竜の涙は水晶色
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「……へえ、噂通り綺麗なダンジョン。私の翼とお揃いのクリスタルの森、ね」
嗚呼、かつて|真竜《トゥルードラゴン》であった方。そのような脆弱な姿に堕とされてなお、気高き御方よ。
「……誰!?」
我ら『|喰竜教団《しょくりゅうきょうだん》』が貴方様を在るべき姿に戻しまする。死を乗り越え、偉大なる真竜へ……。
「はぁ? 何言ってるの? ってかなに、そのドラゴンプロトコルみたいな尻尾……」
嗚呼、美しきドラゴンプロトコル様。たった一度の死を恐れる必要はございませぬ。貴方様は我らと一つになり、不死を得るのですから。さあ……すべては真竜へと至るために……。
「だから意味わかんないんだけど!? と、とにかく魔物なら倒さなきゃ……勇気を出すのよ、クリスティア……!」
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「いや何それ知らねー怖っ」
星詠みであるレイシー・トラヴァース(星天を駆ける・h00972)は、降りてきてしまったゾディアック・サインに思わず身震いした。
ドラゴンプロトコルを無差別に殺害し、その遺体を√能力者に接合することで不死となり、いずれは真竜になる。そんな教義を信奉する者の暗躍を知ってしまったレイシーは、頭をぶんぶんと振ると深呼吸する。
「あー、悪い、ちゃんと説明するな? 簡単に言うと、ドラゴンプロトコルの冒険者が魔物に襲われて殺されちまう。なんで、助けてやってくれ」
レイシーは努めて冷静な説明を試みながらも、眉間にしわを寄せる。
ターゲットにされるのはクリスティアというドラゴンプロトコルの少女。駆け出しの冒険者で、難易度の低いダンジョンであれば、という条件付きで単独踏破ができる程度の腕前だ。
「まずいことに、今回もソロでダンジョンの奥深くまで入っちまってる。そこを『喰竜教団』の信徒になった『元S級冒険者』崩天っていう豚獣人に襲われちまうから、急いで追いかけて助けてやってくれ」
現場となるダンジョンは魔物がほとんどいないという意味では比較的安全で、攻略の見返りこそ少ないが美しい景観で知られており、冒険の楽しさを体感したい初心者冒険者にはちょうどいい場所となっている。淡く輝く光苔に照らされた地下水脈を下りきれば、水晶の森が広がっている。そのほとんど最奥にたどり着いたクリスティアを、崩天が襲うのだ。
この崩天は『喰竜教団』の信徒と化し、竜の尾を自らに移植しているという。彼ら信徒は『喰竜教団』の教えのもと、無差別にドラゴンプロトコルを殺害し、遺体を奪っている。崩天の尾も、もとは|被害者《ドラゴンプロトコル》のものだったと推測される。
「今回襲われるクリスティアは冒険者になったばかりで、実力的にも√能力には敵わねぇはずだ。戦ったらまず間違いなく殺されちまう」
ただでさえ崩天は偃月刀を自在に操る強敵なのだ。駆け出しのクリスティア単独では長くはもたない。ゆえに、√能力者が一刻も早く現場に到達し、守らねばならない。
√能力者たちがやるべきことは三つある。
まずは地下水脈を突破すること。光苔の明かりはあるものの水脈の流れは速く、流されてしまうとタイムロスだ。慎重に、そして大胆に進む必要がある。
次に、水晶の森を抜けること。草木の形をした透明な水晶は美しいが硬質で、進める道は限られてしまう。行く手を阻む水晶を力づくで破壊したり、ほんの小さな隙間を縫ったり、あるいはクリスティアが進んだ痕跡を見つけ出して辿ったり……工夫を重ねれば、それだけ現場に早くたどり着けるはずだ。
