ここへ来る予定のないメンバーだった。

 事件の情報は、恋眞から友人を介して七三子へ伝わったにすぎない。ところが、水着コンテストや怪人と続く話の中に、どうしても聞き流せない名前が混じっていた。

「うーん、よつはちゃんってお名前聞いて思わず来ちゃいましたけど……元気にしてるようでよかったです」

 まだ砂浜でくろぴと共にいるよつはを遠目に確かめ、七三子はほっと息をついた。

 |怪人48号《よつは》――七三子にとって、とても重要な名前である。
 因縁と呼んでも差し支えない。

 かつて二人は同じ悪の組織で育った幼馴染だった。
 七三子は名前も持たない戦闘員735番、よつはは怪人の家に生まれた優秀な怪人48号。
 番号でしか呼ばれなかった二人は、幼い頃に互いを『なみこ』『よつは』と名付けた。それだけは組織から与えられたものではない、自分たちだけの大切な呼び名になった。

 やがて怪人として戦場へ送られる日を恐れたよつはは、七三子へ助けを求めた。
 友達の願いに応えた七三子はヒーローの足止めを引き受け、その最中によつはから利用される形で致命傷を負った。

 それでも七三子にとって、よつはは今も大切な友達なのだ。

「あんまり悪いことされちゃうと複雑ですから、止めないとですね」

 友達だから何をしても許せるわけではない。
 よつはには怪人らしい倫理観の欠如があり、善人と呼べる部類でないことも七三子は十分に理解していた。

「おおっ、七三子の幼馴染のよつはちゃんな!」

 隣から快活な声が飛んでくる。

 赤い長髪を後ろで束ねた大柄な男、レオン・ヤノフスキだった。
 七三子に誘われるまま付き添ってきた彼は、七三子が眺める白髪の少女を興味深そうに眺める。

「あれがそうか。すげー優秀でいい子だって聞いてたんだが……なんだよ、知らねえ間にグレちまったのか?」

「あれ、詳細話してませんでしたっけ」

「そこまで重い話は聞いてねぇぞ」

 七三子から簡単な経緯を聞き終える頃には、レオンの表情から軽口めいた色もいくらか薄れていた。

「そりゃまた複雑な関係だな」

 利用され、死にかけた。いや、少なくとも組織の戦闘員だった735番はあの日に死んだ。
 友情が消し飛び、憎しみだけが残っていても不思議ではない出来事だった。

 それでも今なお、七三子は迷いなく友達だと言う。

 甘いのかもしれない。
 けれど、それでこそ七三子なのだとレオンには思えた。

「七三子さーん! もうすぐ水着コンテストのエントリー終わりますよー!」

「えっ?」

 仲間に呼びかけられ、七三子は目を丸くした。

「水着コンテストですか? 私たちが?」

 よつはのことで頭がいっぱいになり、肝心のコンテストについては綺麗に記憶から消し飛んでいた。

 とはいえ、それで事件を穏便に収められるのなら拒む理由もない。
 よつはと直接戦わなくて済む点も、七三子にはありがたかった。

「コンテストに出るとなりゃあ、自慢の彼女を是が非でも入賞させねぇとな」

「ここにいるんですから、レオンも一緒に出るんですよ」

「俺も出んのかよ。去年の水着だぜ? しゃあねぇな〜」

 口では文句を言いながらも、レオンに本気で嫌がる様子はない。むしろ七三子と一緒に出ると決まれば、どこか楽しそうですらあった。

「じゃあ、締め切られる前に行きましょう。レオンも早く」

「へいへい。せっかくなら目立ってやろうじゃねぇか」

 よつはを追って急遽やってきたはずの二人は、そのまま揃って水着コンテストの受付へ向かうことになった。

 ●

『続いては――見下・七三子さん、レオン・ヤノフスキさん!』

 どうやらカップル参加枠という扱いらしい。
 割と何でもありのお祭り騒ぎである。きゃねるが飛び入りし、プレコ戦闘員たちまで何度もステージへ上がっている時点で、厳格な大会運営など今さら期待するものでもない。

 二人がステージへ上がると、対照的な水着姿へさっそく観客の視線が集まった。

 七三子が選んだのは、白を基調としたワンピースタイプ。
 胸元から腹部までを明るい生地が覆い、肩口や脇へ配された深い青が全体を引き締めている。
 飾りの少ないスポーティーなデザインながら、腰まで流れる艶やかな黒髪と赤い瞳が鮮やかな差し色となっていた。
 左手には赤い花を思わせる小さな飾り。足元には細いストラップを交差させたサンダルを合わせ、すらりと伸びた脚を軽快に見せている。

 対するレオンは上半身を惜しげもなく晒していた。
 厚い胸板に盛り上がった肩、くっきり割れた腹筋。鍛え込まれた肉体そのものが最大のアピールポイントと言わんばかりである。

 黒いサーフパンツには白や灰色の花と植物の柄が入り、裾を走る鮮やかな黄緑のラインが目を引く。腰紐も同系色で揃えられ、黒いリストバンドやサンダルまで含めた装いは、鍛え込まれた肉体を引き立てながら、海辺らしい洒落っ気も感じさせた。

「私、平凡な戦闘員ですし、見た目も特技もそんなに自信ないですけど……」

 七三子は控えめに笑った。
 平凡の定義が彼方に吹き飛んでいる。

 彼女の身体には、悪の組織による改造で得た強化筋肉が備わっている。
 つい最近も、筋肉自慢の怪人を相手にアームレスリングを行い、正しいフォームすら知らないまま互角以上に渡り合った挙げ句、最後には勝負台を真っ二つにしていた。

「うーん……」

 何を披露しようか考えていた七三子の目に、観客席の一人が留まる。

 体格のいい男性だった。
 太い腕を見る限り、力にはかなり自信がありそうだ。

 それを見た途端、この間の戦争で経験した出来事が頭へ浮かんだ。

「あ、そうだ。観客席の力自慢っぽいそこのお兄さん、ちょっと私と腕相撲しませんか?」

「俺?」

 突然指名された男が、自分の胸を指差した。

 司会者に促され、怪訝そうな顔をしたままステージへ上がってくる。
 細身に見える七三子と、その隣で存在感を放つレオンを見比べれば、疑問を抱くのも当然だった。

「肉体の勝負なら、こっちの男とじゃないのか?」

「俺はナンパ勝負でもしようと思ってたんだが……」

 レオンは男の腕へ目をやった。
 そして、にやりと口角を上げる。

「バルクで勝負だぁ? いいぜ、やってやろうじゃねぇの!」

「えっ?」

 七三子の口から間の抜けた声が漏れた。

 腕相撲をするはずだった。
 なのに、レオンが両腕を持ち上げ、盛り上がった上腕二頭筋を見せつけている。
 挑まれた男も負けじと胸を張り、力いっぱい筋肉を隆起させた。

 フロント・ダブル・バイセップス。
 サイド・チェスト。
 角度を変え、全身に力を込め、二人は次々にボディビルダーさながらのポージングを決めていく。

 完全に別の勝負が始まっていた。

「キレてるよ! キレてるよ!」

「肩にちっちゃい重機乗せてんのかーい!」

 観客席から飛び交う威勢のいい掛け声。
 二人が筋肉を誇示するたびに、会場の熱気までぐんぐん上がっていく。

「…………」

 その横で、七三子だけが遠い目をしていた。

 ――デジャヴがすごいです。

 脳裏へ浮かぶのは、動物のマスクを被ったマッチョマン四人組。

 少し前の戦争で遭遇した、筋トレをこよなく愛する怪人たちである。
 そこで七三子自身も『かよわい戦闘員』を自称しながら腕相撲へ巻き込まれた。

 まさか夏の水着コンテストで、似たような筋肉劇場を見ることになるとは思わなかった。

「ふぃ〜、いい勝負だったぜ……。しばらくトレーニングサボってたが、俺もまだまだ捨てたもんじゃねぇな」

 満足げにレオンが息を吐く。

 判定が下されないまま勝負が終わったため、結局どちらが勝ったのかは曖昧だった。
 ただし自己アピールという意味では十分すぎる成果を上げたらしく、特に女性客から黄色い声援が飛んでくる。

「レオンさーん!」

「こっち向いてー!」

「一緒に写真撮ってー!」

「写真一緒に撮りてぇって? へへっ、水着のかわいこちゃんに誘われちまったんじゃ……」

「あー、もう!」

 七三子がすかさず釘を刺す。

「レオン、女の子たちにきゃーきゃー言われても愛想振りまきすぎちゃだめですよ?」

「いや、でもファンサービスってやつがだな」

「格好いいんですから、自重してくださいね?」

「…………おう」

 それでも名残惜しそうに客席へ向き直った。

「あー、写真だけ! 写真だけな!!」

「結局撮るんですね!?」

 七三子の抗議まで含めて、観客には仲のいいカップルの掛け合いとして映ったらしい。あちこちから楽しげな笑い声が上がる。

「あの」

 取り残されていた力自慢の男が、おずおずと手を挙げた。

「……結局、腕相撲は?」

「あ、ごめんなさいお兄さん、今忙しいので!」

「俺、何のために呼ばれたんだ!?」

 もう収拾がつかない。
 司会者まで笑いながら進行を諦めかける中、七三子とレオンのアピールタイムは、予定とはまるで違う方向へ盛大に転がっていった。

 ●

 EDENたちを利用してやる。
 そう考えていたよつはだったが、早々に誤算が生じた。

「なみこちゃんまで……!」

 舞台袖から、目を丸くして七三子を見る。
 つい先ほど、くろぴと部下たちの様子を眺めながら思い出したばかりの友達が、本当にそこにいた。

 彼女もまたEDENの一人として、このビーチへ来ている。同時に、よつはの目を何より引いたのは、その隣に立つ男だった。

「な、なみこちゃんに彼氏ができてる……!?」

 昔から可愛らしい娘ではあった。
 けれど同時に、自分の容姿にはまったくの無自覚。恋だの何だのという色事とは無縁のまま生きていきそうな性格でもあったと思う。

 しかも相手は、なんというか、いかにも女性慣れした男に見える。

 ――大丈夫? 騙されて良いように扱われてない?

 それはどう考えても、かつて七三子を良いように扱って利用した本人が言えた台詞ではないのだが。

 ――お見合いで紹介された相手と、何の疑問も抱かずに結婚してそうなイメージだったのに。

 しかも、素でとても失礼なことまで考えていた。
 何故なら、かつての彼女には確かに意思があったけれど、その在り方は組織の一員であることと地続きだったからだ。

 戦闘員として、命じられた役目を果たす。
 自分が話しかけなければ、|戦闘員《そのた》の中に埋没してしまいそうな、そんな存在に見えていた。

 だからこそ、よつはは彼女へ『なみこ』という名前を贈った。
 そして七三子も、自分へ『よつは』という名前をくれた。

 そんな彼女が今は、誰かと並び、嫉妬して、注意して、褒めて、呆れている。よつはの知らない表情を次々と見せる七三子は、以前よりずっと生き生きとしていた。

「楽しそうだなぁ……」

 もう彼女は、|怪人《わたし》の知る|735番《なみこ》ではない。その変化が、よつはには眩しく見えた。

 やがてアピールタイムが終わると、レオンは女性客との写真撮影に残り、七三子だけが先にステージ袖へ戻ってくる。

「…………」

 よつはは反射的に一歩下がった。

 先ほどまでEDENたちを利用して、美味しいところだけもらおうなどと考えていたくせに、七三子本人を前にすると、何を言えばいいのか分からない。

 会いたかったような気もする。
 会いたくなかったような気もする。

 気まずさを抱えたまま、七三子と目が合うより先に、よつははそっと姿を隠した。

 いつまでもそうしてはいられない。
 それくらいは、自分でも分かっているのだけれど。

エアリィ・ウィンディア
椎宮・紫水

 恋眞から今回の事件について説明を受けるうち、エアリィ・ウィンディアの関心は怪人そのものより、むしろ解決方法の方へ向いていった。

 人で賑わう夏のビーチを舞台にした水着コンテストへ参加し、その後はビーチフラッグやビーチバレーまで楽しむ。
 怪人と戦って追い払うのではなく、皆で夏の思い出を作ることが事件解決に繋がるというのだから、普段の依頼とはかなり毛色が違う。

 EDENたちの間でも、この夏は盛大な水着コンテストが行われたばかりだった。
 それでも、こちらは一芸や遊びまで含めて競う独自形式らしく、話を聞くほどエアリィの表情は明るくなっていく。

「へー、水着コンテストかぁ」

 せっかくの海で、しかも今年用意した水着まである。参加しない理由を探すより、誰と一緒に行くかを考える方が早かった。

 説明が終わる頃には相手も決まっており、エアリィはそのまま椎宮・紫水の元へ向かう。

「ね、紫水さん。せっかくだから行こうよっ♪」

 楽しむ気満々の笑顔で誘われれば、紫水もわざわざ断るほど野暮ではない。二人はその日のうちに準備を整え、コンテスト会場へ足を運んだ。

 ●

『続いての参加者は、エアリィ・ウィンディアさんです!』

「はーいっ!」

 軽やかな返事と共にステージへ現れたエアリィは、中央まで進むと両腕を胸元へ上げ、手首を内側へ曲げて猫の前脚を真似るようなポーズを取った。

「着る水着は今年のねこ水着ですっ! ニャンっとなっ♪」

 明るい青緑の髪の上には、黒と白の左右でツートンカラーな猫耳がちょこんと覗く。水着そのものも同じ二色を基調としており、胸元を斜めに包むワンショルダーが、左右非対称の軽快なシルエットを作っていた。

 腰まわりも二色のフリルが何段にも重なり、短いスカートのように柔らかな広がりを見せている。首元では小さな鈴が揺れ、手首や太腿にも可愛らしい装飾が添えられていた。

「あたしの水着は、ねこさんモチーフっ♪ ワンショルダーの部分がねこみみになっているのが特徴っ♪」

 上半身もしっかりと猫を思わせる、猫耳のように尖った肩先を指で示してから、今度はくるりと向きを変える。

「それ以外にも鈴とか、ねこみみとか、にくきゅうとか、ねこしっぽとか。色々あるよー♪」

 上腕には肉球を模したワンポイントが入り、背中側から長い尻尾が伸び、その先を白い毛束が彩っている。
 足元のサンダルまで色合いを揃えた猫づくしの装いだが、細かな意匠が喧嘩することはなく、快活なエアリィ自身にもよく馴染んでいた。

 猫らしく片脚を上げて笑えば、観客席から早くも「かわいい」という声が重なる。

 その光景を舞台袖から眺める紫水は、表向きこそいつも通り落ち着いていたが、内心ではその平静を保つのに苦労していた。

 ――ステージの上……ちょっと可愛すぎないか、あのニャンリィ嬢。

 猫を題材にした意匠を幾つも盛り込みながら、どこにも煩雑さはない。まるで彼女のために仕立てられたような完成度だった。

 ――これ以上眺めていたら、平静な顔を保てなくなるなぁ!!

