絶対零度に堕ちませう
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朝の通勤時、駅前の広場に雪像が何体か立っていると思った。
夕方に退社して駅前に戻ってきたら、広場には雪像の他に立派な氷の城が建っていて、若い女の子達がこの氷城の前で自撮りする為の行列を作っている。
また逆方向には家族連れが列を成していて、こちらはアルファベットの「A」の形をした滑り台がお目当てか、嬉しそうに雪のスロープを滑る我が子を撮るべく、親御さんが笑顔でスマホを向けていた。
(「……皆、SNSにアップするのかな」)
こういうのは本人が楽しむのは勿論、この雪まつりか何かのイベントの宣伝にもなるのだと、そう思って脇を過ぎようとした瞬間――怪しいボディスーツを着た仮面の男に声を掛けられた。
『素晴らしい出来栄えだろう? さぁお前も撮っていけ!!』
「えっ。僕SNSとかしてないし……アカウントも持ってないくらいで」
『そんな事ではダメだ!! 今すぐココで作るんだ!!』
「えーっ!?」
ビックリする間に僕のポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す怪しい男!
こんな変な奴に突っかかられたなら、さぞかし周囲の目を集めるかと思いきや、見渡せば同じマスクをした男達がわんさか居て、イベントの宣伝やフォトスポットへの誘導、行列整理なんかをテキパキと行っている。
『アンデパン団のAが映り込むように撮ってね!!』
『サブリミナル効果? とか何かそういうヤツで刷り込まれる筈だから!!』
『ハイ撮ったらアップして拡散! これ見て拡散しない奴は雪でコケるって書いといて』
氷雪の作品群は綺麗なのだが、どうも押しつけがましい。
スマホを取られた事だし、駅前の交番に行こうと走り出せば、あっと声を上げた謎の男達が……両手に雪玉を持って追いかけてくる!!
『待てー! アカウント作らないと雪玉投げるぞ!!』
「いやだぁぁぁあああ!!!」
助けて、助けて!! 助けて、ヒーロー!!
僕はいい大人のクセに、必死に助けを求めていた――。
●
「はははは、アンデパン団がフランス語の“|indépendants《アンデパンダン》”であるとするなら、頭文字はAでなくIになるんだが……この作戦を考えた奴は余程のウッカリをしたと見える」
君達にも連中の凡ミスを見に行って欲しいと、豁然と笑いながら告ぐユニコーン・ザ・レビン(閃雷の一角獣・h04402)。
こちらも怪しいマスクの男は、佳唇に三日月を描きながら説明を始めた。
「君達が現地に到着した時、既に謎のマスクの男達は人々を無理やり広場に呼び寄せ、強引に自撮りさせ、SNSに上げて拡散するよう強制している。従わない者には雪玉を投げつけるという悪さをしているんだ」
雪像や氷城を目当てに自ら広場に集まった人々も、これだけのゴリ押しを見ては辟易……いや、恐怖すら感じよう。
次第にザワつく一般人と悪の組織が入り乱れている状態にあると状況を述べたレビンは、「そこで」と語気を強めて切り出した。
「そこでヒーローの出番だ。君達は雪玉を投げつけてくる謎の仮面軍団に対し、同じく雪玉を投げて戒めてくれたまえ」
連中は自分達の指示に従わなかった人々にぶつける雪玉を各所に用意している。
現場に到着したら、先ずこの「わからせ雪玉」を連中から取り上げて人々を守り、また雪玉を投げてやり返し、因果応報の理を示してやるのだ。
「そうすれば必然と雪合戦になるのだが、ここで連中を怯ませる事が出来たなら、此度の作戦を考えた中間管理職の怪人を引っ張り出せるだろう」
雪まつり会場を設置して人を集め、SNSでイベントの盛況を拡散させる――。
画像や動画にロゴを映り込ませ、密かに組織の認知度を高める――。
だが組織の頭文字を間違えるウッカリをやらかす――。
用意周到なようでいて、どこか抜けた管理職を叩けるだろうと笑みを深めたレビンは、最後に人差し指を立てて言い添える。
「おっと、くれぐれも風邪を引かぬよう、温かくして行きたまえ」
手袋は持っているかな? ――と。
雪玉を持つであろう手を見てアドバイスするのだった。
第1章 日常 『冷たくもアツい雪合戦』

川端康成でさえ雪景色と邂逅するに長いトンネルを要するのに、四ツ辻の角を曲がって間もなく白銀の世界に迎えられる不思議は、√能力者だけが味わえるもの。
而して謎のボディスーツを着た仮面軍団が雪まつりを催したり、善良な市民にSNSの利用を強制したり、雪玉を投げつけたりする暴挙を戒められるのも、誠に不幸な事に√能力者だけであった。
「……こいつら、またちょっとズレたことやってんのか……|學習《おべんきょう》しない悪の祕密結社だぜ」
前回は左義長とか云ってビルを燃やしていたと、瞳を眇めて遠目に見る二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)。
蓋し靑き虹彩は光を湛えた儘、雪像や氷城に刻まれる「A」の文字を捉えており、成程、これが連中の凡ミスかと竊笑を零す。
「アンデパンダンってフランス語なんだ。またひとつ腦に皺が刻まれてしまったな」
「それにしても、自分の組織の頭文字を間違えるなんて。|迂闊《ウッカリ》にも程があるような……」
利家の「ほえー」という歎聲に次いで、透徹たるテノールを滑らせるはクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)。
これで連中が画策するサブリミナル効果とやらは無効となると云い添えた彼は、その虚しきマン振りと空回りに小さく吐息を置いた。
「なんだろう、間拔けというか可愛げがあるというか」
「ええ、悪の組織にあるまじき涙ぐましい努力! わたくしめ、こういうの嫌いではございませんこと」
物靜かなクラウスの|囁《つぶや》きに対し、溌剌たる雲雀の|高音《ソプラノ》を響かせる鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)は花顏に麗笑を湛えて。
SNSを駆使して知名度を高めようなど中々に地道と、繊手に握れるスマホで本イベントの拡散状況を見た佳人は、これが初投稿となっているアカウントを拾うや視線を正面に結ぶ。
「唯だ、無理強いは良くありませんね」
「慥かに。人々に迷惑を掛けている事には違いない」
「では、いっちょわからせてやるとしますかね」
三者の音色は高低こそ違えても、語氣は揃っておしおきのきもち。
雪像や遊具の配置、仮面軍団や人々の動き、そして「わからせ雪玉」の置き場所など、広場の樣子を觀察し終えたクラウス、えの、そして利家は、肩をぐるんぐるん回して|爾後《のち》、雄風となって駆けるのだった。
†
『アカウントを作らないだと!? 貴樣、わからせてやる!』
「やっやめてください! アッー!」
SNSの利用を拒む者に対し、容赦なく雪玉を投げつける悪の軍団。
一つ目をコートにぶつけ、二つ目で髮型を亂させた仮面の男は、次は顏だとばかり悪い表情で三つ目に手を伸ばした処で、虚空を摑んだ。
「あれっ雪玉あれっ?」
「お探しのものは|此方《コチラ》でございますか?」
慌てて周囲を見渡す男に、ふわり降り掛かる|佳聲《こえ》ひとつ。
雪花の舞う如き輕やかな音色に振り返れば、須臾、パシュッと顏面に凛冽が飛び込んだ。
『わぷっ! ……このっ、我々の雪玉を偸んだな!? しかも向き直りざまを狙うなんて卑怯な!』
「わーははは、卑怯で結構! 勝てば良かろうなのだ!」
『ガァーン! 敵なのに裏切られた感のある科白……!』
凡そ雪合戰で正面から攻めるは博打。危険は最小限にすべきとは常勝の策。
雪床に跫音を吸収させ、雪像に身を隱しながら移動したえのは、わからせ雪玉を積んだプラスチック橇を奪取すると、雪像を防彈壕にハイド&スロー! 人々にウザ絡みしている者の背中めがけてボスボス雪玉を投擲した!
『くそう! 我々が作った雪像をシェルターに使うなんて!』
「本当、見事な仕上がりで。あ、写真も撮りましょう」
『おっ。スマホ持っているのか』
「構成員さ~ん、こっち向いてくださ~い」
『ハイ、キュン~♡』
哀しき哉、SNSで組織の認知度を高めんとする者達は、カメラを向けられるとポーズを取る。
小判型ケースが独特なスマホ『電々』のシャッターを待った男は、フラッシュが焚かれた瞬間、キメ顏を覆う仮面に雪玉をぶつけられた。
『のわっ! つべた!!』
「SNSは強要するものじゃないよ。無闇に拡散を喚起するのも危うい」
えのが気を引いた隙に雪玉を投げ入れたのは、制球力拔群のクラウス。
グローブを嵌めた手に雪玉を馴染ませて後、スリークォーターから思いっ切り投げた彼は、顏面直撃に激昂した連中が反撃の雪彈を準備する間、一般人に退避を促す。
「さぁ、今のうちに。身を低く氷の城や雪像に隱れながら逃げるんだ」
「あ……ありがとう! 垢作って直ぐSNS疲れする処だったよ……!」
「滑りやすくなっているから、足元も気を付けて」
そう言いつつ前進するのは、冷汗して逃げる市民を守る爲。
前に出るほど雪玉の脅威に晒されるとはいえ、黑橡の前髮から覗く双眸は烱々煌々、冱えた群靑の虹彩に雪玉の軌跡を描くと、彈速に勝る機動力で回避ッ! 鋭い放物線を描いて迫る雪彈を眼眦の際に流しつつ、紫電を纏った一球を以て仮面を|引ッ剥《ひっぺが》した――!!
