シナリオ

酒と歌姫と吸血鬼

#√妖怪百鬼夜行

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√妖怪百鬼夜行

※あなたはタグを編集できません。

「紅玉、今日も一曲頼むよ」
「ええ。いいわよ」

 人と妖怪が共に暮らす街の片隅で、一軒の小さなバーが今夜も明かりを灯していた。
 店内の壇上に立つのは、シックなドレスに身を包んだ人妖の女性。常連客の求めに頷いて、往年の名曲を歌いだす。

 艷やかな歌声とりんご酒の香り。
 令和もはや7年となれど、この店に漂う空気は昔のままだ。
 古き良き大正浪漫の残り香を求めて常連たちが集う、隠れ家のような店。

 ――そうであるはずだった、少し前までは。

「彼女の歌はいいなあ」
「ああ、すっかりファンになったよ」
「マスター、お酒おかわり」

 今日もカウンターの席は満杯で、座りきれなかった客が立ち飲みしているほど。
 客はこの店の酒と歌を口々に褒めそやすが、その言葉はどこか虚ろで、薄っぺらい。
 賑わっているのに、どこか空虚で。三文役者が演じる、はりぼての舞台のような。

(……これが、私の望んだこと。たとえ、まやかしでも……)

 目の前に広がる光景を、まるで夢のように感じながら。
 歌姫は思う。これは良い夢なのか、それとも悪夢なのか。

 ――揺れる女の胸中を現すかのように、その歌声は酔を誘うのだった。


「|不好了《たいへんです》! √妖怪百鬼夜行で封印されていた古妖が、復活してしまいました!」
 急な呼びかけに応えて集まってくれた√能力者達の前で、林・桃華(人呼んで『仙桃娘々』・h05872)は事件発生を告げる。
「復活したのは『|狼狼《ランラン》』。外国から日本に渡ってきた吸血鬼の古妖です!」
 かつて私利私欲のままに日本で眷属を増やし、好き放題に暴れ回っていた彼女は、他の古妖同様に人を愛する妖怪の尽力で封印された。だが、現代になって1人の妖怪が、その封印を解いてしまったのだ。

「狼狼の封印を解いたのは『紅玉』という、バーの歌姫をやっている人妖の女性です」
 彼女の仕事先は大正時代から営業しているバーで、当時のレトロな雰囲気を今もなお漂わせている。しかし時代の流れとともに客足は減り、昨今の不況も受けて閉店寸前の状況に追い込まれていた。
「愛着のあるこのバーをなんとかして守りたいという、紅玉さんの『情念』が古妖の封印を解く鍵となってしまいました」
 自分を復活させればバーを再び繁盛させてやる。という狼狼の誘いに紅玉は乗ってしまった。それが悪しき古妖の誘惑だと分かっていても、情念を抑えることができなかったのだ。

「現在、紅玉さんのバーは大勢の客が押し寄せて、とても繁盛しています……ですがその客は吸血鬼の力で眷属化した人間や妖怪で、狼狼に操られているのです」
 眷属達は狼狼に命じられた通りにバーに足を運び、酒を飲み、歌を聞いて金を払う。
 言ってしまえばサクラと変わらない、かりそめの繁盛だ。紅玉もそれは分かっているはず。
「それでも、潰れかけていたバーの経営が上向いてきたのも事実なんです。ですから紅玉さんも現状を受け入れてしまい……」
 まやかしの賑わいに満たされたバーで、今夜も歌姫は歌う。その裏で古妖は着実に力を蓄え、さらなる大きな悪事を企んでいる。誰かが止めなければ、いずれ決定的な悲劇が起きる事になるだろう。

「復活したばかりの狼狼は、どこかに潜伏して眷属集めに専念しています。その居場所を知っているのは紅玉さんだけです」
 なので狼狼を退治するためにはまず、紅玉を説得して情報を引き出すしかない。歪んだ形でも願いが叶った喜びと、古妖の悪事に加担している罪悪感で、彼女の心は揺れているだろう。
「説き伏せるのは簡単ではないかもしれませんが……真心こめて話し合えば、きっと伝わると思います!」
 彼女はいつも通りにバーの壇上で歌っている。会って話をするのは容易だが、彼女の心を動かせるかは内容次第だ。長年ここで歌い続けてきた紅玉の、バーに対する思い入れは想像以上に深い――その点は念頭に入れておいたほうが良いだろう。

「紅玉さんから話を聞き出せたら、あとは狼狼を退治しに行くだけです! ひとの切実な願いを利用するなんて、断固赦してはいけません!」
 どうかよろしくお願いします! と深々と頭を下げて、桃華は√能力者達を見送った。
 復活した悪しき吸血鬼と、店を守りたい歌姫。野望と情念が絡み合うバーで、事件の幕が上がる。

マスターより

開く

読み物モードを解除し、マスターより・プレイング・フラグメントの詳細・成功度を表示します。
よろしいですか?

第1章 日常 『カルヴァドスの歌姫』


東風・飛梅

(まずは一曲。お話をするのはそれからね)
 町外れのレトロなバーに足を運んだ東風・飛梅(あるじを想う霊木・h00141)は、そこで小さなお立ち台の上に立つ、歌姫の歌唱に耳を傾けていた。掠れたレコードの音と、張りのある美声によるジャズソングが、聴衆の郷愁をかき立てる。
「La、La、La~♪」
 林檎のような赤髪と赤い瞳の美貌に、切なくも哀しげな表情を浮かべた、その歌姫の名は「紅玉」。長年このバーで歌い続けてきた人妖であり、店の存続のため古妖の封印を解いてしまった犯人だ。

「いい歌ね」
「あら、ありがとう」
 歌が終わり、店内に拍手が沸き起こると、飛梅はすっと席を立って歌姫に声をかけた。
 飾り気のない素直な称賛に、紅玉は仄かな微笑で応えると、カウンターの一番端の席に座ってグラスを持った。
「貴女のような若いお嬢さんには、古臭い歌に聞こえたかもしれないけど」
「そんなことないわ。素敵だった」
 最近の流行りとは趣きの異なる往年の名曲には、他には代えられない良さがある。その良さを引き出せるのも歌い手の技量だろう。きっと何年もこの場所で、この曲を歌い続けてきたに違いない。

「そんなに素敵な歌なのに……」
「どうしてこんな事をしたのか、って聴きたいんでしょう」
 わかるわよ、と紅玉は飛梅の瞳を覗いて言った。あなたの目は他の客とは違う、と。
 自分が古妖の封印を解いたことは、いつまでも隠せるものではない。いずれ彼女のような者がやって来ると分かっていたのだろう。
「私がこのバーに来たのは、もう何十年も昔のことよ。数え切れないほどの夜をここで過ごしたわ……ある夜は喉が枯れるまで歌った。ある夜は潰れるまで酒を飲んだ」
 慈しむように撫でるカウンターの染みひとつにも、忘れられない思い出がある。彼女にとってこのバーがどれほど思い入れの深いものか、初対面である飛梅にさえひしひしと感じられた。

「……この店がこんなに人で埋まるなんて、もう二十年……いえ三十年ぶりかしら」
 現在このバーには大勢の客が集い、閉店の危機など感じられぬほどの盛況ぶりを見せている。だがそれは古妖「狼狼」の力で操られた者がほとんど。望んで店に来たわけでも、本心から楽しんでいるわけでもない。
「いけないことをしたって、分かってるのよ……なのに、ね。たまらなく、嬉しいの」
 泣きそうな笑顔でそう語る紅玉に、飛梅はすぐにかける言葉が見つからなかった。これほどまでにバーを愛する人妖に、お店が繁盛したりなんてしなくてもいい、だなんて口が裂けても言えるはずがない。

「……少なくとも私から言えるのは、紅玉さんの歌はみんな正気の状態で聞いて欲しい、ということかしら」
 歓喜と憂いの狭間にいる歌姫に、飛梅は自分が今一番に感じたことを伝えた。さっき聞いたばかりの紅玉の歌声は、今も耳の中に残っている。歌い手とこの店が重ねてきた時間を感じさせる、本当にいい歌だった。
「そうじゃないと、もったいないくらいに綺麗なんだもの」
「…………貴女……」
 お世辞を言っている訳ではない。だから今度は、紅玉のほうが言葉を失う番だった。
 操られて聞かされるよりも、そのほうが絶対に感動できるから。これは飛梅の偽らざる感想だった。

「私にできることがあるとしたら、口コミでお店の評判を広めるくらいだけれども。よければ手伝わせて欲しいわ」
「……ありがとう、お嬢さん」
 まっすぐな優しさをたたえた新緑色の瞳から、紅玉はそっと視線を逸らした。もう少し気持ちを整理する時間は必要だろう――飛梅は別の席に移って、彼女が話してくれることを信じて待つ。
(それにしても……あるじ様の追っていた古妖、狼狼の影がチラついているのも気になるわね)
 海の向こうから日本に渡ってきた、悪しき吸血鬼の古妖。その名前はAnkerである学び舎の教師から聞いていた。復活しても姿を見せないまま眷属を増やし続け、一体どんな悪事を企んでいるのか。飛梅にはどうしても嫌な予感が拭えなかった。

キャロル・フロスト

「りんごジュースはないのかしら?」
 未成年のキャロル・フロスト(AMABILE・h05833)はバーのマスターにそう訊ねながら、歌姫「紅玉」の歌に耳を傾けていた。大正時代の趣きを令和の世にまで残したレトロな店内に、往年の空気感を漂わせた美声が響き渡る。
「ふぅん、素敵な歌声ね……でも、つまらないの」
 一曲の最後まで聴き終えてから、キャロルは紅玉の歌声をそう評した。言葉よりも先に歌を覚えたという彼女は、心を壊す|権能《ウタ》を有す。だからであろうか、歌を通じて滲みだす情念には、人一倍敏感であった。

「いい意味での葛藤なら歌に深みも出るでしょうに、あなたのソレは雑音にしかなってないの」
 バーにいる他の客からは称賛の拍手が起こる中、キャロルの批判はあけすけで遠慮がなかった。それを聞いた紅玉は苦笑しながら台から降りて、彼女のもとまでやって来る。
「お気に召さなかったようね、お嬢さん」
「だって本当のことだもの」
 良くも悪くも無邪気なキャロルは、本人の前であろうと飄々と話を続ける。もっと言えば、彼女の葛藤なんて|災厄《キャロル》の知ったことじゃないのだ。彼女が耳にする物事への評価は、常に「歌」が基軸にある。

「お膳立てされたこんな状況、なにがいいのかしら? 実力以外での繁栄なんて、いつ破綻するか分からないもの」
 キャロルが口にすることは全てもっともで、紅玉本人も内心では理解していただろう。
 それが分かっているなら尚のこと「なぜこんな事をしたのか」が、キャロルには分からない。人妖の心の繊細な機微に疎いがゆえに、無自覚な言葉のナイフは鋭くなる。
「――ああ、分かったわ! お店の最後の餞に賑やかにしたかったのね? それなら納得なの」
 たとえサクラでも、これだけ多くの人に看取ってもらえるなら、悪くない幕引きと言えるだろう。この歌姫は本当はとっくに終焉を受け入れていたのだと、災厄の娘は解釈した。そしてそれだけは決して、歌姫には受けいられない解釈だった。

「……それは違うわ」
「え? 違う? ならあなた、なにをしてるの?」
 弱々しい否定の言葉に、キャロルは心底「意味がわからない」といった顔で訊ねる。
 まだバーの存続を諦めていないのなら、どうしてそんな諦めたような顔をして、見当違いのことをしているのか。
「こんなに素敵な歌声とお店なのに、一緒に腐らせていくつもり?」
 これもまた本心であり、紅玉の歌声は素敵だった。だから余計な雑音を取り除けばもっと良い歌になるはずなのに、もったいない。結局のところキャロルはそれを聞いてみたいとは思っても、彼女を救おうなんてことは、おそらく考えていない。

「……耳が痛いなんてものじゃないわね」
 無邪気な少女の追求は、長い妖生を生きすぎた女には、朝焼けの日差しのように眩しかった。目を合わせられないのを誤魔化すように、紅玉は林檎酒のグラスに視線を落とす。
「次は、もうすこしマシな歌を聞かせられるよう、努力するわ」
 このまま言われっぱなしも癪だものと、今はそれが彼女に言える精一杯。だが、気持ちに多少の変化はあったようだ――その切っ掛けとなった当のキャロルはやはり、ピンときていない様子だったが。

ユーフェミア・フォトンレイ

「素敵な歌声……しかし、どこか空虚です。折角の喝采も伽藍洞に響くかのよう」
 レトロなバーのカウンター席で、貴人めいた所作で歌声を楽しむユーフェミア・フォトンレイ(|光の龍《ティパク・アマル》・h06411)。彼女は目を伏せたまま、どこか悲しそうにそう呟いた。
「♬~」
 店の雰囲気にマッチした選曲と、艷やかながら深みを感じさせる美声。耳を傾ける酔客は、一曲終わるたび惜しみない拍手を歌姫に送る。文句を付ける所はひとつもないのに、この光景に「つくりもの」めいたものを感じてしまうのは、気の所為ではあるまい。

(初めて訪れたわたしですらそう感じるのに。ご本人のお気持ちは如何でしょう)
 古妖の力に頼り、かき集めた傀儡の客。酒の味も分からぬままに呑み、歌の良さも解さぬまま拍手し、金だけを店に落として去っていく。そんな相手に歌を披露して、歌姫の心は満たされるのか。その答えは彼女の歌声を聞けば明らかだった。
(分かっていてもこの状況をよしとされているのは、ひとえにこの店を失いたくないからでしょう)
 人間に身をやつすまでの記憶を失っているユーフェミアには、紅玉がこのバーでどれだけの時間を過ごし、思い出を重ねてきたかは想像に余りある。それでも感じるのだ――郷愁を誘う歌声に秘められた、狂おしいほどの情念を。

(せめて、彼女になにかしらの満足感を与えてあげられれば良いのですが……)
 そう考えたユーフェミアは、古妖に操られた客とは違い、せめて自分だけは偽りなく、心を込めた喝采を送る。欺瞞ばかりで形作られた盛況の無味乾燥さに、歌姫が気付くように。
(きっと気付いてくれるはず)
 彼女は優れたエンターティナーであり、すでに葛藤を抱いている。たとえ拍手ひとつでも、きっと聞き分けられるだろう。白手袋に包まれた華奢な手が、ぱち、ぱち、と淑やかに音を鳴らす。

