色変わりの迷宮
●
扉を開ける。突如襲う声の濁流。
いつだってこの店は混みあっていて、席が空いている時間は開店前と閉店後だけなのではと囁かれるぐらいだ。魔竜の尻尾ステーキだとか、虎牛のタンカルビだとか、雄羊蹄の林檎煮だとか、鯔のミルクアイスだとか、そんなメニューがずらりと並んでいて一度食べたら病み付きになると話題である。
今、その店の掲示板には大きなマップが貼られている。普段よりも立っている人が多く見えるのは、そのマップの前に詰めかける人々のせいだろう。
「うーん、それなら俺は"黄"のルートに行くよ」
「じゃ、私達が"紫"ね」
そんな会話と共にマップに書かれている四角の上にピンを刺していく。
「手が足りねえな……」
店長が冒険者たちの溜息を聞いて顔をあげる。ふむ、とねじれた髭を撫でた。
●
「さかば……」
どうやらメモを持ってきたらしい天泣・吟(鈴が鳴る・h05242)が困った顔をしていた。見るからに酒場なんていう言葉が相応しくない体躯なので、現代でそのような場所に足を踏み入れようとしたら店員に追い出されるだろう。
まあ、それは一旦置いておいて。
「皆さん、おいしい料理つきの冒険は興味ありますか?」
第一声がこれである。
話によると今回攻略するダンジョンは少し変わっているらしい。迷宮が現れてから攻略まで時間がかかっており、マッピングは十分に済んでいる。しかし、どうやらボス部屋が複数に分かれていて同時に倒す事が条件に含まれているようで攻略にまでは至っていない。
実は現役冒険者をかき集めれば問題なく討伐出来る。しかし、そこまでするには旨味がなく、かつ内部モンスターの危険性は高くなく、世界に及ぼす影響が少ないと判断されてしまってから人があまり寄り付かなくなった。それもそうだ、地位や名声、金を目的とする冒険者には不人気にもなる。
ではなぜ今になってと思うかもしれない。それは、視えたからだ。
「ボスが変わってしまって、厄介な敵がいついてしまったみたい」
悪戯好きの魔女がダンジョンを乗っ取ってしまい性質が変化したようで、放っておけば実害が出ると判断された。街でも話題にちらほらあがるようになっており、そこを原産としたモンスターを扱っていた酒場が人を募っているらしい。
今回はその募集に乗っかり、各々攻略してほしいという依頼になる。
「この迷宮の特徴は、色だよ」
少年は指折り数えて、赤、青、緑、黒、白、……と沢山の色を並べた。
「自分の攻略する場所を選んで酒場のマップにピンを刺してね」
行けば分かるよという言葉に後押しされ、あなた達は送り出されることになる。
第1章 日常 『冒険者の酒場』

外は雨が降っている。急ぎ足で目的の酒場「スターダスト」に辿り着くと、あなた達は大きなカウベルのついた扉を押し開けた。木の扉は思いの外簡単に開き、あなた達を酒場へと迎え入れる。
カランカラン。軽やかな鈴音とは裏腹に酒場の空気は少し重たい。いつも通りに食事をしている人間がいるお陰で雰囲気は均衡に保たれているが、事情を知っている者が増えればすぐに逆転してしまうだろう。そうならないように対処するのがあなた達の仕事である。
件の掲示板を見に行けばダンジョンのマップが貼られていた。入口からボス部屋までの道順もしっかり記載されており、その通りに辿って行けば迷子になる心配はなさそうだ。ボス部屋は四角で表記され、マップ上にいくつか存在している。それらを見分けるために全ての部屋に色が塗られていた。
同時に討伐する、という条件は周知のものなのだろう。成し遂げるために出来た暗黙の了解なのか、攻略しに行く部屋にはピンを立てる決まりになっているようだ。郷に入っては郷に従えというように、あなた達もこの中から選び旅立つべきだろう。
その前に、腹ごしらえはしたほうが良いものだ。腹が減っては戦は出来ぬのだから。
●一角羊とミノタウロスの合い挽きハンバーグステーキ
様々な種族の存在するこの√世界では、酒場の入口は一つだけとは限らない。当然人間が通れる大きさの扉が主に使用されてはいるが、一般に愛玩動物と呼ばれる――この世界では立派な種族の一つでもある、四足獣向けの扉も並んでいた。そちらの扉は比較的簡素なつくりになっていて、斑・蜘(旅する蜘蛛・h01447)でも安全に入ることが出来た。そのまま柱を伝って梁の上まで辿り着く。料理を満喫する前に、自分がぷちっとされる訳にはいかないのだ。
既にテーブルには様々な料理が運び込まれ、美味しそうなにおいが充満している。じゅわじゅわと鉄板の上で音を立てて跳ねる脂に囲まれた四角いステーキ。新鮮な採れたて野菜で彩られた緑と赤のコントラストの中心部に存在を主張する、よく分からない白い塊。果てには、どう見ても食虫植物に見えるひだのついた赤い実を半分に割ってスライスしたハムとトマト、チーズを挟んだ野菜サンドイッチなんかもある。一見して食べ物だと理解できるものもあれば、多少、食べ物と認識するには抵抗のある見た目をした料理も並んでいた。
斑蜘はふっくらしたお腹を揺らしながら梁を跳び歩き、拝借出来そうな料理に目を止めた。ドーナツ型をしたその料理はどうやら肉料理らしく、席についている冒険者がフォークをいれるとほろほろと肉が崩れながら分かたれる。粗目の挽き肉を捏ねて形成した肉料理のようだ。ドーナツの形をしているのは、中までしっかり火を通すためだろう。見た目に可愛らしさを持たせながら、しっかりと中身が詰まったハンバーグステーキである。
崩れ落ちる挽き肉は一欠けら貰うのに丁度良い。零れ落ちたハンバーグの欠片を回収しつつ、折角なので冒険者たちの話に耳を傾ける。
「例のダンジョン、今日にも攻勢を仕掛けるって?」
「あそこ、よく分からない光で道が分からなくなるんだよな。ちゃんとマップ通りに進んでる筈なのに」
「あー、なんか妖精?精霊?が出るらしいよ」
合間合間に肉を頬張り酒を煽る冒険者たちの話題も、色のダンジョンの話で一色のようだ。
はむっと一口小さな口で頬張ると、一欠けらにもかかわらず肉汁が溢れ出してくる。ヒトの体なら感じられない量だが、体躯が小さい斑蜘にとっては十分な量だ。歯ごたえはどちらかと言えばもちもちで、牛に近い味だろうか。ただ口に含んだ時に牛っぽくない味わいも一緒に広がったので合い挽き肉を使っているのだろう。味付けはさっぱり気味で、塩がよく効いている。
「ミノタウロスが出たって話もあるぜ」
……もしかして牛ってこれかも。
●迷宮産空遊鯨の丸ごと骨付き肉
禍神・空悟(万象炎壊の非天・h01729)はメニューを眺めていた。見た事もない名前が料理名に並んでいると異国に来たのだなという気持ちが出てくる。サテュロスの馬刺しだとか、ワイバーンの軟骨唐揚げだとか、知っている料理名がちらほら伺えるのが救いか。
しかし、空悟は最初からコレと決めていたものがある。
「やっぱ食うとなれば肉だよな」
それも酒場で食う肉なのだから、相方に酒を頼むのも当然だ。これから依頼とは言え、酒を頼まないというのはあまりにも楽しみを半減させている。
悩んだ末に、少しくらいならと思いつつも大ジョッキで生麦酒も頼んだ。今は肉と酒を待っている時間である。
周囲を見渡してみると、同じ目的で来た冒険者がいくらか伺えた。正直に言って、暗殺とは勝手が違う。闇に潜み裏をかき、対象を仕留めればいいミッションとは違って、攻略とは正々堂々ボスに挑む事を強制される。が、空悟にとっては些細な違いだ。要は皆殺しにすれば問題ない。
カウンター横の扉が開くと同時、ぶわりと肉のにおいが店内に充満した。これから食事を選ぼうという客ですら自然と目が向くほどだ。空悟の前に運ばれてきた、一度で頬張れそうもない巨大な肉の塊は鉄板の上で脂を垂らしジュウジュウと音を立てている。
「お熱いのでお気を付けください。よい旅を!」
店員はスパイスやソースの入った瓶も置いていったが、これだけ上質な肉はまず塩胡椒の下味だけでも十分に旨い。湯気と共に薫る塩胡椒の風味は食欲を増進させた。目の前にある肉の塊には一本の骨が貫通しており、見るからにここを掴んで食べろとアピールしている。カトラリーも用意してあるが、これを使うのは無礼だ。好奇心のまま骨を掴みかぶりつく。
丁寧な下拵えのお陰か歯応えはしっかりと返り、この肉がいかにジューシーで中身が詰まっているのかを訴えてくる。一噛みすれば溢れ出る肉汁に負けじと脂分も溶けだし、口の中をこってりとした旨さが蹂躙した。一口食べただけで胃もたれする程の脂っこい肉はミディアムレアに調理され、表面の茶色い焼き目と比較して中は新鮮な赤色が覗いた。
脂に濡れた唇を舐め、空いた片手でジョッキを掴む。垂直よりも大きくジョッキを傾けると、今度は口内を麦酒の濁流が襲った。景気のいい音が喉からテンポよく鳴る。勢いよく置いたジョッキは既に半分を減らしていた。
「こりゃあ……肉とワインにも期待できるな……」
出発までまだ時間がある。悩む時間も十全にあるというものだ。
●迷宮ヤモリの姿焼きと百眼蜘蛛の目玉焼き
「とりまビールくださーい」
第一声がこれである。七々手・七々口(堕落魔猫と7本の魔手・h00560)は酒が好きだ。大事な物と聞かれて酒を持ってくるくらいには酒が好きだ。つまり、酒場とはオアシスである。
猫のお客様にもかかわらず、店員は慣れた様子で注文を受けるとジョッキを五つ片手に掴んで豪勢にテーブルに置いた。木の丸テーブルには既に空遊魚の刺身やカピネズミの尻尾巻き、フレイムハウンズの火袋のたたきなどが並んでいる。どれも舌鼓を打つには充分なクオリティだ。つまみに最適な味付けもしてある。ちょっと濃い味がビールによく合った。