 口に出せば、どこまで感想が続くか自分でも分からない。紫水はひとまず黙って見守ることにした。

『それではエアリィさん、何か一芸をお願いします!』

「一芸って言っても……」

 何を披露しようかと客席を眺めていたエアリィは、やがて名案を得たらしく笑みを深める。

「……エアリィ・ウィンディア、歌いますっ!」

 せっかく歌うなら、一人より賑やかな方がいい。そこでエアリィは、自分の周囲にいる精霊たちへ意識を向けた。

「みんな、少しの時間、体を渡すよっ! もこもこした、ぬいぐるみみたいな姿で一緒に踊ってねっ!」

 |精霊具現化《エレメンタル・エンボディメント》を発動すると、九体の精霊が次々と実体を得て、エアリィの周囲へ浮かび上がった。

 どの精霊も体高は十センチほどで、小さな手足を備えた丸みのある姿をしている。バックダンサーとして見せるため、一般の観客にもはっきり見える状態で具現化されていた。

「わっ、なにあれ!」

「小さいのがいっぱい!」

 予想外の可愛らしい助演者たちに客席がざわめく。エアリィが音響係へ曲名を告げると、ほどなく伴奏が流れ始めた。

 明るい歌声に合わせ、九体の精霊も揃って踊り出す。宙で回転する者、隣同士で手を取り合う者、弾むように上下しながらリズムを取る者。小さな身体をいっぱいに使ったダンスは愛嬌たっぷりで、それぞれ自由に見えながらも要所では綺麗に動きが揃っている。

 そこへ舞台袖の紫水が、もう一つの彩りを添えた。

「陰陽太極にして万象を示す。すなわち陰転じて陽。我が力より形を持って至れ式神」

 術に応じて現れた掌ほどの影色の猫たちが、そのままステージへ駆け込んでくる。

 精霊たちの周囲を駆け回り、歌に合わせて跳ね、時にはじゃれながら転がる。こちらはダンサーというより、自由気ままな猫そのものだった。

「紫水さん、ありがとーっ♪」

 予定になかった助っ人へ笑顔を向けながら、エアリィは歌を続ける。

 精霊たちは振り付けに沿って踊り、猫の式神たちはその間を縫って気ままに遊び回る。エアリィ自身も猫らしい仕草を織り交ぜながらリズムに乗り、小さな仲間たちを従えた明るいライブで客席を盛り上げていった。

 曲の終わりには九体の精霊が宙で揃ってポーズを決め、その足元には影色の猫たちが並んで座る。

 大きな拍手が客席から湧き起こり、エアリィは満面の笑みで手を振った。

「ありがとーっ♪」

『続いては、椎宮・紫水さんです!』

 次の名前が読み上げられ、紫水がステージへ向かう。

 普通ならここで交代となるところだが、エアリィは客席にも舞台袖にも戻らず、その場に残って楽しそうに彼を待っていた。

「エアリィ嬢、俺の番なんだけどねぇ」

「うんっ♪ 紫水さんの水着紹介、ちゃんと見たいもんっ♪」

「そんなにわくわくされると、妙なプレッシャーがあるなぁ」

 苦笑しながらも追い返すことはせず、紫水は彼女の隣へ進む。

 鮮やかなオレンジ色のアロハシャツには、大ぶりな南国の花や葉が散り、開けた前から胸元や腹部が覗いている。膝丈のサーフパンツも暖色系でまとめられ、海辺の陽射しによく映える組み合わせだった。

 その中で視線を引くのが、頭に着けた深い紫のサンバイザーである。暖色に偏った装いを引き締める、ちょうどいい差し色になっていた。

 傍らには白と紫を基調としたサーフボードもあり、そのまま波へ向かっても違和感のない装いである。

「ふふっ! すっごくかっこいいっ!」

 エアリィは本人以上に嬉しそうだった。

「アロハも海にぴったりだし、紫のサンバイザーもいいよねっ♪」

「おやおや、そこまで褒めても何も出ないよ?」

 紫水は肩をすくめながら笑ったが、エアリィの観察はまだ終わっていない。

 開いたアロハの下から覗く胸や腹には、無駄のない筋肉の線が浮かんでいた。派手な厚みを誇る体つきではないが、均整の取れた輪郭が軽快な装いによく映えている。

「細くみえて実はしっかり鍛えられているのもいいね♪」

「って、どこ見てんのエアリィ嬢?」

「えへへっ♪」

 悪びれる気配のない笑顔に、客席からも笑いが漏れた。

 水着紹介が終わると、今度は紫水にも一芸を求められる。

「さて、何を見せようかねぇ」

 先ほどの歌では、猫の式神たちは精霊たちの周囲を自由に遊び回っていた。まだ近くに残っている九体の精霊を見た紫水は、今度は両者の動きを揃え、きちんと一つのダンスにしてみようと考えた。

 精霊たちは紫水の方を見上げ、何かを期待するように宙を漂っている。

「おや、エアリィ嬢の精霊さん。手伝ってくれるのかい?」

 問いかけに応じるように、九体が元気よく跳ねた。

「なら、しばし精霊とネコのダンスで場を温めよう」

 紫水が式神と音響係へ合図を送ると、軽快な音楽に乗って影色の猫たちが散開する。

 向かい側では九体の精霊が列を作り、その音に合わせて互いの間合いを詰めていく。猫が低く駆け抜ければ、その背を精霊が飛び越え、別の一体が空中で回転すると、式神もつられるようにくるりと身を翻した。

 しだいに双方の動きは噛み合っていく。精霊の跳躍に猫たちが続き、式神が横切るたびに九体が左右へ分かれて道を作った。先ほどは気ままに入り混じっていた両者が、今度は互いの動きを引き立てる一組のダンサーになっている。

「がんばれーっ♪」

 エアリィも横から手拍子を送り、精霊たちを応援する。

 最後には九体の精霊と猫の式神たちが紫水の周囲へ集まり、思い思いの格好で決めポーズを作った。

 客席から笑いと拍手が重なり、紫水の一芸として始まった演目は、エアリィの応援や精霊、猫の式神まで一つになった共演へ発展していた。

 勝敗を決める以上に、皆で楽しむことを大切にする今回の水着コンテストには、その形の方がよく似合っていた。

劉・涼鈴

 怪人を叩きのめして止めるのではなく、水着コンテストで勝負し、その流れごと事件を丸く収める。恋眞から聞かされた作戦は、劉・涼鈴にとってかなり異色だった。

 実際に会場へ足を運んでみれば、その印象はますます強くなる。
 人類駆除を掲げるくろぴが先に舞台へ上がっていたのだが、そこで繰り広げられていたのは殺伐とした対立ではなく、部下まで巻き込んだ賑やかなひと騒動だった。
 敵味方が睨み合うより、客席が笑ったり湧いたりしているあたり、涼鈴の知る勝負の場とはだいぶ毛色が違う。

「√仙術サイバーじゃ、あんまり見ないノリの連中だな」

 客席からその様子を眺め、涼鈴はわずかに口角を上げた。

「ま、これはこれで面白そうだ」

 どうせ競うなら、こちらも自分らしくやるだけだ。
 そう決めると気分は軽い。やがて呼び上げられた名に応じ、涼鈴は迷いなくステージへ進み出た。

 真っ先に目を引くのは、腰まで流れる銀髪だった。陽光を受けて淡く輝く長い髪は、背中の後ろで大きく揺れ、その上では鮮やかな赤いリボンが存在感を放っている。頭の左右には大きく反った牛角が伸び、尖った耳と紅い瞳が、人ならざる気配を隠しもせず際立たせていた。

 そんな彼女が身に着けているのは、紅を基調とした大胆なビキニである。布面積はかなり控えめだが、生地には細かな花柄が散りばめられ、単なる露出の強さだけでは終わらない華やかさがあった。
 胸元には小さな赤いリボン、首元には中華風の飾り結び、手首には重ねた金の腕輪。そうした装飾が、攻めた水着姿に涼鈴らしい洒落た彩りを添えている。

 腰の片側には小さな鈴をあしらった飾りが下がり、身体を動かすたびに涼やかな音を立てた。太腿にも紅い紐飾りが結ばれ、足元は細いストラップのサンダルでまとめられている。
 乳白色の肌に紅の差し色がよく映え、豊かな胸元、引き締まった腰、長くしなやかな脚の線が、容赦なく観客の目を引き寄せた。

 涼鈴は片手を腰へ当て、もう一方を頭の横へ掲げる。そこから身体をひねり、くびれや胸の曲線が映える角度をつくって客席へ流し目を送った。

「ほらほら、ちゃんと見とけよ?」

 挑発混じりの声に、客席は即座に沸く。

「うおおおっ!」

「すげぇ!」

「こっち向いてくれー!」

 男たちの野太い歓声が一斉に重なり、涼鈴は楽しげに眉を上げた。

 ――おーおー、ずいぶん食いつきがいいねぇ。

 次に腰を軽く揺らせば鈴が鳴り、その動きに釣られるように客席の熱気も膨らんでいく。反応が分かりやすいのは嫌いではない。むしろ、どこを見て何を期待しているのかが透けて見えるぶん、からかいがいまである。

 十分に視線を集めたところで、司会から一芸を求められた。

「パフォーマンスか……」

 舞台上に用意されたスイカへ目を向け、涼鈴は少しだけ考える。先ほどのくろぴの演目を思い返せば、そのままスイカ割りに行くのは芸がない。

「スイカ割り……ネタ被りだな、ちょい捻るか」

 そう言うなり、涼鈴はスイカのそばへ歩み寄り、つま先を下へ差し込んだ。
 次の瞬間、大きな実が軽々と頭上高くまで蹴り上げられる。

 そのまま砕かれて割れるかと誰もが思ったが、涼鈴は落ちてきたスイカの勢いを足の甲で柔らかく受け止めた。

 ぽん、と弾んだ丸い実が再び宙へ浮かぶ。

「おっ?」

 客席がどよめく中、涼鈴は反対の足でもう一度打ち返した。
 そのままもう一度。さらにもう一度。

 巨大なスイカが、まるで蹴鞠かボールのように彼女の前で上下する。足の甲、膝、太腿と、落下位置へ正確に身体を合わせながら、絶妙な力加減で実を浮かせ続けるその足さばきは鮮やかだった。
 破壊するだけなら簡単だが、壊さずに操るとなれば話は別である。神域の腿法を誇る涼鈴だからこそ成立する曲芸だった。

「まだまだ行くぜ」

 高く浮いたスイカの下へ滑り込み、今度は肩で受ける。そこから生まれた軌道を追って身を返し、反対側へ流れた実を胸元でふわりと押し返した。

 その瞬間、客席の声が一段大きくなった。

「うおおおおっ!」

「今のやべぇ!」

「もう一回!」

 涼鈴は口元を吊り上げる。

 ――やっぱ胸でやった時が一番盛り上がるな、スケベ野郎ども。

 次に落ちてきたスイカも胸元で受けると、客席の一部から期待を隠そうともしない声が飛んできた。

「なんだよ。ポロリといくのを期待してやがるな~?」

 からかうように言えば、笑い声と歓声が入り交じって返ってくる。

 もちろん、そんな都合のいい見世物までしてやるつもりはない。見せるのはあくまで、自在な身のこなしと、鍛え上げた肉体そのものだ。

 涼鈴はスイカをさらに高く蹴り上げた。
 丸い実が頂点まで昇り、わずかな静止を挟んで落下へ転じる。

 その位置を見定めながら腰を落とし、軸足で舞台を踏みしめる。十分に引きつけたところで、しなやかな脚が横薙ぎの鋭い軌道を描いた。

 乾いた衝撃音が鳴る。

 蹴り抜かれたスイカは、刃物で断ったような綺麗な切断面を晒して二つに分かれ、そのまま左右へ落ちていった。

 一拍遅れて、会場全体が大きく沸く。
 拍手も歓声も、先ほどまでよりひと回り大きい。

 涼鈴は蹴り終えた脚を下ろし、何事もなかったように腰へ手を添えた。紅いビキニ姿のまま胸を張り、腰の鈴を鳴らしながら観客を見渡す。その表情には、見た目にも技にも揺るぎない自信を持つ者の余裕が浮かんでいた。

「どうだい。見惚れるだけじゃなく、ちゃんと覚えとけよ?」

 最後まで挑発的な笑みを崩さないまま、涼鈴は舞台の中心に立つ。

 殴り合いでなくとも、強さは示せる。
 華やかな水着姿で視線を奪い、曲芸じみた足技で観客を沸かせ、締めの一撃で鮮烈な印象を刻み込む。そんな彼女らしいやり方で、涼鈴はこの水着コンテストの一幕をきっちり自分のものにしていた。

第2章 ボス戦 『怪人48号』


 最初の水着審査とパフォーマンスが一通り終わる頃には、くろぴが抱いていた懸念は、もはや無視できない現実となっていた。

 舞台袖の壁際へ逃げ込むように移動し、頭を抱える。

「コンテスト参加者がEDENだらけなんだけど!」

 彼らが現れる可能性そのものは考えていた。こちらが人類駆除を企んでいる以上、妨害しに来ても不思議ではない。

 しかし、実際に蓋を開けてみれば想像以上の人数である。しかも襲撃してくるわけでもなく、皆して普通に水着を披露し、一芸まで楽しんでいるのだから意味が分からない。

「そうだねー」

「そうですね~」

 切羽詰まった声を上げるくろぴをよそに、少し離れたところでは、よつはときゃねるが並んで腰掛けていた。

 二人はそれぞれ、色鮮やかなかき氷を手にしている。
 よつはは匙で表面を崩し、すくった氷を涼しげな顔で味わう。きゃねるに至っては、今この場が戦場になりかねないという危機感すら見当たらない。

「落ち着き過ぎでしょ!」

 くろぴが振り返って訴える。
 敵になりうる相手が周囲に何人もいるというのに、この緊張感のなさは何なのか。
 そこで、きゃねるがまた一口食べたのを見て別の疑問まで浮かんだ。

「というか、きゃねるちゃんはまたスイーツ食べてるし!」

「夏の海は水分補給必須ですよ~」

「なんで水分補給でかき氷がチョイスされるの……」

 もっと普通に水やスポーツドリンクでいいはずなのだが、きゃねるから納得できる答えが返ってくる気配はない。

「それより~、もう諦めた方がいいんじゃないですかぁ?」

「うぐぐ……」

 のんびりした口調で突きつけられた正論に、くろぴは言葉を詰まらせた。

 これだけ√能力者が揃っている以上、全員がたまたまこの催しへ遊びに来ただけで、EDENたちとは無関係だと考えるのは無理がある。

 今のところ誰もこちらへ攻撃してこないものの、それは単に水着コンテストへ参加している最中だからだ。くろぴが本格的に人類駆除を始めれば、あの面々はこちらへ容赦なく牙を剥くだろう。

 ――これ、もう詰んでない?

 臆病な本性が、さっさと撤退しろと全力で訴えてくる。

 そんな彼女の姿を観察しながら、よつははかき氷の匙をくるくる回した。

「わたしなら戦う前にここにいる人たちを洗脳して、人質兼盾にできるけどなー」

「そんなことまで!?」

 くろぴが勢いよく振り返る。

 もちろん、実際には言葉ほど簡単な話ではない。
 よつはの影による干渉には条件があり、大勢を一度に好き放題操れるわけでもなかった。
 仕込みを進める途中でEDENたちに気付かれる可能性も高く、その時点で計画は崩れるだろう。

 ただ、ここで『無理』と正直に言えば、くろぴが人類駆除そのものを諦めかねない雰囲気だ。
 せっかく始まった夏の遊びを、途中で切り上げられるのは惜しい。
 だからよつは、まったくの嘘にはならない範囲で都合よく話を盛っておくことにした。

「むうう……そ、それなら……」

 くろぴは腕を組み、険しい顔で唸る。
 本心では逃げの一択だ。
 それでも、よつはが人類駆除へ協力する可能性があるのは今回だけ。これほど強力な怪人を味方へ引き込める機会など、次にいつ巡ってくるか分からない。

 危険ではある。
 けれど、まだ勝ち筋が完全に消えたわけではない――少なくとも、よつはの説明を信じるなら。

「……もう少しだけ、様子を見るからね」

 結局、くろぴは撤退ではなく続行を選んだ。

 よつはは何も言わず、かき氷をもう一匙すくう。
 きゃねるも隣で嬉しそうに食べ続けていた。

 この二人、本当に分かっているのだろうか。
 くろぴの不安だけは、少しも薄れなかった。

 ●

 水着審査を終えた参加者たちを待っていた次の種目は、砂浜を使ったビーチフラッグだった。

 スタート地点から二十メートル先まで一気に駆け抜け、用意されたフラッグを奪い取る。
 今回は参加人数に対してフラッグの本数が半分しかなく、他の挑戦者より早くたどり着けなければポイントは得られない。

 ただし、この大会らしく、普通のビーチフラッグとは一つ大きく違うところがあった。

「なんでうちの戦闘員が旗を持ってるの!?」

 くろぴの絶叫が砂浜へ響く。

「プレー!」

「レコー!」

 二十メートル先のゴール地点では、プレコ戦闘員たちが小さな身体で旗を抱え、ずらりと待機していた。

 参加者たちはそのプレコごと旗をゲットすることになるらしい。
 つい先ほどまで競技の内容を確認していたくろぴにとっても、完全な初耳だった。

「どういうことなの!?」

「ルギオくんの案で旗にイケ|衆《す》の宣伝を入れてもらいました~」

 きゃねるが悪びれもせず説明する。

「ホウレンソウー!」

 くろぴの叫びに、きゃねるは少し考えてから首を傾げた。

「ふぇ、おやさいはそんなに~……?」

「そっちのほうれん草じゃないから!」

 思わず突っ込んでから、くろぴは改めて旗を指差した。

「店があるのは√マスクドヒーローで、ここは√EDENでしょう? 普通のお客さんが興味を持っても、店までたどり着けないから!」

「……ああ、そういえばそうですねー」

 きゃねるは今になって気付いたように頷く。

「ルギオくんは今日の現場が√EDENって知りませんでしたー」

「なんで!?」

 休んでいるとはいえ、一度は現場について伝えていたはずである。

 つまりルギオは、仕事を休んで新作ゲームに夢中になっているうちに、今日の現場がどのルートにあるのかすら忘れてしまったらしい。

 それだけなら、まだ呆れるだけで済んだ。
 しかし今ここにいるのは、よりにもよって多数のEDENたちである。

「それより、EDENたちにアジトを突き止められて、乗り込まれる方がはるかに恐いからね!?」

 店名を掲げた旗を自分たちの戦闘員に持たせれば、敵側に拠点を探る手掛かりを自ら与えるようなものだ。
 しかも、きゃねるの話を聞く限り、現在の会場に敵が大量にいること自体、ルギオにはおそらく伝わっていなかったのだろう。

