ぶらっくすいーつはんたー
会場全体を包むのは、甘やかなカカオの香り。赤やピンクを基調としたリボンやハート型の装飾品。
季節のイベントによって彩りを変えるデパートの催事場には『バレンタインフェア』と銘打った特設会場が準備されていた。
ショーケースには、世界各国の有名ブランドから地元のパティシエが手掛ける作品、そして子供でも手が届く安価な量産品まで、様々なチョコレートが美しく並べられていた。それぞれのチョコは、宝飾品のように光る包装や細やかなデザインで飾られており、どれを見ても芸術品のような美しさ。
しかし人々の笑顔を迎えるはずの会場は、その日唐突に闇に呑まれた。
『まあ、とっても素敵ね!』
響き渡るのはまだ幼い魔女の声。
『でもあなた達は、もっと生き生きと輝けると思うのよ!』
そう、私のダンジョンを飾る、可愛らしい宝石として。
色鮮やかなトリュフに板チョコ、真っ白なショコラ、チョコレートの数々は、あっという間に牙と爪持つ|怪物《モンスター》と成り果てた。
●バレンタインフェア迷宮
「皆さん大変です! 盛大にバレンタインフェアをやるはずだったあのデパートが!! ダンジョンになってしまいました!!!」
来週行こうと思ってたのに! 星詠みの一人、漆乃刃・千鳥(暗黒レジ打ち・h00324)が示したのは、√ドラゴンファンタジーのとある駅前に建つ百貨店だった。√ドラゴンファンタジーでは稀によくある光景ではあるが、交通の要所付近に発生したこれの影響は中々に大きい。できれば早めに攻略を――という動きが行政の方からも出ているようだが、それはともかく。
「ダンジョン化はこのデパートの5階、催事場を中心にして広がったようです。そのためバレンタイン用に集められた各社自慢のチョコレートの数々が! モンスターにされてしまったのです!!」
星詠みが声を大にして訴えているのは、このモンスターについて。凶暴な黒犬型のモンスターが闊歩する危険な迷宮と化してしまったわけだが、この黒犬、倒すと元のチョコレートに戻るらしい。√ドラゴンファンタジーにおいてダンジョンでの拾得物は非課税かつ所有権がうんぬんかんぬん。まあ、要するに――。
「――要するに、今なら|ドロップ品《チョコレート》が狩り放題です!! 一石二鳥ってやつですね!!!」
今回現われる、チョコレートが素体となった『バーゲスト』は、モンスター化する前の性質に沿った特徴を有しているらしい。例えば大粒のチョコレートは大きく、小粒のチョコレートは小型で頭数の多い群れを成している。ソフトな食感のチョコレートは柔軟で素早く、ハードなチョコレートは固い外殻を備えている、といった具合だ。
「レアな高級チョコレートなんかは、派手に輝いているに違いありません! 皆さん食べたいチョコレートに合わせて、獲物はよーく狙ってください!!」
ダンジョン内は、元の百貨店と鬱蒼とした森林が混ざり合ったような形になっている。曲がりくねった樹木らしきものが迷宮の壁を形成し、上下は天井と床で挟まれているようだ。エスカレーターやエレベーターの名残のようなものも見られることから、多層構造になっていると予想される。
「ダンジョン内には常に甘い匂いが漂っています。モンスターがチョコレートから生まれたのもありますが、ダンジョンの構造物にもお菓子が混ざっているようですね」
森林迷宮の中を探索していれば、マカロンの木の実やハチミツの小川などがすぐに見つかるだろう。
「メルヘンちっくな光景ですが……これらが食べて大丈夫かは、ちょっと保証ができません。味見したい方は自己責任でお願いしますね!」
そんなダンジョンの中で、まずは生息するモンスターを見つけ出す必要がある。とにかく迷宮を奥へと進んで、敵と鉢合わせるのを待つのも良いだろう。だが確実を期すのなら、狩猟対象の痕跡を見つけたり、この環境下でどのように行動するのかを予測し先回りしたりといった対策が必要になる。
「バーゲストと言えば不吉の先触れ、魔女の猟犬といったところですが……今回ばかりは狩りの獲物となっていただきましょう!」
とにかく数を集めるか、特定のチョコやレアドロップを目指すか、その辺りは任せるが、相手をしっかりと見定め対策してほしいと彼は言う。
「チョコレートをいっぱい狩る――もといモンスターの数を間引いてダンジョン攻略を進めれば、きっとこの領域のボスが怒って現れるはずです! お菓子集めのついでに、さくっと倒してきてください!!」
さすがにボス格ともなれば激しい戦いになるかもしれないが、それでもきっと、皆さんなら大丈夫。
信頼を込めてそう告げて、星詠みは一同を送り出した。
第1章 冒険 『狩猟領域』

●
まだ電源が生きているのか、開いた自動ドアの先へ、星村・サツキ(厄災の|月《セレネ》・h00014)が足を踏み出す。恐らくは今の一歩が境界線、絡み合う樹木のアーチを潜った彼女は広がる迷宮を見渡した。
元の百貨店の名残はいくらか見られるが、やはりそこを覆う奇妙な森が比率としては大きいか。迷宮の壁らしきものを形成するねじくれた樹木には色とりどりの果実が実り、ツタの代わりにリボンキャンディーが絡みついている。隠しようのない甘い香りに包まれながら、小さく苦笑いの表情を浮かべた。
「なるほど、まるで童話の世界だね」
これも催しならば、素直に楽しめたところだが……現在の所感としては迷惑だろうという気持ちが勝る。売り場に並ぶチョコレートを楽しみにしていた人が、それこそ大勢居たのだろうし。ここは速やかに解決してやらねばなるまい。
「さて、まずはチョコ……もといバーゲストを見つけないとね」
硬質な床と、有機的な植物の根、その両者が足音の色を変えるのを聞きながら、迷宮の奥へ。敵の気配や罠が仕掛けられている様子は今のところないけれど、それはそれとして目指す当てがないとも言える。分かれ道などその最たるもので――。
「こういう時こそ、キミ達に手を貸してもらおう」
『帆掛け星』、√能力を駆使して、サツキは幻の白いカラス達を呼び寄せる。まばたきを一つすれば、カラスの目にした光景がサツキの視界にも映り出す。
「目はあるに越したことはないからね」
視界共有したそれらを分岐の先へとそれぞれ飛ばし、一息に情報を集める。黒い魔犬達はどこかに潜んでいるのだろうか、複数の視界に順に目を凝らしていると、その内の一つの片隅を、黒い影が掠めた。
「今のは……?」
どのカラスだ? 複数視点があるのもそれはそれで大変だけれど、どうにか確定したそのカラスに影の正体を追わせ、サツキもまたそちらへと足を向ける。
「どうせなら、数が多いほうがいいかなぁ……」
何しろ、配る際の元手が浮く。特定の誰か……とかいう話はない分、目当ての割り切りは容易だ。数が多ければその分痕跡も増えるだろう、次々入ってくる手がかりの中から目立つものを目指して、彼女は敵の群れの足跡を追っていった。
複数の視界、そしてそこに映る飴細工の花、マカロンの果実、葉の代わりに生い茂る白い綿飴――それらの中から情報を拾い集めながら、サツキが溜息をひとつ。
「しかしまぁ、なんともお腹の空く光景だ」
指先で手近な『果実』の一つをつついてみる。ふわふわした軽い感触と、広がる異常なまでの甘い香気。
「……さすがに食べる気は起きないけどね」
多くの視点と共に着実に獲物を追いかけた彼女は、じきに飴細工の花畑でくつろぐバーゲストの群れに行き当たる。小型ながら数が多いその群れは、あまり統率が取れているようには見えないが、その中に目立つ個体が複数紛れ込んでいた。
8体程度、それぞれ別の色のマーブル模様をしたそれは、惑星をモチーフにした類のチョコレートだろうか。
幸いまだこちらには気付いていない。仕掛けるには丁度良い頃合いだろう。
●
甘い香りの漂うこの迷宮には、甘味から変じた魔物が棲んでいる。だがそのモンスターを倒せば、対応したチョコレートが手に入るわけで。
「我らにとっては正しく百貨店であるな、ふふふ」
そう、買うか狩るかの違いはあれど、選り取り見取りであることには変わりない。そんな含み笑いをしつつ、ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)もまた迷宮へと挑む。狩り放題という謳い文句も、実力さえあれば問題なく叶うはず。
「皆の土産も茶の供も、そして愛い子の菓子もまとめて調達しようではないか」
となればまずは獲物探しから。周囲の森をぐるりと眺めて、ツェイは蛍火を呼び出す。
狩る者にせよ狩られる者にせよ、開けた場所は好むまい。今回の獲物もまた、身を潜めているはず。舞わせた蛍火で周囲を照らしつつ、彼は迷宮の奥へと向かう。百貨店という地形にはあるまじき傾斜や段差、クッキー状の岩で作られた断崖をふわふわと浮いて飛び越え、ハチミツの流れる川のほとりに着地する。黄金に輝くせせらぎや下草のように見える下草、飴細工の花などを感心したような様子でつついて。
「うむ、童心に返る中々に愉快なところではないか」
これならば、一緒に連れてきてやってもよかっただろうか。心踊らせる様子が目に浮かぶようだが、しかし……こういうのは『さぷらいず』が肝要だと聞いたことがある。
少しばかり頭を悩ませつつも、ツェイは舞わせた蛍火で周辺を照らす。光の中に獲物の痕跡を見つければ、感覚を共有したツェイにも伝わるという仕組みだ。
「……それにしても、良き香りだ」
これまでの発見物に加えて綿飴の木の葉にマカロンの果実、複雑に混ざり合う香りの中にチョコレートのそれを嗅ぎ取って、ツェイはふと微笑む。淡い光を放ちながら宙を漂う蛍火が、ほどなくその出所を見つけ出した。
間合いを測るようにしながらも、ツェイは先程見かけた果実を一つ指で摘まむ。興味半分、そして獲物に対する誘い半分で、それを口へと運んだ。
「ふむ……悪くない」
口の中でふわりと溶ける極上の甘味。そして幸いと言うべきか、今のところ体に害はないようだ。
だがその代わりに、茂みの影に潜んでいた大小のバーゲスト達が、殺気立った唸り声を上げ始めている。クランチチョコレートから生まれたらしき者達は、その毛皮の合間にごつごつとした装甲を纏っているようにも見えるが。
「……ほう?」
恐らく何かしら、彼等を刺激する要素がこの木の実にはあったのだろう、静寂はそこで突然破られて、ツェイの周囲に潜んでいた獣達が、一斉に飛び掛かってきた。
●
「この時期のデパートでやらかすやつが居るとはねえ……」
溜息交じりに呟いて、一文字・伽藍(Q・h01774)が件の百貨店のビルを見上げる。外観まではまだ呑み込まれていないのか、見た限りでは普通の佇まいだ。店の前に貼り出されたポスターの中には、勿論バレンタインフェアのものも混ざっている。本来ならば、大々的にそれが開催されているはずなのだが。
「早急にボコる必要があんな」
全国の恋する皆の敵。見逃すわけにはいかない、ということで、伽藍も迷宮内へと乗り込んでいった。
まずは敵を発見するところから、という話だが。敷地の限られた百貨店から底知れぬ森林と化した迷宮を見回して、伽藍は頭を捻る。狩りとなれば獲物の痕跡を見つけ、追うことが必要になるが、今回の相手、バーゲストは犬型であり、それ自体が狩猟者としての特性も持っているはずだ。つまり、敵も逃げ隠れする者ばかりではない。
「でっかい音出してたら、あっちから来るんじゃない?」
物は試し、早速スマホでかけた音楽を最大音量にして、彼女は迷宮の奥へと踏み込んでいった。
足元の土……ではなくココアパウダーだのクラムクッキーだのを踏み越え、ピクニックにしては少々派手な選曲で歌いながら森を歩く。本当に敵が寄ってくるかはまだわからないが、どうせ襲ってくるのなら……とそんな風に思考を巡らせて。
「お高いチョコも良いけど、安くていっぱい入ってんのも食べ応えあって良いよね~」
果物系と言えば苺が筆頭に挙がるが、最近はシャインマスカットの類も多く出てきている。開催されるはずだったバレンタインフェアにおいても、きっとそういうものが並んでいただろう。だとすると、そういうのからモンスター化した個体は、毛並みの色が変わっているのだろうか?
