シナリオ

叶えよわが願い、と警官は言った

#√妖怪百鬼夜行

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 #√妖怪百鬼夜行

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●√妖怪百鬼夜行にて
「まさか、官憲が|妾《わらわ》に取引を持ちかけてくるとはのう。意外や意外……いや、そうでもないか。いつの世もお上は腐っておるでな」
 潮の香りを含んだ薄い霧の中で声がした。海千山千の老女のようでありながら、あどけない少女を連想させ、色香漂う美女にも思える――そんな不思議な声。
 そこには痩身の人影があったが、声の主は彼もしくは彼女ではない。
「腐った小者なんぞの手を借りるのは癪ではあるが――」
 不思議な声がまた聞こえてきた。
 人影の前に建っている古い祠の中から。
「――背に腹はかえられぬ。さあ、この忌々しい封印を解くがよい。さすれば、おぬしの願いを叶えてやるわ」
「……」
 人影は無言で頭を垂れた。

●√EDENにて
「……っていう内容のゾディアック・サインを見たんだー」
 √能力者の前で語っているのは、赤いバンダナを首に巻いたバセットハウンド。
 星詠みのイヌマル・イヌマルである。
 彼が得たゾディアック・サインによると、とある祠に封印されていた『鳳凰童子』なる古妖が解き放たれたのだという。
 祠がある場所は、日本海に面した小さな観光街。『リトル|亜米利加《あめりか》』という俗称で知られているが、アメリカンな要素は少ない。かといって、売りになる要素が他にあるわけでもない。お世辞にも賑わっているとは言えない街だ。
「そのリトル亜米利加に行って、鳳凰童子をやっつけてほしいんだ。それと、封印を破った犯人も見つけ出してよ。鳳凰童子をやっつけることができたとしても、犯人を放っておいたら、また同じことが起きるかもしれないからね」

 これもまたゾディアック・サインで知ることができた情報だが、封印を破った者は警官であるらしい。ただし、顔も名前も性別も判らない。
「ラッキーなことにリトル亜米利加では『パトロール体験ツアー』っていう観光客向けのサービスをやってるんだ。それに参加したら、犯人を特定するためのヒントが掴めるかもしれないよ」
 リトル亜米利加内には三十六尊の地蔵がある。それらは古妖が復活した際に発動する警報装置であり、県警から派遣された警官たちが定期的にチェックしている(既に封印は破られているにもかかわらず、警報は作動していない。これも犯人の仕業か?)
 そのチェック作業に同行できるのが『パトロール体験ツアー』だ。ちなみに今日までの参加者は十人にも満たないのだという。『お巡りさんと一緒にお地蔵様を見て回る』というプランに魅力を感じる人間は少ないらしい。
「√妖怪百鬼夜行の警官の資格を持っている人は、よその署からの助っ人の振りをするという手もあるね。てゆーか、たとえ資格がなくても、警官になりすますのは難しくないかも。リトル亜米利加を管轄している署はかなりルーズなところらしいから」

 鳳凰童子は封印から解き放たれたものの、往事の力を取り戻していないため、今はまだ祠から離れることができない。つまり、犯人を見つけ出して捕縛する(場合によっては改心させる)ための時間的余裕はたっぷりあるということだ。
 そのことを伝えた後、バセットハウンドの星詠みは尻尾を振って皆を送り出した。
「健闘を祈るよ! わおーん!」

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第1章 日常 『メンテナンス作業は、旅情と共に。』


●序幕
 日本海に面した小さな観光街。
 通称、リトル|亜米利加《あめりか》。
 かつては名もなき漁村だったのだが、いずれ漁業だけでは立ち行かなくなるかもしれないと危惧した住民たちが半世紀ほど前から観光にも力を入れるようになった。
 しかし、力の入れどころを間違ってしまったらしい。出来上がったのは、場末の温泉街のごときキッチュでチープな町並み。旅館も土産屋も各種屋台も安っぽくて書き割りめいており、物理的な意味でも抽象的な意味でも薄っぺらく見える。しかも、温泉街のようでありながら、肝心の温泉がない。
 当然、観光客など集まらなかった。やって来るのは物好きか情報弱者か逃亡犯か心中を企むカップルばかり。それでも観光街としての命脈を首の皮一枚のところで保っていられるのは、立ち行かなくなると思っていた漁業が順調に回り、観光不振をカバーしてくれているからだ。なんとも皮肉な話である。
 そんな名ばかりの観光街の一角に警察官の小さな詰め所があった。交番でもなければ、駐在所でもない。この区域だけに設けられた『巡察待機所』なる施設だ。

 √能力者たちは巡察待機所へと足を踏み入れた。
 中には制服姿の警官たちがいた。女が一人に男が二人。制服は普通のものだが、全員が星形のバッジを胸につけ、脇にテンガロンを置いている。女に至っては拍車付きのカウボーイブーツまで履いている。観光客向けのサービスの一環として(おそらく、当人たちは嫌々ながら)|保安官《シェリフ》のコスプレじみた格好をしているのだろうが、これを見て『一緒に写真を撮ってくださーい』などと頼む観光客がいるかどうかは怪しいところ。
「やあ」
 カウボーイブーツの女が√能力者たちに会釈した。
「『パトロール体験ツアー』の参加者だね? |他署《よそ》からの臨時要員もいるのかな? 人手は十二分に足りているから、後者はべつに必要ないんだが……まあ、一応は歓迎しておこう」
 女の顔立ちは気品と野性味を兼ね備えていた。年齢は三十歳前後だろうか。スレンダーな体格をしているが、警官だけあって、貧弱な印象は受けない。
「あたしは今期の巡察班の班長を務めている|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》。鐙の付喪神だ。実年齢は訊かないでくれ。下手すると、君らの曾々々お婆ちゃんよりも年上だからね。で、こっちは――」
 歩が指し示したのは、男の警官のうちの一人。
 三十代半ばと思わしき痩せぎすの妖狐である。
「――班員の|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》だ」
「けっ!」
 寛一は√能力者たちを睨みつけた。丸顔な上に垂れ目なので、痩せた狸のように見える。
「なんで、物見遊山に来た連中なんかの相手をしなくちゃいけねえんだよぉ。俺らは観光ガイドじゃねえんだぞ」
「この判りやすいアピールで察することができたと思うが――」
 歩が√能力者たちにニヤリと笑いかけた。
「――観光地の住人のくせして、寛一は余所者が大嫌いなんだ。それに人間も嫌いだし、妖狐以外の妖怪も嫌いだし、生意気な若造も嫌いだし、口うるさい老いぼれも嫌いだし、女子供も大嫌いと来ている。だけど、根は良い奴……と思わせて、実は性根も腐ってるかもね」
「うっせーわ!」
 歩に怒声をぶつける寛一。上司に対しても牙を剥くタイプらしい。
 その無礼な態度を咎めもせず、歩はもう一人の警官を紹介した。
「こっちの班員は|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》。見ての通りのマジメくんだ」
「ど、ど、どうも……よ、よろしくお願いします」
 眼鏡をかけた長身痩躯の青年――誠治郎は吃り声で挨拶した。レンズ越しの視線を常に泳がせ、誰とも目を合わせようとしない。人見知りなのか。あるいは、なにか|疚《やま》しいことでもあるのか。
 歩はまたもやニヤリと笑った。
「こう見えて、彼は愛妻家でね。家で待ってる素敵な妖狐の奥様のことで頭の中がいっぱいなんだよ」
「けっ!」
 寛一が、睨む相手を誠治郎に変えた。
「なぁーにが素敵なもんか。ニンゲンなんぞと所帯を持つなんて、妖狐の面汚しだぜ」
「す、すいません……」
「なんで謝るんだよぉ!? てめえの女房が侮辱されたんだぞ! ここはキレるところだろうが!」
「まあまあ」
 と、歩が形だけの仲裁をした。
 そして、脇に置いていたテンガロンを頭に乗せ、√能力者たちに言った。
「これから三人で手分けして、各地の警報装置のチェックをおこなう。見学希望者は誰か一人にについていくといい。でも、そんなに面白いもんじゃないよ? あたしとしては、屋台巡りでもすることをお勧めするね。寂れた町ではあるけども、熱々シーフードの味はなかなかのものだ。ロブスターロールにクラブケーキにクラムチャウダー。それらと相性ばっちりの『|影鰐《かげわに》ビヰル』も忘れちゃいけない。でも、未成年は『ゲドウソヲダ』で我慢しておいてくれ」
 歩は饒舌だった。これほどまでに屋台巡りのほうを勧めるのは、たんなる親切心からだろうか?
 それとも、パトロールに同行してほしくない理由でもあるのだろうか?
 
野原・アザミ

●第一幕第一場
「カウボーイブーツにテンガロン、お似合いですね」
「ありがと。最初の頃はちょっと恥ずかしかったけど、今はもう慣れちゃったよ。元が鐙だからか、キツめの靴を履くのもさして苦ではないしね」
 パトロール体験ツアーの参加者と言葉を交わしながら、|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》はリトル|亜米利加《あめりか》の大通りを歩いていた。
「鐙の付喪神って珍しいですね」
 歩に話しかけてるツアー参加者は、金の瞳と黒い髪を有した三十歳前後の女――野原・アザミ(人間(√妖怪百鬼夜行)の|載霊禍祓士《さいれいまがばらいし》・h04010)である。付喪神の歩と違って本物の三十代だが、その落ち着いた物腰とどこか神秘的な雰囲気は実年齢以上の年輪を感じさせる。もちろん、良い意味で。
「確かに希少種かもしれないね。だけど――」
 歩は芝居がかった調子で肩をすくめてみせた。
「――なまじ珍しいだけに男運には恵まれないよ。鐙の付喪神と知って寄ってくる男はろくなもんじゃない。靴フェチとか、競馬狂いのクズとか、女を平気で踏みつける輩とかね」
「ご苦労なさってるんですね」
「いやいや、真に受けないでよ。冗談だってば」
 癖の強い美女の二人連れとなれば、道行く者も次々と振り返る……とはいかなかった。二人に魅力が欠けているのではない。そもそも『道行く者』の数が少ないのだ。しかも、その大半は旅行客ではなく、地元住民である。オーバーツーリズムとは無縁の街。
「ここに警報装置の一つがあるんだ」
 歩が、二軒の土産屋に挟まれた路地へと入った。
 その後に続くアザミ。
 路地の突き当たりにはドールハウスサイズの簡素な祠があり、その大きさに見合った小さな地蔵が祀られていた。
「このお地蔵様が警報装置なんですね?」
「うん。古妖の封印に異常があれば、泣き声のような音を出して知らせてくれるんだってさ」
「お地蔵様は三十六尊あると聞きました。巡察班は三手に分かれているわけですから、歩さんはあと十一尊のお地蔵様をチェックされるのですね」
「チェックといっても、パッと見て終わりだけどね」
 実際、歩は地蔵を『パッと見』る以上のことはせず、祠に背を向けて大通りに戻ろうとした。
 しかし、アザミはその場に留まった。
「せっかくですから、ちょっと拝ませてください」
 祠の前で腰を屈め、歩に悟られないように地蔵に触れて、『|武装化記憶《サイコメトリック・ジオキシス》』を発動。物品の『過去の所有者の記憶』と話す√能力である。
 アザミの心の触覚が捉えた記憶は、地蔵の作り手のそれだった。路傍の地蔵は街の共用物なので、『所有者』に相当する存在が他にいなかったのだろう。
 心の中で作り手(の記憶)と語り終えたアザミはなにげない調子で歩に尋ねた。
「この警報装置の対象である古妖について、なにか言い伝えはあるのですか?」
「古妖は『鳳凰童子』と呼ばれていたのだとか。二つ名は『不死の象徴』。詳しいことは知らないけれど、『|妾《わらわ》の血を飲めば、不死になれるぞよー』とか言って人を惑わせていたらしいよ」
 それは作り手が教えてくれた情報と同じだった。歩は(少なくとも、鳳凰童子に関しては)嘘を言っていない。
 アザミは地蔵から手を離す寸前、その小さな石の体の前面を覆う赤い前垂れを素早くめくった。作り手の情報によると、地蔵の腹部には刻印が施されているという。警報装置の要である刻印だ。
 はたして、前垂れの下には刻印があった。
 傷をつけられた刻印が。
 この傷のせいで警報が発動しなかっただろう。
(見たところ、古い傷じゃない。ここ数日の間につけられたのでしょうね)
 そう見当をつけて、アザミは立ち上がった。
 振り返り、歩を見る。
 歩は飄々とした表情を崩していない。アザミの一連の行動には気付いていないようだ。あるいは胆力や演技力で以て、動揺や不審を隠しているのか。
 アザミもまた疑惑と疑問を微笑で隠し、歩を見つめ続けた。
 そして、暫しの奇妙な沈黙の後――
「じゃあ、行こうか」
「はい」
 ――癖の強い二人の美女は路地裏から大通りに戻った。
 

