かえりみち
●『行き止まり』
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
男は走っていた。何処まで走っても、景色は変わらない。誰もいない町並みが、無限に続いている。景色自体は見覚えがある。だが、ここは何処だ。
「くそっ、くそぉっ……!」
男は走っていた。何故走っているのか。何かから逃げていた。何から逃げていたのだろうか。定かではない。だが、逃げなければ。
「どうして……!」
男は走っていた。何処へ走っているのか。きっと、家路だったのだろう。しかし、この町並み。何処へ帰ればよいのだろうか。
「ああ……!!」
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。
そして、男は闇に溶けた。
●『帰り道』
「集まった? 集まったね。まぁ、あなた達もこうやって呼び出された以上、わかってるとは思うけれど。さて、今回の目的だけれども……近頃増えてる『クヴァリフの仔』絡みの案件ね。まずはこちらを見てほしいのだけれども」
霧嶋・菜月は地図を広げ、ある地方の町を示して、話を始める。
「どうやら、この町に奇妙な領域が存在している、もしかしたらまだ存在しないのかもしれないけれど、近い内に存在することになる……そういう状況のようね。領域の中身だけど、予知によれば無限に同じ町並みが繰り返される空間に閉じ込められるって感じらしいわ。ここまではいい?」
一同に確認を取るよう、言葉を区切る。今のところ、始まりとどう関係するかは見えてこないが、とりあえず問題はない。
「で、ここでひとつよくわからない部分があって……そうやって閉じ込められた人間は、帰ってくる様子はなく、閉じ込められっぱなし。だけれども、最終的には|帰ってくる《・・・・・》とも予知に出ている。どっちなのよって話よね……」
彼女は眉間にしわを寄せて困惑を示す。怪異というものは理不尽なものではあるが、その背後にはなにか意味があるものがほとんどである。星詠みに引っかかるのであれば、尚更だ。ならば、今回は。
「これは仮説なのだけれども。『クヴァリフの仔』絡みであるという予知と合わせると、絶賛生産中って可能性もあるんじゃないかしら。最終的に帰ってくるというのも、人としてではなく怪異の一部として顕現している、ってことね」
仮説であってほしい内容だが、予知の内容がそれを否定するに足りないと言ったところだろうか。だから。
「だとすれば、件の空間には、仔を産むためのクヴァリフそのものが存在していることになるんだけれども」
ため息をつき、あなた達が聞きたくないであろう結論まで、言葉を続けた。
「まぁ、まずは現地調査を頼むわ。『帰り道』以外で紛れ込む手段があればいいし、ないなら……まぁ、そのまま『帰り道』になるんじゃない? その上で意図や意味がわかれば尚良しってところね」
冗談めかしてはいるものの、実際成果が得られず帰路につくならば、『帰り道』に紛れ込むことになるだろう。そうなれば、何も知らないまま怪異の真っ只中になるということだ。
「あとは……相手の思惑に乗らないよう、気をつけて。下手に乗ってしまったら、あなた達が片棒を担ぐことになってしまうだろうから。……肝試しに行ったらそこの呪いを引き受けた、私のように」
ミイラ取りがミイラになる、ではないが、どうにも自分の立場には思うところがあるらしい。そして、そうなってほしくはないのだろう。
「……それじゃあ、あとは任せるわ。気を付けて、無事に帰ってきて」
そうでなければ、彼女の口からそんな言葉は出ないだろうから。
「ああそれと……今回は、『仔』の回収も忘れずに。私はあまり興味はないけれど、そうも言ってられないようだから」
第1章 冒険 『奇妙な噂を辿れ』
●『予想』
「そんな怖いこと言わないでほしいんだけどなぁ……!」
日南・カナタは内心怯えながらも町に足を踏み入れる。|警視庁異能捜査官《カミガリ》として向き合うべき事件ではあるが、それはそれとして半ば脅しのような|星詠み《菜月》の言葉にはある種の真に迫る物があった。『それ』は確かに存在している。思惑も確かに存在している。では、どのように向き合うか。
「囚われた人間は……多分、クヴァリフの仔を産み付けられて、怪異に……? うわぁ……」
ここで起こることを整理する。それを踏まえて、方向性を定めよう。
聞き込みはどうか。この町自体が怪異に飲み込まれている可能性がある。既に怪異に飲み込まれた人間に当たる可能性も否定はできない。であれば、正確な情報が得られるとは考えづらい。
ではアングラの情報を当たるのはどうか。これも生還者の書き込みであれば、それも正確とは思えない。つまり、これらの情報は正確性に疑問が残る……少なくとも、カナタはそう考えた。
ならば……。
『例の噂の町、行ってみたけどなんか体に張り付いてんの。なんだこれ? 面白そうだからお持ち帰りーっと』
用意したのは偽情報。おそらく、相手方としても異変を把握している人間がいるのは不都合なはず。そうでなかったとすれば、『仔が逃げ出した』ことになり、それも問題になるはずだ。情報を流し、位置情報を流す。あとは、そこに確保に現れた、怪しい影に対処すれば――。
「――さて、お話聞かせてもらおうかな?」
『帰り道』に至る情報を、手に入れることができるだろう。
●『真意』
