Petites histoires d'amour
●それはゆめのようにあまく
廃棄された巨大な研究施設の、そのまた奥。嘗て無機質な機械と無数の計器が並んでいた客室は少しずつ人の暮らしを取り戻しつつあった。
そして今日という夜に、床一面に敷かれているのはふかふかの毛布たちだった。しろいシーツの上には色とりどりの枕とクッション。やわらかな毛布もたくさん用意されている。何より、そこにいる少女たちは誰ひとり武器を握っていなかった。
戦場を駆ける者も、世界を救う者も。怪物として生きる者も、機械とともに生きる者も。ここでは等しくただの少女として、思い思いのパジャマに身を包んで肩を寄せ合っている。それは長い旅の途中で偶然見つけた、ちいさな秘密の庭のようだった。
この部屋では誰かを大切に思う気持ちを話していい。笑ってもいいし、恥ずかしがってもいい。眠くなるまでおしゃべりをしよう。それは戦う少女たちに許された、ほんのひとときの休息だった。
見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)が布団の上にちょこんと座り、隣のクッションを抱き寄せる。普段は改造人間として怪力を振るう彼女の腕の中で、それはひどく頼りないけれど、今夜はそれがちょうどよかった。
その周りを囲うようにして、架間・透空(天駆翔姫・h07138)、ライラ・カメリア(白椿・h06574)、ウララ・ローランダー(カラフルペインター・h07888)、エレナ・ヴァルツェル(ブルー・レイダー・h09057)、そして燕・玲央(道標へ飛び立つ・h13063)も腰を下ろす。
女子会というもの自体が初めての玲央は、少しだけ緊張していた。何をするものなのか、どういう顔をしていればいいのか。そもそも、『恋バナ』などというものに自分が参加していいのか――そんなことを考えているうちに、七三子が嬉しそうに笑った。
「えへへ、みんなでお泊り会。ちょっと平均年齢は上げちゃいましたけど、混ぜてもらえてうれしいです」
その言葉に、玲央もふっと口元を緩める。
友達と一緒に楽しめることを、ずっと楽しみにしていた。けれど、話せるような恋の話などない。恋どころか、あらゆる部分で知識も経験も足りていないのだ。
「僕はみんなに話せるような話題無いけど、参加してよかった?」
かつて自分の意思を持たず、ただ命令のために空を飛んでいた玲央。
人とは何なのか。心とは何なのか。
誰かを大切に思うとは、どういうことなのか。
その答えを、彼女は今も少しずつ探している。だからこそ今夜は、きっと誰よりも多くのものを受け取る夜になる。七三子はそんな玲央を見つめ、ぱっと目を輝かせた。
「勿論ですよ! 特に何人か、私のセンサーにときめきの気配がですね?」
視線が少女たちの間をするりと巡っていく。それは秘密を見つけた子どものような、無邪気な輝き。透空はその視線を受けてにっこりと笑う。ただし、その笑顔には何やら企みめいたものが混ざっていた。
「玲央さんの為にも、今日はたっぷり恋のお話をしないと、ですよね?」
悪い笑顔を浮かべながら透空が言えば、玲央が目を瞬かせる。あんまりそれが嬉しそうなものだから、透空自身もくすりと笑ってしまった。
「……恋心がいつ芽生えるのか、については私も正直、よく分かってませんけど!」
言っている本人が誰より恋について困惑している。それが可笑しくて、部屋の空気が柔らかくなった。
エレナは布団の上で足を伸ばし、周囲を見回した。
「お泊り女子会……ね。こういう親交の深め型は初めてだわ」
その声はいつものように落ち着いている。大人びた姿だけを見れば、この中で最も年上に見える。けれど、実際には十四歳。この場では最年少だ。その隣で、ライラが布団へそっと指を沈める。ふわりと沈む感触に、嬉しそうに目を細めた。
「お泊まり会、誘ってもらえて嬉しいわ……!」
けれど、その直後には少しだけ視線を逸らす。
「……でも、恋バナって何をすればいいのかしら?」
剣を振ることなら分かるけれど、恋について語るとなると途端に何を話せばいいのか分からなくなってしまう。だから、今宵は胸を借りるつもりで、みんなの話を聞くことにする。一方、ウララはすっかりお祭り気分だった。