「……ありがとう。"あなた"のその気持ちが、なによりのお代よ」
 ユーフェミアの送った喝采は、壇上にいる紅玉の元までしかと届いた。店内にひしめく客の中から、竜人の乙女と歌姫の目が合う。伝えたい事と伝えるべき事は全て、それだけで通じただろう。
「なにか一杯、いただけますか?」
 あとは彼女が決断するのを信じて待つだけ。ユーフェミアはバーのマスターにお勧めを訊ね、静かに時を過ごす。耳に入ってくる歌姫の旋律が、少しだけ変わったような気がした――。

花喰・小鳥

(透き通る声、伸びやかで抑揚のある歌。素晴らしいですね)
 カクテルグラスを傾けながら、花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)は末席で耳を傾ける。大正時代の空気感を今に残したレトロなバーで、その歌姫は大勢の客を惹きつけていた。
(しかし、どこか空々しい空気・匂いは、少し気をつければすぐわかるほど)
 店内にいる客のほとんどは、意思なき傀儡に過ぎない。命じられた通りに場を盛り上げようとしているが、一度気付いてしまえば下手な演劇を見ているかのようだ。初めてここを訪れた小鳥でさえ察するのだから、あの歌姫も気付いてないはずがあるまい。

(複雑な感情が混ざり合うそれはそれで甘露ですが、本来の彼女の歌はこんなものではないでしょう)
 愛着ある店がかりそめでも存続する喜びと、かりそめだと知っているがゆえの苦悩。
 情念と葛藤を抱えながら壇上に立つ紅玉の歌声には、その心中がありありと反映されており。これも一興と味わう一方で、小鳥は物足りなさを感じていた。
「La………♪」
 古びたレコードの音楽が止まり、歌声が沈黙する。一曲を終えて、聴衆が示し合わせたように一斉に喝采を送る――その前に静寂を破ったのは、小鳥が仕掛けた【|葬送花《マンドレイク》】だった。

「きゃっ!」「なんだっ!?」
 いつの間にか店舗に飾られていた花束が、悲鳴のような音を立てて弾けた。爆発自体は余興の類でしかないが、その「悲鳴」は聞いたものの理性を蝕む。さして大きくもない店舗だ、歌姫も観客達も影響からは逃れられない。
「そこのあなた。今の彼女の歌を、心から良かったと思っていますか?」
「……いいえ。ただ俺はここで彼女の歌を聞けと、狼狼様に命じられたから……」
 近くにいた客に小鳥が訊ねると、その男は先程までとは打って変わって無機質な態度で、淡々と真実を口にした。葬送花の悲鳴で「正直病」の症状が表れた者は、偽りを述べることを許されない。

「あ、あなた、なにを……」
 薄々は理解していたとはいえ、古妖の眷属から本音を聞くのはショックだったろう。
 青褪めてよろめく紅玉のもとに、小鳥は一歩迫り、そして問う。本当にこのままで良いと思っているのですか、と。
「緩慢に終わりを迎えるのもひとつの選択です。『いま』を否定するのは痛みを伴う」
 邪な力に縋って店を存えさせたところで、しょせんは古妖の気まぐれで潰える虚構。
 それでも縋り続けてしまう気持ちも分からないではない。虚構だとしても、今ここにある光景は彼女にとってあまりに甘美だ。

「しかし、争うなら助力は惜しみません」
 偽りの盛況という古妖の呪縛を脱し、本当の意味でバーを存続させる道を探るなら、小鳥にも手伝えることはある。ほのかにフリージアの香りを漂わせて手を差し伸べる女に、紅玉は困惑の目を向ける。
「あなたは、一体なんのために、そんな……」
「私はあなたの本当の歌声を聴いてみたくなったんです」
 協力する理由といったら、それだけだ。そして正直病に罹らせたのは、彼女の本音を聞きたいから。葛藤と情念の渦に埋もれた気持ち、本当に叶えたかった願いのかたちを。

「私だって……私の歌で、この店に人を呼び戻せたら……どんなに良かったか……!」
 溢れた涙は悔しさの証。店が寂れていく様を、見守るしかできなかった己の無力さ。
 けれどまだ、悔しいと思う心が残っているのなら、もう一度彼女は「いま」に立ち向かえるかもしれない――歌姫の返答を得て、夢蝕みの女は笑った。

刻・懐古

(隠れ家とはよく言ったもので、隠れてなければもっと早く出会えただろうに)
 店に入るなりそんな思いに耽って、刻・懐古(旨い物は宵のうち・h00369)はカウンターでりんご酒を頼む。古き良き大正浪漫の残り香は、彼の好きなものの一つだ。まさにここは時が停まったかのように、過ぎ去りし日の空気を留めている。
「Lu……La……La……♫」
 その空気が生まれる中心となっているのは、お立ち台に立つ赤髪の歌姫だ。レコードから流れるメロディに合わせて、艷やかな美声で奏でられる往年の名曲に、客はみな聞き入っている。

「なるほど」
 そんなバーでの光景に、懐古は繁盛とは裏腹な空虚をしかと感じていた。それについて話をするために、彼は歌う紅玉の目に留まるよう熱視線を送る――古妖の力で操られている眷属とは、明らかに違うまなざしで。
「♪~……」
 紅玉のほうも気がついたか。目があった瞬間の彼女の瞳には、全てを察した諦観と、深い葛藤がある。この光景の歪さを誰よりも強く感じながらも、それを受け入れてしまった女の情念が。

「素敵な歌だ。“今日の客”達には少し贅沢なくらいにね」
「ふふ、ありがとう……あなたは"分かっている"人なのね」
 歌い終わった紅玉へ歩み寄ると、彼女は憂いを帯びた微笑みで応じた。いつまでも古妖の復活と関与を隠しおおせるものではないと、覚悟はしていたのだろう。もはや誤魔化そうともしない彼女に、懐古はちょいちょい、と招いて耳打ちする。
「眷属……ああ、いや。この客達に、外で宣伝してもらうのはどうかな」
「……えっ?」
 それは紅玉にとって予想外の提案だった。てっきり古妖を復活させたことを責められるか、説得されるものとばかり。しかし懐古からすれば、こんな良い店がこのまま潰れてしまうなど論外なのだった。

「彼らと入れ替えに、純粋な客を呼び込めれば、まだ立て直せるんじゃないかな」
 このバーの酒と紅玉の歌声には、十分に人を惹きつける力がある。なら、知ってもらう事さえできれば、きっと常連になる人もいるはず――自分だって、今回の事件をきっかけに初めて店の存在を知ったのだ。
「無理よ……あの人達は狼狼の指示を受けているの。彼女の命令以外は聞かないわ」
「じゃあ、その古妖に頼んでみよう」
 紅玉はその提案を荒唐無稽だと言うが、懐古は諦めない。残酷にして傍若無人な古妖に頼み事を聞いてもらうなんて、それこそ封印解放のような見返りなくしては無理な話だが。そもそも彼はその古妖を退治する依頼を受けてきたのだ。

「古妖について、何か知っているかい?」
 教えてくれれば、自分がその古妖に「頼み」を通してみせよう。そう語る懐古の表情は穏やかだが、自信に満ちていた。なんとなれば一戦交えることさえ辞さない構えである。
「貴方は……どうしてそこまで……」
「わざわざ言う必要があるかい?」
 困惑する紅玉に、今度は懐古が微笑みを返す。進み続ける時間の中で、多くの人間と妖怪の|物語《じんせい》が染み付いたバーと、それと寄り添ってきた歌姫の|物語《じんせい》は、彼にとって美しく、愛おしいものだった。

出多良目・采

「お酒は飲めないからねぇ、リンゴジュースでもあるかい?」
 付喪神としてはまだ未成年の出多良目・采(運命賽子・h00254)は、ノンアルコールの飲み物をいただいて、紅玉の歌を聞いていた。レトロなバーに響く往年の名曲には、彼女のような若者の心も震わせる力がある。
「♪~♫~」
 しかし壇上に立つ歌姫の表情はどこか苦しげで、葛藤と情念が歌声ににじみ出るよう。
 怪異を復活させてまでバーの存続を願った、自身の選択と現状に迷いがあるとみえる。

「ステキな歌だったねぇ、お姉さん。アタシが大人になったとき、りんご酒と一緒に味わうのが楽しみだよ」
「ふふ……ありがとう。大人になったらまたいらっしゃい、お嬢さん」
 そんなことはつゆ知らぬふりで、采は歌い終わったところの紅玉に話しかける。嘘偽りのない正直な感想に、相手は嬉しそうに――それでいてやはり、胸を締め付けられるような顔で微笑んだ。
「そうだ、アタシはサイコロの付喪神。占いや願掛けが得意でね。良い時間をもらったお礼だ、アタシのサイコロ、振っていかないかい?」
「まあ、いいのかしら? ただで占ってもらっちゃって。面白そうね」
 采が袖口からサイコロを取り出すと、ものは試しにと紅玉はそれをカウンターの上に転がす。コロコロと小気味良い音を立てる年代物の六面賽子は、6の目を出して止まる――かと思いきや、ころりとカウンターから転げ落ちてしまった。

「あら、ごめんなさい。振り直すわね」
「いいや、いいよ……お姉さん、『一回休み』の状態が続いてないかい?」
 賽子を拾おうとする紅玉を止めて、采はふいに静かなトーンで語りかけた。その言葉は現在の店と紅玉の状況を端的に表していた。はっと振り返った歌姫の顔から、微笑が消える。
「人生は双六ゲームみたいなもんさね、前に進めず困ってる」
「……流石は神さまね。なんでもお見通しってこと」
 最初から彼女は他の客とは"違う"と気付いてはいただろう。しかしサイコロひとつでこうも完璧に見透かされてしまうとは。観念したように椅子に深く座る紅玉へ、采はぽん、と背中を叩いて。

「良ければアタシが話を聞くよ。賽を振って、一歩進んでみないかい?」
 責めるのではなく、優しく慰めるように言葉をかける。人生を双六に例えた采からすれば、運命なんて賽の目次第。悪い目が出る日もあれば上振れを引く日だってある。だがそもそも賽を振らなければ、マス目は変わらないままだ。
「きっと、良い出目が出るからさ。アタシは縁起物の生まれなんだ」
「……ふふ。そうなのね。あなたみたいな子が来てくれたなら、私にもまだツキがあるってことかしら」
 自信たっぷりに語る【運命賽子】の付喪神に、歌姫もすこし励まされた様子で。揺らしたグラスの中の氷が、からんとサイコロのように回る。変わらずに守りたいもののために、変わる時が来たのかもしれない。

「勇気を出して話した分、良い結果が来るからさ」
「……なら、聞いてくれるかしら? 私とこの店の話を」
 ことの始まりは長くなるけれど、という紅玉に、もちろん構わないさと采は答える。
 それが気持ちを整理するために必要なことなら、なんだって聞こう。運命の賽子はいつだって、投げられる時を待っている――。

九段坂・いずも

「いい歌ですね……」
 件のバーで心打つジャズソングを拝聴したのち、九段坂・いずも(洒々落々・h04626)はその歌い手である紅玉に話しかけた。素直に聞き惚れて酒を飲むだけなら良かったのだが、今夜はそうもいかない事情がある。
「すみません、わたくし、実は探偵で。あなたが古妖の封印を解いたと聞いて足を運ばせていただいたんです」
「あら……とうとう年貢の納め時ってことかしら」
 素性を明かされればしらを切るでもなく、観念したように苦笑する紅玉に、いずもは「責めるつもりはちっともありませんよ」と言う。切なる願いと情念ゆえに古妖の封印を解いてしまった者を、どうして責められよう。

「この店が潰れてしまうというのは何とも勿体無い。ですが、繁盛の噂は十分に広がったのではないですか?」
 自分がここを訪れたのは星詠みの予知からだが、|眷属《サクラ》でもこれだけ多くの客を招いていれば、衆人の関心を誘う結果にはなったはず。身も蓋もないことを言うようだが、人のいるところに人は集まるのだ。
「嘘が真になるくらいには、きっと足りる程度の客足ではあったはず」
「そうかしら。もし、そうだと良いのだけれど」
 現状ではまだ実感できるほどの影響はないだろう。しかしいずもの言葉には「先が見えている」ような力強さがあった。その黄金色の瞳で覗き込まれると、なにもかも見透かされるような気分になる。

「わたくしは件、予言のあやかしです。このままではこの店も古妖の復活に巻き込まれて潰されてしまう未来が見えました」
 その名は古くから伝わるが、本物に出会ったことは紅玉も初めてだろう。3日の命のうちに未来を告げるとされる人妖は、まさに言い伝え通りの不吉な予言を彼女に伝えた。
「……冗談ではないんでしょうね」
 果たしてその予言が嘘か本当か、紅玉に確かめるすべはない。しかし彼女自身も薄々感じていただろう、このまま古妖の力に頼り続けたところで先はないと。いずもの言葉はまさにそうした彼女の心の隙間に入り込んだ。

「あなたが守りたいのはこの店でしょう? どうか解決に向けて、手を貸していただけませんか?」
「……少しだけ、考えさせてちょうだい」
 礼儀正しい所作と言葉の巧みさで、いずもは少しずつ紅玉の心を開いていく。彼女の「予言」には真実と虚構が織り交ぜられているが、それで物事が好転するなら嘘も方便というやつだ、思い悩む者に考える猶予も与え、件の妖は望む未来へ歌姫を導く――。

緋村・天照
ソル・ディールーク

「ここって……前に来たバーだよね」
 とある町外れにひっそりと店舗を構える。大正時代から営業中の小さなバー。そこにかつて来た事がある緋村・天照(流浪人アマテ…今日は何処へ行く?・h06134)は、以前との雰囲気の違いに戸惑いながらも、知っている顔を探す。
「あ、紅玉さんだ……」
 お立ち台に立つ歌姫の姿はすぐに見つかったが、まだ声をかけずに一旦様子を見る。
 お酒は飲めないのでジュースを貰い、ちぴちぴと飲みながら彼女の歌を聞く――相変わらず綺麗な歌声だが、紡ぐ旋律にはどこか哀愁が漂っている気がした。

「やっぱりかなり追い詰められていたんだね……」
 天照は√能力者では無いが、このバーと紅玉に何が起きているか、おおよその事情は知っている。それについて話をするタイミングを待っていると、カランとドアのベルが鳴り、新たな客がやってきた。
「すみません、マスターお酒……あれ? 何か変な雰囲気の連中がいるな……」
 来店したのはソル・ディールーク(楽園に転生した冒険者・h05415)。彼も以前からここを知っていたようだが、久しぶりに来てみれば見覚えのない妙な客が増えている。酒を飲んでも歌を聞いても心ここにあらずといった様子の、人形のような連中だ。