テオフラス・リンリムト
人身塚・静子
早乙女・伽羅
瀬条・兎比良

●第一幕第二場
 |赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》がパトロールに出かけた後も、|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》と|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》は巡察待機所に留まっていた。
 誠治郎は準備にもたついているだけだが、寛一のほうは違う。
「けっ! めんどくせえな、まったくよぉ……」
 明らかに腰が重い。椅子に座ったまま、聞こえよがしに不平をこぼし、触るものみな傷つけるような刺々しい雰囲気を全面に出している。
 しかし、そんな雰囲気など意に介することなく――
「そろそろ、行こうか?」
 ――鼻眼鏡をかけた和服姿の獣人が促した。
 猫又の|早乙女《さおとめ》・|伽羅《きゃら》(元警察官の画廊店主・h00414)である。猫種がメインクーンだけあって立派な体格をしており、被毛にもボリュームがある。おまけに尻尾は二本。痩せぎすな上に尻尾が一本しかない寛一(人妖の九尾狐とは別種らしい)は完全に貫禄負けしていた。
「うっせーわ! 今、行こうとしていたとこなんだよっ!」
 母親に『宿題は済んだの!』と言われた反抗期の少年のごときリアクションをしながら、寛一は椅子から乱暴に立ち上がり、テンガロンを被った。
 刺々しさが倍増したが、その程度のことで動じる伽羅ではない。
「急かすようで悪いが、俺は地域の安全を守る君たちの仕事をよく知りたいんだ」
 その声は決して威圧的なものではなかった。しかし、『威』はなくとも、静かな『圧』はある。母親どころか軍隊や警察の上官のごとき『圧』だ。
「仕事振りのいかんで地域住民の感謝の念や協力の気持ちも一層強まることだろうしね」
「……」
 さすがの寛一も鼻白み、なにも言い返さずに巡察待機所の外に出た。
 後に続くのは三人のツアー参加者。しかし、そこに伽羅は含まれていない。
 彼は寛一の後を追わず、誠治郎に近付き、そっと耳打ちした。
「俺も君も同じだ。立場は逆だがね」
「……は、はい?」
 当惑する誠治郎。目の泳ぎ方がよりダイナミックになっている。平泳ぎからバタフライへ。
「人間と結婚したということだよ。もう亡くなったが……俺は妻を愛していたし、妻も俺を愛してくれた」
「そ、そ、そうですか……」
「きっと、君の奥さんも君のことを深く愛しているんだろうな」
「……」
 誠治郎はびくりと体を震わせた。もう、目を泳がせてはいない。思い詰めたような顔をして、足元の一点を見つめている。
 伽羅はそのことに気付かぬ振りをして――
「では」
 ――誠治郎の肩を叩くと、寛一たちに追いつくべく、足早に退出した。

●第一幕第三場
「けっ! なぁーにがパトロール体験ツアーだ。こんなもんのなにが楽しいんだか……」
 ぶつぶつと毒づきながら、寛一は街を巡回していた。
 観光街とは思えぬほど人通りはまばらだが、彼の周囲の人口密度は低くない。すぐ後ろを大中小三人のツアー参加者が歩いているのだから。
 |大《だい》は、首にヘッドホンをかけたドラゴンプロトコル――テオフラス・リンリムト(家電竜・h00051)。その身の丈は三メートル近くもある。縦だけに長いわけではなく、肩幅も相当なもの。伽羅に貫禄負けしていた寛一だが、テオフラスが相手では勝ち負け以前の問題だ。
 |中《ちゅう》は、見るからに堅物といった風貌の男――|瀬条《セジョウ》・|兎比良《トビラ》(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)。双眸に湛えられた眼光はただ鋭いだけでなく、眼鏡のレンズによって冷たさも加えられている。髪型は、一筋の乱れも許さぬとばかりにきっちりと撫でつけたオールバックだ。
 |小《しょう》は、十歳前後の少女――|人身塚《ひとみづか》・|静子《しずこ》(ルートブレイカー・h01648)。その口元に浮かぶあどけない笑みは、身長三メートル弱のドラゴンプロトコルと眼光鋭き堅物とが醸し出している異様な迫力を和らげるに充分なものであった。だが、観察力のある者ならば、見出すかもしれない。静子の笑みの奥に隠された、年齢不相応な諦観めいた落ち着きを。
 そこに第四のメンバーが加わった。
 遅れてやってきた伽羅である。
「白砂を揺さぶってみたのでしょう? 反応はどうでした?」
 前を行く寛一に聞こえぬように声を潜めて、兎比良が伽羅に尋ねた。
「怪しいと言えば、かなり怪しい。もっとも、家庭内のあれやこれやで気が張りつめているだけという可能性もある。異種間夫婦は苦労が絶えないだろうからな」
「御自分の経験則による所感ですか?」
「『幸せ』と『苦労』が同義語なら、俺たちほど苦労続きの夫婦はそういなかっただろうねえ」
「ごちそうさまです」
 その時、寛一が足を止めて――
「これが警報装置だ。拝みたきゃ、拝んどきな」
 ――路傍に立つ小さな地蔵を指し示した。
 そして、すぐにまた歩き出した。
「あれ? チェックはしなくていいの?」
 静子が尋ねると、寛一は振り返りもせずに怒声を返してきた。
「ちゃんとチェックしただろうが!」
「いやいや」
 と、テオフラスが顔の前で手を振った。
「今のはチェックじゃなくて、ただのチラ見っすよね?」
「チラ見で充分なんだよぉ!」
「そういう態度はいただけませんね」
 と、静かながらも厳しい声を寛一の背中にぶつけたのは兎比良だ。
「警察官にあるまじき言動ですよ」
「うっせーわ! イッパンジンがお巡りの仕事に口出ししてんじゃねえ!」
「いえ、私も警察官ですが?」
「うそぉ~んっ!?」
 叫びざまに足を止めて振り返る寛一。不意打ちはかなり効いたらしく、鳩が豆鉄砲を食らったような……いや、狐が油揚げビンタを食らったような顔をしている。
 その虚を衝いて、兎比良は畳みかけた。
「私はここを訪れた目的は観光であり、職務とは関係ありません。しかし、同じ警察官としてあなたに訊きたい。なぜ、そのように不遜な態度を取るのですか? ティーンエイジャーではあるまいし、意味もなく反発しているわけではないでしょう。仮に意味がないのだとしたら、警察官としてだけでなく、人としても問題がありますよ。あなたは職務に誇りはないのですか? この土地を愛していないのですか? 胸に戴くバッジの重みを忘れてしまったのですか?」
「重みなんかねーわ! プラ製だし! そこいらの土産屋に同じもんが並んでるし!」
 やけくそ気味に怒鳴る寛一の姿は不良警官というよりも駄々っ子のそれであった。
「兎比良くん、兎比良くん」
 テオフラスが腰を曲げ、兎比良の耳元で囁いた。
「本人に訊くまでもないっすよ。寛一くんが憎まれ口ばっかり叩いてるのは『舐められたくない』とか『弱みを見せたくない』とか思ってるからっす。なんか、ネットドラマでそういうの見たことあるから、間違いないっすね」
「……なんでネットドラマなんだ?」
 兎比良の横にいた伽羅が苦笑した。テオフラス自身は『囁いた』つもりであったが、その声は全員に筒抜けだったのだ。
 声量を落とすことなく、ドラゴンプロトコルは囁き続けた。
「寛一くんはホントはいい|狐《やつ》っすよ。おいらの直感がたぶん、きっと、おそらく、めいびーって言ってるっす。見えないところで道行くばあちゃんの荷物を持ってあげちゃったりするタイプっすね」
「なるほどー」
 静子が深く頷いた。
「じゃあ、心優しい不良のお約束イベントの『雨の日に捨て犬を拾う』もクリアしてるよね。ざっと五十匹くらい?」
「そんなに拾ったら、ペットショップが開けるわ!」
 寛一はキレよくツッコむと、前に向き直ってまた歩き出した。静子たちから逃げ出すように。
 無論、逃げられはしない。
「ねえねえ」
 静子が寛一の背中をつついた。
「寛一さんはどうして警察官になったの?」
「食いっぱぐれねえからだよ!」
「警官という職業に過度の期待を抱かないほうがいいぞ」
 と、しみじみとした口調で伽羅が忠告した。
「思っている以上に潰しが効かないからな」
「潰さねーし! 定年までやり遂げるし!」
「ねえねえ」
 静子がまたもや寛一の背中をつつき、先程の質問を繰り返した。
「どうして警察官になったの? 本当のことを教えてよ」
「うっせーわ!」
 怒声を響かせる寛一であったが、それは対話拒否の意思表示ではなかったらしい。暫し間を置いてから、ぽつぽつと語り出した。
「最近はそうでもねえけどよぉ、俺がガキの頃にゃあ、ここに来る余所者どもの中には|質《たち》の悪い奴らも結構いたんだ。そういった連中をシメるためにはお巡りの肩書きがあったほうがいいんだよ。ただの地元民がシメたりしたら、色々と面倒なことになっちまうからな」
「つまり、地元を守るために警察官になったのね。テオフラスくんの言う通り、良い人だったんだー」
「うっせーわ!」
 その後も静子の質問攻めは続いた。
 意外なことに寛一は(間に何度も『けっ!』と『うっせーわ!』を挟みつつも)すべての質問に答えた。静子の無邪気さに|中《あ》てられたのだ。より正確に言うと、彼女の√能力『|無邪気の花園《イノセントワールド》』によって、説得や問いかけや言いくるめに対する抵抗力を低下させられたのだ。
 その質問攻めが一区切りしたところで、寛一は今までの鬱憤を晴らすかのように――
「邪魔だ、コラァ! チンタラ歩いてんじゃねえよ!」
 ――道行く老女に暴言をぶつけた。挙げ句に、老女が担いでいた背負い行李を奪い取った。現職警官による白昼の強奪。もっとも、強奪された側はにこにこ笑い、『いつもありがとねえ、寛ちゃん』と礼を述べている。
「『寛ちゃん』はやめろ、クソババア! 食い殺すぞ!」
 寛一は悪態をつき続けた。老女の重い荷を代わりに運んでいる間もずっと。
「おいら、間違ってたっす」
 ニヤニヤと笑いながら、テオフラスが自らの過ちを認めた。
「見えないところでばあちゃんを助けるタイプじゃなくて、見えてるところでも助けるタイプだったっすよ」
「これほど判りやすい|狐《ひと》もいまどき珍しいね……」
 ほのぼのとした光景を呆れ顔で眺める静子であった。

●第一幕第四場
 寛一が老女をエスコートして自宅へと送り終えたところで――
「素晴らしい」
 ――伽羅が緩く拍手した。
「なんだかんだ言いながらも、地域住民の信頼をしっかり勝ち得ているんだな。警察官の鑑だ」
「てめぇ……」
 寛一は伽羅をぎろりと睨みつけた。
「待機所で会った時からクサいと思っていたが……そこのオールバック野郎と同じく、余所の警察の|者《もん》だろ? しかも、下っ端じゃねえな?」
「ほほう。鋭いな」
 ちっとも鋭くない。『伽羅が警察関係者』という結論に寛一は自力で辿り着いたわけではなかった。そう思い込むように伽羅が仕向けたのだ。しかも、その結論は真実ではなかった。伽羅が警察に勤めていたのは昔の話。今は一介の市民である。
「なんで、白襟のお偉いさんがこんな辺鄙なところに来たんだよぉ? まさか、班長か白砂が監察の対象にでもなってんじゃねえだろうな?」
 その言葉を聞いた瞬間に伽羅は『はい、釣れた!』と心の中で歓声をあげたが、表情には出さなかった。
「なぜ、我々の狙いが赤石さんか白砂さんだと思うのですか?」
 と、兎比良が寛一に問いかけた。
「そんなもん、消去法に決まってんじゃねえか。俺にはヤマしいことなんて一つもねえんだから、班長か白砂しかねえわな。それに……」
 言い淀む寛一。しかし、『|無邪気の花園《イノセントワールド》』の作用から逃れることはできなかった。
「……あの二人、最近ちょっと様子がおかしいんだ。どこがどうおかしいのかは自分でもよく判らねえけど……なんか隠してる気がする」
 兎比良と伽羅は目線を交わし――
「……」
「……」
 ――無言で頷き合った。
「まあ、誰にでも隠し事や秘密はあるっすからね」
 テオフラスが言った。場に満ちた緊張感を和らげるような調子で。
「『寛一くんが実は良い|狐《やつ》』っていうのも、おいらたちだけの秘密っす。誰にも言わないし、イジったりもしないから安心していいっすよ!」
 いい笑顔でサムズアップ。ドラゴンプロトコルにも『いい笑顔』はできるのだ。
「この時点でもうイジってんじゃねえか!」
 と、抗議する寛一を無視して、テオフラスは話題を変えた。
「この秘密も共有しといたほうがいいっすかね。みんなと一緒に歩いている時、何度か視線を感じったっすよ」
「んー?」
 静子が首をかしげた。
「テオフラスくんに視線が集まるのは当然じゃないの? とっても目立つ外見なんだから」
「いやいや、妖怪が跋扈するこの√では、おいらなんてモブキャラも同然っすよ。きっと、あの視線は――」
 思わせぶりに声を潜めるテオフラス。和らげられたはずの緊張感がまた濃度を増した。
「――おいらじゃなくて、寛一くんに対するものっすね」
 

