聖なる探求の果て
●傷つき折れた、堕落の騎士
♪聖なる騎士は♪探し求める♪
♪遍く世界♪平和を齎す♪
♪聖なる剣♪邪悪を討つ♪
♪汝が捧ぐ♪民への奉仕♪
暗く奥深いダンジョンの中に響くのは女の歌声。
国と民に平和と安寧を|齎《もたら》すとされる聖剣を、それを探索する騎士を讃える歌声。
「…………」
それを静かに聴いているのは、岩の上に腰掛けた鎧の騎士。
勇者と、英雄と、多くの人々に称えられた彼の面影はここにあらず。
魔物が歌う美辞麗句に耳を傾け、|無聊《ぶりょう》の慰みとしていた。
聖剣伝説の探究の果て。
見つからぬ聖剣、止まらぬ争い、乱れる人心。
今や彼の心は折れ、清なる泉の如き高潔な魂は枯れ果ていた。
魔物の甘言の如き美声に、心を委ねるほどに。
「平穏を齎す聖なる剣は……|何処《いずこ》ぞ」
♪御身が剣♪それこそ聖剣♪
♪汝が振るう♪敵こそ悪なり♪
項垂れた騎士の周りに、歌声が響く。
「そうか……おお、そうであったか……」
♪汝が道行き♪阻む者共♪
♪一切合切♪薙ぎ払うべし♪
「我が前を阻むは邪悪……我が一太刀こそが、平穏を招くのだな……」
果てなき探求に身をやつした聖なる騎士は、ここに堕ちた。
騎士は再び立ち上がり歩み続けることを決めた。
前に立ち塞がる全てをその剣で薙ぎ払って。
「我が歩みの後に、人々に穏やかなる時を、齎さん……」
BAD END『惑乱の歌声、堕落の騎士』
●安らかな終わりを
「初めまして、でいいよな? 俺は|竜堂《りゅうどう》・|爪牙《そうが》ってもんだ、よろしくな」
集まった√能力者達に、にぃと口角を上げて挨拶するのは竜堂・爪牙(人間の職業暗殺者・h01012)。
「普段は依頼を受ける側なんだが、俺にも星詠みの才、ってのがあったらしい」
前置きはさておいて、と爪牙は咳払い一つ。
「集まった皆に頼みたいのは、ダンジョンの奥深くに眠る、とある堕落した騎士の討伐だ」
堕落騎士『ロード・マグナス』。
彼はこのルートを迎えるまでに打ち立てた功績は計り知れない。
√能力者ではない彼だが、人々に『勇者』と讃えられるほどの功績を打ち立てていた。
「だがどんなルートを辿っても、√能力者でない者は自身の結末を変えられない」
『ロード・マグナスは堕落した騎士として人々に害なす|存在《モンスター》になり果てる』
これは変えられない彼の|結末《エンディング》だ。
「だが俺達√能力者ならその終わり方を、少しばかり変えてやれられる」
何か思い馳せるように目を閉じていた爪牙は、期待の眼差しを君達に向ける。
「さて、まずは酒場で情報集め、コイツは鉄則だな」
ロード・マグナスが打ち立てた伝説を聞くも良し。
彼が最後に見たというダンジョンの情報を聞くも良し。
そこに潜む魔物の情報を集めるも良し。
ロード・マグナスに救われた人々は多く、その話を聞きたいと言うなら喜んで民草は応えるだろう。
そしてその声援はきっと、惑乱の歌声から覚ます一雫になりえる。
「軽く見えた噂だと、ダンジョントラップ多めのルートか、歌声を使う魔物が阻むルートか、ってとこかね?」
どちらの情報がより多く得られたかで、ルートが分岐するかもしれない。
騎士の情報を聴くと、彼を惑わそうとする魔物が阻むことになりそうだ。
「これは既に結末を迎えた|可能性の話《インビジブル》だ。でもまぁ……」
そこで言葉を切る。
正規の依頼というよりは、感情的な話だ。
爪牙の心がそう願っただけの話。
「見ず知らずの誰かに『平穏あれかし』と願った騎士サマに、この世に騒乱を招く前に、終えさせてやってくれ」
第1章 日常 『冒険者の酒場』

賑やかな喧騒が広がる酒場へ、√能力者たちが入り口をくぐる。
酒呑み達の豪快な笑い声は新参者の登場でも変わらず、明るい酒場の雰囲気が広がる。
「んふふ、人死にが出る噺なんかゾクゾクしやすが……はてさて、何か聞けるとよろしいんでございやすがね」
尾花井・統一郎(戯言を集めて囃し枯尾花・h03220)がミステリアスな笑みを浮かべる。
「酒場とはいえこの喧騒、それほど暗い雰囲気には見えないがな」
トーニャ・イントラット(|黒竜公《レイヴン》・h00726)は騒々しさと酒の匂いに眉をしかめながら言う。
道中の雰囲気も身近に死者が出ているような暗い雰囲気はない穏やかな物だった。
露出の多いトーニャの肌に向けられる無遠慮な視線、そして幼さに勝手に失望する失礼な酔っ払いの男どもに、フンと鼻を鳴らす。
「しかしこれはただ穏やかな集落、じゃあございやせんよ」
統一郎の御伽使いとしての勘は、『何某かの脅威に晒された後、解決の安堵』を感じていた。
カウンター席で適当な酒を一杯頼み、ちびちびとグラスを傾ける。
「なんだ、情報収集しないのか?」
「まぁまぁ、来て早々いきなり聞くってのもアレなんで、まずは一杯引っ掛けてからにするっすよ」