「透空ちゃんを囲んで恋バナなのよ! ワクワクなのだわ!」
両手を広げ、弾む声を上げるウララはまだ自分に矢面が立つとは、まったく思っていない。そんなウララを見て、エレナが首を傾げた。
「ん? トアを囲むの? こうかしら」
言われるまま、エレナが透空の近くへ移動する。その素直な動きに、透空は思わずちいさな声を上げた。
「わっ! ……ふふっ、今日は目一杯夜更かししちゃいましょう!」
少女たちが笑う。布団が揺れて、転がったクッションを拾い上げながら、七三子が楽しそうに目を細めた。
「ふふ、いっぱいお話し聞かせてもらうんですから! ……勿論、最初は立案者の透空さんですよね?」
「えっ。わ、私が最初ですか!?」
さっきまで人を囲んでいた側だったのに、気づけば自分が真ん中にいる。エレナはその様子を眺めながら、静かに目を伏せた。
「(なんだかテンションの高いインタビュー大会が始まったわ……)」
とても逃げられるような空気ではない。みんなの期待の眼差しを受け、透空は観念したように息を吐き、膝の上で指を組んだ。
「そ、そうですね……愛、なのかは正直分かりませんけど」
大切なものを取り出すように、慎重に言葉を探す。
「私には……昔からずっと一緒だった腐れ縁、みたいな幼馴染がいるんですけど。口は悪いし、素直じゃないし、変なところで頑固だし……」
その人について語るときだけ、言葉が不思議なくらいよく出てくる。
ウララはすでに身を乗り出していた。
「(透空ちゃんは幼なじみちゃんへ恋心を抱いたのね! きゃーっ憧れのシチュエーション過ぎるわ!!)」
虹を宿した瞳がきらきらと輝いていた。
透空はそれをなるべく意識しないように話を続ける。意識してしまったら、最後まで話せなくなってしまいそうだったから。
「夏には私を怖がらせてそのリアクションを楽しむような……嫌なヤツ、なんです」
そこだけ聞けばずいぶん酷い幼馴染だ。けれど、透空の言葉はそこで終わらない。
「けど……私がつらい時に限って、何も言わずに寄り添ってくれる、ような……面倒見が良くって、優しい所もあって」
透空の表情がほんの少し変わる。眼差しに、あまさが僅かに乗った。
それは、かけがえのない大切な人について話す等身大の少女の顔だった。
「最近……ソイツの事が……も、もしかしたら、恋愛対象として『好き』? なのかもって思うような出来事があって」
空気が変わる。
まるで恋という言葉が、部屋の真ん中にちいさな花を咲かせたようだった。
「まあ……!」
これまで透空が話してくれたこと。呆れながらも、その人を大切そうに語っていたこと。そして最後には『優しい』と言ったこと。
ライラは思わず身を乗り出す。全部が、とても可愛らしく思えた。
「……流石はトア、これが爽やか青春か」
エレナも静かに透空を見る。
七三子はそこで、ふと思い出したように笑う。
「透空さんはこの間、かわいいおもちゃの指輪をすごく大切そうにされてるのを見ましたよ?」
透空の肩がぴくりと跳ねた。
「ふふ、あれは誰からもらったものなんでしょうねえ」
問いかけは穏やかだった。けれど、笑顔は完全に核心を突いている。透空は暫く押し黙り、それから観念したように唇を震わせた。
「……その。『指輪』も……ちっちゃい頃、ソイツに貰ったもの……なんです」
ごにょごにょと何事か呟きながら、とうとう顔を真っ赤にする。その言葉に、ウララの目が大きく見開かれた。
「指輪! なんてロマンチックなの!!」
ライラも思わず胸元へ手を寄せる。
幼い頃にもらった指輪。ずっと大切にしていたもの。それが今になって違う意味を持ち始める。まるで昔の約束が、長い眠りから目を覚ますようだった。
「辛い時には寄り添ってくれる……これは幼なじみだからこそ、透空ちゃんの心の機微が分かるってやつよね! うーん甘酸っぱいわ!!」
ウララはさらに身を乗り出せば、透空はとうとう耳まで赤く染めて俯いてしまった。
「ふふっ……その方のこと、とってもよく見ているのね。好き、なのかもしれないわ?」
指輪の話を思い出して、ライラもまた目を輝かせる。恋というものをまだよく知らなくても、それが特別なものだということだけは分かるから。