「レコォー!」

「プレェー!」

 当のプレコ戦闘員たちは、そんな事情など露ほども知らない。

 自分たちが組織の宣伝に貢献していると思っているのか、短い手足で旗を抱えながら、揃ってやる気に満ちている。つぶらな瞳まで誇らしげに見えてしまうあたりが余計につらい。

「ちょ、ちょっと待ってて! その旗はダメだから!」

「プレ?」

「レコ?」

 くろぴはゴール地点へ向かって駆け出した。

 これからビーチフラッグをする参加者より先に、主催側でもない怪人が全力疾走するという異様な光景に、周囲から何事かと視線が集まる。

「すみませーん! 運営さーん! 旗! 旗だけ普通のに替えてくださーい!」

 半泣きで訴えながら走ってくるくろぴを、プレコたちは不思議そうに見つめていた。

「やっぱり面白い|魚《ヒト》たちだねー」

 その姿を、よつはは手伝うわけでもなく観察する。

 人類駆除を企んでいたはずなのに、今や敵へアジトを宣伝しないため必死で大会運営へ頭を下げているリーダーの姿。
 少なくとも、この海へ来た時に想像していた人類駆除作戦とは、だいぶ違う方向へ進んでいることだけは確かだった。
見下・ハヤタ
レオン・ヤノフスキ

 自分の出番を終えたレオンは、次の競技まで少し時間があると知ると、七三子を連れて海の家へ向かった。

 水着コンテストを最後まで舞台袖で見守る必要はないし、このあとも競技へ参加するなら腹に何か入れておいた方がいい。そう判断して二人分の焼きそばを買い、今度は観客席側へ回ってステージを眺めることにした。

 ちょうどそこで登場したのが、紅いビキニに身を包んだ劉・涼鈴だった。

「うおぉ……。スッゲーなぁ! あのチャイナビキニの姉ちゃん」

 箸を止めたレオンの視線が、そのまま舞台上へ吸い寄せられる。

 大胆な水着姿で客席を煽ったかと思えば、次に始めたのは蹴り技を使ったスイカのリフティングだ。足の甲、膝、肩と受ける位置を変えながら、割らないだけの力加減で落下軌道を制御している。戦う側の人間なら、あの身のこなしに目が行くのも不自然ではない。

「いや、ヤラシイ意味じゃねぇぜ? 身のこなしと蹴り技がな?」

 誰から問い詰められたわけでもないのに、レオンは慌てて弁明を足した。

 蹴り技に感心しているのは本当なのだろう。では、下心が一切ないのかといえば、そこはかなり怪しい。

「ありゃ?」

 横から返事がない。
 顔を向けると、つい先ほどまで隣に座っていた七三子の姿が消えていた。焼きそばの容器もない。
 席を立つところすら見ていなかったあたり、レオンがステージへ意識を取られすぎていたのは間違いなかった。

 ――こりゃ、あとで絞られるパターンかね。

 呆れて先に離れたのか、別の用事ができたのか。本人がいない以上、答えは出ない。

 涼鈴の演目が終わり、焼きそばも食べ切った。それでも七三子が戻ってくる気配はなかった。

「おいおい、次の競技始まっちまうぜ。しゃあねぇ、ひとりで行ってくるか!」

 今回のレオンは、どちらかといえば七三子の付き添いに近い立場である。
 とはいえ次の種目はビーチフラッグ。水着姿の参加者たちが砂浜を一斉に駆け、自分もその中へ入れる。

 つまり、間近で水着美女たちを合法的に拝めるイベントだ。

 楽しむことまで任務に含まれているのだから、七三子がいないというだけで参加を取りやめる理由はない。そう都合よく結論づけたレオンは、焼きそばの容器を片付けて競技エリアへ向かった。

 そこで、自分が走る組を確認する。

「なんだ野郎どもが相手かよ」

 見渡してみれば、同じレースに並ぶのは全員男だった。

 本来、純粋な肉体勝負で男女混合という方が無茶なのだろう。だが今回は√能力者が多く、能力や身体強化まで絡めば性別による差など簡単に吹き飛ぶ。

 理屈としては分かる。
 気分としては、かなり違う。

「まあいい、ぶっちぎってやるぜ!」

 とはいえ、だ。対戦相手が誰だろうと、負けてやるつもりはない。レオンは自信満々にスタート地点へ進み、他の参加者と並んで砂浜へうつ伏せになった。

 ●

 見下・ハヤタくんは、見下さんちで暮らしている黒柴の仔犬です。

 まだまだ小さなハヤタくんですが、ときどきおうちの外が気になって仕方なくなってしまいます。そういう日は、ちょっとした隙を見つけて、ひとりで冒険へ出かけてしまうのでした。

 今日は人の姿に変わっています。

 見た目は小さな男の子で、髪は仔犬だった時と同じような黒。頭の上には三角形の犬耳が残り、後ろ髪は長めに束ねられています。

 服装は意外にもきちんとしています。濃い色のジャケットに白いシャツ、首元には黒いリボンタイ。
 けれど、その格好であちこちを見回している姿は、どう見てもお行儀よくお出かけ中というより、知らない場所へ入り込んだ子供そのものです。

「わん! わうー。くうん」

 人の姿でも、声はわりと犬のままでした。

 もちろん、おうちの人に見つかれば心配されますし、帰ったあとには怒られてしまいます。でも、いつもなら大騒ぎになる前にきちんと帰ります。
 ハヤタくんは賢いのです。

 今日も気の向くまま、知らない場所を探検していました。

 海があります。
 砂浜があります。
 知らない人がたくさんいます。

 まだ小さなハヤタくんにとって、お外には知らないものがいくらでもあります。右を見ても面白そう。左を見ても知らないもの。少し進めば別の匂いがして、またそちらが気になってしまいます。

 そんな途中で、鼻が知っている匂いを拾いました。

 ――ご主人のにおい! どこかな。

 七三子さんの匂いです。

 ハヤタくんは立ち止まり、鼻先を少し上へ向けてくんくんと探し始めます。
 こういう時のハヤタくんは迷いません。匂いの濃くなる方を選び、短い脚でてくてく進んでいきます。

 やがて、人混みの向こうに見慣れた赤い髪がありました。

 でも、ご主人ではありません。

 ――あ! あの赤いおにーさんは、ご主人のご主人!

 ハヤタくんもよく知っている人です。

 ところが、その赤いおにーさんは七三子さんではない女の人を見て、たいそう楽しそうな顔をしていました。

 ハヤタくんは考えます。
 これは、たしか良くないやつです。

 ――ああいうときはどふってしないと!

 七三子さんのお父さんから、そう教えられていました。

 浮気男死すべし。慈悲はない。

 ようし、やるぞー。
 ハヤタくんは赤いおにーさんの後を追いかけました。

 ところが、すぐにはどふっとできません。

 赤いおにーさんは何人かの男の人たちと一緒になり、決められた場所へ並びました。
 みんな水着で、前の方には小さな旗もあります。何をするのかはよく分かりませんが、何か特別な遊びが始まるらしいことくらいはハヤタくんにも分かりました。

 そして、みんな一度その場へ寝そべります。

 少し待ちます。
 合図が鳴りました。

 すると、全員がいっせいに走り出したのです。

 ――たのしい! ぼくも入れて!

 どふっ、はどこかへ行きました。

 誰かが走っているなら、自分も一緒に走りたい。今のハヤタくんにとっては、そちらの方がずっと大事です。

 黒い犬耳をぴんと立て、人の姿のまま砂を蹴ります。小さな身体なのに足は速く、ハヤタくんは前を走る人たちを目指して、夢中で駆けていきました。

 ●

 合図と同時に飛び出したレオンは、数歩で先頭へ出た。

 砂浜は踏み込むたびに足が沈み、硬い地面ほど素直に力を返してくれない。とはいえ、条件は全員同じだ。前へ出た時点で、あとはこの差を維持すればいい。

「へへっ、大したこたぁねぇなぁ。こりゃ楽勝かねぇ」

 ゴールまで残り半分を切っても、左右に人影はない。

 だが、背後の音がおかしい。

 他の参加者より細かい足音が、一つだけ明らかな速度で距離を詰めてきている。しかも軽く滑らかだ。

 ――なんだ!? 後ろからすげぇ追い上げられてるような……。

 振り返れば速度が落ちる。なら耳だけで位置を測る。

 さっきより近い。
 さらに背後から、妙に強い|圧《プレッシャー》まで迫ってきた。

「くそっ、負けるか! うおおおっ!! オラァッ!!!」

 レオンは歩幅を広げ、残していた余力まで加速へ回した。

 ゴール地点では、プレコ戦闘員が旗を持って待っている。狙うのは一番近い一本。残り数メートルまで入ったところで上体を前へ倒し、その勢いのまま砂浜へ飛び込んだ。

 右手が旗を掴む。

「っしゃあっ!! 見たかよ……おぉっ!?」

 頭上を黒い影が越えた。

 何かがレオンの背中側から飛び出し、そのまま手元へ落ちてくる。掴んだはずの旗が横へ引かれた。

「は?」

 顔を上げる。

 少し先の砂浜へ着地していたのは、小さな黒柴の仔犬だった。

 黒い毛並みに、白く丸い眉のような模様。口元から胸、足先にかけては白く、首には深い緑色の布が巻かれている。
 くるりと巻いた尻尾まで含めて、見間違える余地はない。

 そして、その口にはレオンが取ったはずの旗がしっかり咥えられていた。

「なにすんだハヤタ! 返せこの……!!」

 知っている犬である。
 ということは、途中から背後へ迫ってきていた正体も、おそらくこいつだ。

 レオンが起き上がって手を伸ばすと、ハヤタは旗を咥えたまま首を横へ振った。

「おい、返せって!」

「うー……!」

「唸んな! 俺が取ったやつだろそれ!」

 引けば引くほど、ハヤタの顎にも力が入る。

 どうやら本人としては、自分も一緒に走った以上、これは自分が取った旗だと言いたいらしい。少なくとも、返す気だけはまったくない。

 そこへ笛が鳴った。
 係員がこちらへ駆け寄り、レオンとハヤタ、それから旗を順番に確認する。

 判定は早かった。
 犬を使った協力行為は反則。よってレオンは失格。

「ちげぇって!!」

 即座に抗議したが、状況だけ見ればかなり悪い。

 ゴール直前まで一人で走っていた男のところへ、知り合いの犬が乱入し、最後はその犬が旗を奪った。
 本人が頼んでいないとしても、外から見れば協力プレイにしか見えない。

「勝手についてきただけだって! つーか俺の旗取られてんだけど!?」

「わう!」

「ほら、返せって!」

「うー!」

「だから何で俺に怒ってんだよ!」

 説明すればするほど、ハヤタとの知り合い感だけが強くなっていく。

 係員の判断は覆らなかった。

 ●

 よつはは少し離れた場所からレースを眺めつつ、時々その周囲へも目を走らせていた。

 探しているのは七三子だ。
 ただし、先に見つかったのは別の顔だった。

「あれは、なみこちゃんのロクデナシ彼氏……!」

 赤髪のレオンである。

 先ほどの水着コンテストでも、女性陣から黄色い声を浴び随分と楽しそうにしていた。あれを見たせいで、よつはの中における評価はかなり下がっている。

 そのレオンが、今度はビーチフラッグで先頭を走っていた。

 スタート直後から前へ出て、後続との差も徐々に広げていく。

 このままなら、もう勝負は決まったか。
 そう考えかけたところで、最後尾近くから妙な動きが見えた。

 小さい。
 他の参加者より頭一つどころではなく低い位置を、幼い子供が走っている。

「犬耳のちっちゃいなみこちゃん!? かわいい!」

 よつはの注意がそちらへ移った。

 黒い髪に大きな犬耳。戦闘員の正装に近い格好も、昔の七三子を思わせる。何より、その顔立ちまでよく似ていた。

 他人の空似で片付けるには、かなり気になる。

 その子供は一人を抜き、続けてもう一人の横を通り過ぎた。小柄な身体のどこからあれだけの速度が出るのかと思うほど速い。
 腕を振り、短い歩幅を高い回転数で補いながら、先頭との差をみるみる削っていく。

 レオンも途中で気づいたらしい。残りの距離へ入ったところでさらに加速し、そのままゴールへ飛び込んだ。

 先に旗へ手を掛けたのはレオンだ。
 だが、ほぼ同時に後ろの子供も跳んだ。

 空中で、その姿が変わる。
 黒い髪も、小さな身体も、ジャケットも消えた。代わりに現れた黒柴の仔犬が、レオンの上を越えて旗へ飛びつく。

「え、何がどうなってるの?」

 よつはの理解が一拍遅れた。

 子供が走っていた。
 途中で犬になった。
 しかもレオンは名前まで知っている。

 状況を整理しているうちに笛が鳴り、係員から反則が告げられた。
 レオンはすぐ抗議を始めたが、旗を咥えた仔犬がすぐ隣にいるせいで説明にはかなり説得力がない。

 結局、レオンは失格。
 そして黒柴も、耳を伏せてしょんぼりしていた。

 正確には、あの仔犬は最初から参加者ではない。だから失格ですらないのだが、おそらく本人にはそこまで分かっていないようだ。

「プレー……」

 旗を持っていたプレコが、落ち込むハヤタのそばへ寄っていく。
 短い腕が伸び、黒い頭を撫でた。

「わう?」

 ハヤタが顔を上げる。
 もう一度撫でられると、今度は自分からプレコへ寄り、鼻先と頬を押しつけるように擦りついた。
 プレコも嫌がる様子はなく、そのまま両腕で小さな身体を抱える。

「プレプレー!」

「わんわんっ!」

 ハヤタの前脚がプレコの肩へ乗り、抱かれたまま尻尾を振る。プレコも負けじと身体を揺らし、気づけば二匹はさっきまでの競技など忘れたようにじゃれ合っていた。

「|プレコ《ちっちゃい子》が|仔犬《ちっちゃい子》を抱っこしてる!」

 七三子に似た子供が犬へ変わった件は、まだ何も解決していない。

 けれど今は、それより目の前の組み合わせの方が強かった。
 よつはは二匹のそばまで近づき、しゃがんで目線を合わせる。

「ねえ、写真撮って良い?」

「プレ? プレー!」

 プレコが両腕を上げるように反応し、その中でハヤタも一度首を傾けてから、

「わう……わんっ!」

 元気よく吠えた。
 少なくとも、嫌だとは言っていない。そういうことにする。

「ありがとう!」

 よつははスマートフォンを取り出し、カメラを起動した。

 最初の一枚は、プレコに抱えられたハヤタが正面を向いたところ。次はハヤタが顔を寄せ、プレコの頬へ鼻先をくっつけた瞬間。
 少し離れたと思えば、今度は尻尾を振りながらまた寄っていくので、そのたびによつはの指がシャッターボタンを押す。

「プレー!」

「わんっ!」

「もう一枚! あ、そのまま、そのまま!」

 二匹にポーズを取っている意識などない。だからこそ、同じ構図にはならなかった。

 抱き上げられて前脚をばたつかせるハヤタ。
 そこから降りて、今度は自分からプレコの横へ座るハヤタ。
 プレコが真似するように身体を寄せれば、黒柴の巻き尾が忙しなく左右へ動く。

 よつはは画面を確認する暇も惜しみ、次々に撮っていった。

 少し後ろでは、レオンがまだ係員へ失格の取り消しを訴えている。

「だから俺が呼んだんじゃねぇって! なあハヤタ、お前からも何か――って聞いてねぇし!」

 当のハヤタはもう競技のことなど忘れ、プレコと遊ぶのに夢中だった。
 よつはもそちらへは振り向かない。

「かわいい……! ね、今度はこっち向いて!」

「プレ!」

「わん!」

 返事だけは妙に息が合っている。
 シャッター音がまた続いた。

飴澤・茲
小明見・結

 まだ日は高く、砂浜には短い影が落ちていた。

 飴澤・茲は片手を額の前へかざして直射日光を遮りながら、いったん空を見上げる。シンプルな黒いビキニの上からTシャツを羽織り、裾は腹の前で結んでいる。
 髪もポニーテールにまとめてあり、泳ぐにも走るにも邪魔にならない格好だった。