カウンター席に案内されたトーニャの隣に座った七槻・早紀(路地裏の遠見・h03535)は、メニューを手に取る。
「興味ある話は自然と耳に入ってくるッス。なんて言ったッスけ? カクテルパーティー効果?」
明らかに未成年な二人に出されたドリンクメニューは、統一郎とは違ったノンアルコールの物。
山羊のミルクやレモン水といった、飲み物として美味しく味わうには、少し物足りない物だ。
未成年向けではない酒場なのだから、致し方ないと言えば致し方ない、が。
「……酒を出してもらえないってのが余計に恨めしくなったッス」
果実酒の甘い匂いが反対隣でカクテルを傾ける女性のほうから匂ってきて、つい嘆息する早紀。
喉の渇きを潤していると、酔っ払った男たちの下世話な会話が耳に入る。
「うむ……一杯だな」
コップ一杯分は聴いてやることにしたトーニャは、コップのミルクを傾ける。
√能力者たちが有象無象の無駄話を聞き流していると、気に掛けていた単語が聞こえてくる。
「ガハハ! そんなに女日照りなら、あの女の『歌』ってのに応えちまえばよかったじゃねぇか!」
「馬鹿言うんじゃねえ、ありゃあ魔性の類だ、おめえはアレを聴いてないから言えるんだ、ペアでの不寝番だってのに、呑気に寝コケやがって」
統一郎と早紀はようやく目当ての噂話を捉え、くるりと椅子を向ける。
ヤギのミルクの、牛乳とは違う癖のある味に苦戦したトーニャのコップの中身はまだ半分ほど。
話していた男は、如何にも荒っぽい冒険者風の男二人。
豪快そうな熊獣人の戦士風の男と、気弱そうな魔術師風の男だ。
「ほほう、そいつは興味深い話でございやすね」
「あん? なんでぇ、兄ちゃん?」
戦士は荒っぽい口調だが、割って入った統一郎に興味を示しているらしい。
「面白そうな噂話、あっしはそういう噺を集めるのが趣味でございやしてね」
統一郎は警戒されないよう努めてにこやかな笑顔を作りつつ話を聞く。
「怖い話でございやすと、もっと嬉しいわけでございやす」
どこか怯えた様子の魔術師に、ちらりと視線を向ける。
「ダッハッハ! だとよ! この兄ちゃんなら笑わずに聞いてくれるかもな!」
魔術師は背中をバシバシと叩く戦士に、迷惑そうな顔を戦士に向けてから、統一郎を見る。
「もう2週間前になるが、ここから近くのダンジョンにこのバカと、盗賊と僧侶と4人で入ったんだ」
魔術師は話をしてくれる。
ダンジョン攻略に行った所、大量のトラップが仕掛けられてる人工の道と天然の道があったらしい。
しかし罠担当の盗賊が『お手上げだ』とトラップルートを断った。
仲間の盗賊も決して素人ではないが、熟練の盗賊でも対応困難なトラップの数々に白旗を上げた。
嫌な予感がしたが、天然ルートならば容易に進めると踏んだ。
「最初は魔物の気配なんて全くなかったんだ。盗賊の耳でも、俺の魔法や僧侶の神秘による魔物探知でも、引っかからなかった」
「ああ、熊獣人の俺の鼻でも、魔物の臭いなんざなかったな」
「そいつはまた摩訶不思議なことでございやすね。盗賊の耳でも、魔術師の魔法でも、獣人の鼻でも辿れなかった……裏を返せば、だというのに『いた』ということでございやすか?」
コクリと頷く魔術師と、フンと鼻を鳴らす獣人の戦士。
「俺ぁ鼻には滅法自信がある。コイツの言う女の臭いなんざ、しなかったがね」
「ふぅむ……なるほど、なるほどでございやす」
大層な自信があるようだが、統一郎には過信に思えた。
「いやぁ、この場合……それほどの自信がある存在が、『絶対になかった』と豪語する程に隠し通せる相手……ってことッスかね?」
耳をそばだてて思考を巡らせていた早紀がぽつりと漏らす。
早紀の小さな呟きに、トーニャはゴクリと飲み干したコップを置く。
「一杯飲んだぞ。もったいぶるのは止めてもらおう。魔術師、貴様は魔物を『視た』のだな?」
初めの言葉通り、コップ一杯のヤギのミルクを飲み終えたトーニャが、魔術師に問う。
この者こそトーニャが聴くに相応しい情報源だ。
「……ああ、俺は聴いた。そして視た。ありゃあ魔物だ。人心を惑わす魔性だ」
「発言を許す。それが余が求む情報ならば、美酒でも美食でも、対価は惜しみなく支払おう」
暴君の如き、そして絶対な君臨者の如き態度で、トーニャは問う。
今は小さな少女の姿をしつつも、大いなる竜の威厳を示していた。
(いやぁ、大盤振る舞いッスね。こういう時ばかりは、恨むというか羨むと言うか……)
|持たざる者《ホームレス》である早紀は、その光景に苦笑いする。
「いいや、要らねえよ。俺の話をまともに聴いてくれたのは、あんたたちの他には……ロード・マグナスだけだった」
「ほう?」
興味深げな声を挙げたトーニャだけでなく、二人は一層集中して耳を傾けた。
ロード・マグナス。今回の討伐目標の名。
√ドラゴンファンタジーに於ける勇者の名。
√EDENにおける堕落騎士の名。
