船上儀式からの救出劇
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『――この船は我々が占拠した。客室に集まれ』
フェリー内部に響いた端的な放送に、リラックスして船旅を楽しんでいた乗客たちは皆、反応が遅れた。やがてブリッジから黒尽くめの者たちが降りてきても、乗客たちは何らかのイベントが始まったのかと思っていた。
「……クリスマスイベントかな? ダークな感じの」
彼らの服装が、現実離れしてるように感じる宗教的なデザインだったからだ。たとえその手に剣や斧が握られていようと、乗客たちはどこか気楽な雰囲気で彼らを見ていた。
黒ずくめの者たちが乗客を攻撃したのは、次の瞬間だった。
「――!?」
持っている武器の峰や柄尻で、手当たり次第に乗客を殴打したのだ。逃げ始めた乗客を追いかけ、甲板に出ていた乗客も無理やり船内に引き戻していく。
乗客と乗組員、合わせて100名前後だった。
恐怖した叫び声が聞こえたのも最初の内だけだった。やがて、痛苦や不安に喘ぐ嗚咽だけが客室に響いた。
乗客たちは誰もがが息を呑み、黒ずくめの者たちを刺激しないように窺っている。
「生贄は全員集め終わった! 各員、思い出せ! この√に渡って潜伏してきたのも、この日のためだ!」
「かの大いなる存在が我らを選び、世界移動に同道させてくださった厚恩に応えよう!」
「窓が多いこの環境はあのお方に最適だ……。――これより降臨の儀式を始める!! 失敗は許されないぞ!」
そして、狂信者たちがフェリーの窓を割り始める。しかしその手つきは繊細で、最小限の破壊に留めているようだった。
湾内を巡るフェリーにて、何かが起ころうとしていた。
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「――っていう内容を予知したのよ! ――√EDENで事件が起こるわ!」
アルバニュームは集まった√能力者たちへ、自分が見た予知の内容を伝えた。
他の√からやって来た何者かが手勢を使ってフェリーを占拠し、何らかの召喚術式を行おうとしているのだ。
放っておけばどうなるかは明白だった。
「皆には、最終的にこの事件の黒幕を倒してもらうわ。他の√である、√汎神解剖機関からやってきて、手下に自分を召喚させようとしている親玉ね」
そのためにはどうするか。
「まず現場に急行して、人質を救出しなきゃいけないの。相手は召喚するために邪悪なインビジブルを必要としていて、人質の命や恐怖の感情を狙っているんだもの。
でも……」
現場は海上、船の中なのだ。湾内を巡るといっても、陸地からはかなり離れている。
「人質を救出したり保護する手段と、フェリーに近づく手段を考えないとね……。いろいろ方法があると思うけど、だからこそ悩ましいと思うわ」
理由は幾つか存在する。
「船の中で派手に暴れたら、人質たちの恐怖の感情が膨れ上がっちゃうだろうし……。そしたら、邪悪なインビジブルが増えちゃうんじゃないかしら? “突入係”や“救出係”以外にも、カウンセリングとかセラピーとか……。そんな風に色々な√能力が有用かもね。
そうしてスマートにササーッと解決したら、邪悪なインビジブルも少なくて、親玉も弱くなるわよね。――狂信者たちはブチギレて死に物狂いで襲い掛かって来て、儀式も強行しようとするでしょうけど」
あっ、と言葉は続く。
「窓! あの狂信者たち、儀式のために窓を重要視してたようだから……。窓、割った方がいいのかしら? それとも割ったらマズいのかしら? むむむ……?」
悩んでいた彼女だったが、すぐに顔を上げ、集まった√能力者たちに笑顔を見せた。
「――まあ、どうなるか解んないわ! だって、アタシが見た予知ってアレだけだし!
|人質助けた後どうなるかは、流れね《・・・・・・・・・・・・・・・・》!」
時間だった。
集まった√能力者たちが、現場へ向かって行く。
第1章 冒険 『人質救出作戦』

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沿岸から見ていたのか、それとも高所から望んでいたのか。ともあれ√能力者たちは現場となるフェリーを確認していた。
停止した姿が確認出来るが、内部までは見通せない。陸地から離れたその船こそが、自分たちが今から向かう現場だった。
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シズクは遠方にあるフェリーを見ながら思考していた。
百人、ですか……。
人質の数だ。かなり多い。自分が持つ物資輸送を目的として改造したカーゴドローン、|神輿《シンヨ》でも運べるのは一トンまであり、人質が一人当たり60kgだと仮定すると六トンと、オーバーしてしまう。そして、そもそも人質全員を一度に救出することが難しいことも解っていた。
「ならば、まずは船までの足が無い方を送り届けて、人質の搬送はある程度救出してからですね」
他の√能力者へ己の目的を告げると、ドローンを起動させ、船へ向かって行った。
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シズクが神輿で選んだルートは最短ルートだった。窓の多いフェリーだ。直線で向かう軌道は本来察知されやすいが、狂信者らが窓に対して“慎重な破壊”とも言える作業によって多くはひび割れ、外の景色をほとんど通さない。そんな中、認識阻害バリアである注連を作動させれば、十分相手の目を欺ける。そうして近づくうち、船の様子も新たに解ってきた。
「ブリッジが無人ですね」
船が停止している今、航行させるための区画は無用という事なのだろう。近づけた神輿からブリッジの外縁部へ渡ると、慎重に入室。状況を確認する。
「窓が……」
ここも、既に割られていた。航海士らを制圧した際に、儀式の準備として窓を破壊したのだろう。亀裂で曇った窓ガラスを見れば、破壊の範囲はやはり最小限に留めているように印象を受けた。
相手の意図を調べる必要がある。無論、相手には悟られぬように。なので己が有する中でも静音性が高いサイコドローンを選んで放つと、それらに指示を与えていく。
「次の支持を最高優先度で実行せよ。――狂信者らの配置と、儀式の成功条件」
『――――』
下級怪異が寄生した小型無人機らは動き出し、その多脚で船内外を進んでいく。窓の状態と狂信者らの配置を探知魔術を使って探り、その情報が返って来る。
広い客室の前方、大型テレビ前のカーペットスペースを中心に集められた人質たち。そして彼らに対する見張りもそこそこに、多くが窓の方へかかりきりになっている狂信者らだ。自分の耳にも、下のフロアからガラスが砕かれる音が聞こえてくる。
そうして探知していったところ、解ったことがある。どの窓ガラスも割り口が窓の大きさの半分以下ということが共通してるのだ。精密な道具ではなく武器を使った破壊なので荒いが、中には四分の一以下もある。
これが儀式の成功条件なのだとしたら……。
試してみる価値はあった。潜んでいるサイコドローンの一体へ命じ、儀式への細工が終わっているであろう船窓の一つへ向かわせると、影から脚で圧力をかけさせた。
「!」
当然、脆くなっている窓ガラスは危険な音を発するが、その音に狂信者らは敏感に反応する。
「気をつけろ!」
階下からヒステリックな声が聞こえてきた。そして、そんな声すらもガラスにとっては危ういと思ったのか、続く言葉は聞こえなくなったが、窓ガラスを破壊する作業が一層慎重になったのは音で解った。
「成程……」
窓を破壊しすぎることは、連中にとって不利に働くようだった。やはり、“窓ガラスを最小限に破壊すること”が儀式の条件に関わっている。だとしたら、
「重要なのは……、窓の“隙間”?」
思い出す。狂信者らが重視していたのは窓の多さだった。人質の数も合わせて考えれば、召喚のリソースとして重要なのだろう。どれほどの大型怪異を召喚するつもりなのか。とにかく、“わずかに開いた窓”を狂信者らは大量に用意したいのだ。安全上、船の窓とは厚い上に開かないものが多いが、頑丈な窓ガラスだからこそ少々であれば無理が効くと判断したのだろう。
これで、敵の配置と目的に関して十分な情報が集まった。あとはこれらの情報をもとに他の√能力者をサポートし、窓の破壊にも適宜力を貸し、救出にも回るだけだ。
が、思う。
こういう時、サポートしかできないのが嫌になりますね……。