「そ……そんな感じです!」
透空はとうとう耐えられなくなったように顔を上げる。
「さ、さーて! 私の話はこの辺にして! 他の皆さんの恋バナ、聞いてみたいなー?」
強引になにかを誤魔化すように、こつん、とライラに体を寄せる。
もし自分に話が振られたら――そう考えるだけで、胸がどきどきしたけれど。お手本を透空が見せてくれたから、怖くない。
「わ、わたしの話は……ね。うまく話せるかわからないけれど……」
声が少し震える。それでも、逃げることはしなかった。
「ずっと大切な友達だと思っていた人がいるの。最初は旅団の仲間だったわ」
初めて出会った日のこと。
一緒に過ごした時間に、何気ない会話。いつしか、それが当たり前になっていた。
「でも、いつからか二人で一緒にお出かけするようになって……そんな彼から過去の辛い経験を聞いて、『守りたい』と思ったわ」
それはライラにとって、ごく自然な感情だった。
誰かが傷ついているなら、手を伸ばしたい。けれど、今になって思えば、その『守りたい』の中には、別の何かも混ざっていたのかもしれない。
「ずっとずっと、大切な友達のままだと思っていたわ」
そこで一度、言葉が途切れる。
頬が少し熱くなる。
「……でも、ある時、遊びに行った帰り際にふいに抱きしめられて。『ああ、この人の隣にいたい』『彼の隣に居るのが他の人だと悲しい』って思ってしまったの」
抱きしめられたときの温度。突然近くなった距離。
胸の奥で、今まで知らなかった何かがちいさく鳴ったと、確かに感じた。
「わがままよね、わたし」
その最後の言葉には、ほんの少しだけ自信が持てなかった。
「きゃ~~~~!!!!!」
透空の黄色い声が部屋いっぱいに響いて、ライラの肩が跳ねる。ウララまで一緒になって身を乗り出すものだから、思わず視線が泳いでしまう。
「それはライラちゃん、ワガママじゃないわ! とっても、とっても素敵な感情なのよ!」
ウララは力いっぱい頷く。七三子も優しく微笑んだ。
「そうですよ。ライラさんは、やっぱりあの人と一緒にいるときが一番キラキラしてる気がします」
胸の奥が、また少し擽ったくなった。
自分では分からなかった。けれど、誰かからそう言われると、なんだか嬉しくて。とうとう耐えられなくなって、クッションで顔を隠す。
「……は、初めて話したわ、こんな話……き、聞いてくれてありがとう……」
透空はそんな友人の姿を見て、ますます嬉しそうに笑みを深めた。
「不意に見せる優しさ! そしてほのかな嫉妬心! ライラさんかわいい! キュンキュンが止まりませんね、これは!」
「想い人さんもきっと、ライラちゃんの横に居たいはずよ! きゃーっ!」
ウララもクッションをぎゅっと抱きしめる。
エレナは二人を見ながら、ほんの僅かに目を細めた。
「ライラ、積極的に頑張っているのね」
「ふふ、お二人が一緒にいると、なんだか優しい気持ちになって私も幸せなんですよねえ」
恋は当人だけのものではないのかもしれない。
誰かが誰かを大切に思う。その姿を見ているだけで、別の誰かの心まで温かくなるような、そんな不思議なもののように感じられた。
「聞かせてくれてありがとうなのだわ!」
ウララが頷けば、ライラはようやくクッションから顔を出した。
「……すごく恥ずかしいわ。でも……ふふっ、楽しい、かも。……ねえ、ウララさんのお話もぜひ聞かせて?」
その一言で、先ほどまで燥ぐ声を上げていた少女がぴたりと固まった。
「……へ? 僕様ちゃんの恋バナ?? あっ、えと」
あまりにも分かりやすい動揺だった。
その様子に、玲央も『聞かせて』と背中をそっと押す。
「ぼ、僕様ちゃんは基本的にイケメンを追いかけるのが好きだから、恋なんて縁が無いと思っていたのだけれど……」
さっきまで他人の恋を楽しんでいた少女が、いざ自分の番になると視線をあちこちへ逃がしている。
「……依頼で一緒に戦った|狐竜《こりゅう》のお兄ちゃんが、とても紳士で」
その名前を口にしただけで、瞳が少し柔らかくなる。あの日の凛々しい背中を思い出すだけで、とくとくと胸が忙しく鼓動を刻み出す。