「太陽は上、影は足元……大丈夫」

 確認しているのは天気ではない。

 以前、よつはと一戦交えた時に知った影の力が頭にある。茲は自分の足元から伸びる影の向きと長さを見て、少なくとも今すぐ妙な位置から何かされる状況ではないと判断した。

 警戒はする。
 でも、それで遊びに来た意味までなくすつもりはない。

 茲は周囲を見回し、目的の相手を見つけると、そのまま気軽な足取りで近づいていった。

「洞窟ぶりのおひさー」

「ん……あなたも来てたんだ」

 返事だけはあったが、よつははほとんど顔を上げなかった。

 プレコに抱かれた黒柴の仔犬へスマートフォンを向け、角度を少し変えては何枚も撮っている。今は茲より、画面の中の二匹の方が重要らしい。

「そうだよー。よつはさんは何番目に走るの?」

「……あっ」

 そこでようやく、よつはの指が止まった。

 茲も止まる。
 数秒見つめる。

「なにその忘れてたって顔」

「わたしは……撮影で忙しいから」

 言い方だけ聞けば、最初からそう決めていたようにも聞こえる。

 ただ、今の「あっ」を聞いたあとでは無理がある。実際、よつはは再びカメラを構え、何事もなかったように撮影へ戻ろうとしていた。

 この調子なら次の走者という可能性が高そうだ。そして放っておけば、競技そのものを忘れたふりで最後までここに居座りかねない。

「浜辺のエンジョイスポーツといったらこれでしょ。次のレースはもうすぐだから、ほらほらいくよー」

「あっ……まだ撮ってるのに……!」

「後でもできるでしょ」

 茲はよつはの肩を掴んだ。
 拒否の言葉が続くより先に方向転換させ、そのまま競技エリアの方へ押していく。よつはも本気で抵抗しているわけではないらしく、足だけはちゃんと前へ出た。
 強引グマイ・ウェイである。

「プレー」

「わんっ!」

 後ろから声が飛んできた。

 プレコが短い腕を振り、その隣ではハヤタも尻尾を揺らしながら一声吠えている。見送られていると気づいたよつはは一度だけ振り返り、名残惜しそうにスマートフォンを持った手を上げた。

「あとでまた撮るからねー!」

「ほら、前見てー」

「分かってるよぉ……」

 分かっている人間の歩き方ではない。
 茲は肩から手を離さず、そのままよつはを連れていった。

 ●

「すごいわね、茲さん……」

 小明見・結は少し後ろからその様子を見て、思わず呟いていた。

 自分も、よつはへ声を掛けるつもりではいた。

 水着審査が終わってから何度か機会を探していたが、よつははくろぴたちと一緒にいるか、どこかへ移動して姿が見えなくなるかのどちらかだった。
 ようやく一人に近い状態で見つけたと思えば、今度はプレコと仔犬の撮影に夢中である。

 あれはあれで入りづらい。
 何より、結にとっては単に久しぶりの知人へ声を掛けるだけのことではなかった。

 和解したい。
 話もしたい。

 それでも以前、命の奪い合いまでした相手であるという事実は変わらないのだ。
 こちらが声を掛ければ、よつはがどう受け取るのか。名前を呼ぶところまでは想像できても、その次の一言がなかなか決まらなかった。

 茲には、そういう迷いが見当たらない。

 まるで友達感覚で声を掛け、競技の順番を聞き、忘れていると分かれば肩を掴んで連れてくる。

 早い。
 あまりにも早い。

 結が頭の中で何通りか会話を組み立てている間に、全部終わっていた。

「プレコちゃん旗持っててえらいねー!」

 しかも茲は、レース場へ着くなり別のものへ興味を移した。

 正面のゴール地点では、プレコ戦闘員たちが旗を持って待機している。茲が大きく手を振ると、そのうち一匹が旗を左右へ振った。

「もしや私に旗振り返してくれてる!? きゃわー♪」

 結も同じ方向を見る。

 応えているように見えなくもないが、むしろ単に持っている旗を振っているだけにも見える。

 判断はつかない……そういうことにしておこうと思った。

 ――怪人さんが旗を持っているのね。この状況でも騒ぎになっていないあたり、なんというか、寛容ね。

 普通なら、怪人が競技運営へ混ざっている時点で止められそうなものだ。
 それが成立しているということは、事情を理解した√能力者がスタッフ側にもいて、現場が混乱しないよう何かしら調整しているのかもしれない。

 確証はない。
 ただ、今のところ誰も困ってはいなさそうだった。

 スタート地点まで来ると、よつははまだ少し不満そうな顔をしていた。それでも帰ろうとはせず、スタッフの説明を聞いている。連れてこられた以上は走る気らしい。

 その隣で、茲が身を乗り出すようにしてコースを眺め始めた。

 正面だけではない。
 左右へ少し位置をずらし、砂の表面まで見ている。

「どうしたの?」

 結が聞くと、茲は視線をコースへ残したまま答えた。

「あーっと……落とし穴がないか、念のためのチェック」

「落とし穴?」

「プレコちゃんの得意技? みたいな感じだから」

「そうなのね」

 結はゴール地点のプレコたちを見る。
 あの小さな身体で砂を掘り、参加者を落とそうと頑張っているところを想像すると、少し微笑ましい。

 ――というか、茲さんはプレコちゃんとも戦ったことがあるのかしら。

 口ぶりだけなら、かなり具体的に知っている。彼女にとっては、よつはだけが因縁の相手ではないのかもしれない。

 茲はしばらく砂浜を確認したあと、身体を戻した。

「うん、大丈夫そう!」

 問題なしらしい。

 ずいぶん余裕がある。対して結は、そもそもビーチフラッグ自体が初めてだった。

 足の速さに自信があるわけでもないし、競い合って相手を負かすことに強い意欲があるわけでもない。周囲を見れば、茲もよつはも自分よりずっと走れそうに見える。

 ――全力は尽くしましょう。

 今のところ、それ以上に考えることもなかった。

 ●

 開始時刻が近づき、スタッフから位置につくよう指示が出る。

 結は他の参加者と並び、砂浜へうつ伏せになった。

 顔のすぐ横に砂がある。
 手をつけば少し沈む。

 普段走る地面とは条件が違う。それだけでも、スタートの動きをどうすればいいのか迷う要素は増えた。

 ――とにかく、スタートで出遅れないこと。それと砂に足を取られてバランスを崩さないこと。

 他にも気をつけることはあるのだろう。

 でも、今から全部考えても仕方がない。
 合図を聞いて、起きて、走る。それだけは間違えない。

 スタッフが手を上げた。

 結の肩へ力が入り、即座に合図が鳴った。
 両腕で砂を押し出すように、上体を起こす。片足を前へ入れ、そのまま走り出した。

 差は、すぐに出た。

「はやっ!」

 よつはの声が前方から聞こえる。

 トップへ出たのは茲だった。
 起き上がってから加速へ移るまでが早い。数歩のうちに前へ抜け、そのまま速度を上げていく。

 二番手にはよつはが続いた。
 少女にしか見えない体格だが、そこは怪人である。砂へ足を取られている様子もなく、茲を追っている。

 結は最後の四番手だった。

 スタートで転びはしなかったし、足ももつれていない。
 ただ、走ってみて初めて分かった。

 踏んだ砂が逃げる。
 普段と同じように後ろへ蹴ろうとすると、足裏の砂まで一緒に崩れ、力の一部が前進へ使われない。
 慎重に走っている分だけ転倒は避けられているが、それだけでは順位は上がらなかった。

 結は前を見る。

 茲。
 その後ろによつは。

 二人の走り方を比べると、違いが目についた。

 茲は地面を後ろへ強く蹴っていない。
 足をほぼ真下へ落とすように踏み込み、接地したらすぐ次の脚へ切り替えている。歩幅そのものは大きくない。その代わり、動作の回転が速かった。

 ――真下に踏む……?

 試しに一歩だけ真似る。

 違った。
 後ろへ蹴った時より、足元の砂が崩れにくい。推進力の逃げ方が小さくなった分、身体が素直に前へ出る。

 結は次の一歩でも同じように踏み、腕の振りと歩幅を合わせていく。

 すぐ茲のように走れるわけではない。
 それでも、さっきよりはいい。

 フォームを調整しながら前を追う。
 ただし、気づいた時にはもう遅かった。

「よーしっ!」

 前方で茲がさらに一段速度を上げた。

 結がコース半ばへ差しかかるより早く、茲はゴール手前で身体を前へ倒し、そのまま砂浜へヘッドスライディングする。

「プレー!?」

 旗を持っていたプレコごと抱きしめた。
 一本目、確保。

 そのすぐ後ろからよつはも到着し、残っていたもう一匹のプレコへ手を伸ばす。旗だけを抜き取るのではなく、こちらもプレコごと抱え上げた。
 そうして二本目もなくなった。

 四人に対して旗は二本。これで勝負は決まりである。

 ――やっぱり、付け焼き刃だけじゃ追いつけないわね。

 だからといって、結は速度を落とさなかった。

 すぐ前には三番手の参加者がいる。

 勝利はない。
 でも、走るのをやめる理由にもならない。

 真下へ踏む。すぐ次の脚へ切り替える。

 さっき覚えたばかりの走り方を崩さないよう意識しながら、少しずつ差を詰めていく。

 ゴールは近い。
 三番手の肩がすぐ横まで来た。

 結は最後の数歩で腕の振りを強め、そのまま前へ出る。

 ゴール寸前。
 半歩。
 さらに一歩。

 そこで相手より先へ出た。

 旗はもうない。
 順位も勝敗には関係しない。

 それでも結は三番手でゴールラインを越え、数歩先まで走ってからようやく速度を落とした。

 呼吸が荒い。膝へ手を置きたくなるのを我慢して顔を上げると、先に着いた二人はもう別のことをしていた。

「はー、ほんときゃわいい……」

 茲は捕まえたプレコを両腕で抱きしめ、頬を寄せてすりすりしている。

「プレー、プレー!」

「プレコちゃんゲットの記念撮影」

 その横では、よつはがもう一匹を抱きかかえたままスマートフォンを構えていた。
 さっきハヤタとプレコを撮っていた時と同じ調子で、自分も画面へ入るよう角度を調整している。

「……二人とも元気ね」

 結は乱れた呼吸を整えながら、その様子を眺めた。

 こちらは砂浜を全力で走った直後なのに、茲はもうプレコを愛でる方へ頭が切り替わっている。よつはも競技前には撮影に夢中で参加を忘れていたくせに、旗を取った後は取った後で楽しそうだった。

 背後から、小さな足音が近づいてくる。

「レコー?」

 振り返ると、近くにいたプレコが一匹、結のそばまで来ていた。
 少し顔を上げ、結を見上げている。

「心配してくれたの? ありがとう、私は大丈夫よ」

「れこれこー」

 返事の意味は分からない。
 ただ、逃げる様子もなかったので、結は手を伸ばして頭を撫でてみた。

 プレコは逃げず、むしろ手のひらへ少し頭を押しつけてきた。

 どれだけ可愛らしくとも怪人である。
 少なくとも、本来なら警戒する相手ではあるのだろう。

 でも今は競技場にいて、負けた自分のところまで来て、こうして頭を撫でられている。
 結はそのまま、もう一度、ゆったりとした手つきでプレコの頭を撫でた。

 ――平和に仲良くできるなら、それでいいわよね。

 少し離れたところでは、茲がまだ「きゃわー」と言いながらプレコを抱きしめ、よつはは自撮りの角度に悩んでいる。

 こちらのプレコは、結の手の下で気持ちよさそうに目を細めていた。

エレノール・ムーンレイカー

 人類駆除を目的とする魚人系の悪の組織、アクアインベス。

 エレノール・ムーンレイカーも、事前にはそう聞いていた。
 名前と目的だけを並べれば、ずいぶん物騒な集団である。人類そのものを敵視し、駆除を掲げて活動しているのだから、普通に考えれば笑って済ませられる相手ではない。

 しかし、実際にこの海へ来てから見てきたものは、その前提と妙に噛み合わなかった。

 ――何と言いますか、人類駆除を掲げている悪の組織のわりに、なんか微笑ましいというか……。悪っぽさがないというか……。

 部下は勝手に動き、別の部下は食を楽しみ、プレコ戦闘員たちは競技へ参加している。
 組織としてまとまっていないわけではないのだろう。しかし、少なくともエレノールが想像していたような、幹部の命令一つで全員が整然と動く悪の秘密結社ではなかった。

 良く言えば、アットホームな職場である。もっとも、悪の組織に対する評価として考えれば、かなり致命的な褒め言葉かもしれない。

 そして、その中でも一番振り回されているように見えるのが、リーダー格のくろぴだった。何か問題が起きるたびに声を上げ、部下にツッコミを入れ、予定外の事態へ対応している姿を見ると、敵であるという前提を忘れそうになる。

 ――なんか少しだけ、くろぴさんが不憫に思えてきちゃいましたね?

 トップダウンで動く悪の組織、という典型的なイメージは完全に瓦解している。

「さて、それはともかくとして……次はビーチフラッグですか」

 案内されたコースを見ると、ゴール地点には旗を持ったプレコたちが待っている。あそこまで走り、他の参加者より先に旗を取ればいい。ルール自体は単純だった。

 エレノールがスタート地点へ向かうと、ほぼ同じタイミングでもう一人の参加者がやってくる。

 くろぴだった。

 先ほどまで少し気の毒に思っていた相手ではある。だが、近くで向き合えば印象は変わった。

 くろぴはこちらを見ているというより、明らかに睨んでいる。警戒を隠す気もないその視線には敵意があり、少なくとも競技相手として気軽に笑い合うつもりはなさそうだ。

 ――やはり怪人、なのですね。

 あの組織の緩さと、彼女自身の立場は別である。人類駆除を掲げている以上、こちらから一方的に親しみを持ったところで、それだけで和解できるわけではない。

 ならば、競技では全力で迎え撃つ。
 エレノールはくろぴへ向けて、あえて笑みを作った。

 こう見えても、速度には自信がある。

 ――見ていてください!

 ●

 エレノールの笑顔を真正面から受けたくろぴは、向こうが想像している胸中とはかけ離れていた。

 ビーチフラッグなど、やったことがない。
 スタートの姿勢も、砂浜でどう走れば効率がいいのかも、最後にどこまで身体を投げ出せばいいのかも分からない。説明は聞いたが、それだけで経験者と同じように動けるなら苦労はしない。

 しかも、優勝を目指すなら逃げるという選択肢は最初からなかった。

 本来のくろぴは、危険を感じたら隠れ、必要なら先に逃げることで生き延びてきた怪人である。その性質からすれば、周囲にEDENたちが何人もいる今の環境は、競技以前にかなりつらい。

 そんな中、近くにいたEDENの一人へ目が行った。
 エレノールである。

 警戒したまま、つい睨むような視線を送ってしまったのだ。

 すると相手は、余裕のある笑顔を返してきた。

 ――なんで笑うの!?