単純な“暴”が自分にも欲しいですね、とそんなことを考えながら、引き続き、現場の状況を探知していった。
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「あれですね」
事件現場近くの海岸、叢雲はそこからフェリーを見ていた。遠めに見えるその船はつい先ほど、海上で停止した。それはつまり予知通り事件が起こり始めたということだ。
フェリーから視線を外し、スマホを操作しながら、思う。
どのルートだろうと、眠れるナニカを呼び起こそうとする奴は多いようで……。
己が事務所を構える√妖怪百鬼夜行でもそうだ。凄惨な過去を乗り越え平和な世になったが、封印したはずの古妖の復活を目論む者たちがいる。
「…………」
その理由は私利私欲や情念など様々だ。
「ですが、無関係な人間を巻き込むのは看過できませんね。
まずはあの船に乗り込まなければ……」
妖力で動くスマホといえど、機能は他の√の物と変わらない。地図は開くし、ネットにも繋がる。そうしてアクセスするのは、周辺の港湾業や海釣り施設など漁業に関する情報だった。夏であればいわゆる“海の家”なども選択肢にあったのだろうが、十二月という現状を考えれば選択肢は狭まる。が、目当ての情報が見つかるのもその分早い。
地図のスポットへマークすると、すぐにそこへ向かっていく。
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そうして、そこでボートを拝借した叢雲は今、海の上にいた。
「っ。風が強いですねえ……」
冬の海だ。湾内に流れ込んだ風がボートを揺らす。流されぬよう、手に持つオールを海面へ差し込むと、波を掴む。そして、それを後方へ捨てるように掻き出す。
この繰り返しだ。古今、船漕ぎというのは力仕事だが、自分も探偵業としてそれなりに動き回っている。
ペット探しに、浮気調査に、人探しに……。
そして、債権回収や地上げ屋からの用心棒。怜悧な推理を披露するというよりは、地道だったり荒事だったりといった依頼の方が多いものだ。そんな風に考えながら進んでいくと、やがて船の様子が解ってきた。
「一応、目立たない方向から来ましたが……。窓があれじゃ外の様子なんて解りゃしませんね」
事件を起こした連中、狂信者らはわざわざ窓に亀裂を入れているのだ。正確には、小さく穴を開けるように割っている。となれば、残った窓ガラスにはひび割れが走り、景色を濁らせる。
ボートに乗っている今ここからでも、窓を細かく割る音がフェリーからかすかに聞こえてきた。
……はて、窓の割り方で何を呼び出すのやら……。
推理小説のような依頼を受ける機会が少なくとも、職業柄として推理は必須だ。ペットを探すときや浮気調査でも、彼らが残す何某かの情報や痕跡を読み取っていくのだ。
「――誰か殴るときだって、頭回さないといけませんからね」
いわんや人のやることには必ず意図がある、とそう考えていたらフェリーはもう間近だ。
接舷し、持っていた縄を甲板の手すりへ巻きつける。あとはそれを掴んで、船胴を蹴り上がるようにして伝い、上がっていくだけだ。
上った。
手すりを乗り越え、フェリーに降り立つ。
「さて……」
動き出していく。
●
「……ん?」
召喚のために窓に細工をしていた信者は、一人の子供が外の廊下を歩いているのを見た。
「…………」
生贄に漏れがあったか、と周囲を見るが、この持ち場は自分だけのようだった。吐息し、武器を手に持ったまま船室から外へ出ていった。
「うう……」
不安そうな様子で周囲を見回す子供の背中へ、何も話しかけるつもりはない。既に生贄が集まっている船室まで無理矢理引きずっていけば、それで終わりだ。それに、そうやって力ずくな方法であればむしろ恐怖を引き起こし、邪悪なインビジブルの呼び水となる。
だからそうした。子供の服を掴んで、自分の方へ振り向かせたのだ。
その時だった。
「な――」
子供は振り向く動きに合わせて、こちらの顔面へ何かを突き込んで来た。
そして、己の意識はそこまでだった。
●
狂信者を不意打ちし、船室まで安全にたどり着いた叢雲は一旦、外から室内の様子を探った。
人質は……一か所に集められて……。ふむ、ふむ……。
部屋の間取りと人質の位置、そして狂信者らの配置を確認するのだ。それを覚えた後は自分の動きを想定し、その通りにする必要がある。どのような位置で、どのような戦法が効果的か。やはりそれも普段から引き受けている荒事に通じるものがある。
この船室であれば椅子も多いが、人質の周囲であるテレビ前はカーペットフロアとなっており、開けている。緩急のある動きが求められる現場だった。
そして、不意を打って突入するならば、勢いが肝要だ。
「!」
扉を勢いよく開け放つと、船室へ飛び込んでいった。その足は一歩目から全力だ。
入口近くにいた狂信者らがこちらに振り向くよりも早く、卒塔婆で抜き打ち気味に殴打。船室に打音と呻き声が響く。
突然の襲撃に動揺している狂信者らは、こちらに注目するあまりに外の異変に気付いていない。
今、船の外では天気が一変している。
「龍吟ずれば雲起こり、齎す甚雨は凡てを清め祓う――」
群れを成し、棚引く雲を叢雲という。それが今、フェリーを中心とした空を覆っているのだ。
“霊剣術・八岐剣”。強化された己の走りは、離れた位置にいた狂信者の一人へすぐさま到達する。
「さあ、終焉のお覚悟を」
「……!」
接近した勢いのまま、相手の身体を強打し、止まらない。人質の近くにいる者へ優先的に向かい、彼らの壁となるように立ち回るのを基本としながら、船室を駆け回り、狂信者らを襲撃していていくのだ。
「√能力者だ!」
当然、相手もやられるだけではない。特に、人質から離れた位置にいる狂信者らはフリーだ。各個撃破して回っているこちらへ対抗するため、相手は集結し、陣形を固めようとしていた。
構わなかった。
「首を撃てばすなわち尾至り、その尾を撃てば首至る――」
リノリウムの床を蹴って、密集している狂信者らへ突っ込んでいく。
「!」
相手は迎撃するために各々が武器を振り下ろしてくる。それは斧や剣であったり、槍の突き込みでもあった。
そのタイミングに合わせて、己はステップを踏んでターンする。相手に背中を見せるように回り、攻撃を回避。刹那。腰に構えていた卒塔婆を、抜刀の動きで相手へぶち込んだ。
そして、回転の勢いを乗せた一撃はただ敵を打つだけではない。
「逃がしませんよ」
“蜷局巻き”。旋回しながらの抜刀術は、目の前の敵陣へ一瞬で二撃を与え、奥にいる狂信者らすらも打撃したのだ。半径にして十メートル、その範囲の敵はすべて船室の奥まで吹き飛ばされていった。
「皆さん、助けに来ました」
突入してからこの一瞬で、船室は随分と様変わりした。狂信者らが一通り排除されてクリアとなった空間で、務めて落ち着いた声で呼びかける。
すると、今まで不安がっていた乗客も段々と落ち着きを取り戻し、安堵の声や嗚咽が漏れ始める。
「もう大丈夫ですよー、警察も呼んでますよー」
そう呼びかけながら、視線を周囲に回す。警戒の意味もあるが、
んで、窓はどうしましょう……。
下手に弄るよりかは何もしない方が得策か、と思いもする。ともあれ他の√能力者次第ではあるし、割るとしても乗客を不安にさせるのは本意ではない。
ともあれ、
「割るにしても、他の人と後でしましょうか。今は……」
人質を確保したのならば守らなければならない。まだ狂信者らはこの船内に残っているのだ。
総員百名。彼らを背にしながら卒塔婆を握ると、警戒を緩めなかった。
●
「あらあら、人質が……。なら、助けに行かないといけませんわね」
事件の詳細を聞いたセラフィナは、現場であるフェリーを見下ろせる丘の上に立っていた。十二月の寒風が、紫の髪を流していく。視界の先にある湾内で停止しているフェリーを見ながら、でも、と零す。
セフィが“助ける”ことは難しいですわね……。
突入して大立ち回りを演じたり、人質を密かに運び出す、といった方法が難しいのだとしたら、自分に出来ることは何か。
「――うん」
それを決心すると、立っていた丘の上をフェリーの方向へ駆けていった。丘の上は風を遮るものが無い。翼を広げれば、羽が大気を浴びた。
「ん」
掴んだ大気を放るように翼を動かせば、反動で身体が浮き上がっていく。飛び上がるのだ。
空へ。
●
「……?」
フェリーで人質の見張りをしていた狂信者は、それに気づいた。
歌……?