クアドラ・キューブ

●第一幕第五場
「あの旅行客らしきおじさんが食べてるクリームコロッケみたいな物はなんなの? すごく美味しそう」
「クラブケーキだよ。リトル|亜米利加《あめりか》の名物の一つだ」
「あっちの角にある教会みたいな古い建物はなに?」
「リトル亜米利加の唯一の映画館『楽園座』さ」
「ふーん。じゃあ、あれは……」
 パトロール中の|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》に対して矢継ぎ早に質問を投げる少女。
 ツアー参加者のクアドラ・キューブ(人生は続く・h01230)である。
 彼女の顔はパッチワークを連想させた。何条もの縫い目が走り、それらを境にして肌の色が変わっているのだ。どの肌色も暗く、血の気がない。死人のように。
 そう、クアドラはデッドマンだった。
 しかし、いかに肌色が暗かろうと、デッドマンであろうと、今のクアドラに対して忌避感を覚える者は少ないだろう。√能力『デッドマンズ・チョイス』によって、魅力が高まっているのだから。
 強化した魅力で歩の懐に踏み込みつつ、クアドラは質問の対象を変えた。街で目につく諸々から、歩とその同僚たちへと。
「巡察班の三人は仲良しなの?」
「お世辞にも仲良しとは言えないねえ。だけど、洒落にならないレベルで険悪ってわけでもないかな」
「普段、皆で遊んだりする?」
「滅多にないよ。|黒岩《くろいわ》はあんな感じだし、|白砂《しらすな》は家庭一筋だし、あたしも公私はなるべく分けたいほうだからね」
 クアドラの相手をしている間、歩はあちらこちらに会釈したり、返答を中断して『やあ、どうも』などと言ったりしていた。地元住民の挨拶に応えているのだ。
(街の人たちからは好意的に見られている模様、と……)
 クアドラは心の中のメモにしたためた。彼女もまた地元住民から頻繁に声をかけられている。これも強化された魅力の影響だが、もてなすべき観光客だからという理由もあるだろう。
 人々に愛想笑いを返しつつ、クアドラは歩に質問を続けた。
「『滅多にない』っていうのは『皆無』って意味じゃないよね?」
「まあね。休日にわざわざ集まったりはしないけど、仕事帰りに皆で飲んだりすることはあるよ。白砂の奥様に会ったこともある。夫婦揃ってラブラブって感じだったね。女に縁のない黒岩は悔しがってたけど、べつに寂しくはなかろうさ。ああ見えて、町の御老人がたにモテモテだからね」
「ふーん。あ? あれって、例の警報装置だよね?」
 前方に小さな地蔵を認めて、クアドラは小走りに歩を追い抜いた。
 そして、地蔵の前で急停止し、その小さな石の体の前面を覆う赤い前掛けへと手を伸ばした。アザミのように歩の目を盗んではいない。むしろ、目に留まることを意図している。
「触るなっ!」
 歩が警告した。
 普段の飄々とした彼女からは想像もつかない剣幕で。
「……え?」
 と、クアドラが驚いた振りをしてみせると、歩は慌てて笑顔をつくった。
「怒鳴ってごめんね。だけど、それは無闇にいじっちゃいけないんだ。ほら、この街にとって重要な物だからさ。判るだろう?」
 笑顔といっても、クアドラから見えるのは口元だけ。歩は顔の上半分を隠すかのようにテンガロンを傾けていた。
 目は笑っていないのかもしれない。
 

伽々里・杏奈
道明・玻縷霞
吉住・藤蔵
逝名井・大洋

●第一幕第六場
 おどおどと目を泳がせ、ただでさえ痩せている身体を更に縮こませて、人に挨拶されると「ど、どうも……」と蚊が鳴くような声で答え、何者かから逃げるように早歩きで通りを行く。
 その男の挙動は見るからに怪しいものだったが、通報されることはないだろう。
 彼――|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》は警官なのだから。
 そして、怪しさとは無縁の(とはいえ、ある意味では誠治郎以上に怪しいが)同行者たちがいるのだから。
「おまわりさん気分でパトロール体験できるとか、絶対に楽しいやつー。大人のジャリザニアって感じ? まあ、ウチは大人じゃないんだけどねー」
 子供向けの職業体験施設の名を口にしたのは、髪を金色に染めた少女――|伽々里《かがり》・|杏奈《あんな》(Decoterrorist・h01605)。霊長類ヒト科ギャルの生態レポートに見本写真として添付されそうな出で立ちからは想像もできないが、実は符術に長けた陰陽師である。
「いやいや、杏奈ちゃん。本当に楽しいものの前ではオトナもコドモも関係ないと思うよ」
 したり顔で意見を述べたのは、黒いスーツをだらしなく着崩した銀髪の青年――|逝名井《いけない》・|大洋《たいよう》(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)。ゴールドとシルバーのアクセサリーの見本市めいた出で立ちからは想像もできないが、実は|警視庁異能捜査官《カミガリ》である。
「……と、大洋ちゃんは仰ってますがー、白砂ちゃんの見解はぁー?」
 杏奈は誠治郎の右側に並び、うつむき気味の顔を覗き込んだ。
「てか、もう『白ちゃん』でいいか? いいよねー。はい、『白ちゃん』呼び決定ぇーっ!」
「いや、あ、あの……」
 口ごもる誠治郎の左側に――
「えっ? いいなぁ。じゃあ、ボクも『白ちゃん』って呼んじゃおーっと!」
 ――大洋が並んだ。
「……」
 誠治郎はもう口ごもっていない。完全に黙り込んでいる。陽キャにサンドイッチにされる陰キャ。見る者によっては、胸が抉られるような光景だろう。
 ツアー参加者は他にもいた。誠治郎たちのやや後方を歩いている二人組だ。
 一人は、眼鏡をかけた真面目そうな男。
 もう一人は、白衣姿の気だるげな男。
 彼らもまた警視庁異能捜査官である。
「やれやれ……ああいうのを『ウザがらみ』と言うのでしたっけ?」
 眼鏡の男――狛犬の付喪神の|道明《どうみょう》・|玻縷霞《はるか》(普通の捜査官・h01642)が溜息をついた。
「伽々里さんも逝名井さんもはしゃぎ過ぎですね」
「うんにゃ。あれでええだよ」
 白衣の男――|吉住《よしずみ》・|藤蔵《とうぞう》(毒蛇憑き・h01256)が言った。
「ああいう風にきゃーきゃー騒いでるほうが観光客らしく見えるべさ。道明も見習ったほうがええ。しかめっ面してっと、警戒されっぞ」
「お言葉ですが、この面子の中で最も警戒心を呼び起こしそうなのは吉住さんだと思いますよ。それに私はしかめっ面などしていません。もっとも――」
 玻縷霞の眉が僅かに吊り上がった。
「――顔をしかめてこそいませんが、この件には憤りを覚えています。警察官が事件を招くなど、言語道断ですよ」
「んだな。やっぱし、警察関係者としては、警察官が悪さしたのは見過ごせねえだ」
『悪さ』をしたかもしれぬ誠治郎の背を凝視する藤蔵。その口の端から舌がちろりと覗いた。蛇のそれのように先端が二股になっている。いや、『ように』ではない。それは実際に蛇の舌だった。藤蔵は蛇神憑きなのだ。
 異形の舌で以て、藤蔵は誠治郎の匂いを頻繁に嗅いでいた。イヌマルが詠んだゾディアック・サインの情報に基づき、『封印を破った者には潮の匂いが染み着いている』と判断したからだ。しかし、芳しい結果は得られなかった。当然といえよう。ここは海に面した町なのだから、誰もが潮の香りを漂わせている。
「なかなか尻尾を掴ませてくれねえだな」
「最初から尻尾など生えてないという可能性もありますがね」
「白砂だけにシロだってか?」
 二人がそんなやり取りをしていると、前の三人組の様子に変化が生じた。
 貝のように押し黙っていた誠治郎が久々に言葉を発したのだ。
「そ、それは……い、いけません」
 話しかけられた相手は大洋。いつの間にやら、煙草を取り出している。
「リ、リトル|亜米利加《あめりか》の市町村条例によって……ろ、路上喫煙は……き、禁止されています」
「べつにいーじゃん。カタいこと言わないでよ」
「いえ、い、いけません。条例による制限の有無にかかわらず……路上喫煙は危険な行為であり、マナー違反でもあります……指定された、喫煙所でお願い、し、します」
 しゃべり方はしどろもどろではあるものの、断固とした意思が感じられる。警官として最低限の責任感は持ち合わせているらしい。大洋が渋々と煙草をかたづけると、また閉じた貝に戻ってしまったが。
「はて?」
 藤蔵は首をかしげた。
「気が弱え奴だと思ってたけんども、やる時はやるタイプだったべか?」
 しかし、誠治郎への疑いが消えたわけではない。『やる時』というのが警察官の職務を果たす時だけとは限らないのだから。

●第一幕第七場
「それにしても、警報装置を兼ねた地蔵というのは実に興味深いですね」
 玻縷霞が歩く速度を上げて、誠治郎と大洋の間に入った。藤蔵の忠告に従ったわけではないが、にこやかな表情を作っている。
「機械ではなく、地蔵がセキュリティの役割を果たしているとは驚きです。いったい、どんな仕組みなんですか?」
「わ、わ、私に、き、訊かれても、も、も……」
 誠治郎の吃り具合がひどくなった。明らかに動揺している。
「そ、そ、そういった呪物の、せ、せ、せ、専門家では……あ、ありませんから……」
「無茶振りがすぎるわ、玻縷霞ちゃん」
 と、杏奈がフォローに入った。
「たとえばー、スマホの仕組みを説明できる現代人がどんだけいる? つまり、そういうことよ。うん」
「仰っていることは判りますが、名前で呼ぶのはやめていただけませんかね」
「じゃあ、『どみょちゃん』でいい?」
「ダメです」
「あ、あの……」
 と、二人の口論(?)に誠治郎が割って入った。
「け、警報装置がある場所に……到着しましたので……チェックをおこないます……」
 彼は立ち止まると、路傍の地蔵を指さして――
「か、確認!」
 ――裏返った声で叫んだ。
 そして、皆を促し、また歩き出した。
 パッと見で終わらせた|歩《あゆみ》やチラ見で済ませた|寛一《かんいち》ほどではないが、丁寧なチェックとは言い難い。路上喫煙を注意した時に発揮した『警官として最低限の責任感』はどこかに行ってしまったらしい。
 非難と受け取られないように注意しつつ、大洋が問いかけた。
「そんな簡単なチェックでいいのー?」
「こ、このやり方が慣例ですから……」
 そう答える誠治郎の顔はどこか後ろめたそうに見えた。
「ふーん」
 納得した風を装いながら、大洋はさりげなく目顔で頷いた。玻縷霞に向かって。そして、藤蔵に向かって。
 杏奈はいない。
 靴に石でも入ったような振りをして、地蔵の前に留まったのだ。

●第一幕第八場
 誠治郎たちとの距離が十二分に開くまで待ってから、杏奈は√能力『ゴーストトーク』を発動させた。
 すぐ傍を漂っていたインビジブルが生前の姿に戻った。『神のうち』の末期に入った(が、神のままで終わってしまった)くらいの年齢の男児だ。近年に亡くなった存在ではないらしく、√妖怪百鬼夜行の基準で見ても素朴かつ古風な身なりをしている。
「ねえ。ここ最近、ヘンなことなかった?」
 と、杏奈は男児に尋ねた。
「よく判らない怪異でもフツーの妖怪や人間のことでもなんでもいーよ。そう、たとえば――」
 遠ざかってゆく誠治郎に向かって顎をしゃくる。
「――地蔵を指さし確認していたあのお巡りさんのことでもね」
「あの人なら、三日前にお地蔵さんをイジってたよ。前掛けをめくって、なんかしてたみたい」
 なんでもないような顔をして、男児は衝撃的な(あるいは想定済みの?)情報を告げた。
 誠治郎が前掛けをめくったのは、そこに刻印があることを知っていたからか? だとすれば、先程の『警報装置の仕組みを知らない』という言葉の信憑性は著しく低下する。
「あのお巡りさんより後にお地蔵さんを触わってた人はいる?」
「向こうの通りからふわふわ流れてきた奴が言うには、どこかのハイカラなお姉さんもお地蔵さんをイジッてったってさ。ついさっきね」
 それはアザミのことだろう。つまり、ここ三日以内に地蔵に触れたのは(√能力者を除けば)誠治郎だけ。
 刻印に傷をつけて警報を無効化したのは彼なのか? あるいはそれより前に何者かの手で無効化されていたのか? 後者だとしても、彼が怪しいことに変わりはない。傷がつけられていることに気付きながらも、なにも対処しなかった(どころか、その事実を隠している?)ということなのだから。
「ありがとねー」
 男児に礼を言って駆け出す杏奈。
 誠治郎とともに先行していた三人は彼女の動きに気付いた。
「あの地蔵はインテリアにもいいですね。同じデザインのものを手に入れることは可能でしょうか?」
「と、富岡屋さんで……ミ、ミニュチュアサイズの地蔵を……売っていたような……」
 玻縷霞がなにげない話題で誠治郎の注意を引いている間に藤蔵と大洋は歩く速度を落とし、杏奈と合流した。
 そして、彼女の報告を聞いた。
「あれまあ」
 と、藤蔵は小さく声をあげた。
「白砂だけにシロかと思いきや、白砂なのに真っ黒けって流れだべか。真面目そうな奴だけっどもなあ」
「いやいや」
 大洋がかぶりを振った。
「真面目さも優しさも肩書も関係ないよ。|生命《いのち》はいつだって非道になれる。自分の目的――とくに愛する|対象《もの》のためならね」
 

第2章 冒険 『汚職警官は誰だ?』


●幕間
 前述したようにリトル|亜米利加《あめりか》は観光街としての魅力に欠けている。
 目を奪うような景観もなければ、歴史を感じさせる建物もない。土産屋の店頭に並んでいるのは、星条旗をモチーフにしたペナントだの、『|得撒《てきさす》魂』と刻まれた木刀だの、毛筆体で『GUTS』と記されたキーホルダーだの、浴衣を着た自由の女神の置物だのといった益体もない代物ばかり(まあ、土産とは得てしてそういう物だが)。
 唯一の売りはシーフードの屋台群だが、それらとて観光客の心を掴むには弱すぎる。そもそも、旅情に浸るために裏日本を訪れた者がアメリカンなシーフードに食指を動かすわけがない。
 しかし、パトロール体験ツアーに参加した√能力者たちは土産や名物よりも有意義なものを得た。
 事件の真相へと導いてくれるであろう以下の情報である。

・|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》も|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》も|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》も警報装置のチェックをおざなりに済ませている。
・警報装置は無効化されていた。
・最後に警報装置に触れたのは誠治郎。
・パトロール中の寛一の様子を見ていた者がいる。
・ここ最近、歩と誠治郎の様子がおかしい。(寛一の主観)
・寛一は非常に判りやすい。