『あぁぁああッ! 素顏を晒すは……死!!!』
『!! 急ぎNo.23を場外に連れていくんだ。顏は覆ってやれ!!』
而してアンデパン団も結束力はある方。
素顏を隱して蹲る仲間を「戰力外」として退場させるのも手際佳いと、非戰鬪員となった者への投擲を止めたクラウスは、高めに浮いた敵彈を跳前転して避けると、起き上がりざま雪像から顏を覗かせた仮面をパシュッ! 戰鬪員を的確に撃って怯ませに掛かる。
「|先刻《さっき》も宣伝や誘導が凄くスムーズだったし、統率は取れているんだな……」
『くっ|迅速《はや》い……ぶえっ!!』
「作戰考案者のうっかりは|扨措《さてお》き、侮れない組織だね」
ならば全力を躊躇うまい。
身に纏う電流の出力を上げたクラウスは、烱瞳に光の帯を引いて戰場を駆けるのだった。
『本格的な雪合戰になってきたが、だからと云って勸誘を止めはしない!!』
「きゃあっ!」
『貴樣ッ、JKらしくTokTikにUPしろ!!』
√能力者の介入に焦ったか、早く動画を上げるよう雪玉を持って威嚇するアンデパン団。
女子高生のスマホ画面に男が近付いた、その時――側面から押し込まれた|防盾《シールド》が仮面を拉げさせた。
「ディーフェンス! ディーフェンス!」
『うおっ!?』
三年の池上か? ――否、これは利家。
兩者の間にダッシュして割り込んだ彼は、防盾の衝撃に男が|蹌踉《よろ》めいた瞬間に|奪取《インターセプト》! 脅し道具に使っていた雪玉をブン盗り、ニッと笑った。
「おしくらまんじゅう押されて泣くなよ!」
『んぉぉおおっ、これは雪合戰に匹敵する冬の外遊び! やらいでか……やらいでか……!』
「あっ、俺にはお構いなく逃げてね」
「えっあの、はいっ」
肩越しに流眄を注ぐ利家を見た女子高生は、その右眼が激しく灼え上がるのに瞠目したろう。
躯に流れる竜漿を一点に集めれば、靑彩の眸は炎を燈して敵の隙を映し――視神経から電気信号を受け取った腦は皺ひとつ増やして四肢をぎゅんぎゅん動かす!
その勢は即ち――重機関銃の如き雪玉亂撃!!
「フンフンフンフンフンフンフンフン!」
『どわぁぁああーっ!!』
雪玉ひとつは小さくとも、手数も間隔も凄絶なれば、敵は足を浮かせてすってんころり。
そのまま雪床をツルーッと滑って雪像に激突する躯を見送った利家は、「ふむ」と吐息ひとつ、
「……この雪像、どのくらいの時間を掛けて作られたものなんだろうね」
努力や熱意は認められるんだけど……と、溜息交じりの白息を広げるのだった。
「やったー!! そーとーあーそーびー!!」
其の機動力とテンションは、室内遊びの約三倍。
ふわふわの手袋とむくむくのジャンプスーツに身を包み、人で賑わう駅前広場にやって來た翠亀・緑唱(スパッとしてシャキーン・h00451)は、兩腕を水平に伸ばして飛行機びゅーん! 雪像の間を輕やかに駆けていく。
「ゆっきまつり! ごーれつごー!」
「良き良き、祭りを皆が樂しんでおるのは喜ばしき事よの」
而して先行する緑唱の後に続く佳聲ひとつ。
元気で宜しいと玻璃の眸を細めたツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は、然し、その悠然たる金蓮歩を止める手についと振り返った。
『どうだ、|映《バ》える光景だろう? さぁSNSにあげてくれ!』
「これは……最早避けては通れぬアレであるのう。あかうんと、だの、ろぐいん、だのという……」
『垢持ってないのか? |周囲《まわり》の友達もやってるだろう?』
「ううむ、遠ざけてばかりも居れまいし……」
強引にアカウントの作成を勸めてくる男に対し、柔和な|微咲《えみ》で遣り過ごす麗人。
そうして立ち話が長引けば、雪玉を見つけるなり「やたっ♪」とカバンにポイポイ詰め込んでいた緑唱が戻って來て、大人達の会話を背伸びして窺う。
「なにー? わたしスマホもってないのに盛り上がってずーるーいー!」
「うむ、うむ。難しい話をしてしまった」
「一緒に遊ぼ! あっちに雪玉いっぱいあったよ?」
「いや今ちょっと我あまり雪に觸れとうない」
ほら! と兩手に雪玉を掲げて見せる緑唱に苦笑するツェイ。傍で二度見するアンデパン団。
これぞ自分達が作った「わからせ雪玉」だと眼を皿のようにした仮面の男は、表情で怒氣を表せぬ代わり、拳を突き上げて|嗔《おこ》った。
『コラーッ! 勝手に盗るなー!』
「うん、あそぼ!! 仮面さんが鬼だよ!!」
『あっ待て、待てい!』
するり脇を拔けて走る緑唱! 彼女を追いかけ……る前に雪玉を探しに走る仮面!
なんだか微笑ましい雪合戰が始まったと塊麗の微笑を湛えたツェイは、扨て、己は如何せんと吐息ひとつ挟むと、花唇を滑る佳聲の彩を増した。
「なれば皆樣方、お任せするよ。元気が有り餘っておられる|彼《か》の一団の|御対手《おあいて》をして貰おう」
云えば、麗人の背後に漾っていた童子サイズの小精靈達が耳をヒクリ。
其々に十二支の動物を模した彼等は、雪彈を防ぐ壁となり、或いは戰鬪員となって広場を駆け、ここに大乱鬪雪合戰が始まった。
「ゆーきーだーまー! ビューン! ドカーン!」
『ふっふっふ、そんな子供のヘナチョコ球! 当たってもぐおおおお!!!』
投球フォームこそ未熟な緑唱だが、投げれば擬音に相應しい雪の手榴彈となる。
迫り來る敵にポコポコと雪玉を投げて応戰した少女は、橫目に一般人が避難する樣子を見てはピタと止まり、その場で仁王立ち! 敵の注意を引き付けた。
『ふはは捕まえたぞう!!』
「キンキンキンッ! 無敵だよーだ!」
『あぁっ、雪玉が壞れた!?』
見えない障壁が被彈を防ぎ、仮面の男が頓狂な聲を出す間に「A」の形をした滑り台を逆上がり!
一気に高所へ至ると、そこからビュンビュンと雪玉を乱射して軍団を脅かした!!
「|頂上《てっぺん》に登った人がゆーしょー!」
『よっしゃ引き摺り落としちゃる!』
「かーらーのー! すべり台、ついーっ」
『!? !?』
凡そ子供の行動が読めないのは、その時の一番を樂しみたいから。
仮面の男が階段を上がる間に滑り降りた緑唱は、広場いっぱい走り回って翻弄するのだった。
「――はあ、然しこうも雪に|圍《かこ》まれていては冷えるのう」
子猿が手数で圧し、子犬が広場を駆け回って攪乱する中、術者ツェイは兩手で腕を擦りながら氷城へ――塔の内部が刳り貫かれた、フォトジェニックな場所に収まる。スッ。
「ふむ、まるでかまくらの樣な温かさ。此處で風を凌ごうか」
『痛い痛い痛い痛いっ!』
「矢張り子供は風の子……みな樂しそうに遊び回って」
『やめてやめてやめて!』
子兎が大跳躍して背中を小突けば、体勢を崩した瞬間に子鼠が仮面をガジッ!
寒風も何のその、溌剌と動いてアンデパン団の仮面を一枚、また一枚と剥がしていく小精靈達に「良き」と微笑を注いだツェイは、繊細な頤に手を添えて聲援を送り、この場で待機する。役割分担!
目下、十二の仔らが活き活きと動き回る光景を|瞶《みつ》めた彼は、噫、こんな時こそ|すまあとほん《・・・・・・》で撮影するのだろうと花瞼をゆるゆる。好きなものをSNSに上げる人々の行動心理に共感を寄せる。
此の機会に我も習得すべきか――。
「……まあ、後だの」
今は|硝子《レンズ》を挟まず見るのが宜しいと花唇に弧を描いたツェイは、この瞬間を逃すまいと烱瞳を煌々、白銀の世界で小気味良く立ち回る小精靈らを愛でるのだった。
“人”と“ヒト”の心の蟠りを解き續ける心療内科医、黛・巳理(深潭・h02486)。
彼が營む「まゆずみメンタルクリニック」に於いて、人も人成らざる者も等しく“患者”であるとは、看護師として働く泉・海瑠(妖精丘の狂犬・h02485)とも共有されている。
――然して。
「|迷走してる人達《アレ》もオレ達の患者……で良かった? 先生」
「……いいんじゃ、ないか?」
海瑠が「アレ」と呼ぶ謎の仮面軍団――目下、雪玉を持って走るアンデパン団に雪嶺の鼻梁を結んだ巳理は、珍獸か奇祭を見るような|眼光《めつき》で見て幾許、扨てどう処置したものかと吐息を置いた。
「というか、巳理先生って雪合戰したこと……」
「? 噫、あれだろう? なんか、こう、合戰と言うからには戰う……? のか?」
「せんせ」
「……大丈夫だ、分かる。たぶん」
字面から予測するあたり、経験は無さそう。……。
これでは|標的《マト》になるだけだと、やや眞劍な|面容《おももち》で手袋を嵌めた海瑠は、巳理にも手袋一双を渡して云った。
「先生はここで沢山雪玉作ってて。オレ、ちょっとアイツらのパクってくる」
「うん? 雪玉……なるほど、任せたまえ」
さほど感情の|彩《いろ》を映さぬ藍瞳をパチパチと瞬かせ、促されるまま手袋を付け替える。
仮面の男達が投げているのと同樣のものを作れば良いのだと|合點《がてん》した巳理は、昼過ぎまで降り込んだ雪を兩掌に集めてぎゅっぎゅっ。おにぎりを作るように丸め始めた。
「崩れないように、少し強めに握って……ひとつ出來た。これを繰り返す」
集める、握る、固める。
|周回《ルーチン》作業は苦ではないと、まんまる雪玉を作るがてら氷城や雪像に見え隱れするアンデパン団を眺めた巳理は、「ふむ」と吐息ひとつ。この雪合戰に嚴密なルールは無さそうだと大方を摑むと、忽ち攻略の筋を見出した。
「取り敢えず、|命中《あて》るのは恐らく心理戰と……スピードが伴えば可能だろう」
而して巳理が雪玉製造機になる間、雪像の間を縫うように駆けた海瑠は、己と似た背丈の敵を見つけるや模倣変化! 声質を眞似てアンデパン団になりきると、「わからせ雪玉」を積んだプラスチック橇の紐に手を掛けた。
「ああ、あったあった。向こうの雪玉足りないからちょっと貰ってくぞ」
『急ぎ援護に向かってくれ』
「了解」
“ちょっと”と言いつつ、橇ごとゴッソリ引いていく海瑠の胆の太さよ。
敵の彈を奪い、自軍に補給する――戰鬪前に大きなアドバンテージを得た彼は、吃々と悪戯な微笑を浮べながら元の場所へ戻った。
「ふふ、ただいま先生」
「おかえり、泉くん」
變身を解いて合流しざま、雪像に身を隱す海瑠。
仮面の仲間よろしく広場を一通り見て回った彼と、人員配置や遮蔽物の位置を確認した巳理は、山のように積まれた雪玉を見つつ海瑠の言を聽いた。
「じゃあ、先生が作ってくれたのと、オレがかっぱらって來たのと。まとめて思いっきり投げつけよう!」
「思い切り……若しかこうも雪玉が飛び交えば、雪玉ではなくても当たれば雪玉だと思うのでは……?」
ワインドアップで背筋を伸ばしざま、今より身丈を高くして投球に掛かる海瑠の隣、巳理が雪玉を持ったまま、糸の如き細雨を降らせる。敵が觸れれば王水に變わる、霧か煙のような繊細な雨だ。
『あっヤダ仮面が溶けちゃう! ――んばァ!』
『ウチの組織は|素顏《スッピン》NGなのに……ぶぇえっ!』
巳理の雲招に怯んだ敵を、長い腕から放った剛速球で仕留める海瑠。狙いは顏面!
二人が範囲攻撃と個別撃破で効率よく敵をブチのめす間、アンデパン団は人海戰術! 無数の雪玉を投げて応戰する。
「伏せたまえ、冷えるぞ泉くん」
「え? ちょ、っ」
咄嗟に呼び掛かる佳聲に海瑠が身を屈めた瞬間、彼に結ばれた放物線を雪玉で手折る巳理。
次いで巳理が敵に狙われたなら、海瑠がバネのように伸びざま橫ッ飛びして雪玉を彈き落とし、にま、と小気味よい微笑を萌して返報ッ!! 一際重い一球をお見舞いしてやる。
「先生狙うとか良い度胸してるよ」
「こら、私の心配は良いから」
肩をぐるんぐるん回して言う海瑠、その背を撫でる穩やかなバリトン。
巳理らしい音色に振り返った看護師は、肩越しに花唇を尖らせて言った。
「だって、風邪でも引いたら大変でしょ?」
「――まったく、心配性だな君は」
それほど|纖弱《ひよわ》でもあるまいと苦笑を零しつつ、胸に温かいものが燈るのが判然る。
事実、海瑠と居たなら少しも寒くないと――巳理は藍の麗眸をそと細めるのだった。
『ちっくしょうッ! 正義の味方に嗅ぎ付けられたか!?』
『アンデパン団の恐ろしさをわからせてやる! 投げて投げて投げまくれ!』
√能力者の介入に気付き、SNS戰略から雪合戰へと一気に舵を切る悪の組織。
いずれにせよ|彈数《たま》はあると手を伸ばした仮面の男達は、然し、雪玉を積んでいたプラスチック橇が無い事に気付き、ハッと|周囲《あたり》を見渡した。
『!? 何處だ!?』
「ふはははー! ここだー!」
『!? その堂々たる名乗り……ヒーローか!!』
「私? ちがうよ。暇だったから助けに來たの」
『!? !?』
特にヒーローという訳では無いが、時間に餘裕があったとは赤星・緋色(フリースタイル・h02146)。
スノーカモを着用した彼女は、白銀の世界に溶け込みながら敵陣へ。奪取した橇を引いて氷城を登り、広場を見渡せる高所から勢いよく雪玉を投げつけた――!
『わぷっ! 子供と思ったがココまで届くとは!!』
「うん。高い所は攻めるにも防ぐにも有利だし、あと被彈面積(?)も小さくなるんだって」
大人の投球でも重力には從わねばならないし、逆に緋色は地球の引力と遠心力の恩惠を受ける。
更に仮面軍団が丹精込めて作り上げた氷の壁が身を隱して呉れると、完全に地の利を得た10歳の少女は、自分より的の大きな者達を次々と仕留めに掛かった。
「よぅし。山なりの変化球(?)を投げた後、すぐに速球(?)を投げるっ!」
『ちびっ子よ、降りてきなさぐぁぁあああ!!』
「決まった、二回攻撃!」
凡そ緋色を子供と侮る勿れ。
緻密な彈道計算ならぬ、豊かな想像力と機智を以て雪玉二球を同時着彈させた緋色は、氷城に近付く悪者にシューッ! 見事に仮面を撃ち、身を反らした男をツルンッと顛倒させた。
『んぬっ!! こうなったら複数人で一気呵成にぃぃぃいん!!』
「体制が整う前に全力で沢山当てればいいんだよね? 手加減もしなくていいとか」
『そんな悪知恵を子供に教えたのは誰だッ! なんて大人どわーっ!!』
「うん? 私だよ」
スッパリとそう言い切った緋色は、雪玉を握った手を胸元から突き出すや金絲雀の|囀聲《こえ》を響き渡らせ、
「覺悟! ……えぇと、餡でパン団……?」
なんかちょっと違うイントネーションで、構成員らをザワつかせるのだった。
イニシャルを用いた喧伝とは、中々悪くない――。
元・悪の組織の開発室長として評価すべき点もあると、華奢な|頤《おとがい》に|繊指《ゆび》を添えて「A」のマークを眺めた皮崎・帝凪(生死流転・h05616)は、交睫ひとつして視線を離すと、|頭《かぶり》を振って云った。
「唯だ、肝心のアルファベットが間違っているのは戴けない!」
完全無欠(自称)の魔王樣の御前に、凡ミスはNG!
こういうミスが悪の備品の発注数を間違えたり、悪の祕密会議を長引かせたりするのだと、背筋を伸ばして広場を進んだ帝凪は、仮面の男に自撮りを強要される二人組を認めるや颯爽と割り入った。
「やあやあそこなご令嬢方!」
「あっやだ超イケメン~♪」
「雪像よりも何よりも、撮るべき被写体がいるであろう? ――即ち、このダイナ樣だ!」
「しかもノリ良いし~♪」
よく通るテノールバリトンを響かせ、兩手を広げてシャッターを待つ帝凪。キメ顏がしゅごい。
自はもちろん他も認める美形の魔王の寛大さは、強引な男に負ける筈が無し。OL達がキャッキャとスマホを向けたなら、構成員はプリプリ怒って雪玉を振りかぶった。
『コラー! 邪魔するなー!!』
「ふむ。初手の引き剥がしは成功」
黃色い聲を上げるOL達から離れ、己へと投げられる雪玉を着彈寸前で躱す!
雪玉を投げるに前動作があると、敵の擧動や球筋を鋭く見極めて広場を駆けた帝凪は、間近に|轉《ころ》がった雪玉を拾って投擲! 雪像や氷城など、諸有る方向に投げて反撃した。
『はっはっは! 闇雲に投げては|命中《あた》らんぞう!』
「無論、外れる球もあって良い。|標的《ねらい》は貴樣等ではないからな!」
『何ッ!? それは如何云う――あっ!? あぁーっ!!』
疑問符を浮かべて雪玉を追った者が、間もなく帝凪の“本命”に気付こう。
投げ返す雪玉に紛れ込んだメスが、雪像に着彈するや「A」のマークを切斷し! 更には「D」へと変えていく――!!
「うむ——あるべき形になったな!」
『くうっ、これじゃお前の宣伝になる……我々の野望が潰える!!』
本來の目的が果たせなくなった今、雪合戰を続ける理由は無い。
全ての「A」を「D」に塗り変えられた仮面軍団は、がっくり膝を付いて項垂れるのだった。
第2章 ボス戦 『幹部怪人うっかりヤ兵衛』

●
『可怪しいな……イベントも「A」のマークも全然拡散されない……ややピンチ』
駅前のカフェでミラノサンドを手にスマホを見ていた鰐の怪人は、アンデパン団が主催した「雪まつり」がどのSNSでもトレンド入りしていない事を不思議に思っていたが、其の疑問に答えてくれたのもSNSだった。
『あれっ、あれぇ!?』
代わりに席捲し始めたのは、格好良く刻まれた「D」の文字。
雪像や氷城に刻んだ「A」が、いつの間にか「D」になっていると画面を凝視した怪人は、それだけでなし、一般人が避難しざま撮影したと思われる「|大亂鬪《スマッシュ》雪合戰」に沢山のいいね♡が付くのを見て、一緒に注文したアメリカンコーヒーを啜った。ズズー。
『√能力者が駆け付けたか……仮面戰鬪員が続々と降參している……これはかなりピンチ』
見ればSNS普及用に準備していた「わからせ雪玉」を奪われ、雪像や氷城などの要所が次々と制圧されている。
駅の構内や歩行者デッキに避難した一般人が配信するLIVE映像を確認した怪人は、返却口までトレイを運ぶと、ネクタイを締め直しながら店を出た。
『現場の混乱を収めるのも、中間管理職の務め……行くか』
自動扉が閉まった瞬間、なりふり構わずダッシュする!! 走れ、走れ、走れ!!
今なら間に合うと、強化ガンを手に現場に向かった『幹部怪人うっかりヤ兵衛』は、もう片方の手でスマホを操作し、広場で大の字になった仮面軍団に連絡を入れた。
『今から向かう! 大丈夫だ、私の采配力によって√能力者達をアノ一点に集めれば、事前に作っていた大穴に纏めてズドーン! ヒーローが一網打尽にされる動画が拡散される事になる!!』
周囲の人にも聞こえる大声で祕策を明かしてしまうこの怪人こそ、「雪まつりで色々バッチリ☆作戦」の発案者。アンデパン団の頭文字を間違えた本人。
今回もウッカリ、スマホの向こうに居る√能力者達に作戰がモロバレしてしまっているが、そうとは知らぬヤ兵衛は巨体を搖すって現場に到着した。
『ゼハー、ゼハー! 私が來たからには好きなようにはさせないぞ!!』
「息、整ってからでいいよ」
『ありがとう!! だがやらせてもらう!!』
狙いは、広場に作った「鰐印の落とし穴」に一同を集めること。
うっすいベニヤ板で蓋をしただけなので、人数が集まればバキッといくだろうと不敵に嗤ったヤ兵衛は、先ずは強化ガンをブッ放し、雪合戰に負けた仮面軍団を広場に復活させるのだった。
『さぁアンデパン団よ、正義の味方どもをやっつけよ!!』
『|ウイ、ムスィュー《Oui, monsieur》!!』
非戰鬪エリアで体育座りをしていた仮面軍団を再集結し、強化銃で雜に巨大化する。
その中心で悪いポーズを取る『幹部怪人うっかりヤ兵衛』の威容を目の|當《あた》りにした√能力者は、然し、特に|恐怖《おそれ》も|戰慄《おののき》もしなかった。
「お、上司の登場ですね! 待ってました!」
『いやはや、お待たせしました! これでも走って來たのですが』
大向から役者を呼ぶように、華奢な|頤《おとがい》に手を添えて|佳聲《こえ》を投げる鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)。
未だ|泌《にじ》む額の汗|然《しか》り、中間管理職として頑張ってるのが言葉の端々から窺えると好感觸の佳人は、こちらも即席ポーズを取って「応」の構え。
「ふむ。あれが|先刻《さきほど》の大音聲の主とみえる」
『えっ、音、えっ??』
「慥かに、音漏れしていた|聲色《こえ》と一緒だ……あれが諸々の|迂闊《ウッカリ》の主と」
『聞こえてました!? ははは、參ったなぁ!! 電話はこう、通話口に手を宛てておかないと!!』
渇いた|哄笑《わらい》で誤魔化そうとするヤ兵衛の正面、全く誤魔化せてないし汗も引く処か噴き出ていると、ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)とクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は靜かに瞥見を結んで。
「|餘程《あまり》の筒拔けっぷりに、一瞬これも罠かと疑ったけど。この感じからすると本気みたいだね」
「うむ、敵ながら中々に愛嬌のある怪人。二足歩行の鰐というのも|愉快《おもしろ》い」
これは演技でなく、|眞性《マジモン》のウッカリ。
アンデパン団といい随分ズッコケた連中だが、|誘《つ》られてズッコケて|穴に落ちぬよう《・・・・・・・》気を付けようと首肯を揃えた異能者達は、ヤ兵衛の号令で吶喊する仮面軍団を前に散会ッ! ニヤリと口角を持ち上げる怪人を眼路の際に置きつつ、銀世界に影を滑らすのだった。
†
而して誰より|迅速《はや》く戰場に躍り出たのは、えの。
巨大化したアンデパン団の脇をスルリと拔けた彼女は、強化ガンの銃口を結ぶヤ兵衛に向かって高々と云った。
「混亂にある現場を纏めようとは、中間管理職の|鑑《かがみ》!」
『いやぁそれほどでも。よく言われます!』
「ですが、それはそれ、これはこれ! |人樣《ひと》に迷惑を掛けた分の|御仕置《おしおき》は受けて戴きますよ!」
ヤ兵衛がウッカリ照れる間に、雪床を滑る影をひとつ、ふたつ……と増やした佳人は、間もなく沢山の猫を連れて大行進ッ! 飛躍した走力で照準を游がせつつ、銃聲と共に爆ぜる衝撃波をオーラで防禦しながら広場を駆け回った。
『ぬぅん、ちょこまかと動……おっ猫? 猫さん抱っこしてる!?』
「こちら火属性の妖怪猫さんです。雪の中だとありがたいですね」
『まぁ私も爬虫類なものでコーヒーもホットを……ってアレ!? ベニヤがあれ!?』
「はい。雪を溶かして見え易くして戴きました」
流石は探偵と云うべきか。
仮面軍団が當初テキパキと行列整理をしていたのには「|理由《ワケ》」があると推理していたえのは、自身は大勢が佇んでも問題なかった場所を走りつつ、体重が蝶ほどしかない妖怪猫にそれ以外を頼む事で、うっすいベニヤ板の上に可愛らしい肉球の足跡を――ここが落とし穴であるという|証拠《シルシ》を付けていく!!
『猫さんやめて! 予算かけられなかった部分を|曝露《バラ》すのやめて!』
「おや、油斷大敵ですよ?」
『ッ、ッッ――!!』
雲雀の|囀聲《こえ》がヒヤリと肉薄したのは、えのの小型銃がピタリと太鼓腹に宛がわれた瞬間。
猫同樣に跫音なく懷に侵襲した佳人は、銃爪を引くやドォンッ! 口径は小さくとも凄まじい衝撃を放つインビジブル彈を撃ち込み、ヤ兵衛を雪像に叩きつけるのだった。
『~~痛いッ! だがこれしきで中間管理職は務まらぬ!!』
我が背を強打する雪像、その威力で割れた雪がドスドスと|固《か》ったい塊を頭に打ち落とす中、目を白黑させたヤ兵衛が牽制の銃をブッ放す。
而して闇雲に放たれる衝撃波を氷城に代わらせたクラウスは、俊敏なる鷲の如く戰場を駆けつつ、我が影を追うアンデパン団に肩越しに吐息を置いた。
「この強化彈、雜にぶっ放して巨大化する辺り技術力は侮れない気がする……」
『フハハ、雪玉も三個同時に投げられるかんな!!』
「……。……軌跡が全て違うなら脅威になるかもしれないけど」
とは|畢竟《つまり》、彼の機動力は雪玉の数で減衰せず。
落とし穴の位置は、えな(が召喚した猫達)が続々と暴いて呉れていると足元を見たクラウスは、うっすいベニヤ板を認めるや|跳躍《フライハイ》! 宙を躍りざま躯を捻って雪玉を投げ返し、アンデパン団めがけてシュー! |的《マト》が大きくなって助かると、仮面に雪玉をぶつけて仕留めた。
『ぷおっ! 高めを狙うとはやり、お、る――』
「その巨体じゃ一人でも床板が割れそうだ」
『んぁぁぁああ嗚呼!!』
やっぱりウッカリ、巨大化した事で自ら掘った落とし穴に嵌ってしまう構成員。
折角の作戰が台無しだとクラウスが溜息を挟んだなら、部下のカバーに入ったヤ兵衛が高速連彈! クラウスを穴に落とさんと波状攻撃するが、これにクラウスは雪玉でなく|手斧《ハチェット》を投擲し、謎に技術力のある強化ガンを手から彈き飛ばした――!!
『ぬぁあっ! 拾わなくては……ちょタイム!』
「うん。こっちが優勢に立ち回ることが出來れば、動画で拡散されて盛り上がるかな」
手で「T」を作りながら強化銃を取りに行くヤ兵衛を、ちゃんと待ってあげるクラウス。慈悲深い。
この時、視線を周囲に巡らせたなら、広場から避難した民間人らがスマホを手に応援しており、その大音量と熱気にチカラが湧いてくる。
「……これじゃ無樣な姿は見せられないな」
クラウスは交睫ひとつして視線を戻すと、空色の瞳を研ぎ澄ましてヤ兵衛に相対するのだった。
『さぁ戻ったぞ! 仕切り直し!!』
「ふぅむ。蕪と古龍の合いの子といったところかの」
『珍獸みたいな言い方を! 幹部ぞ!? 管理職ぞ!?』
「おや済まぬ、口が滑ってな」
後で|躾《しつけ》ておかねばと、白磁の繊指でツンと頬を小突くツェイに悪気は無し。
この鰐も迂闊とは云え「性根は悪くない」と柔かく咲んだ麗人は、目下、その采配によって特攻を仕掛ける仮面集団に眼眦を細めた儘、流水の如く脇に逸れた。
『それゆけアンデパン団! けちょんけちょんにしてやるのだ!』
「おや、|繊弱《かよわ》き我を狙うか。ははは、こわいこわい」
とても敵わぬと遁げては見せるが、これは誘掖で嚮導。
彼の采配から落とし穴の位置を見定めたツェイは、どれ、鰐坊にも期待くらいさせて遣ろうと、羅綾の袂をゆたかに飜して件の座標へ。これにはヤ兵衛もアンデパン団も、逆転チャンスの到來に胸を高鳴らせる! わくわく!!
『うっすいベニヤ板だ、バキッと割れてドシーンと……あれー??』
『刮目して見よ! 雪まつりで色々バッチリ☆作戰が成功する瞬、間……をぉぉおお??』
ドシーンどころかシーンと音が殺されたのは、一同大注目の中でツェイが|陥穽《ワナ》の上を歩き切ったから。
それもその筈、雪に浅い足跡を刻む程度に浮遊してベニヤ板を渡ったツェイは、袖を靜かに|靉靆《たなび》かせるや【|咒戯廻天《リンテン》】!
刹那、己を追い掛けてきた仮面軍団の背後に位置するインビジブルと座標を代わると、驚いて|突倒《つんのめ》る連中を炎の彈ける符でどーんっ。自慢の落とし穴を堪能させてやる。
結構深く掘ったものだと、身を乗り出して|孔竅《あな》を覗き込んだツェイは、花唇に三日月を描きつつ、そと語尾を持ち上げて云った。
「ほれ、なんとやらの作戰成功であろう?」
『くっ……くぅ~っ!』
役者はちと変わって仕舞うたが、と――。
然うして吃々と零れる竊笑は、あえかな白息となって空に溶けた。
『あぁっ、大事な部下たちが落とし穴に!! 組織のマークを「A」から「D」にした事と云い、なんて連中なんだ!!』
これではアンデパン団が拡散されない処か「|ダメ《DAME》な悪の組織」として広まってしまうと、民間人の大声援に冷汗するヤ兵衛。
(「……いや、だから、『A』じゃなくて……」)
そしてこれだけ話が進んでしまうと、ちょっと切り出せなくなるのが二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)。
當初の「A」すら組織の頭文字ではない上、これを「D」に書き換えた本人たる皮崎・帝凪(生死流転・h05616)を|瞥《チラ》と見たなら、うっすいベニヤ板が割れる音を捉えていた彼は、鴇色の佳唇を引き結ぶや眞直ぐ進み出した。
「えぇと。自己申告を?」
「否。どうしても言っておきたい事があるのだ……!」
雜に亂射される強化銃の波動を、トランスフォームシールドを展開して減衰させる利家。
防禦の合間にそと訊ねる彼に、鋭い|低音《バリトン》を置いて踏み進んだ帝凪はずんずんずん!! 我が正面、猛然と突撃する仮面軍団に素早く半身を滑り込ませると、ベルト部に備えられたスマホを掠めた――!!
「幹部に連絡を入れた通信機器はコレか」
『あっコラ支給品!!』
「魔王たる我が元へ集え」
聲色儼めしく王命を発するや、連中のスマホから電力を“徴収”する。
掌に集まった紫電のエネルギーは、握って拳と繰り出されては雷槌の如く面々を打ち、薙ぎ払い、|蹲跪《つくば》わせ――閃々たる霹靂に一同が動搖する間、帝凪は雄々しく|進《すす》む、|晋《すす》む、|廸《すす》む!
畢竟、敵が動搖しようが爲まいが関係無し、後で払う事となる代償も大いに甘んじようと、幾重の衝撃波を浴びてヤ兵衛に辿り着いた麗人は、柳腰に手を宛てて言った。
「貴樣が|現場《ここ》の責任者か?」
『あっハイそうです私です』
「なんだ、この杜撰な仕上げは! ミエミエのベニヤは……!」
『えと、今年度の予算がカツカツで』
「銃の撃ち方からも窺える斯くも雜な仕事が、手戻りを生み、計画を潰し——俺の! 貴重な研究時間を! 奪うのだ!」
『んばばばばば!! ズビバセン……ッ!!』
ここまで一気に捲し立て、放電!!!
元・悪の組織の開発室長としてのリアルな経験から、一際苛烈な「喝」を入れた帝凪は、膨大な電力を流されたヤ兵衛がうっかりスケルトン状態に――白黑の世界で骨だけ見せて謝る姿を見届ける。
蓋し凄い劍幕で迫った魔王も、放電したらスッキリ、サッパリ☆
亂れた呼吸を整えて後、ヒラリと手を翻して言った。
「……まあ、よい。貴樣のようなウッカリさんの存在も、科学の進歩には必要不可欠な要素だ」
『失敗がら學ぶ、どいう事でじょうか』
「うむ! 今日のところは、カミナリ一発で勘弁してやろう!」
『あ゛、ありがどうございまず……!!』
正味、ケチった自覺のあるヤ兵衛である。
彼はペコリと90度に躯を折り曲げ、己の杜撰な仕事に聢と反省を示すのだった。
「なんか、大変だね……」
悪の組織も年度末は色々あるのかと、しみじみ思う利家。
帝凪が進む道沿いにシールドを竝べて衝撃波を弱めていた彼は、魔王に叱られるヤ兵衛を見ながらダッシュ!
眼路を塞ぎに掛かる仮面軍団、その巨躯から繰り出る拳打蹴撃を優れた動体視力で躱すと、するり脚の間を拔けては置き土産に猫獸パンチ! 弁慶の泣き所を衝いて悶絶させた。
「とはいえ、管理職が率先して現場を回すと何を管理してるんだって話になるし」
『ぐぅむ!』
「だからって進捗のマネジメントだけをやってると、アイツまたサボってやがる……顎で部下を使いっ走りにしようと思うなよ? って査定されちゃうし……」
『ぷぉおおっ!!』
「うーん、難しいところだね」
ぐうらと傾く躯を駆け上ってモンゴリアンチョップ!
そのまま肩を飛び渡って隣人に逆水平!
ポアーッ! アッポー!
冷靜と激情の間を小気味よく渡りながら仮面軍団を雪床に轉がす利家は、傍から見れば随分とイカれていようが、戰法はもっとイカれている。スマート且つ大胆に、広い背中を滑って戰鬪集団を拔けた利家は、巨人相手に立体機動して來た己に目を引ン剥くヤ兵衛に肉薄した。
「いっそ悪の組織なんて辞めちゃった方が……転職希望出すわ?」
『W……Wow, Wow, Wow, Wow!!』
「オー人事? オー人事? 一先ずこの場は泣いてもらうぞ」
何故だろう、チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』が腦内に響き渡る。
壮麗で哀愁漂うオーケストラに滿たされる中、眼路いっぱいに迫る利家に強化銃を構えた鰐邪は、然し、それより迅く衝き入れられた猫獸パンチにノックアウト! 強靭な頤を下から打たれて吹ッ飛んだ!!
「アッポー! ではなくてアッパー!」
『……転職支援……人材派遣……アウトソーシング……!』
而してこの時、ヤ兵衛の腦内に或るアイデアがうっかり閃く。
(『私も転職するか? いや、これだけ的確に働ける√能力者こそ悪の組織に組み入れるべきでは……!?』)
噫、嗚呼、今めっちゃ良い作戰が思い浮かんだとガッツポーズしながら雪像に叩きつけられたヤ兵衛は、哀しい哉、折角のアイデアも利家の次の科白によって上書きされてしまう。
「そうだ。アンデパン団の頭文字ってAじゃなくてIらしいっす」
『まーじーかー!!!』
腦のシワひとつプレゼントされたヤ兵衛は、その素晴らしいアイデアを提示するタイミングを、敗北の瞬間まで遅延させるのだった。
『あつつ……何か閃いた気がするのに、思い出せないなんて|年齢《トシ》かなぁ……』
頭を擦り腰を擦り、身に疾る激痛を宥めて起き上がるヤ兵衛。
徐に顏を上げた鰐邪は、この時、雪像に刻まれた「A」ならぬ「D」のマークの左隣に雪玉を押し込み、即席の絵描き歌を口遊みながら|顏文字《Emoticon》を作る翠亀・緑唱(スパッとしてシャキーン・h00451)を二度見した。
「大きなお池にタマゴがふたつ♪ あっという間にニッコニコ~(:D) ――えへへ、樂しいね!」
『!! またマークが變わっ……落書きやめーい!!』
プリプリ怒る鰐邪に振り向いた緑唱は、ぱちぱちと花瞼を瞬いて暫く――動物園でお目当ての動物を見つけたかのように人差し指を結んで云った。
「あ、ワニさんだ! あれがユニコーン仮面樣の言ってた怪人さんかな?」
『えっ私もしかして知名度ある??』
「うん。うっかり屋さんだって」
『えぇえ……』
露骨にガッカリする鰐邪の正面、口をVの字にしながら雪玉を入れた鞄を搖すった緑唱は、爪先を彈くや|緑《あお》き爽風となって疾った。
「それじゃ、ママやセンセのためにも頑張るぞー!」
『ほう。その雪玉で私と勝負するかね!?』
「うんっ! かけっこ、びゅーん!」
ヤ兵衛は「所詮は子供の|脚力《アシ》」とウッカリ侮ったが、擬音通りの瞬足で広場を駆け回った少女は、走りながらスナップスロー! 広島の二塁手並みの身体能力で、一塁側に居るヤ兵衛に雪玉を投げた!!
「こっちもびゅーん!!」
『くおっ、|送球《タマ》走っとるやないけ!! 燃えてきた!!』
咄嗟に部下が差し出す雪玉を手に取り、緑唱を|刺殺《アウト》にせんと追い掛けるヤ兵衛。
鬼ごっこにもなってきたと、キャッキャと笑いながら駆けた緑唱は、然し間もなくヤ兵衛がゼェハァと息を切らすのに振り返り、少しだけ心配した。
「こどもは風の子! オトナはワニの子! ――息だいじょーぶ?」
『フゥ、ハァ……ゔん……心配しないで……』
「分かった! じゃ倒すね!!」
『ゼハーッ!!』
ちょっと、眞劍勝負は、辛い。
ここは罠を活かそうと落とし穴の縁に位置取ったヤ兵衛は、緑唱の接近を見るやニヤリ。天地魔鬪の構えで攻撃を誘うが、残念ながら令和の少女には通じまい。
「とーびーばーこー、ピョーン!!」
『何ィ!? ちょっ、バランス……のわーっ!!』
緑唱は溌剌とした擬音でヤ兵衛の頭を飛び越えるが、その頭をロイター板かクッションにされたヤ兵衛は、彈みに耐えられず深淵へ。祕策と用意した穴へスットンと落ちてしまう。
「しゅたっ♪」
畢竟、穴に落ちたとしてもピョーンと復帰できた緑唱だ。
少女がピンと腕を伸ばしてフィニッシュポーズを取ると、ツェイら√能力者達が10点滿点だとばかり拍手するのだった。
『くっ、くお……深く掘り過ぎた……設計間違えちゃったかな……』
緑唱を穴に落とす|目算《つもり》が、うっかり自ら嵌ってしまったヤ兵衛。
部下の手を借りて何とか這い上がった鰐邪は、地上に出て直ぐに見えた脚を辿るように仰ぐと、堂々と腕組みして待つ赤星・緋色(フリースタイル・h02146)に迎えられた。
「でたね、餡でパン団のちょっと偉いワニさん!」
『お!? 何かイントネーション違うような……』
|アンデパン団《Indépendants》は無審査で無賞、誰もが仮面を被れば參加できる悪の組織なのだが、如何せん頭文字の「I」が「A」になっているので、緋色が言う「|餡《an》」が圧倒的に正しく、彼女はその認識で話を進めた。
「あ、でもアンパンだとヒーローぽいよね……じゃあワニさんたち、ヒーローやりなよ」
『えぇっ!? 今からでも、悪の中間管理職からでもヒーローになれるんですか!?』
「うん。代わりに私ヴィランやるよ。得意だよ?」
鬼ごっこの役を代わるようなノリで言うが、緋色の其は「ごっこ」でない。
目下、少女と怪人が話している間にも巨大化した仮面軍団が押し寄せるが、其を眼眦の際で捉えていた緋色は、どうせ進路が「視える」なら「導いて」みようと落とし穴の方向へ。
巨大化して足元の視認性が鈍った連中の脚の間を巧みに移動しつつ、モタつく者から次々と穴に落としてやった。
「銃の衝撃波も着彈点から発生するし、方向が判ると誘導できるって。私が言ってた」
『しゅ……しゅごい……』
「ワニさんも重そうだし、また勢いで落ちそうだよね」
『それも君が言っ』
最後まで言う間も無く、落とし穴に雪崩れ込む部下につられて落ちるヤ兵衛。二度目。
部下も彼だけは穴から出そうと尻を持ち上げるが、この間にもエフェクトパーツを展開した緋色は輝かしい発光と効果音で追加をポコポコ落とし、ヤ兵衛をすっかり埋もれさせる。
『む、むぎゅぅうう……!!』
多数の部下で蓋をされたヤ兵衛は、その隙間から緋色を見るが、噫、少女はなんと可愛らしく悪戯に、わるいかおをするのだろう。
「ふははははー! 餡でパン団よ、年貢の納め時だー」
『くっ……これはいいヴィランの顏……!』
「そういえば年貢ってお米だっけ? お米高くなったりしたもんね」
繊指を頤に添え、一瞬だけ「素」に戻る。
ここでヤ兵衛が不意に頷いたなら、落とし穴の縁に立った緋色は柳腰に手を宛てて凄んで見せた。
「さあお米置いてけー」
なんと立派に悪を務めること!
ヤ兵衛は悔しさに齒嚙みする一方、緋色の素質に“或るアイデア”が閃きつつあった。
凡そ策を弄して墓穴を掘るとは云うたもの。
またも鰐印の|陥穽《あな》に落ち、ゼェハァと息を切らして這い上がってくる怪人を見た黛・巳理(深潭・h02486)は、これは重症だと烱瞳を眇めた。
「……泉くん、また新しい患者だ」
「患者多過ぎやしない? この案件」
泉・海瑠(妖精丘の狂犬・h02485)が腦内問診票に書き記す名前は『うっかりヤ兵衛』。
迂闊にも名で体を表しているのが「實に分かりやすい」と頷く巳理の隣、彼は「うっかりにも程がある」と閉口する。最早、呆れて言葉も出ない。
自ずと浮かぶ注意力不足の改善藥をヤ兵衛に重ねた看護師は、ここは黛先生の出番とばかり、翡翠の麗眸を眼眦へ寄せて訊ねた。
「なんか根は良さそうな|怪人《ひと》なんだけどね……」
「そうだな……きちんと敵に礼が言えるという点は評価できるが、登場シーンが悪というよりヒーローへ傾倒している気がするな」
「治療の餘地が?」
「噫、もっとキャラクター性を悪へ振っても良いだろう」
「先生、|診察《アドバイス》してくる?」
「|否《いや》……大丈夫だ泉くん、恐らく然して気には爲まい」
而して処置は既に始まっている。
白衣の襟に繊指を滑らすやアンプルを割って擲げた巳理は、我が身を中心として半径19m圏内にクラゲ型の水銀を游がせると、|浮波々々《ふわふわ》と宙を漾わせて捜索させた。
『クラゲ! 海水域の妖精め、淡水域の最高次消費者として仕留めてやる! イッツ、シューティング!!』
この時ヤ兵衛は強化ガンを撃って蹴散らしに掛かるが、衝撃波に搖すられる水月は囮――。
巳理が引き付ける間、ドロンッとヤ兵衛に化けた海瑠は、氷城を回り込んで被写体が視えぬ位置に据わると、そこから仮面軍団の指揮を執り始めた。
「これより此処で差配する! 総員、二時の方向へ突撃!!」
『えぇっ、その先には今朝掘った落とし穴が……』
「違う違う、鰐印の穴は奧に移動させただろう!? 突撃―!!」
『えっあの、えっ……うっうぉぉおおお!!』
患者と向き合った甲斐あったか、音色も語調もヤ兵衛に寄せて大聲する海瑠。
実働部隊には√能力者達を罠へ誘導しているように思わせつつ、その實、言葉巧みに彼等を落とし穴に嵌らせる――宛らポケットに向かって走るビリヤードボールみたいな光景に仰天したヤ兵衛は、橫方向に移動して絡繰を暴いた。
『あっ、私の偽物が居る!?』
「いいや、私が本物のヤ兵衛だ!」
『いやいやいやいや、私が本物でしょうよ?? アレ? うん、多分!!』
餘程の|酷似《ソックリ》ぶりに、胡蝶之夢でも見るかの如く自他の疆をなくすヤ兵衛。
ややこしやーと額の汗を拭って自身(海瑠)を見た鰐邪は、抑々なぜ落とし穴の位置を把握しているのかと、唇を尖らせて訴えた。
『つまり、お前は私で、私がお前なのだ……でなければ罠の位置など知っていまい!』
「えぇえ……そんな訳ないし! ちょっと先生、本当にこのウッカリを治してあげて??」
あまりの暴論を聽いた海瑠は、流石に重篤だと視線を脇へ――巳理に種明かしをお願いする。
而してプカプカと宙を游ぐ銀の水月の奧に控えた巳理は、「ン?」と瞠目して幾許、ウッカリの過ぎるヤ兵衛に諭すよう告げた。
「ふむ。僞るならば視線を向けてはならない」
『視線? もしかして私、落とし穴の位置を見てました??』
「……暴かれたかったなら別だが、視線誘導とは最も初歩の騙しの手口であり、騙し慣れない者がしやすい失敗だな」
『あぁ~成程、ウッカリしてたぁ!!』
正味、√能力者達がすってんころりんと罠に嵌る瞬間を「見たい」と思っていたのだ。
落とし穴作戰を考えた本人ならではの心理を衝いた巳理は、次の瞬間、合點を得たヤ兵衛にグルグルとお縄が巻きつけられていくのを見ると、爲手である海瑠にそと目を細める。
「どう? これで少しは悪役らしくなったんじゃない?」
「――噫、慥かに」
本件『雪まつりで色々バッチリ☆作戦』の主謀者を召し取ったり――!
駅構内や歩行者デッキに避難した市民がカメラを集める中、幹部怪人うっかりヤ兵衛は當初の狙いとは全く逆、アンデパン団が痛快にやっつけられる映像を拡散させてしまうのだった。
第3章 ボス戦 『ジョン・ドゥ』

『くっ……私とした事が、うっかり捕縛されてしまった!!』
戰鬪圏外に避難した民間人らが大熱狂してスマホを向ける中、御縄になった哀れな姿を撮られるヤ兵衛。
祕策であった「鰐印の落とし穴」は今や仮面の男達で埋められ、自身も√能力者に|圍《かこ》まれる大・大・大ピンチな状態であったが、鰐邪はここで先刻に閃いた「とあるアイデア」を奇跡的に思い出した。
『あっ、そうだ。私は敗北したが、逆に考えれば、これは私の頭腦と力量を超える優秀な人材を見つけたという事……!』
「逆に考えたんだ」
『そう、これはチャンスタイム!!』
戰鬪中にも過ったチャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』が、またも腦内に響き渡る。
強いアンデパン団を作り、組織の知名度を高めるには、「実績ある√能力者を引き込めば良い」のだとインスパイアを得たヤ兵衛は、兩手が塞がった状態から|矗然《すっく》と立ち上がった。
『決めた! 私は君達を人事に紹介する!!』
「えぇえ……」
『今、|上層《うえ》を呼ぶから待ってて貰えます? 帰らないで下さいね!?』
噫、これ時間かかるヤツだ……と思った者も居るだろう。
ヤ兵衛はまだ動ける仮面軍団を集めると、鞄から大きな布を取り出し、それで氷城の周りを覆わせる。
紅白幕の如き長大な布を繋げてユラユラと動かす仕草は、まるで手品師がそこから現れるようなイリュージョンを期待させたが、実際はもっと上――布で覆いきれぬ氷の塔の頂上に、パッと道化師が現れた。
『ごきげんよう! 幹部をやっつけた優秀な皆樣に、先ずはご挨拶を。わたくし、ジョン・ドゥと申します』
六本の腕を恭しく動かし、|紳士のお辞儀《Bow and scrape》をするは『ジョン・ドゥ』。
彼は敏腕のリクルーターであり、優秀な怪人を次々とスカウトする他、ヒーローの悪堕ちにも精通している「プロ人事」。
丁寧な挨拶を終えた道化は、何やら妖しく光る結晶を取り出して云った。
『ヤ兵衛から詳しい説明があったと思いますが、アンデパン団は皆樣を歡迎いたしますよ』
「なかったよ」
『世界征服に興味のある方から、さぁどうぞ! 悪に堕ちて下さいまし』
而してこの道化も押しが強く、「興味ないです」と斷られたとて引き下がる男では無い。
アンデパン団が指示に從わない市民に雪玉を投げつけたように、『怪人化結晶』を投げて強制悪堕ちさせんとする剛腕リクルーターを前に、√能力者達は転職の岐路に立たされるのだった。
山椒魚は冒頭に悲しみ、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は劈頭に訝しんだ。
魚の頭が出口につかえた如く、道化の慇懃な無理押しが引っ掛かったのである。
「……。……強引な勸誘は違法行爲なんじゃないかな……」
職安法とか労基法とか、何かそういう|定法《きまり》があった筈だと、冷靜が口を衝く。
雪玉の代わり妖しく光る結晶をジャグリングする『ジョン・ドゥ』を前に、己は勿論、この幼い仲間を悪堕ちさせてはならぬとライフルを構えて踏み出たなら、彼に|楯《まも》られた翠亀・緑唱(スパッとしてシャキーン・h00451)は、ゴーグルに手を添えて電話を――自身の担当研究者に聯絡を取った。
「はい、センセー! せかいせーふく、してもいーいー?」
通話先がヤ兵衛ではないので話聲は聞こえないが、常識人なクラウスには判然る。答えは「NG」だ。
緑唱も研究員に諭されたか、うん、うん、と相槌を置いた後に回線を切ると、良い返事を待つ道化に|頭《かぶり》を振って云った。
「ゴメンね、じょんずーさん。センセがダメだって」
「まぁそうなると思う」
「こんごのご活躍をお祈りもーしあげます? なんだって」
「実質のお斷わりだね」
澱みないソプラノが「NO」を示し、淡々としたテノールが短く言い添える。リズムや良し。
|兩者《ふたり》の瞳の色にも表れる内定の辞退を認めたジョン・ドゥは、|否早《いやはや》と口元に苦笑を湛えて間もなく、|炫燿《ギラギラ》と邪光を増す結晶を放った。
『わたくし、皆樣と共に悪事を働ける事を樂しみにしていますよ?』
流石はプロ人事、これだけの逸材を見て諦めはしない。
結晶が鋭い放物線を描いて迫る中、妖しく|迸發《ほとばし》る光に烱瞳を眇めたクラウスは、素早く銃を構えて射撃ッ! 彈ァンッと一發、結晶が空中を走る間に軌跡を手折る。
「どれだけ期待されようと、俺は怪人になる|意志《つもり》は無いから」
『アンデパン団で活躍する姿を想像してみて下さい! 怪人化した貴方は素晴らしいでしょう?』
「悪側から見れば、そうかもしれないけど。それは俺じゃない」
誰かを救う爲に戰うクラウスは、その誰かが「悪」でない事を佳く理解っている。
ジャグリングをしながら結晶を投げつける道化に|對《たい》し、その不規則な軌道に合わせて射撃と投擲撃を使い分けながら疾駆した彼は、雪の牽制球に道化が体勢を崩しざま投げた結晶をベアハンドキャッチ! 橫ッ飛びに腕を伸ばし、摑んだ右掌で怪光を搔き消した!!
『おおっ、なんと華麗なクイック! 悪の組織がアレでしたら、道化のアシスタントから始めませんか!!』
時にジョン・ドゥは拍手喝采!
優れた才能を心から褒め称えんと、ジャグリングを止めて手を叩くのだから、暗器のカードを取り出したクラウスの方が追撃を躊躇ってしまう。
「何と言うか、上から下まで憎めないなあ……悪の組織なのが勿体無い気がする」
『憎悪は無いと!? では是非ともアンデパン団に!!』
「|否《いや》、人々に迷惑を掛けた事は|相應《それなり》に償って貰わないと」
『なんという一本気!!』
幾ら勸誘されようと、|返事《こたえ》は搖るがずNO!
手首から|繊指《ゆび》にかけてスナップを利かせたクラウスは、道化の手が止まった隙にカードを投げ入れて結晶を破壞! 個数を減らした瞬間にみっともなくお手玉をする道化を晒し、スマホを向ける市民らをドッと笑わせた。
『これはお恥ずかしい失態を! 然しわたくし、お客樣方に必ずや悪堕ちを披露してみせましょう!』
而して道化は失敗しても、實に堂々としている。
瞬く間に怪人化結晶をトランプに變えたジョン・ドゥは、IT'S SHOWTIME!! 紅い王や黃色の女王を躍らせると同時、(:D)の刻まれた雪像を根本から折り、傍に居る緑唱を下敷きにせんとした!!
『さぁ悪に堕ちるのです! 今すぐ怪人化すれば、こんな雪像など――!』
「――斬るわ、全て」
『そう! 全てを斬ることが……えぇっ!?』
緑唱の鈴音が凛冽を帯びた瞬間、少女めがけて傾いた雪像がスパッと兩斷される。
好きなアニメのキャラクター、劍士「イヌビスさん」の聲マネをした緑唱は、音にした擬音の通りに|切斷《スラッシュ》! 次いで二つに分かれた雪塊が空中でスパスパスパッと亂切りになる中、ニッと小気味良い咲みを湛えてポーズした!
「よーっし! 喧嘩ごっこだ!」
『そ、そんな|遊戯《ごっこ》で戰えるのですか!? 悪の組織は怖くないと!?』
「うん。センセとユニコーン仮面樣が『行っておいで』って言ったから、なんとなーく?」
道化はヒーローから戰意を奪うのを得意とするが、抑々「あそびにきた」緑唱は戰う理由を持たぬ。
取り上げるモノが無ければ失うモノも無く――ケロリとした表情をした少女は、此處に來た一番の目的である「雪遊び」を滿喫すべく、足元の雪塊を兩手いっぱいに集めて走り出した。
『ちょ、お待ちなさい!? お嬢さん何をするのです!?』
「もーいっかい、滑り台つーくーるー!」
『わたくしは貴女をアンデパン団に……あっもう居ない!?』
遊びたい盛りの緑唱は、道化も驚くレベルでイリュージョン!
気付けばトランプの届かぬ位置で|和々《にこにこ》と滑り台を作っており、ジョン・ドゥの四つの眼を白黑させるのだった。
『いやぁ皆さま素晴らしい! 是非アンデパン団に來て頂きたいものです!』
ヤ兵衛は慥かに逸材を見出した。
√能力者の|登庸《とうよう》を閃かせた二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)を見るにつけ、また立派にヴィランをやってのけた赤星・緋色(フリースタイル・h02146)を見るにつけ、プロ人事の烱眼は勸誘に燃える。
然し肝心の二人は、ハイクラスのダイレクトスカウトにも餘り興味を持たぬ|樣子《よう》だった。
「いや、うーん……生活困窮者の爲の求職活動でしょ? 俺、特にそんなんでも無いし……」
「うん? 悪に堕ちるっていうか、私、別に正義じゃないし。暇だったから來ただけだよ?」
利家は猫耳の後ろあたりをボリボリ、緋色は小首を傾げて、ことり。
兩者が揃ってイマイチな反應を示したなら、ジョン・ドゥは其も慣れているとばかり笑みつつ、ジャグリングしていた怪人化結晶を眞上へポーン! 一際高い位置に投げて妖光を放出させた。
『ええ、最初は皆さん慣れぬ職場に戸惑われますが、そこは管理職が丁寧にフォローします!』
「管理職って」
『ヤ兵衛です』
「ワニ君かー」
上空から怪光線が降り注ぐや、踏み出て盾となる利家。
右掌を翳して怪人化光粒子を遮った彼は、そのまま腕を突き出しながら疾駆すると、高度を上げたが故に隙の生じた道化の懷へ一気侵襲ッ! 開いていた掌を握って撲り掛かった。
「俺は出來る限り中立中庸で居たいから。悪堕ちは遠慮しておこう」
『フフフ、まぁ資料を御覧下さい』
「! これは……トランプと思ったら怪人のトレカ!」
右拳が捉えたのは道化でなくカードの奔流!
見れば其の裏面には、アンデパン団の組織概要や企業風土、アジトの住所などが記されているが、項目は全て「ヒミツ」と記されて黑塗りにされている。
また足元に零れたカードの山に|UR《ウルレア》のアンデパン団長を見つけた利家は、「社外祕」と書かれた仮面を被る姿に小さく溜息を添えた。
「……悪の祕密結社がそう安々とオープンに出來ないのは分かるけど……転職を考えるならせめて通勤の便とか知りたいよね」
『最寄りの駅から徒歩3分です』
「そこか! シャイニング式延髄斬り!!」
『グワーッ!』
折角イリュージョンを成功させたのに、聲を発するとは愚かなり。
直ぐさま音の方向を辿るように飛び掛かった利家は、ジョン・ドゥが邪玉を楯と差し出すより迅くラウンドハウスキック! 笑顏の貼り付いた道化の面を蹴り拔いた!!
「|立身出世物語《サクセスストーリー》は望む処ではあるんだけど……そこのワニ君みたいな使いっ走りはね」
『ッ、ッッ!! この爆発的瞬発力……欲しい……!』
道化がエアダンスチューブマンの如く衝撃に仰け反る一方、遠くではヤ兵衛が心の|衝撃《ショック》を受けて倒れる。
『……そんな、パシリだなんて……』
雪床に顏を埋めた彼は、明日は会社を休もうと決意するのだった。
「――あ、私わかっちゃった」
時に、道化が無数のカードに変わる瞬間を捉えていた緋色が、ポンッと手を打つ。
成程、雪まつりにボディスーツ軍団にワニ、そして今見たマジックショーと、『餡でパン団』は愉快なサーカス団だったのだと|合點《がてん》を得た少女は、利家が道化を引き付ける間に滑り台のスロープを上ると、「A」の頂上で堂々胸を張って云った。
「ふははー! 悪堕ち、怪人化! できるものならやってみるがいい!」
バーン! と漫画めいた擬音のテキストと|効果音《エフェクト》、そして|集中線《フラッシュ》を背負って再登場する緋色。カッコイイ!
世界中のキッズ、そして悪の組織の構成員なら誰もが憧れる登場シーンを見せた少女は、周囲からスマホを向けられる中で「とうっ」とジャンプ! 素で感嘆する道化の頭上めがけて飛び降りざま、凶器を振りかぶった!
「腕が沢山あると便利だよね。壞せる部位が沢山あるんだから」
『いやぁ見事な悪役ムーヴ! ……で、それは如何云う?』
「? そのまんまの意味だよ?」
六本の腕を合わせて拍手していたジョン・ドゥは、刹那、ご丁寧にもモザイクのエフェクト(配慮)に包まれた凶器が、我が腕の一本を破斷する光景に時を止めたろう。
ひとつ命中を得て勝手を知った緋色は、もう一本を強請るように凶器をブンブン! 少女の矮躯ながらアクロバティックな挙動でダイナミックに、間合を詰めて攻める、攻める、攻める!!
『ッ、ッッ……こうも|接近《ちかづ》かれてはカードもばら捲けず……!』
「回避しにくい攻撃はね、相殺するか|命中《あたら》らないよう素早く動くか――あと視界内の敵しか攻撃できないなら、見えない所と隱れる技能で対策できるって私が言ってた」
『っっ……まさに、天賦の才……!!』
せめて目眩ましが出來れば、緋色の「戰う理由」を喪失させられるのだが、「暇だから來た」少女は時間がなくなっては大変と、猶のこと凶器を振り回して腕を壞しに掛かる。
「18日もぐうたらできなくなっちゃうなんて、ぜったい無理!」
而してこの決意は削れず――ジョン・ドゥは部位を失うより先、道化として大事な笑顏を失せていた。
「――ふむ」
嘗てシェークスピアはロミオの溜息を大空に湯氣と立ち昇らせ、そして今、道化の怪人は黛・巳理(深潭・h02486)の深く長い溜息を白い蒸氣と變えさせた。
慥かにヘッドハンティングは違法で無し、敵方の戰力を削ぐ上でも剴切に違いないと理解を得た彼は、然し、納得は出來ぬと首を橫に振って云った。
「優秀な人材を求める姿勢は好ましい。然し、泉くんをあんな所で働かせるなど僕は認めない」
「大丈夫だよ、先生。今の三倍のお給金が出ても転職しない自信ある」
冷嚴と告ぐ巳理の隣、泉・海瑠(妖精丘の狂犬・h02485)は『まゆずみメンタルクリニック』を辞めて他所に行く|意志《つもり》は「毛頭無い」とキッパリ。
彼は既にアンデパン団に関して深く考える事を止めており、まぁ、ポジティブなのは良いことだと、不毛な勸誘に長所すら見つけてあげている。やさしい。
而して其の一縷と濁らぬ音色を聽いた巳理は、首肯を挟んで言い添えた。
「才能ある君が行くなら、もっと良い所がある。――が、君が他所へ靡く心配はしていない」
「うん。今の職場、好きだしね」
「噫、僕はあれほど間拔ではないし、君だって僕の方が好きだろう?」
「……え!? そ、そりゃあ先生も……す、好きだけど……」
淡然と語尾を持ち上げる巳理に対し、海瑠は面映ゆげに頬を|紅潮《いろざ》して。
一氣に胸が早鐘を打つのを自覺した彼は、何故だかムズムズする口元を手の甲に隱しながら|變身《Claochlaím》!
年の頃は18歳くらい、そして今よりやや小さめの自分に姿を變えると、其によって上昇した隱密性でカードの乱舞輪転を搔い潜り、また飛躍した俊敏を以て道化の視線を泳がせた。
「扨て、目眩ましになるのはどっちかな?」
『な、なんと……わたくしのトランプ・イリュージョンを逆に利用するとは……!』
畢竟、言葉が通じぬ相手には物理で示すが早かろう。
ジョン・ドゥがカードを投げた先、身を刻まれた雪像が海瑠めがけて次々と倒れ掛かるが、暗い影に覆われた彼はその場で華麗なメス捌き! |燦《キラ》と刃光一条を走らせて須臾、雪像を素早く解体してのける。
その|微《うす》く切られた雪片が、若き海瑠の頬を掠める|画《え》は見事なもの。
「――なんと愛い」
彼の戰いぶりに淡く咲んだ巳理は、扨て雪像に悪戯をした者や|何処《いずこ》と烱瞳を巡らせると、濡羽と艶めく前髮を東風に梳らせた。
「こうして勸誘を戴いたからには、返事をしなくてはならないが……」
刻下、白磁の繊指の|擧動《うごき》に合わせて雲が流れ、瞬く間に雨が降り注ぐ。
疾く駆ける海瑠めがけて崩れる雪像を溶かすは、王水――極めて腐食性の強い細雨が降り注ぎ、敵味方を区別する其は透明化マントを纏った道化を逃さず溶かしに掛かる。
『おおっと、手品道具を溶かされては堪りません! 退がりましょうとも』
「何処に遁げようと構わない。どれだけ高く飛ぼうと雲は貴樣の上にあり、雨は皆等しく溶かす」
『――ぁぁあっ!?』
凡そ風向きを操れる巳理に死角は無し。
雨に降られては影を隱し、|出没《あらわ》れては溶かされる――其を繰り返す裡に透明化マントをボロボロにさせるジョン・ドゥには、スマホを向ける市民も「これぞ道化」と笑いを隱せまい。
そうして四方から注がれる|喝采《やんや》の聲に笑顏を湛えた海瑠は、大きく聲を張って云った。
「そっちがその気でもオレの方がお斷り! オレは先生と一緒に仕事したいの!」
「分かっている、泉くん。僕も君と仕事がしたい」
悪の組織への転職は無用!
どれだけ人材用件がマッチしようとスカウトには「應じない」と海瑠が告げたなら、巳理も愈々雨脚を強め、道化の接近を阻んでいく。
「それにオレたち2人セットで引き拔きとかもナシだから!」
「噫、当医院を頼りにしてくれている人々を裏切る気など、微塵も無い」
多分にこのアンデパン団とは「同じ方向を望む」のではなく、「真ッ向と正対する」のが良いのだ。
その最適な座標を示すよう遠近を織り交ぜた攻撃を仕掛けた二人は、神出鬼没な道化が何処にイリュージョンしようとも正面に立って|返答《こたえ》を示す。
「畢竟、縁が無かっただけの事」
「さぁどうぞお引き取り下さい!」
而して須臾。
絶えず降り注ぐ雨の下、透明化マントを失って影を暴かれた道化は、神速で侵襲したメスによって腕一本を切除されるのだった。
敏腕のプロ人事、ジョン・ドゥのスカウト成功数は現時点でゼロ。
就活生も六社から不採用となれば心にくるが、六人の√能力者の引き拔きに失敗して|焦燥《あせり》を抱き始めた道化は、七人目の皮崎・帝凪(Energeia・h05616)が耳を傾けた時、それはもう喰らい付いた。
「うむ。ならば一旦、話を聞いてやろう! 寛大なる魔王は門前払いをしない!」
『えっ良いんですか!? やったぁ!』
「それぶつけられたら痛そうだしな!」
雪玉より遥かに硬そうな結晶を一瞥し、泰然と答える帝凪。
転職するなら組織の事を詳しく知る必要があると首肯を置いた魔王は、道化の面をビシリと指差して云った。
「それで、アンデパン団のアピールポイントは?」
『はいっ、一人ひとりの怪人化を全員でサポートする、アットホームな悪の組織です!』
「成程。では俺が怪人化したなら、この美しい顏はどうなる?」
『實にクールでアヴァンギャルドな感じになるかと! ですです!』
流石は王の氣風を備えた帝凪。採用される側なのにイニシアチブで人事を上回っている。
質問する毎に烱瞳を鋭くした魔王は、モノクル越しに|瞳光《ひかり》を投げて言った。
「では最終質問を。――怪人って正直、燃費悪くない?」
『|否早《いやはや》、ご経験者でしたか! 組織では激しい損耗をカバーする福利厚生も充実しておりますよ!』
「…………良いだろう、貴樣の誘いに乗ってやる!」
胸元から雄々しく掌を翳し、五指を上に向けて怪人化を約束する帝凪。
|今日日《きょうび》初めて勸誘に成功したジョン・ドゥは歡喜のガッツポーズ! この勢いに乗じて八人目のスカウトに乗り出さんと、透明化マントを纏うや鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)の正面に姿を現した。
『さぁ、お嬢さん! 貴女もアンデパン団のメンバーになりましょう!』
怪人化結晶を手に迫った道化は、多分、時の猶予は想定してなかったに違いない。
瞬く間にイリュージョンして怪光を放つ|心算《つもり》が、その手を妖懐刀『狼爪』の|鐺《こじり》に止められたジョン・ドゥは、眞直ぐに差し出た鞘の向こうで心苦しく|微笑《わら》う花顏にこそ時を止められた。
「いや~、有能なのにお應えできず申し訳ない!」
『ッ、ッッ!』
「實力を見込んでのお誘いは恐縮ですし、待遇面も気になりますが……わたくしめ、私立妖怪探偵という名の個人事業主ですので! 謹んでお斷り申し上げます!」
既に職を有していたか、とか。
この時期は確定申告で忙しかろうとか。
常なら会話の繋ぎに多くの言葉を有していたであろう道化は、目下に拔かれる小刀の光に照りあがる白皙に|慄然《ゾッ》としたろう。
「お気持ちだけ頂戴致しましょう!」
(『ッッ、|迅速《はや》い――!』)
畢竟、えのは彼奴もまた執拗な歡誘をすると読んでいたのだ。
必ずや「來る」と構えていれば、咄嗟に凌ぐ事は出來ようと射線に鞘を差し入れた佳人は、道化の腕と十字を結んだ状態から拔刀し、刃光一閃ッ、怪人化結晶を眞二つに斬ってみせる。
その鋭い切口に喫驚を兆したジョン・ドゥは、然し二つになった結晶を片手でジャグリングすると、もう片方の手でマントを翻して消えた。
『フ、フフ……矢張り素晴らしい才能。悪の組織は副業も可能ですから、もう少しお考えを!』
諦めきれぬとばかり不敵な嗤笑を残して引き下がる道化。
この時、ヤ兵衛は遅まきながら広報グッズの怪人カードを配り、アンデパン団の組織概要の説明に代えるのだった。
『あの、裏面にアンデパン団の事が書いてあるんで』
「うむ。これも|迂闊《ウッカリ》と云うべきか……報告其の他が機能しておらぬのう……」
後出しで悪の組織の詳細を知る事となったツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は、哀しき哉、何處の世も人手不足というのは|真實《ほんとう》らしいと|頭《かぶり》をふるり。
而して蘭麝の髮を搖すった麗人は、艶はじく前髮の間から透徹の|瞳光《ひとみ》を覗かせると、宛ら極樂の蓮池のふちを|漫歩《そぞろある》く釈迦の如く、ゆったりと雪床を歩き出した。
「――然しながら、良き同勢であれば|斯《ああ》も強引に呼ばずとも、自然と人は集うもの」
快い音色に耳が傾くように、アンデパン団も優れていれば人材は集まる。
然し此れほどの強硬に出ずして集められないとなれば、矢張り、これも噂に聞く「ぶらっく」であるに違いないと――花瞼はスッと眇められる。
『おや、我がアンデパン団に瑕疵があると?』
「|悉《みな》まで言うまい。唯々お察しあれ、という事よの」
この時、えのの斬撃から逃れて透明化していたジョン・ドゥが「聞き捨てならぬ」と姿を現すが、ツェイは眼眦に一瞥を呉れるだけ。
まだ己の番ではないと交睫した彼は、流眄を注ぐ先――怪人化した帝凪が【|虚塔の行進《デスマーチ・レディオウェイブ》】を繰り出す瞬間を聢と見届けるのだった。
†
「さぁ、これで貴樣の望み通りだ! 怪人態を人目に晒すのはほんとうに好きではないから、相應の犠牲は支払って貰うぞ!」
『なん、と……美しい……!!』
ジョン・ドゥが思わず見惚れたのは、嘗て悪の組織に属していた帝凪の電波塔怪人形態。
目下、自身の腦と融合した装置から洗腦の聲が響くが、其も「慣れている」と堪えた帝凪は、超音波の指向性を道化の一点に結んでブレス放出!! トランプの嵐を連れて現れた瞬間を楔打つ!!
「悪堕ちだのなんだのと……俺は俺の|研究倫理《せいぎ》にしか從う氣はない!」
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!』
「これまでも、これからもだ!!」
餘程|魔王《かれ》を飼い馴らせまいとは、頭が割れそうな程の衝撃で理解ったろう。
強烈な電磁波によって怪人化結晶を砕かれたジョン・ドゥは、腦を搔き亂されるような痛みに|蹌踉《よろ》めくと、有能な√能力者達に再たも侵襲の時を許す。
「さあさあ、追撃と參りますよ~!」
『ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛……っ!!』
然う、えのだ。
透明化マントで消えるのは「姿」のみ、気配まで完全に消せる者はそう居まいと、「何者でもない男」の悲鳴や足跡を辿っていた探偵は、ここぞと見定めた座標めがけて【秋雨一刀術】ッ!
帝凪のブレス攻撃に被せるように『狼爪』を走らせ、正に裂帛、透明化マントを斬り裂いた――!!
『この位置、このタイミング……全て読まれていたという訳ですか……!!』
「ええ、日頃から中々姿を見せない猫さん方を相手にしているわたくしめを侮らないでくださいまし!」
『猫さんを……ならば勝てませんか……!!』
跫音すら立てぬ猫を辿るなど、道化でも敵わぬと思い知らされたか。
透明化を封じられたジョン・ドゥは、次撃、手首を滑らかに動かして繰り出る神速の斬撃を受け取り、激痛に歪む道化の面を|外見《みっとも》なく晒してしまう。
「――扨て、跳ねて遁げるなら今頃であろうか」
而してツェイは|狩猟《かり》の準備も万端。
透明化マントを無くした今、足を使うしかあるまいと読んだ麗人は、今が頃合と花火をドッカーン!
火種を散らす『禍伏符』を仕掛けた氷城を爆破し、道化が最初に降り立った足場を雪の切片と變えた。
『わ、わ……わぁああ嗚呼!!』
「はは、然う動いては絡め取られよう。蜘蛛の絲は餘ほど“餌”を逃すまい」
そして仕込みの序に巡らせた靈糸が網となって道化を捕まえたのも、この|瞬間《とき》。
すっかり遁げる足を奪われたジョン・ドゥは、實は違っていた「A」を記した――謂わばアンデパン団の「看板」たる雪像までもが次々と壞れる画に、愈々敗北を悟ったか知れぬ。
「さあ、もう花の季は近い。雪祭りもそろそろ仕舞いにせねば、のう?」
|季祭《まつり》の|終焉《おわり》を告ぐは、春を呼ぶ東風――いや、猛然と吹き荒れる熱風!
瀲灔と舞える六華氷片を熱風に攫い、眩く煌く光彩と躍らせたツェイは、風の勢いはその儘、目を皿のようにしたヤ兵衛と仮面軍団、そしてジョン・ドゥを天高く吹き飛ばしてキラリ☆ 別れのシルエットを投影させた後、すっかり拔けた靑空を広げる。
その澄みやかなる色は、正しく春の到來を思わせる美しさであった――。