シナリオ

はじまりのオスターラ

#√ドラゴンファンタジー #喰竜教団

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√ドラゴンファンタジー
 #喰竜教団

※あなたはタグを編集できません。

●望まれぬ冥契
 おんなが憂う。
 おんなが嗤う。

 嗚呼、偉大なるドラゴンプロトコルの皆様……。
 |真竜《トゥルードラゴン》でありながら人に堕とされた皆様……。
 なんとおいたわしく、なんと愛おしい……!

 愛しき竜の亡骸を、引き裂き、千切る。
 自らの肉を削ぎ落とし、未だ血潮の温もりを残した竜の断片を縫い合わせては、憂う、嗤う。
 ひとつにするために。ひとつになるために。
 これは皆様の為なのだと。自身とひとつになる事で不死を手にし、いずれ訪れるであろう|真竜《トゥルードラゴン》の目覚めを迎える為に必要な事なのだと。物言わぬ骸と成り果てた数多の竜の亡骸の上で、尚もおんなは憂う。嗤う。

 輝石の森のうつくしき光の中に取り残された夥しいほどのあかいろが、鈍く、鈍く、消えた命の燈と共に色褪せていった。

●とことわの祝福
「ねえね、みんな。コルヌのおまつりに遊びにいらして!」
 逸る気持ちをそのままに、浮き立つこころのそのままに。声を弾ませたアン・ロワ(彩羽・h00005)は√能力者たちを諸手を挙げて出迎えた。
 |コルヌ《角の氏族》。
 それは√ドラゴンファンタジーに存在する竜の血族のみで構成されたちいさな氏族全体を指す言葉のひとつ。
「彼らはみな季節の流れとともに世界中を渡り歩いていくの。けれどね、芽吹きの春を迎えるこの季節だけ。輝石の森――彼らを産み、慈しんだとされる母なる森のもとまで帰ってきて、あたらしい年のおいわいをするのよ。みんなで言う『お正月』が、コルヌの竜たちにとってはいまなの!」
 コルヌの竜はいのちの終わりを迎えると現世に輝石のひとかけらを遺す。
 それらを加工した装飾品は古きに渡り冒険者たちの身を守る竜漿の籠った守護のまじないとして重宝されていると云う。
「その言い伝えは竜の全盛期であったころから続いているのですって。彼らは密猟者たちに狙われることも多かった。だから、ひとところに留まらずに旅をしながら訪れた土地にすこしずつ祝福を運んでいるの」
 彼らのほとんどは温厚で戦うちからを持たない。家畜を飼育しながら草原を、山々を移動し、手先の器用なものたちが寄り合って作り上げた装飾品を売り歩きながら生きている。それ故にコルヌの守護を受けたものは世界中でも稀であり、冒険者たちの間ではとても高い市場価値を持っているのだとか。
「おまつりではね、みんなからだのどこかに輝石を飾るのよ。髪飾りだったり腕輪だったり……すきなものを選んでみて!」
 竜が持つ因子に依って遺された輝石はそのいろを変える。火竜の名残を残すものは赤く。水竜の名残を残すものは青く――色とりどりの輝石に溢れた|ユルト《天幕》を巡るひとときは、きっと訪れたものの心を躍らせるだろう。

「……なんて、たのしいばかりのおはなしだったらよかったのだけれど……」
 不意にアンは視線を落とし、自らが視た星の軌跡を告げる。
 ドラゴンプロトコルの命を見境なく狙い、その悉くを惨殺しては自らの糧とする悍ましき存在。喰竜教団と名乗ったそのおんなにとって、コルヌの民は|格好の餌食《救済すべき竜》に違いないのであろう。
「彼らを狙って喰竜教団はその兇刃を振り上げるわ。でも……今ならまだ、彼女が集落に辿り着く前に迎え撃つことが出来る」
 輝石の森の奥深くで牙を研ぐ獣を押し留め、その凶行を防ぎ切ること。
 理性の箍などとうの昔にかなぐり捨てた『竜のツギハギ』であるおんなの力は恐るべきものであるだろう、それでも。
「みんなのちからを信じているわ。……どうか、おねがい」
 彼らを守って。
 祈りのことばを口にして、アンは√能力者たちへ深く頭を下げるのだった。

マスターより

開く

読み物モードを解除し、マスターより・プレイング・フラグメントの詳細・成功度を表示します。
よろしいですか?

第1章 日常 『竜も色々、祭りも色々』


●輝石の春
 春のあたたかさを乗せた風に乗って、長閑な風景が広がっていく。
 たくさんの鮮やかな布を飾った|ユルト《天幕》は開花の時を迎えた花々にも似て。今はまだ白き角しか持たぬコルヌの竜たちは、いずれ来る回帰の日を思い描きながら先祖たちが遺してきた輝石を磨いてこの雪解けの日を待ち侘びていた。

 この輝かしき祝祭に訪れた客人を、彼らは喜んで迎え入れることだろう。
 あなたも、あなたも。どうぞこの春を喜んで。
 コルヌの竜は等しく、あなたたちの旅路を祝福してくれるはずだから。
シルフィカ・フィリアーヌ

●虹の軌跡
 たとえいつか世界に還るのだとしても。
 遺された想いが形となって受け継がれていくということ。それはとても、
「わたしは素敵なことだなって思うのよ」
 甘やかなしののめの髪を風に遊ばせながらシルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)が綻ぶ様子に、竜の商人も目尻に皺を寄せて頷いた。
「お嬢ちゃん、見ない|竜《顔》だね。よその子にそんなふうに言ってもらえたら、おれ達も旅のしがいがあるってもんさ」
 『好きな|コルヌ《ツノ》をお選び』と、手を広げて導かれたならシルフィカの視線も自然と並べられた装飾品の数々に移る。まるで花が咲いたように煌めく輝石たちは春の草原にも似て、わあ、と思わず感嘆を上げればコルヌの竜の笑みも一層深くなる。
「目移りしてしまうわ。どれがいいかしら……でも、そうね、折角だから」
 ブレスレットにネックレス。どれもこれもが鮮やかで――ああ、いや、けれど。角の氏族に倣うならば、きっと。
「ねえ、店主さん。この角に飾れるとびきりキラキラした輝石がいいわ。おすすめはある?」
「ふうむ。そうだねえ……なら、こいつはどうだい」
 それはまだなにものにも染まらぬ透明な。陽の光を浴びて幾重にも|虹《ファイア》を瞬かせるそれは、成人するよりも前の幼子が生涯にたった一度だけ、大人の角に生え変わる時にだけ残すもの。
 成長を、発展を。未来を望む希望の象徴なのだと。差し出された無垢な雫に、竜の娘は笑みを咲かせてその祝福を受け取った。

 彼らもシルフィカも今はひとの身に甘んじている。
 けれど、それでもコルヌの民やシルフィカを憐れむ資格など決して誰にもありはしない。
「(同情される謂れはないし、継ぎ接ぎにされるなんて真っ平御免よ)」
 何よりも新たな年の始まりに、春を喜ぶ彼らに惨劇の舞台は相応しくない。
 角の片側で揺れる輝石の加護を信じて、シルフィカは輝石の森の更に奥へ進む決意を固めるのだった。

トゥルエノ・トニトルス

●春雷
 パチン、と。あおい瞳が瞬く度に微かな火花が咲いて散っては消える。
 その身に雷を宿したトゥルエノ・トニトルス (coup de foudre・h06535)は常の姿を取らず、ひとのかたちを得てコルヌの集落へと足を踏み入れた。春の到来を告げるものは何も植物ばかりではない。春に鳴る雷もまたそのひとつであると知れば、自然とこの祝祭自体に親近感も湧くと云うもの。
 今日という日を存分に楽しもう。
 それがきっと、彼らとより親しくなるための一番の近道に他ならないから。

 火の名残は赤。水の名残は青。ならば、
「雷竜が居たら何色であったのだろうなぁ」
 ぽつりと溢せば、店番をしていた竜の少女が目の前でぱちぱちと弾ける光を見上げて『きれいねえ』とまろい笑みを浮かべて小首を傾げた。
「かみなりさまはね、うんとね……きいろもそう! でも、もっと年月を重ねたかみなりさまはね、これ!」
 冬の厚い雲を破るように鮮烈な。青白い光の中心で更に強い火花が咲いているようだった。成る程、彼らに宿る色彩は生きた年月の長さでもその様相を変えていくらしい。少女が熱っぽく語る様子に相槌を打ちながら、ふと、視線の先に一際輝く東の空のいろを見とめれば。
「これは?」
 問えば、少女は丸っこい頬を興奮に赤く染めながら、それは夢守りの竜が遺したものだと語った。
 千を生きたとされる古き竜を象徴するものは自然界に属するあらゆる事象をその身に重ねていく。故に、その輝石が持つ光は夜明けという時間の概念を宿したものなのだと。聞けば、『それはさぞ御利益がありそうだ』と。少女の勢いに微かに笑いながらトゥルエノはその輝石をあしらった揃いの髪飾りを買い求めた。
 ひとつは自身の守りのため。
 もうひとつは、この道行きの無事を祈るひとりのために。

 手放しで旅路を祝福してくれる彼らの明日を。巡りゆく季節を、そしてまた訪れる春を護るため。トゥルエノもまた、輝石の森の奥へと臨むのだった。

クラウス・イーザリー

●残火
「(凄いな……)」
 鮮やかに彩られた|ユルト《天幕》も、春の光を受けて煌めく輝石も、美しい装飾品も何もかも。クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が生を受けた√では見ることのなかったものばかりがそこには満ち溢れていた。
 地表を無限の戦闘都市群で埋め尽くし、その殆どを戦闘機械群により制圧された鉄錆の大地と今この瞬間目の前に広がっている輝石の森の眩いばかりの風景は余りにも乖離しており、まるで夢でも見ているみたいだとクラウスは少しの間その場に呆然と佇んでいた。
 羨望や嫉妬が全くない訳ではないかもしれない。ああ、もう『そう』感じることさえ出来なくなってしまって久しいのかもしれない――それでも。こうして異国の文化に触れることは、彼にとって好ましいことに違いなかった。

 装飾品の類は普段身に付けることがない。いや、そもそも生きる為に必要不可欠なもの以外を進んで手に取る機会がなかったと言うべきか。
 戦いに赴く日々の中で直ぐに壊れて失くしてしまわないようなものがいい。であれば、服の下に下げられるものがいいだろうか。
「これは……、」
 一際目を引く鮮やかな赤。
 それは、嘗て肩を並べた親友の瞳によく似た。
「気に入りは見つかったかえ?」
 掛かった声に顔を上げれば、皺くちゃの顔に笑みを乗せて老いた竜がクラウスを見つめていた。
 尋ねれば、それはいっとう強く火の祝福を受け、精霊たちに愛されたものの欠片なのだと言う。もしもあなたが冒険者であるならば、きっと魔を退けるための力になってくれるだろうと。老婆が語る祝福のかたちに対価を支払い首に下げれば、仄かに伝わる火の温かさにクラウスは微かに目を細めた。
「(……あいつにも、こんな景色を見せたかったな)」
 彼はもういない。
 けれど、今目の前に広がるこの光景を、祝福に満ちた優しい人々を守ることは出来る。
 こんなにもあたたかな存在を喰竜教団などに決して奪わせてはならない。クラウスは強く決意を固め、笑顔を浮かべる竜たちの姿を強く目に焼き付けた。

楊・雪花

●不香の花
 楊・雪花(雪月花❄️・h06053)も彼らと同じ。今はひとの身に姿を転じさせた竜のひとりであった。竜に深く深く結びついたゆかりのあるこの地であれば、何かを思い起こす切っ掛けのひとつも掴めるかもしれない、が。
「うぅん、何にも思い出せません!!」
 自分はどこから来て、どこへ回帰すべきなのか。
 今はまだ鮮明なしるべを何も持たない。けれど雪花はそれを不幸だと嘆いてはいない。毎日が幸せで楽しいことばかり。今日の祭りだってそんな驚きに満ちた『はじめまして』がいっぱいに違いなくて――。
「どこかいたいの?」
「えっ?」
 不意に掛かった声に我に返って周囲を見渡すも、姿がない。不思議に思って声のする方へと顔を俯かせれば、まだ角も生えたばかりのような幼い竜の子どもの雪花を気遣うように見上げる双眸とばちりと視線が重なった。
「わぁっ。大丈夫ですよ! ただ……ふふっ。そうですね、みなさんの宝物があんまり綺麗だから。迷ってしまっていました!」
 嘘はない。目線を合わせるように屈み込んだなら、雪花のぎんいろを覗き込んでいた少年の瞳に見る間に星の光が散って、全身で喜びを示す姿に雪花も嬉しげに眼を緩ませた。
 直ぐそばの|ユルト《天幕》でその様子を見守っていた母親と思しき竜人の女が『それならうちで選んでお行きよ』と。そう声を掛けられるのに誘われて並ぶ装飾品を覗き込めば、少年のちいさなてのひらがひとつ、澄み渡る冬のそらのいろを宿した花氷の髪飾りを掴んで差し出した。
「おねえちゃん、きれいねえ。ゆきのきれまの、あかるいそらみたい」
 ちいさきもの。
 まもるべきもの。
「良きものを選んでくれた……礼を言おう。此度は妾の同胞に関わることでもあるし――、」
 そんなものが、きっと。自分には。
「……。……?? あっ、えっと! えっと! ありがとうございます!!」
 不意に脳裏に過ったものは何であったのか。わからない。
 それでも少年から受け取った澄んだ花氷のいろは、今の雪花には何よりもうつくしいもののように感じられた。