窓を割る音が響く船内だったが、どこからか歌声が聞こえてくるのだ。人質たちにも聞こえるのか、訝し気な気配が広がりはじめている。
「静かにしろ」
手近な椅子を武器で殴って乗客を黙らせたが、歌声は消えない。周囲を観察しても異常はなく、他の仲間たちも自分と同じように辺りを見回している。
窓を割る作業の手が止まったことで、歌声はさらに明確になった。
「あ……♪」
若い、否、幼いと言える少女の声だった。
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乗客もその歌声を聞いていた。突然のハイジャック、そして窓を割りはじめた犯人たちと、今まで意味不明な状態が続いていたが、
……ああ。
その歌声を聞いてはじめて。緊張の糸が少し緩んだ。
綺麗な歌声だった。安堵の念が胸に広がり、誰からともなく安心したような吐息を漏らす。
「誰かいるんだわ……」
「我々だけではないのか?」
少女の軽やかな歌声は続いている。緊張や重圧を感じさせない歌声が、皆の中の恐怖をやわらげてくれているのだ。
身を寄せ合っていた誰もが手をきつく握り合い、互いの存在を確かめ合う。
ここにいるよ、とそう思った時だった。
「見つけた! ――空だ!」
船室のドアが開き、一人の狂信者が叫んだ。
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セラフィナは空、フェリーの頭上と言える位置にいた。丘の上から自分の翼で飛行し、そのまま船の上空を旋回しているのだ。
人々のために彼女が選んだ選択は、ただ自身が持つものだった。それは翼による飛行と、
「ラ……♪」
歌だった。風に身を流しながら、歌い続けている。
空へと広がった歌声は、風に運ばれフェリーにも届く。船室は今、狂信者らによってガラスに穴が開けられている。自然、その穴から歌声が流れ、人質たちの耳に入っているだろう。
「ラ、ラ♪ ラ――、きゃっ!?」
そばを何かが通り過ぎていった。助けが来たと、そう知らせて安心させるために歌っていたが、それを邪魔に思う者がいる。
下から飛んできたそれはどうやらフェリーからで、船室にあった小物か何かだったようだ。
「――今すぐ降りてこい!」
視線を下げれば、船室から出て来た狂信者がこちらに怒鳴っていた。
その傍らには、武器を向けられている人質の姿もある。
「……ここまでですわね」
●
「きゃっ……」
「子供の√能力者か……。このまま生贄に加えてやる」
投降したセラフィナは、人質の中へ乱暴に放り投げられた。人々が受け止めてくれたが、皆は驚きの表情だった。
「と、飛んでたの? ……その羽で?」
「やっぱり、何かクリスマスの――」
「静かにしろ!!」
誰もが何かを聞きたそうだったが、狂信者の一喝と大きな物音で皆口を噤んで、身を寄せ合った。恐怖の感情が、人々の中で再び沸き起こり始めていく。
が、
「……♪」
そうやって皆が密集すれば、その中で小さく、かすかにすら聞こえない声で歌うことができる。口元を隠し、そばにいる者にも聞こえな程の清涼だったが、やがて人々は再び気持ちを一つにし、先ほど互いにそうしたように、次はセラフィナの手を握った。
一人、また一人と。人質たちの間で恐怖の感情が、薄れていった。
●
「人質解放の任務を受領、状況了解。|我々《リベレーター》が力になります」
事件の説明を聞くと、リベレーター、否、リベレーター|たち《・・》は早速行動を開始した。
“|少女分隊《レプリノイド・スクワッド》”。十二体のバックアップ素体を召喚し、現場近くの海岸で作業に取り掛かっていくのだ。
各々が取り出したマルチクラフトボックスを用いて作り上げるのは、船だ。それをイメージしながら、思う。
今回の要件は……。
小型でありながらも、多数の人員を迅速に収容可能な船だ。
「そして、急ぎの仕事です」
事件はすでに起こっており、狂信者らの武装は近接武器が主のようだった。ならば構造は簡素のままとし、すぐに仕上げていく。
そうして作り上げた小型船は、自分たちの中にある銃と車、建設機械の知識を参考に作ったものであり、造船技術の極地とはいかない。数十人は乗れそうな大ぶりのディンギーに原動機を乗せ、原動機とプロペラをシャフトで繋ぐ。そして横壁を取り付けただけのものだ。その横壁も防護というよりは、転落防止のためのものだった。両舷側で救出するため二隻ある。
簡素な船だった。
「上陸作戦は初めてではありません。今回の状況でも、必要十分と試算します。
――|人形部隊《リベルタドールズ》、作戦開始」
己を二分割し、海上を進んでいく。
●
窓ガラスをわずかに壊している狂信者らの行動によって、リベレーターの船はフェリーへと気付かれることなく接近することができた。ひび割れによって歪んだ窓ガラスは、船外の状況を正しく写さなかったからだ。
フェリーの影へ二隻が同時に接舷。先発の一人がロープで上ると縄梯子を落とし、後続が順次乗船していく。
「…………」
ハンドサインだけでコミュニケーションを取り、進んでいく。今いるのはフェリーの下層デッキで、乗用車やトラックが並ぶ区画だ。車の陰に隠れるように進み、上層の船室を目指していく。
階段を上ると、開けた外部廊下へとすぐに通じる。窓ガラスを慎重に割る奇妙な音が、先ほどよりもよく聞こえてくる。
それはつまり、船室に近づいているということでもあり、敵が窓に張り付いているという事でもあった。
「――――」
船室内部を覗き込んで人質と狂信者らの配置を確認すると、攻撃と救出を両舷でスムーズに行うために、二班をさらに二分割する。
窓の下に隠れた各員は手の中の拳銃、FP-45を構えて、タイミングを待っていた。
そして、その時はすぐに来た。
●
「!?」
船室で窓ガラス割ろうとしていた狂信者らは、それを見た。窓の向こう。風を浴びるデッキフロアに突如として人影が出現したのだ。
ひび割れ始めている窓ガラスでは判別が難しいが、窓の下に隠れていた少女が立ち上がり、こちらに両手で何かを向けているようだった。それは銀色の小板のようであり、
「――!」
次の瞬間、小板の位置から閃光と破裂するような音が聞こえ、窓ガラスが割れ砕けた。船室のあちこちから、一斉に同じ音が響いた。
「うっ……!」
ガラスが散る音と生贄たちの悲鳴の下、自分の身体が崩れ落ちていくのがわかった。
見る。ガラスが砕けた窓の向こう、少女が持っている小板から煙が立ち上っている。
奇襲されたのだ。
●
銃口から煙を散らしながら、リベレーターはもう一方の手に持っていたFP-45を、残っている狂信者に向けた。
「!」
射撃する。空気を破るような音の後、残っていた敵が倒れ、硝煙がさらに船内へ広がっていく。有効射程距離は二メートルであり、人質の事も考えれば慎重な射撃が求められたが、各隊員は成し遂げた。
「人質を救出します!」
√能力によって反応速度は低下しているが、そのためにチームを細かく分けている。攻撃チームがその役割を一端終えた今、救出チームが人質たちの元へ迅速に向かっていく。
「お怪我はありませんか? 我々が助けに来ました。さあ、船があります。脱出しましょう。」
そうして人々を立ち上がらせると、その人数が具体性を持って感じられる。
百名……。
それだけの数が今、船室で不安そうに身を寄せ合って立っている。彼らを守らなければならない。慣れた手つきで再装填を済ませながら、乗客に声をかける。
「希望者がいれば、これを渡します」
装填が済んだFP-45を掲げながら尋ねれば、わずかに手が挙がった。この船の船長や航海士らだ。
彼等に使い方を教え、渡したところ、恐怖の感情がいくらか薄れたのが雰囲気としてわかる。自分の身を守る手段があることで、ある程度の安心を得たのだろう。
「私の分は心配ありません。――何せたくさんありますので」
自分用に新たなFP-45を取り出しながら、分隊に指示を出していく。両舷に分かれ、船まで人質を護送せよ、と。
各員は焦る人々を落ち着かせながら、船室から整然と外へ誘導していく。だが、先ほどの騒ぎで敵も黙っていない。
「逃がすな……!」
フェリーのあちこちから狂信者がやって来る。人質たちは急ぎ小型船へ避難しようとするが、百人ともなれば時間がかかる。護衛の隊員が射撃や相手から奪った武器で足止めをしているが、限界があった。
「かくなる上は――」
「な……!?」
肉薄していた隊員が狂信者に突進し、相手の懐に潜り込むと、そのまま己の身体を自爆させた。
爆圧と轟音がフェリーの両舷で起こり、人質たちからも悲鳴が挙がる。彼らを誘導しながら、また別の隊員が殿へ向かう。
「私たちが足止めします。――早く、脱出を」
救出作戦は佳境を迎えていた。
第2章 集団戦 『狂信者達』

●
√能力者たちの行動は迅速だった。人質を救出し、彼等の感情にもケアを払った。そして、
「――窓が割られた!」
「まずいぞ……!」
狂信者らの儀式の要が、“窓の隙間”であることを看破し、既に割られている窓ガラスを完全に破壊していったのだ。
人質たちのケアによって邪悪なインビジブルが減少し、“窓の隙間”が失せたことによる儀式の破綻。これらは狂信者らを動揺させた。
「くっ……!」
狂信者の視線の先、既に人質たちはドローンや小型船で脱出をし、フェリーを離れている。
「おのれ!! もはやこうなれば、こいつらを生贄とするのだ!」
「儀式の中止はあり得ない!」
フェリーの各地に散っていた狂信者らが、√能力者たちのもとへ一斉に集まって来た。
誰もが怒りをあらわにしており、その手には禍々しい槍斧や刀剣が握られている。
「――ネームレス・スワン様よ、矮小なる我らの献身を許したまえ!」
戦闘が始まるのだ。
●
狂信者らは手に持つ斧槍を握りしめ、避難していく人質へ突撃した。船の床を蹴って、離れていく背中に目がけて武器を掲げる。
その瞬間、間に割って入る姿がある。翼を持つ幼い姿は、先ほど船の上を飛行していたセレスティアルの少女だった。
突然の出現に緩まず、狂信者は武器を振り下ろしていく。
だが、
「な……!」
その攻撃は少女の手前で、まるで見えない壁に阻まれたように止まった。
不可視の力で防がれたのだ。
●
セラフィナは狂信者からの攻撃を耐えていた。人質を逃がすため、彼らの最後尾へ飛び出した彼女は今、オーラによる防御を展開していた。敵の刃は、彼女の眼前で押し留められている。
「っ……!」
二度、三度と斧槍が振り下ろされてくるが、防御を巌とする。
……人質は、無事全員脱出できたみたいですわね。
が、そうして意識を逸らした瞬間を狂信者らは突いた。
「終わりだ……!」
「!?」
死角からの一発だった。セラフィナが反応するより、隠密に潜んでいた狂信者の攻撃の方が早かった。
彼女の意識はそこまでだった。
●
次にセラフィナが目を覚ましたのは、先ほどまでとは違う場所だった。
「う……」
船室より狭く、しかし壊れた窓から見える視界は高い。そこはフェリーの操縦を担う区画、ブリッジだった。床に寝かされている彼女の周囲を、慌ただしく動く姿がある。
「召喚の儀式を済ませよう。不完全でもあのお方を召喚させすれば、奴らを駆逐できる!」
狂信者の姿だった。床に屈みこみ、何やら文様や呪文を書いているようだった。作業は寝ているセラフィナを中心としており、今、彼女に対して背を向けている。今のうちに起き上がろうとしたセラフィナだったが、
「あっ……!」
「!? どこへ行く! どこにも行かせないぞ!」
身体が拘束されていて、それは叶わなかった。声に振り向いた狂信者は床をもがくセラフィナを見ると、短剣を手に近づいていく。
その刃が振り下ろされる瞬間、セラフィナは狂信者の後ろに向かって叫んだ。
「今ですわ!」
「な――」
そこにいたのはセラフィナに瓜二つの姿だった。しかしその表情はセラフィナよりも挑発的で、視線も余裕の雰囲気がある。次の瞬間、もう一人のセラフィナの姿は変化し、美しい婦警の姿となった。
「がっ……!」
その手には警棒が握られており、振り返った狂信者の頭へ勢いよく振り落とされる。鈍い音がブリッジに響き、狂信者は沈黙した。
“|百歌繚変《シェイプシフト》”によって婦警になったセラフィナは、“|知識もつ双子重唱《ダァトアンサンブル》”によって召喚されたただの分身であり、役目を終えた今、既に消失している。
それはつまり、
「この拘束は、一人でどうにかしなければならないわけで……。ううっ」
危機は去ったが、苦難は残っている。セラフィナは床の上をもがきながら、何とか拘束を解こうとしていた。
……でも、この事件の首謀者とはいったい何者なんでしょう?