『ちん……あなご……』
 ソルと一緒に入店した10匹の「ちんあなご」達は、お酒よりも紅玉の歌を聞きに来たが、歌声に含まれる哀愁と葛藤に彼らも気付いたらしい。他の客達が拍手喝采する中で、彼らだけは悲しそうな声を出した。
「……失礼ですが紅玉さん、何故吸血鬼の眷属達がここに?」
 これだけ妙な事が重なれば、のっぴきならない事態が起きていると判断するには十分だ。ソルは顔をしかめながら紅玉のもとに向かい、問い質す――いざとなれば荒事になる準備もしたうえで。

「わふっ?! ソル!」
 それに気付いた天照は、焦ってソルと紅玉の間に割り込む。こんな所で極天なる回転『オーガ5』なんて使われでもしたら、店がメチャクチャになってしまう。いくら吸血鬼の眷属が怪しいからって、それはだめだ。
「あら、あなた達は……」
「わふ! こんにちは! 紅玉さん! 相変わらず良い歌声ですね!」
「おっと……すみません紅玉さん、ちょっと先走りすぎました」
 空気を変えようと天照が明るく挨拶すると、気が急いていたのを自覚したソルは頭を下げる。紅玉も彼らが以前からの客だと気付いたようで、歌い終えたばかりの口元が嬉しそうにほころんだ。

「最近潰れかけていたバーの経営が上向いていますね! それにしても、いつも来ていた常連さんの姿が見えませんね……」
 旧交を温める雑談のていを取りつつ、天照は気になっていたことの核心を紅玉に切り出す。周りを見ていると、席を埋めるのは吸血鬼の眷属ばかりで、前々からの常連客がほとんど居ない。
「……そう、ね。こんな古臭い店だもの、とうとう愛想を尽かされちゃったのかしら」
 誰よりも長くこのバーにいる紅玉が、まさか気付いていないはずがない。そして冗談めかしていても、常連が去った本当の理由も分かっているはずだ。泣き笑いのような切ない表情で、自分の腕をぎゅっと抱きしめる。

「常連さんは分かっていますよ、どう見ても怪しい連中がいるバーは……近付きづらいと思います」
 紅玉と同じように、常連客もこの店の昔ながらの良さを愛していた。だから妙な客が増えると、雰囲気の変化を感じて去っていったのだ。おそらくは紅玉が違法な力に手を染めたことも、薄々ながら察していよう。
「なるほど、だからおっちゃん達ここに近付かない方がいいって警告して来たのか」
 天照の話を聞いて、なにも知らなかったソルも事情を理解した。バーを離れても常連客はまだ店の行く末を案じ、紅玉のことを気にかけている。天照が此度の事情を知っていたのも、ソルに警告したのと同じ人達に話を聞いたからだ。

「流石に変な噂が立ってるし……古妖の場所教えて貰えませんか?」
 いくら形だけ店を繁盛させても、このまま噂になり続けて良い結果に収まるとは思えない。最悪の事態になる前に眷属を操っているヤツを退治するべきだと、ソルは紅玉に吸血鬼の居場所を訊ねる。
「紅玉さんも、常連さんたちには戻ってきて欲しいんじゃないですか?」
「……そうね……あの人たちのいないバーは、いくら混んでいても寂しいわ」
 続く天照の言葉に、紅玉は頷く。店の空気とは営業者だけで作るものではなく、どんな客が店を訪れるかによって、その店にしかない雰囲気が生まれるのだ。客層ががらりと変わってしまった店は、内装だけは同じでも、もう元の店とは違う。

「……あなたたち、今日は来てくれてありがとう。どうかゆっくりしていって」
 ふたりの提案と質問を受けた紅玉は、すぐには答えを返さなかったものの、その心は定まりつつあるように見えた。ソルと天照も彼女の心象を慮って、酒とリンゴジュースで決断の時を待つことにする――。

櫂・エバークリア
黒野・真人

「バーの歌姫さん絡みの事件なら、流石に首を突っ込みたくなっちまって」
 そう言って今回の事件に参加を決めたのは、√ウォーゾーンでバーを経営する櫂・エバークリア(心隠すバーテン・h02067)。√は違えど同業者の窮状を放ってはおけなかったか、解決に乗り気の様子だ。
「真人一人で行かせる訳にもだしな」
「超業腹だけど、こんなトコは百パーカイの独壇場だししゃーねえ」
 同行するのは彼のバーの常連である黒野・真人(暗殺者・h02066)。どちらかと言えばバーより"裏"の依頼で世話になることの多い、共犯者の関係だが。大人顔負けに場数は踏んでいるものの、まだ未成年ゆえ今回は櫂を頼ることにしたようだ。

(大人の店だしガキはヤバいかもだけど、何とか紛れられたな)
 √妖怪百鬼夜行は人間と妖怪が共存する√。見た目は若くても実は何十年も生きている者も珍しくない。加えて一応保護者(櫂)同伴ということもあって、真人もすんなり入店することができた。
「マスター、カルヴァドスを一杯貰おうか」
「オレはノンアルで」
 櫂は流石に場馴れした様子でカウンター席に座り、真人はその隣の席につく。注文を聞いた歌姫が微笑ましげにこちらを見ていたが、笑ってくれたからそれでOKだな、と思っておく。

「今夜は、新しいお客さんも多いみたい……下手な歌は聞かせられないわね」
 シックなドレス姿の歌姫――紅玉はそう言って壇上に立ち、いつもの十八番を歌う。
 伴奏は古びたレコード。曲目は往年のジャズソング。レトロな店舗の雰囲気によく合っている。
「すげーや。オレみてーなガキが聞いてもゲキウマじゃん」
 最初はなんとなく耳を傾けていた真人も、すぐに食い気味になって聞き入るほど、彼女の歌唱力は格別だった。依頼とか説得とかそういうのを通り越して、ただただ純粋に感動してしまう。

「しかし店構えも辺りの様子もいい店だ」
 同業者である櫂の目線からも、このバーの評価は高かった。大正時代から営業中との話だが、染み付いた年季が他の店にはない良さを醸し出している。ただ「古臭い」だけなら普通だが、それを「レトロ」な魅力に昇華させている店はなかなか無いものだ。
「それに何よりも歌がいい」
 酒を入れながらは勿論、グラスを傾けるのを止めて、キューブアイスが酒に溶ける様を眺めながら声に包まれるのも、大人の贅沢というものだ。彼女の歌声が数十年間、この店を支え続けてきたのは間違いない。

「なんての? 心に沁みるってやつ」
「じんわり温まるような、安心する時間だ」
 この店と紅玉の歌に対して、ふたりが抱いた感想はほぼ一緒だった。かっと胸が熱くなるような楽しさとは別の、穏やかで心地いい夜を過ごせる場所。きっと沢山の人がここで日々の疲れを癒やしてきたのだろう。
『いい歌だなあ』『うん、いい歌だ』
 しかし今、店内にいる客のほとんどは古妖の眷属。酒の味も歌の良さも分からぬまま、ただ命じられた通りに時間を潰し、金を落とすだけの傀儡だ。見かけ上は繁盛していても、その光景には空虚さを感じる。

「どうだったかしら?」
「すげえよ。いやマジで」
「ああ、素晴らしかった」
 曲が終わると、紅玉は観客の拍手を浴びながらまっすぐ真人と櫂の席にやって来た。
 彼女も、このふたりは古妖の眷属ではないと気付いているのだろう。感想を求められ、ふたりは心からの称賛を伝えた。
「不況やら何やらはあるんだろうが。そんな力に頼らなくとも、此処ならやりようもあるだろう」
「"そんな力"……ね」
 すべてを見透かした上での櫂のアドバイスに、紅玉は苦笑する。潰れかけたバーを立て直すために古妖の封印を解いたが、それが正しい手段だったとは本人も思っていないだろう。それでも彼女は自分の情念を抑えきれなかったのだ。

「だって勿体ないって」
 このままバーが潰れて歌も聞けなくなるなんて、そんなの黙っちゃいられないと、真人も真顔で真剣に訴える。ようや古妖の力に頼らずとも、店を存続させる筋道を立てられればよいのだ。
「どうしてもオレみたいなのはなかなか入れねえ。けど吞めなくても歌の良さは分かるんだぜ」
 夜間営業のバーに未成年が入店し辛いのは致し方ない。しかし年齢問わず伝わる歌の魅力は、もっと積極的にアピールしても良いんじゃないか。昔ながらの大正浪漫もいいが、令和のご時世においては宣伝力も重要だ。

「観客増やしたいならノンアル日を作るとか、たまに昼外で唄ってみるとかも良いんじゃねえか?」
 一度でも聞いて貰えさえすれば、絶対にまた聞きたくなる人はいるはずだから。その「最初の1回」をより多くの人に聞かせるためのアイデアを、真人は思いつく限り提案する。
「外で歌っての宣伝もだし、ノンアル日は特に面白いな。そっちなら俺も協力しやすいし、酒精のないレシピとか教えるぞ」
 櫂も彼の意見に賛同し、経営者としてのアドバイスを付け加える。見たところこの店はノンアルコールのメニューはあまり充実していないようだし、改良の余地はあるだろう。バーテンとしてカクテル作りと料理に関しては自信があるのだ。

「あなたたち……どうしてそこまで?」
 初対面のはずの彼らが何故こんなに親身にアドバイスをくれるのか、理由が分からず困惑する紅玉。古妖を退治するのが目的なら、店の今後まで気にかける必要はないだろうに。
「悪いのの掌の上で駄目な事しなくても、絶対客は増やせるんだ」
「こんな良い店が潰れるのは勿体ないだろう。力になれたら嬉しいしな」
 しかし彼女の歌を聞いたふたりからすれば、協力するのはむしろ当然のことだった。
 真人は思いの丈を全力で伝え、櫂も感じたままの事を伝える。自分1人で抱え込んで、悪党の甘言に流される必要はないと。

「……そうね。あなたたちの言う通り、まだ諦める必要はなかったのかもね」
 ふたりの熱意は悲観的だった紅玉の心を照らし、緩やかな絶望に一筋の希望を示した。
 あとは決断するだけ。このまま古妖とともに奈落に沈むか、未来へと一歩踏み出すか、決めるのは彼女だ――。

神咲・七十

「んにゃ~……もったいないです」
 邪神系アイドル『フリヴァく』と共にバーを訪れた神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)は、店内にて奏でられる紅玉の歌声を聞いて、思わずそんな感想を漏らした。
「折角綺麗な歌声なのに……」
 聞いている客が意思なき傀儡ばかりでは、喝采も称賛も虚しいもの。お酒のかわりにリンゴジュースをちみちみと頂きながら、彼女は古妖の眷属で占められた店の様子を眺めていた。

「本当にこのままでいいのですか?」
 歌を一通り聞き終えてから、七十は紅玉のもとに向かうなり率直に話を切り出した。
 相手はすこし驚いた様子で目を丸くしていたが――まさか、言わんとすることが分からないはずはあるまい。
「聞いてくれる人が一人もいないここで歌い続けるのですか?」
「……耳が痛いことを言ってくれるわね、お嬢さん」
 真に彼女の歌声を理解し、感動するヒトがいないのなら、現状はマネキンの群れに歌っているのと変わらない。七十の鋭い指摘に紅玉は怒るでもなく、ただ寂しげに微笑んだ。

「私には、ここしかないから。だからこの店がなくなるまで、歌い続けるわ」
 何十年という時間を、この店とともに過ごしてきた。忘れがたい過去、失いたくない思い出が、それ以外の選択を赦してくれない。紅玉を縛り付けているのは、彼女自身の情念だ。
「貴女の歌声なら多くの人を惹き付けられます。だから、本当に聞いてくれる人たちがいる所に行きましょう」
 しかし七十は言う。お店を守りたいのなら、選択肢はまだ店の外に広がっていると。
 立ち尽くす歌姫の手を取って、ぐいっと引っ張る。ちょっと強引にでも、彼女には一歩踏み出すきっかけが必要だ。

「えっ? ちょ、ちょっと、どこに……」
「貴女の力でもう一度ここに人を集めるのですよ」
 そう言って紅玉をバーから連れ出した七十は、彼女を人通りの多い場所に連れて行く。
 寂れた路地裏を出て大通りに来れば、夜中でもかなりのヒトがいる。特に妖怪は日が沈んでから活発に動く者も珍しくない。
「うん、ここで歌いましょう」
「歌いましょうって、そんな急に……私、あのバー以外の所で歌った事なんて……」
 紅玉の理解が追いつかないうちに、『フリヴァく』が道端にマイクスタンドを立て、路上ライブの準備を整える。それを見た通行人も「なんだなんだ?」と集まってきた。

「多くの人を貴女の歌で魅了して下さい♪」
「も、もう。分かったわよ……!」
 あれよあれよと言う間に引き下がれない事態になってしまい、観念した紅玉は七十に背を押されてマイクを握る。なにぶん急なため伴奏など用意できなかったが――彼女の歌ならアカペラでも十分だと、七十は確信していた。
「La、La、La……♫」
 令和の町に流れる往年の名曲。小さなハコから連れ出された歌姫の美声は、たちまち人々の心を惹きつける。雑踏のざわめきが消え、歌以外なにも聞こえなくなるほどの静寂が訪れ。そして曲が終われば、割れんばかりの拍手が起こる。

「ブラボー!」「すごかった!」「もう一曲聞かせてよ!」
「あ、ありがとう……!」
 沢山の――そして心からの喝采を浴びて、紅玉の瞳から一粒の涙が零れる。いくら取り繕っていても、歌い手として観客に楽しんでもらえる以上の喜びはない。この様子ならきっと人々は、また彼女の歌を聞くためにバーまで足を運んでくれるだろう。

「うまくいきましたね♪」
『うん! やったね!』
 少し離れた所で歌を聴きながら、七十とフリヴァくはハイタッチ。彼女らの足元には、風体の怪しい連中が何名が突っ伏している。おそらくこいつらも古妖の眷属。紅玉のライブを妨害して、現状を維持させるつもりだったのだろう。
「邪魔なんてさせませんよ」『ね♪』
 万理喰いの人間災厄と、かくあれかしと|信者《ファン》に願われた邪神アイドルは、密やかに妨害を排除し、人が集まるよう誘導する。あの歌姫の歌が日の目を浴びることに比べれば、古妖の思惑なんて知ったことか――。