ディー・コンセンテス・メルクリウス・アルケー・ディオスクロイは、この一件の真意について考える。『帰り道』であることに意味があるのだろう、と星詠みは言った。被害者は皆『帰ってくる』、と星詠みは言った。そこに込められた意図は、真意はなにか。
「帰ってくる……いや、孵ってくる、か。ハハ、まぁ、与太を言っている暇はない」
ひとつの可能性として、提示はする。だが、それが真であるとは決めつけはしない。ただの考察、ただの与太。少なくとも、いまのところは。
ともあれ、調査を進めることにしたところ。怪しまれないよう人を装い、地図の確認を怠ることなく、人を探して声をかける。さながら、ルポライターのように。
「もし、そこ行く人、少々お尋ねしたいのだがね」
「……? なんですか?」
「最近ここらで行方不明事件があったと聞いているのだがね、何かご存知かな?」
「いえ、特に聞いたことはありませんが……」
どうやら事件そのものについてはまだ知られていない――あるいは、まだ起きていないのかもしれないが――らしい。
「そうかそうか。ではもう一つお尋ねしたいのだが」
用意した地図を開き、手渡して、もう一つの質問を投げかける。
「ここに書かれていない道など、ないかな?」
「……うーん、わかりません。ないよう……には見えますが。ああ、でも」
「おや、どうかしたかな?」
「このあたりは、近道が多いですから……もしかしたらあるのかもしれません」
表通りで攫ったり、落としたり、そういうことはないだろう。しかして路地ひとつ間違えただけで他の世界に落ちるもの。であればその近道とやら、そのいくつかは、もしかしたらそこへ通じているやもしれない。
「ふむ、そうか。なるほどなるほど助かった、ありがとう」
見知らぬ人に別れを告げて、ディーは得られた結論を反芻する。なるほど、向かう方法はそういうことだろう。
●『裏道』
ルナ・エクリプスは思案する。まずは、どのようにこの事件を紐解いていけばよいのだろうか。
「迷い込んだ人がいるとしたら、『こちら側』から消えているはずですよね?」
最初に当たるべきは、事件そのもの。行方不明事件であれば、ある程度の人間がそれを知っていてもおかしくはない。まだ広まっていないとしても、知識として持っている人間がいないとも限らない。むしろ、この盤上に用意されていないと考えるほうが不自然だ。まずは、そこから当たってみることにしよう、と決めた。
「すみません、少々お聞きしたいことがありまして――」
「……ふーむー」
得られた情報を整理する。まず、この事件は一般にはまだそこまで知られていない。少数の人は、「そういえば最近見かけない人がいる」「無断欠勤、無断欠席している人がいる」などの情報を持ってはいたが、核心に迫れるほどのものはなし。ただ、影響範囲だけは、ひとつの町という当初の話通りの範囲に限定されているようだ、ということはわかった。
「まぁ、影響が小さいうちになんとかできるのは喜ばしいですが……では、考え方を変えてみましょうか」
ここまでは探る側の思考で進めたが、では逆の立場に立ってみれば、どうだろうか?この影響力を、表立って拡散することは難しい。実際、情報があまり出回ってないことからもわかる。そもそも、相手方としてはその手は打ちたいはずがない。であれば……。
「人気の少ない場所……近道、でしょうか?」
この町の道は、妙に入り組んでいる。そのうちいくつかが、突然知らない場所へ繋がっていたとしても、|あなた達《√能力者》にとってはおかしい話ではない。であれば、これは合法手。敵の打ちうる手としてカウントできる。ルナは、そうあたりを付けて、路地のひとつへと入っていった。
●『行き方』
ルクレツィア・サーゲイトもまた、まずは情報収集、という手段を取っていた。怪しい噂、目撃情報、そういうものはまだ上がっていない。行方不明事件の調査としては空振りではあった。だが。
「う~ん……あ、そっか! 『帰り道』があるのなら、きっと『行き道』もあるはずよ!」
発想の転換。『道』というキーワードを重視した聞き込み。何処かへたどり着く手段、手順、おまじない。忘れようとする力の働く世界では、実行しても何処にもたどり着けないと|錯覚《・・》してしまうもの。だが、実際のところそのほとんどで、実行した人間は|何処か《別の√等》へたどり着いている。ならば、ここでもそれは有効ではないか?
「ねぇ、少し聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「なぁに、お姉さん?」
こういう話を聞くのであれば、噂が好きそうな子供がいい。幸いにして歳もそう離れていないから。
「ええと、『何処か別の場所』に行けるやり方とか、そういう噂ってない?」
「変なこと聞くのね」
まぁ、警戒はされるかもしれない。とはいえ、大人ではない、というのはこういう場合プラスに働くものだ。
「えっとね……助けに来てほしい人が、そこにいるかもしれないの」
「うーん、変なの……でも、ちょっと違うんだけど、聞いた話ね?」
――曰く、『近道はしないように、道を間違えるとずっと帰れなくなるから』。一見するとただの近道に対する警告。だが、そこに込められたのは、道を間違えたら文字通り何処にたどり着くかわからない、ということ。それが別の世界である可能性は十分にあり、例えば、そのひとつに敵が潜んでいるのならば、どうだろうか?