狂信者らは“ネームレス・スワン”という名を呼んでいた。そして窓が重要ということは、そこに何か手がかりがあるのかと、セラフィナは視線を向けたが、何もない。
しかし、
「何だか不気味ですわね……」
召喚陣や文様、呪文が床に書き込まれているからだろうか。ブリッジの窓からは、船室とは違い異様な雰囲気を感じた。
●
ブリッジからサイコドローンを操作し、窓を破壊して回ったシズクは、狂信者らを観察していた。
彼ら、あの時の……。
動きや戦法に見覚えがある。以前、ある漁村で相対した者たちと似ているのだ。そのときに受けた攻撃は、狂信によって生み出された魔力砲の火炎だったが、
「あの魔力砲、苦手なんですよねえ……」
相性が悪い。人数が集まれば集まるほど火炎の勢いは増し、そうして生まれた熱や風にドローンが煽られるからだ。先ほど零した通り、直接的な“暴”が薄い自分にとって、間接的な手段を封じられるのは面倒だった。
「まあ泣き言言っても仕方ありませんし、やりましょうか」
相性が悪いとしても、対処方法が無いわけではないのだ。戦場となる船室を再確認。ドローンへ追加の指示を与えながら、と言葉は続く。
「幸いな事に、火力を出せる方がいらっしゃるようですし」
ドローンの探知は、狂信者以外の√能力者も把握していた。
●
ドローンを認めた狂信者らの判断は即座だった。
「周囲ごと吹き飛ばす。援護せよ!」
信仰を炎とする魔力砲を召喚し、その威力をもって大規模に破壊せんとするのだ。複数の信者が集まって陣形を組んでいく周囲を、他の信者らが壁のように覆う。
今まで窓を破壊していたドローンは当然、そこを狙って来る。
「う……!?」
数にして二十機近く。船室のあちこちに散開したドローンらが、小型ミサイルを放ってくるのだ。一発一発は弱いが、集中して撃ち込まれるとひとたまりもない。
一人、また一人と護衛が撃破されていくが、ただでさえ椅子が多く並ぶこの船室で、陣を保持すれば回避のための小回りなど効かない。
「このままじゃ削り落とされる!」
「なら、その前に撃破するしかない。そして、その為には魔力砲の召喚が必須だ」
ミサイルを浴せかけられている今、陣を解いてしまえば、それこそ各個撃破が進む。どちらの選択肢も苦難の道だ。
「ならば耐え忍ぶのだ!」
この√でも、以前の√でもそうだった。教主のために雌伏する。それが自分達だ。
「――でも、引き際ってもんは、見極めた方がいいと思いますけどね?」
「手空きの者はあの小僧を抑えろ! ――自由にさせるな!」
たとえ、脅威がドローン以外にもいようと。
●
小型ミサイルが行き交う船室で、叢雲は現状を確認していた。
あれは味方のですね……。
ドローンが放つミサイルはこちらの位置を確実に把握し、誤射を避けている。操縦者の姿がこのフロアで見られないし、気配も感じない。ということは、上層か下層のデッキに身を潜めているのだろう。ドローンが主に天井側に多いことから恐らく上層、ブリッジだ。つまり、今の自分とは十分距離が離れている。
そして、狂信者らは二種に分かれていた。何やら陣形を組んで準備を進めている者たちと、それとは別にこちらへ向かってくる者たちだ。
「助かりますね」
「……!」
状況は大体把握できた。向こうから向かってくるのなら、楽で良い。そんな気楽な気配を察したのか、相手の殺気が膨らんだのが解る。それは斧を持った狂信者で、正面から突進してくる。
激突のタイミングに合わせてこちらから仕掛けよう、と太刀の柄に手を触れた瞬間だった。
突進してきていた狂信者が大跳躍を果たし、こちらに影を落としてくる。
「!」
顔を上げるより早く、太刀で頭上を凪ぐように斬り払った。硬音と手応えが返ってきて、散った火花が視界に振ってくる。
「っ……!」
威力を殺しきれなかったのは手応えから解った。迷わず全身へ妖力を巡らせ、霊的防護で身を固める。
同時。太刀で逸らした狂信者の斧が、右肩へぶち込まれた。強打だった。
「ふっ……!」
強い衝撃に逆らうことなく、飛び退るように後退して距離を取る。先ほどまで自分が立っていた場所に、今は狂信者が立っていた。そこから目を離さず、肩のダメージ、引いては太刀を握る力を確かめる。
いけ、ますね……。
勢いを殺し、防護も固めた。本来の狙いが頭だったことを考えれば、上々の結果だ。
「…………」
床にめり込んだ斧を引き抜いた狂信者はこちらを一瞥すると、その姿を煙のように消した。明らかに異常だったが、それを詳しく確かめる間もなく、ドローンの圧力を潜り抜けた新手が来る。今度は槍を持った狂信者だった。
こちらが太刀を構え直すのと、新手が矢のように跳躍してきたのは同時だ。
先ほどの斧使いと同じく、彼我の距離を一瞬で埋める尋常ではない接近は、間違いなく√能力だ。
先手を奪う上に、隠密状態になる……。
厄介だと、そう思う。
振りかぶってくる槍の狙いはこちらのみぞおちで、身長差から、軌道はやや斜め打ち下ろし気味。自分が取れる選択肢は、ステップによる回避と、先ほどと同様に太刀や妖力による防御だ。だがどちらにしても、今もどこかに潜んでいる斧使いがその隙を突いてくるのは間違いなかった。
「けど、こっちも一人じゃありませんからね」
「……!?」
穂先が胴に突き込まれる間際、槍を持った狂信者へミサイルが多重衝突した。
●
シズクは、ブリッジから階下の戦闘に介入していた。魔力砲とは違い、狂信者らが先ほどから見せているあの√能力は初見だった。
「瞬間的な跳躍と、魔力による自身の隠密化? ですかね」
跳躍位置は能力者が持つ武器の間合い、隠密化は魔力砲と同じく狂的な信仰で得た魔力によるものだ。そうやって相手の能力に目途が立てば対策もできるし、魔力砲へのハラスメント攻撃も順調に進んでいる今、数機のドローンを回す余裕はある。
予想される位置へ置くようにして撃ったミサイルが、槍を持った狂信者へ全弾命中し、相手はもんどりうって倒れていく。
狙われていた少年は、倒れている槍使いから潜んでいる斧使いへと警戒の対象を移したのだろう。周囲を牽制するように太刀を振るったが、
「おや?」
見えぬ相手に対するものと言えど、その太刀筋はいささか雑なように見えた。
ともあれ、自分は自分でどこかに潜んでいる斧使いを探し出すため、サイコドローンから探知魔術を放ったが、その結果が予想外だった。
探知失敗。
しかし、その結果にはむしろ納得がいった。
「彼は、場を掌握するわけですね」
少年は今、太刀を振るい続けている。
●
身を隠していた斧の狂信者は、攻めあぐねていた。
この小僧……!
己は相手の肩へ斧による強打を与えている。なので、先ほどの雑な太刀筋もその影響によるものだと思っていたが、違った。
太刀が叩き込まれた場所を中心に、何らかの空間が広がっていた。力場のようなそれは、半径にして二十メートル近く。そこに飲み込まれた槍持ちは、ミサイルを撃ち込まれたとはいえ、立ち上がることすらおぼつかなくなっていたのを己はその目で見た。
少年は振るった太刀をわざと外し、何らかの空間を広げているのだ。
何だあの空間は……!?