第2章 冒険 『白い闇を越えて……』


「あなたたちは古妖を退治するために来たんでしょう? 彼女の居場所を知ってるわ」

 バーを訪れた√能力者達との交流を経て、紅玉はついに決心した様子で語りはじめる。
 店の存続を諦めたわけではない。皆の説得やアドバイスを通じて、古妖の力に縋らずに新しい一歩を踏み出してみるつもりになったようだ。

「古妖……|狼狼《ランラン》は、この店からひとつ離れた地区に拠点を構えているわ」

 紅玉が地図を出して指さした所は、ここよりさらに人通りの少ない地区だ。
 √妖怪百鬼夜行の都市建築は古妖の封印の影響で歪み、次元が出鱈目になっている事も珍しくない。吸血鬼『狼狼』が潜伏場所に選んだのもそういう地区らしい。

「あいつはそこで眷属を増やしてるようだけど、何を企んでるかまでは知らない。復活させた私にこんな事を言える資格はないけど……気をつけてね」

 次にまた来てくれた時は、一杯ご馳走するわ。
 そう言って微笑む紅玉に見送られ、√能力者達はバーを後にする。

 そして、情報にあった地区を訪れた一同を待っていたのは、一面の霧であった。

 一寸先も見通せないほどの、広く、深く、濃密な霧。それはまるで白い闇のよう。
 こんなものが一地区だけを覆っているのは、明らかに自然発生する現象ではない。
 外敵をやすやすと近付けないために、古妖が妖術を使ったと考えて間違いあるまい。

 ここを通り抜けねば事件の核心――古妖・狼狼のもとには辿り着けない。
 歌姫を惑わせた吸血鬼を退治するために、√能力者達は白き闇に突入する。
東風・飛梅

「この霧、まるで紅玉さんを覆っていた心の靄のようね」
 目の前に広がる白い霧を見て、飛梅はそんな感想を抱く。古妖の所在を隠すそれは、一寸先も見えないほど濃く、一度中に入れば惑い、迷うは必定。たとえ不安を抱いても責められぬほどに。
「でも、紅玉さんは前に進む決断をした。なら、私たちも霧で目的地を見失っている場合ではないわよね」
 【一夜もあれば、私はあなたのもとへ飛んでいく】。風とともに駆けつけた飛梅は、迷いなく白き闇に飛び込んだ。その心根を表すが如く、爽やかな東風が霧を吹き飛ばしていく。

「たとえあなたがどこか遠くへ去ってしまったとしても、私は空を飛んででもあなたのおそばへ行くわ」
 唄うような詠唱を諳んじながら、梅の霊木の人妖が吹かす風は、翔けたあとにも梅の香を残す。あとから来る人達が迷わないための目印だ。たとえ霧が再び道を覆い隠したとしても、狼狼のもとへ辿り着くための標となる。
「隠れてもだめよ、狼狼さん」
 白い霧は何度でも飛梅の行く手を遮ろうとするが、そのたびに東風は霧を吹き散らす。
 晴れた視界に映るのは奇妙建築化した町並み。まるで迷路のように入り組んだ地区は潜伏にうってつけだが、彼女とて伊達にこの√の出身ではない。

「それっ」
 建物の屋根や標識まで足場にして、縦横無尽に町を疾走する飛梅。√能力が起こした風は霧を散らすだけでなく、彼女の能力や技能を大幅に強化していた。空中を自在に駆ける技に磨きがかかり、身のこなしはより軽やかに。
「人々が自分の意思で歌を聞く心を奪われたままではいられないわ」
 その足運びと同様に、彼女の心にも迷いはない。眷属の主である古妖を退治すれば、操られていた人々も正気を取り戻すだろう。その後にもう一度あの歌声を聞いてくれれば、きっと心を打つはずだ。

「狼狼さん、あなたに恨みはないけれど――紅玉さんの本当の意味でのお客さんを、返してもらうわよ」
 これが自分に手伝えること。実際に紅玉の歌を耳にしたからこそ、それで十分だと信じている。バーがかつての賑わいを取り戻し、彼女が憂いなく歌える日は、きっと来る。
 いかに危険な古妖が相手でも、拳を握るは憎しみではなく愛のため。この霧のように歌姫の未来にかかる暗雲を晴らすため、飛梅は風とともにひた走るのだった――。

出多良目・采

「前が見通せないのは面倒だねぇ。無策で進むのはちと不安だね」
 じぃっと目を凝らしてもまったく先の見えない、真っ白な濃霧に覆い隠された地区。
 その入り口にやってきた采は、これが自然現象ではないと確信を抱く。この手のあやかしの業の定番として、出鱈目に歩いたところで延々同じ所を歩かされそうだ。
「まぁ、古妖の術に付き合うこともないかね。アタシはアタシのやり方で行こうかな!」
 手の中で転がすのは自身の本体でもある賽子。「出鱈目」ではなく「出多良目」が彼女の姓であり信条だ。運否天賦を賽の目に託し、上振れ狙いで大博打。たまに負けることもあるけれど、ここぞという時は外さない。

「アタシは【運命賽子】。紅玉にも言ったが、人生は双六だ!」
 さあ遊ぼうと語らえば、采の周辺一帯は賽子が司る遊戯空間と化す。古妖のいるゴールまでの道程がマスで区切られ、先に進む時はサイコロを振らなければならない、という双六の法則が現実に反映される。
「先は相変わらずよく見えないけれど、全く見通せないよりは大分マシさね」
 古妖の敷いた霧というルールを、自分のルールで上書きする。道に迷ったり敵に襲われたりといったバッドイベントも、全てはマスに止まった結果として処理される。つまりは悪いマスを踏みさえしなければスルーできるわけだ。

「さて、じゃあ進もうかね。後はアタシの幸運次第」
 特急券だ、と笑いながら采は沢山のサイコロをざらっとまとめ振りして、出目の合計分ズンズン進む。双六ゲームにも色々あって、1度に振れるサイコロが1個とは限らないわけだ。この辺の融通が利くのは主催者特権である。
「これで怖くないね!」
 いざ敵に会えばサイコロをガンマンの早撃ちよろしくぶつける気だが、ゴールに着くまでは体力もサイコロも温存したい。まあ、そう思っていても踏む時は踏むのが双六という遊戯だが。

「運が良い事を願う限りさね!」
 結局は運任せなのだが、采の表情に不安の色はまったくなし。景気よくサイコロを振りまくり、霧に包まれた町をマス目伝いに移動する。それで道に迷うどころか進むペースが速くなっているのは、おそらく「3マス進む」等のマスを踏んだ結果だろう。
「ステキな時間を味わったばかりだからね、今日のアタシはついてるよ!」
 バーで聞いた歌を口ずさみながら、イケイケの付喪神は運命と双六が導くままに、あがりに向かって一目散。こんな攻略法はおそらく古妖も想定していなかっただろう――。

ルーチェ・モルフロテ
キャロル・フロスト

「意外と近くにいたのね」
 バーから徒歩で行ける距離にある隣の地区。そこに古妖が潜んでいると歌姫は言った。
 眷属を客として送り込んでいたし、監視などの意味も含めて近所のほうが都合が良かったのかもしれない。
「でもこんな霧で隠れるなんて、臆病な吸血鬼なの――まぁいいわ、抜けていけばいいだけだものね」
 どんなに深くってもしょせんは目くらまし。突破方法なんていくらでもあるだろう。
 さっさと事件を解決したらどこかに遊びにいこうかと、そんなことを考えながらキャロルが歩きだすと――。

「……あら、ルーチェ? 偶然ね!」
「うん? キャロルじゃねぇか」
 ばったりと出くわした相手はルーチェ・モルフロテ(⬛︎⬛︎を喪失した天使・h01114)。朗らかな笑顔で声をかければ、向こうもこちらに気付いたようで、何故こんな所にと怪訝な顔をする。
「今から吸血鬼に会いにいくのよ、あなたも一緒にいかが?」
「はぁ? 吸血鬼? 一体何の話……って、おい!?」
 ルーチェからすればたまたま通りがかっただけなのに、急にそんな話をされても困惑するだけだろう。しかしキャロルは問いかけの体はとっていても、異論反論を聞くつもりはまったく無さそうだ。

「ルーチェと一緒なら、霧の中もお散歩みたいなものね」
 お友達の腕に抱きついて、なにか言っているのを無視して一緒に霧の中へ。白い闇とも形容できるほどの濃霧がキャロルの視界を覆うが、動揺する様子はカケラもなかった。
(しっかり腕確保されちまった……これ、断れねぇじゃん)
 とか思っているうちに、ルーチェも連れられるがまま霧の中。どうも自然発生する霧じゃなさそうだし、不穏な事に巻き込まれつつあるのは確実だが。それでも力ずくで振りほどこうとしない辺り、人の好さが垣間見える。

「ふふ、ねぇ、ルーチェ。悪い子の吸血鬼を倒したら、美味しいものでも食べに行きましょ?」
「いや、だから事情を教えろよ?!」
 片翼だけの翼をばさばさ羽ばたかせて抗議すると、ようやくキャロルは説明を始めた。
 といっても、その内容はだいぶ彼女の主観に寄ったもので要領を得なかったが。前々から親交のあるルーチェでなければ要点を掴むのは難しかったかもしれない。
「……とりあえず、吸血鬼を倒せば良いのか?」
 封印された吸血鬼が復活して、眷属を増やして悪巧みをしている。その辺りのことはなんとなく理解した。依頼を受けていないルーチェにとっては、本来無関係な話だが――断るに断れない状況なのはご覧の通り。

「此処まで来ちまったし、やるしかねぇか。困ってる奴もいるなら、なおのことだしな」
「♬」
 はあ、と小さくため息をついて、腹を括ることにしたルーチェ。そんな彼女の結論を最初から分かっていたのか、キャロルは妖麗にほほえんで、気ままな仔猫のように肩を寄せる。
「言っとくけど……付き合ってやるんだから、美味いもん食いに行くならキャロルの奢りだからな? じゃねぇと、割に合わねぇぞ」
「ええ、すてきなお店を知ってるの」
 ルーチェだって巻き込まれるならせめてもの見返りは欲しいだろう。キャロルの返答があまりにも安請け合いで不安になるが――きっと彼女もそのくらいの収入はあるはずだ。食後に金が足りないと言われ、急遽自分が財布を開く羽目にはならないと信じたい。

「その分、その吸血鬼を全力でぶっ倒してやるから、そこは期待しててくれ」
「ふふ、それならあっという間に終わっちゃいそうね」
 そんなやり取りを交わしながらも、ふたりは白い闇の中を歩いていく。この霧に目くらまし以外の作用があったとしても、無邪気な災厄は心を強く――と言うよりは気にもとめておらず、普段通りすぎて影響を確認できない。
(やれる事をやるしかねえな)
 楽しげに歩みを進めていくキャロルの様子に、ルーチェとしては心配もあるのだが。
 この可憐でわがままなお姫様に捕まってしまったのが運の尽き。片翼の天使は肩をすくめ、災厄の歌姫とともに霧の奥へと進んでいくのだった。

花喰・小鳥

「ホワイトアウト。困りましたね」
 これでは足元すらおぼつかないと、一面の霧を前に呟いたのは小鳥。完全に視界を奪うほどの白さに加えて、古妖の潜伏場所も封印の影響によって次元が出鱈目に歪んでいるという。
「お手上げと言う他ないが、やるしかないでしょう」
 バーで交わした会話を思い出しながら、彼女は前に進む――あの歌姫の"本当の歌声"を聞きたいなら、自分も骨は折らなければ。思ったよりも難易度は高かったが、ここで諦めて引き下がるわけにはいかない。

「紅玉に奮起を促して、自分がそれでは格好がつきません」
 そう言って小鳥は【|一角兎《アルミラージ》】を発動。夢と現を繋ぐ力によって付近のインビジブルを生前の姿に変え、情報提供を求める。たとえ妖術による霧の中でも、彼らはどこにでも存在する。
(少なくとも狼狼は紅玉が情報を漏らす可能性を考慮していた)
 だからこその霧といい、相手はなかなか用心深いタイプ。なら他にも潜入に備えて見張りや偵察などに眷属を使っていないか、また潜伏に使えそうな場所についても確認を取っておく。

「やはり要所に眷属を配置していますか」
 どうやら眷属の視界も遮られてしまうらしく、霧の中を動き回っている者はいないらしい。それ以上に大きな収穫は、以前からこの辺りを漂っていたインビジブルから、地区の正確な構造を聞き出せたことか。
「これだけ分かれば十分です」
 もちろん、実際には視界がきかない状態で、頭の中の地図だけを頼りに敵を避けながら進むのは難しい。が、少なくとも文字通りの五里霧中ではなくなったわけだ。小鳥の口元には自信の笑みがある。

「最終的には鼻が頼りなんですけどね」
 これは比喩ではなく狼狼の匂いが手がかりだ。小鳥は本人に会ったことはないが、その匂いはバーにいた観客役の眷属から掴んでいる。吸血鬼らしい独特の血生臭さは、一度嗅いだら忘れるものではない。
「追跡を開始します」
 |血社《ファシナンテ》という愛好の煙草に火を付ければ、甘い匂いを帯びた紫煙が霧と混ざりあう。お硬い宣言とは裏腹に、まるで夜の散歩にでも行くような足取りで、一服すると小鳥は歩き出した。

「うまく隠れたつもりでも、隠しきれていませんよ」
 身に染み付いた匂いとは、強大な存在ほど隠すのは難しい。同様の匂いが見張りの眷属にも移っているなら、察知するのも容易。入り組んだ霧の町並みを適宜迂回しながら、夢喰みは古妖の潜伏場所と思しき所に迫っていく――。

九段坂・いずも

「吸血鬼、といいましたか 実際に見るのは初めてです」
 海の向こうから日本に渡ってきたという異国の古妖に、少し興味を惹かれるいずも。
 ひとの血を啜って永い時を生きるというが、果たして実物はどんなものか。|怪異《どうぞく》の肉を喰らって生き延びた自分とどう違うのか。答え合わせの時は近い。
「紅玉さんの協力あっての進展ですので、感謝しないといけませんね」
「自分のしでかしたツケを払っただけよ。それも払いきれてないし……」
 情報提供の礼を言われると、紅玉はちょっと気まずそうに苦笑した。そもそも自分が古妖の封印を解かなければ、こんな事件も起きなかったのだから。なのにいずもを含め誰一人として、彼女を責める者はいなかった。

「わたくしは今後もお店に通うことを誓いましょう」
「そう……だったら、今度は最高の歌と酒を約束するわ」
 こうして町外れのバーには新たな常連がひとり増えた。いずもの宣誓を聞いたときの紅玉の笑顔は、ほんとうに嬉しそうで。であれば尚のこと吸血鬼を退治し、憂いをなくさねばなるまい。約束された未来を楽しむためにも。