「ロードがダンジョン攻略に向かった。それだけで、この集落の連中は安堵してやがる。いや、それが普通だ……だが俺には、そうは思えない。あの惑わしの歌が、まだ耳に残ってるんだ……」
魔術師は不安げな声を漏らす。
先程までの酒場の明るい安堵の声が、今は空虚な物に思える。
『彼の勇者なら如何なる魔物であろうとも討ち倒す』という、妄信故の明るさ故に。
「いつだ? いつ、マグナスは向かった?」
「二週間ほど前だ。俺たちのパーティは、道半ばと言え一週間足らずで引き上げたいうのに……」
「彼の勇者は未だ、戻ってくる様子はないというわけで、ございやすね?」
トーニャと統一郎の言葉に魔術師は返す。
「俺が見たのは、歌姫の如き甘い声で歌い、聖女の如き清らかな声で誘い、娼婦の如き色香で男を惑わし。
猛禽類の如く獲物を狩り取る魔物……『ハーピー』だ」
魔術師の言葉に、星詠みの語った言葉に、√能力者の三人は予感がする。
ハーピーに惑わされた堕落騎士がもたらす、この集落に降り注ぐ惨劇を。
「なるほど、なるほど。あっしが語る怪談噺なら、相応しい|末路《オチ》ではございやすがね」
「しかして、讃えられる名が忘れられる内に……貶められぬうちに葬るのがよかろう」
統一郎とトーニャは、立ち上がる。
噺の中の登場人物でも、支配した者でもなく。
ただ目の前の、今を生きる者の願いを前にして。
「いやぁ、アタシは栄誉とか名声とか、難しい事はわからないッスけど……まぁ」
早紀はフォークで鶏肉のから揚げを突き、くるくると回す。
最初は情報を引き出す為に、何か奢らされるんじゃないかと警戒していたと言うのに。
『頼む』の一言と共に、『美味しそうだな』と見つめてた視線を見透かされたように、差し出された一皿。
ぱくっと口に含んだそれは、予想通り美味しい肉汁が早紀の口の中いっぱいに広がる。
「この一皿分くらいは、頑張ってみるッスかね」
第2章 集団戦 『ハーピー』

集落から少し離れたダンジョンの森の中。
情報通り整備された人工のルートと、手つかずの天然のルートがあった。
明らかに罠が仕掛けられている様子の人工のルートを割けて、より多くの情報を得られたルートを選ぶ。
即ち、魔物が潜むである、天然のルートだ。
どこからか歌声が聴こえてくる。
心を弱き者を惑わす、甘い歌声。
心折れた者を癒す、慰めの歌声。
心強き者には、耳障りな金切り声。
気配がする。予感がする。
歌姫の如き歌声の中に混ざる、邪悪な気配。
聖女の如き慈悲の中に混ざる、悪辣な欲望。
娼婦の如き誘惑の中に混ざる、獰猛な本能。
『星』が瞬き、空を見上げる。
そうして上空に潜む者は、√能力者たちの目に捉えられた。
上半身は女性、下半身は猛禽類の魔物。
即ち、√ドラゴンファンタジーの民を惑わすし、君達の前に立ち塞がるモンスター。
ハーピーの姿を。
ルート能力者達が縄張りに入って来た事に気付いたハーピーの群れが警戒するように鳴く。
人の声を模したものでも、歌声でもない。
ただの仲間へと警戒を呼び掛ける金切り声。
誘惑の歌が通じる相手でないと、本能的に察しているのだろう。
「なるほど、これが勇者マグナスさんを惑わせた輩ってぇわけでございやすね」
勇者が惑わされるほどの存在、如何に美しい魔性かと思えば本能のみで生きる魔物。
噺を語り人を魅せる統一郎からすれば、肝心の歌声も上っ面を並べ讃えたような三流もいい所。
「こんなもんに惑わされて堕落しちまうたぁご愁傷さまでございやす」
讃えられた|英雄の末路《噺のオチ》としては、憐れみすら覚える。
夜の森が生み出す影を更に深める統一郎の陰から、するりと現れた護霊「ごりょんさん」。
良家の奥方を思わせるたおやかな姿は、夜の森に異様に映った。
「ではマグナスさんの敵討ちといきましょうや、ごりょんさん」
悠然と構える統一郎を狙い隠れ潜む魔物を感じ取ってか、美しい容貌に警戒と敵意を滲ませる。
気配を辿れないのを口惜しく思っているのだろう。
「まぁまぁ、焦りは禁物でございやす」
統一郎はごりょんさんをなだめるように穏やかに言う。
「探知を阻もうが、あちらは殺す気満々だ、待ってりゃ向こうから来てくださいやすよ」
ワザとらしく姿を見せているハーピーは陽動。
警戒すべきは目に見えるモノではなく、目に見えない場所。
上空からの襲撃態勢を解く一瞬の気配を感じ取るため、敢えて目を閉じて視覚を封じる。
隙だらけの姿を見せた統一郎を格好の獲物と判じたハーピーが急降下してくる。
羽ばたく音のない降下から、ハーピー風切り音を捉えた瞬間には不可避の速度を得る狩人の一撃……
――常ならばそのはずだった。
ハーピーは統一郎よりも手前、態勢を変えて鉤爪を向けることなく、自ら地面へと激突する。
何が起きたのかと面食らうハーピーを|祝《呪》ったのは、ごりょんさん。
指差し見つけたごりょんさんが地面へと指し示す通りに墜落していた。
「んふふ、ごりょんさんはキレイな方ですが、怒ると怖いんでございやすよ」
