シナリオ

偽りの|絶望《きぼう》の檻

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 一時的な巨大な権力の空白。積層都市『香港Ⅱ』を牛耳っているビッグネームの不在は、掃き溜めに蠢く弱小マフィアたちに、身の丈に合わない野心と狂騒をもたらすには十分すぎる時間だ。
 見捨てられた最下層――『|鬼城《ゴーストタウン》』その更に底深く、不法に増築された薄暗い闘技場では、むせ返るような血の匂いと安酒の悪臭の中、今宵も非合法の賭け試合が催されていた。
「おおおおおおっ!!」
 鉄檻の中で男が倒れ伏すと割れんばかりの歓声と怒号が地下空間を揺らした。勝者は、ぼろ布のような服を纏った最下層の貧民。圧倒的な体格差を覆しての一発逆転劇に観客たちは己の姿を重ねて熱狂する。――だが、それは仕組まれた熱狂だった。
 マフィアたちは狡猾に、そして悪趣味に群衆をコントロールしている。時折こうして意図的な八百長試合を挟み込み、貧民のなりをした『サクラ』に勝利させる。その劇的な光景を見ることで、絶望の淵にいる者たちは「自分にも一発逆転の希望がある」と錯覚してしまうのだ。そうして偽りの希望を与えられた者たちは、なけなしの金や己の臓器、果ては命そのものを賭けて自ら鉄檻へと足を踏み入れ、用意された真の暴力の前に無惨に引き裂かれて死んでいくのだ。
 そんな凄惨な喜劇を熱狂から隔絶された薄暗い特別席から見下ろしている男がいた。
闇に溶け込むような黒い衣装に、仙術機械から漏れる発光を鈍く瞬かせるサイボーグ。マフィアの用心棒として雇われている残存者であった。
「…………」
 マスク越しの男の顔からは、感情は読み取れない。ただ眼下で繰り広げられる惨劇を映す瞳には、底知れぬ冷酷さとほんの僅かな自嘲の色が混じっていた。
 与えられた|餌《きぼう》に群がり、何かに縋れば救われると信じて鉄格子の中へ飛び込んでいく弱者たち。生に貪欲になれず、ただ運と他人に命を委ねる無様な姿に彼はかつての己の愚かさを重ねていた。上層の気まぐれな『清掃』によって、家族を理不尽に踏み躙られ、全てを失う前の自分。弱さは罪であり、生への渇望を持たぬ者はこうして養分として死んでいくのがこの積層都市の絶対の|真理《ルール》なのだからと。
 男は特別席の壁に立てかけた動力偃月刀に視線を落とし、静かに目を閉じる。
 愚かな弱者たちの悲鳴と狂騒が渦巻く死の賭け試合。だが彼らはまだ知らない。この使い捨ての血塗られた舞台に力なき人々の為に立ち上がろうとする異端の存在が足を踏み入れようとしていることに。

●
「ようこそおいで下さいました」
 都内、某エンターテイメント系PR会社が所有する巨大高層ビルの会議室にて、レア・マーテルが、恭しくEDENたちを迎えてくれる。
「さて、皆様。今回は、積層都市『香港Ⅱ』の最下層…見捨てられた『|鬼城《ゴーストタウン》』へと向かっていただきます」
 彼女がそう語ると会議室のモニターに血と油に塗れた地下闘技場と檻の外で熱狂する群衆の姿が映し出されました。
「現在この最下層では、一時的な権力空白を突いたマフィアたちが、非合法な『賭け試合』を催しています。彼らはサクラを使った巧妙な八百長試合で貧民たちに一発逆転の偽りの希望を与え、自ら死地へと飛び込ませて搾取しているのです。この武強主義の世界において、力なき者たちの命はただの娯楽と資源として使い捨てられています」
 彼女は目を細めながら続ける。
「皆様には、この盤外戦術が横行する『なんでもあり』の死闘に直接身を投じていただきます。目的は、この闘技場を終わらせる事です」
 そう語ると、意味深い笑みを浮かべながら皆を見渡した。
「力なき人々の為にわざわざ戦う……この世界では滑稽とすら呼ばれるその行いこそが、皆様の強さの証明。さぁ、偽りの希望を弄ぶ悪党どもに、本物の『力』を示して差し上げましょうか」

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第1章 冒険 『死闘! 最下層の賭け試合!!』


◆死合の幕開け

 積層都市『香港Ⅱ』。――見捨てられた鬼城。血と錆、そして安酒と油の悪臭がむせ返る地下闘技場にあなた達は足を踏み入れた。
 鉄檻の中で繰り広げられるのは、マフィアが仕切る非合法の賭け試合。八百長によって搾取される弱者たちの絶望をよそに、狂騒は激しさを増す。ここでは凶器の使用や卑劣な盤外戦術すら当たり前の「なんでもあり」がまかり通っていた。

「オイオイ、また威勢のいいカモが来やがったぜ! 骨の髄までしゃぶり尽くしてやれ!」

 運営のゴロツキたちは、あなた達を新たな『|資源《カモ》』と見下し、下劣な嘲笑を向けてくる。だが、彼らはまだ知らない。あなた達がこの絶望の檻をぶち破りに来た、『|異端者《EDEN》』であることを…。
 さぁ、ご覧あれ! 悪辣な罠と狂騒が渦巻くリングへと上がり、立ちはだかる悪党どものルール無用の猛攻をねじ伏せ、偽りの希望に縋る最下層の民たちに理不尽を打ち砕く真の『力』を見せつけるのだ!
桂木・伊澄
日南・カナタ

◆コードブルー、鬼城に起つ!

 積層都市『香港Ⅱ』、|鬼城《ゴーストタウン》の地下深く。血と鉄錆、そして咽返るような熱気と狂気が渦巻く非合法の地下闘技場に警視庁異能捜査官のバディ『コードブルー』――桂木・伊澄(|普通《・・》の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h07447)と日南・カナタ(捜査三課のおまわりさん・h01454)の姿があった。

(√仙術サイバーによく入り浸るからって、なんだかこちら専門の要員として上から思われてそうだ…)

 伊澄は周囲の殺伐とした空気を肌で感じながら、内心で小さくぼやいた。だが彼の表情はあくまでクールだ。結局のところ、どこへ行っても己のやるべき仕事は変わらないのだから。

「地下闘技場……見るからにヤバそうなのばっかですねぇ~……」

 隣でカナタがびくびくと肩をすくめる。無理もない。客も闘士もまともな人間の枠から外れた無法者ばかりだ。だが次の瞬間、カナタは目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。

「え! ほんとに先輩出るんですか!」

 ガチで驚愕している後輩の反応に伊澄は眼鏡の奥の青い瞳を少し伏せた。

(俺ってそんなに頼りなく見えるのかな…)

 地味に凹みつつも、伊澄は無言で黒スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。シャツの上からでも分かる無駄のない引き締まった肉体にカナタは密かに息を呑んだ。

(あれ…、脱ぐと先輩って割りと…筋肉ついてる? 細マッチョ?)

 ちびでひょろいなどと思っていた己の失礼な偏見をカナタは慌てて心の中で取り下げたのだ。

■ 第壱試合:『桂木・伊澄』対『肉轢き重機、ボリス』
 
 ――鉄檻のリング。伊澄の前に立ち塞がったのは、過剰なサイバーパーツで両腕を丸太のように肥大化させた巨漢のロシアンマフィア闘士だった。

『ヒャハハ! ここは坊っちゃんが迷い込む場所じゃねぇぞ!?』

 ゴングと共に巨漢が、殺意剥き出しの突進を仕掛けてくる。体格差は大人と子供ほどもあり、真っ向からぶつかれば伊澄の体が砕け散ることは明白だった。――だが彼は動じない。馬鹿正直に真正面から受け止める気など毛頭なかった。

(視える……)

 極限まで研ぎ澄まされた伊澄の瞳が、巨漢の筋肉の収縮、重心の移動、そして力のベクトルを完全に可視化する。伊澄は警察学校で叩き込まれた体術と数々の死線で培った実戦経験をフル稼働させた。巨漢の豪腕が顔面を掠める直前、半歩だけ軸をずらし、相手の手首と肘を柔らかく捕らえた。

『なっ!?』
「力任せすぎるな」

 伊澄は相手の突進力を一切殺さず、そのまま円を描くようにいなし、力の流れを完全に逆手にとった。巨体がいとも容易く宙を舞い、闘技場のコンクリートの床へと脳天から叩き落とされる。生々しい激突音と共に相手は白目を剥いて完全に沈黙した。あまりにも鮮やかで静かな決着に、闘技場は一瞬の静寂の後、どよめきに包まれたのだった。

■ 第弐試合:『日南・彼方』対『見えざる死神、|李《リー》』

「す、すげぇ……」

 伊澄の勝利を檻の外から見ていたカナタは、己の内側から異常な熱が込み上げてくるのを感じていた。見るからにヤバい連中ばかりの闘技場。だが伊澄の鮮烈な戦いを見ているうちに、カナタの血が騒ぎ出していたのだ。いや、正確には「彼」の血が。

(これって…彼方の血!?)

