シナリオ

こころひそやか、あまさひかえめ

#√EDEN #√汎神解剖機関

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●こころひそやか、あまさひかえめ
 甘い香りがする。少女達はふたり揃って料理教室に足を運んで、一生懸命に板状のチョコレートを湯煎にかけていた。

「私でもちゃんと作れるのかな……」
「大丈夫だって、先生の言うとおりにすればいいんだから」

 まだ不安そうにしている友人を、もう一人は朗らかにわらって励ます。大人しい彼女が贈りたいと願うチョコレートが、いけ好かない男の元に届くのは腹立たしいが。
 かくいう自分も今回友人に付き添っているものの、本音を言えばあまりやる気はない。それでもめいっぱい楽しんでおくことに越したことはないのだし、完成したものは幼馴染にでもあげればいい。

「弱気になってちゃ駄目だって、ほらほら、作業進めるよ」
「う、うん。がんばる……!」

 穏やかな料理教室が怪異の群れに襲われるのは、もうすこし先。

●のろいつややか、いたみたっぷり
「どうも、皆さん。√汎神解剖機関から√EDENに現れた、怪異の対処をお願いできますか」
 じとりとした眼差しに、何処かぬめりのある存在感。星詠みである|警視庁異能捜査官《カミガリ》、井碕・靜眞(蛙鳴・h03451)はそう告げて、能力者達へと視線を向ける。

「√EDENの豊富なインビジブルに惹かれて出現……まぁ、よくある奴です。皆さんには、隠れ潜みながら事件を引き起こす敵に、まだ此方は存在に気づいてすらいないテイで動いてもらいます」
 はらり、男は一枚の紙を見せる。愛らしいフォントで書かれたそれは、バレンタインの料理教室を報せるチラシだった。どう見ても本人に不釣り合いなそれを、星詠みは能力者達へと突きつける。
「敵はどうやら、この料理教室が開催されるビルを根城にしているらしいんです。ですので、皆さんはチョコレートづくりの参加者として潜入してください」
 そういうの、おすきでしょう? 星詠みは更に言葉を続ける。
「あまり大した予知はできませんでした、すみません。ですが、その後の戦闘は避けられないと思ってください。それなりの大物も出るでしょう。とはいえ、皆さんなら問題なく解決できる事件でしょうから」
 どうぞよろしく。淡々とそう告げてカミガリは軽く頭を下げた。

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第1章 日常 『誰かのために想いを溶かして』


シラー・リヒター

 和やかな雰囲気で始まった料理教室のテーブルのひとつで、シラー・リヒターは静かにチョコレートを刻んでいる。口数の少ない彼は、真面目に講師の用意したレシピとアドバイスを確認する。
「お兄さんは、誰かにこのチョコあげるんですか?」
 彼の丁寧な作業が気になったのか、二人の少女が話しかけた。
「いえ、予定はございません。ですが、常々甘味を製作してみたいと思っていました」
 淡々と言葉をかえした彼に、へぇ、と少女達は興味深そうに相槌をうつ。甘いものがすきなのかな、なんて互いに話しながら作業をしていた彼女達が、ふと手を滑らせる。
「あっ」
 湯煎にかける前の、刻み終えたチョコレートが詰まったボウルが床へと落ちる――寸前。目を瞠るような速さで動いたシラーがすぐさまキャッチしたことで、ことなきを得る。
「ありがとうございます!」
「お兄さんすごい! 今全然見えなかったよ!?」
 わぁっとはしゃいだように感謝を述べる二人に、機械の躰を持つ彼は大したことはしていないと首を横に振った。
「あのっ! もしよかったら、一緒にチョコ作りませんか? あたし達だけじゃきちんと完成できる気がしなくって」
 照れ笑いを見せる少女達の提案に、シラーは藍色の瞳を瞬かせる。
「自分がご一緒してよろしいのでしょうか」
「はい、だってすっごく上手なんだもん!」
 一般市民の役に立つのも、能力者として義務のひとつだろう。そう判断したベルセルクマシンは頷く。
「了解しました、短い間ですがよろしくお願いいたします」
「こちらこそ!」
 ぱっと笑顔を咲かせる少女達とは正反対の無表情だったものの、シラーは二人と協力しながら料理教室に集中するのだった。

遠宮・弥

「やあやあ先生、今日はどうぞ宜しく頼むね」
 笑顔で挨拶する遠宮・弥に、彼女と同じ年頃に見える担当講師の女性も微笑んで言葉をかえす。
「こちらこそ、おいしいチョコをつくりましょうね。遠宮さんは得意なお料理はありますか?」
「む、料理経験かね? ゼロだとも!」
 自信たっぷりの表情から告げられる言葉に、あら、と講師はすこしだけ意外そうに驚く。
「いやだがね、こう見えて割と小器用な方だと自負しているのだよ」
「ならよかった、きっとすぐに上達されますよ」
 ふふ、となんとなく楽しげな講師に、不安のひとかけらもなさそうに弥は頷く。
「まかせたまえ! すぐにマスターしてみせようじゃないか!」
 と、その態度だけならば自信満々の女だけれど、その手つきは清々しいまでの素人っぷりを見せつけていた。
「すまないね、ココアパウダーの配分はこれくらいで合っているかな?」
「はい、問題ないですよ」
 初心者ならば初心者らしく。恥じることなく何度もスタッフに話しかけては、アドバイスをきちんと聞いて指導を請う。
 多少失敗しても落ち込まず、丁寧に間違いを修正する彼女の真面目さが垣間見えた。
「遠宮さんは、どなたにこのチョコを渡すんですか?」
 弥を気に入ったらしい講師の言葉に、女はぱちりとまばたきひとつ。それから、ふふ、と今までにないやわらかな笑顔を浮かべる。
「……こう見えて、目に入れても痛くないほどかわいい娘がいるのでね。あの子に渡してやりたいのさ」
「まぁ! 娘さん、きっと喜びますよ。お母様が自分のためにチョコを作ってくれるんですもの」
「そうかい?」
 訊き返した弥に、講師はもちろん、と頷いて。そうか、とちいさく呟く女は、すこしばかり母の眼をして。
「日頃、あの子には迷惑と心配をかけてばかりだから――」
 そこまで言った矢先のこと、講師が遠宮さん、と声をかける。
「え、手順が違う? あれ、どうだったっけ……おかしいな」
 もう一度お手本を見せてもらってもいいだろうか! そう頼みこむ弥に、講師がにこにこと了承する。