墜落のダメージが残るハーピーは、慌てて飛び立とうとする。
それが服の裾を乱さぬ優雅な歩みで近づくごりょんさん。
まるで地に落ちた小鳥を憐れむ貴婦人の如きごりょんさんに、ハーピーは無防備な獲物と判断を違える。
しかしごりょんさんの間合いに入った途端、形相を鬼へと変じる。
己が護る統一郎を狙ったハーピーに、ごりょんさんがかけるべき容赦などない。
「こんなふうにね。容赦なしでございやす」
恐怖の顔に染まったハーピーは、消滅していった。
「森の中で視界は悪い、と。目視は有効だから、と」
早紀が見上げる森の上は、明るい月夜が故に木々の枝葉が闇に生み、姿を潜めるのには好都合そうだ。
森の木々も、ここを縄張りとするハーピーが自在に舞うのには不都合がないだろうだ。
ならば少しでも近く、少しでも遮るものの少ない場所へ行こうと、樹の枝に飛び乗り高さを稼ぐ。
邪魔な枝を鎖のついた|棺桶《Jack》をくるりと回して刈り取れば、見通しが良くなる。
早紀の目に上空を旋回して滞空するハーピーの姿を捉えられた。
地面の戦闘を警戒しているのか、早紀に気付いた様子はない。
「それでもちっとばかし遠いッスねぇ」
安定する足場から仕掛けるタイミングを伺う。
魔物とて本能で生きる獣。一定の速度と軌道で旋回しているのは、容易に見て取れる。
他の√能力者のように襲撃を待つのもいいが、早紀の趣味ではない。
膨れた腹を一撫ですると、口の中に広がるから揚げの味が思い浮かぶようだった。
「元気も十分、派手に一働きするッスよ」
足場にしていた太い枝を思い切り蹴って跳躍する。
だが早紀の間合いにはまだ少し遠い。
ならばあと一歩、樹の幹を足場にもう一度駆ける。
早紀は旋回中のハーピーへ、思いっきり|棺桶《Jack》を投げつける。
奇襲を仕掛けるつもりが逆に奇襲されたハーピーは、すんでの所で身を翻して棺桶を躱す。
木々より上空へと跳んだ早紀は、後は落下するのみ。
「ようやくアタシの距離……」
だが早紀の狙いはたった一撃を当てる事じゃない。
早紀が手元の鎖を手繰ると、棺桶がぐるりとハーピーの体を回って鎖で絡め捕った。
「捕まえたッス」
念動力で落下速度を増して、ハーピーを地面へと叩きつけ|棺桶《Jack》の下敷きにする。
早紀は棺桶を足場代わりに蹴って、自分の落下速度を減らしてすとんと着地した。
闇に紛れていたたおやかな雰囲気と女性と見まごう容貌を持つ幽霊、誉川・晴迪(幽霊のルートブレイカー・h01657)が、暗がりから姿を現す。
隠れ潜む個体は√能力者によって倒された。
遊撃がいなくなった後警戒するのは、姿を見せない後衛。
晴迪の読み通り、前衛を援護すべくシャウトバレットが放たれる。
「イタイのはキライなんですが……」
晴迪が音波の弾丸の前に立ち塞がる。
ゆるりと緩慢に右手を前に差し出すと、弾丸の衝撃波が長い髪を揺らす。
晴迪によって受け止められた音波の弾丸は炸裂することなく、収縮して無音と消えていく。
本来これで士気高揚させて強化しようとしていた目論見が崩れる。
「まぁこれくらいはよしとしましょう」
晴迪の姿は闇に溶けるように薄らぎながら、狙いを定めさせない。
ハーピーはムキになったように音波の弾丸を放つ。
「暖簾に腕押し、幾度やっても同じことですよ」
そのことごとくを右掌で受け止めた晴迪は√能力を掻き消す。
ひらりひらりと捉え難い姿を捉えようと躍起になるハーピーは、幽霊に惑わされた姿そのもの。
「おっと?」
受け止め損ねてよろめく晴迪を、チャンスとばかりにハーピーが襲い掛かる。
実体のない弾丸では撃てないと判断したのだろう。
「などと、隙を誘うのも一興」
ハーピーの爪を右手で受け止めると、爪の連撃が止まると、鬼火の如き炎が手からハーピーへと燃え移る。
実在しない破壊の炎が、ハーピーを焼き尽くした。
「余の上を飛ぶ不届き者どもが、耳障りな鳴き声だ」
トーニャは不愉快そうに腕を組んだまま、ハーピーに目配せ一つもくれてやらない。
その意志に応じるように、|過去の軍勢《リージョンズ・オブ・トワイライト》が十四騎の兵が馳せ参じる。
参列するはかつて率いた軍勢より遥かに少ないが、未だ呼び声あらばと真っ先に応じる忠義者達だ。
その忠節に免じて善しとした。
「下種な歌唱への返礼の仕方を憶えているな?」
トーニャの封じられた記憶の彼方に霞行く存在だが、竜の魂が鼓動する。
それに応えるように、槍の石突で地面を鳴らす。
軍勢の鬨の音がハーピーの金切り声を破り、鼓舞する。
「こ奴らの断末魔を余を讃える歌とし、許しを与えてやるとしよう」
トーニャの言葉に槍兵は盾を構えながら矛先を向けて、弓兵が矢を番えて弦を引き絞る。
あのような者は、黒竜公の槍を賜るどころか、眼を穢すにも値しない。
「征け、余が指す道行きを!」
黒竜公の合図と共に、一層高らかに|鬨《とき》の声を挙げた軍勢が次々と矢を上空へと放つ。