「ありがとう。これで助けに行けるかもしれない」
そう礼を言うと、ルクレツィアは『近道』へと飛び込んだ。
●『千里より外はどうか?』
八木橋・藍依は十分な準備を整えた上、現場となる町へ乗り込んでいた。運転するキャンピングカーには、保存食と飲み物を積んで、待っているかもしれない人の元へ。
さて、こちらもまずは聞き込みから始めていく。些細な情報でも大丈夫、とばかり、事件に関連する|情報《特ダネ》を求めてひとりひとり聞き込んでいく。得られるものは多くはない。そもそもまだ表に出回っていない情報が多いのだ。だが、この立場あってのことだろうか。関連する事項かはわからないが、ひとつ気になる情報があった。
「路地裏、ですか?」
「はい。いつも通り路地裏を近道に使ったんですが……何か、こう、『嫌な感じ』が分かれ道からして。僕の行く方向じゃなかったんですけど」
嫌な感じがする道。おそらく、何かがそこにあるのだろう。おそらくは、『それ』がある道。
「ふむふむ……それはどのあたりで?」
「あぁ、それは――」
情報を得られた場所へ、最も近い千里眼カメラを先行させる。自分が着くよりも、この分であれば早いだろうか。そう思った時。
「なるほど?」
信号、映像、共に途絶。衝撃などはなかったようなので壊れたわけでもなさそうだ。そうなると、この状況は。
「アタリってわけですね!」
いかな千里眼といえども、千里より外は見通せまい。つまるところ、カメラは世界の壁を渡ってしまった。要は、目指す地点にたどり着いたのだろう。しばらくは自動運転で映像を撮ってくれるだろうが、早いところ途絶した箇所へ向かう必要があるだろう。
そう思って向かった先で、藍依はため息をつくことになった。
「……あー。さては、車入りませんね?」
どうやら、食料は手で持ち運ぶ必要があるらしい。
●『N択まで絞ればどれかはだいたい』
「星詠みの話では、同じ町並みが続くってことだが……」
近森・明人は考える。手がかりを掴むには予知の景色と似た場所へ向かえばよいのだろうが、なにぶん町というのは広い。足で向かうにも時間がかかるわ、機械音痴でスマホで調べることもできないわ。となれば、選択肢は一つ。
「周次! なんとかしてくれえっ!」
|実に的確な指示《丸投げ》である。そして、これが彼らにとっての日常でもある。
さて、回答が得られるまで、こちらも聞き込みを敢行する。失踪者を探しているという体を装う以上、こちらも結果は芳しくない。化け物の噂も、奇妙なものも存在しない。少なくとも、この町には。
「しかし、『かえりみち』か……」
思案を、推論を巡らせる。そこに何か意味があるのではないか、というのは星詠みの言にもあった。ならば、そこから迫れないか。
「帰る、返る、変える、孵る……蛙? なるほど、蛙が犯人か!?」
だが残念ながら、この推理は的外れになることが宿命付けられているのだろう。よくよく考えてほしい。蛙は名詞であり、活用しない。だが、実のところ、この推論自体は、ある程度真相に近づいているところもあるのだ。デタラメの中にも、真実に届く部分はある。あとは、それに手がかかるかだが、彼の場合、むしろ。
「……おっと、メールだ。周次からだな」
そういうデタラメな推理を口にすると、決まって真実に近づく情報が届くものなので、デタラメの中の真実はあまり顧みられないのだろう。
届いたものは、地図に付けられた印。星詠みの見た光景から絞り込んだ、入口の存在する可能性のある場所。
「まだ帰るには早いよなぁ!」
そう声を上げると、『帰り道』にならない向きにある、提示された地点へと向かうことにした。
●『道は道なり』
「さて。お仕事で培った技が活きる……と、良いけどねぇ」
嵯峨野・伊吹は考える。調査、聞き込みは仕事上得意としている……少なくとも、苦手ではないはずだ。現時点、わかっていることは主に条件。『帰り道』であること。
「条件は分かってる、けれどそれ以上はわからない。だったら――」
他にわかっていることと言えば、星詠みの見た景色くらいのものだろうか。であれば、その景色をきっかけにしてみよう。その光景がどこにあるか、それを探ってみよう、そう考えた。
――結論を言えば、その考えは的確であった。
事件を当たったところで、前の通り誰もその情報を持っていない。だが、場所にフォーカスを当てたことで、星詠みの見た場所へスムーズにたどり着く。いくつかの路地が続く、一本奥まったところにある、なんの変哲もなさそうな場所。一見すると、それだけ。だが、実のところはどうだろうか? ひとつ息をつき、経絡に集中を入れる。何か見えないはずのものは見えないか。
「見えてるよ――全部ね」
『帰り道』でない隙をついてでも、そこに向かえないかを|見通す《見識「各務」》。或いは実際そこまでしなくとも、見通せたかもしれないが、しかし。そこには確かに隙がある。それを見つけた伊吹は、その先へと歩を進めていく。
わかってしまえば、単純な話である。こんなところを通ろうとするのは、帰り道、近道をしたい人くらいなのだから。
第2章 冒険 『無限ループってこわくね?』
●『新月とループ』
近道を通って隣へと滑り込む。町並みは無限に続いているが、その中は空洞で何もない。まるで見た目だけを切り取ったような、そんな印象を受ける。ふと空を見上げれば、夜であった。月も星もそこにはなく、ただ切り取られた異常な場所。無限に続く街灯だけが世界を照らしている。
――あなたたちが探している存在は、何処にいるのだろうか?