 意識の底に眠っているはずの主人格、喧嘩好きの不良である『彼方』が、闘争の気配に当てられて覚醒しようとしている。

「わ、わぁーったよ! 出るから、彼方! 力貸してよ!」

 カナタが叫んだ瞬間、|彼《カナタ》は|彼《彼方》へと切り替わる。――『|彼方覚醒《アウェイク》』。淡い色の髪と瞳が、瞬く間に漆黒へと染まり上がる。姿勢は気怠げになり、先程までの怯えた様子は欠片も残っていない。意識は完全に不良の『彼方』へと切り替わっていた。
 ――そして、第2試合。覚醒した主人格の前に立ったのは、仕込み刃と毒を操る卑劣な腕利きの暗殺者だった。

『へへっ、ガキが。刻んで豚の餌にしてやんよ!』

 暗殺者が不意打ち気味に毒刃を投げつける。だが漆黒の瞳を持つ彼方は、凶刃を前にしてニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。

「なんだかよくわかんねぇけど…ボッコボコにすればいいんだな?」

 直後、彼方は虚空を掴み、強引に引き寄せた。空間引き寄せ能力――放たれた刃ごと空間が歪み、遠間から距離を取ろうとしていた暗殺者の身体が、強制的に彼の目の前へと引きずり出される。

『えっ!? ぐはぁッ!!』

 驚愕する暗殺者の顔面に、彼方の拳が容赦なくめり込んだ。

「オラオラァ! 豚の餌になるのはテメェの方だろ!」

 笑みを浮かべながら、覚醒した彼方の猛攻が止まらない。圧倒的な暴力の連打。空間を引き寄せられ、距離を取る事も逃げることすら許されず、暗殺者は文字通りボッコボコにされ、無惨にリングに沈んだのだった。
 圧倒的な力と技で相手の戦術すら粉砕した『コードブルー』の二人。最下層の闘技場に、彼らの実力を認めた群衆の狂乱の歓声が響き渡る中、伊澄は小さく息を吐き、静かにネクタイを締め直したのだった。

沈々曲・螺江

■ 第参試合:『沈々曲・螺江 』対『血濡れの処刑人 ・ドーベル』

 退廃と狂騒が入り交じる地下闘技場の空気を|沈々曲・螺江《しじま・らこう 》(溟途より・h13726)は、ひどく美味そうに吸い込んだ。

「退廃的で良い空気です。それに情念が渦巻いていて心地いい…。この熱狂、マフィアが運営しないと産まれない類な気がします。潰すには惜しい場所ですが…仕事をするとしましょうか」

 珊瑚の角を戴く深海の化身は、凄惨な死合いを求める観客たちの怒号をまるで極上の潮騒でも聴くかのように優雅に楽しんでいた。鉄檻に囲われたリングに上がった螺江の前に立つのは、興奮剤で瞳を血走らせながら、けたたましい轟音と共に巨大な仙術機械式のチェーンソーを振り回す処刑人の巨漢だ。更には、リング際の壁面から突如として灼熱の火炎放射が噴き出し、挑戦者の退路を容赦なく塞ぐのだ。

「皆さん、楽しそうで良いですねえ。私も是非混ぜて下さい」

 螺江はゆったりとした所作で、自身の骨を打ち込んだ青鈍色の愛刀『波濤』を抜き放つ。轟音を立てて肉薄してくる処刑人に対し、螺江は朱色の|覓眼《左眼》を細め、その膂力と軌道を瞬時に分析する。

「ああ怖い、まだ駆け出しなのでお手柔らかにお願いしますよ」

 言葉とは裏腹に、その身のこなしに微塵の焦りはない。チェーンソーの凶悪な斬撃を刃で柔らかく受け流し、死角から迫る火炎放射や飛び散る瓦礫といった遠距離からの干渉は、自身と世界の狭間に生じさせた空間の歪み『泡沫』に飲み込ませ、何処かへと弾き飛ばしていく。暴風のような猛攻の中を緑髪を揺らしながら深海を泳ぐように舞う螺江。――だが彼はふと小首を傾げた。

「とはいえ、逃げてばかりでは面白味に欠けますかね」

 螺江がふわりと微笑んだ瞬間、闘技場の空気が一変した。

「――じっくり“視て”差し上げますよ」

 能力『|迷霧《メイム》』が発動する。螺江から放たれた不可視の霧が闘技場全体を覆い尽くす。それは半径数十メートル内にいる全ての者の魔眼に対する抵抗力を強制的に引き下げる恐るべき術理であった。抵抗力を削ぎ落とされた処刑人の脳髄に螺江の|楔眼《左眼》が、昏くおぞましい深海の幻影を直接叩き込んだ。

『ガ、アァァァッ!?』

 高揚感に無敵を誇っていた筈の処刑人が、突如として見えない何かに怯え、虚空に向かってチェーンソーを振り回し始める。――完全な隙だ。

「…殺さない方がいいですかね? 興行として、皆さんに楽しんで頂ければよいのですが」

 螺江は一切の感情を含まない冷たい笑みを浮かべると狂乱する巨漢の懐へと滑り込んだ。狙うは急所ではない。青鈍色の閃光が幾重にも瞬き、処刑人が武器を握りしめていた両腕の腱だけを正確無比に断ち切った。

『ガ、アアアァァァッ!』

 回転する重いチェーンソーが己の足元へと落ち、処刑人が絶叫と血飛沫を上げて崩れ落ちる。圧倒的な暴力がいとも容易く無力化された瞬間だった。観客たちは何が起きたのか理解できず、ただ血の海に沈む処刑人と返り血一つ浴びずに微笑む緑髪の青年を見て異様な熱狂の声を上げる。

「えぇ、とても良い夜です」

 人間災厄は自らが放った絶望の余韻を味わうように、ひっそりと目を細めて嗤ったのだった。

劉・涼鈴

■ 第肆試合:『劉・涼鈴』対『千手絡新婦・|蛾眉《ガビ》』

「ヒョオォォッ! おい見ろよ、とんでもねえ上玉だぜ!」
「細ェ腰にあの太もも! おい蛾眉、生け捕りにしろ! いつもみたいに手足を縛って剥いたれ!」
「ハハッ、蹴り上げるたびに拝めそうじゃねえか! もっと足を上げろォ!」

 地下闘技場の鉄檻リングに|劉・涼鈴《りゅう・りょうりん》(神腿公主・h12276)が上がった瞬間、場内を埋め尽くすゴロツキどもから下卑た口笛と野卑な怒号が津波のように押し寄せた。豪奢な金刺繍が施された真紅の旗袍。大胆に切れ込んだスリットから覗く、しなやかで力強い神域の脚線美。最下層の泥水の中では決して拝めない極上の美女の登場に、群衆のボルテージは一瞬で沸点へと跳ね上がっていた。

(私ゃそれほど博愛精神に溢れてるワケじゃねえ、生粋の武強主義だ。だがまぁ…最下層の民を無意味に浪費するのは趣味じゃねえ。なんたって、いつか未来のお客さまかもしれねえからな)

 涼鈴は耳をピクリと揺らし、熱い視線を一身に集めながら不敵に口元を吊り上げた。

(おうおう、流氓どもの熱い視線を感じるねえ。ま、最下層じゃこんな上等な女はお目にかかれねえわな。『しゃぶり尽くす』に別の意味が加わっちまいそうだ)

 対角に立つのは、『千手絡新婦』の弐つ名を持つ蛾眉と呼ばれた改造闘士。背中に増設された四本の多関節サイバーアームを蠢かせ、粘着ネットと高圧スタンワイヤーを構えながら下品に舌舐めずりをした。

『最下層にゃ勿体ねえ極上の牝牛だ。上層の変態どもに売り飛ばせば億はくだらねぇぜ!』

 開始のゴングと同時に、客席の取り巻きから眩い閃光弾が投げ込まれ、周囲の金網ロープに紫電が走る。視界を奪い退路を断つ、露骨極まる盤外の戦術。闘士はそんな中、品定めに捕縛クローを伸ばして涼鈴の太ももへ下卑た手を伸ばそうとする。
だがその瞬間――真紅の影が閃光を突き破った。

「劉家奥義! 百獣脚ッ!!」

 涼鈴の紅い瞳が猛火のごとく燃え盛る。繰り出された鋭利な前蹴りが闘士の鼻面を捉えたのを皮切りに悪夢の如き連撃が幕を開けたのだ。
 蹴りが顔面に直撃――刹那、高速移動で背後へ回り込み死角からの蹴り。闘士が反射的に振り回したアームを受け流すと同時に、脇腹への鋭角な蹴り、更に膂力を乗せた爪先が、鋼鉄の義肢を両断するかのように蹴りを炸裂し、火花と共にサイバーアームをへし折ったのだ。一撃ごとに血飛沫と装甲片が撒き散らされ、相手は防御すら許されず空中で弄ばれる肉塊と化した。