そんなことを考えている内に、迷宮全体に漂う甘い香り、その中に瑞々しいそれを嗅ぎ取って、伽藍は足を止めた。
スマホから流れる大音量、そして彼女の歌に引き寄せられたのか、周囲にバーゲストが複数匹姿を見せる。その後ろ、茂みや木々の影に、後続が何体いるのか定かでないが。
「ちょっと可愛いかも、なんて思ってたんだけどね……?」
彼女の予想通り、赤や緑、ものによってはマーブル模様に染まったバーゲスト達は、徐々にその包囲の輪を縮めていく――!
●
元の百貨店と奇妙な森を混ぜ合わせたような迷宮には、複数の獣が息付いている。それらのモンスターこそが、今回の獲物、攻略のカギである。
「どうせなら、食べ応えがある方が良いな……」
敵を倒せばチョコレートが手に入る。そこになにを求めるかを思案して、アステラ・ルクスルブラ(|赫光《ルクスルブラ》の黒竜・h01408)はより大型の個体を狙うことに決めた。
「多分、大型はそれほど大きく移動してないのでは?」
動きもそれだけ鈍いだろうし、他の個体より大きいのならば、ほかと縄張り争いをすることもなく生まれたその場をし切っているのではないか。そう予測した彼女は、早速事の発端である催事場だったはずの場所を目指す。となればまず探すべきは、百貨店の形跡が残った場所だ。絡み合う木々、地に広がる下草や根、それらの間に覗く硬質な存在に気を配りながら奥へと向かった彼女は、ほどなく案内表示の看板を発見する。
「エスカレーターは……」
こっちか、と矢印が向いた先には、絡み合う木々が壁を形成し、行く手を塞いでいた。回り道をする手間も惜しい、√能力で無理矢理壁をぶち破ったアステラは、迷宮を形成する植物がその穴を塞いでしまう前に、素早くそこを駆け抜ける。力ずくで開いた道の先には、甘い匂いのする迷宮が変わらず広がっていた。
ダンジョンと化したこの場所では元の案内通りとはいかなかったが、当てもなく進むのに比べれば遥かに速く、アステラは目的の場所を発見した。上の階層と下の階層の境目となるエスカレーター、これが普段通り同じ場所で、地下階から最上階まで繋いでいてくれれば良いのだが。
ひとつ上の階に上って、その先を確認する前に、彼女はそれに気付く。恐らくは『五階』があったのであろう上の方から、下へと降りてきている足跡。エスカレーターの一部、土ではなくココアパウダーを被った場所に、それが残っていた。
複数匹、群れによるものであろうその足跡には、一つだけサイズの大きなものが混じっている。
「この階だな……?」
周囲の気配を慎重に探りつつ、足跡を追う。ほどなく彼女は、ハチミツの小川の周囲に居るバーゲストの群れを発見するだろう。そして、ほかより二回りほど大きなバーゲストが、その群れに混じっていることを悟る。
慎重に後を追ったおかげか、幸いこちらはまだ気づかれていない。奇襲には丁度良いだろう。
●
「チョコレート取り放題! 良い響きですね~!!」
営業文句にまんまとつられた様子で、不定・散瑠(|無秩序変数《パラメータ・ダンス》・h05065)はデパートのダンジョンへと乗り込んだ。天井の白い照明が、ねじくれて絡み合う木々を明るく照らす、そんな迷宮特有の異常な光景にも一切構わず、彼女は金属バットをぶんぶんと振りながら周囲を見回した。
「どこですか~? そのチョコ犬は、どこにいるんですかー!」
獲物を求める飢えた獣、もしくはホラー映画の登場人物の様相で突き進む。迷いなきその足取りには勿論根拠など存在しない。躊躇なくずんずんと進み、振り回されたバットが見た目の軽さに反した異常な破壊力を発揮する。木々を吹き飛ばすようにして開けた穴を潜り抜け、散瑠はついにそこに辿り着いた。
「ここは……桃源郷ですか!?」
見上げれば、木々に実るマカロンの果実。そして足元を流れる黄金を掬えば、とろりとハチミツが指に絡む。避けようのない甘い香りに誘われて、彼女はそれを即座に口へと運んだ。
「あ、甘い!!!」
それぞれの感触と風味、舌の上に広がるそれに、驚愕の表情が浮かぶ。一応攻略には来たけれど、仕事を完遂する前から、しかも無料でこの味が楽しめるだなんて……!
「この空間、サイコー!」
ダンジョンを突き進む彼女は、罠とも知れないそれらを構わず口にしていく。食べて飲んで、今のところ極上の幸福感があるばかりだが。
「それで、チョコ犬は……?」
ようやく彼女が当初の目的を思い出したのは、周囲から唸り声が聞こえたためだろう。茂みの影や樹木の裏、殺気のこもった声と共に覗く瞳は、揃ってこちらを向いている。
「しかもなんか……怒ってます?」
唸り声に混ざる殺意の色が濃い。どうやら散瑠の纏う甘い香りがバーゲスト達を興奮させているらしい。縄張りを荒らされたと感じているのか、それとも甘い餌を横取りされたと思っているのか、とにかく。凶暴さを増し、一斉に仕掛けてきそうなモンスター達に対し、散瑠は予告ホームランのような姿勢で金属バットを構え直した。
●
「行きましょう、あっ君!」
先導するように前に出た茶治・レモン(魔女代行・h00071)に続いて、日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)がダンジョンへと踏み込む。前情報の通りのやたらと濃く甘い香り、迷宮を形成する樹木の壁を避けながら進んでいくと、匂いの出所もいくつか目に付く。
「おっと、マカロンの木がありますよ」
色とりどりの木の実をつけた枝、不気味な風景を彩るそれを指差して、芥多はレモンに笑いかけた。
「食べてみたらどうです? ほら、何事も経験ですし」
「いえ、大変魅力的ですが、拾い食いは……!」
本人としては大きく心惹かれているようだが、レモンは真っ当な感覚でそれを断る。しかしながら、ちらりと彼は横目で芥多を見る。
「……あっ君がどうしても食べると言うなら共犯になってあげても良いですよ」
「あ、俺は遠慮しておきます。トゥンカロン派なので!」
「そうですか……」
大丈夫、全然まったく残念ではない。そんな様子で頷いて。
「トゥンカロンって何ですか? 美味しそう!」
頭を切り替えるようにしながら前へと進んだ。硬質な床と地を這う植物の根、そして綿飴の花や飴細工の下草を跨いで通る。特に敵の気配を探るでもなく、彼等は迷宮の侵攻を優先していった。
「僕、チョコクランキーとか生チョコタルトとか好きなんですよね、チョココーティングしたフルーツとか、マカロンとかマカロンとか……」
「ああ、クランキーとかタルトとか、噛みごたえあって美味いですよねぇ」
先程のアレに物凄く後ろ髪引かれているようだが、優しさなのか何なのか、その辺は綺麗にスルーされる。「魔女代行くんはいいチョコの趣味してますね」とそんな言葉に気を良くしながら、レモンは彼に問い返した。
「チョコプラス、と言った形に惹かれますね。あっ君はどんなチョコが好きですか?」
「俺は生チョコとか、あとトリュフチョコなんかも好きですよ」
チョコプラスのやつだったらチョコポテチとか、食べたい時に食べやすい、一口サイズのものが好ましいです。そう付け加えてから、芥多は迷宮の通路の先へと視線を遣った。そこにはまだ発見できていないが、狩猟の対象がどこかに潜んでいるはずで。
「しかし、今回は好みに関係なくクッソお高いチョコを狩りたい気分です!」
やけに気合の入ったそれに、レモンは感心したように頷く。そんな拘りがあるとは意外な気がしたが。
「庶民が触るのも躊躇するような高級チョコを敢えて砕いて溶かし、平成女児チョコに改造するという台無しの所業をかましてやりましょうぜ!」
「またそんな性格の悪い事を……」
そんな軽口を交わしつつ、二人は迷宮の奥へと進んでいった。
「この辺りは……元々子供向けの商品を扱っていたようですね」
絡み合う草木の間、元の百貨店の名残にそんな点を見出して、芥多がそう口にする。転がったぬいぐるみや玩具、迷宮化による変貌を免れたそれらは、周辺のお菓子の木の実や花などによく似合っているように見える。
「寄っていきます?」
半ばからかうように、芥多がレモンに話を振ったところで、二人はバーゲストの群れに遭遇した。クマのぬいぐるみに紛れていたいくつもの黒い毛皮がすくっと身を起こし、こちらに牙を剥いている。
「はっ……高級チョコ! 高級チョコは居ますか!?」
迎撃の構えを取りつつ、先程の会話を思い出してレモンが周囲を見回す。光り輝く個体は今のところ見つからないけれど、どうせなら芥多が拾う前に確保しておきたい。普段ならば手を出すのに一歩躊躇してしまうような高級チョコだ、無駄遣いを許すわけにはいかない。
「――絶対に渡しません!」
●
エントランスホールに当たる空間に、オリヴィア・ローゼンタール(聖なる拳のダンピール・h01168)の足音が響く。深い森の中のように絡み合う木々、そしてそれらに紛れたキャンディでコーティングされたような柱が迷宮を構成している。非常事態、そう頭ではわかっているものの、鼻孔をくすぐる甘い香りがどうしても気分を浮き立たせてくるようで。
「甘くてやわやわの生チョコ……」
オリヴィアは思わずそんな言葉を口走った。迷宮は確かに不気味ではあるものの、お菓子の果実や花など、楽し気なテーマパークのような様相も呈しているので、それも無理からぬことか。
「牛乳でも持ってくれば良かったですかねー」
気が早い。まさに捕らぬ狸というアレだが、獲物を吟味するように呟いて、彼女は探索を開始した。
「元がデパートなら、構造自体はそう複雑ではなさそう……ですかね?」
基本的には全階層共通に、広くわかりやすく作られているのが百貨店である。迷宮化の影響でそれ自体は通用しなくとも、見覚えのあるものからヒントを得ることもできるだろう。
「これは、エレベーター? まだ動いているんでしょうか……」
壁を這う蔦を払って、扉を露出させる。脇に付いているボタン部分の電灯は点いたり消えたりしているため、押してみる価値はありそうだが。
「密室はさすがに危ない……ですかね」
何なら罠の可能性だってある。ここで無理矢理扉を開けて縦穴として使ってみるのも一つの手か、いやそれも移動が制限される以上待ち伏せされると対処がし辛い。獲物が同時に襲撃者となりかねない現状、やはり見通しの利く階段の類を見つけた方が安全だろう。
「きっと運動した後の方が美味しいですしね!」
スイーツ食べに遠出してきた人みたいな発想で駆けていったオリヴィアは、目的のエスカレーターを見つけた辺りで、甘い匂いの中にそれを嗅ぎ取る。チョコレート……ではなく、足元に咲いた白くて丸い花。マシュマロである。
「……」
おもむろに花を手折る――といえば聞こえはいいが、これは拾い食いになるのでは?
