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クヴァリフの仔らを鹵獲したくばメイドカフェに行くがよい

#√汎神解剖機関 #クヴァリフの仔

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●クヴァリフの仔らを鹵獲したくばメイドカフェに行くがよい
「っていうのが作戦の概要なんだよねー。わかった?」
 わかるわけがない。そんな誰かの視線を感じたのだろうか。伽々里・杏奈(Decoterrorist・h01605)は「しょうがないなあ」と説明を始めた。

「この世界において怪異ってのは人類の脅威だし一般的には隠されてるんだけど、何かの理由で怪異の存在を知って、しかも怪異に魅入られて崇めちゃってる狂信者たちがいるんだ。ま、この世界の薄暗い絶望の中で人間を超越したつよつよ存在に出逢っちゃったら、盲目的な信者になっちゃうのも無理はないかもしれないよねー。
 で、仔産みの女神『クヴァリフ』は知ってる? 知らなくても大丈夫だよ。とにかくそんな名前の怪異が、狂信者たちに自分の『仔』である怪異の召喚方法を教えてるって事が星詠みでわかったの」

 杏奈いわく、その手法によって召喚される『クヴァリフの仔』はぶよぶよとした触手状の怪物で、それ自体はさしたる戦闘力を持たない矮小な存在だ。しかし他の怪異や√能力者と融合することで宿主の戦闘能力を大きく増幅させる作用があるという。
「どんな事に使われるかわかんないけどさ、トツゼンすっごい力を手に入れちゃった人間なんてどーせ碌な事しないよね? だから狂信者達も『クヴァリフの仔』もほっとけないし、それにこの『クヴァリフの仔』から人類の延命に利用可能な|新物質《ニューパワー》をゲットできる可能性は大きいと思うんだよねー。なにせ『クヴァリフ器官』なんて名前がついてるくらいだし」
 だから危険は排除しつつ、『クヴァリフの仔』については可能な限り生きた状態で捕獲するというのが今回の作戦の概要なのだという。

 ……きわめて√能力者らしい、真っ当な筋書きだ。
 そこにメイドカフェが入る予知がどこにあるというのか。
「実はね、狂信者達がアジトの隠れ蓑にしてるのがメイドカフェなの」
 どうして。
「あ、カフェのメイドさんは怪異とか信仰とか全然関係ない一般の人だよ! でもね、店長が信者らしくてさ。メイドカフェのトイレの、壁のタイルを特定の順番で押すと地下アジトへの扉が開くようになってんの」
 そんなバカな。
「だからアジトに侵入するにはメイドカフェに行かなきゃいけないんだけどさ、さっきも言った通りメイドさんはフツーの健全なメイドさんたちなの。せっかくだから楽しんで来たら? 今ね、バレンタインフェアやってるらしーよ!」
 緊張感も何もない様子で、杏奈はスマホでメイドカフェについて検索したものを読み上げ始める。

 カフェ「みるく★ここあ」では、現在バレンタインフェアを開催中! ご主人様・お嬢様のご帰宅を心よりお待ちしております。
 看板メニューのオムライスは、この日の為にハート型に。サイドにハート型のコロッケもついて可愛らしさも食べ応えも抜群。メイドが愛情を込めてケチャップでハートを描きます。ぜひ一緒に「もえもえ、きゅん💖」の呪文を唱えてくださいね。
 ルウから手作りの本格ビーフカレーは、バレンタインらしくチョコレートが隠し味。その他サンドイッチやハンバーグといった各種フードで、ご主人様の胃袋を掴んで放しません。
 もちろん、チョコレートの各種スイーツも盛りだくさん。
 とろーりフォンダンショコラに、チョコソースたっぷりのフォットファッジサンデー。
 てっぺんにアイスの乗ったパフェは、アイスの味ごとにかわいい動物さん仕様。バニラはウサギさん、チョコはくまさん、イチゴはねこさん。
 それぞれチョコプレートの耳と、チョコペンで顔が描かれています。
 メイドさんの腕前によって顔が個性豊かなのも、ご愛敬。
 ドリンクもバレンタイン特別メニューをご用意。苺とルビーチョコで仕上げた甘酸っぱいドリンク「ラブリーベリー」。
 ホイップクリームの雲にハートのもなかを乗せたホットドリンク「ミルキーハート」は、ココアとコーヒーのお好きな方を選べます。
 甘いドリンクが苦手という方のために、珈琲や紅茶もアイス/ホットで完備。

「……だって。けっこー美味しそうじゃない? 手が空いてたらウチも行ってみたかったなー。メイドさんのお洋服もかわいいしね、事件が解決したら行ってみよっかな……あーでもテンチョが関係者なら、多分事件の後捕まっちゃうよね。やっぱりお店潰れちゃうのかなー」
 口を尖らせる杏奈は、心底残念そうであった。

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第1章 日常 『個性的な飲食店』


家綿・樹雷


 家綿・樹雷(綿狸探偵・h00148)は妖怪探偵である。
「ボクの推理によると、√能力者の本質はインビジブル。クヴァリフには√能力者を仔として転生させる事で真の死を与えられる可能性がある。だから仔を入手してその前世を調べるぞ!」
 その推理が本当であれば、√能力者を殺せるのはAnkerのみという常識そのものが覆されることになる。彼らの戦い方を大きく変える世紀の大発見になりうるが、しかし実のところ樹雷の推理の的中率はまずまずといったところでもある。思案に耽るうち、つい超理論を展開しがちなのが彼の欠点であり、時折誰にも成し得なかった名推理へと到達する長所でもあった。
 しかして推理が正しい事を証明するには証拠が必要であり、証拠を入手するためには調査が必要である。
 これは探偵の腕の見せ所と樹雷は意気込んでメイドカフェに足を踏み入れる。尻尾がゆらゆら嬉しそう? そんなまさか。これは立派な仕事なのだ。あくまで一般客として、樹雷はメニュー表を矯めつ眇めつ。
「オムライスとハンバーグを。デザートにチョコレートパフェで、くまさんはたぬきさんっぽくしてください。それと呪文中にいっしょにチェキもおねがいします」
 あ、めっちゃ堪能してる人だ。
「かしこまりました、ご主人様!」
 とびきりのスマイルでメイドさんがオムライスとハンバーグを持って来てくれた。
「一緒に唱えてくださいね、おいしくな~れ……」
「「もえもえ、きゅん★」」
 指ハートでメイドさんと映ったチェキ。魔法のかかったご飯は確かに美味しい、気がする。
「メイドカフェ、いい文化だね。メイドさん達を無職にするのは気が引けるな……」
 食べ終わった頃にやってきたくまさん改めたぬきさんパフェは、通常のチョコではなくホワイトチョコのアイスに白い尻尾がついていて、周りに樹雷愛用のマフラーのようにホイップクリームが飾られていた。
「ごゆっくりお寛ぎくださいね♪」
「あの、つかぬ事をお聞きしますが店長っていらっしゃいますか? とっても素敵なお店なので、ちょっと話を聞きたいなと」
「ああ、メイド長ですか?」
 そういう設定らしい。
「今日はお休みなんです」
「そうですか……」
「副メイド長がいるからお店は大丈夫なんですが、何か新しく夢中になるものを見つけたってメイドたちの間で噂になってます。でも逢う度すごくやつれてて……ちょっと心配です」
 ふむ、と樹雷の耳が動く。店長を直に調査する事は出来なかったが、魅了の術にかかったメイドから得た情報はそこそこ参考になりそうだ。
「教えてくれてありがとうございます」
 礼を述べながら、パフェを口に運ぶ。得られる情報を得たのなら、美味を心置きなく堪能する事もまた、大切な事である。

静寂・恭兵
アダン・ベルゼビュート


 そのカフェはパステルカラーを基調としたかわいらしい外観をしていた。入り口はアーチ状になっていて、そこにメイドさんのホワイトブリムを模した飾りがついている。
「此処がメイドカフェなる場所か。『依代』の記憶を覗いても正直、あまり良く分からなかったのだが」
と呟くのはアダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)。依代の青年がメイドカフェに明るくないのか、はたまた人並みに知ってはいるもののそれがアダンの理解を超えていたのかはさておき。
「『メイド喫茶』……調査の為とはいえこんなところに潜入する事になるとは……」
 アダンの隣では、静寂・恭兵(花守り・h00274)が眩暈でも堪えているかのように眉間に指を当て渋い顔をしていた。
「おい、恭兵よ。何故其処までげんなりしているのだ? 腹拵えがてら、そういうものだと楽しめば良かろう?」
 要はカフェ、飲食店なのだからとアダンは云う。
「まあ、そうなのだが……」
 メイドカフェ。覇王。これほどミスマッチなものがあるだろうか。
「お前が楽しめるかどうかは分からんが正直に言って俺は無理だとおもう……」
「そういうものなのか?」
 恭平は低く唸ったきり黙り込んでしまった。

 なにはともあれ仕事である。一人は気楽な様子で、もう一人は複雑な表情のまま入店――もとい、メイドカフェ的にいうと“ご帰宅”する。
「お帰りなさいませ、ご主人様! ゆっくりお寛ぎくださいね」
 入り口をくぐると、可愛らしい声と衣装のメイドさんたちが二人を出迎えてくれた。
「お帰り……ほう、我々は客ではなくここの|主《あるじ》という事か」
「理解が早くて何よりだ」
もうなるようになれと恭平は肩をすくめるほかなかった。
案内された席に座り、二人はメニュー表を開く。
「俺はカレーとホット珈琲を貰おう」
「無難だな」
「悪いか。そういうお前はどうなんだ」
「俺様は……看板メニューのオムライスは外せないな。それからイチゴパフェ、珈琲をホットで」
「かしこまりました♪」
 とびきりの笑顔でメイドさんはキッチンへと消えていった。

「まぁ、メイド達は怪異に関係なく働いているだけだしな。罪はない」
「うむ。なかなかに趣向を凝らしたよい店ではないか」
「……意外と馴染んでいるな、アダン」
 しかしこの男が楽しそうに振る舞ってくれるのなら、怪しまれる心配もなくなるかなどと恭平が思っていると。
「お待たせいたしました、ご主人様★」
 運ばれてくる色とりどりのメニューたち。
「こちらのカレーは隠し味にチョコを使用したバレンタイン特別仕様です。オムライスにはケチャップでハートをお描きしてもよろしいですか?」
「勿論だ。ちなみに料理の写真は撮ってもいいだろうか?」
「はい、ぜひぜひ★よければお友達にもお勧めしてくださいね」
「うむ。見目が愛らしい故、良い土産になるであろう」
 お友達にメイドカフェをお勧めする覇王様。想像して恭兵は少し笑いそうになった。耐えた。耐えたのだ、この時は。
「ではぜひ、写真を……」
「あっ、その前に! 一緒に“美味しくなあれ”の呪文を唱えて欲しいのです!」
「……呪文?」
 彼らは一般人だと聞いていたが、まじないの類が使えるのだろうかとアダンは首を傾げる。
「何だ、その。願掛けみたいなものだ」
 要らぬ誤解が生まれる前に、一応恭兵がフォローしておいた。
「よろしいですか?」
「ああ、構わないが」
「では、こうして指でハートを作って、こうやって動かしながら……“美味しくなあれ、もえもえ、きゅん💖”ですっ」
「……え?」
 可愛らしい衣装の可愛らしい女性がそれをやるのは、確かに恭兵やアダンから見ても愛くるしかった。だがしかし。
「お、おおおっ、俺様も其れをやるのか!?」
「はい、ぜひ復唱してくださいね♪」
 呆気にとられる恭兵と、にこにこ笑顔だが謎に圧の強いメイドさんを交互に見遣る。
 逃げ場が。逃げ場がない。
「……も、もえもえ、きゅん💖」
 謎の羞恥に真っ赤になりながら、アダンは偉大な仕事を終えたのだった。
「わあ、ご主人様、とっても上手ですっ」
 なぜか拍手喝采、上機嫌でメイドさんは去っていった。
「……く、ふふっ」
 これには一度波を耐え抜いた恭兵の堅牢な堤防もとうとう決壊したらしい。うめきにも近い笑い声が漏れだした。
「恭兵、お前」
「ああ、すまん、し、しかし……くくくっ」
 顔を下に向け肩を震わせ、恭兵は静かに、だがずっと笑い続けている。
「笑うでないわ! 無理に堪えようとするあまり俺様のような笑い方になっているではないか!」
「い、いや、うん。可愛かったぞ」
「は、はあ!? 可愛い!? おい、お前! 其れが褒め言葉になると思っておるのか!?」
「褒めてる。褒めてるに決まってるだろう」
 どんなにアダンが顔を真っ赤にして声を荒げようと、恭兵はずっとぷるぷる震え続けていたという。

道明・玻縷霞


 異能捜査官である道明・玻縷霞(普通の捜査官・h01642)は知っている。
 こうした人物、あるいは団体が飲食店を隠れ蓑にするケースは少なくない。おそらく警戒心を抱かれず場所を確保するのに向いているのだろう。
(「それを調べる為に一般人として潜入することもありますが、今回は調査済みですので今は店内で過ごしましょう」)
 しかし、と道明は自らを省みる。
「流石にこの身なりはあからさまですね」
 “普通”に馴染みやすく、信頼を得やすい身なりを追及してのスーツ姿も場所によっては浮いてしまうようだ。仕事帰りに癒しを求めてやってきたサラリーマン、にしては時刻も早い。
 眼鏡とネクタイは外し、ボタンもひとつ開け、前髪を崩せば、場違いな堅苦しさも少し和らいだようだ。
「お帰りなさいませ、ご主人様♪」
 可愛らしいメイドさんが道明を迎え、席に案内してくれる。
「あの、こういった場所は初めてでして。おすすめのものがあればそれをお願いしたいのですが」
「初めてのご帰宅ですね?」
 初めての帰宅とは矛盾している気もするが、突っ込むのは野暮な気がして道明は「はい」と頷いた。
「それなら当店一番人気のオムライスがおすすめです! 私達メイドがまごころ込めて最後の仕上げをいたしますっ! あとは甘いものがお嫌いでなければ、ぜひバレンタインスイーツも召し上がっていってください」
「では、それと珈琲を」
 去っていくメイドに礼を述べつつ、道明は改めてメニューを眺めてみる。フードは洋食、それも定番のものが多いようだ。
「しかしどれも盛り付けに趣向が凝らされていますね」
 義姉の勤務する児童養護施設の子ども達に、道明は時折料理を振る舞っている。これは参考になりそうだと眺めていると、
「お待たせいたしました~♪」
 メイドさんがオムライスと、ケチャップのボトルを持ってやってきた。
「では、仕上げをしますね」
 オムライスに描かれていくケチャップのハート。
「ありがとうございます。いただきます」
「待ってください! ケチャップよりも大事な仕上げがまだ残ってます」
 はて。道明は首を傾げる。
「おいしくなあれの呪文です。ご主人様にも手伝って欲しいのです」
「呪文……?」
「こうして、指でハートを作ってですね。もえもえ、きゅん💖」
 ばっちり、ウインクのサービス付きだった。
「もえ……きゅん……?」
 カルチャーショックだった。
「やっていただけないのですか?」
「いえ、分かりました。頼んだのは私ですので、やります」
 これは上目遣いで見つめてくるメイドさんの愛らしさに絆されたのではなく、生真面目さゆえである。
「やったぁ。じゃあ私と一緒に、せーのっ」
 道明は小さく、けれど律儀に呟いたのであった。
 もえもえきゅん、と。ちゃんと指のハートも添えながら。

雪月・らぴか


「おおお、メイドカフェ!」
 可愛らしい外装、パステルカラーに包まれたそのお店に、雪月・らぴか(えええっ!私が√能力者!?・h00312)はトレードマークのポニーテールを弾ませる。
(「ゲームではまあまあ見るけど実際来たのは初めてなんだよね! しかもちょっと面白そうな仕掛けてアジト隠してあるんでしょ! テンション上がるね!」)
 うきうきのままにカフェに足を踏み入れると、メイドさんがらぴかを迎え入れてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「うひょー! メイドさん可愛いね!」
「ふふ、ありがとうございます」
「私も制服着てみたいね!」
「えっ、お姉さんもメイド服すっごく似合うと思います! ぜひ着てほしいかも……あっ、ご、ごめんなさい! 席にご案内しますね!」
 年下に見られがちな愛らしい顔立ちにメリハリの効いたボディ。そんならぴかを見て、つい“設定”を忘れて素で褒めてしまうメイドさんだった。
(「せっかく来たんだから、たくさん食べよう!」)
 メニューを眺め、賑やかな店内でもよく響く声で「お願いしまーす!」とメイドさんを呼ぶ。
「オムライスとサンドイッチと、いちごが入ってるもの全部ください!」
「かしこまりましたぁ」
 普段なら退屈であろう待ち時間も、今日は可愛いメイドさんを眺めているだけで過ぎ去っていく。
「お待たせしました!」
 まず運ばれてきたのは、オムライスとサンドイッチ、それからバレンタイン限定のイチゴ入りドリンク、ラブリーベリー。
「うわぁ、美味しそう!」
 目を輝かせるらぴかにメイドさんもにっこり。
「お食事がお済みの頃に、イチゴアイスで作ったねこさんパフェと、イチゴたっぷりショートケーキをお持ちしますね」
 オムライスに描かれていくケチャップのハート。それから、とメイドさんは云う。
「最後の仕上げをお嬢さんに手伝っていただきたいのです」
「よろこんで!」
「ではこうして指でハートを作って、せーの……」
「「もえもえきゅん💖」」
 メイドさんに負けないくらいノリノリでポーズを決めるらぴか。
「可愛い~!! やっぱりお姉さんメイド向いてますよ!」
「ほんと! 嬉しいな~!」
 ごゆっくり、と去っていくメイドさんに手を振りつつ、まずはドリンクを一口。イチゴの濃厚な甘酸っぱさが口いっぱいに広がっていった。
 オムライスもサンドイッチも美味しくて、しかも食後には大好きなイチゴデザートも待っている。メイドカフェ、来てよかった! 幸せを噛みしめつつ、らぴかにはひとつだけ気がかりな事があった。
(このあとカロリー消費タイム、つまり戦闘あるよね! きっとあるはず!)
 ないと困る。とっても困る。そんなオトメゴコロだった。

一文字・伽藍


 怪異とは神出鬼没なものである。
 というべきか、神出鬼没だからこそ怪異と呼ばれているのか。
(「だからってメイド喫茶にまで出ることある?」)
 一文字・伽藍(|Q《クイックシルバー》の疑問はごもっともだった。
(「いや今回は召喚に応じようとしてるだけなんだけど。たまたまメイド喫茶の店長が自分の店で召喚しよってしてるだけなんだけども」)
 そんなことある? あったんだから仕方ない。うーん情報過多。
「まぁなんでもいっか!」
 細かいことを気にしていても仕方ない。ゆえに伽藍はあくまで客として、このメイドカフェの一席に座っているのだった。
「え~どうしよっかな、全部美味しそうだし可愛いから悩むー」
 でもやっぱりバレンタインシーズンだし、と伽藍が頼んだのは。
「すみませーん! チョコレートパフェとミルクハートのココアお願いしまーす!」
「かしこまりました、お嬢様♪」
 にっこりスマイルでメイドさんが注文を承ってくれる。表情だけでなく所作も、もちろんメイド服もとってもキュートだった。
(「あの子いいなぁ。自分の魅せ方をよく判ってるって感じ。配信者とか向いてそう」)
 つい気になってしまうのは伽藍自身が配信者ゆえか。仄暗い絶望に支配されたこの世界においても、可愛いと美味しいは人々に|一時《いっとき》の癒しを与えてくれるのだろう。願わくば、歌も人々にとってそんな存在であったらいいな――そんな事を考えつつ、店内をぼんやりと眺めていると。
「お待たせ致しました~♪」
 先程のメイドさんがスイーツを運んで来てくれた。
「来たー! 可愛いー!」
 チョコレートパフェはお耳がついたくまさん仕様。伽藍の元に来てくれたくまさんは、片目をぱちりとウインクしたおすまし顔だった。
 ココアの上にハートもなかが浮かぶドリンクと合わせ、伽藍はさっそくスマホのシャッターを切る。
「マジ映えスイーツ~! 食べるの勿体ない可愛さ……」
 ちょっとの未練を感じつつ。
「でも美味しそうだから食べちゃう……!」
「ふふ、ごゆっくりお寛ぎくださいね」
「あっ、ちょっと待って」
 席を離れようとするメイドさんを呼び止める。
「ちなチェキは注文お幾らから?」
「お嬢様のご注文でしたら大丈夫ですよ!」
「ホント? じゃあ一緒にハートしよ♡」
「ぜひぜひー!」
 仲良く肩を寄せ、二人で作った指ハート。
「撮りますね~! 3,2,1……」
 軽快なシャッター音と共に、今日の想い出が切り取られた。

十六夜・月魅


「クヴァリフの仔。信者たち。確かに気になりますねえ」
 ふわふわと伸びる語尾に、甘い艶を纏ったような声。柔らかな所作にどこか以前の魔性を覗かせるその女性は、名を十六夜・月魅(たぶんゆるふわ系・h02867)という。
(「けど、私が一番気になるのはメイドさんたちの接客なんですよねえ。『トワイライト』の仮店長として、参考になることがたくさんあるはずですからあ」)
 というわけで純粋にメイドカフェを楽しみつつ、情報収集も怠らないために。
「私も気合が入りますねえ。むんむん!」
 愛と戦の女神――のようなものに変身した月魅は、従業員でもある十二人の『傭兵少女分隊』たちと一緒にメイドカフェへと入店、もといご帰宅する。
「ごめんください。ではないのですね。ただいまあ」
「お帰りなさいませ……! あら、こんなに沢山のお嬢様にお帰り頂けるなんて嬉しいです」
 出迎えてくれたメイドさんに浮かぶ笑みは営業的なものではなく、どこか個人的な好意に近いものになっている。よく見れば頬も淡く紅を帯びていた。彼女自身も気が付かないうちに月魅の術にかかっているのだ。
 かつて妙な心霊テロを引き起こすに至った月魅の|魅了《テンプテーション》は今も健在である。もっとも、現在は些細な悪戯をしかける程度に留めているが。
「「「何食べても良いんですか!?」」」
「良いですよお。普段頑張って働いてくれてますし、たっくさん食べてくださいねえ」
 少女人形たちに優しく微笑みながら、月魅も限定ドリンクのラブリーベリーを注文する。
 やがて大人数用のテーブルに所狭しと料理が運ばれてきた。「ではごゆっくり」と席を離れようとしたメイドさんを、月魅は呼び止める。
「ねえ、お姉さん」
「はい?」
「メイドさんたち、可愛いですねえ」
 ラブリーベリーで唇を湿らせる。赤い舌がちろりと覗く。
 ごくり、とメイドさんが唾を呑み込むのを、月魅は見逃さなかった。
「こんな素敵なお店なら、すごい秘密がありそうですねえ」
「……ひ、秘密、ですか?」
「何か知ってそうですねえ」
 ふうっと長い息を吐く。さり気なく、しかしはっきりとメイドさんの顔に向けて。体中に纏う魅了の香気を、呼気として直接吹きかけたようなものだ。
 呼気だけではない。今の月魅はその瞳もその声も、全てが他者を魅了するために存在する魔性そのもの。
「……あ」
 メイドさんはたちまち目をとろんとさせ、落ち着きなくそわそわし始めた。
「知りたいなあ? たとえば店長さんとか詳しいんですかねえ?」
「えと、店長――メイド長は今日いないんですが、副メイド長なら……」
 メイドさんが視線を向けた先にいる、一人だけ違ったメイド服の女性。
「何か御用ですか?」
 優しく微笑むその人も、月魅の投げキッスにたちまち籠絡された。
 傭兵ズはそんな様子を気にも留めず、好きな物を美味しそうに頬張っていた。


 副メイド長曰く、店長はここ最近店を留守にすることが多いのだという。
 他の事業も考えていて、だとか、プライベートが忙しくて、だとか理由をつけてくるが、それが本当かどうかは副メイド長すら知らない。
「ただ、逢う度やつれていて、なのに目がすごくギラギラというか、爛々としているんです。危ないクスリでもやっているかのようで……でもまさかそんな事聞けないですし」
「なるほどお。お姉さんも大変なんですねえ」
「私はそんな……。でも、このお店が無くなってしまうような事にならないといいんですが」
「大丈夫ですよお」
 涙ぐむ副メイド長に、月魅はそっと顔を寄せる。
「こんな素敵なお店ですもの。存続のため私も協力しますよお」
「え?」
 目を見開く彼女に、月魅は形のよい唇をきゅっと上げて微笑んだ。

オピウム・ラ・トラヴィアータ


 メイド。
 家庭内労働を行う女性使用人をあらわす言葉。
「他人に傅かれるなんて、昔を思い出すようね」
 かつて『上海の魅魔』と恐れられた迷宮のボスも、今は住処なき野良モンスター。冒険者からの呼び名を繋ぎ合わせて|オピウム《阿片》・|ラ・トラヴィアータ《道を外れた女》(放浪の魅魔サキュバス・h06159)と名乗る一介のサキュバスである。
「いいわ。どの程度のクオリティか見てあげましょう」
 パステルカラーの店内に足を踏み入れると、早速可愛らしい衣装のメイドさんが迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませ、お嬢様♪」
「あら、お嬢様と呼ばれる機会はなかなかなかったわね」
 眷属相手とはまた違った経験が出来そうだ。案内されるままにオピウムは席につく。
「……ここからここまで、全部頂戴」
「えっ」
「大丈夫。金はあるわよ、野良だって」
 貢物を換金したやつだけど、と心の中で付け加えておいた。
「ああいえ。よくお食べになるなって、少しびっくりしてしまって。申し訳ありません」
「そうね、こういった場所に来る機会があまり無かったから、せっかくならと思って」
 スカートを翻して注文を伝えに行くメイドの姿を見送りつつ。
(「それにしても中華はないのね。少し残念だけど、下手にハズレを引くよりはいいかしら」)
 上海生まれとしては、中華にだけは煩いのだった。


「お待たせいたしましたぁ♪」
 ワゴンに乗って運ばれてくる料理。へぇ、とオピウムが眉を持ち上げる。
「悪く無さそうね」
「ありがとうございます! お嬢様さえよければ、オムライスが更に美味しくなる呪文を一緒に唱えてくれませんか?」
「オムライスに呪文?」
 そういえば、ここに来る前に聞いていたような。
「いいわ、やってあげる」
「ありがとうございます! そしたら見本を……」
 動作を示そうとするメイドの手に、オピウムは自分の手を重ねて制止する。
「……?」
 艶やかに微笑んで、蕩けるような甘い声で。メイドさんの耳元でオビウムは囁く。
「もえもえ、きゅん💖」
「……!!」
「……どう? こうするのよ」
 歴戦のサキュバスの手腕に、ただのバイトに過ぎないメイドさんはいとも簡単に骨抜きにされてしまった。


「……思ったより楽しませてもらったわね」
 お会計前に先程のメイドさんを呼び止める。どこか夢うつつな表情で近寄って来た彼女のほっぺにちゅっとキスをした。
「~~!?」
 耳まで真っ赤になって卒倒しそうになるメイドさんを支えつつ、オピウムは彼女のポケットに貢物の指輪をひとつ忍ばせた。
「これはチップよ。取っておきなさい」
「……はい」
 まだ夢うつつのメイドさんに「いい子ね」と甘く囁いた直後、まるで気ままなうさぎのようにオピウムはすっと身を引いてしまうのだった。
「さて。甘い物は十分頂いたし、口直しに怪異でも狩ろうかしら」
 刺激的な味わいも、悪くないものだ。

刃渡・銀竹
史記守・陽


「メイドカフェ? ああキャバクラみたいなもんだろ? ですよ」
刃渡・銀竹(博打打ち・h02791)が自信満々にそう語るので、史記守・陽(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)は目をぱちくりとさせて訊ねた。
「銀竹くん、キャバクラに行った事があるの?」
「いやどっちもいったことねえけどよですね」
「ないんだ」
「オレはまだ十八だぜ? いくら893だからってそこは守るぜですよ。893つっても博徒系だし」
 清く正しくっつーのです? およそ893には似つかわしくない事を云う銀竹にふうん、と相槌を打ちつつ、ふと疑問に思った事をスマホで検索してみる。
「ちなみに十八歳なら行ってもいいらしいよ」
「……なに? 行ってもいいのか?」
「行きたいの?」
「いや、行かねえがですよ」
「俺、メイドカフェってよくわからないんだよね。もちろんキャバクラもだけど」
 陽も存在自体は知っていたし、概要を聞いた事もある。けれどその程度だ。
「潜入調査だし、うまく馴染まないと」
 亡き父の意志を継ぎ志した警官の道。気合が入らない方がどうかしているというものだ。
 ぶかぶかのコートの襟もとを正す陽に、銀竹はふふんと得意げに鼻を鳴らしてみせた。
「まあマンガで知ってるから大船に乗った気持ちでオレに任せとけですよ。きっちり作法を教えてやるぜ! です」
「ありがとう、銀竹くん」
 詳しそうな人がいてよかったね!


「いらっしゃいませ、ご主人様♪」
 出迎えてくれたメイドさんに陽が目を丸くした。
「本当にご主人様って呼ばれるんだ」
「おうオレのことはご主人様じゃねえ親分と呼びな! です」
「親分ですね、かしこまりましたぁ」
「プロだなぁ」
 銀竹の無茶ぶりにも即座に対応するメイドさんに、思わずそんな呟きが漏れた。
 案内された席に二人座り、メニューを広げる。
「飲み物はカルピスがいいぜです」
「甘い物が苦手だから飲み物はコーヒーと……食べ物はどうしよう」
 ちっちっち、と銀竹が指を振る。
「こういう場所ではな、オムライスを頼むのが作法だぜですよ」
「オムライスが作法? 確かにこのオムライスおすすめって書いてあるね」
 じゃあオムライスも頼もうかな、と陽は鵜呑みにした。
「銀竹くんもオムライスを頼むの?」
「勿論だぜ、なにせ作法だからなです」
「かしこまりました、ご主人様がコーヒー、親分がカルピス。それに愛情たっぷりのオムライスが二つですね」
 可愛らしいユニフォームを翻しつつ、メイドさんが席を離れていった。


「どうだ、初めてのメイドカフェは」
「メニューが凝ってるね。メイドさんの服も凝ってるし、足しげく通う人がいるというのもわかるかも」
「だな」
「銀竹くんはどう?」
「ん~、思ったより悪くねぇなって思ってたところだです」
 そんな事を二人話していると、メイドさんがキッチンワゴンで料理を運んで来てくれた。
「お待たせいたしました~!」
「きたきたオムライス!」
「わぁ、確かに美味しそう」
 こんもり盛られたオムライスの仕上げにと、メイドさんがケチャップを取り出す。銀竹が陽へと囁いた。
「シキいいか? めいどさんがハートマーク描いたらでけえ声で萌え萌えきゅん! と叫ぶのがここのしきたりだぜですよ」
「え?」
 メイドさんに目配せし、ニヤリと八重歯を見せて笑う銀竹。
「だよな」
 にっこりするメイドさん。
「ええ。私達メイドの愛情と、ご主人様の魔法で初めてこのオムライスが完璧になるんです」
 私もご一緒しますから、と。
「そういうものなんですね」
 ちょっと照れくさいけど、二人がそういうなら。
「……銀竹くんもやるよね?」
「作法だからな、です」
「私もご一緒します♪」
 二人がそういうなら。
「よし今だ!」
 オムライスに描かれたぷっくりハートと同じ形を手で作って。
(「大声は恥ずかしいけど」)
 まあ悪目立ちしない程度の声量で。
「萌え萌え、きゅん」
「萌え萌え、きゅん!」
「萌え萌え、きゅん💖」
 綺麗な三つのハーモニー。がんばった!
「わぁ、ありがとうございます! オムライスもきっと喜んでますよ!」
「よっしゃやりゃあできるじゃねえかですね」
 二人に褒められる。陽、謎の達成感であった。
「どうかな、銀竹くん。うまくご主人様出来ていたと思う?」
「ああ、どこに出しても恥ずかしくないご主人様だったぜ! ですよ」
 改めて不思議な世界観だなあ、と思いつつ、陽はオムライスをスプーンですくって一口。
「あ、美味しい」
「うんうん、なかなか悪くねえ味してやがるです」
 この呪文と儀式はどういう意味が、と思ったけれど。
 なるほど確かに、美味しくなる魔法、なのかもしれない。

イヌマル・イヌマル


 そのメイドカフェの入り口にはこう書かれてあった。
 “ペットの入店はご遠慮ください(盲導犬・聴導犬・介助犬は除きます)”
「やっぱり、犬のままじゃダメだよね」
 人間の目線の高さに掲示された張り紙はバセットハウンド型生体兵器であるイヌマル・イヌマル(|地獄の番犬《ケルベロス》・h03500)にはよく見えなかったかもしれないが、犬の絵に射線が入れられているのはなんとなくわかった。
 しかしこれは予想範囲内である。そして前述の通り、イヌマルはただのイヌではない。賢く勇敢な地獄の番犬だ。少なくともイヌマル本犬はそう思っている。なので対策はちゃんとある。
「ちぇーんじ、犬変身!」
 くるりとターンすれば、イヌマルの姿ががらりとチェンジ。短い肢はすらりと伸び、クラシックな仕立てのスーツに身を包んだ人間へと変わっていく。長く垂れ下がった耳の代わりに、トップハットが顔周りのアクセント。仕込み杖を携えたその姿は誰がどう見ても――
「じゃーん。ダンディーな英国紳士の完成だよ」
 イヌの時と変わらぬ声と喋り方で、自信満々に云うのだった。


「お帰りなさいませ、ご主人様~♪」
 イヌマルが入店すると、さっそくメイドさんが出迎えてくれた。
(「ダンディーな英国紳士はちゃんと挨拶しなきゃね」)
 もちろん普段もイヌマルは挨拶を欠かさない。だが今はより一層マナーを守る必要がある。なぜなら彼は、
「やあ、僕はダンディーな英国紳士だよ」
 ……だからである。ちゃんと帽子を脱ぎ、ダンディーにお辞儀をしてみせた。
 ところで、英国紳士の挨拶を受けたメイドさんは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。確かに今目の前にいるのはダンディーな英国紳士そのものだ。あまりに“そのもの”すぎて一種のコスチュームプレイなのではないかと疑うほどには英国紳士らしすぎた。メイドカフェのメイドさんがそう考えるのもおかしな話かもしれないが。
 しかしどうしても腑に落ちない事がふたつあるのだ。
 ひとつめ。ダンディーな英国紳士の割には、あまりに愛嬌のある声ではないか。
 ふたつめ。ダンディーな英国紳士は、ダンディーな英国紳士だと名乗るだろうか?
 しかしメイドさんも接客のプロである。呆気に取られていたのはほんの一瞬で、すぐさまにっこりと笑顔になった。
「はい。ダンディーな英国紳士様、お待ちしておりました♪」
 あるいは深く考えることを放棄したのかもしれない。
(「わあ、僕の自然な演技のせいでメイドさんもすっかり信じ込んじゃった。騙してごめんね。お仕事のためだから許してね」)
 イヌマルの純粋な良心はちくちくと傷んだ。


 実にダンディーな振る舞いで席についた英国紳士は、さっそくメニューを広げてオムライスと、食後にくまさんパフェを注文した。
「おまたせしましたぁ♪」
 運ばれてくる出来立てオムライスにバセットハウンドの嗅覚が疼く。
「わあ、とっても美味しそうだね」
「ありがとうございます! ぜひ一緒に最後の仕上げをお願いします♪」
「もちろんだよ。レディーに恥をかかせるわけにはいかないからね」
 おっ、今のはかなり英国紳士っぽい振る舞いができたぞ。イヌマルは指でハートマークを作って、メイドさんと一緒においしくなあれの呪文を唱える。
「せぇーの! もえもえ、くぅ~ん」
 つい犬の時のように鼻を鳴らしてしまったが、メイドさんはイヌマルの正体には気づいていない様子だった。
(「これもダンディーな振る舞いのおかげだね」)
 美味しいオムライスにお腹も心も大満足した頃、メイドさんが心を込めてお顔を描いてくれたくまさんパフェが到着する。
「なんて上手なんだ! ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されていてもおかしくないレベルだよ!」
「あら、ふふふ。ジョークがお上手ですねえ」
 あれ、今のは結構本気だったんだけどな。大げさすぎたのたかな。でもメイドさんもまんざらではなさそうなのでよしとする。
「そうだ。ここってテイクアウトの食べ物はあるのかな?」
「はい! 特製ドリンクとサンドイッチがございます」
「じゃあサンドイッチください」
 悔しがっていた杏奈へのいいお土産になりそうだ。店名の入ったかわいい箱に入れてもらったサンドイッチを、紳士はほくほく気分で受け取るのだった。

久瀬・千影


 一族の使命だからとか、当主候補だとか。
 そんな理由で歳の離れた兄は死んだ。怪異狩りを継ぐ者として、志半ばで散っていった。
 だから久瀬・千影(退魔士・h04810)は家を出た。生まれながらの役目とやらに命を駆けるだけの理由を見出せなかったから。
 名乗る姓は母方のもの。適性をひた隠し、普通の人間として振る舞い、自分の命の使い処くらい自分で決めると豪語して――しかし何だかんだ、いま彼がいるのは怪異の気配が漂っているというメイドカフェである。
 店内の予想以上の賑わいに千影は落ち着かない様子だ。そういえばバレンタインフェアなんてものをやっているといっていたか。
「……ですかぁ?」
「え?」
 はたと顔を上げれば店員、ではなくメイドさんが席のすぐそばに立っていた。店内がざわついていてすぐには気が付かなかった。
「ご注文はお決まりですかぁ?」
「あー……それじゃあ、コレを」
 指差したのは看板メニューだというオムライスだ。
「かしこまりましたぁ」
 アニメの登場人物のような可愛らしい声でメイドさんは微笑み、席から離れていった。
(「落ち着いて話を聞くって雰囲気でもねぇか? ま、一応調査はしておくか」)
 愛用の有線イヤホンで音楽でも聴いていようかとも思ったが、結局ぼんやりと店内の様子を眺めていることにした。


「お待たせいたしましたぁ」
 先程のメイドさんがオムライスと、ケチャップのボトルを持ってきてくれた。
「……なぁ、ちょっと聞きた――」
「ご主人様、ぜひ一緒にオムライスの仕上げをしてくださいね♪」
「?」
 可愛らしいハートマークをケチャップで描いたメイドさんは、同じ形を指で作って示してみせた。
「こうやって、ハートを右から左に動かして……もえもえ、きゅん💖です」
「……な、なに?」
「今のは見本です。次はご主人様も一緒にお願いします♪」
「は? もえもえ、きゅん? それを俺にやれ――って……」
 バカなことを云うなとでも一蹴したかった。しかしメイドさんは小動物みたいなうるうるまなこでじいっと千影を見上げてくるのだった。
「うっ……」
「してくれないのですか?」
 さすがメイドさん。プロである。
「くっ……も……もえもえ、……きゅん……」
 或いは断り切れない千影の人の良さが露呈してしまった瞬間ともいえよう。
「わぁ、ありがとうございます! オムライスもきっと喜んでますよ!」
「そりゃよかった……なぁ」
「はい?」
「この店の店長に付いて、何か知ってたら教えてくれ……」
 これを聞く前に、なんだかドッと疲れてしまった気がする。
「店長ですか? 実は会ったことがないんです」
「え、そうなのか?」
「わたし新人なんです。今月入ったばっかりで……でも面接も副店長がしてくれましたし。なんだか忙しいみたいですよ」
「ふうん……?」
「まあ、今は副店長が実質的な店長って感じみたいですね」
 そりゃあまた随分と匂う話だ。礼を言って切り上げつつ、千影はまた店内に視線を向けてみた。
「もえもえ、きゅん💖」
「わぁ、ご主人様とっても上手ですぅ」
「みてみて、うさぎさんパフェすっごくかわいいね!」
 店内の喧騒を構成するものは、人々の笑い声や楽しそうな声ばかり。そんな笑顔に寄り添って、メイドさんもただの営業だけではないスマイルを向けている。
(「まぁ、偶にはこういう場所も悪くねぇか」)
 なんとなくそんな気分になりつつ、オムライスをスプーンで一掬い。
 ふわっとした卵と米の炒め具合。噛んだ瞬間に分かる、たくさんの具材が織りなす複雑な味。素人とはいえ料理を嗜む千影には、それが単に見た目だけのものではないことがすぐにわかった。
「あ、普通に旨いわ、コレ」
 気が付けばサイドのコロッケと合わせて、お皿の上は綺麗さっぱり片付いてしまった。
(「さっき副店長が実質的なリーダーだって云ってたな。なら店長がいなくなってもこの店はやっていけるか」)
 旨い料理。人々の笑顔。それらが失われるのは、この世界の仄暗い絶望を広げてしまうことにもなりかねないだろうから。

第2章 集団戦 『狂信者達』



 トイレの仕掛け壁を抜け、地下への階段を下る。
 可愛らしいインテリアとは打って変わって無機質な灰色の空間。鉄管がむき出しのままの天井。じめじめとした黴臭い匂いの中に、どこか消毒液のような匂いが混ざっていた。
 突き当りのドアを開けると、学校の教室ほどの広さの空間が広がっている。その中央で、黒い装束を着た人間たちが十人ほど固まって何かをしているようだった。彼らは侵入者の存在に気づいて一斉にこちらを振り向いた。
「誰だ?」
「どうしてここがわかった?」
 口々に捲し立てる黒装束の一人が、手に持っていた紙をさっと懐に隠す。呪文のようなものが書かれた紙のようだった。おそらくそれが“クヴァリフの仔”の召喚儀式に用いられていたものなのだろう。
「まさか、汎神解剖機関の連中か?」
 その名が出た瞬間、黒装束たちのざわめきは更に大きな波となった。
「あの罰当たりどもに嗅ぎつけられたのか」
「一体どこから情報が漏れたんだ?」
「怪異を利用する忌々しい邪教どもめ」
「この世の理を超越した素晴らしき怪異たちを、奴らに渡してはならない」
「奴らは怪異を人類の延命などという矮小な目的のために捉え、実験台に上らせ、捌くのだ」
「おお、なんと罪深い……!」
「我らが守らねば」
「じきに産声を上げる、クヴァリフ様のいとし子を」
 目深にフードを被り、人相さえもあやふやな中で、彼らの爛々と血走った目だけがなぜかはっきりと見えた。人智を超えた怪異を神に等しい存在と崇め、その恩恵にあずかろうとする狂信者たち。
「しかし――この儀式場が漏れた以上、ここはもう用済みですね」
 彼らの中でひときわまなこをぎらつかせた女が吐き捨てた。
「メイドカフェという酔狂を隠れ蓑に、なかなかうまくやってきたつもりでしたが」
「なに、我らの大きな目的は今果たされる。いとし子の気配はすぐそこまでやってきています。ならば我らは彼らと融合を果たし、また新たな場所で祈りを捧げればよいのです、“メイド長”」
「その呼び方はやめてください。崇高なる目的を成す為の手段でしかないのですから」
 彼女こそがメイド長、もといメイドカフェの店長であり、カフェの地下にアジトを作った張本人であるらしい。
 そして侵入者達を阻むべく、彼らは斧槍を携え、或いは禍々しい炎を使役して襲い掛かって来た――そんな事が出来る以上、彼らもただの人間ではなく√能力者なのだろう。或いは怪異を信仰するあまり、彼ら自身も新たな怪異へと変化しつつある存在であるのかもしれない。しかしそれは、ある意味では僥倖だ。
 √能力者は死なない。つまり相手が人間であっても、全力で戦って問題ないということだ。

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 プレイング受付開始:3/12(水)朝8:31~
静寂・恭兵
アダン・ベルゼビュート


「不思議だ。実に不思議な気持ちだ」
 厳かに。静かに。アダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)は呟いた。
「闘争は未だ、始まってすらいない。しかし……俺様は今、大戦をも乗り越えた様な心持ちだ」
 それを受け、隣の静寂・恭兵(花守り・h00274)は何かを云おうとした。したが――
「……」
「おい、恭兵?」
「笑っていない。俺はもう笑っていないぞ」
「語るに落ちたな! というか震えているではないか! 何時迄笑い続けておるのだ!」
「いや、お前があんまりにもぐったりしているから、忘れようにも忘れられなくて」
「此の戯け!」
 叱責されようとも、恭兵は暫く肩を震わせていた。
「いや……お前はよく頑張ったよ……と言うかこんなに笑ったのは初めてだ」
 確かに相棒がここまで笑うのは珍しい気がする。それは悪い事ではないが、だからといってこんな理由でなくてもよいではないか。
「漸く、平時の闘争を楽しめる故に思い出させるな……!」
「ああ。此処からは切り替えていかねばな」
 涙滲む目元を拭えば、恭兵のかんばせにはいつもの気怠い鋭さが戻る。その辺りの切り替えは流石というべきか。
「邪教どもが抜かしおって」
「神聖なる怪異に背く者共め」
 嫌悪を露わにする狂信者たちを、アダンは鼻で笑い飛ばした。
「罰当たり、邪教。好き勝手に吠えるではないか。恭兵、彼奴等は本当の悍ましさを知らぬのだろうよ」
「何だと?」
「お前達をさらに利用しようとしている奴が居るぞ。そちらの方が俺からすれば悍ましいよ」
 恭兵の言葉に、狂信者たちはさっと目線を交わし合った。だが一人が首を振り否定の意を示すと、みながそれに同調する。
「我々を動揺させるつもりなら、その手には乗りませんよ」
「そうか」
 静かに云い放ち、霊刀の柄に手をかける。振り抜いた刃は√能力の霊力を帯びて閃き、複数人の狂信者を一斉に葬ってみせた。
「っ、我らが主よ、宿敵を屠るための聖火を――!」
 狂信者の一人が高らかに吼え、魔炎を呼び寄せる。彼らの狂信が形を成したかのような灼熱が恭兵に迫り、しかしそれは彼に届くことなく両断された。
「は! 貴様らの信仰心とはその程度か!」
 炎の魔弾を裂いたのは、更に巨大で更に高熱の焔。地獄から呼び覚まされし魔焔の槍だ。
 それを操るアダンに、恭兵は目を瞬かせた。
「ん? どうした?」
「いや、珍しいなと」
 変幻自在の魔焔を敢えて得物の形にした男は、唇の端を吊り上げて云った。
「お前が日本刀を扱う故、俺様は槍を選んだが?」
 云いながらもアダンは槍を振るう。
「此の覇王たる俺様の一撃、そう簡単に躱せると思わぬ事だな!」
 双花葬刃の斬撃が振り抜かれきった僅かな隙間を、魔焔の刺突が埋めていく。敵に息つく間さえ与えぬ絶妙なコンビネーション。
「これで理由が判っただろう?」
「なるほど」
 合点がいったように恭兵が頷いた。
「こういう連携ができるからありがたいな。なにより|頼もしい《楽しい》」
 言外の意図も全て察したとばかり、アダンが肩を揺らして笑う。
「そうだ。其の方が、お前との共闘の幅が広がる。加えて──益々、楽しくなるというものだ」
 闘争欲は底知れず、依代の命脅かす怪異との戦いをこの魂は常に望んでいる。
 だが同じくらい――肩を並べる戦友がいるというのはいいものだ。
 刃の軌跡が、物理法則を無視して叩きこまれる巨大な焔槍が、悪しき√能力者達を打ちのめしていく。数にものを云わせて放たれる強大な狂信の炎も、徐々にその勢いを減らしていくのだった。

雪月・らぴか


「うひょー!」
 薄暗い地下室に、場違いな程に明るい声が響く。
「メイドカフェの地下にこんないかにもな場所を隠していたなんてね! いいねー気分上がっちゃうね!」
 まるでゲームみたいな展開に、雪月・らぴか(えええっ!私が√能力者!?・h00312)の心と好奇心は弾む。天真爛漫がヒトの形を取ったようならぴかは、しかし油断なく狂信者達の様子を伺っていた。
(「なにか隠してたね。どういう儀式してたのかちょっと見てみたかったな! もっとこっそり進めばよかったかな?」)
 少々勿体なくは思いつつも、らぴかの行動は早かった。いかにも魔法少女らしい雪月魔杖スノームーンが光り輝き、両先端にピンク色に煌めく氷の刃を携えた姿に変形する。両鎌を振り翳し、らぴかはしなやかな身のこなしで敵の懐に飛び込んだ。
「!」
 慌てて身を引いた狂信者だが、間に合わずらぴかの刃に斬り刻まれて動きを止める。崩れ落ちるローブ姿のその先に、跳躍してらぴかに襲い掛かる者の姿が見えた。携えた斧槍がその妄信を示すようにぎらりと光る。
「無駄だよ!」
 地面を踏みしめ、らぴかもまた宙へと身を躍らせた。相手が空中からの奇襲を得意とするのなら、同じフィールドに飛び込んでやるまでだ。
 氷の刃が輝きを増し、苛烈に閃いた。怪異への信仰ごと斬り裂くような乱舞は、まるでらぴか自身が猛吹雪と化したかのようだ。
「両鎌氷刃ブリザードスラッシャー! だよ!」
「……ひっ」
「怯むな! かかれ!」
 突如現れた天災ともいうべき存在に、狂信者たちは一瞬恐れを成したようだ。しかしそれでも襲い掛かって来る彼らを冷静に薙ぎ払いながら、らぴかは油断なく周囲に目を配っていた。
(「まだ仔はいないっぽいけど、じきに召喚されたりするのかな? なんか強化されるって話だし、気をつけないとね!」)
 予測される更なる脅威を警戒しながらも、らぴかは成すべきことを成し続けるのだった。

一文字・伽藍


 √能力者たちに斃され動きを止めていた狂信者たちが、俄かに息を吹き返す。
 いかに同じ√能力を宿す存在だとしてもこの再生力は異常の一言だ。彼らはやはり怪異を崇めるばかり、自らも怪異に近い存在へと変化しているのだろう。
「くっ、汎神解剖機関のやつらめ……!」
「汎神解剖機関ではないですね」
 颯爽と現れたのは一文字・伽藍(|Q《クイックシルバー》・h01774)。まぁクヴァリフとか、そのバブをシバいたり何なりするってのは同じなんだけど――と付け加える彼女のスマホは通常の待ち受け画面のままだ。動画配信者・ガランのチャンネルにドンパチは不要。
「ならば奴らと同じように燃え尽きるがいい!」
 彼らの妄信が炎を呼び覚まし、魔弾となって放出される。くるりと身を翻した伽藍が眉根を寄せた。
「こんな地下室でボーボー火ィ燃やすのどうかと思うなぁ。いい歳して火遊びとか、そんな大人は伽藍ちゃんの教育によろしくないので早急に退場ヨロ!」
 配信者だとか能力者だとか次期当主だとかの前に十六歳の女の子である。駆け出す伽藍の手に足に、稲光のようにぱちぱちと爆ぜる銀色が寄り添う。
「ってことでクイックシルバー、【ガチ恋距離】! 消火活動、はっじま〜るよ〜」
 ボーボー燃える炎を掻い潜り、目深フードの奥の顔を覗き込めるくらいの距離まで急接近。きらきら銀色を纏った少女に見上げられて、思わず狂信者がどきりとした直後――クイックシルバーが輝きを増し、釘が礫のように迸った。
「ぐえっ」
 分厚い装甲をも貫く一撃を受けて狂信者がくずおれる頃には、伽藍は既に他の者を仕留めにかかっている。その速さには誰も、妄信が具現化した炎さえもついていけない。
「ほらほら、鳩尾に釘ぶち込まれたくない奴ァさっさと上に戻っておまじないしてな!」
「聞いてないわ! こんな事になるなんて!」
 ヒステリックに喚き、逃げようとする女の前に伽藍は回り込んだ。
「ひっ」
「ダメだよメイド長。仮にもメイドカフェのメイド名乗ってんだから、ちゃんとそれらしくしておかないと。最後までおもてなししてよね」
 光り輝く手に、同じ輝きを纏った釘。
「こちとら――お客様だぞ!」
 放たれた光が、女を穿った。

家綿・樹雷


 √能力者の攻撃を受けてのたうち回りながらも、その女は生きていた。
 通常の人間ならばありえない。それはつまり――
「√能力者になっちゃったか」
 志が同じならば、それは頼りになる仲間の誕生ともいえる。しかし能力の本質が同じとて分かり合えるとは限らないのが世の常だ。
「はじめましてメイド長。お店とても素晴らしかったよ。怪異なんかよりずっと」
 家綿・樹雷(綿狸探偵・h00148)はどこか遠い目をして告げた。それに対して女は憎しみを目に宿して返す。
「|なんか《・・・》ですって?」
「そうだよ。怪異なんてなろうと思えばすぐになれる。√能力者は怪異人間災厄や取り替え子にも種族変更可能だ。|ボク《半人半妖》だって捉え方によっては怪異みたいなものかもしれない」
 狸の尻尾がふわふわと揺れる。
「逆説的に怪異とはそういう|√能力者《インビジブル》に過ぎず、進化でも救いでもない。それでもなりたいのならお好きにどうぞ」
「この……!」
 激昂したのは女だけではなかった。同じ姿の狂信者たちが皆、それぞれの斧槍を振り翳しながら樹雷へと襲い掛かって来る。
 無数の刃が悪を仕留めんとばかりに閃いて、しかし突如沸き上がった煙幕に阻まれる。
「なんだ!?」
 その直後、狂信者たちは一斉にばたばたと倒れていった。音もなく放たれた|眠りの妖精《ザントマン》の砂弾丸が爆ぜ、「弱点を的確に狙われ、仕留められた」という幻覚を見せたのだ。
「皆、どうしたのですか……!?」
 直撃を免れた女が仲間を揺さぶるが、樹雷の暗示は強力だ。彼らの意識はしばらく戻るまい。
「この世は地獄だよ。だからこそ貴女の店には価値がある。怪異の先に貴女の幸福はなく、あの店こそ貴女の|欠落を埋めるもの《Anker》足りうる。戻ってきてほしい」
 樹雷の瞳には探偵らしい聡明さによる諦めと、少年らしい切実な願いが同時に宿っていた。
「……断るわ」
 女の返答に、諦めが広がっていく。
「残念だ。本当に」
 再度、弾丸が放たれた。今度は女へと真っ直ぐに。

櫃石・湖武丸
道明・玻縷霞
四百目・百足
柳・依月
逝名井・大洋


 目の前に現れた簒奪者の群れに道明・玻縷霞(普通の捜査官・h01642)は身構える。
 個々の力はそれほど強くはなさそうだが、何せ数が多い。囲まれたら少し厄介かと、立ち回り方をシミュレーションしていたところ、
「よ、特殊捜査四課より応援に来たぜ、道明さん!」
 聞きなれた声が響いた。そちらに目を遣ると、柳・依月(ただのオカルト好きの大学生・h00126)が軽く手を挙げて笑みを向けてくれているところだった。
 彼の背後からは、他にも頼もしい姿が次々と現れる。
「応援に来ましたぁ! メイドカフェでの道明さんの活躍はかねが、ね……? メイドカフェですよね? つまりもえもえしたんですか? ボク以外のヤツと!?」
 逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)が目を潤ませる。ボクだって道明さんともえもえしたい!
「応援ありがとうございます。そして落ち着いてください」
「ていうかよく見たらめがねおふ! めがねおふでもえもえしたんですか!? ずるい! 眼福だけどずるい!!」
「あれは……やらざるを得ませんでした」
 なんとなく居た堪れなくなり懐から眼鏡を取り出す道明だった。
「どうして教えてくれなかったんだ、道明」
 櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)も柔い笑みを向ける。
「もっと早く連絡をくれれば俺も飯が食えたのに。しかも女子の気合い注入済み……もし食べてたら普段の150%の力は出せたかもしれないぞ」
 冗談なのか本気なのかいまいちわからない物言いだが、これはいつもの事である。
「ふーん、メイドカフェってのも一遍行ってみたかったがなあ。ちょい残念」
「メイドカフェ……未知の領域でございますね。一体どんなところ……」
 四百目・百足(回天曲幵かいてんまがりそろえ・h02593)の視線の先には、確かに同じ“制服”のようなものに身を包んだ者がいるにはいたが。
「やや! 小奴らがメイドでございますか。ちょっと想像と違いましたが……」
 その視線をくうるりと、そのまま味方に向ける。鋭い眼光が興味深そうに瞬いた。
「ややや!? 道明、なんだかいつもと違う装い……成程、ここは非日常を楽しむ場ということですね」
「非日常には違いありませんが」
 とうとう眼鏡をかけ、ついでに髪も軽く整える道明だった。
「然らば、小奴らをしばくのを楽しむこととしましょう! 摘発というやつです」
「そそ、迅速に的確に! 摘発じゃオラァァ!!」
「摘発と書いて憂さ晴らしとでも読みそうでございますね?」
 ククッと喉を鳴らし、楽しそうに百足は笑うのだった。


「あれが狂信者か、大人しくメイド喫茶やってたら俺達に狙われることはなかったのにな。残念だよ」
「違う! メイドなんてやってたのはこいつだけだ!」
「なんでそこをわざわざ強調するのですか!?」
 湖武丸の言葉に、何やら激昂してメイド長の女を指差す狂信者。それから指差されてローブ姿の下で明らかに動揺する女。
「信仰のためにもえもえきゅんしたんだろ!」
「バイトにやらせてただけです! 私はやってません!」
「仲間割れか? 強固な信仰心で一枚岩と思いきや、そうとも限らないんだな」
「にしても怪異を崇める狂信者とか居心地わりぃなあ……平和な人間社会あっての怪異だと思うけどな、俺は」
 人を愛する|依月《ネットロア》は呟く。人間として地に足つけ生活している人々の空想が非現実を生み、好奇心や恐怖といた人々の感情がそれを語り継ぎ、やがてほんものを生み出すに至るまでを依月は身を以て知っているのだから。
(「それにしても――数が多いな。それならこっちも数がいるか……」)
 冷静に敵を見定め、行使すべき力を見極める。
「……ちょうどいい、怪異が怪異を顕す様を見せてやるよ」
 依月が念じた先、姿を現わすのはぼろきれを纏った薄汚い小人たちだ。やせ衰えた体躯に目だけがぎょろぎょろとぎらついていて、まるで飢えた猿のよう。
「ほう! 小人のネットロアといえば|あれ《・・》でございますね?」
「流石、詳しいな」
 依月と百足が目配せする先、機械的な電車のアナウンスのような声が響き――直後それが金切り声のような悲鳴に掻き消された。
 ナイフを持った小人に生きたまま裁かれる信者。ああ、だってアナウンスはこう云っていた――“次は活け造り、活け造りです”。
「いつまでも続く悪夢ってのがこいつの特性だからな、なかなかにしつこいぜ?」
「ネットロアのように目を醒まして逃げる事も出来ず、ようやく解放されたと思いきや死んでインビジブルというわけでございますね。最も――怪異になりたいのならハッピーエンドかもしれませんが」
「成程、敵には回したくない能力だな」
 飄々と云いながら、湖武丸もまた多人数を相手取るのに相応しい術を練り上げていた。霊力が暗雲となって宙へと昇り、降り注ぐ紫電となって轟く。迅雷が周囲を満たし、信者たちを打ち据えた。
 強烈な光の中を掻い潜り生き延びた狂信者が、怒りのままに斧槍を振り翳し迫ってくる。それを湖武丸は冷静に迎え撃った。
「なんだ物騒な物を振り回して。ああ、お互い様か」
 先ほど操ってみせた迅雷の如き鋭さで鬼々蒼々が閃いて、信者の武器を落とす。
「なっ……」
「でも俺の方が強い」
 斬撃一閃、血飛沫と共に信者がくずおれる。
(「クヴァリフの仔に関する事件は何度か関わっていますが、狂信者達は話の通じる方ではありませんでしたね」)
 だとすれば淡々と事に当たればいいだけでもあるが、問題はその奥にもう一人、この件を狙う者がいるということだ。
 何が起きても対処できるよう、手早く正確に。
 紫電と猿夢が信者たちの動きを鈍らせる中、前に出た道明の繰り出す足技が敵を止め、手錠が捕縛し、連撃を浴びせかける。流れるような一連の動きは、対象に悲鳴すら上げさせなかった。
「見事なものでございますね! ところで道明、岩をも砕く悩殺術を身につけたと伺っておりますが」
「誤解です」
「なんと!? ぜひ拝見、ついでにご教授願いたかったのですが……」
「ええ!? 罪のないメイドさんならさておき狂信者が道明さんのもえきゅんご奉仕されるなんて、ボクちょっと手加減できなくなるんですけど!?」
「これ手加減してたんだな」
 辺りに転がる死屍累々に、依月が愉快そうな笑みを零す。大洋の弾丸によって動く事すらままならなくなった者達だ。二丁拳銃に撃ち抜かれた者達は命こそ奪われないものの、立ち上がる事すら出来ないほどの振動に揺さぶられ続ける事となる。武器握る手まで狙撃されれば、簒奪者といえど生まれたての小鹿以下、斃すのも可哀想になるほどのか弱さだ。
 最も彼らのしてきたことを思えば、同情の目を向ける者などいようはずもないが。
「さて、お戯れといたしましょう!」
 現に百足も実に楽しそうに這いつくばる信者たち目掛け卒塔婆を振りかぶっているのだった。命を啜って来た霊たちの卒塔婆が更に命を奪い、血塗れの卒塔婆が更に血塗れに。
「成程! これがめいど喫茶……冥土!? では冥土の土産に教えてさしあげましょう、卒塔婆で殴られたら痛いということを!」
 いやに湿った殴打音がこだまする。確かにこれは卒塔婆がトラウマになるかもしれない。
「メイドなだけに行く所は冥土……ふふ、ふふふ」
 妙なツボに入ったらしく、湖武丸が静かに肩を震わせていた。
「面白くなってきたから俺もご奉仕してあげよう。そうだな、刀で斬られたら痛いということを教えてあげたらいいのだろうか?」
「なかなかレベルの高いご奉仕が続くな」
「ついでにそこのメイド長にはもういっこ教えてあげたいよねえ」
 チャラく笑んだ大洋の姿が――消える。
 瞬足で駆けだしたその顔からは、ついでに笑顔も消えていた。巻き起こった風が女の目深フードを捲り、驚愕に満ちた表情を露わにした。チャラ男はチャラ男なので女の子には優しくすべきだと思っているが、それは相手が善良な場合に限る。そうでない場合にはこうだとばかり、ヤクザキックからの脳天零距離射撃を容赦なくお見舞いした。
「道明さんにご奉仕するのはぁ! ボクだけで十分なんだよ!」
「したのか? ご奉仕」
「ご想像にお任せしまァす!!」
「貴方達、自由過ぎませんか……?」
 もはやツッコミさえ放棄した男がここに。
「収拾がつかなく前に早く終わらせましょう」
 “迅速に、正確に”を最も阻害しているのが味方たち――とはいえないのが69課の恐ろしいところ。無駄口ばかりと見せかけて、そのコンビネーションは流石の一言だ。骨が折れると思っていた相手へと、あっという間に壊滅的な打撃を与えているのだから。
「ひっ、こんな奴らがいるなんて聞いてないぞ……!」
「おっと」
 逃げ出そうとした者を依月の呪髪糸が狙う。鞭のようにしなるそれに背中を打ち据えられ、前のめりに倒れ込んだ。
「人が平和に楽しんでるとこに水を差すような真似しやがって。怪異も人も――共に生きてこそだろ?」
「ええ、同感です」
 万感を込めて呟かれたネットロアの言葉に。
 “普通の人間”にしか見えない姿をした男は、そう云って頷くのだった。

イヌマル・イヌマル


 ダンディーな仕草でトイレに入り、隠し扉を見つけてみせた英国紳士は、愛嬌たっぷりの声で「変身解除」と呟いた。
 するとそのシルエットが縮み、垂れ耳でずんぐりとした犬の姿に変化していく。
 元の姿に戻ったイヌマル・イヌマル(|地獄の番犬《ケルベロス》・h03500)はうーんと伸びをする。
「やっぱり四本足のほうが落ち着くなー。靴も熱が籠っちゃう感じがするし」
 近くなった地面をぽてぽてと歩き、バセットハウンドは声高らかに宣言する。
「悪者たちめ、覚悟し……あ?」
「あ?」
 狂信者たちが目を丸くした。これは決してイヌマルのマネをしたわけではなく、
「犬だ」
「犬がいるぞ」
「迷い込んだのかな」
「でも喋ったぞ」
「そんなことある?」
 というわけであるらしかった。いかに怪異の存在を知る者達といっても喋る犬はそこそこ珍しいらしい。で、最初に「あっ」と云ったイヌマルは、
「ちょっと待ってね。大事なお土産、隠しておかなきゃ」
 というわけであったらしい。部屋の隅の安全な場所にお土産を置いてから。
「では、改めて。悪者たちめ、覚悟しろ! がおー!」
「こいつも敵か!」
「がおーって云ったぞ、犬なのに!」
 犬は犬でも地獄の番犬だ、がおーと吼える事くらいある。そんな彼の誇りをあしらった魔導スケボー“バンジャラ号”に颯爽と飛び乗ったイヌマルは、敵襲向けて一斉に飛び込んでいく。
 短い肢で器用に軌道を変え、敵の間を縫うようにすーいすい。狂信者たちが得物を振り翳しても、掠り傷ひとつ与えられない。なにせ標的はすばしっこい上に小さいのだ。
 それにイヌマルはただ彼らを翻弄して遊んでいるだけではない。新たに招集された信者たちも巻き込んで団子状態になるように誘導し、頃合いを見計って宙へと浮かび上がった。その勢いのまま、ぐるぐるとドリルのように回転するイヌマルが√能力によるオーラを纏っていく。
「いくよ……どっかーん!!」
 密集地帯目掛け、イヌマルは力強い頭突きを放つ。華麗で力強いトリックに、狂信者たちはまとめて吹っ飛ばされた。
「ど、どうだ! お、思い知ったか!」
 勿論決めポーズもばっちりである――と思いきや、なんだかぐらぐらと覚束ない。
「おえっ! ……なんか吐きそう」
 超威力の代償、恐るべし。

史記守・陽
刃渡・銀竹


 人々の妄信が渦巻いている。
 熱に浮かされたようなそれが怪異を呼び覚ますまでに昂っているのを、異能捜査官たちは肌で感じ取っていた。
「この下に被疑者がいるんだね、気合を引き締めておかないと」
「というわけでシキ、まずはこれを受け取りやがれ! ですよ」
 ん? と首を傾げる史記守・陽(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)の手にぽんと渡されたのは――
「札束?」
「オモチャじゃねえぞ? ガチモノホンだですよ、百万あるから無くすんじゃねえぞです」
 ニヤリ笑む刃渡・銀竹(博打打ち・h02791)。
「えっこれを何に使うの? というかなんでそんなに持ち歩いてるの?」
 上着の内ポケットから、マネークリップで挟んだお札数枚くらいの手軽さで分厚い札束を出されたら誰だってびっくりする。銀竹の“家柄”に相応しいド派手な刺繍の施された上着だったので、なんだか妙に似合ってはいたが。
「コレがオレの必殺技だから! ですね。戦闘中いいあんばいのところでオレにコレを渡すんだぞです」
「うーん、わかった」
 何か銀竹くんなりに考えがあるんだろうからと、素直に従っておくことにした。
 そんなこんなで階段を降り、当のアジトの扉を開ける。
 敢えて注目を浴びるために大きな音を立て、振り返った狂信者たちに警察手帳を突きつけた。
「警視庁異能捜査官です。あまり手荒なことはしたくないので抵抗はしないでいただけると助かるんですが……」
 薄暗い部屋に集っていた信者たちは、返事の代わりに無言で斧槍の矛先を向けてくる。
「そうですよね、素直に従うのであれば最初からこんなことをしませんよね」
 判りきってはいたが、可能なら穏便に済ませたいというのは性分のようなものだ。
「やむを得えません、多少の怪我は覚悟してくださ――」
「ぎゃはははメイド長メイド長メイド長ー! 死んでも死なねえ奴なら手加減なしで行くぜぇ! ですよ」
 こちらは穏便とは程遠い様子の銀竹であった。とっても楽しそうに銃を構えている。
「どっちが捕縛対象か誤解を招くような言動は慎もうね」
 何か振りきれてるなぁと思う陽であった。


 妄信がそうさせるのか、はたまた既に人に戻れぬ存在へと変化しているのか。
 既に何人もの√能力者達と交戦した狂信者は常人ならばとうに死んでいるだろう傷を受けている者も少なくないが、それを感じさせない身のこなしで襲い掛かってくるのだった。
「殆どゾンビみたいなもんだなですね――それなら」
 銀竹が銃弾を放つ。一般的に広く使われる“ザ・おまわりさんの銃”だ。携行しやすい代わりに性能はそれなりといった代物だが、銀竹の射撃は正確に信者の頭を撃ち抜いた。
「頭を狙えってのは鉄板だからなあ! です」
 斧槍を振り破って跳躍する狂信者にも、陽はひるむことなく前進する。身を捻って振り下ろされた槍を躱し、反対に得物を持つ手を掴んでみせた。
 あらゆる√能力を無効化する力が手のひらから注ぎ込まれ、狼狽える狂信者を柔術の要領で組み伏せる。
「そのままじっとしていやがれですよ」
 無力化された狂信者に、銀竹の銃撃がトドメを刺す。
 立ち上がった陽が再び簒奪者たちを往なし、銀竹が狙撃する。
「阿吽の呼吸ってやつだね」
「あうん? なんかえっちな響きだな」
「……そ、そうかな?」
 その発想はなかった。
「それにしても、そろそろ頃合いって頃だなですね」
 狂信者たちは数を減らし、追い詰められた彼らが目をぎらつかせて一斉に襲い掛かってくる。畳みかけるには絶好の機会だ。
「シキ! 今だ! ブツを渡せ! ですよ」
「え!? ええと、……どうぞ!」
 目の前でいきなり交わされる札束のやり取りに、さすがの狂信者たちも一瞬面食らった。
 しかしそんな感情すら、直後に放たれた熾烈な銃撃に消し飛ばされる事となる。
 先程までのショットがお遊びだとでも云わんばかりの、凄まじいまでの連撃。
「賄賂は警官を強くするんだです、覚えときやがれですよ」
 ツッコミどころは山ほどあるが、結局陽が口にしたのはひとつだけだった。
「……賄賂かなあ?」
 だってお金、そもそも銀竹くんが用意したやつだったし。

久瀬・千影


「そーそー、それそれ」
 皮肉めいた笑みと共に、久瀬・千影(退魔士・h04810)は相槌を打ってみせた。
「アンタらが求めてやまない“クヴァリフの仔”。その案件は俺も幾つか絡んでてな。大概が碌でもない案件なんだ」
「碌でもないだって?」
 妄信する怪異を侮辱されたと見たか、狂信者たちが目深フードの下で血相を変える。それに対しても千影は軽く肩をすくめただけだ。
「碌でもないだろ。アレに魅入られて命を落としたり、犠牲になった一般人も居てね」
 薄暗い日常に隠された真実。未来が閉ざされたこの世界では、人間の一生はあまりに儚く呆気ない。人智を超えた存在に魅入られ、或いはただ単に運悪く巻き込まれて、それだけで終わってしまう。
 千影はそれを何度も目の当たりにしてきた。救えた者もいたが、そうでない者も多かった。
 見て見ぬふりをすれば、そんな光景は目にしなくていい。自分には関係ない事だと嘯いて、一族の宿命から目を逸らした時のように――なのに。
(「訳の分からないクソ下らねぇちっぽけな正義感が、俺をこんな場所に連れて来ちまう」)
 今だってこの手は得物の柄にかけられている。いつでもその刃を振り抜けるように。それを向けるべき相手が、同じ人間だとわかっているのに。
(「人間同士で殺し合うってのも正直ゴメンだ。√能力者だから死んでも死なないのは分かってる」)
 けれど、人を斬った感触は消えない。肉を断つ感触。耳にこびりつく悲鳴。肉体は復元されても、たとえ相手がそれを忘れても、千影の中にはずっと残る。
「なあ、」
 一応、云ってみた。
「――降参しろよ。どうせ俺が勝つんだ。今なら悪いようにはしない」
 答えは、怨恨渦巻く炎となって千影に戻って来た。
 だよな。薄い唇が声を発さず形だけを作る。


 千影の決断は早かった。降参しないなら後は戦うのみ。
柄にかけられた手に力を込め――迫り来る灼熱を、五月雨が如き斬撃が斬り伏せた。
「!!」
 散り散りになって消えていく炎の向こう、狂信者たちが驚愕の表情を浮かべるのがありありと見える。何が“怪異へと変わりつつある”だ。彼らはこんなにも人間じゃないか。
 一歩踏み込む。敵の動きは洗練とは遠く、能力さえ伸してしまえば間合いに入るのは容易かった。そのまま首を斬る事も、心臓を貫く事さえ出来た。
 だが千影はそうしなかった。居合の一閃は狂信者の脚を深々と斬り、血潮を噴出させたが、それだけだ。
 地面をのたうち回り苦悶の声をあげる男を見下ろして、千影が唇を噛む。手の感触がまだ残っている。からからの喉がひりつく。けれどこいつは死んでいない。
(「怪異を斬るのが退魔士の仕事だ。人殺しじゃない」)
 生かすのは誰の為でもない。自分の為だ。たとえ今見逃した相手が後に自分を脅かす事になろうと、千影はこの選択をし続けるだろう。
「大人しく、してろ」
 まだ血の滴る刃を残る者に向ける。
 脅しのような物言いは、しかし千影の願いそのものだった。

十六夜・月魅


「さあみんな、準備はいいかしらぁ?」
「もちろんですー!」
「いつだって行けますよー!」
 十六夜・月魅(たぶんゆるふわ系・h02867)の呼びかけに元気よく答える少女たち。
 どこかの世界でダストタイプと呼ばれていた少女人形は、今ではそんな呼び名も感じさせない立派な傭兵だ。支給された武器に新たな“衣装”まで揃いで纏い、元気いっぱいに地下を進む。
 彼女たちに続く月魅もまた、|愛と戦の女神《アスタルト》や|愛と美の女神《イシュタル》を思わせる姿に変化している。
 日頃は悪戯程度に抑えている天性の魔性を、存分に発揮できる姿だ。今や彼女は息を吐くたび、声を発するたびに周辺を魅了するフェロモンを放つ。魅力というものも研ぎ澄ませばひとつの災厄になると証明しているかのような存在だ。
 かつて魅了による集団テロ事件を引き起こした伝説、その一端を覗かせながらも、月魅はあくまで「頼もしい子たちですねえ」と“年上のお姉さん”らしい柔和さで笑むのだった。


「ただいまぁ」
 にこにこと、まるで本当に家についた女主人のように云って扉を開く。
 しかし返ってきたのは、狂信者たちの刺すような視線のみだった。√能力者達の活躍により、信者は数名ほどに数を減らしている。
「……あら。お帰りなさいませは無いのですねえ」
 困ったように眉を下げる月魅。
「相容れない相手にその様な言葉を掛ける道理があるものですか」
 ひときわ憎しみを浮かべてねめつけてくる者がいる。彼女が“メイド長”なのだと月魅は直感で理解した。
「そうですかあ……残念です。折角この子たちの衣装も揃えましたのに」
 十二体の少女傭兵たちは――みんな可愛らしいメイド服姿だった。
 長い前髪からあどけない顔を覗かせ、ふわふわのエプロンドレスを翻す彼女たちは、突如矢継ぎ早にまくしたてた。
「私たちの将来が決まりそうです!」
「メイド長さんのせいです!」
「そうです! メイド長さんが悪いんです!」
「は? 意味がわかりませんが」
 顔をひきつらせるメイド長に、少女達は口々に云う。
「メイドカフェ、いいお店です!」
「ご飯、とっても美味しかったです!」
「お姉さんも優しかったです!」
「無くなっちゃったら悲しいです」
「でも、だからって私たちが代わりにメイドになるなんて!」
「えーと、話が見えませんが」
 つい縋るように同胞たちに目線を遣るメイド長。
 だが理解の無い同僚たちは「お前が撒いた種だろ」とばかりに冷ややかな視線を返すのみだった。
「わかってもらえなくていいんです! 私達がいいたいのはつまり!」
「つまり!」

「「「責任取って!」」」

 陣形を組み、戦闘態勢をとる少女人形たち。
「! 異端者は排除します!」
 信者たちの祈りが炎となって吹き荒れる。大盾で受け止めた少女達が銃撃を放った。
「信者さんは殺しちゃダメですよぉ。まずは武器を壊しましょう。やむを得ない場合でも急所は外してくださいねえ」
 振り翳される斧槍を少女達の狙撃が粉砕する。彼女達に護られながら、月魅は一歩、また一歩、悠然と進む。
「信仰に生きる方、私は好きですわ」
 慈愛に満ちた眼差しが敵意を奪う。
 吐息が理性を、振りまく妖香が戦意を、艶やかな声が心を奪っていく。
 かつて君臨した妖艶なるテロリストに視線を向けられ、信者たちは男女問わず動きを止め、ごくりと唾を飲み下した。
「だからこそ、祈るものは愛に溢れていて欲しいのです」
 心にへばりついた狂信をも引き剥がすまでの、圧倒的な魅了。
 少しでも抗うそぶりを見せる者には優しく頬に手を添え、唇を奪った。
「あ、ああ……」
 ゆっくり、甘く。見せつけるように。空気中に漂っているだけで心を鷲掴みにされるほどのフェロモンを直接注入され、抗えるはずがあろうか。
「……ね?」
 もったいぶるように唇を離し、微笑めば、潤んだ瞳でこくりと頷く事しかできなくなる。
 月魅のために明け渡された道をモーゼよろしく歩いて、向かう先はただひとり。
「メイド長さん」
 月魅の声に、彼女はびくりと身体を震わせ斧槍を構える。銃口を向ける少女人形たちを月魅は静止した。
「私に魅了は効きません。私の心にあるのは偉大なる怪異のみ。他の者が入り込む隙などありません」
「そうですかぁ。そうだとしても私は聞きたいんです。知りたいんです。貴女のことを」
「……何故?」
「なぜでしょうかあ。それが愛だから、かもしれませんねえ」
 月魅が一歩詰める、メイド長が一歩下がる。
 距離を取っても無駄だ。既にこの一室全体が彼女の支配下のようなものなのだから。
「聞かせて下さい。貴女のことを」
「……話すべき事はなにもありません」
 だというのに、彼女は頑なだ。
「どうして?」
「……」
「副メイド長様も、メイドの皆様も、貴女を案じておりました。あのお店は、きらきらと愛で満ちておりました。貴女が作り出したのですよお」
「……」
「同じ店を持つものとして尊敬しますわ。思い出して。貴女の居場所を。貴女の帰るべき場所を」
 心を解き、甘く染め上げ、狂気を取り除き。
 持てる全てを投じて、月魅は彼女の本心を覆い隠すヴェールに優しく手をかける。
「貴女は愛されているのです。私も貴女を愛していますよお」
 特段に濃厚な吐息を、メイド長の鼻腔目掛けてふうっと吐き出した。彼女の目線が熱っぽさを帯び、心が月魅に傾いていく――その筈だった。

「……っ、ち、違います!」
 突然、メイド長が叫んだ。瞳から消えかけていた筈の敵意が猛烈な鋭さで月魅を刺す。
「愛は私達を救ってはくれません! 今までも、これからも!」
「そんな事ありませんよお、私は……」
「皆目を醒ましなさい! かつて私達にだって愛を信じた時がありました! でもそれが何になりましたか!? 人の世に救いはありません! 怪異を崇め、怪異と一つになる事こそが我らの望みだったはず!」
 信者たちの目に迷いが生じ始めた。
「あらぁ……」
 いつものようにのんびりと云う月魅だが、落胆と驚愕が隠しきれていない。
 彼女の魅了を振り払う者がいるなんて。それも、妄信に目覚める前は一般人に過ぎなかったのだろう者達が。
「大丈夫ですよお、貴方達はまだ知らないだけ。これから私が教えてあげますからあ」
 甘く耳元で囁けばメイド長以外の者はふたたび月魅の虜となったが、肝心のメイド長の心は動きそうもない。
「それほどまでに、怪異に魅入られているということでしょうか……きっとそれが貴女の愛なのですねえ」
 協力者からクヴァリフの情報を引き出し、司法取引の掴みを得る。
 月魅についてきてくれた信者たちだけでその望み自体は果たせそうではあるが――。
「裏切り者には裁きを与えなければ!」
 かつての仲間に襲い掛かるメイド長。然しその前に月魅が立ちはだかる。
「そこをどきなさい」
「どきません。この方たちは、私の愛を受け容れてくださいました。だから私もこの方を愛し、護りますわあ」
 凛と立つ月魅だが、戦闘力は決して強い方ではない。むしろ√能力者としてははっきりと弱いほうだ。
 それでも一切物怖じしない。
「武器を奪うのです!」
 少女人形のひとりが叫び、メイド長を取り囲む。
 月魅と決裂した彼女はきっと、少女人形たちが武力行使に出ずとも他の能力者に仕留められ、“簒奪者”として、人類に仇なす存在として、散って行くこととなる。既にそうなった者たちと同じように。
 片や踏みとどまった人たちは、人として裁きを受ける事となるのだろう。
 どちらがいいのかなんて誰にもわからない。けれど月魅は信じている。
「愛って、素晴らしいですよねえ」
 人々を魅了する魔性として、優しく包み込むお姉さんとして、月魅は微笑む。
 たとえ目的の為のまがいものとして造られたお店でも、そこで働くメイドさんや、それを求めて集う人々の間には――確かに愛があったのだ。

第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』



 降伏。排除。
 信者たちは無力化し、今日もひとつ√汎神解剖機関の薄暗い平穏が守られた――その筈だった。

 静寂が訪れた地下に、ぽこ、ぽこと小さな音が鳴り始めた。√能力者たちが辺りを探ると、音が鳴っているのは部屋の中心の辺りだ。何もない空間に、小さな泡のようなものが浮かんでいる。透明で、微かに銀色を帯びたそれは、ぽこぽこという音とともに伸び縮みを繰り返しながら徐々に大きくなっているようだった。
 最初は透明な球体に過ぎなかったそれは、大きくなるにつれだんだん何かの形を形成していく。銀色の表面は暗い闇色をしてぬらぬらと輝き、触手のようなものが生え、鳴り続けている音はでたらめな人の声のようなものへと変化していく――
 これが“クヴァリフの仔”か。√能力者たちが各々の手段で交戦しようとした瞬間、目にも止まらぬ速さで何者かがそれをかすめ取っていった。

「ふむ……やはり狂信に陥るような弱者にはクヴァリフの仔は手に余るようだな」
 男だ。長身を黒衣で包み、アイスブルーの眸を片方眼帯で覆い隠している。
「これは私達、|連邦怪異収容局《FBPC》が預からせて戴くとしよう。私達の使命は、何も知らぬ無辜の民衆を守る事なのだから」
 そこまで告げ、男は√能力者達を順に見遣る。そして悠然と続けた。
「ああ、君達――まさか異を唱えるつもりか? 人間同士で争うなど愚かなことだ。民衆を守るという目的は我々も君達も変わらないだろう。だが汎神解剖機関はひとつ過ちを犯した。彼らの発見したクヴァリフ器官は素晴らしい|新物質《ニューパワー》だったが、だからこそ我々√能力者は無辜なる弱き民衆を『教育』する機会を喪失したともいえる。ゆえにこうして道を外れ、自ら悲劇に堕ちていく者達が現れてしまうようになった――違うかね?」
 男の背後に、悍ましいシルエットの怪異たちが出現する。いずれはそこに“クヴァリフの仔”も加わらせるつもりだろうか。いずれにせよ、ここに集った√能力者達の見解はひとつだろう。
 |連邦怪異収容局《FBPC》やこの男に、クヴァリフの仔を渡してはならない。

「このような痛ましき民衆を生み出さない為にも、我々にはこの怪異が必要なのだよ。さあ、降伏したまえ」
 物分かりの悪い子供に云い聞かせるように柔らかく、しかし反論を許さない口調で、男は告げた。
イヌマル・イヌマル


「……ムコなる民衆?」
 ムコなる民衆がいるということはヨメなる民衆もいるのだろうか。わからない。イヌマル・イヌマル(|地獄の番犬《ケルベロス》・h03500)は首を傾げる。
「うーん……とにかく難しい言葉で煙に巻こうったって、そうはいかないぞ! やっつけてやる!」
 イヌマルの姿が変化する。身体が大きく膨らみ、体毛は闇色に染まっていく。長く垂れた耳は短くぴんと上を向き、鋭い爪と真紅の瞳をした貌が三つ、揃って勇ましく吠えたてた。がおーと、いつものイヌマルの声で。
「これが僕の真の姿だ! いくぞー!」
 その真偽はさておき、名実ともにケルベロスとなったイヌマルの強さは伊達ではない。咆哮と共に放たれるのは火炎と電撃、それに猛毒を帯びたブレスだ。
「ふむ」
 携えた怪異を盾にするようにしてリンドー・スミスはそれを退けた。
「人間同士で争うのは愚かな事だ。しかしてペットが人類に歯向かうなどそれを上回る具の骨頂だと思わないかね」
「どうかな。賢い犬は、ご主人の命令でも間違ってるって思ったら従わないよ」
「はは。どうやらしつけが必要なようだ」
 声だけで笑って、リンドー・スミスは己の腕と融合した触手を繰り出してきた。それが自身だけでなく他の√能力者にも当たると見た瞬間、イヌマルは敢えて前に跳び、自ら打擲を受けに行った。
 熾烈な攻撃も、地獄の番犬と化した今のイヌマルを脅かす事など出来はしない――反動でお腹がきゅるるると切ない音を立てたが、それも瑣末なことだ。
 六つの目がリンドー・スミスを睨みつける。再び触手を繰り出そうとした男めがけ、イヌマルはブレスを見舞った。隙を突かれた男が呑み込まれ呻く。即座に三つ首が一斉に牙を剥いた。男は身を引いたが、隠し持っていた“クヴァリフの仔”の一匹がイヌマルに咥え去られていた。さらに畳みかけようとするイヌマルだが、直後、巨体がぐらりと傾いだ。
「あ、もうお腹減りすぎて無理かも」
 巨大な力には代償がつきものだ。無敵の番犬はとっても食いしん坊なのである。ふらふらと彷徨った視線は、部屋の隅にちょこんとおかれたお土産に自然と吸い寄せられていく。
「あれを食べたら、少しは回復できるかな?」
「ダメだよ。杏奈へのお土産なんだから」
「もう無理……みんな、後は頼むね……」
 三つの頭は口々に言い、そして。
「「「ばたんきゅ~」」」
 仲良くハモりつつ意識を失った。

静寂・恭兵
アダン・ベルゼビュート


 その男はいかにも紳士然とした態度で、悠然と告げた。
「私達の使命は、何も知らぬ無辜の民衆を守る事なのだから」
「使命か。アンタ達とは何度もやり合ったがいつも相容れないな」
「全くだ。貴様を含めて連邦怪異収容局は本当に懲りぬな。此の様に相見えるのも、もう何度目だ?」
 連邦怪異収容局員、リンドー・スミス。その姿に静寂・恭兵(花守り・h00274)もアダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)も眉を顰める。
「さてな。私達が見据えるのは人類がこの黄昏から脱却する未来のみ。障害物の事までいちいち覚えてはいないさ」
「その態度だ。無辜の民を守るのだと言いながら何も知らない民を愚かだと決めつけている」
「覇王たる俺様から言わせれば、貴様が宣う『無辜の民を守る』という言葉は傲慢の極みだ。『人』を平等に見る意思を感じられぬ」
 隠そうともしない嫌悪を向けられ、くつくつと男が喉を鳴らした。愉快そうに。
「ではどうするつもりだ? 民衆が怪異に触れる隙を与えた結果がこれだ。妄信は盲目と同じ。真実を知らぬままその圧倒的な力を畏怖し、取り込まれ、それで終いだ。彼らは|新物質《ニューパワー》たり得る怪異を呼び寄せた尊い殉教者か? 或いは純然たる愚かな犠牲者か? それが君たちの云う平等かね?」
 よく回る口だ。恭兵が肩を竦めた。隻眼の男こそ、自分たちの信条を妄信しているとしか恭兵には思えなかった。
「黄昏の世界で病む人の心にはクヴァリフ器官も必要だったのだと俺は思っている。無理に劇薬を使って人々の心がさらに病む事も考えられる……といってもアンタ達との会話は平行戦でしかないだろうからな」
「恭兵、征くぞ! 話しても通じぬ輩には分かり易い行動で示す他あるまい」
「ああ。その点に関しては君達と全くの同感だよ」
 男の背後で、彼が使役する怪異が揺らめいた。


 霊刀が振り抜かれた。それは男の手と融合した触手を掠めるに留まったが、構わず恭兵は刀を振り続ける。
「会話は人類の生み出した財産だ。だがそれが通じない相手ならば、時に野蛮で原始的な手段を講じる必要がある」
「会話と書いて言い負かすと読ませそうだな、貴様の場合は!」
 阻む者を捕えようと迫る触手を迎え撃つはアダンの魔焔。闇色の炎を爪の如き姿に変化させ、男へと浴びせかけ続ける。
 自らの防御を棄て去ったかのような果敢な攻めは、恭兵の攻撃を途絶えさせない為の守りでもある。
 恭兵が微かに目を瞠る。言外のうちにアダンは恭兵の狙いに気づいたのかと。
 アダンの答えはいつも以上に自信に満ちた笑みだった。
「ありがたい」
 ならば己は、どこまでも攻撃を当て続ける事にのみ集中していればいい。落ちる花を斬り、浮かせてまた刻むかのような剣戟を浴びせ続ける。
 闇の焔を蹴散らしながら、男の使役する怪異が巨大な爪を振るった。広範囲を薙ぎ払う一撃がアダンを打ち据える。軋む身体に微かな呻き声を漏らしながらも、アダンの意識は魔焔を操る事のみにあった。散らされた炎が再び鋭さを増す。
 “黒狼”が顕現出来る時間は有限だ。ならばそれまでに相手を喰らい尽くさんとばかり、貪欲な焔は暴れ狂う。
「く……っ」
 魔焔と剣の連撃を浴び、男が隻眼を歪める。
「ところで……アンタのほうこそ降伏はしなくていいのか?」
 云ってみただけだ。相手が殊更に同じ人類だの降伏だのと煽って来るものだから。答えなど分かり切っている。
 だが男が否を突きつける前に、アダンが鼻で笑った。
「降伏するのは貴様であろう? 尤も、其れを聞いてやる道理は無いがな!」
 だろうな、と呟いて、恭兵は再び剣を握り直す。その傲慢さごと破壊するかのような連撃が、男へと浴びせかけられた。

雪月・らぴか


 男の言葉を黙って聞いていた雪月・らぴか(霊雪乙女らぴか・h00312)の顔がだんだん険しくなっていく。
「なんだか色々云ってるけど、要はみんなを洗脳して自分の都合いいようにしたい! ってだけだよね! うひょー! ありきたりな悪のくそじじいじゃん!」
「……人聞きが悪いな。教育と云ってくれたまえ」
「一緒だよね!? みんながなーんもわかってないバカだから賢い私が正しい事を教えてやるよって云いたいんでしょ! そんなのにクヴァリフの仔は渡せないよね!」
 啖呵を切るらぴかだが、握りこぶしは微かに震えていた。突如√能力に目覚めるまで普通の大学生でしかなかったらぴか。戦いが怖いか怖くないかでいえば、本当はまだ少し怖い。それでも声と眼差しに迷いはない。
 らぴかの体表から湧き上がる霊気と冷気が男へと迫る。猛烈な冷気を男の刃腕が振り払った。その隙をついてらぴかは距離を詰め――渾身の力を込めて殴りかかった。
 よろめいた男が蟲翅をはためかせて体勢を整え、刀を振り翳した。身を捩って避けた筈のらぴかの耳たぶが裂け、血が迸る。
「ったぁ……」
 やや涙目になりながらも、らぴかは素早く霊と氷雪の力を気に込めて放つ。
「もう少し……魔法少女? というのだろうか、そのような攻撃をしてくるのかと思いきや、少々意外だったな」
 こちらも殴られた頬を摩りながら、男が怪異によって変化させた脚で距離を詰めてくる。
「もちろん魔法も使えるよ! でも最後に頼れるのは己の拳だよね! 最後じゃなくても頼るけど!」
「ふむ。心意気は嫌いではないが」
 男の肉体が変化していく。今まで連邦怪異収容局員として使役してきた怪異を纏い、より悍ましく、強力な姿に。
「正体現わしたね。みんなまとめてぶっとばしちゃう!」
 らぴかの瞳が煌めいた。今まで放ち続けてきた冷気と霊気が激しさを増していく。
「何――?」
「云ったよね。魔法だって得意なんだよ!」
 先程までの魔法が本気だと思ったら大間違いだ。らぴかの操る暴風は怨恨に泣き叫ぶ死霊と、無数の固い礫のような雪に満ち溢れている。
 苛烈なる暴風が男を包む。まるで天変地異の如き光景の真ん中で、らぴかは声を張った。
「本日の天気はーっ、霊と雪が降ってぇ、風が強いでしょー!!」
 これこそらぴかの力。|霊雪叫襲《レイセツキョウシュウ》ホーンテッドスコールだ。

一文字・伽藍


 男の主張に、一文字・伽藍(|Q《クイックシルバー》・h01774)は露骨に顔をしかめてみせた。
「意義あり! 碌でもない予感しかしません!」
 自分たちの主義主張が正しいと心から信じきっている様子に加え、教育云々だののお決まりワードである。
「そうかね?」
「オジサン、子供の自立心全拒否する毒親みてェって云われた事ない?」
 男は軽く笑って肩を竦めるだけだった。それがまた“物分かりの悪い子供が駄々をこねている”と云わんばかりで気にくわない。十六の少女である伽藍にしてみれば、相手が子供であるだけで下に見てくる大人というものに接する機会は残念ながらそれなりにある。そんな奴らが力と選民思想まで手にしてしまったのだから始末に負えない。
「はぁ……まあ話しても無駄だよね」
「同感だ」
「じゃ、——行きますか!」
 伽藍が銀の煌きを纏うと同時、リンドー・スミスもまた自らが使役する怪異の背にひらりと飛び乗った。疾駆する伽藍の手から銀の光が迸り、武器である釘が打ち出される。しかし男は余裕綽々、怪異を駆って躱してみせた。
(「だよね、これくらいの速さ、あのビッグマウスで避けられなかったらダサすぎるし」)
 負の信頼すぎて笑いが漏れそうになる。男が隻眼を眇め、騎乗する怪異から跳躍した。その手にも宿る触手状の怪異が変化し、丸太のように巨大な形を形成する。
 剛腕が振り下ろされ、伽藍の華奢な身体を打ち砕く――その筈だった。
「な……!?」
 男が信じられないものを見るように自分の胸元を見下ろしていた。そこには、あの易々と避けられたはずの釘が突き刺さっている。
 そしてそれをやってのけた伽藍といえば、いつの間にか男の背後に立っていた。その上、力の源たるクヴァリフの仔を小脇に抱えているではないか。
 驚愕する男に、伽藍は肩越しに笑みを向ける。
「どこまで見えた? アタシが超高速で迫って来たとこ? “もえもえきゅん♡”って釘を打ち込んだとこ? まあどれも見えなくてもしょーがないよね、だって光速だもん」
 補足するなら、それはクイックシルバーとの完全融合により成し遂げた離れ業だ。ポルターガイストの応用で空間を引き寄せ、光速での移動を可能とする。ついでに死んでも魂すら引き寄せ蘇生する事が可能だが、そこまで説明してやる義理もない。
 何にせよこれで目的は果たした。ならばこれ以上話すべき事はない。
「待っ……!」
「ガハハハ! アディオス!」
 クイックシルバーの真髄を遺憾なく発揮し、あっという間に伽藍は立ち去ってしまった。

家綿・樹雷


 狂信者たちからリンドー・スミスが奪い去った“クヴァリフの仔”らは、徐々に√能力者たちに確保されつつある。
 彼自身の傷も決して浅くない。よろめきながら体勢を整える男に、また一人、近づく者があった。
「どうも、リンドー・スミスさん」
 少年と青年の狭間を揺蕩うような声。家綿・樹雷(綿狸探偵・h00148)がマフラーで隠れた口から凛と告げた。
「あいにく機嫌が悪くてね。八つ当たりさせていただこう」
「はは。対話そのものを拒むか」
「対話、ね――」
 話しながらも、双方臨戦態勢だ。リンドー・スミスは自らが使役する怪異に騎乗し宙に浮かび上がり、樹雷は煙幕を張って身を隠す。
「個人的には、本当に無辜の民衆が守られるなら渡してもいいと思っている。けれど貴方には信頼しかねる点がある」
 飛翔する怪異が風圧で煙幕を吹き飛ばす。すぐさま樹雷が煙幕を張り直すが、薄れた煙の中に少年の影が浮かび上がった。男が跳躍し、訥々と語り続ける少年めがけ猛襲を繰り出した。腕に宿った触手が、鋏が、少年を斬り裂いた――筈だった。それらは全て虚しく空を切った。
 男が瞠目する。
「一つ、彼らは『何も知らぬ弱者』だから狂信に陥った。まず守れなかったことを恥じるべきだ」
 煙の向こうに見えたのは虚像。少年は男の背後で語り続けている。その身体を男は切り裂いた。だがそれすらも少年の幻影だった。
「二つ、『教育』したら『何も知らぬ』ではなくなる。つまり庇護対象から外す気満々だ。結論、貴方に民衆を守る気などない」
「|だとしたら《・・・・・》?」
 男が笑う。細められたアイスブルーは、煙幕と幻影に身を隠していた樹雷を真っ直ぐに捉えていた。
「正体を現したね」
 ぺらぺらと崇高な理想を語る男の中にあるものは、自分たちが正しいと信じて疑わない傲慢さそのものだ。
 触手が繰り出される。身を捻り躱す樹雷の頬が裂け、血が迸った。鮮血の落ちた白いマフラーが意志を持つかのように蠢き、まるで巨大な腕のような形状に変化する。
「っ……!」
 振りかぶられる“腕”を、男は正しく認識出来ただろうか。打綿狸の綿でできたマフラーは認識も、常識すらすり抜けるのだから。
「――立派なのは、口先だけって見え透いてるんだよ!」
 怒号と共に、握りしめた拳が炸裂した。

久瀬・千影


 男の身体から血が溢れる。だがそれもすぐに止まり、黒衣に染みを残すに留まった。
 驚異的な再生力を可能としているのが、例の“クヴァリフの仔”とやらだろうか。
「俺も正直どうかとは思ってるぜ。あんな薄気味悪ィモンに頼って人類の延命なんてのはな」
「そうだな。だが我々にはそれしか手段が残されていないのだよ。嘆かわしい事に」
 男の――リンドー・スミスの言葉に嘘はないと久瀬・千影(退魔士・h04810)は踏んだ。|新物質《ニューパワー》の獲得には彼らの臓腑が欠かせない。人智を超えた存在を鹵獲し、実験台に乗せ、解剖するなど、どちらがバケモノかわかったものではない。
「それは君らも同じ事だろう。停滞の先には衰退があり、その先に待ち構えているのは緩やかな絶滅だ」
「そうだな……それでも」
 静かに息を吸い、千影は銘無き日本刀の柄に触れる。
「他者を見下したアンタにソレは渡さねぇよ」
 千影の言葉に、男は形ばかりの否定すらしなかった。くく、と喉を鳴らして笑うだけだ。
 理想を語る男の、これが本性か。千影はすらりと無銘を抜いて正眼に構えた。


 意識を向ける。相手と己に。
 相手へ向ける意識は、その動きを見切る事。自分に向ける意識は、その呼吸を整える事。
 リンドー・スミスが右腕を振りかぶった瞬間、千影の目の前に異形と化した拳が迫っていた。
 常軌を逸した速度。全神経を集中させ、無銘でそれを受けきった。それでも全身が軋むような痛みを覚える。呼吸が不必要に早くなる。落ち着けと云い聞かせ、千影は右眼に神経を集中させる。燃え上がるような眸が、男の“隙”を見切った。
「――はっ」
 思わず苦笑が零れた。|そんだけかよ《・・・・・・》。
 踏み込む。渾身の力で振り抜いた剣閃は、ほとんどちっぽけな針を隙間に通すかの如き精密さで見定めた弱点を突いた。殆ど完全に融合した男と怪異の、そこだけが斬り裂ける場所だった。
 切断された怪異は地に落ち、動かなくなる。男の腕から血と絶叫が迸る。しかし千影は追撃しない――否、出来なかった。
「……今のはヤバかった。圧し潰されて床に臓腑をぶちまけるトコだったぜ」
 皮肉な笑みは、ただの強がりだ。実の所、立っているのもやっとな程だった。
(「あーあ……本当に何であんなのとやり合ってるのか……」)
 自分はただの人間で、霊と会話が出来たり、ましてや龍眼なんてものは持ち合わせていない。怪異狩りなどでは断じてない。そうやって生きて行こうとした、筈だったのに。
(「――決まってる。旨かったからだ。メイド喫茶の飯が」)
 美味しい食事と、風変わりだがもてなしの心に満ちた店は、黄昏を生きる人々を笑顔にする不思議な魅力に満ちていた。
 悪くないと思った。
「だからさ、教育だ何だと、本気で言ってるようなオッサンに負けてたまるかよ」
 苦悶に呻きながらも男は更に術を使い怪異を呼び寄せた。切断された腕は先程よりも更に醜く悍ましい怪異に包まれて再生していく。身体のあちこちに棘のようなものまで生えてきた。
「なんだ、その身体じゃあメイド服も着れそうにねぇな」
 まるでこの男そのものが怪異のようなものではないか。身体がばらばらになりそうな痛みごと鼻で笑い飛ばし、千影は刀を鞘に戻す。
 再び迫る男めがけ、銀の刀身が閃いた。
 居合が剣風となって男へと届き、続く刃がその体躯を横一線に斬り裂いた。
「――ま、オッサンのメイド姿なんざ、誰も見たくねぇか」
 荒い息とともに吐き出された言葉は、男へは届かなかっただろうか。

刃渡・銀竹
史記守・陽


 一応奴の言い分にも耳を傾けてやるか、なんて考えは最初の五秒で頓挫した。刃渡・銀竹(博打打ち・h02791)銀竹の視線がだんだん険しくなっていく。
「御託を並べやがってしちめんどくせえ野郎だな! ですよ」
 その言葉に、史記守・陽(|夜を明かせ《ライジング サン》・h04400)も頷く。
「小難しいことを言う人に限ってあんまりたいしたことを云っていないって聞いたことがあります。だって、ただ発言をするよりも相手に解りやすい言葉を選ぶのって何倍も難しいですからね」
「気が合うじゃねえかシキ! きっと俺ら今おんなじこと考えてるぜです」
「同じ事?」
「言ってることわかんねえし畳んじまおうぜ! ですよ」
「……ほら、銀竹くんがキャパシティオーバーして滅茶苦茶なことを言ってるじゃないですか」
 でも実際やる事はそうなのかもしれない。
 相手が退いてくれるのであれば深追いするつもりはないが、そんな素振りはないわけで。
 なので陽個人の主張を誤解なく伝えるのであれば――
「うーん、シンプルに云いますね。……|Mind your own business.《余計なお世話じゃないですか?》」
「はは、手厳しいな。だが」
 肩を竦めるリンドー・スミスの表情が鋭さを帯びる。
「そちらが降伏しないとあれば、少し荒々しい手段でひれ伏させるのみだ」
「はッ! 地面に這いつくばるのはてめェのほうだぜ、です!」
 振りかぶられる銀竹のハチェット。
 男が腕に宿る怪異を刀身のように硬化させ、それを受け止める。そのまま大きく横薙ぎ、銀竹を弾き飛ばした。
 その隙を埋めるように迫るは陽の刃。普段は夜を閉じ込めたような濃紺の刀身が、今は黄金の光炎宿る払暁に輝いている。
 刃が男の肩を裂く。呻いた男が浮遊する怪異に騎乗し、更なる怪異を纏いながら跳躍した。
 狙いは体勢を整えたばかりの銀竹――だがその姿が闇に溶け込んだかのように、忽然と消えた。
「何……?」
 直後、背後から猛烈な衝撃が走り、男はよろめく。陽が刻み込んだ肩の傷を押し広げるように、ハチェットが深々と突き刺さっていた。
「てめえの攻撃はお見通しなんだよぉ!」
 けらけらと笑う銀竹が闇から姿を現わした。
「さっきのシキの言葉な。わかりやすいにほんごで教えてやらあ! 人間だろうがなんだろうが敵はぶっ■すって言ってんだよ!」
 彼が再び距離を置くと同時、陽が男の懐に飛び込み曙光の輝きを振るう。
 光り輝く刀身が黒衣に吸い込まれていくように一閃を刻み込んだ直後、陽も脇腹に違和を感じる。触手のように伸びる男の怪異が陽の肉を抉っていた。違和はすぐに血潮の熱さに変わり、少し遅れてじくじくとした痛みを伴って来る。
 だがそれが何だという。父と違って死なぬ身なら顧みる必要さえない。陽は尚も果敢に剣を振るう。危ういまでの熾烈さを誇る陽と、自在に闇へと溶け込む銀竹のハチェットが、男を徐々に、だが確実に追い詰めていった。
「……ところでリンドーさん、萌え萌えキュンは言いましたか?」
 激しいつば競り合いの最中、不意に陽がそんな事を口にした。
「此処の作法らしいですよ、アレ。どういう意味なのかわからないですけれど」
「は、」
 男の口元が歪む。笑ったのだろう。
「隠れ蓑の方が繁盛し、本来の目的を果たせなかった愚か者の“作法”かね」
「……こいつダメダメだぜですよ、シキ」
 銀竹の口調は心底蔑むようであった。正直な所、これには陽も同意せざるを得ない。
「作法って、相手を不快にさせない、失礼を働かないためにあるものですよね。それを笑い飛ばすどころか、愚か呼ばわりなんて」
「俺らが護らなきゃ~調教しなきゃ~なんて云いつつ本性は自分ら以外見下してるサイテー野郎ってこった!」
「人聞きが悪いね。調教ではなく教育だ」
 劣勢、荒い息の合間に、男はそれでも論調を崩さない。
「ある意味すげえ野郎だぜ、です」
 それも、陽としても同感だ。
 静かにうなずき合い、二人は同時に得物を振るう。剣とハチェットの斬撃が、男を打ち据えた。

櫃石・湖武丸
四百目・百足
柳・依月
道明・玻縷霞
逝名井・大洋


 大層なご高説のお返しにとばかり、銃弾の雨が降り注ぐ。
「ドーナツの食べ過ぎで脳まで甘くなっちゃったんじゃないのぉ? 悪いけどコッチが先に摘発に来てたんだよねぇ」
 愛用の二丁拳銃を軽快に炸裂させたのは逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)だ。
「闘争上等じゃゴルァ!!」
 牽制代わりの射撃は男の腕を掠める程度に留まった。その僅かな傷さえもぶくぶくと盛り上がり、癒えていく。おそらく自己修復能力を高める怪異が宿っているのだろう。なおも自らが正しいと信じて疑わぬ男は身にまとった怪異を鼓舞し、√能力者達を迎え撃つ。
「クァハ! 出ましたね、リンドー。クヴァリフの仔は渡しはしませんですよ」
 四百目・百足(|回天曲幵《かいてんまがりそろえ》・h02593)が呵々と嗤う。
「これ即ち、押収! 押収でございます」
「予想はしていましたがクヴァリフの仔には彼が付き物ですね」
 道明・玻縷霞(黒狗・h01642)の言葉に、櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)が目を瞬かせた。
「皆さんご存知のリンドーみたいな感じだが、なんと俺は初対面だ。初めまして、そして俺達の為に死んでくれ」
「ふーん、こいつがリンドー・スミスってやつ? 俺も初対面だけどいけすかねえなあ」
 柳・依月(ただのオカルト好きの大学生・h00126)が眉を顰める。
「完全に舐め腐ってやがる」
「ええ。私達を見て降伏という言葉を出すとは、見くびられたものです」
「そこまでいいものなのかね、あのクヴァリフの仔ってやつは」
 肩を竦める依月。実はですね、とこっそり百足が大きな背を丸めて囁いた。
「過去にクヴァリフの仔を頂いたことがありましてね、あやつにはあまり認知されたくないのです」
 内緒ですよ。にかりと笑う百足に、ぽかんとする大洋以外の面々。
「……四百目さん? あれ食ったってことか?」
「食べたことあるのか?」
「あれを食べる、ですって……?」
「頂くってそれはそれは、美味でしたですよ」
 うんうん、と百足が勿体ぶって頷く。
「美味いんだあれ……まじか……戦闘能力増強されるとは聞いたけどさ……」
「うまいだって……?」
 改めて、湖武丸は男が携える怪異の仔に目を遣ってみた。そして、奴を産み落としたのだというクヴァリフの姿を連想してみる。
 ――そのままでは美味しそうには見えない。見えないが、生きている状態ではとてもじゃないが美味しそうに見えない生物など他にいくらでもいる。
 という事は、案外いけるものなのだろうか……?
「魚介類……に見えなくもないか。ちなみに生で? 塩茹で?」
 ちょっと気になって来たらしい。
「ええ、生でツルッとイイ喉越しで」
「なんだか醤油が合いそうだな」
「ああ、醤油! 確かに醤油が欲しくなる系統の……それはさておき!」
「そうだな、そろそろ真面目にやるか」
「あれは保護対象保護対象。真面目にやらないと道明とかに怒られそうだから頑張るぞ」
 ノリノリの面々を無言で見つめていた道明が深く息を吐いた。
「……怒るつもりも差別をするつもりもありませんが、私達の任務は保護です。それを忘れないでくださいね」
 前科者(?)と興味を持った者の二名が自分の後方に位置取ったので大丈夫だとは思いつつ、なんとなく警戒せずにはいられない道明だった。
「了解。なら俺も前に出るか」
 依月は仕込み番傘を携え道明の隣に並ぶ。
「醤油かけて食べられるなら、ボクは道明さんがいいなあ」
 大洋の呟きは、独り言にしてはやや大きかった上、あまり冗談にも聞こえなかった。


「おふざけは終わりかね? ならば選んで貰おう。降伏か、死か」
 男の傷を塞いだ怪異が盛り上がり、腕に巨大な刃を形成する。更にその背後から湧き出る怪異が宙を飛び襲い掛かってきた。
 湖武丸の刃が霊力と妖力を伴って振り抜かれる。研ぎ澄まされた一撃は風の刃となって、男も飛来する怪異たちも纏めて斬り刻む。
 湖武丸が後衛に周ったのは、どのレンジからでも自在に攻撃出来るからだ。道明と依月が積極的に前に出て、そのやや後衛に大洋が位置する。ならばと距離を置いて後衛からの援護に徹することにした。より正確にいうのなら、百足が更にその後方に位置どっていたわけであるが――
「俺の方が小さいので四百目は隠せない、許せ」
 小さくはないのである。この場合、百足が大きすぎるだけだ。
 ただ小さな末っ子ポジション(※178cm)の身としてはどうにもその意識が希薄である。
「ふふふ、仕方ありません! デカすぎて櫃石の後ろからハミながら! お勤め果たさせて頂きましょう!」
 縦のみならず横にもはみ出た長い四本腕が、赤黒く染まった注連縄を放つ。
「怪異達! 邪魔です」
 穢れた血を浴びてもなお残る清廉な霊力が、湖武丸の斬撃から運よく生き延びた怪異を捕縛しぎりぎりと締め上げた。
「……あれ」
 軽快なリズムを刻むが如き二丁連弾の一方が途絶え、大洋が小さく舌打ちする。
「ジャムったかな」
 呟いて片一方だけに持ち替え狙撃を続ける。いかにも不服とばかりに眉を寄せながら、一瞬だけちらりと道明に視線を送った。
 それだけで全てを察し、頷く代わりにまばたきを送った道明が更に前に出る。
 全身に怪異を纏うリンドー・スミスに対峙する彼の武器は、己の体のみ。負傷を恐れず距離を詰め、放った拳は男の硬化した腕にあっさりと払いのけられる。
 男のもう一方の腕から伸びる触手が束ねられ、鋭利なドリルのようになって道明へと襲い掛かった。上体を捻って間一髪避けた道明へと、男が第二撃を浴びせかけようとした。
 その瞬間、何かを察して男が身を引く。依月が抜刀した仕込み傘が、男の頸を掠め血を迸らせた。
「俺を忘れてもらっちゃ困るな」
「ああ、今のは危なかったな」
 ごきごきとリンドー・スミスは首を鳴らし、その傷をも塞いでしまう。
 放たれた怪異が牙を剥いて襲い掛かってくるのを、依月は霊力の盾を張り退ける。男の意識が依月に向けられているうちに道明は再び距離を詰め、中段蹴りをお見舞いした。よろめく男の脚が液状化し、地を這って二人に襲い掛かる。飛び退いて距離を取る二人を埋めるのは、湖武丸の風撃だ。
「前の道明と柳はがんばれがんばれ。俺も気を付けるけど当たらないように気を付けてくれよな」
 どこか呑気な様子で声を張りながらも、湖武丸は熾烈な居合を飛ばし続ける。
(「逝名井も狙ってるようだしな」)
(「ええ、そのようで」)
 後衛の湖武丸と百足が頷き合う。大洋が“不調”で“仕方なく仕舞い込んだ武器”が、凄まじいまでの霊力を貯め続けている事に二人は気が付いていた。
「ホラ、さっさとくたばっちゃいなって……!」
 どこかがむしゃらに見せかけた狙撃も、全て仕込みのうち。仮にも単独で任務を任されるほどの連邦怪異収容局員であるリンドー・スミスがそれに気づかないのは、どんなに攻撃されようと近距離で食らいつく依月と道明、その僅かな隙をも埋める湖武丸と百足の正確な援護が、徹底的に大洋から意識を背けさせ続けているというのも無論あるが。
(「手元にクヴァリフの仔っていう強力過ぎる力があるから、感覚がバグって気づけなくなってるのかもしれないな」)
 そう依月は推測した。過ぎた力というのは身を滅ぼすものだ。
 無敵に近いように思えた男も、絶え間なく攻撃を浴びせかけるうちに徐々に治癒速度が衰えてきている。そして格下と見ていた√能力者たちに未だ決定打は与えられていない。
 焦れたように男は飛翔する怪異に飛び乗り、距離を取った。その背後には今まで現れていなかった怪異たちが続々と呼び寄せられる。
 男が起死回生の一撃に出る瞬間、百足がかっと|眼《まなこ》を見開いた。
 双眸だけではない、無数の眼差しが、不可視の光線となって男を射抜く。
「――!?」
 男が声にならない悲鳴と共に怪異の上でうずくまった。
 神経中枢にピンポイントの大地震を喰らったようなものだ。その激痛たるや想像するに余りある。
「おお、痛い痛い……」
 くつくつと、実に愉快そうに百足は喉を鳴らす。
「ささ、痛いの痛いの飛んでけっつって、ぶっ飛ばしてやって下さい。ノシ!」
「、この……!」
 呻きながらも男は隻眼を見開き、怪異の背から身を躍らせた。彼自身が激痛で動きが鈍っていようとも、使役する怪異たちの狙いは正確だ。だが。
「……失礼」
 一歩踏み出した道明が、静かに右拳を突き出した。
 それが迫り来る怪異に触れた瞬間、まるで邪なるものなど初めからそこにはなかったかのように――掻き消えた。
 驚愕に男が目を見開く。
 無力化する直前、怪異の攻撃を正面から受けた道明は大きく吹き飛ばされるが、もはや最前列で盾役を担う必要はなかった。
 依月と湖武丸の斬撃が、怪異を祓われ弱体化した男を徹底的に追いつめる。
 そして男は力を失ったことでようやく気が付いた。褐色の青年が持つ二丁拳銃。霊力を放つそれが、途方もない力を帯びている事に。
 遅いんだよ、とその唇が笑った。
「今からお見舞いするのは国家機密ってやつだからね、つまりー……」
 食らった敵を、生かして帰す気なんて微塵もないってコト。
 銃口から迸る対簒奪者特化型殺傷炸裂霊力弾が、リンドー・スミスも彼の使役する怪異の残滓も、全て纏めて吹き飛ばした。


「……コレ、“クヴァリフの仔”ってやつまで消し飛んでないか?」
「かも知れないな、捜索する必要がありそうだ」
 霊力の爆発が巻き起こした煙が徐々に晴れ、開けた視界からは大洋と道明が歩いてくるところが見えた。
「ほら道明さん、肩貸しますってば!」
「逝名井さんこそ無事には見えませんが」
「ボクなら大丈夫ですって、こう見えて丈夫なんで~!」
「……お互い様、ですね」
 にっと笑い返した大洋が、湖武丸たちに目を向ける。
「皆さん大丈夫ですか~!?」
「いちばん大丈夫じゃなさそうな奴が何か云ってるな」
 肩をすくめる依月。
「お、見てください! 我々もですがこいつもなかなかしぶといですね!」
 爆発の中心部で、クヴァリフの仔がまだ蠢いていた。見下ろす湖武丸がぽつりと呟いた。
「火、通ってしまったな」
「それはそれで悪くないかもしれません!」
「……食べないでくださいね?」
 相変わらずどこまで本気かわからないので、道明は律儀に突っ込むしかないのだった。

十六夜・月魅


 ――地下空間を、男が脚を引き摺りながら進んでいる。
 奪取した“クヴァリフの仔”は、その全てが√能力者達に奪われてしまった。不死に近い程の力は既になく、今致命傷を受ければ確実にこの身は滅び、インビジブルと化してしまうだろう。
 任務は失敗だ。だが、それでも男にはまだひとつ、やるべきことが残っている。
「次につなげるためにも、今回の“クヴァリフの仔”と、敵対する√能力者達のデータを連邦怪異収容局に持ち帰らねば……」
「こんにちわあ。連邦怪異収容局の方なのですねえ」
 どこか歌うような、間延びした声に、男が顔を上げる。
 そこに立っていたのは十六夜・月魅(たぶんゆるふわ系・h02867)。
 付き添っていた傭兵少女達には下がらせ、月魅は単独で男を――リンドー・スミスを追ってきた。どうしてもこの男とは一対一で“話し合い”たかったのだ。
 無言の男に、月魅はあらゆる者を虜にするような笑みを向ける。
「十六夜月魅と申しますわ。ええ。人を守る理念には同意いたします」
「……」
「ですが」
 すっと月魅が目を細める。その瞬間、彼女の髪も膚も白く染まっていく。服は小さな粒子となって霧消し、代わりに霊力で出来た薄布が彼女の肢体を包む。
「|彼ら彼女ら《信者さんたち》は、それが愚かと呼ばれる決断だとしても、己の意思で道を選びました」
 まるで神話の女神を彷彿とさせる、神々しい姿だ。その姿に相応しい慈愛に満ちた眼差しで、月魅はひとりの女性を思い描いていた。
 信者たちの中でも、彼女はきっととびきり愚かで、そして純粋だった。その信心は月魅の魅了を振り払うほどに強かった。きっと彼女も頭のどこかでは分かっていたのだろう。あの狂信の先に未来などないと。それでも選んだ。己の信じる心のままに。
「尊厳だけは、誰にも否定できないのですよお」
 月魅の長い髪が意志を持つかのようになびいた瞬間、それらは巨大な触手の群れと化していく。
 その姿に、男は目を見開いた。美しさと悍ましさの共存する姿。ああ、あれはまるで――
「クヴァリフ……?」
「ああ、これですかあ。以前、クヴァリフ様と口づけを交わしまして。ご寵愛でしょうかねえ?」
 口づけと呼ぶには濃厚すぎる“愛”を思い出して、月魅はくすくすと微笑むのだった。
 男はまだ気が付いていないだろう。既に己が月魅の術中にあることを。
 月魅が持つ天性の魅了は、時として運命さえも|引き寄せ《捏造す》る。赤い糸で結ばれた恋人同士のように、男はもう、月魅から逃れる事は出来ないのだ。
 全てを失った男は、せめて今回の経験を収穫として持ち帰るつもりでいた。それを遂行するならば、男のすべきことは戦闘ではなく撤退だ。幸いにも相手は一人なのだからやりようはいくらでもあったはずである。
 だがその選択肢は男の頭から抜け落ちていた。造られた運命が、その魔性が、男の判断能力を鈍らせていた。残る数少ない怪異をその身体に纏わせ、月魅という脅威を排除しようと戦闘の構えを取っている。
「さあ、アイ死合いましょう……?」
 甘く囁く声が決定打となって、男を徹底的にこの場へと縫い付けるのだった。


 とはいえ、いかにクヴァリフの威光を借りようと月魅は元々戦闘向きではない。
 差し迫る怪異を持ち前の魅了で味方につけた。髪の変化した触手を差し向けた。それでも相手の方が何枚も上手だ。リンドー・スミスはそれらを掻い潜り、虫翅で月魅の懐に飛び込んで刃を振るってきた。
 刃が深々と月魅の柔らかい肉を貫き、斬り裂いた。
「ああ、これが……死なのですね」
 魔性を帯びた金の瞳から生命の力が抜けていく。
 だが、両断された彼女の身体から溢れだしたのは血ではなく大量の花びらだった。
 目を瞠る男の前で、それは空気中へと舞い上がり、やがて人型に集まって、元の月魅の姿へと戻っていく。
「さあ、続きをしましょうねえ」
 月魅が云い終わるか否かといううちに、男は更に攻撃をけしかけて来た。刃が振るわれ、携えた怪異が牙を剥く。
 月魅も触手からの生命力吸収で抵抗するが、熾烈な攻撃に回復が追い付かず限界を迎えてしまう。生命を維持できなくなった肉体は再び花びらとなってほどけ、そして蘇生する。
「……その力、万能ではないだろう?」
 男の言葉は疑問ではなく確信だった。
「いかに√能力者といえど限界はあるはずだ。続けていれば君はやがて本当の死を迎える。違うかね?」
「そうかもしれませんねえ」
 月魅はあくまでのんびりと微笑むのだった。
「でも……そうなる前に、貴方から来てくれますよねえ?」
「……何?」
「ね?」
 小首を傾げる月魅の元へ、男の身体が引き寄せられていく。
「何だ? なぜ……」
「それが運命だからです。貴方と私は、愛を分かち合うさだめにあるのですよお」
 わけもわからず敵の胸に飛び込む形となった男を、月魅は抱き寄せた。
 慈しむように。
 心からの愛を注ぐように。
 その白い腕で。その白い触手で。最初は優しく。徐々に力を込めて。
 求めるように。貪るように。
「――が、は」
 血が迸る。触手が男の全身を深々と貫いていた。
 そしてそれは、男だけではなく――
「アイアンメイデンというのでしょう?」
 かの拷問器具のように全方位から包み込むように伸びた触手は、他ならぬ月魅の身体さえも刺し貫いていた。
 月魅の傷口から純白の花びらが溢れ、男の血に染まっていく。
「なに、を……きみは、なぜ……」
 呆然と呟く男の隻眼には、驚愕と、理解出来ないものを見る恐怖が混ざっていた。
 そんな彼を、月魅はまるでちいさな子供を見るように慈愛に満ちた眼差しで見下ろす。
「貴方の命を奪うのに、私が差し出さないなんてフェアじゃないですものねえ」
愛とは、平等であるべきでしょう?
「機会があれば、貴方の事もちゃんと知りたいですわ。お茶でも如何ですか? とても愛に溢れた喫茶店があるのですよお」
 男の頭を撫でながら、月魅は声をかけるけれど。
「……ああ、もう話せないかしらあ?」
 そういえば、月魅自身も瞼が重い。
 死と蘇生を繰り返しすぎてしまったのだろう、幾度目かの蘇生を終え、無傷の状態で復活したものの、月魅は地面にへたり込んでしばらく動くことができなかった。
 その時には、もう男の姿は消えていた――。


 後日、傷の癒えた月魅は再びその建物を訪れた。
 ネットの公式SNSに「メイドカフェみるく★ここあ営業再開しました!」と掲載されていたからだ。
 期間中に“諸事情により”臨時休業していたのもあり、バレンタインメニューが期間延長しているのに加え、本来の目玉である新春桜メニューというものも取り扱っているらしい。
 さて、どちらを味わってみようか――そんな風に考えながら入り口をくぐると。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
 洗練された動作でお辞儀をし、迎え入れてくれたメイドさんが、月魅の姿を見るなり目を見開いた。
「! あなたは……!」
「お久しぶりですわあ」
 ネームプレートに“メイド長”と書かれたその人は、以前副メイド長だった女性だ。
「あれから無事に営業を再開することが出来ました。本当になんとお礼を申し上げていいか……」
「いいえ、私は何もしてませんわあ」
 あの日、リンドー・スミスは完全に任務を失敗した。
 クヴァリフの仔を呼び寄せた狂信者たちが全員死亡ないし無力化されたため、連邦怪異収容局がここに目をつける理由もなくなった。
 クヴァリフの仔らは汎神解剖機関に引き渡され、地下アジト跡地は現メイド長にも存在を知られぬよう厳重に隠蔽される事となったとも聞いている。
 しかしそれらは秘密裏に起きたことであり、月魅が現メイド長に語れる事はない。
 だから代わりに、月魅はこう云って微笑むのだった。
「それよりも、貴方や他のメイドさん、それにお客さんがこのお店を愛する気持ちが、何よりお店を存続させる力になったんだと思いますよお」
 それは、今を生きる彼女たちへの心からの賛辞だった。

 飲食を終え、店を出る月魅を、メイド長は玄関まで見送ってくれた。
「本当にありがとうございました。あの賑やかで可愛らしいお嬢様たちにも、よろしくお伝えくださいね」
「ええ。必ずまた来ますわあ」
 月魅の姿が見えなくなるまで、メイド長はずっと頭を下げていた――。

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