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残光

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クラウス・イーザリー
ジェイド・ウェル・イオナ・ブロウクン・フラワーワークス

 いつまでも『マトモ』に笑っていたかったのにな、という、漠然とした感情。自らの欠落を悔やんでいる場合ではない。
 いつまでも『未来』を信じていられるなら幸せだ、という、自らの思考を悔やんでいる場合ではない。

 負傷。苦戦。繰り返される攻撃はあまりにも強力だ。遮蔽物としている瓦礫がいつまで保つかを考えながら、左目の濁る視界を少しでも軽くしようと、ジェイドは己の瞼を擦った。何度も繰り返した結果、目尻が痛む。そのうち切れることだろう――その前にこの戦いが終わればいいのだが。動かなくなった左腕を思う。形はしっかり保っているが、それも無理やりに『戻した』結果だ。折れた腕はそう簡単に治りはしない、それこそ√能力を使えばいいが、生憎、それは『相手』が悪かった。
 無数に飛び交う弾丸の雨の中、それこそ短時間の|雨宿り《・・・》。時折爆発物が混ざり、削り取ろうとする。それをなんとか己の能力で相殺しながら、クラウスはジェイドを見た。
「ジェイド! 動ける?」
「んーギリ。まだいけるけど」
「無理してるよね」
「あはは」
 笑ったそばから、爆風が二人を襲う。ざっと瓦礫へと隠れてきたクラウスの視線の先には満身創痍のジェイド。肩、少しばかり吹き飛んだ血肉、引きちぎれた眼帯はどこへいっただろう。血と硝煙の匂い……笑顔だけはいつまでも。だが止血する暇はない。その気になればと覚悟を決めているのだ、自身の負傷については二人とも『知ったもの』だった。

 出てこいと叫ぶその声には嘲るような笑いが混ざっている。逆上した|人間《・・》というものは時に恐ろしいものだ。
 ありとあらゆる手を使い、足を使い、体すべてを用いて二人を炙り出そうとしている。それだけの蓄えが相手にはあり、こちらは決め手に欠ける――そのような状態が、十数分ほど続いていた。
「イーザリー先輩は? あっち、どう?」
「ちょっと……どう手を付けたものかなって」
「あー」
 感嘆。返答に困った末の笑い声だ。――『希望』を失っているクラウスには、少々抽象的な発言だったか。ジェイドは静かに目を細めた。
 彼は、この状況からの突破という希望を持っていない。ただ思考し、理論を立て、どうすれば現実的にこの危機を突破できるかを考えている。それに『もし』や『きっと』という言葉は殆ど含まれていない。だからこそ、言葉に詰まったのだろう。
 額から垂れてくる血液を拭い、背を預けていた瓦礫からジェイドはゆっくりと体を起こす。そして陰から望んだ先、見事に掠めていく攻撃。まったく執拗である。手数の多い相手と距離を取ってしまった。それが生み出したのが、この状況だった。

「……もたないな」
 猛攻は続いている。このままでは消耗したところを狙い、そのうち距離を詰めてくる。
 敵の弾幕の間隔、瓦礫が崩れる順番、相手の残弾、自分の能力で相殺できる回数。クラウスは希望ではなくて条件を見ている。
 拳銃での牽制で一時的に抑えられたとしても、次弾はすぐに飛んでくる。……クラウスの前で、最後まで『大丈夫』でいようと考えていたが、どうやらそれは叶わなそうだ。

 ……ゆっくりと腰を上げたジェイドを見たクラウスは、その笑顔の奥にあるものを見つけてしまった。
 ジェイドは死ぬことを恐れていない。
 それは二人が交わした約束でもある。いざというときは互いを殺す。ひとりで死ぬくらいなら、一緒に死んでも構わない。そんな機会が訪れないことこそが最もよいことではあるが、それは希望的観測だ。
 だからこそ、クラウスは思う。
 自分がジェイドを殺すことはできる。ジェイドに殺されることもできる。一緒に死ぬことだって、できる。
 けれど――それだけは『まだ』、したくない。
 民間人の避難は終わった。残るは|奴《・》の撃破のみ。刺し違えてでも排除する。それが二人の共通の認識。