 何を考えているのか分からない上に、自信までありそうに見える。つまりビーチフラッグにも慣れている可能性があるわけで、こちらが初挑戦であることまで含めれば、嫌な材料しか増えていかない。

 それでも、自分は怪人なのだ。
 普通の人間より高い身体能力はある。相手がEDENだからといって、何でもかんでも怪人より上とは限らない。

 ――勝てるはず。勝てるよね? お願いだから誰か勝てるって言って。

 もちろん、誰も言ってくれないままスタートの指示だけが来た。

 逃げたい。でも逃げられない。
 くろぴは砂浜へ伏せながら、両手に力を込めた。

 ●

 開始の合図が鳴る。

 エレノールはほぼ同時に身体を起こし、一歩目から強く前へ出た。
 競泳水着は余計な布がなく、腕も脚も動かしやすい。さらに砂浜そのものにも対応できるよう足運びを調整していたため、踏み込みで大きく滑ることもなかった。

 後ろへ蹴りすぎれば砂が逃げる。
 なら接地時間を短くし、あえて体重を乗せて踏みしめる。地盤を固めたらすぐ次の脚へ。
 地形に適応した走り方を、エレノールは即座に編み出した。

 ――これなら勝てる。

 そう判断した直後、背後から声が飛んできた。

「こんのおおおぉぉお!」

 叫びというより、ほとんど雄叫びだった。

 エレノールは振り返らない。それでも足音は聞こえ、しかも近い。

 技術的な走り方をしている感じではないが、一歩ごとの出力が強い。多少砂へ力を逃がしながらも、その損失ごと身体能力で押し切って距離を縮めてくる。それが音から嫌でも伝わってきた。

 ――なるほど。技術と戦略を、スペックで埋めてきますか。

 流石は怪人だった。少しでも速度を緩めれば、その差はすぐ消える。

 エレノールは前だけを見る。

 ゴール地点のプレコまで、もう遠くない。旗は複数あるが、今狙っているのは正面にいる一匹で、そのまま最短距離を走ればいい。

 背後の足音はさらに大きくなっている。

 ――油断しない。ここまで来て負けたくない。

 それでも、別の感情が頭の端へ出てくる。

 怖い。

 すぐ後ろから怪人が全力で迫っているのだ。少し前まで「不憫ですね」などと思っていた相手でも、本気で追われれば話は別である。
 彼女もまた、本質は強い人間ではない。いつでも心から恐怖を追い出すのは難しい。だからこそ気を抜かず、なおさら前だけを見る。

 エレノールは腕の振りを強め、歩幅を崩さない範囲で速度を上げた。

 ゴールまで残り数メートル。プレコが旗を抱えたまま、こちらを見ている。

「プレー!」

 あと二歩まで迫ったところで、視界の端へくろぴの横顔が入った。

 追いつかれた。

 完全に並ばれたわけではないが、手を伸ばせば同じ旗へ届きかねない距離まで来ている。残された時間は一秒もなく、その半分すら惜しかった。

 エレノールは躊躇せず前へ飛び込み、両腕を伸ばして最も近いプレコごと抱える勢いで砂浜へ滑り込む。

「プレッ!?」

 伸ばした手が旗へ届き、そのまま掴んだ。

 同時に、すぐ横でも砂が大きく跳ねた。

「やああぁっ!」

 くろぴも飛び込んでいた。

 ただし、狙った先はエレノールと同じプレコではない。最後の一歩で進路をわずかにずらし、隣にいた別のプレコへ向かっていた。
 正面の一本を奪い合うより、空いている方を確保する安全策を取ったようにエレノールには見えた。

 結果として、先に旗を取ったのはエレノール。そのすぐ後に、くろぴも隣の旗を掴んだ。

「……っ、はぁ……!」

 砂浜へ伏せたまま一度呼吸を整えると、ようやく勝ったという実感が追いついてくる。ただし、余裕を持って押し切った勝負ではなかった。

 最後に横へ逸れたくろぴの動きを思い返す。

 ――もし、彼女が安全策を取らず、そのまま同じ一本へ飛び込んできていたら……。

 結果は分からない。少なくとも、勝ったと理解して安心する暇などなかっただろう。

「プレー?」

 腕の中から声がして、エレノールはまだ自分がプレコを抱え込んだままだと気づいた。

「あ、ごめんなさい。大丈夫でした?」

「プレ!」

 元気な返事が返ってきたので、どうやら問題はないらしい。

 エレノールは上体を起こし、手にした旗を確認してから、改めてプレコを両腕で抱き直す。

「ふふっ。頑張った甲斐がありましたね」

「プレプレー!」

 僅差だった勝負について考えるのは、ひとまずここまででいい。

 せっかく手に入れた勝者の特典なのだから、今はそちらを楽しむ方が先だった。エレノールは満足そうに笑い、腕の中のプレコを存分に堪能し始めた。

劉・涼鈴
エアリィ・ウィンディア
椎宮・紫水

 初めて見るビーチフラッグという競技に、エアリィ・ウィンディアはすっかり興味を引かれていた。

「なんか楽しそうな競技? だね」

 砂浜へうつ伏せになって待ち、合図が出たら起き上がって、離れた場所に用意された旗を先に取る。
 先ほどまでのレースを見ていたので大まかな流れは理解しているものの、何をしてよくて何が禁止なのかとなると、まだ少し怪しいらしい。

「うーん、√能力は使えないようだねぇ」

 隣では椎宮・紫水が、係員から渡されたルールリストへ一通り目を通していた。

 能力による加速や妨害はなし。あくまで参加者自身の身体能力で走り、用意された旗を奪う競技である。
 つまり、紫水は得意の式神を使えず、エアリィも精霊の力を借りて有利を取ることはできない。

 ――となると、自前の体力で走るしかないか……。

 紫水が読み終えて顔を上げると、エアリィはまだコースを眺めながら、何か使えそうな手がないか考えているようだった。

「えーと、えーと……」

「エアリィ嬢? 飛んじゃだめだよ?」

「やっぱり?」

 先回りして釘を刺され、エアリィは少しだけ肩を落とした。

 空中へ逃げれば砂の抵抗を受けずに済むので、考えること自体は分からなくもない。しかし、それを認めれば競技の前提が崩れてしまう。

「それなら……」

 エアリィは足元の砂を靴先で軽く押し、踏み込んだ時にどれくらい沈むのか確かめてから、もう一度ゴールの方へ視線を戻した。

 どうやら方針は決まったらしい。

 ●

 自分の組が呼ばれると、エアリィはスタート地点へ向かう途中で観客側を振り返った。

 紫水は最前列にいる。それは彼女に、勇気と安心感を与えてくれた。

「紫水さん、見ててねー♪」

 片腕を頭の上まで上げ、ぶんぶんと大きく振る。

「もちろん! 頑張って、エアリィ嬢!」

 声援を受けたエアリィは満足そうに笑い、他の参加者と並んで砂浜へうつ伏せになった。

 さっきまで考えていたことは、もう頭の中でまとまっている。

 使えるのは自分の脚と、今まで身につけてきた身体の使い方だけ。なら、その範囲で一番速い形を選べばいい。

 係員の合図が鳴った。

 両手で砂を押して上体を起こし、そのまま一歩目へ繋げる。そこからの加速の仕方は、これまで走ってきた参加者たちとはかなり違っていた。

 ――飛べないなら、地面の上で速く走る!

 正面へ大きく脚を出して後ろへ蹴るのではなく、身体を低く保ったまま左右へ踏み込み、スピードスケートの選手のように切り返しながら前へ進んでいく。

 一歩ごとの幅はそこまで広くない。その代わり、砂へ足を取られる前に接地を終え、次の踏み込みへ素早く移る。

「おおっ!」

 紫水が思わず身を乗り出した。

 独特な走法ではあるが、加速力は確かだった。最初の数歩で前へ出ると、エアリィはそのまま他の参加者との差を広げていく。

 ゴール地点のプレコが近づいてきた。

「プレー!」

 旗までもう少し。
 エアリィは最後の踏み込みで重心を一段落とし、そこから前へ脚を運ぶ代わりに身体そのものを水平方向へ投げ出した。

 両腕を伸ばし、砂浜すれすれを飛ぶ。

「にゃーんっ!!」

 掛け声と同時に手が旗へ届き、そのままプレコごと抱え込むように砂浜へ滑り込んだ。

 後続が追いつくより早く身体を起こすと、エアリィは手に入れた旗を高く掲げる。空いた方の手は顔の横で軽く曲げ、そのまま猫の前脚を真似たポーズまでつけてみせた。

「やったーっ!」

 ひときわ高い歓声と拍手が彼女に降り注ぐ。
 文句なしの一位だった。

 ●

「おー! さすがエアリィ嬢」

 紫水は拍手しながら、こちらへ戻ってくるエアリィを迎えた。

 最初の加速も見事だったが、特に印象に残ったのは最後の飛び込みである。
 低い姿勢から一気に身体を投げ出し、迷わず旗へ手を伸ばした一連の動きは、あまりにもエアリィらしかった。

「軽やかなにゃんこが獲物を獲るが如く……狩りかな?」

「えへへー、勝てたよー!」

 エアリィは旗と一緒に獲得したプレコを両腕で抱えながら、とてとてと紫水のところまで戻ってくる。

 抱えられたプレコも元気にしているので、今の比喩については深く追及しない方がいいだろう。

「おめでとう! すごいね、エアリィ嬢」

 紫水が手を伸ばして頭を撫でると、エアリィは嬉しそうに目元を緩め、そのまま素直に撫でられていた。

「えへへ♪」

 勝てたことも嬉しいし、褒められるのも嬉しいらしい。

 紫水はそんな様子を見てから、自分のレースが始まる方へ目をやった。

「さて、次は私か」

 エアリィが一位を取った直後なのだ。
 ここで自分だけあっさり負けて戻ってくるのは、少々格好がつかない。

 ――男として、ここは続きたいところだね。

 能力が使えないなら、自分の持っている身体能力だけで全力の勝負をするだけだ。
 紫水は軽く肩を回し、身体をほぐしながらスタート地点へ向かった。

 ●

 二人よりも少し時間が巻き戻る。

 先に行われているレースを眺めながら腕を組んでいた女がいた。

「√能力なし、素の身体能力で勝負か。むしろ得意分野だぜ」

 口角を上げた自信に満ちた笑み。劉・涼鈴である。

 自分の一つ前の組が始まる頃になると、涼鈴は観客席から少し離れた場所へ移動し、腕や肩だけでなく腰、膝、足首まで順番に動かして身体をほぐし始めた。

 軽く上体を反らせれば豊かな胸が揺れ、脚の裏を伸ばすため腰を落とせば、今度は臀部の線が強調される。

 当然、周囲の反応も早かった。

「うおおっ!」

「すげぇ……!」

 男たちの歓声が飛んでくる。

 涼鈴はそちらへ目をやり、口元だけで笑った。

 ただ準備運動をしているだけなのに勝手に視線が集まるのなら、わざわざ隠す必要もない。好きなだけ見せてやればいい。

 ――ま、ゆっくり拝めるのも今のうちだ。走り出したら一瞬だからな。

 最後に腿の前側を伸ばし、その場で軽く跳ねて足裏の感触を確かめる。

 名前を呼ばれると、涼鈴はコースへ入った。

 参加人数の調整で、この組には男性陣に混じって女性の自分がいる。しかし、それで何か条件が変わるとは考えていなかった。

 砂浜へうつ伏せになり、両手を所定の位置につく。

 さっきまで飛んでいた歓声はもう意識の外だった。必要なのは開始の合図だけで、涼鈴は呼吸を整えながらその一瞬を待つ。

 係員の手が動いた。
 合図が鳴る。

 涼鈴は一歩目から全力で砂を蹴った。

 凹凸のある砂浜へ強く踏み込んでも、足元はまるで乱れがない。柔らかい場所では接地を短くし、踏み込んだ砂が崩れる前に次へ移る。

 腿法と歩法を鍛えてきた経験が、そのまま足場への対応力になっていた。

 ――腿法、歩法を極めりゃ、砂浜も泥沼も平地と同じだ。

 鏢局の仕事では、荷を運ぶため積層都市を年中走り回る。舗装された道ばかりではなく、足場の悪い場所を抜けることも珍しくない。

 なら、この程度で速度を落とす理由はなかった。

 ――鏢局、運び屋として年中走ってんだ。そう簡単に前を譲るわけにゃいかねえな!

 後続にも走者はいるが、差は縮まらなかった。
 それどころか、一歩進むごとに間隔が広がっていく。

 ゴール地点まで十分近づくと、涼鈴は最後の一歩を強く踏み込み、その反発で身体を前へ投げ出した。
 長い銀髪が後ろへ流れ、両腕を伸ばしたまま砂浜へ頭から滑り込む。

 その手が旗を掴むまで、ほとんど間はなかった。

 宣言通りの速度、そして勝利である。

 ●

「ですよねー!」

 少し遅れて砂浜へ飛び込んだ紫水が、顔を上げたまま叫んだ。

 自分も最後はヘッドスライディングまでした。
 したのだが、どうにもならない。

 涼鈴はとっくに一位の旗を確保しており、その後ろにいた参加者たちも次々とプレコへ到着していた。紫水が砂から上体を起こした時には、もう取れる旗が残っていない。

 男女混合の組だったことなど、結果を見れば問題ですらなかった。

 男女差を持ち出す以前に、涼鈴の走力そのものが抜けている。

「いやぁ……これは勝てないね」

 紫水は砂を払いながら苦笑した。
 自分なりに全力を出したつもりだが、どうにもならなかった。そこだけは認めるしかない。

 ●

「紫水さーん! がんばってーっ!」

 紫水が走っている間、エアリィは観客側の最前列から目いっぱい声を張り上げていた。

 自分が走った時に応援してもらった分まで返すつもりなのか、スタートしてからゴールするまでほとんど休まず声を送っていたが、残念ながら結果は振るわなかった。

「あー、負けちゃったかあ」

 エアリィも一位だった涼鈴の走りは見ている。

 あれだけ大きな差をつけられれば、紫水が遅かったというより相手が悪かったと考える方が自然だろう。
 自分のレースとは組が違ったので直接比べることはできないが、それでもかなり速かったのは分かる。全体で見ても、間違いなく上位勢の一人だろう。

 やがて、砂まみれになった紫水がこちらへ戻ってきた。

 髪にも肩にも砂が付き、口の中にもかなり入ったらしい。さっきまでの余裕を取り戻すより先に、まず口元を気にしている。

「エアリィ嬢、お水持ってない? いや、口の中が砂でひっどくて、濯ぎたくてね……」

「え? お水? あるよ」

 エアリィはすぐに用意していた水を差し出した。

 紫水は礼を言って受け取り、まず口の中を濯いで砂を吐き出す。もう一度すすいでから少し飲むと、冷たい水が熱を持った口内を通り、ようやくまともに息をつけた。

「はぁ……助かった」

 水を返そうとしたところで、エアリィが一歩近づいてくる。

「よく頑張りましたーっ♪」

「ありがとう」

 さっきとは逆に、今度は紫水が褒められる番だった。

 エアリィはにこにこと笑っている。勝ったか負けたかより、紫水が最後までちゃんと走ったことの方が大事らしい。

 紫水はその顔を見て、少しだけ肩の力を抜いた。

 ――ふふ、エアリィ嬢にそう言ってもらえたなら、勝敗なんてもういいかな。

「応援もありがとうね、エアリィ嬢」

「うんっ! いっぱい応援したよー♪」

「聞こえてたよ。途中から、負けるわけにいかないなって思ってた」

「でも負けちゃったね?」

「そこは言わなくてもいいかな?」

「えへへー♪」

 悪びれず笑うエアリィに、紫水もつられて笑った。

「まあ、でも本当にありがと」

「どういたしましてっ」

 紫水はもう一度水を飲み、エアリィはその隣に並ぶ。
 勝敗の話は、それで終わった。

 最後のゲームが始まるまでに、一度休憩タイムが挟まる。
 その間、次に何を見るか、どこへ行くか。そんなことを話しながら、二人は並んで競技場を離れていった。

第3章 ボス戦 『ブラックバス怪人『くろぴ』』


 残る競技は、あと一つ。
 最後に行われるビーチバレーを前にして、くろぴは係員から渡されたルールリストを両手で持ち、試合の進め方から反則、√能力の扱い、得点条件まで一項目ずつ確かめていた。

「わぁ、真剣そのものって感じだねえ」

 よつはが横から覗き込むと、きゃねるも同じ方向へ顔を向ける。

「店長は根が真面目魚なので~」

「もっと肩の力抜いて楽しめばいいのにねー」

「誰のせいでこうなってると……!」

 くろぴは思わずルールリストから顔を上げた。

 よつはは最初から最後まで遊びに来たような調子を崩していないが、だからといって成績まで適当なわけではない。
 水着審査でもビーチフラッグでもしっかり点を取り、現時点ではくろぴと大きな差がついていなかった。

 つまり、優勝して人類駆除への協力を取りつけたい相手が、そのまま総合優勝を争うライバルの一人にもなっている。

「レコー!」

「プレプレー!」

 そこへ競技エリアの方から、聞き慣れた声がいくつも近づいてきた。

「あ、おかえりープレコちゃんたち! 旗持ち役、おつかれさま!」

 戻ってきたのは、ビーチフラッグで旗を持っていたプレコ戦闘員たちだった。
 スモックには砂がこびりつき、頭や腕にも細かな砂粒が残っている。
 けれど、本人たちは疲れたというより、一仕事終えた満足感を全身から漂わせていた。

「プレー!」

「レコレコ!」

「はいはい、おつかれー。ちゃんと役目こなしてえらいねー」

 よつはは笑顔で迎えると、近くへ来た個体から順番に頭を撫でていく。
 プレコたちも嫌がる様子はなく、むしろ次は自分だと言わんばかりに前へ寄ってきたため、気づけば小さな列までできかけていた。

 くろぴは、その様子をルールリスト越しに眺める。

 ――なんで私より戦闘員が打ち解けてるの?