『ひ、ぎゃああっ!? な、なんだこの女…!?』
「品定めに夢中で選手紹介を聞いてなかったかい?」

 残像すら残す連撃の渦中、涼鈴の凛然たる声が雷鳴のごとく響き渡る。

「私は涼鈴、劉山泊が筆頭鏢師、劉・涼鈴だ! 我が名、我が武技を恐れぬならば、かかってきな!!」

 放たれた圧倒的な覇気――恐怖が闘技場を圧巻した。目の前にいるのはただの獲物などではない、正真正銘の『猛獣』。己の死を本能で悟った闘士は、失禁寸前の恐怖に顔を歪めて完全に硬直した。

「――終わりだ!」

 怯んだ隙を逃す涼鈴ではない。美しく旋回した軸足から天を突くがごとき特大の踵落としが振り下ろされた。天賦の怪力と闘気を凝縮した一撃が、敵の脳天をリングのコンクリートごと粉砕する。地響きのような激突音を残し、四本のアームをへし折られた相手は白目を剥いて完全に沈黙した。

「「「…………」」」

 闘技場が静まり返る。一瞬の静寂の後――。

「う、おおおぉぉぉぉっ!!」
「つええええええっ!! なんだあの神懸かった脚は!?」
「神腿公主! 神腿公主!!」

 下卑た野次など跡形もなく吹き飛び、弱肉強食の理に酔いしれる観客たちから割れんばかりの賞賛と歓声の嵐が巻き起こった。リング中央で涼鈴はふうと息を吐き、艶やかな銀髪をかき上げる。その堂々たる佇まいに見惚れつつも、客席の隅では鼻の下を伸ばしていた一部のならず者たちが、頭を抱えて悔しそうに呻いていた。

「…ちくしょう、あんなに足を高く跳ね上げてたのによォ…」
「見えねえ…! あの絶対領域の奥、スリットの影に阻まれて奇跡のガードすぎるだろ…ッ!」
「鉄壁かよ! ちくしょう、神腿公主万歳!!」

 そんな男たちの邪念混じりの悔し涙をよそに、涼鈴は満面の笑みを浮かべ、誇らしげに拳を突き上げて群衆の歓呼に応えるのだった。

クラウス・イーザリー

■ 第伍試合:『クラウス・イーザリー』対『機甲要塞・ バルガス 』

(すごく盛り上がってる…)

 闘技場を揺らす耳をつんざくような歓声と怒号。むせ返る熱気を受け止めながら、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は、静かに思考を巡らせていた。武強主義が骨の髄まで浸透しているこの世界だからこそ、血と暴力にまみれた娯楽がこれほどの熱狂を呼ぶのかもしれない。

「よろしくね」

 リングに上がったクラウスは、穏やかに微笑みかけた。対戦相手として待ち受けていたのは、全身を分厚い複合装甲サイバーパーツで固め、巨大なタワーシールドと油圧式パイルバンカーを構えた重装甲の完全機械人の闘士だ。
 クラウスは一度そっと目を閉じると、全身の魔力を左目へと集束させた。瞼を開いた瞬間、『看破の瞳』が発動する。左目が青白い炎のごとく激しく燃え上がり、視界に映る闘士の重心、装甲の継ぎ目、そして駆動の乱れ――あらゆる「隙」が白日の下に晒された。

『小細工の通じる装甲じゃねぇぞ、ガキが!』

 闘士が嗤うと同時に、運営側による卑劣な罠が牙を剥く。クラウスの足元の床の格子から超高圧電流が火花を散らし、頭上からは細工された巨大な鉄骨照明が逃げ場を奪うように落下してくる。――だがクラウスは常に研ぎ澄ませていた感覚で異変を即座に察知していた。

「――っ!」

 展開された魔力防御の障壁が、足元の電流と頭上の落下物を完璧に弾き飛ばす。妨害が不発に終わったと見るや、闘士は唸りを上げ、シールドごと猛然と突進してきた。突き出されるパイルバンカーにもクラウスは慌てることなく、その攻撃の軌道を注視して見切る。紙一重のステップで鋼鉄の質量攻撃を躱すと逆にダッシュを仕掛けて一気に間合いを詰めた。

「そこ!」

 思考と直結した思念操作のレイン砲台が展開し、死角から眩いレーザー射撃を連続で放つ。視界を奪われ怯んだ闘士に対し、彼は変則的な打撃を叩き込み、強引に相手の体勢を崩した。闘士の防御に大きな綻びが生じる。燃え盛る『看破の瞳』が、装甲の噛み合わせがズレ、露出した胸部装甲の排熱口を捉えた。
 クラウスの手の中で、機械槍が鋭い駆動音を響かせる。見えた唯一無二の隙を貫くべく、渾身の力を込めて槍を突き出した。火花を散らしながら刃が装甲の奥深く――機械の心臓部の動力機関へと正確無比に突き刺さる。内部から連鎖して激しいショートの閃光が全身に弾け、闘士は断末魔の叫びを上げる間もなく、鋼鉄の巨体をリングへと崩落させたのだ。
 静まり返る闘技場。クラウスは機械槍を抜くと掲げるようにして観客席へと控えめにアピールしてみせた。そして、沸き起こる大歓声の裏で彼は冷徹に運営席を見据えるのだった。

(さて、脚本を狂わされた運営はどう出るかな)

第2章 集団戦 『サイバネ匪賊』


◆

 熱狂の坩堝と化していた地下闘技場に、耳を劈く非常警報がけたたましく鳴り響いた。送り込んだ自慢の闘士たちを悉く一蹴され、用意周到に組み上げた八百長を根底から叩き潰されたマフィアの主催者席から激昂と罵詈雑言がスピーカー越しに叩きつけられる。興行としての体面も客から吸い上げる賭け金ももはやどうでもいい。面子を完膚なきまでに潰された悪党たちに残されたのは、ただ一つ――目障りなイレギュラーどもを物理的にミンチへと変える剥き出しの殺意だけだった。

『クソがッ! 皆殺しだ! あいつら全員、生かしてここから出すな!!』

 重厚な防壁シャッターが轟音を立てて次々と降り、地下空間の閉鎖区画が暴力の檻へと変貌していく。ただならぬ殺気に呑まれ、それまで血を求めて歓声を上げていた群衆は一転、蜘蛛の子を散らすように出口へと殺到し、我先へと逃げ始めた。逃走する群衆の足音を踏みにじるように重機のごとき重々しい駆動音と金属摩擦の甲高い軋みが闘技場の大型搬入口の闇から響いてくる。
 そこに姿を現したのは、全身を装甲と武骨な兵装で塗り固めた武装集団――『サイバネ匪賊』の群れだった。全身を機械化したことで人間性を磨耗させ破壊衝動に脳を灼かれた下層の狂戦士たち。より強力な義体への換装を渇望し、その維持と強化に不可欠な『仙術機械』を求めてあらゆる汚れ仕事を請け負う苛烈なる武強主義の信奉者たち。その頭部を覆うバイザーが、リングに残るEDENの面々を冷徹にロックオンする。

『アハハッ、これがクラッシャーどもかい?』

 装甲の隙間から漏れ出る排熱スチームと共に、機械仕掛けの合成音声が嗜虐的な悦びに震えて嗤う。 匪賊たちの瞳が求めているのは、マフィアから支払われる報酬だけではない。見返りに持ち込まれたのは、過酷な戦場『√ウォーゾーン』の軍事技術を取り入れて組み上げられた、最新式の仙術機械兵装。全身を脈打つ駆動回路が、目の前に立つ超常の能力者たちを「極上の実験台」として認識していた。

『上等、上等だよ。旧式の粗大ゴミを蹴散らしたくらいでいい気になってるゴミどもがさ。ウチらの新しいオモチャの慣らし運転に、ちょうどいい的になってくれそうじゃないか!』

 高周波の駆動音を唸らせ、ウイングブースターから紫電を帯びた仙術霊力が噴き上がる。逃げ場を失った地下の底で、生身の血肉を嘲笑う鋼鉄の簒奪者たちが、狂気じみた銃口と刃を一斉に突きつけたのだ。
桂木・伊澄
日南・カナタ

◆

 警報の赤色灯がけたたましく明滅し、逃げ遅れた観客たちの悲鳴が闘技場に反響していた。重厚な防壁シャッターが完全に降り切るまでの僅かな隙間を目指し、群衆が我先にと出口へ殺到していく。その混乱を切り裂くように搬入口の闇から現れたサイバネ匪賊の部隊が、無骨な金属音を鳴らして異端者たちを取り囲んでいた。全身をくまなく機械化し、破壊衝動に狂った連中のレンズが、冷たい殺意を宿してギラリと発光する。