「火を通したらきっと大丈夫ですよね!」
指先に灯した聖なる炎であれば、邪なものは燃えてしまうだろうしきっと大丈夫。そう結論付けて、彼女はそれを炙り始めた。
香ばしい匂いと共にとろりと溶けて、聖なる焦げ目が表面を彩る。
「あちち……おいしー!」
探索ついでにその辺りを堪能していると、香りに惹かれてきたのか、バーゲストの群れがエスカレーターの上から姿を現わした。まだ食べきれてはいないけれど……何やら目をぎらつかせた獣達は、それを待ってはくれないようだ。
●
「森林型スイーツダンジョン探検かぁ……」
それはある種の甘い幻想、緇・カナト(hellhound・h02325)が進むダンジョンは、元の百貨店から大きく形を変えていた。空気には濃厚な甘い香りが漂い、絡み合う樹木の枝には、カラフルなマカロンが鈴なりに実っている。
この手のダンジョンには前にもパフェレシピを探しに行ったような気がするし、このままではダンジョンの思い出が甘く染まってしまいそうだ。
「それで何だっけ、チョコ犬モンスター探しか…ケンカ売ってる?」
呆れたような、いらだったような調子で、カナトは言う。
「チョコ食べられない生きものが、そんなモンスター化するなよ舐めてんのか」
「ご覧ください。あれが犬愛好家カナトさんの怒り。怖いですね~」
「カナトちゃんの、チョコワンちゃんへの並々ならぬ思いが感じられるん……! 優しいひと怒らせちゃらいかんは本当なんね……」
その辺りを遠目にしつつ、野分・時雨(初嵐・h00536)と八卜・邏傳(ハトではない・h00142)もまた周辺の様子を見回している。
「わあ、マカロンの木。ぼく食べたことないんですよね」
「俺も食べた事ないんよなマカロンちゃん」
時雨が差し出したマカロンを口に放り込んだ途端、邏傳は涙目でうずくまった。
「――時雨ちゃん、マカロンちゃんは 刺激的」
「なるほどパンチがきいてるんだねぇ、マカロンって」
なぜか七五調の警句を聞きながら、時雨は別の……ピスタチオと思しき色合いのものを手に摘まんだ。
「こっちは大丈夫っぽいですよ。お口直しにどうぞ」
「ありがとう時雨ちゃん……でも俺、もうマカロンちゃん疑うことにするん……」
その辺りの実験というか挑戦もひと段落したところで、三人は作戦会議に戻る。探索に出たは良いものの、そもそも方針がはっきりしていないので。
「犬プロなカナトさんの指示に従います」
「ワンちゃんの習性ってーの? に詳しいカナトちゃんがいれば百人力なんよ。っち事で俺も指示にばっちし従うよ隊長♡」
時雨と邏傳の二人はとりあえずその辺りをカナトに預けて、周辺の観察を再開する。
「チョコ溶けたりしてませんかね……?」
地這い獣にも足元の痕跡を探らせ、時雨は木々の折れた跡や、動物の痕跡を探す。見つけた手掛かりらしきものは、邏傳が、ポイポイと壺に回収していく。
「痕跡の大きさとか多さとかで、どんなチョコワンなのかあたりつけられんかな?」
「イヌっぽい姿の性質も、利用しやすいかもな」
小型チョコで群れるなら開けた所に居そうではあるし、単独の猟犬目線で捉えるのなら、曲がりくねった樹木に潜んだり、高いところから獲物を待ち構えたりといった行動を取りそうだ。ぱっと思い付いたものをそう並べて、カナトはもう一度二人に視線を戻した。
「皆がどんな種類のチョコ狩りしたいかで、重点的な探索ポイントは相談しようねぇ」
そこから順に決めていこう、とカナトは率先して希望を告げる。
「ちなみにオレは大物狩りがしたいなぁ」
「大物狩り、良いじゃん! せっかくだものさ!!」
「高級なやつのほうが苦くて美味しい印象あります。洋酒に合いそう。全面賛成」
ということで、方向性はすんなりと決まった。そうであれば、と得られた手がかりの中から一際大きなものを選び出す。足跡の中でも他より二回りは大きいものを選定し、三人はその後を追っていった。
「目指せレアドロップ……!」「めざせレアドロップー☆」
言葉は軽いが視線の鋭さは狩人のそれ。ほどなく彼等も、獲物と対峙することになるだろう。
●
「なるほど、|モンスター化の解除《アイテムドロップ》……ですか」
今回の事情を把握したところで、香柄・鳰(玉緒御前・h00313)は重大な点に思い至る。そもそも料理と言えば斬るか、焼くか、潰すか――それだけの手札しか持ち合わせていない鳰にとって、『手作りチョコ』というものは手の届かない存在だった。
しかし、このダンジョンでなら、モンスターを斬るか焼くか潰すかすればチョコレートが出来上がる。これはつまり『お手製のチョコ』と言えなくもないだろう。「心を込めて、自分の手で作りました」と言って渡せば多分嘘にはならないはず。
「これは……進むしかありませんね!」
理論武装は完璧。やる気に満ちた様子で、鳰は迷宮へと踏み込んでいった。
ダンジョン内で最初に感じ取れたのは、甘味に満ちた色濃い香り。ぼやけた視界に映った森林の色の中に、甘いお菓子が混ざっているのだろう。絡み合う木々の軋み、葉擦れの音に、遠くから響く小川のせせらぎ、周囲の様子をそれらの情報から感じ取りつつ、彼女は進む。
いつもならば反響を聞くための鈴の音も、獲物に気付かれることが無いように抑えたまま、とりあえずはハチミツの香りを追っていく。流れる黄金色の小川を見つけたら、方向転換して上流、または上階の方を目指す。モンスターの生態は厳密にはわからないけれど、何にせよ狩りの始点として水場を押さえるのは的確と言っていい。
「足跡なんかも追えればよかったのですが……」
それは言っても詮無いこと、この川原ですぐに敵と行きあたる可能性もあったが、その前に、鳰の狙っていたロケーションが彼女の前に現れた。
色鮮やかな果物が生る木々の傍、そこには段差を流れるハチミツが、小規模な滝を形作っていた。
「丁度良いですね」
鳰が標的として定めていたのは、このような場所を好みそうな|チョコレート《モンスター》だ。オランジェットのように果実をチョコレートコーティングするタイプのチョコから生まれた魔物は、チョコレートファウンテンを思わせるこの場所を本能的に求めてしまうのではあるまいか。
「それでは……現れるのを待ちましょうか」
付近の通路、複雑に絡み合う木々の合間に身を潜ませて、小さな滝壺を隙間から眺める。息を殺して待つことしばし、その内に現れたバーゲスト達は、水浴びをするようにハチミツの滝壺に飛び込んでいった。
濃く、甘い匂いが、同時に鳰の気配を眩ませたか、バーゲスト達はまだ彼女に気付いていない。今ならば、奇襲をかける事も可能だろう。
●
「わぁ、美味しそうなダンジョンです」
見上げた瞳に映る光景、百貨店の照明が照らし出す、お菓子の森の光景に、糸根・リンカ(ホロウヘイロー・h00858)が感嘆の息を吐く。それはこちらを誘う甘い匂いに限ったものではなく、モンスターを倒せば本物のチョコまで貰えるのだから、お得感も満載である。普段のお小遣いでは全く手の出ない、一粒の値段がやたらと高い類のチョコも、運が良ければタダで手に入るはず。
「……これは狙うしかないです!」
ということで彼女が狙うのは|高級品《レアモノ》の個体。名前の通り、数自体多くなさそうだが、やってみるだけの価値はある。
「どうせなら待ち伏せがしたいですよね……」
イメージとしては、縄張りを作る肉食獣の行動が近いか。獣の習性はもとより、ダンジョンを守護するという役回りから考えても、モンスターは特定のルートを見回っている可能性は高いだろう。まずはその痕跡探しを志して、リンカは迷宮の奥へと向かっていった。
足元のココアパウダーの土や、綿飴で出来たお花、それらの間に爪痕やチョコレートの毛束といった手がかりがないか気を配る。そう簡単には発見できないかもしれないが、リンカの足取りは今のところ軽いまま。勿論、それは本命がこの先にあるからだ。
「着きました!」
そこは黄金の液体がゆっくりと流れる、ハチミツの小川。その畔に膝をついて、リンカは周辺を観察し始めた。
獣は確実に水場を通るだろうし、乾いて蒸発することのないハチミツの周辺は、バーゲストの痕跡を残しやすくなっている。極めて的確な予測はぴったりと当たり、大小の足跡のほか、小川のそれを舐める際に、ハチミツが絡んだのであろう色の付いた毛束など、欲しい情報が多く転がっていた。
迷宮の中、小川の流れに沿える範囲を見回って、輝く毛並みの|高級品《レアモノ》が多く通っていそうな場所を選び、リンカはそこを監視できる場所に身を潜めた。