ドローンから放たれるミサイルすら、あの空間を回避している。だが、考えている暇は無かった。
「そこですかね?」
「!」
二発目が来た。すぐにその場から走り、否、もはや転がるようにして効果範囲から逃れる。
回避は何とか成功したが、全長五十メートルのフェリーだ。三発目を打たれてしまえば、船室の大部分が支配下に置かれる。その前に勝負を決める必要があった。
未だ己の隠密は解けていない。まだあの空間に掌握されていない地点を進み、急ぎあの少年を仕留めなければならない。
だからそうした。
「おお……!」
物音や声など、もはや気にしている余裕はない。床や椅子、壁まで蹴って無事な経路を最速で進むと、その細い首目がけて斧を振りかぶった。
「――目覚めろ、大蛇ども」
「!?」
直後。己の眼前にて、少年の影から何かが起き上がった。
●
叢雲が振り返るころには、自分の影から伸び上がった大蛇の首の一つが、不可視の存在に噛みついていた。
「ぐあ……!」
何もいないはずのそこから悲鳴が聞こえ、見覚えのある斧が落下する。
影の大蛇はその首を十本に増やしているが、普段との変化はそれだけではない。手にある太刀は枝刃が六、尻尾は二本追加されている。
“八岐殺伐”。影業と太刀、尾は数を増やしただけでなく、それぞれ捕食力と貫通力、蹂躙力も増加している。
「きょ、距離を取れ!」
発動者以外の行動の成功率が半減する地帯、載霊無法地帯があちこちに広がっているこの船室で、今の自分を止められるものはいなかった。大蛇の首が届く範囲にいる者は、既にその顎の餌食となった。退避しようとする者もいたが、載霊無法地帯の中では退却という行動にだって影響が出る。
しかし自分だけは違う。一歩を踏み込み、退却、反撃、隠密、ありとあらゆる行動に失敗する狂信者らへ、七支刀然となった太刀を振るっていく。
中には行動に何とか成功し、こちらへ攻撃を振るえる者もいるが、全体の中でそんな幸運なものは僅かで、攻撃を振るわれたとしても十分に見切って躱せた。隠密が成功した者からの攻撃は、第六感が殺気を察知するし、大蛇たちの目もある。
「く、くそ……」
敵は、追い詰められつつあった。
●
シズクもドローンに最終攻勢を命じていた。階下のデッキから轟音と悲鳴、叫びはひっきりなしに続いている。
「魔力砲は――」
まだか、という狂信者の言葉はその続きが聞こえなかった。それは発声という行動を失敗したのでもなく、刀や大蛇に撃破されたからでもない。振り返った先、自分たちの切り札とも言える光景が絶望的だったからだ。
船室の奥まった場所で陣形を組んでいた狂信者らは、ドローンの集中砲火と少年の猛攻でその数を当初より大分減らしていた。
残った狂信者らの間に浮かぶ火炎の砲は、ある程度の魔力密度を感じるが、ここまでかかったコストを考えればそれは弱々しく、か細い炎と言えた。
「――撃つ! 殉教を誇れ、同志らよ……!」
こちらのドローン、影すらも強化した少年、そしてその射線上にいる狂信者ら。すべてを飲み込み焼き払うための一発だったが、やはりその威力は十分ではなかった。
ドローンは熱波に煽られはしたが、ただそれだけだ。術者の少ない魔力砲では、コントロールを奪えない。
少年だって直線的な軌道を難無く回避し、影は光によって薄まるが、同時に濃くなった別の部分へ逃れていくだけだ。
「うう……!」
回避や防御に失敗した狂信者らだけが炎に飲み込まれ、吹き飛ばされていった。
船室から窓の外へと火炎が抜けていく。ドローンのミサイルと少年の太刀は、そんな炎とすれ違うようにし、奥で砲を抱えたままの狂信者らの元へと走った。
激しい衝突音と爆発音が階下から響いた。それを聞きながら、言う。
「儀式を破壊し、術者の撃破も進んだ今……、本来召喚されるはずの大物が、完全な形で出てくる事はないでしょう」
焦らず、落ち着いて、着実に数を削れば、儀式も怪異も必ず機能不全となる。
●
「……っと。粗方片付きましたね。他の√能力者の応援に参りましょうか」
叢雲は太刀を構え直し、もはや動くものが少なくなった船室を見回す。相手は大量の人質を確保し、大量の窓へ細工しようとした連中だ。まだ姿を見せていない者たちが、やはり大量に残っている。
「お、あっちですか? 案内お願いしますね」
多脚のドローンは探知機能があるのか、確かな足取りで船内を移動し始める。自分もその後に続き、共に新たな戦場へ向かって行った。
●
リベレーターたちは、作戦の第一段階をクリアした。
人質解放を完了……。
フェリーから離れていく小型船から視線を外し、戦場に意識を戻す。自分も含め、分隊員は物陰に隠れて狂信者と応戦しているが、その数はフェリーに来た時よりもずっと少ない。
船の操縦に二体が割かれ、数体は自爆攻撃を敢行した。隊員は当初の半数以下まで減っていた。
「コストを考えれば、これは素晴らしい戦果です。またひとつ|我々《リベレーター》の有用性が証明されました」
小型船を見送ったフェリー後部では今、追いつ追われつの状態へ移っていた。自分たちには射程の問題があるし、狂信者らが持っているのは接近戦用の武装だからだ。
「自爆攻撃にだけ気を付ければ、連中が持っているのは豆鉄砲だ!」
射程に含めようとこちらが近づけば、あちらは後退する。かと言って自爆攻撃を知っている向こうは、こちらのリロードの隙すらも突いてこない。精々が付近の物を投げつける程度だ。
追っては後退し、互いに消耗が無い。状況を変える一手が必要だった。
●
接近戦用の武器しか持っていない自分たちにとって、それは√能力以外に無いと、狂信者らは理解していた。
「相手をそのまま誘導しろ! 我々は魔力砲を召喚する!」
魔力砲『信仰の炎』。教主の許可を賜れば、あのような脆弱な相手など自爆の範囲外から一度に吹き飛ばせる。
勝負を決めるのは今立っている外舷通路だ。船室の外側を船首から船尾方向へ伸びるこの通路は、砲撃に絶好な一直線の通路である。海風はあるが、その程度では炎は揺らがない。何より、幸運にもまだ大きくガラスが残っている窓が船室にある。この方向であれば、そのガラスにも影響を与えない。
相手の足止めに何人か残し、残りは魔力砲召喚のために船首側の通路突き当りまで走っていく。
その時だった。空に何かが見えた。
「あれは――」
海への転落防止用のハンドレールを掴んで身を乗り出し、空を見上げた。
海風が何かを運んできていた。
●
リベレーターは状況を打開するための一手を投じていた。
「もう隠密行動の必要はないのです」
「! 伏せろ!」
ならば派手なアプローチも選択肢に上がる。こちらの数が少なくなり、相手も射程に近づいてこないのだとしたら、外から数を増やせばよい。
“|お買い物から自爆まで《 ウールワース・ガン》”。呼び出された“追加発注分”の十四体は空中から投下され、眼下のフェリーへ弾丸を撃ち込んでいく。船首へ向かおうとしていた敵グループは、そんな奇襲によってすべて撃破された。
彼らがいたそこへ着地すると、こちらの足止めに残っていた者たちを挟撃する位置取りになる。すぐさま外舷通路は確保された。
合流して部隊を結集すれば、ちょうどそこは、ガラスがまだ残っている窓だった。
船室と通路を挟むそのガラスは儀式の触媒であり、破壊するべきものだ。
「これ以上の窓ガラスの喪失を、敵は回避したいものだと推測できます」
もしまだ残っているものがあるのならば、狂信者らは固執するだろう。その心理を利用するため、分隊は即座に行動した。窓ガラスを中心に布陣を敷くのだ。
「! まずい、奴らをあそこから剥がせ!」
まだ無事な窓ガラスを挟めば、船室にいる狂信者らはこちらに手出しができない。必然、こちらを窓から排除するために回り込むようなルートを通るが、そこには先んじて他の隊員がトラップを敷いている。
銃声が鳴り響くのを聞きながら、狂信者たちが言っていた言葉を思い返す。
ネームレス・スワン……。すわん、……白鳥?