レスティア・ヴァーユ
ルナ・ディア・トリフォルア

●碧落の先
 ふたつにて全。ひとつにして真なる魂を宿すもの。
 ルナ・ディア・トリフォルア(三叉路の紅い月・h03226)の肉体に流れる血潮は本来とは異なる魂のものではあったが、今この瞬間は身体の細胞ひとつひとつが同族たちとの良き出会いに歓喜の声を上げているのが分かる。
「コルヌの民の祝福祭か。雰囲気も穏やかで……ああ、とても良いものだな」
「うむ、これは良き祭りよの。我すら心が浮き足立つ気がするぞ」
 ルナがそれを口にするよりも早く、傍らから零れ落ちた愛しい響きに破顔する。レスティア・ヴァーユ(信心の代わりに・h03581)は澄んだ青の双眸を細めると朱の爪紅に彩られたしなやかな手を取って、何方ともなくふたり並んで歩み出した。
 誰も彼もが輝石の煌めきを掲げ、またこの森へ帰って来られたことを喜び合っている。
 巡り来る年月を。廻り行く命の輪を抱いて、生きて、生きて――そうして何時か大地に還るとき。次のいのちを守るための祝福を遺しながら、彼らは世界中を旅して回るのだ。
「……あんな未来を知らなければ、もう少し浮かれて楽しめるというものだが……」
 今は完全なるドラゴンプロトコルの肉体を持つうつくしき女神を見詰め、レスティアは胸の内に掛かる不安をそうと口にする。虚を突かれたように瞳を瞬かせるも、直ぐにふと微かに吐息を零してルナは取られていた手を強く握り返した。
「そう嘆くな。相手が同族を狙うと言うならば、我こそは格好の的であろう?」
「だから――……!」
 『それだから』心配で。
 『それだから』穏やかで居られない。
 けれどもそんな恋人の不安を一蹴するように、強き女神はころころと可笑しげに笑って見せる。
「なに、ここの者達が蹂躙される前に蹴散らしてくれよう。――それとも、我の背中では不服かえ?」
「……っ、」
 ずるい、と思う。
 『背中を守れ』ではなく、『預けられるのは不服か』と問うているのだ。漸く巡り会えた愛しい貴女に、そんなことを言われて否を唱える男である筈が無いのだと。かぶりを振るレスティアの姿に、ルナは甘く目を細めて『揃いの祝福を選んでおくれ』と囁いた。

「ふむ。そなたは右に着けるかえ? 我はもちろん左であるが」
「な、っ……、……わ、私が右……!?」
 訪れた|ユルト《天幕》の下、声を震わせたレスティアの反応ひとつひとつを面白がるようにルナは笑う。着ける位置の意味を知っているやらいないやら――いや。悪戯に笑うその姿は、ひょっとしたらわかってやっているのかもしれない。女神の気まぐれに薄く目尻に朱を乗せながら、それでも、『いいや』とレスティアは言葉を募らせる。
「確かに、今は弱く護られる側ではあるが……。……いつか、必ず。必ず貴女を守る側に立つ」
 だからこそ譲れないと、此方を見詰める視線があんまりにも真っ直ぐなものだから。
「期待しておるぞ」
 対価を支払い、受け取ったコルヌの祝福を。互いの瞳に宿る藍晶の彩を持つ輝石を。仄かに熱を持ったしろい左耳へと贈れば、ゆるしを得られたことに安堵するよりも早く『私からも』と強請られるものだから、いとけない少女のように声を立てて笑いながら、ルナもそのこうべを迷わずにレスティアへと差し出した。

 互いの耳に宿る煌めきはふたつ。
 時を経て漸く逢瀬を叶えた恋人達は、再び祭りの喧騒の中へと足を運ぶのだった。

シルヴァ・ベル
四百目・百足

●春陽
「百足様、はやくはやく」
 春風に踊るちいさな花弁ひとひらに混じり鈴の音を転がすような声が上がる。蝶の翅をはためかせながら宙を弾むように進むシルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)は、自分の風に乗る速度に合わせて緩やかに歩を進めてくれるさかしまのいろ――四百目・百足(回天曲幵・h02593)の名を呼びながらひらりとその昏き影の眼前へと舞い込んだ。
「参りますとも。それにしても……いやあ、丁度よい祭でしたね!」
「ふふっ。ええ! しかも輝石のお祭りだなんて」
 剣と魔法が織りなす果てなき冒険の旅路が広がる√。訪れたことのない世界線に興味はあれど切っ掛けを掴めずにいたけれど、そんな最中に舞い込んできた祝祭の兆しはふたりにとってはまさに渡りに船と云うもの。
 初めて見る風景。僅かに青さを乗せた芽吹の匂い。何もかもが眩い、いのちに満ちたこの場所を全力で楽しみたいと、百足とシルヴァは確かに頷き合うと色に満ち溢れた天幕のひとつをそうと潜った。

「平素商う宝石とは趣が違うやもしれませんが、コルヌの皆さまが遺した美しい輝きは無二のものですわ」
「いや全く、その通りですな」
 |自分の店《星の鍵》で取り扱う宝飾品ももちろんうつくしいものばかりに違いない。それでも、連綿と継がれてきたいのちの輝きはとびきり美しいと、そう思えた。
 コルヌの竜たちにはシルヴァも百足も珍しい存在には違いないけれど、世界中を旅して回る彼らにとって風変わりな来訪者は新たな風を運ぶ喜ばしい客人であるらしい。『妖精を見たのはもう随分久しぶり』なんて朗らかに笑う竜のつがいたちにちょこんと宙空でお辞儀をして見せながらシルヴァは傍らの百足を振り返る。
「わたくしは髪留めが欲しくて。小さなかけらを妖精でも使える大きさにしたものはないかしら」
 一緒に探してくださる? なんて。ことりと首を傾げるシルヴァの姿に笑みを深め、ひとのかたちによく似た災厄は朗らかに是を告げた。
「勿論! 誠意を持って探させていただきましょうです」
 おおきな影がどんと戯けて胸を叩いて見せたなら、ちいさな光がくすくすと、そよぐ葉ずれのように咲う。まるであべこべなふたりを店番の竜たちが微笑ましげに見守る中、百足はサングラス越しの視線を露店の品々に滑らせる。あか、みどり、きいろ。春を思わす華やかな色彩は、何れもこのちいさな淑女にはよく似合うだろうけれど。
「ああ! あのような空色の輝石が付いた物はいかがか? アナタの瞳の色とよく似ております」
 削った|コルヌ《ツノ》の欠片をちいさくちいさく磨いて作られたそらいろの花束。百足が触れれば容易く壊してしまいそうなそれは、シルヴァが手に取れば誂えたかのようにぴったりとてのひらの中に収まった。
「素敵……、ではわたくしはこれを。ね、百足様のお買い物もお手伝いさせて下さいまし」
「では俺はピアスを探しましょうかね。シルヴァ、見繕っていただけますか?」
「もちろん、お任せくださいな」
 シルヴァがそうして真剣に輝石たちに向き合ってくれる姿に目を細めながら、不意に百足の姿が影に滲んだ。
「こちらの鮮やかなピンク色はいかがかしら? でもあちらの淡紫もお似合いに……、……百足様?」
 直ぐ先まで確かにあった気配がいつのまにか煙のように溶けてしまっていることに気付いてきょろきょろと視線を彷徨わせたなら、次には目の前いっぱいにバターのあまい香りが広がった。
 何が起こったのだろうと瞳を丸くしながらきつね色のそれをきちんと把握するべく翅を震わせば、何時の間にかその場を離れていた百足が焼き菓子を片手に長い足を折って膝をついている姿がそこにあった。
「まあ」
「お誘いいただいたお礼ですよ」
 ちょっとしたサプライズと百足が笑うのに釣られ、いなくなってしまったことを咎めるよりも嬉しさばかりが優ってしまって。シルヴァも可笑しげに声を上げて笑うと鮮やかな南の花のいろを百足のてのひらへと乗せ、この先に待つ戦いへの無事を願った。

ベネディクト・ユベール

●天上の青
「(ああ、|同胞《竜人》がこんなにも)」
 ベネディクト・ユベール(ドルイド・h00091)の周囲には今まであまり同族の存在は見られなかった。元よりにんげんばかりの村に居たものだから、ひとの身を得たばかりの頃は自分こそが異分子のように思えて仕方なかったけれど。彼らもまた同じ空の下で生きているのだと知れば心は浮き立ち、新鮮な景色に僅か鋭い眼を細めた。
 眩い輝石は彼らの祖先の命の証。
 大切に扱わねばなとひとつ頷き、ベネディクトは喜びばかりに祝福された集落の中心へと足を運んだ。

 愛い子はこの地に来れないことを酷く残念がっていた。であればせめて、この地を訪れたしるしを、この先も続いていく旅路を守護する祝福をふたりぶん連れ帰るのが良い。きっとあの子はなんでも喜ぶだろうけれど――どうせならば揃いが良い。
 擦れ違い際に掛けられる声は、何れも他所の同胞と出会えたことを言祝ぐものばかり。はじめて訪れた場所に違いないのに何処か懐かしささえ感じられるのは、今は遠く失われた記憶の断片でもあったのか。
 |ユルト《天幕》を彷徨うように渡り歩きながら視線を巡らせれば、その先によくよく見慣れた薄青の輝きに導かれてひとつの露店へと辿り着く。
 あの子の色だ。
 似合うか、とか。背伸びさせすぎるだろうか、とか。常ならば真っ先に浮かぶ心配事よりも先に手に取ったそれは丁度今日のそらのいろを映し出したかのような柔いあおを湛えて。まるで元々自分のものであったかのような錯覚さえ覚え、ベネディクトは微かに微笑みながら揃いの首飾りと角飾りを買い求めると大切に懐に収めた。

 勝手に憐れみ、勝手に救うなどと宣う。
 肝心の私達の意思などまるで無視か。

 母なる森に愛され、外のものを分け隔てなく愛する彼らが憂うことなど。まして救済とは名ばかりの要らぬ世話で蹂躙されることなど決してあってはならない。
 守り抜こう。
 それが自分に出来るただひとつの礼に違いないからと。守護者たる竜は胸に揺るがぬ決意を抱いて、目前に広がる輝石の森を仰いだ。

ベル・スローネ

●風光る
 コルヌの民にとって春はいのちのはじまりであった。
 草木が芽吹き息吹くように。動物たちも竜も閉ざされた雪の中から顔を出し、太陽を浴びてぐんと活動的になる。一年でいちばん眩くやわらかな光が集まる輝石の森には今、たくさんの喜びが満ち溢れていた。
「(彼らにとっての新年……新しい門出の日ってやつなんだね)」
 そんな佳き日に血の雨を降らせんとする者がいる。今はまだ遠く、森の深くで牙を研ぐ獣などに、彼らの笑顔を奪わせることなど決して許しはしない。
「(しっかりと、懲らしめてやらないと!)」
 ベル・スローネ(虹の彼方へ・h06236)は赤き瞳に決意を浮かべ、その胸の前で一度だけ強く拳を握りしめた。

 けれどもその時にはまだ少しの猶予がある。コルヌの祝祭を全身で満喫することも、抱いた決意をより強固なものにするための材料になるだろう。
 |ユルト《天幕》を巡る中でベルが気付いたのは、その品々の多様性だった。ブレスレットにアミュレット。ティアラに耳飾り、多種多様の種族に向けて商いをしてきたのであろう彼らの品々は色は勿論、大きさも形も多岐に満ちていた。
 職人ひとりひとりに依って肌に合う土地や風習は異なるに違いない。沢山の風土と芸術から自分だけのかたちを導き出してきたコルヌの民の装飾品たちはまるで人の生き様が込められているようで。ベルにとってはそれがとても好ましく、何物にも代えられない価値があるのではないかと、そんな風に感じられた。
 見て、触れて。時には言葉を交わして、そのたび感心して。
「ふふ。俺はどれを身に着けようかな」
 目移りしてしまうほどのいのちのいろの中でベルがその手に取ったのは。木々の葉を踊らせる風を思わす、軽やかで淡い、緑みを帯びた青。春風を宿した彩を持つ髪飾りを着けたなら、不思議と足取りまで軽くなったような心地がした。
「(――きっと。守って見せよう)」
 彼らが紡いできた年月を。いのちを、さいわいを。決して、穢させないために。

