銀雪のショコラ・フィユ
ありがとう。だいすき。おつかれさま。げんきをだして。
雪のように溶けてしまうけれど、そのひとくちが誰よりも幸せでありますように。
蕩ける甘さに、想い込めて――あなたは、どんな魔法を掛ける?
✧ ✧ ✧
冒険王国『カトルヴェア』――現れては消えていく四季の|夢《ダンジョン》のそばにあるその街は今、チョコレートの香りで満ちていた。
首都の郊外にある、森を思わせるほどに緑豊かな公園に愛らしく佇むのは、ショコラトリー『|Chocolumé《ショコルメ》』。
冬でも穏やかな緑に色づく|蔦《アイビー》に程良く飾られたチョコレート色の煉瓦造りのその一軒家は、Bean to Bar――|カカオ豆《ビーン》から|板状《バー》になるまでの、買いつけ、焙煎、そして製造に至るまでの一貫作業を担う魔法のチョコレート専門店だ。
その店で今の時期だけ“特別なチョコレート”を作れるのだと、星詠みの子狐たるヴァロ・アアルト(Revontulet・h01627)は声を弾ませた。
「その『雪解けショコラ』は、その名の通り“雪”をモチーフにしていて……色や味、フレーバーも形も、自由に選べるんだそうですよ」
雪解けショコラ。
食んだ瞬間に蕩けてゆくほど口溶け滑らかなそのチョコレートは、味だけではなく見た目も美しい。
透明感のある艶を纏うそれは、色もまさに様々だ。冬や雪に似合う白や青系を始め濃淡含めた多種多様な色が揃っていて、どれも自然素材用いて魔法によって色付けしたものだという。勿論、敢えて色をつけず、素材そのままの風合いにするのも一興だ。
そこにひと味加えられるのが、フレーバー。
キャラメル、珈琲、ベリー系や柑橘系を始めとした果実類とチョコレートは相性抜群だし、シナモンやターメリック、山椒などのスパイスや塩なども隠し味にぴったりだろう。それぞれの芳潤な香りは、チョコレートを味と香りで愉しませてくれるはず。
それらのベースとなるチョコレートは、王道のスイート・ビター・ ダーク・ミルク・ホワイトのほか、ルビーやブロンドといった珍しい色からも選ぶことができる。
形は、数種類の雪の結晶のほか、牡丹雪のような球形や雪の元となる雨にちなんで雫形も揃っている。
雪の結晶の種類は豊富で、扇状、広幅六花、樹枝やシダ状六花、樹枝六角といったよく知られた形以外に、柱状の六角形――角柱もある。
大きさも、一口サイズから掌サイズまで。小粒のものを複数並べるのも良し、とっておきのひとつを決めるのも良いだろう。
「お好きな組み合わせを選んだら、ショコラティエさんがその場ですぐに創ってくれるんだそうです」
魔法に長けた彼らが生み出す、世界でただひとつのチョコレート。
硝子で仕切られたオープンキッチンとなっている工房の、まさに燦めくマジックのような調理過程を眺めるだけでも胸が躍りそう。
「完成したチョコは、店内で食べても良いですし、プレゼント用に包んでもらうこともできますよ」
店内で愉しむなら、白い雪の結晶柄が鏤められた硝子の平皿に並べられてサーブされ、プレゼント用ならば専用の箱に詰めてくれる。
立方体、直方体、ハート形などのほかにも、宝石箱やリングケースを思わせる箱まで。形はもとより色も各種取り揃えられているから、チョコレートと同じく選ぶ愉しさがあるだろう。
「ただ、そのお店からすこし奥へと行ったところに新たなダンジョンが出現しちゃって……このままだとお店の方も安心してお仕事できないので、そちらの対処もお願いできると助かります」
ダンジョン内部は、まさに雪原。
足許に広がる雪も、ちらちらと降り続ける雪も、√能力者であればさしたる障害にはならない。雪遊びを愉しんでいれば、自ずとボスのもとへと辿り着ける。
ボスの名は『キャラメリゼ・フランベ』。キャラメルの香ばしい匂いを纏った少女は、このダンジョンとは裏腹に炎を操る簒奪者だ。彼女を討伐すれば、ダンジョンも自ずと消滅するだろう。
「……説明してたら、キャラメルフレーバーのチョコが食べたくなってきました……。ささ、まずはお店に行きましょう!」
ぴこぴことご機嫌に白銀の狐耳を揺らしたヴァロは、そう言って花のように綻びながら手招いた。
第1章 日常 『竜と冒険と甘いスイーツ物語!』

●甘やかな優しさの中で
”四季渡る喜びの夢”――その名を冠する『カトルヴェア』は、別名花の王国と呼ばれるように、清涼な冬を迎えた今も街の至るところが花で溢れていた。
花壇に咲くのは、愛らしい紫のビオラや白く可憐なノースポール。路に面した窓辺にはピンクのネリネが飾られ、庭木のローズマリーの薄青が柔く風に揺れている。
その彩と香りに誘われるように郊外の公園を歩いていた東風・飛梅(あるじを想う霊木・h00141)は、ようやく見えた煉瓦造りの可愛らしい家――『|Chocolumé《ショコルメ》』の扉をゆっくりと開けた。忽ち、ふわりと漂うチョコレートの香りが胸を満たす。
歓待の声に出迎えられながらカウンターの前に立ち、飛梅は早速注文を伝えた。
(せっかくのバレンタインだもの。チョコレートを作って、味わって……あとは、お世話になっている人への贈り物も……)
選んだ形は、美しく花開いた広幅六花。ホワイトチョコレートをベースに淡く紅で色付けし、持参した梅ジャムを加えてもらえば、どこか白梅を思わせる特別な一品の完成だ。
店内のソファで待っていると、暫くして柔らかな木目のテーブルのうえに待望のチョコレートが運ばれてきた。透いた硝子皿に並ぶ薄紅ショコラはまるで水面に浮かぶ白梅のようで、その繊細さについ見入りながらも、そっと指先でひとつを取り口へと運ぶ。
「ん……、美味しい……」
含んだ瞬間に口いっぱいに広がる、蕩ける甘さ。続く梅ジャムのとろりとした食感と甘酸っぱさを、ホワイトチョコレートが柔らかに包み込み、梅の香りがほんのりと余韻を残してゆく。
「これは……あるじ様だけじゃなく、旅団のお友達にもお土産にしたくなっちゃうわね」
学び舎の教師たる大切なAnkerや友人たちを想いながら、もうひとつぱくりと食んで。甘やかなひとときに浸りながら、飛梅は花のように綻んだ。
「さてと……どんなチョコにしよう?」
世界にひとつだけのチョコレートの誕生を、その場で見届けられるなんて――そう考えただけで高鳴る胸を抱きながら、望月・翼(希望の翼・h03077)はそう独り言ちた。
ぴとーっと寄り添うようにその肩に乗っていた佐久良・スイ(かぎしっぽの「さくら屋」店主見習い・h04737)も、形の良い鼻をすんすんと鳴らしてひとたび息を吸い込むと、忽ち胸をいっぱいに満たしてくれる濃厚な甘い香りに愛らしい猫口を益々緩ませる。
「たすくくん。ねここ、このいいかおりだいすきよ!」
「……って、スイちゃんはチョコ食べちゃダメなんじゃ……」
「え、たべちゃだめなの?」
怪訝そうな声音で翼が言えば、眼を見開いてがびん顔をしたスイだったけれど、続く「猫にチョコは毒」なる少年の言葉にむふんと得意気な顔を返す。
「ごしんぱいはごむようよ、たすくくん。ねこはだめなら、にんげんになればいいのよ。だって、ねここは、どろんできるもの!」
もふもふの胸毛を張って、幸運の象徴たる鍵尻尾をぴんと立て。自信たっぷりに言い切れば、「そっか、化術ってこういうとき便利だよね」と翼もくすくすと笑みを洩らした。
硝子のショーケースに並べられている、乳白色から焦茶へと幾種類ものチョコレートたちが織り成す美しいグラデーションは、眺めているだけでも心が躍る。
「お世話になってる『さくら屋』の人たちへ贈ろうと思うんだけど、スイちゃんのお勧めってある?」
「ねここはね、みるくいろの、しだじょうろっかがいいの!」
器用に肩に乗ったまま、片手をびしっと伸ばして|手《指》差すスイ。その青い双眸の先にある彩と形をじっくりと眺めてから、翼もこくりと頷く。
「ミルクチョコの、シダ状六花……これか。うん、いいと思う!」
「みんなのもおんなじかたち!」
おばあちゃんは、るびーいろのべりーけい。
ぼうくんは、だーくちょこにしなもんよ。
たすくくんはこーひーね?
そう淀みなく言うスイの声に合わせて、さくら屋の面々の姿が脳裏を過ぎる。蘭おばあちゃんと、望。同居人で済ませるにはほんのり近くて、大切な人たち。
「そうだね、オレも同じ形の珈琲のビターにするね」
同時に過ぎった別の面影を振り払うように、自分の思考に声を重ねた。
片割れたる主人格と、その家族――主人格も含めて、翼にとっては今もなお彼等が“家族”だ。
誰も己の存在を知らなかったけれど、共に居られればそれだけで十分幸せだった。だからこそ、彼等を護るためにそのかけがえのない居場所を手放した。このどうしようもないほどの淋しさも、自分だけのもの。後ろ髪を引かれるであろうことは、家を出る前から容易に察しがついていた。けれど、まだ慣れない。慣れやしない。
「……たすくくん。だいじょうぶ」
さみしくないわ、ねここもいるもの。
そう言って、スイがぽふんと柔らかな前脚を翼の頭に乗せた。鍵尻尾と身体を傾け、影の残る横顔へと寄り添う。
「……うん、ありがと」
ふうわりとした毛並み越しに伝わるぬくもりに、少年の口許も淡く緩む。静かに一度瞼を伏せてから、ゆっくりと吐き出した息とともに金の双眸をスイへと向けた。
「それじゃ……チョコ、創ってもらいに行こうかな」
「そうね! たすくくんとちょこなの!」
渡せばきっと、素敵な笑顔が見られるから。
スイの言葉へと笑みを返すと、翼は店の奥にある|夢創りの舞台《オープンキッチン》へと向かって歩き出した。
無意識に周囲からの距離を取りながら、様々な風合いの板チョコレートが並ぶショーケースを横目に、白椛・氷菜(雪涙・h04711)は憂いを滲ませた藍色の視線をメニューへと落とした。
「んー……白色でミルクチョコにして……あ、大変ならホワイトチョコでも大丈夫よ」
ほかの|彩《いろ》も綺麗だけれど、雪女を|起原《ルーツ》とする身ならば、やはり雪を思わせる白が良い。それが贈り物ならば、尚のこと。
「それと、香りはオレンジのフレーバーで、形は……樹枝六花も良いんだけど……広幅六花が良いかな」
こういう感じの、と添えながら氷菜が軽く掌を広げると、忽ち浮遊する氷の粒子たちが密集しながら形を作り始めた。すぐに現れた掌サイズの繊細な結晶を見せながら、「一口サイズの小粒で、小箱に詰めて欲しいの」と手短に希望を伝える。
「箱の形はいかがいたしますか?」
「うーん……なら、白い立方体の小箱で……ワンポイントに青か緑があると良いな。あ、外のアイビーみたいな蔦模様とか」
最後にそれを青いリボンで飾りつければ、|公園と建物《こんなにも素敵な場所》で生まれた世界で唯ひとつの贈り物の完成だ。
|私《・》が雪の結晶チョコを贈るのは、とてもそれっぽい。
けれど、あの人は喜んでくれるだろうか――ふと過ぎったそんな不安も、すぐ傍らのオープンキッチンでオーダー通りのチョコレートを創り始めるショコラティエの姿を見れば、じんわり雪のように溶けていった。
材料をすべて混ぜ合わせた白いミルクチョコレートの入ったボウルを手にしていた菓子職人は、それを魔法でふわりと宙に浮かせると、くるくると弧を描くかのように指先でチョコレートを繰り始めた。次いで現れた水色の魔方陣のうえで丁寧に細工を施せば、ひとつ、またひとつとちいさな結晶が生まれてゆく。
燦めきを帯びながら展開される制作過程は、まるでマジックのよう。これを魔法が生み出した奇跡と呼ぶならば、あの人も歓んでくれるだろうか。
「――お待たせいたしました。こちらが商品となります」
「ありがとう」
青のリボンの掛けられた白い小箱の入った紙袋を受け取りながら、透明な声で礼を添えて。
受け取ってくれるといいな――そう仄かな想いを裡に抱いて、氷菜はゆっくりと店を後にするのだった。
明るい木目の美しいラウンドテーブルに集った結城家の面々は、白磁のカップに注がれたカフェオレの香りに包まれながら、できあがったばかりのチョコレートを取り出した。
4人でチョコレート交換をしよう――その提案に乗ってそれぞれが創った品の入った箱を手に、まずは結城・凍夜(雪の牙スノーファング・h00127)が口火を切った。
「私からは雪菜さんへ、こちらを。甘いの好きですよね」
「えへへ、凍夜ちゃんからだ~。うん、甘いの大好きだよ~」
箱を開ければ、忽ち溢れてくるのは柔らかなチョコレートと甘く香ばしいキャラメルの匂い。掌サイズの箱のなかに、艶を帯びた広幅六花の大輪ひとつが咲き誇っている。
「わ、白くて大きなチョコレートだね。中はキャラメルフレーバー?」
「はい。雪菜さんをイメージして、ホワイトチョコでコーティングしてもらいました」
そう言って眼鏡の奥の眸を細めた凍夜へと、雪菜・リリー・ヘヴンズフィール(天の杯ヘヴンズフィール・h03356)の白いロップイヤーもぴこりと跳ねた。微睡みを帯びた金の双眸が、幸せに緩む。
その雪菜が選んだチョコレートは、土岐野・仁美(結城・凍夜のAnkerの定食屋「ときの」看板娘・h02426)の手許へ。
「いつも美味しいご飯をありがとう、仁美ちゃん。えへへ、ひとつに決められなかったから、いっぱい入れてもらっちゃった♪」
「こちらこそありがとう、雪奈ちゃん。……まぁ、うふふ。とってもカラフルで、かわいいチョコたちね」
箱の中身は、幾つもの|彩《いろ》の、ちいさくてまあるいチョコレートたちが綺麗に並べられたアソートだった。雪奈の好きな色が詰まったそれは、まるで夢の玩具箱のよう。
「一粒一粒がキラキラしてて、とってもきれいでしょ?」
「ええ。一つずつ、大切に味わって食べさせてもらうわ」
見目だけではなく、ルビーやブロンドなどの上質な素材は、忙しい日々のちょっとした休息の癒やしとなること間違いなし。あっという間に食べ尽くさないようにしないと、と内心苦笑を滲ませる。
「氷華ちゃんへは、わたしから……サンプルの雪の結晶を見ていたら、これが一番星に見えてね」
「一番星……? ――あ、凄い。本当に金色のお星様みたいね!」
惹かれるままに結城・氷華(結城・凍夜のAnker~従兄の子でローカルアイドル~・h05653)が視線を近づければ、美しい六芒星からふうわりと優しいオレンジフレーバーが香る。艶出しされて灯りに燦めく金のチョコレートは、仁美の真心そのものだ。
「氷華ちゃんは、みんなのスターなんだからね☆」
その世界で名を馳せることの難しさは想像に難くない。けれど、真剣に夢を追う氷華の姿も知っているから。
これからも、アイドル活動がんばってね! そう馬耳と尾を揺らして微笑む仁美に、氷華もはにかみながら花笑みを返す。
「うふふ。なんだか照れるけど、すごくうれしいわ! これからもがんばるからね!」
ぐっと拳を握って眸を燦めかせたら、得意気な顔に切り替えて視線を移した先――凍夜へと差し出したのは、樹枝六角結晶のビターチョコレートだ。
「白と青のマーブル模様に、キラキラと輝く塩のトッピングつきよ。クールな凍夜をイメージしたの。どう? かっこいいでしょ?」
「ふふ、さすが氷華。良いセンスをしていますね」
「……どう、気に入った?」
「勿論。私をイメージしたチョコ、とても綺麗で素敵ですよ。美味しそうです」
箱の縁を指先でなぞりながら自然と口許を綻ばせた凍夜の様子に、氷華は更に満足気で。
「でしょ? ふふ、わたしのセンスに恐れ入りなさい♪ 味も、きっと美味しいに決まってるから!」
「じゃあ、早速食べてみない?」
「うんうん、食べよ~♪」
「ですね。雪解けショコラと呼ばれるほどの味、楽しみです」
自分のためだけに創られた、特別な一品へと胸を馳ながら。
集った4人の、軽やかな声が重なる。
――いただきます♪
「わぁ……凄いね、お姉ちゃん……!!」
「本当だね……あっ、チョコが浮いた!! 彩綾、今の見た!?」
「見た見――ちょっとお姉ちゃん魔方陣だよ! あっ、きらきらし始めた……!!」
魔法を繰るショコラティエの所作はどこまでも優雅で、硝子越しのオープンキッチン越しに自分たちのチョコレートが創られる様を眺めていた桐生・綾音(真紅の疾風・h01388)と桐生・彩綾(青碧の薫風・h01453)は、綺麗、とぽつり声を零した。
田舎育ちだった姉妹が、チョコレートに魅了されたのはつい最近のこと。そんなふたりが、この店に興味を示さないわけがない。人懐っこい笑顔でチョコレートの誕生過程を愉しんでいる横顔を隣で眺めながら、藤原・菫(気高き紫の花・h05002)の口許も知らずと綻ぶ。
(この笑顔を見ると、いつもの仕事のストレスも吹き飛ぶよ)
「「菫さん!! できたよ!! 感謝のチョコ、受け取って!!」」
綺麗に重なったふたりの声に、菫がくつくつと喉を鳴らした。ありがとう、と返す微笑みとともに、曇りのない綺麗な笑顔に添えられた素敵なチョコレートを丁寧に受け取る。
「こっちが綾音のだね。ちいさくて綺麗なシダ状六花だ」
「その方が、作業のとき気軽に食べられるかなって。チョコは、コーヒークリームとベリーを入れたダークショコラにしてみたよ!」
「それは味わうのが愉しみだ。――彩綾のは……黄色の雫型だ。ふふ、可愛い」
こちらも小粒なのは、綾音と同じ理由だろう。娘たちの細やかな気配りに、じんわりと胸が熱くなる。
「私のは、ブロンドのチョコにキャラメルを入れてみたんだ!! お姉ちゃんが果実系だしね!!」
「どちらも美味しそうで、食べるのが勿体ないな……」
「「とっておかないで食べてね!?」」
またまた綺麗にハモる声につい笑み声を洩らした菫は、ふと娘たちから向けられた真剣な眼差しに気づいて居住まいを正した。
「菫さん、いつもありがとう!!」
「あのとき菫さんが助けてくれなければ、住むところも頼る人もいなかった私と彩綾は、今日ここにはいなかった!! 何度言っても言い尽くせないほど、とても感謝してる!!」
「お姉ちゃんのいう通りだよ、菫さん! あのとき助けてくれて、本当にありがとう!!」
「……お礼を言うのは、私の方だよ」
亡くした愛娘たちと入れ違いに出逢った、綾音と彩綾。このふたりの存在に、これまで幾度救われてきたか分からない。
だからこそ、菫もまた、大切に護ってゆきたいと願う心を込めた特別な一品をふたりへと贈る。
「私からのチョコレート……受け取ってくれる?」
「菫さん……!!」
「勿論だよ!!」
そう大きく頷くと、綾音と彩綾はそれぞれに差し出された小箱をそっと両の手で包んだ。宝物を扱うように、ゆっくりそろりと箱を開ける。
白く手触りの良い箱に入っていたのは、大きく艶やかな広幅六花だった。
綾音のものはベリージャムを包んだルビーチョコレート。彩綾には柚子ジャムを包んだピンク色のスイートチョコレート。
互いの秘める素質に合わせた、可憐な花一輪。その甘い甘い香りが、胸の裡をどこまでも幸せで満たしてゆくから。一層眸を輝かせた綾音と彩綾は、溢れてくる気持ちのままに菫へと抱きついた。
「菫さん……! ありがとう!! 大好きだよ!!」
「ありがとう菫さん、大好き!!」
「あらあら、まあまあ」
ぎゅっと背に回されたぬくもりは、どこまでもあたたかで――募る愛おしさに破顔した菫もまた、その両腕でふたりを優しく包み込んだ。
「はーい、ではこれから創ってまいりまーす」
「オーダーシート通りにお作りしますが、実際に見てみた上での追加のご要望ありましたら都度お知らせくださーい」
オープンキッチンの奥に立ち、自分たちへと硝子越しに微笑んだ男女のショコラティエへと頷きながら、エリカ・バールフリット(海と星の花・h01068)は晴れ渡る大海を思わせるその眸を一層煌めかせた。
「ショコラティエさんが直々にチョコレートを作ってる所を間近で見られるなんて……中々こんな機会ってないわよね。ステキ!」
「ああ。しかも思ったよりもかなり至近距離で……確かに珍しいかもな」
――ねぇ、アカリ。お互いをイメージして作ってもらわない?