 そして、三人の警官とツアー参加者たちは巡察待機所に帰ってきた。
「おつかれさまー。パトロール体験ツアーはこれにて終了だよ。はい、解散!」
 歩が宣言した。
 しかし、待機所から出て行く√能力者はいない。
「あら? 誰も帰らないの? あたしたちの退屈なデスクワークも見学したいわけ? それとも――」
 捉えどころのない眼差しで歩は√能力者たちを見回した。
「――なにか話しておきたいことでもあるのかな?」
 誠治郎はといえば、部屋の隅で視線を泳がせている。平常運転だ。
 一方、寛一は柄にもなく深刻そうな顔をして、歩と誠治郎を交互に見ていた。誘導によって得た勘違い(歩と誠治郎のどちらかもしくは両方が上層部に目をつけられている)をまだ信じているのだろう。あるいは二人をより怪しいと思わせるための芝居なのか。だとしたら、かなりの演技派だ。
 冷たくて重たい空気が張りつめていく中、√能力者たちは考えを巡らせ、そして、見出した。
 すべての答えを……。
 
人身塚・静子
テオフラス・リンリムト
瀬条・兎比良

●第二幕第一場
「落ち着いて聞いてね」
 そう前置きしてから、|人身塚《ひとみづか》・|静子《しずこ》(ルートブレイカー・h01648)が三人の警官に告げた。
「この地に封印されていた古妖が何者かの手で解き放たれたの」
 それは緊張感という空気で満ちていた風船への針の一刺しであった。
「なんだとぉーっ!?」
 風船の破裂音の代わりに驚愕の叫びを響かせたのは|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》。
 |白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》は声こそ発しなかったが、あきらかに動揺していた。いまや目線の動きは泳いでいるどころか溺れていると言っていい有様だ。実際、溺れてもおかしくないほどに大量の汗が顔面を濡らしている。
 ただ一人、|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》だけは落ち着いていた。子供の他愛ない冗談でも聞いたかのように肩をすくめ、ニヤニヤと笑っている。
「信じ難い……いえ、信じたくないでしょうが、これも伝えておかなくてはいけません」
 そう前置きしてから、|瀬条《せじょう》・|兎比良《とびら》(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)が三人の警官に告げた。
「古妖の封印を破ったのはこの中の誰かです」
「なんだとぉーっ!?」
 と、寛一がまた叫んだ。誠治郎が体を震わせ、歩が肩をすくめる。時間が遡ったかのように、先程と同じ光景が繰り返された。
「もう一つ、言っておかなくちゃいけないことがあるっす」
 そう前置きしてから、テオフラス・リンリムト(家電竜・h00051)が三人の警官に告げた。
「アメリカンなシーフード、わりと美味しかったっすよ」
「なんだとぅ……って、どーでもいいわぁーっ!」
 と、寛一がまた叫んだ。先の二回とは意味合いがかなり異なる叫びだが。
 一方、歩はあいかわらずマイペース。我が意を得たりとばかりに頷いた。
「そうだろう、そうだろう。勧めた甲斐があったというもんだよ」
「とくに美味しかったのはロブスターロールっすね。あと、お土産もいっぱい買っちゃったっす」
 実際、テオフラスは土産まみれだった。ペナントを尻尾の先端に翻し、木刀を腰に差し、キーホルダーをウォレットチェーンに繋げ、その他諸々の益体もない代物がぎっしり詰まった袋を両手に下げている。こんなに買い漁ったのも、ひとえに地元住人から情報を得るため……というわけではない。本当に気に入ったから買ったのだ。今のテオフラスの精神状態は修学旅行中の中学生男子のそれと同じであった。
「うんうん。喜んでもらえたようでなにより」
 歩が再び頷いた。中学生男子たちを微笑ましげに見守る引率役の教師といったところ。
「まあ、それはさておきだ。そちらのお兄さんが言った通り――」
 歩は兎比良を指し示した。
「――信じ難いし、信じたくもないな。この中の誰かが古妖の封印を破ったなんてね。いや、そもそも封印が破られたという話も信じられないよ。純朴な田舎者たるあたしたちを担いでるんじゃないの?」
「ううん」
 静子がかぶりを振った。
「担いでないよ。でも、前半部分にはあたしも同意。封印を破ったのは歩さんでも寛一さんでも誠治郎さんでもないような気がするな」
「なぜ、そう思うのですか?」
 と、兎比良が訊いた。
「だって、三人ともちゃんとしたお巡りさんみたいだし……実は異変が起きてることには気付いてるけど、詳しい状況が判ってないだけじゃないかな? 封印から解き放たれた古妖はまだ動いてないからね」
「だとしたら、何者が封印を解いたのでしょう?」
「やっぱり、町の誰かと考えるのが自然でしょ」
「あ、ありえません!」
 と、会話に割り込んで否定したのは誠治郎だ。珍しく声を荒げている。
「こ、こ、この町に住んでる人たちが、が、が……そんなことを、す、するわけが……」
「さあて、それはどうかなー?」
 と、歩が異を唱えた。
「世の中を長く見てきた老人として忠告させてもらうけど、『誰々が何々するわけがない』なんて決めつけないほうがいいよ。どれほど賢明な者であろうと、どれほど善良な者であろうと、ちょっとしたことで道を誤るものさ。人間か妖怪かを問わずね」
「その人生観に共感できるかどうかはさておき――」
 兎比良が言った。
「――私は白砂さんと同意見ですね。封印を破ったのは町の方々ではなく、ここにいるお三方のうちの誰かでしょう」
 どこからともなく、|小夜啼鳥《ナイチンゲール》の鳴き声を思わせる歌が聞こえてきた。兎比良の√能力によるものだ。これを聴いた非√能力者の行動の成功率は100%になる(ただし、本来の成功率が1%以上ある場合に限る)。
「しかし、それが誰であれ、実行犯に過ぎません。真に責められるべきは、甘言で唆したであろう古妖。ですから、私は詰問はしたくないのです。自分の意思で罪を告白していただけませんか?」
 歌を聴かせたのは、犯人ではない二人(あるいは一人?)が犯人である一人(あるいは二人?)を追い込む行動を取った際のことを考えてのこと。しかし、この状況では有用な√能力とは言えない。犯人の行動の成功率も100%になっているのだから。
 はたして、『黙秘を貫く』という行動が成功したのか、罪を告白する者は一人もいなかった。
「名乗り出るつもりはないようですね……しかたありません」
 兎比良は小さく溜息をつき、√能力を停止させた。
「では、容赦なく追及させてもらいましょう。追及するための材料もありますからね」
「材料?」
 思わず聞き返した寛一に対して、兎比良は悠然と答えた。
「実は皆さんの行動をすべてチェックするべく、事前に超小型監視カメラを仕掛けていたんです」
「なんだとぉーっ!?」
 寛一が叫び、誠治郎が体を震わせ、歩が肩をすくめる。二度目の再現。
「じゃあ、テオフラスくんが感じた視線はカメラのものだったのかな?」
 静子が首をかしげて呟いた。
「いやいや、ハッタリに決まってるよ」
 と、歩が断言した。
「カメラを仕掛ける暇なんてなかっただろう。第一、どこに仕掛けたっていうんだい? いや、仮に本当に仕掛けていたのだとしても無意味だよ。カメラなんぞでチェックするまでもなく、あたしたちには常にツアー参加者が張りついてたんだから」
「じゃあ、張りついてた者の一人として言わせてもらうっす」
 と、テオフラスが話に加わった。
 両手に持っていた土産袋を大事そうに床に置いて、彼は一歩前に出た。
「封印を破ったのは……ずばり、寛一くんっす!」
「ちげーよ!」
「はい、違うっす。今のは冗談っす。寛一くんの面白そうな反応が見たかっただけっす」
「ぶっ殺されてえのか!」
「でも、思ってたほど面白い反応じゃなかったので、がっかりしたっすよー」
「ぶっ殺すだけでも足りねぇーっ!」
 怒鳴り続ける寛一を涼しげな顔で無視して、テオフラスは視線をついと動かした。
 新たに焦点が合った相手は歩だ。
「歩ちゃんも怪しいと言えば怪しいっすけど……どっちかつーと、単純に真面目なのと、おいらたちを警戒しているだけって感じがするっすね。知られてはいけない大事なことを知っていそうな雰囲気もあるけど、それを悪用するタイプでもなさそうっす。というわけで、消去法的に――」
 またもや、視線が動いた。
「――やっぱり、寛一くんっす」
「待てや、こらぁーっ!」
「あ? 間違ったっす。誠治郎くんっすね、誠治郎くん」
 ドラゴンプロトコロルの鋭い(?)視線が誠治郎を射竦めた。
 

伽々里・杏奈
道明・玻縷霞
吉住・藤蔵
逝名井・大洋

●第二幕第二場
 |白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》は弁解も反論しなかった。
 いや、できなかった。
「見損なったぞ、ゴルァーッ!」
 |黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》が怒号をあげて詰め寄り、締め上げたからだ。
「てめえはバカでドジでヘタレでマヌケでウザくてダサいくせして分不相応な女房もらってうやまけしからん奴だけども、警官としての心意気だけは班内一だと思ってたのによぉー! がっかりだ! 本当にがっかりだぁーっ!」
「はい、そこまで」
 と、|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》が二人の間に割って入り、痩せた体躯に相応しからぬ怪力で寛一を引き剥がした。
「余所から来た人の根拠なき妄言を真に受けるなんて、黒岩らしくないよ。あと、白砂の心意気が班内一っていう意見には異議を唱えたいね。常識的に考えて、班長のあたしこそが班内一だろう」
「よく言うぜ、この不良警官が! 勤務中にパチンコとか行ってるくせに!」
「出玉の具合を確認するのも地域に根ざしたコミュニティ活動の一環だよ。責められる謂われはないね」
「責められる謂われしかないわ!」
「はい、そこまで」
 と、今度は|道明《どうみょう》・|玻縷霞《はるか》(普通の捜査官・h01642)が割って入った。
「班内一の心意気の持ち主は後で決めてください。今は赤石さんが仰るところの『根拠なき妄言』について話を詰めましょう」
「どみょちゃ……じゃなくて、道明にさんせー」
 |伽々里《かがり》・|杏奈《あんな》(Decoterrorist・h01605)が手をあげて賛意を示した。
「とっくり話し合って、確かめようよ。本当に『根拠なき妄言』なのかー? それとも、根拠アリアリのトゥルーな真実なのかー?」
「トゥルーな真実って……重複してるべ」
 |吉住《よしずみ》・|藤蔵《とうぞう》(毒蛇憑き・h01256)がぼそりと指摘したが、杏奈の耳には届いていないようだ。
「で、とっくり話し合う相手だけどー。ウチは赤ちゃんを指名させてもらいまーす」
『赤ちゃん』こと歩の前に杏奈は立った。その佇まいは決して威圧的なものではない。にもかかわらず、獲物を追いつめた猟師を彷彿とさせる。
「私も赤石さんに話を伺いたいですね」
 もう一人の猟師である玻縷霞が杏奈の横に並んだ。
 その様子を見ていた誠治郎がなにか言いかけたが――
「白ちゃーん!」
 ――|逝名井《いけない》・|大洋《たいよう》(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)が機先を制した。
「ボク、もうヤニ切れでヤバイんだってー! 喫煙所、どこよ? ねえ、どこよー? あっち? いや、『あっち』じゃ判んないって。ほら、案内して、案内!」
「え? い、いや、あの……」
 誠治郎の狼狽などお構いなしに大洋はがっしと肩を組み、引きずるようにして喫煙室に向かった。案内されているというよりも連行しているように見える。
「じゃ、俺も連れモクするべか」
 藤蔵が大洋に続いた。

●第二幕第三場
 喫煙室の広さは一畳半にも満たなかった。
 そこに三人の成人男子が入室したのだから、すし詰めもいいところ。しかし、窮屈さに負けて外に出る者は一人もいない。いや、藤蔵と大洋はともかく、誠治郎は出たくても出られないのだ。他の二人にがっちり挟まれているのだから。
「ねえ、白ちゃーん」
 耐用年数をとうに過ぎたであろう換気扇がガタガタと不穏な音を立てる中、大洋が誠治郎に語りかけた。鏡のように磨き抜かれたライターを手の中で弄びながら。
「ボク、聞いちゃったんだよねぇ。あのお地蔵さんをイジってた悪いヤツの噂ぁ」
 緊張感皆無の間延びした話し方だが、誠治郎は換気扇の音よりも不穏な印象を受けたらしい。ただでさえ青白い顔から更に血の気が引いている。
「まあまあ、逝名井。ちっとばかし落ち着くべよ」
 と、藤蔵が助け船を出した。二人組による尋問の定番戦術『良い警官と悪い警官』だ。
「圧力をかけ過ぎっと、白砂が怯えちまっていけね」
「えー? ボクは落ち着いてるし、圧力なんかかけてないし、怯させてるつもりもないよ。でも、白ちゃんが本当に怯えてるのだとしたら、それは怯えるだけの理由があるってことだよねぇ」
 誠治郎を追い込みつつ、大洋はライターの角度を調整し、表面に相手の顔を映した。このライターは霊鏡の特質を有しており、対象の真の姿を映し出すことができるのだ。
 大洋と藤蔵はライターにさりげなく目を走らせた。そこに映っているのは誠治郎の青白い顔。
(実は妖怪等が取って代わってた……とかいうことではないらしいね)
(んだな)
 と、目顔で意思を交わした後、二人は改めて誠治郎を挟撃した。
「なあ、白砂よ。おめえさん、なにか抱え込んでんじゃねえのか? 俺はそれが心配でなんねえだよ」
 最初に仕掛けたのは『良い警官』の藤蔵だ。
「な、なにも……抱え込んでなんか……い、いませんよ」
 体と声を震わせながら、誠治郎は否定した。
 しかし、藤蔵はそれを無視して――
「奥さんのことでねえか?」
 ――真正面から切り込んだ。
「この町に封印されている古妖は永遠の命をどうこうするっていう輩らしいでねえか。おまえさんは奥さんといるのが幸せだったけども……いや、幸せだったからこそ、二人の間に寿命差があることがだんだん怖くなってきちまったんじゃねえか? 覚悟してたはずなのによ。そんで、古妖に永遠の命を願っちまったんじゃねえか?」
 相手に口を開く暇も与えずに畳みかけたが、その語調は非難や糾問のそれではなっかった。誠治郎を睨みつけてもいないし、そもそも目を合わせてすらいない。『良い警官』の役割に徹しているのだ。
「悪いことは言わないからさ、白ちゃーん」
『悪い警官』役の大洋が煙草の煙を誠治郎の顔に吹きかけた。
「腹のうち胸に貯まってるものがあるなら、吐き出しちゃいなって。スッキリするよー。でも、どうしても吐き出したくないっていうのなら――」
 耳元に口を寄せて囁きかける。
「――かわいい奥さんに話を聞こっかなー?」
 先程のようにここで『良い警官』が助けに入るというのが『良い警官と悪い警官』の基本戦術なのだが、藤蔵が動くより先に誠治郎が過激な反応を示した。
「つ、妻を巻き込まないでください!」
 そう叫ぶなり、大洋の頬を殴りつけたのである。腰の入ってない一撃だった(拳をぶつけたにもかかわらず、『ぺち!』という軽い音しかしなかった)が、そこに込められた怒りと焦りは小さなものではなかった。
「これは悪手だね、白ちゃん」
 痛くもない頬をさすりながら、大洋は言った。先程までとは打って変わった冷ややかな声で。
「なんか|疚《やま》しいことがあるって認めたようなもんだよ?」
「……」
 誠治郎はなにも答えず、もがくようにして二人を強引に押しのけ、喫煙室から飛び出していった。

