燐光水脈のアラベスク
●光苔の地下水脈
灰色の街並みをぼんやり眺めていれば、どこからか水飛沫の弾ける音が聞こえてきた。
都会には異質な、荒々しい自然のメロディ。下水とは違う流れの速い清流が、怪物じみた咆哮をあげてうねっているかのようだった。
ふと、アスファルトの地面に目を向ける。乾いた風に転がっていく空き缶を追いかけ、何気なく曲がり角の先に足を踏み出すと――ビルの並び立つ路地裏は突如として、天然の洞窟へ変わっていた。
ひんやりとした冷気が肌を刺す。足元では水晶のごとく澄んだ地下水脈が、こちらを手招くように水面をきらきらと輝かせていた。
薄闇の世界で、淡く光を放つのは光苔か。その金緑色のやさしい光は、幾何学模様を描いて壁面に浮かび、まるで道しるべのように洞窟の奥へと続いているようにも見えた。
ああ。しかし、気をつけなければ。
遠くからは勢いを増す水流に混じり、不吉な羽音が響いてくる――。
●星を詠む
ある時、ふと違う世界へ迷い込んでしまうかも知れない――それが今いる場所、√EDENだ。絶えず異世界から侵略され続けるこの√(ルート)で、疑似異世界である『ダンジョン』が発生してしまったようだと、星詠みである福来・ハルト(野良スズメのもふもふ格闘者エアガイツ・h05800)は言った。
「……どうやら、天上界の遺産を持ち込んだやつがいるみたいでね」
野良スズメの彼は、羽毛をふっくらさせつつ頬も膨らませて、ぷりぷりと怒りを露わにしている。あんまり凄みが感じられないのはさておき、未来予知が降ってきたため、まだ大事には至ってないらしい。
「だから今回は、みんなにこのダンジョンを攻略して貰いたいんだよ!」
ハルトが語るには、発生したダンジョンは光苔に照らされた地下水脈。澄んだ水源が奥まで続く洞窟のようになっていて、最深部に「核」となる強大なモンスターが待ち受けているのだそうだ。
「入口付近は流れも緩やかで、光苔の洞窟を楽しみながら探索できるみたいだけど……近道を進んで奥へ向かうとなると、結構流れがきつくて大変かもしれないね」
手羽をしゅっしゅと動かしながら、ちんまい姿でぴょこぴょこ跳ねる――とは言え、のんびり洞窟散策を楽しむ余裕はあるとのことで、好きなルートを選んで大丈夫だ。
水は透明で冷たいようだが、洞窟内にボートもあるようだ。それに安全な場所を通るとすれば、足を軽く浸す程度で何とかなるらしい。
「もしかしたら、光苔をじっくり眺めているうち手がかりを見つける……なんてこともありそうだし! 初めてダンジョンに挑戦するってひとでも、楽しむつもりで向かってくれると嬉しいな!」
そんな風に√能力者たちへ声をかけてから、ハルトは直後にふっと目を細め、ちょっぴりやさぐれた調子でため息を吐いた。
「……このダンジョンを発生させた元凶は、悪の√能力者らしいぜ。ったく、厄介な奴もいたもんだよな」
第1章 冒険 『光苔の地下水脈』

狭い路地を、気配を感じさせぬ足どりで黒猫が駆け抜けていく。配管の上を器用に伝い走る彼――カデンツァ・ペルッツィ(星を見る猫・h01812)の頭上にふと陰が差した瞬間、辺りはいつの間にか仄暗い洞窟に変わっていた。
「――へぇ」
しかし、√ドラゴンファンタジー出身の獣人である彼は動じない。|疑似異世界《ダンジョン》なら慣れたものだ。
金の瞳を瞬きさせたカデンツァは淡い光をともす天井を見上げると、にぃと不敵な笑みを浮かべた。光苔のお陰で視界は問題なく、複雑に枝分かれした洞窟でも道を見失うことはなさそうだ。
が――そこで足元を滔々と流れる水脈に目を落とした彼は、黒い尻尾を揺らして少しの間思案する。
「……できれば水には濡れたくないんだがな」
ワガママは言っていられないのだが、可愛いネコチャンとしてはなかなか難しい問題なのだ。冷たそうだし。
水辺に佇むカデンツァの前を、すいと|透明な魚《インビジブル》が過ぎっていく――直後、彼は音もなく宙を跳んでいた。
「よっ、と」
暗殺者を思わせる身のこなしで、そのまま彼は水脈に突き出した足場へ着地する。再び跳躍、そして優雅に別の足場へ着地。それを何度か繰り返して進むと、少し開けた場所に出た。
「……ん、足音?」
何者かの気配を感じて、可愛らしいフードから覗いた猫耳がぴくりと動く。同業者がいたらしい。別の通路からこちらへ向かってのんびり歩いて来たのは、|竜漿兵器《ブラッドウェポン》を手にした二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)だった。
「なるほど、中々面白い趣向だ。見た感じトラップはなさそうだけど……結構入り組んだ造りになっているようだね」
彼の白い髪から覗く獣耳は猫のものだが、同じ獣人種であるカデンツァとは階梯が異なるため、だいぶ見た目が違う。装甲の具合を確かめつつ、軽く息を吐いた利家が語るところによると、ダンジョンクルーズと洒落込み地下水脈を進んでいった結果、ここに辿り着いたらしい。
「ふーん、お前の方はボートを使ってここまで来たのか」
「行きはよいよい……って感じでね。ここの主の性格が、何となく分かってきた気がするよ」
|ダンジョン《ここ》で出逢ったのも何かの縁ということで、ふたりで情報交換をしながら探索を進める。一見、脅威はないと感じさせておいてこちらを惑わすような、直球ではなく搦め手を使うような相手なのかもしれない。|何れにせよ《maybe》、此処まで来るが良いというボスの意図を感じるのだと、利家は頼もしそうに頷いてみせた。
「しかしなぁ、よその√にご迷惑かけちゃならねえってのに。……ま、できちまったモンはしょうがねえや」
洞窟の壁をぺちぺち叩くカデンツァと共に、反響する音を確かめつつ更に先へ。分かれ道はなかったが、少し水の流れが激しくなってきた。
「俺に任せて先に行けー! ……っていうのも、王道ではあるけどね」
ダンジョンに潜るたび死ぬような目に遭っているという利家のことだ、実際にそんなことを言ったのかもしれない。ともあれ慢心は以ての外だけど、困難にぶち当たって乗り越える――|それでこそ《素晴らしき哉》|人生《冒険》さ、と『|職業冒険者《ダンジョンエクスプローラー》』の青年は、大剣片手に楽しそうに言ったのだった。
ちゃぷん、と水の音がして、白片・湊斗(溟・h05667)の視界がかすかに揺れた。
洞窟のなかを、彼を乗せたボートが緩やかに進んでいく。時おり跳ねる水飛沫もどこか優しく、岩肌を覆う光苔がアラベスクのような紋様を描いて、湊斗の頭上でやわらかな光を放っていた。
(……こんな景色見れんなら、√能力者ってのも良いな)
ボートに背を預けるようにして、あわい金緑色に輝く天井を見つめていれば、彼の傍で「ぷわ」と可愛い鳴き声がした。
薄明りの下で硝子が煌めくように、ふよふよと宙を泳ぐ海月は|硝子箱の海月《シーワスプ》。湊斗に憑いた水怪は、どうやら辺りの光景に興味を示したようで、銀糸の触手を揺らめかせて光苔をつつこうとしていた。
「おいこら、……ボート揺れるからやめろマジで」
咄嗟に身を起こして手を伸ばすも、水怪は主と戯れるのが楽しいとでも言うように、踊りながら鍾乳洞の柱をくるりと回る。何とか傾いたボートを元に戻したところで、ゆるくため息を吐いた湊斗は相棒に向き直った。
「……そういや|お前《シーワスプ》ってクラゲじゃん。いや、怪異だけど」
「ぷわ」
「クラゲって光んの? 一端の研究者としちゃ気になるんだけど……」
「ぷわぷわ」
たぶんよく分かっていないんだろうが、楽しそうな声で|硝子箱の海月《シーワスプ》が鳴いた。首を傾げるように揺れた海月の傘の向こうで、金緑色の光が渦を巻き、極彩色の奔流となって湊斗を手招きする。欠落した己の視力に代わりに、湊斗は今、彼ら怪異の視界を通して世界を見ているのだ。
「まぁ、俺の事も分かんねぇし……そういうものなんだろうな」
例えそこが見知らぬ場所だろうと|疑似異世界《ダンジョン》だろうと、エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)のいる場所が|復活と繁栄の祝祭《イースター》――彼が歩みを進めるたび、辺りには桜の花びらが舞って緑が芽吹く。
「神喰桜、みてみて! なんて綺麗なんだろう!」
兎のような髪をぴょこりと動かして、軽やかに洞窟の天井を指し示すと、金緑色の光苔のなかを春風が舞う。人間災厄とは恐ろしいもので、じめじめとした地下水脈は今や、甘く爽やかな桜の季節に塗り変えられていた。
「|宛《さなが》ら、洞窟イースターだね!」
「……ああ。何とも美しい場所だな」
エオストレの言っていることはさておき、自然が織りなす美に感じ入った誘七・神喰桜(神喰・h02104)は、朱砂の太刀に手をかけつつそっと目を細める。しかし、そうしている間もエオストレはじっとしておらず、あっちこっちうろちょろしそうなので、世話係の神喰桜としては気が休まらないのだった。
「この光ってるのは苔、だよね?」
洞窟を照らす光苔は魔法が関わっているのか、触れるとさらさらして指先がほんのり光る。鉱石を砕いたような手触りで、僕のイースターエッグに付けたいくらいだ、とエオストレが声をあげるが、神喰桜の反応はクールだった。
「苔だぞ? やめた方がいいのでは。……と、それよりも」
どことなくわくわくした様子で岸に繋がれたボートを見ている彼の元へ、恐々と近づいていくエオストレ。未知と冒険こそ浪漫、とでも言うようにさっそくオールを構えた神喰桜は、頼もしそうに頷くとさっと手を差し伸べる。
「ほら、おいで。私が漕いでやる」
「か、神喰桜ぁ。……ボート、ひっくり返らないよね?」
「なに、……まさか怖いのではあるまいな?」
ふるふるしながらボートに乗り込む人間災厄の少年に向かって、付喪神の青年が意地悪な質問をする。そうなればエオストレのほうも、ついむきになって言い返してしまうのだった。
「む! 怖くない! 武者震いだよ!!」