最後に、クリスティアを守り、崩天の凶行を阻止すること。ただし、崩天は偃月刀の達人であり、加えてドラゴンプロトコルの尾で強化されている。それらに注意を払えば勝機も見えてくるだろう。
「こんな意味わかんねー教えを広めてる教祖様ってのには、今はまだたどり着けないけど……まずは目の前の事件を防いでくれ」
あたしも怖いしな、と笑って見せるレイシー自身も、ドラゴンプロトコルだ。抵抗も蘇生もできる√能力者とはいえ、善意であっても意味不明な理由で殺されるのは困る。
「あ、あとAnkerとか友達にドラゴンプロトコルがいたら、気を付けるように伝えてくれ。もちろん、みんなも……無事に帰ってきてくれよな!」
少しぎこちなく手を振りながら、レイシーは出立する√能力者を見送った。
第1章 冒険 『光苔の地下水脈』

壁の光苔に淡く照らされながら、水が激しい音を立てて流れる。ほの暗い洞窟を、タージェ・シャルトルーズ(ルートブレイカー・h04741)は進んでいた。風の精霊と風翔靴『エアリィ・アクセルシューズ』の力をもってすれば、空を翔けることなど造作もない。
「喰竜教団の依頼も増えてきたね」
硬い表情で、タージェは傍らを飛ぶドラゴンプロトコル――アステラ・ルクスルブラ
(|赫光《ルクスルブラ》の黒竜・h01408)に話しかける。
「全く、ろくなもんじゃないね」
吐き捨てるように言うアステラ。彼女自身もドラゴンプロトコルである以上、いつ狙われるともしれず、他人事ではないのだ。翼から魔力を放出し、水脈に沿って奥へ。空を進んでしまえば、滑りやすい岩も濡れた足場も気にならない。
「上、気を付けて」
「分かっている」
視認に十分な光源があるとはいえ、薄暗い洞窟の中。タージェとアステラは互いに声を掛け合い空を行く。入り組んだ地形に当たれば速度を変え、巧みに翼を操り、地形との衝突を避ける。
そのうち、水に濡れておらず光苔も多めに生えている大きな岩が見えてきた。二人で座るには十分広く、そんな好条件の岩場はこれまで無かった。この先もない可能性を考えると、ここを使うべきだとタージェは考える。
「あそこで休憩しよう」
「いや、急いだほうがいい。手遅れになっては元も子もないしね」
アステラは難色を示す。目を凝らせば水は途切れるように下に落ちており、それなりの段差があるように見受けられた。先を見通せない不安もある。
「だからこそ、だよ。ここまで休みなしで飛んできたけど、休憩なしではたどり着いても疲れ切ってしまうだろう?」
狭く入り組んでいるため体感が狂うが、二人はかなりの長時間、高速で移動を続けていた。敵に出会うことがないのは幸いだが、体力を思えば、休息も必要だ。
「……分かった」
タージェに続いて大岩に降りるアステラ。座ればひんやりとした冷気が衣服越しに伝わってくる。
タージェは水を口にし、小さなチョコレートを食べる。慣れた味が疲れた体に沁みた。
「あー、もう。ホントはゆっくりダンジョンを楽しみたかったのに……」
ところどころの光苔は物言わずタージェたちを照らしている。この先も幻想的な風景が広がっているというダンジョンだが、景色を眺めるのはまたの機会だ。
「楽しむ……」
生真面目なアステラにとって、目的の遂行は第一だ。一方で傍らのエルフは楽しみたかったと口にする。生きるということは、ただ役割をこなすだけでなく、その道のりに楽しみと幸福を見出すこと。愚直とすら言えるアステラがそれを理解しているかは、彼女自身にすらわからないのかもしれない。
「休憩は十分だ。急ごう、少しペースを上げる」
アステラは【|赫光形態《モドゥス・ルクスルブラ》】を発動し、輝く翼で洞窟の奥へと進む。タージェも慌てて立ち上がると、風の精霊の力をより強く行使し速度を上げる。