白・琥珀

●命の天秤
 竜も己も。経緯は違えど同じくして、今はひとのかたちに収まったもの。春の芽吹きを新年とする古き姿に少しの懐かしさを覚えながら、白・琥珀(一に焦がれ一を求めず・h00174)は穏やかな日差しにそうと目を細めながら祭りの賑やかしさの中に足を踏み入れた。
 触れたことのない空気に心は踊るけれど、琥珀の胸にはほんの僅かな迷いがあった。『命の終わりに遺すもの』と云うならば、それは遺品のようなものではないだろうか。縁も所縁もない己が手に入れていいものなのだろうかと。
 それでも――それを、彼らが是として生きているのならば。
「いらっしゃい」
 意を決して足を止めた店先では胸にあたたかな布で包まれた赤子を抱いた母が番をしていた。
「これに見合うものが欲しい」
 常は首に掛けている己が本体を取り出して見せたなら、母竜はぱちり、ぱちりと緩慢に瞬いたのち。恭しく手を伸ばしてうつくしき乳白色に確かめるように触れ、宝物を扱うかのようにその光を瞳に焼き付けているようだった。
「とても価値のあるものだ。長く、永く愛された……想いの籠った、いい石だね」
「この勾玉は俺の……命と言えるものだ。あなた達と同じ、誰かが誰かに残したもの。それを今は俺が預かっている」
 すべては口にしない。けれど、伝えることが礼儀だと思った。母竜もうん、うんと胸に染み入らせるように頷いて、そっと勾玉を琥珀の手の中に戻して口を開く。
「|コルヌ《角の氏族》はね。慈しんできたいのちの分だけ、大地に還るその瞬間にその生涯をかけて『恩返し』をするんだよ」
 死は終わりではなくはじまりである。
 己を生かしてくれたいのちに。木々に、水に、火に、人に。感謝と、長き道程が無事であるようにと祈りを込めて。人の手に渡ったその瞬間から、自分たちはあなたたちと共にあたらしい旅に出るのだと。告げて、母竜は華奢なブレスレットを琥珀の前へと掲げて見せた。
 どうかあなたも、受け取って。
 差し出された雨色の雫は、あの日初めて見た涙によく似ていた。

ララ・キルシュネーテ
誘七・赫桜

●忘れ時の空
 老いも若きも男も女も、みなが一様に待ち焦がれた春の陽を喜んでいる。
 彼方此方から上がる声はすべてが歓喜に満ちていて、あたたかな光の中でいのちが躍っているかのようだった。
「可愛らしい竜がたくさんいる」
「これが竜の……コルヌの新年祭なのね」
 うつくしい春を祝うに相応しい、明るく晴れやかな場所だった。
 誘七・赫桜(春茜・h05864)は腕の中に閉じ込めた迦楼羅の|雛《お姫様》――ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)に微笑み掛ける。
 種こそ異なれど己もまた龍の血族。この蕾桜が花開くことはないけれど、それでも春の朗らかな空気は赫桜にとって好ましいものに他ならなかった。
「……で、赫桜は何でララを抱えているの?」
 未だ幼くはあれどララは|悪竜《毒蛇》を喰らう迦楼羅の雛だ。コルヌの竜を戯れに食べてしまわないかと心配しているのだろうかと。『ララは無闇矢鱈に竜を食べたりしないわ』としろい頬に朱を乗せて唇を尖らせたなら、お姫様の機嫌を損ねかけているのだと知った赫桜が慌ててぎゅっと抱き締める腕に僅か力を込めてかぶりを振って見せた。
「こうしてた方が色んな景色がみえるでしょう?」
 祭りは賑わっているしララちゃんが潰されないようにだよ、と。微笑みかければ、ララのあかい瞳がぱちりぱちりと瞬いて――ことりと小首を傾げるころには、その口元に柔らかな笑みが戻っていた。
「……ララを思ってのことなら悪い気はしないわね」
 綺麗な景色が見えて楽しいと。常よりも高い視線を喜びながら体重を預ければ、赫桜の笑みも一層深くなる。
「よかった。ねえ、ララちゃんのティアラとても似合っているよ」
 光の角度によってそのいろを変える鮮やかな髪に飾られた|ティアラ《花冠》。春の輝きに満ちた桜色の輝石があしらわれたそれはララにとてもよく似合っていた。胸に浮かんだ言葉をそのまま口にすれば、えへんと胸を張ったララの愛らしさに、ふ、と思わず吐息が溢れる。
「気がついた? ララはお姫様みたいな冠なの」
「綺麗な桜色の輝石だね。この竜は桜の竜だったのかも」
 さくらのいろ。淡く儚い、春に降る雪。
 きみに似合いの、あたたかな。
「……桜の竜……ママと同じだわ」
 だから、ひとめ見て気に入ったのかも。この子がいい。この子しかいないと、そう思えたのは。

「お前はどんな輝石にしたの?」
 そういえば。ララのことを気に掛けるばかりで自分のことは後回しにしていたように見えた赫桜に問えば『ぼくはまだかな』なんて返ってくるものだから。『ララとお前は一緒にきたのよ』と咎めて見せれば目前のかんばせが困ったように微笑むのを見て、うん、とララは確かめるように頷いた。
「じゃあララが選んであげる」
「え? ララちゃんが?」
 いちど下ろしてとせがむ雛を落とさぬように。大切にそっと地面に下ろしたなら、ララは意気揚々と赫桜の手を引いて歩き出す。
 小さな雛が、初恋のひとの愛し子が、自分のために懸命に唯一を探してくれるその姿は本当に愛らしくて。浮かぶ笑みを隠すことなんて到底出来やしなくて、ちいさな手に導かれるまま赫桜もゆっくりとララの歩調に合わせて|ユルト《天幕》の合間を潜っていく。
「あ、これがいい」
「え、」
 道行の先でララが手にした輝石に宿るは麗しい春暁のはじまりのいろ。
 うつくしき春の黎明。紫苑から桜に移ろうそらのいろ。それは、ほろ苦くも甘やかな、あの子の――。
「ララのママもこんな色彩を宿していたからお気に入りなの」
 お前にぴったりだわ、なんて。屈託なく告げるその姿に、微かな面影が重なった気が、して。
「……ありがとうララちゃん。ぼくの、いちばん好きな色だよ」
 思わず滲みそうになった視界を払って、ちいさなお姫様が差し出す淡い色を灰桜の髪に掲げて見せたなら。ララは満足げに『ララが選んだのだもの』と当然のように笑って見せた。

賀茂・和奏

●萌芽
 陽射しの暖かさも豊かな森も、なにもかも。賀茂・和奏(火種喰い・h04310)にとっては忘れて久しいものばかりに満ち溢れていて、臓腑いっぱいに空気を満たすだけでも胸の内に溜まった澱みが抜け落ちていくような心地がして嬉しかった。
 コルヌの輝石は彼等の生きた証。輝きそれぞれに過ごした時間や物語を感じ取ることが出来て、ただ眺めているだけでも胸を躍らせる。あるものは角に。またあるものは腰布の留め具に。素朴な中にも華やかさを感じられる装いには人それぞれの飾り方があるのだなと。知れば文化の違いを所々に見付けることが出来、ひとつ気付くたびに驚きと楽しみが胸に湧いてくるのが新鮮だった。
 自分は探すのならばピアスだろうか。
 仕事の時は勿論のこと、防護のために着けておくことが多いだろうから。簡単に外れず壊してしまうことも少ない場所に加護を授かれたならと。視線を彼方此方に運んでいれば、不意に。店先から感じた視線に振り返れば、ひときわ小柄で背中を丸めた老いた竜と目が合った。
「こんにちは」
「…………ぅむ」
 耳が遠いのだろうか。皺くちゃの口元をもごもごと動かすその姿に微かに笑んで、足を止めた和奏は一歩翁へ歩み寄ると、今度はゆっくりと。聞き取りやすいようにはっきりと『こんにちは』と声を掛けたなら、『ああ』と弛んだ瞼の下からほんの少しだけ瞳を覗かせて挨拶を返してくれた。
 どの位永い時を生きてきたのだろう。尋ねれば、翁はもうすぐこの大地に魂を還して誰かの手に渡るのだと語って聞かせてくれた。
「わしはな……おんしのように……よその風に連れられていくのが、楽しみなんじゃ。わしの爺さまも、そのまた先代も……そうして、遠く、遠くを旅し続ける……」
 それこそがコルヌの生き方であり、あたらしい旅のはじまりなのだと。咳混じりに笑う翁の背を摩ってやりながら、和奏ははじめて触れる死生観に眼鏡の奥の瞳を柔く細めた。
「では……。……連れて行かせてください。この路が、佳きものでありますようにと」
 老いた竜はその言葉に満足げに頷き笑みを深める。
 枯れ枝のようなゆびさきに託された青葉のいろは、翁の欠けた角から覗く彩によく似ていた。

花咲・マオ

●偶像の休日
「バカ野郎がよォ!」

 ばちぃん!

 其処彼処で喜びの声が上がる|ユルト《天幕》の切れ間に小気味のいい音が響く。
 音のした方に何人かの竜たちが驚いて振り返ったその先には己の頬を思い切り引っ叩いた花咲・マオ(勤労娘々・h02295)の姿があった。
 当初マオはコルヌの輝石の市場価値に目をつけていた。冒険者の間で高値で取引されるコルヌの祝福を彼らから直接入手出来る機会はそうあるものではなく、であれば転売すれば莫大な借金返済の糧になるに違いない、と。過った邪念に囚われてそれはもう周囲とは違った意味で目を爛々とさせていたのだ。ついさっきまでは。
「いくら借金がキツくても配信がハズくて冒険もヤバいとしてもォ! 堕ちちゃいけねえもんがあるだろうがよォ!」
 屈託のない笑みで祝いの果実酒を振る舞ってくれた竜も、笑顔で出迎えてくれた竜も、誰も彼もが朗らかで優しくて。なんだか急に自分が物凄くみじめな存在になってきた気がしてしまって。こんな葛藤さえ弟に見られたら『ウケる』と嘲笑されてしまうこと請け合いで、つまりはつまり、ああ、ああ!
「飲まなやってられん〜〜!!」
 27歳、冒険者。またの名を借金まみれのインターネットアイドル17歳。
 越えてはいけないラインを越えてしまいそうになったことを恥じ、果実酒のおかわりを所望しながら目頭に一粒だけ涙の滴を湛えるのだった。

 とはいえ今日は貴重なオフだ。先までの邪念を心の奥深くへと追いやり、マオは自分だけのお守りを探すことにして|ユルト《天幕》を巡る。
「目立つのは配信中に着けられないしなぁ」
 『におわせ』ひとつで炎上してしまっては商売上がったり。全く偶像でいるのも楽ではない、のだけれど。
「いやいっそ目立つように着けてマオマオのコルヌコラボとかにしちゃう!?」
 案件動画として上げたなら堂々と身に着けられるし、何より冒険者の酒場で語り継がれるほどのものとのコラボレーションならば当然視聴数も投げ銭も稼げて――、

 ばちぃん!