●第二幕第四場
「他のツアー参加者の方々から聞いたところによると――」
 玻縷霞が歩に語りかけた。狛犬の付喪神だからというわけでもないだろうが、眼鏡越しの視線は番犬のそれのように鋭い。
「――赤石さんによる警報装置のチェックは随分とおざなりなものだったそうですね」
「おざなりと言えば、おざなりかもねー。でも、なおざりにするよりは良いだろう? 自分でも違いはよく判らないけど」
 くつくつと笑う歩。真面目に取り合う気はないらしい。
 だが、玻縷霞は彼女のペースに乗せられることなく(杏奈や大洋の相手をして慣れているのかもしれない)、冷静に追及を続けた。
「感心しませんね。古妖の封印にかかわる重要な作業なのですから、もっと慎重かつ丁寧にすべきなのでは?」
「そーそー」
 と、杏奈が頷いた。
「結局のところ、観光ツアーのパフォーマンスに過ぎないのかもしれないけどさー。それでも、あのお地蔵さんたちは大事な警報装置なんでしょ? いくら今が平和な時代だからって、ちょっと職務怠慢すぎるっていうかー。いえ、職務放棄のレベル?」
「そうは言ってもねえ」
 歩はおなじみの身振りをした。肩をすくめたのだ。
「指さし確認で済ますのが慣例みたいなものだから」
 誠治郎も同じ弁解をしていた。実際、そのような慣例なのだろう。もっとも、歩や寛一は『指をさす』という形式的な行為すら省いていたが。
「やれやれ」
 杏奈は大袈裟に肩をすくめてみせた。歩を真似るかのように。
「赤ちゃんってば、フマジメに見えて実はマジメなタイプかと思っていたけど、まんまフマジメなタイプだったんだね。でも、まあ、マジメに見えて実はフマジメだった白ちゃんよりはマシかー」
「白砂がどうかしたのかい?」
 歩が問いかけると、杏奈は思わせぶりに声のトーンを落とした。
「あのね。白ちゃんが警報装置を不自然にイジってたんだって」
「笑えない冗談だ」
「それが冗談じゃないんだなー。ちゃーんと見てた人がいるんだよねー。白ちゃんは人目に気をつけていたつもりだったのかもしれないけれど、隠し通すことはできなかったみたい。『壁にシロアリ、障子にメアリー』ってやつ」
「『壁に耳あり、障子に目あり』です」
 と、眉一つ動かさずに玻縷霞が間違いを正した。
「そうだっけ? でも、シロアリとメアリーでもよくない? メアリーっていうイギリス人のメイドさんが日本人の金持ちにヘッドハンティングされて日本で働き始めるんだけど、和風のお屋敷に慣れてないもんだから、障子に穴を開けちゃって、時を同じくしてお屋敷にシロアリが大発生……」
「いえ、そんな話を広げなくてもいいですから」
 異国で奮闘するメアリー女史のドラマを玻縷霞は容赦なく打ち切りに追いやった。
 そして、歩を見据えて、静かに確認した。
「失礼ですが……白砂さんの行為をわざと見過ごしていたわけではありませんよね?」
「いえ、わざとでしょ。ウチはそう思うよ」
 と、歩が答えるより先に杏奈が意見を述べた。
「でも、だとしたら、動機はなんだろうね。かわいい部下を思ってのことかな? それとも、なにか別の理由があったりする?」
「さてね。なんのことだかさっぱり判らないよ」
 歩は白を切った。いや、本当になにも知らないのかもしれないが、この期に及んでも茶化すような態度を取っているので、どうしても白を切っているように見えるのだ。ただし、今回は肩をすくめてはいない。
「まあ、思い当たる節がないというのなら、べつに構いませんがね。すべて白砂さんの責任というだけですから」
 玻縷霞がそう言い終えるや否や――
「つ、妻を巻き込まないでください!」
 ――怒りの叫びが喫煙室から聞こえてきた。
 そして、声の主である誠治郎がなにかに追い立てられているかのように飛び出してきた。
 暫しの間を置いて、藤蔵と大洋も姿を現した。両者ともに紫煙の匂いを漂わせている。
「おやおや、スモハラかな? あたしの部下をいじめないでほしいね」
 からかうような語調で歩が藤蔵と大洋を窘めた。
 スモハラの被害者にして傷害(へっぴり腰のパンチ)の加害者である誠治郎は室内の誰とも目を合わさず、がたがたと震えながら、必死に呼吸を整えようとしている。
 またもや緊張感が濃度を増していく中、寛一がぽつりと呟いた。
「なんか……俺だけ、蚊帳の外じゃね?」
 

野原・アザミ
早乙女・伽羅

●第二幕第五場
 古妖の封印を破った者が|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》だと決まったわけではないが、彼の精神状態が限界に達しかけていることだけは間違いなかった。巡察待機所の中で√能力者たちに囲まれて震えている姿は、肉食獣の檻に放り込まれた兎を思わせる。
「ちょっといいかな?」
 並み居る面子の中で二番目に肉食獣らしい容姿を有した者――|早乙女《さおとめ》・|伽羅《きゃら》(元警察官の画廊店主・h00414)がゆらりと動き、哀れな兎に迫った(一番目がテオフラスであることは言うまでもない)。
「いや、よくないね」
 横から伸びてきた手が伽羅の手に置かれた。
 |赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》の手だ。
「『部下をいじめないでほしい』とお願いしたはずだけど? お願いを命令にレベルアップさせなくちゃいけないのかな?」
「いじめたりはしないさ。同士として白砂氏ともう少し親交を深めたいだけだよ」
 歩の手を紳士的な所作でどかせて、伽羅は誠治郎との距離を詰めた。
 そして、肉食獣の本性を現し、牙のように鋭い言葉を誠治郎の心に容赦なく突き立て――
「君の奥さんはどんな|女性《ひと》なんだい?」
 ――なかった。歩に宣告した通り、異種婚の経験者という『同士』として語りかけているように見える。少なくとも、表向きは。
「え? ど、どんなと言われても……」
「人間と家庭を持つような妖怪なのだから、君もさぞかし大事にされているのだろう。俺が妻にそうしてあげたようにね」
 当惑に言葉を詰まらせる誠治郎に構うことなく、伽羅は自分のペースで楽しげに語った。
 傍らでは|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》が苦々しげな顔をしている。伽羅のことを高位の警察関係者だと思い込んでいる(思い込まされている)彼からすれば、誠治郎に対する伽羅の接し方は芝居にしか見えないのだろう。心中で『このタヌキ野郎が!』と吐き捨てているかもしれない。
「妻は俺より先に逝ってしまったが、結婚したことを後悔はしていない。短くとも全力で生きることを互いに誓ったのだから。実際、一緒に過ごせた時間は短かった。しかし、とても濃密だった。彼女が俺に与えてくれた幸せは一生分どころじゃなかったよ」
「……」
「いや、本当に俺なんかにはもったいない妻だったな。とても頭が良くて、趣味が広くて、先進性に富んで、それに気が強くてね。妖怪である俺のほうが『お見捨てのう、幾久しく』と懇願するような立場だった。だが、それでいて、かわいいところもあるんだ。いや、かわいいところしかない。そう、初めて会った時も……」
 男やもめの猫又は延々と延々と延々と喋り続けた。誠治郎の妻の人となりについての質問から始まったはずだが、いつの間にやら、自分の亡き妻のことを一方的に語っている。惚気話の独演会。
 傍らの寛一はといえば、苦虫を噛み潰すのをやめて、目をテンにしていた。心中で『あれ? こいつ、芝居じゃなくて|素《す》でやってね?』と首をかしげているかもしれない。

●第二幕第六場
 張り詰めていた空気が伽羅の惚気話によって少しばかり弛んだが、室内にいる者の大半は緊張感をまだ漂わせていた。
 そのうちの一人――野原・アザミ(人間(√妖怪百鬼夜行)の|載霊禍祓士《さいれいまがばらいし》・h04010)は誠治郎の様子を油断なく観察していた。
「……あ、はい……そ、そ、そうですか……それはなにより……」
 誠治郎は伽羅の独演会に圧倒され、目を白黒させながら、機械的に相槌を打っている。しかし、アザミは見逃さなかった。惚気話の序盤、『先に逝ってしまった』や『一緒に過ごせた時間は短かった』といった言葉を聞いた時に誠治郎が苦悩とも苦悶とも取れる表情を見せたことを。
 アザミは歩に視線を移し、パトロール体験ツアー中に聞いた話を改めて確認した。
「封印されていた古妖『鳳凰童子』の二つ名は『不死の象徴』だと仰いましたね。それに『不死を餌にして取引を持ちかける』とも……」
「うん。そうだけど――」
 ニヤニヤ笑いを浮かべて惚気話を拝聴していた歩もアザミへと目を向けた。
「――それがどうかした?」
「不死を求めて鳳凰童子と取引した者が班内にいるとすれば、白砂さんがいちばん怪しいですよね。妖怪の奥さんとの間に寿命差があるのですから。しかし、彼は警察官としての職務に矜持を持っているようにも見えます。そんな人が古妖の封印を解いたりするでしょうか?」
「しないんじゃないかなー。あたしも白砂はシロだと確信してるよ。というか、クロな奴なんていないと思ってる。そもそも、封印が破られたという与太話を信じちゃいないから」
「仮に封印が破られていなかったとしても、警報装置が無効化されていたのは事実です。この目で確かめましたから」
「おやおや。それは大変だあ」
『大変』だと思っている者の口振りではない。だが、呑気に構えているわけではないのだろう。アザミを真っ向から見据えている目には、先程まではなかった鈍い光が宿っている。
「でも、誰が無効化したのかな? 君の考えでは白砂じゃないんだろう?」
「はい。私が疑っているのは――」
 歩をじっと見つめ返しながら、アザミは淡々と告げた。
「――あなたですよ、赤石さん」
「あはははは。おもしろい、おもしろい。冗談は真顔で言うに限るね。君にはコメディアンの素質があるよ」
「冗談ではありません」
「じゃあ、訊くけどさ。あたしが何のために封印を解くっていうの?」
「もちろん、白砂さんのためです。この班の皆さんは仕事帰りに飲みに行く程度の付き合いはあったのでしょう? だったら、お酒の勢いで仕事の愚痴や生活の不安などの話が出てもおかしくありませんし、その『生活の不安』の中に愛する妻との寿命差のことが含まれていてもおかしくありません」
「その話を聞いたあたしが白砂に同情したとでも?」
「同情だけで犯行に走ることはないかもしれません。しかし、同情が恋慕に変わったら?」
「たはは」
 歩は額を押さえて苦笑した。
「ないない。それはなーい。いくら男日照りだからって、所帯持ちの草食系に横恋慕するほど落ちぶれちゃいないよ」
「そうですか。すみません」
 アザミは素直に謝った。
 だが、追及の手は止めなかった。
「しかし、そうだとしても納得いきませんね。黒岩さんならともかく、赤石さんのように鋭い人が封印の無効化に気付いていなかったのはおかしいです」
「『黒岩さんならともかく』ってなんだよっ!」
 寛一が怒声を炸裂させた。