狂信者らが呼び起こそうとしている怪異だ。今回の事件の黒幕と言えるが、手がかりが少ない。窓の隙間と白鳥、その程度だ。
「我々の記憶領域には該当しません」
今優先すべき思考は、これから迫り来る脅威だ。
「――総員戦闘準備」
トラップの作動音を合図に、全員が動き出していった。
●
フェリーに乗り込んだ風音は、すぐに狂信者との戦闘を開始した。人質の救出は既に済んでおり、後は元凶をどうにかするだけなのだ。
「シンプルで良いですね」
迷う必要が無いからだ。
大剣を構え、一気に踏み込んでいく。
●
狂信者たちは焦っていた。生贄が解放され、今や儀式の触媒となる窓ガラスも破壊され続けている。
「……!」
今も怒号と破砕音がフェリーに響いている。儀式が妨害されるだけでなく、自分たちの数すらも減りつつあるのだ。このままでは、たとえ戦闘に勝利しても儀式の再開が不可能となる。いわんや、このフェリーからの脱出など絶望的だ。
全員に焦りが広がっていく。状況を立て直す必要があった。
「――総員! 旗印のもとに団結せよ!」
「!」
分散したままでは各個撃破されてしまうのが目に見えている。地下に潜み、耐え忍ぶ自分たちにとって、協力と結集は不可欠だ。掲げられた旗印の元へ残っている者たちが集まり、一個十三人のグループが作られていく。
「連携して敵を撃破する!」
遅れるな、と、そう言った直後だった。
「――――」
速く、鋭い力が船室を突っ走り、十三人の間を抜けていった。
波のように迫り、しかし葉のように薄い一撃だった。
斬撃だ。それが、飛来してきた。
●
大剣を握る風音は、狂信者の手足から血が滲むのを見た。今やローブは裂け、そこから溢れた血が黒の色をさらに濃くしている。
「……あそこだ!」
攻撃したこちらを突き止め、狂信者のグループが接近してくる。その様子を見ながら、しかし、と思う。
……遅いですね。
接近の速度ではなく、反応そのものがだ。斬撃を受けた際は防御や回避が、斬撃を受けた後は察知が。それぞれに遅れがある。
しかし動きに乱れは無かった。今も、狭い船内であろうと適切な陣形を組み、こちらを包囲しようとしている。
「!」
合わせて、自分も動き出した。もはや相手の手の内は知れている。旗印で人員を統率する一方で、全員の反応速度が低下する√能力だろう。ならば自分がやるべきは、
「――私の速さについてこられますか?」
相手を速度で翻弄することだ。
“|時の精霊術「早送り」《 ファスト・フォワード》”。先ほどと同様、加速された斬撃が霊的な衝撃となって宙を行く。
横凪ぎの一閃が船室を走り、また狂信者らの四肢に直撃した。しかし今度は、四肢を完全に破壊するほどの一発だった。
「な……!?」
手足が断たれた者もいれば、筋を砕かれた者もいる。身体の重心が突然変化したことで彼らはバランスを崩すが、やはり反応など出来るはずもない。床に倒れ、驚愕の視線を向ける先にはもう、自分は立っていない。
「は――」
「速すぎる? いいえ」
と、狂信者の背後から声をかけると同時。今度は衝撃波ではなく、刃で直接の四肢を断った。相手は振り替える間もなく、受け身も取れない。潰れるように床に臥し、それだけだ。
臥した敵は動かないが、己は止まらない。船室の中を駆け回り、時の精霊大剣を疾風のように振るっていく。その度に狂信者らは倒れていくが、反撃らしい反撃も返ってこなかった。
「信仰に目が曇っているから、私の事が見えていないだけでしょう」
「……!」
狂気の旗印に集った者たちは、激昂すら一拍の間があった。怒りで力が入り、硬直した身体も直後には斬撃によって解かれていく。
「残りは一人……」
床を踏みしめて蹴り飛ばすと、正面から大剣を叩き込んだ。
一刀。
フェリーを占拠した狂信者ら、その最後の一体が撃破された瞬間だった。
第3章 ボス戦 『対処不能災厄『ネームレス・スワン』』

●
「――――」
フェリーから脱出していた人質の一人は、|それ《﹅﹅》に気づいた。
……なに?
光も音も無かった。ただ、気配だけを感じたのだ。
何処からか、と疑問するまでもない。遥か後方、たった今も離れていっているあのフェリーからだ。
好奇心に駆られて振り向けば、そこにあったのは異様な景色だった。
「――翼?」
フェリーの全ての窓から、白鳥の翼が外に飛び出していたのだ。
●
それ以上は直視できなかった。すぐに視線を前に戻し、今見たものを頭から追い出そうとした。
「――き、気のせいだよ」
隣に座る友人の言葉に、頷くしかなかった。
●
結局のところ、異常な光景を目撃しても心を守ろうとする“普通の人々”と、√能力者は違う。現場である船室にいる√能力者は、動揺をしたとしてもその光景を正しく認識していた。
船室の東西南北に存在するすべての窓から、外側に向けて巨大な白鳥の翼が突き出ている光景を。そして内側に向けては、人の頭部が船室を覗き込んでいるという光景を。
『――――』
間違いなく怪異だった。
真っ白な頭部は一つの窓に複数が密集し、総数で数十を超える。そのどれもが感情を感じさせない表情で、船室を、否、√能力者を覗き込んでいる。
よく見ればその目からは血涙が流れており、野放図に育った蔦のように脊髄が伸びて、絡み合っていた。
次の瞬間。
『あ』
という声が、白い頭部の全てから放たれた。それは単音で、意図や意識を感じさせない発声だったが、
『あ』
次第に連続し、伸びやかになっていく。
「――――」
フェリーの各所に倒れている狂信者らの身体から、呼応するように光が生まれた。それは身体に刻み込まれた文様であり、呪文でもあった。
狂信者らが自分たちの絶命をトリガーとし、不完全ながらも強制召喚した怪異、ネームレス・スワンが今、フェリーに現れたのだ。
●
ネームレス・スワンはフェリー全体を上から抱き込むように、覆い隠すように顕現し、頭部や翼、脊髄を√能力者がいる船室へ捻じ込もうとした。
が、
『――――』
そこに“窓の隙間”は無かった。あるのはただ、ガラスを失った窓枠だけだ。
それは条件として不適であった。各地を巡る船上移動神殿の条件としてはこの環境は不足だった。
これを“窓の隙間”と己の中で再定義するよりは、もっと手っ取り早い方法があった。
『!』
脊髄で引っかけた狂信者の死体を窓枠にはめ込み、“隙間”を作ったのだ。
『良きかな』
その“隙間”から、√能力者たちを覗き込んだ。
●
√能力者たちの中、真っ先に動き出した姿がある。
「……!」
船室の床を蹴って、突然現れた怪異へ向かって行ったのは白鵺だった。
●
白鵺は行った。一歩目から全力だった。手に持つは百八十センチメートル程の金属製卒塔婆、怪力乱神・嶽殺棒であり、障害物の多い船室内部でそれを器用に回す。
「――先制攻撃だオラアッ!!」
そのまま、窓から覗き込んでくる白い頭部へ嶽殺棒を叩き込んだ。侵入口が窓と限定されているなら狙いやすいし、向こうも回避しづらい。
よっしゃ……!