――は? 俺がお前をイメージするの? まじ言ってる?
店を訪れた直後にそうエリカから提案されたときは驚きと躊躇いもあったけれど、内心は菓子職人が魔法で生み出すという芸当にはかなり興味があった。
「すげぇ、本当に魔法みたいだな……」
実際、こうして目の前で始まった|菓子作り《マジックショー》は瞬きすら惜しいほどで、御嶽・明星(推定・暁の明星・h00689)は提案に乗って良かったと改めて思う。
「まずはお嬢さんの方。確り湯煎したスイートチョコレートを、星状六花にしてまいりまーす」
「星は分かるが……スイートチョコにしたんだな」
「最初はビター……と思ったけど、アカリって意外と甘党でしょ? だから」
知らぬところで存外見られていることに一瞬瞠目しながらも、明星は再び自分宛のチョコレートの調理過程へと視線を戻した。まるで水流のように滑らかに宙を舞うチョコレートが、ショコラティエの指先の動きに合わせて雪の花を咲かせてゆく。繊細な細工が施されていくその様は、まさに職人技だ。
「大きさはこのくらいでいかがでしょうかー?」
「あ……そうだ。金星って意外と大きいわよね? ――こぶし大とかいけそう?」
「いけるわけないだろ! お前のもこぶし大にするぞ!?」
「あ、いけますよ~いきますね~」
「いけんの!?!?」
まろやかな声音でにこにこ答えた職人に、明星が思わず反芻した。確実に一口サイズではなくなったそれへと、ふわふわと浮いていたちいさなガラスボウルがゆっくりと傾き、削ったオレンジピールが燦めきながら金に彩る。
片や、その隣で制作されているのはエリカへのチョコレート。
その名の由来となった花を思い浮かべながら選んだのは、小粒の広幅六花。幾つか集った柔らかなミルクチョコレートの花に散らすのは、フリーズドライの苺チップと結晶化した塩だ。
「ちょっと待ってアカリ……! 今、あのショコラティエさん塩入れてなかった!? エリカのイメージ、塩!?」
「塩に不満があるのか? 塩はチョコの甘さを引き立てるんだぞ?」
「まぁ、確かにキラキラして綺麗だけど……っ。……一緒に散らしてもらったイチゴに免じて許してあげるわっ」
そうして夢のような時間が過ぎて――瞬く間に完成した品を手に、エリカが感動に胸を震わせる。
「どっちも可愛いっ。食べちゃうのが勿体ない……!」
「流石に賞味期限までは魔法かかってないだろうし、食わないと腐るぞ」
そう言った明星もまた、手許の相応に大きな箱の中身を見つめて――さてどうやって食べるかと新たな悩みに想いを馳せるのだった。
折角の魔法だもの。
できあがってから、さぁ! せーの! でお披露目するのが旅団『凪鳴』らしさ。
「すごい……! これこそ、まさに皆を幸せにする魔法ですよね……!」
時間にしたら、ほんの数分。どんなショコラにしようかと悩んだ時間のほうが長いほど。けれど、自分のオーダーしたチョコレートが形作られていく魔法のひとときを堪能した月夜見・洸惺(|北極星《Navigatoria》・h00065)は、密やかに心躍らせながら、できあがったばかりの雪花が飾られた皿を大事に持って仲間たちが待つテーブルへと戻った。
「おかえり、洸惺。これでみんな揃ったの」
いよいよ始まるチョコレートパーティーに、ほわりと綻ぶ萃神・むい(まもりがみ・h05270)。「みんながどんなのを作ったか楽しみなの」と笑みを深める娘へと、洸惺も眦を緩めながらこくりと頷く。
「――さてと。じゃあ、準備は良いか?」
大きめのラウンドテーブルを囲うように座る仲間たちへと、口端を上げたハイデ・ロビカ(荒野のクーリエ・h05520)が視線を巡らせた。期待を滲ませるそれぞれの眸と視線が合えば、各々らしく返る「準備万端!」の答え。それを見留めたハイデが短く合図をすれば皆、それぞれ膝許で隠していた硝子皿をそっと取り出す。
「わぁ、どれもすてきだね!」
「皆さんのショコラ、食べちゃうのが勿体無いくらいです……!」
「みんなのチョコちゃん並べたら、キャンバスみたいじゃんね☆」
大きく見開いた眸を煌めかせたむいに洸惺がこくこくと頷き、八卜・邏傳(ハトではない・h00142)もまた大きく目を瞠った。柔らかな木目のテーブルに並んだ5つのショコラへと、皆の視線が一斉に注がれる。
「千羽ちゃんのそれは、お空?」
「そう。みんなと出会った日の、きれいな青空」
隣の席から興味津々覗き込んだ邏傳へと頷きながら、翊・千羽(コントレイル・h00734)が懐かしむように眸を細めた。柔らかな白が青に浮かぶ、薄く張った氷を思わせる繊細なチョコレート・バーが仄かに纏うのは、出逢いの風を思わせる爽やかな檸檬の香り。
「ふふ、なんだか感慨深くなっちゃいますね……」
「俺もだ、洸惺。千羽が言葉にしたり表現する空は、いつも素敵だな、と……いや、いつものことだが、改めてそう思ってな」
「千羽、ひとつ食べていい?」
窺うような視線を向ければ、爽やかな微笑みが返るから。むいは折らないようにそっと一欠片を摘まむと、口へと運ぶ。
「ん……レモンが爽やかでおいしいな。ふふ、あの日の青空のお味。すてき」
「思い出の空かぁ……うん。甘くて爽やかで、やさしい風感じるん」
倣って食んだ邏傳の裡にも、まるで清涼な一条の風が吹き抜けたような心地良さがじんわりと広がって、同じく味わい始めた面々と微笑みが重なる。
「お、こっちの雪の結晶はむい?」
「そうなの。故郷の雪景色みたいだなって思って、真っ白な雪色のホワイトチョコを、シダ状六花にしてもらったの。」
甘酸っぱいのがすきだからベリーでアクセントをつけたの、と尋ねたハイデへと柔らかに綻んだむいは、ちいさな両の手で硝子皿を皆の前へとずずいと出した。食べやすい一口サイズをそれぞれ手に取りぱくりと食めば、その名の通りとろりと舌触り滑らかなチョコレートが優しく口のなかで溶けてゆく。
「むいらしさをたくさん感じる、甘さも愛らしさも」
「うん。むいのチョコ、かわいい。全部ベリー入ってるのも、良いな。オレも甘酸っぱいの、好き。一緒だな」
「ふわっと白い雪そのものみたいで……ベリーな組み合わせも美味しいし、むいちゃん天才!」
「ですね。素敵な雪景色が思い浮かんできちゃいます。むいさんの故郷はきっと、こんな風に素敵な場所なんでしょうね」
深々と言うハイデに続き、千羽が笑って。絶賛する邏傳へと賛同しながら、じんわりと口に残る余韻を楽しんでいた洸惺が次の皿へと視線を向けた。
「わ。邏傳さんのは、春の陽だまりみたいでポカポカ素敵ですね……!」
「洸惺ちゃん、ありがとお。むいちゃんさ、俺んこと前にひだまりみたい言うてくれたじゃん? あれ嬉しかったから、俺のは陽色なチビ雪結晶ちゃんにしてみたんよ」
「え? 邏傳はむいの言葉から? えへへ、うれしいな」
ほわほわと歓びを滲ませるむいに、千羽の心も口許もほっこりと緩む。
「きらきらなチョコ、邏傳にぴったり」
邏傳の硝子皿に並ぶのは、黄色やオレンジ色のちいさな雪の結晶たちだった。一口食べれば、深みのあるビターチョコレートに潜んだ山葵の風味が仄かに鼻を抜けてゆく。
「邏傳のこれは初めて食う味! 結構んまい」
「ちょっぴ驚きあった方が楽しいっしょ?」
「はは、やっぱ何か仕込みたくなるよな」
「いい風味でおいしいし楽しいね」
「うん、楽しい、すごく」
からりと笑うハイデの向かいで、驚き顕わに瞬いた千羽が、むいや洸惺とともに甘さの海にぴりっと躍るアクセントをじっくりと愉しむ。なんて斬新な体験――これはちょっと癖になるかもしれない。
次にお目見えしたのは、洸惺の広幅六花ショコラ。
青や黄や白のマーブル模様に散る銀色アラザンはまるで冬の星空のようで、きららかな見目にまず視線が奪われる。
「洸惺のは星空だな? トッピングもきらきらしていて凄く綺麗だ」
「めっちゃキラキラしちょん。心までキラキラなるぅ」
感嘆の息を零しながら眺めるハイデに続き、邏傳も声を弾ませた。綺麗だと声を揃えて零したむいと千羽は、一粒取ってぱくりと食む。
「うん、かりかりした食感も楽しい」
「ありがとうございます……! お口に合ったようでなによりです」
「星を食べてる気持ちになれて嬉しい。星ってかりかりするんだな」
なんて、冗談なのか本気なのかわからない表情の千羽に、仲間たちの笑み声が重なって。幸せ|彩《いろ》に染まった場所で最後にお披露目されたのは、ハイデのチョコレート。
こうして皆で集うのならば、この裡にある気持ちを――出逢いへの『感謝』を伝えたい。そう抱きながら創ったのは、春の花を思わせる小粒の雪結晶たち。
「ハイデのはお花畑みたいでかわいい」
「ええ。本物のお花畑みたいに綺麗ですね」
「良かった。並べたら花畑みたいで可愛らしくなるかと思ったんだ。彩りも楽しめるようにしてもらった」
「うんうん。雪解けに現れたお花たちのよで、あったかい気持ちなるね」
「オレもハイデにとても感謝してる。春の花、暖かくて優しいハイデにぴったりだ」
皆で囲うテーブルへと、季節よりも一足先に訪れた春の|彩《いろ》は、摘んでしまっては勿体ないような気もするけれど。
「ちなみに、一粒だけベリーが入っているものがあるぞ。折角のシェアだしな」
「わ、一つ当たりが……!?」
「当たりがあるの? わくわくしちゃう」
「ベリー……」
「遊び心あるん素敵」
胸躍らせる洸惺とむいの対面で早速狙いを定め始めた千羽の傍ら、邏傳もそう言って身を乗り出した。
そうして、雪解け柔らかなチョコレートとともに、ゆっくりと過ぎてゆく午後のひととき。
「みんなとお出かけ。しかも、チョコも食べれちゃうなんて最高だったの」
「だねえ。みんなでみんなのチョコちゃんシェアするん、美味しくて愉しかったんよ」
「そうだね。みんなと出かけられて嬉しいな。またお出かけしたい」
「僕も、これからもこうして皆さんと共に想い出を紡いでいけたら嬉しいです」
あたたかな笑み声が溢れるその景色へと眦を緩めながら、密やかにハイデは願う。
――この緑が、幸せに続きますように。
冬のひんやりとした外気から逃れるように店内へと入れば、忽ちチョコレートの甘やかな香りがゴードン・バロック(陽差しの|炎銃士《フレイムマスケッター》・h01865)の鼻腔を擽った。
「これがチョコの香りか……」
この地も、香りも、味も。初めてのものばかりを前に足を止めたゴードンの隣へと立ち、千堂・奏眞(千変万化の錬金銃士・h00700)もまた視線を巡らせた。
「へぇ、これがチョコの専門店か。√ウォーゾーンにはないから、結構新鮮だな」
「奏眞もか。――さて、初めてのショコラを食べるわけだが、果たしてどんな味やら」
外観と同じく、壁一面に煉瓦を敷き詰めた店内は、無垢材のフローリングを冬の穏やかなひだまりが照らしていた。優しい木目のテーブルには、滑らかな苔色の|天鵞絨《ビロード》を使った椅子やソファが添えられている。
「組み合わせを選べるとはいっても……オレ、こういうのはよくわかんないだよなぁ」
「そうなのか。なら、まずはチョコの名前から見ていってみるか?」
ショーケースに並ぶ濃淡や色の様々なチョコレート・バーを指し示しながら軽く説明をするゴードンへと、真剣な表情で頷く奏眞。そのまま自身のオーダーを済ませて席の確保へと向かった男を見送ると、再びチョコレートへと視線を戻す。
「……ここはひとつ、精霊たちのリクエストを聞いてみるか」
言いながら召喚したのは、いつも奏眞とともに居るちいさなちいさな仲間たち。
まず周囲の甘い香りに飛びはねん勢いで歓んだ彼等へと状況を説明すれば、
『みんなで分けてたべたいのー』
『く、果物、あると、嬉しい……です』
『きれいな形だといいなー!』
――なんて、忽ち四方から幾つもの声が重なって。それをそのまま店員へと伝え終えた奏眞は、一通りチョコレートの仕上がりを眺めてから、ゴードンの待つ席へと座した。
「無事、オーダーもできたようだな」
「どうにかね。ああ、ゴードンのはそれか。この時期限定だからか? なんだか飾りつけとか凝ってるな」
「そうだな。食べ応えがある」
言って、ゴードンは細めた視線を手許へと落とした。白い雪結晶柄柄の硝子皿に並ぶのは、2種の雪の結晶――角板型の小振りなガトーショコラと、美しく扇形にカットされたオランジェットが数枚。その周囲には粉雪を思わせる粉砂糖が鏤められている。
「奏眞も一口どうだ?」
「え? 良いの?」
「ああ。食べたことがないなら、これも良い機会だ」
そう言って男が小皿へと取り分けた雪解けショコラを受け取ると、奏眞は早速一口頬張った。食まんとしたのも束の間、ガトーショコラはとろりと舌の上で溶けてゆく。次いで食べたオランジェットも、柑橘のさっぱり爽やかな風味とチョコレートの甘さの絶妙なバランスがたまらない。
「同じチョコレートなのに、こんなにも違うのか……! ――って、オレのも来たな」
お待たせいたしました、とテーブルへと運ばれてきたのは、一口サイズの柱状結晶を模したチョコレートだった。ミルクチョコレートにピンク色で濃淡の色付けがなされて艶やかに煌めくそれらは一見すると宝石のようにも見えて、奏眞は思わず目を瞠る。
「あれがこうなるのか……」
『宝石みたいできらきらきれいだねー!』
『この大きさなら食べやすいのー』
『い、苺の香りが、します……』
ショコラティエによって――あんなにもバラバラな要望が見事にひとつの作品となって――仕上げられたチョコレートを前に、早速我先にと食べ始める精霊たち。
「精霊たちもおいしそうに食べるし、楽しそうだよなあ。……仲が良さそうな奏眞たちを見ていると、なんだか小さいころを思い出すぜ」
「――あぁ、ゴードンは昔、精霊と暮らしていたんだっけ?」
「ああ、炎の精霊とな。命の恩人で……俺の“親父”だな」
「親父かぁ……良いな、そういう関係。オレは、精霊の森に通っていた時期があってさ。小精霊たちとは皆、その頃からの付き合いなんだ。色々と助かってるよ」
そう言った途端、賑やかにチョコレートを堪能していた小精霊たちは雪結晶をぽてりと皿へ置いた。瞬く間に奏眞の傍へと集まってくると、また鳥の囀りのように軽やかなお喋りを始める。
冬の日の午後。微睡むような淡い陽に包まれたその光景に眸を細めながら、
「……親父にも、手土産用をお願いしてみっかな」
――アールグレイの紅茶に合いそうな物で、と。
さぁどんなものを贈ろうかと新たな悩みに思考を移しながら、ゴードンもまた、口許を静かに綻ばせた。
路沿いの壁一面に設けられた大開口の窓を透いて、微睡むような冬の陽が店内へ淡くひかりを注ぐ。
所々、ウォールグリーンで飾られた煉瓦壁。スローテンポで流れるチルミュージック。時折オープンキッチンから聞こえてくる歓声も、すぐにこの穏やかな空気へと溶けてゆく。
「あ」「わ」
窓際のテーブル席で対座していたナギ・オルファンジア(C.c.m.f.Ns・h05496)と彩音・レント(響奏絢爛・h00166)は、チョコレート色の制服姿の店員が注文品を運んでくる様に気づくと、その手からテーブルへとそっと置かれる硝子皿へと視線を注いだ。
「雪のお皿、きれいだね。――わぁ。レント君のチョコは、みんな違っててすごいなぁ。華やか」
「フルーツとチョコの組み合わせが好きだから、果実系で色々な味をチョイスしてみたんだ」