楪葉・莉々
楪葉・伶央
鮫咬・レケ

 それぞれが楽しく会話をしながらチョコと向き合う料理教室で、ひときわ賑やかなテーブルがある。
「れお~♡ みてみてこれにあうだろ! りりにかしてもらった!! おそろ!!」
 鮫咬・レケがうれしそうにその場で揺らすのは、自らが着用したフリルいっぱいのエプロン。それを見て、心底どうでもよさそうな眼差しを向けたのは楪葉・伶央で、レケにエプロンを貸した楪葉・莉々はぱぁっと笑顔を咲かせている。
「鮫ちゃん、ちょー似合っててかわいー! あ、兄のも用意してきたよ!」
「自分のがあるから大丈夫だ」
 明らかにレケをスルーして、伶央は自前のエプロンをてきぱきと着用する。すらっとした体格と端正な顔つきに似合っているせいか、どことなく男前のパティシエ風。
「わ、エプロン姿の兄、今日も爆イケ恰好良すぎ!」
「んふふ、りり、おれもおれも! ほめてー」
 きゃっきゃとはしゃぐ莉々はいいとして、問題はこの監視対象。人間災厄『幸福の濫り』が悪さをしないか、妹に悟られぬように監視を務める伶央の胸の裡はそれなりに複雑。
 とはいえ、真面目な彼はチョコレートもきちんと作ろうと決めていて。
「れお、ちょこつくるのはおれはじめて」
「……ああ、そうだろうな」
「うん。だから、ほら」
 ぴ、と差し出された両手には、頑丈にまじないの封印が施されている。
「といてくれねぇとつくれねぇじゃん!」
「日常生活を送るのに支障はないはずだ、必要ない」
 すぱっと即座に断られ、わかっていてもレケは唇を尖らせる。
「ちぇ~だめか~」
 とはいえ、まぁ駄目だろうとは思っていたし。レケは服の袖を捲って、調理道具を確認していた莉々の元へと向かう。
「りり、いっしょにやろ~」
「うん、一緒にやろ!」
 こうして不思議なバランスが保たれた三人での、チョコレートづくりが始まった。
「ゆせんってなんだ?」
「湯煎はねー、チョコを刻んでボールに入れてー。お湯につけて、こうやって溶かすんだよー」
 ぽやりと不思議そうに専門用語を尋ねたレケに、莉々はお手本を見せながらふわふわの説明をしてみせる。
「お~! りりは手際がいいな~。おれ、こまかくするのはわかる!」
「ふふん、私は料理得意だからね。鮫ちゃんも刻むの上手!」
 とんとんとん、意外にも器用にチョコレートを刻んでいくレケを見守りながら、莉々は教え子を褒めて伸ばす。
「沸騰した湯だとチョコに熱が入りすぎて風味がとんでしまう。すこし熱い程度が適温だな」
 その隣、伶央も丁寧な手つきで温度をはかり、きっちりとした作業を行う姿には妹どころかスタッフも褒め言葉を残していく。とはいえ青年は、周囲の女性陣のきらきらとした視線には気づいていないようだった。
「れお、ぜんぜんわかんねぇんだな~」
「兄ってちょっと鈍感なんだよねー」
「……なにがだ?」
 さて、溶かしたチョコレートを型に入れて、冷蔵庫で時間を置く。かわいらしいデコレーションをほどこしたなら、キュートな動物がいっぱいに並ぶミニチョコレートの完成。
「きれいにできてるな~」
「うん、上手にできたね、鮫ちゃん!」
 まじまじと完成品を見つめるレケの隣、莉々もうれしそうにはしゃいでいる。
「鮫ちゃんは誰かあげる人いるの?」
「あげる相手~?」
 ん~と、と一瞬考えて、レケはにへらと笑みをかえす。
「これはりりにあげる~」
 いっしょにつくってくれたお礼も兼ねて、と告げれば、私に? と莉々は目を瞠った。
「やったぁ! じゃあ交換こしよ!」
「するする! で、そっちのうさぎの型のをあげる相手はぁ……うさぎだいすきな、れお♡」
 にやにや、からかうように笑って伶央へと視線を向ければ、わずかに殺気すら感じる威圧がかえってくる。
「……可愛くて大人しい兎ならすきだがな」
「のりわる~!」
 いつだって彼はその反応。驚くだとかそういった、人間災厄が面白くなれる反応はひとつもくれやしない。そんなことはつゆ知らず、莉々は兄の言葉を真に受けて。
「兄、うさぎがすきなの? 知らなかった! 私のうさぎチョコ、兄にあげる!」
 |警視庁異能捜査官《カミガリ》の職務に忠実な青年は、しれっと妹へやわらかく視線を向ける。
「ああ、さすがは莉々。上手にできているな。莉々の兎チョコ、喜んでいただこう」
 なんだかんだ、妹のおかげでふんわりとした雰囲気のまま、三人は目的を達成したのだった。

ララ・キルシュネーテ
詠櫻・イサ

「イサ、早速乗り込むわよ。チョコを沢山食べられるはずだわ」
 チョコレート作り教室。そう聞いたララ・キルシュネーテは、すぐさま詠櫻・イサを引っ張っていく。
「ララは作ったこと……なさそうだな? 聖女サマだもんな」
「ええ、ないわ。ララは食べる専門よ」
 ちなみに俺もない。少年人形がそう告げれば、イサもないの? とララは一瞬考え込む。
「……大丈夫かしら」
 少女のわずかな不安を察して、イサは言葉をかえす。
「料理教室だし、教えてもらえるだろう。まずは簡単なものからやれば、なんとかなるはずだ」
 敵を斬ることは無数にあっても、チョコレートを切ったことはない。とはいえ、そんな初心者のための教室なのだから、必要以上に心配することもない。
「お前が言うならきっと平気ね。ララも同じようなものよ」
 きっと、一緒ならなんとかなるはず。イサの言葉を繰り返して、少女はあらためて彼と共に料理教室へ乗り込む。
 用意されていたかわいらしいエプロンを着用し、ふたりはいざ作業をはじめる。ララのために踏み台も準備されていて、調理器具もこども向けの安全仕様。
「教わる側として、文句は言わないわ。怪我をしては困るものね」
 そう頷くララの隣、イサがぴっと注意をひとつ。
「ララ! それは材料だから、まだ食べない」
「む……」
 まずは味見して素材の味を確かめたかったのだけれど。ちょっぴり不服そうな聖女に、少年人形は言い聞かせる。
「これから美味しくなるから我慢な」
「……わかったわ」
 それくらいの我慢、ララは全然だいじょうぶ。素直に言うことを聞く彼女に頷き、イサは講師の説明とレシピをよく確かめる。
「まずはチョコを刻むんだ」
 本人の性格がよく表れているのか、イサは器用かつ丁寧に板状のチョコレートを刻んでいく。それを真似て、ララも包丁でことことがったん。
「……こうかしら?」
「そう、いい感じ。かなり大胆だけど」
 お次は湯煎というキーワード。温かなお湯のなかに刻んだチョコレートのつまったボウルをおさめる。
「湯煎ね……ララの炎でとかしたほうがはやそうなのに」
「ララ、ゆっくりじっくりな」
「ええ。チョコはデリケートなのね」
 すこしずつ、とろりと液状になっていくそれは甘い香りが漂ってきて、そろそろ味見、とララの視線がきらめく。
「味見はやめとけ、なくなるぞ」
「むぅ」
 そうしてタイミングよく制止するイサのおかげで、ハート型のかわいらしいチョコレートが完成した。
「できたわ! いっぱい我慢したララのチョコよ」
 つやつやとしたハート達は、がんばった二人の証。愛らしい箱に詰めたそれを、うれしそうに手にするララに、イサが自分のチョコレートを手渡す。
「ララ、俺のをあげる」
 同じ材料の、同じチョコレート。けれど満開の笑顔は、イサにとって甘いものだった。けれど、うれしいのはそれだけでなく。
「ララのはイサにあげるわ」
「いいのか?」
「ええ、ララはお前に食べてほしいわ」
 笑顔が見たいと思ったのは、きっとララも同じ。