扉近くの席は来客が来るたびに風が吹く。それが火照った体を乾かすのにも丁度よく、なかなか良席だ。新しい来客は慌てたように酒場へと駆け込み、濡れた体を震わせた。
「うー、めっちゃ降られたねヴィヴィアン……今乾かすよ」
相棒の箒から水滴を払いつつ、その場でネルネ・ルネルネ(ねっておいしい・h04443)はウィザードフレイムを唱え水気を飛ばす。店内は結構混みあっているようで、きょろきょろと見渡した。すっかり乾いた体で足を運ぼうとして、目の前を小さな手が過る。
「よう、一緒にどうだー?」
「いいの? じゃあお邪魔しちゃおっと」
ルネルネは既にある料理にも興味津々な目を向けると、七々口の手が飲み食いせよとばかりに串焼きを押し付ける。どうやら周りの冒険者も巻き込んで情報交換の場にもなっているようだ。ルネルネの手にあるものと同じ串焼きを持った男の冒険者が豪快に串の真ん中にかぶりつき旨そうに食べる。
改めて、串焼きを見た。どう見ても爬虫類の丸焼きである。しかもちょっとどころのコゲではなく、全体がコゲている。誤って焦がしたものを提供してしまったのではないかと思うぐらいの真っ黒さだ。男の手にあったのも同じなので、恐らく旨いのだろうが見た目で少し抵抗を感じる。
「わぁ、見た目が最悪ぅ~!」
「食わないならもらうぞ?」
「食べるけど!」
言っちゃった。七々口は同じものをもちもちとするめを齧るように咀嚼してビールで飲みこんでいる。ええい、ままよ!ルネルネもお通しに提供された丸焼きに齧りつく。
まず口内に広がるのは、当然コゲの苦みだ。これを美味しいと形容することは到底難しいだろう。肉だと思って齧りついた丸焼きは思ったよりもずっとパリパリした食感で鶏皮にも似ていた。コゲの向こう側に潜む肉の部分は軟骨のように程よい硬さがクセになる。なにより、数度噛んでいる間に不思議と苦みがなくなっていき、どちらかと言えば香ばしさへと変わっていった。
「焦がして食べる料理だって。面白いよなー」
「クセがあるけど……これはこれでありかも!」
モンスター料理と聞いて覚悟はしていたがこれくらいは余裕なんてルネルネが安心したところで、ドンと目の前に大皿が増えた。七々口が目を輝かせてテーブルに乗り出す。まだ食べた事のない料理が届いたらしい。
「新鮮なうちにお召し上がりくださいね」
可愛らしい見た目のウェイトレスがにっこりと笑っている。二人して大皿に視線を落とした。
まるで、数珠だった。赤子の頭一つ分くらいの丸い玉が中央に鎮座し、その周囲を似た模様の小さな玉が囲っている。集合体恐怖症の人間が見たら小さく悲鳴をあげそうな光景だ。そこにベリーソースがかかっているのも悪趣味というか。何度見ても血を彷彿とさせる色黒さである。
生気を失った瞳孔はすっかり開いており、虚無の視線を七々口へと投げかけている。あえて注文者の方を向くように置くと決まっているのだろう。ともすれば同じ大きさのボウルにはすっかり入れてしまいそうな目玉と七々口は真正面から向き合っている。
「これ、あの……すご……」
最悪を更新することってあるんだ。ルネルネの口から思わずそんな感想が出た。
「丸のまま出てきたなー」
わくわくする心地のまま、七々口は暴食の手がひょいと摘まむのを見て口を開ける。小さい目玉であればそのまま口に入りそうで、キャンディを放り込むのと同じように目玉を放り込んだ。軽く噛むと薄い膜が邪魔をする。力を籠めると、ある瞬間にぷちっと幕が破れて口の中に液体が漏れ出した。ゲル状の目玉内部はなんとも表現しがたい食感を齎す。味はといえば、舌が痺れるような辛みがあるか。
思わず七々口の口を見てしまうルネルネは、満足そうに何度か頷きビールを煽ったところまで見守り、フォークを手に取った。フォークで良いのだろうか。しかし、スプーンですくってというのもなんだか憚られる。血塗れの目玉を口に運ぶというのは抵抗感が生まれる。
「……美味しかった?」
「まあまあだなー。麻痺毒でも入ってそう」
「それって食べていいの?」
しかし提供されているからには立派な料理である。意を決して目玉にフォークを突き刺したルネルネを、滲みだした緑の液体が出迎えた。
●クラーケンの天日干しと天然オウサマジャクシの刺身
店員に困惑した顔で迎え入れられた侵略的外来生物・ザリザラス(ザリガ忍者・h04212)はすっかり打ち解けた現地の冒険者たちと宴を開いていた。と言ってもお酒を飲むような宴会ではなく決起会のようなものだ。
中央には空遊鯨のステーキが陣取っており、各々ナイフを使って切り分けていく形式だ。隣には迷宮ベリーソース、クチの実やナナの実などからなる七味調味料やどこから仕入れたのかカツオ香る醤油までしっかりと取り揃えられて飛魚のフライが鎮座している。
聞けば空遊鯨を始めたとした海産物の一部は空から獲れるらしい。ダンジョン内部はかなり広く、一部の地域では見上げれば仮の空が存在しているのだとか。そこを泳ぐ空飛ぶ魚たちの姿は幻想的ではあるが、中には人を襲うタイプの肉食魚もいるので注意が必要だ。それがなければ観光地にもなっていただろう。
「聞いてるだけでも楽しそうなダンジョンだよな」
「お前さんもそこの出身じゃないのか?」
「おいおい冗談きついぜ!」
和気藹々と情報交換を済ませつつ、運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。中でもクラーケンの天日干しはなかなか歯応えがたっぷりで自前のハサミでも切るのが大変だったくらいだ。見かねた冒険者が鉄のハサミで切ってやろうかと申し出てくれたが、そんなナマクラに負けている場合ではない。クラーケンモドキ対ザリザラスの前哨戦が繰り広げられた。
結果は勿論勝利である。クラーケンは胃袋の中へと納まった。
「同時攻略ってのは面白え話だな。あんたも行くのか?」
「ああ、その予定だ」
「ま、鬼が出よーが亀が出よーが、俺っちが挟みちぎって倒してやるぜ!」
がっはっはと豪快に笑うザリザラスを、ノリのいい冒険者たちはやんややんやと担ぎ上げる。その隙間を縫って最後のメニューが追加された。
眼前に置かれた艶やかなむき身に思わず誰もが目を惹かれる。皿の奥に描かれた鮮やかな不死鳥の絵が透けて見えるのだ。それほどまでの透明感のある食材にはなかなかお目にかかれない。これも巡り合いというものだ。
「これがオウサマジャクシ……!」
ぺろりと一枚刺身を挟むとその柔らかさを実感する。身はしっかり詰まっていてぷりぷりだ。オウサマと名前が付くぐらいなので一枚一枚が大きく、オタマジャクシの10倍はゆうにあろうかという刺身である。あっさりとクセのない白身は光を取り込んできらきらと輝いていた。
「こりゃ弁当確定だな」
誰よりもオタマジャクシ食歴が長いザリザラスは、素人は黙っとれとばかりに渋い顔で一枚完食した。
●サラマンダーの尻尾肉シチュー
壁から体が生えている。
「お邪魔しますよぉ……」
扉さえもすり抜けてしまうイノリ・ウァヴネイア(幽玄の霊嬢ゴーストループ・h01144)は店内をぐるりと見渡す。自由に動き回れる彼女は店内の奥の方に空いている席を見つけて近寄った。
「むん」
掛け声ひとつ。いつの間にか空席に女性が座っている。それもイノリにそっくりだ。
「えへ……どうもすみません、こんな事で呼んで……」
「本当だよ……」
ぼんやりとしたインビジブル――もとい、実体のあるイノリは肩を落とした。
「注文お願い……」
誰にも見えていないイノリ本人は向かいの席に座ってメニューを開く。生前の姿をしている女の子はめくられるページを眺めているだけだ。奥まった席が空いていたのはラッキーだった。ひとりでに開くメニューを気にしている人はいない。
目についたのはサラマンダーの尻尾肉シチューだ。サラマンダーといえば想像できるのは爬虫類の姿である。普段の生活で爬虫類を食べることはないのでどんな味が想像に難い。
"私"に頼んで注文をしてもらいつつメニューを眺めているが、たくさんのモンスター料理が並んでいて新鮮だ。いわゆるマンガ肉も並んでいるし、見た目がグロテスクなものも存在する。デザートにはハニーフラワーを使った花冠そのままの料理もあった。
メニューを楽しんでいるとシチューが届く。ホワイトシチューのとろみの中に、ごつく四角い肉がいくつも山を作っていた。旬の野菜も含めた迷宮野菜の彩りもカラフルで、名前の通り鮮やかなレッドポテトや黄色がかったキャロットの飾り切りも入っている。
「いただきまぁす」
いよいよ本場の味を楽しめるとイノリがスプーンで尻尾肉の脂身が乗った塊をつつくと、ほろほろと形が崩れていく。しっかりと四十八時間煮込まれた尻尾肉は元のサラマンダーの硬さが嘘のように柔らかくなっていた。筋の流れに沿ってスプーンで切るとそのまま口に運ぶ。シチューのクリーミーな味わいと一緒に、尻尾肉の柔らかな肉が解けて広がる。噛み切れないなんてことはなく、すごく食べやすい。サラマンダーはシチューになるために生まれたと言っても過言ではないだろう。添えられた野菜の自然な甘味も肉の旨味を引き立てるのに一役買っている。
肉をそのまま食べるもよし、野菜とあわせて食べるもよし。男らしい肉の味わいを感じたければ前者を選び、まろやかなシチューのコクと旨味を感じたければ後者を選ぶべきだ。
不思議なことに、イノリが食べた料理は透けることなく喉を過ぎた。満足気な彼女にも食べたものがどこへ消えるかは謎のままである。
●五種の肉料理とタニファの香草包み焼き
雨雫を落として酒場に踏み入ると空気が一変した。賑やかな声、熱の入った温度、様々な料理の混じった匂い。