当たる。そう確信しながら振り抜いたフルスイングだった。果たして、掌に返って来る感触、周囲に響いた鈍い音。一撃はクリーンヒットだった。
手応えに満足しながら、白鵺は振り抜いた嶽殺棒を手の中で回し、ネームレス・スワンを見た。
「――お?」
事実、頭の一つは砕かれていた。目からは血涙を流していたが、割れた頭から見える中身は空洞だった。だが、白鵺が注目したのはそこではない。
「オ、オオ……。マジか」
窓枠の向こうで、新たな頭が生まれているのだ。それは砕かれた頭を押し退けるようにして増殖し、呆けたような、叫んでいるような、感情の読めない表情でこちらを覗き込んでいる。
直後。窓の外から船室へ、脊髄が突き込まれて来た。
「ハッ……!」
狂信者の死体が作った“隙間”からの鋭い一撃をステップ一つで回避し、白鵺は楽し気に息を吐く。今、彼女の前では頭部だけでなく翼と脊髄も増殖してた。
ネームレス・スワンの√能力なのは明らかだった。
『ア……!』
今や船室内部は、増殖し、連続して突き込まれる脊髄の鋭さで荒らされ、翼が起こす突風が床に固定された椅子すらも震わせる。
そして、
「頭が増えル? イイねぇ、モグラたたきダ!!」
『……!』
隙間から押し入ってきた頭が噛みついてくるのを、白鵺はすんでのところで躱し、カウンターとして一撃を叩き込む。
直撃。そして、止まらない。ネームレス・スワンの頭部は増え続けているのだ。嶽殺棒を回し、さらに別の頭を殴りつける。
「高得点狙うゼ、――ヒャッハーッ!!」
連打だ。打撃のたびに嶽殺棒を握る手を入れ替え、踏み込む足を組み換え、ステップし、ターンする。
打ち続ける。打撃の重音とハイテンションな叫び声が、船室内部に響いていった。
●
「真打登場ですね」
『ア……!』
船室を覗き込む頭部、ネームレス・スワンが動き出すのと、叢雲が動き出すのは同時だった。狂信者の死体で作られた“隙間”から、鋭い脊髄が船室に突き込まれてくる。それを回避しながら、思う。
死体すら道具にされるって、報われないのか本望なのか……。
ああまでするほど、窓の隙間というのはあの怪異にとって重要なのだろう。そしてそのために、信者らは文字通り身を捧げた。
「どっちにしろ……その献身は無駄に終わりますよ」
畢竟、今向かうべきは窓が無い空間で、戦場においてそれは甲板だ。顕現しているネームレス・スワンを、そこからならば討てる。
そしてそんな狙いは相手も読んでいるのか、脊髄による刺突は先ほどからひっきりなしにやってきている。だが、突き込みは必ず死体で装飾された窓からであり、狙いは自分なのだ。
限定的な攻撃は回避するのは容易い。低い姿勢で脊髄を躱すと、胸を膝につけるような走りで船室を疾走していく。瞬く間に船室にある扉の一つへ到達すると、甲板への脱出を果たした。
おお……。
緑のペンキが塗られた鉄板の上を、滑るように制動をかける。そうして周囲を見れば、その異様さに気付く。まだ日が出ている時間帯なのに、周囲がかなり暗いのだ。
フェリーを抱きかかえるようにして顕現したネームレス・スワンが、その巨体で日光を遮っているからだった。
七妖巧のひとつ、鬼火が灯ったランタンを掲げて視界を確保すれば、周囲の状況がよく分かる。見上げれば、白鳥の翼や脊髄が空に広がっている。自分が先ほど発生させた雲も、今は翼や脊髄の間からしか見えなかった。
そして、そんな脊髄に支えられた頭部がこちらを見下ろしている。そこに目がけ、ランタンとは逆の手に持っていたものを一気に投げつけた。
爆裂メンコ手裏剣。甲板から飛翔するような勢いで上ったメンコは、その名の通り手裏剣のように件の頭部へ突き刺さり、火炎と衝撃波をぶちまけた。
そして、メンコは一枚だけではなかった。
「ダブったメンコはこう使う……!」
『……!』
数にして三百。それだけのメンコを一気に投擲し、各所にある頭部を一斉に爆撃していく。大気を焼き広げる爆発音と頭部を砕く破砕音が、翼に覆われたドーム内で多重に鳴り響く。
頭を砕いても、相手には脊髄がある。が、あの怪異は窓の隙間が存在しないと介入できないのだ。この甲板上では杞憂だ。
「!」
しかし、脊髄は突き込まれてきた。
何故、と思うよりも先に身体は反応し、抜刀した太刀でそれを受け流す。身体のすぐそばを脊髄が通り過ぎて行くが、そちらよりも、甲板上であっても向こうが介入できた原因を見ていた。
「窓枠ごと引っぺがしてきたんですか」
船室からもぎ取った窓枠とそこに付随した死体があれば、やはり“窓”と“隙間”があるのだ。
介入が、連続してきた。脊髄で空中に保持した窓から、矢や槍のように脊髄を発射してくるのだ。
意表を突かれたが、先ほどの船室より甲板は広い。そして、取り外した窓枠だって少ないのだ。船室の時よりも大きく回避していき、フェリー上部へと続く足場を見つけると、そこを上がっていく。
乗客の乗用車を詰めるか―フロア、そして乗客用フロア。そこより上のデッキとなれば、航海士が詰めるブリッジだ。
「ここまで上れば十分ですね」
走りで脊髄を置き去りにしながらブリッジの屋根上まで駆け上がると、前方に見える景色は奇怪の一言だ。
脊髄の絡まりに、頭部が埋まっている。ネームレス・スワンの胸とも言えそうな部位を前にして、己は躊躇わなかった。
「――八雲立ち」
屋根端を踏み切り、前へと跳躍していったのだ。
●
その最中、叢雲の身体は立ち騰る雲を纏い、手はある物を掴んていた。
それは太刀の柄だった。
「八重に斬り捨て」
“禍蛇切り”。周囲にあるもっとも殺傷能力の高い物体を得物とし、敵を打つ。
果たして、握られた太刀が鞘の中を滑り、そこから飛び出した刃が、ネームレス・スワンの胸を切り裂いた。
居合の一撃だった。一息で脊髄の絡まりは断たれ、密集した頭部の多くが切断されていく。
そして、
「――八代祟らん」
『……!?』
胸元を線上に裂かれたネームレス・スワンは身を悶えさせたが、それは傷や衝撃によるものだけではなかった。一撃に込められていた大蛇の呪毒が今、その身を蝕んでいるのだ。
跳躍から足場に降り立つと、己は再びフェリー上を駆けていく。その最中にもネームレス・スワンの末端を攻撃するが、相手の反応は先ほどよりも鈍く、太刀の直撃を食らっていく。
「その図体じゃ元々機敏でもないでしょうが……、身を捩れば躱せたはずの攻撃すら受けて、じわじわ削られる鬱陶しさをご堪能ください」
『ア、ア……!!』
呪毒に苛まれ、刃に削られている怪異の声はひときわ大きく、そして連続していった。
●
音階と拍子を持った声の連続は、歌となる。
●
船上にネームレス・スワンの歌声が響いた直後、もう一体のネームレス・スワンが顕現した。
「!」
座標はフェリー隣の海上であり、突然生まれた大質量は環境に波乱を起こす。押し退けられた大気と海水が、フェリーを大きく揺らしていく。
不安定になった足場からフェリーのデッキへ、叢雲がすぐに降り立つと、着地で固まった瞬間を脊髄や頭部が狙いにきた。が、即座に金神符を叩きつけ、脊髄と頭部のどちらにも麻痺を与える。その隙に、揺れる船内を後退していくが、頭上からの声を聞いた。
『解毒を願ふ……!』
『そうあれかし』
直後。追加顕現したもう一体のネームレス・スワンが光となり、もう片方のネームレス・スワンを照らすと、やがて消えていった。
「……!」
出現した時とは逆に、先ほどまでネームレス・スワンがいた箇所へ、周囲の大気と海水が一気に流れ込んでいく。それは、すぐ傍らに浮かぶフェリーにとって甚大な影響だった。
「一旦、仕切り直しですね」
逆揺れが加わった船内の中、そう呟くと、ネームレス・スワンとの距離を取っていった。
●
シズクはブリッジにて、窓の向こうから覗いてくる怪異ネームレス・スワンを観察していた。
まあ、私も半分怪異みたいな身体ですし……。
窓から覗く数十の頭部、そして死体で装飾された窓枠。そのような異様な光景であっても、今更怪異の狂気に影響されたりはしない。
が、
「こっちから攻める方法も無いんですよねー」
『!』
敵は脊髄を窓の隙間から刺し込み、こちらを串刺しにせんとしてきている。なので窓から離れるが、ブリッジは狭い。下の乗客用船室まで繋がる内部階段を、サイコドローンたちも引き連れて降りていく。
「ドローンの豆鉄砲でどうにかなる感じじゃないですし……」
フェリーを抱えるほどの怪異だ。撃破するには大型の火力がいる。
「では、何が必要なのでしょうか?」
「航空母艦用レールガンとかですかね。それも超常現象阻害弾頭で。でもあれは――」
と、そこではたと気付く。
「名前から、どちらも高価な武装と予想できます」
階段の下、壁に背を付けて船室を窺っている姿がある。
レプリノイドウェアを着た少女だった。
●
リベレーターたちは階段を含め、船室の各所に潜んでネームレス・スワンを確認していた。いくつかの窓は狂信者の死体で装飾されており、頭部や脊髄に制圧され、激しい攻撃を繰り返している。自分たちの頭数がいたところで劣勢は免れない、とそう判断できた。
しかし今、火力の可能性が出て来た。
階段の上にいる√能力者の方へ視線を向ける。そこにいたのは、ビジネスカジュアルに黒縁の眼鏡、品の良いバレッタを身につけた女性だった。
……実業家の方でしょうか。
高価な兵器について言及していましたしね……、と総合的に判断しながら、やはり重要なのは“それ”だ。
「レールガンに特殊弾頭……。それらがあれば、あの巨大な異形を倒せますか?」
「いや、それがレールガンは据付型で。今ここには……。
ああ、状況が分かりやすいからって船に乗り込んだのは早計でしたかね……」
実現していれば重火力による支援が期待できたが、どうやら現状は難しいようだった。しかし、そうであっても自分たちがやることは変わらなかった。
……我々に優勢な戦いなど、今まで一度もありませんでした。
不利な状況など常で、だからこそいつも通りの戦い方をしようと、そう思った。
だが、
「ちょっと、待っていてください……」
彼女がこちらに手の平を向けると、表情を固くした。その雰囲気や素振りは、自分もよく知ったものだった。
誰かと、通信しているのだ。
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……正気ですか!?
シズクは言葉として、思考を相手へぶつけていた。それは目の前の少女ではなく、己の内部に存在している相手だった。
自身の右目と各所の神経を置き換えて共存している存在、邪神の落とし子、名をイォドと言う。
――シズク。
呼びかけの後、イォドからの言葉が来る。
――|神輿《シンヨ》、|天叢雲《アメノムラクモ》、|神楽《カグラ》。そして我々が存在する。
端的な言葉だった。そして、その言葉が意味することは何か。
分霊によるWZの遠隔操縦……!
イォドは無数の分霊の集合体だ。サイコドローンの一つは司令塔としてイォドの依り代となるし、それ以外にも分霊の行方は多岐にわたる。それは、人質を避難させ終えたカーゴドローンもそうであり、現在、その分霊は手空きなのだ。
だとするのならば、カーゴ内部のWZを分霊で操縦し、搭載されているレールガンを発射できる。
ネームレス・スワンという障害に対する解法であり、その手段も存在している。
問題は、それら二つがリンクしていないことだった。
……WZの操作は、実験で上手くいったことなかったですよね!?