エトワール・ミシェル
ステラ・スプレンドーレ

 この後訪れる惨劇を防ぐため、エトワール・ミシェルは料理教室へと潜入を果たす。とはいえ理由はどうであれ、チョコレート作りを楽しまなくては損。
「お菓子作りなんていつぶりでしょうか」
 なんだか思っていた以上にわくわくしている自分が居るのは意外だ、と準備をしながら、隣に立つ女に視線を向けた。
「……で、なんであなたがこちらに居るのか伺っても?」
 ステラ・スプレンドーレはうんうんと頷き、参加者達を眺めて満足げにしている。
「想い人を想いながらうら若き乙女が励む……いいねぇそういうの! お姉さんすきだぞ!」
 それからきょとんとした表情で首をかしげて、エトワールを見つめる。
「もしかして気づかなかったか? ダメだろ~! 常に気を張ってろよ? そんなんだからキミはいつまで経ってもマンモーニなんだ!」
「あなた、料理なんて出来ないでしょう」
「はぁー? 料理教室だぞー! 先生が居るんだから初心者が料理してもいい所なんだからなー!」
 当然の反論ではあるものの、ステラに関しては何をしでかすかわからない。飽きたあとにはどうなるか。
「はぁ……とりあえず大人しくしていてください。そうしたら完成品はすべて差し上げますので」
「え、チョコくれるのか? んじゃ見てる」
 けろっと了承する女に対し、青年はため息ひとつ。不安しかない、この|時限爆弾《ステラ》が飽きる前に、完璧なチョコを作らねば……!
 そうして始まったチョコレート作りは、エトワールの真面目さと器用さを見つけた講師がにっこりと微笑む。軽いアドバイスを交えつつ、お上手ですよ、と褒め言葉を贈られれば、青年もありがとうございます、と礼を告げて。
 エトワールが何をしているのかはさっぱりわからない。しかし講師が褒めるということは、どうやらウチの子は優秀らしい。けれど見ているだけというのは暇なもので、ステラは隣のテーブルで一生懸命な少女を見た。
「キミ、頑張ってるね! 誰かへのプレゼントか?」
「えっと、はい……すきな人、に……」
 人懐っこい笑顔で話しかけてきたステラに、少女は照れた様子で言葉をかえす。きら、と星がきらめくように瞳を輝かせ、女は頷く。
「うんうん、お姉さん応援してるぞ! その調子だ、がんばれ~!」
「人様の邪魔をしないでください」
 エトワールの厳しい目に、してないしてないとステラは首を横に振る。そうしてぽつり。
「なぁ、エトワール」
「はい?」
「私も何かやりたい! あれだ、なんか混ぜてやろうか?」
「だから! あれほど! 大人しくと! あなたが手を出すと出来るものも出来なくなる! 座って水でも飲んでろ!」
 怒られた、なぜ。しょんぼりと着席する女と叱責する青年を見て、隣の少女がちいさく笑む。
「お姉さん達、仲良しなんですね」
「ああ、そうだとも! ウチのかわいいマンモーニさ!」
 口を挟めばまたややこしくなる。青年は黙ってチョコレートづくりに勤しめば、なんとか完成にこぎつけた。
「妨害はありましたが、綺麗に出来たのでは?」
「お~完成したか! さすがウチの子!」
 丁寧な作業によって綺麗に整ったチョコレートは、艶があってうつくしい。見た目が美しければ、そのぶん想いを込めて作ったと思うはず。
 形より想いである気もするが、見た目も大切か、とステラは完成品を覗きつつ。
「で、食べていいか?」
「あなた、そればっかりですね……」

ベニイ・飛梅

 変な話です。チョコレートを刻みながら、ベニイ・飛梅は思う。
 バレンタインなんて、一生縁のない行事だと思っていたのに。今になってこうして料理教室の生徒としてチョコレートづくりに勤しんでいる。
 地味で根暗でメカマニアだった娘は、能力者として目覚めてからこのようなことをしているのが不思議でならない。
「……でも、まあ」
 もう、生まれ変わったようなもの。全身を義体化した彼女は、以前とは姿かたちはまったく違う。ならばこうしたチャレンジに挑むのも、きっと悪いことではない。
「折角です、楽しみますか」
 凝り性な性格のベニイは、なるべく精緻なものに挑戦する。ピンクの着色料を混ぜながら、講師のアドバイスを受けながら静かに調理を勧めていく。
 料理に関してはまるで素人、けれど戦線工兵としての器用さがそれを支えて、実力はプラスマイナスゼロといったところ。丁寧な作業はやがてきちんと形を成して、茶色とピンクの梅の花が咲いた。
「とってもおいしそうに出来ましたね、プレゼントのご予定があるのかしら?」
 やさしい笑顔でそう尋ねた講師に、ベニイは先生のおかげです、と礼を告げ。
「あげたい人が、今いるわけじゃないですけどね。でも学んでおけば、将来役立つでしょう? いい女は、備えるものなんですよ」
 たぶんね、と言葉を続ければ、その通りですねと講師が笑みを深くした。
 箱に詰めたのち、ひとつだけ残ったチョコレートを食む。しっとりとした甘みが口いっぱいに広がって、娘はちらと壁に貼られた避難経路を確かめる。
 参加者達を速やかに退避させられるかどうかは、こうした準備が命運をわけるもの。ウォーゾーンでは全国民が幾度もこなした避難訓練も、この√EDENは皆無に等しい。
「この経路なら、階段では二手に分けて……うん」
 そう、いい女は備えるものなのだから。