「古き良き冒険者の酒場ってこういう雰囲気なんだろうねぇ」
「すげぇ好き~。こういう場所は大切ですよねぇ」
人の声による雑音を聞きながら空いた席についた緇・カナト(hellhound・h02325)と野分・時雨(初嵐・h00536)は早速メニューを開いて冒険者の酒場定番料理を眺める。話に聞いていた虎牛のタンカルビに魔竜の尻尾ステーキはデカデカとトップに載っており、どうやら看板メニューであると伺えた。当然頼む。季節の野菜とタイミングよく入荷した肉を煮込んで出来るシチューも人気のようで、勿論頼む。
注文を聞きに来た店員は大量に頼む客にも慣れているのか、こちらはいかがですか~なんて調子よくカナトに勧めていた。見ればグリズリーの掌煮込みである。肉好きの客と見られたか、これもこれもと勧められるままに追加していたら大分量が増えていた。
「狼さんはすぐ肉いく」
「はは。牛鬼の妖怪クンは何食べる?」
沢山頼んで満足、したかはさておき一人だけで頼みまくっても仕方ないので、メニューを逆さにしたカナトは時雨の選ぶ料理を眺めている。時雨はと言えば、肉料理はカナトの分で見飽きたとばかりにページを飛ばし魚料理まで辿り着いた。
「牛鬼クン的にはこの度、逆に魚いってみようかと」
どうやら空を泳ぐ魚と、ダンジョン内の湖に生息する魚とがいるらしい。クジラだとかトビウオだとか、生息地が違うだけで見覚えのある魚を飛ばしていくと、どうにも知らない魚の名前が出てきた。なんなら写真もなく、ただ料理名だけが書いてある。
「ぼくはこれにしやしょうか」
「小骨刺さりにくいヤツ?」
「どうだろ……」
注文が揃うと、少々時間がかかることを告げられた。問題はないので店員を見送る。
待ち時間が手持無沙汰かと言えばそうでもない。周りの冒険者たちから色のダンジョンについての話が飛び交っていて話題には困らなさそうだ。
「色でルートが分かれてるなんて面白そうなダンジョンだよね」
「元からあるのか、誰かが塗ったのか」
行けば分かると送り出されたものだから、詳しいところはこの酒場で聞いて回るか実際に行くかで情報を得るしかない。
「ちなみに時雨君の好きな色はー?」
近くの掲示板に貼りだされたマップを眺めながらカナトが問う。同じ様に視線を追った時雨が逡巡した。
「ぼくは真朱や金茶ですかねぃ。暖色が似合う自負があるもので」
「あー、なんとなく分かるかも」
「そういうカナトさんは」
「オレは花の二藍とか至極色あたり」
さてそれならどこを攻略しようかと話をしていれば、二人の卓に大皿が届く。視線の高さまで大皿が降りてきたあたりで皿の上の違和感に気付いた。ドカンとでかいが良い香りが漏れ出ている金属紙の包みが鎮座している。中身はよく見えない。包み焼きとは聞いていたが、自分で開封するパターンのやつだ。
二人してそれを観察していれば、店員はどこ吹く風で肉料理を並べていく。鉄板の上で脂を跳ねさせる虎柄が薄く赤身に入ったタンカルビに、ほくほくと湯気を立てるコカトリスのシチュー。ヒポグリフォの刺身はてらてらと脂ののった身を白日の下に晒していた。オススメされたグリズリーの手は、明らかに熊の手の姿を残したまま、なんなら硬い爪が皿を引っ掻いている。魔竜の尻尾ステーキもインパクトは十分だが、こちらはステーキの形をとっているのでまだ親近感があった。
時雨がフォークを手に取り金属紙にサクサクと穴をあけていくと一気に香草が匂い立つ。パセルとオレガノ、ディルの混ざったハーブの香ばしさがホイルの割れ目から逃げていった。自重で徐々に開いてく金属紙の中には、まるでオイルをぶちまけたような虹色の魚が顔を見せる。一尾丸ごと封印されていたのだ。これが多分タニファなのだろう。
「ねー、なんか変な色の魚来た」
「本当だ」
「あげます。食べてみてください。美味しくなかったら食べます」
「オレに味見を頼むと丸呑みにするよ~」
既に魔竜のステーキを半分ほど食べきって、フォークの先端になんとかほぐして刺したクマの欠片を残したカナトがタニファを見る。時雨はその場であまり表情を動かさないながらも食べるか食べられるかの葛藤をすると、せめて半分だけという妥協案に辿り着いた。
「調理されてたら大体おいしいと思うんだけどなぁ」
カナトの感想はこれである。美味しいと判断していいか、まずいと判断すべきか悩みどころだ。
「……ぼくカナトさんのタンカルビ食べます」
ひとまず美味しそうだし安定そうなタンカルビで誤魔化しておこう。
虹色の魚をチラ見しつつ、すっかり食事で途中になったままの話題に戻った。
「そういえば、ルートは互いの好みを混ぜて桑の実。もしくは紫檀色。いかがでございましょう?」
「ああ、いいねえ。それじゃあ、紫檀色にしようか」
どんな試練が待ち受けているのだろうか。心待ちにしながらも、今は料理を堪能するとしよう。
●マンドラゴラの姿煮スープ
「モンスターを食する……でございますか」
ふむ、と奇特な料理が並んだ看板を眺めるツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)は酒場のカウンター席にいた。カウンター内では料理を作るシェフの姿があり、調理法の参考にするならばこの席がいいだろうと選んだのだ。
カウンターの上部には酒場の一押しメニューが手書きで書かれており、星詠みの少年が教えてくれた料理も勿論載っている。どれも気になってはいるが、その中でも疑問が出る料理――いや、材料があった。
「このマンドラゴラで」
その声を耳にした者は死ぬとまで言われている、割と有名どころの魔物の名である。なんとなく人参をごつく太くして色を悪くしたような形に顔をつけたものを想像できるが、実際に遭遇したことはない。物語で描かれる姿が大体こうであるというだけだ。
では、実際はどうなのだろうか。
看板にはマンドラゴラの姿煮スープがあったのでそれにした。野菜主体の料理であれば量は多くないのかもしれない。まずは様子見だ。実家への手紙に書く話題の種になるのならもう少し頼んでみてもいい。
届いた料理は、どちらかと言えば玉ねぎに近かった。
飴色で半透明の玉ねぎらしき丸い玉がスープ皿の中央に十字に切れ込みを入れられて鎮座している。軽く浸かるように盛りつけられたスープも同じように半透明だ。色的にはコンソメスープっぽい。香りもそれだ。よくよく見ればスープの中には手足のように伸びたヒゲ根が沈んでいる。元を辿れば中央の玉に辿り着くので、これが体なのだと推測できた。なるほど姿煮である。
どう見ても、スープ風呂に浸かっている玉ねぎ頭の姿煮だが。
「これ、全部食べられるのですか?」
「ああ、食感が違うからどっちも食べてみるといいよ」
隙を見てツェツィーリエが声をかけた店員にとっては見慣れた食材なのか、料理を一目見ただけでそう言うとキッチンに戻っていった。どうやら食べてみるほかないようだ。四つに切り分けられているうちのひとつにフォークを刺し、ごろっととれた塊を口に運ぶ。
「……あ、これ美味しい」
外見は玉ねぎだが、中身はしっかり身が詰まっている。層が折り重なっているのではなくニンニクのようにコロっとした塊だ。歯ごたえは軽く、新鮮な野菜特有のシャキシャキとした食感が美味しい。鶏ガラ系のコンソメスープがしっかりと中まで染みて、噛むとマンドラゴラが含む水気に味が染みてじゅわっと口内に溢れ出る。
スープ自体は簡素なもので真似自体は簡単そうだが、肝心のマンドラゴラが難しい。味わいと食感を再現するなら一層一層が分厚い玉ねぎが一番近いか。探すよりもむしろ主を連れてきた方が早い。
「……と、いけない。まずはしっかりいただきましょう」
二人の主人の姿が脳裏を過ったが、ぱたぱたと手で扇いで掻き消した。
第2章 冒険 『狩猟領域』

●
例のダンジョンの入り口まで来たあなた達には、そこが何の変哲もないただのダンジョンに見えただろう。それも的外れではない。注意事項を記した看板が風雨に幾度と晒され本日も雨に濡れながら掠れた文字をあなた達に見せつけている。難易度はそれほど高くはなく、危険度も低く、初心者向けのダンジョンだ。
しかし今は看板に真新しい審議中の札がかかっていた。ダンジョンの質が変化しつつある場合に冒険者協会がこうして自治することもよくある。これを見て引き返すも、突き進むも、自己責任ではあるが。
一歩ダンジョン内に踏み入ると、先ほどまでの曇天が嘘のように晴れた。明暗の差に思わず目を細めると次第にダンジョンの様子が明らかになってくる。
空は、海だった。陽光は差し込んではいるが、途中で屈折しゆるやかな波を描いてから地面に届いている。太陽があり、空があり、海があり、空があった。どういう力が働いているのかは定かではないが、空遊魚が群れを成して泳いでいるのだから受け入れるほかない。
さて、そんな幻想的な風景も「色」とは全く関係がない。これらは方向を見失わせるための迷宮要素であると言った方がいい。
では「色」とはどこから来ているのか。少し奥に進むとそれもまた明らかになった。
モンスターだ。様々な種類のモンスターが、まるでカラーギャングのように色分けされて生息している。同種族であっても色が違えばいがみ合い、他種族であっても色が合えば助け合う。彼らにしかわからないナワバリが形成されていた。
さる冒険者曰く、「ボス部屋に通ずる鍵となる宝玉を持つモンスターがいる」らしい。モンスターの種類はちぐはぐで、明らかに強そうなケンタウロスが首から下げていることもあれば、誰よりも小さいカヤネズミのようなラットが大事そうに抱きかかえていることもある。