「たしかに、これだけ脚本を狂わされたら怒り心頭だろうな…」

 リング中央で桂木・伊澄は、苦笑交じりに呟く。他の仲間たちが派手に運営の目論見を粉砕してくれたおかげで、地下闘技場の面子は完全に地に堕ちた。だがそれこそが望むところだったのだ。

「まぁ、それが目的だったわけだが……こうして向こうから動いて、戦力を吐き出してくれたんだ。あとは徹底的に|地下闘技場《ここ》をぶっ壊そうじゃないか」

 伊澄が眼鏡のブリッジを押し上げ、静かにそう口にした瞬間だった。隣に立つ日南・カナタの全身から、爆発的な闘気が噴き上がった。

「ギャハハ! なんだこれ! めっちゃ面白ぇなァ!」

 黒く染まった瞳をギラつかせ、カナタ――いや、意識の主導権を握る主人格の『彼方』が、獰猛な不良の笑みを浮かべて喉を鳴らした。

「なんだかよくわかんねーし、あんたのこともよくわかんねぇけどさ! こいつらごとここ、ぶっ壊せばいいんだろ!? おっし、任せやがれ!」
(ちょ、ちょーーっと待って!? 彼方、暴れすぎだってばぁぁぁっ!?)

 肉体の奥深く、意識の底で普段のカナタが、文字通りの闘技観戦状態で頭を抱えて絶叫しているが、完全融合を果たしていた彼にその声は届かない。いや、届いていても止まる気など毛頭なかった。大暴れできるというただ一点において、彼のテンションはすでに最高潮を突破していた。日南の主人格の凶暴さについて話には聞いていた伊澄だったが、目の前で剥き出しになる野獣のような気迫を目の当たりにし、思わず口元をほころばせる。

「どうやら、問題なく戦えるようだな。それじゃあ任せるぞ、日南!」
「おうよ! いこうぜッ!」

 カナタの叫びと共に、能力『|彼方《オーナー》』が発動する。先陣を切ってこの乱戦に突入したことで、カナタの背後に揺らめく影が実体化する。一時的に顕現したもう一人の自分――完全連携を可能とする彼方の幻影が重なり、彼の放つオーラが爆発的に膨張すると、3倍の次元へと跳ね上がる。常識を越えた超常の質量が闘技場の空気を圧搾した。

『ひるむな! 肉塊どもをミンチにしろッ!』

 サイバネ匪賊たちが咆哮し、一斉に突撃を仕掛けてくる。発動されたのは『機械仙プロトコル』。完全機械体による超重量の近接突進、さらに敵の動きに併せて連撃による二重発動の衝撃が、空気を引き裂いて二人に迫った。鋼鉄の拳が油圧プレスの唸りを上げて同時に叩き込まれる。
 だが、カナタ――彼方は、正面から突っ込んでくる鉄の塊を見て、愉快そうに口端を吊り上げた。

「おうおう、お前ら機械人間なのかぁ? 知ってるかぁ? 機械ってぇのはなぁ……ハンマーでボコボコにされる為にあるんだろォがッ!!」

 跳ね上がった膂力と速度が炸裂した。向かってくる匪賊の鋼鉄の拳を彼方は素手で受け止めるどころか正面から己の拳を叩き込んで強引にねじ伏せた。鈍い破壊音が響き、完全機械人の頑強なフレームがくの字にへし折れる。

「オラァ! 喰らいやがれッ!!」

 顕現したもう一人の彼方と息を合わせ、逃げ場を塞ぐように容赦のない拳と蹴りの嵐を叩き込む。超重量の連撃プロトコルを起動していたはずの匪賊が、まるで自動車に撥ね飛ばされたかのように宙を舞い、防壁へと激突してスクラップと化した。
一方、伊澄は鋭い視線を周囲へと巡らせていた。 出口付近には、転倒したり腰を抜かしたりして逃げ遅れている観客の姿がまだ散見される。

(…まずいな。ここで無闇に自動拳銃を乱射すれば、流れ弾が逃げ遅れた観客に当たるリスクがある)

 捜査官としての冷徹な理性が、即座に銃撃戦を却下した。――ならばどうするか。伊澄は手慣れた手つきで二丁のフルオートマチックピストルをクルリと回転させると銃身を逆手にしっかりと握りしめた。頑丈なマガジン底部とグリップ部分を外側に向け、両手に構える。

「銃は…こういう使い方もある!」

 伊澄の身体が疾風となって地を蹴った。――『|銃鎚殴砕《ガンハンマー》』。機械仙プロトコルを起動し、両腕のブレードを振り下ろしてきた匪賊の攻撃を伊澄は極限の見切りで半歩だけ下がり躱す。空を切った刃の隙間に滑り込み、逆手に持った拳銃のグリップを渾身の力で相手の肘関節部へと叩き込んだ。
 鈍い音と共に高精度な打撃が装甲の噛み合わせを直撃し、油圧パイプを粉砕して匪賊の片腕を完全に圧し折り、伊澄の身体が間髪入れずに再加速した。

「一人!」

 即座に再行動へと移行した伊澄は、グリップを翻して匪賊の逆側の膝関節を足払いのように殴打し、片脚を破壊。バランスを崩して倒れ込む匪賊の背中を踏み台にし、さらにもう一歩踏み込んで隣にいた別の機械人のセンサーアイへと銃底を叩き込む。瞬間、火花を散らして片目を潰された敵がよろめいた瞬間、伊澄は流れるような身のこなしで喉元へゼロ距離の連打を叩き込み、完全に機能を停止させた。
 銃弾を一発も撃つことなく、鋼鉄の鈍器と化した二丁拳銃が、まるで精密機械を解体するように匪賊たちを次々と沈めていく。

「ヒャハハハッ! いいぞいいぞ伊澄のあんちゃん! そっちも派手にやってんじゃねぇか!」
「あんちゃん言うな! そっちは任せたぞ、日南!」
「任せろッ! まとめて鉄屑にしてやらぁ!!」

 暴れ狂う彼方の豪快な粉砕劇と一切の無駄を削ぎ落として急所を解体していく伊澄の精密なガンハンマー。正反対のスタイルを持つ二人の猛攻の前に最新鋭の仙術機械を誇っていたはずのサイバネ匪賊たちは、為す術もなくリングの上にスクラップの山を築き上げていった。逃げ遅れた観客たちを守りながら、二人はこの絶望の檻を内側から破壊し尽くしつつあったのだ。

劉・涼鈴

◆

 紫電を撒き散らすウイングブースターの轟音を響かせたサイバネ匪賊たちが、闘技場の虚空へと舞い上がった。最新鋭の仙術機械を誇示するかのように滞空し、インビジブルの揺らぎと同調して優位を取ろうと嗤う完全機械人たち。閉鎖された空間を己の狩場と過信し、ハイになった連中の視界に真紅の旗袍を翻す銀髪の影が悠然と入り込む。

「随分とまあゴキゲンじゃねえか、オモチャの『付属品』の分際でよ」

 涼鈴の舌鋒鋭い挑発が、冷え切った地下空間に小気味よく響き渡った。最新式の武装に酔い痴れ、破壊衝動に脳を焼かれた連中に相手の力量を吟味する冷静さなど残っているはずもない。

『生意気な生身の女ガァッ! 空からミンチにしてやるよ!』

 侮蔑に顔を歪めた匪賊が、激昂のままウイングを噴射し、急降下突撃を仕掛けてくる。だがその強襲を仰ぎ見た涼鈴は、不敵に紅い瞳を細めただけだった。

「――遅え!!」

 即座に放つ神速の紅脚。涼鈴の全身を大気を統べる風の如き功夫――軽身功が包み込んだ。――『劉家奥義・鷹爪天翔脚』。発動の瞬間、彼女の移動速度が一気に跳ね上がる。重力を嘲笑うかのように、鋭利な踏み込みからその身体は虚空へと弾け飛んだ。
真紅の影が中空を駆ける。空を蹴り、不可視の足場を捉えるような華麗なる空中疾走。急降下してきた匪賊の突撃を紙一重でかわすどころか、彼女はその頭上を軽やかに飛び越えていた。背後を取られた機械人が愕然と首を巡らせる中、降下する重厚な防壁シャッターの鋼鉄壁へと着地。登攀と跳躍を流れるように連動させ、垂直の壁面を疾走しながら空間全体を縦横無尽に跳び回る。

「性能を自慢するならマニュアルくらいは読んどきな!」

 反響する涼鈴の凛たる声が、空を飛ぶ匪賊たちを撃ち抜く。

「旋回能力が売りみたいだが、そいつは『飛翔時間に比例して強くなるスロースターター』だ! 悪いがこちとら初速から3倍化! お前らは功夫が足りてねえよ、功夫がッ!!」