「って結局金かーい! 私のバカちんがぁ!」

野分・時雨
茶治・レモン
薄羽・ヒバリ

●さいわい
「おや、まあ。春の訪れを寿ぐようで」
 咲く花々を踏んでしまわぬよう。それでも、三者三様に弾む足取りを隠せないままに。
 緩やかに振り返った野分・時雨(初嵐・h00536)は『どちらのユルトから回りましょ』と共にゆく仲間たちを仰ぐ。
「納得の賑やかさ、楽しくていいですね!」
「いこいこ、時間がいくらあっても足りなそうっ」
 笑顔こそ上手に浮かべられずともその声音には確かな喜びのいろを乗せ、茶治・レモン(魔女代行・h00071)は時雨の言葉に頷き自分たちだけの装飾品を探しに行こうと意気込んで。おまつりにアクセサリー、さやさやと囀る木々の葉でさえ輝石の輝きを宿したその景色にきゃあきゃあと燥ぐ声を上げていた薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)は『さんせーい!』と諸手を挙げて喜びを露わにして我先にと爪先を躍らせた。

「色もたくさんありますが、装飾もそれぞれ手作りなんですね」
 そらを舞ういきものを模したものであったり、時間の移ろいを表現したものであったり。装飾ひとつとっても揃いで誂えたものでない限りはひとつとて同じものはなく、店ごと、職人ごとに毛色の違う装飾品の数々にレモンはほうと感嘆の息を吐く。
「どれも魅力的で悩ましいです……。ヒバリさんは、春らしい色がお好きだとか。今日は桜色をお探しですか?」
「うんうん、私はミントグリーンとか桜色とか柔らかい色が好き〜。今日は桜色のものを探してみよっかな」
 可愛らしくて良いと思います、と告げれば屈託のない笑みと共に『ありがとう』と返ってくることを好ましく感じてレモンの纏う空気も少し和らぐ。
「桜色。ちょうど季節で良いですねぃ、淡い色とかお好みです? ヒバリちゃんすらっとしてるからアンクレットとか。ああ、髪留めも似合いそう」
「良いですね!」
 きっとお似合いですよと重ね、『時雨さんの好きな色は?』と次いで問えば牛鬼の青年はふぅむと少しだけ考え込む仕草を挟んで露店のひとつに視線を落とす。
 己が身に飾るものはあやかしの威厳の象徴でもあるけれど、個人的な好みとなれば――ああ。
「色の好みねぃ。無意識に緑選びがちかも。くすんだ金や赤も好きですよ」
「時雨さんは確かに緑のイメージがあるかも。着物の萌黄色もすっごく似合ってるし!」
「なるほど、緑色。悩ましいです……!」
 鮮やかな森の緑も、光沢感を帯びた眩い海の青緑も。一口に緑と言ってもこれだけたくさんの色があるのだと知れば、驚きよりも嬉しさの方が勝つ。戦闘都市群には見られぬ輝きの数々にレモンは感嘆を溢れさせるばかり。『レモンも好きなもの探そ』と、ヒバリが声を掛けてくれなければふたりの装飾を選ぶのに一生懸命になりすぎて自分のことを忘れてしまっていたかも知れない。気付けば自分がそれだけ夢中になっていたことに気付いて少しだけ照れくさい。
「僕が好きなのは……白! なので、白い輝石の装飾品を探します」
「ふふっ。さすがレモン、ブレない即答」
 顔の近くに掲げて見せて、似合う? と笑うヒバリの仕草を、時雨が、レモンがそれぞれの言葉で褒める。ああでもどうしようかなあなんて、迷う時間ひとつとっても楽しくて、緩みっぱなしの口元を抑えきれない。
「レモンくんは真っ白さんに、さらに白い輝石? どれが良いだろ。手袋の上から指輪とかも素敵ですけど、迷うので……ここはヒバリ先生のご意見を!」
「メンズの指輪っていいよね〜。つける指によって意味を持たせられるから、お守りにももってこいだし! あっ、あとあと、イヤカフとかも映えそうっ」
「指や、イヤーカフ……どっちもお洒落……!」
 白いものが欲しければこの辺りだよ、と。店番の竜が微笑むのに謝辞を添えながら。しばらくうんうんと唸っていたレモンが手に取ったのは真珠星にも似た星屑のイヤーカフ。まろみのある輝きは、レモンのしろい耳元に優しく寄り添ってくれた。
「指輪だと、攻撃時に邪魔になってしまいそうなので……僕はこれにしますっ」
 似合う似合うとふたりが笑う。面映さに少し俯いてしまいそうになるけれど、手にしたコルヌの守護はどこかあたたかく、それが不思議と心地よさを感じさせた。
「ぼくど〜しよっかな。既に装飾多いので、角か尻尾に着けようかな。どっち似合うと思う?」
 『決〜めて』なんて強請って見せれば、顔を見合わせたヒバリとレモンはううんと真剣な眼差しで並ぶ装飾品たちを見つめ直す。
「角飾りも捨てがたいけど、輝石が揺れる尻尾からさりげなく見えたらエモくない?」
「……なら僕も、尻尾に一票です! チラ見せで行きましょう」
 ってことで、尻尾推しっ。なんて、ふたりが掲げてくれた新緑のいろを受け取れば、時雨の双眸も柔く綻ぶ。
「なるほどチラ見せ。これがエモ」
 ふたりが選んでくれたのだから大切にしなくては。
 早速尻尾に飾り結びをして見せて『似合います?』なんて戯けて見せたなら、うんうんと力強く頷いてくれる友人たちの好意が嬉しい。
「てなわけで、私もっ! じゃーん。期待に応えてアンクレットにしてみたよ」
「わあ……! おふたりとも、とってもお似合いです!」
「レモンくんも似合ってますよ。すっごくね」
 思いの詰まったさいわいのひとかけら。
 あたらしい旅路を望むちいさな祝福をそれぞれ抱いて、三人は互いの輝きを手放しで讃え合った。

鴛海・ラズリ
霓裳・エイル
八卜・邏傳

●よろこび
 旅をしながら何時か来る回帰の時を新たな旅路のはじまりとする、やさしき竜が遺したたからもの。
「それって、凄く。すっごく素敵なの」
 瑠璃の瞳を輝かせ、鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)が同意を求めるように微笑めば、輝石の森に、並ぶ|ユルト《天幕》の華やかさに感嘆を上げていた八卜・邏傳(ハトではない・h00142)と霓裳・エイル(夢騙アイロニー・h02410)も揃ってうんうんと頷いた。
「この雰囲気だけでわくわくしてくるー!」
「うんうんっ。私もキラキラしたものは大好きっす! お守りにもなるなんて素敵」
 輝石の森に連なる木々は枝の先から葉のひとつまで薄らとその向こう側の景色を透かすほどの透明度を持っており、風と共にさざめくたびにきらきらと幾重にも陽の光を重ねて大地に虹の煌めきを降り注いでいた。
 まるで楽園か絵本の中に足を踏み入れたみたいだなんて、エイルがほうと息を零せば邏傳も楽しげに駆けていく竜の子らを視線で追い掛けながら笑みを深める。
「こんな綺麗な生きた証を残してくれるなんて、コルヌの民はやさしいな」
「ほんとに。込められた想いも、大事にしたいっすね」
 自分たちが彼らの大切な証を授かるということは、彼らの願いを継いでいくということ。責任重大だね、なんて笑い合えば、あとには未知へと高鳴る胸の鼓動だけが残って。『あっちの方も見てみん?』と邏傳が示したほうへ、三人は並んで歩き始めた。

「ビビッとくるこいた?」
 真剣な様子でじっと並ぶ装飾品の数々と睨めっこしているラズリとエイルの姿を微笑ましく思いながら問えば、先に口を開いたのはエイルの方だった。
「私の狙いはモルガマリン似の子! 手持ちのはまだルースだから、アクセにしていつか身につけたかったんすよね」
 水色と桜色のプリズムが浮かぶバイカラー。ふたつの性質を抱いたふしぎな輝石。自らが宿した煌めきにも似たそれがお守りになるなら、きっと視界に入るたびにこの胸を躍らせてくれるに違いないからと。エイルがにっと瞳を撓めれば、いいね、と頷く邏傳も輝石のひとつを手に取って見せた。
「俺はね、このアイスグリーンな色のこ。なんか昔世話なった人に似ちょるんよ」
「わぁ。瑞々しくて透き通ってて、本当に綺麗。似合ってるよ」
「ラディ君のは……わ、爽やかな色!」
 ずっとずっと微睡んでいたくなるような、初夏の涼やかな水辺から切り出した結晶のよう。煌めく薄荷色にラズリが目を細めれば、邏傳の手にする輝石が嵌め込まれたそれが腕輪であることに気付いたエイルが『あ!』と何かを思い付いたとばかりに声を上げる。
「ね、皆でお揃いの腕輪にしよっか?」
 どうかしたのかと同じ向きにことんと首を傾いだふたりの瞳が、エイルのひらめきの言葉にきらりと輝く。
「お。いいじゃん、そうしよ」
「いいの? お揃い、したい……!」
 おそろいの提案を内緒話のように持ちかけたなら、当たり前のように返ってくる肯定が嬉しい。じゃあ腕輪を探そうと狙いを絞れば自ずと選択肢も狭められてくるから、えいと意を決してラズリが手を伸ばした先にはうつくしい宵のそらのいろがあった。
「私がびびっときたのはこの子……瑠璃の石」
 どこまでも深いあおいろを伸ばした中に、星が煌めくようにきんいろが散りばめられている。それはまるで、自分の名前にも親しみ深いラピス・ラズリの輝きにも似て。自分に縁が深いもののように感じられたのだと零せば、邏傳もエイルも『きみに似合いだ』と手放しで喜んでくれた。
「星瞬く夜のお空みたいにきれいな子、本当にラズリちゃんみたい!」
「ラズリ君は大納得の夜と星の優しい色だ、君の名前に何より似合ってるっすね。ね、私のも良かったら見てみて!」
 それは、春に|咲いた《還った》竜の輝石。そらのあわいに咲いた花のいろを宿したうつくしいそのいろに、ラズリと邏傳の口からそれぞれの感嘆が上がる。
「グラデーションが華やかで、とっても可愛い。イメージぴったり……!」
「ゲイルちゃんの子、瑞々しくてキュート。素敵なモルガマリンちゃん色やね! 二人ともぴったりじゃん」
 買い求めたコルヌの祝福を腕に嵌め、それぞれそらに翳してみれば三者三様の輝きが陽の光を浴びてきらりと煌めく。はじめてのお揃いが嬉しくて、うれしくて。緩んでしまう頬を抑えきれない。
「ふふ。ずっときらきら眺めちゃうんだよ」
 ラズリが笑えば、邏傳も頷く。
「三人お揃いな腕輪にそれぞれ想い通った石が素敵で、テンション上がるなー♪」
「ふふ、友達とお揃いなんて初めてだ。今度はさ、これつけて一緒にお出かけしましょ!」
 どうっすか? なんてエイルが小首を傾げれば、もちろん! と直ぐ様ふたりの口から肯定が上がる。
 今日だけじゃない。たくさんの嬉しいことや楽しいことを、これからも。こんなにすてきな『また』の約束もコルヌの祝福のおかげかも、なんて。ラズリが照れたようにはにかめば、三人はもう一度顔を見合わせて誰からともなく笑い合った。

緇・カナト
廻里・りり
葛木・萩利

●こもれび
 竜の骸を剥ぎ、継ぎ合わせた異形。それが自らの手に依るものか他意に依るものかの違いこそあれど、一度死したものである葛木・萩利(ぬくもりなき手・h03140)にとっては心中複雑なものがあった。それでも、このめでたき日を喜ぶ竜たちや、共に行こうと手を差し伸べてくれた仲間たちを翳らせるようなことはしたくない。戦いのその瞬間までは秘しておこうと目を伏せていれば、『萩利さん?』と掛かった声に現実に引き戻されたようにそうと顔を上げる。つぶらな瞳に気遣ういろを乗せて廻里・りり(綴・h01760)が首を傾げれば、萩利は何もないと緩やかにかぶりを振って見せた。
「芽吹きの春のお祭りだけあって賑やかだねぇ」
「ほんとうに! お正月とも言っていましたし、お祝いだ〜! って感じで」
 緇・カナト(hellhound・h02325)がぐるりと視線を巡らせたなら、外の世界からやってきた旅人たちを祝福するかのようにコルヌの竜たちはさいわいを口々に紡ぐ。彼らにとってもっともめでたい季節なのだろう、すれ違う人々が一様に笑顔を浮かべる姿はこちらまで楽しい気持ちにさせてくれる。
「さぁオレたちはどこから眺めようか〜」
「このような祭りは初めてで……何処から手をつけたら良いやら」
 戦闘都市群ではこんなにも平穏な瞬間を得ることは殆どない。少なくとも萩利にとってははじめての光景で、屈託なく笑う竜たちの姿さえ驚きに満ちたものだった。戸惑いがちにきょろりと視線を彷徨わせれば、りりもカナトも『大丈夫』と安心させるように頷いて。
「お店もいっぱいで迷っちゃいますよね。でも、それが楽しいんです」
「そうそ、『楽しい』ってことが悪いものじゃないんだって。今日は知れたらいいねぇ」
 楽しむことは、いきること。
 痛みばかりの中で生きてきた萩利にとって、それはなんとも不思議な響きを以て胸の奥にやわらかく落ちてくるのだった。