「うまくいくかドキドキしますね……」
沢山レアドロップするといいのですが、と頭の中で付け加えると、やはり連想してしまうのはその後の『戦果』だろうか。
高級チョコをいっぱい手に入れることができたのなら、まあ、少しはあげてもいいかもですね。Ankerというか保護者というか、彼女にも分けてあげれば、お小遣いを決める財布の紐も、少しは緩くなるかもしれない。
「今度こそ負けないのです」
目指せお小遣いアップ、そう期するリンカが待ち伏せているその場所に、バーゲストの小規模な群れが訪れる。通常の黒い毛皮の者達の合間に、宝石のように輝くカラフルな毛色の者が、複数体混じっていた。小川の畔でハチミツを舐めて、めいめいに過ごしている姿は平和そのもの――つまり、今のところは無警戒。つまるところ、好機である。
第2章 集団戦 『バーゲスト』

●Hunting
痕跡を追う、行く手を予測する、とにかく進む。それぞれの方法で迷宮を進んだ√能力者達は、共にバーゲストの一団と接触する。身体の各所から生える角らしき器官から、ただのイヌではないことは明らか。さらにモンスター化の元となったチョコレートの影響を受けたような毛並み、特徴を持つそれらを如何に倒すか。
捕食者がどちらか、実力を示す時だ。
●
ダンジョン内に広がる異形の森、その一角のお菓子の花園に、獲物の姿を確認。サツキは不敵に口の端を上げる。
「さぁ、狩りの時間だ……」
と、今のは言ってみたかっただけ。小説に出てくる狩人と言えばこういう台詞を吐くもの。魔物とか吸血鬼とかを狩ったりする類は特にそう。魔女を名乗る彼女にしてもそういう世界への憧れだってあるにはあるのだ。
どこか満足気に頷く彼女だが、この状況は下手をすれば小説よりもおかしなことになっているような気もする。
「事実は小説よりも奇なり……とは本当、言い得て妙だよね」
メルヘンチックなダンジョンに、色とりどりの魔犬達、世にも珍しく見ていて楽しい光景ではあるが、問題は敵がやたら多いという点だろうか。
「ハティには警戒をお願いしたいな……頼めるかな?」
近づかれると厄介だからね、と月霊をひと撫でして、サツキは軽く杖の先を振る。呼び寄せるは災厄の一端――。
「建物は……まぁ、大丈夫だよね」
普通の建物ならちょっとあれだが、ダンジョンともなればきっと。『星の涙』は宙で散って、無数の星屑となってバーゲストの群れへと降り注ぐ。突然の奇襲、しかも無差別な範囲攻撃に晒され、魔犬達は混乱の坩堝に叩き落とされた。
普通の黒も、惑星モチーフのマーブル模様も、等しく流星が貫いて、元のチョコレートへと変えていく。しかしそれでも、運よく生き残った個体はいくらか居る。
「出番だよ、ハティ」
こちらを見つけた生き残りのバーゲスト達は、瞳や武装を増加させ、吠えたてながらサツキに迫る。喉首目掛けて飛び掛かるそれを、横合いから喰らい付いたハティが阻止し、地へと叩きつけた。すかさずサツキは、そこにロッドを振り上げて。
「杖っていうのはね、物理も行けるんだ」
魔法はともかく鈍器として、敵にとどめの一撃を見舞った。
かなり良い状況から仕掛けられたこともあり、サツキは程なく群れを倒し切る。床を穿つ攻撃の痕に残されたのは、亡骸ならぬドロップ品、綺麗に包装されたチョコレートの数々だった。
「これ、元は商品だったんだよね……」
お小遣いは浮くけれど、本当に全部もらってしまっていいものだろうか。若干後ろめたいような、そんな思いに眉根を寄せる。幾らかは返しておくべきか? ちょっとばかり悩みつつ、彼女は『戦利品』を両手いっぱいに拾い集めていった。
●
大音量で曲を流しての釣りは見事成功、予想よりもたくさん集まった聴衆もといバーゲスト達を、伽藍は一度ぐるりと見渡す。茂みなどに潜んでいる者もいるが、フルーツ要素を含んでいるのだろう魔犬達は色とりどり。見た目の上ではカラフルだけど、それらは皆、角やら牙やらで文字通り刺々しい気配を発していた。
「きゃわゆいチョコたちが随分と厳ついワンちゃんになったもんだね」
これでは友チョコの交換会に持っていくのも憚られる。困ったものだと呟いて。
「大人しく、小粒で可愛くて美味しいチョコに戻ってよね」
多数の敵を一度に相手取るのなら、こちらもやはり数で対抗するべきだろう。
「クイックシルバー!」
伽藍の呼び声に護霊が応え、銀色に爆ぜる光が無数に広がる。|妖精狩猟群《ワイルドハント》、伽藍の周囲に現れたのはクイックシルバーの分裂体。ひとつひとつは小さなそれが、伽藍のひっくり返した箱から釘を捕まえ、空中に無数の針として浮かばせる。
小型で素早い敵が多いなら、まずは足を狙って機動力を削いでいくのが先決か、先頭を切って跳びかかってきた個体を、ポルターガイスト現象で乱舞した釘が迎え撃ち、その脚を穿って落とす。
「総員、この調子でガンガン行こうぜ!」
迎撃からの移動阻害、敵の突出を咎めるような立ち回りを繰り返し、伽藍は敵に足止めを強いていく。警戒して自由に動けず、敵の群れが固まり始めたらこっちのもの、今度はこちらが自由に振舞えるのだ。
そう、例えば。
「果物チョコっぽいやつどこかな~?」
こういう品定めとか。
「オッそこの赤くて美味しそうな毛並みのワンちゃん! さては君、苺チョコだな?」
ピンク色の混ざった魔犬を見つけて伽藍が声を弾ませる。逆に指差されたバーゲストは身を縮こまらせているように見えるが。
「しかもその輝きはちょっと良いとこのチョコとみた!」
そうと決まれば逃がす手はない。可愛い子犬ではなく凶暴な魔犬では、先程言ったように友達には贈れないし、まずはおまじないが必要だろう。
ということで、美味しくな〜れ♡
「釘だオラァ!!」
可愛げもへったくれもない凶悪な釘の群れが敵陣へと襲いかかり、お目当てのフルーツチョコをドロップさせていった。
●
現れたのは、こちらを睨む魔犬の群れ。彼等の視線が甘い果実に向いているのを察したツェイは、見せつけるようにしてそれを食んだ。
「うむ、美味であったぞ」
言葉は通じていないにしろ、ニュアンスは伝わったのだろう、唸り声に混じる怒気がより色濃くなったのを感じる。それらを笑って受け流しながら、ツェイは小首を傾げる。
「まあ横取りが気に障るのは道理よの。先に此処を占拠したのはお主らであるが――」
人々の暮らす場をダンジョンと化し、商品をモンスター化する所業はまさにそれ。だがバーゲスト達は激しく吠え立て、ツェイの言葉を待たずに跳びかかってきた。
「――獣に言うても始まらぬかな、ははは」
それ、少しばかり遊んでやろう。ゆらりと宙へ逃れたツェイの身体を捕らえきれず、勢い余った魔犬は樹の幹へと衝突する。中々に派手な衝突音が響くが、体表に硬質な装甲を纏ったこの個体には、大したダメージはないようだ。
「その鎧も厳めしいだけあるということかの」
そうれ、次はこっちだぞ。当然敵の群れは諦めることなく迫ってくる。それらを引きつけ、のらりくらりと躱してやって、ツェイはバーゲスト達を迷宮の奥へと誘導する。壁にぶつけるばかりでなく、躱すついでにハチミツの小川に落としてやったり、からかうようなその道中で、魔犬達はすっかり怒り心頭といった様子になっていた。
「おっと、これは……」
そこでツェイの歩みが止まる。逃げ延びたその迷宮の先は、袋小路になっていた。さすがにそれを察したのか、バーゲスト達の目に残忍な色が乗る。
「うむ、我の負けのようだ」
戯れもここまでか、彼等に向き直ったツェイが、降参というように小さく両手を上げる。当然そんなものには構わず、勝ち誇るように猟犬達が跳びかかる。
「――などという上手い話など無いわなあ」
忘れるなかれ、お主らこそ狩られる側ぞ。そんな微笑みを残して、ツェイの姿が敵の前から掻き消える。|咒戯廻天《リンテン》、誘い込んだそこは一瞬で結界の裡となり、その中で眩い炎が燃え上がった。
「すまぬのう、これも良き日の為」
敵の背後に転移したツェイが、赤々と燃えるそれを見下ろして呟く。こうなれば厚い装甲にも意味はない、成す術なく燃え尽きた彼等は、モンスター化する前の姿へと戻っていった。
「……ちょこまでも焦げてしまわねば良いのだが」
●
「よしよし、居たね、大型のチョコ……」
もとい、大型のモンスター。黄金の小川、ハチミツの流れるそこの付近にバーゲストの群れを発見したアステラは、素早く行動に移る。元はチョコレートとはいえ、こうしてモンスターと化したのなら脅威の度合に他との差はない、挑むのならば油断なく――!