●『共に』
日南・カナタはループする町の中を進んでいた。
「やっぱりここ、変だよ……おかしいよ……」
先ほど捕まえた影から聞き出した手がかりからここへ入り込んだものの、ループする異様な空間に精神を削られ、既に音を上げそうになっている。そんな折に、ふと顔を上げると、見知った姿が目に入る。一瞬幻覚か何かかと疑いかけるが、それよりも早く喜色を浮かべ、声を上げて駆け寄った。
「嵯峨野さん! 嵯峨野さんじゃないですか!!」
「あれ? 日南くんも此処でお仕事かい?」
嵯峨野・伊吹。カナタと同じ署に所属する、同じく|異能捜査官《カミガリ》。この場で出会うにおいては、相当に信頼に値する人物。
「はい、手がかりから入り込んだんですけど、あまりに様子がおかしいもので……良かったぁ……」
「まぁ、確かにねぇ。実際、おじさんも心細くてね……」
路地から出た先に、無限に続く町並み。その全ては町で見たものだが、ハリボテで中身のない、見た目だけの道。月も星もない夜、無の世界。そこを進むのは、確かに心細いものだ。とはいえ、伊吹の表情からはそれらしさは読み取れないし、何より。
「だから会えて本当に良かった。ささ……此処は、ズバっと解決策を披露してもらおうかな」
「解決策を……えぇッ!?」
こんなことをいきなり言えるくらいの、余裕はあるのだから。……これを先輩からの無茶振りと言わずとしてなんと言おうか?
「――という方法で、イケると思うんですけど」
「うんうん、それなら分かることもあると思うよ」
カナタが提案したのは、簡単なこと。お互いここで背を合わせて立ち、そのままお互い前へ進む。直進であればお互いに出会わないはずだが、ループしているならどこかで出会うはず。そうやって、ループの継ぎ目を見つけよう――というものだ。
「法則性が見つかれば、それでよし。そうでなかったら……その時はまた考えましょう」
「なんだったらおじさんの"アレ"で見れば、より確実かもね」
伊吹の方からも、ひとつ手段を提案する。ここに入り込んだ手段、それそのものが、ループについて見破る手段になる可能性。
「隙があるなら、見えるかもしれないですね……そこは、お願いします」
「勿論だよ」
お互いにすべきことを共有して、背を合わせる。
「それでは」
「うん、行こうか」
そうして、二人は前へ進む。次に出逢った場所。そこは、おそらく――この先へ進む鍵となるだろう。
●『遺留品』
「さて、迷い込めたはいいものの、次の手がかりはどうしたもんかね?」
金菱・秀麿はループする町並みを眺めながら、すべきことを考えていた。既にここに何人か迷い込んでいるのは確かだろう。であれば、遺留品のひとつふたつはここで見つかるはず。
「腕時計、スマホ、この際衣服の切れ端でもいい……ひとつでも見つかれば」
そして、それがあれば、消えた人間にも、原因にも近づける。そういう確信が秀麿にはあった。
そうして、ループの中をしばらく歩いていると、ひとつ気になるものを見つける。
「……鍵か」
何の鍵だろうか。間違いなく誰かがここで落としたものだろう。
「十分だ」
もとより遺留品というものは、雄弁に語るものである。それを拾い上げたのが秀麿であるなら尚更のこと。
「因縁に基づき力を貸してくれ。最後に見たもの、聞いたもの。それは一体何か?」
きっと、ここでなにかがあって持ち主はそれを手放したのだろう。そこに籠もった記憶を辿る。
――その記憶は揺れており、おそらくは走っている。なにかに追われている、そんな様子だ。背後から何が迫っているのかはわからない。目に入ることもなく、音もないが、気配はある。ただ、その記憶が途切れる一瞬前。耳元で、女性のような声が囁いた。
『かえしてやろう、かえしてやろう』
「……ロクなもんじゃなかったな」
ひとつついたため息と、足元に現れた骨董品とともに、秀麿はふたたび立ち上がる。
収穫はあった。ここには繋がりがある。であれば、それをたどればいい。
「さて、見せてくれよ。何処まで繋がってるのか」
取り出した『反魂万華鏡』でその繋がりを探り、覗き込む。おそらくその先に、"それ"はいる。
●『盤外』
「確かに無限に続いているようですね。視界にばかり頼っていては、迷ってしまいそう」
ルナ・エクリプスは、|無限に続く道《盤上》を眺めながら呟く。ここを素直に見ながら進んでは、いつまでもたどり着けない。そんな気がした。だから、ここはひとつ視点を変えてみることにする。盤外からの、|最善手《ベストムーブ》。この場にあっても、俯瞰した視点であれば、迷うことはない。そこからならば、全てが見えているのだから。
「……さて、どこに隠れているのでしょう?」
敵に見つかる前に、こちらから発見したい。この場に長居すればするほど、発見される可能性は上がっていくだろう。であれば、警戒は怠らずともこちらから動くが吉。代わり映えのしないハリボテの町並み、そのどこに敵が紛れているというのか。……ハリボテ?