(「あんな思想の巻き添えなんて、絶対させないんだから」)
幾分軽くなった体で、二人は地下水脈の奥へと進んでいった。
近頃√ドラゴンファンタジーを騒がせている『喰竜教団』の思想は、√能力者たちにとって許しがたいものだった。身近にドラゴンプロトコルがいるのであれば、なおのこと。イリス・フォルトゥーナ(楽園への|階《きざはし》・h01427)は傍らのアスター・フォルトゥーナ(天上で光り輝く幸運の星・h00862)を想う。
「ずいぶん流れが速いね」
アスターの銀の瞳に映る水脈は荒れている。こういった形で駆け出し冒険者の体力が試されるのだろうが、今はそんなことは言っていられない。
「上を飛んで行きましょう。……力を貸して、天使さま!」
オラシオンの使徒たるイリスは天使に祈りを捧げると、その翼を得て大天使へと変身する。
「この力があれば、怖いことなどありません。……さあ!」
頷き合ったイリスとアスターは、流れる水の上を飛ぶ。祈りを届ける天使の翼と、幸運の星たるドラゴンプロトコルの翼が並び、薄暗くも幻想的な洞窟の中を、文字通り彗星の如く飛んでいく。
「……あんな邪道を頼らなくても、ボクらはいつかは取り戻して見せるんだから」
アスターは独り言つ。偉大なる竜の姿を失い、今は人の姿であろうとも、真竜に戻るために狂気の手を取り身を委ねるのは……さらなる堕落だ。そんなことは今回狙われた冒険者少女も望んではいないはず。
「ええ、彼らの目指す先に『楽園』はありません」
死の傍らに悲鳴と慟哭があるのであれば、それは最も幸福から遠い。オラシオンの使徒として……そして何より、大好きなアスターがいつか必ず自らの手で望みをかなえると信じればこそ、イリスは『喰竜教団』を許しがたく思うのだ。
「行こうイリス。大丈夫、幸運の星たるボクがいるんだから、絶対にたどり着けるよ」
アスターは手を差し出し、イリスがその手をしっかりと握る。
「はい、アスターさん! 絶対に、絶対に……あの子を、助けるんです!」
イリスは加速の法を唱え、その力をアスターにも分け与える。全てはアスターの同類たる少女、クリスティアのため。洞窟の岩壁を、二つの光がひときわ強く照らして去っていった。
第2章 冒険 『水晶森のダンジョン』

地下水脈の流れはやがて穏やかなものになり、最後は穏やかに泉に注いだ。それを過ぎれば湿気を含んだ冷えた空気がふわりと色を変え、水晶がぽつりぽつりと生え始める。進み続けると、洞窟の岩肌を覆いつくす開けた場所へとたどり着いた。大小の透明な水晶は木々や草が生い茂るようで、まさしく水晶の森と呼ぶにふさわしかった。
「すごく綺麗……」
幻想的な光景に、アステラは言葉を失う。
「ホントこんな時じゃなかったら……」
ゆっくり見て回りたかったのに、という言葉をタージェは飲み込む。今は、急がなければ。
アステラは藍の瞳を天へ向ける。大きく育った木のような水晶に邪魔をされ、上空からの捜索は非効率。となれば先行したというクリスティアの痕跡を探すのが上策だ。意見を同じくした二人は、水晶を丁寧に観察し始めた。
(「人が踏み入った痕跡……」)
タージェは魔眼も用いて目を凝らし耳を澄ます。
「これは……」
「見つけたのか?」
「残念、動物の足跡だった」
地面のへこみはドラゴンプロトコルにしては小さいものだ。かすかな気配と音は、足跡の主のものだろう。あとは……と、ふとタージェが見渡すと、大きな水晶の下にわずかながら竜漿の痕跡が見えた。アステラも同じ場所を見て、痕跡に気付く。
「そこ、細い水晶が折れているな」
「大きいものも、隠れて分かりにくいけど折れてここに倒れたようだよ」