まだ気付かれていないというアドバンテージを最大限に活かすべく、奇襲を仕掛けた彼女は両手に備えた竜爪を閃かせる。一番手前、群れから離れた個体を引き裂き、勢いそのままに次の敵へ。大型の動きがこちらに対応しきれていないのを確認しつつ、群れを囲むように駆ける。警戒の声を上げ向かい来る者を殴り飛ばし、対応の遅れた者を貫いて、一息に敵の数を減らしていく。
突然の襲撃に混乱状態にあったバーゲスト達も徐々に体勢を立て直し始め、彼女が単独であると知れれば連携して周囲を固めようと動き始める。しかしその動きもまたアステラにとっては予測の内。
ガントレットから切り離された鉤爪部分が宙を舞い、彼女の意に沿って振るわれる。虚空を切り裂く一閃――その斬撃は、彼女の背後を取ろうと回り込んでいたバーゲストを撃ち抜いていた。
「さあ、残りは一体だけだね!」
敵を見事に捌き切り、後は群れの長、そして目当ての大型チョコを残すのみ。だが仲間を失ってなお戦意を失わぬそのバーゲストは、轟々と響く咆哮で、アステラを威嚇して見せる。全身に生えた鋭い角がその鋭さを増し、その武装の力を示すように、魔犬は突進を仕掛けるべく地を蹴った。
「立派な爪と角だけれど、こちらの爪だって負けるつもりは無いよ!」
遠隔操作していた鉤爪をガントレットに戻し、アステラもまた万全の構えでそれを迎え撃つ。双方の爪が噛み合い火花を散らし――勝負を分けたのはそこからの連撃、拮抗した初撃から素早く薙ぎ払い、力任せに吹き飛ばし、斬撃から時には魔力光線へと変化を持たせた攻撃で、彼女は敵を圧倒して見せた。
竜爪連撃、最後の一太刀が敵の爪ごとバーゲストを切り裂いて、敵を元の姿――大粒のチョコレートへと引き戻した。
●
「うーん、腹ごなしに相手してあげましょうね」
こちらを睨む無数の瞳と、殺意の籠った唸り声。現れたチョコ犬もといバーゲスト達にバットを向けて、散瑠は不敵に言い放つ。吟味するように敵の姿をなぞって、なんとなく一番良い感じの――多分群れで一番強そうなやつへとバットの先端を動かして。
「……君からに決めた!」
とはいえこの数、しかもやる気に満ちた集団を相手に真正面からやり合うのはさすがに厳しい、散瑠はひとまず後方、絡み合う樹木の影へと跳んだ。
けたたましい吠え声と共に殺到するバーゲスト達は、しかし角を曲がったところで粘性の高い液体を顔に浴びることになる。それは多量のハチミツ、ダンジョン内で小川を成していたそれをバットの先端で掬って、散瑠がそれをフルスイングしたのだ。
「ざんねん、この辺りに何があるかはバッチリ調査済みですよ」
そう、彼女はただ欲望のままにその辺のお菓子を食べ歩いていたわけではない。その後の戦闘を見越して地形把握に勤しんでいたのだ。若干怪しいがここは言った者勝ち、有利な戦場を選んだところで、先程もいでおいたマカロンの木の実を幾つか明後日の方向に放ってやる。
視界を奪われたバーゲスト達は、その強烈な甘い匂いに釣られてそちらに向けて攻撃を開始、身体に生えた棘を活かした突進も、狙いが定かでなければ何の意味もない。
「さーて、さてさて、小細工はこの辺で良いですかね?」
混乱し、乱れた敵陣に切り込んで、散瑠がバットを振り上げる。最初の獲物は、もちろん最初に指した群れのアルファだ。
「それじゃ、君はコレで終わりにしましょう」
その場にあるものを最大限に生かした彼女の手から逃れる術はなく、バットの一撃は見事敵の頭部を叩き割る。
床まで穿ちかねない異常質量のそれが敵を仕留めたところで、美味しそうなチョコレートの包みがそこに転がった。
「よーし、次です。次は君にしますね!」
今度は別の敵へとバットを向けて、ホームラン予告。群れのトップを失い混乱する相手に対し、順番にそう宣言しながら、散瑠は次々と敵を追い詰めていった。
モンスターの元となったチョコレートが、バーゲストが砕け散るごとにドロップする。彼女の豪遊はまだまだ終わらないようだ。
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現れた魔物、バーゲストの群れを前に、オリヴィアは急いで残ったマシュマロを片付ける。何やら食べれば食べる程敵は不機嫌になっているようだが、今更おやつを止められるものでもない。油断なく構えつつ、とろけるそれを頬張って飲み下してから、彼女はようやく口を開いた。
「噂のチョコモンスターですね! いっぱいやっつけて食べ放題です!」
戦いは、そしてお菓子狙いからはここからが本番である。甘いカカオの匂いを漂わせる敵の様子に、オリヴィアは戦い方を組み立てていく。全身に生えたトゲを用いた攻撃は脅威だが、見たところ戦っている個体には装甲の類は無く、動きもしなやかな分だけ防御能力は低そうだ。そしてモンスター化の元がチョコレートであるのなら、この魔物達はきっと熱にも弱いはず。
跳びかかってくる獣達を前に、オリヴィアは固く拳を握りしめる。その右手には、聖なる炎が沸き上がり――!
「えぇーい!!」
『爆炎拳』、まっすぐ地へと拳を叩きつけると、その手に宿っていた炎が爆ぜて、爆炎が周囲を薙ぎ払う。突進攻撃を行うはずが、途中で阻まれ姿勢を崩したバーゲスト達へ、オリヴィアは素早く追撃を仕掛けた。
「弾ける炎よ! 打ち砕け!!」
怪力を活かした拳を受けて吹き飛んだバーゲスト達は、炎に巻かれながら床に落ちる。
「ん~、チョコのいい匂いがしますね」
熱で焦げたりとろけたり、戦場に漂う香りを吸い込んで、食べるのが待ちきれないと言った様子でオリヴィアはそう微笑んだ。
力尽きた魔物達は、それぞれにモンスター化する前の商品へと戻っていく。その中には、きっと彼女の欲しがっていた生チョコの類も入っていることだろう。
●
「う……っ! この輝きは間違いなく……!」
ぬいぐるみ売り場だったと思しき場所から次々と現れるバーゲスト達。その中に偶然それを発見して、レモンは思わず目を細めた。
「居ました、高級チョコです! 間違えました、敵です!」
言い間違いの内容からすると、どうやら既に報酬のことしか考えていないようで。
「あの色合いはミルクでしょうか、キャラメルでしょうか? 楽しみですね、あっ君!」
「俺としてはミルクだったらいいですねぇ」
同じく敵の姿を確認した芥多が頷いて返す。
「ミルクチョコの方が手作りチョコの材料向きなので!」
「……あの、まさか本当に、魔改造するおつもりなんですか!?」
聞き捨てならない、といった調子のレモンに対して、飽くまで芥多は変わらぬペースで応じた。
「安心してください、魔女代行くん。俺が皆平等に元のチョコに戻してあげますよ。
――そして皆平等に砕いて溶かしてアルミカップにぶち込んで、あとトッピングシュガーを盛って平成女児チョコに転生させてあげますよ!」
折角の高級チョコを安いビジュアルにイメチェンするのが令和のトレンドですからね。そんな宣言に対し、レモンは訴えて返す。
「何も安心できませんけど! 折角の高級チョコ、美味しく食べましょうよ!」
金粉のチョコサンドだって、ラズベリーのクランチチョコだって、老舗の抹茶チョコだって、そのまま食べられたいはず――。なぜかチョコレートに感情移入してしまったが、しかしながら。
「あー! 先に行ってる!」
芥多はとうに敵の方へと向かっていた。というか敵の居る状況下での会話はここら辺りが限界だろう。禍々しい斧型の怪異兵器を振り上げて、芥多は敵の元へと切り込む。血を纏った刃が真っ直ぐに敵を両断し、勢い余った一撃が周囲を赤く染めていく。汚染されたそこに足を取られながらも、全身にツノを生やしたバーゲスト達の反撃は芥多へと届いた。
さすがに包囲状態からの戦闘では被弾無しとはいかず、鋭いツノを伴う体当たりが彼の身を穿つ。
「うわ、俺も痛いけど君も骨折してませんか!?」
突進によるダメージは無視できるものではないが、それだけ反動も大きいのだろう、芥多に攻撃を命中させたバーゲストは、その場で姿勢を崩している。それだけ衝撃に対して脆いということなのかもしれないが、それよりも――今チョコに戻ったら粉砕状態になって、湯煎する為の工程がひとつ省けるのでは?