 壁を蹴り放った反動を乗せ、涼鈴は急降下する一羽の紅鷹の如く宙を舞った。繰り出されるは、神域の跳び蹴り。先陣の機械人が慌てて複合装甲で防御の姿勢を取るが、涼鈴の爪先が纏う闘気はそれを一切意に介さない。装甲貫通、さらに天賦の怪力と倍化された破壊エネルギーが、鋼鉄のボディへと容赦なく叩き込まれた。
 甲高い装甲破壊音と共に、仙術機械の胸部フレームが飴細工のように圧壊する。内部機関から火花とオイルを撒き散らしながら、一機が錐揉み回転でリングの床へと叩き落とされた。しかし、涼鈴の舞は止まらない。撃ち抜いた敵の機体を空中で踏み台にし、再び跳躍。逃げ場を失いホバリングしていた後続の匪賊たちへと壁や天井の鉄骨を足場にしながら電光石火の蹴りを次々と叩き込んでいく。

「そこ、次! 落ちなッ!」

 宙を泳ぐ真紅のスリットが鮮やかに翻るたび、強烈な一撃が鋼鉄の翼をへし折り、センサーを粉砕する。滞空して加速する暇すら与えられず、完全機械人の群れは次々に墜落し、リングを埋めるスクラップの残骸へと変わっていった。
 露払いを終え、涼鈴は宙返りから音もなく床へと着地する。銀髪をふわりと揺らし、真紅の旗袍を整えながら、煙を上げる鉄屑の山を見下ろす。その凛々しい立ち姿は、地上のみならず天空の覇権すらも己が功夫で捻じ伏せてみせた紛れもない強者の証だった。

クラウス・イーザリー

◆

 防壁シャッターが完全に閉ざされた時、重金属の軋む音が充満していた。完全機械化されたサイバネ匪賊たちが、その身の破壊衝動を誇示するかの如くセンサーアイを一斉に発光させ、四方から包囲網を狭めてくる。油圧の唸りと共に起動する『機械仙プロトコル』。超重量の金属拳と剛腕の突進が、生身の肉体を圧殺すべく容赦なく迫っていた。

「気が短いね」

 押し寄せる鉄の嵐を前に、クラウス・イーザリーは、呆れたように軽く息を吐いた。脚本を狂わされた程度でここまで取り乱し、最新のオモチャを振り回して暴れ狂う下層の略奪者たち。過酷な戦場の技術を移植して増長しているようだが、見ず知らずの機械人たちの実験台になってやる義理など微塵もない。

「――お邪魔するよ」

 クラウスは瞬時に地を蹴り、爆発的な疾走で敵の包囲網のド真ん中へと自ら飛び込んだ。放つは『乱戦遊戯』。間合いを一気にゼロへと詰めたクラウスは、突進してきた先頭の匪賊が振り下ろした鋼鉄の腕を躱すや否やその腕を足場にして軽やかに跳び上がった。空中で身を翻し、真横の匪賊のセンサーアイめがけて鋭利な蹴りを叩き込む。鈍い打撃音が響く。さらに反動を利用して跳躍すると今度は背後から迫る機械人の構えた銃身を踏みつけ、顎下へ容赦のない跳び膝蹴りを二連撃で叩き込んだ。
 相手の身体、構えた武器、周囲に転がる瓦礫や金網――視界に入るあらゆる障害物を踏み台へと変え跳ね回る。的確に急所を捉えるその足捌きは、洗練された槍術とはまた違った変幻自在で荒々しい。懐深くへと踏み込まれた敵たちは、あまりの至近距離に慌てふためいた。大火力の兵装を乱射すれば味方を巻き込む。同士討ちを恐れて一瞬でも引き金を引くのを躊躇した瞬間、クラウスの冷徹な一撃が容赦なく顔面を蹴り飛ばした。

「躊躇したら終わりだよ」

 蹴りで体勢を崩し、無防備に仰け反った機械人へとクラウスの手にした機械槍が閃光となって突き出される。駆動音を唸らせる穂先が装甲の隙間――剥き出しになった動力コアを正確無比に貫通した。内部から激しい火花と青白いスチームを噴き出し、確固たる一撃で敵の数を確実に減らしていく。
 無論、機械化集団もただ黙って屠られるわけではない。死角から別の敵が完全機械体の質量を乗せた剛腕を振り回し、背後から無軌道な掃射が迫る。だがクラウスは極限まで研ぎ澄まされた見切りで、そのすべてを把握していた。紙一重で身を沈めて剛腕を空振らせ、その背後から飛来した銃弾の雨を別の匪賊の背中へと直撃させる。狙い通りの同士討ちを発生させ、それでも避けきれない至近距離の衝撃波は、瞬時に展開した魔力の障壁で完璧にシャットアウトした。
 縦横無尽にリングを駆け、敵の力と地形のすべてを利用して撹乱させながら解体していく。完璧に制御された乱戦の果てに、威勢よく吠えていた最新鋭の匪賊たちは、火花を散らすただの鉄屑となって足元へ折り重なっていった。
 クラウスは機械槍に付着したオイルを払うと煙を上げる残骸の山を見下ろす。穏やかな笑みを崩さぬまま静かに毒を吐いたのだ。

「慣らし運転、うまくいってる?  ゴミどもなのは、果たしてどちらだろうね」

沈々曲・螺江

◆

 ――閉ざされた地下空間。破壊された機械の火花とオイルの焦げ臭い煙が立ち込めていた。客席にはもはや人影はなく、逃げ惑った群衆が残したゴミと脱ぎ捨てられた靴が散乱している。その殺風景な広間の中央で、沈々曲・螺江は、珊瑚の角を揺らしながら心底名残惜しそうにため息をついた。

「すっかり観客がいなくなってしまいました。あの熱狂は中々楽しかったというのに…」

 EDENたちによって大半の戦力を削られ、後がなくなったサイバネ匪賊の残存部隊が、油圧を激しく軋ませて螺江を取り囲む。完全機械化の脳を灼く破壊衝動のまま唸るような合成音声で威嚇し、殺意を剥き出しにして間合いを詰めてくる。だが刃を向けられた彼は、優雅に袖を揺らして口元を綻ばせた。

「そう威嚇しないでください。恐怖で泣いてしまいそうです」

 細められた朱色の瞳には、恐怖など欠片も宿っていない。あるのは底知れぬ深海の虚無と冷たい愉悦だけだ。

「そうそう、私も色々試そうと思っておりまして。能力者になってから出来る事が増えたものですから」

 螺江がすっと細い指先を天へと掲げ、小さく囁いた。

「――皆さん、思う存分楽しんで下さい」

 ――『|彼岸より来る《ヒガンヨリキタル》』。その瞬間、闘技場の重力と気圧が狂ったかのように、泥濘の水底の如くねっとりとした冷気が空間を満たした。虚空の狭間からぬらりと現れたのは、リュウグウノツカイを思わせる長大な白銀の体躯を持った十二尾の霊魚――魔眼の力を宿した攻性インビジブルの群れであった。空を水面のごとく滑らかに泳ぎ出す魚たち。その両眼には螺江の魔眼と同じ朱い燐光が灯り、戦場全体を覆うように拡散していった。

『な、なんだこの魚は…インビジブル!?』

 狼狽する機械人たちへ十二尾の魚たちが一斉に視線を注ぐ。放たれた魔眼の波長が、匪賊たちの光学センサーと論理回路へ直接干渉した。視界に螺江の幻影が無数に投影され、パニックに陥った機械人たちは『機械仙プロトコル』の剛腕を味方へ向けて振り下ろし、同士討ちの鉄槌を叩き込み合う。更に魚たちが撒き散らす精神汚染の波動が義体内部の生体脳を蝕み神経伝達を狂わせて次々と麻痺を引き起こしていた。
 手足の自由を奪われ、ギチギチと異音を立てて硬直する匪賊たち。その隙間を螺江は波間を漂うように滑らかな足取りで歩みを進めた。決して囲まれる位置には立たず、流れるような間合いの管理で敵の死角を渡り歩く。
 辛うじて麻痺に抗った一体が、渾身の力で完全機械体の鉄拳を振り下ろしてきた。しかし、螺江は事前の気配察知でそれを涼やかに躱し、死角から飛来した銃弾の弾幕に対しては、空間の歪みたる浪華を瞬時に展開して悉くを虚空へと弾き飛ばす。

「ふむ…」

 螺江の手の中で、青鈍色の愛刀が静かに閃く。狙うは幻影に惑わされ、麻痺によって動きの鈍った敵の急所のみ。力任せに打ち合う必要などない。装甲の繋ぎ目、露出した動力ケーブル、排熱弁――彼の刃が滑り込むたびに、精密機械は音もなく両断され、冷たいオイルを噴き上げて崩れ落ちていく。
 狂乱の暴力で支配されていた闘技場は、瞬く間に海底の静寂へと沈められていった。 最後の一体が機能を停止し、火花を散らしながら床に倒れ伏す。十二尾の魚たちが満足げに虚空へと溶け消えていく中、彼は刀に付着した汚れを優雅に払い、一人微笑んだ。