逆さ雨の如く矢が姿を晒しているハーピーを打ち抜く。
けたたましい金切り声が断末魔と変わり、次々とハーピーは地に落ちて命潰える。
最後のハーピーはせめて一太刀とばかりに、矢の群れを越えて槍兵が開けた隙間に飛び込んで来た。
だが守るべき主に鉤爪が迫っているというのに、軍勢に焦りはない。
「フン、最後に我が槍捌きを見たいか。ならば良かろう」
閉じていた目を開き、その手に白き槍を構える。
歌い鳥の鉤爪如きに、|竜の爪《セプター》を持つ黒竜公が劣る道理はない。
捨て身の突撃の勢いをそのままに、カウンターで一突き。強者たるを示すには、それで十分。
最後のハーピーの断末魔が、強者の勝利への讃美歌となった。
「ハーピーは倒し尽くされた、英雄の手によって」
トーニャは突き出した槍の構えを解き、ただ前を見る。
|過去の軍勢《リージョンズ・オブ・トワイライト》はトーニャの前に跪き、勝鬨を挙げることなく静かに消える。
「そうでなくてはいかん」
トーニャはこの先に待ち受ける者を見据えていた。
第3章 ボス戦 『堕落騎士『ロード・マグナス』』

森の闇を抜けた先、煌々とした月明かりに照らされた、廃墟と化した屋敷があった。
ダンジョン化する前はどこぞの貴族の別荘だったのだろうか。
しかし今は見る影無く、崩れ去って野ざらしとなっていた。
建物の陰から、重たい金属音と足音が響く。
星詠みの通りに、重装甲を纏った騎士が現れる。
√能力を持たずして、魔物を討ち迷宮を踏破してきた騎士ロード・マグナス。
「我が歩む道は聖なる道」
彼は人々に勇者と称えられた。後に続く者なくとも。
「己を滅し、民を救う」
彼は人々に聖者と謳われた。見返りがなくとも。
「我が身こそ、即ち聖剣」
彼は数々の邪悪を打ち倒した。たった一人で。
「なれど未だ世界に安寧は訪れず」
だがたった一人の英雄に、世界は救えない。
「我が前を阻む者ある限り」
彼が目指す出口の先には、彼を英雄と称える街がある。
「邪悪一切|悉《ことごと》く滅し斬る」
聖も悪も、もはや惑いに堕ちた騎士の目にはわからない。
「我が歩みの後に、人々に穏やかな時を……|齎《もたら》さん」
切り開いた道の後に残るのが、破壊と死の静寂だとしても。
今の彼にはそれがわからない。
「我が前に立ち塞がる者よ。我が名は騎士マグナス。我が聖剣を以って、汝らを討ち滅ぼさん」
堕ちてなお歩み続ける堕落騎士『ロード・マグナス』
彼を止められるのは、√能力者だけだ。
「『仕事』はもう済んだんスけどねぇ」
禍々しく堕ちながらも真っ直ぐに向けられる騎士のプレッシャーを、早紀は受け流す。
じりじりと間合いを測る早紀に、マグナスは身動き一つせず油断なく構える。
「退くか。なれば良い。我は背を切る刃は持たぬ」
「そうしたいのは山々ッスけど、アタシはまだメシの分しか終わってないッスよ」
騎士との真っ向勝負など、早紀のガラじゃない。
不意打ち騙し討ち、口八丁に手八丁。
生き抜くための悪知恵を働かせるのが早紀の真骨頂。
しかしこの邪悪を討つ事に囚われた騎士相手にするのは|憚《はばか》られた。
「あーあ、これが勇者の末路ってなぁ哀れなもんでございやすねぇ」
統一郎は勇者と謳われた高潔な騎士の、暗く淀んだ眼を憐れむ。
星詠みならぬ統一郎だが、彼の|辿る道《ルート》は容易に想像がついた。
間合いを取る早紀に対して、『退くを良し』とした騎士マグナス。
だが街に入った勇者を、きっと街の人々は英雄の凱旋と歓迎するだろう。
|堕落騎士の歩みを阻んだ《英雄マグナスを出迎えた》者を斬るだろう。
逃げ惑う人々がいる中、彼を信じた者は理由を問い、彼の乱心を止めようとするだろう。
そして|高潔なる騎士《サー・マグナス》は、|死を撒き散らす災厄《ロード・マグナス》と化す。
あまりにも、哀れ。
もし仮に、奇跡的に正気を取り戻したのならば、その結末は自らの手による終焉だろう。
「ならまぁ……介錯が多少先んじても構やしねぇか」
統一郎は常のお天気屋のなりを潜め、己の中の魔性との融合を果たす。
|取り替え子《チェンジリング》の鬼子の悍ましい本性を露わにする。
「この世ならざる落とし仔よ、我が前に立ち塞がるか」
邪悪の気配を察したのか、静かに構える騎士の周囲に、炎が灯る。
歩みを止めた堕落騎士が生む呪いの炎、カースドフレア。
開戦の狼煙に、この詠唱が始まったのはマズい。
時間を与える程に、マグナスの周囲に浮かぶ呪いの炎は灯り続け、手数を増やしてくるだろう。
「アタシの出番ッスね! ぶっ飛ばして行くッスよ!!」
√能力の路地裏にありそうなものを探っていた早紀は、廃墟の瓦礫から鉄パイプを撃ち出す。
マグナスの背後も狙えたが念動力を操り、盾を持たぬ騎士の左側を狙う。
騎士の背後に浮かぶ呪いの炎は動かず、マグナスは自らの鎧の籠手で防ぎ弾いた。
「呪いの炎が相手なら、あっしは鬼子の呪いにてお返しございやしょう」