「……ううん、ですが、それは骨が折れそうですね。候補を絞りましょう」
ひとつ、ふたつと中を見て、そうして何もなければそこには何もないと考えるもの。だからこそ、木を隠すのならば森の中。家を隠すのなら、家の中。全てを見て回るわけにはいかない。だからこそ、ここは俯瞰の視点の出番。世界を切り取った継ぎ目をマークして、そこに敵が潜んでいると仮定する。
「うん、とても。とても理にかなっています」
基本的に、ロジックは何処にでもあるものなのだ。それに従えば、如何に隠れようとも、見つけることができる。こと、このように「用意された」場所であるのならば。
●『叩けば分かる』
「うーむ。とりあえず回ってはみたものの……」
近森・明人は、このループを回りながら考えた。見失わないよう目印は忘れずに、ループの範囲を推測する。あとは、どこに相手が潜んでいるのか。それが分かればいい。そのためには、試せる事はすべて試してみたいところだ。
「……さっぱりわかんねえ!」
ループの境界を探り、走り抜けたり、境界を反復横とびしてみたり。思いつく「ループを破れそうな方法」を色々と試みた。結果、得られたのは疲労感と、建物がハリボテであるということくらい。これ以上ムダに動いては動けなくなる。ここで方針をシフトし、この場で思考を回す。
前提。
「ここは、ループしている」
仮定。
「敵は俺たちを逃がしたくないのか」
飛躍。
「……なら、敵がいるのは中心の方か?」
結論から言えば、この推論は正解であり、誤りでもある。敵にとって、こちらへの干渉として都合がいいのは、ループの端。つまり、こちらと通じる場所は端に置かれている。だが、実際に敵が存在する場所はどうか。
「壁でも叩いてみれば、何かわかんねえかな。音の違いとかで」
そうぼやきながら叩いた壁は、「真相」を明かすかのように、その先の地面ごと音を立てて崩れ去る。まるでそれは、「ひとつ先の答え」にたどり着いた明人を導いているかのようだった。
●『人海戦術』
「アッハッハ! よろしい、人間相手より土地相手のほうが気が楽だ!」
ディー・コンセンテス・メルクリウス・アルケー・ディオスクロイは高らかに笑いながらも行動を考える。この場に他に人は見えない。誰を傷つけるだの、そのような煩雑な事は考える必要はない。人海戦術にて、この場を切り抜けることを目指す。
「さて、『本業』と行こうか。『自傷し増えよ』、ありったけだ」
|戦線術式・人工意識《オペレーション・メルクリウス》。怪人としての力を振るい、分裂する毒液の戦闘員を呼び出す。それは自傷することで分裂し、数を増やす。その数、合わせて40強。
「さぁ、探るがいい。わたくしはあまり働かないぞ!」
数体ごとに班を分け、見える範囲の道という道へ、彼らを放つ。戻って来るならそれで良し。戻ってこなければ、或いは景色が変われば、そこへ向かえばよい。それは、実に単純な計算である。
●『一斉散開』
「……ん、よかった。無事みたいですね」
信号の途切れたカメラを回収する。八木橋・藍依は荷物を抱えてこの空間へやってきた。
「手がかりは……うーん、微妙そうですねえ」
映像を確認するが、特に怪しげなものは見当たらない。ただ、無限に続く町並みがあるだけだが、ここにたどり着かせてくれただけ役割は果たしているだろう。
「それじゃあ、ここからは皆で対応しましょうか」
|少女分隊《レプリノイド・スクワッド》。12人の、「別の自分」。一人でこのループする世界を探すよりも、よっぽど効率的なやり方。
「誰か見つけたら、食料品を。怪我をしていたら、応急処置を」
そして、荷物を分けられる、というのもメリットになる。
「その上で、情報を聞き出せるなら、それで行きましょう。それでは、行きますよ」
自分を含めた13人で、手分けをしながらループの中を捜索開始する。
●『そして合流』
――ややあって、いくつかの分隊から報告が入った。なんでも、銀色の人影が集まって動いている。しかし、敵意は感じない。少なくとも、「クヴァリフの仔」とは関係なさそうに思う、と。
「……うーん、どうしましょう。一旦コンタクト、取ってみます?」
藍依がその判断を取ったのは、物事をシンプルに考えたから。つまり、「同じことをしている」人が他にいる可能性がある、と。そう考えたからにほかならない。
結論、その判断は正解である。
「いやはや、似たような真似をする者がいるとはなぁ!」
「こちらのセリフですよそれは」
発見された人影は、ディーの放った戦闘員である。同じように複数の目を動かせる√能力者として、協力関係を築くのに難くはない。
「ふむ、あなたのそれは範囲に制限がないと見えるな」
「そうなりますね。ですので、広範囲はお任せください」
「では、わたくしは発見された異常に対して動くことにしよう」