「最高じゃないですか!もう一回くらってあげてもいいですよ!」
「何を言っているんですか!? 怪我したなら退いて下さい!」
攻撃を歓迎するような芥多の声を遮って、レモンがナイフを振るう。数の暴力に対してはまとめて範囲攻撃を。√能力で拡張した斬撃で敵陣を薙ぎ払い、彼は芥多に下がるよう伝える。まあそれも、周りのバーゲストの囲みを破ってからになるだろうが。
「難しいことは言いません、チョコください!」
若干集中を欠きながらも、二人はどうにか敵の攻撃を凌ぎ、順に仕留めていった。光り輝くレア個体を倒せれば、狙いの高級チョコも手に入るだろう。そうなれば目的は達成……いや、魔改造される前に食べなくてはならない、か? 薬湯で湯煎してもいいけれど――。
●
「よしよし、上手くいきました」
ハチミツの小川を見下ろす形で、リンカは油断し切った敵の群れ、を見遣る。ここまでのチャンスは中々ないだろう、群れ全体を視界に収めた彼女は大槌『愛華』のスイッチを操作する。極力正確に座標を指定すれば仕掛けの準備は完了。
「やってやりますよ……!」
『|存在不能域グガランナ《ゾーンシェイカー》』、√能力の発動と共に、世界が震える。嵐の如く吹き荒れるのは重力の波、上下左右、ランダムな方向に暴れるそれが、バーゲストの群れを呑み込んだ。突然の奇襲に、魔物達はわけもわからぬまま、天変地異のようなそれに巻き込まれる。
「うーん、今はまだいいですけど、もっと範囲が広がったら使いどころが難しそうです」
効果時間いっぱい食らわせれば、巻き込まれた者は粗方崩壊しているだろう。使い勝手は良いやら悪いやら――。
「さて、とどめに向かいましょう」
とはいえ今回は、『集団をまとめて叩く』という一番効果的な使い方ができただろう。力尽きた個体が大半だが、中には耐え切った者もいる。しかしながら、無茶苦茶に揺さぶられた彼等は自慢のツノもボロボロで、平衡感覚も完全に失っていた。
行動不能のその隙を逃さず、リンカは戦闘形態――バトルハンマー本来の形で得物を振るい、敵の頭部を叩き割りにかかる。
「おっと……さすが高級品ですね」
バーゲストの中でも他とは違うカラフルな色合い、輝いて見える個体がひとつ、足元をふらつかせながらも地を蹴る。最後の力を振り絞った、そんな勢いの攻撃を、リンカは落ち着いて迎え撃った。
まだ歯向かえるのは大したものだが、このカラフルなタイプのバーゲストだけは絶対に逃がしたくない。残ったツノを無理矢理叩き付けようという突進に、タイミングを合わせて大槌を振り抜く。下から上へ、引き付けるように振るったハンマーのヘッドが、最後のバーゲストを高く吹き飛ばした。
天井に叩き付けられたそれが地に落ちて、元の『商品』へと姿を変える。
「ふう。……やったー!」
狩りは成功と言って良いだろう。輝く戦利品の転がるそこで、リンカは満足気に息を吐いた。
●
ようやく方針を定めた三人は、先程見つけた大きな足跡を手掛かりに、甘い香りのする迷宮内を進んでいく。床と木の根の入り混じった地面ではいつまでも足跡を追っていけるわけもなく、爪痕などの痕跡を探しながらの道行きになるが。
「ところでさっき言いそびれてた話~」
道中、カナトがそう口を開く。
「オレが少し気になってる物があってねェ、惑星チョコって言うんだけど……」
「惑星チョコ……! なんか破壊力ありそな、どかん! ち感じのインパクトなチョコちゃんかな?カナトちゃんが気になるくらいならきっとスゴそ!」
「いや見た目がお洒落なだけで、そこまでコスモでもないってば~」
「惑星チョコねぃ……あれば回収しますが。期待しないでくださいよ!」
邏傳と時雨もそれに応じたところで、歩みを進めた彼等はバーゲストの群れと行き当たった。恐らくは探していた群れで合っているだろう、犬型のモンスターの集団の中に、明らかに異質なでかい個体が混じっている。
「でっか!!!」
「クマ? 犬って嘘じゃん。ホントにチョコ落とします?」
「チョコわんこ……クマち?」
もはや同種なのか疑い始める時雨に、これはこれで狩り甲斐がありそうだと邏傳が返す。そしてカナトは、他より二回りは大きいその個体を前にして。
「……シリウス!」
「え、何です?」
「名前?」
「オマエの其の首落としたら、レアドロップすると信じて……!」
確かに邏傳の言う通り、手応えのありそうな獲物だと頷いて、二人に合わせて身構えた。
「斬りつけてもデカすぎて、効いてりゃせん感じ?」
そんな中、手元の刃と敵のサイズを見比べて、早々に諦めた邏傳は別の手を模索する。シンプルにいくならやはり、デカさにはデカさで対抗するのが一番だろうか。
「あれに対抗するけど! 可愛くない姿でも嫌わんでね!??」
味方二人にそう念押しして、邏傳はその力を解き放つ。無敵の真竜へと姿を変え、咆哮を上げたそれに、カナトが応じる。
「オレも大狼姿に変身~」
『|虚の災い《フローズヴィトニル》』、仮面の下の身体が大きく姿を変えて、彼もまたフェンリル狼と変身を遂げた。
「なんか急に狭くなりましたね……」
迷宮化したとはいえ元は百貨店の1フロア、窮屈そうな巨大な獣が増えたそこから、時雨は一旦後退、巻き添えを避けることにする。
「チョコ回収役は時雨君に任せた……!」
「はいはい、チョコ回収は賜りまして!」
後で何の惑星ドロップか教えてねぇ、といったところで竜と狼は共にブレスを放ち始める。竜の口からは灼熱の炎が、狼の口からは絶対零度の冷気が迸り、バーゲストの群れを呑み込んでいく。
「灼熱と絶対零度ブレスのテンパリングだァ」
「冷てーの熱ちーの痛ぇの、どれがテメェのお好みだぁ? あ゛ぁン? 贅沢だなぁオラァ!!」
若干キャラを見失った咆哮と共に、ブレスの的にされたシリウス(仮名)もたまらず力尽きる。他の小さな個体達、どうにかブレスの範囲外に逃れたバーゲストがそれぞれに突撃をかけるが、彼等の角如きでは無敵の獣には歯が立たない。
「仔犬転がすみたいで楽しいねェ」
「お二人ともその調子でお願いしますよ」
軽く敵をあしらう彼等の方へ、小回りの利く時雨が敵を追いやり、さらには召喚した雨雲で敵の移動を阻害する。力が足りない上に動きの鈍った集団敵に、二人が後れを取るはずもなく。彼等の蹴散らしたその名残、力尽きたモンスターが元の商品に戻っていくのを確認して、時雨はそれらを素早く回収していった。
敵陣は総崩れ、ほどなく全滅も見えてきた。こちらの負傷はもちろん軽微で――。
「まああんまり調子こいてると貧血で倒れるんだけど~」
「ふへ、時雨ちゃんあとよろしう……」
ただ攻撃の代償はそれなりに大きい。体内の竜漿を大量消費した二人は、暴れるだけ暴れて満足気に倒れていった。
「はいはい、それじゃチョコと一緒に回収しますよぃ」
敵の脅威はもはや無い、ならば運ぶのにも支障はないだろう。元の姿に戻ったカナトと邏傳を、時雨はどうにか支えて。
「ただ運び方に文句はご法度! この青い惑星チョコ食っててください!」
「お、青いの出たの?」
「当たり?」
とにかく無事に狩りを終え、三人は|狩りの成果《目当てのチョコレート》を入手した。これならば、山分けしても十分な数になるだろう。
●
目では追い切れないが、気配は読める。付近に身を潜めたまま、鳰は静かに鯉口を切った。水辺には油断した様子のバーゲストが複数体。集団が相手ではあるが、こちらに気付いていないならば、いくらでもやりようはあるだろう。
敵が水浴びに気を向けているこの瞬間を逃さず、鳰は素早く飛び出す。抜刀と共に、翼を広げるように振るわれた白刃は、突風の如く広範囲を薙ぎ払う。中心の一体を両断した斬撃は、すぐさまその刃を返して四つに割る。ついでに力の余波で周囲の数体をまとめて切り裂き――そこでようやく、鈴の音がひとつ。
「では、踊りましょうか」
反響で敵の在処を捉えて、鳰は淀みのない足捌きで敵陣を駆ける。先の奇襲で敵の大半は少なからず負傷しており、その動きにはそれぞれ陰りが見える。武装でもあるツノを断たれて攻撃力を削がれた者、足を切り裂かれて跳びかかるタイミングを逸した者、それらに対しては隙を突いて蹴り飛ばし、滝壺の方へと叩き落とす。それらの合間を縫って襲い来る者には、太刀の一撃を正確に見舞った。
一度に相手取る数を抑えて、迎撃の刃で目の前の敵を斬り飛ばす。範囲攻撃による奇襲から着実な殲滅へと移った動きは確かに有効で、数で勝るはずのバーゲストはそれに対応しきれないでいる。
包囲さえしてしまえば――そんな煩悶がモンスターにあるのかは定かでないが、ハチミツの滝壺から上がってきた生き残り達は、鳰を睨んで低く唸る。するとその身はぎちぎちと音を立てて歪み、黄金に輝くツノと爪を生やし始めた。
「少し、遅かったですね」
そう、攻撃力や防御力を増すにしても、数を大きく減らした今となっては大した脅威ではない。先にその武装を削るように刃を振るい、鳰は残りの敵を追い詰めていった。
豪風のような大太刀が通り過ぎた後には、モンスターは消え去って、代わりに元の包装されたチョコレート達がその場に転がる。
オランシェットやシトロネット、美味しそうな匂いを漂わせるそれを前にして。
「こんなに独り占めしていいものでしょうか……」
そんな言葉とは裏腹に頬を綻ばせて、彼女はふと愉快気に息を吐く。何にせよこちらの『チョコレート作り』の方が、自分には合っているかもしれない。そんなことを考えながら。
第3章 ボス戦 『『悪童魔女』ルルフィア』

●迷惑な愛犬家
『はーいみんな、お待ちかねのおやつの時間よー』
今日も今日とて至福の時間、かわいいかわいい色とりどりの|魔犬《配下モンスター》をかわいがろうと、魔女はそうして合図を送る。甘い香りの宝石達を、思う様に愛でるその時間が、おそらくこの魔女にとては大事なものなのだろう。
が、どうも今回は様子が違って。
『え!? なんで一匹も戻ってこないのかしら……!?』
いつもならばすぐさま駆け付ける彼等が、結構というかかなりの多頭飼いをやらかし飼育崩壊寸前のバーゲスト達が、一匹たりとも現れない。