透明な平皿のうえに鮮やかに並ぶ、形も色も様々な雪結晶たち。ラズベリーの赤。オレンジの橙。薄黄からはバナナの、紫からはラムレーズンのフレーバーがほんのりと香る。
「ナギさんのチョコは?」
「形はシダ状六花で統一して、味はスパイス系にしてみたよ。折角だからルビーとブロンドチョコはそのままの色で……この青のは、ミルクとホワイトとダークチョコ」
「凄っ、これは素晴らしき統一感! まるで洗練された楽譜を見てる気分だよー!」
「ふふ、素敵な例えありがとう」
彩り豊かで繊細な雪結晶は、食べてしまうのが勿体ないくらいだけれど。まじまじと眺めるたびに漂う甘い芳香が、さぁ食べてと誘っているようで。
「じゃあ、“いただきます”……で?」
「うん! いただきまーす! ――ん~~幸せ味だぁ~!」
口へと運べば、忽ち舌のうえで滑らかにチョコレートが溶けてゆく。まさに雪解けのようにその形は一瞬にして解けていってしまうのに、上品で濃厚なチョコレートの風味は確かに残り続けて、暫しの余韻を愉しませてくれる。
ミルクチョコレートは優しくまろやかに。ビターチョコレートはほろ苦く、けれど甘く。組み合わせの数だけ違う味わいを届けてくれる雪結晶に、ついつい頬も綻んでしまう。
「ナギもひとつ……――っ、」
「ど、どうしたの? もしかしてあんまり美味しくなかったとか……?」
食んだと同時に眸を瞬かせたナギへと窺いながら声をかければ、
「大丈夫。甘そうな見た目なのに味が胡椒で一瞬バグっただけ。間違いなくおいし」
「え? 胡椒!?」
「ん。こっちの表面がきらきらしてるルビーはお塩」
「塩!?!? チョコにあるまじきワード!」
驚きのままに眼を見開いてしまうレントだけれど、「あ、これお酒のおつまみにもいいかも」なんてナギが美味しそうに食べるものだから。
「レント君、たべてみて?」
「じゃ、じゃあピンクのをひとつ……! ――なにこれ! チョコにお塩ってめっちゃ合うじゃん!」
「でしょ?」
そう幸せそうにじっくりと味わうレントへと喜色の染む声を返せば、「お礼に僕のもどうぞー」と“美味しい”のお裾分け。
「すごいおいしい天才……」
「やった! 良かったー」
フルーティーな味に絡む甘くほろ苦いチョコレートが、裡をゆっくりと満たしてゆく。
「おいしいものをシェアすると、お互いハッピーになれちゃうもんね」
「シェアハピ、良き精神ですね!」
ひとりでは出逢えなかった味に――「ありがとう」を。
店で扱う全種類のチョコレートとフレーバー、果実、スパイス――そして雪結晶のサンプルが並べられたショーケースを前に、茶治・レモン(魔女代行・h00071)が透いた双眸を見開いた。
「こんなに色々あると、迷っちゃいますね……。僕はチョコ大好きなんですが、蓼丸さんは?」
「チョコ……休憩時たまに食べるくらいでしょうか」
頭上から零れた落ち着いた声音へと顔を上げて、「疲れた時の糖分補給にも最適ですよね」と頷く。隣でやや上半身を屈めて硝子越しに品々を眺めたまま、蓼丸・ベロペローネ(妖怪ものぐさ脳筋ワカメ頭・h01261)が続ける。
「料理ができずとも、世界にひとつだけのものが作れるとはすばらしいですね」
「ええ。世界にひとつだけのチョコ、早速お願いしてみましょう! えっと……色は白……ミルクでお願いします」
「――白、茶治さんの色ですね。では、吾輩はビターにいたしましょう」
チョコレート色の制服に身を包んだ店員が、ふたりが語る内容をさらさらと手許のオーダーシートに綴ってゆく。植物のフレームが四方を縁取る生成り色の紙は、まるで魔法の契約書のようにどこか特別な雰囲気を纏っていた。
「次はフレーバーですね。我輩、以前コーヒーに黒胡椒を誤投入しましたところ存外美味でございましたので、それで」
「コーヒーに黒胡椒! 意外な組み合わせですね。――わ、パチパチキャンディ!」
商品プレートに思いがけぬ文字を見つけて、レモンの語尾が僅かに跳ねる。
「……パチパチキャンディー? 面白そうですね入れましょう。茶治さんも如何です?」
「では僕も、蓼丸さんオススメで!」
色と味は違えども、食めば忽ち口のなかで弾ける体験はきっと、この先なかなか味わえない体験だろう。
きっと、ぱちぱちと躍るのはほんの数秒。そのあとは、口いっぱいに広がるチョコレートの確かな甘味に酔いしれるのだ。
「あとは、雪の結晶の形……こんなにたくさん初めて知りました」
「雪と一口に言えど、こんなに形があるとは吾輩も存じませんでした。茶治さんはどれになさいますか?」
「僕は掌サイズの広幅六花。大きい方が、食べ応えがありそうじゃないですか?」
そう力強く断言するレモンへと、一瞬ベロペローネも瞠目して。同時に、ふふ、と笑み声が洩れる。
「茶治さんは食いしん坊さんでございますね」
「実はそうなんです! 育ち盛りなので。蓼丸さんは、どれにするか決めましたか?」
「吾輩はそうですね……お任せしても?」
そう緩りとベロペローネが眸を細めるものだから、俄然やる気を出したレモンも大きく頷く。
「――お任せください!」
オーダーシートを元に、ショコラティエたちが繰り広げる硝子越しの眩いショーを愉しんだら、
「そうだ。茶治さん、良ければお互いのを交換いたしませんか?」
「それは良いですね! 交換しましょ、そうしましょ」
ふたりは互いのチョコレートを交換こ。
ベロペローネの手許には、白雪のように繊細ながら堂々たるサイズの雪解けショコラ。そしてレモンの手許には、深みのある茶に一口サイズの扇六花たち。
甘く蕩けて弾けるその一口目を愉しみにしながら、
「茶治さんはこの後お約束があるのでございますよね? 楽しんでいらして下さい」
「蓼丸さん、また一緒にお出かけしてくださいね! いってきます!」
――良い1日を。
そうひらりと手を振り合いながら軽やかに駆けてゆくレモンの背を、男も笑みを湛えながら見送るのだった。
「なんて素敵な魔法……」
硝子越しに調理ショーを見つめていたアニス・ルヴェリエ(夢見る調香師・h01122)の唇から、ぽつりと声が零れた。
――大好きなショコラ。
ふわり甘く漂うあの香りは、いつも娘を癒やしてくれた。仕事が立て込んだときなどは食事代わりにすることもあるほどに、アニスにとっては身近で特別な菓子のひとつだ。
(……でも、今日のでそれは駄目よね)
自身が香りに心血を注ぐように、ショコラティエが丹精を込めて創ったものならば、じっくりと堪能しなければ。それが、オーダーメイドで創った世界でただひとつのチョコレートならば尚のこと。
目の前では、一瞬にして魔法で湯煎が終わったホワイトチョコレートの収まる硝子のボウルが宙に浮いた。とろりと流れ出た白は、けれど落ちることなくひとつずつ球状に変化しながら、ショコラティエの指の動きに合わせて見る間に雪結晶を形取ってゆく。
「こちらのチョコレートにはオレンジのフレーバーを入れております。お客さま、オレンジがお好きですか?」
「ええ。柑橘系の香りも大好きなの」
チョコレートの香りが包み込むような甘さならば、柑橘系のそれは裡に清涼感を呼ぶ甘酸っぱさ。それが一度に愉しめると思うと、アニスの口許もつい綻んでしまう。
溶かすために使っていた魔方陣が燦めきながら消えたかと思えば、一瞬にして青の魔方陣が現れた。そのうえへと連なりながら移動した一口サイズの雪結晶たちが、くるくると弧を描きながら氷結魔法で冷やされていき――娘の眸を思わせる彩の小箱へと吸い込まれるように収まった。
お待たせいたしました、と手渡された愛らしい小箱を受け取ったアニスは、そっと蓋を開けてひとつだけ食んだ。
忽ち舌の熱で蕩けてゆくチョコレートは、けれど柔らかな甘さはゆっくりと裡へと染み渡り、優しい余韻に浸らせてくれる。
――わたしも、あんな風に人々の胸を躍らせる香水を作りたいわ。
ゆっくりと瞼を上げながら、どこまでも強くそう想うから。
「自分へのご褒美ショコラ……ふふ、これで仕事にも精が出るわね」
そう口許を綻ばせたアニスは、ショコラ色の髪を靡かせながらまた外へと歩き出す。
――雪解けショコラ。そう言わしめるほどの食感とは、どれほどのものなのだろう。
密やかに裡で期待を膨らませながら、空沢・黒曜(輪る平坦な現在・h00050)は今まさに始まったひとときのショーを見つめていた。
科学文明も発達している世界ながら、ショコラティエたちはすべての調理過程を魔法で担う。湯煎や冷却は勿論、本来ならば1日掛けてもおかしくはない|練り作業《コンチング》も忽ち終わる。彼等曰く、これらすべての工程を機械以上の精度で行うからこそ生み出せる口溶けらしい。
「では、シナモンフレーバーを加えたこのダークチョコレートを――」
雪のような燦めく粒子を放ちながら、緋や青、黄や水色の魔方陣が展開しては消えてゆく。パティシエの指先が宙に光の軌跡を描き、その動きに合わせて食材が舞い躍る。
「さぁ、次は形ですが……お客さま、いかがいたしましょうか?」
「どうしよう……珍しい形とかいいけど……」
嗅覚が欠落している分、味覚と舌触りに特化して愉しめるだろう、と味はすんなりと――ほんのり刺激を含んだ魅力的な甘さに――決まったものの、形は決めきれずにいた。んー、と短く零しながら僅かに逡巡した黒曜は、ぱちりと金の双眸をひとつ瞬く。
「そうだ、折角だし樹枝六花でいってみよう。サイズは小粒で」
雪解けというのならば、雪らしい形とサイズのほうが、まさに“らしい”だろう。「かしこまりました!」と溌剌と微笑んだショコラティエは、手早く最後の行程に取りかかる。
ふわふわと浮くボウルから波打ちながら流れ出たかと思えば、ちいさな球体となって幾つも連なり輪を描いてゆくチョコレート。そのひとつずつへと指先からゆっくりと魔力の冷気を注げば、見る間に美しい雪結晶が生まれていく。
最後は、ダイヤモンドダストを思わせる光の粒子のなか、一瞬にして冷却されたチョコレートがさらりと滑るように硝子皿へと並べられた。
「魅せるお菓子作り……凄いね」
簡単とともに、声が洩れる。
そこまで極めるほどに、熱意を注いだんだろう――彼等を職人たらしめる想いの強さを菓子を通じて感じ取った黒曜は、受け取った皿を彩る艶やかなチョコレートたちへとひとつ笑むと、
「さて、珈琲と合わせてゆっくり味わおうか」
冬の淡い午後のひだまりに満ちたテーブル席を見つけると、皿を置きながらその柔らかなソファへと身体を預けた。
「ひゃーっ、レイラさん見てみて! チョコレートがこんなにあるわよ」
「ふふっ、リゼ落ち着いて。――なーんて、たくさんのチョコを前にしたら無理だよね」
緑の双眸を耀かせて声を弾ませる天神・リゼ(Pualaniプアラニ・h02997)に、釣られて笑み零したレイラ・シリウス(|赫の楔《あかいいと》・h00316)もショーウィンドウへと視線を移す。形も彩もこんなに多種多様となれば、眺めているだけでも面白くて時間が過ぎていってしまいそう。
「ショコラトリーで作ってもらえるなんて嬉しい催しねっ。さっそく作ってもらいましょうよ」
「うん、そうしましょう!」
もう、こんなにも甘い香りが胸を満たしているのだもの。断る理由なんて一欠片もない。リゼの誘いへと、レイラも柔く微笑み頷き返す。
「これだけ色々あるなら、いろんな物試してみたいなぁ」
ベリー系は絶対美味しいだろうし、スパイスのアクセントも捨てがたい。1種にしなければいけないということはないのだし、折角ならば何種か作ってみようか。
「――じゃあ、ビターにスパイス、ミルクチョコに塩を合わせてもらおうかな。塩チョコみたいでいいわよね♪ レイラさんはどんなチョコレートを作ってもらう?」
「わたしはルビーチョコというものにしてみようかな」
「あら! 素敵じゃない。レイラさんの瞳とお揃いのお色で可愛い」
「ではお二方、ベースはお決まりですね? ――これより、ひとときの|マジックショー《夢空間》をお楽しみくださいませ」
そう言うやいなや、硝子越しのオープンキッチンに控えていたふたりのショコラティエが、動きをリンクさせながら指で宙へとなにかを描き始めた。途端、指先から生まれた光の粒子が左右に置かれたガラスボウルや食材たちをふわりと浮かせ、続けて現れた緋色の魔方陣のうえへと重ねて調理が始まる。
湯煎、テンパリング、そして再度の湯煎――それらすべてが、魔方陣の|彩《いろ》が変わるたびに始まり、手際良く終わっていく。この世界ならではの魔法文明が、普通ならば数時間はかかる工程を短時間で愉しめるショーたらしめていた。
「職人さん、宝石みたいなまぁるい形で作ってもらえる? それと、中から甘酸っぱい果実がとろけて出てくるの」
「かしこまりました。お任せください! 果実はなにになさいますか?」
「あ、ベリー系もいいけどキャラメルも良いかも……ホワイトチョコのガナッシュも素敵じゃない? 何が中から出てくるかは食べてからのお楽しみ!」
遊び心も加えなくちゃね、と柔く笑み声を洩らすレイラに、リゼのそれも重なって。「遊び心をもって楽しく食べるのも素敵なアイディアね」と燦めく眸をふわりと細めてからまた、光溢れる魔法へと見入る。
レイラが宝石のような形ならば、私はどんな雪結晶にしよう。
そうね、扇状や六角形も素敵だし、大きさは――そう、掌サイズ!
「そういうのも幸せじゃない?」
「あははっ、掌サイズもいいね。口いっぱいに頬張って、幸せ噛締めるの」
「ふふ、やっぱりそう思う? ミルクチョコはそうしよっと!」
そうリゼが伝えると、ひとりのショコラティエが水色の魔方陣へとオレンジの光を降り注ぎ、波打ちながら宙を躍るミルクチョコレートが忽ち大きなひとつの雪結晶を形取った。そちらを土産用に、残りをイートイン用にと分けてもらうと、隣でレイラのチョコレートも同時に仕上がり――最後にふたつの光がパティシエの手許で軽やかに弾けた。
淡いひだまりに包まれた店内の、暖炉に近しい窓際の席で待ちわびているふたりの元へ運ばれてきたのは、それぞれのチョコレートが飾られた硝子皿。
レイラの皿には、チョコレートペンアートで描かれナパージュで色づけされた薔薇の花枠飾りの内に、まさにルビーのように艶めく優しいフォルムのチョコレートが並ぶ。
片やリゼの皿には、何種類もの色づきナパージュで描かれた花々と、五線譜に躍る音符のチョコレートペンアート。音符の符頭のかわりに、一口サイズの六角形のビターチョコレートが置かれていた。
「リゼのチョコはまるで宝箱みたい。どれを手に取り口にしても驚きと発見があって楽しそう!」
「レイラさんもとっても素敵な組み合わせじゃない。ルビーチョコなんて特に、本物の宝石みたい」
どちらも食べてしまうのが惜しいくらいに燦めいて見えて、ふたりはしばしじっと眺めてから――いざ実食! いただきます!
「……ん、これはラズベリー? 甘酸っぱい味が広がって美味しいっ」
「私のこれは新味覚! チョコってこんなにスパイスと合うのね……!」
口に含んだ瞬間に広がる甘さは、雪解けの名の通り、食むまでもなく忽ち溶けてゆく。代わりに舌に残るのは、上質で濃厚な甘さと、それぞれに加えた果実やスパイスの風味。その余韻が消えるころにはまた、次の一口が欲しくなる。
「ね、レイラさんも食べてみて? 美味しいわよ~」
「ありがとう! ――ほんとだ! 甘いだけじゃなくて後味が引き締まるような……この組み合わせ素敵ね」
そしたらわたしのチョコもどうぞ、とレイラが手に取った一粒を、お礼とともにリゼもぱくり!