状況から、道を確保するために竜漿兵器か魔法の類を使用したと思われた。その余波で水晶の根元を傷つけ、クリスティアが通過した後に折れ、道を塞いだと推測できる。
「あるいは、『喰竜教団』の工作かもしれないね」
「何……?」
「勘だけど、ね」
万が一逃走を図られた時、道が塞がれていれば足止めになる。そう伝えると、アステラも納得がいく。つまり、救助対象は……そして、敵は、この先にいる可能性が極めて高い。
「それなら、力ずくでいいな?」
「えっ」
今度はタージェが驚く番だ。アステラは返事を待たずに竜爪を構える。
「一気に行くぞ!」
そしてその爪で猛然と水晶に連撃を加え、大きな水晶を砕いたのだ。破片がキラキラと輝いて地面に落ち、先行した誰かの痕跡を覆い隠していく。だが、おかげで道は切り開けた。砕け散った水晶の奥には、比較的通りやすい小道が続いていたのだ。
「これで通れる」
アステラが真っ先に駆け出し、鋭利な水晶片をものともせずに小道に飛び込んでいく。
「……そうだね。急ごう」
本当なら、この広場でのんびり過ごしたいところだが……先を急いで走っていけば、水晶の森は視界の端を流れていくばかりだ。
(「この恨みを晴らす為にも、早く見つけ出して殴ろう」)
殴る、と言いつつ敵を蹴り飛ばすことを想像しながら、タージェも先へ進んでいった。
水晶輝く白銀の森に、イリスとアスターが降り立つ。目の前に広がる光景に二人は息を呑んだ。視界のほぼ全てがクリスタルでできた洞窟は、なかなか見られるものではない。
「とっても綺麗、ですけど……」
「今は先を急がないとね」
何もなければ、傍らのイリスとともにゆっくり見て回りたいところだった。だが、今まさに助けを待つ|同類《ドラゴンプロトコル》がいると思えば、アスターは足を止めようとは思わない。
「けれど、美しい水晶を壊してしまうのも、したくはないですし……」
「そうだね、何とか壊さずに進めるといいんだけど」
少し迷い、イリスは胸の前で手を組んだ。
(「もう一度、力を貸して! 天使さま!」)
祈りに応え、聖杯を戴く天使が降臨する。その様子を……あるいはイリス自身を、まぶしそうに見つめるアスター。誰も傷つけることなき願いをひとつ叶えるこの天使に、願うことは一つ。
「天使さま、どうか光を以て、クリスティアさんへの道をお示しください!」
切なる願いは聞き届けられ、光の道が伸び始める。だがダンジョンである以上、決して狭いものではないだろう。道が途切れることもありうる。イリスの心配を見抜いたアスターは、安心させるように優しく諭す。
「ボクもこの目で通れそうな場所を探すよ。天使さまの導きは信じるけど、二人で探した方がきっと良いからね」
大小の結晶の隙間を縫うように、光の導きが続く。二人は手を取り合って光をたどり、やがて小さな広場へとたどり着く。
「光は、ここでおしまいのようですね……」
肩を落とすイリス。だがアスターがその顔をのぞき込み、いたずらっぽく笑う。
「大丈夫。ほら見て」
指をさす先。草のように生える小さな水晶に紛れて、明らかに強力な力で砕かれたクリスタルの破片が落ちている。その先は、人一人くらいなら通れる小道になっていた。
「少なくとも、誰かがあそこを通ったはずだよ。行こうイリス。あの子を助けるためにも!」
イリスの手を引いて、アスターが前を行く。若きドラゴンプロトコルの背を追って、イリスもまた小道へと飛び込んだ。
「私とアスターさん、二人の|幸運《フォルトゥーナ》なら、絶対に、彼女へとたどり着けるはずです!」
道が分かれば、後は向かうだけ。水晶の間を、二つの流星が駆け抜けていった。
第3章 ボス戦 『『元S級冒険者』崩天』