「白い闇というのは些か不安になるものですね」
 かくして吸血鬼の潜伏場所と思われる地区の入り口まで来てみれば、その先は真っ白な濃霧に覆われている。言葉とは裏腹にいずもは落ち着いているように見えるが、得意の占いでもここから先は見通せない。
「果たして、どちらが正しいのかはわたくしにはわかりませんから、大日如来さまに導いていただくことといたしましょう」
 とはいえ天命より長く生きれば諸々の物事に通ずるもので。悪しき妖術を破るなら、神仏の霊験にあやかるのが古来よりの定石だ。彼女は梵字の記された符を懐から取り出して、真言を唱える。

「……オン バザラダト バン」
 大日如来はその名の通り、日輪の如き慈悲の光をもって、遍く衆生を照らす仏尊だ。
 宙に放った梵符が真言に応えて燃え上がり、一握の灰となってはらはらと風に舞う。
「妙観察智をお持ちの大日如来さまなら吸血鬼の後を追うなど容易いでしょう」
 その灰の流れる方角に向かって歩きだすいずも。不思議なことに、霧の中に入っても灰の流れる道筋ははっきりと見える。彼女はただ、それを追いかけて進むだけでよかった。

「お力、お借りいたします」
 日光を嫌う吸血鬼に対抗して大日如来の加護を授かるのは、的確なチョイスだろう。
 妖術に惑わされず御仏の導きのままに五里霧中を行く、いずもの足取りは軽かった。

櫂・エバークリア
黒野・真人

「白い闇……気味悪いな……飲み込まれそうだ」
 普通の闇なら怖れはしないが、現在真人の視界を覆い隠すのは、質量すら錯覚するほどの濃度をもった霧だ。自然には起こり得ない現象を前に、今更ながらこれは「妖怪」という超常存在との戦いなのだと実感する。
「先が見えない程の霧か。まぁこれ位なら空気の動きを感じて、周りに意識を広げながら歩けばいいな」
 しかし彼の相棒、櫂のほうは同じ光景を目にしても動じず。口にするのは「それができたら苦労はない」と、常人なら言うであろう離れ業だが、本人に冗談のつもりはない。

「なーに、心の目で見りゃいいんだよ」
 霧は妖術で滞留していても空気はある。前へ抜けていく空気も、足の裏から感じる道も、耳で感じる風の音も肌で感じる風も、全て信頼できる自分の感覚だ。そう相棒に説明したうえで、櫂は実践してみせようと先に歩きだす。
「分かった……キアイ入れてちゃんとやる」
 口をへの字にしていた真人も、こんな風に言われて立ち止まってるわけにはいかない。
 言われた通りに強く心の目を研ぎ澄ませて、感じ取れる全てを頼りに歩く。言われてすぐにできる辺り、彼もまた非凡な能力の持ち主だ。

「やってみるとどうって事ないだろ」
「……まあな」
 霧の中ではぐれないよう、声をかけながら進む櫂。彼の言う事の中身は尤もで気構えもできたが、真人としてはなんだか悔しいので、一瞬ブルってたのは見せないように強がる。
(実際生業がアレだし怖気づくなんて絶対駄目だ。カイは十個も上だし稼業としてもセンパイ、極意的なコトも時々教えてくれてるしな)
 今回は経験の差を見せられたわけだが、逆に言えばそれを糧にして成長する余地がまだまだあるということ。そのうえで現在の自分のスキルを見つめ直し、自分にできることを探そう。

「ただこれだと進む方向はわかっても、明確な出口が分からないからな」
 しばらく霧の中を歩き続けるが、古妖の居所にはまだ辿り着かない。感覚的にこっちで間違いはないと思うのだが、確証がなければうっかり通り過ぎてしまうかもしれない――と、櫂が少し悩んでいると。
「カイ。さっきの方向の先だ」
 これまでアドバイスに耳を傾ける側だった真人が、ふいに自分から意見を口にした。
 感じたのは些細な空気の違い。進むと消えてしまったが、引き返してみればまた感じる。これは気のせいではないと、彼のカンが囁いていた。

「なあ、結界使いたいから力貰っていっか?」
「OK。任せとけ『お前は見つけられる』だ」
 この辺りに重要な何かがあると、真人の声には確信が宿っていた。であれば櫂に止める理由はない。【|言の葉・虚語《ウツロガタリ》】によってインビジブルの力を音に変換し、世界を塗り替える言葉で相棒の行動を後押しする。
「我が結界にて、総て治り、正され、全き姿に戻れ!」
 彼の答えと強化を受けたうえで、真人は【治癒結界】を発動。漆黒の霊気が周囲に広がり、霧を押しのけ、ありのままの風景を呼び戻す――白き闇の中から、霧に濡れた小道が姿を現した。

(こういう引きが強いのも真人だな)
 さんざん五里霧中を歩かされてきたが、これは間違いなく現実だ。櫂も√能力でサポートしたとはいえ、真人の強運と霊能は信頼に足るもの。まさか違和を感じれば一発とは。
「アタリ引けた! 行くぜ」
「あぁ、行くとするか」
 何はともあれ正解の道を見つけたふたりは、霧が戻って来る前に急ぎ足で歩きだす。
 異なる|道《ルート》と経験を歩んできたからこそ、互いを信じて協力する限り、彼らが道に迷うことはない――。

ソル・ディールーク
緋村・天照
小鳥遊・夢羽

「白い景色が広がっているな……うん」
 霧に覆われた地区一帯を見て、そのまんまの感想を述べたのはソル。呆れてしまいそうなほど白一色の視界は、一寸先さえ見通すことができず、ここから古妖の拠点を探すのは至難の業だろう。
「でも今回は僕達も霧に対抗する手段はあるね、ムーちゃん」
「おう、私の本名は人前で言うなよ」
 そう言って彼が笑いかけた相手は小鳥遊・夢羽(混沌の魔女『ククリ』・h06582)。
 本名で呼ばれるのが好きではないため、普段は『ククリ』というハンドルネームで通している。いささかクセの強い人物だが、信頼のおける実力者だ。

「ククリまで来たからどうなるかと思ったよ……でも助かったよ!」
 ソル、そして天照は以前からククリと親交があり、ここで合流できたのは幸運だった。
 紅玉が狼狼の居場所を明かす少し前、半殺しにされた眷属を引き摺ってククリがバーに入ってきた時は、すわ襲撃かと肝を冷やしたものの、見当外れでほっとしたものだ。
(ジュースを飲みに来たって聞いた時ずっこけそうになったけど……)
 たまたま道端で吸血鬼の眷属を見かけたからボコボコにして、たまたまバーを見つけたから一杯飲みにきたという。普通は眷属だろうといきなりケンカは売らないと思うが――『混沌の魔女』らしい奔放さだ。初対面の紅玉が引いていたのもさもありなん。

「ちな、今その狼狼って奴の場所へ向かうって事だな? おけおけ、任せな……私はルミナス・オーガの唯一の√能力者だからな!」
 偶然にも仲間と出会い、事件について聞いたククリは、二つ返事で解決に協力する。
 ソルも天照も常人離れした実力者だが、√能力は使えない。ここは自分の出番とばかりに霧に向かって右手を伸ばす。
「ふーん、これ√能力じゃないっぽいな」
 【ルートブレイカー】であるククリの右掌で触れても霧は消えない。つまり霧自体は古妖の√能力によるものではないと判断し、仲間達にそれを伝えながら次の方法を試す。

「詠唱、門の創造」
 古い魔導書を片手にククリが呪文を唱えると、空間に別の空間へと繋がる穴が開く。
 SF的に言えばワープゲートの一種にあたる、この「門の創造」が彼女の得意とする魔術だ。門の発生に伴って生じた世界の歪みに、霧が吸い込まれていく。
「ありがとうククリ! ここからはわたしの番だね!」
 視界が多少クリアになると、次は天照が一行の先頭に立つ。ここに来る前に紅玉の許可を貰って、彼女に付いた狼狼の匂いを嗅いできたのだ。犬の嗅覚にかかれば標的の追跡はお手の物――と、思ったのだが。

「……次元が捻れている?」
 いざ臭跡を辿ろうとすると、不自然な所で匂いが途切れている。さっきの門の創造の影響というわけではなく、もともと√妖怪百鬼夜行の建築物は次元が出鱈目になっている事が多いのだ。あっちこっちに古妖の封印が存在する弊害である。
「この辺りはかなり複雑に捻れてるみたい……」
「っぽいな、ソル……何とか出来るか?」
 第六感で周りを探ってみても、なにも分からない。このままじゃお手上げだと肩を落とす天照を見て、ククリはもうひとりの仲間を頼ってみる。するとソルは「任せてよ」と、ポケットから「極天の宝珠」を取り出して。

「M√SKILL、次元の回転!」
 いつものクセで技名を叫びながら、虚空に宝珠を投げつけると、次元に作用する特殊な回転が空間の歪みを正していく。まるで魔法や妖術めいた現象だが、これはあくまでスキル――√能力に対抗するために前世で編み出したものだ。
「アマテちゃん、もう一度敵の匂いを追跡して欲しいな」
「ありがとう! わん!」
 ソルによる修正が完了すると、天照は犬の姿に戻って狼狼の匂いを探る。流石に地区ひとつ分の空間全てを直したわけではないので、まだ途切れ途切れではあるが、さっきよりは随分マシになった。

「こっちだよ!」
 自信をもって駆け出した天照のあとを、ククリとソルが追いかける。彼女の嗅覚にはふたりとも信頼を置いており、いまだ霧烟る中をまっすぐに突き進むさまは、さながら猟犬の狩りだ。
「臭いを消すタイプの奴かもしれないからね」
 念のためにソルは周囲に敵の気配はないか第六感で探り、宝珠の回転を応用したレーダー波を放ち、天照の探索の手伝いをする。霧に紛れて手下が配置されている可能性もあるし、用心するに越したことはない。

「向こうに誰か立ってるね」
「匂いが薄いから眷属かな。ここは迂回するよ!」
 道中何度か敵と遭遇する危機はあったものの、ソルと天照による索敵は事前にそれを察知し、余計な戦闘を避けて狼狼の拠点に急ぐ。向こうも濃霧による視界不良は受けているらしく、先に見つけてしまえばこちらが見つかる事はなかった。

「さあ、天誅の時だよ……わん」
「よーし、さっさとぶっ飛ばすか!」
 犬の姿ではちょっと締まらないが、決め台詞を吐きながら敵の元に向かう天照。ぱしんと拳を打ち合わせて闘志を燃やすククリといい、ふたりともやる気は有り余っている様子だ。
「いや〜頼もしい仲間居て助かるな〜」
 気合十分の女性陣を追いかけつつ、ソルも気は抜いていない。匂いの追跡は天照が、視界の確保はククリが、空間の修正は彼が――それぞれの役割を分担しながら、三人は探索を続けるのだった。

神咲・七十

「んにゅ……紅玉さんがやる気になってくれてよかったですが……こっちはすごい霧ですね」
 ひとつ問題を解決しても、すぐに次の問題が立ち塞がるもので。古妖の潜伏場所として教えられた地区は、一面の濃霧に包まれていた。試しにちょっと足を踏み入れただけで、まったく視界が利かなくなる。
「う〜ん……このまま行くと迷子になっちゃいそうですね、仕方ないですからちょっと頑張りましょう」
 面倒くさそうにため息をついて、七十は地面に手を触れる。すると手のひらから植物の芽や蔓が伸びて土に根を張り、辺りを緑で覆っていく。その品種はどの√の植物図鑑にも載っていないものばかりだ。

「ふふふ、今日の気分でこれです♪」
 体内に「地母神たる邪神の胃」を持つ七十は、内包する異界で未知の植物を育てており、必要に応じて操る事ができる。【万花変生】にて外界へと解き放たれた草花は、我先にと争うように根を広げ、環境を異界のそれに塗り替えていく。
「……少しずつこれで私の影響範囲を広げて行きましょうか」
 そうすれば霧よりも自分の影響の方が大きくなって、霧も意味をなさなくなるはず。
 そんなことを考えつつ、彼女は根や種と一緒に呼び出した植物に齧りつく。まだ慌てる必要はないし、腹ごしらえでもしながらじっくりやろう。

「お日様は見えませんけど、霧を吸って元気に育ってくださいねぇ~」
 種々様々な花や野草を根付かせ、自己の領域を拡大する七十。名状しがたき異界の草原と花畑は奇妙建築さえ呑み込み、古妖の霧の影響を削いでいく。常人なら見ているだけで正気度が下がりそうな光景だ。
「はい、その調子です」
 しかし当然、植物達の主である七十には見慣れた光景。庭弄りのような気楽さで異界の住民を使役する様子は、どんなに温厚そうでもヒトならざる存在だと実感させられる。

「ふにゃ……後のことも考えてあまり力を使いすぎないように考えていかないとですねぇ〜」
 果実をもぐもぐと頬張りながら、草花の道に沿って歩く。迷子にならない程度に霧を遠ざけるだけなら、余裕はまだ十分あるらしく、七十の表情にあまり緊張感はなかった。
 本気を出すのはこれからだ。古妖・狼狼の拠点はもうすぐそこまで迫っている――。

第3章 ボス戦 『外国妖怪『狼狼』』


「チッ……もう見つかっちゃったアルか」

 白い闇を抜けて、√能力者達が辿り着いたのは一軒の中華風の奇妙建築。
 その中にいたのは、黒いチャイナドレスに身を包んだ、美しい人妖の女だった。

「まさか、あの女があっさり裏切るとは思わなかったネ。こんな事ならさっさと眷属にしておくべきだったアル」

 いかにもエセくさい訛りで喋る女の口から、ちらりと鋭い牙が覗く。
 彼女が紅玉の言っていた古妖、外国妖怪『狼狼』で間違いないだろう。

「もっともっと眷属を増やしテ、手始めにこの町を……ゆくゆくはこの国を支配してやろうと思ってたのに、これじゃ台無しアルネ」

 悪態混じりに語るのはふざけた野望。どこまで本気で言っているのかは分からないが、強大な妖力と凄まじい凶暴性を持つ古妖なら、本当にやりかねないのが恐ろしい。
 紅玉に封印を解かせ、形ばかりとはいえ願いを叶えてやっていたのも、全てはただの気まぐれか。