「機械センサーにも魔眼が効くのですねえ。…いい学びになりました」

 残虐なる蹂躙をただの実験のように楽しんだ人間災厄の足元には、冷え切った鉄屑の山だけが静まり返っていたのだった。

第3章 ボス戦 『残存者『朝詠』』


■夜明けなき残存者

 ――ひどい耳鳴りがする。肉が焼け焦げる悪臭と骨を削る駆動音。それは、幾度となく四肢を失い、無機質な仙術義体へとすげ替えられた時に刻まれたスラムの闇医者での記憶だ。痛みに意識が暗転しかける度に、彼の脳裏をよぎるのは、不衛生な病床で息を引き取った父の掠れた声だった。

『生きろ。何があっても……俺たちの分まで』

 とうの昔に温もりを失った母の面影。あの日、無慈悲に離ればなれになった幼い弟の泣き顔。彼らの記憶を呼び起こす度、胸の奥で何かがひどく軋む。――だが、立ち止まるわけにはいかなかった。約束を果たし生き繋ぐためならば、己の血肉を切り捨て、他者の尊厳を踏み躙ることなど造作もない。この積層都市で一日でも長く息をする為、彼は「生存への渇望」という名の執念を削り取られた四肢の代わりに機械仕掛けへと宿し続けてきたのだ。

◆

『ひ、ひぃッ! なんだあいつらは! 化け物じゃないか!?』
『逃げろ! こんなはずじゃなかった! おい、用心棒! お前あいつらを食い止めろ!!』

 地下闘技場を見下ろす特別席。最新鋭の武装を誇っていたサイバネ匪賊たちが、EDENの能力者たちを前に、ただの鉄屑へと変えられた光景を目の当たりにし、マフィアの主催者たちは完全に恐慌状態に陥っていた。血相を変え、我先にと出口へ向かって逃げ出そうとする雇い主たち。他人の力に縋り、己の力で生き抜こうとする覚悟すら持たぬ無様な姿を青年――残存者『朝詠』は、酷薄な瞳で見下ろしていた。

『……』

 ――激昂し、朝詠の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしたマフィアの首が不自然に宙を舞う。一拍遅れて、噴き出すおびただしい鮮血。特別席の豪奢な壁が赤く染まり、残った者たちが悲鳴を上げる間もなく、朝詠の手に握られた重厚な偃月刀が一閃、二閃と虚空を薙いだ。命乞いすら許さない、文字通りの撫で斬り。武強主義の理において、自らの足で立とうとしない弱者はこうして強者に養分として刈り取られるのが絶対の真理だった。

『…………』

 常に口元を隠した彼の表情は読み取れない。只々、陰鬱な空気を纏ったまま、偃月刀についた雇い主の血を無造作に振り払う。どのような弱者であろうと殺すことに躊躇はない。帰るべき温かい場所など、とうの昔に失っている。彼にあるのは、ただ「今日も他人を踏み台にして生き延びた」という血生臭い事実の積み重ねだけだ。
 朝詠は、血だまりの中に転がる死体を一瞥すらすることなく、ひび割れた特別席の強化ガラスを蹴り破った。ガラスの破片が煌めきながら降り注ぐ中、黒い衣装に身を包んだ青年は、無数の敗者たちの血を吸い込んできた闘技場の底へと静かに舞い降りる。土煙を上げて着地した朝詠。その視線の先には、並み居る悪党どもを粉砕し、リングの中心に立つEDENの能力者たちの姿があった。彼らは紛れもない強者だ。己の生存を脅かす絶対的な障害。

『……お前らを殺し、俺は生きる』

 低く、底知れぬ生存への執着を孕んだ声が、静まり返った闘技場に響く。失った家族の影を背負い、死の淵から這い上がってきた残酷なる生存者。その手にある偃月刀が能力者たちの命を喰らうべく、鈍く冷たい殺意の光を放ったのだ。
沈々曲・螺江

◆深海と生存の交錯

「主催者も死にましたし、こちらの仕事は終わりも同然なのですがねぇ。――ですのでお引き取り願えませんか?」

 雇い主たちの血だまりを踏み越え、静かに歩み寄ってくる残存者『朝詠』に対し、沈々曲・螺江は、億劫そうに溜息をついた。標的となるマフィアが全滅した以上、用心棒としてここにいる理由はすでにない。しかし、残存者の瞳に宿る飢えた闘争の炎は微塵も揺らいでいなかったのだ。己の生存を脅かす可能性のある存在をただひたすらに排除せんとしようとする純粋な殺意。

「私は戦闘狂ではないので、あなたのような手練れを相手取るのは面倒でしかありません。先程と同じ手を使うのは読まれそうですし…まぁ、やれるだけやってみますか」

 螺江が優雅に愛刀『波濤』を構えると朱色の魔眼を細めた。
 ――瞬間、朝詠が爆発的な脚力で闘技場の床を蹴り飛ばした。『乱打』が放たれる。周囲の地形や破損した瓦礫を足場として立体的に加速し、強靭な拳と鋭利な蹴りの連撃で対象を粉砕する武強の理に則った猛攻。だが、その刃が届くより早く螺江の魔眼が彼の脳髄に『認識汚染』を滑り込ませていたのだ。致命的な間合いの誤認。顔面を砕くはずだった蹴りの軌道が彼の身体の数寸手前で空を切る。

「――嵐の海を体感して頂きましょう」

 追撃に出ようとした朝詠の視界を圧倒的な深海の幻覚が呑み込んだ。能力『|時化の海《シケノウミ》』。螺江が放った防御不能の幻覚が朝詠の認識する重力方向を突如として『斜め上』へと強制的に書き換えた。

『ッ!?』

 地形を利用して壁を蹴ろうとしていた朝詠の体勢が、空中で致命的に崩れる。空を踏み、天地が反転したかのような唐突な平衡感覚の喪失。地形利用の利点を完全に削ぎ落とされた朝詠に対し、螺江が静かに距離を詰めた。
 重力が狂った錯覚の中でもがく敵が、それでも生存本能のみで強靭な拳を放つ。だが螺江はそれを水面を滑るように回避し、避けきれない一撃は自身と世界の狭間に生じさせた『浪華』でふわりと受け流した。

「ふふ……」

 螺江の死角から魚型のインビジブル『従魚』が虚空を泳いで朝詠の首筋へと食らいつくと同時に、青鈍色の『波濤』が敵の義体を断ち切らんと閃いた。
 ――だが天地の認識を狂わされながらも、敵は咄嗟に偃月刀の柄で波濤を受け止め、従魚の牙を装甲で弾き返す。まさに凄まじい執念。けれども、それすらも螺江の想定内だ。見切られても決して慌てず、彼は優雅に微笑む。

「下ですよ」

 朝詠の足元の影が突如として波打ち、意思を持つ影『寂影』が凶刃となって下から突き上げられた。

『――ガ、ァッ!』

 不意打ちの串刺し。影の刃が朝詠の仙術義体の隙間を抜け、その脇腹を浅くとも確実に貫いたのだ。朝詠は呻き声を上げながらも偃月刀を乱暴に振り回し、無理やり螺江との距離を引き剥がす。床に降り立ち、荒い呼吸を繰り返す朝詠の脇腹から黒い血が滴る。
 深海の底のような重圧で場を支配し、完全な優勢を保った螺江。だが彼はそれ以上追撃することなく刀を引き、後退したのだ。

「…私に出来るのは、ここまでのようです」

 傷を負いながらも、その瞳にいっそう危険な生存の渇望を滾らせる朝詠を見据え、螺江は楽しげに笑う。

「底なしの生への執着…あぁあぁ、怖い。後は皆さんにお任せしますよ」

 人間災厄は恭しく一礼すると、己が生み出した嵐の海を他の者たちへと明け渡したのだった。

桂木・伊澄
日南・カナタ

◆命の渇望と青き正義

(こいつは他の奴らとは明らかに目つきが違う……何か事情がありそうだ)

 残存者『朝詠』と対峙した桂木・伊澄は、相手の放つ底知れぬ気迫に直感的な警戒を抱いた。これまで相手にしてきた欲望剥き出しの悪党どもとは根底から異なる純粋且つ冷酷な殺意。非合法かつ非人道的な闘技場であり、ここで得た莫大な資金がマフィアへと流れている事実がある以上、警官として放置するわけにはいかない。地道な事ではあるもののこうして末端から組織の資金源を潰していくのが定石だ。そんな風に伊澄が静かに思考を巡らせる横で、日南・カナタの口から獰猛な笑い声が漏れていた。