「敵の策に落ちてピンチだった僕様ちゃんを救ってくれて、守ってくれたの」
戦いの中で手を差し伸べられた。絶体絶命だった自分を、迷いなく助けてくれた――その鮮烈な記憶が、今も胸に残っている。
「その時、心臓がキュッてなって、そのまま感じたことのないドキドキに変わったのよ。あ、僕様ちゃん、このお兄ちゃんのことが好きかも。そう気付いたわ……」
言葉が終わる頃には限界で。
「……んんん~~っ!!」
ウララはクッションへ顔から突っ込んだ。ぎんいろの髪がぱさりと広がって、話に聞き入っていたライラは思わず胸元へ手を寄せた。
「きゃっ……! それは、ときめいてしまうわ!」
まるで物語の王子様みたいだ。
そんな想像が、ライラの胸にも淡い花を咲かせ、透空も頬を赤くする。
「か、かっこいい……物語に登場する王子様みたいで、とっても憧れちゃいますね!」
エレナはクッションに埋もれたウララを見た。
普段から元気な少女だが、こうして恋の話をしている姿は、どこか幼く見える。
「ふふ。どっちが年上かわからなくなるわね」
「ウララさんがその人にほの字になるのも、分かっちゃう気がします」
ウララはしばらく黙り、それから少しだけ顔を上げる。
「さ、最初は吊り橋効果とか、そもそも敵の能力のせいだと思ったの。でも……でも、依頼から帰ってもずっと気になっちゃって」
戦いが終わっても、高鳴りは消えなかった。
朝になっても、夜になっても。ふとした瞬間に、あの人の顔が浮かぶ。
「あれからまた一緒に依頼に行ったの。そこで、『大切な想い人になってほしい』って、言って、もらっちゃって……ッ」
火がついたように、ウララの顔が真っ赤に染まる。
「あの……僕様ちゃんも、大好きって、伝えたのよ」
最後の声は、ひどくちいさかった。
ライラは胸の奥から湧く喜びを抑えられず、思わず笑顔になる。
「とっても素敵な方と出会ったのね。ウララさんたちには、ずっと幸せでいてほしいわ」
自分のことのように嬉しい。恋をした人の話を聞くと、どうしてこんなにも胸が弾むのだろう――ところが、七三子がふと思い出したように口を開いた。
「ウララさんはこの間、お仕事でお見掛けしました。その、同行者への愛をいっぱい叫ぶっていうお仕事で」
ウララの動きが止まる。
七三子は穏やかに続ける。
「……ふふふ、仲良しさんでしたね??」
沈黙。
そして、
「……はう!? な、七三子ちゃんもあの依頼に、来てたの~~ッ!?」
再び、しゅぼぼぼぼッ、と赤くなる。
皆が笑う。透空はその様子を見ながら、ふと何かに気づいたように首を傾げた。
「そういえば最近、黄龍会で男の人とよくお話している姿を見かける気がしますけど……もしかしてあの人の事だったりするんでしょうか……うーん、気になる……」
ウララはクッションを抱え込んだ。
「わ、……わ〜〜っ、内緒! これ以上は内緒なのっ!」
秘密。
その言葉が、妙に甘く響いて、少女たちは声をひそめる。
やがて、視線がエレナへ集まった。
その視線を知りながら、エレナはしばらく黙っていた。
自分の出身世界のことを話せば、この楽しい空気が沈んでしまう。戦場が孕むすべての要素が、恋バナという柔らかな時間にはあまりにも似合わない。それでも、全員が話す中で自分だけ何も話さないわけにもいかない。
「……これは私が12歳だったときの話ね」
エレナの声はいつもと変わらず淡々としていた。
サイボーグ化の影響で早いうちから現在の外見になった彼女には、実年齢に関係なく向けられる好意の視線があった。
そんな中で、同じ訓練チームにいたある男の子だけは、あまりギラギラした視線を向けてこなかった。
挨拶のように、冗談のように。けれど、いつもまっすぐで。付き合ってくれ、結婚してくれ、などと。そんなことを言ってくる、変わった少年だった。
エレナはその頃から大人びた姿をしていたけれど、実年齢は幼い少女のもので。自分より年上の相手に言われても反応には困った。けれど、まっすぐすぎるその言葉を、嫌だとは思わなかった。寧ろ少しだけ嬉しかったのだと思う。
そこまでは、穏やかな思い出だった。
けれど√ウォーゾーンでは、穏やかな記憶さえも簡単に引き裂かれる。
人類側にとって彼は、人間爆弾だった。