「まあ塞翁が馬ってやつネ。ここでアンタ達を眷属にすれば、その辺の人間どもを眷属にするよりよっぽど役に立ちそうアル」

 くすりと妖艶な笑みを浮かべる狼狼。その瞳に妖しい光が灯る。
 強力な√能力者を忠実なしもべにできれば、彼女の野望は一気に達成に迫るだろう。
 かつての古妖の全盛期のように、他の√まで侵略することも可能かもしれない。

 だが当然、彼女に従うつもりのある√能力者など、ここにはいないだろう。
 とあるバーから始まった、酒と歌姫と吸血鬼を巡る事件に、終止符を打つ時が来た。
東風・飛梅

「私が先陣ね?」
 霧を抜けて古妖の拠点へ、一番に駆けつけたのは飛梅。その原動力となった【一夜もあれば、私はあなたのもとへ飛んでいく】は、依然彼女の周りに梅の香を乗せた東風を吹かせている。
「ふぅん、アンタから最初に眷属になりたいアルネ?」
 拠点への侵入者を前にしても『狼狼』は余裕の表情。独特の訛りのある口調で挑発し、にやりと余裕の笑みを浮かべる。敵が強ければ強いほど優秀な眷属となる、そんなふうに考えているのだろう。

「さあ、この眼を見……」
 だが。狼狼がなにかを叫ぶ前に、飛梅はもう駆け出していた。先陣を切った時の彼女の能力値と技能練度は3倍。つまりスピードも3倍なら空中を走る技術の練度も3倍となる。
「遅いわよ」
 梅の香を運ぶ春風を纏って、ダッシュの勢いのまま敵の頭上を飛び越え、背後を突く。
 吸血鬼の邪視【パラライズ・レッドアイズ】は、視界内の対象を麻痺させる√能力。それを承知したうえで対策する動きだ。

「麻痺を防ぐには叫ばせなければいいし、視界内に入らなければいいからね」
「ッ……なんて疾さネ?!」
 背後を取られた狼狼が振り返るよりも速く、飛梅は背中にパンチを叩き込む。彼女の戦闘スタイルは「愛の拳」による徒手空拳。憎しみなき慈愛の拳とて、討たねばならぬ悪妖を前に容赦はしない。
「な、舐めんじゃないアル!」
 狼狼もこれには焦ったと見え、豹変しながら後ろ蹴りを繰り出すが。梅の香りの出元を捉えることはできず、振り向いてもそこにいるのは風の名残だけ。完全に動きを見切られている。

「あるじ様がこの場にいないから、完全に滅ぼすことはまだできないけれど」
 常に相手の死角に入りながら、鋭い打撃を撃ち込む飛梅。古妖も√能力者である以上、Ankerの手で殺されない限り、いずれ蘇生復活されてしまう。ゆえに倒すにせよ封印するにせよ一時凌ぎにしかならないのだが――一時でも悪事が止むなら上々。
「アンタのあるじって、まさか菅原の……ぐえッ!?」
 ここには居なくても、まるで自分を滅ぼす手段を知っているかのような口ぶりに、狼狼は動揺を見せ。その隙を突いた拳打が急所にクリーンヒットする。年若い可憐な少女なれど、想いを乗せた霊木の拳は重い。

「紅玉さんがその歌でお客さんを本当に惹き付けるために。あなたはここで打ち倒させてもらうわ」
「あ、あんな女のためになんて、くだらない理由アル……!」
 誰かのために戦う飛梅を、狼狼は軽蔑したように吐き捨てる。常に自分のためにしか戦わず、他人を駒や玩具としか思っていない古妖には分からないだろう。この霊木の少女を駆けさせる風――愛という力の強さを。

花喰・小鳥

「ずいぶんと都合のよい話ではありませんか?」
 紅玉という手駒に裏切られたから、自分を退治しにきた連中を新たな眷属に。好き勝手な言い草は古妖らしいとも言えるが、当然小鳥は、そして他の者達も従う気などない。
「世の中は都合よくできてるアル。アタシにとってネ!」
 力に驕り、他人を舐め腐った『狼狼』の態度は変わらず。では分からせるしかない。
 新たな煙草に火を着け、仄かに甘い香りを帯びた紫煙を靡かせながら、小鳥は駆ける。

「今度は裏切る気も起きないよう、しっかり服従させるアルヨ!」
 獲物のほうから近付いてくれるなら、狼狼としては願ったり叶ったりだ。小鳥からすれば敵の注意を自分に引き付け、仲間をかばう意図があったのだろう。だがそれは吸血鬼の牙に身を晒すということだ。
「いただくアル!」
 本性を露わにした狼狼が、小鳥の首筋に牙を突き立てる。噛まれた者は彼女の忠実な眷属になるという、【吸血鬼の本分】たる呪いの牙だ。そこらの人間や弱い妖怪なら、ひと噛みで虜にできる。

「あなたは忘れているようです」
「なに……ッ?」
 しかし小鳥は支配されるどころか、首を刺す痛みに表情を歪めることさえなかった。
 まるで平然とした様子に狼狼は動揺し、もっと呪いを注ぎ込もうと牙を食い込ませるが――。
「そんなに簡単に話が進むなら、潜伏したり紅玉の願いを叶えなくてもいいでしょう。最初から力尽くで何もかも手に入れたらよかった」
「うっ……!」
 その指摘で動揺はさらに大きくなる。あまりに分かりやすく図星を突かれた反応だ。
 傍若無人を地で行く古妖なら、寧ろそうしない理由のほうがないはずだ。誰彼構わずこのように噛みついて、街中眷属だらけにすればいい。

「なぜそうしなかったのか? 簡単なことです」
 百鬼夜行に敗れた古妖の多くは、肉体をバラバラに分割して封印されているらしい。
 つまり、ここにいる狼狼は肉片の一部が復活したもので、妖力はせいぜい全盛期の数分の一か数十分の一――つまり。
「あなたが弱いからそうしたのでしょう?」
「う、うるさいアルっ!」
 失った妖力を蓄え、戦力を整える前にここが見つかった時点で、圧倒的に不利なのはそちらだ。小鳥の言葉に狼狽した狼狼は、眷属にする前に彼女を黙らせようと、顎に力を込めて喉笛を噛み千切ろうとするが――。

「月の静寂に、満ちよ」
 妖艶なる美貌に冷ややかな笑みを浮かべて、【|傾城花《アルラウネ》】を発動した小鳥から甘い誘惑の香りが立ちのぼる。どこからともなく吹いた風が、彼女の前髪をさっとかき上げた。
「あ、アンタも、まさか……!」
 その下に隠されていた右眼の十字架傷を、狼狼は間近で直視してしまった。他者を従属させるのは吸血鬼だけの専売特許だと思わぬほうがいい。人間災厄「夢蝕み」の魔眼は、射抜いた者の心を汚染する。

「あっ……うがッ……や、やめるネ……!!」
 誘惑香と魔眼で二重に魅了された狼狼は、顔を覆いながらよろよろと後ずさる。流石に意のままにするのは難しいが、これだけ精神をかき乱せれば十分だろう。特にプライドの高い古妖に対しては。
「素敵な啼き声ですが、紅玉には及びませんね」
 高慢な吸血鬼が苦悶に呻くさまも悪くはないが、素晴らしい芸術を堪能した後では見劣りするもの。次はあの歌姫の"本当の歌声"を聴かせて貰うために、小鳥の魔眼は敵を捉え続けた――。

ルーチェ・モルフロテ
キャロル・フロスト

「あれが、言ってた吸血鬼ってやつか」
「そうみたいなの」
 霧を抜けた先でルーチェとキャロルを待っていたのは、黒いチャイナドレスの美女。
 外見は人間に似ているが、血なまぐさい妖気を強烈に感じる。封印されるにはされるだけの理由があるのだと、対峙するだけで分かる危険性。
「これ以上悪さしねぇようにぶっ倒す、それだけだろ」
 しかしルーチェには刹那の逡巡すらない。建物に乗り込むなりブレスレットに仕込んだワイヤーを飛ばし、壁や天井に打ち込んで移動手段を確保。巻き取りの力を利用して一気に距離を詰めた。

「ふふっ、ルーチェのそういうところ、わたくし好きよ?」
 躊躇なく飛び込んでいった友人を見て、キャロルは楽しそうに笑ってから、すうっと大きく息を吸う。人間災厄「迦陵頻伽」に至った彼女の武器は歌――ただ思うさまに奏でるだけで、その声は災いを呼ぶ。
「フン! 調子に乗って……ちょっと本気を出してやるネ!」
 相手が二人がかりとなれば、狼狼も【狼は満月の夜に啼く】を発動。眷属化だけでなく変身の妖術も得意とする彼女は、巨大な血液の狼に変身して√能力者達を迎え撃った。

「ふふふ、この姿になったアタシに物理攻撃は効かないアル!」
「それがどうした!」
 近接戦を挑むルーチェに合わせて形態を変えたのだろうが、杖術による物理と魔法の合わせ技が彼女の本領だ。握りしめた魔導杖「Alpha Canis Majoris」の先端に炎が灯る。
「燃やす勢いでぶん殴ってやるよ!」
「あヅッ?!」
 ワイヤー移動を利用して遠心力をかけた、全力のフルスイング。液状の体に物理攻撃は貫通しても、炎によるダメージは防げない。血液の塊に移った火が、その巨体をより赤々と燃え上がらせた。

「祝福の歌声 天使の囁き 永遠の賛歌へ 心を委ねて」
 前線のルーチェを援護すべく、キャロルも【|永遠の賛歌《マウル・トラグウィドル》】を歌唱。天使のように清廉な美声で紡がれる「深淵の耽歌」が、周辺にある殺傷力の高い物体を引き寄せ、狼狼へと向かわせる。
「なッ、今度はなにアル?!」
 ルーチェが張ったワイヤーや、火の粉が燃え移った家具。そういったものをぶつけられ、動揺を見せる狼狼。ただの物理攻撃なら先述の通り大したダメージにはならないのだが――被弾した瞬間から、彼女は不快な違和感を覚えた。

「お前が紅玉に、あんなつまらない歌を歌わせたのよね?」
 憤懣やるかたない様子で狼狼を睨みつけるキャロル。歌を愛し、歌に愛された少女にとって、それは断じて許されざる所業だった。あんな歌を歌わせてなんとも思わないなんて、きっと耳が詰まっているに違いない。
「そんなお前の眷属になんて、死んでもごめんなの」
「アンタの意見なんて聞いてない……アルっ?!」
 キャロルの【永遠の賛歌】は攻撃するだけではない。命中すれば「魂喰いの旋律」となって絡みつき、回避率を長期的に低下させる。それは一緒に戦う√能力者達の攻撃の助けになるはずだ。

「いいぞキャロル、もっと歌え!」
 敵の動きが鈍ったのをいい事に、ルーチェは攻撃の手を緩めない。火炎魔法による牽制の後は、鎖を鞭のように振るって血液を散らす。ムダにでかい図体なら殴りたい放題だ。
「そっちの事はほとんど何も知らねぇけど、これ以上好き勝手にさせるつもりはねぇよ」
「こッ、こいつら……言わせておけば生意気ネ!」
 ひたすら接近戦を仕掛けてくるルーチェから逃げるように、狼狼の巨体が分裂して小さな子狼の群れに。こちらの形態は魔法に強いため炎のダメージは受けないが、逆にこれまで無敵だった物理攻撃には弱くなる。

「邪魔するなら、容赦なく倒すだけだ」
 逃げ回る子狼にワイヤー移動で追いつき、鎖で捕縛していくルーチェ。悪魔喰いで得た力を活かし、かつての野生を思い出して身軽に戦う。天使と言うには荒々しいが、味方にすれば頼もしく、そして敵にすれば恐るべき勇姿。
「ルーチェ、そっちにも一匹逃げたわ」
 その後方にて一歩も動かぬまま、キャロルも敵を追い立てる。小さくなって機敏になったぶんを魂喰いの旋律で相殺し、建物内の家具から調度品まであらゆるものを武器にして攻める。血風吹き荒ぶ戦場において、なんと楽しそうに歌うことか。

「ムムム……こいつらァ!」
 仲間をみんな縛り上げられ、最後の一匹になった子狼が元の人間形態に戻る。怒りと焦りで美貌を歪め、激昂のままに血液の槍をキャロルに放つ。ルーチェが「させるか!」と、魔法でそれを弾き飛ばせば――。
「眷属にしてやるネ!」
 一瞬の隙を突いて肉薄し、【吸血鬼の本分】たる牙をルーチェの首筋に突き立てる。
 傷口から注ぎ込まれる眷属化の呪いが心身を蝕む。動くな、従え、という高圧的な命令が脳裏に響く。

「うるせえ!」
「なっ?!」
 されどルーチェは命令に逆らい、強引に攻撃へと移る。古妖の呪いは単なる気合いだけで抗えるものではない――悪魔さえも喰らった彼女の抵抗力が、特別に高かったのか。
「♫~」
 あるいは、その背を見守る少女の歌が、彼女の意思と行動を後押ししたのかもしれない。この戦場において、現状「最も殺傷力の高い」ものはどれか、生物を含めてよいのなら答えは明白だろうから。

「もうすぐフィナーレを飾るのは、あのお店じゃなくてお前ね」
 累積された魂喰らいの旋律は、回避という可能性を吸血鬼から奪い去る。せめて最期を華々しく盛り上げてあげようと、キャロルは狼狼の|鎮魂歌《レクイエム》となる歌を高らかに響かせ。
「悪い吸血鬼は、ここでくたばれ!」
「ぐぎゃぁッ!!?!」
 とどめにルーチェが渾身の【|Le marteau sur le diable《アクマヘノテッツイ》】をぶち込めば、ぶん殴られた狼狼は品性のカケラもない無様な悲鳴を上げて吹っ飛んでいく。片翼の天使と迦陵頻伽の連携プレー、ダメージは相当のものになったはずだ――。

黒野・真人
櫂・エバークリア

「なんだそれ。逆に怪しすぎんだろその語尾」
 中華訛りにしてもあまりにエセくさい『狼狼』の口調に、思わずツッコミを入れたのは真人。アニメや漫画の中国人キャラだと、そういうキャラ付けはまあ珍しくなかったが。
「そこまでざーとらしいの今時ウケねえぜ?」
「うるさいアルヨ!」
 とか言っても別世界の更に外国モノだから通じねえかもと思ったが、なんか解ってやってる感がクサい。怒ったようなフリをして、実は普通に日本語喋れたりするんじゃないか、こいつ。