それに加え同じ色の宝玉でなければならないというのだから厄介だ。あなた達は狙うボス部屋の色をまとうモンスターを探し出して仕留めていかなければならない。最初の一体が偶然所持していることもあれば、探しても探してもその日は出会えないこともある。作戦を練る必要はありそうだ。
「クスクス……来たわ……」
「あーあ、可哀想に……」
そこにチカチカと点滅する光が突如として現れた。これが厄介な敵だろうか。
光の精霊たちは悪戯好きで、色を持たないためなんにも貢献出来ないにもかかわらずあなた達にちょっかいをかけてくる。大変迷惑極まりない。中にはひどい罠を仕掛けてきたり、急に攻撃してきたり、散々な目にあった冒険者もいるそうだ。
あなた達がすべきことはただひとつ。光の精霊の妨害を避けながら、倒すにせよ奪うにせよ、目的の色の宝玉を見つけることだ。
●大は小を兼ねると言いますが
きらきらと光の粒を降らせる海の天井に思わず視線が奪われる。斑蜘がちょっと足を踏み入れたらそのまま空遊魚にぱくっと食べられてしまいそうに多種類の魚が泳ぐ海は当然広い。どこまでも広がってダンジョンに幻想的な光を灯している。
これにばかり見惚れている場合ではないのだが。
「すごーい!おっきい水たまり!」
ついはしゃいでしまうというもの。
「クスクス、見て。ちっちゃい何かがいるわ」
「本当、本当。ぷちっと出来ちゃいそう」
それを遮る妖精の話が聞こえてきてむっとするのも仕方ない。ここはひとつ、どろんといたしましょう。
「いざ!」
妖精が悪戯を仕掛ける間もなく、斑蜘の姿は煙に包まれてむくむくと大きくなっていく。長い8本の足に大きな丸い目。鋭い爪と棘は勿論敵を攻撃する為のもの。
驚きながらも未だにひそひそと内緒話を続ける光の精霊を一瞥すると、橙の部屋を目指して足を運ぶ。馬鹿にされたままでは気が済まない。それに、邪魔をしてくる悪いやつなのでこれから付き纏われても厄介だ。
橙の部屋を目指す冒険者は他になく、斑蜘は妙案とばかりに通路を塞ぐように巣を張り始める。これならば実体のある精霊たちの足止めも出来、かつ宝玉を持っている魔物が小型なら十分捕まえられるだろう。一石二鳥である。
しゅるしゅると素早く糸を紡いでとうせんぼしてしまうと、巣の向こう側であっという声と共に罵声が飛んできた。しかし手も足も出ない……というよりは、手も足も捕まってしまったようで、糸から暴れる振動が伝わってくる。
「悔しかったらここまでおいでーだ」
振り返った斑蜘は眼前に立ち塞がる、先ほどまでは存在しなかったフサフサの壁を目にして首を傾げた。天井からねっとりとした液体が降って来て斑蜘の前に小さな池を作る。視線を上げた。
グリズリーだ。
「あ!」
垂れてきていたのは海の水ではなく、デカい、いやデカすぎる熊の涎だったのだと知る。熊というのは肉食では?という当然の疑問も浮かんだが、その天辺、熊の頭に輝く橙の宝玉を見止めて声を上げた。あれが必要なのだ。
その後、グリズリーの蜘蛛糸巻きなんていう料理が出来上がりそうに糸に引っ掛かって、図体の割にはすごく情けない声をあげるグリズリーのヒーンという鳴き声が響き渡ったのだとか。図体だけムクムクと大きくなり、今まで威嚇だけで敵が逃げていった熊の末路である。
「……依頼頑張ったら、また食べれるかな?」
そういえば酒場でグリズリーの手の煮込みがあったような。コラーゲンたっぷりそうな、岩窟に暮らしているにしてはぷにぷにの肉球を眺めながら斑蜘は糸で宝玉を回収した。
●作戦は計画的に
広がる空洞を前に、一人と一体と一匹は並んで立っていた。一名は浮いていたと言ってもいいし、なんなら同じ顔をした幽霊がたくさん後ろに控えていたのだが。
「……もしかして、偏ってます……?」
「これだけデカい穴なら丁度いいんじゃね?」
「首が痛くなりそうだから上の方任せるわ~」
黒のラインが引かれたダンジョンの通路はあまりにも大きかった。人を百人程度は並べられそうなほど横幅は広く、遠くのものもよく見えそうだ。代わりに障害物が全くなく、戦いになれば実力勝負になるだろう。また、敵がこちらを大幅に上回る数で襲撃してくる可能性も踏まえると人数はこれで良さそうな気もしてくる。
黒が好きという単純な理由で黒を選んだイノリは早速幽霊共同体の指揮を執る。これだけ人がいるのであれば早めに見つかりそうではあるが、どんな状況であれ人幽霊手が大いに越したことはない。事前に敵が分かれば対処のしようもあるというもの。
お隣で七つの手に囲まれている七々口も、そのうちのひとつをちょいちょいと呼び寄せて特権を行使する。自分達には一切影響はないが、真上から数匹の魚が降って来て二度見した。空の底を泳いでいた空遊魚が落ちてきたのだろう。ぴちぴちしている。
「お土産に魚……ありかも」
「いやあ、あの酒場の飯旨かったよな。お前らも食べたんだろ? 土産が欲しくなるのも分かる」
ボリュームのある肉を事前に平らげて満足げな空悟は一歩先に出て洞窟の先を観察している。今のところ動く影は見えないが、黒い魔物であれば闇に潜んで攻撃してくるなんてこともあるだろう。いずれにせよ、片っ端から片付けてしまえばなんの問題もないのだが。何らかの予備動作を行う必要がないのは、彼の鍛え上げた体そのものが武器だからだ。すでに臨戦態勢と言っていい。
「意外と美味かったね。あの目ん玉また食べたい」
「め、目ん玉……?」
自分のところに来たシチューを思い浮かべていたイノリは意外な単語に七々口を二度見する。確かにメニューには載っていたが、本当に頼む猫がいるとは思わなかった。
各々食べたものを紹介しつつあれは良かったこれは良かったなんて話をしながらも足を進めていく。もっとも、警戒していない訳ではない。イノリの分体が七々口の手と並んで少し先をうろついていたり、後ろの警戒のための人員も割いている。
話の途中、空悟の眉が上がった。同時に、異変を感知したイノリの霊体がしゅっと戻ってくる。
「来たな」
「お、おお、大きいのがきます……!」
言葉は地響きに遮られた。ズン、ズン、と地震でも起こったのかと思うぐらいの地面の揺れで体が跳ねる。重たい物を引き摺った時に聞こえる摩擦音も近付くごとに大きくなっていった。
身構える。そこに現れたのは手足の太さはゆうに人間一人分と言ったところか。当然、身長を直径とした時の話である。度を超した重さを支えるための体は多重に皺が刻まれ、硬い皮に消えない跡を残している。でっぷりと前に突出した腹はともすれば地面につきそうだが、よくよく観察するとそれは脂肪ではなく筋肉の塊だ。歩く度に揺れる事もなく、引き締まった筋をうっすらと表出させている。
一人の例外もなく視線を上げていくと後頭部が背中にくっつきそうだ。それくらい顔をあげて、ようやくその巨体の正体を悟った。
「サイクロプスか!」
巨大な棍棒を携えた単眼があなた達の眼前にぬっと現れた。全身を真っ黒に染め、赤い一つ目だけがいやに輝いている。
「宝玉は……なさそうですね……」
「けっ、どいつが持ってるか分からねえが虱潰しでいきゃそのうち見つかるだろ」
やる気満々の空悟は拳を構える。巨人族のサイクロプスにとっては豆粒のようなものだが、ただの豆粒ではないのだ。数々の死線を潜り抜けてきた空悟にとってこの戦場に不足はない。
暗がりの中に赤い光がぽつぽつと灯り始める。それらが誘導灯でないことは既に証明された。立ち塞がる全てを千切っては投げぶちのめす以外に道はない。
「んじゃ、オレは宝物探しするかね」
いつの間にか敵の足元まで身を滑らせていた七々口が器用に足の間を抜けていく。サイクロプスにとってあまりに小さすぎる的は目に入ってこないのかもしれない。あるいは、仲間と思われたか。
しかしかえって好都合だ。傲慢の手の鈍化が一体、また一体と静かに襲う。重くなった体は一歩足を踏み出すたびに地面にめり込み、更にサイクロプスの足を重たくさせた。
合間を縫う事が出来るのは七々口だけではない。敵もまた同じように潜り抜けてくるものだ。噂に聞いていた、あの光の精霊ならば。
「こっちの相手は……私がしますね……」
それぞれのやることがハッキリしているならば、後は隙間を塞ぐように指示を出すだけである。光の精霊の輝きは黒の中では一層強く輝いて見え、正直捕捉は簡単だ。問題は投げつけられるものがないというところだが。
「精霊同士ぶつけたら?」
「あ……そうですね……。お邪魔キャラ同士、どうにかなってもらいましょう、『綱代さん』……」
普段はスマホに住み着いている幽霊が顔を出していた。まるで同じものを四つ以上繋げて破壊するゲームみたいにこうやって繋いだらいいよとイノリに教えてくれる。
試しに空悟に誘き寄せられ悪戯をしようとした精霊を見つけ共同体のみなさんにお手伝いをお願いすると、サイクロプスをすり抜けて最短距離で動いて光の精霊たちを次々と捕捉していった。こういうゲームあるよな……という気分になる。
「やめて、放して!」
暴れ方も幽霊の体をぽこぽこと殴りつけるぐらいでかわいいものである。自由に接触可否を決めれるのでほとんどすり抜けるだけだ。捕まっている精霊を笑いに来た光の精霊がいたのでついでにぶつけておいた。南無。
イノリが妖精ピンボールをしている横で、空悟は先頭に突っ立っていたサイクロプスとのタイマンを既に終了していた。というのも、思っているより強くない。拍子抜けである。それもそのはずで、元から住み着いていたモンスターたちは初心者向けと言われているぐらいなのだ。どちらかといえばこの精霊たちの方がまだ力比べ甲斐があるというもの。