代わりに姿を現したのは、それぞれの場所で狩りを終えた√能力者達。この迷宮の最奥にして中心、バレンタインフェアの催事場で、両者はついに対峙する。
『よ、よくも私のかわいいわんちゃん達を――!』
飾り付けばかりは豪華だけれど、もはや空っぽになった棚と、大樹と呼べるほどの巨大な木々に囲まれたその戦場に、|魔女《ボス》の怒声が響き渡った。
●
よくも私のかわいいわんちゃん達を。催事場で地団駄を踏む魔女の前で、伽藍は先程手に入れたチョコレートを見せびらかす。
「アンタの可愛いワンちゃんならここにいるけど?」
『は?』
「ほ~ら、ちっちゃくて更に可愛くなった苺チョコちゃんだぞ♡」
「ほう。もしや、これもお主のものだったか?」
ツェイもまた先の戦闘で手にしたチョコレートの欠片……つまりは魔犬達の名残というか残骸を手にして問う。敵の方は、それを目の当たりにしてショックのあまり固まっているようだ。
――なんということを。あのかわいい子達を元の姿に戻した挙句、自分のものにするなんて。
「かわいい、かわいいかぁ……」
怒りに震える魔女の様子を横目にしながら、サツキは傍らのハティを撫でる。
「キミ、あまりいい趣味してないよね」
『はァ???』
感性は自由であるべき、どう感じるかは人それぞれだが、そう、他を貶めたらそれはもう戦争である。
「あんなのよりボクの|護霊《ハティ》の方が100倍かわいい」
『意味が分からないわ、そんなトゲトゲもない間抜け面の犬のどこが良いの??』
「ん、今のは聞き間違いかな???」
さすがにサツキとしてもそこは聞き捨てならなかったのか、煽り合いの末に怒気を孕んだ視線が絡む。
「これ、そこな娘御。仮にもあれらの主人を名乗るなら、遊び食べるに不自由させてはなるまいに」
「まぁ、代わりにアタシ達が食べちゃうんだけどさ?」
「確かに、良い感じに焼けはしたのう」
そこにツェイと伽藍が追撃をかけて、魔女は癇癪を起こしたように強く床を踏んだ。
『……ただでは帰さないわよ、あんた達』
√能力によるものだろう、その足元は一気に凍り付き、魔女の両腕には紫電が閃く。
「お主もまた雷を用いるか。宜しい、なれば勝負だのう」
ツェイもまた霊獣の雷をその身に纏い、一気に踏み込んでくる魔女を迎え撃った。やっていることは大分アレだがボス格であるだけに、魔女の実力は確かなもの。だが丁寧に、もしかしたら天然要素も含めて挑発し、激昂させた今であれば、動きはどこか単調になっている。怒りに任せた直線的な攻撃を、ツェイは風を足場に跳ねるようにして躱す。外れた蹴りの一撃が迷宮の床を穿つと、行き場を失った冷気が一帯を凍らせていった。
「ヤダ! 寒い! こっち来ないで!!」
巻き添えを避けた伽藍ではあるが、その攻撃の余波に対して無関係とはいかないようだ。冷たいのはアイスだけで良いのだけど……。
「なんか凍っちゃってるし……歩きにく……」
思わずそんな愚痴が漏れる。が、そう言ったところで『地に足のついていない』者であれば、そんなものは関係ないと思い至った。
「クイックシルバー浮いてたわ」
彼女の護霊が瞬くように明滅し、「やったれ!」という伽藍の声に応じて閃く。分裂して数を増やし、閃光とポルターガイストで『矢継ぎ早』に連撃を繰り出す。敵の呼び出す触手をそれで退けながら、銀の閃きは魔女の動きを阻害していった。
「アンタさー、バレンタインのチョコでこんなんやるとか正気?」
人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやらって言うでしょ。そんな伽藍の問い掛けに、魔女は知ったことかと言わんばかりに応じる。
『それがどうしたってのよ!』
「つまりアタシらに凹られても文句言えないのよ。お分かりで?」
「まあどちらにせよ、人様に迷惑をかける時点でキミへの対応は一つだけさ」
クイックシルバーの連撃によって動きの鈍ったそこに、凍った床に爪を立てたハティが仕掛けた。
「――大体、あそこまで言われて黙っているわけにはいかないね、いくよハティ」
迷惑な飼い主さんにはお帰り願うとしよう。ハティとは逆方向に跳んだサツキは、敵を挟撃できる立ち位置で杖を一振り。流星の一条で気を引き、その隙にハティが牙を突き立てた。
「これが相棒との連携ってやつさ」
『調子に乗らないで! あの子達が居れば私だって――』
「そんなに可愛く思っていたのなら、せめて向こうで詫びておやり」
怒りのあまり狭くなった視野の死角を突き、味方の攻撃によって動きの鈍った相手に向けて、ツェイは一筋の電撃を放つ。か細い雷の鎗は、一瞬の閃光と化して魔女の身を貫いた。
「そして、ちょこの祭典を邪魔してはならぬ」
『痛ったーーーーい!!』
稲光とクイックシルバーの放つ火花、そしてハティの宿した月の光が、空っぽになった催事場の棚を照らし出す。この戦いに勝利し、迷宮を消滅させることが出来れば、きっとそこにも正規の商品が並ぶはず。
「ちゃんとフェア開催されたら、またチョコ買いに来よっと」
そんな呟きを残しつつ、伽藍は勝利のための追撃を仕掛けていった。
●
「あの犬? たちは貴女のわんちゃんでしたの」
先程蹴散らした狩りの対象を思い返しながら、鳰が首を傾げる。自分の相手していた群れはもとより、他の√能力者が相手取った分も合わせると、それはかなりの数になるような。
「多すぎません? 全ての健康管理できていました?」
「世話をしきれない多頭飼いは、飼う側も飼われる側も不幸になるので厳禁です!」
昨今は無謀な多頭飼いに対する世間の風当たりは厳しいらしい。鳰の指摘にオリヴィアも同調し、魔女を咎める。
『なによ! 美味しいお菓子に囲まれて、のびのびと暮らしていたでしょうが!!』
「そうでしたか? まあ全てチョコにしてしまいましたから、確かめようもありませんけど……」
「それはそれとして、道中に生えてたマシュマロはおいしかったです! ごちそうさまでした!」
『どういたしまして! でもあんたのために用意したわけじゃないわよ!!』
両手足に聖なる炎を宿らせて切り込んだオリヴィアに対し、魔女は自らの手で以て迎え撃つ。輝く炎と魔女の紫電、各々の腕に纏ったそれらが両者の間で爆ぜる。
「魔女という割に、意外と近接寄りな能力してますね……?」
『それあんたが言うわけ……?』
足払いを躱したオリヴィアに対し、魔女は続けて地を這う触手を大量に呼び出した。
「……ううん、気持ち悪いわ」
うぞうぞと動く気配は鳰の目にも映ったらしく、嫌そうな呟きが漏れる。
「この身に悪戯をして良いのはモフモフ愛らしい生物と、千歩譲って主のみと決めておりますので――」
お還り下さいな。振るわれた大太刀が触手を根本から切り払い、道を作る。チョコレートを得るという当初の目的は済ませていたが、元凶を倒すまでが『チョコレート作り』……ということで。
「甘く美しいチョコもワンコさんも愛でたい気持ちは解りますけれど、どちらも他者に迷惑をかけず責任を持ってお願いしますね」
容赦のない追撃、狂刀と化した刃が開けた視界の先で魔女の身を切り裂き、金縛りにした。
一方で触手に捕まれたオリヴィアは、両足に宿した炎を爆発させて推進力に変え、それを力ずくで引き千切る。一度脱出してしまえば、あとはこちらのもの。切り拓かれた触手の合間をジェット噴射でかっとんで、魔女の目の前へと迫る。
「格闘戦には慣れているようですが――」
結局はそれも閃光や触手を活かしてこそ、こうして追い詰められた状態からの対処はまだまだ甘い。
『この……!』
反撃の拳も、オリヴィアにとっては容易に見切れる。防ぐのではなくその隙を逃さぬよう、さらに加速して。
「どりゃー!!」
輝く拳の一撃で、見事に敵を吹き飛ばした。
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「いい感じのチョコを沢山ゲットできましたねぇ、改造するのが今からとても楽しみです!」
「あっ君……どうしてもやらないとダメですか?」
やたらと気合の入った様子の芥多に、レモンがそう訴えかける。口に入れた瞬間に溶けるようで、こんなにも美味しいというのに、さすがに可哀想ではないだろうか。とはいえ、結局それは右から左に流された。
「さて、さっさと片付けて早く帰りましょう。あの可愛いわんちゃん達に負けないくらい俺もおやつの時間を待ち侘びてますし」
「それはいいですね。僕も早く帰って、美味しい紅茶が飲みたいです」
「あ、俺の紅茶はミルクティーのホットでよろしく」
溜息混じりのレモンに対し、当然のようにそう注文を返して。
「ところで魔女代行くん。チョコレートの味の説明がやけに具体的でしたが……」
「それはまあ、食べたからですけど……?」
なるほど、と芥多が頷いた。おやつの時間を一番待ち侘びていたのは、あの犬達でも芥多でもなかったらしい。
とにかく、他の√能力者と戦闘していた魔女に対し、芥多は斧型の怪異兵器を手に立ち向かう。道を塞ぐ触手を順に切り拓いて、とにかく前へ。
そして強引に突き進む彼の道行を、レモンは後方から援護にかかる。『花薫る日輪』、魔法で生み出された陽光が森の上に幻想の花を繁茂させ、触手の侵攻を押し留める。
「あっ! あっ君が落としたチョコはすぐ拾って下さいね」
割と余裕のある道中ではあったか、芥多はやがて魔女の間合いへと至る。
「あっ君が悪い顔してますね……」
「ええ、もうやる気満々ですよ。この後に高級チョコ台無し改造タイムが待ってますので」
「え、殺る気満々?」
やけに物騒ですけど、僕たち正義の味方であってますか? そんな疑問への答えが出る前に、足払いを交えつつ殴りかかってきた敵に対して。
「わざわざ此方へ近付いてくれるとは、もしや殺してくださいアピールですか!? オッケー、承りました!」
その拳ごとばっさりと、芥多の振るった刃が敵を切り裂いた。
●