捨て駒だ。
訓練中に戦闘機械群が飛来したとき。戦力的に重要だったエレナを逃がすため、彼は自爆して時間を稼ぐよう命じられた。涙と鼻水でくしゃくしゃになった、格好悪い姿で、それでも、それでも――笑おうとして。
逃げろ、俺が何とかする、と。生きて帰ったら付き合ってくれ、と。
その言葉を最後に、彼は跡形もなく戦火の渦となって消えた。血肉だけが、雨のように降り注いでいた。
恋ではなかったと思う。けれど、これから何かが始まるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた異性が喪われる瞬間を、初めて知った。
「ちなみに私のファーストキスは、その別れ際に最期のサービスとして……いってらっしゃい、って言ってね」
エレナは少しだけ視線を逸らす。その声はどこまでも静かだった。
「√ウォーゾーンは今なお、過酷な環境だから……別れ際に言葉を交わせただけでも、私はきっと幸運だったの」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
さっきまで賑やかだった部屋に、静寂が降りる。
ウララの目から、ぽろりと涙が落ちた。それをきっかけにしたように、声にならない声を出しながら涙をとめどなく溢れさせる。
「エ、エレナ……! そ、そんなことがあったんだね……!」
透空も涙を拭いながら、エレナに寄り添い、ぎゅうっとその身体を抱き締めた。
「……最期のサービス、エレナちゃんはとっても優しくて素敵なの……!」
ライラは、ずっと黙って聞いていた。話が進むにつれて、無意識に表情が曇っていった。最後まで聞き終えると、そっとエレナへと手を伸ばす。
「……エレナさん……」
許されるなら、その手を握る。
冷たいわけではない。けれど、人の身体とは少し違う感触。それでも今は、そんなことはどうでもよかった。
「きっと、その彼も。最期は幸せだったのではないかしら……」
それが本当かどうかは、誰にも分からないけれど、最後まで一人ではなかったこと。その記憶だけは、どうか彼の魂に届いていてほしい。ライラは『どうか、彼と彼女に祝福がありますように』と、心からの祈りを捧げた。
透空が、決意と共に拳をぎゅっと握る。
「私、エレナに何かあったら……いつだっても力になるからね!」
エレナはしばらく皆の顔を見ていた。
泣いているウララ。手を握ってくれているライラ。心配そうな透空。優しく見詰めてくれている、玲央と七三子。その全部を、静かに見つめる。
「……ありがとう、みんな。そう言ってもらえて、彼も幸福だと思うわ」
「エレナさんもこれからかな。これからめいっぱい幸せになってもらわなきゃ」
七三子は、目元を少しだけ潤ませながら微笑んだ。
そして、少し考えてから。
「とりあえずその、……変な人に引っかからないでくださいね? 気になる人が居たら私が面談します!」
「そうね、これからエレナちゃんが変な人に引っかからないように! エレナちゃん防衛隊結成なのだわ!」
ウララが勢いよく頷けば、七三子も負けじと宣言した。
「はい! エレナさんとどうこうなりたいなら、私を倒してからにしていただいて」
「ちょっと、わたしそんなに変なのに引っ掛かりそうに見える? ものすごく心外なんだけど」
その言葉に、とうとう部屋中から笑い声が上がった。
涙の跡が残っていても。胸の奥に痛みがあっても。笑える。もう、笑ってもいいのだ。そうやって少女たちは、また日常へ戻っていく。
玲央は、そんな皆の顔を静かに眺めていた。
恋バナと言っても、人それぞれ違う。幼馴染や、大切な友達。戦場で出会った人、失ってしまった人。そして、今も隣にいる恋人。形は違っていても、共通しているものがある。誰かを大切に想うということ。その人の幸せを願うということ。玲央は胸の奥が仄かに温かくなるのを感じていた。
「好きな人への想いって、とても奥深いんだね。みんなが幸せそうに話してくれるから、僕も心があったかくなるよ」
「ふふ、玲央さん、良いでしょうこの甘酸っぱい空気!」
七三子が嬉しそうに笑うから、玲央も笑った。