「一匹貰うぜ」
「あ……はい、どうぞ……」
ひゅーんと不可思議な挙動を描いていた光の精霊を空悟は捕まえる。さてこちらはと言えば、暴れた末に光の中で辛うじて見える腕をピンと伸ばし、何やら不可思議な言葉を紡いでいた。空悟が理解できる言葉ではないが、俗にいう詠唱というやつだろう。気合いの入った言葉と共に光の矢が放たれ、空悟の頬を掠める。なかなか威力はありそうだ。
「ちょっと! 避けないでよ!」
「そりゃ無理な相談だ」
どうやら普通に会話はできそうである。片手間にサイクロプスをのしながら、一般人ではふつうしない回答をしてくる精霊との対話にしばらく勤しむことにした。
「なー、こいつの目ん玉って美味いのかな?」
「あっ……おかえりなさい……」
来た時と同じテンションで帰ってきた七々口の手には黒い宝玉が収まっていた。
光の精霊がパチンコにされ、サイクロプスが椅子にされている頃、量で脅していたせいで詰まりに詰まりまくっていたサイクロプスの集団の中に赤い目の他に黒い目を持つ個体を七々口は見つけていた。手に任せて上昇し黒い目に近付いてみたところ、目当てのものだったというわけだ。
空悟にボコボコにされていることからも分かる通り、彼らは特段強くはない。いくつかの手でビンタしていたら単眼から涙をぼろぼろ零して宝玉を献上された。ちょっと可哀想な事をしている気分にもなる。
ちなみに、それらの光景を見ていた百眼蜘蛛が本来仲間であるサイクロプスを置いてそっと逃げ出したのはまた別の話である。
さて、黒の宝玉からは通路の奥へと向けて一直線に光が放たれている。ボス部屋を指し示す光だろう。目の前に立ち塞がる、もとい詰まっているサイクロプスとピンボールの精霊とはもう少し遊ぶことになりそうだ。
●糸折り重なり藤の花
星屑が降る夜のように、陽光が降り注ぐ海の天蓋は幻想的という他なかった。息を呑むほど美しい空を見ながら歩く休日が訪れても良かったのだが、ここは生憎ダンジョンの中である。それも危険思想を持つ敵が住み着いたとなれば観光どころではない。
点在する色のついた魔物を横目に藤色の道を目指すツェツィーリエの前に、ようやく同色の魔物が現れ始めた。小さなラットは人の存在を認めると洞窟の奥へと逃げ出していく。それらを目敏く見つけては、鍵となる宝玉の有無を確りと識別した。全ての魔物を蹴散らす事はより多くの体力を必要とする。
「養父の指導に似たもの、と思えば良いでしょうか」
狙うべきを狙い、刈り取るべきのみを狩る。この後により強大な獲物が待っているのだから、必要最小限の力でやり過ごすべきだ。戦の作法として当然身に着けておくべき知識である。
つ、と。糸が垂れた。
暗がりの洞窟の中で鮮やかな藤色を持つ糸だ。一本の微かな線だとしても、鮮やかに目に映る。
視線を上げたツェツィーリエの前に二本の節だった足が現れた。
「なるほど、私の敵はこれですね」
海の空が岩に遮られたトンネルの奥。そこにいたのは蜘蛛だった。
八つの赤い目と一つの藤色の珠を持つその蜘蛛の胴体はゆうに三メートルに達しようかという巨体であった。体の至る所に棘が生え、鋭い牙を携えている。明らかに昆虫だけを主食にしているようなタイプではない。小さいネズミであればひと噛み出来そうではあるが、同じ色の個体を襲う素振りは一切なかった。
妙な生態系もあったものだ。不可思議に思う。
嘆息したツェツィーリエの前で巨体の蜘蛛は体を揺らした。ばらばらと体が分裂するような錯覚を覚えるが、それら全てが子蜘蛛であると理解するのに時間は必要なかった。
刀を抜く。
「――嘆きの川より、茫洋の海へ」
ツェツィーリエの声と共に周囲の気温が低下した。鈴の音にも似た高い音が洞窟の中で反響し、透明な結晶が花開く。冥府の氷は氷片を散らしながら現出し、刀を冥府へと誘う一刃へと変える。
駆けた。
這い出した蜘蛛の細かい足が一陣の風が過ぎるとともに凍り付く。中には氷片の一瞥を受ける間もなく、崩壊していく個体もいた。蜘蛛の糸はツェツィーリエの歩みを止めようと四方八方から降り注ぐが、この程度で歩みが止まる筈もない。
「それでは、頂いていきましょう」
蜘蛛の巣の中心に佇む巨体な藤色の塊は不服そうに体を揺らして応えた。子供達を散らして辿り着いた彼女に抵抗する気はないようだ。
●この後なぞなぞを出してきた
さて、二人の目の前に群れを成しているのは何かと思えば狸である。
「ヒト!」
「オニ!」
逃げ惑うようにダンジョンの通路を駆けまわる一見狸のモンスターは口々に声をあげているが、人の言葉を模した声を出すものもいた。
「どちらが発見できるか。……なんて競争出来るほど分かりにくいモンじゃございませんね」
「ちっちゃい奴が持ってたら分かりやすいよねェ」
来る道中で既に何匹か狩っていたカナトの千疋狼は時折別の色の宝玉を咥えて持ってきた。見たところ拳大の大きさは共通であり、紫檀に来て急に変化することは考えにくい。狙うべき個体はこの珠を隠してられそうな大きさの魔物となる。
それはそれとして、襲い掛かってくるモンスターは邪魔なので食べてしまうが。
千疋狼は未だ索敵も兼ねて周囲を走り回っている。戦闘音が聞こえてくるものの、数秒程度で収まるので敵はそこまで強くはないのだろう。初心者向けダンジョンに元から生息していた個体は大体その程度の弱さらしい。
人の声らしい悲鳴が聞こえてカナトがそちらを見ると、時雨が発生させた暴風雨に巻き込まれて浮いた手足をじたばたさせた狸モドキの姿があった。どんくさい数十匹の中から、まるでひよこ選別士さながらに時雨は狸を引っ張り出してぽいぽい捨てていく。
「どっちが効率いいかなぁ」
「ちがう、ちがう、これもハズレ……」
半ば苛立ちが声に交じる時雨を面白おかしく見守っていたカナトの前方を光の玉が通りすぎていく。あっとカナトが声をかける前に時雨の眼前に飛び込んでいくと、一層強く光り輝いた。勿論こいつは紫檀色をしていない。
「ウワッ、なんだコイツ! ぴかぴか腹立つな!」
「時雨くん、揶揄われてるねぇ」
光の精霊はそのやり取りを聞いてケタケタと笑っている。ジトリと見つめる時雨の視線に気づかぬまま、まだちょっかいを出す気なのか周遊していた。
思案顔の時雨がおもむろにカナトを見る。カナトは首を傾げた。
「……どうかした?」
「カナトさんの銃、精霊の力借りてるんでしょ。アレとっ捕まえて銃弾に出来ないんですか?」
「確かに精霊銃持ってるけど」
「ギュッギュッて詰められません?」
「え~、どうだろなぁ」
などと宣いながら、カナトは千疋狼が咥えてきた光の精霊を鷲掴みにした。どうして捕まってしまったのか。好奇心は猫をも殺す。今回は精霊なのだが。
「ちょっと! 何すんの! 放して!」
「雷も光も性質的には大体一緒だよなァ」
「違うわよバカ!」
すったもんだしている精霊を無視して時雨のオーダー通りにギュッギュと詰めてみる。詰めるってこういう事ではないのだが、詰まってしまったものはしょうがない。精霊の力を借りて放つというより精霊自体をぶっ放す事になるのだが、どうやら精霊銃の方も準備万端のようだ。
時雨の期待の眼差しを受けながら引鉄を引くと、普段とは全然違う挙動で光の弾が飛んでいった。思い通りにはなるまいと抵抗する光の精霊が暴れて螺旋を描いて飛んでいく。悲しいかな、近くにいた仲間を引っ掛けて通路の奥まで螺旋飛行していった。
「案外いけた」
「狙い付けづらそう」
そんな感想である。
「あ痛ァ!」
そして遠くから太い声が聞こえてきた。
二人揃って声の方を見ると、ずんずんと狸が迫ってきている。いや、狸は狸であるのだが、どう見ても某国で売られている信楽焼のたぬきである。でっぷりと出た白い腹と、それにふさわしい大きな顔が乗っかっている。唯一違いがあると言えば、信楽焼のように笠を被っていないことか。
「狸だ……」
「狸だ」
「何おゥ。儂をタダの狸と思うてもらッちャ困る!」
「喋った」
「喋ったな……」
明らかに今までの狸と違ってペラペラである。そこも注目すべきところだが、二人の視線はデカ狸が首から下げている数珠に吸い込まれた。明らかに紫檀色の宝玉が結んである。
「お前たち、何の目的でここに来た!」
まさかダンジョン内で目的を問われる事になるとは思ってもみなかった。顔を見合わせ、言葉に詰まり、ええとと声が出る。先に動いたのはカナトだった。いや、先に考えるのを諦めたのは、と言った方がいいか。紫檀色の宝玉を指さした。
「それを探して。譲ってくれない?」
「あ、ずるい」
勝負の延長線上にあるとするなら、手に入れた方の勝ちである。力尽くで奪っても良さそうではあったが、話が通じそうな相手から無理やり殴って奪うのは少し思う所がある。はたくくらいは許されたいが。
「ふゥむ、お前たち奥の魔女を懲らしめに来たのか?」
「まあ、そんなところ」
「良いだろう!」
「いいんだ」
思ったより拍子抜けである。
「ならば、儂を笑わせた方に譲ってやろう!」
いや、結構難題かもしれない。どう試行錯誤したかは本人たちのみぞ知る所だが、化け狸の大将は満足そうに帰ったのだとか。ちょっと疲れた。
●空海の散歩
癒しであったご飯タイムを終え、なんだかんだ言いながらクセになる味をした百眼蜘蛛の目玉を袋から取り出すと口に放る。身体を思わず縮こませたくなるような痺れの後、じゅわりとゼリーのような中身が溢れて甘みとも酸味ともつかない味を教えてくれる。
能力者仲間でもあるカワイイネコチャンと別れネルネは選んだ金色の道を進んでいるが、なんだか様子がおかしい。
「空が海みたい……だけど……」
なんだか段々近付いてきてないか?