月明りに照らされた統一郎の影がより一層濃く、闇よりなお深く黒く染まる。
地面を這うように伸びた魔性の影は悍ましい鬼子の姿で一撃を加える。
マグナスはそれに闇を照らす呪いの炎で返さず、剣でそれを防ぎながら身に掠める。
「うっわ、見た目通りの硬っい鎧ッスねぇ」
「なるほど、なるほど。一歩も動かずと防ぐに十分……訳でございやすか。これは攻めるに至難」
手傷を負いながらも大地に根差した大樹の如く防ぐ騎士技巧に、半ば呆れた声を出す早紀と統一郎を、マグナスは自分のほうこそ驚愕したと言わんばかりに見つめていた。
「問おう。何故、我が背を狙わぬ」
「ん? いやぁ不意打ちなんかして邪悪認定されても困るッスからね」
「……然様か」
狙えたはずの背後を狙わなかった早紀の返答の間にも、堕落騎士の背後に呪いの炎が灯る中、マグナスは違和感を抱いていた。
『この者達は果たして、誠に邪悪か?』と。
呪いの炎はぐらりと揺らぎ、マグナスはよろめく。
「否。否。否だ。我が前に立ち塞がるは邪悪。故にこの者達は邪悪。故に我が聖剣を以って、滅ぼすべし」
「残念だが滅びるのは其方の方だ」
それを振り払うように首を振り、再び暗く淀んだ眼で面を上げるマグナスを、トーニャは真っ直ぐと見据えて返す。
今は遠き記憶の彼方、このような英雄に挑まれてきた既視感を覚えていた。
トーニャに挑んだ勇者たちが、破れ没してなお、悔やみながらも誉れと共に終えていた。
|黒竜公《レイヴン》トーニャ・イントラットに挑み破れた勇者の一人として、名を刻んだ誉れ在りと。
――故に。
「その名だけは遺す道を作ってやろう、下らぬ真実よりも聖なる物語としてな」
堕落騎士が待ち構える森の奥深く、廃墟と開けた場所。
トーニャにとっておあつらえ向きの場所であった。
森を、世界を揺るがさんとばかりに轟く咆哮と共に|黒竜再臨《ドラゴンプロトコル・イグニッション》を解放する。
黒竜の咆哮が、滅ぼし否定する力が、深き森に轟く。
「――竜よ。偉大なる竜よ。我が前に立ち塞がるか」
騎士マグナスは呪いの炎を背にしたまま、聖剣を構える。
己を守り隠すべく巨大な瓦礫を蹴り上げて前に翳すと、マグナスの元へ滅びと否定の力が降り注ぐ。
挑むは大いなる竜、躊躇いは要らず、邪念は要らず、惑いは要らず、|ただの一息《黒竜のブレス》を防ぐ為に一念。
「なれば我が決死の渾身を以って、竜が齎す滅びを否定せん――!!!」
大地を抉り、大気を歪め、世界を揺るがす黒竜の吐息。
咆哮が鳴りやむと、残ったのは瓦礫が消えて聖剣を構えたボロボロの鎧の騎士の姿があった。
全てを滅ぼし否定する力の前に、騎士は未だ確かに存在していた。
「フン……|√能力《ちから》を持たずして『英雄』と謳われただけはあるか」
マグナスは、トーニャのブレスを防いで見せた。√能力を使わずして。
半死半生の代償に、己の必殺を防いだ英雄を見る。
「良い、余の問いに答える事を許す。何故√能力を使わなかった。騎士の誇りか?」
「否。偉大なる竜よ。汝に挑むは……我が名において……ああ――いいや、私の誉れなればこそだ」
ロード・マグナスの口調が、砕ける。
それは|騎士《サー・マグナス》と謳われる前の、|堕落騎士《ロード・マグナス》と堕ちる前の、恐らくは|マグナス《ただの青年》の言葉。
もはや取りこぼしを拾えない、漏れ出た生命の一滴。
「で、あるか」
黒竜は一瞬、目を閉じる。
未来の|√《もし》を描ける√能力者といえど、過去を変えることは叶わない。
それでも数瞬の間際、考えてしまう。もし、彼が√能力者であれば、|黒竜公《レイヴン》に挑むに値する英雄足りえただろうと。
「村の人、お前さんを慕っておりやしたよ」
本性を露わにしたはずの統一郎は、マグナスに声を掛ける。
勇者へ託した希望、英雄への期待。
マグナスなら、やり遂げるという絶対の信頼。
そして、彼の騎士を慮る、心配。
「ああ、そうか……なんだ、私は、やはり間違っていた」
力ある者は力無き者に、希望を託され、期待に応え、信頼を裏切らない。
そうあろうと、努力した。――背負うに余りある希望を受けて。
そうあろうと、奮迅した。――応えるに余りある期待を受けて。
そうあろうと、死力を尽くした。――命懸けで余りある信頼を受けて。
持たざる者が分不相応の願いを抱き、それでもなお、万人に救い在れと|希《こいねが》い、奇跡を叶え続けた。
「そうか、なんだ……私は――慕われてたのか」
今更に気付いたようにマグナスは、少年のように無邪気に笑う。
一生懸命頑張った。それは、報われていたのだと。
だがこの世界は√能力者でないものに、安易な|奇跡《ハッピーエンド》を許されない。
|物語《シナリオ》は如何なる|過程《ルート》を辿れども、約束された|終焉《エンディング》へと収束する。
割れた兜から見えていたマグナスの穏やかな表情は、闇に覆われ昏く淀んだ瘴気に覆い隠される。
