シナリオ

光の淵、闇の先

#√ドラゴンファンタジー

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●√EDEN:日本、成田国際空港ラウンジ
「今回はかなり長旅です。異世界への道は見つけてありますが、そこまでが遠いんですよ」
 星詠みの|捌幡《やつはた》・|乙《おと》は、チケットの束を見せた。
「……年末に仕事をお願いした時、何故かその時の宿代が経費で落ちると思っていた方々がいるみたいで、終わってから色々ごたつきまして……。
 物凄く手間だったんですけど、今回は往復の飛行機チケットを手配しました」
 非常に不本意かつむすっとした顔で、チケットを突き出す。
「そういうわけですから、有り難く使ってくださいね。本当に大変だったんですから」
 なんとも恩着せがましい話である。

 それはさておき、乙は改めて仕事の内容について説明を始める。
「そのチケットを使ってフランスまで渡り、その後私が見つけた異世界への道を経由して√ドラゴンファンタジーへ移動してください。
 |√EDEN《こちら》で言うとブルゴーニュ地方のあたりに、「ドローワ」という小さな冒険王国があります。そこが最終目的地です」
 乙はタブレットを操作し、一同に見せた。冒険王国といっても、さして大きくはない|共同体《コミューン》のようだ。
「このドローワには|光と闇の狭間《アントゥル・ルミエール・エ・テネブル》と呼ばれるダンジョンがあります。
 仰々しい名前ですけど、これ自体はそこまで変わったところじゃないんですよ。淡く光る苔があちこちに生えた、地下湖のある洞窟というか……その明るさと水の中の暗さからついた名前みたいですね」
 牧歌的光景の中、ぽっかりと開いた洞窟の間口を表示し、指で液晶を叩く。

「このダンジョンの最奥に、何か強力なモンスターが出現したみたいなんです。放っておくと加速度的に被害が広がります。その前にダンジョンを攻略して、モンスターを倒してください」
 問題のモンスターがいかなる存在なのかまでは、ゾディアック・サインからは読み取ることが出来なかったという。
「ダンジョンの中がどんなふうに変貌しているのかについても、現時点の私にはわかりません。なので、ドローワで情報を集めた方がいいと思います。
 実はこの王国では、今、ちょうどワインの収穫に関する大きなお祭りをやっているみたいなんです」
 乙は画面をスワイプし、√EDENでのフランス・ブルゴーニュ地方における祭りに関する情報を表示した。
「丁度この時期、|√EDEN《こちら》のフランスではサン・ヴァンサン・トゥールナントという、似たような催しが開かれているらしいです。おそらく|√ドラゴンファンタジー《向こう》では少し変質したのではないでしょうか。
 ようはお酒の収穫祭なので、冒険王国ではワインが飲み放題ですよ。色々料理なんかも手に入るかと」
 言ってから、乙はジト目で一同を見た。
「もちろん未成年の方は呑んだらダメですし、ダンジョンに入るんですから飲み過ぎは禁物ですよ。私が言いたいのは、お祭りの中で冒険王国の人達から情報を集めてほしいということです。
 ……多分ですけど、大人よりは子供の方が情報が集めやすいと思います。当然皆さんお酒を呑んでるわけですから……」
 乙は呆れた表情で息を吐いた。
「とはいっても、相手は子供ですからね。こんなお祭りだと暇を持て余しているでしょうし、皆さんは立場上冒険者ということになるわけですから、ただ話を聞こうとしても難しいはずです。
 遊んであげたり、からかってくるのをうまく受け流したり……それなりに相手をしてあげてください」
 勿論、ダンジョン内部に忍び込んだ子供がいるはずもない。あくまで伝聞(または誇張や勘違いの含まれた)情報ということになる。
 情報の真贋を見抜く目や、手がかりから推理する素養も重要になるはずだ。
「正確な情報が手に入れば手に入るほど、ダンジョン内部の探索やモンスターとの戦いは有利になるはずです。
 祭りを楽しむなとは言いませんけど、あくまで目的はそちらが重要だというのは忘れないようにしてください」
 最後に乙は改めて言い含め、√能力者達を(彼女なりに)激励する。
 しばらくして飛び立つ一機の飛行機を、乙はラウンジから見送った。

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第1章 日常 『押し寄せる子供の群れ』


●√ドラゴンファンタジー:冒険王国「ドローワ」
 飛行機で片道半日以上、さらに高速列車などを乗り継いで3時間以上。もちろんその間に異世界の道も経由する。
 独自の移動方法を持たない√能力者であれば、おおよそそのぐらいの旅程を経て辿り着いた先にドローワはある。
 通りには石積み住宅やレンガ造りの三角屋根が立ち並び、漆喰を分厚く塗り込んだ壁からは長い年季が感じられた――だがそんなノスタルジックな空気など、そこかしこに漂うワインの香りであっけなく吹き飛んでしまう。
 祭りの開催を祝う楽隊の音が賑やかに響くなか、また新たに樽の栓が抜かれる。そのたびに陽気な人々は朗らかに収穫を喜び、まだ午前中だというのにすっかり出来上がっている観光客も珍しくない。

 露店めいて軒を連ねるのは、近隣の葡萄農家や流れの料理人、あるいは地元の料理好きの主婦やしわくちゃの老婆とプロもアマチュアも入り混じった顔ぶれだ。
 遠方から買い付けのために訪れた業者らしき、仕立てのいいスーツの紳士や淑女は、ワイングラスを手に何やらワイナリーの経営に関して難しい相談をしている。
 一方子供達はというと、人混みの中をうろちょろと駆け回って鬼ごっこをしたり、半ば開放されているどこかの家の庭先に集まり、ビュットの代わりにワインの空き瓶を使ったペタンクを遊んでいたり、思い思いに過ごしている。
 中には大人の嗜好品に興味を持ったませた子供が店の裏手に忍び込んでは、目ざとい大人に見つかって慌てて逃げ出していた。
 勿論、冒険王国であるからには冒険者が集まる酒場も存在する。件の地下洞窟のすぐ近くに建つ一軒の酒場がそれだ。しかしこんな祭りの日に酒場が盛り上がらないわけもなく、中では誰も彼もが宴会じみて歌い騒いでいる有様である。

 どこの冒険王国にも珍しくないだろう、牧歌的な収穫祭の光景だ。
 喧騒に溶け込み祭りを楽しむにせよ、生真面目に情報を集めるにせよ、まずはワインで口を湿らせるのがいいかもしれない――当然、大人に許された特権なのだが。
戦術具・名無
神元・みちる

●冬空の下で
「よっと!」
 神元・みちるは勢いよく金属球を放り投げた。ボールは中央に立てられたワインの空き瓶にコツンとぶつかり、地面を転がる。倒れ込んだワインの空き瓶は、そのまま勢いよくコートの外へ転がり出てしまった。
「あーあ。それじゃぼくらの得点になっちゃうよ?」
 相手チームの小さな男の子が、得意げに言った。
「当てたらダメなんだよ!」
「あ~、なるほどな? 近づけるってそういうことか」
 みちるは味方チームの女の子のアドバイスに頷き、頭を掻きながら笑って詫びた。

 これはペタンクという、フランスではポピュラーなゲームだ。
 サークルの中から出ないように金属のボールを投げ、ビュット――本来はワインの空き瓶ではなくボールを使う――を狙い球を投げる。
 お互いの球の位置を競い、よりビュットに近く球を配置出来たほうが特典を得られる、というわけだ。
 この場合、みちるはビュットを外に押し出してしまったので、まだ球が残っている相手チームが得点を得てしまう。
「じっとしてなきゃいけないからむずかしーな! あたしはもっと動き回るのが得意でさー」
 みちるは軽く言いつつ、新たなゲームに興じた。

(「……みちる、みちるってば」)
 そんな彼女の脳内に響くテレパシー……語りかけているのは、みちるが装備する日本刀だ。より正確には、その中に宿る意思、すなわち戦術具・名無である。
(「ん? なんだよ名無。今いいとこなんだって。これけっこうテクが要るんだ。集中しないとなんだよ」)
(「それはごめんなさい……って、違いますよ!」)
 名無はノリツッコミした。
(「あなた、目的忘れてませんよね?」)
(「目的ぃ?」)
 みちるは視線を上にやり、考え込んだ。

 ……若干の間。

(「……ああ、うん! 目的な。うん、わかってるわかってる」)
(「今の沈黙はなんですか!? 絶対忘れてましたよね!」)
 名無がインテリジェンスウェポンでなかったなら、物凄い勢いで喚いていたことだろう。まあ、念話としては実にやかましいのだが。
(「いいですか? わたし達の目的は、これから突入するダンジョンの情報を……」)
「ほっ!」
 みちるは無視して金属球を投げた。コツン、とワイン瓶に軽くぶつかりつつも、倒すことなく落下する。
「すげー! もうコツ掴んでる!」
「まーな! 運動は得意なんだよ」
(「みちるー。わたしの話無視してますよねー??」)
 名無は大変不安になった。

 子供達と遊ぶ前も、
『うお! これ美味しーぞ! なんか……卵だ!』
 正しくはミッシュマッシュという、スクランブルエッグのような料理である。ブルガリアからやってきたという、流れの料理人の屋台で供されていたメニューだ。
『美味しいものばっかりで楽しくなってきたな! 次はあれ食べるかー!』
 とかなんとか、すっかり食べ歩きに夢中だった有様だ。

 で、現在。
 食後の運動などとしゃれこみ、子供達と遊び始めたはいいが、完全に遊ぶことに夢中になっていた!
「よし! じゃー次はあたしが提案する番な! 今度は走ったり動き回る奴にしよう!」
「「「わー!」」」
(「ああー、ダメですねこれは、完全に夢中になってます……」)
 名無は呆れつつも、なんとか子供達の会話の中にそれらしいものはないか注意深く探った。
「じゃあ舟遊びがいい!」
「だめだよ。今は川も空っぽだろ?」
 少女と少年の会話が耳に入る。
「それじゃ鬼ごっこだな! あたしが鬼だぞ!」
(「みちるは全然気にしてないですね……しかし川、ですか。ふむ……」)
 名無は遊び呆ける相棒のことはもう放置し、考えた。
 例のダンジョンは、その名の由来になる地下湖があるという話だ。となれば川はその地底湖に繋がっているのが妥当だろう。
 その川が干上がっているというのは奇妙な話だ。本来川に流れているべき水はどこへ行ってしまったのだろうか……?

春埜・紫
二階堂・利家
スノードロップ・シングウジ

●食べて、飲んで、ついでに歌って
「フランス、いいな……!」
 二階堂・利家はじんわりと温かい気持ちになっていた。右手にはワイングラス(もう空になってる)、左手にはウフ・アン・ムーレット――赤ワインのソースを使ったポーチドエッグ――入りの小皿。完璧にワイン祭りを楽しむ装備が出来上がっていた。なんならもう呑んでいる。
「フランス語通じない時はちょっと焦ったけど、意外とジェスチャーでいけるしな! いやーわざわざ足でここまで来た甲斐があったなー」
 |職業冒険者《ダンジョンエクスプローラー》を標榜する利家にとって、旅は日常だ。しかしわざわざ、このような海外のコミューンまで足を運ぶことはあまりない。でもってダンジョンのことは頭から抜けていた。
「それにしても、現実はままならないな。これがゲームなら、ワープゾーンとかそういう便利なのがあっても……いやでも√能力を使えばAnkerは呼び出せるのか……?」
 酒が入ったせいか、ものすごくどうでもいいことをブツブツ考えている。

 とまあそんな感じでカリカリのバゲットを浸し、ブルゴーニュの味を堪能する利家だったが、ここでハッと我に返る。
「しまった、調査を忘れていた!」
 途端にほんわか旅気分は消え失せ、利家は慌てて周りを見渡した。あちこちが賑わう人混み、大人連中は大体さっきまでの利家と同じように酔っ払っているか、完全に陽気に祭りを楽しんでいた。あそこらへんに話しかけてもどうにもならなさそうなことは、ついさっき自分自身で身を以て証明してしまっている!
「子供、子供だったよな……いやでもフランス語喋れないぞ俺……!」
 右を見て左を見てあたふた。冷めないうちにバゲットをもぐもぐ。美味しい。とろっとろの卵と濃厚な赤ワインのソースが絡み合い極上だ。ワイン泥棒などと渾名されるだけはあり、もうこれでもかとワインが進む。
「ってそうじゃな――おっと!?」
 再び我に返った利家は、何者かにぶつかった。

「|あら、ごめんなさい《Oh pardon》!」
 ぶつかった相手は、金髪に紫色の瞳、黒い羽根のセレスティアル。誰がどう見ても日本人には見えなかった。そもそもフランス語で謝罪しているのだ!
「えっ?? あっ、ごめんなさい!」
 利家は反射的に謝り、そして困った。何を言っているのかさっぱりなのである!
「まずいぞ、どうしよう! えー、あー……キャ、キャンユースピークイングリッシュ!?」
 相手の女性は目をパチパチと瞬かせると、苦笑した。
「オー……モシカシテ、√能力者の方デスカ?」
「えっ」
 ここにきて新展開である。相手はカタコトの日本語で喋り始めた上に、√能力者だったのだ。
「ワタシ、スノードロップ・シングウジと言いマス。失礼シマシタ」
「よ、よかったぁ、日本語通じた……!」
 利家は安堵に胸を撫で下ろした。おまけに√能力者とくれば、いよいよもって幸運だ。彼は意を決した……。

 一方その頃。
「なんか、コスプレしてる人が妙に多いわね。そういうお祭りなのかしら?」
 と、何食わぬ顔で祭りの中に紛れ込む少女。彼女の名は春埜・紫と云う。
 今しがたの台詞、よく考えると違和感があるかもしれない。それもそのはず、彼女は√能力者ではないのである!
「今年のワイン祭りは行きやすいって連れてこられたのに、向こうが迷子になっちゃうし……どうしたもんかしら」
 見かけにそぐわぬ大人びた口調で、紫は妙な違和感に首を傾げる。どうやら数奇な縁で、どこかの異世界の道から√ドラゴンファンタジーに迷い込んでしまったらしい。
「……あれ? スマホが圏外になってる」
 当然、√EDENで使えるただのスマートフォンが、異世界で使えるわけもなかった。紫はしばし沈黙した。
「さすが田舎ね、こんな街中で圏外だなんて」
 偏見が過ぎる!

 と、その時である。ギャアーン! と、エレキギターのサウンドが紫の耳に届いた。
「ギター? フランスの田舎町なのに、ロックでもやるの?」
 紫は興味を惹かれ、そちらへと近づいてみた。自分と似た年代の子供達が集まっており、その中心には金髪の女性――つまり、スノードロップ。
「ガキども! 今から私の路上ゲリラライブを披露してやるから聞いてきな!!」
 スノードロップは本来の勝ち気な口調で叫び、もう一度ギターをかき鳴らす。
「子供限定でリクエスト受け付けてやるわ。なんでも言いなさい!」
「「「すげー!」」」
 娯楽に飢えた田舎(諸説あり)の子供達は、珍しいギターソングに興味津々だ。
「うわーライブだー! 楽しそうだなー! えーっと……貴様見ているな! 今目が合った! はいこっち!」
 で、そもそも子供達の注目を頑張って(日本語で)集めているのは、協力を頼んだ利家である。聞き慣れない言語で(若干出来上がった)大人が大仰な身振り手振りをして騒いでいれば、否が応でも注目は集まるというものだ。
「何? 大道芸人……??」
 紫もこの通り興味を惹かれているので、ある意味成功と言える。

 さて、スノードロップは子供達からの奔放なリクエストに次々と応え、レゾナンスディーヴァにふさわしいテクニックで即興のギターを披露した。
「あら、他にも日本人の子供がいるじゃない。ちょうどいいわ」
「えっ」
 紫はスノードロップの視線を受け、ぎくりと身を固くした。
「って、もしかしてフランス語分かってる? まあいいわ。ほら、リクエストあるなら教えなさい」
「……料金とかは後で請求されないわよね?」
 スノードロップはきょとんとし、鼻白んだ。
「ガキだと思ったら背伸びしたこと言いやがるわね。いらないわよそんなの、代わりに知りたいことがあるの」
「知りたいこと……?」
「そう。|光と闇の境界《アントゥル・ルミエール・エ・テネブル》。知ってる?」
(「何その厨二病溢れる名称……!?」)
 紫は愕然とした。だが、あのだいぶ出来上がってる男(※利家のこと)と違い、スノードロップはシラフだ。しかもわざわざリクエストの対価に聞いてくるということは、地元の名所か何かなのかもしれない。
「えーっと……ごめんなさい、私観光客なの。でもせっかくだし、私も他の子を集めるの手伝ってあげる」
(「てっきり別口の冒険者かと思ったら、そういうわけでもないのかしら……?」)
 やけに聞き分けがよくて協力的な紫の態度に対し、√能力者にしては妙にオーラがないというか、ふるまいの節々に違和感を感じるスノードロップ。が、その思考はさっさと切り捨てた。
「見上げた精神ね。私のゲリラライブなんてめったに聴けるもんじゃないわよ、たっぷり集めてきなさい!」
 ……と、このようにして、なんだか偶然に偶然が重なり、ゲリラライブは意外な盛況を見せたのである。

 ところで、肝心の情報についてはというと。
「あの洞窟には、伝説の勇者のお墓があるんだよ!」
 紫に誘われライブに集まった少年が、得意げに言った。
「お墓ぁ? それ、どういう勇者なの?」
 スノードロップは腕を組んで促した。
「洞窟に住み着いていた悪くて強いドラゴンをやっつけたんだ。この冒険王国は、その勇者さまが作り出したものなんだぜ!」
「……えーっと、なんて言ってるか全然わかんないんだけど……」
 隣で聞いている利家は、ちらりとスノードロップを見た。
「ダンジョンノ奥底ニ、勇者サマのオ墓ガアルそうデース、ホントデスかネー?」
 スノードロップはカタコトの日本語で説明した。
(「喋り方のせいで性格まで全然違ってるじゃない……!」)
 聴衆に紛れた紫は、思わず心のなかでツッコんだ。

七々手・七々口

●冒険者の酒場にて
 七々手・七々口は子供には目もくれず、真っ先に冒険者の酒場へ向かった。なお、酒場の名前は「埋もれたモグラ亭」と云う。
 カララン。ドアベルの音――を、かき消す賑やかな騒ぎ声が七々口を出迎える。あまりの騒がしさに、七々口はぶわりと尻尾を膨らませた。
「ほんとに誰も彼も酔っ払ってるなぁ。まあワインも美味しいしねぇ」
 七々口は大して気にせずカウンターへ。
「店主さーん、ワインくださーい」
「うぃー、猫が酒呑むのかぁ? 俺ぁ酔っ払ってねえぞ、ヒック!」
「うわ、出来上がってる」
 店主ならわりとシラフかもしれない、という展望はあっけなく打ち砕かれた。どうする、七々口!

「ま、いいや。とりまボトル2本、あとツマミをテキトーによろしく」
 全く気にしない! さすがは猫である!
「猫がボトル2本も呑むってよ、タマネギでツマミ作ってやるか! ワハハ!」
 酔っ払っている店主は作り置きのグジェールを皿によそい始めた。
「ところでさぁ、ここにあるダンジョンのことなんだけど……」
「うぃー、ひっく……あー、|豚もも肉のハム《ジャンボン》はどこにあったっけなぁ」
 聞いていない。酔っ払っているからだ。
「……ま、いっか。冒険者の話に耳をそばだてれば、なんか聞こえてくるでしょ」
 七々口はやっぱり気にしなかった。猫だから!

 そしてあちこちで交わされる噂話をそれなりに聴いてみた七々口だが、やれ「ダンジョンの奥深くには黄金郷に通じる扉がある」だの、「実は隠されたもう一つのダンジョンがあってそちらは手つかず」だの、あまり信憑性のない噂ばかりが聞こえてきた。
 裏を返せば、この冒険王国に件の洞窟以外のダンジョンは存在しないということでもあるが、敵の正体に繋がる噂はあまりなさそうだ。
 ということは、出現したモンスターはそもそもこの地に根ざしていない存在ということなのだろうか?
「ブルゴーニュワイン、美味しー」
 七々口はあんまり深刻に考えていなかった。猫だから!

天勝・牡丹

●喧騒の中
 ガヤガヤと賑わう通りには、ワインの芳香と空腹を刺激する様々な郷土料理の匂いが混ざり合う。そして何より、上機嫌で酒に舌鼓を打つ大人達の笑い声と、調子がやや外れた――しかし誰も大して気にしていない――様々な楽器の音。まさに、祭りのよくある風景だ。

 しかし、そんな賑わいの只中で、天勝・牡丹は人々の陽気に混じることもなく泰然と佇む。冬の寒風にヴェールが揺れ、細い首筋と形の整った口元が垣間見えた。
「騒がしいですね――祭りなのですから、当然ですが」
 呟く声は鈴のようで、しかし優しげである。ハイカラな服装も、異郷にあっては余計に浮くと見え、時折通りがかる人々が興味深げに振り向くのを、牡丹はさして意に介さず彷徨い歩いた。
「……右を見ても、左を見ても、酔っ払いばかり」
 呟きに嘆息が混じり、ヴェールの下の柳眉が顰まる。脳裏によぎったのは、この場に居たら悪癖を発揮していたであろう丸サングラスの知己だろう。さぞかし呑み歩き、食べ歩き、既に路端に転がってワイン瓶を抱えてぐーすかいびきをかいているはず。存在しない幻影が浮かび、牡丹はこめかみに指を添えてもう一度息を吐いた。

 色んな意味で頭が痛くなる賑やかな通りからは離れそぞろ歩くと、当然好奇の眼差しが注がれる。子供というのはそのあたり遠慮がないものだ。大人であれば失礼だと感じ目を逸らすものだが、いい意味でも悪い意味でも無垢な視線が、じろじろと注がれる。この程度は、牡丹にとっては珍しいことではない。
「私が珍しいですか?」
 牡丹は軽く微笑み、自ら話しかけた。子供達は顔を見合わせ、牡丹の額を指差す。
「頭のそれ、飾りなの?」
「教えてあげてもいいですけれど、せっかくですしこうするのはどうでしょうか」
 牡丹は懐から、子供達には珍しい飴細工を見せた。
「鬼ごっこをしましょう。10分以内に私に触れられたら、あなた達の勝ち。このお菓子をあげますし、聞いてくれたことにも答えますよ」
「ほんと!?」
「ただし」
 口元が緩く微笑む。
「私が勝ったら、教えてほしいことがあるんです」

 ……物静かで瀟洒な振る舞いに紛れているが、伊達に霊剣士ではない。
 戦場に身を置き、踊るように敵を斬り伏せる牡丹が、ただの子供に運動で負ける道理もなかった。結果は、当然の完勝。
「お姉さん、全然捕まえられない……!」
「残念でした」
 牡丹はしゃがみこみ、飴細工を子供に差し出した。別の子供には代わりに金平糖だ。
「ですが楽しく遊んでくれたので、こちらをあげますね」
「「「やったぁ!」」」
 思わぬご褒美に沸き立つ子供達。牡丹はごく自然に話を続ける。
「ところで……この王国には、不思議な名前で呼ばれる洞窟があるそうですね? 何か最近、変わったことなどはありましたか?」
 子供達は顔を見合わせた。
「知らない」
「入ったら危ないし、近づかないもん」
 殆どの子供が口々に云う中、一人の少女が言った。
「あ、あのね……ほんとのことなんだけど」
「疑ったりしませんよ。教えてくれますか?」
「……わたし、とっても怖い雄叫びを聞いたの……まるで、ドラゴンみたいな低い唸り声が、地面の下からちょっとだけ聞こえてきたんだ」
「竜のような……」
 牡丹は顎に手を当て、思案する。少なくともこの地に、竜にまつわる伝承がある――という話は、星詠みからは聞いていない。
 地面の下というのも奇妙だ、この√に於いて、ドラゴンはもっぱら空を征服していたそうだが……。
(「あとで洋酒で唇を潤しながら、もう少し精査してみましょうか」)
 牡丹は微笑み、少女にお礼のお菓子をもう一つ渡した。この情報は、「関連する伝承やそれらしいモンスターが一切この地に残っていない」という点から、翻って信憑性を高めることとなる。

ヴィルヴェ・レメゲトン
久瀬・八雲
トーニャ・イントラット

●情報は胃袋から
 オープンテラスめいていくつかのテーブルを用意した野外レストランに、ふらふらと寄ってくる2つの人影あり。
「いやー、こういう旅もいいものですね! 乙ちゃんは太っ腹です!」
「つまらん……飛行機とやらは実につまらん……!」
 偶然隣り合った二人――久瀬・八雲とトーニャ・イントラットはお互いを見た。
「いやいや! そんなこと言ったらダメですよ! 普通はわざわざチケットなんて用意してくれないんですから!」
「知ったことではない!」
 トーニャはつーんとそっぽを向いた。
「余がかつての万全な状態であったなら、自力で飛んできたというものを……あんな狭苦しい椅子に座らされて、何時間じっとさせられたか!」
「あー、なるほど……」
 八雲はトーニャの頭部、側頭部から前向きに生えた太い角を見て納得した。トーニャはドラゴンプロトコルなのだ。
「大体この冒険王国も、なんともせせこましいものではないか。
 かつての余であればこんな猫の額のような小さき地、一息で吹き飛ばせたのであるがな!」
 簒奪者みたいなことまで言い出す始末。が、ドラゴンプロトコルにはよくあることである。

「……ところでそのドラゴンの方は、どうしてこんなテーブル席に?」
 八雲はふと疑問に思い、質問した。
「あ、もしかして、わたしと同じで調査の前に腹ごしらえとかですか? 奇遇ですね!」
「何を言っている? 余はそんな卑しくはないぞ!」
「い、卑しい!?」
 トーニャはムッとしつつも、傲然と語る。
「余はな、貴様のような食いしん坊に食い物をやることにしたのだ。
 子供ならば、飯と飲み物でもくれてやれば、なんであれ喋るであろう」
 そしてトントンとテーブルを指で叩く。
「おい、誰でもいい! この店で作ってるものを全て持ってこい!」
「全部!? さすがドラゴン、スケールが違う……!」
 八雲はトーニャの剛毅ぶりに感嘆した。あと頭の隅っこで「あれ? なんかすごく偉そうだけど、子供にご褒美とかあげるなら普通にいい人なのでは?」とか考えたが、口には出さなかった。

 ……が、トーニャの呼びかけに返ってきたのは静寂のみ。
「おい! この卓と椅子は飾りか? 誰ぞあるか!」
 トーニャはしびれを切らし、さらに大声で叫んだ。もはや次はブレスでも吐きそうな勢い――と、そこへ!
「なんじゃ、腹ペコがおるのう! ほれ、たっぷりと食べるがよいぞ!」
「グワーッ!?」
 何者かの声とともに、ドサドサとテーブル席に降ってきたのは、大量のシュー! テーブルに身を乗り出しイライラしていたトーニャは、濁流のようなシューに飲まれた!
「ウワーッ!? 大丈夫です!? っていうかこれなんですか!?」
 八雲は山のように積み重なるシューを一つひとつ手に取り、食べてみた。中に入っていたのはクリーム――ではない。
「これ、チーズ……?」
「グジェールという、このあたりでメジャーなお菓子だそうじゃ。ツマミにもなるとこいつらが言っておる」
 と、こちらも大量のグジェールを抱えて現れたのは、声の主のヴィルヴェ・レメゲトン。その周囲には、半透明の妖精……シルキー達がふわふわと浮かんでいた。

「な、何をする!? 余に対して不敬であるぞ!」
 トーニャはグジェールの山から起き上がり、ヴィルヴェに食って掛かった。
「まあまあ、腹が減っておったのじゃろ? 子供にやるつもりじゃったが、少しくらいなら食べてよいぞ」
 ヴィルヴェはふふんと平たい胸を逸らし、偉そうに言った。
「だから、違う! 余は子供に褒美を与えて情報を……!」
「あ、それヴィルヴェのアイデアじゃぞ? 盗作はいかんの~」
「何故余が剽窃したようなことになっているのだ!?」
 黒竜は愕然とした。この小娘、まったく敬意というものがない。おそらく相手がドラゴンだろうが魔神だろうがペースを崩さないタイプの|傍若無人《やべーやつ》だ!
「これ美味しいですね! っていうか、妖精さんが出してくれたんですか?」
「そうじゃ! 数が要るから店のものに言って使わせてもらったんじゃよ」
 ヴィルヴェは木製のジョッキをぐびぐびと傾けた。
「……って、それ! お酒じゃないんです!?」
 八雲はぎょっとした。
「大丈夫大丈夫、これはぶどうジュースじゃからな。美味いゾ!」
「ほ、ほんとに大丈夫ですか? 発酵させたぶどうジュースとかそういうこと言いませんよね……?」
 八雲は|見えざる恐ろしい力《セキュリティ》を警戒した。が、ちゃんとノンアルコール、正真正銘のぶどうジュースなのでごあんしんください。
「まったく、なんなのだこいつらは……余を愚弄しおって……」
「(もぐもぐ)うんうん、これなら子供もイチコロじゃの!」
「貴様、余にあんなことを言っておいて自分も食べているではないか……!」
 トーニャはヴィルヴェに大変物申したい気持ちになったが、ぐっと堪えた。この手の輩はまともに相手をするとバカを見るということは、記憶がなくても骨身に沁みているのである。

 とまあそんな一幕がありつつ、シルキー達が出してくれたグジェールなどで腹を満たした八雲とトーニャ(なんだかんだちょっと食べた)は、手分けして子供達に声をかけて回ることにした。
「よいか、余の知りたいことを話さねば褒美はない。さあ、友人にでもなんでも伝えて参れ」
 トーニャは相変わらず傲慢不遜に、しかし片っ端から声をかけて回るという力技で。
「待て待てぇー! 捕まえちゃいますよー!」
「「「きゃー!」」」
 八雲は子供達に混ざり、食後の運動がてらあちこちを駆けずり回って親睦を深める形で。
「ぶどうジュース美味いのう! このフラミュスも甘くて美味しいのじゃ!」
 ヴィルヴェはまだ食べていた。しかも別のお菓子!
「ほうれ、早くせんと失くなってしまうぞ! みんな呼んでくるのじゃ!」
「……声をかけたのは余なのだが……?」
 トーニャはジト目でヴィルヴェを睨んだ。そこに一人の少年がやってくる。
「あ、あのう、ぼくお話とかなにもわかんないんだけど……」
「フン。卑しい子供め。褒美は与えんと言っている」
 トーニャはしかし、顎でしゃくるようにヴィルヴェからフラミュスを受け取る子供を示した。
「そら、ああして褒美を受け取るには対価が要るのだ。どうしても欲しいなら、せいぜい分け前を得られるか乞うてみるがいい」
「……! う、うん!」
 少年は子供に駆け寄り、話しかけ、一切れ受け取って仲良くなっていた。子供同士で分け与えることに関しては知ったことではない、というスタンスらしい。

 ところで、肝心の情報についてだが……。
「ふむ、まとめるとこうじゃな」
 ヴィルヴェは口元を拭い、言った。
「件の洞窟には地底湖があるとの話じゃが、どうやら正確には地下水脈であるようじゃ」
「普通なら地上の河川と繋がっているはずが、この近辺の川からは水が失われているみたいですね」
 八雲もいくつかの情報を統合した結果を話す。
「日照りで乾いた、ということはあるまい。であれば……」
 トーニャは思案し、呟いた。
「さらに地下に流れ込んだ――と考えるのが、妥当であろうな」
 その点については、ヴィルヴェも八雲も異議を唱えることなく頷いた。
 ならば何故急に大量の水が流れ込むような空間が生まれたのか――おそらくは、それが件のモンスターに関わっているはず。あるいは……。

録・メイクメモリア
ツェツィーリエ・モーリ

●繋ぐ
 年頃の少年の異性に対する態度は、大まかふたつに分かれる――極端に意地悪になるか、極端に距離を取るかだ。
 繊細な思春期と、はっきりと顕れる性徴……大人になって思い返すと頭を抱えたくなるような潔癖めいた反応も、成長ゆえの仕方がないもの。どちらであれ、相応の興味を持つのも、また当たり前だろう。

 が、何事にも例外はある。たとえばその相手が、家族同然……それこそ生まれた頃からの付き合いであるとか。
「助かるよツィル、こうしていないとすぐ迷っちゃうだろうし」
「いえ、礼には及びませんわ。従者として当然でございます」
 致し方ない|放浪癖《やっかいごと》を抱えているケースだとか。

 色々と連ねたが、ぎゅっと手を繋いで祭りに賑わう通りを歩く録・メイクメモリアとツェツィーリエ・モーリは、かたや17歳の少年、かたや19歳の若い乙女である。
 端から見ると完全に若いカップルのようなのだが、実際のところ二人の関係はそんな浮ついたものではない。
「うーん、お土産を買っていくなら何がいいかな」
 録は時折投げかけられる眼差し――言ってしまえば、若い男女と早合点した酔っぱらいのからかうような視線――は全く意に介さず、自然に呟く。
「師匠とか、ワイン好きそうだよね」
「たしかに……それに、こうした賑わいもお好きなことでしょう」
 相槌を打つツェツィーリエもまた、無表情に等しい冷たい表情でこそあるものの、そこには気心の知れた相手に対する、いい意味でのリラックスした雰囲気。それは、前述の通り家族めいてもあり、だが一歩引いて畏まったものでもある。

 従者と主人。
 ほぼ同年代の幼馴染。
 同じ師を仰ぐきょうだい弟子。

 ライバルであり、友人であり、仲間であり主従であり――なんとも複雑極まりない関係を一言にまとめると、やはり「家族」がもっとも近いのであろう。ともあれ、二人が日常の憩いを楽しんでいることは確かだった。
「どうせなら日持ちする食材が欲しいな。やっぱりチーズとか?」
「よい|選択《チョイス》かと。が、あえて申し上げるなら、ですが」
 ツェツィーリエの瞳に、親愛の色が微かに過った。
「|養父《せんせい》に贈るなら、録様が選ぶものはなんでも喜ばれるかと存じ上げます」
「そうかもね。でもやっぱり……どうせなら、食べ物だよね」
「はい。無難かつ妥当でしょう」
 若干つっけんどんというか、「考えてみると食べ物以外あんまり喜ぶところ思いつかないな。あの人だし」みたいな雰囲気もなくはないが、そこはそれ。血の繋がりよりも色濃く尊い絆ゆえだろう。多分。きっと。おそらく。

 エスカルゴや|雄鶏のワイン煮込み《コック・オ・ヴァン》、|山羊乳のチーズ《ブトン・ド・キュロット》など、未成年の口で楽しめる郷土料理に舌鼓を打ち、気に入ったものをいくつか見繕った二人は、その足で子供達の集まる村の広場へと移動した。
「冒険者の人かな?」
「めずらしいね」
 もう既に何人かの√能力者が、ライブやら鬼ごっこやらで何人かの子供を集めてはいたが、なにせ3万人以上が集まる祭りだ。親に連れてこられ、「遊んでおいで」などと放置されて暇を持て余す子供はいくらでもいるし、地元の子供となればなおのことである。好奇の目が二人に注がれた。
「さて。じゃ、肝心のお相手は任せるよ、ツィル」
「かしこまりました」
 言いつつ、録は懐から掌サイズの木材と、山刀を取り出した。そして、おもむろにスティック状の木材を山刀でカッティングする。

「わあ……」
 少女が目を見開き、息を漏らしたのも無理からぬもの。魔法のような手際の良さで、子供達にもはっきりとわかる木像のシルエットが生じる。アイコニックな女神を思わせる、素朴だが手の込んだ造型。
「すげぇ! 兄ちゃんかっこいい!」
「ねえねえ、おもちゃ作れる? おもちゃ!」
 実体があるというのは、あらゆる風聞に勝るものだ。パフォーマンスも兼ねた手作り工程に興味を持った子供達は、あっという間に何人かが集まり、囃し立てるように声をかけた。

「そんなの、俺のとーちゃんも作れるし! 普通だよ!」
 と、挑戦的な――照れ隠しも入っているろうが――子供もいなくはない。録はくすりと笑い、彫刻に没頭する。
「それはそれは、立派なお父上をお持ちでいらっしゃるのですね」
 代わりに取り次ぐのは、ツェツィーリエの役割だ。特に挑発的な子供を、あえておだててみせる。
「えっ……ま、まあな! 父ちゃんは薪割りをさせたら王国一なんだぜ!」
「ぜひ拝見してみたいものでございます。わたくしは王国に来たばかりでございますゆえ、右も左もわからず……」
 ツェツィーリエは、ちらりと録を見た。手慰みに木をいじる姿は、もう見慣れたものである。
「録様の手際にいち早く注目され、ご聡明なあなた達のことです。噂のダンジョンのことも、そこらの大人よりずっと詳しいのでは?」
「お、俺知ってるよ! あの洞窟にはね、すっごい魔王が眠ってるんだ!」
 調子の良さそうな少年がまくし立てた。
「魔王、ですか?」
「そいつ、うそつきだから真面目に聞いたらダメだよ!」
 おませな少女が割って入る。
「そんなの、あの洞窟にはいないよ。いるのはね、ピカピカ光る妖精さんなの」
「違うだろ、子供を引きずり込んじゃう魔物だよ!」
 たちまち子供達は、僕が、私が、と我を競うように、あることないことを言い始めた。
「興味深いお話ばかり。どうぞわたくしめにお教えくださいませ」
 ツェツィーリエが話の流れを交通整理し、一人ずつ促していく。

 やがて明らかな誇張やでたらめらしきものを削ぎ落としていくと、二つの話題が共通して気になった。
「……なるほどね、光の中に紛れた魔物に、地面の下から聞こえてくる唸り声か」
 一つは、光苔に紛れ獲物を襲うという、美しくも厄介なモンスター。
 そしてもう一つは、これまで確認されていなかった、微かな地鳴りを伴う地の底からの唸り声めいた振動である。
 実のところ、この二つの情報は他の√能力者の間でも確認されている。おそらくはそれぞれ、モンスターの手がかりとなるものだろう。
 特に光に紛れて襲う魔物については、その存在を把握していれば対処も容易いはずだ。
「ありがとう。お礼にこれ、あげるよ」
 そして録の周りには、いつのまにか簡素なおもちゃなどがいくつも転がっていた。話を聞きながら次々と仕上げていたのである。
「もうこんなに作ったの? すごい!」
「それは当然です。なにせ録様なのですから」
 そう語るツェツィーリエは、無表情ながら、どこか誇らしげなようにも感じられた。

レミィ・カーニェーフェン
ポジコ・ポジトロン
道明・玻縷霞
夢野・きらら

●異郷の地にて
「ここが、ドローワ……!」
 遠路はるばる、見果てぬ冒険王国の土を踏んだレミィ・カーニェーフェンは、ネコ科動物めいた翠眼を宝石のようにキラキラと輝かせる。
 なにせ彼女は生粋の冒険者である。亡父の冒険譚に寝物語めいて親しみ、自らもまだ13歳とは思えぬ若さでいくつもの武勲を打ち立てた。
 冒険者としてはまだまだ――|新参者《ルーキー》の中では生え抜きでこそあるものの――積み重ねた経験も際立った誉れも乏しい身ではあるが、ダンジョン踏破に賭ける意気込みは人一倍、いや十倍ですらある。
「いつか、いつか日本を離れて世界中のダンジョンを巡ってみたかったのに、その夢がこんな形で叶うなんて……!」
 冒険王国は様々だ。日本と一言に言っても、島国にありながらヨーロッパめいた文化を有する場所は枚挙に暇がない。レミィ自身も、そうした|HDBEC《わいざつさ》の一員とも言えるが、ともあれ大陸が違えば文化も違うのが当然である。遠い異郷に憧れを抱くのは当然のことといえよう。
 どんなダンジョンなのだろうか?
 どんなモンスターがいるのだろうか?
 もちろん警戒心を失ってはいない――むしろ冒険者として、それは普段よりも研ぎ澄まされている。しかし、そんなことは重要ではない。なにせ見知らぬ土地での見知らぬダンジョンなのだ!
 早く踏み込みたい。どんな風景なのかをその目で見て、その耳で聞き、その肌で感じたい。
「わくわくしますっ! 楽しみだなぁ……!」
 猫耳をピクピクと跳ねさせ、尻尾をくねらせる姿は、完全に浮かれる少女そのものだった。

 とまあ、このように、正統派冒険少女は実に正統派の憧れと期待を胸に抱いていたのである――が。
「オーッホッホッホ! 人様のカネで好き放題する旅行! 最高ですわァーッ!」
「いや~、ファーストクラスってあんなに快適なんだねぇ。飛行機の中とは思えなかったよ。"ハッキング"した甲斐があるなあ」
 なんかすっげえ俗物めいた声が聞こえてきた。しかもふたつも(うち一つは何かしらの法に触れている可能性がある)
「……」
 レミィはがくりとその場でよろめき、ジト目でそちらを見た。なにやら高笑いしているのはポジコ・ポジトロン。冒険者というかどっかのお姫様みてえな格好をした、没落貴族である。ハッキングでまんまと快適な空の旅を楽しんだのは、法や倫理をなんとも思わぬアウトロー(語弊あり)の夢野・きららだ。
「ぼ、冒険……異国の地の……」
「おや、そのご様子ではダンジョンには慣れていらっしゃるのですか?」
 雰囲気がすっかりぶち壊しになりがっかりするレミィに、道明・玻縷霞が声をかけた。
「あっ、はい! √能力者ですが、普段は冒険者として過ごしてます!」
 レミィは耳をピンと立て、ぺこりとお辞儀した。
「それは頼りになりますね。実は私、捜査はともかくダンジョン探索は今回が初めてでして」
 玻縷霞はカチャリとメガネを押し上げた。日本の官僚めいた折り目正しいスーツ姿は、このフランスの片田舎じみた冒険王国では別の意味で浮いているといえなくもない(ワインセラーのお偉いさんなどがちらほらいるので皆無ではないが)。
「よければ色々とご教授いただきたいものです」
「私でよければ、ぜひ! 今日は冒険者特例で学校のお休みも認めてもらえたので、がんばりますよ!」
 レミィは頼ってもらえたことにふんすと鼻息を荒くし、意気込んだ。
「ぶどうジュース! 飲まずにはいられませんわッ!」
「うーん、|料理《ほん》はあんまりめぼしいのがなさそうだなぁ。とりあえず帰りも特等席になるように"ハッキング"しておこっと」
「……ぼ、冒険、頑張りましょうね!」
 雰囲気もクソもねえ二人の声に、レミィはなんとか気合を入れ直した。冒険がこんなもんだと誤解されたら単純に悲しいのだ……!

 が、それはさておき、ポジコもきららも仕事に対して腑抜けているわけではない。
「ぶどうジュース本当に美味しいですわね、ちょっと異国情緒湧いてきましたわ!」
 ポジコはほう、と熱っぽく息を吐き、赤らんだ頬に手を当てた。
「……失礼、それは本当にジュースですか?」
 ギラリと玻縷霞のレンズが白く光った。なにせ彼は捜査官である。
「と、当然ですわ!? わたくし法律を冒すタイプの悪役令嬢ではなくってよ!?」
「そうだよ、ぼくらは同じ√能力者。変な目くじらは立てずに協力してことに当たろうじゃないか」
 多分なにかしらの法に触れてそうなことをしでかしているきららが云うと、なんだか皮肉に聞こえる。
「でも困ったなぁ。ぼくみたいな魔法少女って、フランスじゃあんまり通用しないよね」
「……魔法少女なんですの? あなた??」
 ポジコはきららが当然のように呟いた言葉に首を傾げた。
「そうだよ? なんならここで変身シーン披露してあげようか? 日本ならもうそれだけでドッカンドッカン湧き上がるよ!」
「魔法少女というのは、そんな宴会芸みたいな扱いをされるものだったでしょうか……」
 玻縷霞はズレかけたメガネを押し上げた。

「そ、それはともかく、聞き込みですよ!」
 レミィがなんとか話を本筋に戻す。
「聞いていた通り、大人の方々は皆さん上機嫌みたいですから……あ、ところで私もおすすめのぶどうジュースいただいていいですか?」
「もちろんですわ! この銘柄のがおすすめですわよ! それになにやら、ワインの煮込み料理もあって気になりますわ~!」
「……くれぐれも飲酒は避けてくださいね」
 きゃいきゃいと盛り上がるレミィとポジコに釘を差しつつ、玻縷霞は自ら率先して動いた。

 こんな珍妙な集団が4人も集まって膝を突き合わせていたら、冒険者だろうが冒険者でなかろうが子どもの方から寄ってくるのは当然だ。
「見せてさしあげますわ! 我が社の新製品を!」
 ポジコが思念操作する十二振りの短剣が宙を舞う姿に、子供達は感嘆の声を上げる。
「な、なかなかこの国の子供達は元気ですね……」
 スーツ姿でかけっこ勝負に挑んだ玻縷霞は、髪を撫でつけた。スーツの折り目はまったく皺一つないのは流石の一言。
「でね、ここにはすんげー財宝があんだよ! 5000兆ぐらいの!」
「あー、うんうん。そうだねー。わかるわかる」
 あきらかにホラを吹いている子供は、きららが適当に受け流していた。
「お父さんから聞いたけど、ダンジョンの中にある湖はすっごい量のお水が溜まってるんだって。普段は川に流れてるんだけど、今は水がないの」
「確かに言われてみるとそうですね……」
 レミィは干上がった川を訝しんだ。湖を進むとしたら、水上を渡る何かしらの備えが必要になりそうなものだが……?

カンナ・ゲルプロート
アドリアン・ラモート
ユナ・フォーティア

●三人旅
 傍から見ると未成年――いや、若者が二人と少女が一人、そう表現すべき身長差だ。言うまでもなく一番幼く見えるのは、カンナ・ゲルプロートである。
「えっ!? カンナって成人だったの!?」
 自慢げに冒険者証を見せるカンナに、アドリアン・ラモートは目を剥いた。そしてつい先程の屋台の店主のように、冒険者証に顔を近づけ、少女にしか見えない吸血鬼の顔を交互に見る。
「と、年下だと思ってた……」
「ふふん。ところが見ての通り、飲酒もベガスで豪遊も出来ちゃうのよ」
「いいなぁ~、ラモート氏もユナも未成年だからワイン飲めないよぉ……」
 もう一人のユナ・フォーティアはがくりと肩を落とし、溜息をついた。

 そんなユナに、アドリアンは言った。
「まあまあ、未成年組はぶどうジュースで我慢しとこうよ。ちゃんとそういうのもあるみたいだからさ、ほらこれ」
 こんなこともあろうかと、ユナの分を用意していたらしい。白ぶどうのジュースを差し出す。
「わーお☆ラモート氏、やるぅ~!」
 ユナはあっさりと元気を取り戻した。
「ねね、三人で乾杯しちゃお! せっかくのお祭りなんだし!」
「乾杯~? ま、いいけど。なら音頭は私がとってあげる」
 カンナはなぜか未成年の二人に威張り散らした。余計に見た目の若々しさが加速しているのは、気付いていないようである。
「それじゃ久々のフランス来訪を祝って、かんぱーい」
「乾杯!」
「かんぱ~い☆」
 カチン、と小気味いい音が鳴る。アドリアンもユナのテンションにつられ、勢いよくノンアルコールのぶどうジュースを飲んだ。一方、カンナは気品ある仕草で、ちびりと一口。

「うん、コクがあって奥深い味ね。ブルゴーニュ・ワインなんていつぶりかしら……フランス革命の頃とかそのへんだったような……」
「美味しー! ワイン祭り、ユナ達には無縁かと思ったけど悪くないね!」
 ユナも白ぶどうジュースにはご満悦のようだ。
「やっぱり産地直送どころか、採れたてを産地でそのまま飲めてるんだからな。新鮮さが違うよ、新鮮さが」
 勿論その場でぶどうを摘んで絞り出したわけではないのだが、工場向けにパッキングされたものとは段違いなのは、アドリアンの言う通り。
「√EDENのフランスとは、全然違うね。風景も空気も」
 冒険王国ならではの、ファンタジーと現代らしいテクノロジーが入り混じり、しかしフランスの片田舎として近代の面影を残した風景を見ながら楽しめば、情感もたっぷりだ。

「ねえねえカンナ氏、ところでお酒飲んじゃってダイジョブなのぉ~?」
「大丈夫って、何が?」
 チーズを肴にちびちびとワインを楽しんでいたカンナが首を傾げた。
「いやいや、これから情報を集めるってのに、ワイン飲んでたらさ~」
 ユナはちらりと、赤ら顔で歌い騒ぐ地元のおっさん連中を示した。
「……あんな感じで、お仕事になんなくなったりしない~?」
「ふっ。この中で一番の年長者だとわかっていて、そんな心配をするのね」
 カンナは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「あいにくだけど、もう既に情報収集の網は広げてあるのよ」
「って、さっきからワインを少しずつ飲んでるようにしか見えないんだが?」
 アドリアンが意外そうに疑問を呈するのも、もっともであろう。

 だが、その反応に対しても、カンナは相変わらず自信満々の笑みを浮かべるばかり。
 そんな彼女の肩に、一羽の鳥が留まると、カンナはふんふんと何度か頷いた。
「地下洞窟に蝙蝠を放っておいたわ。どうやら入口付近は安全で、モンスターもいないみたいね」
「あ、使い魔かぁ!」
 ユナは指を鳴らし、納得した。
「いいな~、ユナもプチゴンちゃんが使い魔みたいに歩けるようになる魔術とか、学んでみよっかな?」
「簡単に出来るようなもんじゃないの。それに未成年だからこそ、子供と打ち解けやすいって利点もあるでしょ?」
 カンナはふふんと鼻を鳴らした。
「……なんだか、僕らまで子供扱いされてない? ユナ氏」
「されてる、されてる。ここは一つ、働きで見返すしかないね、ラモーと氏!」
 二人はあれこれと話し合った。そして選んだプランは……。

「ねえねえ、そこのキッズ達~!」
 村の片隅で遊んでいた数人の少年少女に、元気よく声をかけるユナ。その両手には、ぶどうジュースの入ったミニボトルだ。
「なに? おねえさん、観光の人だよね?」
「そうなんだ~。実はさ、ちょっと教えてほしいことがあるんだよね♪」
 ユナは子供達にボトルを差し出した。
「こっちにも沢山あるよ! お金なんて要らないから、はいどうぞ」
 と、アドリアンもボトルを差し出す。
「ここにはなんだか、ちゅうに……じゃない、少年心に響く名前のダンジョンがあるらしいんだけど、何か知らない?」
 子供達は顔を見合わせた。
「ぼくらは危ないから近づいちゃいけないって言われてるしなぁ」
「奥に行くとすっごい大きさの湖があって、舟とかがないと溺れちゃうぐらい深いっていう話は聞いたことあるかも」
「昔はここらへんに住み着いた冒険者の人達が、探索のために中で小舟を作ってたっていうよね」
 子供達は口々に語る。
「その小舟って、今も中に残されてるのかな?」
「わかんない。でも、わざわざ持ち出すためにダンジョンに入る大人なんていないから、そうじゃないのかなぁ?」
 ユナとアドリアンは顔を見合わせた。
「その舟を見つけたら、探索に役立ちそうだね。ラモート氏」
「まさか湖に潜るなんてことにはならないよなあ……」
 いずれにせよ、水場を舞台にした探索、あるいは戦いは避けられないということだろう。

 一方、カンナは使い魔の耳を使い、噂話などを集めていた。
 それによると、ここ数日妙な地響きのようなものが微かに続いており、迷信深い老人などは何かの凶兆ではないかと不安がっているという。
 しかしこの地に、何か魔物が封じ込められただとか、隠し財宝があるといった曰くはないようだ。
(「裏を返せば、"いきなりダンジョン内に出現したモンスター"がいても、気付かれることは滅多にないわけね」)
 そんなものがいるとしたら、湖の底……いや、地響きを伴うということは、地下洞窟のもっと下の地中ということになりそうだが……?

ノーバディ・ノウズ

●ヒーローの矜持
「酒呑みてぇ……」
 ノーバディ・ノウズはこの世の終わりのような声で、恨めしげに、そして羨ましそうに呻いた。

 はたして彼は、なぜそれほど酒が呑みたいのに呑まないのか?
 正月早々(なんなら年末も)酒で大変にブザマな真似をしでかした経験が尾を引いてるから? 残念ながらそれは違う。
 ノーバディは、およそ反省という言葉と無縁だ。酒でのやらかしなど、ヒーローになってから何度犯したか知れないし、なんならもっとカッコよくヒーローしてたはずが、キメの瞬間に虹色のものをキラキラ吐き出したことすらある。真面目な先輩ヒーローに滅茶苦茶怒られたものだ。

 しかしそれでも、子供相手に酒でミスを犯したことはない。
(「ガキと遊べ、ってンだもんなぁ……」)
 なら、酒は|ご法度《NG》だ。そこはマスクド・ヒーローとしての最低限のラインというものであって、ノーバディにもヒーローの矜持というものがある。ヒーローを駆動させるのは|酒《Ale》ではなく|声援《Yell》なのだから。
「ここがパリじゃねえのが少し残念だが、|みんなの恋人《Funny face》らしく本領発揮と行くかァ」
 ノーバディはベンチから跳ねるように立ち上がり、おもむろに――馬のマスクを被った!
「ねえみて、なんかへんな人がいる!」
「お馬さんだ!」
 わざとコミカルな間抜け面のゴムマスクを選んだおかげで、目ざとい子供達はすぐに気付いた。
「ヒヒン! なァにジロジロ見てやがる? 追っかけ回して蹴っ飛ばしちまうぞォ!」
 ノーバディは大袈裟に両手お上げて言うと、そのポーズのまま左右に揺れるようににじり寄った。恐ろしいというよりおかしな動きに、子どもたちはきゃあきゃあと声を上げて笑いながら逃げ回る。

「|いないいない、ばあ《Cache-cache cou-cou》!」
 万国共通、赤ん坊なら大ウケ間違いナシのアレで物理的に頭部が様変わりするとくれば、子どもたちの興味を惹くのは当然だろう。
「すっげー、今度は馬からスライムになった!」
 びよん。粘体頭は近くのワイン屋台の柱にぐるりと触腕を巻き付けた。ノーバディはパントマイムの芸人めいてそちらに引っ張りせられる。
「おいコラ! |俺様《テメェ》勝手に酒に呑み行こうとすんな!」
「「「自分に怒ってる!」」」
 けらけらと道化師めいて笑われて、ノーバディは文句一つ言わずに楽しませてみせる。子どもたちの笑顔はどんな宝石よりもかけがえのないものだと、彼は知っているがゆえに。
「すごいね! 光の精霊さんみたい!」
「あァ? なんだそりゃあ」
 ノーバディはうねうね頭の形を変えながら言った。
「あのね、不思議な魔法でいろんな物を見せてくれる精霊さんなんだって。
 でもそれは本当はよくない|もの《・・》で、絶対近づいたらだめなの!」
「ほうほう」
「きらきらした宝石みたいな光を見つめてると、こっそり忍び寄って食べられちゃうんだって!」
 つまり光の魔法を操る何かしらのモンスターが、例の「淡く光る苔」の周辺に住み着いているということか。ダンジョン内部での探索で注意して備えていれば、不意打ちを避けられるはずだ。ノーバディはおどけながらも、きちんとその情報を明晰な頭部に記憶した。

櫂・エバークリア
黒野・真人

●そして境目へ
「店、出すんじゃないんだな」
 黒野・真人の言葉に、櫂・エバークリアはどこか呆れたような、あるいは諦めのような、そういう色の笑みを見せた。
「ああ、フランス料理なんて俺にとっちゃ迷宮みたいなもんだよ」
「迷宮?」
「たとえばだな――真人、ブランシールって言葉の意味わかるか?」
 真人は真顔のまま視線を上に向け、数秒考えた。
「さあ」
「野菜の下茹でのことらしい。じゃあ次、ルポゼは?」
「……アンタより疎いオレがわかるかよ」
 真人の眉間に皺が寄った。
「だよな。ちなみに正解は、加熱した肉を休ませることだ」
「……それって、"加熱した肉を休ませる"じゃダメなのか?」
「さあ。名前がつくぐらいには体系化されてる、ってことだろ」
 そして、体系化されているということは、学問として読み解くべき量があるということだ。

 当然、どの国であれ調理法は学問である。突き詰めれば料理とは化学であり、適切な分量で用意した材料を適切な方法で加工すれば、絶対に最適な料理が完成する。そこにその日の気温や食べる側の体調、気分、湿度、場所、そういったものや料理の流れといった無数の諸要素が関わり「美味しい」に繋がるから、料理というものは無限めいて多層的で厄介で――そして楽しい。
「つまり|異郷《ここ》じゃ俺は素人。アマチュアが店出しても、なぁ?」
「……なるほど」
 真人は軽く周りを見渡した。素人の、それこそどこかのご家庭のキッチンで辣腕を振るっているであろう御婦人が出している店もある。しかしそれはこの地域に根ざした技法のプロフェッショナルだ。櫂は彼らの暮らしと、彼らが楽しむ料理という文化と、それを積み上げてきた歴史に対して敬意を払っているのだ。
「というわけだ、今日は遊ぶぞー」
 単に気楽に酒が呑みたいだけの気がしないでもないが。
「今日のアンタは料理人じゃなくて、ただの観光客か」
「ダンジョンに入るまではな」
「そっか。オレ達、迷宮に挑むんだもんな」
 真人はあっさりと納得した。
「なら気合入れて遊ぼうぜ」
 そして二人は、リラックスして|情報収集《レジャー》に乗り出した。


 とはいえ、もちろん√能力者としての仕事を忘れたわけではない。
 遊ぶのもあくまで街の賑わいに溶け込むため。それは実際功を奏し、もはや冒険者であるはずの二人を訝しむ者はほとんどいなかった。むしろ……。
「ん? そういや真人は……」
 屋台でワインの試飲を勧められていた櫂は、ふと同行者の姿が見えないことに気付く。といっても数分程度のことだったのだが、何処へ行ったのかと視線を彷徨わせてみた。
「にいちゃんすげー!」
「次ペタンクやろ、ペタンク!」
「……」
 馴染んでいた。石蹴りとか鬼ごっことか、フランス独自の遊びであるペタンクというボール投げやら、一回りは小さな子供達と完全にシンクロしている。
「いーなー、にいちゃんぐらい大人んなったら楽しいんだろー?」
「いや、オレもまだガキ扱いされること多いぜ」
 真人はいつもの顔で呟いた。
「マジか~」
「ガキってつまんねーよな。早く大人になりてー」
「「「わかる!」」」
 おまけになんか愚痴まで意気投合していた。実は得意分野なのだろうか?
「……お前すごいな」
「何が?」
 本人はあまり自覚もないらしい。

 少年達と打ち解けた真人に対し、櫂は主にルックスと物腰の紳士さで少女達の注目を集めた。
「そこの麗しいお嬢さんがた、ちょっといいか」
 淡い微笑を浮かべ、砂糖をまぶしたリーフパイでも振る舞えば、フランスのませた子供達もあっという間に警戒心を解こうというものだ。
 既に何人かの√能力者が引き出していた、「光る苔に紛れて襲いかかる光の魔法を操るモンスター」や、「本来なら観測されないはずの微かな地響き」、「地表の河川の水量の現象」といった、既出の情報を集めることで確実性を上げていく。
「昔は冒険者の中に、ダンジョンで舟を作って探索しようとしてる人達もいたんだって」
「でもここの人はダンジョンなんて絶対踏み込まないから、舟があるのかどうかもわからないよ」
 地底湖があるというなら、乗り物の存在は大きく役に立つはずだ。
 √能力で水上歩行なりなんなりができればそれに越したことはないものの、旧くから用意されたものがあるなら利用しない手もない。
「ありがとな、これは感謝の印、ってな」
 手癖で覚えた手品で花を出してやると、少女達は黄色い歓声を上げた。

「で、そっちはどうだった?」
「まあまあだな。「大人のハナを明かしてやりてーなら」って文句つけたら、あることないこと教えてくれたぜ」
 真人は赤ワインで煮込んだ牛肉料理を食べ、櫂を見た。
「あの花とかさ、上手いよなアンタ」
「下手の横好きみたいなもんだよ。で、何か気になる情報とかはあったか?」
「ああ、そうだな……」
 真人は片目を瞑り、考えた。
「例の地底から聞こえる地響きっての。腹の虫じゃないか、って言ってる奴がいたんだよ」
「腹の虫?」
「そ。まるでぐうぐう鳴ってるように聞こえた、ってさ」
 真人はぶどうジュースを飲んだ。
「案外飯でも持ち込んだら、モンスターに食わせて隙を誘えたりしてな」
「だとしたら、とてつもない食いしん坊が潜んでそうだ」
 だが、推理としては面白い視点だと櫂は考えた。

第2章 集団戦 『光晶の精霊』


 これまで各自が集めた情報を統合した結果、わかったことがある。
 まずひとつ、災禍の中心たるボスモンスターが出現したのは、洞窟のさらに底、これまで探索した冒険者でも知らなかった地下空間――つまりモンスターは、いかにしてか湖のさらに底に出現し、土を掘削する能力で上に向かって掘り進んでいったのだ。
 地響きの正体はこの振動であり、おそらく目標は『|土竜《もぐら》』と呼ばれる大喰らいのドラゴンめいたモンスターだった。

 ……地底湖の底から上に向かって掘り進んだということは、水脈に穴が開くということだ。そのためドローワの水源というべき地底湖から水がさらなる地下空間へ流れ落ち、結果として地上の河川の水位が減少、ないし途絶えていた。
 目的である土竜のねぐらに辿り着くためには、湖ではなく激流渦巻く地下川と化した水を突破せねばならない。
 幸い、かつてこの洞窟を踏破した冒険者達が、地底湖の水面を移動するためにダンジョン内でこしらえた小舟が(かなり老朽化しているが)いくつか残されており、激流川下りめいた有様ではあるが水上移動をこなすことはできそうだった。これも何人かが得た情報のおかげだ。

 とまあこのように、淡く輝く光苔の明かりを頼りに、地底に向かって困難な川下り(√能力で水上歩行や水中移動が可能なら、濁流の中を泳ぐことになるだろう)を行う羽目になったわけだが、本命の障害はそちらではない。
 それは光苔の明かりに紛れ、侵入者を不意打ちする性の悪い『光晶の精霊』の群れだ。
 この情報を認識していなければ、ただでさえ激流で足元がおぼつかない中、どこから襲ってくるか分からない正体不明のモンスターの群れに対処せねばならなかっただろう。
 しかし事前に情報を精査し、正しく備えていたことで、今の√能力者達は『光晶の精霊』の群れに――小舟や√能力、あるいは自前の運動神経によるものではあるが――激流に耐えながら迎え撃つことが出来る。
『土竜』は事前情報により、非常に空腹であることも判明している。あらかじめ祭りの屋台なりで大量の食料を買い込むなりしておけば、この激流を突破した先で奴の注意を惹けるだろう。

 この章において注意すべき要因は三つ。
 一つは激流と化した地底湖の流れをどのように渡り、またその勢いの中で戦うか――老朽化した小舟を使わないのであれば、√能力や自前の水泳能力、あるいは魔術なりで水の上を飛行するなり歩くなりせねばならない。
 二つ目は、光苔の中から襲いかかる精霊への対処だ。足場が不安定な中での戦いは、正体が分かっていてもそれなりに厄介なはず。

 そして最後の要因は……もっともこれは未成年や下戸にはあまり縁のない話ではあるが。
 美味しいお酒をたっぷり飲んだあと、滅茶苦茶に荒れ狂う激流に上下左右に揺さぶられることで襲いかかる、至極当然ながら非常に不名誉な吐き気とどう向き合うか、である。
トーニャ・イントラット
春埜・紫
七々手・七々口
スノードロップ・シングウジ

●荒れ狂う境界
「帰りは絶対に良いものに乗るぞ……」
 トーニャ・イントラットの目は据わっていた。退屈な飛行機に押し込まれ、√を渡り、そして今度は何年放置されていたかわからないボロ舟である。ここまで来るとあとは陸の移動手段を残すのみ……もしかするとすでにドローワに来るまでの間に列車なりバスなりを利用している可能性も高いが、とにかく決意を固めるには十分すぎる過酷な|状況《シチュエーション》だ。
「……まあよい。件の精霊とやらは光に潜むのであったな」
 トーニャは壁を照らす光苔を見た。一見すると蛍光のように淡くちらちらと頼りないものに思えるが、おそらくはそれ自体が精霊の光魔術による違和なのだろう。本来であれば静かな湖面は闇をたたえ、淡く温かな光が水面を照らす様は、なるほど光の淵と果てない闇の境目のように思えたはずである。

 しかし今、闇――すなわち地下湖は、滝のような音を立てて地下に向かって流れ込み続けていた。湖底に生じた穴から大量の水が流れ出しているためだ。おそらくはモンスターが穿った穴は、実際に滝のような垂直の流れになっているのだろう。
 嵐の夜の海原じみて荒れ狂う水面は、土竜と呼ばれるモンスターが好き放題に地下空間を暴れまわっていることを示している。このまま放置しておけばダンジョンの活性化はもとより、地下空間の掘削による崩壊はドローワ全域にすら及びかねないのだ!
「来ると分かっている相手ならば、ただ迎え撃つのみよ」
 トーニャは堂々かつ不遜な態度で舟を曳き、そして荒れ狂う湖面へ打って出た。

 ……だがトーニャは、光の精霊を警戒するあまり、気付いていなかった。
(「何々? こんな地下アトラクションがあるなんてびっくりなんだけど!?」)
 実は舟の中には、√能力者ですらない少女が隠れ潜んでいたのである。彼女は春埜・紫……偶然にも√を跨いで迷い込み、フランスの変わったお祭りとレジャー施設か何かと勘違いしたまま、興味本位で地下洞窟に迷い込んでしまった一般人の少女である!
 当然、このままダンジョンに長居すれば、紫を待っているのはモンスター化の結末である。だが紫は、ここが√EDENではない異世界であることにさえ気付いていなかった。なんという厄介ごとの大盤振る舞いだろうか!
「……ん?」
(「あっ」)
 息を潜め様子を窺っていた紫は、トーニャの訝しむ声に身を固くした。まずい! 既に漕ぎ出した舟の揺れは想像以上で、早くも頭がぐわんぐわんしている。もし舟の上から放り出されなどしたら……!
「気のせいか、何やら精霊とやら以外の気配がしたように思えたが……?」
(「どどど、どうしよ~!?」)
 紫は密航者めいて、食料の影で息を潜めた……しかし、その時だ。

 トーニャは弾かれたように、光苔がちらちらと照らす星の海めいた壁面を見た。見開かれた赤い瞳孔が爬虫類のように縦に細まる!
「来たか……余を相手に不意打ちとは嘗めてくれる」
 瞬間、激しい閃光が舟を包んだ!

 ……しかしこれまた、トーニャにとっては想定外の事態が発生した。
「なんだ?」
 閃光はもう一つの光源によって遮られたのである。それは、どこか粘着質を感じさせる奇妙な炎だった。
 炎を吐息のように振りまき、大きな身体をくねらせて空を泳ぐのは、大蛇としか言いようのない禍々しい怪物だった。しかしトーニャは、それがダンジョンのモンスターでないことを即座に理解する。
「うっぷ……」
 何故ならその背中には、物凄く顔色の悪い七々手・七々口がしがみつき、この世の終わりのような顔で湖面を睨んでいたからだ。
「…………」
 七々口は猫とは思えないおっさん臭い顔で、じい~っと水面を睨んでいた。それは明らかに船酔いして結界寸前の海釣り初心者そのものである。実際のところ、七々口が|撃沈《リバース》しそうな原因は大蛇のせいではなく、ただ単に調子こいてガバガバ酒を飲んだせいだった。

 ともあれそんな七々口はさておき、嫉妬の大罪を体現する蛇は、周りを浮遊する奇妙かつ巨大な手と連携して炎を振りまく。
 閃光に紛れてトーニャを襲おうとしていた光の精霊は、粘ついた炎を恐れ、あるいは嫌い、光苔の明かりの中に溶け込むように姿を消そうとした。
「後ろ、ガラ空きね。隠れ潜むのは得意でも、意表を突かれるのは慣れてないのかしら?」
 異国の言葉が、なにもない闇の中に反響した――いや、違う。そこには確かに人型の輪郭がある。それは真っ赤な血染めのレインコートですっぽりと頭を隠している、スノードロップ・シングウジのものだった。
「血が出ないのは残念だけど……死になさい!」
 黒い翼をばさりと広げ空に浮かんだスノードロップが叫ぶと、張りのある自信と戦意に満ちた異国の旋律が木霊した。それ自体が宿す呪いの力が、光に紛れ込もうとした精霊たちを超自然的に脅かす。白い少女めいた身体は黒ずみ、身体の末端からボロボロと煤のように崩れ、苦しみ悶えながら消滅していくではないか!
「ええ!? なにそれ、すごい! ただのストリートミュージシャンじゃなかったの!?」
「んん?」
 敵を殲滅しいい気分になっていたスノードロップは、物理法則では説明し得ない現象に思わず漏れた紫の声に片眉を釣り上げる。
「今なんか聞き覚えのある声がしたわね?」

「おい、そこのセレスティアル。何を言っているかわからんぞ」
 トーニャが指摘すると、スノードロップはこほんと咳払いした。
「オー、失礼シマーシタ! ワタシ、隠れてチャンスを窺ってたんデース」
 スノードロップはトーニャに通じる言語を探るよりも、手っ取り早く√能力者の共通言語と言っていいであろう日本語に切り替えた。
「姿を消していたのは、そのためか? あの程度の敵、余ひとりで十分だったのだがな」
(「あ、危ない危ない……」)
 すっかり√能力者同士のやりとりに意識が行っている二人と一匹に、紫はほっと胸をなでおろした。
(「それにしてもどういうこと? 空を飛んでるあの人、コスプレじゃなかったの? しかもあのでっかい蛇に、猫!?」)
「…………ごめん、悪いんだけど大きな声やめてくれない」
 その猫こと七々口は、げっそりした声でぽつぽつと呟いた。
「すっごい、響く……このままだとオレ、もうあかんかも……」
「オー、それは大変デスネー……洞窟ナラ、マイクなしでも響くので楽かと思ったのデスガ」
 スノードロップは舌打ちした。カタコトの日本語では、まるで丁寧で人の良いガイコクジンに思えるが、実際のところはかなり好戦的で残忍な性格をしている。そもそも二日酔いめいてぐったりしてる猫に配慮して、得意の呪歌攻撃をやめるなど、スノードロップにとっては業腹もいいところだった。

「……新手だぞ!」
 トーニャの一声が、スノードロップの意識を軽快に引き戻した。一体の精霊が光の中から飛び出し、指先に集めた光の魔力を弾丸のように撃ち出そうとしている!
「そのような行いは、許さぬ。余の前ではな!」
 トーニャの力ある言葉が響くと、精霊の身体はぴたりと麻痺した。赤い瞳が一瞥で「やれ」と促すと、スノードロップは不敵に笑い、再び呪歌を放った!
「オタスケ感謝デース、周りハワタシガ警戒シマスヨ」
「ふん、無用だがな……っと!」
 ざぷん! 大波が舟を揺らした。大蛇すらも飲み込みかねない波に舟が軋み、トーニャは|竜の爪《セプター》を櫂のように使い、軋む舟を制御する。
「蛇くん振り落とそうとしないで……あっむり、うっぷ」
(「な、なんだか大変なことになっちゃった、色んな意味で……!」)
 紫は青い顔で頬をふくらませる猫から目を逸らし、揺れに耐えるために身を隠しながら船体にしがみついた。

戦術具・名無
神元・みちる

●跳梁跋扈
「とーう!」
 神元・みちるは躊躇なく小舟を蹴り、水面に踊り出した。危険な光線が彼女の短い髪を僅かに焼き、掠めていく。その時すでにみちるは、精霊の至近距離にいた!
「もらいっ!」
 くるりと空中で回転し、一撃。霊的存在をも断ち切る斬撃によって、光の精霊は真っ二つになり、人型を思わせるシルエットは粒子と化して散った。

『ちょっと! どこに着地するんですか、これ!』
 その斬撃を担った日本刀、戦術具・名無がテレパシーで咎めた。
『他の方の舟は近くにないですし、落ちちゃいますよ! まさか泳ぐなんて言いませんよね?』
「足場ならあるじゃん、そこに!」
 言うや否や、みちるは壁を蹴った。そう、壁である。三角蹴りしたみちるは、別の光の精霊に斬りかかっていた。虹色の魔法の飛沫を刀で弾き、またしても一閃。衰滅する光の精霊そのものを蹴るという、普通なら試すことさえためらうであろう方法で小舟の上に戻る。
『こうなるともう、そのうち水の上を走り出しそうですね……』
 どうか常識の範囲内にとどまってほしい。名無は心からそう思った。もうかなり異次元の身体能力に到達しているような気がするが、慣れのせいで判断基準がおかしくなっていた。

 まあ、一番おかしいのは、ノリと勢いで驚天動地のプランを実現するみちるの思い切りの良さと、身体能力の高さであろう。
「アトラクションみたいでたっのしー!!」
 死地にあって、出た台詞がこれである。移動するための足というより、着水しないための飛び石のような扱いをされている舟は、水の流れよりみちるの重みでざぶざぶと激しく揺れていた。
『いいですか、あの明かりは苔なんですよ。足を滑らせて地面に頭を打つなんていうのはやめてくださいね?』
「そうなりそうな時は! 名無がいつもみたいによろしくしちゃってよ!」
 みちるは敵を斬り伏せることに、全てのリソースを注ぐ。頭脳労働と肉体労働の役割分担――と、いうことに、本人の中ではなっているらしい。わざと攻撃を集め、舟を攻撃される寸前で一網打尽にし、空中の光の精霊を日本刀で突き刺して、消滅する前に足場代わりにし……もはややりたい放題である。
『いい加減、慣れっこですけどね。みちるが想定の斜め上を行くのは……!』
 そんな危なっかしい相棒をサポートするのも、堂に入った様子。自分も大概常識の向こう側に足を踏み入れていることに、名無はまったく自覚がないようだった。

ユナ・フォーティア
カンナ・ゲルプロート
アドリアン・ラモート

●三者三様
 物凄い水の流れが、今にもバラバラになりそうな小舟を激しく揺さぶる。川下りという字面だけ見れば遊園地のアトラクションを思い想像するが、実際にアドリアン・ラモートを襲う激しさはそんなレベルではなかった。
「無理無理無理ぃいいい!! 僕も飛びたいんだけどぉおお!!」
 揺れのせいで水面に放り出されないよう、小舟の縁にしがみつく……というよりほとんど腹ばいになって舟そのものにへばりつきながら、アドリアンは叫んだ。例の土竜とやらを油断させるために持ち込んだ美味しい食材は、縄でグルグル巻きに舟にくくりつけた上で、アドリアンがお腹の下に忍び込ませてなんとか守っている形だ。

 そんなアドリアンと同行したユナ・フォーティアとカンナ・ゲルプロートは、舟の上にいない。なぜなら二人して飛べるからである。
「アドリアンくん、なんとか耐えてー。食糧を持ち込めるかどうかは君にかかってるのよ」
 カンナの背中に広がる黒い翼が羽ばたくと、羽根のように散った影の破片が小さなコウモリの群れと化し、周りを羽ばたく。アドリアンの隣に置かれた使い魔の猫は、猫だからなのか、揺れに対してもまったく慌てず連絡役を務めていた。
「カンナ氏、次の来るよぉ!」
 炎の聖剣を構えたユナが警戒を促す。そんな彼女の服装は、まるで魔法少女……いや、プリティでキュキュっとしていそうな、ファンシーでフリルだらけだが可動域を考慮したドレスである。

 過たず、白い光の線が二人を襲った。ユナは聖剣を盾のように掲げて跳ね返し、カンナはコウモリの群れを壁のように集めて打ち消す。
「次から次へと、きりがない連中ねっ!」
 カンナの手から、黒いシミのような影がこぼれ落ちた。鬱陶しそうに腕を右から左へ振るうと、影の雫が薄く広がる――すなわち、影の刃だ。次の光線を放つ前に、光の精霊は真っ二つになり、影に呑まれるように消えた。
「燃ゆるドラゴンの炎は、正義の聖火っ!」
 ユナは魔法の力で空中を滑るように飛び、間合いを詰めた。ガラスを思わせる光の壁が行く手を阻む。しかし。
「マジカル★ドラゴンの聖剣は、そんなうっすいバリアじゃ防げないぞ☆」
 ざんっ!! 燃える斬撃が、魔力の壁もろとも精霊を一刀両断。ドラゴンウィングがばさりと羽ばたき、攻撃直後の隙を狙った光の弾丸を回避する。

「ふたりともー!! 無理しないでねぇー!!」
 アドリアンは必死に声援を送る。食糧を守らなければならない以上、今の彼に出来るのはこれが限界だ。影による反撃も出来なくはないが……。
「ほんと、僕も頑張ってるから! 別にサボってるとかじゃないからぁ!!」
 ガクガクと嵐の海のように荒れ狂う激流の中では、落ち着いて攻撃する余裕などあるはずもない。
「だからお願い、絶対に精霊をこっちに通さないでねぇー!!?」
「わかってるわよ! 年長者に変な気を回すんじゃないの!」
 黒猫が面倒そうに叫んだ。カンナ本体は、影の翼を巨大化させ、舟を守るように丸めて光の弾丸の雨を防ぐ。絶え間ない弾丸を浴びた影は、徐々に薄らいでいった。危険だ!
「でもこいつら、数が多くて……!」
「ちょっとぉ!? 何発か流れ弾飛んできてるよぉ!? 僕沈んじゃうよぉー!!」
「ああもう! 大声出されると集中力乱れるのよっ! 黙って耐える!」
 ぎゃあぎゃあと叫び返す姿は、あまり年長者とは思えなかった。

 しかし、いつまでも敵のいいようにさせているユナではない。
「あとは任せて、カンナ氏! 全員まとめて、ドラゴン☆ブレスで焼却だぁ~!」
 影の翼が再び広がると、ユナは弾丸のように高速で飛び出した。龍の吐息が聖剣の燃える斬撃を数倍にまで膨らませる!
「てぇいっ!!」
 ごうっ! と、湿った空気が一瞬で乾くほどの高温が、熱波のように渦巻いた。当然、炎に呑まれた精霊はひとたまりもない。
「よし、このあたりの連中は片付いたわね。私が先導するから、今のうちにスピードを上げて先へ進みましょう」
「よ、よかったぁ……って、それ僕がやるの!?」
「当然でしょ? 櫂があるんだから、ほら漕ぐ!」
「こんな流れの中じゃ、カヌーの激流川下りどころじゃないんだけどぉー!!」
 泣き言を喚きつつ、ちゃんと役割は果たすアドリアンだった。

天勝・牡丹
夢野・きらら
道明・玻縷霞

●舟と人魚
「はぁああ……」
 親類一同が同じ日付にぽっくり突然死したような、とにかく悲壮かつ陰鬱としか言いようのない顔をヴェールに隠し、天勝・牡丹は長く尾を引くような溜息をついた。
 そして、息を吐いてから思う。はたして今日、溜息をついたのは何度目だろうか。そのうち何回ほどが、あの厄介なことこの上ない「呑み友達」を思い出したせいだろうか。今回ばかりは|アレ《・・》がいなくてよかったと思うほかない。いたらもうリバースしてる。キラキラしてるやつを。
 その牡丹も|洋酒《ワイン》をたしなんだとはいえ、彼女は下戸ではない。それにどこかの誰かと違って量もほどほどなので、ものすごい揺れの舟の上でも成人女性がやってはいけない大リバースはかましていなかった。女の矜持である。

 しかし、レースのヴェールが災いした。天中殺と疫病神と巨大隕石がまとめてやってきたような絶望的な溜息をしていたせいもあるだろうか。
「もし……失礼ですが、お気分がすぐれないのですか?」
 偶然同船(というほどの大きさも頑丈さもないのだが)していた道明・玻縷霞は、完全に牡丹の体調が悪いのだと勘違いし、彼女を慮ったのである。
「無理はなさらないでください。なにせダンジョンですからね。この流れの先に、さらなる危険が待っているのは間違いないのです」
「いやぁ、その人船酔いしてるわけじゃないと思うよ」
 ちゃぷん。ツッコミは牡丹ではなく、荒れ狂う水面から顔を出した少女が担った。
「そうですか、お酒を飲んでいたせいで嘔吐しかかっていた方はいなかったのですね……」
 玻縷霞は安堵に胸を撫で下ろした。

「えっ」
「え?」
 ぐったりしていた牡丹も、思わず二度見した。ぎっこんぎっこん揺れる舟に平然と並走……いや並泳というべきか、とにかくその少女の顔をぽかんと見た。それは魔法少女、夢野・きららである。
「え? 何? ぼくはモンスターじゃないよ。悪いモンスターとかじゃなくて、そもそもモンスターではなく魔法少女だから、勘違いしないでね」
「いえ、そうではなく……あなた、一体どうやってこの流れの中を泳いでいるのですか? そもそも……」
 牡丹は訝しんだ。きららはクロールや平泳ぎすらしていない。背泳ぎをしているわけでもない。両手を水の中に入れたまま、けろっとした顔で並んでいるのである。
「いやぁ、実はついさっき、新しい√能力を思いついてね。腰から下は、ほらこの通り」
 ぱちゃん。嵐の海のような水面から、魚の尾鰭が顔を出した。それはちょうど、きららの下半身が人魚のようになっていて、身体を丸めていたらそこに出てくるであろう場所に顔を出している。つまり……。
「……√能力とは、気軽に思いついて実践できるようなものだったんですか……?」
 牡丹は別ベクトルに常識外れな存在を感じ取り、ヴェールの下で遠い目をした。

「……と、すみません。お話中ですが、どうやらこちらの舟にも敵のようです」
 玻縷霞は言うやいなや、右手を空中に突き出した。空気を貫く光の線が手のひらに当たり、プリズムのように四散する。それは彼の右掌に宿る、あらゆる√能力を無効化する力による守りだ。
「話通り、姿が見えませんね。ヒットアンドアウェイが得意と見えます」
 玻縷霞は左手でメガネを押し上げ、ちらちらと闇を照らす光を睨んだ。淡いように見える光は、おそらくそれ自体が光の精霊によるなにかしらの魔法で誤認識を与えているのだろう。光量に対して、相当の数がいるはずの精霊の居場所を視覚的に探ることが困難だった。
「うーん、厄介だね。まとめて薙ぎ払うわけにもいかないしなぁ」
「……あの、あまり聞きたくないのですが……」
 牡丹は、なぜか泳ぎながらぐびぐびとぶどうジュースを飲んでいるきららを訝しんだ。
「なぜ泳ぎながら飲み物を……?」
「あ、これ? √能力の前提条件というか、縛りみたいなものかな? |ぶどうジュース《これ》がないと変身が維持できないんだよね」
「冗談でしょう???」
 そんな都合のいい√能力、さらっと思いついてしかも実戦に持ち込むなんてどういう応用力してるんだ、と牡丹は真顔で思ったが、現実にきららが実践している以上、もう何を言っても無駄だった。

 こうなると、もはや身を隠してこっそり進むのも難しいようだ。揺れのせいでボロ布はとうに流れにさらわれてしまっている。
「はぁ……本当に、この先何度溜息をつくことになるのでしょうか」
 細く美しい指先が、日本刀「咲乱」の柄を撫でた。直後、光の中にひときわ星めいて光点が生じた。敵の光の弾丸だ!

 しかし弾丸は、まるで硬い壁に激突したかのように"跳ね"て、洞窟の天井にぶつかって四散した。
「来るとわかっていれば、やりようはあります」
 牡丹は抜刀を終えていた――否、正確には斬撃さえも。殺気を読み、後の先を得て敵を斬る。視認困難な神速の一撃を撫でるように、空間に無数の花弁が舞い、花吹雪めいて小舟を覆い隠した。
「わお、見事な業前だね。ぼくも相乗りさせてもらおうかな」
「相手が精霊であろうと、この右手で掴めば……!」
 花吹雪の中から、きららのハウリングキャノンが雨のように突き出し、光の精霊を貫く。さらに急カーブで距離が近づいた瞬間、花弁に紛れた玻縷霞の右手が精霊を掴み取り、そのまま弓なりの軌道を描いて水の中に叩きつけた。
「それっ!」
 きららは尾鰭で水を叩いて跳ね上がり、イオンスライサーで精霊を真っ二つに断つ!
「少なくとも、苦労はしなさそうです」
 牡丹はたおやかに微笑み、二人を称賛した。

ノーバディ・ノウズ
ヴィルヴェ・レメゲトン

●フェアリィ・ハント
 ギィー、ガコン、ギィー、コンコンコン……。
「マルファス、はようせんか! この調子では話が終わってしまうのじゃ!」
 ヴィルヴェ・レメゲトンは、二人乗りの舟を頑張って作る悪魔を痛罵した。
『契約者よ……汝の願いは「より頑丈で、サイズは小さくとも動力の突いた舟」だったはずだ……』
 偉大なる悪魔マルファスは、両手に木槌とノコギリ、そして肩に麻の縄をかけていた。
『我こそは40の軍団を率いる地獄の総裁……ならば仕事に妥協は』
「ヴィルヴェは「もっとまともな舟」としか言っておらんのじゃ! いいからさっさとせい!」
『素人は黙っておれ……』
 マルファスは職人肌の大悪魔だった。魔法の力でさらっと叶えるのは、彼(彼女かもしれないが)の矜持が許さなかったらしい。

 そんなわけで、ヴィルヴェは偶然出くわしたノーバディ・ノウズと待ちぼうけを食らっていた。
「首なしのォ、ヴィルヴェの代わりに矢面に立つのは任せるのじゃぞ?」
「おう。オメーの召喚術には、いつも助けられてッからなァ」
 ノーバディは市場から持ち込んだワインを、景気づけに呷った。
「光にゃ闇だ。このダンジョンが境界ってンなら、せいぜい|半端者《フリークス》として領域侵犯させてもらわァ」
『出来たぞ、契約者と災いの魔性よ……』
 そこにはサイズは小さいながらも、古式ゆかしい造船術と魔法の力を合わせた立派な舟が鎮座していた。
『では我はこれにて失礼しよう……』
「返礼とかどうすんだ? 生贄でも与えんのか?」
 ヴィルヴェはひらひらと手を振った。
「要らぬ要らぬ。こやつめにはそれはむしろ悪手なのじゃ」
 鴉を思わせる大悪魔は、猜疑と虚飾に満ちた眼光でノーバディを一瞥し、消えた。

 かくして大海原……ではなく地下湖に乗り出した二人は、木造船に取り付けられたモーターの力で荒れ狂う水面を力強く進む。
「大した乗り心地だぜ。カウボーイにゃおすすめできそうだな!」
 ノーバディは帆先に片足をかけ、物凄い揺れの中で仁王立ちした。ヘルメットの隙間から闇が漏れ出し、影となってその首を形作る。
「援護はしてやるのじゃ、だがあくまで援護じゃからな!」
 ヴィルヴェの周囲に、使い魔の亡霊たちが楽団めいて侍った。その時、光苔の生み出す淡い明かりの中から、少女めいたシルエットの精霊が何体も出現した!
「光あるところ、影も色濃くなるものだぜ!」
 左右から投げかけられた閃光を利用し、自らの影を濃密にしたノーバディのシルエットが、数倍に膨れ上がった。より正しくは、首なしの黒馬を召喚し、即座に融合したのである。
 影と一体化した両腕は捻じくれた鎌のように変化し、光の弾丸を飲み込んで精霊そのものを刈り取った。
「俺ぁ美味いもんは食えてねえからよ、テメェらで腹ごしらえさせてくれや!」
「放て!」
 亡霊の使い魔たちが病んだ魔力の雨を降らせる。光を穢された精霊は淡い輝きの中に紛れてチャンスを伺おうとするが、ブラックホールじみた引力は決して逃さず、さらに獲物を呑み込む。
「腹ごしらえしておけよコシュタ、この先は大喰らいが待ってるんだからなァ!」
 闇の|駆手《ライダー》は、渦潮の如き流れの中に黒き衝角を作り出し、くろぐろとした水を光なき暗黒で割るように突き進む……。

録・メイクメモリア
ツェツィーリエ・モーリ

●深淵へ
「――嘆きの川より、茫洋の海へ」
 ツェツィーリエ・モーリの刀を寒々しい氷が包み込む。それは|冥府《ハデス》の力、五つの川に囲われし静謐なる死の具現である。
 霜を張る刀身が海原じみた水面に触れると、アブストラクトな湖面はその形のまま停止した。魔術的な瞬間冷却は、一瞬にして万物を絶対零度にまで到達させる。生物を斬れば肉体を壊死させ、水ならばこのように凍れる足場――いや、橋を作り上げるのだ。

「……さ」
「ん」
 ツェツィーリエの差し出した手を取り、録・メイクメモリアは少しだけゆっくりと凍結水面につま先を触れさせる。
 かつん、と甲高い音が響いた。次に、氷と水面の境目がパキパキと軋む。さすがに地下湖全てを一瞬で凍りつかせることは、いくら氷冥刀でも不可能だ。しかし、あんなボロ舟に乗るよりはよほどいい――録が"乗って"しまえば、その乗り物は「迷う」可能性がある。このようなダンジョンにあっては尚更に。

 波濤のような荒れ狂う水の音は、二人を包む静謐のヴェールに遮られ別世界のように遠く感じられた。
「ちょっとファンタジーだね、この光景は」
「|そのような世界《√ドラゴンファンタジー》で御座いますれば」
「……そうじゃなくて」
 録は苦笑を浮かべた。しばし、ガラスの器を指でつつくような、規則的な足音だけが静謐に跳ね返る。
「このまま行けるかな」
「そのように運べば、僥倖かと」
「だよね」
 淡い光苔は、奥へ進むにつれて増えていく。光と闇の境界と名付けた、太古の冒険者の気持ちが、録にはなんとなく理解できた――異変がなければ、ここはダンジョンとは思えないぐらい静かで、優しげな風景が広がっていたに違いない。くろぐろとした水面を照らす淡い輝きは、なるほど星を思わせる。ここはいわば、星空の終点なのだ。

 しかし、その光はただ優しい光ではない。淡いように見える輝きの中、無垢なる害意をたたえたモンスターの存在を二人は感じ取る。
「妖精さんのお出ましだ」
「精霊、とも聞いておりましたが」
 二人の手が離れた。直後、世界を白が染め上げた。

 視界を奪う強烈な閃光は、光の精霊の常套手段だ。五感の一つを、それも重要な視覚を潰されてしまえば、大抵の生き物は隙を晒す。あとは煮るなり焼くなり、どうとでもなる――今まではそうだった。
「これが、関の山ですか」
 白を冷たき刃が裂いた。目を閉じたまま、|視覚《それ》以外の感覚を研ぎ澄まして世界を視るツェツィーリエの氷冥刀が、空気に不穏な風鳴りを生じた。動きを奪う光の鎖は、それすらも凍てつかせるように思える冥府の剣で一蹴され、返す刀が遠間の斬撃を実現する。
 怯んだ光の精霊に、獣が飛びかかった。獣の名は録と言った。|猿《ましら》を思わせる本能的な|跳躍《パウンス》は、理性の計算に成り立っている。それは森に生きる狩人の|わざ《・・》だ。
「貰った」
 断定的な宣告は、ただの事実の再認識だ。左手の雷火が逆手に敵を斬り伏せ、右手の閃影が一つ後ろの|光《かげ》を穿つ。背後を狙おうとする光の精霊は、氷冥刀に百舌鳥めいて貫かれ四散した。
「我が主には、傷の一つもつけさせませんわ」
 主従の狩りは効率的で、いっそ美しくすらある。氷上の舞台を踊るような反撃によって、光は絶えて再び静かなる闇が訪れた。

ポジコ・ポジトロン

●こういうケースもある
「死ぬ―!! 私溺れ死ぬか輝き死にますわぁー!!」
 人型の要塞じみた魔導兵器に身を包んだポジコ・ポジトロンは、逆に舟のほうが小さく見えそうなサイズ差でしがみつきながら叫んだ。
 ……冒険者は、前提として√能力を必要とする。そうでなければダンジョンに取り込まれモンスターと成り果ててしまうからだ。ゆえに、まともな神経の持ち主なら、√能力者でもないのに冒険者を名乗ろうとはしない。

 しかし、そういうイカれたアウトローにとって、冒険者という一攫千金の生業はまさにうってつけ。ハイリスクハイリターンに命を賭ける馬鹿は、どの√にも、どの時代にもいる。
「|秘境《グンマー》の生まれであることをこれほど憎んだことはございませんわ! ですがこちとら水上川で鍛えた精神力がありますのよ!!」
 ポジコはどちらかというと、やむにやまれぬ事情でそうなったタイプなのだが、まあとにかく√能力がないからにはテクノロジーでどうにかするしかなかった。足りない分は勇気と気合で補うのが、没落成金闇冒険者のやり方だ!
「|欧州《ヨーロッパ》風情が! 私をナメるなァーッ!!」
 √能力者の助力? 不要! ポジコには実家の|技術力《カネ》がある! エレクトラ・セブンの関節部から蒸気が噴き出した。彼女は拳を握りしめた!
「かいりき・いのり・しっぷう・ねんじろ! 灰になれ|怪物《モンスター》どもォーッ!!」
 ゴウッ! 風の拳が光の精霊を吹き飛ばす。倒すには足らないが、とにかく現地まで到達できれば勝ちだ!
「オーッホッホッホ! 私この程度の困難では折れませんわよ! オーホホホうわっやばいやばいやっぱりこのボロ舟やばいですわ壊れますわァー!!」
 すんげえ危なっかしいし、すんげえやかましかった。

レミィ・カーニェーフェン
二階堂・利家
ウィズ・ザー

●暗黒の先へ
 ドドドドド……!
「帰る! 自分欠席するっす! 謹んでご遠慮するっす!!!」
 二階堂・利家は物凄い水の音に負けず、喉を枯らさんばかりに叫んだ。目を閉じて頑張って酔わないようにしていたが、もはやそんな場合ではない――徐々に前方に近づいてきているものは、もともと闇に包まれて見えていないが、そういう話ではないのだ。

 この音は、地下湖の莫大な水がさらに地下の空間に流れ込んでいる証だ。端的に言えば、この先は滝のように垂直になっている!
「落ち着いてください! ここまで来たら、どのみち戻ることは出来ませんよ! 覚悟を決めましょう!」
 同じ舟に乗り込んでいたレミィ・カーニェーフェンが、大きな声で利家を説得する。
 二人の舟は、もうすぐ地下の滝へ落ち行こうかというところだった。
「この先に、湖底に穴を開けた元凶……つまり、土竜のねぐらがあるはずです。あと一歩で解決なんですよ!」
「わかってるっすよぉ! でもこんなアトラクションなんて聞いてないぃ!!」
 利家は泣き叫び……と思ったら、急にピタッと黙った。
「え? あの、どうしたんですか? まさか流れに飛び込んで泳いで帰るとか無茶なことを言い出したりは……」
「……………………………ウップ」
「!!!」
 レミィは、なぜ利家が急に黙ったのかを理解した。利家は顔を青ざめさせ、ダラダラと脂汗を垂らし、口をハムスターめいて膨らませていた。つまり、|決壊《メルトダウン》寸前である。まずい……このままでは、危険とロマンとワクワクに満ちた冒険の思い出が、最悪なことになる! お互いにとって!!

 どうするべきだ? ここまで至ってしまったら、もう何をしても手遅れなのでは?
 かといって水面に身を乗り出してリバースは、危険だ。だってもうすぐ滝のように真っ逆さまに落ちていくゾーンである。リバースしてる最中に滝に到達したら、そのまんま身を投げ出されて利家が死んじゃうんじゃないか? まさか襲いかかるモンスター以外の要因で、ここまで追い詰められることになろうとは!
(「迷っている時間はありません! 今すぐにキラキラしたものを、こう、アレしてもらわないと……!」)
 レミィは利家が落ちてしまわないよう支えようと、彼に歩み寄った。その時である。
「オイ何しようとしてンだァ?」
 ザバァ! 闇のように昏い水面から、目のないヒョウアザラシが飛び出したではないか!
「「ギャーッ!?」」
 予想だにしないエントリーに、レミィも利家も尻もちをついた。それは地下湖に棲んでいたモンスター……な、わけがない。

 何故なら、姿を現した光の精霊は、三人まとめて攻撃してきたからである。
「おッ、来やがったなァ? 泡沫の刻だぜェ」
 ヒョウアザラシ……もとい、ウィズ・ザーの黒い身体が膨らんだ。否、正しくはそれは、彼の身体に溶け込む影が巨大化したものだ。影は大きな顎のようなシルエットを形作り……ばくんと、光の魔法もろとも精霊を捕食してしまった。
「光に払われるだけが闇ぢゃァねェよ、覆い尽くしてやろうぢゃァねェか」
 大きく口を開けたような闇顎から、牙が刃のように一瞬で伸び、接近する敵を次々に百舌鳥の早贄のように貫いていく。
「る、√能力者の方でしたか! ごめんなさい、援護します!」
 レミィは気を取り直し、精霊銃を支えに立ち上がると、ベレー帽を被り直した。その時には既に、少女は冒険者の|貌《かお》だ。
「そこです――!」
 ガァアン! と、光と闇の境界に雷鳴のような銃声が轟いた。雷の魔弾は光を呑み込む闇を照らし、さらに延ばしながら、自らもまた一体の精霊を撃ち貫く。
「いい目をしてるぢゃァねェか。大したもんだぜ」
「そちらこそ、物凄い影の魔術ですね……いえ、魔術なのでしょうか? とても気に……」
 ウィズとレミィはお互いの腕を称賛しあった。

「ウップ」
「ああああ!」
 レミィは今そこに迫る危機を思い出した!
「だ、大丈夫ですか!? もしかして今の銃声がガンガン響いちゃいました!?」
 利家は決壊寸前のまま、コクコク頷いた。そして、身振り手振りで「気にしないでください」とフォローする。
「いいか、俺がいンのにリバースすんぢゃァねェぞォ?」
 ウィズは釘を差した。利家は青い顔のまま、全力で耐えた。幸い、ビカビカ視覚を苛む光の魔術は、ウィズの影が飲み込んでくれていた。それは多少マシといえた。
「……お、俺も、援護するんで……!」
 利家はレギオンミサイルを発射し、広範囲の敵を一蹴!

 でもって、爆音がさっきのレミィの銃声よりガンガン響いた。
「ウップ」
「大丈夫ですかー!?」
「自分で自分苦しめてどォすんだよ、こいつァ……」
 ウィズは呆れ返り、巻き込まれないうちにさっさと離れた。楽しい濁流下りは、まだ続くのだ。

黒野・真人
櫂・エバークリア

●光の淵を離れ
 ドドドドド……轟音がほのかな光に照らされた洞窟に響く。だがそれは、荒れ狂う地底湖の音ではない。
「すっげえ……!」
 黒野・真人はマジックを目の前で見た子供のように、無邪気とさえ言える感嘆の溜息を漏らした。
 音の正体は、彼が今まさに乗っている舟――より正確には、その後部に取り付けられた船外機のおかげだ。
「な? 言っただろ?」
 櫂・エバークリアは得意げに、そして微笑ましい表情で言った。

 驚くべきことに、このどこからどう見ても最高級の小型モーターボートに見える逸品は、他の√能力者たちが虹色のキラキラをリバースしそうになったり、悲鳴を上げながらしがみついたり、「こんなもん乗ってたらむしろ敵に攻撃される前に死ぬ」って諦めた、あのボロい小舟である。
 櫂は卓越した戦闘工兵のスキルと√能力を駆使して、見事にモーターボートへと作り変えたのだ。
 老朽化による小さな穴は、ウレタンスプレーで防がれている。
 手作業ゆえのガタガタの形状は、ストレートVに削られ補強により耐久性を増加。
 プレーニングのための処理を施し、最後にテンションアップのための塗装をした、自慢のカスタマイズボートである。
「アンタ、割と万能だよなー」
「こういう時に役立っておかないと、な?」
 櫂は決して己の技術をひけらかすことなく、それなりに勝ち誇った。素直な称賛に対して過剰にへりくだるのは、せっかく持ち上げてくれた相手に失礼だし、逆に興を削いでしまうというものだ。
 それに、そういうコミュニケーションの技法はさておいて、真人に称賛されるのは決して悪い気分ではない。
 何より彼が、こんな年相応の――いやむしろ、もっと幼く見える表情で何の衒いもなく感想を述べてくれることが、櫂にとっては嬉しいのだ。

 かくして、白い一本線を走らせた赤いボートは、猛スピードで滝のような穴へと迫る。
 地下に水が流れ込んでいるということは、当然そういうことだ。川下りというより……ここからは落下と呼ぶのに相応しい超傾斜が待っている!
「こんなボートでも、不安はあるんだ。適材適所で頼むぜ、真人」
 櫂は光の中へ一瞥を向けた。淡く見えるがその実、距離感を錯誤させる魔性の光の中に瞬きが生じる。真人は身構えた。
「いいか、この舟はいま木の葉みたいなもんだ」
 櫂が神妙に告げた。
「俺は操船で手一杯になる。任せるぞ!」
「当然だ!」
 ゴウ! 一気にボートがスピードを上げた。プレーニングにより水上を滑るように走るがゆえ、安定性は置き去りになる。一撃でも喰らえば、舟は途端にバランスを崩して横転、二人は海の――いや、湖の藻屑と消えるだろう。

 そこに、光の魔術である。これはいくら塗装や強度を上げたところで、弾けるものではない。だからこそ、後の先を得て敵を撃ち落とすのが重要!
「やらせねえ!」
 真人は手数を重視した。これはほぼ最適解だ。正確さを重視して、一体一体確実に落としていくのも間違いではないが、その場合どこかで撃ち漏らしが生じる。対して手数に任せた面制圧攻撃であれば、仮に一撃で仕留められなくても、弾幕が敵の攻撃を遮るのである!
 闇が凝ったような黒い光が、邪悪な光の弾丸を飲み込み、劈き、そして精霊を貫いた。
 真人は優れた動体視力で、猛スピードで背後に消えゆく精霊にとどめを刺したことをかろうじて感じ取る。彼でなければ、それすらも叶わないだろう。
「次が来るぞ!」
 櫂が警戒を促した。真人は前方一杯に黒光の雨を――降らせる!
「オレ達の行く手を、遮れると思うなよ!」
 白と黒の二色の光が渦巻く。それはまるで、モンスターの侵略によって、静謐と沈黙に守られていた光の闇の境界が乱れた、今のこのダンジョンそのものの様相。
 光の波濤としか言いようのない、マーブル模様の乱気流を抜け、ボートはついに直角に等しい穴の中へ飛び出した!
「おい! 酒飲んでたけど大丈夫なんだよな!?」
「あんなの、呑んだうちに入らねーよ! それよか荷物を押さえておけよ!」
 真人は言われた通り、ボートに搭載された食糧を抱え込むように身を伏せた。浮遊感と落下の違和感がボート全体を襲う――櫂は巧みな操舵技術で、滝のような流れに乗り暗黒の只中へと進んでいく……!

第3章 ボス戦 『土竜』


●闇の先の暗黒で
 かくして√能力者たちは、滝のようにほぼ垂直な穴の中へと投げ出された。
 もしかすると激しい流れのせいで破壊寸前の舟もあるかもしれないが、さっきより激しくなった水流に乗れれば無事――な、はずだ。

 ともあれ、掘削された穴の中から飛び出したのは、巨大なドラゴンである。
「あぁ!? 冒険者だと!? 人が気持ちよく巣穴を作ってるところに邪魔しにきやがって!」
 土竜は唸りを上げ、怒り狂った。だが、雄叫びと同じぐらい大きな腹の虫が暗闇に轟く。
「なんだか美味そうなニオイがするじゃねえか……!」
 土竜はその性質上、莫大なエネルギーを消費する。それゆえに常に空腹だ。
 もし食糧を持ち込み、かつ無事なままここまで運搬してこれたのなら、放り投げてやるだけで簡単に注意を惹くことが出来るだろう!
トーニャ・イントラット
七々手・七々口
スノードロップ・シングウジ
春埜・紫
二階堂・利家

●暗闇より
(「なんだかでっかいモンスターが出てきたわ! よく出来てるわねこのアトラクション!」)
 こっそりと小舟の影に隠れていた春埜・紫は、最新鋭のアトラクションに目を輝かせた。
 なお、彼女は√能力者でもなければ、そもそも自分が異世界にいることすらはっきり認識していない、ただの少女である。
 勘違いもここまで来ると一種の才能……いや、何かしらの超自然的とすら言える豪運だろう。現に√能力者たちにその存在を気取られていないのが証拠だ。
(「一体これからどうなるのかしら? 目が離せないわ!」)
 自分が命の危険に脅かされており、そもそもこのダンジョンに長居するとモンスターになってしまうことさえも全く理解していない!

 ……と、完全に場違いとさえいえるワクワクを燃やす紫には気付かず、土竜を迎え撃つ√能力者たち。
「ふん。少しばかり褒めてやろうと思ったが、なんと卑しい虫けらよ」
 トーニャ・イントラットは舟の上で堂々とふんぞり返った。
「何!? 誰が卑しいだとォ!?」
「無論、貴様のことだ。龍気取りの|地虫《ワーム》めが!」
 それは誇り高きドラゴンプロトコル特有の怒りだった。
 己の欲望のために大地を作り変え、人間の事情などお構いなしに環境を操る――それはいい。トーニャとしては、むしろ褒め称えてやりたいところ。

 だが、しかし。
「ぐうぐうと腹の虫を鳴らして、飯に涎を垂らすようなハイエナ如きが! 余と同列に並んだなどと思うなよ!」
 トーニャはわざと竜漿石を見せつけ――た、上でそれを砕いた!
「なっ!? て、テメェなんて勿体ないことを!」
「その羨むような卑しさも実にみすぼらしいな。貴様には何も与えぬ。余が奪うのみ!」
 トーニャの赤い瞳が、血の如く輝きを強めた! 途端にその姿が巨大な黒竜と化し、舟を飛び出すと、雄叫びを上げて土竜に食らいつく!
「っと! ちょっと違うタイプの竜だと思ったら、ある意味正解が味方から出てきたか!」
 二階堂・利家は振り落とされないように身体を沈め、風圧に耐えた。その顔は、さっきまでものすごく辛そうだったのに今はスッキリしている。
「アナタさっき顔色悪かったデスネ。大丈夫デスカ?」
 後ろから支援を試みようとしていたスノードロップ・シングウジが気遣った(カタコトなので丁寧に思えるが、本人的には「前衛が減ると前に出ないといけなくてめんどくさいのよね」とだいぶシビアな思考をしている)
「イエスイエス! ノープロブレム!」
 利家は爽やかにサムズ・アップした。つまり|キラキラしたのをアレした《そういうこと》である。

「はぁ……早くリフレッシュしたい……」
 同じ酔い潰れ仲間(?)の七々手・七々口も、まあ似たような感じでそれなりにリセットしたはいいが、相変わらずぐったりしていた。
 ゴオウ! 怒り狂う二体の竜の振りまくブレスが、彼らの事情などお構いなしに舟を、翼を、巨大な蛇を薙ぎ払おうとする。
 トーニャはものすごいパワーで攻め立てているが、どうやら土竜も伊達ではないようだ。
(「これってCG? どういう設計なの? AIの力ってやつ?」)
「……」
 スペクタクル映画もびっくりのモンスターアクションに集中する紫の存在に、誰よりも早くスノードロップが気付いた。

(「ゲリラライブのときにもいたけど、なんか妙なガキンチョね。とりあえず放っておいていいか」)
 が、スノードロップは大して驚かず、あっさり思考を切り替えた。ようはさっさと敵を倒してしまえばいいのだ!
「BGMをつけてあげマス、頑張ってくだサイ!」
 ギャアアン! 激しいエレキギターサウンドが、空に浮かぶアンプから発射された。竜の雄叫びをも切り裂く超自然的な音の波が、暗黒の空間を震わせる。
「んじゃオレは、餌でも投げてやるかなー」
 ダルそうな七々口の周りにいた「手」の一つ、傲慢を体現する魔手がひょいと食糧をつまみ上げた。
「おーい、ちゃんと受け取れよー」
「テメェ! 俺様のことをなんだと思って……!」
 ぽーい。動物園で放し飼いにされた動物の如き扱いに怒りを見せる土竜だが、肝心の食糧が勢いよく放り投げられると、ついつい視線が向いてしまう。
「余を前にして余所見をするか、莫迦めが!」
 それを見逃すトーニャではないし、プライドを傷つけられてさらに怒りのボルテージが上がる。ブレスを吐き出す口が大きく開かれ、鋭い牙が土竜に食らいついた!
「グギャアアアッ!!」
 土竜は苦悶し、暴れた。呪いを帯びた音の波が全身を叩き、さらに責め苛む。こんな状況でも視線は放り込まれる食糧につられているあたり、本当に食いしん坊のようだ。
「こんな地面の底にいたら、腹も減るよね」
 利家が跳んだ。その姿が古龍降臨によって変化し、融合したインビジブルの力が迸る。空気を蹴るように、加速!
「けどごめんね、俺はお土産持ってきてないんだ――だから代わりに、|古龍閃《こいつ》を喰らわせてあげるよ!」
 ざんっ!! 霊剣の一閃!
 スノードロップの音の魔力で増幅されたパワーは、鋼鉄のように強靭な土竜の外皮をバターのようにあっさりと切り裂いた!

(「なにあれ楽しそう……私もあげたい!」)
 紫は意を決して立ち上がった。スノードロップはちらりと一瞥を向け、「本当に変わったガキンチョね」と心のなかで呟いた。が、咎めたりはしない。ここで他の面々がその存在に気付いたら、逆に混乱して結果的に危険を招く(あと子守の類は単純に面倒という、相変わらずのシニカルさ)という判断だ。
「ほらほら、ここにもあるわよ!」
「グオオオオッ!!」
 土竜は渦巻くような零剣術と、トーニャの爪牙に傷つけられ、回復するために食糧を求めた。紫が掲げるそれをめがけ、目の色を変えて飛びつく!
「そっちから近づいてきてくれるんだ? 楽でいいねー」
 ぽーん、と放り込まれたのは新たな食糧……では、ない。食糧に紛れ、自分自身を放り投げさせた七々口だった!
 途端に魔手が群れをなして土竜に組み付いた。傷をこじ開けるように、メキメキと音を立てて凄まじいパワーが籠められる!
「ギィイイッ!? な、なんだ、この妙な「手」はァ!?」
 ただの使い魔や召喚術の類ではない。底知れないパワーと魔力を感じた土竜は、五体を引き裂かんばかりに力を込める魔手から逃れようとのたうち回り、そして地面に飛び込むことで隠れようとした。神なる土竜に変身して全てのダメージを防ぐためには、カロリーが足りない。だがカロリーを補給しようとすると、この通り一気に攻撃だ。どちらの選択肢を採ろうと追い詰められていく悪循環!
「じわじわ嬲られる気分はどう? ま、自業自得だけどね」
 スノードロップは母語で呟き、翼を広げ、呪詛を乗せたサウンドを爪弾きせせら笑った。ずたずたにして痛めつけるのもいいが、こうして安全圏から弱っていくさまを見下すのも、冷酷なるセレスティアルにとっては悪くない気分のようだ。
「さあ、耐えきってみせよ! 仮にも竜を名乗るのならばなァ!!」
「オオオオオ――!!」
 そこへトーニャが彗星のように降り、爪によって縫い留め、ブレスを吐きつけた。
 己の巣で弄ばれるように痛めつけられる屈辱に、土竜は怒りと恐怖の雄叫びを上げる……!

ノーバディ・ノウズ
ヴィルヴェ・レメゲトン

●怒りの日
 グオオオ――!!
「うおッ! すげェ雄叫びじゃねえか……荒っぽいドラゴンだぜ」
 舟を揺らすほどの空気の振動に、ノーバディ・ノウズは不敵な雰囲気を纏う。
 決して|戦闘狂《バトルジャンキー》などという手合ではないが、しかしどうせ戦うなら手応えのある相手のほうが燃えるタイプなのも確かだ。
 土竜。言い得て妙な名である。土の竜! すなわち紛うことなき強大な存在!
 気兼ねなく殴り飛ばせるという意味でも、ノーバディの戦意は高まっていた。

「いや、これ雄叫びじゃのうて腹の虫じゃの」
 ヴィルヴェ・レメゲトンはお菓子をもぐもぐ食べながら指摘した。
「エッ?」
「ほら、ものすごい血走った目でヴィルヴェのチョコ見とるし」
「そうだぞテメェエエ!! これみよがしに喰いやがってェエエエ!!」
 √能力者にしこたま痛めつけられ、エネルギー補給を急務としていた土竜はブチギレた!
「もう許せねえ! テメェら丸ごと喰らい尽くしてやるぜェエエエ!!」
「うおおおおッ!!」
 ノーバディは咄嗟に影馬コシュタを顕現! ヴィルヴェを抱え空中へ跳んだ!
 KRASH! 小舟はあっけなく破壊される! 載っていた食糧も丸ごとだ!
「足りねえ!! こんなもんじゃ全然足りねえええ!!」
「あっぶねェ……しかしまだまだ満たされないみてぇだな」
「できればもう一つ狙いをブレさせる土産が欲しいとこじゃのう」
 ノーバディの顔面に、ニヤリと笑う絵文字が浮かんだ。
「なぁに、こんなこともあろうかとちゃんと余らせておいたぜ!」
 ノーバディは、懐からボトルを取り出した!

 サクサクサク……ヴィルヴェはビスケットを食べながら、ジト目でそれを見た。
「空っぽになっとるんじゃが?」
「え゛」
 見ると確かにワイン瓶はすっからかん!
「お、おかしいな!? 俺もちょいと飲んだが、流石にぶつけるためのワインは取っといたぜ!?」
 その時だ。モゾモゾと瓶の中から、酔いどれが這い出した。透明になっていたのが紫色に変色し、こころなしか赤みがかっているように見える。
「…………おいまさかお前、飲んだ???」

 沈黙が流れた。

「ふッざけんじゃねええええ!!」
 土竜、キレた! 更に攻撃の勢いが激しさを増す!
「首なしのせいでキレておるんじゃがー!?」
「俺だけのせいかよ!? いいからとにかく目くらまし目くらまし!」
「仕方ない、開門せよ! 天使の軍勢よ!」
 キュバババババッ! 星の如き聖なる光が暗闇を照らし、光条が土竜を穿つ!
「こんなもんでダメージ食らうかボケがァアアッ!!」
 土竜は怒りに任せ大きく口を開けた。光の雨の中、二人を影が包みこんだ。

 それは、土竜の巨体が生んだ影ではない――膨れ上がったコシュタだ!
「ヴィルヴェ、残りの半分を俺に叩き込め!」
「わかっておる! 任せたぞ!」
 ヴィルヴェはさりげなく残っていたお菓子を横に放り投げ、自らも宙に身を投げた。土竜の視線がつられてお菓子のほうに向く。光を飲み込んだ影は、白と黒のマーブル模様の塊と化した。そして混沌兵装を身に帯びたノーバディも!
「さぁ、|混沌《カオス》の時間だぜ!」
 コシュタと光のパワーを併せ持ち文字通り最強になったノーバディは、土竜の口の中めがけ砲弾のように突撃した!
「ウギャアアアアッ!?」
 脆弱な体内への攻撃を受け、土竜は怒りの雄叫びではなく苦悶の絶叫を上げ、激しい流れに叩きつけられた!

戦術具・名無
神元・みちる

●竜との戦い
 ザバァ! 暗黒のような光なき水を飛び散らし、土竜が飛び出した。エネルギーを求め怒り狂うその勢いは、まさに大地を穿つ竜そのものだ。
「お、おー! すげー! ほんとのドラゴンだ!」
 ゴウ! 飛びかかり攻撃をアクロバット回避した神元・みちるは、新しいおもちゃを手に入れた子供のようにきゃっきゃと笑った。
『油断しないでください、みちる。気を引き締めないとやられますよ』
 戦術具・名無が警戒を促す。たとえ、みちるにそんなことはないとしても口に出てしまうのが性分というものだ。

 みちるは楽しみこそすれど、油断はしない。それは、名無も承知の上である。
 現に土竜の恐ろしい連撃を、みちるは天性の勘と的確な状況判断で回避している。真下は先程よりも激しい流れ、さらに光苔すらもないこの地底では視界もおぼつかない。小舟に乗って迎え撃つというわけにもいかないのだ。
「なー! お前がここにいるとダメなんだ! 大人しく動いてくれないかー?」
「テメェらの命令を聞くわけがねえだろォ! 俺様のエネルギーになりやがれェ!!」
「だめかー。――じゃ、仕方ないな!」
 みちるの目が、暗闇のなかできらりと閃いた。

「死ねェ!!」
 まず最初に迫るのは、尾だ。
 ハエ叩きのように尾で獲物を打ち据え、次に爪で捕縛し、最後に牙で食らいつく。それが土竜の必殺の|連撃《コンビネーション》。
 ベテランの冒険者が|竜撃乱舞《ドラゴン・レイド》とも呼称するとか、しないとか、そんな噂もある怒涛の攻撃!
『みちる、来ますよ! わたしに合わせてください!』
 名無は暗闇に響く音を頼りに、攻撃の機会を掴んだ。そして!
「おっけー、名無に任せる……ぞッ!」
 ざんっ!! 巨体とすれ違う瞬間、鋭い光の線が走った。みちるは……無傷!
「グギャアアアッ!? バ、バカな! 俺様の鱗がァ!?」
 一方、攻撃を仕掛けたはずの土竜は尾の根本を深々と斬られ絶叫した。どれだけ強力な連撃だろうが、当たらなければ意味はないのだ!
「なー、これなら次は名無がメインでやってみればいいんじゃないかー?」
『冗談はそこまでにしてください。わたしはあくまで、あなたのサポートですよ』
 一人と一体のコンビは、軽口を叩きあった。

録・メイクメモリア
ツェツィーリエ・モーリ

●暗黒の森
「竜だ」
 呟く録・メイクメモリアの口元は、わずかながら上向いていた。
 仮にも、狩人である。
 生物の中で至上の存在ともいえる竜を――たとえそれが翼なき|地虫《ワーム》じみた存在とて――目の当たりにして、滾らないわけがなかった。
「わたくしも見るのは初めてでございますね」
 一方で、ツェツィーリエ・モーリは相変わらずの鉄面皮。
 |知己《おじ》に|類例《・・》がいるせいなのか、単に狩人ではないからなのか――もっとも、"おじさま"と慕う「彼」の竜たる真姿を目撃したことはなく、同時に「それ」とは些か趣が異なるとも感じていた。
 言うなれば、存在そのものの格。
 力を求め欲望のままに暴威を振るい、腹を鳴らして暴れる姿は獣のそれだ。"おじさま"とは似ても似つかないのは確か。
「ツィル、少し手伝ってくれるかい? 持って帰りたいお土産が増えた」
「龍の肉を、でございますか。かしこまりました」
 ツェツィーリエは繋いでいた手を離し、一礼した。
「然らばその栄誉あるお役目に適うよう、全力にて」
「ベラベラとわけのわからないことをォ! 死ねェエエッ!!」
 怒り狂った土竜が! 迫る!

 しかし、その時だ。
「|鷹狩《ホーキング》の時間だ――"麓"、手伝って」
 木彫りの鷹が高く鳴き、羽ばたいた。散った羽は驚くべきスピードで、猛然と荒れ狂う流れに、あるいは光苔がないゆえに見通すことも出来ぬ岩壁に突き刺さる。
 するとそこから、恐ろしい勢いで樹木が芽吹いた。自然の成長速度の数十倍……いや、数百倍、ともすれば千倍近いスピード!
「な、何ィッ!?」
 土竜の進行上に絡み合う太い幹が出現し、物理的に道を阻んだ。無論、強靭な樹木とて、地盤さえ貫く土竜ならば突破は不可能ではない。
 だが立体的に入り組んだ地形は、二人の主従が隠れ潜む絶好の森だ。羽弾が鱗に弾かれると、自然と土竜の注意は"麓"と録へ向いた。
「そこかァッ!!」
 バキバキバキ――芽吹いたばかりの樹木を薙ぎ払い、怒りに満ちた突撃を敢行する。

 あるじの危機。それを見逃すツェツィーリエではないし、そもそも好きにさせるつもりもなかった。
「いと名高き者よ。貴君の御力を、我が身に」
 口訣が伝承に名高き冥王の力を喚ばい、パキパキと掌に生まれた冥氷が枝のように長く伸びて砕けると、そこには冷たい|二叉槍《バイデント》が残った。
「ぐォオオッ!?」
 グン――見えない引力が、土竜の巨体を引き寄せる。折られた樹木が一種のデブリのように周りに巻き込まれ、土竜の動きをさらに妨げた。
「仕方のないこととはいえ、我が主に牙を剥いた報いは味わわせます」
 氷のような鋭い眼差しが、土竜を射抜いた!
「串刺しにして差し上げますわ。御覚悟を」
 そして物理的にも、二叉槍が鱗を砕いて肉体に突き刺さる。
「残念だったね。僕のメイドは、そんな隙は見逃さないんだよ」
 ねじれた巨木に着地した録のつぶやきを、筆舌に尽くしがたい竜の悲鳴がかき消した。

道明・玻縷霞

●立ち退き交渉
 KRAAASH! 地底が揺れる。湖から流れ落ちた水が飛沫を上げ、ゴロゴロと転がる土竜を受け止めきれずに闇へ消えた。
「く、くそォ……! なんだこいつらは……!!」
 これまで、土竜は最強であった。
 大地の底でモンスターさえも喰らい、ダンジョンを好き放題に歪め、掘削し、腹が減れば滋養を喰らい、気分が悪ければ破滅のためのトンネルを作って憂さ晴らしした。
 遠からず冒険王国は、誰も知らないうちに地盤沈下でダンジョンもろとも地底に飲まれる――はず、だった。しかし√能力者が、それを阻んだのだ。

「そちらも、このまま滅ぼされるのは本意ではないでしょう」
 静かに降り立った道明・玻縷霞が言った。
「折角の巣穴を放棄するのは心苦しいかと存じ上げますが、いかんせん揺れと轟音の被害が大きく……」
「だ、黙れェッ!! 役人か貴様はァ!!」
 土竜は雄叫びを上げ、立ち上がった。玻縷霞は眼鏡を押し上げ、嘆息する。
「いけませんね、職業柄どうしてもこういう喋り方をしてしまいます」
「道理で俺様を動かせると思ったか? バカめ!!」
「おや? それは些か心外ですね」
 ギラリと、レンズの奥の瞳が鋭くなる。
「私はあくまで、暴力の口実が欲しいだけですよ」
「ほざけェッ!!」
 黄金に輝く爪牙が、玻縷霞に襲いかかった!

 ――KRAAASH!
「な?」
 先の落下に等しい轟音。土竜は呆然と、砕け散った己の爪の破片を見た。
「手っ取り早く、参りましょう」
 膝である。玻縷霞は攻撃に合わせて後の先を取り、瞬間的な打撃を爪の一本に叩き込むことで、砕いたのだ!
「が――ごああああッ!?」
 次いで、拳の嵐が吹き荒れた。ガラ空きの腹部に浴びせられる、打撃、打撃、打撃!!
「ほう。これはなんとも新鮮ですね。人とは大きく違います」
 涼しい顔で連続攻撃を繰り出した玻縷霞は、わずかに乱れた髪を整えた。
 猛烈な暴力を浴びせられた土竜は地面を転がりながら吹き飛び、自らが抉り抜いた壁に背中を叩きつけられる。
 再び、地の底が揺れた。
「実に面白い。腕が鳴ります」
 怜悧なるその表情の奥、竜さえ退かせる闘争心が牙を剥く!

天勝・牡丹

●狩猟に遊ぶ
 ぱん、ぱんと服の汚れを払い、天勝・牡丹は一つ呼吸した。
 地の底、人では踏破し得ぬダンジョンに生まれた、本来存在しない空間。漂う空気は奇妙にも清廉だ――だが不思議ではない。
 人の営みは、どれだけ慎ましかろうと環境を汚す。その点ダンジョンは生まれたままの自然であり、しかも空間そのものが掘削で生じたのなら、湖水や川の水とともに流れ込む空気は、まさに無垢なのであろう。
「貴様も、俺様を退治しようてか」
 遥かに巨大な土竜が、ぬうっと顔を近づけた。
「大きなドラゴンさんですね」
 牡丹は驚きも慄きもせず、いっそ呑気に呟く。
「地上では皆、迷惑しているんですよ?」
「ほざけ! 知ったことか、むしろ真っ平らにしてやるわ!」
 土竜は言ってから、地面を揺らすような大声で笑った。
「いいや、俺様の場合はむしろ地の底へ沈めるのだがな! ハァハハハハ!」
「そうですか。なら、仕方ありません」
 すらりと、牡丹は太刀の鯉口を切り、鞘走った。

 鈴の鳴るような甲高い音が響き、空気を震わせた。土竜の笑いが消える。
「一狩り、いたしましょう」
 竜は瞬間的な憤怒を湧き上がらせた。己を狩りの獲物と宣言されることは、傲慢なドラゴンが許容できるはずもない!
「死ねェッ!!」
 大木を軽く超える巨大な尾が、地面を削り流れ落ちる水を吹き飛ばした!

 牡丹は? 岩盤をめくれあげるようなテイルスウィープで、吹き飛ばされ洞窟のシミと化したか?
 ――否!
「成る程。大きな体躯に見合う力ですね」
 空中! 重さを感じさせない軽やかな跳躍で回避していた。土竜の憤怒は極限に達し、肺腑が風船じみて膨らむ。
「ゴァアアアッ!!」
 土臭いブレスが雪崩を打った。牡丹は吐息そのものを刃で切り払うという、およそ常人には不可能な絶技で回避不可能の攻撃を防ぐ。
 ふわりと、風に舞う木の葉のように着地したところへ、神なる竜が突撃した。直撃すれば即死――いや、ただ死ぬだけではない。五体が爆発し、断裂四散して跡形も残さぬであろう。巨大さが倍になって見える迫力が知らしめている。
「それに素早い……」
 が、牡丹はこれも横方向へ回避。すれ違いざまに一太刀刻み込んですらみせる。想定通り、強靭な鱗は幽き抵抗を拒絶し、嘲笑った。
「ハハハハハッ!! 狩るだと!? 誰がだ!? 貴様がか!?」
 土竜は爪を突き立て強引に方向転換し、巨体を丸めて力を籠めた。
「狩るのは俺様だ、莫迦めがァ!!」
 砲弾じみた再びの突撃! 牡丹は回避に専念する。力と体格差は圧倒的――しかし当たらなければ、意味はない。

 普通なら、苦し紛れの悪あがきというべきところ。牡丹には最初から狙いがあった。
「ぐ……!!」
 漏れたのは呻きか、腹の虫か。神なる力の輝きが弱まり、地面に広がるブレスの勢いも心もとない。
「お腹が空いているのでしょう? 動きすぎましたね」
「だ、黙れェッ!!」
 嘲笑われたと感じた土竜は、再び猛スピードで突撃した。牡丹の背後は壁だ。逃げ場はない。ここで仕留める!
「追い詰めたぞ、|小さき者《マンカインド》め!!」
「追い詰めた?」
 くすりと、牡丹は笑った。

 そしてやはり彼女は、ふわりと舞うように突撃を躱した――KRAAASH! 脳天激突! 地下空間が揺れる!
「なん、だ? こんな衝撃で俺様が気絶するとでも……グガァッ!?」
 バガン!! と、真上から落下した岩塊が直撃し、土竜の意識を刈った。
「あの美味しい洋酒を、また呑みたいのです。あなたにこの王国を台無しにされては、困りますからね」
 柔から剛へ。牡丹は一瞬にして懐に潜り込み――一閃!
 隙を突いての、蜂が刺すような一撃で、硬く堅牢な鱗はバターのように切断された!

カンナ・ゲルプロート
アドリアン・ラモート
ユナ・フォーティア

●大自然の脅威……?
 ぐぅるるる……と、腹の底に響く重低音が轟いた。
 いや、この場合は腹の底|から《・・》と言うべきだろうか?
 唸り声のように思える音の正体は、殺気立った土竜の腹の虫なのである。

「随分腹ペコみたいね~。もっと地味にしてりゃ可愛げも……」
「黙れ、人間に与するモンスター|もどき《・・・》風情がァ!!」
「……あるわけ、ないか」
 カンナ・ゲルプロートはムッと顔を顰めた。
「ガラが悪いし、失礼な竜……いえ、トカゲ野郎って感じ?
 ドラゴンならもっとしっかりしてて信頼できる仲間が、こっちにはいるしね」
 一瞥を受け、ユナ・フォーティアは驚いてから頭を掻いた。
「えぇ~? それってユナのこと? カンナ氏ってばぁ~!」
 照れつつも悪い気分はしないようだ。しかし、ドラゴン仲間として友好を深めることは……向こうの今にもはち切れそうな青筋が何本も立つ顔を見る限り、不可能である。

 ……ところで、三人目の仲間であるアドリアン・ラモートの様子はというと。
「うへぇ……」
 睨み合うのをよそに、ぐったりふらふらだった。
 あの激しい流れのなか、食糧が零れ落ちないよう必死に舟にしがみついていたので、三半規管を揺さぶられて完全にグロッキーになっているようだ。
(「アドリアンくんが復帰するまで、なんとか時間を稼がなきゃ」)
 カンナは一計を案じた。あえて敵を挑発し、時間を稼ぐことにしたのだ。
「せっかくだし、食事がしたいならしばらく待ってあげてもいいわよ?
 こんなところに巣穴を作ってるんだから、狩りも大変じゃないの?」
「何ィ?」
 土竜は鼻息をふんすと噴き出した。
「……で? 主食は土なのかしら? だとしたら、エコね。地球に優しすぎて、賞があったら受賞間違いなしだわ」
「わお! カンナ氏、煽りまくるぅ~!」
 よくもまあつらつらと胡乱なワードが出てくるものだ、と、ユナは心の底から感心した。

 土竜の頭に、ひときわ太い血管がめきめきと浮かんだ。
「どこまでも俺様のことを、なめやがってェ!!」
 ごうっ!! 雄叫びが地下空間を揺らす。カンナは影の翼を広げて後ろへ大きく飛び、怒りに任せた尻尾攻撃を回避した!
「そうじゃないなら、|これ《・・》、食べたくて仕方ないんでしょ!」
 カンナがこれみよがしに見せたのは、アドリアンから受け渡された食糧だ。燻製肉を包んだ四角形のお土産からは、チーズのいい匂いが漏れ出す。ぐぅううう、と、腹の虫が肯定を示した。
「それっをよこせェ!!」
 土竜はまんまと引っかかった。ユナのことも、アドリアンのことも頭から吹き飛び、地面を抉りながらカンナを追う!
「そら、食べたきゃどうぞっ!」
 カンナは空を舞いながら、食糧を明後日の方向へ投げた!
「貴様ッ!」
 土竜はつられてしまう。

 後ろには、黒猫のサポートを受けて回り込んだユナだ!
「でっかいドラゴンさん! そのせいで後ろまでは、目が届かないみたいだ……ねっ!!」
 ぐるりと一回転し、勢いをつけた大剣を背中に……叩きつける!
「ぐぅおっ!?」
 強靭な鱗が、ユナを弾き返した。ぶおんと太い尾が右から左へ地面を薙ぎ払うが、当然ユナは反動を利用してジャンプしており無傷。
「ざぁんね~ん、外れ! ユナもドラゴンだからねえ!」
「貴様みたいな力も誇りも失った残骸が、何を言う!!」
 前方のカンナか? それとも、後ろから攻撃してくるユナか?
 土竜は判断を迫られた。怒りと空腹のせいで切羽詰まった頭では、即座に判断することが出来ない。視界の端をちらつく食糧が、正確な状況判断を妨げてしまうのだ。

 実時間にすれば、一瞬に等しいごくわずかな隙。その間に、アドリアンは復調していた。
(「今は飯だ! 腹を満たして、こいつらをまとめて吹き飛ばしてやる!」)
 土竜はユナを捨て置き、カンナもろとも食糧を丸呑みしようと大口を開いた。
「そこ! 食事マナーは、ちゃんと守って食べてくださいね!」
 ざくん! 横合いから投げつけられた特大のナイフとフォークが、土竜の頬を外と中から貫いた!
「ウギャアアアッ!?」
「暗黒よ、まだまだ双嵐の刃を形作れ! カンナ、おかげで休めたよ!」
「ええ、あとは二人に任せるわ!」
 そしてアドリアンはユナにアイコンタクトした。二人は頷いた!
「それじゃあユナとラモート氏で、メインディッシュを味わわせてあげる!」
 ぐぐぐぐ……ユナの身体から、|真竜《トゥルードラゴン》の凄まじいパワーが溢れ出す。
「貴様、その力はァ……!?」
「ふふふ! どっちが強いドラゴンか勝負しようよ! ガオーッ!!」
 ゴウッ! 空気を焼き払う灼熱のブレスが、土竜の巨体を呑み込む!
「こ、こんな吐息、俺様のブレスで……!」
「残念ね、エネルギー補給したいでしょうに!」
 食糧を持つカンナはサポートに徹し、決して土竜の捕食を許さない。
「迷惑なお客様は、ご退店いただいちゃいますよ? なんてね!」
 間に立ちはだかるのは、Noirgeistのカトラリーを構えたアドリアンだ。
「ユナ氏、ブレスもう一丁! 両面焼きでじっくり火を通そう!」
「おっけー☆最大火力で行くから、巻き込まれないように……ねっ!」
 灼熱のブレスと、光を呑み込む闇の炎。
 二つの熱が、前後から土竜を苛み、無敵になりきれない肉体をじわじわと削っていく!

ウィズ・ザー

●ウロボロスの如く
「クカカ……腹が減りゃあ喰って、壊したくなりゃ壊す、か。ドラゴンらしいこった」
 ウィズ・ザーは憤りも呆れもせず、むしろ可笑しそうに笑った。
「親近感覚える性格ぢゃねェの。悪くないぜェ、土竜」
 単なる上から目線……とも言い難い、だが傲慢であることは間違いない態度は、土竜からするとこの上なく不快だった。
「テメェ……俺様を笑ってやがるのか、アアッ!?」
「おーおー、滾ってやがるなァ? いいぜェ、こっちもまだ足りねェしなァ」
 闇が広がる。対する土竜は爪と牙を黄金に輝かせ、ウィズをずたずたに引き裂こうと4倍のスピードで飛びかかった。

 硬い岩盤をもグズグズにしてしまう爪牙は、いくらウィズだろうと直撃すれば大ダメージは避けられない。いや、それどころか一撃で戦闘不能に陥る可能さえありうる――ダンジョンに己の巣穴を強引に作り、環境を作り変えたのは伊達ではないのだ。
「ほら、泡沫の刻だ。努力した奴にゃ、ご褒美やらねェとな?」
 あくまでウィズは傲慢だった。ペットショップに並ぶ犬猫を愛でる人間のような、絶対的強者ゆえの余裕と愛玩。それは、仮にもドラゴンたる土竜の神経を逆撫でするだけだった。
「死ねェエエエッ!!」
 闘争心を剥き出し襲いかかる土竜。まさに原始的本能の荒ぶる暴威……だが、ウィズがどこからか取り出した生肉に、意識が滑る。プリミティブな怒りに突き動かされているからこそ、足りないエネルギーを補給したいという本能には逆らえない!
「さァ、水底に穴ァ開けちまうそのガッツで耐えてみなァ!」
 ガ、ガガガガガッ!! カーウォッシュめいて進路上に設置された刻爪刃の雨が土竜の鱗を削る!
「グ、ギヤアアアッ!!? テメェ、俺様の動きを誘って……!」
「クカカ、喰らうのは|豹海豹《おれ》のほうだぜェ?」
 ばつん――伸びた影は闇の顎となり、強靭な鱗もろとも、土竜の肉を削り取り、文字通りに喰らう。
 絶対的捕食者たる己が、被捕食者となる。それは、土竜にとって怒りすらも越える感情……生物のもっとも原初の感情ともいうべき、恐怖をこみ上げさせるに十分な一撃だった!

夢野・きらら
レミィ・カーニェーフェン

●質量保存の法則
「まさか、地下に潜んでいたのがドラゴンだとは……!」
 レミィ・カーニェーフェンは荒ぶる土竜を睨み、こめかみの汗を拭った。冒険者ならば、ドラゴンがいかに強大な魔獣か、骨身に沁みているものだ。
 まして敵は、ダンジョンの岩盤を掘削して巣を築くような爪牙の持ち主。レミィが喰らえばミンチ間違いなしだろう。はたして、どう攻略すべきか?
(「竜麟を狙っても、私の魔弾じゃ弾かれちゃうかもしれない。せめて体内に叩き込むことができれば……」)
 レミィの雷鳴の魔弾は、電撃属性に特化している。
 大地を、そしておそらく水中をも自在に移動するであろう土竜の鱗は、ある程度の抵抗力を持つはず。
 ここが地底湖の真っ只中であれば、水中全体に激しい電撃を流し込むことで痺れさせることも出来たかもしれない。
 しかし、ここは地底だ。加えて魔弾一発のエネルギーでは、広大な地底湖全体に電撃が拡散してしまい、ダメージにならない可能性もあった。
 となれば、やはり狙いは体内だ。目か、口の中か……身体の中に魔弾を放り込めば、逆に極めて有効なダメージを与えられるはず……!
(「困難な相手……でも、燃えてくる!」)
 レミィの冒険者としての血が疼く。こんな冒険こそが、彼女の求めるもの。
 なんか√能力者のせいで物凄く冒険の雰囲気がぶっ壊れかけていたが、最後はようやくそれらしいクライマックスに到達出来た!

 ……と、レミィがちょっと心のなかで喜んでいる、その横で。
「あのさぁ、あなたのその名前! どういうことなのかなぁ!」
「「え?」」
 なんか、夢野・きららが文句をつけ始めた。
「土竜って聞いたから、ぼくはモグラが出てくると思ったんだよ!
 そんなわけでだね、ブドウジュースを飲みながら思いついたこの――」
 ぽこん。きららの身体がファンシーな煙に包まれた。
 するときららは、もこもこしたモグラの姿に!
「か、可愛い……!」
「そうだろう? 無敵でかわいい究極のもこもこもぐらさんフォームだよ」
 目を輝かせるレミィに、きららはドヤッた。
「そんなふざけた姿がなんだってんだ、あぁ!?」
「ふざけてるのはそっちだろう!」
 きららは断言した。
「ぼくが思いついたのは、あなたが「土竜」なんて名前をしてるからなんだ。
 岩盤を掘り進み地底に住む土竜なんて、誰がどう考えても|もぐらさん《こっち》だろう!?」
「ま、まあそうかもしれませんけど、でも」
「あれは普通にドラゴンじゃないか!!」
 きららは何故かフォローしようとするレミィに食って掛かった。
「ひえっ!」
「もぐらさんとか言ってたぼくがバカみたいじゃないか。
 せっかく思いついたこのもこもこもぐらさんフォームも逆に浮いてるし!」
「そ、そうですか? かわいいし、きっとその爪で岩を掘り進んで攻撃できるんですよね!? 頼りになります!」
「え? いやそれは無理」
「えっ」
 きららは口をガパァと開けた。なんかちょっとキm……じゃなくてグロい!
「ブッシャー!!」
「グワーッ1?」
 喉奥からハイドロ噴射された紫色の液体が、ウォーターカッターのように土竜の装甲を切り裂いた!

「えっ、今のなんですかそれ!?」
「何って、ブドウジュースブレスだけど?」
「?????」
 レミィは混乱した。
 ふわふわでもこもこなもぐらさん(きららがわざわざ「さん」付けしてるあたりこれも含めて正式名称)から、ブレス。しかもブドウジュースの。
「ブドウジュース飲みながら考えたからね。ブレスに利用するのは当然だろう?」
「モグラとの関連性あります!?」
 なんにもつながっていない。それなら土の竜ってことでドラゴンやってる土竜のほうがよほど一貫性がある!
 だが待て、何かおかしい。レミィは訝しんだ。この流れ今までと似ているような……。

「あとね、このフォームはシリアス成分を使うんだ」
「は???」
 きららはさらにわけのわからないことを言い出した。
「完全にシリアスが抜けきると、あなたも影響を受けて……いや、すでに影響は出始めているようだね。シリアス成分が完全に抜けきる前に決着をつけないといけない!」
「もしかして私、洞窟で頭を打って変な夢を見てるんでしょうか???」
「やい土竜! 何もかもあなたのせいだ! これ以上は許さないぞ!」
 もぐらさんがビシッと爪(※大して意味はない)で土竜を指さした。
「だからぼくら魔法少女が、あなたを懲らしめにやってきたんだ!」
「なんで私も魔法少女に含まれてるんですか!? っていうか、魔法少女だったんです!?」
「うるせえ死ねェエエエエ!!」
 ブチギレた土竜が襲いかかる!

 だが、土竜の黄金に輝く爪は、不可視の壁に阻まれた!
「バリア……ですか?」
「何を言ってるんだい? 魔法少女の|必殺技《バンクシーン》に悪役が攻撃できるわけないじゃないか」
「はい?????」
 実は先程の宣言は、きららの√能力|改変魔術《ドリーム・マジック》のトリガーだったのだ。
 今、魔法少女という役割になりきった(※こんなんでも本人的にはそう)きららは、必殺技のバンクシーンに変わっている。
 魔法少女の変身シーンと必殺技シーンを邪魔出来る悪役は、存在しない。ゆえに不可視のバリアが攻撃を阻んでしまうのだ!
「さあ! あなたも魔法少女になりきるんだ! そうすれば改変魔術の影響で無敵になれる!」
「わ、私は冒険者で……」
「その銃も長くて棒状と考えればステッキだよ! 最近は銃をステッキと言い張る魔法少女も少なくないしね!」
 レミィは頭がおかしくなりそうだった。特に√能力にそういう効果はないが、不条理なギャグ漫画に飲み込まれたような気分だ。恐ろしい。
「あつまれ、おもいで!」
「……こ、効果的なら、私もこうするしか……!」
 レミィは意を決した。
「精霊……さん! 力を貸してくださいっ!」
 なんかこう、レミィなりに頑張って魔法少女らしさを真剣に考え、精霊銃をステッキっぽく掲げた。
 すると、魔弾のパワーが強まり、バリバリと普段よりも強力なエレキエネルギーが銃身から放射される!
「おかしい! おかしいです! 私の冒険ってこういうのではないんですけど!」
「ドローワのおもいで! そしてキラキラの虹! 土竜め、こらしめてやるぞ!」
「あの、そのキラキラしてるやつ、大丈夫ですよね? 他の方がアレしたやつじゃないですよね!?」
「このクソ人間どもがァ!!」
 土竜が再び襲いかかる!
「っ……させません! 精霊さん、お願いします!」
 ホワワワ~。普段よりファンシーでキラキラしたエフェクトで雷の波動がほとばしり、土竜を麻痺させる!
「アバババババ!」
「いまだ! ツインマジカルドリームドローワアターック!」
「ええいもうやけです、なんとかなれーッ!!」
 BLAMN! レミィはマジカル精霊銃のトリガーを引いた! キラキラ虹色エネルギーとバリバリ電撃エネルギーがスクリューして混ざり合い、激突!
「ウギャーーーーッ!?」
 さっきのブレスで傷ついた箇所から流れ込み、電撃が体内で炸裂! 大ダメージだ!
「やったね! 魔法少女の力だよ!」
「私の憧れる冒険って、こんなのじゃないぃ……」
 レミィは手応えを感じつつ、耳をぱたんと伏せて嘆いた。ダメージはすんげえ出ているのが、なおさらアレだった。

櫂・エバークリア
黒野・真人

●光の淵、闇の先
「やってられるかァッ!!!」
 ガガガガ! 凄まじい掘削音と振動――然り、掘削音だ。怒り狂った土竜は地面に穴を開け、巨体を潜り込ませようとしている。
「こんな頭のおかしい奴らに付き合ってられるか! 俺様は好きに暴れて好きに喰いたいんだよォ!」
 全員が全員そうだったわけではないが、まあ全員強いのは事実だし、しかも一部の√能力者は完全にイカれていたので、つきあわされた土竜の堪忍袋の緒がブチ切れてしまったらしい。
「あの野郎、見た目は完全にドラゴンのくせに、図体に比べて器が小さいな」
 櫂・エバークリアはグラグラと激しい震動に耐えながら、軽口を叩いた。
 むしろ気にかかるのは地上のことだ。おそらくこの地底での震動は、地上に於いては数倍以上に感じられるはず。
 フランスは日本と違い、滅多に地震が起きない。冒険王国ということで√EDENの常識は通用しないだろうが、それでも約1/60とも言われる頻度の差は絶対に影響している。子供達が泣き叫ぶ姿を想像し、櫂は顔を顰めた。

「いよいよ|土竜《モグラ》そのものってわけか。だったらさっさと終わらせようぜ」
 黒野・真人は舟に積み込んでいた防水袋を開け、食糧を取り出した。その途端、爪で穴を掘りまくっていた土竜の目が、ギロリと二人を睨む。
「飯の匂いがするぞォ……!!」
 グルォゴゴゴゴ……魔神の唸り声じみた腹の虫。これが、地上で情報収集した音の正体だろう。これも地震と相まって、ドローワの人々を怯えさせているに違いない。
「笑ってる余裕はなさそうだな」
「ああ。サポートはするぜ、全力でぶっ飛ばしてやれ、真人!」
「ほざけ、|人間《マンカインド》風情がァッ!!」
 土竜が黄金に輝く爪を牙を光らせ、二人に襲いかかる!

 真人は頷き、食糧から何かを取り出した――それは街のパン職人にお願いしてわざわざ作ってもらった、超特大フランスパンだ!
「一個目はやる! 取ってこい!」
 真人は槍投げめいて、フランスパンを勢いよく明後日の方向に投げた。空中の土竜は、まるで引き寄せられるように首だけそちらに動かした!
「うおおおお!! 飯ィイイイーッ!!」
 これまでろくに食事できず、√能力者たちと戦い続けていたのだ。二人を飛び越えてゴガガガ!! と地面を削りながらブレーキすると、フリスビーを投げられた犬のように勢いよく飛びつく!
「マジであっちに食いつきやがった……すげえ食い意地だな」
「今のうちだ、やるぞ!」
 櫂は一瞬にして、自らのナイフと真人のハチェットにブースターを追加。さらに遠心力が乗ると刀身部分が伸長するようにすることで、リーチと手数を強化する。
「ほらよ、完成だ。いってこい!」
「サンキュ! 行くぜ!」
 背中を叩かれた真人は頷き、フランスパンをむしゃむしゃと貪る土竜めがけ跳んだ。
「来たれ! 神鳥!」
 ばさりと背中に神霊の翼が広がり、震動で崩落を始めた地下空間の瓦礫を回避する。飛翔というよりも滑空……つまり長時間空を飛び続けることは難しいが、強化された移動速度が一瞬で間合いを詰める上に、相手は隙だらけの背中を晒しているのだから慌てる必要はなかった。
「テメーはな、場違いなんだよ! |地上《うえ》のヤツらに、迷惑かけてんじゃねー!」
 KRASH! 力任せに振り下ろされたマチェットが、背中の鱗を砕いた!
「ぐおおおっ!? な、何しやがる!」
 ごうっ! 振り返りざまにノールックで横薙ぎに振るわれた尻尾は、背中を蹴って再浮遊した真人のつま先スレスレを通り抜けた。
「このチビが! 食い殺してやる!」
「チッ……!」
 真人は羽ばたいて距離を取ろうとするが、大口を開けた土竜の攻撃から逃れる速度は……だが、その時だ!

「おい、腹ペコ野郎! もう一つくれてやるぜ!」
 ドドドドド……掘削で何処かの地下水脈から流れ込んできた水の上をボートで走り、回り込んだ櫂が、これまた巨大な堅焼きパンを放り投げた。匂いのキツいチーズ入りで、否応なく食欲を刺激する。
「て、テメェら! 俺様をからかって……!!」
 土竜も、二人の狙いがわからないほどバカではない。しかし、涎を垂れ流した口は、空中の真人から堅焼きパンにつられてしまう。食べ物としての匂いが違うのだ。
「人のこと食い物扱いしやがって、テメーを捌いて喰ってやろうか!」
 真人は前へ加速し、同じ箇所にマチェットを突き立てた!
「ウギャアアアッ!!」
 激痛に絶叫! だが堅焼きパンは食べる!
「ほんとにとんでもない食い意地だな。なら、こいつも……喰らいな!」
 モーターボートで加速した櫂が、ナイフで片目を潰した!
「お、俺様の目! 俺様の目がァッ!?」
「目ン玉一つで騒いでんじゃねー、ずたずたにしてやる!」
 挟撃され、二人のコンビネーションを許した今、土竜は暴れ身悶えする獲物でしかない。
 まるで狩人のような手際の良さで、二人は螺旋を描くように位置を変え、ナイフとマチェットでドラゴンの巨体を解体していくではないか!
「ち、畜生! 俺様が食われる側になる、なんて……!!」
「巣穴づくりはここで終了だ。ま、お前の肉は筋張って食えたものじゃなさそうだが」
 櫂は皮肉めかした。
「せいぜい有効活用してやるよ、デカブツ!」
 喉笛と、心臓。
 二つの致命的箇所を狙った一撃が同時に叩き込まれ、断末魔を最期に土竜は息絶えた。

 やがて震動は収まるが、崩落は進んでいく。
「このでかい巣穴も、長い時間をかけて埋まるだろう。そうすれば地底湖も元通りだ。ダンジョンにはそういう力もあるみたいだしな」
「不思議なもんだな。上に影響がなきゃいいんだけど」
 真人はボートの上に残ったパンをかじり、呟いた。
「自然ってのは、人間の予測なんて軽く越える。きっとなるようになるさ」
「ふーん。ま、オレはアンタの飯がありゃなんでもいいけどな」
 櫂は屈託なく笑い、モーターボードを走らせる。闇の奥から、淡い光を目指して――。

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