(あ……そうだった。今こいつ、人格が違うんだったな)
「へー! あんた、さっきの奴らよりめっちゃ強そうじゃん!」


 カナタ――現在、表層意識を支配する主人格『彼方』は、現状をほぼ全く把握していない様子のままに、ただ強敵の出現に血を沸き立たせている。

「俺は今の現状がどういう事なのかさっぱりわかんねぇんだけど、こいつぶっ倒せばいいんだな? 俺、サツじゃねぇけど喧嘩出来るってんなら大歓迎だぜ!」

 吠えると同時、彼方は己の得物であるロングハンマーを構え、果敢に飛び出していった。これも某キャッチフレーズの如く「見た目は彼方、身体はカナタ」だからこそ出来る無茶振りなのである。
 対する朝詠は、無言のまま身の丈ほどもある重厚な偃月刀を軽々と振るい彼方を迎撃する。更に周囲の瓦礫や地形を蹴り上げ、空間を立体的に利用した『乱打』の連撃へと移行した。鋭い仙術義体の蹴りと強靭な拳が偃月刀の斬撃に混ざって嵐のようにカナタへと降り注ぐ。

「おっと! リーチが長ぇ分、懐に入らせねぇってか!」

 彼方は相手のリーチの長さを瞬時に見極め、強引な突撃を控えてハンマーによるなぎ払いや吹き飛ばしを駆使しながらじりじりと間合いを測り合う。

「だーー! そのなっがい得物、ズリィだろぉ!!」

 己の得物も相当な長さであることを棚に上げ、彼方は文句を叫びながらロングハンマーを渾身の力で振り下ろした。超重量の一撃は、朝詠の俊敏なステップによって躱され、虚しく闘技場の床を粉砕するも、それこそが彼方の異能『|重力圧撃《グラビティアタック》』の真骨頂であった。ハンマーが外れた地点を中心に、重圧の空間が瞬時に形成される。闘技場の空気が泥のように重く沈み込み、範囲内に囚われた朝詠の機動力が目に見えて削がれた。

「お、これならいけんじゃね? あんちゃんよ」

 ――重力場の中で、伊澄へニヤリと笑う彼方。

「上出来だ」
「ハハッ、不本意だが力合わせてやるよ!」

 不良でありながらも目の前の強敵を打ち倒すために伊澄との連携を選択するカナタ。
機動力を削がれた朝詠は、標的を直ぐ傍で隙を窺っていた伊澄へと切り替えた。重圧の中で偃月刀を鋭く翻し、首筋を狙った刺突を放つ。伊澄は極限の見切りでその凶刃を紙一重でかわし、すれ違いざまに朝詠の義体の腕へとその手を触れた。発動するは、異能『|武装化記憶《サイコメトリック・ジオキシス》』。触れた物品や義体に刻み込まれた「過去の所有者の記憶」が、伊澄の脳髄に直接流れ込んでくる。 不衛生なスラムの光景。病床で息を引き取る父親の姿。離れ離れになった幼い弟の泣き顔。そして、どれだけ泥水を啜り他者を踏み躙ってでも生き延びるという強迫観念めいた絶対の誓い。

(コイツ…そうか…『生きる』事に固執しているんだな)

 伊澄は朝詠を突き動かす狂気の源泉を理解した。
 その直後、朝詠の全身から膨大な仙術の霊力が噴き上がり、周囲の空気がビリビリと震え始めた。足を踏み締め、極限まで圧縮された『生への渇望』を義体にチャージし始める。集中の後、近接範囲にいる全ての敵を消し飛ばす必殺の一撃『絶蹴』。その恐るべき破壊の予兆を前にして、伊澄は静かに、だが真っ直ぐに朝詠の瞳を見据えて言葉を投げかけた。

「果たしてどんな手段でも、マフィアに加担し弱者を殺めても……生きて欲しいと家族は望んでいるのかな?」

 その問いかけは、修羅の道を歩み続けてきた朝詠の心臓を目に見えない刃となって正確に貫いた。

『……ッ』

 ――微かな動揺。完璧に練り上げられていた『生への渇望』のチャージに、ほんの僅かな淀みが生じる。強靭な殺意の剣に生じた一瞬の亀裂。それを見逃す二人ではない。

「オラァッ! よそ見してんじゃねぇぞ!!」

 重圧地帯を味方につけている彼方が、ハンマーによる怒涛の連撃で朝詠の退路を完全に塞ぐ。同時に伊澄の手の中に『記憶との交渉』を経て顕現した光の刃――『サイコメトリック・オーラソード』が煌びやかに具現化した。

『はあぁぁぁーーッ!!』

 チャージを完了させ十八倍の破壊力を宿した朝詠の仙術義体から『絶蹴』が解き放たれる。大気を消し飛ばすかのような一撃。伊澄は逃げることなく真っ向から踏み込むと、彼方のハンマーによる牽制で威力の逸れた蹴りの軌道へと記憶の刃を叩きつけた。因縁の相手に絶大な威力を発揮するオーラソードが、敵の義体の駆動部を正確に斬り裂く。致命傷を意図的に外した青き光の刃が、朝詠の身体を闘技場の壁面へと深く吹き飛ばした。
 粉塵が舞う中、偃月刀を杖にして辛うじて立ち上がろうとする残存者へと伊澄は静かな声で告げる。

「その力……弱者の為に使えないのか?」

 警察官として、そして一人の人間としての真摯な問い掛けが、この冷たくも虚しい地下闘技場に僅かにだが浸透していったのであった。

クラウス・イーザリー

◆月影に蠢く竜の腕

(さっきまでの連中とは違うように見えるな……)

 交戦を経て砕けたコンクリートの粉塵が立ち込める地下闘技場。クラウス・イーザリーは、紫電を帯びる重厚な偃月刀を構えた残存者『朝詠』の姿を静かに観察していた。これまでに相手をしてきたマフィアやサイバネ匪賊たちとは、明らかに放つ気迫の質が異なる。ただ無軌道な暴力に酔っているだけではない。絶望的なまでの生への執着、あるいは呪いにも似た『何か』が、陰鬱な瞳の奥底で重く蠢いているような気がした。それは考えすぎかもしれない。戦場の極限状態が見せた錯覚の可能性もある。ただ確かなのは、相手の事情がどうであれ、ここで黙って殺されてやる訳にはいかないという事実だけだ。
 クラウスは手にした機械槍を握り直し、逃げることなく真っ向から朝詠へと距離を詰めた。迎え撃つ朝詠の手に握られた使い込まれた偃月刀が、凶悪な駆動音を唸らせて起動する。――能力『終刃』。それは尋常ならざる斬撃の枠を遥かに逸脱していた。踏み込みと同時に放たれた一撃は、クラウスの周囲の空間そのものを薙ぎ払う広範囲の二連撃へと変貌する。闘技場の床を抉りながら迫る凄まじい旋風。クラウスは即座に思念操作のレイン砲台を展開し、虚空から無数のレーザーによる牽制射撃を放つ。煌めく光線が朝詠の義体を掠め、その軌道を僅かに逸らした直後、偃月刀の二撃目が容赦なくクラウスの胴を薙ぎ払いにきた。
 展開された青白い魔力障壁が、重厚な刃を正面から受け止める。次の瞬間、激しい火花と衝撃波が空間を揺らした。障壁そのものは強烈な斬撃を相殺して持ち堪えたものの余波として発生した鋭い真空の刃が、クラウスの頬を浅く切り裂いた。赤い血がひと筋、白い肌を伝って流れ落ちる。

「……っ」

 ほんの掠り傷。死線においては日常茶飯事の取るに足らない負傷にすぎない。その刹那、クラウスの足元の影が唐突にどす黒く沸騰し始めた。

『――グルルウゥッ』

 ――能力『|月影の想腕《ツキカゲノソウワン》』。主の流血に反応し、過保護過ぎとも思えるような無明に封じられた影竜が激しく脈打つ。影から真っ黒な泥が滲み出すように巨大で異形な竜の腕が一本、クラウスの背後から実体を伴ってせり出した。

「怒らなくていいよ、これくらい」

 クラウスが苦笑交じりに宥めるのと同時に主を傷つけられた怒りに駆られた影竜の腕が、朝詠へ向けて猛然と魂喰らいの鉤爪を振り下ろす。予想外の死角から迫る巨大な質量攻撃。朝詠は舌打ちを漏らし、偃月刀を盾にして後方へと大きく跳び退いた。
 相手が近接戦闘の間合いから外れた瞬間を見逃さず、クラウスはすかさず影竜に命を下す。地面を這うように伸びた影が、朝詠の足元を縛り上げる影縫いとなって急襲した。 動きを封じられた義体の足元へ、レイン砲台からのレーザーが容赦なく降り注ぎ、周囲の瓦礫を爆散させる。土煙が晴れる中、足を縫い留められながらもなお偃月刀を構え直そうとする敵に彼は武器の穂先を下げて静かに語りかけた。