「【英雄は死なず】――我が身は鎧、我が手は剣に。我が名は『ロード・マグナス』」
傷ついた鎧が、体が、剣が。
まるで逆再生のように治って……否、時間を巻き戻すように蘇生していく。
ただのマグナスとしての死など許さない。
堕落騎士『ロード・マグナス』は、世界に悲劇を撒き散らして無様に潰えるのだと。
「まーた、仕切り直しッスか。アタシの、そしてアンタの『仕事』も、もう済んだンすけどねぇ」
早紀に騎士の誉れだの、英雄の誇りだの、勇者の誓いなど、そんな御大層な事はわからない。
だが、もうマグナスは休んでいいと、案じた。
「慕われた勇者様のままそっとここで倒れるほうがお互い良いんでございやしょう」
統一郎の言葉は、マグナスや他の者に向けていなかった。
それは己を納得さえるように、言いくるめるように。悲しい物語で終わらせたくないと、願うように。
「ロード・マグナスは恐るべき大敵と戦い、そして何処かへと消えたのだ」
トーニャは残り僅かな竜漿を燃やしながら、在りし日の無敵の|黒竜公《レイヴン》の姿を維持する。
「穢れた英雄の姿など残さぬ、詩人好みの物語にしてやろう」
惑乱と迷走の元に、虚構の英雄は心折れ、夢半ばに潰えたのではない。
彼の英雄は最強にして無敵の竜に挑み破れた。
虚飾に満ちていても、それこそが……一生懸命精一杯頑張った、|英雄に憧れた平凡な少年《マグナス》への手向けなのだから。
●在りし日の|少年《騎士》の夢
『ねぇママ。どうして僕は美味しいご飯を食べているのに、食べられない人がいるの?』
お腹いっぱいで元気いっぱい。
それだけで頑張ってくれる人がいた。
それは当たり前の事じゃないの?
『ねぇパパ。どうして御伽のように、皆がめでたしめでたしで終わらないの?』
たくさんの楽しい御伽噺を聞いた。苦しくても努力が報われる物語を聞いた。
なのに世界は、呆気なく、報われることなく終わりを告げた。
『ねぇパパ、ママ。ならば、ならば。我こそが、私こそが、僕が……きっと、沢山の誰かを救って見せるよ』
幾たび命潰えたか、分からぬ。
幾たび心折れたか、分からぬ。
だが、その数だけ力無き者は救われた、そのはずなのだ。
『ねぇ、皆。大丈夫だよ! 僕が、私が、我が、人々に安寧を齎す、聖剣とならん」
――聖剣伝説。彼の聖剣が抜き放たれし時、遍く世界に、人々に安寧を齎さん。
聖剣の探求道半ばにして、心折れたとしてもなお。
「我が歩みの後……人々に穏やかなる時を、|齎《もたら》さん」
堕落騎士は未だ倒れぬ。
√能力を持たぬままに英雄へと至った騎士が、探求の内に疲れ果てて昏迷し、歌い鳥に惑わされた|果て《結末》。
その中に見出したたった一つの答え。
|我が身《ロード・マグナス》は聖剣の一振り、なればこそ。
|聖剣を抜く《己を倒す》、英雄が現れる時を、今もなお、待ち続けるが故に。
「|聖剣《私》を|倒し《抜き》、世界に、平和と、安寧を……」
聖なる探求の果て。疲弊した惑いの果て。
漆黒の影が落ちる深き森、眩い月明かりが、夜空の僅かな星の瞬きを掻き消す中。
|英雄に憧れた平凡な少年《マグナス》は、奇跡を星に願った。
「おやおやお労しい、死に切れやせんでしたか」
統一郎は|不撓不屈《ふとうふくつ》の英雄の如く立ち上がったマグナスを前に、憐れみすら覚える。
英雄は死なず。英雄は死ねず。英雄は死ぬことを許されず。
なるほど、ここで立ち上がるのは正に|物語の主人公《えいゆう》であろう。
彼がもしも|そう在れた《√能力者だった》のなら、能力を持たずして打ち立てた伝説の数々を、彼は何倍にも増やして真なる英雄で在れたのだろう。
だが彼は未だ、英雄であろうとしてるのだろう。人々が望む通りに。
今、堕落騎士『ロード・マグナス』として、√能力者達の前に立ち塞がる。
「あそこで死んでおくのが、話としても綺麗だったんでございやすがねぇ」
だがマグナスは|真なる英雄《物語の主人公》ではない。
凡人たる彼が死力を尽くして打ち立てた功績を、人々が英雄と祀り上げただけだ。
|語り部《御伽使い》である統一郎は、彼の結末に、せめてより良いオチを付けるべく最適解を求め、|トゥルーエンド《答え》に至る。
「まぁ、致し方ございやせん」
それが語り部の本分から外れるとしても。
第一幕、勇者マグナスの物語はここで終わり、主役を交代した。
第二幕、斃されるべき敵役に堕ちたロード・マグナス。
|堕落騎士《てきやく》を打倒す|主役《えいゆう》に配役された者、それこそは。
「この奇妙がたりの中じゃぁ、僭越ながらあっしが主役ということになってございやす」
|語り部《統一郎》は己を主役にして語る。
力持たずして、英雄ならんと欲した少年は努力の末に数多の苦難を乗り越えた。
分不相応な功績を、数多の幸運を拾い、数多の奇跡を辿り、数多の勝利を掴み取った。
英雄為らずば掴めぬ勝利を掴んだただの凡人は、即ち英雄であると謳われた。