甘酸っぱい、その意味をまだ完全には理解できない。けれど、ここにあるものが温かいということなら、少し分かる気がした。もし好みは、と聞かれたらきっとかなり悩んでしまう。そもそも、その概念がまだ自分の中にはない。
エレナがちらりと玲央を見る。
「なるほど、ツバメはこういうタイプだったのか……」
玲央はその言葉に僅かな逡巡を挟む。
「……恋心って、いつの間にかに芽生えるもの?」
その言葉には、少しだけ寂しさがあった。
「ドキドキしたり、悩んだり、でもそれが楽しいっていうのは調べたことあるんだけど……想像でしかないから」
知らない。経験したことがない。
だから、調べて、言葉を集める。人間が残した記録を読む――けれど、記録だけでは分からないこともある。
「玲央ちゃんはこれから『恋』を探すのね、ふふ!」
ウララが笑えば、七三子も頷く。
「玲央さんがこれからどんな方と出会って、どんな気持ちを経験されていくのか、すごく楽しみです」
ライラは玲央の横顔を見る。その姿は、夜の湖に映る穏やかな銀の月のようだった。
「いつか。玲央さんはどんな恋をするのかしら」
たとえそれが恋ではなくても、きっと素敵なものになるはず。だって、玲央はこんなにも優しくて、あたたかいのだから。
「ふふっ……これから先、玲央さんがどんな人に恋をするのか。非常に気になりますね!」
「いつか誰かを大切に思うようになったら、よかったらお話を聞かせてほしいわ」
玲央は、その言葉を大切そうに受け取った。
恋をする未来が、本当に自分にも来るのだろうか。まだ分からないけれど、もしそんな日が来たら、今夜のことを思い出すのかもしれない。
「みんなのを聞いて、すごくキラキラしてるというか……幸せなんだなって伝わってきたよ」
その言葉に、ウララがぱっと笑う。
「そう、恋って……とーっても幸せなの! 心がドキドキして、でも嫌な感覚じゃなくて、むしろ嬉しいドキドキなの。暖かい気持ちよ!」
玲央はその言葉をひとつひとつ、心の中へしまっていく。
誰かを大切に思うこと。その人の隣にいたいと思い、その人が幸せであることを願うこと――もしかしたら、恋とはそういうちいさなひかりを集めてできたものなのかもしれない。
「こういうのは巡り合わせだから、すぐにどうってわけじゃないけど、いつか恋愛してみたいって気持ちになったよ」
ウララが突然、はっとする。
「あっ! 玲央ちゃんも変な人に引っかからないようにね!? 玲央ちゃん防衛隊も結成なのだわ!?」
七三子が笑う。透空も笑う。
エレナは少し呆れたような顔をしている。
そんな賑やかな光景を眺めていたエレナが、ふと思い出したように言った。
「……というか、そういうナミコはどうなの?」
七三子が目を丸くして、玲央も興味を持ったように彼女を見る。
「そうだよ、結ばれたあとに恋人たちがどうなるのか。僕も知りたいな」
「えっ、私ですか」
皆の視線が集まる。
それまでずっと、人の恋を嬉しそうに見守っていた彼女は、まさか自分まで話すことになるとは思っていなかったのだろう。
「私はその、みんなみたいな甘酸っぱいところは通り過ぎていて。聞いてもただののろけになっちゃうので、楽しくないですよ?」
「ナミコ、惚気上等よ。時間はたっぷりあるんだから」
「そうですよっ、今日は眠たくなるまでだーれも寝かせません!」
けれど、エレナは逃がさない。退路を断つべく、透空もすぐに続く。
「自分だけ保護者目線で聞き専門とか、そうは問屋が卸さないわ」
七三子は暫く黙って、それから、照れたように頬を掻く。
「へへ。私の恋人は、多分一般的に、いいひとの分類ではないんですけど……でも、私にとってはすごく優しくていい人で」
改まって口にするとなると、すこしだけ擽ったいけれど。皆の勇気に応える自分でいたいから、と目元を緩ませた。
「えへへ。一緒にいてぎゅってしてもらうと、それだけで幸せなんです」
その瞬間、部屋に歓声が弾けた。
ウララがクッションをボフボフと力強く叩く。
「もう!! 恋人だけに見せる優しさってやつね!!」
「ちょっとナンパさんなところがあるので、そこだけはやきもきしますけど……でも多分、私、みんなが思ってるより甘やかされてますよ、ふふ」