水晶の森を抜けた√能力者たちが目にしたのは、竜の尾を持つおぞましい|豚獣人《オーク》崩天だった。そして水晶に似た翼を持つドラゴンプロトコルが、巨大な水晶を背に追い詰められている。
崩天は駆けつけた√能力者たちに気付くと、ゆっくりと振り返る。
「邪魔者か……しばしお待ちください、ドラゴンプロトコル様。こやつらを斃し、必ずや貴方様を真竜に……」
崩天は偃月刀を構える。戦いは、避けられない。
水晶の小道を抜けた先、少し開けた場所に、無粋な暗褐色の毛皮が見える。
「いた」
タージェが真っ先に到達し、獣人に不似合いな竜の尾を確認する。間違いない、これが崩天だ。その向こうにいる、水晶風の翼を持つドラゴンプロトコル……クリスティアの無事を確認すると、なんとか彼女を逃がそうと思案する。
そこへ、アステラが、そして少し遅れてアスターとイリスが到着した。
「これはこれは、ドラゴンプロトコル様……」
崩天はアステラとアスターへ恭しく頭を下げると、タージェとイリスを順番に睨む。その目には明らかな蔑みがあった。
「下賤の者がドラゴンプロトコル様の御前に立つなど無礼千万。下がれ」
威圧。『|喰竜教団《しょくりゅうきょうだん》』にとってドラゴンプロトコルでない者は木端に過ぎないと態度が語る。だが、イリスは引かなかった。
「……下がりません」
聖祓杖「アルカディア」を握りしめ、真っ直ぐに見つめ返すイリス。大好きなアスターのためにも、逃げるなどという選択肢はもとよりない。
「ボクの大切な人にそんなことを言うなんて、無礼なのはキミのほうじゃないかな」
アスターが低く咎めると、崩天は慌ててひざまずき、反意のないことを示す。
(「今だ……」)
やり取りを見ていたアルテラが、クリスティアに手招きする。駆け出し冒険者はその合図に気付くと、身を低くして首を垂れる崩天の横を抜け、√能力者たちの方へ移動することに成功した。
「なっ……ドラゴンプロトコル様!」
タージェがさえぎるように前に出て、クリスティアに微笑みかける。
「ここは危ないから、君は終わるまで安全な場所に隠れていて欲しいんだよ」
「はい!」
来た道を引き返すクリスティア。小道を出てきた継萩・サルトゥーラ(|百屍夜行《パッチワークパレード・マーチ》・h01201)とすれ違う形で、その場を離れていく。
「とりあえず、まず殴らせてよ」
水晶の森を楽しむ暇も与えてくれなかった崩天への怒りを乗せて、風翔靴『エアリィ・アクセルシューズ』で一撃を入れる。なお、殴らせろと言っておきながら蹴っているがそこはそれだ。
「貴様!」
気色ばむ崩天に対し、タージェはさらに挑発する。
「それから、その尻尾、格好悪い」
「全くだ」
不敵な笑みを浮かべて、サルトゥーラがタージェの横に立つ。その身はパッチワークのようで、顔にすら継ぎ目がある。その姿を見てはっとするタージェに、サルトゥーラは自嘲気味の笑みを向ける。
「|ツギハギ《こんなの》なんざ、綺麗なもんじゃねーよ」
こうして、√能力者と崩天は対峙する。偃月刀がぎらりと輝き、
「かくなる上は、この場におわすドラゴンプロトコル様を……!」
崩天の√能力により、水晶の森が禍々しきダンジョンへと書き換わっていく。それに対抗するはイリスだった。
「いいえ、そんなことは絶対にさせません!」
楽園を信奉するイリスから見れば、『喰竜教団』の教えは偽りの希望。そんなものに染まった崩天に、負けるわけにはいかない。
「これより此処は仮初の楽園……!」
狂信者と√能力者を分けるように邪悪と清浄が押し合う。押し合いつつも、おおよそ境界線は均衡するが……イリスは、独りではない。
「お願いアスターさん、貴方の歌を聞かせて!」
「もちろん! イリスが望むのなら、何処でもだって響き渡せるよ!」
アスターの歌う勇壮なる歌が戦場を包み込み、イリスへ、皆へ力を与える。命を守らんと集まった者、大切な人への心からのエールが力へと変わっていく。そして、仮初の楽園が徐々に広がり、場の上書き合戦を制する。
「よし、あとは全力で叩き潰すだけだ」
アステラは【赫光形態】を発動し、魔力を放出し格闘戦を仕掛ける。赫光に輝く翼、そこから生み出される超高速の鉤爪から、崩天は逃れられない。自らのものでない尾を振り回しても直感で回避され、起死回生の反撃を図れば、それはタージェの右手に打ち消されていく。
「なぜ……貴方様がたとて|真竜《トゥルードラゴン》に戻りたいと願われているはず」
「頼まれてもいないんだろ? そういうのをお節介って言うんじゃねぇの?」
サルトゥーラの指摘に、二人のドラゴンプロトコルが頷く。『喰竜教団』に頼らずとも、死を経ずとも。自ら歩む道に、余計な手出しは不要。彼らの気持ちを理解しているのは崩天――『喰竜教団』ではないという事実を、√能力者たちは叩きつける。……そうして、彼の英雄譚は完全に打ち砕かれた。
「已むを得ん……ここは退くが、必ずや真竜に……」
「おっと、まぁ焦んなや」
形勢不利とみて脱出を考える崩天を、小型改造無人ドローン兵器「アバドン」が阻む。その数は二十を超え、崩天の退路を塞ぐ。
「楽しいのはこれからだぜ?」
サルトゥーラの獰猛な笑みの傍らから、真摯なる祈りの声が聞こえてくる。
「聖なるかな聖なるかな――今此処に、穢れなき光を!」
完全に場を支配したイリス。彼女の呼び出した幾百もの水晶に光が乱反射し、崩天を貫きながら、楽園を、森全体を白く染める。呼べば呼ぶほど速度も精度も落ちるはずの天使、それが数百ともなれば本来命中など望むべくもない。……だが、此処は既に、|仮初の楽園《イリスの領域》。なれば最も力を持つのは、楽園の天使さまにほかならない。
「『喰竜教団』の主義主張に付き合うつもりはないね」
アステラからなされる、冷酷なまでの拒絶と怒り。|同族《ドラゴンプロトコル》かどうかは関係ない。それは命を軽んじる者への義憤だ。アステラは体内の竜核炉をフル稼働させ、翼を超高速突撃形態へと変形させる。
そして、白き輝きに染まった世界を、赫き光が一直線に切り裂いた。
その威力はあまりに高く……崩天は仮初の楽園から一気に弾き飛ばされると、巨大な水晶に体をしたたかに打ち付け、地に堕ちた。
「最後に質問。……なんで『喰竜教団』に?」
息も絶え絶えの崩天に、タージェが問いを投げかける。
「それを聞くか。貴様らとて、救われるべき者がいて、救う術を知ったなら、救いたいと願うだろう」
「……」
窺い知れるのは、どうしようもなく狂った『善意』。そうであるがゆえに、落としどころは見つかるとは思えないし、敵の教祖を叩くまでは教団の暴走する『善意』は止まりそうにない。
「あとは……もしドラゴンプロトコル様が美人だったら『番』にでもどうかなと」
タージェは無言でもう一発蹴りを入れた。崩天はからかうように笑いながら、その身を崩壊させていく。
「どうか貴方へも、楽園の加護のありますよう」
囁くように、祈りを捧げるイリス。その横にアスターも並び、同じく祈りを捧げた。
崩天もまた√能力を操る者である以上、どこかで蘇ることもあるだろう。死と再生の過程で、崩天にも何かしらの変化がある可能性は存在する。次に相対したその時、『喰竜教団』の教えに忠実かは分からない。
ともかく、邪悪な企みはここにくじかれた。白銀の水晶は静かに輝きをたたえ、ダンジョンに危険な気配はもう存在しない。
√能力者たちは来た小道を引き返していく。きっと、彼らが救ったクリスティアが帰りを待っているはずだ。