「ま、どっちにしてもキッチリ倒すさ」
「そうだな。仕事の時間といくか」
 そんな事はさておき戦闘態勢に入る真人に合わせ、櫂も銃を取る。ここまで来ればあとは古妖を退治するだけ。眷属化されていたバーの客も正気に戻り、紅玉の憂いも消えるだろう。
(ただ、こいつのせいであの歌姫さんはあんなにも思い悩んでたんだ)
 ひとの切実な情念を利用して封印を解かせ、歪んだ形で弄んだ悪辣な所業は、ただ退治するだけでは気がすまない。(軽く挑発くらいはさせてもらうとするか)と、櫂はわざとらしい笑みを作る。

「ま、策士面の失敗ヤローに負ける道理はないがな」
「……それはアタシの事を言ってるアル?」
 その物言いと態度がカチンときたのか、狼狼の声色が低くなる。自分勝手に他人を見下してきたぶん、他人から煽られるのに慣れていないのか。分かりやすいヤツだと思いつつ、櫂は「当たり前だろ」と挑発を重ねる。
「最初から表に出ず、人の心も理解しないで策士面して、挙句の果てに裏切られて」
「紅玉サンの歌はテメエに汚させるには勿体ねえし、オレらを眷属なんてマジトリハダ」
 すかさず真人も乗っかって、大袈裟にゾッとする仕草で狼狼を挑発。実際、こんなヤツの眷属になるなんて絶対にごめんだし、こんなヤツの悪事にいつまでも紅玉が煩わされる必要なんてない。

「どうも立場が分かってないみたいアル……実力の差を思い知らせてやるネ!」
 度重なる舐めた発言にキレた狼狼は【狼は満月の夜に啼く】を発動、全身を血液化して巨大な狼に姿を変える。眷属を増やすしか能のないヤツが封印されるはずもなく、宿した妖力は尋常ではないか――だが、そんな変身如きで怯むふたりではない。
「悪いが三下は退場の時間だぜ」
「その侮り、粉砕してやる!」
 宣言は同時。そして先に駆け出したのは真人。太古の神霊「神鳥」を降ろした彼は翼のような霊力を纏い、全速力で狼狼に肉薄する。この手のアヤカシ退治なら、黒野一族の領分だ。

「返り討ちにしてやるネ!」
 血液の大狼はあんぐりと顎を開け、近付いてきた獲物を呑み込もうとする。その寸前で真人は霊力の翼を羽ばたかせ、一瞬とはいえ力学的にありえない動きで敵の目測を狂わせる。
「こっちのセリフだ!」
「ギャッ?!」
 抜き放つ「終焉刀」より繰り出す「霊剣術・神鳥閃」は、神鳥の霊力を借りた装甲無視の斬撃。通常の物理攻撃では貫通してしまう血液の体さえ切り裂き、狼狼にダメージを与えた。

「妙な技を使う……だったらこれでどうアル!」
 大狼の姿では分が悪いと思ったか、飛び散った血液が分裂し、小さな子狼の群れに変わる。こちらの形態は物理に弱い代わりに魔法に強く、一匹一匹のサイズが縮んだぶん回避力や機動力も上がっている。
「いくら切れ味がよくても当たんなきゃ意味ないネ!」
「確かにこれは相性悪いかもな」
 群体になっても意識は1人の狼狼で統一されているらしく、寸分狂わぬ連携で襲い掛かる子狼の群れに、真人は防戦を余儀なくされた。なんとか反撃できたとしても、数匹斬り伏せた程度じゃ痛くも痒くもあるまい――だが。

「テメエの相手はオレだけじゃねえぞ」
「なんネ? ……ぐあッ!?」
 羽ばたき撹乱する真人の翼の陰から、銃弾が二発、立て続けに発射される。黒い軌跡を描いたそれは着弾の瞬間炸裂し、周囲にいた子狼の群れを爆風でまとめて吹き飛ばした。
「改造完了。全力でぶっ飛ばしてやるから、覚悟しな」
 それを撃ち込んだ櫂の狙撃銃「闇烏」には、見た事のないユニットが増設されていた。
 真人が突っ込んでいった後ろで、彼は【戦線工兵の意地】により装備の改造を行っていたのだ。戦闘機械の技術を取り入れて強化された銃は、常識を超えた性能を発揮する。

「二人分、腹いっぱい喰らっておけよ」
 ブースターを取り付けた真人の狙撃銃が、再び火を噴く。その連射性能と攻撃範囲は小型標的の群れを一掃するにはうってつけだった。すばしっこく逃げ回ろうと、点ではなく面で制圧すればいい。
「うぐぐ……やってくれたアルネ!」
 このままでは拙い、と焦った狼狼は元の人間形態に戻り、鋭い血液流を槍のように撃ち出す。まずは厄介な狙撃手から仕留めようと思ったのだろうが、そうは問屋が卸さない。

「やらせるわけねぇだろ!」
 瞬速で割り込んだ真人の刀が、血液流を空中で断ち切る。変身のネタもこれで尽きたなら、もう反撃のターンは回させない。次弾装填を完了した櫂が、スコープ越しに標的を捉える。
「足りないなら何度でも喰らわせてやる」
「ココでのオイタはこれで終わりだな!」
 超技術の銃撃と秘伝の霊剣術、√の境界を超えたコンビネーションが吸血鬼を襲う。
 大狼に変じても受けきれず、子狼に分かれても避けきれない。弾と刀の傷を刻まれ、狼狼は「よ、よくもッ?!」と悔しげな悲鳴を上げた。

「終わったら報告兼ねて紅玉サンの歌また聞きに行こうぜ」
「いいな。またあの時間を楽しまさせて貰うとしよう」
 敵を追い詰めながら真人がふと口にした提案に、櫂は笑って賛同する。次にまた来たら一杯ご馳走するとも言っていたし、仕事終わりにバーで極上の歌と酒を味わうなんてのも悪くない。
「こいつが消えたらあの歌姫さんの歌は、きっとまた人を呼ぶように綺麗に響く」
 憂いの晴れた紅玉が、心の通った客の前で披露する歌は、どれほどのものだろうか。
 期待に胸膨らませながら、ふたりの√能力者は追撃の手を緩めない。止まぬ弾雨と神鳥の猛襲から、吸血鬼が逃げ延びるすべはなかった――。

緋村・天照
小鳥遊・夢羽
ソル・ディールーク
マスター・ちんあなご

「あっ……準備があるからすぐに戻る! 先に入っていてくれ」
 時は少々遡り。古妖の拠点を発見し、いざ突入という直前になって、ソルは急にそんなことを言い出した。敵と戦うために必要な準備なのだろうが、一体なにをする気なのか。
「じゃあ先に行くか」「急いでね!」
 ここで言い出すからにはきっと切り札なのだろうと、ククリと天照は彼を信頼する。
 準備が終わるまで一緒に待つつもりはない。吸血鬼が待ち構える中華風の奇妙建築に、ふたりは先行突入していった。

「お前の眷属の躾はどうなってんだ! いきなり襲いかかってきたぞ?」
 かくして敵地に乗り込んだククリは、出会い頭で『狼狼』にクレームを入れる。彼女がこの事件に関わる切っ掛けとなった眷属との喧嘩、あれは自分からふっかけたものではなかったらしい。
「ああ……あれって正当防衛だったのね、御愁傷様……ククリ、さて……」
 怒気も露わなククリを慰めつつ、天照も戦闘モードに。天女のような白い羽衣が現れ、髪色はピンクと白に染まる。鞘から引き抜くのは「逆刃刀・星薙」。悪しき古妖を斬るために鍛え上げた剣だ。

「天誅天誅天誅天誅天誅天誅天誅天誅天誅天誅」
「な、なんネ、こいつら……」
 かつて大切な飼い主やその一族を古妖に殺された天照は、古妖に対する敵意も人一倍。
 いきなり怒鳴りつけてきたククリといい、ヤバそうな連中がやってきたと狼狼は警戒を深める。
「この眼を見るネ!」
 こういう奴らをまとめて黙らせるなら【パラライズ・レッドアイズ】。闇夜に妖しく光る吸血鬼の瞳は、視界に入った獲物を麻痺させる魔眼だ。どんな腕自慢が相手でも、動きを止めてしまえば同じ。

「まさか、わん!」
 しかし敵が叫ぶ寸前で、天照の第六感は√能力の発動を察知。咆哮で仲間に警告しつつ、自分はしゃがんで犬の姿に戻る。人間形態よりも姿勢の低くなるこちらのほうが、敵の視界から逃れるには都合がいい。
「危ねえ!」
 天照のおかげで危機を察したククリは背中に翼を生やし、天照とは逆に上に逃げる。
 同時に「魔女の炎」を投げつけて、牽制ついでに目くらましを。視界に依存した√能力なら、なるべく視界を遮ってやればいい。

「いくよ! わん!」
 幻炎と陽炎が揺らめく戦場を、犬になった天照が走る。敵の死角を縫って間合いを詰めれば、瞬時に人間の姿になって「黄金精霊銃」より回転の魔弾を射出。そのまま敵の懐に飛び込み斬撃を放つ。
「宝天虹道流……昇龍の型!」
「甘いアル!」
 我流にて極めた古妖狩りの剣技が、吸血鬼の首を刎ねる――かに思われた刹那、狼狼は【狼は満月の夜に啼く】を発動。肉体を全て血液に変化させ、巨大な狼の姿に変身した。

「通り抜けた?!」
「後ろへ下がれ!」
 液状の体には弾丸も刀も貫通するだけでダメージにならない。それを見た天照はククリが叫ぶ通り、オーラで身を守りながら後ろに下がった。間髪入れずククリはライフル型の「魔力射出装置」から魔力弾を放つ。
「チッ、逃がしたアル!」
 血液の大狼は物理攻撃には強いが魔法攻撃は効く。狼狼は舌打ちしながらも術をかけ直し、今度は子狼の群れに変身した。状況に応じて瞬時に変身を繰り返せるのは、並大抵の練度ではない。

「次は逃さないアルよ!」
 大狼とは逆に子狼は魔法耐性が高く、さらに機動力もある。散開する群れに対してはククリの魔力攻撃もほとんど避けられてしまい、当たっても大したダメージにはならない。
「ほら、さっさと進化しろ」
 だが散開から集結・再攻撃までのわずかな時間に、ククリは√能力を発動させていた。
 その名は【|混沌の魔女への昇格《カオスウィッチ・アップデート》】。彼女がぱちんと指を鳴らすと、天照の両目が黒く染まり、凄まじい魔力が湧き上がってくる。

「今だ! アマテ!」
「うん!」
 混沌の魔女への昇格完了直後、ククリは「門の創造」を展開。合図を受けた天照は門に飛び込み、狼狼の背後に飛び出した。空間転移を利用した移動までは敵も察知できまい。
「宝天虹道流……猛龍の型!」
「「な……ぎゃぁッ!!」」
 回転と衝撃波を身に纏いながら空中を駆ける天照。その突進と斬撃によって数匹の子狼がなぎ払われる。さらに彼女はククリに与えられた混沌の魔女の力で追尾魔法を発射。逃げ回る狼の群れに追撃をかけた。

「チッ……そっちも変身するなんて聞いてないアル!」
 物理も魔法も両方こなせる相手には、大狼も子狼も相性が悪い。狼狼は舌打ちしながら元の人間形態に戻り、血液の流体を槍のように放つ。結局はこの姿がもっともシンプルで、もっとも攻撃力に長けているようだ。
「ほい、お返しだ!」
「へッ?! うぎゃァ!!」
 しかし、それを読んでいたククリは再び「門の創造」を高速詠唱。自身の目前に展開した門で血液流を吸い込み、敵の背後に展開した門から吐き出す。まんまと攻撃を跳ね返された狼狼は、間抜けな悲鳴を上げる――。



「よし……行くか」
 そんな熾烈な戦いが繰り広げられる一方で、外にいるソルは一体何をしていたのか。
 おもむろにスマホをかざすと、建物の前から彼の姿が消える。この√から別の√の次元に移動したのだ。
『どうした? ●●●』
「久しぶり、とりあえずオーガ6使っていい?」
 次元の狭間にて待っていたのは、ソルが「時空の神」と呼ぶ存在。旧知の仲らしき気さくな態度で訊ねられると、彼はとある技の使用許可を求めた。これまで使ってきた「オーガ5」よりもさらに強力な特殊技能、|M√SKILL《メイビールートスキル》を。

『許可を求めてから使うなんてな……本当に。ああ、使うといい』
 逆に言うとこれまでは無許可で好き放題使っていたのだろうか。感慨深そうに涙を流しつつ、時空の神は寛容に許可を出した。理由を訊ねないのは、急ぎの用事だと分かっているからだろう。
「ありがとう、じゃあ行ってくる」
 ソルは神にお辞儀をすると√妖怪百鬼夜行に戻り、極天の宝珠に回転をかけつつ敵の元に向かう。少々時間をかけてしまったが、まだ戦闘は続いている――あのふたりも戦っているはずだ。



「おう、ソル!」
 戦場に現れた白髪の青年に、真っ先に反応したのはククリだった。なかなか素直になれないが信頼はしている相手だ。このタイミングで来てくれたのは、正直言って頼もしい。
「チッ……またおかわりアルか。ならアンタから眷属にしてやるネ!」
 手負いの狼狼にとっては逆に、ここでの増援は望ましい事ではない。なら、そいつを眷属にしてしまえば形成はひっくり返る――彼女は【吸血鬼の本分】を剥き出しにして、まだ状況把握が整う前のソルに矛先を変えた。

「ん?」
 首元めがけて呪いの牙を突き立てようとする狼狼に、ソルの第六感は間一髪で気付く。
 咄嗟に首をひねって攻撃を躱しつつ、宝珠を敵に投げつける。それは一時的に√能力を無効化する回転がかけられていた。
「なっ……力が、抜け……?!」
 牙に込めた呪いが霧散する。今のは√能力ではない、古妖も知らない異界の技術。警戒と動揺から狼狼の動きが止まった隙に、ソルは使用許可を得たばかりのスキルを起動した。

「OVERM√SKILL……オーガ6!」
 それは鬼の死霊「フューチャー・オーガ」と融合し、強大な力を獲得するM√SKILL。
 ソルの背中に不死鳥の翼が現れ、宝珠が蒼い炎を纏う――同時に、別の次元から何かが飛び出してきた。
「マスターちんあなご〜!」
 それはソルが連れているちんあなごの中でも、√能力を取得した特殊個体マスター・ちんあなご(オーガ・ディザスターの仲間達・h06569)。彼は王であるソルのオーガ6発動に合わせて、自らも【マスター能力『EMPEROR・SWORD』】でソルと融合する。