――そんなこんなで。ボートを漕ぐのは神喰桜に任せるとして、エオストレは辺りに何かないか調査する係だ。ゆっくり探険しようと彼が考えていると、|詞華《コトノハ》の花龍が水面を漂うのにあわせて、ボートの舳先がすいと向きを変えた。
「……ねぇ、なんか流れ速くない?」
「近道を選んだからな」
しれっと神喰桜が答えるが、確か近道のルートは激流で危険だという話だった。次第に青ざめていくエオストレの横で、いきなりどばんと水飛沫が上がる。
「ちょ、神喰桜!? チャレンジャーが過ぎるのではないかな!?」
「何だ? 怖いのか?」
「わー! わー! これは武者震いさ!」
鍾乳洞の牙をかわしながら、荒れ狂う地下水脈を右へ左へ。不安定に揺れるボートは益々スピードを上げ、垂直の滝へと突き進んでいく。何だかこんなアトラクションがあったような気がするが、叫びまくるエオストレはそれどころではない。
「ひぇー! はやく止まって?!」
そう、彼がこわがりであるということは、神喰桜にはとっくに分かっている。これも修行の一環になると思いながら、師匠が弟子を鍛えるような心づもりで、彼はエオストレに優しくも厳しく接するのだった。
(……さて、どんな所に辿り着くのやら)
世界と世界のつなぎ目を、曲がり角を越えることで軽やかに飛び越える。
ふわり、と黒い三つ編みが湿り気を含んだ風に揺れるのに合わせて、黒島・実(牙隠し・h01145)は感嘆の声を漏らしていた。
「……すごい光景」
動画や写真で見るのではない、目の前の|現実《リアル》。自分が「ここにいる」という感覚を味わうように、静かに深呼吸をする。これが街中に現れた|疑似異世界《ダンジョン》でなければもっと良かったのだけど、彼女の行く手に待ち受けるのは蜘蛛の脚のように枝分かれした地下水脈だ。
(早く敵と戦いたい気持ちはある、……けど)
流れが急になっていたり、岩の足場が水面に顔を出していたりとルートは色々あるようだが、濡れるのは嫌だった。ついでに言うと体力を消耗したくもない。
となれば、ここは文明の力――つまりボートに乗ろうと、実は小舟のある水路のひとつを選ぶ。水の流れは穏やかで、彼女が乗り込むと、かすかな揺れとともに滑るようにボートが動き出した。
(これが「どんぶらこ」ってことなんだろうなぁ)
自分で漕がなくても、ゆっくりボートは奥へ向かって進んでいく。洞窟の天井は広いらしく、見れば無数の光苔が満天の星の如く、実の頭上を埋め尽くしていた。
「模様みたいになってるけど、あれは自然の力なのかな。なんか星座を思い出すかも」
渦を巻くような銀河のなか、動物に似た模様を見つけた実がのんびり声をあげる。
昔の人はこういう模様を見て、色々なものと結びつけたのかもしれない、なんて神秘的な気分に浸っていると、不意にボートが揺れて冷たい水飛沫が跳ねた。
「……いや、流れ結構速いかも。気を付けていこう」
――何気ない街角で、何年ぶりかに顔見知りと再会するように。
「あれ。こんな所で偶然だね」
ふらりと足を踏み入れた|疑似異世界《ダンジョン》で、見知った人の背を目にしたゼズベット・ジスクリエ(ワタリドリ・h00742)は、青い空の囁きを思わせる軽やかな声をあげた。
「風の導き? ……なんだか運命みたいだ」
薄暗い地下洞窟を、爽やかな風が吹き抜けていくような気配に、光苔の観察をしていたドミニク・ヘレルヴルフ(泥塗れのアポロ・h04748)がゆっくりと振り返る。
「運命だの、俺にはむず痒い言葉だが――」
念の為に身につけていた遮光レンズをずらし、赤い瞳を何度か瞬きさせると、彼もまた思いがけぬ再会に口角をあげて答えた。
「……アンタも√能力者だったんだな」
それでもまあ、何かの縁は感じるかと呟くドミニクに、さっそくゼズベットは一緒に行かないかと誘いをかける。一人より二人の方が楽しいし、色んな発見があるはずだ。
何でもドミニクは、創作のヒントを得られればと光苔を調べていたそうで、洞窟を進んでいく間にも、彼はゼズベットに詳しい話を聞かせてくれる。
「光苔はな、僅かな光も逃さず反射するから光ってるように見えるんだ」
「すごいねぇ。夜空を飛んでる時にみる星明かりに、ちょっと似てるかも」
金緑色のほのかな光に導かれるように、水の着いていない場所を通ってボートへ向かう。
暗所に順応した――と言うなら、土竜の獣人であるドミニクもそうだが、それでもここの光苔は、異世界のものだからか自分で光っているようにも見えた。
「俺にとっちゃ、暗所はホームみてえなもんよ。……代わりに明るいとこは苦手でね」
辺りのにおいを嗅ぎ分けつつ、繋がれたボートに飛び乗ったドミニクが、ゼズベットに向けて逞しい手を伸ばす。
「ほら、こっちだ。転ぶなよ?」
「あれ? ボートってこっちじゃ、……つめたっ!!」
しかし、夢中になって天井を眺めていたゼズベットは、ドミニクとは反対の方へふらふらと歩いていった結果、冷たい水に思い切り足を浸して慌てて跳びあがっていた。
「うおっ、吃驚した。……危なっかしい奴だな、アンタ」
「もー、言ってよ! 夢中だった僕も僕だけど!」
まぁ、楽しそうにしているから邪魔するのも悪いかなと、ドミニクのほうもあまり声を掛けずにいたのだが。しかし、ツバメの羽まで濡らしてしょんぼりしているゼズベットを見ていると、弟たちのことを思い出して懐かしいような、切ないような気持ちになる。
「転ばないよ、子供じゃないんだ。……でも、ありがとね」
薄闇の下で、ドミニクがどんな表情をしていたのかは分からない。それでも、彼の変わらない優しさに目を細めたゼズベットは、ボートに乗ると改めて光苔に見入った。
(なんだか、心もあったかくなるよ)
幾何学模様を描く光は、小さくても優しく辺りを照らしてくれていた。
時おり、空中を淡く揺蕩うインビジブルとすれ違いながらも、ゆっくり舟は進んでいく。
ゆるゆると瞼を動かしながら、暗がりの中で影のような男が身じろぎをする。
白と黒のモノクロフィルムから抜け出たような、希薄な存在感。
その人ならざる者の名を東雲・夜一(白黒幽霊・h05719)と言い、彼は滑るような足どりで、靴音を立てることなく地下水脈を進む。
「……眩しい」
辺りの光苔が放つ金緑色の光に、緩慢な仕草で顔を覆う。たとえ蛍が瞬くような仄かな光であっても、慣れない幽霊の夜一には目に毒だ。
あまり浴びすぎると消されてしまいそうだな、と本気かどうか分からない口ぶりで呟くと、彼は光苔の少ない方へ、安全な道を探して歩いていった。
(……新鮮と言えば新鮮な場所だな)
馴染みがない、と思う。もしかすると似たような世界に来たことがあるのかもしれないが。水の流れる音は静かで、時おり深海生物の姿をしたインビジブルが、夜一の身体をすり抜けてどこかへ漂っていく。
全ての生命が死んだ後に変じる、見えない怪物たち。彼らも光を避けているのだろうか。冥府を思わせる暗い地下を亡者が行き交う光景に、夜一は自嘲気味に息を漏らした。
「全くもって、これっぽっちも。覚えちゃいねぇよ」
滔々と流れる川に、|忘却《レテ》を重ねて天を仰ぐ。抱えていた筈の執着や未練はさっぱりだが、今はそう、時々足を止めながら好奇心の赴くままに冒険でもしてみよう。
「何かおもしれぇもんないかな」
――呟く夜一を誘うように、すいと長い尾の魚が洞窟の奥へ泳いでいった。
「みてみて、あそこにボートがあるよ」
光苔に照らされた洞窟にあどけない声が響いて、深紅のポニーテールがぴょこんと跳ねる。|竜《ドラゴン》の尾を揺らしたティーリス・エターナー(ドラゴンプロトコルのルートブレイカー・h04594)が元気に駆けていくのを、ルイン・エターナー(ティーリス・エターナーのAnkerのお姉様・h04973)は冷静な表情で見守っていた。
「……ティーリスが無茶をしないといいのだが」
Ankerであるルインは研究所でティーリスに関わり、格闘術の手ほどきをしたハイスペックな「お姉様」だ。隙のない身のこなしでドレスの裾を捌く彼女の後ろには、|少女人形《レプリノイド》のマリー・コンラート(|Whisper《ウィスパー》・h00363)が続く。
「ティーリスさんなら大丈夫だよ。それにルインさんも一緒だし、頼りになりそう!」
伸びやかな声を響かせたマリーは、ふわりと笑顔を浮かべて洞窟を見回す。
|自動小銃《HK437》を具現化した人造体であるマリーだが、彼女自身は戦うことよりも歌う方が好きだった。それに実をいえば、今はちょっとだけワクワクしていたりする。
「しかし、姉としてしっかり監視して……勿論、出来るだけ二人の負担は減らすからね」
義体装甲の具合を確かめたルインは、安心していいと言うようにマリーに頷く。
今回、街中に現れた|疑似異世界《ダンジョン》に挑むべく探険隊を結成した三人は、ボートを使って流れの急なルートを進むことにした。早めに奥へ向かいたいというのに加えて、もしかしたら何か見つかるかもしれないとティーリスが言うのだ。
「……何とかして安全を取り戻さないとね、頑張らないと」
「さぁ、たのしいボートのはじまりだ」
そんなマリーとティーリスの声に水音が重なった直後――オールを構えたルインが、|擬体装甲《RSM》に備わった怪力を発揮して強引に舟を漕いだ。
「!?」
突然の揺れにマリーが緑の瞳を瞬きさせる。
どばぁっと水飛沫が周囲に弾けたと思ったら、何とボートは軽く宙を跳んで、一気に急流コースへとショートカットしていたのだった。無表情ながらティーリスはお気に召したようで、ボディスーツを水で濡らしながら近くの水面をばしゃばしゃ叩いている。
「つめたい。なにかないかな」
「わわ、ティーリスさん! ……でも、ちょっと楽しいかも?」
流れに乗ってどんどんボートのスピードが上がっていくなか、何か手がかりはないだろうかとマリーは辺りを見回すが、敵や罠といったものはないようだ。しかし速い。辺りを照らす光苔の模様が目まぐるしく移り変わっていく。
と、そこで――天井から伸びた鍾乳石が、三人の乗るボートの前に現れた!
(……守り抜く)
黒手袋をかざすルインが、二人を守ろうと前に出る。被害を抑えるのが自分の役目だ。危険なのは承知していたし、何よりルインはティーリスの選択を尊重しようと誓ったのだ。
「いくよ」
直後、|破滅の女神の名の拳《アーテー》を構えたティーリスが片手を突き出すと、行く手を阻む鍾乳石が粉々に砕け散った。飛んでくる破片から皆を護りながら、オールを手にしたルインが、再度全力で舟を漕ぐ。
「さぁ、いこうか――」
「うんっ」
皆と上手く呼吸を合わせながら、できる範囲でマリーもボートを漕ぐのを手伝っていた。そうしつつ聞き耳を立てていると、ダンジョンの奥から怪しい羽ばたきが聞こえてくる。鳥の群れが羽ばたくような音、それに混じって蝙蝠も舞っているような。何にせよ、いつでも注意を促せるようにしておこう。
(無理せず、危険を避けて……少しでも体力を残しておかないと、ね)
暗く冷たい、根の国へと下りていくような隧道の前で、誘七・赫桜(春茜・h05864)はひとりの少女に出会った。
(白く、美しい……獣人の子だろうか)
その無垢な相貌には、心蕩かすような魔性が潜む。もしかしたら魔性の子ども、|取り替え子《チェンジリング》なのかもしれない。淡い光苔に照らされて白虹のごとく波打つ髪に、ふわふわの尻尾と耳――見れば彼女の背には、迦楼羅のごとき優美な翼もあるようだ。
「――誰?」
うたうような声が、赫桜の耳朶をくすぐる。白磁の肌から覗く、少女のあかい華色の眸が、赫桜をまっすぐに見つめていた。
ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)と名乗った少女は、これから|疑似異世界《ダンジョン》に挑むところなのだと赫桜に告げたが、それを聞いた彼は柔和な顔を曇らせ、少しの間考え込んでしまった。
(こんなに小さな子が、ひとりで……)
大丈夫だろうと「|おばあさま《華蛇》」は囁くが、彼女をひとりで行かせるなんて赫桜には出来なかった。それに何故だろう、ララからは何だか懐かしい気配がする。
自分を見上げるような格好になっていたララと、屈むことで視線を合わせてから、赫桜はそっと優しく手を伸ばした。
「ねぇララちゃん、ぼくと一緒にいこう」
「む……迷子だと思っているの? ララは平気。一人でいけるわ」
しかし、ララはふいと顔を背けてその申し出を突っぱねる。子ども扱いされていると感じたのかもしれない。そのまま無視して先へ進むことも出来たのだが、どうしてだか赫桜に既視感を覚えて、もう一度横目で様子を伺う。
(……どことなくパパに似た雰囲気の、ひと)
人の良さそうな顔をした青年の、金蜜色の瞳を見ていると、黄昏時を思い起こしてかすかに胸が締めつけられるような気がした。昔、会ったことがあっただろうか。
二人で遊んだほうがもっと楽しいよ、と返す赫桜に向けて、ララは観念したように息を吐いてからその手を取った。
「仕方ないわ、……ララがついて行ってあげる」
心配そうな様子の赫桜を見て、もしかしたら彼自身が迷子なのかもしれないなんて考えながら、手を繋いで一緒に洞窟を進んでいく。二人の方が楽しいのは、本当のことなのだ。
「水が冷たくて心地いいね。ほら、金緑色の光苔が神秘的で綺麗だよ」
選んだのは安全な路。あまり水の着いていない場所を選びながら、足を取られないよう慎重に歩く。光苔の明かりも十分なので、路を見失うこともない。
「ん、冷たい……けど、大丈夫」
散歩気分で歩いて行けるくらいの安全な道だ。確かに赫桜の言う通り、光苔は洞窟の中の星のように綺麗だ――けれど。
(でもララは、スリルのある道へ行きたいの)
ちらちらと目を向けて彼に訴えてみるけれど、ゆるくかぶりを振った赫桜は、天井に広がる光苔のアラベスクを指さしてのんびりと言った。
「こうやってじっくり景色を楽しむのも良いと思うな。何か手がかりも見つかるかも」
「……じゃあ、どちらが先にみつけるか競争する?」
そんな感じでララが振ると、さっそく手がかりを探すべく辺りに手を這わせる。
真剣に楽しげに、洞窟を隅々まで探険する少女の姿を微笑ましく見守りながら、赫桜はその背中に優しく声をかけた。
「大丈夫? 抱っこしようか?」
「……お前、過保護だといわれない?」
それでも時おり抱きかかえて貰いながら、光苔の模様を確かめ先へ進む。
どうやら特定の模様の浮かぶ方角が、安全な路に続いているらしい。
「……こういうのも悪くないかも」
「でしょう?」
都会の埃っぽい空気が一気に遠ざかったと思ったら、暗がりに飛び込んだリカ・ルノヴァ(Bezaubert・h00753)の頬を、ひんやりとした風がくすぐっていった。
「いざ初冒険! 楽しみだなー」
洞窟内に反響する少女の声に、愛らしい|小鳥たち《Vögelchen》のさえずりが重なる。
リカの召喚した死霊――たくさんの小鳥の群れだ。みんな可愛くて、まるでお母さんを追いかけるように、ぱたぱた飛んで彼女の後に着いてきてくれる。
「あれが星詠みくんの言ってたボートだね!」
軽やかな足どりでダンジョンを進んでいけば、やがて枝分かれした路のひとつにボートを見つけた。このまま初ボートに乗りたいところだったけれど、でも光る苔を間近で観察したいという思いもあって、リカは少しの間考え込む。
(でもでも。ボートに乗る機会なんて、この先たぶんあるけど……光苔に出会えるかは判らないよね!)
そこで――帽子に止まっていた小鳥が、ぴぃとひと鳴きして飛び立った。
「見よ、ゆっくり見てこ」
リカが選んだのは安全な路で、濡れないよう靴下は靴の中に。服にも気をつけながら湿った岩肌に手を伸ばし、そろそろと踏み出した素足で水溜まりを踏む。
「ひゃーつめたーい!」
透明な雫が跳ねて飛び上がりそうになったけれど、お陰で光苔はじっくり見ることが出来そうだ。光る苔、なんてリカは見るのが初めてだけど、異世界の魔法が関わっているのかもしれない。間近で見る苔の神秘だ。
「きれーな緑……不思議だね、どうやって光ってるんだろ?」
つんつんと指で突くと、淡い光が舞って指先が光る。植物のような鉱石のような、不思議な手触りがした。何か手がかりがあるかもという話だったけど、苔の生えている場所や、あとは模様などに注目して進んでみようか。
(ワクワクしてきたなぁ……楽しもっと!)
第2章 集団戦 『ハーピー』

仄かな光苔の照らす地下水脈を、一行はゆっくりと、それでも確実に進んでいく。
緩やかな下り坂は見通しも良く、急流に足を取られることもないのが幸いだ。さらに深い階層を目指そうと、靴の踵が地面を蹴ろうとしたそこで――異変に気づいた。
(何だ……?)
バサバサッ、と大きな鳥が羽ばたくような音がした。洞窟の天井からだ。前方には地底湖が広がっており、その頭上に伸びる鍾乳石の間を縫って、モンスターの群れがこちらに襲いかかろうとしている。
上半身が女性、下半身が猛禽類の姿をした怪物――ハーピーだ。
空を飛ぶ魔物が相手では分が悪いが、安全なルートを選んだお陰で、戦いに困ることはない。地底湖には飛び石のように幾つも足場が浮かんでいるし、それに湖に足を踏み入れなくても、岸辺で敵を待ち受けて迎撃することも出来そうだった。
(……さて、どうやって戦うか)
天井に広がる金緑色の光苔は、星空のように、あるいは渦を巻く紋様のように瞬いて、凪いだ湖面に姿を映している。とにもかくにも、この先へ進むには奴らを斃さないといけないだろう。
甲高いハーピーの悲鳴に慄くように、頭上からきらきらと冷たい滴が落ちて、跳ねた。
出た出た、と――どこか楽しそうな声が|疑似異世界《ダンジョン》の地底湖に反響する。
「……これもまた、天上界が地上へと齎した遺産の一端か」
周囲の魔物の群れを目にしても、二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)に臆した素振りはない。白猫の尾を揺らし、背に構えていた屠竜大剣に軽く手を掛けると、彼は湖の足場へ向かって一気に跳躍を決めた。
「ッ!?」
背後でハーピーの息を呑む声がする。まるで一陣の風が通り過ぎるように、利家はそのまま二度、三度と飛び石を渡り、魔物の群れを上手く引き離していく。その合間に呼気を整えることで、全身に竜漿を行き渡らせるのだ。
「駆逐してやるぜ、鳥畜生……」
不意に血中の竜漿濃度が上がり、一瞬酩酊に似た感覚に包まれるものの、利家はそれを振り払って古龍を呼び起こし、己が力へと変えていく。そこでふと後ろを振り返れば、悪鬼の如き形相のハーピー達が彼のほうを睨んでいた。
「って、いや。ヘイトスピーチではないんですが――、っと」
直後、立て続けに放たれるシャウトバレットを、速度を増した足で掻い潜って躱す。
湖面に派手に水柱が上がるなか、利家は巨大剣を軽々と操り、襲い来るハーピーを次々に返り討ちにしていった。
「――絶ッ好調だ」
鏖殺血祭の銘に相応しく、重量を乗せて振るわれる古龍閃が、次々に魔物の翼を引き裂き尾を千切る。トップギアのまま|核《コア》を目指すと決意を見せる利家の前で、また新たなハーピーが一羽、湖面に叩きつけられて派手に水飛沫を上げた。
「――|ハイペースを《纏めて切り》刻むぞ!」
優雅な靴音を響かせて、アルティノル・アトラ(イシュカ・ワルツ・h05329)は地下水脈をゆっくりと下っていた。
光苔が淡く照らす洞窟の奥は、まるで星空が広がっているようだ。アルティノルの金色の髪がさらさらと、薄闇の中でハープの弦のようにきらめく。きこえる微かなせせらぎは精霊たちの囁きにも似て、彼女の心を弾ませた。
(此処にはいったい何があって、どんな出会いができるのでしょうか)
楽しみですね、と傍らを歩く護霊に声をかければ、星のような美しい毛並みをした猫が彼女を導くようにとたとたと前へ出た。
「ギンカ、どうしました? ……あら、あれは」
砂煙ノ猫――ギンカが向かう道の先、水の音に混じって聞こえてくる羽音にアルティノルが頭上を見遣ると、牙を剥き出しにしたハーピー達が耳障りな声を上げていた。
「……此方は、あなたがたのお住まいだったのですね」
半身は女性でも相手はモンスター、言葉が通じる相手ではない。ご容赦を、と軽く礼をしてギンカに合図を送ると、主の命を受けた護霊はすぐさま銀砂ノ嵐を呼んで、星の砂を辺りに舞わせる。
「あなたがたは本物の星空を見たことがありますか? ここも素敵ですが、とても綺麗なんですよ」
きらきらと降る銀砂が、金緑色の仄かな光を弾いてハーピーの目を眩ませた。輝きの増した湖面は鏡のようで、平衡感覚を失った魔物たちが次々に落下していく。
薄いヴェールを靡かせたアルティノルが、ひと振りの白刃を構え直した時。ハーピー達は姿を消し、辺りにはただ鳥の羽根が舞うだけだった。
鳥の羽ばたきに魔物たちの耳障りな悲鳴が重なり、地底湖に不穏な空気が立ち込める。
「わぁ、見てよドミニク。こわーいお客さんのお出ましだよ」
一緒に探索を行う相棒に向けて軽く合図をすると、ゼズベット・ジスクリエ(ワタリドリ・h00742)は愛用の銃を取り出し、軽く狙いをつける。
「……見てよ、と言われても。アレは怖いっつうより……、」
こちらへやって来る魔物の群れを認めたドミニク・ヘレルヴルフ(泥塗れのアポロ・h04748)は、そこで言葉を濁すと、遮光レンズを直す振りをして頭を振った。
半人半鳥の魔物であるハーピーは、露出が高くて目に毒だ。顰めた顔を咄嗟に誤魔化したドミニクだったが、どうやらゼズベットは他のことが気になっていたらしい。
「あれ? この場合って僕らのが客人なのかな……まぁどっちでもいいか」
ふたりが何気ないやり取りをしている間にも、ハーピー達はどんどん迫ってくる。岸辺で迎え撃つふたりは頷くと、まずゼズベットが遠距離からの狙撃で牽制に出る。
「――よし」
群れの数羽が出足を挫かれたところで、ドミニクが素早く銃のアタッチメントを切り替えた。工具としても使えるマルチツールガンを攻撃用に、そのまま接敵して近接戦に移ったゼズベットの援護を行う。
「残り、来るぞ」
「でもさ、……図体も声も大きいから助かるね」
可能な限り鉤爪を引きつけて、曲芸のような身のこなしで回避を決めるゼズベット。
蝙蝠だったらこうはいかなかった、と余裕のある口ぶりで彼が呟くと、直後に飛来してきたハーピーにドミニクが銃口を向けた。魔物の絶叫が轟く。
(水に濡れるのは仕方がない……けど)
このままだと彼を不用意に巻き込んでしまうかも、と危惧を抱いたゼズベットは、そこで自慢のツバメの翼で羽ばたき、魔物たちとの距離を一気に詰めた。
「――ほらほら、上手に踊ってみせて?」
挨拶代わりにシフカランカの風の刃を踊らせ、魔物の鉤爪を寸断すると同時――即座に再行動を取った彼は、急旋回を決めて離脱する。
「吃驚した? 空は君だけのモノじゃないってコト……っと、ドミニクそこ危ないよ」
「あッ……ぶねえのはそっちだろ! すれすれ飛ぶ奴がいるか!」
向かう先にはドミニクがいた。滑空してすれ違ったのは一瞬で、揚力を得た天鵞絨の翼は再び空へと昇っていく。あれでよく舌を噛まないなと思いつつ、気づけばドミニクはその姿に見とれていて、しかし己が焦がれても到底届かない宙を前に、ほんの少しだけレンズの奥の眼を細めていた。
「……なんて、感傷に浸る愚かな奴を狙いに来たか?」
けれど、死角から忍び寄る敵にすぐさま向き直った彼は、獣化した爪をかざして不敵に告げる。職業柄、痛覚には耐性があった。反撃の|駁の手《ファルトール》を叩き込むべく、敵の攻撃を誘うドミニクもまた、自分ができることをするだけだと意識を集中させる。
「テメェと俺の爪、どっちが硬いか比べてみようぜ……!」
|疑似異世界《ダンジョン》の急流を下っていったTMR探検隊の前に、ついに姿を現わしたモンスターの群れ。猛禽に女性の半身が融合した存在であるハーピー達は、次々に上空からの襲撃態勢を取り、ティーリス・エターナー(ドラゴンプロトコルのルートブレイカー・h04594)ら侵入者に襲いかかろうとする。
「てきさんがいっぱい、こっちにくるよ」
「うん、いよいよだね。……魔物の相手は、ティーリスさん達に任せるよ」
幼い相貌に、一瞬で戦士の気魄を宿した少女に向けて、マリー・コンラート(|Whisper《ウィスパー》・h00363)が軽く目配せをした。
まかせて、とやる気満々で拳を叩くティーリスの傍らでは、ルイン・エターナー(ティーリス・エターナーのAnkerのお姉様・h04973)がオッドアイの瞳を細めて、しのび寄るハーピー達の動きを捉えようと睨みを効かせている。
「ルイン、てきさんのいちはわかりそう?」
「……ええ。あらゆる探知を無効にしようと、視力を鍛えれば何とかなる」
インビジブルが姿を変えた義眼を瞬きさせ、冷静にそう呟くルイン。彼女は√能力者ではないが、兵装や技能を駆使して戦いをこなす|猛者《ベテラン》なのだ。
(私の役割は、ハーピーを見つけ出してティーリスに攻撃させること)
地底湖を照らす光苔、その下をさっと過ぎった黒い影を、ルインは見逃さなかった。
すぐに方角を伝えると、暗がりから襲いかかろうとしていたハーピー目掛けて、怪力を発揮したティーリスが掴みかかる。
「――ロックオン」
「!?」
体格差をものともせず、幼い子どもが片手で軽々とモンスターを掴んだことに、敵たちも焦りを感じたのだろう。
更に数羽のハーピーが、ティーリスに向かって群がっていこうとする――しかし、
「ごめんね、あんまり戦いに時間を割きたくないんだ」
そこで別方向から銃弾の雨が飛来し、魔物たちを強襲した。次々に落とされていく魔物たちを横目に、音もなく現れたのはアサルトライフルを手にしたマリーだった。
マズルフラッシュはささやかに。インナーに身に着けたステルスウェアに加え、銃に取り付けられたサプレッサーにより、彼女の気配は完全に断たれていたのだ。
「でも――どんなに数が多かろうと、手数で負けるつもりは無いよ!」
“|Whisper《ウィスパー》” HK437――|少女人形《レプリノイド》のベースとなった自動小銃は静音性と機動性に優れ、その二つ名の通り”囁くように“敵を殲滅する。
目にも止まらぬ早業で制圧射撃を行っていくマリーの元へ、時おりハーピーの音波弾が飛んでくるものの、それも合間に放った音響弾で相殺し、事なきを得る。
「何ならみんな返り討ちにしちゃおう! ね、ルインさん、ティーリスさん!」
歌うようにマリーが声を掛けると、長いポニーテールを靡かせてルインが同意した。|義体装甲《RSM》により限界まで筋力を高めた彼女は、白のチャイナドレスから伸びた長い足を、勢いよくハーピーの胴体にめり込ませる。
「……ティーリス、トドメを」
ごきり、と鈍い音がしたのは、黒のロングブーツに仕込まれた鋼板によるものか。ルインの蹴りによって吹き飛ばされていく魔物の向こうには、既に何体ものハーピーを仕留めたティーリスがいた。|真紅煌服《ティーリス・サイバースーツ》のお陰もあってか、大した怪我は無いようだ。
(そう、ティーリスは私を上回る存在、私以上の働きはするだろう)
確実に淡々と、データを処理するように戦いを進めていくルインの先で、“成功体”の少女がアーテーの拳を振り上げる。
「りゅうをなめるな」
――繰り出すのは|百連自得拳《エアガイツ・コンビネーション》。時空間を破壊するかの如き一撃が、魔物を貫く。
しかしそれだけでは終わらない。怒涛の連撃を繰り出し、ティーリスは魔物の群れを圧倒していく。ルインの教えに忠実に、徹底的に容赦なく――目の前の敵を葬っていく。
「……おうおう、出やがったな鳥共が」
頭上を羽ばたくハーピーの群れを鋭い瞳で睨めつけると、カデンツァ・ペルッツィ(星を見る猫・h01812)は余裕のある口ぶりで吐き捨てた。
「うん、いかにもモンスターって感じ」
一方の黒島・実(牙隠し・h01145)は、襲撃者を前にしても淡々とした様子で、懐からさりげなく得物を取り出す。女子大生が持ち歩くには物騒な鈍器だった。身に着けたジャッカルのポーチを軽く撫でてから、深呼吸をした実は意味ありげな呟きを漏らす。
「だけど、相手が分かりやすく殺意を向けてくれるなら助かるかな。……こっちも遠慮なしでいられるからね」
「だな。……ったく、耳障りな鳴き声しやがって」
猫を被る――とは違うのだろうけど、彼女の内に秘めた闘争心を感じ取ったカデンツァが、面白そうに尾を揺らした。そのまま彼はちらりと、岸辺でモンスターを迎え撃つ実のほうへ目を向ける。
「60秒だけ時間が欲しい、頼めるか」
「……わかった。できるだけ離れていて」
視線を頭上のハーピーへ向けたまま、実がちいさく頷いた。ギャアギャアと鳴く声を背に、カデンツァは洞窟の陰へ走っていく。
(よし、大丈夫だな)
そこで取り出したのは――ネコチャン用の液状おやつだった。さっそくパウチの封を切ると、彼はチャムチャムとおやつを舐めてチャージを行う。なお、本日はまぐろ味だ。
「俺の方がなんぼか理性的だってことを証明してやらあ……って|美味《うめ》え!」
ハーピー達の様子を伺いつつ、つい感激に浸ってしまうネコチャン。その間にも、実は強襲してくる敵たちをいなしつつ、ピュルゴスを振りかぶって反撃に出る。
「――なんて、ね」
大ぶりの一撃は、ハーピーではなく地面を捉えた。
轟音とともに、クレーターのような大穴が生まれた直後――周囲は殺気漂う空間に変わり、魔物たちの動きが目に見えて鈍る。
「狩りの時間だ――例え空にいようと、私の殺気からは逃れられない」
茫洋とした彼女のまなざしに、その時、紛れもない狂気が宿った。すかさず距離を取ろうとするハーピーの一体へ、鎖のついた棺桶が叩きつけられる。返す力で更にもう一体。
「さあ、押し潰されろ!」
豪快に鈍器を振り回して暴れる実の反対側では、チャージを終えたカデンツァも迎撃に移っていた。地底湖に広がる足場を渡り、こちらに向けて振り下ろされる鉤爪をすれすれで躱し、自慢のにくきうをハーピーの顔面目掛けて喰らわせる。
「|一撃必殺《キャットパンチ》! ――だから死ね!!」
威力18倍のパンチで纏めて敵をぶっ飛ばすと、立て続けに湖に水柱が上がった。
気のせいだろうか、ハーピーのお姉さん達の顔は「もう死んでもいい」と言わんばかりの至福の表情をしていた気がする。
「……へっ、ちょろいな」
飛び石を軽々と渡り終えたカデンツァがふふんと鼻を鳴らすと、いつしか魔物たちの声は聞こえなくなっていた。
姫君のように恭しく抱きかかえられて、ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)は光苔に照らされた道を下っていく。傍らの誘七・赫桜(春茜・h05864)の立てる靴音が心地良いリズムを刻んで、いつしかララに懐かしい記憶を思い起こさせていった。
(楽ちんね、――それに、悪くないわ)
さら、さらと揺れる白虹の髪に、時おり過ぎるのは灰桜。
大人しく身を委ねる少女を見て、少しは打ち解けてくれたかな、と安堵する赫桜だったが――直後に聞こえてきた羽ばたきに、落日色の瞳を細めて歩みを止めた。
「……敵襲か」
「赫桜、邪魔が入ったわね。ぴぃぴぃと囀る小鳥よ」
凶暴なハーピーの群れを認めても、ララの声はどこか愉しそうだ。近くで雫が跳ねる。
(ララちゃんを、傷つけさせるわけにはいかないな)
赫桜が抱えた腕に力を籠める。しかし、それを横目にララはぴょんと彼の腕から飛び降りて、きらきらと輝く水辺の向こうへ跳躍した。
「さぁ、影踏みしましょ」
その手にはいつの間にか、金と銀のカトラリーが握られていた。直後、鉤爪を光らせて急降下するハーピーをすり抜けると、ララは空の足場へとんと足を乗せる。
そのつま先が再び宙に浮いたところで、滑空するように空中移動――一瞬で魔物との距離を詰めたと同時に、両手の得物を立て続けに振るった。
「!!」
翼を切断されたハーピーが、真っ逆さまに墜ちていく。辺りに白と黒の羽根が花びらのように舞うなかで、血彩の花一華を纏ったララは次なる獲物に狙いを定めていた。
「……お前にララは捕まえられない」
窕と銀災――光の鳥と水晶の鳥がワルツを踊るように空を薙ぐ。自在に戦場を飛び回るララを見つめる赫桜は、そこで覚悟を決めたように腰の刀に手を掛けた。
(本当は何処かに隠れていてほしかったんだけれど……)
ララがやる気になっているのなら、自分の役割は彼女を守ることだと言い聞かせて、彼は魔物の群れへ斬りこんでいく。
「――おいで、屠桜」
鞘走る刀身が、牙のようにぎらりと輝き破魔の桜が舞った。己に憑いた龍王妃が力を貸してくれるのを感じる。赫桜が神刀を一薙ぎすれば空間さえも揺らいで、彼方にいたハーピーが真っ二つになった。
「ララちゃん、大丈夫?」
「……本当、赫桜は過保護ね」
そのまま、振り下ろされる爪からララを庇うようにして前に出れば、どこか呆れたようなため息が返ってきた。
「過保護、というのとは違うかもしれないけれど。……ぼくはきみを守りたいんだ」
「ふぅん」
まじまじと赫桜の顔を覗きこむララは、そこで悪い気はしないと言うように蠱惑的な笑みを浮かべると、襲い掛かってきたハーピーを串刺しにする。
――その手で煌めく銀災を目にした赫桜の表情が、はっと変わった。
「……あら、これが気になるの? これはママから貰ったものよ」
「ママ……? ……そうか、」
それ以上の言葉はなかったけれど、赫桜は納得した様子で敵に向き直る。
「ふふ。きっと、この出会いは運命ね」
そして――彼の手の中にある屠桜を見つめるララもまた、何かに思い至ったかのように意味ありげな呟きを漏らした。
「そうだね……運命だ」
迦楼羅の雛が浮かべた笑みに、神刀を携えた剣士がつられて笑顔を見せる。
――尚更、守らなきゃなと、心の裡で誓いながら。
「うう……まだぐるぐるする……」
もこもこブーツのつま先をあっちこっちへ向かわせて、エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)が苦しそうに呻く。
「しっかりしろ、エオストレ。真っ直ぐ歩かないと危険だぞ」
傍らでは、誘七・神喰桜(神喰・h02104)の頼もしい声がする。額に手を当てつつ返事をして、なおも洞窟を進もうとするエオストレだったが、何だか神喰桜の声もぐるぐると回っているようだった。
「ぐるぐるイースターだよ……はっ、……神喰桜!」
と――そんなエオストレの頭上で、バサバサと何かが旋回する。地底湖に潜む魔物たちの襲来に、すぐさま神喰桜が朱砂の太刀を抜くが、エオストレの方は見当違いの方向を指さして、ぱぁっと咲き綻ぶような笑みを浮かべた。
「みて! 大きいイースターバードが飛んでいるよ!」
「しっかりしろ、エオストレ! イースターバードじゃない、ハーピーだ!」
神喰桜の叫ぶ向こうで、女の半身を持つ魔物が耳障りな鳴き声をあげる。指摘に顏を赤らめたエオストレは急いで戦闘態勢を整え、懐からイースターエッグを取り出した。
「う……わかっているとも! イースターバードでしょ」
――まだ少しぐるぐるしているらしかったが、やる気になった彼を認めた神喰桜が、神殺しの朱桜を纏ってハーピーの一体に向き合う。
「……まぁいい、油断せずに行くぞ」
囲まれないよう注意して、各個撃破をする――戦いの指針を大まかに伝えたところで、エオストレが動いた。勇気を出して、魔物が固まっている場所目掛けてイースターエッグを投擲する。
「空を飛んでるのが厄介だけど……落としてしまえばいいんだ!」
ぱぁんと音がして卵が弾ければ、腹腹時計の爆風をまともに喰らったハーピー達が体勢を崩した。すかさずエオストレは春の女神の祝福を纏うと、イースターのデコレーションで追い打ちをかける。
「さぁ、綺麗にラッピングして捕縛してあげる!」
桜吹雪が舞うなか可憐な指先が踊ると、カラフルなパステルカラーが魔物の動きを封じにかかる。次々に地上へ墜とされていくハーピー達――そこへ神喰桜が不可視の剣戟を繰り出し、空間ごと纏めてその存在を断ち切った。
「……その調子だぞ、エオストレ」
「もちろん、僕だって頑張るさ!」
降りそそぐ音波の弾丸を防ぎつつ、更にエオストレが辺りに祝福を振りまく。
出来れば刀を使って欲しいと神喰桜は思うものの、彼の戦いぶりもなかなかだった。轟音を相殺したところで、声が響く。せまる敵を前に、エオストレが叫んでいた。
「神喰桜! 今だ! 華麗に切断してしまえ!」
「エオストレ……! 了解した」
彼が作ってくれた好機を、無駄にはするまい。
息を合わせ、捕縛を終えたところに斬撃を放つ――|絶華《ヨミザクラ》。
「……本当はエオストレにやって欲しかったのだがな?」
それでも――なんて綺麗な剣戟なんだ、とうっとりしている彼を見れば、満更でもないような気がして、それでもしっかり鍛えねばと、神喰桜は気を引き締める。
「さぁ神喰桜、このまま押し切っていくよ!」
「噫、……このままいくぞ!」
鳥の囀りと女の悲鳴が入り混じったような鳴き声が、冷たい地底湖を震わせた。
只人であれば、言いようのない恐怖を呼び起こされたであろう魔物の声。しかし、白片・湊斗(溟・h05667)に憑く|硝子箱の海月《シーワスプ》は、まるで鳴き声に共鳴するかのように細かく傘を揺らして、ぷわぷわと辺りを漂っている。
「……なんか楽しそうだなお前」
「ぷわ」
細い触手がふわりと宙を撫でれば、天井から落ちてきた雫がぱっと弾けた。辺りにきらきらと散っていく銀色の煌めきのなかを、リカ・ルノヴァ(Bezaubert・h00753)の召喚した小鳥たちが過ぎっていく。
「僕が好きなのって小鳥さんなんだよね」
|青い鳥笛《Vogelflote》を手に死霊の群れを操りながら、少女はきりっと上空のハーピーを睨む。鳥は好きだ。ちっちゃい鳥はもちろん、おっきい鳥も好きだし、鳥の怪物なんて――そりゃかっこいいに決まっているけど、そこまで見境ない訳じゃない。
「うん、ちょっと……仲良くなれないかな、残念」
猛禽ならではの鋭い鉤爪がこちらに狙いをつけているのを見て、リカはぽつりと呟いた。あの脚で蹴られたら痛そうだ。
「だけど……たっぷり纏わりつかれちゃうと、きっと攻撃も精彩を欠くよね」
「そうだな。あいつら爪を使うにも、近づく必要ありそうだしな」
岸辺で敵を待ち受ける湊斗と、顏を見合わせて頷く。彼が手のひらの|波華《護霊符》を軽く振るのと同時、リカはぴょんと岩場に跳んだ。
「僕だってやるときはやるんだから! ――ね! みんな!」
そこで鳥笛をひと吹きすれば、彼女を守るように|死霊《Vogelchen》が羽ばたき、そのまま舞い降りてくるハーピーへ群がって動きを封じていく。
甲高い魔物の声を掻き消すように、さらに澄んだ鳥笛の音色が辺りに響いた。ふと見れば、小鳥たちと会話するようなリカの演奏に合わせて、実体化した|硝子箱の海月《シーワスプ》がダンスを踊っている。
「はしゃぐのはいいが、きちんと仕事もしろよ」
ぷわぷわと鳴く姿に湊斗が呆れ笑いをするが、護霊はしっかり己の役割を果たしてくれた。硝子の触手――そこにある刺胞から針が飛び出すと、ハーピーを追尾して壊死の猛毒を注ぎ込む。|海雀蜂《シーワスプ》の名を持つ海月の毒だ、喰らえばひとたまりもない。
「……と、やや数が多いか」
単体を確実に仕留める能力のため、集団を相手にするにはもう少し手数が欲しいところだ。シリンジに毒薬の装填を行うと、湊斗は|刺胞《シリンジシューター》を手に戦いへと加わる。直後、弾丸を喰らったハーピーが、不自然な動きで湖に落ちた。
「悪いね、クラゲ程じゃないがこっちも毒持ってんだわ」
飄々とした口ぶりで湊斗が告げると、敵を押し返そうとするリカも笛を吹く手に力をこめた。死霊の鳥たちが魔物の群れに立ち向かっていく。
(残念だけど、僕、君たちのこと好きになれるかわかんない)
透明な羽ばたきに、幾つもの絶叫が重なり――やがて、光苔の洞窟に静寂が戻ってきた。
鳥笛から唇を離して、少女は囁く。
「だって、君たちって……とっても悪いことしてるでしょ?」
第3章 ボス戦 『『アンドロスフィンクス』』

|疑似異世界《ダンジョン》に巣食うモンスターを斃し、曲がりくねった洞窟を更に進む。
光苔の輝きは、どんどん強さを増していった。自らの力で動いているのだろうか――壁面を覆うアラベスクが生きもののようにうねり、絶えず形を変えて探索者を惑わす。
金緑色の幾何学模様は、ある時は複雑な草花のようになり、またある時は見たことのない文字に変わり、かと思えば出鱈目な天体の配置図を描いた。
「――私の問いに答えなさい、私の問い縺ォ遲斐、撫縺ィ縺ィ繝医ヨ繝遺……」
目の前があやしい光に包まれたその時、どこからか呪文のような声が聞こえてきた。
女の声だ。両手を祈りの形に組みながら、慈愛の笑みを浮かべた女が遠くから何かを問いかけてくる。しかし、その問いかけに意味はない。正解もない。
「問う、真理ヲ。ヲ繝エ繧ゥ繧、繝九ャ繝」
アンドロスフィンクス――常に謎かけの言葉を吐き続けるこの魔物こそ、ダンジョンの「核」となるモンスターだ。洞窟の壁を、蜘蛛の脚で自在に這い回りながら、女性型のスフィンクスは獲物を喰らおうと襲い掛かってくる。
――意味があるようで意味を成さない、謎かけのようなアラベスク。
その天井に、逆さまに張りついた異形の女が、狂気じみた瞳を動かしてにたりと笑った。
――呪文のように繰り返されていた、謎かけの言葉が不意に止まった。
紅の蜘蛛脚が、ゆっくりと洞窟の天井を這う。纏う豪奢な金糸がさらさらと滑り落ちていく中で、時おり鋭い光を放つのは、獲物を捕らえるための糸だろうか。
「アンドロスフィンクス……|楽園《√EDEN》を侵食するモンスター、という訳ですね」
深紅のリベンジ・スーツに身を包む、リベンジマン・花園守(√EDENを守る正体不明の熱血ヒーロー!・h01606)は改造人間である。己の正体を隠し、謎のヒーローとして日夜戦い続ける彼の使命は、√EDENを守ること――人々がモンスターと化す前に、速やかに「核」であるボスを撃破せねばなるまい。
「異世界の怪異かぁ。でも意味不明な辺りとか、|うち《カミガリ》では割と見慣れてるかな?」
どことなく狂気を呼び起こす敵を前にしても、無害・チャン(人間災厄「ハッピー・ラッキー・ルーレット」の警視庁異能捜査官・h05396)は動じたりしなかった。
ちょっぴり子どもっぽい仕草で、こてんと首を傾げた彼女に、クレア・霧月・メルクーシナ(能天気災厄「ねくろのみこん」・h04420)がふんわりと同意する。
「うんうん、もしかしたら何かの魔導書と関わりがあったりしてね。……興味深いなぁ」
手にした魔導書にちらりと目を落とし、それから天井に逆さまに張りついた魔物のほうを見たクレアは、何だかわくわくしている様子だった。
「だが――話が通じない系だ。有意義な議論は出来そうにないな」
そこで、対話を断ち切るように大剣を構えたのは二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)だ。強大なモンスターへ真っ先に斬りこむ気概をみせる彼は、融合装甲にそっと手を触れると、トンと地面を蹴った。
「俺も、知りたいことは山のように沢山だ。でも、結局のところ自分でどうにかするしかないと思ってる」
そこで装甲をすかさず爆破、パージを行い身軽になったところで、敵の攻撃と真正面から向き合う――直後、甲高い金属音がして、凄まじい衝撃が腕に伝わってきた。
「……こんな感じでね」
頭上で振るわれた斬烈の赤脚をどうにか受け止めつつ、利家が口角を上げる。
自分で見聞きしたモノ――情報と場数こそが、何にも勝る「知識」となる。それを自分なりに咀嚼して取り込んでいく。それが、数々のダンジョンに挑み続けてきた利家が出した答えだった。
「まぁ、お前の“謎かけ”はそれとは違うんだろうけど」
――知らないから問う、というのではないだろう。こちらが答えられない質問をわざとしてくるような、意地の悪いモンスターだ。
「朝は4本足、昼は2本足……みたいなアレですか」
ひしゃげて使い物にならなくなったアンドロスフィンクスの脚を目にしたリベンジマンが、何かを思い出したように呟いた。蜘蛛の脚は8本あるが、こいつはどうなるのだろう。命中させるたび脚が折れていくようではあるが、フルバーストを叩き込むにはもう少し機動力を削いでおきたいところだ。
「我慢比べ、だな」
今度はリベンジマンへと襲い掛かる蜘蛛脚に、利家が剣先を向けた。正面からモンスターを斬りつけるには隙が足りなかったが、まだ戦える。
「さぁ! 出たとこ勝負だよ――って、あれ?」
と、そこでダイスを手に霊能を行使しようとした無害ちゃんの声が、訝しむようにして萎んでいった。ディーラー服でポーズを決めたまま、不自然に固まっている。
「……ごめん、こぼれた」
チンチロリンで言うところの、ションベンという奴だった。と言うか、丁半ではなかったのか。洞窟の床をころころ転がっていくダイスを遠い眼で見送りながら、無害ちゃんが手元に目を戻すと、残りふたつのダイスが視界に飛び込んできた。
「おお、六ゾロだぁ!!」
――直後、魔物を激しい振動波が襲った。震度7はあるだろう。
そう言えば蜘蛛は振動に敏感なのだそうで、もしかしたらその影響もあるのか、ぼとっと天井から落下したアンドロスフィンクスは、地面でびくびくと痙攣を続けている。今が好機だったが、周囲にはまだ無数の蜘蛛糸が張り巡らされているようだ。
「さて、と。後はトラップをどうにかすればいいのかな」
事態を打破すべく、静かに瞑想を始めるのはクレア。そうすることで、自身の記憶世界である|幻夢境《ドリームランド》から召喚をしようと試みたものの――ややあって目を開いた彼女は、曖昧な表情でおっとり微笑んだ。
「……あれ、これって、こっちに来ちゃいけない子かも?」
直後、灰白色の巨体を揺らして現れた不気味な|月棲獣《ムーンビースト》が、力づくで蜘蛛糸の結界を破壊しにかかった。ぐしゃ、と足蹴にされるスフィンクス。しかし、鼻から糸こんにゃくみたいな触手を伸ばす怪物は気づいていないらしい。
「ま、まぁ何とかなったということで、大丈夫!」
ふっと目を逸らしたクレアが、強引に結論を下した。そう、全てはノリとテンションで乗り切ってみせる。幸い敵はかなりダメージを受けたみたいだし、問題なしだ。
「本当に知ろうともしていない、上辺だけのお前はここで倒されるんだ」
屠龍大剣を構えた利家が、渾身の力で唐竹割りを繰り出せば、鋭い蜘蛛脚ごとアンドロスフィンクスが叩き斬られた。言語を成さない、怪物の絶叫が洞窟に響き渡る。そこへリベンジ・キャノンを召喚したリベンジマンが、厳かな声でモンスターに訊ねた。
「折角ですから問いましょうか。……最初に8本、最後に0本、それは何?」
答えは返ってこない。それを確かめた彼は、全力のフルバーストで必殺の一撃を放った。辺りが閃光に包まれる。キャノン越しに感じる爆風にわずかに目を細めながら、リベンジマンはそっと答えを口にしていた。
「……正解は、“あなた”ですよ」
|疑似異世界《ダンジョン》の「核」となるモンスターは存外にしぶとく、へし折れた蜘蛛脚を再生しつつ、なおもこちらに向かってくる。
「……私の問い、ニ、答えなサい」
女の姿をした半身がありえない方向にぐるんと動いて、定番の“謎かけ”を口にした。その呪文のような声が響くのに合わせ、周囲の光苔があやしく瞬き、奇妙な模様を描く。
(これは……少々、目に痛いな)
変異した目を片手で庇を作るようにしてかばいつつ、白片・湊斗(溟・h05667)はぐるぐると渦を巻く視界をどうにかやり過ごそうとしていた。
自身の欠落した視力を補う水怪は、ヒトとは異なる世界を見ているのだと改めて感じる。角膜を形づくる静淵が楽しそうに震えると、光苔が見たこともない色に変わって、その間を何かが行き交うのが見えた。
「なるほど。光苔の模様はあいつに影響されてたのかな」
詠唱を始めつつあるアンドロスフィンクスへ、鈍器を手に向き合うのは黒島・実(牙隠し・h01145)だった。警戒を続ける湊斗の前にさっと踊り出た彼女は、辺りの異変を鎮めるべく狙いをつける。
「……それともあいつが影響を受けてる? どっちでもいいか」
「あーあーお前だったのかよ」
一方の、カデンツァ・ペルッツィ(星を見る猫・h01812)にとっては見慣れた相手だったらしく、彼は納得した様子で肩を竦めると、淡々と戦闘の準備を整えていった。
「何なら親の顔より見たまであるぜ。向こうじゃ動画配信でも知られてるだろうよ」
どうやら√ドラゴンファンタジーでは有名なモンスターのようだ。奴と問答したところで意味はない、とカデンツァがきっぱり告げると、湊斗と実はすぐに気持ちを切り替えて戦いを開始した。
「……謎かけ、せめて答えられるものであって欲しいもんだな」
「そうだね、あいつの問いかけと同じ……これ以上は考えてもしょうがない」
呪文のような魔物の声が大きくなり、ついに叫びと化す――その瞬間を狙って、実が動く。視界内のすべてを攻撃しようとしている分、こちらが狙われていると察知するのは容易だった。後の先を取り跳躍、手にしたピュルゴスを叩き込んでからすぐに離脱する。
(やるべきことは、命の獲り合いだけ)
一瞬で凪いだ気配を纏った実を、アンドロスフィンクスは上手く捕捉できないようだった。麻痺の叫びが放たれるのが、数拍遅れる。その隙にカデンツァがフードを目深に被ると、光苔に照らされた洞窟を駆け、暗がりに身を隠した。
(光苔が形を変えるたび、影は生まれるし……動く!)
職業暗殺者として培ってきた能力を存分に発揮し、時に死角を突きつつ、カデンツァは敵の視界をすり抜けていく――と、
「ぷわわ」
湊斗の足元で何かが蠢いた。極彩色に染まる世界のなかで、独特な瞳孔が彼をじぃっと見上げている。|豹模様の蛸《ブルーリング》、この子も猛毒を持つ水怪だ。
「……はいはい、次はお前の出番ってことで」
のっそりとした触手が伸ばされると、|豹模様の蛸《ブルーリング》と融合した湊斗からは鮮やかな色彩をした触腕が生まれていった。
その、踊るように揺れる先端が空間を引き寄せる。魔物が異変に気づいたものの、遅かった。強引に距離を詰められたところで、鞭のようにしなる|水怪腕《ミズノカイナ》が襲いかかる。
「……麻痺っつーのは面倒だけど、やりようはある」
あまりにも一方的に紡ぎ出される謎かけの言葉に、眉を顰めた湊斗が小さく嘆息をするも、向こうだってそう気軽に使えるものではない筈だ。自らの手に構えた|刺胞《シリンジシューター》に目を落とすと、彼はそこで不敵な笑みを浮かべた。
水滴の音がした。狙いを外したと思わせていた、弾丸のひとつ――砕かれたシリンジから溢れた毒の雫が、天井の鍾乳石を伝ってアンドロスフィンクスに襲い掛かっていたのだ。
「――――!!」
「ま、此方もダンジョン攻略に来た身、別に対話するつもりも無いが」
問いの途中で白目を剥いた女の顔に向かって、湊斗が冷然と告げる。|怪物《ひと》の事言えたもんじゃねぇか、と、訳の分からない悲鳴をあげ続ける魔物に、彼がさらに触腕を振るったところへ、気配を消していた実も加勢する。
「……この洞窟の空気は好き。だけど、ここはこの世界にあっちゃいけない場所」
今度は確実に仕留めると言わんばかりに、唸りをあげたピュルゴスが墓標を刻む。
大きく態勢を崩したアンドロスフィンクスが、己の足元に目を向けた時――赤い蜘蛛脚の間を、小柄な影が過ぎった。
「危険さえなきゃこのダンジョンも、いいアトラクションになるんだろうが。……まぁしょうがない、さっさと終わらせてやる」
――影の正体は、カデンツァだった。魔物の影から飛び出すように現れた彼は、自慢の爪を鋭く光らせてとっておきの一撃を見舞う。
|死に至る猫の爪《デッドエンド・キャットクロー》。その毒がもたらすのは、神経に作用する感染症。
ネコチャンは愛らしいが、時に怖いのだ。
「変に耐えると逆に苦しいぜ。……ま、苦しんでもらうけどな」
曲がりくねった洞窟の最深部は、不可思議な模様に彩られた広間となっていた。
天井からシャンデリアのように伸びているのは、水晶のような鍾乳石だ。金緑色に輝いていることから、光苔が関係しているのかも知れない。
「……ま、とりあえずアレをどうにかしちゃおっか」
あやしい光に浮かび上がる、魔物の姿を捉えたゼズベット・ジスクリエ(ワタリドリ・h00742)が、長銃を手にさらりと言った。
「正直、苦手な形状の敵だが……んなこと言ってる場合じゃねえ、よな」
遮光レンズで瞳を守るドミニク・ヘレルヴルフ(泥塗れのアポロ・h04748)の方は、どうやら魔物の姿に思うところがあるらしい。生々しく蠢く蜘蛛の脚を直視しないよう気をつけつつも、己を鼓舞するように頬を叩く。
「……俺が囮になる。攻撃はアンタに任せた」
そうゼズベットに低く告げると、ドミニクは「核」の魔物、アンドロスフィンクスの前に立ち塞がろうとした。響き渡る詠唱に、靴音が重なる。金色の髪がさらさらと目の前を過ぎり、女の顔がぬっと突き出され――直後、ドミニクの動きが固まった。
「私の問いに答えなさい!」
耳を劈く魔物の問いかけの方が、わずかに早かったらしい。麻痺を受けたドミニクが、直前の体勢のまま動けなくなる。顔を顰めようにも完全に硬直してしまい、瞬きも叶わぬ眼で、こちらに向かって振り下ろされる蜘蛛の脚をただ見つめるしかない。
(――――ッ!)
身を縮める思いで、心の中で息を呑む。
が――そこで彼を庇うように広がったのは、見覚えのある、天鵞絨の翼だった。
「……にしてもさぁ、オマエお喋りだねぇ。舌噛まないの? そういう鳴き声?」
まるで空が囁いているような、ゼズベットの軽やかな声。
その羽が小さく震えているのを、ドミニクはしっかりと目にしていた。
(……くそ、無茶しやがって)
麻痺の影響を受けながらも、間に割って入った彼が攻撃を弾いてくれたらしい。
舌噛まないの、なんてアンタが言うのかよ、と思いつつも、ドミニクの胸にふつふつと熱いものが生まれていく。
「意味の無いことでも気になることってあるだろ、だからこれはただの好奇心……って、どうしたのドミニク?」
「……アンタは、どうしてそこまで俺を信頼できるんだ?」
気づけば麻痺は解けていた。掴みかかる勢いでゼズベットと向き合ったドミニクは、そのまま詠唱錬成剣を構えると、一直線にアンドロスフィンクスへ斬りこんでいく。
「――応えなきゃなんねえって気持ちになるだろが!」
そう、頼れる仲間が、傍にいるから。だから臆せずに笑い、立ち続けることが出来るのだと、ゼズベットが笑う。
蜘蛛脚を上手くすり抜けたドミニクが、側面に回った。手にした剣が錬成する属性は、水――魔法の刀身を思いっきり魔物の腹に投擲しながら、彼が叫ぶ。
「……下準備は出来たぞ! さっきのお返ししてやれ!」
「ホント最高だね、ドミニク」
流れるように繰り出された一撃に、笑みを零したゼズベットが宙を舞う。自由を得て羽ばたく鳥は、手にした精霊銃の狙いを定め、雷霆万鈞の魔弾をモンスターへ放つ。
「いいよ――派手に決めちゃおう!」
辺りが閃光に包まれたと同時に、マリー・コンラート(|Whisper《ウィスパー》・h00363)達が広間に突入した。「核」である魔物はかなりのダメージを受けているようだが、しぶとく再生を行って戦いを続ける。蜘蛛はしつこいと聞くが、噂に違わないようだ。
「……随分変わった形をしてるけど、倒せば良いのは変わらないよね!」
銃口を敵に向けたままマリーが仲間たちに声をかければ、ルイン・エターナー(ティーリス・エターナーのAnkerのお姉様・h04973)が静かに頷き、黒の手袋を弾く。
「ええ、これまで通り戦えば問題ない。……ティーリスも行けるな」
TRM探検隊の冒険もいよいよ大詰めだ。今までは年相応の無邪気な振る舞いをしていたティーリス・エターナー(ドラゴンプロトコルのルートブレイカー・h04594)だったが、ボスが相手の今回は雰囲気が一変していた。
「大丈夫。目の前の敵を斃す。跡形もなく消滅させる」
子どもらしからぬ、抑揚のない声で少女が答える。感情が抜け落ちたような顔つきでアンドロスフィンクスの方に目を向けると、その紅の瞳が炎のように揺らめいた。得体の知れない力を引き出すような、ひりひりとした感覚が辺りに満ちる。
「オオ、ォォアアアォァアァァ――!!」
女の顔をした怪物が、もはや謎かけとも呼べぬ奇声をあげて襲い掛かってきた。
鋭い蜘蛛脚が様々な角度から、回避を行うのが困難なタイミングで繰り出されていくが、|偽眼《RE》の力を用いるルインは「視力」で敵の動きを把握しようと援護に回った。
(回避は――間に合わないか)
逃げ場を塞ぐような形で、蜘蛛の脚が刃と化して振り下ろされる。それでも冷静に、少しでもダメージを軽減しようとルインが考えを巡らせたところで、絶妙に放たれたのはマリーの援護射撃だった。HK437を構えて突撃を行いながら、仲間たちと挟み撃ちするようにして、マリーはアンドロスフィンクスを追いつめる。
「何を言ってるのかよく分からないけど……街の人達の安全の為にも、早々に倒されてもらうよ!」
彼女の頼もしい声に、次々と甲高い金属音が重なった。叩きこんだ無数の銃弾によって赤脚の軌道が逸れたのを確認してから、素早く武器を持ち替える。
――銃とは趣が異なる、優美な長杖。そこで神楽を舞うような動作をすれば、直後にマリーは神速の杖捌きを繰り出して、スフィンクスの顔面に痛烈な一撃を見舞った。
「……さぁ、あとは動かなくなるまで攻撃しよう!」
魔物が大きくのけぞった瞬間、すでにマリーは武器を|Whisper《愛銃》に持ち替えていた。フルバーストを叩き込んで敵の動きを封じるのに、ルインも加勢する。白のチャイナドレスに描かれた龍が、咆哮を響かせるかのごとく宙を舞った。
「隙は私が作る。……だからティーリス、後は教えた通りにやればいい」
斬烈の赤脚を避けて、魔物の懐へ潜り込む。そこで教え子にちらりと目を向けてからODVGに包まれた掌を押し当て、一気に掌底を放つ。
衝撃を与え、怯ませるのが狙いだ。その間にティーリスは無防備な敵目掛けて、限界を超えた一撃を放ってくれることだろう。
「……覚醒せよ、我が龍魂。鋼の意志で全てを滅せよ」
無垢なる詠唱が朗々と紡がれると、ティーリスの拳が唸りをあげた。オッドアイが冷徹な光を放ち、|真紅煌靴《ティーリス・サイバーブーツ》が炎を纏う。紅龍の魂に覚醒した少女は、今や倍の速度を得てアンドロスフィンクスに肉薄していた。
「我が身はこれより煌めく紅龍人――」
炎の軌跡を描く蹴撃に、破滅の女神の拳が加わって、時空間が歪むような衝撃が辺りに広がる。怪物はもの言う力も失ったようで、瀕死の息を漏らしながら恨めしげにこちらを見つめるしかできないようだった。
――あと少し。皆に被害が及ぶ前に、さっさと斃れて貰わなくては!
金緑色の光は、今や洪水のように辺りに広がっていた。光苔の作り出す不可思議な模様が、目まぐるしく変化して誘七・赫桜(春茜・h05864)を幻惑する。
「綺麗だけれど、何だか目が回ってくるわ……」
万華鏡を覗き込んでくるくる回しているうちに、自分までどこを向いているか分からなくなってしまうような、不確かな感覚に包まれる。
しかし、それすらもララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)は楽しんでいるようで――もっと見ていたかったわ、と残念そうに呟くと、横たわる魔物にそっと目を向けた。
「……何を問うているのかわからないけれど、お前が核なのね」
どうやら敵は手負いらしく、地面に伏したままぶつぶつと呪文のような声を漏らしている。鮮血に染まった赤脚、そこへ宝飾のように金色の髪がかかって、時おりきらきらとした輝きを放っていた。
「煌びやかで美しいわ。なんて、……壊しがいがある」
「!! ララちゃん、気をつけて!」
蕩ける聲が、無邪気な言葉を紡いで。可憐な笑みを浮かべるララが、魔物に向けて足を踏み出そうとした時、赫桜の鋭い声が飛んだ。
「此奴がダンジョンの核……油断できないよ」
神刀を抜いた彼が、素早くララの前に立って太刀を一閃させると、近くに張り巡らされていた蜘蛛糸が断たれて、はらりと舞った。どうやら向こうは罠を張って、獲物が来るのを待ち構えていたらしい。
「大丈夫よ、赫桜。お前も居てくれるじゃない」
が――ララのほうは平然とした素振りで呟くと、赫桜に向けて意味ありげに微笑んだ。ボス相手にやる気十分といった様子で、好戦的なのは一体誰に似たのか、なんて赫桜はつい考えてしまうも、ララがその気ならと覚悟を決める。
(きみは、ぼくが守ると決めたんだから)
ガァァッ――と獣じみた咆哮をあげて、アンドロスフィンクスが跳躍した。
天井に逆さまに張りつくと同時、トラップの蜘蛛糸が辺り一帯を覆う。しかし、鋼糸のごとく獲物を斬り裂く無数の糸を前にしても、ララは怯まない。
「お前、降りておいで」
軽やかに獲物を追いかけながら、その手の中に生みだした迦楼羅炎を放つ。
一切衆生を灼きつくす炎が蜘蛛の糸に襲い掛かると、たちまち巣全体が燃え上がって辺りが深紅に染まった。
「屠桜――力を貸してもらうよ」
堪らず魔物が天井から落ちてきたところへ、赫桜が切り込んで神刀を振るう。
甘やかな破魔の桜を纏いながら、繰り出されるのは|屠桜ノ祝《メメント・モリ》――突き出された赤脚を命桜の太刀が両断し、その勢いで女の胴体を薙いだところで、ララも加勢した。
「ふふ、調子がいいわ」
赫桜の剣戟にあわせるようにして、窕のナイフが光鳥となって羽ばたいていく。重ねる太刀筋は|二重奏《デュエット》のようで、楽しくも心地良かった。それに、嗚呼――赫桜の振るう刀をちらりと横目で見ながら、ララは無垢な吐息を零す。
(龍の刀は、美しいわ)
「……ララちゃん?」
視線を感じた赫桜が彼女のほうを見遣れば、糸が掠ったのかかすかに怪我をしていた。この程度、大したことないとララは言うが、やはり悔しい。
刹那――聞こえてきた“謎かけ”を、赫桜は振り返ることなく屠桜で断った。
「きみの問いかけには応えてあげないよ、……こたえる意味もない」
さぁ、ダンジョン制覇は間近だ――早く終わらせよう。
地下に広がる急流を乗り越えて洞窟の奥を目指すうちに、エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)の顔つきはだいぶ逞しくなっていた――。
そんな風に、誘七・神喰桜(神喰・h02104)は願っていたのだが、現実はなかなか上手くいかないらしい。突如、天井から降ってきたモンスターに驚いて、エオストレの可愛らしい悲鳴が辺りに響く。
「うわぁ! 神喰桜ー! 金ピカイースターだよ!」
それでも、飛び上がったお陰で蜘蛛糸に引っかかることは避けられたようだったが、もう少し落ち着いて構えて欲しいものだ、と神喰桜はため息を吐いた。
「あれは、金ピカイースターというより、スフィンクスイースターでは……いや、イースターから離れよう」
この道中で、神喰桜もだいぶエオストレに感化されてしまったらしい。何なんだ、スフィンクスイースターって。人間災厄とは本当に恐ろしい。
「と……怖いなら、そのまま下がっていてもいいのだぞ?」
「い、いや! ただ驚いただけだから! 怖くないんだからな!」
身を起こし、蜘蛛の糸を張り巡らせるアンドロスフィンクスを視界に捉えながら、余裕たっぷりに神喰桜が問う。しかし、負けん気の強いエオストレは精一杯強がると、魔物にびしっと指先を突きつけて決め台詞を放った。
「ふ、ふふん! ダンジョンのボスなら此処で仕留めようじゃないか! 輝かしいイースターの為に――って、な、なんか言ってる!?」
直後、ぶつぶつと聞こえてきた魔物の声に、びくっと身を竦めるエオストレ。
どうにも最後が締まらなかったが、彼の意気込みは伝わってきた。そっと笑みを浮かべて神喰桜は神刀を手にすると、エオストレを援護するように前に出る。
「……いや、イースターではなく平和のためにな」
朱桜が舞うように、神殺の刃が閃いた。蜘蛛糸のトラップを鮮やかに断ち切り、時に上手く見切って躱しながら、神喰桜はスフィンクスの元へ続く道すじを作り出していく。
と――斬り合いは分が悪いと思ったのか、そこで糸を操った魔物が天井に跳んだ。
「ええい、ままよ! 落ちてこーい!」
逃げられる、と思ったエオストレが、咄嗟にイースターエッグを投げて妨害する。
彼の願いが通じたのか、ぱぁんと華やかな爆発音がするとモンスターが落下してきた――天井の鍾乳石も一緒に。
「げ!! 落ちてきた! 神喰桜ぁ?!」
「……お前が落としたのだろう」
こちらに降ってくる氷柱のような石を、刀で真っ二つにしながら神喰桜がぼやく。どうやら、鍾乳石の落下に巻き込まれた魔物はまだ体勢が整っていないらしい。ここからが勝負だと言わんばかりに、彼はエオストレに向き直った。
「私を使え! ……これは、お前の刀である私の意地だ!」
神刀『喰桜』――付喪神である神喰桜は本来の姿を取り、朱桜を纏ってエオストレの手に収まる。練習用に使っている刀とは違う、神威とも呼ぶべき力を感じた。
(大物の首は、私で討て!)
刀を通して伝わってくる、神喰桜の意思。任せて、とエオストレは頷くと『喰桜』を手に光苔の広間を駆けだした。
「僕だってね、やるときはやるんだ!」
さくら、さくら、と口ずさみ、間もなく訪れる春の季節に想いを馳せる。
地下を流れる冷たい清流も、いつかは雪解けの水となって大地を潤すように願いながら、彼らはダンジョンの「核」を一太刀で切り捨てる。
「僕が、……僕“たち”が、平穏を取り戻す!!」
――きっと、その後には草木が芽吹き、豊かな恵みを齎してくれるだろうから。