振り返ってダンジョンの入り口を見遣ると、確かに海が空高く遠ざかって行く。視線を戻せば、人二人分ほどの高さに海が迫ってきているのも分かる。
これはもしかしてと嫌な予感が頭を過った時、きらりと頭上を輝かしい色が通り過ぎた。
「ええ、あの金の奴が持ってるの、宝玉では?」
どう見ても宝玉だ。それも金色の。
確かにじっくりと観察してみると、海の中の魚たちの鱗は金色に輝いている。陽光が降り注ぐ中で空遊魚を見上げるのはなかなかに至難ではあったが、なんとか目を細め、手をかざしてみればそれっぽい色に見えた。
どうやら、金の領域は海らしい。
「うーん。いける、か?」
まずは空の海がどんなものか確認して、と空に手を伸ばしたところで視線を遮るように光の精霊が飛び込んできた。悪戯好きの精霊たちはどうやらネルネの邪魔をしようと企んでいるらしい。ネルネの魔法道具にも興味津々だ。
このままポーション作りを開始しても素材を盗まれるだけである。一旦退避すると、後ろで精霊たちがネルネを指さしてケタケタと笑っていた。
「む、ムカつくな……」
素早く岩陰に潜んで様子を見るが、追いかけてくる気配はない。
「見えなければどうということもないよね!」
テーレッテレー。
「強化ポーション~!」
完璧だ。
ヴィヴィアンやフローライトにさささっとポーションをかけていくと、艶が出て生き生きとした姿を見せた。フローラに至ってはなんだかとっても張り切っている。
迷彩をかけて来た道を戻るが、光の精霊たちはお喋りに勤しんだままこちらに気付く様子はない。次はどんな悪戯をしようかなんて計画を立てている。
その横で悠々と空の海に触れると空気の厚い膜を感じたが、ある程度力をかけるとぷつっと張力が消失して空の海へと手が潜る。濡れた感触はない。どうやら空気の幕で区切られただけで空の海もまた空気の層であることが伺えた。
後は簡単だ。空飛ぶエルフに海空を泳げない訳もない。
「よーし、行こうヴィヴィアン!」
まさか襲われると思ってもいない宝玉持ちの魔魚は眼前を悠々と泳いでいる。光降り注ぐ空の海へと飛び立ち、モルガンの銃口を向け魔法弾を放った。
余談だが、バカにしてきた光の精霊に仕返しを企んだフローラが、攻撃の軌跡を精霊たちへ向けて修正して一発目はそちらへ飛ばした。自業自得である。
●赤いすいせい
ブンッととても勢いよく両腕が振り上げられた。先端のハサミは立派に輝いており、音を立てて脅してやればトングで威嚇されたパンのように身動きも取れなくなる。
精霊たちはきらきらと光を零しながらザリザラスを見つけるとこれ幸いにとちょっかいをかけに突進してきたわけだが、こうやって両腕を見せつけて脅していれば少し離れた場所で様子を見るだけになった。光っていてよく分からないが腕をさすっているような気がするので脅しは成功だろう。
「ザリガニよ……」
「ギザギザだわ……」
ひそひそと声が聞こえてくるぐらいはご愛敬だ。ふんとハサミを掲げる度にちょっと驚いて声をあげるものだから、かえって面白くなってくる。邪魔する奴には容赦しないが、襲い掛かってくる気がないならわざわざ攻撃する必要はなさそうだ。
改めて空を見上げる。海のような陽光の灯や真上を泳いでいく魚は地元の空気感そのままだ。素人は黙っとれ顔で佇んでいるとますますホームな気がしてくる。
赤の通路は比較的入口から近く、どうにもナワバリ争いが盛んに行われているようだった。目的である赤の宝玉を探したい所だが、様々な色が混在していがみ合っているのでややこしい。かといって全員倒すのはいくら初心者用ダンジョンとはいえ骨が折れる。骨ないけど。いうならばハサミが折れるというやつだ。
「……よしっ」
何か思いついたのか、威勢のいい掛け声とともにハサミを掲げた。
「テメェら、今日はここが集会場所よぉ!」
このハサミとまれ。ドーンと腹腹時計が複数具現化されるとそれぞれが役割を全うしようと動き出す。何が起こるかといえば、そう、環境破壊である。一時的なものだから許されたい。
ドドドド……という低音が響き始めると徐々に群れが近付いてくる。思わず周囲の魔物たちも手や足や鼻を止め、音の方へと視線をやった。
波だ。赤い波が迫ってくる。
洞窟内では歓声と悲鳴が湧き起こった。どうやらカラーを認識して、赤い魔物たちはよく分からないが駆け付けた増援に歓喜の声をあげ、急に勢力図を塗り替えられた別カラーの魔物たちは慌てふためいているらしい。錯乱作戦は成功だ。
「さーて、これに乗じて宝玉探しっと」
……これが思いの外大変だった。ザリ集会が始まってから幾分かして、ザリガニよりも小さいラットが宝玉を抱きかかえて転がっていたのを発見出来た。ザリガニに埋もれてなかなか発掘に時間がかかったのだった。良し悪し。
第3章 ボス戦 『『悪童魔女』ルルフィア』

●
色の宝玉は光の筋を放ち、それぞれ対応した部屋まで案内する。扉の前まで来ると、宝玉には罅が入り粉々に砕け散った。代償に扉がゆっくりと開いていく。
このダンジョンのボスは同時に倒さなければならないという性質を持つ。よって、どこか一つだけでも倒せずに残ってしまえば攻略は失敗となるわけだ。この性質を利用して修練用のダンジョンとして初心者向けになっていたが、事情が変わってしまったのなら仕方ない。
では、同時にとはどのようなものか。全く時間を合わせて討伐せよなんてことは無茶な話だ。戦闘開始のタイミングも、終了のタイミングも計って戦わなければならないのは酷である。世の中にはそのようなダンジョンも存在するが、このダンジョンはレイド部隊までは必要ない。
過去攻略に携わった冒険者たちの話によれば、恐らくボス討伐後にそのまま部屋に滞在していれば攻略済みとしてカウントされるのではないかとのことだった。倒すタイミングはずれてしまっても、早く倒した者は部屋で待機しておけば同時という判定になるのだとか。
扉の中へと足を踏み入れると、真っ暗な部屋に明かりが灯っていく。蝋燭の火が入口から順々についていく様はなかなか荘厳だった。
「はあ~あ、来ちゃったんだ。早すぎ。つまんないの~」
声が空から降ってくる。
「まだ悪戯準備中なのに、邪魔しないでくれる?」
小さな翼をぱたぱたと動かし降り立ったルルフィアはあなた達をねめつけた。不機嫌そうな声と仕草はまだ子供っぽい。子供だからこそ、純粋な残虐性を持ち合わせているのだ。分裂した彼女たちを野放しにしていれば今後どんな被害が出るかは想像に難くない。
自分がもう一人いたら。そう考えた事はないだろうか。
彼女はこのダンジョンがその夢を叶えてくれる事に目を付けた。ダンジョンボスに成り上がればそれぞれの部屋に分身が生まれる。遊び相手としてこれ以上に相応しい相手はいないだろう。
「さ、出てって! それとも、あたしと遊んでくれるってワケ?」
にたりと企み顔と共に踵を鳴らすと、部屋一面が氷に包まれた。完全にアウェイのあなた達はこれに打ち勝つしかないのだ。
●うさぎさんきーっく!くりてぃかる!
橙色の光を放ち砕け散った宝石の欠片を乗り越えて門戸をくぐる。斑蜘の一本の足が部屋の床を踏みしめた瞬間、蝋燭の炎が灯り氷の部屋が露になった。機械もなく不思議な力で起こされた現象はまさしくファンタジーと言えるだろう。
これぞダンジョン! これぞ異世界!
そんなドキドキもボス部屋に足を踏み入れる瞬間には緊張の鼓動へと変わる。いくら能力者とはいえ、相手も相応の力を持ってるとなれば話は別だ。それもボスを名乗るほどの腕前の持ち主なのだから、腹部にも力が入るというもの。
「あら、あたしの相手はハズレ? つまんないの」
開口一番斑蜘を見てそう宣うルルフィアはどう見ても舐めてかかっていた。
「まあいいわ。遊んであげる!」
ばさりと小さな竜の翼を広げるとルルフィアは斑蜘に急接近する。バチバチと手のひらに雷をまとい始め、自分よりも小さい斑蜘を鷲掴みするために手を伸ばす。
氷の空間だ。本来ならばあまり上手に動けなかっただろう。しかし、斑蜘はジョロウグモだ。移動手段は足だけではない。それも普通の蜘蛛ではないのだから、蜘蛛の糸を支えに自由に空間を移動できた。氷で滑る壁も何十にも編んだ糸と、幾多にも散らばせた接地点でバランスを取ればすぐにでも飛び回れる。
鋭い爪を床に立て力を入れると斑蜘は飛び出した。ルルフィアの拳が掠めるものの移動には支障がない。相手のフィールドで戦わなければならないが、それを上書きしてはならないというルールもない。侮ったのは相手だ。
「もう! ちょろちょろとウザいんだけど!」
ルルフィアは変わらず雷をまとった拳を振るい、斑蜘の身動きを鈍らせようと拘束のための触手を放ち追いかけている。最初は鬼ごっこでもするつもりだったようだが、段々と苛立ちを露わにしていった。
計画通り。途中、傷つけた際に浴びせた毒も効いているようだ。嘲笑するルルフィアの顔がどんどん歪んでいくのを見つつ、蜘蛛の巣の振動を頼りに隙を探る。
いや、隙は作るものだ。
「痛っ」
高い位置まで巣を張り巡らしルルフィアを上空へと誘き出すと、その翼へと向けて反転し爪を突き立てる。いくら魔女といえど、飛行するための補助器官を失えば切り替えには時間が必要だ。
ふわ、と白いもこもこが舞い降りた。背景を透かせた兎がぴょんと跳ねる。
いくら小さいと言えども、そこに質量があれば力に変わる。重力を乗せ、天井を蹴る反動を乗せ、流星の如く振り下ろした六本の足は自由落下する魔女を的確に捉えた。
そうして地面に降り立ったのは小さな蜘蛛一匹だけ。盛大な音を立て、罅割れた氷の城は輝く粒子となり消失した。
●遊びの終わり
「足冷たいんだけどー」
踏み入れたボス部屋で一言。七々口は直に肉球に伝わる冷たさのせいでひょこひょこと奇妙な歩き方になっていた。渋い顔で魔手を呼び寄せると怠惰の手の上によいしょと乗っかる。これで多少はマシだろう。氷から漂う冷気だけはどうにもならないが、毛皮がある分ヒトよりかは平気だ。
ちゃんと霊体にも反応するらしく、すり抜けられない扉が開くのを待ってから入ったイノリの真横で灯が点き始め部屋を照らしていく。冷たさを感じないイノリではあるが、見た目から得る感覚というのは避けられない。寒そうだなあとは思った。