探索可能な範囲はお互いに異なる。数もまた、お互いに異なる。広範囲探索は藍依が向き、狭い範囲にはディーが向く。であれば、お互いの得意分野を中心に行動することを決めた。
それだけの目があれば、痕跡を見つけるのはそう難しいことではなく、敵の本陣への道を見つけるまでにはそう時間はかからなかった。
●『隙』
「『行き道』は分かったけど、抜けた先は無限に続く寂しい世界……かぁ」
ルクレツィア・サーゲイトはため息をつきながらも、状況を整理する。迷い込んだ人間の不安を煽る状況。肉体的にも精神的にも疲弊を強いる環境。そして、それが限界を迎えたところを捕らえる。それが、ここに潜む存在のやり口だろう。
「……考えれば考えるほど、ムカついてきたな……」
内心、怒りが湧き上がってくる。だが、冷静さを欠いてはやるべきことを仕損じる可能性がある。努めて冷静に。少なくとも、表面上だけでも。深呼吸をひとつして、心を落ち着ける。ここに潜む何かの居場所に、どうやって向かうべきか。まず考えるべきはそれだ。
「ふぅ……さて。人が相手じゃなくても、行けるのかしら」
身体を流れる龍漿を、右目に集中。本来であれば人の隙を見切る魔眼の力であるが、この視界内に人は映っていない。であれば、その目に映る隙は何の隙か。それは、おそらくは『この世界』の隙。ハリボテの箱庭の、欠陥。
「いつまでもコソコソしてるのなら……コッチから行くわよぉーッ!」
ハリボテで構成された永遠に続く町。怪異により構成された異常空間の弱点めがけて、握り込んだ|斧槍《フラウ・フラン》を振り抜く。クリーンヒット。音を立てて崩れたハリボテの一角からは、地下に広がる空間が見えた。
「……本当にコソコソしてるじゃん」
半ば呆れた声色とともに覗き込めば、その先は開けた空間になっている。何か、悍ましい気配が漂っているのを感じる。もしあなたがただの人間であるのなら、それは向かうべきでない場所だと言わんばかりだ。
だが、幸いにしてか、ルクレツィアはただの人間ではない。√能力者。解決困難な状況を解決するにあたっては、最も有力な存在。だからこそ、彼女は進んでそこから下へと降りていくだろう。なんせ、そのためにここまで来ているのだから。
第3章 ボス戦 『仔産みの女神『クヴァリフ』』
●『かえりみち』
ループの端、狭間の家屋から降りたのか、それとも中央付近で破砕によって入口を見つけたのか。いずれにせよ、あなたたちは地下に広がる開けた空間へとたどり着いた。湿った空気。昏い部屋。中央に用意された、まるで玉座の如き椅子の上に、それは座っている。
「ふむ、なかなかに早い到着よの」
その足元には、まるで生気も正気も感じない、虚ろな表情の行方不明者たちが並んでいる。
「妾はただ、こやつらを『かえして』やるだけなのだがの」
それがさも当然かのように|女神《クヴァリフ》は嗤う。いや、実際、当然なのだろう。それが、彼女のあり方であるが故に。
「さぁ、帰してやろう、孵してやろう」
●『先陣、斬り込み』
「話は聞かせてもらったわよ!」
天井をぶち破るように|斧槍《フラウ・フラン》を振り抜いて、ルクレツィア・サーゲイトはクヴァリフの前に降り立った。
「『孵す』つもりはあっても『帰す』つもりはない、そういうことね……!?」
「はて、妾はもとより『孵し』『帰す』つもりであるがの」
「それが大問題だって言ってるの!」
たとえこの状態で『帰した』としても、それは新たな混乱の種を蒔くだけに過ぎない。その時には、彼らは『孵されて』いるのだから。故に、此処は引き下がれない。|斧槍《フラウ・フラン》と|精霊銃《カノン》を構え、クヴァリフの懐目掛けて飛び込んだ。
「ふむ、少々ばかり骨のある身と見た」
「うるさい! 余裕ぶるな!」
クヴァリフの側は特に慌てる様子もなく、触肢を振るって懐を守り打ち払わんとする。『孵す』ために肚に抱えた仔の力もあってか、普段以上にその動きは激しく速く、防御は固い。もっとも、その『普段』を知る人間がどの程度いるのかという話でもあるのだが。
距離を近づけ、離れ、また近づいて、打ち合いはほとんど膠着に近い。その中の変化を、ルクレツィアは鋭敏に感じ取る。急激に薄くなる触肢の一撃。無意識レベルの防御。瞑想……『肚』からの一撃の予期。どうする、この隙に迫るか? いや、流石に間に合わない。であるのならば。
大きくバックステップをひと跳び、ふた跳び。こちらが一手遅いが、今なら間に合う。瞑想。未だ見ぬ世界の果て。自らの望みへと意識を集中する。瞑目の必要はない。これは|瞳を開けてみる夢《デイドリームジェネレーション》。
「――彼の地へ至った大英雄、遥か遠けき我が祖先よ。今此処へ来たりて不浄を払う力を!」
『肚』より生み出された仔がふた跳びの間を飛び、触肢が迫る。それを払い除けたのは、『世界の果て』へ至った大英雄の影。間に合った!
「行くわよ!」
与えられた時間は半分に満たない。しかし、それで今は十分。自分にできることをこなすのみ。仔を無視して|本体《クヴァリフ》へと距離を詰める。そこに一切のやり取りはない。|精霊銃《カノン》が生んだ隙に英雄は一撃を挟み、合わせて|斧槍《フラウ・フラン》が振り下ろされる。それはさながら踊るよう。
影に与えられた時間を使い切ってクヴァリフに十分なダメージを与えると、仔に残された時間を引き受けながら速やかに後退する。これで、後続は十全に動けるはず。
「悔しいけど限界ね、後は任せたわ!」
●『噛み合い』
「『思惑に乗るな』と言われてますが……」
八木橋・藍依は状況を把握すると、|自らの半身《HK416》を構える。クヴァリフの足元に転がる行方不明者の状況が心配半分、それを盾に取られないかの警戒が半分。回収したものを含めて千里眼カメラも放ち、いつでも|女神《クヴァリフ》だけを正確に撃ち抜けるように準備を整える。
「……あとはタイミングですが……」
他にもここまでたどり着いている仲間がいる。眼前の強敵を相手取るには、確実に合わせる必要があるだろう。その瞬間がいつ来るか、それを伺い続ける。
「アッハッハ! さり気なく一般人を巻き込もうとしているなぁ!」
戦場を分析し、ディー・コンセンテス・メルクリウス・アルケー・ディオスクロイは高らかにわらう。元は怪人として鳴らしたもの、この手の状況は手に取るようにわかる。なにせ、自分もその状況を作り出した経験があるものだから。
「さて、どなたか――手を貸していただいても?」
――なぁに、悪いことは起きないさ。『万物流転』に朱砂の弾丸を込め、"味方"を定める。
「なるほどここの一手は重いですね。私で良ければ手を貸させてもらいましょう」
ルナ・エクリプスもまた、状況を分析した上で告げる。眼前の怪異こそがこの空間が生じた原因。であるのならば、チェックメイトに至るために必要な条件は既に明白。故に、ここはこの一手を確実なものとしなければならない。
「おやおや、もの好きなヒトだな!」
「利用できるなら、しなければ損ですから」
「アッハッハ! それはその通りだな!」
ルナにしてみれば額面通りの言葉。ディーがその言葉の意図をどう掴んだか、それは定かではないが、しかしここでやるべきことは定まった。
「コイツが親玉か? てっきり蛙かと思ってたが……まさかタコだったとは」
近森・明人は|女神《クヴァリフ》を前にしようともペースを崩さない。ある意味では、それはこの場で最も重要な能力かもしれない。緊張が走る状況で普段通り動けるということは、ペースを握るという点において優秀だ。
「ほう、妾をタコと申したか?」
――惜しむらくは、軽口を聞かれたことか。クヴァリフの目玉が、彼を見据える。
「なんでもいいだろ、好き勝手やらせるわけにはいかないわけだからな」
探偵という職業として、失踪した人間はきちんと連れ帰らなければならない。それがたとえ、悍ましき|女神《クヴァリフ》がきっかけであったとしても。
「よい。まずは貴様からといこう」
もとよりここは孵すための場所。仔産みの女神の権能として、悍ましき仔を肚より孵し、それを用いること。何よりもかの|女神《クヴァリフ》が得手とするそれは、本来であれば行方不明者たちに振るわれるはずのものであった。だがこの状況においてその権能は、自らに振るわれる。仔との融合。それが目的の仔産み。そのようにして、より自らの力を強める――そのはずであった。
――パァン!
「よく云うだろう? 『斯くなる上は!』と」
放たれた弾丸は朱砂。降り注ぐは水銀の羽根。|狡智術策・万物流転《コウチジュッサク・パンタレイ》が起動し、この場の"味方"に力を与える。定めた味方は|君たち《√能力者》のほか、行方不明者たちを含めてのこと。
「さぁ、全力でぶん殴るがよろしい。こいつは死んでも殴れるぞ!」
ディーは高らかに宣言する。こちらの番が始まる。
因果は捻じ曲がった。事前に用意された|号外新聞《エクストラ・ニュース》。未知と既知の中間、この場に備えることができる者が、もしこの行方不明者に含まれていたとしたら、どうだろうか。朱砂によって与えられた力は、|女神《クヴァリフ》の意識の外から、産んだばかりの仔を奪い去る。
「こんな形になるとは思ってなかったですけど……!」
一般人を巻き込む形になったのは藍依の想定外であったが、即座にこの場で判断を下す。被害の拡大阻止。味方の援護。後の回収。全てにおいて、奪われた仔を沈黙させることが最優先。引き金を引き放たれた弾丸は、その目的を達するに十分であった。
「何? まぁよい、手段はいくらでもある」
見据えた眼球は、牽制の睨みを利かせる。そのまま|女神《クヴァリフ》はその両の腕を広げ、呼応するように触肢が素早く√能力者達目掛けて伸びる。それはさながら、巨大なる母の抱擁の如し。だが、それを待つ者もまたいる。
「速度では、負けませんよ?」
魔導書を開きながら、ルナは|大きく跳躍《ラビットジャンピング》し、距離を詰める。迫る抱擁よりも、魔術の行使が早い。如何にも水棲という見た目の存在相手、有効と見た雷の魔法が放たれる。
「ぐぁっ……!?」
|女神《クヴァリフ》は呻き声を上げ、その抱擁は速度が緩まる。見立ての通り、電撃は有効打となるようで。
「では、このまま続けましょう」
視界を遮る霧に隠れながら、魔力の続く限りルナはその詠唱を維持する。これで、動きは止められる。
「そんじゃ遠慮なく行かせてもらうぜ」
明人は自らを睨みつける眼には怯むこともなく、迫る触肢に対峙する。動きは緩まったとはいえ、未だ自分を狙っているそれに向け、まずは牽制の一打を。
「うわ、やりにくいな……!」
粘性のある液体に覆われたそれは、殴ったところで大きな打撃とはならない。だが、鈍く迫ってくるのであれば、それを利用しない手はない。吸盤に吸い付かれないよう細心の注意を払いながら、触肢を掴み、一気に引き寄せる。如何に|女神《クヴァリフ》といえども、電撃に弛緩した状態ではそれを防ぎ切ることはできない。距離が大きく詰まる。勢いに合わせ、放たれる明人の足払いで、体勢が大きく崩れる。
「うおりゃぁ!」
その瞬間目掛け、投げ飛ばす。それ自体は大したダメージではない。だが、隙が生まれれば。
「はぁっ!!」
|柔崩剛脚《マーシャルアーツ・コンビネーション》。頭狙いの蹴りが、突き刺さり、瞬間だけでもダウンを奪う。
――打倒は遠くない。
●『捜査三課』
「漸く目的地って訳だけれど……さて、此処からは、少しだけ本気で行こうか」
嵯峨野・伊吹は状況を見ると、その色を変える。気を引き締めたか、それともこちらが本質か。
「お前が……仔産みの女神……!」
日南・カナタはその異形に一瞬怯みを見せるも、その足元に見える人々、おそらくは行方不明者の姿を認めると、もはや竦むことはない。
二人の間で、短く視線が交わされる。言葉はなく、だがそれで十分で。黄金に輝く得物のロングハンマーを握りしめ、カナタがまずは飛び出した。
「それがあんたの性質かもしれないけど! それでも許すわけにはいかない!」
ダッシュの速度を乗せた強烈な一撃が叩き込まれ、|女神《クヴァリフ》と一般人たちの間に距離が生まれる。そのままの勢いで、カナタは追撃を狙う。
「ぐ……ッ、じゃが、我が肚に飛び込んでくるのであれば!」
見据える無数の目玉。避けることなく、抱きとめ受け入れるように広がる触肢。大振りであるが故に隙を晒し、反撃に弱い決戦の一撃を、そのまま受け止めて肚で喰らう魂胆。しかし。
「背中は任せてくれていいから。やりたいことを思う存分にな!」
伊吹の|相式「禍福」《オウホウ》がそれを許さない。カナタの見切りが追いつかない分を、的確に弾いて道を作る。
「わかりました、先輩!」
そうして生まれた道を走り抜け、|黄金の鉄槌《ゴールデン・グレートハンマー》が|女神《クヴァリフ》に叩きつけられた。強烈な衝撃により、一度はそれで地に伏せる――だが、ここは権能の領域。
「くぅ……致し方あるまいて……!」
肚よりの仔は奪われ回収されてはしまったが、しかしてここには既に孵さんとした仔があり。行方不明者たちに植え付けた仔を、自らの権能を以て取り込み直し、戦闘を継続せんとする。
――そこに響く、銃声。
「お初にお目にかかるな、クヴァリフ」
「! 金菱くんか!」
同じく捜査三課に所属する|警視庁異能捜査官《カミガリ》、金菱・秀麿が追いついた。カミガリM60を構えながら、続く攻撃に備えんとする。
「彼らは人間の姿のまま帰さなければならん。禍々しい造形にするわけにはいかないねぇ。そういうわけで、援護に入らせてもらおう」
「何を。彼らは妾の仔となるべき者。貴様らを排除した暁には孵されるべきであろう!」
仔との融合を果たし、不完全ながらも未知なる生命の力を手にした怪異は、より数と鋭さを増した触肢を以て三人のカミガリを排除せんとする。それは空間を捻じ曲げるよう貫き、距離という概念など無意味であるかのように迫るが。
「悪いな、こっから先は立ち入り禁止だぜぇ」
塗り壁屏風。秀麿の持つ壁の描かれた屏風が、その行く手を阻む。それは、そこに壁が"ある"という概念。如何に空間を捻じ曲げ、距離を無意味としたところで、概念の壁までは無視はできまい。その陰から、何かが飛んでいく。
「おまけだ」
「なッ……!?」
骨董品。ループする町で手に入れた、行方不明者の念が込められた存在。手放したいわけではない。だが、優先すべきことは、他にあるのだ。それは、この事態を引き起こした|女神《クヴァリフ》に対してであれば、特効として働く。輝きとともに、未知なるその動きが静止した。
「隙あり……これで決める!」
それをカナタが逃すわけもなく、最高速の鉄槌が再び振り下ろされ――|女神《クヴァリフ》は、倒れた。
●『後始末』
「仔の回収は、これで全部……ですかね?」
融合していた分の仔を回収して、カナタが問う。
「のようだねぇ。金菱くん、そっちはどうだい?」
答えを認め、また別の問いを伊吹が投げかける。
「容態もチェックも問題なしだ。このまま帰してやっても大丈夫だろうよ」
そして、それに秀麿が答える。目的は果たし、上々の首尾が得られたことが確認できた。
「俺たちの方にも何かついてないですよね?」
「ついてないと思うけれど、ついてたらやだねぇ」
「問題ないと思うがな」
念の為、それぞれのボディチェックも済ませてある。あとは、ここから帰るだけ。
それが、孵り道であることはなく。帰り道を、歩み始めた。