「ふふ、リゼは何が当たるかしら?」
「んんっ、キャラメルね! ふふ、ほろ苦くて香ばしい甘さがたまらない……!」
身も心も蕩けてしまうほどの甘やかさに、頬も自然と綻んで。
歓びの吐息とともに、リゼとレイラの花笑みが冬の陽に溶けてゆく。
√ウォーゾーンでは至って普通の少女たる森屋・巳琥(人間(√ウォーゾーン)の量産型WZ「ウォズ」・h02210)にとって、チョコレートと言えばまず“保存食”だった。
それこそ、雪解けなんて食感とは無縁のレーションの|類《たぐい》。|噛み応え《・・・・》があって、過剰なまでにカカオが濃厚で、栄養補給を第一に考えられた食料に他ならない。
なればこそ、スイーツとして愉しむならば、程良い柔らかさと甘さがほしいと思うのは道理だろう。寧ろ、年相応と言っても良いくらいだ。
「あの……ビターチョコレートの|柑橘系《オランジェ》を頂きたいのです」
「オランジェですね、お任せください!」
ほわりと愛らしい微笑みで、ほんのちょっと控えめにそう告げると、チョコレート色の制服姿の店員は満面の笑みで応えてくれた。
形は? フレーバーは? トッピングは――? 巳琥が臆することないよう、ゆっくりとした口調でヒアリングした内容を、さらさらと手許のオーダーシートに記載して。それを終えると、「|オープンキッチン《お隣》へどうぞ!」と笑顔で促してくれる。
傍らに置かれていた食材と調理器具が、ショコラティエの指振りひとつでふわりと宙に舞い上がった。
琥珀色の魔方陣が描かれたと思えば、細く流れる光が空中に波打ち、そっとその水面に乗ったオレンジがまるで陽だまりに揺れる果実のように躍る。ショコラティエの指先が淡く輝くたびに、ふわりと広がる甘酸っぱい香りとともに薄く薄くスライスされてゆくオレンジたち。薄氷のように儚い光が降り注げば、柔らかな飴色に変わってゆく果実へとじっくりとシロップが染み込んでいく。
光の軌跡を描きながら、香ばしい匂いを解き放つアーモンドやヘーゼルナッツ。
淡紅の魔法の粒子に包まれながら裡に眠る酸味と甘みをたっぷりと抱いた、乾燥クランベリーやチェリー。
星屑のように細かく砕かれたトッピングたちが待ちわびるのは、柑橘の貴婦人が纏う極上の|チョコレート《ドレス》だ。
宙に浮かぶガラスボウルの中で、深いカカオの波が魔力の渦に乗ってとろりと柔らかに溶けたかと思えば、鮮やかな艶を纏いながらテンパリングされたチョコレートへと翳したショコラティエの掌から、1羽の金の小鳥が羽ばたいた。リボンのようにたなびくチョコレートを嘴で咥えながら、宙に浮かぶオレンジへとそれを纏わせたら――魔方陣の最後の光が弾けると同時、出来上がった品もまた硝子皿へと流れるように舞い降りた。
菓子職人のようにとは行かずとも、自分なりにレパートリーを広げたい――その一心ですべての流れを眸に焼きつけた巳琥は、席へと運ばれてきた自分だけのチョコレートを前にひとつ息を呑む。
(そう、これは研究なのです)
一口食んでは、忽ち舌の上で溶けて消えてゆく滑らかなチョコレート。それをじっくりと味わいながら、脳裏で作業工程を思い浮かべてゆくけれど。
「……あっ、もうなくなってしまったのです……」
知らずと、柔らかに包み込むような甘い甘い夢心地に浸ってしまっていた娘は、そう慌てながらもふわり幸せ彩に微笑んだ。
「雪の色のチョコレートなんてステキ! キラキラして宝石みたい!」
「あはは、久遠家はみんな美味しいものを大事に食べるよね」
そう白い猫耳をぱたぱたと動かしながら声を弾ませた久遠・マリーツァ(Ipheion・h01241)の隣、艶やかな黒い毛並みの子竜姿の蔦ノ森・まほろ(Olivier odorant・h02875)も、スカーフの裾を靡かせながらすぅと深く呼吸する。胸一杯に満ちる甘い香りに浸りながら、色とりどりのチョコレートたちを眺めているだけでも胸が躍る。
「パパとママにプレゼントしたら喜ぶかな?」
「マリィのパパは、マリィのプレゼントならなんでも喜ぶよ」
「だと良いな。――あ! ねね、作ってるところ見ながら選ぼう! まほ、好きでしょ?」
「確かに好きだけど、物作りの工程って見入って時間忘れちゃうんだよな……」
そう言いながらも、まほろの心がもうショコラティエのほうへと惹かれているのはマリーツァにも分かっていたから。猫尻尾をご機嫌に揺らしながら、娘はオープンキッチンへと手招きをする。
ほろりと甘く、ふわりと香る、柔く優しいカカオの芳香。
ショコラティエの手許に広がる魔方陣が静かに光を帯び始めれば、ひとつずつ愛らしいチョコレートが浮かび上がる。
「パパはコーヒー好きだよね。ママはピスタチオかな……」
「コーヒー飲みながらルビーチョコとか。オレンジピールのとかもいいんじゃん?」
うん、完璧。なんて口端を上げるまほろに、くすくすとマリーツァも眸を細める。
「ルビーチョコ! いいかも! まほが選んでくれたのパパも喜ぶよ、きっと」
「|マリィのパパ《アイツ》、またデレデレするんだろうな……」
ふたりの会話を聞いていたショコラティエが、ぱちん! と軽やかに指を鳴らした。忽ちふわりと浮かんだ上品な色味のルビーチョコレートや琥珀色のオレンジピール、そして翡翠に色づくピスタチオの粒が、そよ風に導かれながら光の中へと溶けてゆく。
「本当にショコラティエさん、魔法使いみたい!」
感嘆の息を零しながら紫の双眸に燦めきを宿すマリーツァへと、まほろもふわりと笑みを零す。
「同じように見えて、ひとつひとつ違って……誰かが誰かを想って選んでるんだ」
この眩い耀きも、ここで形作られるチョコレートも。
選んだひとつひとつが、想いを伝えるために生まれてくる。
チョコレートが滑らかな波を描きながら、湯煎されたガラスボウルの中でとろりと揺れた。魔方陣の紋様が漣のように波打ち、弾けたひかりの欠片が柔らかに零れると、チョコレートの水面にひとすじの燦めきが迸る。甘やかな薫りに誘われるように舞い上がったスプーンがくるりくるりと躍れば、オレンジピールやピスタチオが燦めきながら混ざり合い、魔方陣の光があたたかく包み込むたび、ひとつ、またひとつと甘やかな形が生まれてゆく。
大切な想いの詰まった贈り物だから。チョコレート色の上品な箱に詰めたら、似合いのリボンをきゅっと結んで。
「えへへ、わたしも大人な気分。パパとママに『いつもありがとう』伝わるといいな……!」
「きっと伝わるよ、マリィ」
言葉以上に、その微笑みが――そのチョコレートが、雄弁に語ってくれるはず。
ゆったりとしたチルミュージックが流れる店内。苔色の滑らかな天鵞絨のソファに腰かけたふたりは、テーブルへと置かれた硝子皿へと視線を注いだ。
「見て、まほ! 硝子のお皿に雪が積もったみたい! キレイだから食べちゃうのもったいなーい!」
「そうだね。店員さんが見繕ってくれたお勧めだし、それも美味しいんだろうな」
折角だから、とふたりが選んだのは、種類も色もどれひとつとして同じもののない小粒のチョコレートたち。その艶やかで繊細な形をまじまじと眺めながら、本当に結晶みたいだ、とまほろの声が洩れる。
「あ! 食べる前に写真撮ろ! ね! まほも笑ってー♪」
「……僕は撮さなくていいから」
言って、マリーツァが向けたファインダーから逃れながらも器用に手許の皿へとシャッターを切ったら、さぁふわり甘やかなひとときの始まりだ。
「ん、このホワイトチョコとラズベリー、すごく美味しい! ふふ、うすーいチョコを噛むとパリポリして、口の中で溶けちゃうの……好き」
それが“雪解け”と言われるほどのチョコレートなら、尚のこと。舌に触れた途端、ほろりと花弁綻ぶ花のように解けてゆくその食感に、マリーツァも幸せに眸を細め、ゆるゆると頬を緩ませる。
「スパイス入りは食べてみたいかも。――あ、これ山椒の香りがする。どんな味なんだろ?」
言いながらぱくりと食めば、さらりと蕩けたチョコレートの裡からシトラスピールのコンフィチュールの爽やかな甘さが溶け出して。そこにぴりっと辛味のアクセントが加われば、一層甘やかさが増してゆくよう。
「こっちのもちもちチョコの求肥の食感も好き!」
「生チョコのカカオパウダーとクリームの甘いのも、いいよね」
顔を近づければ、ふうわりと漂う柔らかな香り。それにゆったりと身と心を蕩けさせながら、まほろが一粒をじっくりと味わう。
「……結構、複雑に絡み合った味がするかも。僕にも再現できるかな?」
「おウチでも作ってくれるの? わーい、楽しみー」
「……プロの味期待されても困るけど」
甘く、柔く、淡い冬の魔法がまた愉しめるように。
――ちょっと研究してみるよ。
そう零したまほろへと、マリーツァも一等幸せ彩の微笑みで頷いた。
店の扉を開けた途端、ふわりと流れ込んでくるのは甘く優しいカカオの香り。
頬に触れるあたたかな空気と、微睡むような冬の陽と音楽に包まれた店内へと入ると、シュネー・リースリング(受付の可愛いお姉さん・h06135)はちいさくひとつ息を零した。
いらっしゃいませ、と出迎えられたカウンターの傍には、横に長い大きな硝子のショーケース。その裡に濃淡美しく並べられたチョコレートへと、心惹かれるままに覗き込む。
“|雪《シュネー》”をモチーフとしているならば、訪れない理由はない。とはいえ、これほどの種類を前にすると、どれにするか迷ってしまう。
「そうだわ。|AIアシスタント《マキナ》に聞いてみようかしら。――マキナ、わたしが此処で選ぶべき“最善”は?」
『ああ、デカ盛りスイーツ。ここは自分へのご褒美として、存分に楽しむとしよう。いくらでも食べられる、というのはこの世で最も贅沢な喜びのひとつね。今だけの特別な時間を味わおうじゃないか』
「…………」
『この行動は“#デカ盛りスイーツ #いくらでも食べられる #自分へのご褒美”を選択しました。他に何かしたいことがあれば、教えてくださいね』
そう、まるで悪びれもせず、あたかも真っ当な答えを返したと言わんばかりの笑顔つきで流れる女性の機械音声へと、吸血姫たるシュネーの柳眉が僅かに寄った。笑顔が若干強張る。
「ちょっとマキナ! 適当すぎよ! 口調からして|優雅で壮麗さ《わたしらしさ》がまったくないわ!」
けれど、答えとしては間違いではないのも――寧ろ大正解と言っても過言ではないのも、また事実。常日頃から愛用しているAIだけはある。
シュネーは「んんっ」と居住まいを正すと、改めて“受付の可愛いお姉さん”然とした人好きのする笑顔を向けた。
「えっと……それでは、真っ白な雪で作ったみたいな雪兎をお願いできますか?」
薄く粉砂糖で雪化粧された硝子の平皿に遊ぶのは、楕円のホワイトチョコレートで創られた幾匹もの雪兎。光沢のある紅赤の、ちいさなアラザンの眸が愛らしい。
すぐに食べてしまうのは勿体ないくらいだけれど――でも。
(これだけあるし、まずはひとつ味見といきましょうか)
期待に自然と口許を綻ばせながら、あーん、と食んだ瞬間、上品な甘やかさが口一杯に蕩けて、そして舌の上で溶けていった。次いで、アラザンの軽やかな食感。一緒にとろりと出てきたガナッシュは苺のフレーバーを纏い、その果実めいた甘酸っぱい香りと後味が深く裡に広がりじんわりと心を満たしてゆく。
「あぁ……美味しい……」
フレーバーなどの細かい部分は決めきれずにショコラティエにお任せしたら、全種類異なる味や風味にしてくれたと言っていた。
なれば、これはまさに一期一会の味。
見た目はどれも同じ雪兎だから、どんな味と出逢えるのか分からぬときめきはもう溢れるほど。
ふと視線を移せば、午後の陽に燦めきながら路を行き交う人々の影を淡く映し出す大きな窓。苔色の天鵞絨のソファは柔らかで、暖炉から洩れる火花の音が長閑なチルミュージックに溶けていく。
「こんなスイーツを好きなだけ楽しめるなんて、とっても贅沢だわ……」
『矢張り、趣旨はあってるではありませんか、シュネー』
オートで声を拾ってそう淡々と返すマキナの主張へは、「貴女の回答には、女子らしい可愛さが足りないのよ!」と内心で反論しながら聞き流すと、
(この後が大変だけど……今は、この時間を楽しむとしましょう)
春を待つ花のように、シュネーは頬を淡く綻ばせるのだった。
第2章 冒険 『凍てついた大地』

●柔らかな白に包まれて
ショコラトリー『|Chocolumé《ショコルメ》』からほど近い森の奥。
件のダンジョンへと足を踏み入れた√能力者たちの視界いっぱいに広がったのは、一面の白だった。
何処までも続く、ふわふわの新雪が積もった雪原。
すこし離れた場所にはソリ遊びができそうな小山があり、更に奥には深い緑連なる常緑樹とともにスキーやスノーボード向けの山面まで見える。
幾ら五感を巡らせても、敵影や害意はまるで感じられなかった。このダンジョンに現れたボスは炎を操る簒奪者だと言うから、ともすると寒い場所が苦手なのかもしれない。
――となれば、あとはこの雪を満喫するだけ!
ちらちらと降る粉雪が、訪れた人々を誘うようにふわりと舞った。
✧ ✧ ✧
【マスターより】
・敵は一切出てきませんので、POW/SPD/WIZの内容は気にせず、お好きなようにお楽しみください。
・かまくらを作って中で鍋を楽しむ、などの火や暖房器具の使用も可。
・スキーやスノーボード、ソリなどの道具一式は街中でレンタルや購入も可能ですので、入手した前提でプレイングを掛けていただいて構いません。
・公序良俗に反する行為、未成年の飲酒喫煙、その他問題行為は描写しません。
・あわせてマスターコメントもご参照のうえ、ご参加いただければ幸いです。
そっと触れた指先から伝わる、綿雲のように柔らかな感触。
ひんやりと冷たいのに、どこか心はあたたまるようなそれを掌に乗せると、しゃがんだまま、東風・飛梅(あるじを想う霊木・h00141)はきゅっ、きゅっと雪を丸め始めた。
(雪の白というのは、白梅の白とも似ているようでいて、また違うわね)
例えるならば、冬の白と春の白。
冬の一等澄んだ陽を浴びて燦めく雪と、春の麗らかな陽気を纏った柔らかな花片。
それぞれが帯びた、季節の陽の|彩《いろ》の違い。
呼吸をするたび、裡へと巡る清涼な空気。
ダンジョンのなかだと言うのに、まるで屋外のような雪原へと一度視線を巡らせた飛梅は、再び手許へと眼を遣った。
こんもりと掌に乗るくらいの量を手に取っても、力を加えれば忽ちほんのすこしの塊となるから、更に何度かすくって綺麗な楕円を形作る。近くの常緑樹の袂にあった葉で耳を、その近くに集っていた南天の実をふたつ目許へ添えれば、愛らしい雪兎の完成だ。
「ふふ、可愛くできたわ」
まだまだ沢山の雪があるのだ。ならば家族にしてみよう、と続けて大小様々な大きさの雪兎を作った飛梅は、最初の1羽を加えて雪のうえへと並べた。
すこし離れた場所から眺めれば、雪に歓び愉しげに遊ぶ白兎の群れのよう。
「……梅は春の初めに咲くものだけれど、冬が終わればこの雪も融けて消えてしまうのかしら」
もし此度に敵を倒さずとも――やがて春が来ればダンジョン諸共に。
なれど、梅の花もまた、春を過ぎれば散りゆくもの。
そうして夏の新緑が、秋の紅葉が、世界を万彩のひかりで満たしてゆく。想い出とともに、季節が巡ってゆく。
飛梅は静かに笑みを湛えると、もう一度、ゆっくりと呼吸する。
冬の大気。冬の香り。
――もうすぐ、春が来る。
「やっと着いた!」
「重かった~!!」
近くにあった岩場に背負ってきた荷物を置くと、桐生・綾音(真紅の疾風・h01388)と桐生・彩綾(青碧の薫風・h01453)はその脇に力なく座り込んだ。「ふたりとも、お疲れ様」とその様子に苦笑を洩らしながら、藤原・菫(気高き紫の花・h05002)も自分の荷物を下ろした。
『かまくら作りたい!!』
『それで、みんなで一緒に水炊きしたい!!』
『『お願い、菫さん!!』』
――なんて、とびきり眸を耀かせながらお願いされたら、菫だって張り切らずにはいられない。
鍋や食器などの道具はいつも使っているものを綾音が、スコップやコンロなどのそれ以外の道具は彩綾が、それぞれ「任せて!」と率先して持ってくれたものの、つい具にこだわりすぎて思いのほか食材がかさばってしまった。彩綾には「鮭と餅も用意してるのが、菫さんらしいというか」と眉尻を下げながら言われてしまったけれど、とはいえ良い出汁の出る鮭と意外と水炊きに合う餅は外せない。
「さて。じゃあ、あの辺りに作ろうか。ふたりは、かまくらって作ったことある?」
「勿論!! 懐かしいなあ、かまくら作り」
「だね! ついこの間まで田舎にいたし、お姉ちゃんと作ったりしてたよ!!」
「なら心強いね。私も田舎生まれだし、3人でやればそんなに時間もかからな――」
「「え!?」」
何気なく返した菫の言葉に、綾音と彩綾の驚嘆が重なった。
「びっくりしたあ! 菫さんも田舎生まれなの!?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「初耳だよ! スタイリッシュで社長している菫さんが田舎生まれなのは、ギャップがあるよね」
そう彩綾から向けられた視線へと、綾音もこくこくと頷く。
「まあ、今の私みれば当然か。研究者兼学者になったのも、田舎でみえてた怪奇が原因だからね。かまくらもよく作ったよ」
「なら、3人で大きいかまくら作れるよね!!」
「うんうん! 広くて大きいの作ろう~!!」
思いがけぬ協力者を得たふたりは、早速荷物からスコップを取り出すと、柔らかな新雪を手際良く掘りながら一箇所に雪を積み始めた。菫も加勢し、ある程度積み上げたところで今度は横に穴を掘り進めてゆく。
――そうして2時間後。
「かまくらできた!! 鍋だ!!」
「よし、完成。水炊きだ~!!」
陽に燦めく雪原に、仲良し姉妹の声が重なった。かなりの全身運動だったけれど、このあとの美味しいひとときを想えばそんな疲れも吹っ飛んでいくというもの。
「さて、じゃあレンタルしたこたつで鍋しようか」
「菫さん、食材の荷物運ぶね!」
「鍋とコンロはここに置いて、と……お姉ちゃん、早く早く!」
3人が悠々と寛げるほどの広さのかまくらの裡で、大きな土鍋に具材を入れて。ぐつぐつと良い香りと音が湧いてきたらもう、じっとしてなんていられない。
「さあ、そろそろ食べ時だね」
「やった!! まずはだし汁いれて、と……ああ、美味しいな!!」
器を傾け一口飲めば、鮭や野菜から十分染み出た風味が口一杯に広がった。あたたかなぬくもりと素材の旨味が、裡にじんと染み渡りながら身体の先まであたためてくれる。
「ん~!! やっぱり美味しい。菫さん、いい質の具材揃えてくれてる!」
「うん。何気にどれも一流のだよね、これ」
「そりゃあ、可愛いふたりのためなら食材だって張り切るさ」
幸せ!! と満面に笑みながら、「彩綾も菫さんも笑顔でよかった!!」なんて綾音が言うものだから。ふくふくと嬉しそうなふたりの様子に、菫も鮭を味わいながら眦を細める。
「あ。彩綾、しめじとってくれる?」
「しめじ? ――あ、これだね。お姉ちゃんどうぞ~」
ランタンの柔らかな灯りに包まれて、声を弾ませながら囲むあたたかな食事と笑顔。
それがどれほどにかけがえのないものかを、ここに集う皆誰もが知っているから。
――ああ、幸せだな。
溢れるほどのその想いを、交した笑顔と声に乗せて響かせる。
薄く澄んだ水色がどこまでも広がる冬空の下、一面を白銀に染め上げた雪上にふたつの影が軽やかに躍る。
キレのあるターンを決めた結城・凍夜(雪の牙スノーファング・h00127)に続き、土岐野・仁美(結城・凍夜のAnkerの定食屋「ときの」看板娘・h02426)がクロスするように対照的なシュプールを描く。風を切るふたりの後ろには青と赤のスキー板が長く流麗な軌跡を刻み、それを縁取るように粉雪が舞い上がっては消えてゆく。
「ふふ、さすが凍夜。身のこなしが違うわね」
一滑りを愉しみ梺まで降りてくると、そう言いながら仁美がスノーゴーグルを上げた。陽に燦めく雪のひかりに、思わず眸を窄める。
「そういう仁美さんも、足が速いのは知っていましたけど、スキーも上手かったなんて知りませんでした」
赤のスキーウェアもよく似合っていますよ、と凍夜がひとつ微笑めば、形の良い耳をぱたぱたと揺らしながらはにかむ仁美。ひんやりとした大気で赤みを増した頬のまま、遠くを見遣る。
「それにしても、やっぱりすごい……! こんなに一面の雪、久しぶりに見たわ~♪」
「ええ、いい雪ですね」
「――ねぇ、もう1回滑りましょうよ」
こんなにも心地良い滑りを、一度限りで止めてしまうのは惜しいから。振り向きながら凍夜へと窺うような視線を向けると、「いいですね」と微笑みが返る。
「また、上まで行きますか?」
「ありがとう。お願いするわ」
その言葉へと応えるように、一瞬にして喚んだガンナーズブルーム“Kalevala”へと乗った凍夜。差し出された掌へとそれを重ねた仁美は、その広い背へと両腕を確りと回し――優しい浮遊感とともに、雪の欠片たちが弧を描きながら弾けた。
「ひゃっほ~♪」
梺近くでは、斜面をソリで駆け抜ける雪菜・リリー・ヘヴンズフィール(天の杯ヘヴンズフィール・h03356)の愉しげな声が響いていた。銀雪の飛沫を上げながら平地まで到着すると、娘の頭上を躍るように舞っていた白き雪の妖精たちが、再びソリごと雪菜を斜面の上へと運んでいく。
「あ、氷華ちゃん、スノボやるの~?」
「うん。――あ、ふふ。せっかくだから動画配信しちゃお」
アイドルだからこそ、スノーボードウェアだって抜け目はない。ばっちりお洒落に着こなした結城・氷華(結城・凍夜のAnker~従兄の子でローカルアイドル~・h05653)は、雪菜へと頷きながら小型ビデオカメラを取り出すと、
「そうだ。ねぇ、雪菜ちゃん。白き雪の妖精ちゃんたちって、動画撮影もできるの? できたら空から撮って欲しいんだけど……」
「うん、もちろん。撮れたらあとでスマホに送ってあげるね♪」
「ありがとう! じゃあ、一滑り行ってくるね」
とびきりの笑顔で手を振る氷華を見送るところから、早速撮影開始! 小型無人航空機よろしく氷華の後に続いて羽ばたいてゆく妖精たちを視線で追いながら、雪菜もまた、スノーボードのエッジで雪を巻き上げながら華麗な滑りを披露する氷華へと、ロップイヤーをぴこぴことさせて拍手喝采を送る。
「――ブイ!」
「氷華ちゃんすごいすごい!」
「ちゃんと撮れたかな?」
「今送信したよ~。うん、決めポーズまでちゃんと入ってるね」
「だね。雪菜ちゃんと妖精ちゃんたちのお陰で、迫力ある画角で撮れたよ! 凍夜と仁美にも見てもらいたいな~」
なんて言っていれば、視界の端を掠めてゆく影。
「あ、あれって凍夜ちゃんと仁美ちゃんかな? 凍夜ちゃ~ん、仁美ちゃ~ん!」
「お~い。ふたりとも、まだ滑るの~?」
「――あぁ、あれは雪菜さんと氷華さん。楽しそうですね」
名を呼ばれたような気がして眼下を見た凍夜に、仁美も倣って視線を落とした。手を振るふたりへと軽く手を振る凍夜の後ろ、仁美も大きく手を振ってみせれば、
「おっとっと……」
「おっと、気をつけてくださいね」
「……ふふ」
支えてくれると思った――その想いは秘めたまま。思ったよりもずっとずっと力強い腕に抱えられ、仁美も眦を緩めて破顔した。
粉雪を浚いながら吹き抜けてゆく、冷たくも柔らかな白銀の風。
「楽しそうだな~」
冬の朧な陽のなかへと消える影を見届ける雪菜の傍ら、
「仲いいわね、あのふたり。……ちょっと妬けちゃうなぁ……」
なんてね、と。ぽつり零しながらも、氷華は淡く微笑みながら空へと眼を細めた。
「これが銀世界ってやつ?」
「きれ……い、より寒いしまぶし……」
「あはは! 確かに想像以上に眩しいねー」
地平に白き輪郭を描きながら涯てなく広がる雪原を前に、ぶるりと身を震わせながら掌で目許に傘を作ったナギ・オルファンジア(Cc.m.f.Ns・h05496)へと、彩音・レント(響奏絢爛・h00166)もからりとした笑み声を立てた。幸い、風は柔く吹く程度だけれど、それでも撫でるように頬に触れる大気は四肢の先を強張らせるほどには冷気を帯びている。
――はてさて、この無限とも言える新雪を前に、雪遊び初心者たる我々はなにをすべきか。
暫し考えた末にふたりが見出した答えが、ソリ遊びだった――のだが。
「雪って……はぁ、歩くのもこんなに大変だなんて、はふ……丘遠いよ……」
「丘に登らないと滑れない、それは盲点だったね……つら……」
ソリ自体は最新の軽くて丈夫なものを街でレンタルできたものの、遊ぶためのもうひとつの必須条件――“斜面”という立地ばかりは、自力で赴く他はない。
次第に荒くなっていく呼気に合わせて、白い吐息が冬の陽に溶ける。靴で踏む雪の感触はこんなにも軽いのに、ざく、ざくと一歩踏み出すごとに足が鉛のように重くなっていく。儚く美しい見目とは違い、存外雪とはパワー級らしい。
そんな、「丘! お前が来い!」と言いたくなるような状況に、けれど挫けそうになる心をどうにか踏ん張りながら近場の丘へと登り切ったレントとナギを出迎えたのは、息を呑むほどの冬の絶景だった。
白む薄青の空を縁取る、壮大な山々の稜線。雪原のあちらこちらにある木々は霧氷を纏い、その白く幻想的な枝葉を広げる様は何処までも雄大だ。離れた場所に見える大きな池は、鮮やかなターコイズブルーを抱きながら朧に燦めいている。
「はー……これは絶景だねー!」
「頑張った甲斐はあった、かな」
呼吸を整えるようにひとつ大きく息を吐いたふたりは、力の抜けた身体をゆるりと起こした。真剣な眼差しが、静かに交差する。
「では、勝負だレント君」
「勿論! 望むところ!」
互いにソリに乗り込み、いざ――よーい、ドン!
アクセルやブレーキなぞない、唯のソリだ。ならば、斜面で体重を前へと預ければ自ずと滑り出すだろうというナギの推察は正解ではあった。
――ハンドルがないことを除けば。
「わわ、結構速いなこれは――ア゜ッ、!」
眼前にコブを見つけたときは、時既に遅し。避けきれず思いっきり其処へと乗り上げたナギは、そのままソリごとジャンプしながら|短い悲鳴《ヤバい声》とともに横転した。幸い、柔らかな雪がクッションとなって怪我も痛みもないけれど、全身見事な雪塗れだ。
「……ソリがこんなに難しいなんて!」
「あははー! ナギさんなにやってんのー!」
ふるふると|頭《かぶり》を振って雪を落とすナギの横を、レントが――丘に登るだけで疲れ切ってしまい、のんびり出発した――大笑いしながら過ぎっていった。
「レント君……! くっ、ナギ相手なら余裕ってこと……」
「わああああ!! ちょっと待って待ってこっちもスピード出過ぎじゃな――!?」
そんな悲鳴に近い声を残しながら豪速で滑り抜けたかと思えば、僅かな重心配分のズレでバランスを崩したままコブへと突撃!
「あ゛――――っ!!!!!」
「えっ、早い、怖……」
綺麗な弧を描きながらソリごと宙を舞ったレントがぼすん!!! と雪へとダイナミックダイブする様を、スマートフォンを構えたナギは無言で連射。
「こ……これはひどい……僕、生きてる?」
「んふ、大丈夫生きてるよ。とてもいい写真がとれたなぁ」
「こらこらそこ、変なデータを残すんじゃないよ……!」
雪上に空いた大穴からどうにか抜け出し、どうと足を広げて腰を下ろしたレントへと、ナギもくつくつと喉を鳴らしながら眦を上げて。そんな女へと眉尻を下げながら、男はぶるりと身体を震わす。
「はー……もう寒くて無理かもー……」
「はー……寒、同感だよ。はしゃぎ疲れたし、あったかいお茶でも飲みに行こうねぇ」
「賛成賛成ー! 暖かいものが恋しいよー」
そんな会話を交しながら気怠げに立ち上がると、白へとふたつの足跡とソリ跡を残しながら、ぶらりのんびり歩き始める。
「雪遊び………何をすればいいんだ?」
「ん? 奏眞は雪遊びをしたことがないのか?」
ひとつ瞠目してそう尋ねるゴードン・バロック(陽差しの|炎銃士《フレイムマスケッター》・h01865)へと、千堂・奏眞(千変万化の|錬金銃士《アルケミストガンナー》・h00700)は至って普通に頷いた。
なにせ、この力を得てから今日まで、人生の大半を戦場で過ごしてきた身だ。遊び方はもとより、“雪遊び”なる単語すら今回初めて耳にしたほどだ。
『たのしいことなのー』
『わくわく、ドキドキだぜっ!』
『ご、ゴードンさんと、皆で、やりま、しょうっ!』
「どうやら小さい精霊たちは知ってるようだな。にしても、雪が降ったときはさすがに戦闘はしないだろう?」
何をしていたんだ? とゴードンが言外で問えば、『雪上での戦闘訓練』と返ってきた答えに、思わず苦笑が漏れる。
「雪中まで戦闘訓練とは苦労してんなあ……」
「訓練は苦労じゃないだろ?」
「はは。ったく……なら、この機会に存分に遊んでみようぜ!」
きょとりと瞬く奏眞へと豪快に笑ったゴードンは、ひんやりとした空気も厭わず意気揚々と雪原を歩き始めた。
「お、ここなんか丁度良いな!」
すこし先の拓けた場所で足を止めると、ゴードンはスコップ――精霊たちと冒険の書で取り寄せた道具のひとつ――を構えた。合わせて手渡されたそれを奏眞も持つと、早速雪を掘り始めた友人に続く。
「雪をそこに溜めていけば良いのか?」
「ああ。かまくらなら、雪中でのサバイバルにも活かせるだろうと思ってな」
『かまくら! たのしみだぜっ!』
『おっきいのつくるのー』
『い、居心地が、良いように、しま、しょう!』
「……あぁ、雪で作る簡易的な家みたいな奴なのか。冬での行軍に活かせそうなのはいいな」
ゴードンと小精霊たちの言葉から答えを推測した奏眞は、ならばと新たな仲間たちを喚んだ。
「レニー、ネージュ、それにみんな。雪の家……かまくら作りを手伝ってもらえるか?」
『おー、出番だな~』
『雪も氷の一種。任せて』
「はは! 精霊達も頼もしいぜ」
忽ち周囲の雪をごそりと浮かせ、手際良く積み上げてゆく水や氷の精霊たち。本来ならば数時間は要するかまくら作りも、彼等の力を借りれば言葉通りあっという間に完成した。
早速中へと入ってはしゃぐ小精霊たちへと続いたゴードンが、軽く指先を慣らしてちいさな錬金術の炎を幾つか燈す。ぽわりと生まれた柔らかな灯りがあたりを満たし、いつしか冷え切っていた身体をあたためてくれる。
「これがかまくら……意外と広いし、確りした作りなんだな」
「ちなみに、ここで簡単な鍋料理をいただく風習もあるらしいぜ。やってみるかい?」
「鍋か、今後のためにやってみたいな。何鍋にするんだ?」
「そうだな……じゃあ牛肉鍋にしよう! 具材なら錬金術でたっぷり生み出せるから、食べ放題だぜ! ……胃がどれほど続くかわかんねえけど」
ぼそりと最後に付け足したゴードンの、その手の裡にちらりと見えたグラトニーポーションに、
「……ゴードン、無理してオレの腹具合に付き合わなくていいからな?」
足りなければ虚喰丸を食めばいい――そう付け加えた奏眞が、苦笑交じりに笑み声を零して。
「ひとまず、とびきりのスペシャル鍋を作るとするか!」
その一声に声を揃えて喜ぶ小精霊たちに囲まれながら、釣られて快活に笑ったゴードンが意気揚々と鍋の準備を始めるのだった。
どこか笛の音にも似た風を切る音が耳に触れた。
頬を撫ぜていくひんやりとした大気は、けれどその凜と澄んだ|気配《けわい》が不思議と心地良い。粉雪を纏う陽光は薄く霞み、遥かなる山々の更に遠く、冬の淡い青空へもゆったりとした絹のようなヴェールを掛けていた。
「こっちの雪でも楽しめるとはね」
空沢・黒曜(輪る平坦な現在・h00050)はそう独り言ちながら、足許の雪を踏みしめた。きゅ、きゅ、と鳴るその音に、自然と口許も綻ぶ。
獣人用のスキー一式を携えてきた男は、小高い丘へと登るとその斜面をそろりと滑り出した。
いつも過ごしている|地下《暗がり》とは違う、唯々何処までも広がる白銀の世界。
(……あ、雪の露天風呂は評判いいし風情あっていいよね)
雪はあまり馴染みはないし、温泉を掘るのも捨てがたいけれど。折角の機会ならば、闇ではなくこの白を乗り越えてゆくのも面白そうだ。
「ダンジョンならではの極悪地形は……うん、ない……よね?」
滑りながら遠くへと視線を遣れば、また別の佳景が広がっていた。あの斜面からなら、来る途中に見えたターコイズブルーに燦めく池も良く見えるかもしれない。
「滑るぐらいなら、きっと……うん」
然程上級者と言える技量は持ち合わせてはいないが、幸いまだ周囲にはからきし敵意も感じられない。万が一のときも如何様にでもカバーできると算段をつけつつ、ならば挑戦するのも一興――そう心を決めた瞬間、近くで雪を擦る音が響く。
「お兄さんもスキーですか?」
「うん。そちらも愉しめてる?」
「はい! もう夢中になりすぎて時間を忘れてしまいそ――というか忘れてました」
どこか辿々しくもきゅっと停止した森屋・巳琥(人間(√ウォーゾーン)の量産型WZ「ウォズ」・h02210)が、そうふわりと笑う。
ウォーゾーンで来ていたらそれこそ行軍といった体だったろうけれど、生身だからこそ味わえる澄んだ空気と雪の感触、そしてモニター越しではなく直接眺める耀う雪原――荒廃とは無縁の世界は、いつまでも浸っていたくなるほどに素晴らしい。
それに、今ならばたくさん食べて身体も十分あたたかい。だからこそ、もうすこしくらいはこの白に浸っていたいのだけれど、
「間に合うかな……?」
「この先にいるボスのことなら、まだ十分時間はあると思うよ。もしあちらさんから襲撃してくるようなことがあっても、拓けたここなら奇襲されることもないし」
「なら良かったです! じゃあ、もうちょっとは遊んでいても大丈夫そうですね」
「あ。それなら、あそこのコース行ってみない? 梺に綺麗な池もあったんだ」
ちょっとした自然との――自分の技術との勝負と、達成感。
そんな冒険へのお誘いには、巳琥も大きく頷いて、
「面白そうですね。行きましょう」
――勿論、安全第一で。
そう笑顔で頷き合ったふたりは、陽に煌めく雪原へと新たなシュプールを描きながら飛び出していった。
「雪、だ……!」
「本当、一面雪ね」
「柔らかそう――!」
言い終わらぬうちに、ぱふん! とこんもり積もった新雪へとダイブした空廼・皓(春の歌・h04840)。その狼の尾がぶんぶんとご機嫌に揺れる様に、白椛・氷菜(雪涙・h04711)もひとつ笑みを深める。
「氷菜、氷菜! 雪すごいふわふわ! ……って、氷菜は雪、珍しくない?」
「……え? だって、私雪女の半妖だよ?」
「あっ……そうだった」
あまり感情の彩を見せぬ双眸のまま掌のうえに牡丹雪を出して見せる氷菜を見て、皓の耳がへにゃりと垂れた。
こんなにも素敵な体験を、一緒には共有できない――?
けれど、でも。
「こんなにたくさんはすごい……よね?」
「そうね、あまり見ないかも」
「だよね!」
しょんぼり顔も一転、すぐさまぱあっと満面に笑んだ皓はすっくと立ち上がり、ここまで運んできた大きなソリの綱を手に取った。
「氷菜、俺ソリ、したい! これ、ふたり乗り!」
「あ、それ……ソリだったの」
うん、やろう、と返せば忽ち、皓が氷菜の手を引き白銀の大地へと駆け出した。
真白な雪を踏みしめるたび、ざくざく、きゅっきゅ、とリズミカルに鳴る音。躍り始める心臓を一層彩ってくれるそれに、吐く息は白く、脚もなお躍らせながら、一気にちいさな丘の頂へと辿り着く。
「氷菜、前乗って。運転手」
「えと、私は先に前に乗っていれば良いのね」
「ん。責任、重大」
耳をぴんと立ててこくりと重々しく頷く皓だったけれど、そんな重要任務を任された氷菜といえば、ひそりそわりと期待を滲ませていた。
誰かと一緒にソリなんて、子供のころ以来――そう裡で呟いた瞬間、後ろに飛び乗った皓が溌剌と叫んだ。
「じゃあ、行くよ、氷菜!」
「――わ、」
狼の脚力でもって勢いよく雪を蹴り上げると、ソリは一気に斜面を滑り始めた。粉雪を巻き上げ、燦めく光を空へと鏤めながら、真白な新雪を勢いよく駆け抜けてゆく。
最初は驚いたけれど、今は頬に吹きつけるひんやりとした風すらも心地良いのは、独りじゃないから。――皓が、共にいてくれるから。
「すごいすごい! ソリ、楽しい! ね、氷菜。もっとスピード出してもいい?」
「うんっ……でも、スピードってもっと出るの?」
「任せて!」
言うや否や、ぐん! と更に加速するソリに、身体もがくんと大きく揺れて。驚きも束の間、すぐに愉しげな声を響かせながら、白く広大なキャンバスに青いソリが一条のシュプールを描いていった。
梺でゴールしたら、また丘へと戻って滑走する。
そうして天然のアトラクションを心ゆくまで満喫したふたりは、雪のクッションのうえへとどうと身を放った。
「ふぅ……楽しかった」
「大丈夫? 疲れてない?」
「私は乗っていただけだから、大丈夫。……むしろ、晧の方こそ大丈夫?」
「全然!」
有り余る体力を示すかのように、耳と尾をぱたぱたと振って拳をぐっと握る皓。
まだまだ時間はあるし、なにより手つかずの雪はこれだけあるのだ。やりたいことは全部やらねば勿体ないというもの!
「俺、かまくら、作ってみたい」
「かまくら?」
どこで知ったのだろう。いや、元から知っていたのだろうか。いずれにせよ、雪国でもない限りは体験できない遊びには違いない。
「そう、雪の家。大きい家……は難しそうだから、氷菜と俺ふたりで入れる家でいい……よね?」
「そうだね、そのくらいで良いと思う。私が降らせても良いけど……まずはここの雪を集めようか」
自分へと向けられた自信なさそうな視線へと氷菜が淡く微笑みを返すと、「天然、沢山あるから大丈夫」と忽ち相好を崩した皓も大きく頷いた。
「あ、そうだ」
早速、意気揚々とスコップで雪を盛り始めた青年の、そのふわふわな尾の揺れる背へとそっと声を掛ける。
「さっき、チョコを作ってもらったの。後で晧にあげるね」
「チョコ? 氷菜の分は?」
首を傾げ、きょとりと瞬いた皓が柔く笑う。
「氷菜も一緒に食べよ」
まるで、それが一番幸せと言うかのような、その声音と笑顔に、
「……うん」
氷菜もまたすこし俯き、雪解けのようにはにかむのだった。
――訪れたダンジョンは一面の雪景色だった……!
国境の長いトンネルならぬ、ダンジョンの短い入口を抜けた先で『大鍋堂』の面々を出迎えた景色に、緇・カナト(hellhound・h02325)が感嘆混じりに呟いた。
「わぁ! 素敵な雪景色ですね」
「すんご真っ白ー! テンションあがるね。ってあれ? レモンちゃんは?」
「邏傳さん! 僕ここ! ここです!」
危ない。もしや自分はレフ版のようになっているのでは、なんて脳裏を過ぎった危惧が現実になりかけていた。
髪も肌も服も、すべてが真白な茶治・レモン(魔女代行・h00071)がそう慌てて駆け寄れば、「ごめごめ、景色に溶け込み過ぎちょんから、つい♡」と八卜・邏傳(ハトではない・h00142)も苦笑交じりのウィンクを返す。
「ともあれ、無事合流できて良かった~いぇい☆」
「はいターッチ。それにしても、銀世界……もですがレモンくんも眩しい」
ぱしっ! と邏傳とハイタッチを交した流れで、野分・時雨(初嵐・h00536)は目許に掌の日除けを作った。
「ゲレンデでサングラス必要な理由って、お洒落じゃないんですね……」
雪だるま作ろう! の誘い文句に惹かれ、ありのままの姿を見せいざ未知の旅へと訪れたものの、冬の陽が白に反射して結構――いや、かなり眩い。雪焼け、スキー焼けという単語の真の意味を、今まさにここで体感する。
「オレ、全然眩しくないよ?」
「あ、カナトさんひとりだけ狐面でずるいじゃんね。寄越して」
「え~~じゃあ時雨君もなんかくれる?」
くつくつと、けたけたと。ふたつ重なる笑み声で、カナトの面の下の眸も愉しげに弧を描いているのが分かる。
「さァてと。じゃあ、早速雪の城……じゃなかったカマクラ作ろ~」
「いーねぇかまくらづくり! とはいえ、みんなで入るんつくるちなると、やぱ大変よな」
「雪山つくって穴掘るのと、雪ブロック積むやり方あるみたいだけれど……今回は道具アリ、人数もいることだし、役割分担してやってみる?」
「そうですね、まずはやってみましょう!」
カナトの音頭に邏傳もニカリと笑い、レモンがぐぐっとやる気の拳を握った。時雨からスコップを受け取り、いざ――実践!
――5分後。
「カナトちゃん、ここの雪こうで良いの?」
「そうそう、上手いねぇ邏傳君。その調子でどんどん奥に掘ってって~」
「カっ、カナトさん……」
「ん? どうしたレモン君?」
「も……もしかしてこれ……結構、大変な作業では……?」
「全身運動だからねぇ」
「くっ……やりがいがありますね……!」
――そして暫し皆で格闘すること幾許か。
「じゃん! 完成した大鍋堂印カマクラが此方~。みんなお疲れ様~」
「わあ。いつの間にやらかまくらが!」
ばばーん! 紛うことなき見事なかまくらが雪の中に鎮座ましましている様に、時雨が思わず眼を瞠った。全く記憶にないけれど、自分も作っていた……のかもしれない。
「えー!? 夢中になっちょる間にできとるー!?」
「長い戦いでしたが……かまくら完成! おめでとうござ――えっ、本当にできてる、いつの間に? どうして……?」
「やァ、涙ありロマンありの大事業だったねぇ」
ビデオ録画で言うところのチャプタースキップ、もしくは倍速視聴でも起こったか。愉しいことは時間が過ぎるのも早いと言うが、それにしたって早すぎる。
こうして、レモンの名の下に『大鍋堂七不思議』のひとつが爆誕した。深く考えてはいけない。
「手冷たいし、入ろ」と早速中へと入る時雨に、仲間たちも続く。
「……レモンくん、子供体温の頬っぺ、モチモチして良い?」
「わぁい! 良いですよ――って冷っ! 痛っ!」
ゴスッッッッ!!!!
「いっった、この子どこにそんな力あんの?」
思いのほか極寒を纏った指先に、反射的に繰り出されたレモン正統キレパンチをダイレクトに喰らった時雨が、吃驚顕わに頬を擦った。魔術師なのに物理なのか。というかその手、何気に義手だよね?
「お~。これだけの広さがあれば、すごく押しくらまんじゅうもできそう」
「あったかそうでええねぇ。する?」
これも大鍋堂の日常茶飯事と言わんばかりに、からりと語らうカナトと邏傳。
マットを敷いた上にふっかふかのクッションを置き、皆でぽすんと腰を下ろして。これまた不思議と揃っていたあたたかい鍋を存分に味わってついでにぬくぬくと寛いだら――さすがに時間を持て余し始めた。
「この後は何しようかぁ」
「雪遊びと言えば~……そりレース? 犬ぞりとか聞きますもんねぃ」
「雪とソリあるなら犬ぞりレースみたいな……?」
そう思案を巡らせ始めたカナトと時雨の言葉に、俄然レモンが声を弾ませる。
「雪そり、犬ぞりも初めてです……! あ、なら僕、地這い獣の楽々さんにソリ引いて欲しいです。カナトさん、楽々さんと遊んでも良いですか?」
「あ! それなら俺も楽々ちゃんとあそびたーい!」
「楽々と? ソリ犬向きかは知らないけれど……地這い獣たちと影業も遊ばせても楽しそうではあるよねぇ」
レモン君のためにもファイトする~? とカナトがダックスフント似のビッグな地這い獣の頭を撫でていれば、
「ダメならダメで、僕が邏傳さんと楽々さんを乗せてソリを引きます」
「へ? レモンちゃんが俺と楽々ちゃん引く? 聞き違い?? 逆よね!?」
邏傳が今日何度目かの驚愕を見せた。きみの聴力は至って全うだから安心してほしい。
「それならぼくは、邏傳くんにおぶってもらって飛ぶのアリかな。楽に勝ちたい」
さりげなく末尾で時雨の本音がダダ漏れているが、仲間は誰も気にしなかった。
それよりも、だ。
「邏傳君がついに、雪ソリ“引く側”体験を……?」
「おぶるんいいけども、ソリレースで飛ぶの? 斬新ね!?」
危うくスルーしかけた時雨の言葉に、思わず邏傳が突っ込んだ。漸くのツッコミシーンである。
「でも、楽して勝つんなら~俺の可愛い壺🏺ちゃんにインしてもろて転がったが速えよ?」
あ、名前はつぼティーヌでーす♡ とご機嫌にずずいと取り出してきた壺へと、時雨がまじまじと視線を落とす。
「……壺。ここにぼく? 入れます? 出れるちゃんと?」
「つぼティーヌに……時雨さんが? 入るんです? えっ、質量と体積が凄い事になりませんか!?」
「大丈夫、時雨ちゃんなら大丈夫」
時雨からは怪訝そうな、レモンからはまあるく見開いた双眸を向けられるも、邏傳はいつものからりとした笑みを返した。これほどだいじょばない大丈夫も早々ないだろう。
とはいえ、こうして外で語らっているだけでも、折角暖まった身体がすぐに冷えてくる。
「……とりあえず、先に暖かい飲み物ほしいよね」
「良いですね、あったか~い飲み物」
「邏傳くんの壺のなかに、なにか飲めそうなものがあれば、それを雪合戦勝者から選ぶとか。どうでしょ」」
「ん~……何混ぜたか覚えてない謎スープちゃんズなら、あるね? 味は当たり外れある、かも」
「あるんだ。つぼティーヌも、色々できるの万能だねぇ。一家に一台欲しくなる相棒枠かも」
「ですね。つぼティーヌ万能すぎでは? 僕も欲しいです」
「そなの! 俺より優秀な壺ちゃんよ」
周囲から大絶賛を受ける|不思議道具《つぼティーヌ》。
それよりも“謎スープ”は気にはならないのか――そうツッコミを入れる存在が希有な旅団、それが『大鍋堂』と言っても過言ではないだろう。壺の需要はあるのに、ツッコミ役のそれはどこまでも皆無だ。
そんなこんなで開催が決まった、『突発! 大鍋堂・雪合戦』。
「――では、スタート」
時雨の合図と同時に、一斉に視界を飛び交う雪玉たち!
たかがあたたかいスープ。されどあたたかいスープ。
それを手に入れられるかどうかは、ここでは死活問題にさえ通ずる。
「勝負とあらぁ、俺も全力でいくよ」
「はっ! 邏傳さん危ない!」
「へ? レモンちゃ……ぶはぁ!! つべたい……」
大きく振りかぶった邏傳の身体をむんずと掴み、ぐいっと引っ張って己目がけて降ってきた雪玉への盾とするレモン。その対面で、カナトはひょいひょいと華麗に攻撃を躱してゆく。
「オレは避けてく分には良いんだけれどさァ。運が悪いと当たりどころも良くないような……あ、」
「邏傳くんオラ…………うわ出たこの犬!」
黒く艶やかな毛を雪塗れにしながら、わふん! と楽々が時雨めがけてビッグ・ダイブ! 一口囓らんと執拗に追いかけ回し始める光景に、仲間たちの和やかな視線が注がれる。
「楽々ちゃん時雨ちゃん大好きなんな~」
「ええ。時雨さんの手がよっぽど好きなんですね、楽々さん」
「あぁ……楽々が時雨君を齧るのも恒例になってきたような……やっぱり美味しいのかな」
「ちょっと|飼い主《カナトさん》! 責任とってくださいよ」
追われながらもカナトへと突撃した時雨が、手にした雪玉を一気に連投!
けれど、一点集中しているその隙を逃すレモンでもない。
「今だ……えい!」
バシュッ!!!
「……今ぼくに投げたの誰ですか!」
「僕じゃないです、本当です」
素知らぬふりで視線を逸らすレモンに、邏傳とカナトも笑みを堪えながら肩を揺らして。
そこから幾つもの笑み声と歓声を冬空いっぱいに響かせたら、心地良い疲労感とともにまた、心惹かれるままかまくらへ。
「謎スープ、皆さん選びましたか?」
「選びましたけど……結局、これ何が入ってるんです?」
「香りは美味しそうなんだけどよねぇ」
4人入ったら、ほんのすこしばかりきゅうきゅうな雪の裡で。
「うん。狭っ!! でも少しも寒くないわぁ~なーんて」
両側から伝わるぬくもりに、邏傳もゆるりと破顔するのだった。
ふわり吹いた一条の風が、雪の香を連れて柔く頬を撫でた。
頑丈な皮膚も、柔らかな毛皮も纏っていない人の身ならば、忽ち熱を奪っていってしまいそうなほどにひんやりとした感触。だのに不思議と口許が綻ぶのは、凜と清らかな風にどこか身の引き締まる想いを抱くからだろう。
だから蔦ノ森・まほろ(Olivier odorant・h02875)は、寒い場所へ――勿論、確りと着込んだうえで――行くのが好きだった。スピリチュアルなことを語る気はないが、静謐な場に身を置くことはどこか特別なことにも思える。
「ずーっと向こうまで真っ白! ステキ!」
こんなに積もってるの初めて見た……! と、まほろの視線の先で久遠・マリーツァ(Ipheion・h01241)が大きく両の手を広げた。もこもこのコートに身を包んだ娘は、整った形の猫耳をぴんと立て、ちいさな足跡を雪原に刻んでいく。
「さっきまで美味しかったから、これが全部あまーいチョコに見えてきちゃいそう……」
言いながら、ふふ、とちいさな笑みが毀れる。
横浜ではあまり拝めぬ冬の絶景を前にして、心躍らずにいられようか。誰の手も入っていない真っ新な白い舞台に飛び出して無邪気にくるくると回れば、薄絹のように淡い陽に燦めく白銀の世界に淡雪めくマリーツァの髪が軽やかにたなびく。
「そうだ! ――ね、まほ。雪だるま作りたい!」
「雪だるまね、いいんじゃない? ……でも、最初から僕に作らせる気だったよね?」
「えへへ。まほなら上手に作ってくれるでしょう?」
そう、まあるい笑み声を零しながらぱたぱたと駆け寄ってきたマリーツァへと、まほろは軽く溜息を吐いた。今日、此処へ訪れるとなったときからそんな気はしていた。だからこそ、ダンジョンへと入る前に人間の姿へと転じていたのだ。
「ね、『一生のお願い!』」
ぽふ、とマリーツァがもこもこ手袋を嵌めた両手を合わせてみせるけれど、まほろは眸を伏せて軽く首を横に振る。
「ダメダメ、今日はお願いナシ」
「むー……いじわる」
「手伝わないとは言ってないだろう? 僕が身体作るから、雪玉、顔の方作りなよ」
「ん。ならふたりで作る!」
頬膨らませていた顔が、ぱっと花咲くように綻んだ――のも束の間、
「言っとくけど……顔命だからね。まんまるに頼む」
「わかってるもん! 絶対、綺麗でまんまるの頭にしてみせるもん!」
まほろの追い打ちに、そう言い捨てたマリーツァは勢いよく駆け出した。
声の届く近場でふたり、早速雪玉作りに取りかかる。
「そうだ。マリィ、どのくらいのサイズにする? こっちはマリィに合わせて作るけど……」
「できるだけおっきくしたい! ふかふかの雪だるまさん、可愛いもん!」
「……分かった」
ぐぐっと拳を作って力説するマリーツァへと、まほろは呆れを滲ませながらそれだけを返した。
(絶対、なにも考えてないな……)
抱えられる程度の大きさで留められるよう、眼を光らせておかねば。そう裡でひそりと決めると、まほろは足許の雪を確認しながらしゃがんだ。
指先で雪を掬い上げれば、手袋越しにほんのりと冷たい感触が指のなかでほろりとほどける。そのまま掌のうえで綺麗に丸めた雪玉を地へと置き、すこし転がしてみると、周囲の雪を纏いながら球体が徐々に大きくなってゆく。
その|様子《やり方》をちらりと見てから、マリーツァもまた雪へと触れた。
「ふふ、冷たーい」
見た目通りの柔らかさに、ついつい頬が緩んでしまう。猫の姿で思いっきり雪のベッドへと飛び込んだら気持ちよさそうだけれど、この人型サイズの掌で目一杯ふんわりとした雪を体感できるのもまた、愉しい。
「くるくるー。おっきくなーれ♪ まんまるになーれ♪」
くるくると雪玉を転がしながら、マリーツァが口ずさむ歌のような旋律。それを傍らで聞いていたまほろの口許も、知らずと綻ぶ。
ついついちょっと愉しくて無心で作っていたら、手許の雪玉はもう大分おおきくなりつつあった。バランス良く、形良くと気をつけていた甲斐もあり綺麗な球体となったそれは、さらりとした雪がすこしずつ絡まるたびに掌から伝わる重みも次第に増し初めていて。
そろそろ十分か――そう思ったのと同時、力みながら娘の洩らした声が響いた。
「んー! おっきくなってくると重たいかもー!」
「マリィ? 大丈夫? もう、どっちも十分な大きさになったから重ねようか」
「あ、それならお顔作っちゃう!」
言って、コートのポケットから取り出したのは、おおきな洋服のボタンふたつと、細長い人参。
「コレでお顔作ろ?」
「良いんじゃない? 任せる」
「えっと、ここにこうしてつけて……人参はこの位置かな……ん、できた! うふふー可愛い」
「……まぁ、いいんじゃない?」
世辞ではなく、まるでぬいぐるみのような愛らしさの雪だるまの“顔”を前に、まほろは素直な感想を口にする。形もかなり綺麗に整ったそれを崩さぬように慎重に持ち上げ、自分の雪玉のうえへと乗せる。
「まほ力持ちー♪」
「……結構、重いかも」
もうすこしだけ早くストップを掛けても良かったかも――そう、ほんのりと思った言葉は言わないでおこう。
心地良い疲労感に身を委ねながら、ふたりはふかふかの雪へと腰を下ろした。
このまま横になって寛ぎたい気持ちもするけれど、まずはいつの間にかじんわりと冷えてきた身体をあたためるのが先決と、まほろがちいさな保温水筒をふたつ取り出した。黒のを手許に残し、淡い紫のをマリーツァへと差し出す。
「ちょっと一休みしよう。ココア淹れてきた」
「わーい! ……ん、あったかーい!」
瓶を静かに傾ければ、口一杯に溢れる程良い甘さ。それをゆっくりと満喫しながらこくりと飲むたびに、じんわりと裡からぬくもりが広がってゆく。
「はー……息が白いねぇ」
雪景色に溶けていく白い甘やかな湯気と呼気を眺めながら、ふくふくと微笑むマリーツァ。その双眸が愛らしく佇む雪だるまを映した途端、娘は勢いよく立ち上がった。
「あ! 今度こそ記念に3人で写真撮ろー♪」
「……記念ね、せっかく雪だるま作ったしね」
マリーツァと、まほろと、そして雪だるま。
ちゃあんと並んだ3人が収まるようにカメラを固定したら、思い思いのポーズを取って数秒――。
「はい、笑って!」
そう一等愉しげな娘の声とともに、軽やかなシャッター音が雪空に響いた。
第3章 ボス戦 『キャラメリゼ・フランベ』

●艶やかな琥珀に染めて
雪原を抜けた先にあった岩場の扉を開いて奥へと入ると、そこには広い鍾乳洞の空間があった。
剥き出しになった岩壁のあちらこちらにあるのは、オレンジフローライトだろう。ほわりと灯るあたたかみのあるその色が、あたり一面を照らしてくれている。
その中央、周囲よりひとつ高い岩場にどうと仁王立つ娘――キャラメリゼ・フランベが、開口一番、苛立ちを顕わに叫んだ。
『うう……漸く来たわね、√能力者! 遅かったじゃない!』
どうやら彼等がダンジョンへと入ったときから、その存在を把握していたらしい。
だのに一向にこのボスフロアへと訪れないものだから、痺れを切らしているようだ。
――それなら、そっちから出向いてくれば良かったのでは。
そんな思いが脳裏を過ぎったとしても、優しい心でそっと口を噤んでおいてあげよう。娘が極度の寒がりなのは、ここだけの秘密だ。
『ああもう……パフェ・スイートがここに居るって聞いたから来たのに、いないじゃない……! なんか腹立つー!! あんたたち、覚悟しなさいよ!!』
完全なる八つ当たり布告をしたキャラメリゼは、そうしてにまりと不敵な笑みを浮かべるのだった。
✧ ✧ ✧
【マスターより】
・リプレイの傾向:ほのぼの~コメディ
戦闘よりも敵への行動や心情に重きを置いたプレイングを推奨します。
・プレイングが4件集まった、もしくは3/18(火)12:30を過ぎたらプレイング受付〆となります。
(3/18(火)12:30までにプレイングが4件集まっていない場合、サポートプレイングも採用して執筆いたします)
・5件目以降のプレイングも引き続きフォームが閉まるまでは受け付けますが、突然閉まる可能性が高いのでご注意ください。
・このシナリオのみのプレイングボーナス
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寒いもの・冷たいもので攻撃する
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「いやー、怖えなあ恨みの炎は……」
「八つ当たりもいいところじゃないのか? これ……」
苦笑を浮かべるゴードン・バロック(陽差しの|炎銃士《フレイムマスケッター》・h01865)の隣で、千堂・奏眞(千変万化の|錬金銃士《アルケミストガンナー》・h00700)――ゴードンに誘われでもしなければ、奏眞は店や雪原には立ち寄らずここに直行していた――は困惑顔で柳眉を寄せた。
「ま、『目当てのスイーツに辿り着けない』っていうのは、まだ可愛いものだろう」
淑女の真の怒りがどれほどのものか、想像するだけで恐ろしい――そう過ぎった想像を掻き消しながら、ゴードンはゆっくりと数歩、敵前へと出た。
「というか、前のフロアに乗り込んでくれば……」
顎に指を添え言いかけた言葉を、そこで止める。
同じダンジョン内部とはいえ、このフロアは洞窟だからか完全に雪原の冷えた外気が遮られていた。寧ろ、キャラメリゼ・フランベが絶えず纏う炎の熱気で程良いあたたかさだ。
「なるほど……|レニー《水の精霊》、|ネージュ《氷の精霊》。どうやら出番続行みたいだぜ?」
ゴードンの策を察した奏眞から不敵な笑みと視線を向けられ、男もまた頷いた。
淑女の怒りを丁重に対処するも騎士道だ。加えて、奏眞も共に在るならばこれ以上心強いことはあるまい。
――ならば、策は決まった。
『ぐだぐだ言ってないでさっさとかかってきなさいよ! 来ないならこっちから行くわよ!?』
露骨な苛立ちを顕わにするキャラメリゼ・フランベへと、ゴードンはすうと息を吸い――口火を切った。
「あー奏眞と可愛い精霊達と美味しいチョコを食べたり雪遊びしたり、牛肉鍋食ったりして楽しかったなー!」
『はぁぁぁぁぁぁ!? あんたたち、この私を放っておいてそんなことしてたの!?!?』
むき――!!!!
途端に火力が増し、ゴードンの足許がぐらりと揺れたかと思えば見る間に滑るようにひっくり返った。なんとか体勢を維持するも、
「パフェスイートも――……あーれー」
キャラメルでコーティングされた地面に脚を囚われてしまう。
(とは言っても俺、火の精霊との深い縁もあってちょっと火には強いんだよな)
確かに、この躰を押しつけるキャラメルは今やかなりの高熱になっていた。だが、これしきのことで音を上げるようなゴードンではない。
『あはははははっ! ざまぁないわね√能力者!!』
「うわぁ……」
ひらりとジャンプして敵の術を躱した奏眞は、どこか憐憫の眼差しを向けた。これ程に露骨な挑発に引っかかってしまう彼女は、もしかするとパフェ・スイートにもこの調子で巻かれているのかもしれない。
だが、それも一瞬にして表情を切り替えると、高速で多重詠唱を展開しながら小精霊たちへと告げる。
「|ファム《火の精霊》、|ヴィータ《生命の精霊》! ゴードンのフォロー、よろしくな。――|レニー《水の精霊》、|ネージュ《氷の精霊》、行くぞ!」
『お水、ぶっかけよ~』
『吹雪も追加。|テト《風の精霊》、手伝い』
『おまかせなのー!』
弾けんばかりの勢いで放たれた水が、忽ち風と氷を纏った。そのままキャラメリゼ・フランベ目がけ一直線に襲い来る。
『いやぁぁぁぁなんか来た――!?!?』
「このスペシャル錬金弾で、カチコチに凍っちまえ!」
『なにその氷柱おかしいでしょ!? 冷っ、冷たいっていうか痛っいたたたたやだなんかまた来た――!?』
「ついでにこいつもお見舞してやるよ!」
|ファム《火の精霊》の熱でキャラメルを溶かし、|ヴィータ《生命の精霊》に治癒を施されたゴードンも起き上がり、奏眞と肩を並べて愛銃『|夕焼けの薔薇《フー・デュ・ロゼ》』の銃口を向け引き金を引いた。
今や|対標的必殺兵器《ターゲットスレイヤー》と化したマスケット精霊銃が発砲音を響かせ、
『火に強いなら先に言いなさいよばか――!!!!!』
奏眞の術によって強化された弾丸が、キャラメリゼ・フランベの叫びを掻き消しながら戦場を駆け抜けた。
戦闘となれば危険が及ぶ故に、と雪原での待機を選んだ仁美と氷華に見送られながら、結城・凍夜(雪の牙スノーファング・h00127)と雪菜・リリー・ヘヴンズフィール(天の杯ヘヴンズフィール・h03356)は洞窟へと入った。
「これは……中々に見事な景色ですね」
「うん、ほわほわした灯りがきれい~。仁美ちゃんと氷華ちゃんにも見せたかった……あ、」
無骨な岩盤を綺羅に彩るオレンジフローライトの光に視線を巡らせた先、高い岩場のうえで氷漬けになっている少女を見つけて、雪菜はひとつ瞬いた。
「……あれがこのダンジョンのボス?」
『いったたたた……寒っ! もう、酷い目に遭っ――はっ。また√能力者!? 今まで散々待たせたくせに今度はいきなり押し寄せてきてなんなのあんたたち!』
「お待たせしたようで申し訳ありません」
『って、言葉と態度が真逆なんだけど!?!?』
そう突っ込むのもさもありなん――対峙する凍夜は、既に浮遊するガンナーズブルーム|飛行箒《“Kalevala”》に騎乗し、|精霊銃《”スノーホワイト”》で狙いを定めていた。
「すみません、ちょっと寒くなりますよ!」
『謝ってるけど攻撃意欲バカ高じゃない!!!!』
そう吼えるキャラメリゼ・フランベにも構わず、躊躇いなく射出された氷雪の弾丸は、燦めく純白の雪片を零しながら瞬く間に娘の足許へと着弾した。瞬間、ダイヤモンドダストが爆ぜる。
「いけ! シマエナガ!」
続く雪菜が、ふわふわと飛行するとまあるいボディの大きなシマエナガ――その乗り心地は人を駄目にするクッション並みの柔らかさ――に乗ったまま、|白き雪の妖精《シマエナガ》たる護霊を解き放った。その後ろに続く幾羽ものちいさな白とともに、キャラメリゼ・フランベを急襲した。
『わぁ可愛――じゃない痛いいたたたたっ!! ちょっ、わざと凍傷になってるところ|突《つつ》いてるでしょ!?!?』
一見、小柄な少女然とした敵に感じた違和感も、最早すっかり消え去った。その躰から放出され続ける熱い魔力が、娘を敵だと物語っている。
だからこそ、雪菜は手加減などしない。――とはいえ、既に先手を打たれてしまったキャラメリゼ・フランベは、岩場のうえで白い妖精たちから必死に逃げ回っているばかりなのだけれど。
「一緒にパフェ、食べられたら良かったのにね……」
「ああ、パフェであれば定食屋『ときの』でもご提供していますので、機会がありましたらどうぞ」
『パフェなんて冷たいもの食べられるわけないでしょ!! 私は|パフェ・スイート《あいつ》をぶっ倒しにきたのよ!!! ってかもうやだこの鳥しつこ――い!!!!』
言葉通り、機会があれば――本当に来店してくれたのなら、心を込めて提供するのに。
「そうですか……。うちのパフェ、自信作なので是非ご賞味いただけたら良かったのですが……」
「ね~。美味しいのに~♪」
シマエナガに追われ、どたばたと走り回っている娘を眺めながら、ふたりはしみじみとそう零すのだった。
「そういやあの謎スープ、案外美味しかったねェ」
「え? ホント? やった~♡」
「はい。ほんのりフルーティーな甘さもあってデザート感覚でした」
「え……ぼくの、完全に優しい出汁の味でしたよ……!?」
困惑気味にそう零れた野分・時雨(初嵐・h00536)の声に、一瞬だけ間が生まれ、仲間たちの笑顔が張り付いた。
ちなみに、壺の持ち主である八卜・邏傳(ハトではない・h00142)は、醤油を入れた記憶はあるものの、果実と出汁は覚えがない。ワンチャン、|🏺《つぼティーヌ》が自ら入れた可能性はなきにしもあらずだ。ツボツボ歩けるらしいし。
「――まぁ、雪解けショコラも作ってもらったし、皆さんと雪イベントを楽しめたし……」
固まった空気を解すように話題を切り替えると、茶治・レモン(魔女代行・h00071)は洞窟に響かせていた靴音を止めた。見ずとも分かる熱量――明らかな敵の気配のするほうへ、ゆっくりと勝ち気な双眸を向ける。
「あー、楽しかった! ……あっ、お待たせしました!」
「おやまぁ、これはなんと甘そな、お嬢ちゃん」
『いかにも仲良く遊んできました~~って感じのヤツらがやってきたじゃない……! あんたたち、喧嘩売ってんの!?』
「キャラメリゼ・フランベも来たら良かったのに」
『誘われてないけど!?!?』
「誘われたら来たってことですか……?」
「寂しがり屋なのかねェ」
『そこふたり!! 憐憫の眼差し向けないで!!!!!』
ずびし! と指を突きつけられた時雨と緇・カナト(hellhound・h02325)は、益々可哀想なものを見る目つきを深めた。これあれだ。友達いないタイプだ。
「そかそか、だからここで待っちょってくれたの? ごめごめ、おまたせ~♡」
『むき――!!! バカにしてるでしょ!! 大体、ダンジョンに入ってきておきながら戦闘忘れてるとかやる気あんの!?』
「確かに、きらきらチョコタイムにきゃっきゃうふふ、雪遊びも全力できゃっきゃうふふしてきたけど! 忘れてなんか……ま! 折角だもんで! 一緒に遊んじゃう?」
「ええ。ひとりで遊ぶのが寂しいのなら、僕たちが一緒に遊びますよ?」
まぁ、遊んだ後に倒させていただくことにはなるんですけど――と続く言葉は、レモンの裡だけに留める。
『独り遊びしてたみたいに言わないで!! してないし!!!』
「え……じゃあ、このなんにもない場所でぽつんと佇んでたんですか……?」
「時雨君、しーっ」
口に人差し指を当てながら隣を見遣ったカナトへ、時雨も嗚呼、と口を噤む。『だからその目、止めなさいよ!!!!』と文字通り怒髪天を衝く勢いのキャラメリゼ・フランベだったが、お構いなしにカナトは思わず浮かんだツッコミを零す。
「愉快なボスも多いところだなァ。……にしても、寒いの得意じゃなさそうなのに何故こんな雪のダンジョンに……?」
『……パフェ・スイートって奴をボコるために探してるのよ! あいつ、こういう寒い場所によくいるから……』
――会う約束をしていたんでしょうか?
――いや、あのお嬢サンのことだから、勝手に追いかけてるだけじゃないですかねぃ。
――あー……下手すると、パフェ・スイートさんに認識すらされてなかったり……?
――え!? それかわいそすぎひん!?
『そこぉ!!! こそこそ言ってんだったらあたしから行くよ!!!』
痺れを切らしたキャラメリゼ・フランベが、手にした獲物――巨大へらを構えるより一拍早く、レモンが動いた。
「雪を降らせることはできませんが、魔法属性の弾丸はいかがですか?」
言った直後、開いた白き魔道書から無数の魔力弾が放たれた。これが雪玉だったら良かったのに――そんな思いが胸中を過ぎる。
『漸くやる気になったようね――って痛たたたたたたっ!!!』
「ほら、雪合戦みたいで楽しいでしょう?」
『雪玉どころかこれ魔力刃じゃない!!』
「あ、雪玉なら俺出せるよ~。ほれ。さっきの雪持ってきちゃった~♡」
『持ってこなくて良いわ!!!』
被弾したり逃げ回ったりしながらも、律儀につっこむキャラメリゼ・フランベ。意外と良いやつなのかもしれない。
「さっきは俺らだけ楽しんじゃったから、俺のつぼティーヌからのお土産! 発射☆」
どばばばばばばばばば――!!!!!
華麗にウィンクひとつ投げた邏傳の手許で、|🏺《つぼティーヌ》から大量の雪が放出された。まさに消火活動よろしく、消防用ホースから勢いよく放流される水のように、怒濤の勢いで白雪がキャラメリゼ・フランベへと襲いかかる。
『ちょ、やだ本当に雪じゃないなんてもん持ってきてんのよあんた!』
「や、綺麗やったし? ……て。え!? 結構出んね? |🏺《つぼティーヌ》、どんなけ入れたん。|ポッポちゃん《鳩時計》も中にいるでしょ、凍てない?」
ポッポちゃん起きれる? 大丈夫? と邏傳が窺うように壺を擦ってみれば、
「ポッポーポッポーポッポポッポポッボボッボ――!!!!」
『ぐふっ!!!!』
壺から超速で飛び出した|🐦《ポッポちゃん》の嘴が、娘の頭に突き刺さった。ちなみに、その|🐦《ポッポちゃん》を後で回収するのは邏傳の役目だ。
「うゎめっちゃ怒っちょるー。――あ、可愛いつぼティにおイタしようもんなら、俺も容赦はせんよ? っね♡」
――これぞ名づけて、『冷え冷えティーヌの嬢ちゃん捕獲大作戦☆』!
「はーい行ってらっしゃい~ごろごろ旅へ☆」
『|壺《そいつ》自体が発射するのおかしくないいいいいい!?!?』
雪を吐き出しきった|🏺《つぼティーヌ》が、今度は自らの躰を回転させながらとんでもない豪速で娘を襲う。
謎の物体すぎて思わず逃げ出すキャラメリゼ・フランベは勿論、お得意の『フィナール・フランベ』を放つ準備――60秒間火力をチャージする余裕なんてあるわけがない。
「皆さん! 魔力付与は済んでますから、これでもっとキャラメリゼさんと遊んであげて下さい!」
「ありがとねェ、レモン君。……さて、雪遊びも大いに楽しませてもらったことなので、お礼参りをプレゼントしてあげるねェ」
「お嬢サン、八つ当たり姿も可愛いらしいのですが。連れがしばくのならばしばきます」
寒すぎてなにもしたくはない――そんな心はすっかりかまくらに置いてきた時雨は、忽ち|地這い獣《水姫》を喚んだ。
火柱はあたたかそうだけれど、ダメージまで浴びるつもりは毛頭ない。このままキャラメリゼ・フランベの動きを阻害せんと、水姫を突撃させる。なんのためのペットか! ――肉壁だよ。「行け」と指示する声音は低いけれど、ペット思いの優しい時雨さんはちゃんと霊的防護を纏わせている。
『いやああああなんか人面蛇みたいなの来たあああ!?』
「ついでに雪嵐もおまけしましょう」
『いらんわ!!!!!』
なんて、キャラメリゼ・フランベの叫びは無論、聞く耳持たず。邏傳の壺から放出された雪を巻き上げた暴風雨が、容赦なく娘を喰らう。
「吹雪作っちゃうなんてぼく、雪女……いや雪プリンセスの才能あるかも」
「じゃあ、オレは|悪評高きは天の大狼《無敵のもふもふフェンリル狼》に――」
言い終わらぬうちに変化したカナトは、跳躍するような足取りで一気に間合いを詰めた。
「凍えたならば、身体を動かすのが1番~。狼サンが目いっぱい遊んであげようじゃないかァ」
『さぶぶぶぶぶぶいら、いらないっての!!!』
「あ、もしかして犬より猫派だった? ザンネンだけれど、其処はちょっと我慢してくれよゥ」
『ちっが――う!!!!』
炎を纏ったような巨大へらに興味津々戯れたかと思えば、じゃれつくように娘の周りをぐるぐると駆け回って。微笑ましい光景にも見えるけれど、実のところ完全にカナトに翻弄されている娘は、ごっそごっそと気力体力を奪われていく。
『はぁ……はぁ……この……! ちょこまかと……!!』
「少しはあったまったり楽しんだ? ――じゃあ、そういうことで」
――暑いと寒い、どっちが強いか競走しよう。
『み゛ぎゃああああああああ寒っ!!! 冷たああああああ!!!』
その言葉の意味を問う間もなく、大きく開けた口から絶対零度の吹雪が放たれた。キャラメリゼ・フランベの炎ごと、忽ち視界が白に染め上げられる。
それを突き抜けて現れたのは、地這い獣に跨がり|曲刀《カルタリ》を片手に携えた時雨の姿。
「今回のぼくは雪上のプリンセス――すこしも寒くないです」
待たせてしまったお詫びは、直接お届けしましょう。
映画かミュージカルでも始まりそうな台詞を交えながら、一気に肉薄した時雨は獲物を上段に構え――躊躇いなく振り下ろす。
『いや――!!! 寒いのいや――!!!』
ドゴォォォォォォッッッッ!!!!!
キャラメリゼ・フランベの悲鳴とともに、真白な雪柱が盛大に――爆ぜた。
「あ。そう言えば僕、まだ雪だるま作ってなかったな……。あの、まだ遊ぶ時間ってあります? キャラメリゼ似の雪だるまも作りますよ!」
『余裕か!!!!!!!! ……うっ』
「あ、突っ伏した」
「そんな状態でもツッコミは入れるんですね……」
「嬢ちゃん、律儀やねえ……」
『……散々な目に遭ったわ……これだからつるんでるヤツらは嫌いなのよ……!』
「大変でしたね、キャラメリゼさん」
『……あんた、√能力者のくせにあたしの肩持つっての?』
結構ぼろぼろになりながらもどうにか逃げ出し――もとい、戦略的撤退をしてきたキャラメリゼ・フランベは、視界に入った東風・飛梅(あるじを想う霊木・h00141)へとジト目を向けた。
「寒いのや冷たいものが苦手だから、そうやって火力をチャージしているのねえ」
『はっ。なによ、結局やる気なのね?』
言って、獲物たる巨大へらを構えた娘へと、けれど飛梅は緩く首を横に振った。
「私は、そんなことはしないわ」
『え……?』
柔らかな薄紅の髪を揺らしながら、春の若葉を思わせる淡緑の双眸を細める。穏やかな声音が、雪解けのようにふたりの間に響く。
「梅の木の樹精だから、単に|冷たいもの《そうしたもの》の持ち合わせがないとも言うけれど……」
春告げの花ならば、凍てつく寒さよりも麗らかで長閑な陽だまりが似合うだろう。そう思わせる雰囲気を纏った飛梅の様子に、キャラメリゼ・フランベも知らずと警戒を解いていた。
――解いてしまっていた。
「だからまあ、そんな熱くならないで」
『あんた……ん? んんん??? あれ……!?』
ぽん、と肩に置かれた手へと、キャラメリゼ・フランベが視線を向けた。
右掌があった。
もう一度視線を戻せば、にこりと微笑む飛梅の姿。
『ってあああああああああチャージしてたのが切れてる――!?!? 寒ううううううう!!!!』
「……ごめんね?」
暖を取っていた炎を――折角の火力チャージを、消してしまって。
無防備となったキャラメリゼ・フランベへと、飛梅は一際強く握り締めた拳を、渾身の愛を込めて叩き込んだ。
「わーキレイ! オレンジ色がキラキラしててオランジェットみたいな洞窟! すてき!」
『…………』
「ホント、ちょっと美味しそうかも。ここまで綺麗だと、ダンジョンだってことを忘れそうになるよね」
『…………』
「――なんか怒ってるヒトはいるけど」
なにやらキャラメル風の翼や尾が生えているけれど、ヒト――と称して良いのだろうか。
そうほんのり躊躇いながらも気配の主を見遣った蔦ノ森・まほろ(Olivier odorant・h02875)の傍ら、まほろの視線に気づいた久遠・マリーツァ(Ipheion・h01241)もまた、キャラメリゼ・フランベを見つけてひらひらと手を振った。
「あっキャラメリゼさま、おまたせですよー……あれ? え? なんか怒ってます?」
『……こンの√能力者たち……どいつもこいつも悠長すぎる!!!!!』
「だって楽しかったから……雪だるま……あ! なら、キャラメリゼさまも一緒に雪遊びしたら――もが」
「マリィ、しーっ」
さぁっと狼狽を浮かべたまほろが、咄嗟にマリーツァの口を手で塞いだ。不意のことに驚きながらにじたばたと抵抗してみせれば、ゆるりと掌が解かれる。
「……もー、まほ! なにするの!」
「……みんな思ってて黙ってるから!」
「……でも、一緒に遊んだほうが楽しいよ?」
(……コイツマリィ……)
確かに、難なく友人と交流できる人ならそうかもしれない。
が、どうみても彼女はその類ではない。あんなにも明るく燃えさかっているのに、陽の気配がまるでない。完全なるぼっち気質――しかもツン気質もある――だ。
(わがままなだけだと思ってたけど、煽り性能、意外と高いのかもしれない……)
体面を気にせずとも良いのなら、ここで大仰に頭を抱えているところだ。
なんか、ちょっとうちの子がすみません――そんな気持ちを抱えたまほろがひとつ溜息を零すも、マリーツァは全くお構いなしに「そうだ!」と眸を燦めかせる。
「ね、キャラメリゼさま!」
『なっ……なに!?』
「せっかくキレイな場所だし、写真撮りましょ! ほら、笑って笑って!」
『しゃ、写真!? なっ、なんであたしがあんたと一緒に撮ることになってんのよ!』
と言いつつ、顔はどことなく嬉しそうにも見える。ツンだけではなく、ツンデレなのかもしれない。
(……とりあえず、マリィが頑張ってくれるみたいだな……)
無論、そう思ってはいるけれど、見逃す気は更々ない。マリーツァの身になにかあろうなら、この身を挺してでも庇ったり――あわよくば反撃を、とまほろは慎重にやりとりを見守る。
「ちなみに、わたしやまほに痛いことしたら仕返ししちゃいますから。えへん! わたし、強いんですよー?」
『っ……なんなのあんた……! 戦意削がれるったらありゃしない……!!』
「あ、そのお顔いただいちゃおう!」
ぱしゃり☆
『――え』
「やった、ぷんぷんのかわいいお顔撮れちゃった!」
『なっ、なに勝手に撮ってんのよ! 撮るならもっと格好良くて可愛いときにしなさいよね! それ消して今すぐけしてさっさと消して!』
「ふふ、やーでーす!」
近寄って手を伸ばしてきたキャラメリゼ・フランベをひらりと躱すと、スマートフォンを片手にご機嫌な笑顔のマリーツァが軽やかに駆け出した。そのまま広場でぐるぐると始まった追いかけっこに、まほろが二度目の嘆息を吐いた。
「……まったく、なにやってんだか……」
それでも、マリーツァが愉しそうならば。
こんなひとときの切欠をくれたことへと、ひそり裡で感謝を添えて。
「これは記念にとっておきますねー!」
『記念ってなんの記念よ!!』
この出逢いを、愉しい想い出とともに。
「――貴方のこと、ちゃんと覚えておきますから」
『ったくもう……√能力者っておかしなやつばっかりじゃない!? ――ひえ寒っ!!!!! えっっ????』
急に肌へと触れた冷気に思わず身震いしながらキャラメリゼ・フランベが振り返れば、瞬間、白椛・氷菜(雪涙・h04711)の藍の双眸と視線が交じった。
「……あの……」
『ひぃ! あんたもしかしなくても雪使いでしょ!?!?』
「ええ……まぁ、雪女の半妖だから……」
『いやああああああ!!! こっち来ないで――!!』
相性が悪いことは考えるまでもなかったけれど、あまりにも露骨なその拒絶に、氷菜は一瞬言葉を失った。
無論、相手は敵だ。おててを繋いで仲良くしましょう、とは行かぬだろう。とはいえ、なにやら誰かに逢えなかったようでもあるし、即戦闘――とはならないまま、互いに距離を取りながら様子を窺う。
「えっと……何故、最初にその相手に連絡でもしなかったの……」
『……だって……連絡先、知らないもの……』
「…………」
この手の見目の簒奪者ならば、√能力者と同様に携帯端末のひとつやふたつ持っていてもおかしくはない。パフェ・スイートなる相手も、簒奪者のひとりだと聞いたような覚えもある。
そのうえで連絡先を交換していないということは――、
(……どうやら、友人ではないみたいね……)
そう察しをつけた氷菜は、けれどそれを口にはしなかった。優しい。代わりに、別の疑問を投げかける。
「よく雪の地帯があるダンジョンの此処に来れたわね……」
『! そうなの!! 大変だったのよ!!! この手前の雪原見た!? あそこ、あたしの熱で溶かしてもすぐ雪が再生されるのよおかしくない!?』
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、キャラメリゼ・フランベが身を乗り出さん勢いで捲し立てた。よっぽど大変だったらしい。というか、そこは地味に頑張ったのか。
「……大変だったのね」
淡々とした口調で差し障りのない言葉を返しながら、氷菜がゆっくりと密やかに纏う冷気を周囲へと広げていく。会話はするけれど、それはそれ、これはこれだ。
『ってなんかさっきより寒っ!!! あんた、やっぱりやる気ね!? そっちがその気ならあたしだって――』
「……貴女、私に近寄れる?」
『~~~~~~無理いいいいいいい!!!!』
いつでも√能力を発動せんと準備を終えていた氷菜の周囲は、既に外気と同じほどにひややかな空気に転じていた。堪らず巨大さじを抱えて物陰に隠れたキャラメリゼ・フランベへと、娘が一歩、また一歩と靴音を響かせながら距離を詰める。
「ここまで頑張ったところ、申し訳ないけど……そろそろ退場してね」
『やだやだ折角必死に雪原超えてきたのにパフェ・スイートに逢えないどころかあんたたちも倒せないで終わるなんてやだ――!!』
そうノンブレスで一気に叫んだキャラメリゼ・フランベへと向けるのは、霊力から生み出した氷の刃。
「……いずれ、求めていた相手と会えるといいわね」
『ひぃぃぃぃちべた――み゛ゃ――――っっっ!!!!』
優しい言葉とは裏腹に、俊足で間合いを詰めた氷菜の刃が華麗なる剣閃を描いた。
見渡す限り荒々しい岩壁だのに、そこを彩るオレンジフローライトはどこまでも鮮やかで、空沢・黒曜(輪る平坦な現在・h00050)はそのひかりを双眸に映しながら、しばし脚を止めた。
(綺麗な石……こんなときじゃなかったら、発掘でもしたいくらい)
これだけの√能力者が集っているのだ。多勢に無勢、いずれはあの少女――キャラメリゼ・フランベも倒されるだろう。それと同時に、この美しい燦めき諸共ダンジョンも消えてゆく。人々の憂いが晴れるのは喜ばしいことだけれど、この石を見てしまっては惜しいと思うのもやむを得まい。
『……さ、寒すぎ……雪女とか無理すぎる……』
「あ」
『……あ。……あ、あんたモグラね!? モグラなら雪使わないわよね! よーし今度こそこの堪りに堪った鬱憤、晴らさせてもらうんだから!!』
「えーっと……」
まだ八つ当たりは継続しているらしい。更には、直前に雪で酷い目に遭ったようだ。
けれど、ここで突っ込めばそれこそ火に油だろう。ここはそれとなく流しながら倒すのが大人というものだ。
「――ま、そっちが向かってくるなら自分も対峙するだけだ」
『ってあんたなんでそんな雪まみれなのよ!!!!』
「えっ」
いざ特攻せんと構えた破砕ツルハシを思わず落としかけた。今それ気づいた?
「……挑戦の結果だよ」
そう視線をそっと逸らして遠くを見遣った黒曜に、
『……あんたも、なんか大変だったんだね……』
なんか申し訳なさを孕ませた声で、キャラメリゼ・フランベも零す。自分はそんなつもりはなかったのに、ちょっと相手にとって触れちゃいけないところを触れてしまったあの居たたまれなさだ。
けれど、思いのほか気持ちを切り替えるのが早かった黒曜が、一拍先に動いた。
錬金術でツルハシの刃へと忽ち冷気を纏わせると、ガントレットを纏う腕を頭上へと掲げ、即座にクローを射出する。
『なっ!?』
きゅるるるると音を立てながら巻き上がるワイヤーにつられて、黒曜が瞬く間に高く宙へと飛び出した。足許を掬わんと慌てて振り回された巨大さじが、空を切る。
「お、上手くいった……って、なんか地形溶けてない?」
『ふふん! あたしとっておきのスペシャルキャラメルコーティングよ!』
ここからの押さえつけは避けなければ――だが、これは好機でもある。
「ツルハシごっつんチャンス、行くよ!」
『えぁ!? ちょ、ちょっと待って絶対それ痛いやつじゃない!!!』
「待てと言われて待つ戦闘相手はいないでしょ?」
そう、まさに正論を返しながら。
近距離にて漸く気づいたその威力に顔を青ざめるキャラメリゼ・フランベへと、黒曜の重い一撃が繰り出されるのだった。
数秒前までの騒動が嘘のように、洞窟内に静寂が戻った。
『…………』
地面に突っ伏しているキャラメリゼ・フランベ。すこし離れた場所に、その様子を窺う森屋・巳琥(人間(√ウォーゾーン)の量産型WZ「ウォズ」・h02210)と不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)という、なんともシュールな光景だ。
「……それにしても、総勢200羽のシマエナガさん……圧巻でしたね」
「なんか、シマエナガさんたちも遊びたかったのかも……?」
1羽でちゅん。2羽でちゅんちゅん。5羽、10羽――その程度ならまだ可愛らしいものだったけれど、巳琥が洞窟内へと放った|自律性ビット《デフォルメ調のシマエナガ》は総勢201羽となっていた。
それらが一斉に射撃(と言う名の雪弾)や突撃(とても冷たい)を仕掛けてくるのだから、キャラメリゼ・フランベも逃げようがない。どうにか反撃しようにも、「それなら冷やしちゃえ!」と自律判断したらしいシマエナガたち――雪に塗れていつも以上に真っ白――に塊となって襲いかかられてはひとたまりもない。
放った張本人である巳琥すら、その飽和的多数にちょっとばかり圧倒されながら、気づけば誰しもの視界は雪ならぬシマエナガの白で埋め尽くされ――それが漸く収まって今に至る。
「ちょっと雪合戦……みたいでしたね」
「あ、言われてみればそうですね」
巳琥の言葉に、ちるはもこくりと頷いて。ふふ、とついついふたりが頬綻ばせれば、
『そこ……っ! 和むなぁぁぁ……!!』
やっとキャラメリゼ・フランベがどうにか起き上がってきた。見事なまでに満身創痍だのに、ツッコミは怠らない。その気概に思わずふたりも感心したりしなかったり。
「一応、これもお仕事ですから。あなたが簒奪でなければ、特に敵対ということもなかったんですけどねぇ……」
人に仇なす危険を孕んでいる以上、巳琥としては見過ごせない。だからこそ皆の安寧を護るべく、こうして人々の日常の裏で密やかに対処しているのだ。
「ちなみに、単に観光したかっただけ、なんてことは――」
『あるわけあるか――!!! あたしはただ、パフェ・スイートが居るって聞いたから……!』
「あら? 私、パフェさんとは先程まで一緒にパフェ食べていたのですが……」
どこまでも長閑な雰囲気を纏ったちるはが、どこまでものんびりとした口調でさりげなくド直球の情報を投げた。
無論、それをスルーできるキャラメリゼ・フランベではない。
『はぁ!?!? ど、どこで!?!?』
「えっと、ここではなく、『ショコアトル』ってダンジョン都市の水晶ダンジョンで……。もしやキャラメリゼさんももぐもぐ約束を……?」
『ぐっ……やっ、約束ってほどのものじゃ、ないけど……』
既に1回、“約束をしていない”ことがバレて哀れまれ済みの娘は、すこしばかりの見栄を張った。もう心身ともにずたぼろなので、このくらいは赦してあげてほしい。
「待ち合わせ、出会えず……? それは残念ですね……。まあま、キャラメリゼさんも甘いもの食べて一旦深呼吸しましょう」
言って、巳琥とふたり、キャラメリゼ・フランベの傍らへと腰を下ろした。私のおみやげお裾分けしましょうそうしましょう、とちるはが謳うように手荷物を引き寄せ、お目当ての甘味を取り出し始める。
『はぁ……もう、ほんとあんたたち、調子狂うわ……。まぁ、良いや。甘いものって、ちゃんと美味しくなきゃ怒るからね?』
「幸い道中が涼しかったので溶けずに――ほら」
どどん!!!!!!
『なっっっっ!? そ、それ――』
「はい。フルーツとアイスをドカ盛りした特製パフェです。パフェさんと一緒に作ったんですよ。さぁ、ご遠慮なく」
そうたっぷりのアイスを掬った匙(結構ビッグ)を柔らかな笑顔で差し出したちるはは、
「どうぞどうぞ召し上がれ! はい、あーん♪」
『うぐっ!!!!!』
その暴力的なまでのビジュアルに唖然としていたキャラメリゼ・フランベの口へ、問答無用で押し込んだ。流石、戦線工兵。攻め処の見極めが的確だ。ふわふわ揺蕩いながらも、確り稼業を手伝う√能力者だけはある。
「ひえひえアイス……苦手ですか……?」
『見りゃ、わかるでしょ……これだけ炎出してれば……』
「あ……もして雪も……? 今回、あなたがここに現れてくれたお陰で癒しに安らぎと楽しくある場をいただいたので、先程の雪もそのお礼にと思ったものだったんですが……」
『お礼だったんか!!!!』
口の中の極寒にどうにか倒れそうになった身体を堪えながら、続く巳琥の台詞へとキャラメリゼ・フランベが唸り気味に叫んだ。意図はさておき、好意に交えて攻撃を仕掛けてくるその|強《したたか》かさ。容赦ない。
ただパフェ・スイートを狙いにきただけなのに、雪原を横断させられ、しまいには√能力者たちには問答無用でボコられた娘は、どうにかむくりと起き上がると蹌踉けながら歩き出す。
『くっそー……今日は踏んだり蹴ったりだわ……!』
「キャラメリゼさん、また会いましょうー」
ふりふりと軽やかに手をふるちるはの隣、
「今度は簒奪者ではなく、甘味好きとして過ごせれば良いですね」
巳琥も和やかな双眸で見送るなか、キャラメリゼ・フランベの一際大きな声が洞窟に響いた。
『女子会か!!!!!』