「えっとぉ……どうもすみません、お楽しみの邪魔をするのは本意ではないんですが……」
「遊びや悪戯も結構なんだがな。悪いがきっちりお仕事させてもらうぜ」
「え~、つまんないの。まあいいや。このあたしが、あんたたちで遊べないと思ってんの?」
これが無害の魔女なら良かったのだが。件の悪童はこの数回のやりとりだけでも悪意を剥き出しにしているし、明らかに嘲った笑い方をして空悟たちを見下ろしている。だからこそ能力者たちが駆けつける事態になっているのだ。
手のひらに拳を打ち付けると、空悟の拳に火花が散る。弾けた黒い火花が互いに触れ合うと、更に加熱して大きな火へと生まれ変わる。そうして生まれた火はまた触れ合い、いつしか炎へと変貌を遂げた。その熱は周囲の氷すらも徐々に溶かしてしまうほどだ。いくら氷を操る魔女とはいえ、再び生成するには条件が伴う。どちらがより上回るか。ただそれだけのシンプルな勝負になるだろう。
「まあ、強いかもしれませんが……」
おまかせします、とイノリが両手を前に広げれば小さな火の魂がぽっと灯る。部屋を照らす蝋燭よりも頼りない光が揺らめいたかと思えば、その勢いを急速に増して膨らませた。エネルギーが飽和し破裂したかのように火の魂が散るとより強大な姿を象って安定へと向かう。
生まれたのは、竜だった。口の端から青白い高温の炎を零す竜が氷の地面を踏みしめると蒸気をあげて表面が溶ける。存在するだけで熱気を齎す彼の竜の影響は大きい。
「強力な相手ほど時間をかけずに倒すべし……というのも鉄板ではあってですね……すみません……」
「ふん、ちょっと増えただけで調子乗るなよ!」
同じ竜の翼尾を持つルルフィアが号令をかけると、どこからこの質量が現れたのかと思うほどの大量の触手がずるりと姿を見せた。氷のデバフは受けているようだが、その数が問題だ。ひとつひとつ捌いても増殖する方が勝るだろう。
「数減らしつつ、本体を叩くって感じかねぇ」
「はっ、どんだけ増えようが殺る事は変わんねえよ」
触手から逃れるように浮いた七々口が顔をあげると、別の触手が先回りしている。神出鬼没らしい。腐ってもボスというところか。総攻撃を仕掛けたい所だが、なかなか簡単にはいかないようだ。
「まー、やるかあ」
動きを拘束しようとする触手を暴食の手が弾く。七々口の利点は魔手がそれぞれ独立して動くことだ。七々口を乗せて回避に専念する手もあれば、攻撃に転じる手もあり、また、必殺の為の策を用意する手も存在出来る。憤怒と嫉妬の槍を得たのは強欲の手だ。
「道開くよー」
飛び回りながら触手の壁を作り、隙を見て攻撃するルルフィアを捉えるのは一苦労だ。しかし、敵の流れを変えてやれば転機が訪れるだろう。
『牙谷さん』もとい炎魂竜のブレスを螺旋を描きながら避けるルルフィアの軌道を読む。意図を察したイノリが牙谷さんにこうしてほしいと内緒話をすると、炎魂竜の姿でも通じるらしくひとつ頷いた。ルルフィアの動線を絞るべくブレスを調整し、ルルフィアを知らずのうちに天井付近に追い込む。
ここだ。欲した転機が訪れた。
強欲の手が槍を放つと一条の軌跡を残して猛スピードでルルフィアに迫る。
「ふん、気付かないとでも思った?」
対して魔女は得意げな顔で槍の側面を蹴り落とした。
想定内だ。真っ二つに折られた槍を見ながら、突き出た氷の柱や触手を足場にして駆け上る黒い炎を視線で追う。
「その槍、壊れたら爆発するから気ぃつけなー」
「問題ねえ!」
飛び出した空悟の欠けた階段を埋めるように七々口の魔手が移動すると、空悟はそれも踏み台にして高く高く跳んだ。魔女の悲鳴と爆発音を聞きながら、振りかかる爆風や破片を物ともせずに爆発で出来た穴を潜り空悟は魔女に肉薄する。頬が裂かれ、体に傷が出来ようとも空悟の勢いが落ちる事はなかった。
当然だ。何があっても、どんなことが起ころうとも、仕留めるべき敵は殺す。それが禍神空悟という人物なのだから。
体勢を崩したルルフィアはなおも氷を纏わせた蹴りを牽制に放つ。いずれにせよ効果的な攻撃ではあったが相手が悪かった。
「なっ……あんた狂ってんじゃないの!?」
「うるせえ、今は殺しをやりに来てんだ」
受け止めた蹴りが、例え全力ではなかったとしても重くないという事はない。それも空悟に至っては足場もほぼない空中戦だ。受け身を取る事も出来ず、体ひとつでルルフィアの蹴りを受ける事になる。衝撃は重く、骨が軋む音がした。空気が逆流し唇から漏れ出た。
ふつう、激痛が体を襲うと脳が危険信号を出し身を護る指示を反射で出す。だが、それはふつうならの話なのだ。
炎を纏った拳がルルフィアの肩を殴った。勢いで前のめりになるが、引いた腕を再び前に出す事で体勢を戻す。繰り返し、繰り返しだ。
「ふっ……ざけんじゃないわよ!」
魔女が咆哮する。散っていた触手たちが空悟めがけ集合し、絡み合い、ひとつの巨大な触手となって振り下ろされた。衝撃が襲う。流石の空悟の手も止まり落下する、というところで七々口が乗る魔手が真下で空悟の体を受け止めた。
「ないすー」
空悟を受け止めるぶん端に寄った七々口の指し示す先では、妨害を受けなくなった強欲の魔手が槍を構えルルフィアを狙っていた。もはや誰にも魔手を止められない。空悟を吹き飛ばすことに全力を尽くした触手を操ったところで間に合わないのだ。事態の悪化を当事者が把握するよりも先に放たれた槍は魔女を貫き、そのスピードのまま地面に縫い付ける。
いつの間にか、氷の城は瓦解していた。蠢く触手を散らす為に吐かれた高温のブレスが周囲を焼き、ルルフィアの領域をどんどん狭めていたのだ。もはや地面はヒトの領域となり、彼女の支配する地ではなくなっている。
轟音と共に強制着地させられたルルフィアを見下ろす影があった。砂ぼこりでむせ、血は吐き出して顔を上げたルルフィアが見たのは、あんぐりと空いた竜の口だった。
「え、ちょ、ま……」
「牙谷さん、ウェルダンで……お願いしますね……」
その横でにこりとイノリは微笑むのであった。
言葉に見合わない容赦のなさでブレスが放たれる。これではウェルダン通り越して黒焦げになってしまうだろうと誰もが思う勢いで青白い炎がルルフィアごと床を焼き、その反射でボス部屋の氷をさらに溶かした。
最初に存在した荘厳な氷の城はついには黒い炎で、青白い炎で、それぞれに溶かされ水となり、イノリの指示で乾くまでしっかりあぶられた。
呑気な速度で魔手が降りてくる頃には、空悟と七々口の連携で墜落させられた魔女は牙谷さんの手で跡形もなく消え去っていた。
「お疲れさまです……少し、休んでから帰りましょうか……」
全員無事とまではいかないが、相応の成果は得られただろう。しばしの休息が癒しとなる事を願って。
「それならコレどうだー?」
「え……? 何ですか……?」
「食えんのか、それ」
七々口が取り出した百眼蜘蛛の目玉が癒しになるかは本人、あるいは本霊次第だ。
●小さくっても最強
「おいおい嬢ちゃん、ここは子供の遊び場じゃねえぜ?」
ここにスポットライトがあったなら、虚空を映していただろう。いや、実際には虚空ではないのだが、あまりにその存在が空間に比べて小さすぎて認識できないと言った方が正しいか。両腕を持ち上げたザリザラスを見下ろしたルルフィアはすごく目を細めてその存在を確かめ、盛大に溜息を吐いた。
小さな竜の翼をはためかせ地上に降り立つと眼下のアメリカザリガニを眺める。腰を屈めることもなく、膝を折ることもない魔女はもう一度溜息を吐いた。
「冗談じゃないわ。あたし、おままごとに付き合ってあげる程暇じゃないの」
「あんだってえ!?」
「それともぷちっと潰されたいの?」
苛立ちをぶつけるように尻尾で床を叩いたルルフィアはその勢いのまま薙ぎ払う。ふつうのザリガニにとっては致命傷となる一撃ではあったが、ザリザラスにとってはよくあるふつうの攻撃だ。どこからその脚力が来たのか目を疑うくらいの勢いで真上に高く跳ぶと、大縄跳びの要領で尻尾を避けた。
流石にこれにはルルフィアも目を瞠る。ようやく相手として認めたのか楽し気な顔をした。
「へえ、いいじゃん。遊んであげる」
「しょうがねえなあ。俺っちが遊び相手になってやんよ!」
自慢のハサミがきらりと光る。電撃を纏ったルルフィアの拳とは相性が悪いが、だからといって引く理由にはならない。ザリザラスにはこのような状況を解決するための手段が残っている。なにぶん、長く生き長く水の中で暮らしてきたものだからお手の物である。
厄介な属性攻撃は無効化するに限る。それが氷だろうが、雷だろうが関係ない。自分の右ハサミに触れたものは全て無に帰す。最強のハサミなのだ。これぞぶっ壊しザリガニッパーである。
氷の城の中、突き出た氷柱の上に着地したザリザラスはくいくいとハサミで挑発する。基本的に遊びに重きを置いている悪童がそれに乗らない筈がなかった。周囲の温度が一回り下がり、ルルフィアの足に冷気が集う。
「調子にのらないでよね」
悠々と歩く魔女の歩く道が凍り付いていく。跳ねたルルフィアがくるりと一回りすると鋭い蹴りを繰り出した。近付くにつれ空気の凍る音と吹き荒ぶ風が外殻を叩く。目が乾いて痛い。
しかし、タイミングを見誤ることはなかった。
「ここだあ!」
がっしとハサミがルルフィアのつま先を捉える。一瞬にして冷気が消え去った。
「はあ!?」
「ふん……もう逃げられねーなあ!」
何が起こったのかと目を白黒させるルルフィアを、今度は見下ろす形でザリザラスが得意げにしている。振り上げたハサミがふつうのザリガニと同等ではないことを、彼女はもう知っていた。
「さーて……お仕置きの時間だぜお嬢ちゃん!」
●いのちの戯れ合い
道中を振り返る。
「いやはや本当に。無理難題ばかり仕掛ける狸の旦那でございました」
「まさか時雨君があんなことまでしてくれるなんて……」
「忘れて」
戦利品である紫檀色の宝玉の欠片を越えて扉をくぐる。蝋燭の炎が灯っていくと、お遊びムードはそれに追い出されるように掻き消えていった。全ての蝋燭が灯った瞬間、その光量がどこから来たのかと思うほどにまばゆい光で空間が明るみの元に晒され、一人の少女が現れる。
小さなドラゴンの翼と立派な尾。悪戯が好きそうに釣り上がった生意気な口元。活発な印象を与えるミニスカート。
悪童ルルフィアがゆっくりと瞼を押し上げるとカナトと時雨を値踏みするようにそれぞれ眺めた。
「でた、可愛い子チャン」
「うーん、最近よく見る気がするよ」
不思議なことに、このダンジョン内ではなくとも至る所に現れるのがこの世界である。同一存在であっても異質な性質を持つ彼女らを同一視するかはそれぞれだが、対処法は個々に異なる。
じろじろと嘗め回すような視線を無視したまま、カナトはルルフィアを見上げる。容姿が劣っている訳では特にないが、自分の好みかといえば首をひねるところだ。お隣さんの時雨を見ても似たような表情で値踏みする女を見上げている。
「牛鬼クンはお色気お姉様が好きなんだっけ、違った?」
「仰る通りで」
「あたったー」
なんとも緩い会話である。
「なによ。あたしの魅力を知るには、まだおこちゃまってことね」
「どちらかと言えば、お前さんがまだ早いと言いますか」
「はあ? 生意気!」
完全に怒りをあらわにした魔女は拳に雷を纏わせ、足を冷気に包み臨戦態勢だ。これはもうどう取り繕っても取り付く島もないだろう。元より、対話を楽しみにきていないので無問題だが。
「じゃ、遊んであげますか」
「ごめんね、この人容赦ないから。フォークで刺されて食べられないよう気を付けて」
フォークなんて、という疑問はすぐに解決した。ぞわりと寒気が背筋を這い、その原因を目にしたルルフィアの視線の先ではカナトが灰狐狼の毛皮を纏い始めている。激しい雷鳴が響くと、その手には三叉戟が握られていた。成程、確かにフォークと同様の特徴を持ってはいるが。
「三叉戟」
「フォーク」
相容れないらしい。
痺れを切らした悪童の竜の尾が二人を襲うが、そこにカナトはもういない。軽口を交わしていたとしても、ここはもう戦場だ。常にアンテナを張り敵の一挙手一投足を警戒するのは当然である。
強靭な尾による一撃は風を割き、目にも止まらぬスピードではあったが、ある地点でぴたりと止められた。いや、串刺しにされたと表現したほうが正しいだろう。
「さて、逃がしませんよ」
時雨の蜘蛛脚が尾の薙ぎ払いを受け止める。勿論無傷とはいかない。殺しきれなかった勢いで外骨格の軋む音がするが、それにより起こる痛みは多少無視できた。同時に、素早くルルフィアを縫い留める。彼女が蜥蜴であれば逃げられたかもしれないが、魔女の特徴はあまりにもドラゴンと一致していた。
驚いた顔をするルルフィアの尾を掴み、貫いた脚を抜く。魔女の文句が口から出るよりも早く、時雨は足払いを避けたカナトの方へと視線をやってある行動に移した。
そう、魔女を曲げ飛ばすという行動を。
「ほうら、狼さんが遊んでほしいそうですよ!」
剛腕で投げ飛ばされたルルフィアが翼を動かして空気抵抗を強めなんとか静止しようともがくが、与えられた力が大きすぎた。錐もみのように回った魔女が見たのはフォーク、もといトリアイナを構えるカナトの姿である。
「生きるか死ぬかで、楽しいでしょう?」
牙を見せた狼が三叉戟を振るう。大きく後ろに振り被り力を溜めた体勢から弾くように前へ突き出す。ルルフィアの腹部を掠る、が、魔女も魔女だ。ボスとしての実力は相応に持っているらしく致命傷を避けた。
「ふざけんじゃないわよ……!」
舌打ちが出る。余裕をなくした表情をしていた。
跳び、掴み、投げ飛ばす。時にその翼を蜘蛛脚が貫き壊し、時にその肉体を削ぎ落とし血の花を咲かせた。カナトから距離を取ろうとすると、そこには時雨がおり、戦線離脱を許さない。常に前線の動きを強要された魔女は取る手段も少なく、動きも大雑把になっていった。
大振りの攻撃を見逃さない。戯れと宣うぐらいなのだから長く戦ってくれないと困る。互いに攻守を交代しながら、繰り出される数々の手は致命傷には至らずともじわじわと体力と気力を奪っていった。
氷の城が崩れ始める。血に濡れたフィールドの中央、憎らし気に二人を睨んだルルフィアが息を吐いた。
繰り返し同じ部位を狙う事で使い物にならなくした尾の先っぽを弄ぶ時雨と、そろそろクセを掴んで獲物の首に狙いを定めるカナトを魔女が見る。次の瞬間には眼前へと飛び出し、雷撃を纏った拳を振りかざした。
「……残念。おつかれさまでした」
確かに時雨の体を捉えた拳は、しかし彼に止められた。比にならない力で拳を包み込むと逃がすまいと握り込む。
天から、一条の雷が落ちた。天幕を蹴ったカナトの三叉戟が彼と共に降ったのだ。
「覚えて……なさい……!」
苦し紛れに呟いた魔女の体は光の粒子となって消え去った。分かたれた部位はそのまま、取り残されている。
足元に放った尻尾の先を見た時雨は、カナトを見、次に尻尾を指差した。食べません。
●死招きの蝶
「遊び相手になってくれるの?」
一歩部屋に踏み込むと、楽しそうな声が降ってきた。その声を発した気配は瞬時にツェツィーリエの傍まで近付き触手を繰り出す。実に卑怯な一手だ。
しかし相手が悪かった。ツェツィーリエ相手に不意打ちが通用するはずもなく、スカートの裾を翻して大きく跳ねる。流麗な動きは細部まで行き渡り、衣服が乱れることもなく部屋の中央に着地した。
「あら、遊び相手をご所望でございましたか」
いつの間に手のひらに納めたか、大太刀が両手に握られていた。既に柄に手を掛けており、いつでも抜刀できる状態だ。
「では僭越ながら、わたくしが務めさせていただきましょう」
「きゃは! 物分かりいいコは嫌いじゃないわ!」
相対するツェツィーリエの振舞いに満足したルルフィアは陽気に笑うと体を大きく広げる。息を吸い、力を溜めると、自らの体を始め部屋の至る所から触手を出現させた。悪戯好きの魔女が呼び出した触手はそれぞれ意思を持つ蛸のように蠢き標的をツェツィーリエに定める。
彼女の足元に出現させなかったのは見せつけるためだろう。悪童らしい。
「――嘆きの川より、茫洋の海へ」
ルルフィアの生み出した氷の城に微かな囁き声が落とされる。
「ですが、」
にこりともしないツェツィーリエの目は真っ直ぐにルルフィアを貫いた。刀身が抜かれると部屋の冷気がさらに増す。魔女の城である筈の氷の部屋を、ツェツィーリエの氷が上書きしていくようだ。冥府の氷は凹凸のある粗雑な床を滑らかに均していく。透明度の高い床が部屋に存在する全てのものを映し込んだ。
ふわり。ツェツィーリエが跳ぶ。
「加減をご所望でしたら、ごめんあそばせ。わたくし、強いですので」
ヒトは飛ぶことなど当然出来ない。しかし、ツェツィーリエの動きはまさしく蝶だ。確かに跳躍の範囲ではあるが、翼をもつルルフィアにも劣らぬ動きを見せた。
触手がツェツィーリエを捉えようとまとまり、足場となるべき地面を見据えて蠢く。それらの動きも察知してツェツィーリエは"終天の淵"を振るい薙ぎ払った。その力を利用し、また、跳ぶ。
ツェツィーリエの動きを拘束しようと召喚された大量の触手はそのほとんどが彼女の体に触れる前に切り落とされた。再生しようと表面が沸き立つも、すぐに氷点下に落とされ壊死を迎える。
徐々に、徐々に、死の足音が近付いていた。舞うように、飛ぶように、ルルフィアの足元にも死は平等に近付く。
「来るな! 来るなあ!」
再び触手の召喚を行おうと足掻く悪童は、その時初めてその場に留まる事を選択した。
動きを止めた。二度とそこから動くことはなかった。
「存外、痛みはないものですよ」
透明な一閃が魔女の体を横切った。
「――尤も、すぐに何も感じなくなるでしょうが」
その言葉を聞く者はもう、亡い。
●悪童魔女の丸焼き触手
あああああ――――悲痛な声が洞窟内に鳴り響いた。ある者は振り返り、ある者は新しい敵襲かと武器を構え、ある者はちょっと引いていた。
砕け散った宝玉を前に両膝をついて燃え尽きたボクサーのように天を仰いだネルネの目尻から一筋の涙が零れ落ちた……ような気がした。
「はやく来なさいよ」
呆れた声が降る。ネルネの目の前にはドン引き顔のルルフィアが立っていた。扉が開いたのに全然入ってこない何某かを見に来たらしい。ネルネが立ち上がる頃には部屋の中へと戻っていってしまった。
改めて。
「ようこそ。あんたがあたしと遊んでくれるの?」
「そう! 遊ぼうか」
直前まで悲痛な顔をしていた者と同一人物とは思えないような勇ましい表情をしたネルネは機嫌のいいヴィヴィアンを一撫でした。
天井が高い氷の城は、ルルフィアだけに利点があるわけではない。空に飛び立つ手段を持つネルネにとっても都合の良いフィールドだ。この広さも味方している。移動せずに詠唱しなければならないウィザード・フレイムの隙をいかにフォローするかが今回のポイントだ。
言葉に応じたネルネの目の前で、ルルフィアは不敵な笑みを見せると両手に雷を纏わせた。同時に触手が湧いて出る。
「う~ん、あからさまに痺れそうな拳」
ひょいとヴィヴィアンに飛び乗ると宙へと旅立つ。接近戦は不利だ。一気に天井近くまで飛び立つと既にそれなりの距離が出来ていた。お散歩で手慣れたものだ。滞空する頃にはいつの間にかマヒスールがセット済みのモルガンを手にしている。
「でも、僕も負けてないよ。麻痺させるのは得意なんだよねぇ」
ルルフィアの体が徐々に大きく見える。魔女がネルネを捉え猛スピードで追随してきているのだ。
いち。
魔法弾が放たれた。いつものようにフローラがサポートに入る。
に。
ルルフィアがスールを手で弾いた。僅かに減速するが、勢いを全ては殺しきれずに再び加速する。だが、これだけでいいのだ。
さん。
「フレミーちゃん、焼き払って!」
ネルネの声に応えるように炎が灯る。部屋に足を踏み入れた時に蝋燭が点き始めたような光景だが、その熱量はけた違いだ。明かりの為の火ではなく、攻撃するための火なのだから。
そこからはあまりにも一方的な遊びになった。ウィザード・フレイムで要塞化した天空域に存在するネルネの元に辿り着けなかった瞬間から勝負は決まっていたのだ。あの、たった3秒が勝敗を分けた。
満足そうな表情をしたルルフィアが消えていくのを見ながら、ネルネの興味は視界の端に映るものに移動していく。
「……僕ね、今回わかった事があるんだ」
フローラが不思議そうにしている。
「まず挑戦してみるのが大事なんだって」
焦げた触手は、外側の苦みを除けば、かなり食べ応えがあってぷりぷりの身がクセになったとか。