「イーザリー先輩、ちょっと頼みがある」
 覚悟は疾うの昔に決まっていた。動かない腕がある。対する相手はどうだ。負傷しながらも五体満足。なれば考えられるのは――。
「……ジェイド」
「ん?」
「それ、今言わないで」
「でも必要だろ」
「必要じゃない」
「必要だよ」
 得物をゆっくりと指先で撫でるジェイドを見て、クラウスは眉をひそめる。腕を引きずり立ち上がるジェイドを見て、思わずクラウスはその肩を押さえようとした。それでもジェイドは立ち上がり、真っ直ぐと――クラウスを見つめて。

「俺があっちに出て引きつけ――」
「だめだよ」
 クラウスは、それが単なる作戦ではなく『自分を囮にしてクラウスに決め手を作らせる』ことだとすぐに理解した。自滅行為だ。それを平気で行おうとするのが、|彼ら《・・》だった。

「任せとけって」
 あまりにも頼りない言葉だった。あまりにも、恐ろしい言葉だった。思ったより簡単に振り払われる手。飛び出していった影を追う腕は、伸ばされたまま。

 飛び出していった影は、撃ち抜かれる肉を、貫く弾丸を気に留めず――至近距離。

「それじゃ、オサラバしようぜ!」
 ――鎖鎌の文鎮鎖で捉えた腕。爆発。爆ぜる左腕は両者のもの。怯んだ隙に右腕が刃を振るう。深く切り込まれた相手が倒れるのを既のところで耐えたところに、クラウスが切り込んできた。蒼い光が奔り……両断。
 決着は、一瞬だった。

 後に残るは、二人だけ。ぼろぼろになって、それでも立つEDENと。物言わぬ死体となった簒奪者。

 ようやく訪れた静寂の中で、ふらりと。意識が途切れかけたジェイドを、クラウスは抱き留めた。失った腕の分が、軽い。こんなに軽くてたまるか。吐き出したくなる言葉をぐっと堪えて、彼はジェイドへと声をかけた。
「ジェイド」
「……ん」
「俺が、……」
 ジェイドは笑う。けれど、いつものように軽く返すことができない。何を言いたいかわかってしまった。構えられたままの拳銃を見て、それが首筋に当てられるのを見て、『笑う』ことしかできなかった。ゆっくりと体を横たえようとしたが、ジェイドはそのままその場に座り込む。

 クラウスとて、ジェイドを殺したいわけではない。生きていてほしい。けれどクラウスには『希望』がない。だから、未来を信じて待つという言葉を持てない。それにこんな傷を負って――ぼろぼろの体で――何分も、苦痛を味わわせたままで、いたくなかった。
 彼に「生きて」と言う代わりに。
 彼に死んでくれというのも。言葉にできずに。
 その歪んだ願いを知っている。
「……クラウス」
 誰もいない。もう、誰にも聞かれることはない。
「終わったよ」
「そっか」
「ああ」
「……じゃあ、もういい?」
「いいんだ」
 言外の意図。何が『いい』のか言わない。戦闘を続けなくていい、笑ってなくていい、立ってなくていい、死んでもいい。
 ジェイドにとって死は、それほど恐ろしいものではない。クラウスと一緒ならばなおさらだ。死んだところでどこかで蘇る。気にしなくたっていい。ただ、ジェイドにとっては謝られるのも。殺める感覚を覚えさせるのも。
「……なんか、嫌だな。そんな顔すんなよ」
 手が伸びてきた。ぽんと肩に置かれた|残った《・・・》手、その言葉に、クラウスは困ったように笑う。
 自分はジェイドと一緒に死ねるなら幸せだと思っている。ジェイドの隣で終われるなら、それでいいと思っている。
 だからこそ、ジェイドの『嫌だ』という言葉が理解できない。それでも、理解できなくても、手放すことだけはできない。

「ジェイド。大好きだよ」
「知ってる」
「だから、生きて」
「それ、希望?」
「違うよ」
「じゃあ、なに」
「お願い」
 ジェイドはまた笑う。笑うことしかできない自分を、少しだけ悔やみながら。それでも、その笑顔を見てクラウスは、少しだけ前を向けた。覚悟は決まった。あとは決行するだけ。いつ、『そうするか』だけだ。
 二人の間に、わずかな沈黙が落ちる。聞こえるのは、風の音と、お互いの浅い呼吸だけだ。
 クラウスはかける言葉もなく、ただ重い吐息をこぼした。その掠れた呼気が、冷えた空気に溶けていく。言葉を飲み込む喉の奥が、自分でも驚くほど乾き切っていた。

 指先に触れるジェイドの体温は急速に奪われ、傷口から流れる血の熱さだけが生々しく掌を濡らす。
 ぽんと肩に置かれていたジェイドの右手から、ゆっくりと熱と力が抜けていく。クラウスの肩を滑り落ちた唯一の腕が、乾いた音を立てて地面に伏した。
 濁った左目の奥で、ジェイドはただ、自分を見下ろすクラウスの歪んだ表情を愛おしそうに焼き付けている。『もしも』なんて言葉は、クラウスの頭の中には端から存在しない。 奇跡も、都合の良い救済も、希望という名の曖昧な幻想も、彼の冷え切った思考回路はすべて弾き出してしまう。目の前にあるのは、ただ壊れかけた肉体と、今まさに途絶えようとしている生という『事実』だけだ。

 ここで彼を終わらせることが最も合理的で、約束に沿った正解なはずだった。それなのに、喉の奥に熱い塊がつかえて、言葉がどうしても形にならない。簡単に絶望すらできない冷酷な頭脳が、ジェイドを失うという一点においてだけ、酷く歪んで機能不全を起こしていた。

 未来を信じたわけではない。生きられると思ったわけでもない。だからこうするしかない。
 ただ『お願い』を聞き届けるために、一度だけ前を見る。

 ジェイド、と、もう一度だけ呼ぶ。返事はない。それでもクラウスは待つ。待ってしまう。希望なんてないのに、次の言葉が返ってくる可能性だけは捨てきれず、だからこそそれを『希望』とは呼びたくなかった。ジェイドの口元が、ほんの少しだけ動く。笑ったのか、それともただ息を吐いただけなのか。クラウスには最後まで分からない。それでも、その僅かな動きを見届けることだけは、やめられなかった。

 夜明けが迫る。戦場には、壊れた瓦礫と血の跡、死体だけが残っている。
 昇り始めた光は、二人に未来を約束するものではない。東の空がゆっくりと白んでいく。地平線から差し込む薄桃色の光は、二人の勝利を祝福するためではなく、ただ残酷に壊れた戦場の現実を照らし出すためだけに存在していた。
 未来の約束など、どこにもない。目の前にあるのは、血の匂いと、静かに失われていく体温と、重なり合う二人の途切れ途切れの吐息だけだ。

 それでも。
 暗闇が消えたあとにも、互いへの感情だけは残っている。

 クラウスはゆっくりと息を吐き出した。手のひらに残る冷たい鉄の感触が、自身の指先と、ジェイドの肌を通じて痛いほど伝わってくる。立ち上っていた血と硝煙の熱気すら、差し込む朝の光の冷たさに塗り潰されていく。 躊躇いの時間はもう終わった。感情を感情のまま抱え込むことをやめ、ただジェイドの『お願い』を果たし、その苦痛を終わらせるためだけに。

 ジ、と小さな音が鳴って。ごとりと地面に|何か《・・》が落ちる音がして。そうして……トリガーに指をかける。銃声がひとつ、高く響いた。
 朝焼けの明かりに照らされるは折り重なった、物言わぬものたち。ただ次なる『希望』を信じたものと。ただ『後悔』のないよう、道を選んだもの。

 希望がなくても。未来を信じられなくても。感情だけは、消えずに残る。
 二人の間にあるのは、愛と呼ぶには恐ろしく、純と呼ぶにはあまりにも醜く、それでも互いにとって何より大切な感情だった。
 それが二人にとっての『残光』だ。

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