 よつはと出会ってから、それほど時間が経ったわけではない。
 それなのにプレコたちはすっかり懐いており、当のよつはも一匹ずつ名前でも知っているかのような気軽さで接している。

 対して自分は、今日だけでも部下の勝手な行動に何度振り回されたか分からない。
 そこまで考えたところで、くろぴは小さく頭を振った。今は部下との距離感を気にしている場合ではない。

「よしっ!」

 最後の項目まで読み終え、ルールリストを閉じる。
 ここまでの水着審査とビーチフラッグでは、どちらも高得点を取れている。
 さらに最後のビーチバレーは、単純なチームの勝敗だけでなく、試合中の活躍や味方への貢献にもボーナスが加算されるらしい。

 ならば、まだ優勝を狙える。
 水着コンテストへ出ると決まった時点では逃げ出したいくらいだったし、初めてやる競技へ次々参加させられるのも精神的にはかなりきつかった。
 それでも何とか食らいつき、最終種目まで優勝圏内へ残っているのだ。

 ここまで来た以上、最後だけ失敗して終わるつもりはない。優勝して、約束通りよつはの助力を得れば、その先にはいよいよ人類駆除が待っている。

「人間たちを恐怖のどん底に……」

 そこまで口にしたところで、くろぴは言葉を止めた。

 人類を恐怖のどん底へ叩き落とすのは、あくまでコンテストで優勝した後の話だ。
 今はまだ人間たちと一緒にビーチバレーへ参加する段階であり、ここで物騒な宣言をして大会の空気を壊すのは何か違う。

「えーっと……」

 悪の組織らしい威勢は欲しいが、露骨に襲撃予告のような言葉は使えない。
 くろぴは眉を寄せたまま数秒考え、ようやく今の場でも許されそうな表現を選び出した。

「参加者の人間たちをぎゃふんと言わせてやるわ!」

 よつはの手が、撫でていたプレコの頭の上で止まった。

「今どき、ぎゃふんって言う子いるんだね」

「店長~、またルギオくんにおばちゃんっぽいって言われますよ~」

「余計なお世話よ!」

 くろぴは顔を赤くして二人へ言い返しながら、それでも手の中のルールリストだけはしっかり握ったままだった。
 何を言われようと、次が最後の競技であり、ここを取ることが優勝の絶対条件なのは変わらない。

 くろぴにとっては、優勝だけではない。その先にある、よつはの助力までかかった最後の一戦だった。
エアリィ・ウィンディア
椎宮・紫水
小明見・結
見下・七三子
レオン・ヤノフスキ
エレノール・ムーンレイカー
劉・涼鈴

 七三子が会場へ戻った頃には、ビーチフラッグの競技は一通り終わっていた。

 さっきまで走者で賑わっていた砂浜では、係員たちがコースの片付けを始めている。次の競技へ向けた準備も進んでおり、思っていた以上に長く席を外してしまったらしい。

 七三子は周囲を見回し、少し離れた場所に赤い髪を見つける。すぐにそちらへ駆け寄った。

「わあ、レオン、ごめんなさい!」

「おう、どこ行ってたんだよ七三子? ったく探したぜ〜」

 焼きそばを食べている途中で姿を消し、その後も戻ってこなかったのだから当然の疑問である。

「一緒に岩陰で休みたいって声かけてきたお兄さん達がいて。具合悪いのかと思って担いで救護テントまで運んでたんです」

「いや、そりゃおめえ、どう考えても……まあいいか」

 レオンは途中まで言いかけたものの、結局そこでやめた。

 海辺で水着姿の女性へ声を掛け、わざわざ岩陰へ誘う。
 少なくとも体調不良の人間が助けを求める言い方ではなく、男たちが期待した展開と救護テントまで担がれる結末には大きな隔たりがあったはずだ。

 多少は同情する。
 とはいえ、人の女に手を出そうとしたのが悪い。

「それより、第二種目は終わらせといたぜ。ハヤタのお陰で失格んなっちまったけどな」

「え? ハヤタさん?」

 七三子は何を言われたのか分からないように瞬きをしてから、少し困ったように笑った。

「やだなあ、ハヤタさんがこんなとこにいるわけないじゃないですか」

「突然乱入してきたんだよ! 競技中に後ろから追い上げてきて、俺の旗まで持ってったんだぜ?」

「きっと見間違えですよ。ハヤタさんなら今頃おうちで良い子にお留守番してます」

「だから見間違いじゃねぇって!」

 レオンとしても、あれを別の犬と間違えたとは思えない。旗を取り合って唸られたうえ、そのせいで協力プレイと判定されて失格までしている。

「しかも返せっつっても離さねぇしよ。終わったと思ったら、気が付くといなくなってるし」

「でも、ハヤタさんがここまで一人で来る理由ないですよ?」

「それは俺も知らねぇけどよ……!」

 そこで反論が止まった。
 どうやって来たのかも、何をしに来たのかも分からない。
 競技が終わった後の行方まで知らないのでは、説明できる材料があまりにも少なかった。

 その話を裏付けられる唯一の証人――正確には証人犬――も、今はこの場にいない。

「ほら、やっぱり」

「いや『ほら』じゃねぇよ! いたから! マジでいたんだって!」

「はいはい」

「信じてねぇだろ!? ホントにどこいったんだアイツ!」

 ●

 一方、その頃。
 アクアインベスたちが集っている周辺の砂浜である、会場の少し外れでは、よつはがプレコ戦闘員たちと並んで手を振っていた。

「じゃあね。またね」

「プレー!」

「レコレコー!」

 その先を歩いているのは小さな黒柴は、尻尾を振りながら元気よく一声吠えて、帰っていった。

 ●

 ビーチバレーのコートには、チーム分けを終えた出場選手たちがすでに集まっている。

 通常のビーチバレーは一チーム二人で行う競技だが、今回はイベント用の変則ルールで六人対六人。ここに残ったのは水着審査かビーチフラッグで高得点を取り、最後の競技次第では総合優勝へ手が届く者たちだった。

 ネットを挟んだチームAには、くろぴ、見下・七三子、レオン・ヤノフスキ、エレノール・ムーンレイカーがいる。残る二枠も別の参加者で埋まり、六人が揃っていた。

 中でも七三子は、開始前からずいぶん気合が入っている。ビーチフラッグへ出そびれた以上、その分までここで巻き返したいのだろう。

「よし、ビーチバレーで取り戻します。頑張りましょうね、レオン!」

「よっしゃ! 俺らのコンビネーションを見せてやろうぜ!!」

 レオンも威勢よく応じる。前の競技ではハヤタの乱入という予想外の事態で得点を逃しただけに、今度こそ自分たちの力で結果を残したいところだ。

 その近くでは、くろぴがエレノールへ目を向けている。

「あなた、さっきビーチフラッグで一位だった人よね」

「ええ、くろぴさん。今度は同じチームで仲間ですね。よろしくお願いします」

 エレノールは柔らかく笑う。対するくろぴは警戒を隠しておらず、さっきまで競り合っていたEDENを素直に味方扱いする気にはなれないらしい。

「どうせあたしの邪魔をしにきたんだろうけど……今だけは休戦よ。ビーチバレーの経験はあるの?」

「バレーなら学生時代の体育でやった程度なのですけれど……ビーチバレーとなると、今回が初めてですね」

 エレノールは足元の砂へ一度目を落とす。体育館とは踏み込み方から違うだろうが、ビーチフラッグで砂浜を走った経験なら直前に得たばかりである。

「ですが、何とかやってみましょう。せめてチームの邪魔にならない程度には!」

「そこはもうちょっと自信持ってよ。さっきあんなに速かったでしょうが……」

 嫌味ではない。実際に負けた直後なので、くろぴとしては初心者という言葉を額面通りに受け取りにくかった。

 エレノールにも別の事情がある。くろぴが総合優勝すれば、その先にはよつはを巻き込んだ人類駆除が待っているため、本来なら阻止したい相手だ。

 とはいえ、今は同じチームである。そこで露骨に手を抜けば他の仲間まで巻き込む以上、競技と目的は切り分けるしかない。やるからには全力だ。

 対するチームBには、よつは、劉・涼鈴、エアリィ・ウィンディア、椎宮・紫水、小明見・結がいる。こちらも別の参加者が加わり、六人となっていた。

 よつはは相手側を見回し、その途中で視線を止める。

「なみこちゃんも向こうか……」

 七三子はレオンの隣で楽しそうに話しており、試合へ向けた気合も十分に見えた。
 昔を知っている相手が今は別の誰かと親しげにしている光景は、見ていて少しだけ落ち着かない。

 ――なんか、ちょっとだけモヤモヤするな。

 だからといって同じチームになりたかったのかと聞かれれば、答えに困る。
 七三子を意識したまま隣で動くより、遊びの相手としてネット越しに向き合う方が今は気楽だった。

「あの、よろしくね」

 横から聞こえた声へ顔を向けると、結がこちらを見ている。

「うん、よろしく」

 よつはの返事はあっさりしていた。

 以前は敵として命のやり取りまでした相手だが、強い遺恨を抱えているわけではない。あの時は遊びを邪魔されたものの、終わってみれば自分が求めていた遊び自体も思ったほど楽しくなかった。

 なら、過去の続きをわざわざ今日へ持ち込む必要もないだろう。今ここで楽しめるものを選ぶ方が、よつはには自然だった。

 結もその返事を聞き、肩の力を少し抜く。声を掛けるだけでも迷っていた彼女にとっては、普通に挨拶を返されたこと自体が前回との大きな違いである。

「締めはビーチバレー、盛り上がっていこうや」

 少し離れた場所では、涼鈴が腕を組んで相手コートを眺めていた。

 水着審査では武術を取り入れたパフォーマンスを披露し、ビーチフラッグでも圧倒的な走りを見せている。観客席の空気が最初とは変わっていることくらい、注目を浴び慣れた涼鈴ならすぐに分かった。

 ――色々とスーパープレイを見せてやったんだ。相変わらずスケベな視線も多いが、次を期待する顔も増えてきたな。

 悪い気はしない。期待されているなら最後まで応えてやろうと、涼鈴は肩を回して足裏で砂の感触を確かめる。

 その横では、紫水がエアリィへ明るく声を掛けた。

「エアリィ嬢、今度はビーチバレーだ。一緒に戦おう!」

「うん、頑張ろうね!」

 笑顔で応じたエアリィだったが、すぐにネットとコートを順番に見て考え込む。

「これも飛ぶのはダメだよね~。うん、知ってる」

「だろうねぇ。ゲームが崩壊してしまうだろうし」

 今回のビーチバレーは、ビーチフラッグと違って√能力そのものを禁止していない。ただし認められるのは、あくまで競技の形を維持したまま使える能力だけである。

 競技そのものを成立させない使い方は不可。相手を攻撃したり拘束したりして、バレー以外の手段で行動を直接妨げることも認められない。
 当然、空を飛んでコートそのものを無視するのも駄目だ。

 エアリィは自分の能力とルールを照らし合わせ、しばらくして一つの使い方へ行き着く。

「よし、これなら大丈夫なはず」

「何か思いついた?」

「うん。速く走るだけなら、ちゃんとバレーしてるでしょ?」

 相手を止めるのではなく、自分が速く動くだけ。それならボールを追うという競技の中へ収まる。

 エアリィは小さく息を吸い、周囲の邪魔にならない声量で詠唱を始めた。

「世界を司る六界の精霊達よ、あたしに力を……」

 火・水・風・土・光・闇。
 六属性の精霊の力がエアリィの身体を包み、『六芒星増幅術精霊斬』が発動した。

「これでいっぱい拾えるよーっ!」

「なるほど。となると私は……」

 紫水はそこまで口にして、ひとまず言葉を切る。
 実際にエアリィがどこまで動けるのかは、ボールが飛び交うまで分からない。
 まずは試合の中で仲間の動きや、相手の攻め方を見てみるべきだろう。

 ネットの両側で十二人が位置につき、それぞれが最後の競技へ意識を切り替えていく。関係も目的も同じではないが、今から向き合うものだけは共通している。

 ●

 やがて係員は両チームの配置を確認し、サーブ役へボールを渡してコート脇へ下がった。十二人の視線がネット越しに交わる中、短い笛の音が砂浜へ響く。

 最初のサーブがネットを越えると、ボールはチームBの後方へ向かった。
 落下地点へ真っ先に動いたのは涼鈴である。

「おっと、まずはこっちか!」

 砂へ足を取られる様子もなく数歩で追いつき、腰を落として腕を合わせる。ボールは十分な高さまで浮き、そのまま味方が二手目へ入れる位置へ返った。

 上がったボールを味方が繋ぎ、相手コートへ戻す。

「よっと!」

 次のラリーでは強い返球へ正面から入り、その勢いを殺し切らず奥へ送り返す。さらに相手が後方を警戒すれば、今度は強打する構えからネット際へ軽く落とした。

 速さだけでも、力だけでもない。
 相手の立ち位置を見て、空いた場所へ打ち分ける。狙った場所へ決まるたびに歓声が上がり、涼鈴の口元にも楽しそうな笑みが浮かんだ。

 ――そうそう。そういう目だよ。

 狙いどおりに会場が沸けば、見せる側としても張り合いがある。

 涼鈴が声を上げた直後、今度はチームAから大きく角度をつけたボールが返ってきた。
 狙いは左後方。
 しかし、その場所へ別の影が飛び出す。

「任せてーっ!」

 エアリィだった。

 六属性の精霊の力を纏った身体が、一気に砂浜を駆け抜ける。足を取られる前に次の一歩へ移るため速度が落ちず、ボールの下へ余裕を持って入り込んだ。

 両腕で受けたボールが高く上がる。
 その動きを見た紫水は同じボールを追っていたが、途中で足を止めた。

 ――速いなぁ、エアリィ嬢。

 これだけ広い範囲を任せられるなら、二人で同じ球へ入る必要はない。むしろ自分は次の接触へ備えた方が、彼女の速度を活かせる。

 紫水は落下位置へ回り込み、降りてくるボールへ両手を構えた。

「エアリィ嬢!」

「うんっ!」

 指先で押し上げたボールが、ネット際へ高く浮かぶ。

 エアリィは助走へ入り、そのまま砂を蹴って跳び上がった。

「にゃーんっ!」

 右腕を大きく振り抜く。
 打球は相手のブロックを越え、守備の間へ鋭く落ちた。チームAの選手が腕を伸ばしたものの間に合わず、砂の上でボールが跳ねる。

「やったーっ!」

 着地したエアリィが両手を上げた。
 紫水も笑っていたが、その視線は得点より彼女の方へ長く残っている。

「いやー、エアリィ嬢のファンが増えそうだなぁ」

「えへへー♪ ちゃんと決まったね!」

「うん。バッチリ綺麗に決まった」

 紫水は素直に頷きながら、周囲から聞こえる声援にも耳を向ける。

 ――誰にもやらんけど。

 そんなことを考えているとは知らず、エアリィはもう次の配置へ戻っていた。

 ●

 序盤からチームBに流れを取られたものの、チームAもそのまま押し切られるつもりはなかった。

 エレノールは立ち位置へ戻り、味方の配置を一度見回す。
 レオンと七三子には十分な身体能力があり、くろぴも怪人としての基礎能力なら高い。問題は即席のチームで、互いの動きをまだ把握できていないことだった。

 誰か一人が速くても、その後を繋げなければボールは落ちる。
 ならば、まず反応の水準を上げよう。

「世界樹よ、その力を少しだけお借りします!」

 世界樹のおすそ分け――世界樹の根源から分け与えられた力が、チームAの全員へ接続される。
 反応速度と狙いの精度を底上げされたことで、先ほどより次の動きへ入りやすくなった。

「おおっ、なんかボールが見やすいな!」

 レオンが手を握り直し、七三子も腕を振って感覚を確かめる。

「さっきより反応しやすいです!」

「その感覚で合っています。無理に決めようとせず、まずは繋いでください!」

 エレノール自身も後方へ下がり、再開されたラリーへ意識を戻す。

 涼鈴が強く叩いた一球がコート奥へ伸びたが、エレノールは落下地点を早めに読み取って横へ走る。ビーチフラッグで試した踏み方を思い出し、砂を後ろへ蹴りすぎないよう足を身体の真下近くへ下ろした。

「まだです!」

 ボールが落ちる前に腕を差し入れると、返球は高く中央へ浮く。

「ナイスです、エレノールさん!」

 七三子が次へ繋ぎ、その先でレオンが相手コートへ押し返した。

 一本で決める必要はない。落とさなければ、その先へ続く。
 次のラリーでは、くろぴの正面へボールが飛んできた。

「うわっ、こっち!?」

 バレー経験はない。だからといって避ければ、その時点で失点である。

「こ、このぉ!」

 両腕を合わせ、見よう見まねで受け止める。
 綺麗なレシーブとは言い難く、ボールは斜め上へ大きくずれた。それでも地面には触れていない。

「取れます!」

 エレノールが位置を変え、乱れたボールの下へ入る。そのまま上へ整えると、七三子が三打目で相手コートへ返した。

「……今の、繋がった?」

「繋がりましたよ!」

 くろぴは少しだけ目を丸くする。
 自分の√能力は今回のルールと相性が悪い。ブルーテロルでバールを振れば競技ではなくなるし、霧に隠れたところでボールを取れるわけでもない。