青年は人々の期待に、望みに、願いに、応え続けた。
命一つ賭けても足りぬ、分不相応な奇跡を再現しようと、死力を尽くした。
その結果、数多の伝説を打ち立てた。
その一つ一つ……否、一つに至る道中にすら、数多の犠牲を払って、ようやく掴み取った。
数多の血、数多の傷、数多の死、数多の犠牲、数多の不幸を、代償として。
されど人々は讃える、|勇者《マグナス》こそが英雄だと。
そして人々は謳う、|英雄《マグナス》こそ救世主だと。
やがて人々は|阿《おもね》る、|救世主《マグナス》がいれば平和は齎されると。
騎士マグナスが歩んだ道行きは聖なる道だと。――それが如何に血塗られていても。
歩みの一歩、その一歩、また一歩。
踏み出す事にすら、命を懸けて、死力を尽くして。
それでもなお人々の為にならんと。
聖剣こそが真に人々を救わん、求める道にそれがなければ、人々が救い続ける我こそが聖剣であると。
聖剣とは武具。ならば剣に心は要らず、ただ敵を滅ぼす刃である。
数十年、そう在り続けた|伝説に謳われし勇者にして英雄《夢を抱いたただの少年》は、辿り着いた深き森で、己を惑わさんとする歌声を聞いて、聴いて、聴き入って、終ぞこう思った。
『疲れた』。
「正義の勇者様に怪談はあまり似つかわしくはございやせんし、中身がちっさい子ども同然なのも見ちまったんで、本当ならもっといい夢の中で死んでほしかったんでございやすが……」
語り口調を終えた統一郎は、再度堕落騎士を見て少し躊躇う。
偽りの聖剣を地面に突き刺し、祈るが如く統一郎の噺に聴き入る。
伝説に謳われるが如き堕ちてなお威厳ある重装騎士、その正体が。
|我が歩みの後に、人々に穏やかなる時を、齎さん《みんなが平和でありますように》と祈った少年が描いた、夢想の成れの果てであると知ってしまえば、憐れみを抱かざるを得ない。
「ま、あっしにできることは怖い話で怖がらせることくらいなんで、勘弁してくださいやしね」
ここまで頑張った彼には、せめて最後には幸福な物語を聴かせてやりたかった。
しかし今必要なのは、無聊を癒す慰めではないく、彼の物語の終焉。
統一郎の真なる力が膨れ上がる。
堕落騎士『ロード・マグナス』を主役とした悲劇の物語はここで終わる。
今この瞬間に主人公はただ一人、|取り替え子《チェンジリング》の尾花井・統一郎。
彼が持ち得る怪談、その百鬼夜行は、今この瞬間は百万の軍勢にも勝る。
それの挑むは聖剣称えた聖なる騎士でも、惑い堕ちた邪悪な騎士でもなく。
人々の希望であろうとした、在り続けた、夢見るただ一人の少年。
ならばその結末は必然。
彼が如何に英雄が如き剣技を以っていても、彼が不撓不屈の魂を持っていても。
本来その道行きの途中で至るべきであった安らぎが齎される。
「英雄を演じるのに疲れた|演者《少年》の物語……これにて幕引きにございやす」
彼が打ち立てた功績。英雄と謳われた数々の人生。
伝説の|悉《ことごと》くが、怪談の前に打倒される。
「……英雄は、死なず」
だが、とうに命潰えたはずのマグナスは、歩みを止めず。
彼の剣は折れ、鎧は砕けてなお、血塗れの手を統一郎に伸ばす。
統一郎はそれをじっと見つめ続けていた。
彼の|物語《いのち》は、確かにもう終えているのだから。
故にこれは|後日談《最期の言葉》。
「我は英雄……至る事、叶わず」
故に。
「真なる英雄よ。|遍《あまね》く世界に……どうか、誰も悲しまない世界を」
マグナスはその言葉を最後に、塵のように消えていく。
堕落騎士『ロード・マグナス』の伝説は、数多の√に未だ刻まれている。
されど、この|世界《√》では確かにその|生涯を終えた《エンディングを迎えた》。
真なる英雄達の姿を、目に焼き付けて。
満足そうに、割れた兜の口元は笑みを浮かべていた。
『ああ、もう、私が頑張らなくても、大丈夫だ』と。
勇者でなく、英雄でなく、騎士でもない、|頑張り続けた青年《マグナス》は、こうして穏やかな終わりを迎えた。
「あっしが語る恐ろしい怪談……それすらお前さんにとっては『いい夢だ』とそう仰るんでございやすね」
統一郎は、塵となったマグナスが、風に消えていく様子を見上げる。
静寂が訪れた森に、美しい月夜が広がる。
僅かな時間、あるいは途方もない時間を立ち尽くす統一郎の側に、おりょうさんは寄り添い続けた。
人々を惑わす歌い鳥を討伐しに行った聖なる騎士マグナスは、その剣を以って魔なる物共を悉く征伐した。その命を代価として。
集落近くに現れ、常に人々を恐れさせたダンジョンの脅威はこうして去った。
英雄の死を嘆くも、歓喜に沸き立つ人々は弔いの宴を広げる事だろう。
『偉大なる英雄、聖騎士マグナスの眠りに、安寧を!』と人々は謳う。
これにて、めでたし、めでたし。
静かな森。廃墟と化した屋敷の奥。
真新しい墓石に飾られた花が、風に揺らいだ。
True END『真なる英雄は訪れ、偽りの英雄は眠り』