シイカ・メイリリィ
椿木・キサラ

 椿木・キサラが参加者達を見渡せば、若い女性を中心に様々な人々がチョコレートづくりの支度を始めている。
 和やかな料理教室の和気あいあいとした空気が、このあと一変するかもしれない。それぞれの事情は違うとしても、大切な人を想う気持ちは同じなのだろう。
「バレンタインに向けて頑張る人の想い絶対守らなきゃ! 頑張ろうね、シイカ!」
 ふんす、と気合を入れるキサラの隣、シイカ・メイリリィも静かに同意する。
「はい、料理であれ作戦なら忠実に遂行します。キサラに何かあれば私が守りますのでご安心を」
 シイカの頼もしい言葉にキサラが頷いて、まずはふたりのチョコレートづくりが始まった。
 贈る相手はお互いと、事務所で働く男性陣へ。どうせならいっぱい喜んで貰いたいキサラだけれど、初心者としては何を選ぼうか迷うところ。
 そんな彼女に気づいた講師が、これならどうでしょうか、と愛らしい動物のシリコン型を並べる。
「これなら数も多めに作れますし、かわいいものができますよ」
「ありがとう! これなら可愛くできそう!」
 るんるん気分でシリコン型をいくつかチョイスして、素材となるチョコレートも黒と白の二種類を選ぶ。
 シイカは作りかたもばっちり予習済みで、トリュフチョコにチャレンジ。けれど講師の助言も積極的に受けることで、よりよいものを作り上げようと努める。
 板状のチョコレートを刻むため、楽しそうに包丁を手にするキサラの様子を見て、シイカはそっと口を挟む。
「いいですか、包丁を使うときは怪我しないように、湯煎のときは火傷しないように。気をつけてくださいね」
「大丈夫よ、普段から使ってるし! 最善の注意もしてるわ」
「そうですか、ならいいのですが……」
「もう、シイカったら心配性なんだから~!」
 にこにこと笑うキサラの姿を頻繁に気にしつつ、シイカも自分の手元をおろそかにはしない。適度なやわらかさになったガナッシュを均等に分けたところで、あら? と首をかしげる。
「変ですね、必要な個数を取ったら残ってしまいました」
 分量通りに作ったのですが、と不思議そうにする彼女に、キサラが目を輝かせる。
「その分味見してもいいんじゃないかしら!」
「ではキサラ、どうぞ」
 やった、とはしゃいだ声で、余ったガナッシュをいただきます。おいしい、とうれしげな彼女の姿に、シイカも目を細める。
 キサラも自分の作業を進め、いよいよ慎重にチョコレートを型へと流し込む。気泡ができないよう注意しつつ、綺麗に固まることを願って冷蔵庫に閉まってしばらく。
 しっかり固まって型から抜き取れた動物チョコレート達に、苺のデコペンでリボンやハートを散らしていく。
「ほら、上手に出来たでしょ?」
「流石はキサラ、とても上手ですよ」
 シイカに褒められ満足げなキサラが、シイカにはこれ、とひと際おおきな兎のチョコレートを差し出す。
「これは……私の分?」
「ええ、特別仕様よ!」
 笑顔で贈られたチョコレートに、シイカの笑みが深くなる。
「……とても、嬉しいです。私からは、こちらを」
 男性陣にはココアをまぶしたものを、キサラには抹茶と苺のパウダーで特別仕様に飾られたものを。喜んでくれるかしら、と視線を向ければ、キサラは満面の笑みを咲かせて。
「ありがとう! とってもかわいくておいしそう!」
 大切な人のてづくりを受け取って、二人は喜びをわかちあう。

第2章 集団戦 『さまよう眼球』


 料理教室が盛況に終わった時、能力者達はぞわりと何者かの視線を感じた。
 誰かの悲鳴が上がったのと、異様な見目の者達が現れたのは同時。
 おぞましい眼球と牙の群れが教室内へと入ったならば、能力者達が参加者達との間に立ちふさがる。

「皆さん、こっちです!」

 事前に避難経路を確認していた者のおかげで、一般参加者達はすぐに避難することができた。
 人々を守らなくてはならないという憂いはなく、あとは、この暴食の怪異を潰すだけ。
ベニイ・飛梅

 ベニイ・飛梅の行動は速かった。避難誘導を済ませたと同時に、ぎょろりとこちらを視る無数の目と視線がかち合う。
 いびつにすら思える牙の羅列、おおきな口があんぐりと強酸を吐き出していく。
 相棒のヴィークル無しでは無理……? 否。
「いけます、今日の私はいい女ですからね!」
 白梅の香りがふわりと漂う。義肢の両腕からバリアが展開された時、人工皮膚にひび割れが起こる。そんなものは構わない、といった様子のベニイが被ったレトロな飛行帽の効果も相まって、ハニカム構造と梅の花を幾何学的に合わせたプロテクトバリアが張り巡らされた。
 吐き出された強酸は異臭を漂わせ、じゅわりとバリアを融かしていく。バリアを張りきったと同時、素早く腰に携行していたリボルバー式の拳銃の引き金をひけば、無数の金属片が撃ち放たれた。同時に空いた腕から烈しい放電を行えば、強酸のブレスは勢いを落とす。
 けれど、それも一瞬のこと。眼球は己の肉体そのものを完全な口腔と化した時、外部からのあらゆる干渉を無効化する。ぱらぱらと墜ちていく金属片、弾かれる雷。
 負けてたまるものか、娘はすぐに地を蹴った。宙に浮かぶ細身の身体は、再びバリアを展開していく。
 ひび割れたゆびさきから見え隠れするコードの群れは、まるでヒトの血管のように。ぱしゃりとわずかに頬にかかった酸は、ベニイのまがいものの膚を融かす。
 それを気にするほど、彼女は自分のかんばせに興味がない。そんなことよりも、生身の味方が酸で灼かれることのほうが許し難い。
 無敵の時間は長いようであっという間。耐え凌ぐ彼女の横顔は、白梅のようにうつくしかった。

シイカ・メイリリィ
椿木・キサラ

 ぎょろりぎょろりと動く無数の目玉、異様なまでにおおきな口に並ぶ鋭い歯の群れ。
 わずかでも油断してしまえば、ひと口で食べられてしまいそうだと椿木・キサラは思う。彼女の胸に不安がよぎったと同時、飛び出す人影が在る。
「少女人形・シイカ、戦闘モードに移行します」
「えッ、ま、まって! シイカ!」
 友人の制止も聞かず、黒髪を靡かせ戦乙女は駆ける。なによりも大切な彼女を護るために。
「……キサラ、無理はしないで。私が迅速に処理します」
 眼球の怪物達はふわりと游ぐインビジブルと場所を入れ替わり、新たな己を増殖していく。それらがキサラに触れる前に、シイカはエンジンを内蔵したガントレットを展開。その見目からは想像もつかぬ苛烈な殴打でかき消したのち、その腕が届かぬ相手には眩しい光弾を撃ち込んでいく。
 派手に、それでいて的確に動く少女人形に惹かれるように襲いかかるそれらに、シイカは普段の笑みを鎮めて淡々と攻撃を見切る。
「無駄です。“そちら”にもすぐに行きますので」
 避けきれぬダメージは展開されたオーラのバリアで軽減しつつも、無数に存在するインビジブルから生まれる眼球に触れる度、すべての痛みを防ぐことは難しい。
 臆することなく一人で戦い続ける友人の姿に、キサラは己の心細さを悔いた。
(今弱気になってどうするの? 絶対に守るって、その為に来たんでしょ?)
 怪物への恐怖は理由にはならない、言い訳にだってならないはずだ。泣きたくなるほど怯えている、心のなかの弱虫を叱咤するように言い聞かせる。
「――それに、これ以上シイカにもかっこ悪い姿は見せられない!」
 柄に椿の花咲く相棒のメスを握りしめ、少女はとん、と駆けだした。なおも派手に戦う友人に気を取られている彼らの背後、怪異解剖士としての執刀術が冴えわたる。
 ぴりっと確かな痺れの毒で塗れた刃は、無数の目玉の動きを止める。
「お味はどうかしら!」
 ぎょろり、意識が一斉にキサラへと向く。心のなかの弱虫が、ちいさく悲鳴をあげかけたのを抑え込み、少女は身軽な動きで次々と麻痺毒の刃を咲かせてく。
 たとえ傷をつけられずとも、すこしでも時間稼ぎが出来ればいい。積み重なる違和感が、敵の混乱を引き起こす。
 怖くたって平気、だって私は“ひとり”じゃないもの!
「シイカ! 今がチャンスだよ!」
 キサラ、と少女人形は瞳を見開く。それから、自分の考えをあらためた。
(……そうでした。貴女は私が思うより、ずっと強いヒト)
「ええ、キサラ! お任せください!」
 誰かの想いを絶対に守ると友は言った。ならば自分も、その想いを守ってみせる。
 今此処に居る躰の生命力を収束させ、人形はエネルギーを纏う。蠢く敵へと一気に叩き込むのは、煌々とかがやくガントレットの一撃。
 燎原の紅百合がうつくしく咲き誇るのを、キサラはどこか誇らしい気持ちで見つめていた。

遠宮・弥

「やれやれ、無粋なものだね」
 現れた異形の群れに、遠宮・弥は軽く肩をすくめる。甘い匂いにつられてきた、というにも醜悪なそれらは、どう見たってこの場に相応しくない。
「出来る限り早くお引き取り願うとしようか」
 女の言葉に反応するように、怪物は己の眼球と牙を赤々と輝かせる。自身では抑えられないほどの飢餓に呑まれながら、ありとあらゆるモノを喰らいつくそうと動いた。
 けれど弥は焦ることなく、銀色にひかるワイヤーを張り巡らせた。絡みつくそれは暴食状態の異形をぎちりと縛り、その速さを叩き落す。改良されたアサルトライフルからの発砲音は続けざまで、明確に敵を怯ませている。
「それこそその速度も、損傷が倍加するのなら良し悪しだねぇ」
 彼らの動く軌道上、あらかじめ銃弾を置いてしまえば話は簡単。こちらは最低限の動きでダメージを入れることが可能なのだから、次の個体への対応もスムーズに事が運ぶ。
 ふいに背後から襲いかかる眼球がくぱりと開ける口に、女は振り返ることもなく強烈な回し蹴りを撃ち込む。
「おっと、余りところかまわず跳ね回らないでくれたまえよ?」
 鋼の義体の蹴撃は、羅列された牙ごと真っ二つに砕いていた。水泡のように弾けて消える者を一瞥もせず、さらにとん、と飛び上がる。そうして弥の脚から展開されるブレード機構は、ぞろぞろと集う者どもを次々に両断していって。
「この場所をあまり壊されてしまっては困るからね」
 なんせ、これからも人々の大切な日常を紡ぐ場所なのだからね。微笑む女の自信に満ち溢れた表情が、曇ることはない。

鮫咬・レケ
楪葉・伶央

 ずらり、ぎょろり、無数の目があちこちに視線をばら撒いている。その光景を面倒くさそうに眺めて、鮫咬・レケは既に攻撃の構えをとる楪葉・伶央へと言葉を投げた。
「れお~、こっちなんかいるけど、どーすんの?」
「どうするって、それを殲滅するのが今回の目的だ。俺がお前と仲良くチョコ作りだけしにくるわけないだろう」
 淡々とかえす伶央の横顔は|警視庁異能捜査官《カミガリ》としてのそれでいて、妹に見せていたやわらかな表情は消えている。
 面倒事は嫌いな人間災厄にしてみれば、楽しくチョコレートをつくっただけで満足だったのだけれど。
「もうかえっていいか?」
「駄目だ。莉々がチョコは持って帰ってくれた、あとは俺達で行くぞ」
 ちぇ、だめかぁ。口を尖らせたのち、レケは再びごねてみる。
「ちゃんとはたらいたらごほーびくれる?」
 無数の牙が並び生えた口が、異臭の漂う強酸を吐き出す。それを二人は同時に飛び避けて、伶央は使い慣れた鋼の糸を懐からしゅるりと取り出す。
「相応の働きをまずはしてから言え」
 なるほど、それならいいのか。レケはにんまりと笑って、んひひ、と声をあげた。
「れおのおねがいならしかたない~」
「お願いではない、やれ」
「れおのいけず~!」
 声色の冷たさはそのままに、青年の視線はいよいよ化物へと固定される。ふわふわと宙を泳ぐインビジブルを変貌させながら、目玉の群れはカミガリを追う。
「――問題ない、素早く敵を掃討する」
 あれらの攻撃など、触れなければ関係ない。手繰る糸の扱いはあっというまの早業で、張り巡らせたそれをぐっと一気に引き絞る。
 ぱん、と破裂音ともに切り刻まれゆく怪物に、あは、とレケは笑う。
「あの鋼糸やべーんだよな~、おれもあれにもってかれたし……」
 さて、ご褒美を貰うには自分も働かなくてはならない。けれど、こちらから殴りにいくのもすきじゃない。
「めんどいからさぁ、こいよ」
 ぐぱりと開く牙の群れ、そのするどさが人間災厄を襲う。
「おまえもいいきばもってるじゃん!」
 それを躱すことなく――がぶり。肩に深々と刺さった牙に、わずかにレケの表情が歪む。あ、いたい。いてぇけど、
「おれの牙のほうがいい牙だ」
 世界が歪む。鮫の形をした影が伸びて、烈しく異形に嚙みついた。ぶちぶちと肉の筋が切れる音がして、喰い千切られた個体が霧散する。先ほどまでの肩の傷は跡形もなく消えていて、深海の眼は笑んでいる。
「おれのは、ぜんぶ喰いちらかす牙だからな」
 そして尚も、しなやかな動きで糸を躍らせる伶央の手さばきが止まることはない。
「そのような牙など、獅子の牙がへし折ってやろう」
 不可視の死線を潜り抜けることなど、出来やしないのだから。
「なぁれお~、ほめろよ~! ちゃんと、くいちらかした!」
「まだ終わってない、調子に乗るな」
「これでたりねーのかよ~」
 ちらり一瞥しただけで、カミガリは人間災厄を喜ばせる気は微塵もない。れおのけち、とやっぱり口をとがらせて、レケは再び目玉共へと鮫影を追わせていく。

第3章 ボス戦 『対処不能災厄『ネームレス・スワン』』


 霧散していく眼球と牙の群れ。途端、ぞくりと背筋に寒気が奔る。
 ばちばちと窓硝子が揺れる。閉じきられていたはずの窓の隙間から、すさまじいほどの悲鳴が鳴り響く。
 現れたおぞましい災厄の名は『ネームレス・スワン』、怪奇事件の黒幕だろう。
 なおも悲鳴をあげつづける頭部の群れは、うつくしささえ感じられる白い翼をはためかせる。

 ――幕引きのための戦いが始まった。
ベニイ・飛梅

 烈しい風が吹く、悲鳴がとどろく。ビルの外に現れた見たことのない異形に、ベニイ・飛梅は愕然とした。
「なに……なんです、これ……?」
 狂気と絶望が延々と暴れているようで、そのおぞましい姿に背筋が震える。けれどベニイはぎゅっと拳を握った。
「……いえ、落ち着いて。何だろうが、どのみち倒すしかないんです!」
 だって今日はいい女、それに自分には相棒も居る。恐怖を振り払うように、娘はその名を大声で呼ぶ。
「来て! イロタマガキ!」
 がらりと開けた窓の向こう、鮮やかな飛梅色のライダー・ヴィークルが主人の声に反応して宙を駆ける。勢いよく飛び出せば、娘の身体は空を舞う。
 地上に墜ちることなく愛車に乗り込んだベニイのしろい髪から、白梅が香った。エンジンは吹かしっぱなしで、アクセルを思いっきり踏みつけて、単車は一気に疾駆する。
 頭のなかをかき乱すように、ぐわんぐわんと唸る叫びは、心も身体も摩耗する。けれど娘は義肢とヘルメットからバリアを展開。ハニカム構造と梅の花が青空を彩って、ばちりと悲鳴を防ぐ。
「私が東風です!!」
 愛車を自動操縦モードに切り替え、ハンドルから手を離す。拳銃から放たれる金属片の群れは途切れることなく、災厄のましろの翼を次々に撃ち抜いていく。
「まだ終わりません!」
 もう片方のゆびさき、ばちばちと眩しい雷電が空の青を裂く。放電をまともに喰らった災厄が、今度は激痛に身をよじった。
 心なしかイロタマガキの調子も良い、宙を駆ける愛車の動きは寸分の遅れもなかった。
 真っ向勝負で削りにかかるベニイの表情に恐れはない。最高のいい女であると、誰もが思っただろう。

遠宮・弥

「おやおや、子飼いもアレだが親玉もアレだねえ」
 悲鳴をあげながら空を舞う災厄に、遠宮・弥は軽く肩をすくめて笑う。美しくないというか、夢に出そうというか。
 あまり直視していたいものでもないと、女は鋼の糸を引き絞った。
「さっさとお引き取り願うとしよう」
 ぶじゅぶじゅと生まれる頭部が、ぞうぞうと伸びる脊髄が、うぞうぞと羽ばたく翼が。増える、殖える。けれど災厄が狙うのは、金髪をなびかせるサイボーグのみ。
「むしろ僥倖だ」
 無差別に破壊を撒き散らせれば面倒だった。“たくさん”で“ひとり”を狙うのはさぞ戦いづらいことだろう。
 女の躰を文字通り貪るために、ましろの翼がこちらへと飛びかかる。銀の針めいたワイヤーが翼を搦め捕れば、ぎちりと嫌な音がした。
「その羽と頭、幾つ毟れば止まるのかな」
 発砲音と共に弾けた頭部は、赤黒い肉塊を青空に咲かせる。駐車場に並んでいる車の一台へと飛び降りて、失礼、と弥は高く跳びあがる。
 あらゆる戦闘に対応された義体の脚は、勢いよく頭部をぶち抜く。同時に垂れ下がる脊髄を剛腕が強く握り、派手に引き千切った。
 絶叫するのは痛みからか、それとも変わらぬ狂気ゆえか。異形はそれでも弥を蹂躙しようと宙を舞う。その様子に、おや、と女は笑む。
「しかし、随分と貪欲のようだね」
 残念ながら菓子を馳走してやることはできないが、弾丸ならば幾らでもサービスしてやろう。様々な並行世界の技術で精製された特殊弾薬は、有り余るほど。
「たんと喰らって逝きたまえ――なに、遠慮はいらないとも」
 きちんと頭数分以上に用意してあるからね。
 アサルトライフルは災厄が息絶えるまで、弾奏をかき鳴らしている。

七・ザネリ

 ぞろぞろと群れるそれを見上げて、七・ザネリは悪態をつく。
「天使ってのは、随分と頭が多いな」
 どこを視ているのかもわからぬ大勢に見下ろされるのは、ひどく気分が悪い。猫背のひょろりとした長身が思うのは、ひとつくらい持って帰ってもいいだろうか、という彼の癖から来る生業。
「それ、ひとつ置いてけよ」
 庭に飾って、近所のクソガキ共をビビらせるにはちょうどいい代物だ。律儀にも許可を貰おうとした彼の言葉を願いと受け取ったのか、災厄はばさりと無数の頭部を増殖させた。
 対処不能とまで呼ばれる災厄は、一匹ですら手間取るというのに増えていくらしい。なんとも言えない質の悪さに、ザネリの眉間に皺が寄る。
「一対多ってのも気に入らねえな、」
 ぶわり、青年の懐から飛び出すものがある。気性の荒い呪具のなかでも代表格とも言えるそれは、こどもの赤い傘のかたちをしている。
 ひとつ、ふたつ、みっつ、もっと――たくさん。
 するどく尖った先が、翼を穿ち、頭部を抉り、脊髄を切り裂いていく。かみさまのつかいのようなフリをそれを気に食わぬと言いたげに、ザネリを放って自由勝手に赤色の花々は血の華を咲かせた。
 たとえ借りものでも、性能は抜群。いらないものだと棄てられた我楽多達は、災厄に生えた羽根をぼとぼとと墜としていく。
「俺も対象に含まれるのは厄介だがね」
 するり、骨の一本が折れてしまったビニール傘を差して、青年は片隅で佇む。さっとわずかに、彼のよごれたゆびさきに赤が走る。けれどザネリはかすり傷を気にすることなく、呟いた。
「今日は、天気が悪ぃな」
 あぁ、血の雨だなんて――本当にすてきなお天気雨。
 ざあざあと降りしきる、まっかな雨のもっと向こうの空は、青。

星峰・アトラ

「なにあれ、うるさすぎ」
 星峰・アトラは異様な叫びをあげ続ける災厄を見上げ、不機嫌な表情を露わにする――あんまりにもうるさくって、ムカつく。
 見知らぬ市民がどうなるかなんてどうでもいいけど、暴れまわられるのは面倒だし、怪我をした人が居れば助けなくちゃいけないし。
「なら、いくらでも邪魔してあげる」
 幼い少女は愛用の短剣を構えて、ふわりと地を蹴った。
 小柄な彼女が駆け抜けてくるのを見つけた災厄が、明らかにアトラへと狂気の絶叫を浴びせようとする。瞬間、少女のゆびさきから短剣がするりと抜け出した。みずから宙を舞う妖剣が怪異の頭部に近づいたかと思えば、あっという間にアトラもその場に跳ぶ。
「うるさいってば」
 ぐっと剣を握りしめ、頭部の群れを次々に断っていく。派手に血飛沫が吹き飛ぶことも構わず、その刃は正確無比に災厄の躯を解体していく。
 褐色のつややかな膚の踊り子のステップを、怪異が見ることはない。暗殺術と掛け合わされたその舞は、闇のなかへ消えていくのだから。
「その首、どれだけ飛ばしたら静かになるわけ?」
 少女はあくまで、ムカつく敵を殺しているだけ。その結果誰かが傷つかないのなら、まぁ、それも悪くはない。
 ――なんて、本音を幼い胸の裡に秘めている。

雨宮・静

 しとしと、さめざめ。雨宮・静の傘の上は、ずうっとインビジブル達が形成する雨が降っている。うんと遠くに在る空の青さはいつもと変わらず、けれど彼らは雫の群れとなって少女に寄り添っていた。
「わ……おおきい」
 小柄な少女の視線の先、空を飛ぶのはましろの翼を抱く巨大な怪異。面倒だけれど、呼ばれてしまったからには仕方がない。
「ねぇ。あなた、誰だっけ」
 尋ねた言葉を強引にも願いと捉えたようで、名も無き白鳥は悲鳴をあげながら増殖する。舞い降りたもうひとつの偽物のかみさまに、静は目を細めた。
「今日の天気を知ってる? お天気雨だよ」
 ――ぶわり、空の輪郭がぼやける。誰が誰だったかなんて思い出せなくなるような、そんな忘却の雨が降りはじめた。
 パステルカラーの傘、お気に入りのレインブーツ。お魚さんたちはふよふよと空を泳いで、游いで、災厄の肉体を啄みはじめた。
 ましろの翼を、やつれた頭部を、むきだしの脊髄を。あっという間に平らげていくインビジブル達は、ただ物語の主人公を守るように舞い踊る。
「全部食べてね、残しちゃだめだよ」
 しずくは、雨のなかでならたったひとりの主人公で居られるから。
 その姿を覚えていられるのは、何処にも居ないのかもしれないけれど。

鮫咬・レケ
楪葉・伶央

 へぇ、と鮫咬・レケはほんのすこし興味ありげに呟く。ああいった、ヒトの形をしていない同類も居るらしい。
「れお~あれの相手したらおわりか~?」
「そうだ、きっちり片付けるぞ」
 興味はすぐに失われ、レケは間延びした音で楪葉・伶央へと声をかける。|警視庁異能捜査官《カミガリ》の青年は現れた大物へと視線を向けたまま、淡々とこたえた。
「ん~わかった。おわったらすぐいえかえろ~」
 此処に長居する理由は見当たらない。家に戻ればだらだらしたり、だいすきな莉々とあそぶのだ。
「そうだ、ちょこもあーんってしてもらお」
「帰ってからも大人しくしていろ」
「なんだぁやきもちか~♡ れおにはおれがしてやろーか~?」
 んひひ、とにんまりわらった人間災厄の問いに今度は応えず、青年はぞうぞうと異音の叫びを撒き散らすほうを見据えたまま。
 相変わらずつまらない伶央の反応に、ちぇ、と口をとがらせる。それから、ぶくぶくと殖えはじめた災厄の部位の群れに、思いついたように深海の瞳が瞬く。
「なぁれお~、はやくおわらせたいから、あれやっていいか~?」
 そう告げられたのち、カミガリは戦場へと一瞬視線を巡らせる。巻き込まれそうな一般人は見当たらない。そう判断したと同時、レケが答えを欲しがるようにまた尋ねた。
「あれだよ、あれ。きょーそさまするやつ」
 伶央としては腹立たしいことに、人間災厄の考えを見抜けている。職務に忠実で居続ける結果ではあるし、この状況であれば多少意思疎通がしやすいほうが効率もいい。
「さっさとやれ」
「あは、おゆるしでたー」
 短く言い捨てる伶央の言葉に、やったぁ、とレケは機嫌をよくする。それから、軽い足取りで名も無き白鳥の前へと歩み出る。
 ぼこり、ぼこり。ぐじゅぐじゅと増殖の音がする。無尽蔵に増えようとする頭部すべてに語りかけるように、人間災厄『幸福の濫り』は微笑んだ。
「なぁ」
 一歩、また一歩。
「なかよくしよ~?」
 海のさざめきのような音色の声が、意識をまどろませていく。
「おまえもおれも、同類なんだからさぁ」
 うわべだけの言の葉が、まろやかに突き刺さる。ありとあらゆる攻撃に対する抵抗力を著しく低下させるそれは、災厄の狂気に侵された脳内すらも上書きしていった。
 ふと、ぐん、と鋭い痛みがレケの肩に奔る。同類のだらりと垂れ流す脊髄が、槍のように己の身を穿ったとしてもかまわない。
「おれはたべてもおいしくねーよ~?」
 たとえ身体を貫かれようと、その内治ってしまうから。蹂躙を得意とするそれを、もう一度わらってやった。
「あは」
 だってそれは、おれのほうがじょうず。けれど今日は、その役目を彼に寄越す。
 対処不能災厄と名付けられたそれが、二体に分かたれようとする。寸前、銀の糸がぶちぶちとましろの翼を刻み墜とす。駐車場に並んだ車や物置を踏み台に、伶央は一気に突っ込む。
 ぐっと力を込めた拳が何度も繰り出されれば、災厄の頭部はかち割られる。青空に映える赤い飛沫の花火を見上げ、レケは拍手すらしてみせた。
「徹底的に砕く」
 金の双眸は獅子の眼差しであり、絶対的王者の牙がこの戦場を支配する。無数の護符を叩きつければ、あっという間に脊髄に巻きつき細胞を壊死させていった。
 願いとやらが叶うのはひとつだけ、手数はいくつでも用意している。教祖もどきの言動によってかよわくなった災厄が、対処不能などとは笑わせる。
「ッ!」
 再び鋼糸を引き絞り、絡めとった部位の群れを断つ。無駄なく漏れなく、最も効率の良い立ち回りで行動するのがカミガリとしての所作。
 ――素早く終わらせたいのには、彼なりの理由もある。
 被害を最小限に抑えることが最大の理由ではあるけれど――青年は、甘いものがとてもすきだ。
 口には出さないものの、愛する妹と甘味を堪能したいという気持ちに関しては同感で
「へっくし。れお、おれのうわさとかしてんのか~?」
 とはいえ、くしゃみをしたまま首をかしげる人間災厄と、仲良く食べるつもりはない。

椿木・キサラ
シイカ・メイリリィ

 すべての窓硝子が割れて、朝陽のようにきらきらと破片が降りそそぐ。シイカ・メイリリィは咄嗟に親友を抱き寄せ、破片の海から彼女を守る。
「大丈夫ですか、キサラ」
「うん! シイカは平気?」
 椿木・キサラの言葉に、|少女人形《レプリノイド》はいつものように朗らかな笑顔で頷く。悟られぬよう、現素体生命力の残量を確かめれば、まだ戦闘続行の可能範囲。
 真っ青な空の向こう、すべてを狂気に陥れ蹂躙せんとする災厄を見つめて、キサラは思う。
 天使のようにも見えるましろの翼、連なる生気の無いましろのかんばせ。そこに在るのは天の御使いなどではなく、ただ、ましろい災厄で。
「――なんでだろう、さっきよりすこし身体が軽い気がするの」
 相対する敵は、恐怖よりも不思議さが強く感じられるからだろうか。キサラの言葉に、シイカは笑む。
「行きましょう、キサラ」
「うん」
 壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さぬよう。キサラを抱き上げて、シイカは窓辺から一気に身を躍らせる。
 空へと跳んだふたりの少女は、ぐんぐんと地上へ墜ちていく。けれどその身は地面に叩きつけられることなく、しっかりと着地することができた。土埃がふわりと辺りに舞ったのを見て、キサラには親友がアクション映画のヒーローみたいに思えた。
「目標を災厄の撃破に変更――可及的速やかに撃破します」
 キサラを地面へと降ろしたと同時、シイカはガントレットを変形させた。エネルギーを収束させて放つ砲撃は、これまで収集したデータから弾道計算されている。ましろい翼を撃ち抜いていくその光と共に、キサラはメスを手に駆けた。
 耳をつんざくような叫び声に、頭がぐらぐらと痛い。いたい。みたくない、ききたくない。
 ――でも、それは。みんなもシイカも、きっと同じだ。
「だから私は目をそらさない。あなたから、この現実から!」
 白銀色の刃で翼を斬り裂いていけば、青空にましろの羽根が舞い散る。琥珀の瞳がすべてを視界に入れ続ける限り、災厄が自由に動くことは許されない。
 あぁ、痛い。こんなの何度も受けていいものじゃない。乾いてしまう両の目だって、生理的な涙がこぼれてしまいそうで。
 けれど、これがシイカの力になる。キサラはそれを知っているし、シイカもそれを知っていた。
「っ、キサラ……!」
 貴女がくれた好機を、無駄にはしません。
 レプリノイドは一気に地を駆ける。常人では不可能な蹴りで空中を跳べば、砲撃を撃ち続けていたガントレットの形を変形させて。
「はぁああっ!!」
 まさに剛腕と称すべき両の腕が狙う先、今もなお悲鳴をあげ続ける頭部の群れがぞうぞうと騒めいている。
 通常の四倍ものダメージが一辺に集約して、直撃した衝撃波が災厄の全身を震わせる。山茶花が咲き乱れるような一撃の後、シイカの腕に激痛が走る。けれど、彼女の動きは止まらない。此処で止まれる訳がない。
「――これで、黙りなさい!!」
 もう一度、花が咲く。今度は火花と血飛沫で、うつくしいまっかな華が。二度目の衝撃は激痛すらも通り越して、レプリノイドは骨が折れたことを自覚した。
 大切なものを守るためなら、骨折だって軽傷。もう、自分は“ひとり”ではないのだから。
 炸裂した一撃によって、災厄の絶叫が今日一番にとどろく。それは全ての能力者に、絶命を報せる最期の音だった。
 どさりと地面に落ちる直前、シイカはなんとか無事な両脚で踏みとどまる。駆け寄ったキサラが抱きしめれば、いつものように親友へ笑顔を見せた。
「ねぇシイカ、帰ったらホットミルクも入れるよ。チョコと一緒に食べて、あったかい日にしよう」
 泣き出しそうになる顔を見られたくなくて、キサラはシイカを抱きしめ続ける。その背を撫でてやりたかったけれど、シイカの両腕はだらりと垂れ下がっていた。
 ――だから、精一杯のやさしい声で応えたい。
「はい、キサラ。貴女がつくるホットミルクは美味しいので」
 帰ったら、チョコを食べるのが楽しみですね。

 終わってしまえば戦場と化した空の下は、何事もなかったかのような静けさを取り戻していた。
 盛大に割れた窓硝子といった物的証拠も、突発的に発生した竜巻などと処理されるのだろう。
 そうやって、この世界では異物の存在が忘れ去られていく。
 この最高にかよわい楽園は、そうやって生き続けているのだから。

 けれど、だれかへの想いを留めた甘いチョコレートが、無駄になることはない。

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