●第二幕第七場
 アザミと歩が静かな戦いを繰り広げている間も亡き妻のことを語り続けていた伽羅であったが――
「まあ、俺のところはそんな具合だったんだが、君と奥さんはどうなんだ? 夫婦仲はいいほうかな?」
 ――頃合いよしと見たのか、誠治郎に話の水を向けた。
「い、いえ……なんというか……ふ、普通ですね」
「なにがフツーだ! めっちゃラブラブだろがい!」
 アザミに怒声をぶつけていた寛一が標的を誠治郎に変えた。
 更にその勢いに乗り、|肚《はら》に溜まっていたものをぶちまけた。
「おい、白砂! 惚気話に騙されてんじゃねえぞ! こいつは――」
 と、指し示した相手は伽羅だ。
「――本庁だか本署だかの白襟野郎だ! おまえと班長に目ぇ付けて、いろいろ嗅ぎ回ってんだよ!」
「……!?」
 息を呑む誠治郎。
「やれやれ。バラされてしまったか……」
 伽羅は嘯いた。もちろん、寛一がバラすことは織り込み済みである。
「そう、俺は君たちが言うところの『白襟野郎』だ。しかし、嗅ぎ回っているという段階は過ぎているよ。もう目星はついた」
 猫特有の針のように細い瞳孔が誠治郎に向けられ、そして、歩へと向けられた。
「とはいえ、同胞に手錠をかけるのは忍びない。できることなら、今のうちに自ら名乗り出てもらいたいものだな」
 その恩情ある言葉に対する誠治郎と歩の反応は対照的だった。前者は肩を落として力なく項垂れ、後者は肩をすくめただけ。
「君たちが警官になった経緯は十人十色だろうが――」
 伽羅は懇々と語りかけた。独演会の時と声音は変わっていない。誠治郎たちへの説得も亡き妻との惚気話も本音であることに変わりはないのだろう。
「――厳しい訓練を乗り越えて、それでも市民の暮らしを守るという目標、あるいはお題目を胸に巣立ったのだろう? 同期との絆、所属を同じにする仲間との絆もあるはずだ。その目標のためにも、その絆のためにも、功績や昇格を求める者ではなく、警官としての矜持を持つ者になってほしい。そう願いながら、俺は教場で若者たちを見守っていた。だから、君た……」
「もういいです」
 と、長広舌を遮ったのは誠治郎だ。
 覚悟を決めたせいか、吃りが消えている。
「申し訳ありません。喫煙所で大洋さんに脅された時、もう逃げられないと悟ったのですが、それでも罪を告白する勇気を持てず……」
 そして、罪を犯した警官は項垂れていた顔を上げ、はっきりと告げた。
「私が警報装置を無効化し、鳳凰童子の封印を破りました。動機も皆さんのご指摘の通り。そう、妻と同じ時間を生きたかったからです」
「くぉの、バ、バ……」
 寛一が言葉を詰まらせた。『このバカ野郎が!』とでも怒鳴りたいのだろうが、誠治郎の吃りが移ったらしい。狸を思わせる垂れ目には悔し涙が滲んでいる。
 まともに喋れぬ彼に代わって、アザミが語りかけた。
「言うまでもなく、古妖は邪悪な存在です。その封印を解けば、町の人に危害が及ぶかもしれませんし、あなた自身や奥さんだって安全とは言えないでしょう。その程度のことが判らぬ人だとは思えませんが?」
「はい。古妖を野放しにするつもりはありませんでした。不死になるための血を分け与えてもらった後でまた封印しようと思っていたのです。場合によっては差し違えてでも……」
 誠治郎ごときの力で古妖を封印できるはずがない。それに差し違えてしまったら、不死になった意味がない。しかし、愛に狂って暴走しながらも警官の矜持を完全に捨て切れなかった男にとっては矛盾なき思考なのだろう。
 誠治郎は、拳銃の収まったホルスターをベルトごと外して事務机に置き、更に警察手帳と手錠を乗せた。警官が元・警官になる儀式。
「念のために言っておきますが、すべては私がやったことです。班長は潔白です」
「ところが、そうでもないんだよね」
 歩が否定した。この状況でもまだニヤニヤと笑いながら。
「アザミさんの推測は半分くらい正しい。あたしは白砂が警報装置を無効化したことに気付いてたし、そんな行動に走った理由も察しがついていたよ。でも、誰にも言わなかったし、白砂を止めたりもしなかった」
「なぜですか?」
「どうでもいいからだよ、アザミさん。古妖が解放されたりしたら、町は大変なことになるだろう。死人もわんさか出るはずだ。だけど、それがなんだっていうんだ? べつにこの町の住人のことは嫌いじゃないけど、彼らや彼女らの生き死にに興味はない」
「……」
「あたしくらい長く生きてるとね、人間なんて蟻の群れも同然に見えるんだ。わちゃわちゃ動き回る様は可愛いと思わなくもないけれど、誰かに踏み潰されたり、他の虫に食い殺されたり、巣穴に水に流れ込んで全滅したりしても、心はたいして痛まない」
 歩の視線が動き、人間ならざる√能力者を捉えていく。伽羅とテオフラスと玻縷霞だ(蛇神憑きの藤蔵とサイボーグの兎比良とシャドウペルソナの大洋のことは『人間』と見做したらしい)。
「|百鬼夜行《デモクラシィ》の時に盛り上がっていた熱も今ではすっかり冷めちゃったよ。君たち三人も歳を取れば、こういう境地に至るはずさ。あるいは……既に至ってるけど、自覚してないだけかもね」
「本当に『どうでもいい』と思っていたのですか?」
 と、人間であるところのアザミは尋ねた。
 そして、返事を待たずに第二の問いを発した。
「実は鳳凰童子を倒すための手段をしっかり講じていたのでは?」
「はて? どんな手段かな?」
「鳳凰童子を倒せる者――すなわち、私たちをこの地に呼び込むという手段です」
「あはははは」
 歩は笑った。肯定とも否定ともつかぬ反応。
「まあ、なんにせよだ」
 伽羅が事務机に近寄り、そこに置かれたばかりの警察手帳を手に取った。
「俺たちが駆けつけたこの状況であれば、古妖の対処も事件の処理もどうとでもなる。そう、『どうとでも』な」
 汚職警官の肩書きを持つ者に相応しい含みのある物言いをしつつ、警察手帳を元の持ち主に差し出す。
 しかし、誠治郎はそれを受け取らず――
「すまなかった……と、妻に伝えておいてください」
 ――頭を深く垂れた。
 

第3章 ボス戦 『不死の象徴『鳳凰童子』』


●幕間
 封印を破った|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》と彼の行動を意図的に見逃した|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》は(所轄の頭越しに)県警本部に引き渡された。追って沙汰があるだろう。
 しかし、これで一件落着というわけではない。
 今回の黒幕とも呼べる存在を仕留めるべく、√能力者たちは町外れの祠を訪れた。戦力の足しにはならないが、|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》も同行している。
「はて?」
 √能力者たちを出迎え、わざとらしく首をかしげてみせたのは、真紅の翼を有した童女。
『不死の象徴』こと『鳳凰童子』である。
「おぬしらは何者じゃ? ここに来るのはあの生っ白い官憲のはずじゃが……おお、そうか! あの官憲め、気を利かせて贄を寄越したのじゃな」
 語調は冗談めいており、顔は嘲笑で歪んでいる。本当は判っているのだろう。
 √能力者たちが贄ではないことを。
 自分を倒すために来た者たちだということを。
『生っ白い官憲』であるところの誠治郎がどんな顛末を迎えたのかも察しているかもしれない。
「よしよし。おぬしら、そこに並べ。|妾《わらわ》が順番に食ろうてやるでな。不味そうな奴ばかりじゃが――」
 翼ある古妖は舌なめずりをした。
「――これだけおれば、本来の力を取り戻せるじゃろう」
 
人身塚・静子
吉住・藤蔵
伽々里・杏奈
道明・玻縷霞
逝名井・大洋

●第三幕第一場
「よしよし。おぬしら、そこに並べ。|妾《わらわ》が順番に食ろうてやるでな。不味そうな奴ばかりじゃが――」
 翼ある古妖は舌なめずりをした。
「――これだけおれば、本来の力を取り戻せるじゃろう」
 鳳凰|童子《﹅﹅》というだけあって幼い容貌をしているが、その小さな体躯が漂わせている不気味な迫力と貫禄は確かに古妖のそれだった。
「うっ……」
 |黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》が呻き声を漏らして後退りした。情けない姿だが、誰が彼を嗤えよう? 邪悪で強力な古妖を前にすれば、戦慄に震えあがるのが当然のこと。
「不味そう!?」
 いや、|伽々里《かがり》・|杏奈《あんな》(Decoterrorist・h01605)にとっては当然のことではないらしい。
 確かに彼女は震えていたが、それは怒りがもたらした震えだった。
「ねえ、『不味そう』って言った!? 今、『不味そう』って言った!? なんか、すっごいシャクに障るんですけどぉーっ! ……いや『美味しそう』って言われても困るけどさー」
「困るっていうか、色々とヤバいよね」
 |逝名井《いけない》・|大洋《たいよう》(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)が両手を懐中にやり、二丁拳銃を抜いた。杏奈と同様、彼も『当然のこと』はしていない。それどころか、ニヤニヤと笑っている。
「だって、十代の女の子相手に『美味しそう』なんて言った日にゃあ、炎上間違いなしだしー。もしかして、古妖のくせしてコンプラに気を使ってんの?」
「……こんぷら?」
 毒気を抜かれたような顔をして、鳳凰童子は未知の言葉を復唱した。全身から漂わせていた迫力と貫禄は雲散霧消し、皆に向けられた目には当惑の色が滲んでいる。さすがに悟ったようだ。杏奈と大洋だけでなく、すべての√能力者が戦慄に震えあがってなどいないことを。
「不味そうなら、食べなくて結構です」
 |道明《どうみょう》・|玻縷霞《はるか》(普通の捜査官・h01642)が切って捨てるような語調で告げた。絶対零度の眼差しで鳳凰童子を見つめ返しながら。
「いえ、不味いから食べないってわけにはいかないでしょ」
 と、|人身塚《ひとみづか》・|静子《しずこ》(ルートブレイカー・h01648)が古妖に理解を示した。
「封印から解かれたばっかりでお腹が空いてるから、食べ物を選り好みする余裕はないと思うよ」
「それにしたって、悪食が過ぎるべさ」
 |吉住《よしずみ》・|藤蔵《とうぞう》(毒蛇憑き・h01256)がのそりと前に出た。
「毒がいっぺえ詰まった蛇神憑きの俺を食おうなんてよぉ。腹を壊すだけじゃあ、済まねえぞ。つうか、簡単に食えると思ってんのもナンかなぁ……」
「ふん!」
 鳳凰童子は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。自分を恐れぬ者たちへの当惑をどうにか振り捨てることができたらしい。あるいはポーズに過ぎないのかもしれないが。
「簡単に食われぬと思っているおぬしらのほうがどうかしておるわ」
「どうかしてないよ」
 と、静子が即座に否定した。
「あたし一人だったら、簡単に食べられちゃうかもしれない。でも、仲間がいるなら、話は別なの。さあ、みんな――」
 少女は戦友たちに呼びかけた。
「――力を合わせて頑張ろう」
「うん!」
 杏奈が頷き、腕をぶんぶんと振り回した。
「合わせまくって、吹っ飛ばしちゃおう! おまわりさんも手に負えないこのワルーい似非ジャリンコちゃんを!」