「ね、戦いを止めることはできないの?」

 その声は、血の匂いが充満する闘技場には似つかわしくないほど穏やかで、澄んでいた。

「この場の首謀者はもう死んでいるみたいだし、俺たちがこれ以上戦い続ける意味はあまり無いと思うんだけど」

 無駄な呼びかけかもしれないと理解しつつも、駄目元で紡いだ言葉。朝詠は口元を覆う面の奥で低くも重い息を吐き出した。彼の瞳にあるのはクラウスの提案に対する思案や葛藤ではない。首謀者の生死など最初から関係ないのだ。――あるのは生存。『目の前に立ち塞がる者を殺さなければ、自分が生きられない』という壊れた機械のような本能だけが彼を突き動かしている。
 ギリリと仙術義体が強引に動き、拘束していた影縫いを力任せに引きちぎる音が響く。言葉は届かない。相手の戦意が微塵も衰えていない事実を静かに受け止め、クラウスは微かに目を伏せると再び機械槍をまっすぐに構え直したのだった。

劉・涼鈴

◆黎明の空に吼える神獣

「へぇ、朝詠、ね……。朝に詠み、夜に巡る、随分と詩的じゃあないか? なぁに、私とお前さんの間に縁はないさ、気にするな」

 瓦礫の中心で真紅の旗袍を翻す劉・涼鈴は、底知れぬ暗い気迫を放つ残存者へ向かって不敵な笑みを向けた。朝詠は偃月刀を構えたまま警戒に満ちた瞳で眼前の女武侠を睨みつける。その極度に張り詰めた身体の重心を正確に見抜き、涼鈴は銀髪を払って軽口のように言葉を続けた。

「ひとつ言わせてもらうなら……もうちっと肩の力を抜けや。凝り固まってるより功夫が上達するし……見失ったものが見つかるかもしれんぜ?」
『……ッ!?』

 見失ったもの。その何気ない一言が朝詠の脳裏に泥水のようなスラムの記憶と冷たくなった父の手、そして生き別れた弟の泣き顔をフラッシュバックさせる。
 無意識の内に偃月刀の柄を握る手に力がこもり、仙術義体が主の動揺に呼応してギリッと悲鳴のような軋み音を立てた。

『……見失ってなど、いない…』

 それは威嚇というよりは、呪いのように自分自身へ言い聞かせるような酷く掠れた独白だった。――面で覆われた口元の奥から押し殺してきた感情が微かに洩れ出す。

『俺は…約束したんだ。立ち止まれば…死ぬだけだ…。今更、肩の力など抜けば……俺は、あいつらに顔向けできなくなる……ッ!』

 ――生きる為に。
 ――他者を殺してでも生き延びるために。
 ――自らの血肉すら切り捨ててきた。それを「肩の力を抜け」「凝り固まっている」などと手放してしまえば、これまでの血塗られた自分の生存そのものが崩れ去ってしまう。血を吐くようなその微かな吐露。涼鈴は真っ直ぐな紅い瞳でそれから目を逸らさず、静かに受け止めた。

「……そうかい。なら――」

 ふと一度だけ目を伏せ、涼鈴は再び鋭い闘気を全身に漲らせる。相手の悲壮な決意を哀れむのではなく、一人の武侠として全力で打ち砕く事こそが、彼女なりの最大の礼儀だったのだ。

「問答は仕舞い、|摊牌《ショウダウン》だ」

 朝詠は口元の奥で低く息を吐き出し、偃月刀の駆動音を唸らせる。爆発的な踏み込み。生への渇望が推進力となり、迷いのない斬撃が涼鈴の細い首筋を目掛けて薙ぎ払われた。一撃必殺の重い軌道。更に間髪を入れずに追撃し、偃月刀の柄を用いた打撃と仙術義体による鋭い蹴りが連続して叩き込まれる。相手に息をつかせる暇すら与えない息の根を止めるためだけの冷徹な連撃。刃の風圧が涼鈴の肌を掠め、周囲のコンクリートを紙のように切り裂いていく。
 嵐のような猛攻の中、涼鈴は一切の恐れを抱くことなく、全身から膨大な紅き闘気を間欠泉の如く立ち上らせる。高度に練り上げられた気功が天賦の肉体に行き渡り、しなやかな肢体を蚩尤の如き鉄壁へと変貌させた。朝詠の渾身の振り下ろしを龍の意匠が施された双龍剣で的確に受け流し、軌道を外へ逸らす。力と力が拮抗して生まれた一瞬の死角。彼女はその隙を見逃さず、深く沈み込んだ姿勢からカウンターの|前掃腿《あしばらい》を放った。地を這うような神域の蹴り。敵は義体のバネを限界まで収縮させて真上へと跳躍して致命の打撃を躱す。――逃がしはしない。涼鈴はすかさず、ジャンプで空中の敵へと肉薄した。超人的な瞬発力で相手の懐深くへ潜り込み、肩と腰の捻りを完全に連動させた|裡門頂肘《ひじうち》を義体の胸甲へ真っ向からブチかます。

『ガ、ハッ!?』

 激しい金属のひしゃげる音と共に、朝詠の身体が後方へと大きく吹き飛ばされる。空中で体勢を崩しながらも彼は執念で義体の脚部を捻り、落下軌道から鋭い踵落としの反撃を繰り出した。
 涼鈴は闘気を纏った腕を十字に組んで強固にガードする。重厚な衝撃を全身で受け止め、そのまま弾かれるように後方へ跳び退いて威力を完全に殺す。
 両者が距離を取り、闘技場に一瞬の静寂が落ちる。朝詠の全身から、これまでとは比較にならない異様なプレッシャーが立ち上り始めた。仙術義体が限界を告げる軋みを上げ、全エネルギーを右脚の駆動部へと集中させていく。極限まで圧縮される『生への渇望』。チャージの後に放たれる威力十八倍の必殺の一撃『絶蹴』。己の肉体がどうなろうと眼前の障害を完全に消し飛ばすための破滅的な業。対する涼鈴もまた静かに両脚を地につけ、広大な闘気を自らの内に圧縮し始めていた。
 ――両者、六十秒の間。互いの放出する気が衝突し、闘技場の空気がビリビリと震える。その圧倒的な重圧の中で涼鈴は静かに言葉を紡いだ。

「生き延びる。なるほど、捻りがないが故に強力な渇望だ」

 涼鈴の凛とした声が、駆動音の響く空間を貫く。

「だがよ、だからこそ――簡単に歪む。生き延びる『だけ』なら殺しは不要。敢えて手を染めるっつーのは、お前さんの『雑念』だ」

 ――朝詠の瞳が微かに揺らいだ。
 生きる為、死んだ家族との約束を果たす為。その思いだけで他者を踏み躙ってきた己の生き様。必死にすがりついてきたその行為そのものを、目の前の女は「雑念」と一蹴したのだ。

「手前も武侠なら、目の前の『勝利』に集中しろや!」

 ――やがて六十秒の時が満ちる。チャージ中に蓄積した僅かなダメージと極限のエネルギーが、両者の右脚へと完全に還元された。

「今生の見納めに喰らってけ! 劉家奥義! 神獣撃!!」
『……俺は、俺は、生きるッ!!』

 踏み抜かれた床がクレーターのように陥没する。
 朝詠の『絶蹴』と涼鈴の『神獣撃』が、空間の中央で真っ向から激突した。
 凄まじい閃光と衝撃波が闘技場を吹き飛ばす。仙術義体の破滅的な推進力と正統なる武侠の技。二つの蹴りが交差した刹那、勝敗を分けたのは――純粋な『武』の力だった。
 迷いを抱えた機械の蹴りに対し、勝利のみを見据えた涼鈴の渾身の蹴撃が、朝詠の義体を根本から完全に粉砕した。
 火花を散らして砕け散る鋼鉄。吹き飛ばされた朝詠の身体が、リングの壁へと深く叩きつけられる。ズルズルと崩れ落ちた彼は、各部位の機能停止を告げるアラートが鳴り響く中、薄暗い天井を見上げて静かに呟いた。

『……あぁ…これで、漸く…立ち止まれる……か…』

 能力者である以上、死は完全な終焉ではない。いずれインビジブルを経て、再び蘇る。――だが他者を踏み躙ってでも『今この時』を生き延びようとした血塗られた強迫観念の呪縛から打ち砕かれた彼の瞳はとても穏やかだった。

『親父……少しだけ…休むよ』

 肉体が限界を迎え、魂が空へと還元していくかのように淡い光の粒子が朝詠の身体から立ち上り始める。

「あぁ。お疲れさん……ゆっくり休みな」

 涼鈴は真紅の旗袍の裾を払い、一時の眠りへと還りゆく敗者へ向け、優しい響きで言葉を返した。

「次、目を覚ます時は…その重てえ荷物は置いてきな…」

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