「さァて惑星チョコ色々も手に入ったコトだし、あとはメイワク愛犬家とやらも片付けてダンジョン攻略完了としようねぇ」
「気を付けてくださいよ、さっきまで貧血で運ばれてたんですから」
「大丈夫大丈夫、なんかやる気出てきちゃったから~」
撤収する構えからダンジョン最奥部に到達していたカナトと時雨、そして邏傳は、この辺りのボス格である魔女と対峙する。見たところ、かわいい飼い犬である配下をやられたことに随分とご立腹の様子だが。
「群れのボスやる気あるならもう少し一頭一頭の状況なり把握しておくべきでしょーよ……」
「お嬢サン気をつけて、|犬愛好家《カナトさん》怒ってますよ!」
「カナトたいちょのお説教こわいぞ~」
まだまだ言い足りない様子のカナトを他所に、時雨と邏傳は魔女の様子を探り見る。当然倒すべき敵であることは変わらないのだが、それはそれとして。
「ちなみにあんな感じの見目タイプな方います?」
「あー結構好きかも。でも見た目っちーか。俺ギャップ感じる子がタイプなんな」
「邏傳くんはギャップに弱い、了解。覚えました」
あらやだ恥ずかしい、などと雑談をしている内にお説教は一段落したらしい。全然響いてない様子の魔女に対して、カナトは手斧を構えた。
「ま、とりあえず殴ろうかァ」
花の香りを纏ったそれをおもむろに振り被り、斬りかかる。相手の力量を考えればそうそう当たるものではないが、カナトからすればそれも織り込み済み、床に突き立った刃を中心に、毒持つベラドンナの花が咲き乱れる。かと思えば敵の攻撃の余波で巻き起こされた冷気が、花畑ごと一帯を凍らせて。
「地形書き換え合戦とでも行こうじゃないかァ」
ある種互角のやりとりに、カナトは不敵に微笑んで見せた。
「うぉぅ、なんかカナトちゃんに近づけん感じになっちょる」
凍ったり花畑やったり綺麗やけど、と邏傳が呟く。凍っていようが毒草畑だろうが踏み込むには少々厳しい。かと言っていつまでも味方の戦闘を見守っているわけにもいかず、彼は詠唱錬成剣を取り出した。
「今の気分は橙色♡焔の剣でGO!」
戦闘錬金術で得物に錬金毒を纏わせて、焔を伴い氷漬けになった周辺を溶かす。凍って霜の降りたその辺りが溶けてきて、移動も容易くなったであろう頃合いに、今度は薄くなった氷を突き破って触手の群れが姿を現した。
「ぎゃー!? いやいや嫌! なんか、うにょうにょ出てきた!?? 無理無理!」
「やだ~触手でお誘い?積極的な子は好みですが、手先でなくご本人にいらしていただきたく」
「あっこれぞギャップ萌え……て、ちがうそうでない! そんで時雨ちゃんは何でそんな余裕なん!?」
「まあ、メインの相手はお二人がしてくれてますからね」
賑やかな邏傳に対して冷静な様子の時雨は、絹索で触手を捕縛する。こちらを狙っていたそれがうねうねと身をっ捩らせるのを何とか抑えて。
「う゛~埒明かん……も、焼き焦がしちゃらぁ! 焼き珍味にしちゃるけ、覚悟しなあよ!」
「もしかして、邏傳くん良い感じに|気分《焔》上がってきました?」
それならここはお任せしよう、「触手丸焼きお願いしますねぃ!」という時雨の要請に邏傳が応えて、焔を燃え上がらせた錬金毒ましまし必殺エレンちゃんが敵の√能力の産物を薙ぎ払う。
「走狗は賢く遣おうねェ」
その間にカナトが足元に忍ばせていた影が走り、魔女にその牙を食いこませる。動きの鈍った相手に対し、逆に勢いを増して迫るのは、先程まで触手を燃えやすいようにまとめていた時雨だった。
『黍嵐』、自らの片目を潰すことを代償に、加速した彼は素早く敵本体に掴みかかる。捉えた相手に、金剛杵の刃を向けて。
「これでお揃い~」
一瞬の交錯で最大限の効果を。鋭い刃は時雨のそれと同様、魔女の片目を奪っていった。
●
「かわいいわんちゃん達の事を怒るならさ、この催事場を滅茶苦茶にされた人達の怒りも察して欲しい所だけれど……」
言うだけ無駄だろうなあと溜息をついて、アステラはわがままな魔女へと向かう。状況的に出し惜しみをする必要はないだろう、体内の竜核炉を全力稼働。生成した魔力を翼に集中させることで、|赫光形態《モドゥス・ルクスルブラ》へと変形、そのまま魔力を推進力に変えて、迷宮内を自在に舞う。
敵の得手とするところは見た目に似合わず格闘戦のようだが、あの攻撃はそれだけにとどまらない。魔力を込めた攻撃の余波は周辺を凍らせ、召喚された触手が地面から、そして天井を伝って伸びていく。
「このままだと近寄りづらいけど……」
広範囲に影響を及ぼす厄介な攻撃ではあるが、機動性の高いこの携帯であれば対処のしようは十分ある。一所に留まらぬよう翼を操り、魔力の噴射量を操って伸び来る触手から身を躱す。
『あーもう、大人しく捕まりなさいよ!』
中々成果が得られず苛立った様子の相手に、今度はこちらから強襲を。急加速して一気に距離を詰めたアステラは、ガントレットの鉤爪を駆使して斬撃を仕掛けた。
とはいえ深追いはせず一撃離脱、今度は距離を取りながら遠隔操作した鉤爪部分で相手を翻弄する。触手と魔女自身の注意がそちらを向いたのを見計らい、今度は魔術光線を降らせて――。
催事場跡を縦横無尽に飛び回り、アステラは一進一退の攻防を繰り広げる。機動力を活かすことで敵の攻撃を逃れ、確実にこちらの攻撃を命中させることで体力を削ってはきたが。
『いい加減にしなさいよね!』
運悪く反撃の拳をもらい、空中に居たアステラの姿勢が崩れる。すぐさま触手が彼女を捕まえて、魔女は勝利を確信したように微笑んだ。こうなってしまえば後はサンドバッグと変わらない……はずだったが。
「この程度で――!」
アステラの翼が拘束を引き裂くように、再度の変形を遂げる。
『えっ』
魔女の戸惑いの声が止む前に、|突撃形態《モドゥス・インペトウス》を取った翼がアステラの全魔力を一気に解放、絡む触手を引き千切りながらの超加速で、アステラは真っ直ぐ敵に突っ込んだ。
ガントレットを先端に構えた超高速の突撃、魔女の身体を捕らえたまま、彼女はその身を部屋の中心に生えた大樹へと叩きつけた。
●
迷宮の最奥、バレンタインフェアの会場であったはずの催事場に辿り着いた散瑠は、ダンジョンのボスを前に短い道中を思い返す。なんだか予想よりも遥か堪能した、というか美味しい思いをできたような。
「かなり満足度の高い迷宮でしたよ、あなたとても優秀な魔女ですね」
『な、なに、わかってくれるの……?』
どうやら予想外の反応だったらしい、冒険者こと√能力者にぼこぼこにされて消耗しながらも、魔女は若干困惑しているように見える。とはいえ、同様にそこに辿り着いたリンカの方は、さすがにそこまで甘くない。
「でもせっかくのボス部屋がこれでは片手落ちというか……お菓子の家とか用意できなかったんですか?」
『うっ』
メルヘン寄りの道中に対してチョコレートの出払ったこの場は確かに殺風景である。それに、チョコレートのモンスター化したものではないこの魔女は、倒したところで何かドロップするわけでもなく。
「確かに、メインディッシュというか……」
「おまけみたいになってません?」
『うるさいわね! あんた達のために用意した迷宮じゃないわよ!』
思ったままを口にしただけなのだが、怒っちゃったなあと呟きながら、散瑠は金属バットを構え直した。何にせよ人間災厄なんてモノが普段『良き人』である為には、こういう場所やこういう相手が必要なのだと彼女は思う。
「ってことで発散させていただきます! お互い遠慮なしでやりあいましょう!」
『遠慮なんかするつもりないわよ!!』
金属バットのフルスイングを召喚された触手が阻む。急速に絡みつくそれを、散瑠はしかし力ずく、質量と慣性で引き千切った。異常質量のバットと魔女の拳がぶつかり合う。しかし触手で勢いを殺されたバットでは、相手を叩き砕くには至らない。
重いものがぶつかり合う音色を響かせながら、両者は反動で一時距離を取って。
「すごい威力でしたね」
「ええ、まあ今ので片腕は折れましたが……」
「はい?」
「大丈夫ですよ、もう片方の腕で同じことやれますからね」
それ残弾1ってこと? 慌ててリンカは『愛義主』の機関砲で牽制射撃を行い、魔女の追撃を防ぐ。代わりに地面に打ち付けられた蹴りと共に、周辺には動きを阻害する氷が広がっていった。
逃げ場を奪ってから全力で――そんな敵の意図は明らかである。むむむと唸って、リンカは対策を思案する。こういう時に思い出されるのは、不本意ながら愛華が前に言っていたこと。
「ええい寒さがなんですか。凍えて当てづらくたって、動かない相手になら命中率は200%です!」
曰く、ハッタリはガンガン効かせろ、どんな時でも自分を信じるのが勝つ秘訣だ――半分くらい精神論ではないかと思うが、こういう勢い任せの相手には気持ちで負けないことも重要なのかもしれない。
突っ込んできた敵の狙い、初手の牽制を見切った彼女は、こちらの動きを狭めるための足払いにあえて盾を合わせ、受け止めた。逆に相手の動きを縛ったところで『時計の針を止める』。愛王怨の時間凍結で周囲の触手と敵の行動を停止させれば後はこっちのもの。かつての彼女の得意技、連携攻撃で大槌の一撃を真正面から叩き込む。
かち上げるような力ずくの一撃で、逆に相手を吹き飛ばせば。
「はい、おーらいおーらい」
残った片手でバットを振りかぶった散瑠が、再度のフルスイングで魔女に致命的な一撃を加えた。
『なによー、もっと遊びたかったのにー……!』
ホームラン性の当たりで吹っ飛んでいった敵のボスが消滅し、√能力者達は無事迷宮の攻略を完了した。うまくすれば、この迷宮もすぐに元の百貨店へと戻る事だろう。
「いやぁ~、楽しい場所でしたねぇ、ここ!」
両腕折れたけど、まあ色々美味しかったし。チョコレートも手に入ったし。全力を振るえてすっきりもした。
「まあ……お土産も手に入りましたしね」
リンカも仕舞っておいた戦利品を見遣って散瑠の言葉に応じる。この後はゆっくりと、それぞれのバレンタインを過ごせるはず。
それぞれの戦果を手に、彼等は迷宮から帰還した。