●第三幕第二場
「似非ジャリンコと来たか。くくくっ……」
 鳳凰童子は口元に手をやり、芝居がかった調子で苦笑した。
「面白い奴らじゃのう。食い殺すには惜し……いぃえぇぇぇーっ!?」
 余裕と嘲弄をアピールするはずの言葉が素っ頓狂な叫びに変わった。
 燃え盛る炎弾が真正面から飛んできたのだだ。
 慌てふためながらも鳳凰童子は身を翻し、それを躱した。さすがは古妖……と、誉めることはできない。その炎弾は牽制に過ぎなかったのだから。
「こっちが本命だよ」
 炎弾の撃ち手である静子が腕を水平に振った。掌から紐状の炎が伸び、鞭のように撓り、鳳凰童子に絡みつく。
「あと、こっちもね」
 新たな炎が生み出され、紐状の炎に拘束された鳳凰童子に迫った。
「……っ!?」
 言葉を発する間もなく、鳳凰童子は炎に包まれて火柱と化した。
 そして、灰も残さずに燃え尽きた。
 だが、次の瞬間には――
「つまらぬ技じゃのう」
 ――と、自信満々に嘯いていた。
 静子たちの後方で。
 √能力を用いて視界内のインビジブルと入れ替わったらしい。
 静子たちは素早く振り返り(寛一はワンテンポ遅れた)、鳳凰童子と再び対峙した。
「『つまらぬ技』とか言ってる割にはしっかりダメージを受けてるようように見えるよ」
 静子が指摘した通り、鳳凰童子は無傷ではなかった。炎の鞭だけでなく、三つ目の炎からも完全に逃げ切ることはできなかったようだ。
「ふん! こんなものは掠り傷ですらないわ」
「嘘ついちゃいけねえだよ」
 藤蔵がゆっくりと前進した。
「とはいえ、俺も嘘をついたことになんのかな。さっき、『毒がいっぺえ詰まった』と言ったけども、実際のところはよぉ――」
 鳳凰童子の頭や肩や翼になにかがぶつかった。
 ぽつり、ぽつりと。
 雨粒である。
「――詰まってんのを通り越して、溢れ返っちまう始末でな」
『ぽつり、ぽつり』は最初の数滴だけ。すぐに『ざぁーっ!』っという土砂降りに変わった。鳳凰童子だけに降り注ぐ超局地的な雨。
「毒の雨か……」
 忌々しげに呟く鳳凰童子の声が雨音に紛れて聞こえてきた。
「んだ」
 と、藤蔵は頷いた。
「まあ、おめぇに言わせりゃあ、そんなもんは掠り傷ですらないんだろうけっどもよ」
「その通りじゃ! まったく効かぬわ!」
 叫びざまに両翼を大きく展開する鳳凰童子。『効かぬわ』という言葉が虚勢であることは間違いないだろうが(毒による斑点が肌に生じている)、戦意は挫けていないらしい。
 広げられていた翼がカーテンさながらに畳まれ、その後ろから幾つかの人影が飛び出してきた。性別や年齢や衣装は様々だが、顔に生気がないことと目が白濁していることは共通している。まるで、死人のよう……いや、彼らや彼女らはまさしく死人だった。鳳凰童子の操り人形と化した屍の群れ。
「引き裂かれ、噛み砕かれるがいいわ! 妾の血を飲んだ眷属どもの爪と牙で!」
 鳳凰童子のハイテンションな声を背に受けて、屍の部隊は藤蔵に襲いかかった。|主《あるじ》と同様に毒雨を浴びてダメージを受けているようだが、痛みに苦しんでいる様子はない。痛覚は失われているのだろう。
 声一つあげない彼らや彼女らの猛攻を回避すべく、右へ、左へ、後方へと動き回る藤蔵。すべてを躱すことはできず、少しばかり負傷したが、相手と同様に苦悶の表情は見せなかった。
「ふむ」
 藤蔵はまたもや頷き、落ち着いた調子で独白した。
「血を飲ませて不死にするっちゅう話はあながち嘘でもなかっただな」
「いや、嘘はついてないかもしれないけど――」
 大洋が二丁拳銃を連射した。
「――騙してることに変わりはないっしょ。ゾンビを不死と言い張るなんて、詐欺もいいところだって」
 藤蔵に気を取られていたためか、鳳凰童子は弾丸の大半を躱すことができなかった。もっとも、さして効いていないことは一目瞭然。大洋の連射は通常の攻撃であり、√能力を用いたものではなかった。
 しかし、先程のように『掠り傷ですらないわ』などと言うことはできなかった。口を開く暇も与えずに大洋が語り続けたからだ。
「だけど、詐欺られたのはお互い様か。おまえが言うところの『生っ白い官憲』だって、そっちを騙してたわけだしね」
「なんだと?」
 鳳凰童子は眉をひそめた。大洋のペースに乗せられている。
「あれれー? やっぱり、気付いてなかったんだ?」
 拳銃の弾倉を交換しながら、大洋は笑ってみせた。
「おまえはね、ずぅーっと『生っ白い官憲』こと白ちゃんの掌の上にいたんだよ。白ちゃんに取引を持ちかけて利用したつもりなんだろうけど、実はそうするように仕向けられてただけ。騙された振りして相手の懐に入っちゃう作戦は俺たち公安もよくやるんだよねー。常套手段ってやつ?」
 お世辞にも出来の良い作り話とは言えない。無理がありすぎる。
 しかし、浮き世離れしている(なにせ、長期間に渡って封印されていたのだ)上に負けず嫌いの鳳凰童子は――
「舐めるでないわ! その程度のことに気付かぬ妾と思うてか!」
 ――あっさりと信じた。
 そして、『騙された振りをした官憲に騙された振りをした古妖』というややこしい設定を自身に付与した。負けを素直に認められぬ者は得てしてこのような泥沼に嵌まりやすい。
「あの官憲の奸計など見抜いておったわ! あえて、|彼奴《きゃつ》の猿芝居につきあってやったのじゃ!」
「カンケンのカンケイというのは駄洒落ですか?」
 面白くもなさそうに尋ねながら、一つの影が鳳凰童子の横手から迫った。
 玻縷霞である。
 藤蔵の超局地的豪雨と大洋の連射に紛れて、死角に回り込んでいたのだ。
「ちっ!」
 舌打ちした鳳凰童子であったが、苛立ちに歪んだ顔からは余裕が感じられる。
 一方、玻縷霞は無表情。機械的な足取りで距離を詰めていく。
 当然のことながら、鳳凰童子はそれをただ待ったりしない。迎撃の動きを見せようとした。
 しかし、玻縷霞のほうが何分の一秒か先んじて――
「失礼」
 ――右手を伸ばし、鳳凰童子の肩に軽く触れた。
 そう、触れただけ。投げ飛ばしたわけでもなければ、関節を極めたわけでもない。
「……へ?」
 鳳凰童子が間抜けな声を出した。呆然とした表情。
 戸惑っているのは、相手が攻撃しなかったからではない。自分が攻撃できなかったからだ。インビジブルと入れ替わる√能力を発動しかけたのだが、その寸前に無効化されたのである。玻縷霞の右手によって。
「……今です」
「あちょー!」
 玻縷霞の静かな声に応えて杏奈が突撃した。
 入れ替わりを阻止されて棒立ちになっていた鳳凰童子に拳が叩き込まれる。目にも留まらぬ速さで。顔に一発、腹に一発、また顔に一発。
 三発目が打ち込まれた直後、鳳凰童子の姿が消え、代わりにインビジブルが出現した。今度は√能力を発動させることができたらしい。
 身代わりとなったインビジルは火の玉に変じて、杏奈の拳を焼いた。
「あちちっ!」
 杏奈は拳を振って火を消し、ふうふうと息を吹きかけた。つまり、『ふうふう』で済ませられる程度の火傷ということ。
 鳳凰童子のほうはそうはいなかった。拳による三連打はかなり効いているようだ。
 息つく暇もなく、新たな連続攻撃が仕掛けられた。
 静子による炎の√能力だ。
 鳳凰童子は体の一部を焼かれながらも、またもやインビジブルと入れ替わって別の場所へと逃れた。
 しかし――
「そっちに行ったよ」
「おう」
 ――静子の指示を受けた藤蔵が毒の雨を降らせて追撃した。
「我ながら、お人好しだべなぁ。火で焼かれた相手に水をかけてやってんだから」
「毒の水だけどね」
 藤蔵の軽口に苦笑を返す静子。
「あはははー」
 杏奈もまた笑った。苦笑ではなく、呵々大笑。
「どうよ、ウチらの連係プレーは?」
 と、鳳凰童子を相手に勝ち誇ってみせたが、杏奈の心の目が睨みつけている相手はこの古妖ではない。
 命短き人間たちを蟻の群れに例えた|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》だ。
「わちゃわちゃ動き回る可愛いアリンコもたっくさん集まって頑張れば、おっきな獣を殺すことができるんだよー。あー、赤ちゃんに見せてあげたかったなあ」
「見たところで彼女が改心するとは思えませんがね」
 と、玻縷霞が言った。無表情をキープしているものの、声音は僅かに憤りを含んでいる。
「まったく、この地の警察の堕落ぶりには呆れるばかりです。民間企業さながらの観光サービスなんぞをしている点は大目に見るとしても、警報装置の点検をおざなりに済まし、挙げ句に古妖に誑かされて封印を解き、しかも、その主犯に手を貸す者さえ現れる始末……」
 ぶつぶつと小言を並べつつ、鳳凰童子に近付いていく。
「とはいえ、すべての元凶はこの古妖。落とし前はしっかりつけさせてもらいますよ」
 素早く伸びた右手が鳳凰童子に触れ、発動しかけていた入れ替わりの√能力が無効化された。先程の再現。
 すかさず、大洋が銃を連射した。今回は一丁だけ。もう一丁の銃はホルスターに戻されている。代わりに握られているのは、鈍い光を放つ手錠だ。
 鳳凰童子の反応は遅れた。玻縷霞の無効化の√能力に虚を衝かれたからだけでなく、大洋の銃撃を甘く見たからでもあろう。
 しかし、今回は銃撃だけでは終わらなかった。
 大洋は銃を連射しつつ、一気に距離を詰めて――
「はい、確保ぉ!」
 ――鳳凰童子に手錠をかけた。
 そして、相手の腹部に銃口を押しつけ、トリガーを引いた。避けようのない零距離射撃。
「……ぐっ!?」
 呻き声を発して身を折る鳳凰童子。その姿はすぐにインビジブルへと変わった。第二射を食らう前に入れ替わったのだ。
 インジビルは火の玉と化し、手錠伝いに大洋を炎で攻撃した。
 だが、その程度のことで怯む大洋ではない。
「あちちっ!」
 おどけた調子で先程の杏奈のリアクションを真似してみせた後(その間に炎は消え去った)、火傷を負った手をポケットに突っ込み、なにかを取り出した。
「黒ちゃん、パース!」
 寛一へと投げ渡されたその『なにか』はボイスレコーダーだった。
「そのレコーダーには、さっきの鳳凰童子とのやりとりが録音されてるんだ。ほら、『騙された振りして相手の懐に入っちゃう云々』とか言ってたやつだよ」
 きょとんとしている寛一に大洋はそう説明した。
「その録音を上手く活かせば、白ちゃんも無罪放免……とまではいかないだろうけど、減刑くらいはできるかもよ。『ほっぺのマッサージのお礼』って伝えといて!」
 |誠治郎《せいじろう》に殴られた頬を大洋は軽く叩いてみせた。
 ぴしゃり! ……と、良い音がした。
 

テオフラス・リンリムト
早乙女・伽羅
野原・アザミ

●第三巻第三場
 √能力者を睨みつけている鳳凰童子の口から歯軋りの音が漏れ出た。
「餌の分際で調子に乗りよってぇ……」
 歯軋りが呪詛めいた言葉に変わった。
「一口目で頭を噛みちぎるつもりであったが、気が変わった。少しでも苦しみが長引くように足先から囓ってやるわ。ゆっくりと食い殺されながら、後悔するがいい! |妾《わらわ》を舐めたことを!」
 怒れる古妖は真紅の翼を大きく広げ、激しくはばたかせた。火の粉にも似た無数の光点が舞い散ったこともあって、その翼の動きは燃え盛る炎を連想させた。見る者を萎縮させるに充分な神秘的かつ脅威的な炎。
 しかし――
「舐められて当然だと思いますが?」
 ――『見る者』の一人である野原・アザミ(人間(√妖怪百鬼夜行)の|載霊禍祓士《さいれいまがばらいし》・h04010)はけろりとしていた。
「『鳳凰童子』なんて大層に名乗っていますけど、死を弄ぶ性格の悪いただの鳥に過ぎないのですから」
 声のトーンは低めだが、それを補うかのようにブンブンと風を切る音が景気よく響いている。
 得物である卒塔婆を素振りしているのだ。
「とはいえ、あくまでもあなたを舐めているだけであって、今回の任務そのものは舐めていません。きっちり完遂させていただきます」
「右に同じっす」
 テオフラス・リンリムト(家電竜・h00051)が頷いた。アザミと同じくけろりとした顔で。
 そして、竜の翼をはばたかせた。鳳凰童子のそれとはまた別種の迫力があるが、当人に威嚇の意図はない。背中の凝りをほぐしただけだ。
「でも、左は違うみたいっすね」
 テオフラスは左側に目をやった。
 そこにいるのは|黒岩《くろいわ》・|寛一《かんいち》。大洋からボイスレコーダーを受け取った時の姿勢のままで立ち竦んでいる。
「しっかりするっすよ、寛一くん」
 テオフラスは寛一の頭を軽く叩いた。
「藤蔵くんが言ってたように相手は悪食っす。寛一くんがどれだけ不味そうだろうと、そんな風に突っ立ってたら、ペロリと食べられちゃうっすよ」
「いや、『不味そう』と|腐《くさ》されたのは俺だけじゃないだろがい!」
 と、抗議する寛一の横を影が走り抜け――
「まあ、いちばん不味そうなのはあの鳥だけどな。煮ても焼いても食えそうにない」
 ――鳳凰童子めがけて突き進んだ。
 |早乙女《さおとめ》・|伽羅《きゃら》(元警察官の画廊店主・h00414)である。
 彼の出で立ちは先程までとは少し違っていた。奇妙な毛皮の上衣を羽織り、サーベルを手にしている。
 官給品と思わしきそのサーベルが唸りをあげるより先に鳳凰童子が吠えた。
「あぬしのほうは焼けば食えそうじゃのう!」
 伽羅の進行方向から鳳凰童子の姿が消えた。代わりにインビジブルが出現し、火柱と化した燃え上がった。入れ替わりの√能力だ。
「おっと!?」
 素早く飛び退る伽羅。
 着地した足下でガタリと音がした。彼の前面の空間に板状の物体が現れ出て落下したのだ。
 それは一枚のキャンバス画だった。描かれているのは紅蓮の火柱。そう、鳳凰童子と入れ替わったインビジブルである。
「なにが起こったっすか?」
「相手の攻撃を絵にする√能力を使わせてもらった」
 テオフラスの問いに答えながら、伽羅はキャンバス画を拾い上げた。
「この絵に込められた力を発動させれば、同じ攻撃を再現できるって寸法だ」
「そりゃまた便利っすね。あ? ヒール系の√能力を絵にしまくったら、アトリエを兼ねた救急病院を開業できるんじゃないっすか?」
「いいねえ。ブルーオーシャンの匂いがするな」
 二人の軽口の応酬に――
「笑わせるでないわ!」
 ――鳳凰童子が割り込んだ。
「そんな手妻ごときで妾の能力を再現できるものか!」
「再現できるかどうかはどうでもいい。どうせ、使いやしないからな」
「……へ?」
 呆けたような顔を見せる鳳凰童子。
 一方、伽羅は至極真面目な顔をして(その実、心の中では笑いながら)、火柱の絵を傍の岩場に立てかけた。
「一度でも発動させたら、絵は壊れてしまうんだ。そんなもったいないことができるか。こんな得体の知れない絵でも好事家には高く売れるかもしれないからな」
「どこまでも妾を舐めおってぇー!」
 鳳凰童子は我に返り、憤怒の表情を見せた。
 いや、その顔が示している感情は怒りだけではない。嘲りも含まれている。こちらへの反撃よりも絵の商売を優先している伽羅のことを彼女は明らかに見下していた。実は伽羅自身が見下すように仕向けたのだが……。
「先程も言いましたが――」
 アザミが鳳凰童子に迫る。
「――舐められて当然なんですよ。それを自覚してください」
「黙れーい!」
 吠え猛る鳳凰童子の後方から屍の群れが飛び出した。藤蔵たちにも使った召喚系の√能力だ。
 動く死体が押し寄せて爪を立てようとしてくる光景はゾンビ映画さながら。しかし、載霊禍祓士たるアザミにとっては日常の一コマである。
「みそぎはらいたまえ」
 祈りの言葉とともに卒塔婆を乱暴に振り回し、命なき兵士たちを容赦なく吹き飛ばし、打ち倒し、叩き壊していく。
 そして、兵士が一掃された直後――
「ぶべっ!? ぶぼっ!?」
 ――鳳凰童子が無様に呻いた。彼女もまた卒塔婆を食らったのだ。往復で二度。
 アザミが生み出したその勢いに乗って、テオフラスも攻撃を仕掛けた。
「さあ、寛一くんも行くっす!」
 いや、違った。攻撃を促しただけだ。
 促された寛一は棒立ちのまま。√能力者と古妖との戦いに圧倒され、手出しができないらしい。
「やれやれ。しょうがないっすねー」
 テオフラスは大袈裟に溜息をついた。
「ちょっとばかり力を貸してあげるっすから――」
 突然、ドラゴンプロトコルの巨躯が激しく輝いた。
 眩しさに思わず目を閉じる寛一。
 再び目を開けた時、輝きは消えていた。
 テオフラスの姿も消えていた。
 代わりに一本の大剣が突き刺さっている。
「――あとは自分でなんとかしてくださいっす」
 と、剣がテオフラスの声で言った。
「いや、ちょっと待てーい!」
 寛一は目を剥いて叫んだ。√妖怪百鬼夜行の住人なのだから、|化術《ばけじゅつ》の類は見慣れているだろうが、それでも変身後のテオフラスの姿(形こそ剣に変わったが、大きさと威圧感はさして減じていない)のインパクトを冷静に受け止めることはできないらしい。
「どうやって、なんとかしろってんだよぉ!」
「うーん。多少重いかもしれないっすけど、持ち前の筋肉と根性で頑張れば、なんとかなるんじゃないっすかね」
「なんとかって……」
「まあ、適当に振り回してれば、そのうち当たるっすよ」
「適当って……」
 情けない顔をしてぶつぶつとこぼしながらも、寛一は爪先立ちになって腕を伸ばした。頭よりも高い位置にある剣の柄を握るために。
「頼むぞ」
 アザミとともに鳳凰童子を牽制しながら、伽羅が寛一に声をかけた。
「君が攻撃を当ててくれないと、仕込みが無駄になってしまうからな」

●第三巻第四場
「すまなかった……と、妻に伝えておいてください」
 伽羅から差し出した警察手帳を受け取ることなく、|白砂《しらすな》・|誠治郎《せいじろう》は一礼した。
 今から一時間ほど前。巡察待機所での光景である。
「あたしは誰かを心底愛した経験がないので、あなたがこんなことをするに至った動機は理解できません」
 と、頭を下げたまま誠治郎にアザミが語りかけた。
「そんな私が言うのも口幅ったいですが……人伝ではなく、直接自分で謝ったほうがいいと思いますよ。そのほうが奥さんに気持ちが伝わると思います」
「そのとおり」
 伽羅が頷いた。
「大切なことは自分の口と自分の言葉で伝えなさい。世の中には『逃げていいこと』と『逃げられないこ』と、そして、『逃げたら死ぬまで後悔する』ことがあるのだから」
「……」
 無言で頭を上げる誠治郎。
 伽羅は彼の目を見据え、言葉を続けた。
「君より長く生きる|妖怪《ひと》なら、待つことも苦ではなかろう。|君を失って《君が君でなくなって》しまうことに比べたらね」
「さて、それはどうかなあ?」
 と、半畳を入れたのは|赤石《あかいし》・|歩《あゆみ》だ。
「苦に思わないのは最初の数年だけさ。長く生きるってことは、それだけ心変わりの機会も多いってことだよ。あたしだって、昔からこんな感じだったわけじゃないしね」
 肩をすくめてみせる彼女に対して、伽羅は無視を決め込んだ。一瞥すらしなかった。
 だが、アザミは違った。
「あたしは赤石さんほど長く生きていませんが、赤石さんの『世の中、どうでもいい』みたいな気持ちは少し判るような気がします。世の中を構成していることの大半は所詮、他人事ですから」
「理解者が得られて嬉しいよ」
 歩は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 アザミのほうはくすりとも笑わなかった。
「だけど、完全に他人事として割り切れなかったから……そう、『蟻の群れ』でしかない街の人たちのことを少しは気にかけていたから、あたし達をこうして呼び込んだのですよね? まあ――」
 相手の反応を待たずにアザミは話を打ち切った。
「――あたしがそう思いたいだけかもしれませんけど」

 寛一が所轄署に事の次第を伝えると、三十分も経たぬうちに県警本部の職員がリトル|亜米利加《あめりか》に派遣され、歩と誠治郎の身柄を拘束し、『今回の一件は公表しない』という決定事項を告げ、疾風のように去った。どこでどのような談合や取引がおこなわれたのか――それは平警官の寛一や部外者たる√能力者たちには知りようもない。
「古妖の始末はおいらたちに丸投げってことっすかね」
 とくに憤慨する様子も見せず、テオフラスが言った。
「まあ、最初からそのつもりだったから、べつにいいっすけど」
「そうだな。じゃあ、行くか」
 古妖のいる祠へと赴くべく、伽羅が歩き出したが――
「おっと!」
 ――わざとらしく身をよろめかせた。
 その拍子に袂からなにかが落ち、テオフラスの足下に転がった。
「なんすか、これ?」
 テオフラスが拾い上げたのは、折り畳まれた毛皮。√能力『不思議骨董品』で創造された代物である。
「火鼠の衣ってやつさ。ほら、『竹取物語』に出てきた宝物だよ」
「『竹取物語』の火鼠の衣は真っ赤な偽物でしたが――」
 アザミが毛皮を覗き込んだ。
「――これもそうなのですか?」
「野暮なことを訊きなさんな。真贋定かでないというのが骨董品の愛すべき美点だろう?」
 伽羅は答えをはぐらかした。
 そして、奇妙な提案をテオフラスに持ちかけた。
「この毛皮、俺にくれないか?」
「いや、くれるもなにも……元から伽羅くんの物じゃないっすか」
「拾ったからには君の物だ。で、改めて俺にくれないか?」
「べつにいいっすけど……」
 狐に猫につままれたような(猫に撫でられたような?)顔をして火鼠の衣を差し出すテオフラスであった。

●第三巻第五場
「んおぉぉぉぉぉーっ!」
 食いしばった歯の隙間から唸り声を響かせ、顔を真っ赤にして額に血管を浮かび上がらせて、寛一は|大剣《テオフラス》を下段に構えた。
 この場合の『下段に構えた』とは好意的な解釈に基づいた表現である。どう頑張っても下段に構えることしかできないというのが実状だ。大剣が重すぎる上に長すぎるので、切っ先は地についている。
「大丈夫っす! 寛一くんなら、できるっす!」
「お、おう!」
 テオフラスの激励を受けて、寛一は両手に力を込めた。切っ先が少しだけ持ち上がった。
「伝説の勇者カッコ仮カッコトジたる寛一くんの力を見せてやるっす!」
「おう!」
「あ? 使用料は後払いで大丈夫っすよ」
「おう! ……って、金とんのかよぉーっ!?」
 思わず大剣を取り落としそうになった寛一であったが、状況がそれを許さなかった。
「つまらぬ笑劇はやめーい!」
 と、鳳凰童子が屍の群れを嗾けてきたのだ。
「いや、笑劇とかじゃないっすよ。料金は本当に請求させてもらうっす」
「そんなことを言ってる場合かぁーっ!」
 半泣きになって叫びながら、寛一は|大剣《債権者》を左右に振った(さすがに上下に振ることはできなかった)。剣技もなにもない力任せの斬撃。しかし、屍の群れは一体残らず本物の死骸へと変わった。寛一の戦闘能力は意外と高かったのだ……というわけではなく、剣化したテオフラスの効果によって敵へのダメージが倍増しているだけである。
「さすが、伝説の勇者カッコ仮カッコトジの寛一くんっす。とはいえ、こうやって雑魚散らしに徹しておいたほうが無難っすよね。鳳凰童子を直に狙うのはお勧めできないっす。まあ、どうしても自分でケジメをつけたいっていうのなら、止めはしないっすけどー」
「うっせーわ! 少し黙ってろ!」
 テオフラスの煽りに乗せられて、寛一は鳳凰童子に斬りかかった。
 長大な刃が水平に走り、鳳凰童子の細い腰へと叩きつけられる。しかし、いかに攻撃力が倍増していようと、相手は古妖であり、寛一は非√能力者だ。与えたダメージは蚊に刺された程度のものだろう。
 と、思いきや――
「びぇ!?」
 ――刃が電光を発し、鳳凰童子は苦鳴をあげて真横に吹き飛ばされた。横殴りの稲妻のごとき一太刀。やはり、寛一の戦闘能力は高かったのだ……というわけではなく、テオフラスが『|霹靂閃電《ドナー・ウント・ブリッツ》』なる√能力を発動させて電光を纏っただけである。
「待ってました!」
 伽羅が腕を突き出した。サーベルを持っていないほうの腕だ。そこに装着された籠手から銀色の線が伸び、まだ宙にあった鳳凰童子の小さな体に絡みつく。
 伽羅の腕が弧を描くと、銀色の線――釣り糸が勢いよく跳ね上がり、鳳凰童子の体も空中を舞った。釣り上げられた魚のように。
 そして、地面に叩きつけられた。息をつかせぬ連続攻撃(おまけに絵の一件で伽羅を過小評価している)とあっては、鳳凰童子に躱せるはずもなかった。
「『贈賄コンビネーション』の応用だ」
 衝撃で解けた釣り糸を引き戻しつつ、汚職警官の定番とも言える√能力の名を伽羅は口にした。
「テオフラスの攻撃が決まる度、即座に俺も攻撃できる」
「え? おいら、伽羅くんに賄賂を渡した覚えなんてないっすよ?」
「賄賂は現金とは限らぬものさ。ほら、これだよ、これ」
 伽羅はサーベルの峰で毛皮の上衣の肩を叩いてみせた。
「うわー、落とした物を拾ってあげた人を贈収賄罪の共犯に仕立て上げたってことっすか。ひどいっすねー」
 冗談めいた語調でテオフラスは伽羅を非難した。
「武器を強引に使わせておいて後から料金を請求する奴のほうがひどいわっ!」
 寛一の非難は冗談めいたものでなかった。
「料金のことは心配しなくても大丈夫です。たぶん、分割払いが利きますよ」
 気休め程度のフォローをしながら、アザミが走った。地に叩きつけられた鳳凰童子を追撃するために。
 鳳凰童子は素早く立ち上がった。しかし、素早さが発揮されたのは立ち上がった直後まで。アザミの振り下ろした卒塔婆を回避することはできなかった。√能力『禍祓大しばき』による一撃。通常の1・5倍のダメージを有する打擲を脳天に食らい、鳳凰童子は膝を地につけた。
 間髪を容れずにアザミはまた打ち据えた。今度は卒塔婆ではなく、言葉で。
「人間というのはね。命に限りあるからこそ、人間なんですよ。だから、あなたなんて要らないんです。とっとと消えてくださいな」
「くっ……」
 呻き声を残して、鳳凰童子はその場から消えた。アザミの命令に従っわけではない。入れ替わりの√能力を用いて瞬間移動したのだ。
 しかし、当然のことながら、移動先も安寧の地ではなかった。
「ほら、寛一くん! 伝説の勇者カッコ仮カッコトジの必殺技をまたお見舞いしてやるっす!」
「『カッコ仮カッコトジ』はいつになったら取れるんだよぉー!」
 移動の直後に寛一の斬撃(とテオフラスの雷撃)が打ち込まれた。
 すかさず、伽羅が釣り糸を伸ばした。鳳凰童子の体に引っかけ、手繰り寄せるような要領で距離を詰め、柄も折れよとばかりにサーベルを深く突き刺す。
「『不死の象徴』さんよ」
 二つ名で呼びかけながら、伽羅はサーベルの刃を抉った。
「不死になど、なんの価値もないと知れ」
 語りかけている相手は鳳凰童子だが、伽羅の脳裏に浮かんでいるのは歩だった。
『あたしだって、昔からこんな感じだったわけじゃないしね』
 彼女の言葉が伽羅には信じられなかった。信じたくなかった。
(長く生き続けると、自ずと短命の者を見下すようになるものだろうか? いや、俺にはそうは思えない。生きた時間の長さが神のごとき優越感を与えるのではない。月日という波に洗われて、生来の傲慢さが露出しただけのことだ……)
 そうでなかったら、自分もまた定命たちを『蟻の群れ』と見做すようになってしまうかもしれない。歩が予言した通りに。
「不死になど、なんの価値もないと知れ」
 先程と同じ言葉を先程以上の熱量をもって繰り返し、伽羅は鳳凰童子の体からサーベルを引き抜いた。
「あ゛あ゛あ゛……」
 苦悶と絶望の呻きを吐きながら、鳳凰童子は尻餅をついた。傷口から滝のように流れ落ちる血に足を取られたのだ。
 アザミが素早く駆け寄り、卒塔婆を振りかぶる。
「ま、待て!」
 鳳凰童子が頭をかばうように両手を振り上げた。
「ここは一つ痛み分けということにしようではないか! おぬしたちを食い殺したりはせぬから、おぬしたちも妾を見逃せ! な、なんなら、妾の血を飲ませて不死にしてやってもよいぞ!」
「あたしの言ったことをもうお忘れですか?」
 アザミはそう問いかけると、相手の答えを待たずに卒塔婆をスイングした。
 命中箇所は鳳凰童子の側頭部。首から上が胴体からちぎれ、はるか彼方へと飛んでいった。
 目の上に手を翳してそれを見送りながら、アザミは呟いた。
 鳳凰童子が忘れていたであろう言葉を。
「とっとと消えてくださいな」

●終幕
「俺たちの仕事はこれで終わりだな」
 伽羅が毛皮の上衣を脱ぎ、古妖の血で汚れたサーベルを丹念に拭った。
「地元警察は色々と後始末が大変だろうが……」
「いやいや、どんなに大変だろうと――」
 剣の状態のままでテオフラスが言った。
「――我らが寛一くんにかかれば、一日で平常モードに戻ること間違いなしっす」
「無茶振りすんな!」
 寛一が叫んだ。
 しかし、√能力者たちの無茶振りは終わらない。
「これからこの街の安全はあなたの肩にかかっているんですよ」
 と、澄まし顔でアザミがプレッシャーをかけた。
「だけど……きっと大丈夫ですよね。頑張ってください、黒岩狸さん」
「おう」
 神妙に頷く寛一であった。アザミの静かな激励がただの無茶振りでないことに気付いたのだろう。

 それから、きっかり十秒の間を置いて、寛一は再び叫んだ。
「いや、狸じゃねーし!」
 

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