その一言には、長い時間の中で積み重なった幸福が滲んでいた。
「きゃーっ! 七三子ちゃんの恋バナ、甘すぎてほっぺが落ちそう!」
「……七三子さんの、恋人。ちょっと軟派で、おちゃらけた人? みたいですけど……」
透空は少し考えるように首を傾げ、それから、ふっと笑う。
「自分だけに優しい王子様……みたいで、なんだかとっても素敵、ですね!」
ライラは七三子の言葉を思い返していた。
一緒にいて、ぎゅってしてもらうとそれだけで幸せ。その言葉が、胸の奥でちいさな鈴のように軽やかな音色を立てているようだった。
自分まで擽ったくなって、頬が赤くなる。
恋人というもの。好きな人と一緒にいるということ。それは、ライラにとってはもっと大きな出来事だと思っていた。
けれど――ただ抱きしめてもらうだけで幸せになれる。その人が隣にいるだけで嬉しい。それもまた、ひとつのあいのかたちなのだろう。
「七三子さん、本当にその方が大好きなのね」
七三子は照れたように笑う。その姿が、いつも以上に魅力的に見えた。
誰かをこんなふうに大切に思えること。誰かと一緒にいることを、こんなふうに幸せだと言えること。それは、とても素敵なことなのだろう。
窓の外では、夜が深くなっている。
巨大な研究施設の中には、もうほとんど物音がない。
誰かが欠伸をする。それを見て、また誰かが笑う。
時計の針は、いつの間にか随分と進んでいた。
透空の声が、少しずつ眠たげになる。ウララも、最初ほど元気にクッションを振り回さなくなった。ライラは布団の上に横になりながら、まだ話を聞いている。七三子はそんなみんなの様子を、幸せそうに見つめている。
エレナはいつの間にか目を閉じていた。玲央も、誰かの寝息が聞こえるたび、不思議そうにその音を聞いている。やがて、ひとり。またひとり。言葉が途切れていく。さっきまで弾むように続いていた声が、ひとつずつ夜の静けさへ沈んでいく。それでも誰も『もう寝よう』とは言わなかった。
こんな夜は、きっと何度もあるものではない。生まれた場所が違う。背負っているものも違う。それでも今夜は、同じ部屋で笑っている――それだけで十分だった。
ライラは薄く目を開ける。
ぼんやりとした視界の中に、みんなの姿がある。誰もが穏やかな顔をしていて、その光景が、とても愛おしい。自分が守りたいと思っている世界。戦ってでも守りたいと思ったもの。それは、きっとこういう時間なのだ。
誰かと笑って。誰かを好きになって。
誰かの幸せを願って、何も怖がらずに眠ることができる。
ライラはちいさく微笑み、目を閉じる。
七三子もいつの間にか、クッションを抱いたまま眠っていた。ウララは毛布にくるまり、ねこの仔のように眠っている。透空もちいさく丸くなって、幸せそうな寝顔をしている。エレナは静かな表情のまま、深い眠りへ沈んでいる。玲央もまた、穏やかな呼吸を繰り返していた。
少女たちの姿を包むように、夜は静かに更けていく。
誰も気づかないうちに、誰が最初に眠ったのかも分からないまま。
お話の続きは、まだたくさん残っている。
聞きそびれた恋の話や、まだ言えない秘密。これから芽生える気持ちに、いつか訪れる未来。話したいことはまだまだあるけれど、それは明日だって構わない。
誰かの幸せを願える夜は、それだけで、とても優しい夜なのだと知ったから。
深い夜の底で少女たちは眠る。夢の中なら、きっと続きを話せる。
幼い頃にもらった指輪のことも、ふいに抱きしめられた日のことも。戦場で出会った王子様のことも、忘れられない誰かのことも――これから出会う、まだ名前も知らない誰かのことも。
だから、今夜はもうおやすみ。
秘密の女子会は、誰にも知られないまま静かに幕を下ろす。
かつて人の心とは無縁だった場所に、いくつものちいさな寝息が重なっている。
ひとつ。またひとつ。ちいさな花が眠りにつく。夜は少女たちを優しく包み込んでいく。今だけは同じ夢の中で、同じ星明かりの下で、誰もが未来を夢見ることができた。
お話の続きはゆめのなか。明日になれば、また聞かせて。
今夜の秘密を、胸の奥でそっと抱きしめながら。
おやすみ。どうか、よい夢を。
そして夢の中でも。どうか、みんなが笑っていますように。