イォドの案では、神楽の操縦に加えて天叢雲の照準と発射もこなす必要がある。さらに問題は、標的となる怪異がフェリーを覆うように顕現していて、自分と他の√能力者がその船内にいるということだ。
自分だけなら、あのような強大な怪異を討つためであれば“アリ”か“ナシ”か、という選択も俎上に上がるが、他の√能力者がいるのはマズい。
制御は必須だった。
……だけど、そんな精密操作できるわけ――、ちょっと? 聞いてます? イォド!?
伝えるべきことは伝えたとばかりに、相手は沈黙を返すだけだった。
悩んでいる時間は無かった。
あーもう、わかりました! ――お願いします!
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「……話は、まとまりました……」
頭痛に苦しんでいるような疲れた表情をした彼女を見ながら、リベレーターは頷きで続きを促した。
「ここから離れた位置にあるWZを遠隔操縦して、レールガンの照準を合わせ、ネームレス・スワンを穿ちます」
「妥当な作戦のように聞こえます。ですが……、その表情は作戦に懸念があるようです」
「まず、操縦が失敗する可能性が高いです。良くて不発、悪かったらフェリーが穿たれます」
「成程。ですが、心配ご無用です。我々はバックアップ素体があります。――ですので、もしもの場合はお気兼ねなく、客室ごと吹き飛ばしていただいても構いません」
「…………」
安心させるつもりで言ったのですが、何だかさらに複雑な表情にさせてしまった気がします。
しかし、作戦とその流れは解った。
「チャンスと時間を作る必要があるのであれば、我々が役目を担います」
「こちらとしては、その申し出は願ったりかなったりですが――」
彼女の視線は、装填したFP-45とこちらの身体に向けられた。
「貴女の戦い方もドローンで見てはいました。その拳銃と自爆攻撃ですね?」
「はい。そして、それ以外も含めた全てです。それが|我々《リベレーター》の戦い方です」
決まりだった。
点呼をする。
「総員二十名」
椅子や柱の影、外舷通路に機関室、船内のあらゆる箇所で全員が戦闘態勢を完了していた。
繰り返す。
「二十名です。
航空母艦用レールガンと超常現象阻害弾頭、および遠隔操縦可能なWZ。それらのチャンスを、たった二十名で作れるのです」
だとするのならば、
「今回の我々の費用対効果は、破格です」
作戦を開始していく。
本懐を果たすのだ。
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リベレーターは思う。支配が常ならば、反乱は権利であると。
支配を押し退け、打ち砕き、解放を叶えるためには力がいる。実際的で、強制的な力だ。
例えば剣や斧、槍だ。これらも力であり、狂信者らはそれで人質を支配していた。自分たちの出番だった。今や彼らは死体で、人々は解放された。
しかし次はネームレス・スワンという異形が現れ、死体すらも支配した。
「……!」
そして、こちらをも支配せんと迫ってきている。窓枠に死体をはめ込み、“隙間”から脊髄による刺突などを届けてくるのだ。
強烈な力だった。服従と屈服を強制させようとする大きな力だ。
従うべきか。
「いいえ」
二十名は怯まなかった。一糸乱れぬ動きで戦場を移動していく。だが、それは回避のためではない。
「我々に優勢な戦いなど、今まで一度もありませんでした」
『ア……!』
むしろ、相手の攻撃へ飛び込んでいった。
誰もが脊髄に貫かれ、歯で嚙みつかれ、翼によって身体を叩きつけられていく。
「っ……!」
見える。標本のように脊髄で壁に留められた者もいれば、顎や翼で床へ押さえつけられた者もいた。臓器や筋肉など身体の各所に致命傷を食らっているのは明白だった。
だが、それも覚悟の上だった
「|我々《リベレーター》の、本質、本懐……」
それが今、果たされる。
二十名は各々、自分を留めている異形を手で掴むと、逆の手に持っている物をそれに押し付けた。
「『解放の信号』が聞こえますか?」
『!?』
たった今出現した、新たなFP-45だ。引き金を即座に引く。
『ア……!!』
発砲音は今までとは違う、強烈な一発だった。
“|解放の信号《フレア・プロジェクター・フォーティファイブ》。相手の武器や√能力を食らうことで、その特性を複製したFP-45を創造する。それは、“敵の武器を奪う”という自分たちの本質を体現する√能力だった。
ネームレス・スワンから奪った√能力は、発動者の何某かの貫通力と捕食力、蹂躙力を強化するものだった。ならばと、捕食力と蹂躙力をFP-45へ与え放ったのが、先ほどだ。
たった一発で、異形の各部は様変わりしていた。翼も脊髄も基部から掻きむしられたように抉られ、弾丸に捕食された頭部は跡形もなく消えていった。
「――ふ、ぅ……」
千切れ飛んだ白鳥の羽根が舞う中、拘束から解かれた自分たちは言う事を聞かない体を引きずっていく。
かなりの損傷だった。ネームレス・スワンがダメージから復帰し、再び√能力を発動すれば、誰もがそのまま呑み込まれてしまうのは明らかだった。
だが逃げも隠れもせず、可能な限りの速度で前へ進んでいく。
「まだ……我々には、用途が残っています……」
点呼をする。
欠員は無かった。
フェリーを抱きかかえるようにして現れたネームレス・スワンは、当然、船体と密接している。そこに目がけて、二十名は進んでいった。一部はハンドレールを乗り越え、船外の異形部へ向かって身を投げ出すようにしながら。
身体は、高熱を帯び始めていた。
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――バックアップへの意識転送を完了。
願わくば、次の私も弱者の力になれますよう。
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一斉に爆発が生じたことを、ネームレス・スワンは身をもって知った。
『――!!』
身体に咲いた赤と黒の花は、数にして二十。積み重なった爆音によって己の声すら聞こえなかった。
身体の各部が、火炎と衝撃波によって崩壊していくのが解る。全身が一気にバランスを崩し、天を仰ぐように後方から海へ倒れていく。
その最中だった。
『――――』
己に纏わりつく黒煙の向こう側に、眩い光が見えた。
あれは――。
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イォドはカーゴの分霊から神楽を制御した。己が操縦できるようにカスタマイズされたWZだったが、しかしそのまま操縦するのでなく、自身との合体を狙った。そうすれば、操縦や制御へ深いレベルでの介入を叶えるからだ。
果たして、神楽はその名を変える。
|建御雷《タケミカヅチ》。艦載された天叢雲を得物とし、照準をネームレス・スワンへと合わせていく。
WZの視覚素子、レールガンの望遠素子、そして己が存在するシズクの右目。すべてがターゲットの状況を知らせてきた。
――砲撃準備開始。
視界の中、レプリロイドたちが怪異の攻撃をその身で受け止めていた。
天叢雲の砲身内部では、レール間にプロジェクタイルを設置される。弾頭は当然、超常現象阻害弾頭だ。
レプリロイドたちが発砲。反撃に転じていく。前進していく。
天叢雲は装填が完全に完了し、コンデンサバンクは電力で満たされている。
船上で爆発が起こった。
ネームレス・スワンがその威力に押され、フェリーから身を剥がしていく。ズームされた視界の中を、大きく仰け反った怪異の身体が埋め尽くしている。
――発射。
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シズクはもはや怪異が剥がれた窓枠に手をつき、身を乗り出してイォドに視界を与えていた。名も知らぬレプリロイドが自爆し、砕けた怪異の一部が体を掠めようと、構わなかった。
全ては一瞬だった。
天叢雲への電流投入を投入すれば、閃光と放電音が砲口から一瞬漏れる。砲身となるレールが超電流を抱えた結果のアーク放電だが、別の大音がすぐにそれを吹き飛ばした。
「!」
砲口から音速超過で飛び出したプロジェクタイルが、衝撃波を大気にぶちまけたのだ。
レールに電流が流れれば強い磁場が発生し、そこに挟まれている物は莫大なローレンツ力を持つ。
前へと直進する力だった。大気を切り裂き、海面を飛沫かせながら、一直線に飛来してくる。
突風が肌を撫でた、とそう思った刹那。
『――!!』
ネームレス・スワンに、プロジェクタイルが直撃した。
『ア、アア……!!』
突き刺さった超常現象阻害弾頭は、その名の通りの働きをしていった。怪異の身体を緩むことなく突き進み、この世ならざる全てに作用していくのだ。
脊髄と翼は呆気なく折れ、頭部が陶器のように割れていく。
ネームレス・スワンの声は今、明らかに痛苦に満ちており、その声量も乏しく、衝撃によって濁っていた。
次の瞬間。フェリーから剥がれつつあった身体がもはや堪え切れず、海へと落下していく。
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大きな水飛沫が上がり、フェリーが揺れる。海の上ではまるで壁のように水が立ち上がっていたが、すぐにそれも戻っていく。
見える。揺れる海面の上には、もはや何も残っていないのを。羽根すらひとつ残らず、消え失せていた。
海上に残っているのは、窓ガラスがすべて割れ、船室に狂信者の死体が転がる荒れ果てたフェリーだけだった。
「……終わったんですね」
ネームレス・スワンを、撃破した瞬間だった。