「なッ、なんなのネ、こいつは!」
 フューチャー・オーガとちんあなご。ふたつの超常存在と融合し、一時的に√能力者となったソルの覇気が、狼狼を驚愕させる。ただの人間がこれほどの力を持つなんて、本来ならあり得ない事だ。
「OVERM√SKILL……無限の超星回転!」
 ソルの手元で宝珠が回る。無限の回転は恒星の如き輝きを生み、煌々と戦場を照らす。
 さっきまでのソルとは何かが違う。仲間達でさえそう感じるほどの迫力をもって、彼は渾身の投擲を放った。

「くっ! こ、こんな、ものオォォォォ……!!?!」
 狼狼は再び大狼に変身して攻撃をすり抜けようとするが、極天の宝珠は回転によって無理やり血液を吸い寄せ、固め、物理貫通を強引に無効化する。凝固していく自分の体を見て、狼狼はまたしても驚愕の声を上げる。
「これがオーガ6の力だ」
 固体化した敵にまた変身される前に、ソルは接近して拳を叩き込む。肉体にも回転の技術を付与した彼のパンチは、血だけでなく魔力まで吸い寄せる。「ぐえっ!」と殴り飛ばされた狼狼から、妖気が抜けていくのが分かった。

「ちんあなごの力を借りるよ……これがエンペラーソードだ」
「な、なにがエンペラーアル……ぎゃぁッ!?!」
 すかさずソルはマスターちんあなごに授けられた「皇帝剣」を抜剣。吹っ飛んだ敵を空間ごと引き寄せ、真っ向から斬り伏せる。なおも憎まれ口を叩こうとした狼狼も、その切れ味の前では悶絶するしかなかった。
「二人共、今がチャンスだよ」
「おう!」「わかった!」
 予想以上のソルの強さにここまで手を出す暇がなかったが、ククリと天照もただ見ていたわけではなく、合図があればすぐさま追撃を仕掛ける。混沌の魔女の魔法と宝天虹道流の剣技、その威力はすでに証明された通りだ。

「燃えろ!」
「天誅!」
「あッ、アンタたち……よくも……ぎゃぁぁァッ!!」
 転移の門より放たれる魔女の炎と、疾風の如き剣閃が、吸血鬼をさらに追い詰める。
 最初の頃の余裕はどこへやら。古妖が長い眠りについていた間に、現世には様々な強者が生まれていた事を、狼狼は痛感せざるを得なかった。

神咲・七十

「うにゅ、あの綺麗な歌声の良さが分からないとは寂しい人……妖生と感性していますね」
 ようやく見つけた古妖『狼狼』に対して七十が向ける視線は、怒りではなく憐れみだった。あんなに素敵な歌だったのに、ただ都合のいい駒くらいにしか思ってないなんて、大損していると言っても過言ではない。
「でも、大丈夫ですよ……今からしっかり教え込んであげますから♫」
「な、なにする気アル……?」
 妙に優しそうな声色と笑顔に狼狼が警戒するなか、七十は【『フリヴァく』イン・ステージ】を発動。邪神系アイドル『フリヴァく』を呼び出して、持ち歌を披露してもらう。

「さあ、ライブスタートです♪」
『イェイ♫ いっくよー!』
 フリヴァくのヒーリングソング『チル・マイ』は味方の再生力を高めつつ、忠実な|隷属者《ファン》を生成する。七十はその隷属者を前面に押し出しながら、浸食大鎌『エルデ』を担いで突撃。
「気味の悪い歌アル……けど、こいつらは手駒に丁度よさそうネ」
 狼狼は顔をしかめながらも牙を露わにし、【吸血鬼の本分】通りに隷属者に噛みつく。
 吸血鬼の呪いの牙を受けたものは、彼女の忠実な眷属と化す。隷属の対象を上書きされた隷属者は、あっけなく七十とフリヴァくに反旗を翻した。

「ふにゅ、隷属を一時的に奪われてますね? もぅ……狼狼さんと一緒にまたアイドルの良さを教え込んであげますよ♪」
 隷属者の推し変――もとい裏切りに七十は唇を尖らせたものの、さほど動揺した様子はない。別に取り返しのつかない事態というわけでもない、奪われたものは奪い返せばいいのだから。
「と言う訳で『フリヴァく』ちゃん、曲変えです♬」
『オッケー!』
 癒やしの『チル・マイ』からより攻撃的な『アイズ』に。思わず観客も一緒に歌い出したくなるようなデュエットソングで、隷属を奪われた隷属者ごと、狼狼まで隷属化せんとする。

「こ、今度はなんネ……ラララ~♪……ッ!?」
 自らの意思に反して勝手に歌いだした口を、狼狼は慌てて手でふさぐ。「アイドル」という鋳型に嵌められていても、フリヴァくの本性は√汎神解剖機関の怪異――それも女神と呼ばれた高位存在。霊格で言えば古妖にも劣るまい。
「ふふ、『フリヴァく』ちゃんのアイドル力がわかりましたか?」
「ふ、ふざけんなアル! こんな怪しい歌でヒトを隷属させるなんて間違ってるネ!」
 得意げな七十に、盛大なブーメラン発言をかます狼狼。だがフリヴァくをステージから降ろさない限り、隷属の歌は止まらない。そしてアイドルを牙にかけることは、彼女の"ファン"が許さない。

「次は紅玉さんの良さを小一時間位は教え込みますので覚悟して下さいね♫」
「か、勘弁しろアル……!!」
 再隷属させられた隷属者と、七十の振るう大鎌が狼狼を襲う。反撃しようにも耳心地のいい歌が抵抗の意思を削ぎ、私に従えと誘う。プライドの高い吸血鬼にしてみれば、それが何よりの屈辱だろう――物理的にも精神的にも、彼女は窮地に立たされていた。

九段坂・いずも

「ははあ、海の向こうからわざわざお越しになったんですね。この国の妖怪と外つ国の妖怪に違いはありますか?」
 この国で生まれた妖怪としての好奇心からか、いずもは外国妖怪『狼狼』に訊ねる。
 一口に妖怪とまとめられていても、国や地方によってその種族は千差万別。この吸血鬼の故郷にも、きっと多様な妖怪がいたはずだ。
「それとも、この国の妖怪もひとも一筋縄ではないと、教えて差し上げた方がいいのでしょうか」
「フン! こんな小さな島の連中なんて、どいつも軟弱者ばっかりアル!」
 しかし狼狼はふてぶてしく高慢な態度で、この国の妖怪を見下すばかり。彼女にとってはそもそも、自分以外の者は従属させた眷属かオモチャ、さもなくば敵しかいないのかもしれない。

「そのような態度であれば、こちらにも考えがあります」
 和解も対話の余地もない古妖を前に、いずもは「山丹正宗」を抜き、【|九段坂下り《コール・オール・ゼム》】の構えを取る。彼女の生家、九段坂家より持ち出されたこの太刀は、怪しき異なるものを斬ることにかけては一日の長を持つ。
「御託はもういいネ! アタシに従う気がないなら死ぬヨロシ!」
 対して狼狼は【パラライズ・レッドアイズ】を発動。吸血鬼は視線に魔力を持つという伝承も数多いが、彼女の√能力はそれを体現するものだ。その赫眼と目が合った者は、金縛りにあったように身動きを封じられる。

「この眼を見るネ!」
 叫びながら瞳を輝かせる狼狼。その瞬間、いずもは目を合わせないよう姿勢を低くして走りだす。視界に入らなければ麻痺効果はないわけだが、そう簡単にはいかないだろう。
(ですがわたくしにも霊的防護があります)
 影響はあっても、動けなくはない程度であれば。歩くたびにちりんと鳴る、魔除けの小鈴が麻痺を和らげてくれる。気を強く保って視線を振り払いながら、彼女は敵の懐に潜り込んだ。

「あなたという妖怪が、わたくしと怪しく異なるものであるならば、山丹正宗の切先があなたを引き裂くことでしょう」
「なッ……こいつッ!」
 視界に入ってもなお接近されたのは、狼狼にとって予想外だったろう。動揺から見えた隙を突いて、いずもは太刀を振り下ろす。戦力を削ぎ落とすために、まず狙うのは腕からだ。
「獣もひとも、腕を失えば辛いのは同じですから」
「ぎぃッ?!!」
 怪異殺しにして同族狩りの太刀、山丹正宗は寒気すら感じるほどの切れ味で、狼狼の右腕を切り落とした。滑らかに絶たれた腕の断面から、一拍遅れて血が噴き出す――血を吸う鬼とて己の血は赤いらしい。

「どんな姿に変身したって、失ったものは戻りはしないでしょう?」
「や、やってくれたアルネ……!」
 切れた部位を瞬時に生やすような、出鱈目な再生能力の類を持つ妖怪もたまにいるが、目の前の吸血鬼はそうではないらしい。傷口を押さえて後退する狼狼を視界に留めながら、いずもは落とした腕をひょいと拾い上げて、ひと齧り。
「ははあ、これが外国妖怪のお味ですか」
「なッ……アンタ、なに喰って……?!」
 ひとや妖怪の血を啜る妖怪でも、自分の肉を喰われる事には忌避感があるのか。同族狩りの九段坂家、その業の一端を見せられた狼狼は、恐怖と怒りがないまぜになった顔を見せる――喰う側から喰われる側に。それは古妖の誇りを損なう事でもあった。

出多良目・采

「アンタが外国妖怪『狼狼』かい。これ以上、古妖に勝手させるわけにはいかないね」
 眷属を操り、歌姫の情念を利用して、暗躍を続けてきた吸血鬼を前に、采は堂々と啖呵を切る。これまでの分のきっちり灸をすえて、あのバーを邪な企みから解き放つとしよう。
「紅玉や人々の情念につけこむ輩は許せないからねぇ」
「ハッ。そんなの、つけこまれる方が悪いアルネ……!」
 無論、説教されて素直に謝る古妖はいない。いやらしく笑って悪態を吐く狼狼に、反省の色はまったく見えず。すでに相当ダメージを負っているはずだが、それでも虎視眈々と逆転の機を窺っている。

(さて、啖呵をきりはじめたは良いが。どう戦うもんかね。ひとまず、嫌がらせでもしとくかね?)
 どんなに威勢よくしても簡単に退治できる相手ではないことは、采にも分かっている。
 まずは場を自分の優位にしよう。彼女は続けて自己紹介といきつつ、【運命賽子】を発動する。
「アタシは采、サイコロの付喪神さ。玩具だからね、お天道様の下で、子供と遊ぶ事も多くてね!」
 思い出語りに合わせて変容する戦場。霧に包まれていた奇妙建築に、にわかに太陽の光が差し込む。吸血鬼と言えば外国妖怪の中でも夜行性のモノ――日光を浴びると灰になるとか、そういうエピソードは枚挙に暇がない。

「これでアタシの遊戯空間は真っ昼間だ」
「このっ……鬱陶しいマネをしてくれるネ!」
 流石にそれだけで古妖が死ぬ事はないが、うららかな春の日差しは薄暗さに慣れた吸血鬼の目をくらませるのに十分だった。急な日光で狼狼が驚いた隙に、采は連撃を仕掛ける。
「上振れろ!」
 16個の【爆発賽子】を素早く取り出し、ぶん投げる。3,6の出目は捕縛、2,5,4の出目は爆発。そして1の目は外れ。効果は使い手の幸運次第という、ギャンブルな√能力の効果やいかに。

「んな……はぐぅッ?!」
 今日の采はとびきりツイていた。16個も賽子を振って、なんと1の目はひとつも出ない(マジで)。2の目が4つ、3の目が3つ、4の目がひとつ、5の目が6つ、6の目がふたつ。合計で5回の「一回休み」効果と、11回の爆発が発生する。
「うぎゃッ! なんネ……ぐはッ! 動けな……ぎゃぁッ!?」
 賽子をぶつけられた狼狼のもとで次々に爆発が起こり、そのたびに悲鳴が上がる。【運命賽子】の空間にいる限り、|遊戯主《ゲームマスター》の攻撃は必中だ。強制休みの効果もあって、回避などできようはずもない。

「こ、こんのォ……舐めんなアル!」
 偉大なる吸血鬼が遊戯のオモチャに負けてちゃ世話はないと、狼狼は意地で【狼は満月の夜に啼く】を発動。魔法耐性の高い子狼の群れに分裂することで、避けられなくても爆発のダメージを軽減しようとする。
「ずいぶん可愛くなっちまったねえ。だったらこうさ!」
 しかし采はまだ爆発が続いているうちに狼狼に接近して、お手製のハリセンを一閃。
 音の良さが自慢だが、うまく振れば物を斬ることも可能という、どういう素材を使っているのか不可思議な逸品である。

「捕縛したうえで魔法爆発、物理切断の連続攻撃。アタシのとっておきさ」
「うぎゃぁッ!!!」
 魔法に強い形態は、逆に物理に弱い。真っ二つにされた子狼は悲鳴を上げて倒れる。
 切断を警戒して血の大狼に変身しようものなら、もう一度【爆発賽子】を投げてやってもいい。
「先制できるのがベストだろうけどね、変身されてても、これは痛いだろ?」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……!」
 子狼の群れがひとつに集まり、もとの人間形態に戻っていく。しかし切られた子狼のぶんのダメージは回復していない。悔しそうに歯噛みしてもまだ捕縛が続いている以上、彼女の手番は回ってこない。

「もう|夜《アンタ》の時間は終わりだよ!」
 このまま一気にかたを付けようと、高らかに宣言してハリセンを振る采。スパーンと小気味いい音が鳴るたびに、吸血鬼の体が切り落とされていく。さんさん照らすお天道様のもとで、悪事がはびこる隙はない。
「塞翁が馬……一の裏は六ってやつさね。観念すると良いよ!」
「よ、よくも……この屈辱、忘れないアル……アンタ達、覚えてるネ~~~ッ!!!!」
 最期の最期まで居丈高な恨み節と捨て台詞を吐き捨てて、とうとう狼狼は力尽きた。
 バーの歌姫・紅玉の情念を利用した吸血鬼の悪事は、ここに完全に潰えたのである。



 店に戻り事の顛末を報告すれば、紅玉は皆の無事を喜び、感謝の歌を聞かせてくれた。
 憂いの晴れた最高の歌声と、呑める者には酒が、√能力者達への最高の報酬となる。

 後日談であるが、傾きかけていたバーの経営も、様々な施策で再び持ち直したそうだ。
 人と妖の世に情念は尽きねども、悪の栄えた試しはなし。酒と歌姫と吸血鬼を巡る怪奇譚――これにて一件落着。

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト