ショコラに怪異をひとつまみ
●
そのパティシエは、抑えられない思いと共にボールのチョコを生クリームと混ぜていた。
「彼女」はこの昏い世界の中で笑っていた。
その明るすぎる笑顔は、どこか不自然でもあり、けれども天使のようでもあり、パティシエの彼の気持ちを掴んで離さない。
「(このチョコレートを作って……)」
上質な生クリームと上質なチョコレート。ラム酒を一滴、香り付けに。
「(この至高のチョコレートで彼女に告白を……!)」
――けれども、彼は気づいていない。その「彼女」はいわゆる「人間災厄」であることに。
●
「くばりふのこ、って知ってる?」
星詠みの春日・陽菜(h00131)はそう聞いてから、咳払いをして「クヴァリフの仔」と言い直した。ちょっぴり舌が回らない。
多くの事件を解決してきた√能力者なら会ったこともあることがいる者もいるかもしれない。仔産みの女神「クヴァリフの仔」。その「クヴァリフの仔」が、狂信者たちに己の「仔」を召喚する手法を授けているという。
「仔」はぶよぶよとした触手状の生き物で、それ自体はさほど戦闘力を持たないが、他の怪異や√能力者と融合することで、宿主の戦闘力を大きく上昇させるらしい。
「でね、皆様には狂信者たちのアジトに乗り込んで、『くばりふのこ』が増えるのを止めて、かつ、『くばりふのこ』を生け捕りにしてほしいのだけど……」
やっぱり舌が回らないけれども、置いておいて。
生け捕りにするのは、この「クヴァリフの仔」から、人類の延命に利用可能な|新物質《ニューパワー》を得られる可能性が大きいからだ。
「星詠みしたんだけど、アジト、全然わからないのね。でも、アジトにつながる場所はわかったのよ」
陽菜はえっへんと胸を張った。
「チョコレート屋さんなの」
さすがにこの時期、「チョコレート」という単語はざわつく。
「ショコラティエさんがね、『くばりふのこ』と融合する怪異に一目惚れしちゃって」
え? って顔を聞いている皆がしたが、陽菜は気づかない。
「その怪異にスペシャルショコラをプレゼントしようと、頑張ってるのね。皆様にはそのチョコレート屋さんに行って、チョコ食べて、余ったチョコも食べて、代わりにチョコをプレゼントしてあげるって騙して、待ち合わせ場所を聞き出してほしいの」
うまく騙せれば、待ち合わせ場所を聞き出せるだろう。騙せなければ、アジトを守っている怪異に力付くで聞くしかない。
そして、その時間が早ければ早いほど、ショコラティエが一目惚れ?した怪異に会える可能性は高くなる。陽菜はそう自信たっぷりに言った。
「一目惚れ怪異も『くばりふのこ』を狙ってるのね。だからやっつけて、生きたまま『くばりふのこ』を奪ってほしいの。残念ながら一目惚れ怪異じゃなかったときは、怪異がわらわらいるからぼこぼこにして、やっぱり生きたまま『くばりふのこ』を回収してほしいのね」
ぶよぶよの生け捕り。チョコレートの後には少し辛い依頼になるかもしれないが、それはそれ。
「いっぱいチョコレート食べてきてほしいのよ」
よろしくお願いします、と陽菜は頭を下げた。
第1章 冒険 『チョコで固めた愛情』

「(生け捕り、でしたか)」
九段坂・いずも(酒々楽々・h04626)は依頼を思い出して、残念そうな表情になる。綺麗な金の瞳が少しだけ曇った。
「(本当であればチョコレートよりも『クヴァリフの仔』のお味を確かめたいところですが、お仕事ですもの、我慢我慢……ですね)」
|同族《かいい》の肉を喰らってきたいずも。やはり、ゼリー状の『仔』の味は確かめたいところだが、仕方がない。
指定されたチョコレート屋に着いたのは、いずもが最初だった。√能力|くだんの件ですが《コール・オール・ユー》が発動する。見えるのは少し先の未来。
件のショコラティエが午前中と思われる空の下、包んだチョコレートを持って店を出ていく。日付にして――明日、だろうか。ぎりぎりだ。
だが、日時ははっきりした。あとは……。
いずもが作戦を練り始めたとき、そのショコラティエが店先に出てきた。少しだけ憂いをたたえた青年だ。
「いらっしゃいませ。よろしければチョコレートの試食をどうぞ」
「試食? ありがとうございます」
これを活かさない手はない。チョコレートを探しに来た女性のように、何気なくいずもはチョコレートをつまみ、口に運ぶ。その仕草は端から見ていてとても上品だ。
チョコレートは口の中でほろっと溶けていく。甘さもちょうどいい。
「……まあ美味しい! 表面のコーティングが絶妙です」
「ありがとうございます」
ショコラティエが礼を言うのに合わせ、いずもは「実は」と口を開く。
「わたくし……女の子がこの時期にちょうど集まる、古い占い師の家の出でして」
嘘ではない。昔、いずもはそうだったのだから、部分的には真実だ。
「ここの美味しいチョコレートをぜひ故郷の京都へも」
「京都?」
「ええ、遠方で恐縮ですが、ぜひ出張して下さいませんか?」
「出張……」
ショコラティエは言い淀む。いい人ではあるのだろう。前向きに検討してくれているのが伝わってくる。もう一押しだ。
「実は、近々予定がありまして……」
「予定がある? わたくしにできることなら何でもしましょう」
いずもが柔らかく微笑むと、ショコラティエはいずもの言葉に負けたようだ。
「では、このチョコレートを……京都なら日帰りもできるか……いや……」
チョコレートを渡し、場所も教えてくれたが、このままだとこのショコラティエ、京都から日帰りの強行出張をしそうだ。
「(もう一押し欲しいですわね)」
いずもも悩むように金の目を伏せた。
「プロが作ったチョコレートが食べ放題だってー!」
「プロのチョコレートが食べ放題? それは行かなくちゃ!」
というわけで、意気込んでやってきたのは彩音レント(響奏絢爛・h00166)と夢咲紫雨(dreaming・h00793)のレゾナンスディーヴァペア。歌うこと、奏でることは二人とも大好き。でもチョコレートも大好き!
「でもバレンタイン前に男一人、お店のチョコ爆食いとか寂しすぎか!って思われるからさー……君が一緒に来てくれて僕のプライドは保たれました、なんてね」
茶目っ気たっぷりにウィンクするレントに紫雨はくすくすと笑う。
「それに紫雨ちゃんチョコ好きそうな顔してたし! 誘って正解だったかな?」
「えへへ。チョコ好きそうなの、顔に出てましたか? 大好きなので誘ってもらえて嬉しいです!」
レントの言葉を、紫雨はもちろん否定などしない。だって、ショコラティエの作るチョコレート。体験したこともない美味しさがきっと待っている。
「二人でいろんなチョコレート、食べちゃいましょう!」
物憂げな道にある、可愛い外観のお店。二人はえいえいおー!と掛け声をかけながら入店する。
お店に入ると、独特の甘い香り。ウィンドウに並ぶいくつものチョコや箱にお行儀よく入れられたチョコ。そして勿論、食べ放題用に取りやすいようにと、ショーウィンドウの上には幾つものチョコレートが並んでいる。
どれも金粉がはらはら散らしてあったり、コーティングがきらきらしていたり、よく見るチョコレートとは佇まいが違う。レントと紫雨は並んでいるチョコレートを見て、まずはきょろきょろ。
「わあ! おしゃれなチョコがたくさん!」
紫雨が明るい声を出せば、レントも目をきらきらさせる。
「普段はあまり食べないオシャレで高級なチョコがいっぱい。どれが好き? 僕はトリュフかな?」
くるんと丸いトリュフはミルクチョコにビターチョコで彩りが施されていたり、ホワイトチョコにルビーチョコでマーブル模様が描かれていたり。見た目も綺麗だし、美味しそう。
うーん、と紫雨は考えてから別の一角を指差す。
「どれも美味しそうだけど、生チョコが気になります」
生チョコはまるでレンガの石畳のように綺麗に四角に切られていて、ココアパウダーがふられている。確かにこちらも美味しそう。「そっちも美味しそう!」とレントも頷いてから、二人で目で合図。
食べちゃう? 食べちゃいましょうか?
お店の人も「どうぞ」とばかりに笑顔だ。それでは早速気になるチョコレートから。
レントはトリュフを手にとって、紫雨はスティックをもらって生チョコを。
「「いただきます」」
丁寧にご挨拶をしてからそうっと口の中へ。
繊細なチョコレートの味が二人の口の中で広がっていく。二人とも目がきらきら。笑顔もあふれる。
「美味しいね」
「美味しいです。トリュフも食べてみたいな」
「うんうん。じゃあ僕は生チョコ」
お互いのお勧めを食べ合って、その後はゆっくり味わいながら美味しいチョコを一つずつ。
途中、店員さんが紅茶を持ってきてくれたので、それを飲みながら食べるチョコレートも乙なもの。
「そういえばここのショコラティエさん、好きな人に告白するために作ってるんだって」
レントがトリュフを食べながら言うと、紫雨は食べていた別のトリュフをまじまじと見た。
「……好きなひとに作ってるんですか? こんなに美味しいチョコもらえたら嬉しいだろうなあ」
紫雨は「嬉しい」ということはわかる。でも「好きな人」という感覚はまだわからない。食べながら考えるけれども、ぴったりする感情が見つからない。
「紫雨ちゃんはチョコあげたい人とかいないのー? お兄さんはチョコも好きだけど人の色恋話も大好きなのだよー!」
相変わらず茶目っ気たっぷりにレントが言えば、紫雨もくすくすと笑いながら、もう一度考えて。
「わたしですか? ううん……いまは友達とお世話になってる人たちくらいで、好きな人はいないかな」
やっぱり「好き」という特別は、まだわからない。
だから、今はこうしてレントと楽しくチョコレートを食べる時間がとても楽しくて。
でも。
「(好きな人がいるバレンタインは、もっと特別な日になるのかな)」
それはもっとチョコレートをどきどきと食べる日になるのだろうか。考えながらチョコレートを食べる紫雨を優しく眺めながらレントは紅茶を一口。
「(そういう君もすぐ大人になっていくんだろうなあ……)」
エルフのレントにとっては人の成長など一瞬のこと。それは眺める側としては微笑ましくもあり、どこか切なさもあり。
「……チョコ、美味しいね」
「はい!」
でも、今は甘いこの一瞬を、一緒に過ごそう。
二代目海石榴屋・侘助(胡乱な紙芝居屋さん・h01536)はキャスケットを目深に被ってチョコレート屋さんの前にいた。
「(ウーム)」
腕組みをしてちらりと店内を覗く。
「(時節柄と言えばそうなんでしょうけども、情念の薫りがたっぷり焚きしめられてございやすねェ……)」
何と言っても「情念」の類は妖怪の好むもの。
「(悪ゥい妖怪にとっちゃア良い餌食ですよこいつァ)」
この「情念」がきっと、悲劇を呼ぶ。そう考えた侘助は少しだけ腕組みを続けて。
「(……フム。此度はそういう趣向で参りやしょうかね)」
作戦を決めれば、チョコレート屋さんへいざ入店。
「いらっしゃいませ」
すると、おそらく問題のショコラティエと思われる男性がにこやかに侘助を迎えてくれた。情念の香りが微かにする。
「アー、エヘン」
チョコレートよりはかりんとう。そんな侘助にとってはあまり得意な場所ではないが、キャスケットを少し直して笑顔を作る。
「そこなオニイサン、アンタ様、さぞや腕の良いチョコレート職人サンでございやしょう?」
「いえいえ、そんな」
男性は恥ずかしそうに手をぱたぱたと振るが、否定はしない。まずは侘助から会話のきっかけを作らねば。
「一つ味見に分けちゃあくださいやせんか」
「勿論です。どうぞ」
自分のチョコレートを食べてもらうのが嬉しいのだろう、男性は気軽に味見と言って数個のチョコレートを侘助に差し出した。ひとつ摘んでみる。よい香りがするチョコレートだ。味もとろけるような甘さだが、けして甘すぎることはない。
「嗚呼、うん、ナルホドナルホド。やっぱりいいお味だ」
それは真実だから出た言葉。侘助は目を細めて微笑む。
「腕も素材も然る事ながらたっぷり気持ちがこもらにゃアこのお味は出せやせんよ」
そして、一気に本題へと踏み込む。男性は少し恥ずかしそうに笑う。どうやら、警戒はされていないようだ。
「そんなことはないですよ」
謙遜するショコラティエに、侘助は一歩近づき、声を潜める。
「そこでひとつお教えしときたいンでございやすがね、なにしろこんな季節でございやす。なんでも人か化生か定かじゃないが、味と気持ちがこもったチョコレートを脅し取ろうってェ不逞の輩が出るそうで」
怖いですね、という気配をたっぷり言葉に乗せて。何しろ、侘助が紙芝居を演じたら右に出る者はいない。言葉には真実味が宿る――いや、情念に惹かれるのは、人も化生も。事実なのだ。
ごくり、とショコラティエは息を飲んだ。
「こんなに美味しいニイサンのチョコがその憂き目に遭うなンざァ忍びない」
そこへひとつまみの優しさを振りかければ、ショコラティエの気持ちも揺さぶられる。
「どうしたら……」
「どうです、此処は一つお預け下さいやせんか。大事に大事にお届けいたしやすンでね」
「預ける……」
先にチョコレートを預けた人物のことを考えているのか、少し男性は迷うように視線を巡らせた。
「何かあったときのサブのチョコレートは此処にあるのですが……ですが……」
やはり自分の手で渡したい気持ちは残るのだろう。綺麗にラッピングされたチョコレートを取り出しながら、男性はなかなか侘助に渡そうとはしない。
「(これは仕方がないかねェ)」
そうしたら最後の手段だ。首元の煙を払うように何気なく侘助は手を首に手をあてた。
「(紫煙入道、頼んだよ)」
するりと膨らむのは煙に扮していた死霊の紫煙入道。むくむくと大きくなれば、さすがにその化生の気配はショコラティエにもわかるようで。
「ひっ……」
紫煙入道は手のようなものを作り出すと手でチョコレートを招く。
それはまるで置いてけ堀のように、「チョコレート置いていけー」みたいな仕草で。
「こ、これもお願いいたします、ひいいいっ!」
ショコラティエはチョコレートを置いて、店の奥に逃げ込んでしまった。
これだけ脅かしておけば、自分で届けるとはもう言わないだろう。
「少し悪いことしちまったかねェ」
しゅるしゅると戻っていく紫煙入道を見ながら、侘助は肩をすくめるのだった。
第2章 冒険 『怪異飯店、繁盛中』

ショコラティエから預かったチョコレートを持って、彼に教えてもらった「待ち合わせ場所」へと向かう√能力者たち。
言われた場所に着くと、皆が首を傾げた。下町っぽい中華屋さんだ。あまり、チョコレートをあげる雰囲気の場所ではない。
とは言え、中に入らなければ件の「想い人」にも会えないだろう。
勢いよく中へと入ると、いかにも中華屋の店主という丸い体型の男性がにやりと笑った。
「いらっしゃい、アルヨー」
これは怪しい。この令和の時代に中華っぽく「アルヨー」なんて語尾につけるなんて、只人ではなさそうだ。
√能力者は店内を見渡すが「想い人」と思われる人はいない。否、お客さんは誰もいない。店主がもみ手をしながら近づいてくる。
「さては、あのチョコ屋の兄さんの手の者アルナ? 例のお嬢ちゃんは此処にはいないアルヨ」
身構える√能力者たち。だが、店主はにやにやした笑みを崩さない。
「わしは情報屋アルヨ。だけど、情報は高いアル。そうだね、ざっと……」
いえ、そんな東京中のタワーマンションを買い占めるような金額出せませんから!
「ならば……」
店主はどん、と丼を出してきた。チャーハン、ラーメン、餃子。いわゆるラーメン定食みたいな感じだ。
異様なのは、その定食、ぐにょっとしたものが乗ってたり、どろんとしたものが乗ってたり、いや、この餃子の上にあるのは目ですよね!?
「この怪異肉料理を食べきってみせるアルヨ。わしは、これで苦しむ人を見るのが趣味なのでアル!」
美味しいチョコレートの後に怪異肉中華フルコース。
これは舌を試される戦いになりそうだ――。
さて、どうしようかという雰囲気が漂う中、ひょこりと顔を覗かせたのは、黒の仮面をつけた男性――緇・カナト(hellhound・h02325)。中華店の中をぐるりと見渡して明らかにがっかりしたように肩を落とし、ため息までついてみせる。
「普通にチョコ食べ放題より面白そうだったからと中華屋を覗いては見たけれど……」
そして、店主を仮面の向こうで見て。
「なぁんだ腕利きの店主でもなくて、しがない唯の情報屋かァ」
「な、なんと言ったアルネ……!?」
店主はまさか自分に火の粉が降ってくるとは思っていなかったのだろう、明らかに狼狽してカナトを見る。カナトはそれを見て、店主へとにじり寄った。体格差もあって、カナトは店主を見下ろす感じで言葉を続ける。
「お客さん苦しむ顔を見たいなんて、料理人の風上にも置けない自覚あるゥ?」
「ぐ」
「料理は愛情って言葉は知ってるー?」
次から次へと煽る。煽る。煽る。店主の顔がだんだん真っ赤になっていくが、それを見るカナトは逆に冷静だ。
「怪異肉を丸ごと出すにしても盛り方を拘るくらいもしないなんて、中華屋の看板出すのヤメちゃえばー?」
「ぐ、こ、この黙って聞いていれば、アルヨ……!」
店主、図星をつかれて逆上中。
「食べられないからって、文句を言うのはやめるアルよ! さあ、食え!」
「え? この冷えた料理を食べさせるつもりなのー? まさかねー」
カナト、にやにや。店主はかろうじて机をひっくり返すのをやめ、「少し待つアル!」と言ってお皿を引っ込めた。
「(ダメ出しで苛めるのはこの辺で〜)」
奥でチャーハンを炒める音を聞きながら、カナトは席に座って頬杖をつく。
「(出される料理はキチンと片付けないとねぇ)」
だが、それすらカナトにとってはお手の物。
やがて、ふわふわの湯気が立ったチャーハンにラーメン、そして目玉付き餃子が並べられた。
「怪異肉を倍入れてやったアルヨ! さあ……」
「いただきます」
きちんと挨拶をしてからカナトはレンゲを取り、チャーハンをぱくり。
「なんだ、意外と香ばしいじゃないか」
「え?」
店主、目をぱちくり。カナトはレンゲを動かす手を止めない。
方法は2つあった。
「(料理を無くして見せるだけで良いなら影業Luckも使ってバリバリ削っていけるけど、食べてるところが見たいんだっけネ)」
そうなのだ、「食べている」ところが問題で。
「(ご愁傷様〜。底無しの胃袋には怪異肉も味も大差はなくって)」
カナトは常に飢餓感に苛まされているゆえ、なんでも食べられてしまう。ただ、まあ、甘いものは苦手なのだけれども。
店主が呆然としている間にチャーハンは消え、ラーメンも消え……。
「うーん、ラーメンはもうちょっと出汁を考えたほうがいいかも~? 餃子はこの皮のパリパリ感はいいねェ」
食レポもしっかりこなしてから、大変残念そうに言った。
「どうせなら見た目おいしそうな中華フルコース食べたかったなぁ」
エビチリとか酢豚とか北京ダックとか。街の情報屋でしかない店主、完敗。
さて、次に現れたのは黒の髪に金の瞳の美女、九段坂・いずも(洒々落々・h04626)。上品な外見はとても町中華とは似合わず、情報屋の店主も思わず見惚れてしまうほど。
すらりとした脚をヒールで包んで、店の椅子に座れば、そこだけ華が咲いたようにも見える。
だが、と店主は考える。ここは怪異肉の中華屋。美女が苦しむ姿は店主のご褒美だ。
熱々のラーメン、チャーハン、目玉乗せ餃子をいずもの前に並べると、店主はご褒美のときを待った。
いずもはふわりと微笑むと、割り箸を手にとり、丁寧に割る。
「ラーチャー怪異定食、いただきます」
その声色はまるで、普通の食事のときと同じ。ラーメンを啜る姿も上品で様になっている。一口、つるりと飲み込むといずもはにっこりと微笑んだ。
「んんん、怪異によくある微妙な食感。慣れると癖になるんですよね」
「え」
さすがに店主は目を丸くする。いずもは続いて、二口、三口。
「(怪異料理が罰ゲームのように扱われている昨今ですけれども、わたくしからしたら仕事中に怪異を頂けるなんてご褒美です)」
そうなのだ、風潮とは別の「食事」がある。いずもにとってはチョコレートは嗜好品、怪異料理は生きるための「食事」。
「(ありがたく、気合いを入れていただくとしましょうか)」
というわけで、いずもは大変幸せそうに怪異中華を食べる。
「こちらのチャーシューも怪異肉を煮込んだものでして?」
「え、あ、そ、そうでアル……」
「このちょっと歯ごたえのあるのが怪異肉っぽくていいですわ。調理の仕方をよくご存知でいらっしゃる」
「え、いや、あの」
まさか褒められる(しかもこんな美女に怪異料理を!)とは思っていなかった店主、赤くなったり青くなったり。
「時々ぴりっとくるのは怪異の毒ですわね、この舌への刺激もたまりません」
ラーメンを啜り、チャーハンを口に運び。
「食感さえ抜きにすれば、出汁や手間暇がかかった料理ばかりですので、とてもいけますわ、美味しい」
「え」
微笑みながら食べるいずもに、逆にうろたえる店主。
だが、怪異の目玉乗せ餃子を取ろうとして一瞬箸が止まる。店主、俄然嬉しくなっちゃう。
「さ、さすがにあんたほどの美女が怪異の目玉は無理だろう、さあ……」
「まあ、気にならないわけではありませんが」
いずもは目玉を乗せたまま餃子をつるりぱくり。
「(古妖の腕を喰らったりしているわたくしにとっては些細なこと)」
店主、さすがに負けを覚悟する。いずもは口元を丁寧に拭きながら、にっこり。
「(わたくしがこの仕事をお引き請けしたのが運の尽き、でしたね?)」
無造作に置かれた水は普通の水。口直しをしていずもは空になったお皿を眺める。
そう、生きることは喰らうこと。生きることも食べることも、覚悟と信念がいる。
いずもは口をぽかんと開けたまま言葉を続けられない店主を見て、艶っぽく微笑んだ。
「という訳で、ご馳走さまでした」
両手をあわせ、一礼。見ていて爽快感すらある食事っぷりだった。
「ハハァ、アタシのお料理いただく顔にゃアそンだけの価値があると」
大変ポジティブに声を発するのは二代目海石榴屋・侘助(胡乱な紙芝居屋さん・h01536)だ。なにせ、苦しむ顔と情報が等価だと言うのならば、店主にとってはそれだけ嬉しい?ことなのだろう。
「こいつァご店主もお目が高い。そンじゃア一つ、喫煙席でよろしくお願いいたしやすよ」
「へいへい、任せるアルヨー」
席に侘助を案内すると、ほかほかの中華を用意しに奥へ戻る店主。侘助は香炉煙管を指で遊びながら、さて、と考える。
「(とはいえ、アタシの苦しむ顔が見てェってことァ紫煙入道にマズいとこ任せて仕舞いッてェわけにもまいりやせんか)」
紫煙入道、「えっ」て顔をするけど、たぶん死霊さんなら怪異肉くらいは普通に食べられると思う。だが、条件は「侘助が苦しむ顔」なのだ。
つまり、侘助が食べなければいけない。これは覚悟がいる。
「(……肚ァ括りやすかね)」
侘助が煙管をしまうと、うきうきと店主が中華一式を持って来た。チャーハン、ラーメン、目玉乗せ餃子。匂いはいい感じだ。香ばしい。でも、中身は怪異なわけで。
「おまたせアルヨー!」
声も弾んでいる店主。侘助は一度息を吸って吐いて。そうしてチョチョンを拍子木を打った。
「サァテご店主、篤とご刮目くださいませ。不肖、二代目海石榴屋、頂戴させていただきやす!」
そうしてパン、と手をあわせて「いただきます」と宣言。怪訝そうな顔の店主には少しだけ笑顔を見せた。大丈夫、演技は慣れている。
「……アア、先刻の拍子木は『いただきます』の手を合わせるみてぇなモンでございやすからどうぞお構いなく」
言って、パチン、と大きな音で割り箸を割る。
「(サテ、破魔の拍子木鳴らしやしたンで致命傷にゃアなりやせんでしょ)」
拍子木は椿の木でできた、魔を破る縁起のいいものだ。こうしておけば、食べていきなり息を引き取るようなことにはなるまい。お腹は壊すかもだが。
震える手を隠すようにして割り箸でラーメンを啜る。
「はむ、んぐんぐ」
店主さん、もう大喜びで侘助の様子を見ている。
「(はて、なンでラーメンなのに、つるっとした喉越しがないンでしょ)」
なんだか麺がぐにゃぐにゃしてる。先が大変に不安だ。
「こいつァ……ウウム、どろりとして、ねちょりとした……」
「そうでしょう、そうでしょうアルネ!」
店主は揉み手までして喜んでる。侘助の姿は店主には大変なご褒美となったようだ。
第3章 ボス戦 『人間災厄『善意の死滅天使』高天原・あがり』

中華屋、否、情報屋の店主にパティシエの片思いの怪異?の場所は聞くことはできた。
薄暗い路地の奥、小さな空き家があり、そこから灯りが漏れている。狂信者たちの熱狂の声と、明るい少女の声。
「私は『仔』を手に入れたよ! みんなのおかげ、ありがとう!」
覗き込むと、満面の笑顔の少女がいた。確かにこの明るさは√汎神解剖機関では珍しいだろう。惹かれるのもわかるような気がする。
だが、周囲には狂信者。笑顔の少女は「人間災厄」。それも人に害を与えるタイプのだ。
「此処に、チョコレートを持って私をお祝いしてくれる人が来るんだ。その人に幸せな最期をあげて、そうして私は『仔』とひとつになるね」
ショコラティエの命は助かったようだが、この怪異と『クヴァリフの仔』が一つになるのは避けなければならない。√能力者たちは身構えると、狂信者の一人が「邪魔者だ」と叫ぶのは同時だった。
狂信者はいい、少女、高天原・あがりを消して「仔」を回収しなければ――!
「(あのショコラティエさんの話、少し気になって来てはみたけど……)」
彩音・レント(響奏絢爛・h00166)は少し前を思い出す。
美味しいチョコレートを可愛いお友達と一緒に食べて。それをにこにこして見ていたショコラティエ。彼が危ないということは星読みから聞いていただけに、やはり気にならないわけはなく、お友達を安全な場所まで送ってから戻ってきた。
そんな優しいレントが見た光景が、狂信者たちの中心で笑顔で『クヴァリフの仔』を掲げ持つ少女、高天原・あがり。
「(生け捕りにしろって言われた『くばりふのこ』ってアレ? うわぁ…気持ち悪ぅー)」
どろんとしたゼリー状のなんというか例えようのない、怪異。いや、例えられないから怪異なのかもしれないが。
「(なんか良いこと言ってる風な敵さんだけど、あの悪巧みは阻止しないとヤバいね)」
そうして、レントは中へ一歩踏み込む。
騒ぎ出す狂信者たち。だが、これは敵ではない。敵はあくまでも、クヴァリフの仔を持つ怪異、あがり。
「何しに来たのかな! 私が待っているのは美味しいチョコレートと素敵な彼なんだけれども」
その言葉はどことなくデートを邪魔されて怒る少女のようにも思えるけれども。
「彼に幸せな最期をあげて、私はクヴァリフの仔とひとつになるんだ。邪魔なんてさせない!」
やっぱり考えていることはレントとは相容れない。
「君の言う幸せはただの押し売りじゃない?」
レントは穏やかに一言。あがりは、カチンと来たのだろう。
「幸せな最期を|邪魔《けが》すなんて――」
飛来する光輪。それを指先ひとつでレントへと投げる。レントは、それをダンスのようなステップで避けると|ff《フォルテシモ》を引き抜いた。
「僕の武器は意外と言われるけど|こいつ《精霊銃》なんだよねー。君の飛び道具と勝負だね!」
レゾナンスディーヴァでもあるレントだけに弾丸にも「音色」を込める。込めたのは風の音だ。レントらしい、柔らかな風の音は春を感じさせる。だが、それでも風は風。あがりの皮膚を切り裂き、あがりは一歩後退る。
「邪魔しないでほしいな!」
あがりが再び光輪を投げた。レントは今度は風の弾丸でそれを弾き、相殺させる。
「君は、あのショコラティエさんに『幸せ』を聞いたのかな?」
尋ねながら、レントが発動する√能力は「|色彩《キミガ・エガイタ・セカイ》」。レントの唇が歌詞を紡ぐ。
――どんなに苦しくても 僕は僕であることを やめたくない
「聞かなくたって、わかるんだ。死こそ一番の幸せ。だって生きることは苦しいことだから!」
あがりの攻撃は再びレントの弾丸に弾かれる。レントの周囲はひとつのライブ空間となり、その中ではレントの攻撃は必中だ。
「僕の友人はどんなに苦しくても最後まで生きることを選んだよ」
この曲は、その友人から未来へと託されたメロディ。だからこそ。
レントは必中となった風の弾丸を乱れ撃つ。あがりは為すすべもなく、その弾丸を浴びるしかない。
「幸せかどうか決めるのは他人じゃなく、僕自身でありたいよ」
レントは友人を思い出しながら、はっきりと言う。あがりは反論できない。ぼろぼろの体で睨みつけるだけだ。
「(チョコと御祝いのお返しが幸せな最期かぁ……)」
思わず遠い目になってしまうのは緇・カナト(hellhound・h02325)。
「(一応は感謝を贈り合う日って話なんだから、未来あるやり取りが叶えば良かったのだろうけれど)」
あまりチョコレートとは縁がないほうではあるのだが、そのくらいのことはカナトにだってわかるわけで。だが、怪異であるあがりの考え方にはどう聞いても「未来」はない。
「(まぁ仕方の無いことは放っておいて、クヴァリフの仔を回収お仕事ガンバロ〜)」
ダメージを負っているあがりの死角でカナトはひらりと灰狐狼の毛皮を纏った。身を低くすれば、まるでそれは狼の姿のようで。
「変生せよ、変生せよ」
√能力「|狂人狼《ヴールヴヘジン》」。タッと床を蹴り、走る。手には三叉戟トリアイナ。あがりが気づいたときには遅い。光輪を投げる間もなく、カナトの三叉戟が一撃。紅が散った。
「さっきから私の邪魔ばかりして! 何なの!」
「……そも幸せな最期って何様だ?って話なんだよな」
カナトは独りごちるように言う。その声は低く響く。
「結末がハッピーだったかは当事者の感じるコト。外野がゴタゴタ抜かすなよなァ」
「そんなことないよ! 死以外の幸せなんて……」
投げられた光輪を三叉戟で余裕で弾いて。くるりと三叉戟を回すと、その勢いであがりを突く。げほっと咳き込みながら後退るあがりを、カナトは逃さない。今度は鋭く貫いた。
「(自分に酔ってる盲目なヤツが本当キライで。許せないって、つまりは都合のいい
オママゴト邪魔されたからなダケだろうに)」
冷えた目であがりを見るのは、カナトにしっかりした意思と考え方があるから。
カナトは、いつだって冷静で、周囲を見る目を持っている。だからこそ、自己陶酔する者が許せないし、嫌いだ。
「(子どもか?)」
ちらりとあがりを見て、カナトは大きくため息をついた。
「……子どもだったわ」
「な、なに! 今のため息! 私だって……」
もう、何を話してもこういう輩は平行線だろう。キライな理由もそのあたりにある。
「御目当てのモノは渡してやらな〜い」
カナトは預かってきたチョコレートの箱を指で遊んで、遠くへ投げ捨てた。
「私のチョコ!」
残念。チョコレートの箱は箱の影から出てきたもふもふのわんこが回収していきます。美味しく食べられてしまうことでしょう。
「もっと周囲に目を向けられるオトナになってから出直して来るんだなァ」
三叉戟の一撃はあがりの肩のあたりを貫くが、彼女はまだ、クヴァリフの仔を必死になって握っていた。
ところで。
時間は少し遡って、曰く付きの中華料理店にて。
最後に料理店を出ようとした九段坂・いずも(洒々落々・h04626)は「アイヤー」とか言って店主に呼び止められた。
「そこの美人なお姉さん、わしはお姉さんの食べっぷりに感服したアルヨー」
にこにこする店主。いずもも別に無視する理由もなく、艷やかな笑みで「ありがとうございます」と返す。
「そこで相談アルネ」
ちょっと小声になる店主。
「なんでしょう?」
「帰ってきたら是非、また寄ってほしいアルヨ。ほかほかの中華、ご馳走するアル」
「まぁ」
町中華としてはそれなりの味のお店である。今はさすがにお腹がいっぱいではあるが、一働きしてくればそれもこなれるだろう。
他の人には声をかけないのかしら、と少し心配もしたが、店主はこう言っている、「美人なお姉さん」と。断る理由はない。
「ええ、また寄らせていただきますわ」
だからいずもはとびきりの笑顔で答えたのだった。その笑顔の美しさに店主はくらくらしていた。
そんないずもが、今、クヴァリフの仔を見ても揺らぐはずはない。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる、いかにも「お子様」なあがりを見ながら、いずもは背中にある太刀を確認する。
「(怪異、怪異と聞いてやってきましたが人間災厄の方でしたか)」
ふむ、と考えるが、いずもは太刀の柄を握った。
「(実際にお見かけするのは初めてですが、人間災厄も|怪異《・・》なのか、確かめてみましょうね)」
太刀を慣れた手つきで引き抜く。妖しく刀身が光る。
大太刀――山丹正宗。それは妖しく、異なるものを斬り落とす大太刀。怪異に触れれば、その部分を必ず斬り落とす、妖刀。
山丹正宗で切れれば、あがりは「怪異」だ。そうでなくても「クヴァリフの仔」はまぎれもない怪異。
あがりがこちらに気づいた瞬間には、いずもは床を蹴っていた。ぐん、とスピード上げて√能力「|九段坂下り《コール・オール・ゼム》」を発動。
「仕方ありませんよね?」
うっすらと微笑みかけるいずも。
「だって、わたくしに会ってしまったんですもの」
身を低くして、下から上へ、クヴァリフの仔を持つあがりの右腕を切り上げる……否、斬り落とす。
真紅が散った。あがりの悲鳴が響き渡る。
「まぁ、貴女も立派な怪異でしたのね」
いずもがゆっくりと腰をかがめてクヴァリフの仔を持ったままの腕を拾い上げれば、あがりはふらふらといずもに近づく。
「苦しみが好きな人なんて居るはずないのに! あなたは……!」
「ええ、そうですわね。さすが、善意の天使さまだわ。こんなところで逢えるとは」
あがりは深呼吸をしてからいずもを麻痺させようとするが、いずもの言葉に動きを止めた。
「清く正しく美しく、素晴らしいことですがごめんなさい」
「ご、ごめんなさい……?」
「わたくしは清くも正しくもない――ちょっぴり美しいだけの女なので」
場が一瞬凍りついた。いずもだけがにっこり、微笑んでる。
たぶん、その場にいたあがり以外の人間は「それは言っちゃいけない」と思っているだろう。本物の美人さんが美人って言ったら、返す言葉はないのだ。
だから、といずもは続けた。
「『クヴァリフの仔』、返していただけますか?」
あがりの腕を抱きしめて「クヴァリフの仔」を回収したいずもは、本当に綺麗で。
あがりがふるふると震える。
切断された腕を食べれば、いずもの負傷は回復するが、そもそもほぼ無傷だ。帰れば美味しい町中華も待っている。
「(いただくのはやめておきましょう)」
ヒールをコツリ。黒い髪を翻してあがりに背を向ける。
「よくも、私を馬鹿にして……!」
後ろからあがりが悲鳴のように叫ぶ。だが、いずもはもうあがりに興味はない。
あとは、このクヴァリフの仔を届ければいいだけ。
ごく自然に狂信者たちがいずもの道を開く。完璧な勝利だった。
クヴァリフの仔は無事回収された。
あとは頑是ない子どものように喚く、腕を失ったあがりだけ。
それをまるで落ち着かせるように、二代目海石榴屋・侘助(胡乱な紙芝居屋さん・h01536)は少し身を屈めて近づいた。
「ヤ、ドーモすいやせんね、待ち人来たらず、でございやすよ」
泣いていたのだろう、真っ赤な目をしたあがりは口をへの字に曲げて侘助を見る。
「代わりと言っちゃアなんですけども、こちらにアンタ様宛てのチョコレートはお預かりしてございやす」
侘助は懐に入れていたチョコレートを取り出した。ちょっと溶けてるかもしれないが、それは勘弁、というところだ。
「こンだけ大事に大事に、アンタ様を想って作り、包んでくだすったチョコレート、ご返礼がありゃお伝えいたしやすけども……サテ如何で?」
あがりはチョコレートをじっと見てから、ぶんぶんと首を横に振った。
「あの人を連れてきて! 私はお礼にあの人を生きる苦しみから救ってあげたい! こんな……こんな苦しい世界から!」
その言葉に、侘助はため息をついた。
「(まァ真心の返礼が一度ッきりの『死』だなんて、見過ごせるんでしたらこのお仕事賜っちゃアございやせんで)」
ショコラティエは「生きて」あがりとの未来を望んだはずだ。あがりの望む「未来」とは明らかに違う。
「クヴァリフの仔もない、あの人もいない……こんな世界、幸せなはずがない!」
あがりは光輪を片腕で構える。
仕方がない。
「野暮天なンざァ承知の上」
侘助の声質が変わる。それは紙芝居で客を寄せるときの、よく通る声。
「アンタ様方の思いの丈は情念が呼び寄せた妖怪に喰われッちまって肚ン中」
チョチョン、と叩くは椿の木でできた拍子木。
「そいつが本日の演目でございやす」
キャスケットをわずかに深く被って侘助は宣言する。
彼女は、怪異になってしまったのだ。心まで、深く。
もう、人とは考え方が異なるし、ともには歩けないだろう。
「お相手いたしますは『恋文喰らいし文車、情念に餓えて己が身までも喰らわんこと』」
キャスケットの奥の椿色の瞳が光る。
「アンタ様の光輪もアンタ様なりの情念がたっぷりこもってらっしゃる様子。でしたら餓えた文車妖妃の食指が逃がしゃアいたしやせんよ」
「難しいことがたがた言わないでよねっ」
あがりの光輪を、侘助は拍子木の端を持ち、もう一方の端で撃ち落とした。此処はもう、侘助の紙芝居の舞台。情念の炎が燃え上がり、炎の奥から文車妖妃の指が伸びてくる。
√能力「|再演・海石榴屋十八番《マァムカァシムカシノオハナシデゴザイマスヨ》」。
この舞台上で、侘助の攻撃は必中となる。
「演者がアタシですンで伸ばすのァ拍子木でございやすけどもね」
茶目っ気で零した言葉も、少しだけ悲しい。あがりは、もうぼろぼろなのがわかっていた。だから、侘助の拍子木の数撃で打ち倒れる。
「(せめて、アンタ様の望む『死』で)」
クヴァリフの仔はすでに確保済みだ。紫煙入道が心配そうに侘助にまとわりつく。
「……これにて、お話はおしまいでございやす」
チョチョン、と拍子木を打ち、侘助はようやくキャスケットを上げた。
いつの間にか狂信者たちはおらず、√能力者しかいない。侘助は事切れたあがりの傍にチョコレートを置くと、一度だけ頭を下げた。