 なら、使えるものは怪人としての身体能力だけだ。
 それでもボールを味方へ渡せる高さまで上げられれば、役には立つ。

「だったら……次も落とさないから!」

 技術で足りない分は反応と勢いで埋める。かなり力任せではあるが、くろぴなりの動きも少しずつ形になっていった。

 ●

 ラリーが長くなるにつれて、結にもボールが飛んでくる回数は増えていく。

 チームAから強めの返球が来ると、結は正面へ入り両腕を合わせた。学校の体育で覚えた形そのものだが、飛んでくる球の勢いは同じではない。

「っ……!」

 腕へ当たった瞬間に押し込まれ、ボールが斜め後方へ弾かれる。

 まずい。結が振り返るより早く、よつはが後ろを通り抜けた。

「こっちは取る」

 落下地点へ回り込み、低くなったボールを下から拾い上げる。

「ご、ごめんなさい!」

「取れてるからいいんじゃない?」

 よつははそれだけ返し、すぐ前を向いた。
 結も一度だけ息を整えて次の位置へ戻る。

 ――私まで無理に決めにいく必要はないわね。

 身体能力では周囲に及ばなくても、正面へ入った球を上げられれば次は誰かが触れる。

 なら、まずそこを失敗しない。
 次のボールには一歩早く位置を合わせ、腕へ当てる角度も変える。今度は中央へ高く返すことができた。

「よし……!」

 紫水が二手目へ入り、涼鈴へ繋ぐ。相手側のブロックに阻まれて戻ってきた球も、今度は結が落下地点へ寄った。

 右へずれた分だけは、よつはが横から補う。

「あっ、次お願い!」

「うん!」

 結が上げたボールを、よつはが攻撃へ繋いだ。
 ネット際へ入ったよつはは跳ぶ直前に片腕を引く。同時に足元の影が別方向へ伸び、本体とは違う打点を一瞬だけ作った。

「どっち……!?」

 チームAの前衛が迷う。
 影は相手にもボールにも触れない。ただ視覚情報を増やしただけである。

 その隙を突き、よつははブロックの外側へボールを落とす。

「よしっ」

 得点が入り、結は力強く頷いた。
 自身が決めた点ではない。それでも、自分のレシーブが攻撃へ繋がった手応えは残る。

 次のサーブを待ちながら、結はもう一度腰を落とした。ネットの向こうではエレノールたちも守備を整え、簡単に点を渡す気はなさそうだった。

 ●

 よつはのフェイントでチームBが得点してからも、試合の流れは一方へ定まらなかった。

 エレノールによる強化はまだ続いており、チームAの反応速度は底上げされたままだ。七三子も守備範囲を広げ、ネット際だけでなく後方へ落とされた球まで追いかけている。

 チームBから返されたボールが、ネットの手前へ鋭く落ちてきた。

 七三子は立ったままでは間に合わないと判断し、そのまま前へ身体を投げ出す。両腕を砂すれすれまで差し込み、地面へ触れる寸前のボールを下から押し上げた。

「んっ……間に合った!」

 身体はそのまま砂浜へ滑ったが、ボールは落ちない。味方が二手目へ入ったのを確認してから起き上がると、競泳水着の腹や腰には砂がびっしり付いていた。

「……わあ、砂まみれ。へへ、払っても全部落ちないです」

「ナイスガッツだ、七三子!」

 レオンが声を掛ける。そこまではよかった。

「おおっ、砂まみれの競泳水着ってのもなかなか趣が……」

「レオン?」

 七三子の声が一段低くなる。

「へへっ、わりぃわりぃ。俺好みの水着美女が隣にいるもんでよ」

「もう……」

 叱られても、レオンの調子は変わらない。
 次のラリーでも、レオンの目は前後へ走る七三子に引き寄せられていた。ボールが自分の近くへ来れば反応するものの、攻撃へ入れる場面で一歩遅れることがあり集中し切れていない。

 七三子にも、それはすぐ分かった。

「んもう、集中してください。勝ったらいっぱいご褒美あげますから!」

「……ご褒美?」

 レオンの顔が勢いよく七三子へ向く。
 何をくれるのかまで聞き返す時間はない。エレノールが相手の返球を拾い、中央へ高く上げている。

 七三子が落下地点へ入り、ネット際へトス。

「レオン!」

「任せろ!」

 助走へ入るタイミングが、さっきまでより一拍早い。

 砂を強く踏み込み、大柄な身体を一気に跳ね上げる。ネットより高い位置まで上がると、落ちてきたボールへ右腕を振り抜いた。

「うおおぉっ! オラァッ!!」

 強打がチームBのコートへ落ちる。
 よつはが反応して横へ走ったものの、伸ばした腕が届くより先にボールは砂へ突き刺さった。

「むぅ……」

 レオンに一本取られる形になったよつはは頬を膨らませる。
 しかし、レオンは自慢げな笑みで視線を七三子へと向けていた。

「見たかよ!!」

「わ、わあ! 急にすごいキレ!? すごい、格好いいです、レオン! きゃー!」

 七三子が素直に喜ぶ。
 その反応を見たレオンは、さらに調子を上げた。

「よっしゃ、もう一本だ!」

「はいっ!」

 次のラリーでも七三子が低いボールへ飛び込み、エレノールが返球を整える。
 レオンはその間にネット際へ位置を取り、攻撃へ移れる球が来れば高い打点から叩き込んでいく。

 さっきまで七三子へ向いていた意識は、すっかり勝負へ注がれていた。

 チームAが連続して得点し、開いていた差を詰める。七三子が声を掛けるたびにレオンの動きも良くなるのだから、単純ではあるが効果は高かった。

 ●

 レオンのスパイクをエアリィが拾い、紫水が次へ繋げる。しかし強打に体勢を崩されて十分な攻撃へ移れず、返すだけになったところをチームAに再び攻め込まれる場面が続いた。

 その返球の一つが、チームBの右奥へ飛ぶ。
 涼鈴が反応した。

「そろそろ、こっちも返していくか」

 斜め後方へ走り、落下地点へ入る直前で腰を落とす。砂へ身体を滑らせながら両腕を差し込み、ボールを中央へ高く戻した。

 そこから涼鈴は、序盤に見せた打ち分けをさらに速いテンポで繰り返す。前後へ揺さぶられたチームAの守備が中央へ寄ったところで、チームB側のネット際へ高いボールが上がった。
 涼鈴にとって、申し分のない高さだった。

「行くぜ!」

 軽身功を纏った涼鈴が砂浜を蹴り、一気に高く舞い上がる。
 普通なら腕を振る場面で、身体が空中で反転した。

「え?」

 くろぴが目を見開く。
 長い銀髪が大きな弧を描き、涼鈴の脚が頭上へ回る。

「そらよっ!」

 振り抜かれた足がボールを捉えた。
 劉家奥義・鷹爪天翔脚によるオーバーヘッドキック。

 ボールはネットを越え、チームAの守備の間へ鋭く飛び込む。エレノールが横へ踏み出すが届かず、そのまま砂浜へ落ちた。

「うおおおっ!」

 観客席から歓声が上がる。
 涼鈴は回転の勢いを使って両足から着地し、すぐに上体を起こした。

 得点を示す笛が鳴ったところで、くろぴの理解がようやく追いつく。

「えっ、蹴るのってありなの!?」

 思わず係員の方を見るが、反則を示す様子はない。

 ビーチバレーでは足を含め、身体のどの部分でボールへ触れても構わない。一回の接触として扱われる以上、今のキック自体は通常のルールでも有効だった。

「ありなんだ……」

 くろぴは知らなかったらしく、涼鈴と係員を交互に見ている。
 その反応をよそに、涼鈴は観客席へ軽く手を上げた。

「これも功夫の賜物だぜ」

 大技に沸く歓声を正面から浴び、満足そうに笑う。

 点差が縮まり、試合の流れもチームBへ傾き始めた。これを受け、チームAはすぐに守り方を変えてくる。

 ●

 特に警戒されたのはエアリィだった。
 紫水から高いボールが上がれば、そのままエアリィが跳んでくる。そう読まれているらしく、前衛は早めにネット際へ寄り、後衛もアタックの落下地点を意識して位置をずらしている。

 次のラリーでも、結が拾ったボールを紫水が繋ぎ、エアリィの方へ送った。

 相手側の前衛がすぐに動く。
 エアリィはボールへ入りながら正面を確認し、そこで助走を止めた。打つつもりで待ち構えられているのなら、わざわざ同じ形で勝負する必要はない。

「紫水さん、任せるよ!」

 両手で高く押し上げる。

「え? 今度は私がアタッカー?」

 紫水は一瞬だけ驚いたものの、落下位置を確認するとすぐ助走へ切り替えた。

「君からのトスならば、全力で決めてみせるとも!」

 紫水は血継覚醒を発動し、エアリィとの連携へ意識を集中させる。
 トスの落下地点に踏み切りのタイミングを合わせると、チームAの前衛はエアリィを警戒していた分だけ対応が遅れた。

 紫水の正面へブロックを揃えるには、半歩足りない。

「これで、どうだっ!」

 右腕を振り抜くと、ボールはブロックの外を抜けてコートへ落ちた。

「ほわぁ、かっこいいー♪」

 着地した紫水のところへ、エアリィがすぐ駆け寄る。

「ふふ、ナイスアタックっ♪ かっこよく、完璧だねーっ♪」

「そこまで褒められると照れるねぇ」

 紫水は笑いながら呼吸を整え、少し得意げに胸を張る。

「どうだい、エアリィ嬢? たまには私もやるだろ?」

「うんっ! すっごくよかったよ!」

 それまで紫水がトスを上げ、エアリィが打つ形を見せていたからこそ役割を入れ替えた一手が効いた。

 相手に読まれたなら、そこからもう一度ずらせばいい。
 二人の連携で得点を取り返し、試合は再び競った展開へ戻っていく。

 その後も両チームは一進一退の攻防を続けた。何度か長いラリーを挟んで互いに得点を重ねても、大きな差はつかない。

 やがて規定時間も残りわずかとなり、スコアは同点まで並んだ。
 次のラリーが最後になる。

 ●

 チームBから返されたボールへ、エレノールが入った。

 落下地点へ合わせて両腕で受け、上へ浮かせる。レオンが二手目へ回り込み、七三子が打てる高さへトスを送った。

「七三子!」

 呼ばれるより早く、七三子は助走へ入っている。

「このアタックで決めます!」

 砂を蹴って踏み切り、身体がネットの上へせり上がる。

 その正面では、よつはがすでに落下地点を読んでいた。
 影で惑わせる場面ではない。腰を落として両腕を揃え、真正面から受ける構えを取る。

 七三子が空中から見下ろすと、よつはも逃げずに見返した。
 ここへ来てから、初めて二人の視線が正面からぶつかる。

 ――負けない!

 ――負けません!

 かつては怪人と戦闘員だった。

 同じ組織に生まれた以上、二人の立場には最初から上下が決められていた。
 けれど、その故郷はもう存在せず、昔の番号や役割へ戻すものもない。

 よつはとなみこ。
 今は互いの全力を、ビーチバレーの一球へぶつければいい。

 七三子が右腕を振り抜いた。
 掌がボールを捉える。

 ぱんっ、と鋭い破裂音が響いた。

「……あっ」

 ネットへ向かって飛ぶはずだったボールは、七三子の一撃を受けた時点で破裂していた。裂けた表面から空気が抜け、潰れた外皮だけが手元から砂浜へ落ちる。

 七三子はそのまま着地し、足元の残骸を見下ろした。

 相手コートへ叩き込むつもりだった一撃が、そもそもネットまで届いていない。
 何とも言えない表情のまま顔を上げると、向こうではよつはがまだレシーブの構えを残していた。

「えぇ……」

 よつははゆっくり両腕を下ろし、半眼のまま七三子を見る。

「いえその、これは……不慮の事故でして……」

 七三子も見返したが、気まずそうに視線を逸らした。

「ボールにとっては人身事故でしょ」

「うぐう……」

 そこで試合終了を告げる笛が鳴る。
 運営側の協議により、破裂したラリーは無得点と判定された。

 スコアは動かず、必需品を失ったビーチバレーは同点のまま終了となった。

 最後のビーチバレーまで終わり、劉・涼鈴は砂の付いた手を軽く払いながら、苦笑交じりにコートを振り返った。

 勝敗をつけるつもりで最後まで動いていただけに、決着がつかないまま終わったのは少々物足りない。それでも、不満ばかりが残ったわけではなかった。

「決着付かずは拍子抜けじゃあったが、ま、面白いもんも見れたしな」

 思い出すのは、七三子がボールを壊した場面である。
 涼鈴にとって、ボール一つを蹴り割る程度なら造作もない。狙った位置へ十分な力を乗せれば済むし、腿法を使えば威力の調整もできる。

 だが、七三子は違う。
 技を使ったわけでもなければ、√能力を持ち出したわけでもない。ただ普通に身体を動かしただけで、ボールへ過剰な力が伝わった。

「そういやあいつ、前に腕相撲でテーブル割ったやつだったな」

 以前の出来事を思い出せば、今回だけが偶然とも考えにくい。
 純粋な腕力ならどこまで出せるのか。競技中では条件も違って確かめようがなかったが、いずれ個人的に力比べを挑んでみるのも面白そうだと思った。

「姉ちゃん、すげぇ蹴りだったぞー!」

「最後までカッコよかったー!」

 観客席の方から声が飛んできたので、涼鈴はそちらを向き、気軽に片手を上げて応える。

「おう、ありがとな!」

 勝負の結果がすべて思い通りになったわけではないが、数々の競技で十分に観客を魅了してみせたのだった。

 ●

 競技を終えたエアリィ・ウィンディアは、まだ興奮の残る声で紫水へ笑いかけた。

「楽しかったね!」

「ああ。エアリィ嬢は可愛いし、大活躍だったよ」

 椎宮・紫水も素直に頷く。
 水着審査では歌と精霊たちのダンスで会場を盛り上げ、ビーチフラッグでは独特の走法で一位を取った。バレーでも元気に動き回っていたのだから、今日だけでエアリィを覚えた観客はかなりいるだろう。

 ――これでエアリィ嬢の可愛さが世間に広まるわけか。

 それ自体は喜ばしい。ただ、多くの人に知られて人気が出そうだと思うと、少しくらいは自分だけが彼女の魅力を知っていたかったという気持ちも湧いてくる。
 我ながら勝手なものだった。

「紫水さんも格好良かったよ!」

「おっ」

 そこへ、不意にエアリィから褒め言葉が返ってきた。
 紫水は一度目を瞬かせ、それから頬を緩める。

「それは嬉しいなぁ」

「ちゃんと最後まで全力だったし、いっぱい頑張ってたもん」

「そこまで見ててくれたんだ?」

「もちろんっ♪ 紫水さんも、わたしのこと見ててくれたでしょ?」

「ああ、それはもう」

 即答すると、エアリィは満足そうに笑った。
 自分のことを見てくれたから、相手のことも見る。それだけの話ではあるのだろうが、紫水にとっては十分だった。
 他の誰がどう評価するかより、エアリィの目に格好よく映っていたことの方が嬉しい。

「じゃあ、お互いちゃんと見てたってことだね!」

「そういうことだね」

 二人は顔を見合わせて笑う。
 勝った競技も、負けた競技もあったが、どちらもまとめて今日の楽しかった出来事だった。

 ●

 一方、離れた砂浜の上では、くろぴが両膝をついていた。

「優勝できなかった……あれだけ頑張ったのに……」

 バレー初心者として考えれば、決して悪い内容ではなかった。
 しかし、問題は得点だ。勝利以外でも、試合中の活躍やチームへの貢献に応じて特別点が加算される。その中でも配点の大きいMVPを逃したため、最終集計では優勝に届かなかった。

 つまり、よつはから協力を取りつけるために必要だった条件は達成できずじまいだ。

「まぁまぁ、いい休暇が堪能できたじゃないですか~?」

「休暇じゃないからね!?」

 横から聞こえたきゃねるの言葉に、くろぴは膝をついたまま即座に顔を上げた。

「そうでしたっけ~?」

「そうでしたっけじゃないの!」

 きゃねるは本気で忘れていたらしく、首を傾げている。
 思い返せば、今日の彼女は甘いものを食べ、競技を見物し、面白そうな時だけ顔を出す。
 全体としてかなりバカンスとして満喫していた。人類駆除のために来たという最初の目的など、とうに頭の外へ追いやられていたらしい。

「くろぴさんはこちらでしたか」

 そこへ、新しい声が加わった。

 くろぴの肩が跳ねる。振り返ると、エレノール・ムーンレイカーがこちらへ歩いてきていた。

「なによ……敗者を笑いに来たの? それともカチコミ!?」

 先ほどまでの落ち込みはどこへ行ったのか。くろぴは勢いよく立ち上がると、手元に戻していたデコられたバールのようなものを握り、身体の前へ構えた。

「いえ、そういうつもりではありませんよ」

 エレノールは足を止め、何も持っていない両手をくろぴから見える位置へ上げた。

「お疲れさまでした、とお伝えしようと思っただけです」

「……それだけ?」

「それだけです」

 即答されても、くろぴの警戒は解けない。
 エレノールとしても、無理に距離を詰めるつもりはなかった。

 今日一日を通してアクアインベスを見た限り、彼女たちがただ破壊を喜ぶような存在にはどうしても思えない。
 仲間同士で騒ぎ、競技へ参加し、失敗すれば慌て、勝てなければ本気で落ち込む。最初に聞かされていた『人類駆除を目的とする悪の組織』という情報だけでは、どうにも納得しきれない部分が多かった。

 対話ができるのではないか。エレノールには、そう考える余地が十分にあった。

 だが、くろぴ自身は人間に対する敵意を隠していない。
 人類駆除を掲げ、優勝してよつはを味方につけようとし、今もエレノールが近づいただけで武器を構えている。

 なぜそこまで人間を敵視するのか。
 彼女の胸元に浮かぶ青い花の模様。その正体である怪人細胞ブルーテロルは、くろぴをただの魚から怪人へと変貌させた。
 加えて、宿主の中にある人間への敵愾心を増幅する性質を持っている。

 エレノールにそれを見抜けるだけの情報はなく、まして人間への敵意を増幅しているなど知る由もなかった。

 だから、エレノールが判断できるのは目の前にある事実だけである。
 少なくとも今のくろぴは、人間との和解を持ちかければ素直に頷くような状態ではない。
 ならば、ここで無理に踏み込むべきではなかった。

 エレノールは説得の言葉を続ける代わりに、ふとくろぴの足元を見た。

「慕われているのですね」

「……は?」

 何の話か分からず、くろぴが眉を寄せる。

 その動きにつられ、くろぴも自分の足元へ目をやった。
 いつの間にかプレコ戦闘員たちが、リーダーを守ろうと周囲へ集まっている。

「プレ!」

「レコレコ!」

 退く気はないらしい。

 戦闘になったところで、どこまで役に立てるかは別問題である。それでもリーダーを庇おうとしていることくらいは、エレノールにも分かった。

「皆さん、くろぴさんのことが好きなのでしょうね」

「な、何言ってるのよ急に!」

 くろぴは一度プレコたちを見下ろし、すぐに顔を背けた。
 照れたのか、それとも敵の前でそんなことを言われるのが嫌なのか。エレノールには判断がつかなかったが、少なくとも自分の前へ集まったプレコたちを追い払おうとはしなかった。

「きゃねるちゃん」

「はい~?」

「皆、帰るわよ」

「もう帰るんですか~?」

「帰るの!」

 くろぴはプレコたちへも手を振り、撤収を促した。
 それから最後にエレノールへ向き直り、デコられたバールのようなものを真っ直ぐ突きつける。

「これで勝ったと思わないことね、人間!」

 言い残すと、そのまま踵を返した。

「プレー!」

「レコー!」

 プレコたちも後に続き、きゃねるは最後尾からのんびり歩いていく。

 エレノールは追わなかった。

 ――試合、同じチームで、ドローでしたが……。

 喉まで出かかった訂正の言葉をそのまま飲み込み、彼女たちを見送ることにした。

 ●

「あー、終わっちゃったなあ」

 閉会が告げられ、参加者や観客が少しずつ砂浜から引き上げていく。

 よつははその流れを眺めながら、ぽつりと呟いた。

 朝から続いていた賑やかな空気も、終わると決まれば早い。競技で使われた道具は片付けられ、あちらこちらにできていた人の輪も次々とほどけていく。

「よつはさん……」

「ん?」

 名前を呼ばれて振り返ると、小明見・結が立っていた。

 水着審査から、結の姿は何度か視界に入っている。
 ただ、まともに言葉を交わす機会がないままここまで来ていた。

「大会、どうだった?」

「うん、いい夏休みだったよ」

 返事は早かった。結の表情が少し緩む。

「そう。私も楽しかった」

「だけど」

 よつはが続けたので、結は口を閉じた。その声に険しさはない。

「わたしが探してる|四つ葉のクローバー《しあわせ》ではなかったかな」

「それは、どういう意味かしら?」

 よつはは閉会後の砂浜へ目を向けた。

「これって、あなたたちが用意したんだよね?」

「それは……」

 水着を着て、競技に出た。プレコやハヤタを撮って、知らない相手とも一緒に遊んだ。自分から参加しなければ得られなかったものは、確かにたくさんある。

 けれど、これは最初から誰かが場所を用意して、人を集め、皆で楽しめるよう形を整えた催しでもある。それもEDENたちの意思が介入していることは容易く察せられた。
 輪の中へ入れば、その間だけは誰とでも同じ方向を向けるが、その輪そのものには終わりがある。

「お祭りって、終わるでしょ?」

「ええ」

「終わったら、みんなまた自分のところに帰る。今日一緒に遊んだ人だって、明日からずっと一緒にいるわけじゃない」

 よつははそこで結へ視線を戻した。

「わたしはね、わたしの幸せを探しているの」

 用意された娯楽を楽しむことが嫌なのではない。むしろ、楽しかった。

 だからこそ、それとは別に、自分で探して見つけたものが欲しい。それを|四つ葉のクローバー《しあわせ》と呼んでいる。

「ああ、でも心配しないでいいよ。今日はもう何もしないから。あなたたちの勝ち」

「…………そう」

 今日一日、同じ出来事を面白いと思えた。
 それは間違いなく共有できたものだが、それだけで二人の間にあったものが消えるわけではない。

「私は、一緒にあなたの幸せを探したい」

 結の言葉に、よつはは少しだけ首を傾けた。

「でも、気に入らないならまた邪魔するでしょ」

 結の表情が曇る。
 対して、よつはは怒っているわけでも、責めているわけでもない。本当に当然の前提を確認するような口調だった。

「あなたは|EDEN《ヒーロー》で、わたしは|簒奪者《怪人》。それはこれからも変わらないよ」

 よつはが何かを奪おうとすれば、結たちは止める。結たちが守ろうとするものを、よつはが欲しがることもある。どちらかが立場を捨てない限り、その関係は残り続ける。

 それでも、よつはは少し笑った。

「でも、怪人も大人しくしてれば、お祭りくらいには参加できるって教えてくれてありがとう」

「よつはさん……」

「せっかく楽しかったんだし、今日は楽しかったままで終わりたいからね」

 よつはは手を上げた。

「それじゃ、わたしはまだ寄りたいところがあるから」

 結は少し迷ってから、同じように手を上げる。

「ええ。またね」

 よつははそのまま歩き出した。

 まだ二人の間には距離がある。それを一度の祭りで埋められたなどと、結も思ってはいなかった。

 けれど、以前は名前すら知らなかった相手と同じ競技に参加し、最後には「またね」と言えた。なら次に会った時、もう一歩だけ先へ進めるかもしれない。

 いつか本当に手を取れるなら、その時はよつは自身が見つけたものを、一緒に見られればいいと思う。

 ●

 閉会後の人混みから少し離れたところで、レオン・ヤノフスキが見下・七三子へ身を乗り出した。

「で、ご褒美は?」

「何か欲しいものがありますか? 今日は付き合ってもらいましたし、何でも買ってあげますよ」

「俺がほしいご褒美が、そんなもんのわけねえだろ?」

 レオンがにやりと笑う。その顔を見た七三子が、意味を察したようにわずかに身構えた。

「なみこちゃーん!」

「よつはちゃん……!」

 声のした方を向くと、よつはがこちらへ走ってくる。

 レオンもすぐにふざけるのをやめた。
 七三子から、二人の間に何があったのかは聞いている。なら、ここで自分が口を挟む話ではない。

 ただし、離れるつもりはなかった。七三子に危険が及べばすぐに動けるよう、その場に留まる。

 そんなレオンの警戒を知っているのかいないのか、よつはは二人の前まで来ると、まず彼へ人差し指を突きつけた。

「ボール割れなかった!」

「は?」

 続いて、その指が七三子へ向く。

「ボール割れた! 七三子ちゃんの勝ち!」

「おいいぃ! なんだそのルール!?」

 レオンが即座に抗議した。
 元は人間だとはいえ、今は吸血鬼である。立派な体格にも自信があり、力比べで簡単に引くつもりもない。そんな自分に、七三子より力がないと真正面から突きつけられては、さすがに思うところがあった。

「よし、スッキリした」

「それを言いに来ただけかよ!」

「え、そうだよ? じゃあねー!」

「待ってください!」

 踵を返しかけたよつはが止まる。

「うん?」

 七三子は呼び止めたものの、その先がすぐには出てこない。

 以前なら、聞きたいことはいくらでもあった。
 けれど、久しぶりに向き合った今、最初に口から出たのはもっと単純な言葉だった。

「お元気、でしたか?」

 よつはは少し間を置いてから答えた。

「どうだろうね。見ての通りってことにしとこうかな」

「よつはちゃんは、相変わらずですね」

 七三子は小さく笑った。

 今なら少しだけ分かる気がする。
 よつはは昔から、自己主張は強くとも、内側にあるものを簡単には見せない。
 助けを求めた時でさえそうだった。七三子を必要としながら、自分の計画のために利用する形を選び、本当のところを最後まで全部は明かさなかった。

 友達だからといって、何もかも話すような相手ではないのだ。

「なみこちゃんは変わったね」

「そうですか?」

「うーんとねー」

 よつはは言葉を探すように考えるポーズをとる。やがて、『これだ!』と思いついたようで、良い笑顔を七三子へと向けた。

「『おもしれー女』になった!」

「どういう意味ですか、それ!?」

「だぁーっはっはっはっはっ!」

 横で聞いていたレオンが耐えきれずに吹き出した。

「レオンも笑いすぎです!」

「いや、だってよぉ……!」

 七三子は頬を膨らませる。つい先ほどまで真面目な雰囲気になりかけていたはずなのだが、その空気はきれいに消えた。
 よつはは満足そうに笑ってから、改めて七三子を見る。

「なみこちゃん、今日は久しぶりに遊べて楽しかったよ」

 今度はふざけた声音ではなかった。
 七三子も姿勢を直す。

「それは、はい。私もです!」

「次からは敵同士だけど、これからもよろしく!」

「よつはちゃん……」

 七三子は今回、EDENの一人として祭りに参加している。ならば、よつはにとっては結と同じ側だ。

 昔のように、同じ組織で一緒に生きる関係には戻れない。それでも、今日一緒に遊んだことまで消えるわけではなかった。

「それとね」

 七三子が言葉に詰まっていると、よつははついでのように付け足した。

「男の人はもう少しちゃんと選ばないとダメだよ?」

「お前、ちょくちょくこっち刺してくんなっ!?」

「ええと、レオンはこう見えてそんなに悪い人じゃ……」

「試合中もちょくちょく赤いビキニの人の胸見てたよ」

 七三子の言葉が途中停止して、ゆっくりレオンへ顔を向けた。

「レオン?」

 笑顔である。だからこそ怖い。

「ちげえよ! あれは警戒してたんだって!!」

「胸を?」

「いや、そこじゃねぇよ! 蹴りとか動きとか全部だって!」

「そうですか」

「なんだよその納得してねぇ顔!」

 レオンが必死に弁明を始める。
 七三子の意識が完全にそちらへ向いた隙に、よつはは二歩ほど距離を取り、そのまま身体を反転させて走り出した。

 もう、七三子には七三子の幸せがある。
 隣には一緒に笑い、怒られれば必死に言い訳をして、それでも離れずにいる相手がいた。

 対して、よつはにはまだそれがない。
 今、自分が持っている確かなものは、たった一つ。よつはという|宝物《なまえ》だけだった。

 昔、なみこが自分へくれた名前。
 だから、その名前を与えてくれた相手の前で、七三子が今手にしている幸せを羨むような顔だけは見せたくなかった。

「じゃあねー、なみこちゃん!」

 よつはは振り返らずに手を上げた。

 ●

 水着コンテストから数日後。アクアインベス上層部へ提出した報告書を巡って散々問い詰められたくろぴは、すっかり疲れた顔でイケ|衆《す》へ戻ってきた。

 報告書には人類駆除の成果なしとある一方で、水着コンテスト、ビーチフラッグ、ビーチバレーへの参加記録が並んでいた。
 上層部から見れば、遊びに行っただけではないかと疑いたくなる内容だったのだろう。

「遊んでたわけじゃないのに……」

 ぶつぶつ言いながら店兼アジトの戸を開ける。

「あ、おかえりー」

「なんでいるの!?」

 くろぴは驚きで目をぱちくりした。
 客のほとんどいない店内の一角で、よつはが当然のようにテーブル席へ座っているのだ。

「遊びにきたよ」

「プレー」

 しかも膝の上にはプレコまで乗っていた。よつはが頭を撫でるたびに、プレコは気持ちよさそうに身体を預けている。

「どうやってここが?」

「だって、旗でお店の宣伝してたから」

「やっぱりあれかー……」

 大会当日は大慌てで旗を交換させたが、完全に手遅れだったらしい。
 ただし、店を突き止めたのがEDENの大集団ではなく、よつは一人だった点については幸運と言っていい。少なくとも今の彼女には、アジトを敵対しようとする様子はなかった。

「見てくださいよ店長~」

 きゃねるが嬉しそうな声で呼ぶ。

「今度はなに……?」

 くろぴが近づくと、テーブルの上には見慣れないグラスが置かれていた。

 中身は青緑色の透き通ったソーダで、その中には魚の形に抜かれた小さな寒天が数匹入っている。透明なゼリーの中でそれぞれ高さをずらして固定してあるため、横から見ると魚たちが水中を泳いでいるように見えた。

 表面には薄く仕立てた緑色のゼリーが葉のように浮かび、その横には紫色の花を模した小さなゼリーが添えられている。グラスの中に小さな池を閉じ込めたような見た目だった。

「すごく綺麗……これ、どうしたの?」

「よつはさんが考えてくれたんですよ~」

「よつはさんが?」

 くろぴが振り返る。

「いつもこんな感じで、お客さんが来ないって聞いたから」

「こんな感じって……」

 反論しようとして店内を見回すが、目につくのは空席。空席。空席……あまりに否定しづらい。

 イケ衆がアクアリウム喫茶を名乗るうえで抱えている致命的な問題は、魚を愛する組織であるがゆえに、魚料理を一切提供しようとしないことだった。

 その点、このソーダなら本物の魚を使わず、見た目だけでアクアリウムらしさを出せる。
 問題があるとすれば、今の店内が居酒屋に近い雰囲気なので、飲み物だけ妙に洒落て見えることくらいだろう。

「作戦は手伝ってあげられなかったから、その代わりにね」

 よつはがプレコの頭を撫でながら言う。
 くろぴとしては、むしろ今からでも人類駆除へ協力してほしかった。しかし、その話を蒸し返したところで、当人に引き受ける気はなさそうである。

「偽物とはいえ、人間にお魚を食べる料理を出すのは……」

「店長、頭固すぎですよ~」

 きゃねるがすぐに割って入った。

「寒天ですよ~。お魚さんじゃありません~。ほら、食べてみてください~」

「でも魚の形してるし……」

「形まで禁止したら、たい焼きも敵ですよ~?」

 きゃねるからすれば、店の中でそれほど手間をかけずに作れて、しかも甘い新メニューが増えるのだから歓迎する理由しかないのだろう。
 くろぴは部下の熱量に押されつつもまだ迷いながら、差し出されたスプーンで魚型の寒天をすくって口へ入れた。

 寒天自体はさっぱりした甘さで、ソーダの酸味とも合う。
 表面に浮かべたゼリーは寒天とは違う風味で、全部を一緒に食べても味が喧嘩していなかった。

「どうです~?」

「…………」

 くろぴは答える代わりに、もう一口すくった。

 悪くない。見た目もよく、材料も特別高価ではないうえ、調理も店内で無理なくこなせる。何より、今までのイケ衆にはなかった『この店ならでは』と思わせる要素がある。

 それでも、魚の形をしたものを人間に提供するという一点だけが、くろぴの中で最後まで引っかかった。

「う~~……………………採用っ!」

「やったあ!」

「やりましたね~!」

「プレー!」

 よつはときゃねるが喜び、膝の上のプレコまで一緒になって鳴く。
 くろぴはまだ少し不満そうだったが、グラスをもう一度見下ろした。青緑色の中を泳ぐ魚型の寒天と、水面に浮かぶような緑の葉、紫の花は、確かにアクアリウム喫茶のメニューとして悪くない。

 こうしてイケ衆に新しいスイーツドリンクが加わった。その見た目が少しだけ話題を呼び、しばらくの間は以前より多くの客が店を訪れたという。

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