 髪飾りに腕輪、首飾り。りりにも萩利にもそれぞれ似合いそうなものは沢山あるけれど、いざ自分のものを選ぶというのは少しばかり不慣れだ。
「ひとに合いそうなの探すのは割と得意なんだよねぇ……あ、そうだ」
 カナトが二人を振り返れば、言葉の続きを期待するようなふたつの視線が向けられて、思わず笑ってしまいそうになりながら。『其々お互いに似合うもの選んでみようか』と提案すれば、初めての品々にあれこれと気持ちを迷わせていた萩利は驚きにゆっくりと瞳を瞬かせるも、こくりと頷いて是を示す。
「装身具には疎い身ではありますが……此も、選んでみます」
「お互いに合いそうなものを探すって素敵ですね。わたしも賛成です!」
 それならばより一層たからもの探しに力が入るというもの。りりが悩んだ末に手を伸ばしたのは、くろがねに茜の星が煌めくバングルだった。
「カナトさんは、お邪魔にならなければ腕輪はいかがでしょう。しゃらっとしたものよりバングルの方が邪魔にならないかな?」
 いかがでしょう、なんて。カナトのそばに掲げたあかい星を見れば萩利も頷く。『お似合いです』だとか『良いと思います』だとか、咄嗟に言葉は出てこずともりりが懸命に選んだその輝きに是を返したくて。
「りりさんチョイスはお洒落だなぁ。自分では余り手に取らないから新鮮だし、ぽかぽかの茜色も……りりさんらしくって」
 似合うかな? と腕に嵌めて見せたなら、今度は二人とも同時に頷くものだから。おかしくってつい吹き出してしまうのを止められない。
「萩利さんにはねぇ白金や銀色……いや、黒も似合うかも?」
 堅く芯を持ち、何者にも曲げられぬ鋼のいろ。
 それは彼女の生き様に寄り添うに相応しい実直な彩のように思えて。カナトが差し出した首飾りを見れば、りりもぱちりとてのひらを重ねて華やぐ声を上げた。
「鋼の色はかっこいい印象の萩利さんに似合いそうです」
「うん。首飾りだったら服にも収まるし、元気に動き回っても安心かな、なんて」
 動く時も含めて相手のことを考えて選ぶ。それはとても素敵な選び方だと目を細めれば、呆然と掲げられた首飾りを見つめていた萩利がはっとしたように口を開く。
「此に鋼の色を挙げて頂けること、大変嬉しく思います。此も鋼は好きです」
 服の下に下げたなら、戦いの中で失くしてしまうこともそうない。
 恐る恐るに受け取った鋼の色に、ツギハギのからだは上手に喜びの色を浮かべることは出来ないけれど――それでも感謝を告げることは出来るから。大切に胸に仕舞い込む萩利の姿を見て、カナトもりりも笑みを深めた。
「では……廻里殿には、白の輝石を使用した首飾りなど如何でしょうか」
 明るくて愛らしくて、春風のように軽やかな彼女にはきっと何色だろうと似合うのだろうけれど。白ならばほかの色を合わせても邪魔をしないだろうし、きっと汎用性は高いはず。どうだろうかと伺えば、りりのかんばせにぱっと喜色が咲くのを見て萩利もほんの僅かに目を細める。
「わあっ。好きな色のひとつなので嬉しいです! 色も合わせやすいし、使いやすさも抜群で。いっぱい一緒にお出かけしますね」
 あたらしいお気に入りを思い出と一緒に閉じ込めて。遺された想いごと愛しめたなら、きっとこの先の旅路も佳きものになる。
 三人はそれぞれの想いを胸に抱いて、授かった祝福を掲げあった。

白水・縁珠

●花開くときを待つ
 この√は珍しい植物や生き物に出会えるから好き。
 白水・縁珠(デイドリーム・h00992)は足元の草や花をなるべく傷付けないように輝石の森へ足を踏み入れた。大都市のような華やかさや便利さはないけれど、素朴で朗らかな竜たちの人柄はあたたかで好ましい。
 木々も、花も。何れも森の名を冠するに相応しい植物であるらしく、淡くその先の景色を透かしてきらきらと輝いていた。あれらはなんという名前の花なのだろう。あの子たちも竜たちと同じように、やがて完全な輝石となっていくのだろうか。なんて、あちらにふらふら、こちらにふらふら。
 興味の赴くままに歩を進めていたなら、『ねえ』とこちらに向かって掛かる呼び声に身体ごと声のする方を向く。見れば、丁度同じ歳の頃くらいの竜の少女が人懐こい笑みを浮かべながら手招きをしているものだから。何だろうと浮かんだ未知への好奇心に誘われ、縁珠は少女の元へと歩み寄った。
「ねえ、あなた。旅人さんでしょう? コルヌへようこそ!」
「うん。……そうなる、かな」
 一杯いかが、と差し出された杯の中に注がれていた鮮やかなあかいろに首を傾げて問うたなら。ハニー・ビーが冬の間溜め込んだ蜜を吸い上げて育った春の果実をジュースにしたものだと返ってきて、聞いたことのない植物の生態に、未知の果実との出会いに縁珠の瞳が輝いた。ひとくち含めば甘みがいっぱいに広がって、あとにはすうと爽やかな酸味がほどけて消えていく。林檎か、桃か、どちらにも似ていて、どちらとも違う。おいしい、と素直に零せば竜の少女のかんばせも嬉しげに華やいだ。
「コルヌの輝石は……天寿を全うした方の、残したもの……なのでしょう?」
 飲み切ってしまうことが惜しくてちびちびと楽しみながら。少女に問えば、そうよ、と当たり前のように是が返ってくる。
「そんな大切なの、他種族に渡してしまっていいの」
 謂わば遺品のようなものではないのかと。この森に訪れる前から気になっていたことを口にすれば、瞳を瞬かせた少女は直ぐにふるふるとかぶりを振ってそれは杞憂だと笑って見せた。
「コルヌの竜はね、生まれ落ちて、生きて。一度目のいのちが大地に還るときに、いままでの旅路でできたすべてのえにしに感謝をするの」
 生かしてくれた大地に。旅先で受けた人々の愛に。生きている間はこれっぽっちもちからを持たないけれど――旅路のさいはてに残す祝福を人の手に託すことに依って、あたらしい旅路を紡いでいくのだと。少女が聞かせてくれたその独自の死生観に、今度は縁珠がぱちり、ぱちりと瞳を瞬かせた。
「……ふむ」
 アクセサリーより、草花やお野菜のほうが好きだけれど。
 それがコルヌの竜たちの願いであり、望みであると言うのなら。
「御守り、なら……手以外のなら、仕事中も気にならないかな」
「ほんとう? ねっ、じゃあさ。お兄ちゃんのお店に来て。わたし案内してあげる!」

 こっちこっちと少女に導かれるまま訪れたその先で。妹竜から『お客さんだよ』と告げられた兄竜と思しき青年は人好きする笑みを浮かべて『気に入るものがあればいいんだけど』と輝石を磨く手を一度止めて縁珠を出迎えてくれた。
 どちらかといえばはじめは冷やかし気分で見ていたのだけれど、いつの間にかすっかり真剣に並ぶ装飾品に見入っていたなら。隅の方に飾られていた鶸萌黄色の輝きに吸い寄せられて、縁珠はそっと手を伸ばす。
「かわいい……若木の蕾みたい」
 蕾のようなちいさなピアス。
 耳に穴を空けなければならないけれど――学校を卒業したから、もう校則はないし。大人になった記念だと思えばそれもすてきな一歩のように感じられた。
「縁起がいい……っていうより……。ふふっ、幸先が良い感じ」
 似合うかな、と耳元に掲げて見せたなら。竜の兄妹たちは満面の笑みでうんと頷いてくれたから。少しだけのくすぐったさを胸に、縁珠はそのピアスを大切に胸に仕舞い込んだ。

 キミも一緒に、これからいろんな旅をしていこう。
 旅は道連れ。この道の先に、きっとすてきな景色がたくさん広がっていると信じて。

祭那・ラムネ

●そらを冠するもの
 臓腑いっぱいに澄んだ空気を満たし、深く深く呼吸をする。軽く伸びをすれば晴れ渡る空に吹き抜ける風が頬を、髪を撫でていくのが心地いい。祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)はあたたかな春の陽射しに目を細めながら、コルヌの竜の在り方に想いを馳せていた。

 コルヌの竜はいのちの終わりを迎えると現世に輝石のひとかけらを遺す。

 輝石は彼らの仲間の、家族の形見で。大事なものに違いないのに、手元に残して置かなくていいのだろうかとはじめは不思議に思った。けれど実際にコルヌの集落を訪れてみれば彼らは旅人たちにその輝石を託すことに憂いを感じているようには見えず、その旅立ちを祝福するかのように皆幸福そうにわらっているのだ。
 コルヌの竜は、旅をする。
 いのちを終わりを迎えても、遺した輝石を通して彼らの軌跡はずっとずっと続いていく。
「(……そういうこと、なのかな。合ってるかわかんねえけど、でも……)」
 それもすごく素敵なことだと思った。
 彼らはひとの身に押し込められたもの。いつ、どこで、誰がはじめにそうなったのか。そこまでを知る者は誰一人として残っていないけれど、それでもその生き方だけは変わっていない。
 旅をして、たくさんの大地を歩いて、歩いて。多くのいのちに触れ、人生を識り――やがては還り、紡いだえにしへと祝福を託してあたらしい道を人々と共にしていく。
 コルヌの竜にとって死は終わりではなくはじまりなのだと。知れば、彼らのあたたかな笑顔の理由も理解できる気がして。ラムネは露店のひとつの前で足を止め、店番をしていたたくさんの子どもを連れた竜へと微笑み掛けた。
「……俺もひとつ、いいですか」
「ああ。もちろん! ……とと、騒がしくてすまねえな。おっ|母《かあ》が昼飯を作りにいっちまってよ」
 背中に赤子。両脇にちいさな双子。あれよこれよと父を呼びながら構ってもらおうとする子どもたちに手一杯な竜がそれでも楽しそうに笑っている様子にラムネの眼も柔く細まる。
 『だあれ』『こんにちは』『おっ|父《とう》のきらきら!』と。
 ラムネに興味を示した子らがきゃあきゃあと歓声を上げるのに、選ばせてくれてありがとうと告げれば双子のほうがまったく鏡合わせの仕草で頬っぺたを押さえて満面の笑みを浮かべてくれる。全く人見知りのしないその様子に、なるほど彼らが悪意に利用されてしまいやすいのだということを肌で感じ取ることが出来た。
「(必ず……守らなきゃな)」
 血の惨劇も痛みをもたらすばかりの別れも彼らには不似合いだ。
 先に待つ戦いへの決意を一層固めながらも並ぶ輝石に視線を運べば、一際心を引かれたその輝きに誘われるようにラムネはそっと手を伸ばす。
 どこまでも続くそらのような、青くちいさな一粒の輝石。細いチェーンに彩られたそれは、首に下げることも、腕に巻けばブレスレットとして纏うことも叶うだろう。
「これは……空?」
「ああ、それはなあ。おれの爺さまの、そのまた爺さまだ」
 何処までも遠く、高く。天上界まで飛んでいったことがあるなんて話を、おれぁちっこい頃からうんと聞かされてきたもんだ、なんて。何処までが本当かなんてことは然程大きな問題ではないのか、幼いころから幾度となく聞かされてきた寝物語の冒険譚に集落の子どもはみんな憧れて来たのだと語る竜の言葉にラムネは微かに感嘆の息を溢した。
 澄み渡るそらのいろ。果てなく何処までも飛んでいけるような、そらを誰より愛したものの彩。掲げてみれば、まるで宙とひとつになってしまったかのように青の煌めきは蒼天に溶け込んでいく。
「――名前を、知りたいな。この輝石を遺したひとの、名前を呼べたら」
 ラムネの瞳の中の星があぶくが弾けるように煌めく。
 半ば無意識に零れ落ちたその言葉に竜の瞳が数度瞬き、やがて長き時を経て新たな旅路を共にする同士が現れたことを喜んで、もう随分口にすることの無かった血縁の名を懐かしむように口にした。

「カエルム。誰より青いそらを愛した、自由な竜の名前さ」

第2章 集団戦 『バーゲスト』


●暗澹なる足音
 森の奥へ、奥へと進む。燦々と眩く降り注ぐひかりは何処までも澄んでおり、枝葉の先にうつくしい輝きを宿した木々も綻ぶ花々にも、それぞれの輝石の煌めきが宿っていた。

 輝石の森。それは魂のいろを映す鏡だと竜たちは語った。
 森の奥へと進むならば。もしも、帰り道に迷ってしまったならば。コルヌの輝石を掲げて見せて。
 石に宿った祝福が、きっとあなたを導いてくれるから。

 ――道なき道を急ぐ√能力者の中で、誰がそれに気付くのが早かっただろうか。
 遠く、遠く。森の最奥に潜む強い死の臭いに誘われてダンジョンの奥から這い出して来たのであろうか。血走った目を赤く光らせた黒き獣たちが、肉を求めて自分たちの直ぐ側まで迫って来ることに。
 迂回して身を潜めることも叶っただろう。だが――コルヌの竜たちに、理性なき獣を打ち払う術はない。
 『構えろ』と、誰かが声を張ったのとほぼ同時。血に飢えた|バーゲスト《ブラック・ドッグ》の群れを退けるべく、√能力者たちは戦いに身を投じるのだった。
ベル・スローネ
賀茂・和奏

●谺
 この地に足を踏み入れる前からずっとその気でいたけれど、この輝きに恥じぬよう彼らを護り抜きたい。老竜に託された青葉のいろは触れれば肌に馴染み、五体に清浄なる水が巡るような心地がした。
 魂の証を供に。縁と祝福を授かるとはこういうことかと、賀茂・和奏(火種喰い・h04310)は常よりも軽い身体の感覚に背を押され、息ひとつ乱さぬままに森の中をひた駆けていた。

 獣の臭いだ。

 森の空気も降る光も、何もかもが清浄さに満ちたその場所で、迫り来る存在は明白な異端であった。
 吠え猛る黒犬の群れは生き物の気配を随分遠くから嗅ぎ付けていたのだろう。顎門から涎を垂らしながら我先にと動き回る存在へ喰らい付かんとする様はそれらが純然たる狩猟者であることを否応にも伝えてくる。この先に待つ存在とて当然恐ろしい侵略者に違いないが、戦う力を持たないコルヌの竜たちにとっては対話の隙さえ与えぬこの黒き群れの方がよほど身近で恐ろしい存在に違いない。
『ギャイン!』
 突出して飛び掛かってきた一体を刃が弾けば、分厚い毛皮を裂いたそばから迸る雷光が火花となって傷を灼く。致命傷こそ一撃では与えられずとも、群れの中から上がった悲鳴に一瞬黒き群れが怯んだ。
 和奏を単なる餌ではなく自分たちを害するものだと認識したバーゲストたちが狂ったように吼えながら囲もうとするが、それとほぼ同時。黒き群れの暴虐を阻まんとするちいさな守り人が旋風のように和奏の前へと躍り出た。
「あなたは、」
「俺が盾になるよ! 任せて!」
 勇壮なる大盾を携え、幼い身体に似つかわしくない力で以て襲い来るバーゲストを弾き飛ばしたベル・スローネ(虹の彼方へ・h06236)が視線だけで和奏を仰げば、一瞬そのあどけない容貌に驚きのいろを浮かべるも、直ぐに同業者だと認識した和奏はベルへ『助かります』と頷き返すと背を預け合うように互いの武器を構え直した。
「(こんな凶暴そうなモンスターを放っておいたら、喰竜教団を追い払ってもコルヌの人たちが安心して暮らせないもんね)」
 髪に飾った春の風が、ちり、と揺れる。
 彼らに巡り来る新しい年を、新しい旅路への門出を護りたいと願う気持ちは同じ。この群れもこの場で退治しておかなければと。ベルはいっそう戦槍を持つ手に強く強く力を込めて声を張り上げた。
「一分稼いで。その間、俺が引き付けるから!」
「任されました。――稲ちゃん!」
 穢らわしい牙が和奏の肉を食い千切ろうとするけれど、稲光とひとつになった火雷神憑きを捉えることは叶わない。明滅する光と共に繰り出される刃が一閃となり、ひとつ、ふたつとバーゲストの脚を薙いでいく。
「追いかけっこは得意なんだよね。おいで」
 爪にも牙にも、決して捉えられはしない。
 その間にも魔力を蓄えながら守りに徹していたベルは喰らい付かんとする牙の悉くを弾き、和奏の死角を狙おうとするバーゲストを大盾で殴り付けては怯ませ吹き飛ばしていく。無尽蔵に襲い来る獣の牙は少なからず痛みをもたらすけれど、押し切ることも進ませることも決して許さぬまま。身体中に巡らせた魔力が、満ちて、満ちて――。
「貫き通す!」
 衝撃波が地鳴りを伴い木々を大きく揺らす。
 渾身の力で放たれた戦槍の一撃が、バーゲストの群れに巨大な亀裂を奔らせた。

白・琥珀

●白光
 ばーげすと。
 耳慣れぬ西洋の響きの名の意味はよくわからず、何ならちょっとおいしそうな名前だなんて思うけれど。きっと白・琥珀(一に焦がれ一を求めず・h00174)の脳裏に浮かんだものと現実はだいぶ様相が異なるのだろう。
「(いや、俺自身の感想はこの際どうでもいいか)」
 血走らせた何対もの目に対話の可能性は一つとしてなく、獲物の意志など構うような知性は欠片さえ感じられない。
 琥珀にとって一番はあの優しき竜たちを守ること。手首に着けたブレスレットをそっと撫でれば、己の心に共鳴するかのように輝石が煌めくのに合わせて精神が研ぎ澄まされていくようだった。

 狼の群れほど統率が取れている訳でもなければ躾けられた犬のように聡明でもない。ただ目の前の獲物を取り合うかのように我先にと迫り来るバーゲストの群れを躱しながら琥珀は風のように森の中を駆けていた。
「遅い、遅い」
 逃げ惑う哀れな子鹿のように思うたか。
 琥珀が黒犬たちから背を向けて駆けていたのは決して逃避の為ではなく、木々を、森を傷付けぬよう開けた場所へ群れを誘き出す為。
 くるりと袂が翻ると共に、しろき光が琥珀の利き手から花開くように踊り出す。花弁が如きうつくしい光の帯は然して儚く散るものではない。鞭へと変じた琥珀の本体である勾玉がバーゲストの横面を、夥しいほどの血濡れの角を、引き裂くことしか知らぬ脚を次々と叩き伏せて行く。
 鮮やかに舞えば舞うほどにバーゲストの注意は目前にした琥珀へと引き寄せられる。負担は増えるが、それだけコルヌの竜たちの元へ向かおうとする存在を食い止めることは叶えられる筈。
「彼らに嘆きは似合うまいよ」
 今はただ、迷宮より這い出た招かれざる客を打ち祓うのみ。
 撓る光が円を描いて、琥珀を取り囲もうと襲い来る黒き群れを薙ぎ払った。

ベネディクト・ユベール

●七つより来たり
 雪解けの緑は僅かに湿っていて、靴底に微かな弾みを感じさせる。
「……いい森だな」
 肌に感じる心地良さは同族がここを母なる森と称したからか、それとも自身が樹木を宿す竜であるからか。ベネディクト・ユベール(ドルイド・h00091)は臓腑いっぱいに澄んだ空気を満たすと、細く吐き出しては呼吸と共に感覚を研ぎ澄ますように視線を森の奥へと向けた。
 この森の中で木漏れ日を浴びながら昼寝のひとつも出来たらさぞかし心地良かろうと思いはすれど、ベネディクトはただ祭りを楽しみ同胞との語らいに思いを馳せに来た訳ではない。
 迎えるべき『次』を確かにするために。守護者たる竜は手にした花楸樹を槍へと変じさせ、迫り来る黒犬の群れを見据えた。
「(あまり、此処を血で汚したくはない)」
 魔祓いの雷火を点した槍は迫り来る穢れた牙を顎門ごと穿ち焔となる。
 面ではなく点として。一点に集中させた雷火は熱した鉄よりも熱く。見る間に黒い影を焼き切り断末魔を上げる暇さえも許さずに一際大きなバーゲストが、どう、と音を立てて地に伏した。
 それを脅威と感じても飢えた獣には忌避よりも飢えへの恐れの方が上回ったか。愚かな獣たちはベネディクトの腕に、足に牙を立てて頭を振り乱そうとするが厚い魔防具と甲冑を食い破るには至れない。
「悪いが、そう簡単には通らんぞ」
 守護者たるベネディクトの本懐は守ること。獣の爪牙ごときに食い破られるほど甘くはない。この身に流れる血潮一滴とて喰わせてなるものかと、風が唸る声を上げながら振るわれた花楸樹の槍が喰らい付いたバーゲストを確実に、着実に貫いていく。

 この地に迫る危機はすべて払い除けよう。
 欠片の旅立ちと新年を言祝ぐ彼らが血の匂いも望まぬ別離も知らぬまま、新しい旅立ちを迎えられるように。

廻里・りり
葛木・萩利
緇・カナト

●鏡影
「素敵なものをお迎えできて、ごきげんになっちゃいますね!」
 ついつい目がいっちゃいます、と。まるで遠足のつづきかのような軽い足取りで、廻里・りり(綴・h01760)はにこにことふたりを仰ぐ。こもれびのいろを宿した祝福に触れて緇・カナト(hellhound・h02325)が頷けば、来たる交戦に向けてこのさいわいを失うまいと、葛木・萩利(ぬくもりなき手・h03140)は首に下げていたドッグタグと共に服の下に仕舞い込む。
「せっかくの品を、失くすわけには参りませんので」
「……わたしも首飾りしまっておこうかな?」
 ひとたび戦いとなれば怪我をすることもあるだろう。何かのはずみで失くしてしまったらそれこそずうっと立ち直れないと、萩利の仕草を真似るようにいそいそと服の下にりりがコルヌの加護を仕舞い込む仕草を見て、ふ、とカナトは微かに笑った。
「それじゃあそろそろ仕事始めとしようかァ」
 血に飢えた獣だなんて。なんて、なんてオソロシイ。
 お掃除してしまわないとねェ、なんて。口調ばかりは優しいままの|カナト《黒妖犬》の仮面の下に、にい、と鋭い牙が覗いていた。

 巻き上がる嵐のように激しく吠え回るバーゲストの群れが周囲を囲もうとするのを、ザンリェ、と静かに呼ぶ声と共に撃ち放たれた閃光の雨が行手を阻むように降り注ぐ。
「背後は此と相棒が守ります。お二人はどうぞお好きなように」《任せときな!》
 萩利の声に次いで、ザジ、と微かにノイズ混じりの声を響かせたのは萩利の手繰る決戦武装のもの。決して此より先に踏み込む事は許さぬと、一定の間隔で打ち出される光線の合間を縫うように、りりは毛糸玉が跳ねるようにちょこまかと走り回る。
「わあ、これが黒犬さんたちのわちゃわちゃ戦! 萩利さん、たすかりますっ」
 彼方へちょこちょこ、此方へちょこちょこ。撹乱するように飛び跳ね、すばしっこく駆けるりりは『けだもの』から見れば格好の標的に違いなかった。けれど、それを許さぬもうひとつの――否。夥しいほどの闇が、バーゲストたちを飲み込むかの如く銀月の眼をぎらぎらと光らせながら睨め尽くしていた。
「……おや、黒犬の群れ被りでもしてしまったカナ?」
 昏い月夜に御用心。カナトが自身の影より呼び覚ました千疋狼の群れは斉しく牙を剥き、バーゲストの喉笛に、柔さを残すはらわたに我先にと喰らい付いて行く。血塗れの爪牙が幾重にも折り重なり、縺れるように転げ回るのを萩利の一斉掃射が貫いた。
「皆様の邪魔はさせない」
 ふたりが決して孤立しないよう、萩利は少しずつ立ち位置を変えながら弾幕を前へ前へと押し上げて行く。
 物量で押し潰さんとするカナトと萩利の存在はバーゲストたちにとって嘸かし恐るべき存在のように映っただろう。そんな中、ふたつの脅威に気を取られて|本来の目的《狩り》を疎かにしていたバーゲストの視界を蒼き羽ばたきが埋め尽くした。
「さあ。――耳を澄まして」
 蒼禎が聞こえる。それは卓越した獣の耳にどれ程の響きを伝えただろうか。
 がしゃりと音を立てて閉じた鳥籠ごと穿ち貫く光線に、りりはにこりと笑んで見せる。戦うことはそう得意じゃなくたって、カナトが、萩利が――ザンリェだって、りりを気に掛けてくれている。だから、少しも怖くない。ううん、どれほど怖くたってへっちゃらなのだ。

 知恵なき獣が寄り合ったとて、一度に近付かせなければ然程脅威ではない。
 千疋狼が討ち漏らしたバーゲストの頸を、足を、ひとつの跳躍で斬り飛ばす。術者自身であるカナトも斧を手に心置きなく暴れられるのは萩利とりりが居てくれるから。
 ふたりに怪我はさせない。けれど、ふたりを軽んじている訳でもない。
「無事に帰れるのが、遠足ないしはお出掛けだろうからね」
「ふふっ。たしかに! 帰りも皆さんと笑っていられるようにがんばります!」
 帰るために、守るために、進むために。
「ここは、押し通りましょう」
 ザンリェの全砲門が一斉に開かれ、刹那、周囲は光に満たされた。

八卜・邏傳
鴛海・ラズリ

●星火
 手元に添うそろいの煌めきはどこかあたたかな心地がする。
 八卜・邏傳(ハトではない・h00142)が柔く目を細めれば、鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)もうんと頷き鏡合わせにそらに手を翳して淡く綻んだ。
「魂のいろ、だから。こんなに綺麗なのね」
「だねぇ。この森も綺麗だけど、なんか不思議な感じがすんね」
 枝葉を透かした太陽はプリズムとなって、なないろのひかりをきらきらとふたりに注いでいく。木も、花も。数多のいのちがその内に輝石を秘めた母なる森の中で、まるで腕輪たちも共鳴して喜んでいるようだった。
「邏傳といっしょが心強いの」
 おそろしくない、とは言わない。言えない。
 けれど、それでも。手繰り寄せたえにしとさいわいを授けてくれたコルヌの民を守りたい。それに――今のラズリは決してひとりぼっちではない。
「俺も! ラズリちゃん一緒で心強いよ!」
 確かな信を乗せて見上げれば、ぱっと笑顔を咲かせた邏傳は当たり前のように頷いてくれるから。
 大丈夫、立ち向かえる。
 がんばろうと頷き合って、ふたりは迫り来る影の気配を食い止めるべく駆け出した。

「おっとマナーの悪いわんこちゃんは頂けねぇのよ」
 グッと握ればビュンッと姿形を変えて、バシュッと敵をやっつけられる器用な子。『ちーと大人しうしとこ♡』と目を眇めた邏傳が跳躍と共に念じれば、エレンと銘打たれた詠唱錬成剣の柄に内蔵された核のひとつが音を立てて弾けると同時。瞬きのうちに形成された氷の刃が黒犬の群れの一角を大きく切り裂き、斬撃の余波で凍りついた地面に足を取られたバーゲストの何体かが縺れ合うように崩れて地面に叩きつけられた。
「今の気分は、そう。アイスグリーンのお色でさ!」
 お味はいかがと笑う邏傳はこんな時でも明るくて、知らず浄化の針剣を握る手に力を込めていたラズリもふ、と強張らせていた肩の力を抜くことが出来た。
「……わんこ、悪い子なのよ」
 見境なく動くいのちを喰らい尽くさんとする暴虐の獣。自分達がしっかり叱ってあげなくちゃと北辰の双眸に確かな決意の色を宿し、ラズリは祈りの言葉を、星々に捧げる聖句を口にする。群れの中に突如飛び込んできた邏傳を餌だと認識したのであろう、黒犬たちが一斉に血濡れの牙を剥くのを遮ったのは舞い咲いた花影より繋ぎ流れる箒星の煌めき。幾年、幾星霜のひかりは見る間にバーゲストの群れを捕らえ、縫い止め、肉を抉らんとする牙を押し留めて行く。
「ね、動いたら駄目だよ?」
「わお。Cometちゃん素敵☆見惚れちゃう〜」
 声音の調子さえ変わらずとも、生まれた隙を見逃してやるほど甘くはない。氷の礫を氷柱へと変じさせながら、邏傳は地を蹴り宙を踊る。噛み付く寸前で身を翻らせるその姿に惑えば惑うほど、箒星の軌跡はバーゲストたちを複雑に絡め取って行く。
「さーてラズリちゃん。躾のなっちょらんわんこ達を叩いていこかー☆」
「ふふ、そうだね。悪いわんこ達は此処で止めなきゃ」
 瑠璃の星が煌めいたなら、頑張らなくちゃと奮い立つ。コルヌの加護も、頼もしい仲間だって傍にいる。

 怖くない。

 邏傳が連ねた氷柱が群れの中心に突き立てられた瞬間に、うつくしき花焔の花弁がそのかいなで逃げ及ぼうとする影を纏めて抱いて包み込んだ。

茶治・レモン
野分・時雨
薄羽・ヒバリ

●燦然
「おや、わんちゃん。お腹空いてるの?」
 確かに今の自分達は祝福という調味料たっぷり。可愛さのあまり美味しそうに見えてしまっても仕方ない。野分・時雨(初嵐・h00536)が戯けて首を傾げるも、火がついたように吠え散らかすバーゲストたちに言葉は通じない。やれ、こんな無粋な獣に自分も仲間たちも食わせてやるものかと、時雨は『でもダメ〜』と悪戯に目を眇めた。
「わんちゃん? なるほど……そう言われるとなんだか可愛く……」
 見えるだろうか。
 血走って赤く染まった目も、血と臓物の臭いに塗れ汚れた毛皮も、一心不乱に獲物を求めて地を蹴るその姿も、何もかも。
「――見えないですね!」
 茶治・レモン(魔女代行・h00071)が迫り来る群れを見つめるも直ぐにかぶりを振って否を唱えるのに、全部一度は真剣に向き合ってくれるんだなぁと内心でそれを嬉しく思いながら時雨はからからと笑って見せた。
「見えない見えない。ぼくらの方が可愛いと思います」
 もう少しお祭り気分に浸っていたかったけれど、ここから先はオン。お仕事モード、と顔を引き締めた薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)もうんと頷き電子の海からレギオンを展開する。
「レモン、時雨さんは……」
 ヒバリがふたりを仰ぐのに気付けば、選んでもらった星屑を耳に添わせたレモンはぐっと両のてのひらを握り込んで力強く頷いて見せる。
「では時雨さん、行きましょう! ヒバリさん、行ってまいります!」
「りょーかい。ヒバリちゃん、援護よろしくね」
 問うまでもない。レモンと時雨が同時に地を蹴る姿に、ああ、いつも通りなのだと。ヒバリは微かに目を細め、確かな信を乗せて電子の光を煌めかせた。
「……ふふ。二人もちょー気合い入ってんじゃん。――後方支援は任せて! いってらっしゃい」

「レモンくん、デカいのはぼくに任せて。露払いは頼んだよ」
「お任せ下さい、オラついてきます!」
 身の丈ほどもある卒塔婆を振り翳し一瞬の迷いさえなく群れの中心へ飛び込んでいく時雨に応じて、道を切り開くように開けた光は翼であったのか。周囲を埋め尽くす程に溢れた羽根にも似た光弾は嵐となってバーゲストの群れに降り注ぐ。獣たちは危機を察知して弾幕を躱そうとするが、それを阻んだのは蒼き電子の網。ヒバリが叩き出すCODE:Assistが仲間を繋げばその精度は幾重にも増して行き、光の羽根は悉く黒犬の群れを撃ち抜いていく。
「今の僕、百発百中みたいです。逃げるのは諦めてくださいませ」
 レモンが名を呼ばうのを合図に巨大な個体の角を卒塔婆で受け止めた時雨が大きく身体を捻る。みしりと音を立てようと構う風もない。呆気なく折れた卒塔婆を捨てた時雨が繰り出すはその剛腕。自分を支えてくれるふたりに決して届かせぬようにと、突進してきた穢らわしき獣を真正面から受け止めた。
「大鍋堂のイケてるメンズをなめんなし?」
「ヒバリさんからの支援、そして僕からの援護! つまり今の時雨さんは……最強のプリンセスです!」
 力比べで負けたことなどない。元より折れてやるつもりなど無いけれど、ふたりの言葉により一層力が籠る。ごきりと鈍い音を立てて群れの核となる個体の頚の骨を折れば、後に残るは有象無象のみ。
「イケてる? プリンセス? 照れる~!」
 へらりと明るく笑って見せるも、ヒバリが唇を尖らせていることに気付いた時雨はそこで初めて冷や汗が流れるのを感じた。
「……これ以上無茶したら後でお説教ね」
「そうですよ、ヒバリさんからの平手コースですからね」
 しまった。ふたりは獣と力比べなんてしないのか。
 可愛い年下たちを心配させる訳にはいかない。節度と自身は守ってくださいと告げるレモンに、飛び掛かろうとするちいさな個体をエネルギーバリアの膜で弾きながら拗ねて見せるヒバリに、ハイ、と時雨は殊勝な声を返すのだった。
 いやでも怒られるのも吝かでは無いかもしれない――、
「ほら、ヒバリさんもウォーミングアップされてる!」
「えっ。あっ。……嘘です! 気をつけます」
 バリアの中心で身だしなみを弄る姿は、果たして平手打ちのためだったのか。
「――平手打ちチェックじゃないから! これは私のモチベキープ用っ!」

 前髪はミリもぶらせたくないし、メイクだってヨレ知らず。ネイルの欠けひとつない。
 何処からどう見てもカンペキ。それが一番のモチベーションに繋がるのだと、片目をぱちんと瞑って見せるヒバリに、新たな知見を得たとばかりに時雨とレモンは戦いの最中感嘆を上げるのだった。

誘七・赫桜
ララ・キルシュネーテ

●爛漫
「こんなに綺麗な輝石を貰ったのだもの。ちゃんとお礼をしなければいけないわ」
 お前もそう思うでしょうと幼い姫君がこちらを仰ぐのと共に、『私の娘を守って』と朝告げの輝石が告げているような気がした。応えはどちらに向けたものか――恐らくはそのどちらにも。脳裏に浮かぶ愛しい面影を胸に、誘七・赫桜(春茜・h05864)はそっとララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)の選んでくれたさいわいに触れながら頷いて笑みを返す。
「あんなやさしい竜たちだもの。一滴の血だって流させないよ」
 行こうと促すよりも早く、赫桜の答えに満足げに頷いたララは舞い手の如く軽く地を蹴る。彼女が強くて頼もしくて、共に戦うことに何の心配も必要のない存在なのだと分かっている。
「(……でも、守ってみせるから)」
 はやくはやくと駆け行くララの背にそう誓うと、赫桜も並び立つように足を早めた。

「あらあら。鼻息も荒く粗暴だこと」
 気が触れたかのように吠え狂うバーゲストたちに理性の色はない。穢れた獣にこのさいわいを蹂躙させはすまいと、ララは嫋やかに境界を裂き穿つカトラリーを抜き放つ。
「いじらしくも可愛い竜達を守りましょう」
「うん。行こうか、ララちゃん。――おいで、屠桜」
 仄白い刀身に森の彩が落ちて一筋の光の筋となる。ララを庇うように前へと躍り出た赫桜が抜刀と同時に群れを薙ぎ払えば破魔の刃はその穢れごと全てを断ち切り、餌だと認識していた存在が見せた力に僅か怯んだ黒犬たちはなればとよりちいさなララに狙いを定めて飛び掛からんとする。
「ね、影踏みしましょ」
 然して幼き姫君に動じた風はない。獣の足より、誰より早く。トン、とララの爪先が影に触れるのと同時、『ギャッ』と短い悲鳴が上がった。繰り出されたララの一撃はバーゲストを瞬きのうちに葬り、かと思えば陽炎のようにその身は揺らめいてすべてを彩雲と迦楼羅焔の清らかなる焔で包み隠してしまう。
 己の身を包むものに赫桜の気配が混ざっていることに気付けば、ふ、とララの唇から笑みが溢れた。
「赫桜、そっちは任せたわ」
「勿論だよ」
 自分だって彼女に頼れる竜であることを示したい。
 彩雲の流れでララの動きを感じ取れば、赫桜は群れを挟み込むように立ち位置を変えては命桜の太刀を振るう。囲い、囲われていた闇の数が、ひとつ、ふたつと消えて行く。
「ふふ、お前だって可愛い竜よ?」
 森の木々から零れ落ちる虹の輝彩に少女の笑い声が囀りのように揺れて耳殻を擽るのに、赫桜は目尻に僅か朱を乗せて眉を寄せた。
「……可愛い、はララちゃんだ」
 浄化の焔が穢れた闇を燃し尽くす。
 七曜の迦楼羅焔に、光蜜の星に照らされてララの髪に飾られたティアラが一際強くきらりと輝いた。

「おひめさまは、何時だって強くなきゃね」
 迦楼羅の雛は無邪気に笑う。
 この先に待つものがどれほどの存在であってもその笑顔が翳ることはない。
「それなら……強いおひめさまを守るのは、強い騎士さまでなくてはね?」
 決して彼女を傷付けさせはしない。その為に、自分はここに立っているのだから。

花咲・マオ

●暗転にはまだ早い
 転売ヤー(未遂)にだって人の心はある。
「コルヌの竜さん達に優しくしてもらった恩を返す為にも!」
 花咲・マオ(勤労娘々・h02295)は意を決して顔を上げる。だって自分は虚像だとしても勇者なのだ。伊達に体を張ってばかりの配信をしていない。
「犬っころなんぞ一捻り……」
 不穏な足音が幾つも、幾つも幾つも、押し寄せる漣はやがて津波となってマオの前へと姿を現す。
「ひと……ひねり……」
 いや多くない?
 こうちょっと、手心というかさ。
 そういえばダンジョンアタック24時間耐久、あれキツかったなぁ――。
「いや血に飢えた獣やないかーーーーい!!」
 しょうもない走馬灯が過ぎってしまう程度にはバーゲストはきちんと『群れ』で、もうすこし渾身のツッコミと言う名の|正気《しらふ》に戻るタイミングが遅ければマオは彼らのすてきなブランチになってしまっていたかもしれない。
「配信でもないオフ日にコレと戦えとかヤダー!」
 自分一人が付け尻尾をぐるんぐるんに巻いて逃げ出してしまったってなんとかなるのかもしれない。でも、万が一。一匹でもコルヌの集落にバーゲストが抜けてしまったら?
 へべれけに酔っ払った自分を心配して声を掛けてくれた竜たちの笑顔はどれも優しかった。ステキだなと素直に思った。そんな彼らがひとりでも命を落とすことになっては寝覚めが悪い。いや、きっと、ずっと後悔する。
 だから。
「――……やったらァ!」
 自らの内に秘めた竜漿をありったけ、全部全部右目に込めて。
 ばちん、と燃え上がった焔がマオに群れの欠落を教えてくれる。ひとの言葉を解さぬバーゲストの群れの只中であるならばと、マオは精一杯に声を張って周囲の仲間達にその弱点を知らしめた。
「(私は冒険者としてはまだまだ未熟のボケナスビだけど、それでもやれる事はあるはずでしょ)」
 怖いしお金にはならないし、いいことなんてひとつもない。
 それでも、自分をあたたかく迎え入れてくれた彼らの笑顔には報いたいと思うから。
「だから犬っころ共はステイだステイステイステイ誰かー! お強いどなたかー! 倒しちゃってくださ 痛ぁー!!!!」

 お触りは厳禁だっつってんだろぉー! と。今はまだ未熟な、けれど確かな、勇者の悲鳴が輝石の森に木霊した。

レスティア・ヴァーユ
ルナ・ディア・トリフォルア

●歯車を手繰り寄せて
『怪我をするのは想定済み、まず先に敵を殲滅することを念頭に置け。治すのは終わってから』

 目眩がした。
 愛しき女神のその言葉に、レスティア・ヴァーユ(信心の代わりに・h03581)は胸の奥底が疼きを伴いながら静かに凍て付いていくのを何処か遠くのことのように感じていた。
 彼女は強い。強く美しく、誇り高い彼女のことを愛している。心から尊敬している。けれど、それだから許せない。現実を語っているようで、然してそこにはまるで『汝の手助けは不要だ』と断じられているようで。
「……それは、怪我をした貴女を放置せよ、と?」
 確かに己はまだ未熟で、女神の庇護の対象なのかもしれない。それでも己は貴女の半身であり、貴女の矛でありたいのに。

 警告の声を聞いた。
 状況を即座に判断し剣と盾を構えたルナ・ディア・トリフォルア(三叉路の紅い月・h03226)は即座に傍の恋人へ戦いへの手筈を端的に告げた。の、だが。冷え切った声音に片眉を上げてレスティアを視線だけで見やれば据わった青の双眸がじとりとこちらを見詰めているものだから、思わず面食らって瞬いてしまう。
「戦いの最中、攻めの手を止めることの危険性はそなたも知っておろう」
 返事はない。
 何か、凄く。ものすごーく怒っている。何故だ。
「何、死ぬこともなし。我も易々と喰らわせてやるつもりは更々ない」
 やはり返事はない。
 それどころかレスティアの纏う空気は冷えていくばかりでどうにも納得しているようには見えない。何故だ。
 どちらにせよ今の自分は全盛期の権能の殆どを失っている。それ故、遠距離からの攻撃に長けたレスティアに援護を頼みたかったのだが――女神はちょっぴり、いや、結構言葉が足りていなかった。
「つまり。……目につく敵を皆屠り尽くせば、貴女の傍へと寄れるのだな?」
「んん? う、うむ」
 漸く口を開いてくれたかと思えばなんだか酷く物騒なことを口にする。
 いや、いや。兎も角、後方から自分の援護をしてほしい旨を彼は了承してくれたのだろう。であれば眼前まで迫りつつあるバーゲストどもにこちらを囲わせてやる義理もなしと、振り翳した剣の軌跡は雷となって獣の群れを稲光と共に薙いでいく。穢らわしきその牙が、爪が、角が。ひとつとてレスティアのもとへ届かせぬよう。
 恐れ、畏れよ。然れば一思いにその暗澹たる飢餓を終わらせてやろうと。慈悲の刃と炎を齎すルナの背後から、刹那、幾重もの光が解き放たれた。
 それは怒りに満ちた、視界を灼くほどの光の奔流。
 レスティアを起点として撃ち出された決戦気象兵器による|雨《レイン》はルナに対して牙を剥いた愚かな獣から残らず全てを撃ち砕く。怯んだものがどのようにして動くのか。彼女との距離は。数は。怒りに捕らわれながらも計算し尽くされたその弾道は、ひとつ、またひとつと闇を貫いていく。
「目は潰せ。角は折れ。脚は射貫き、灼き尽くせ」
 如何にバーゲストが足掻こうとも知った事ではない。展開されたプリズムランチャーに命じる己の声は、酷く冷え切って凍り付いていた。能力を何倍にも、何重にも重ねた無理は己に蓄積されていく。ぷつりと己の中で何かが切れる感覚と共に一筋の赤が頬を伝うのを乱暴に拭い、レスティアは尚も弾幕の手を緩めない。 
 子どもじみた八つ当たりだと分かっている。
 自分が無茶をすることだって、彼女はきっとよしとはしない。

 けれど、だからこそ知ってほしい。
 貴女が私を案ずるように。私も貴女を案じているのだと。

 レスティアは強く地を蹴り、群れの中で最も大きな個体を相手取る女神のもとへと真っ直ぐに駆けていく。
「汝、」
「――置いて行かないでくれ」
 うつくしきましろの欠けた翼が一際巨大なバーゲストの爪からルナを守るように連れ去った。散るあかいろはルナのものでも、けだものたちのものでもない。それを目の当たりにしたルナの瞳が大きく見開かれ、次いではギリ、と音を立てて強く歯を食い縛る。
 愚かな愛しき片割れ。ああ、決して汝を見くびってなどいないのに。
 浄化の焔が燃え上がる。彼を害した全てのものを焼き尽くさんと、あおく、しろく燃えていく。それでも尚向かってくる知性なき獣の頸を、ルナは全霊の力で以って斬り飛ばした。

シルヴァ・ベル
四百目・百足

●蝶の戯れ
 枝葉の先に光を透かせた木々のきらめきを受けながら、シルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)は臓腑いっぱいに澄んだ空気を満たしてほんの少しの間だけ目を閉じる。
 森には|隣人《精霊》の気配も、|同胞《妖精》の気配も感じられる。はじめて訪れた場所である筈なのに何処か懐かしささえ覚えるのは、直感的に『肌に合う』と感じられたからだろうか。竜たちが生まれたとされる母なる森もまた、うつくしい場所であった。
「おおや、招かれざるけだものがこの素敵な場所に。許せませんですね!」
 地を踏みしだく乱雑で無粋な足音の群れが近付いて来るのにいち早く気付いた四百目・百足(回天曲幵・h02593)が声を上げるのに、シルヴァもきっと前を見据えて身構える。ぎらぎらと、てらてらと。血走った目が、だらりと垂れた赤い舌が、森を、命を穢さんとするのを見過ごしてやるほど酔狂ではない。
「力を貸しましょう、コルヌの民よ」
「ええ。なるべくならこの森を傷つけたくはありませんから」
 その瞬間、シルヴァの身体が光に包まれる。光はやがて形を変えて、捻れ、畝り、それまでには存在し得なかった輪郭を模っていく。
「――同じくらいの大きさの|変化《へんげ》で許して差し上げます」
 やがて収まった光の中にちいさな妖精の姿は無い。
 闇に溶け込む黒い毛並み。赤々と輝く瞳の中にはバーゲストたちには無い理性のいろが浮かぶ。漆黒犬の姿にその身を変えたシルヴァの姿に、百足は驚いたように片眉を上げて見せた。
「やや! シルヴァ、なんと勇ましい姿。カッコイイでございますね」
 彼女の能力をこの目で見たのは初めてだった。はじめはちいさな妖精を自身の力で吹き飛ばして仕舞いやしないだろうかと頭の何処かで考えもしたのだけれど――どうやら杞憂であったらしい。であれば、存分にその背中を頼らせて貰おう。
 バーゲストの群れが痺れを切らしたかのように一斉に飛び掛かるのを、シルヴァの爪が、牙が受け止める。分厚く変じた毛皮に穢れた牙を立てられようと、けだもの達がそれを食い破るには至れない。目の前の肉を喰い破ろうとすればするほど盲目になっていく愚かな獣たちの只中に、宵闇よりも昏いおそれの化身の姿が茫と浮かんだ。
「シルヴァ、俺も加勢しましょう! 成敗! 成敗!」
 口調ばかりは先と変わらぬ朗らかな。けれどその手に一切の躊躇も慈悲もない。多腕より繰り出される卒塔婆が大きく群れを薙ぎ払えば、濁った悲鳴を上げて無数のバーゲストが地に叩き付けられた。
 悪知恵の働く個体か、或いは臆病な個体か。その猛攻に怯んだバーゲストの幾らかが後退りをしようとするのを百足が伸ばした注連縄が容赦無く縛り上げていく。
「逃しませんですよ、けだもの達」
「固よりコルヌの皆様をお守りするために来たのです。一匹たりとも通しませんわよ」
 妖精が齎すものは幸運のまじないばかりではないと、その身を躍らせたシルヴァの爪が縛り止められたバーゲストに深く深く捩じ込まれていく。
「本気の妖精は怖いですよ、きっと!」
 ひとならざるもののちからを目の当たりにした百足が飄々とそう告げるのを最後に、群れの一角は永遠の沈黙を齎された。

トゥルエノ・トニトルス

●神解け
 手にした旅路の祝福を、夜明け色の輝石を鬣へ飾り。本来の姿を取ったトゥルエノ・トニトルス (coup de foudre・h06535)は軽やかに蹄で地を蹴った。
 黒き毛並みを持つ麒麟の脚が草木を傷付けることはない。燦々と降り注ぐひかりを受けながら、トゥルエノは澄んだ空気に包まれた森の中を駆けていく。このうつくしい景色を荒らそうとする存在があることは心中複雑ではあるが、それを打ち砕くことこそ本来の目的。程なくして貪欲なる黒き群れがこちらへ向かって来ることを認めれば、雷光を纏ったその身で以ってバーゲストの群れの前へと立ちはだかって行く手を封じる。
「血に飢えた獣は此の場にそぐわぬ」
 お帰り願おうかと告げるその声に応じるものは居ない。
 であれば力を示す他あるまいと、うつくしき雷獣は宙へと高く嘶いた。

「煌めく冠。疾くと御照覧あれ」
 トゥルエノの影より伸びた黒雲は瞬きのうちに周囲を埋め尽くし、共に厳冬を連れて来るのに異常を覚えたものはその場にあっただろうか。雷が如く繰り出された枝角の一撃が群れを貫けば、僅か怯んだバーゲストが襲い来る脅威に牙を立てんと狂ったように飛び掛かるのを、トゥルエノは広がる黒雲の合間を飛び移りながらいなしていく。
 踊るように身を翻すその姿を捕らえるには至れない。追い掛けるばかりでその周囲にまで気を配れるほどの理性もない。何時の間にか群れを大きく包囲する無数の気象砲台の――銀の眼が全てを睨めつくさんとしていることにも、気付けない。
「避けるだけが能ではないぞ」
 ばちん、と光が大きく弾けた。
 一斉に砲門を開いた気象兵器から放たれた粒子が雨となってバーゲストの群れを撃ち抜いていく。全身に生えた穢れた角を灼く光はさながら避雷針のよう。
 群れを弾圧する雷光の中心で、最後まで立っていたのはトゥルエノただひとりだけだった。

楊・雪花
クラウス・イーザリー

●霜の声
 あの優しい竜たちが獣たちに蹂躙されるのは嫌だ。
 ただのひとりも失わせるわけにはいかない。この先に待つ脅威も、今目前に広がる飢えた獣の群れも、何もかも。コルヌの竜たちの元へひとりとて向かわせる訳にはいかないと、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は首に掛けたペンダントの微かな温もりを確かめて武器を構えた。
「……ッ、バーゲストの群れ……!」
 その程近くで、同じくして群れに立ち向かおうとしていた楊・雪花(雪月花❄️・h06053)は理性なき獣の姿を目の当たりにして僅かに眉を寄せた。
 戦うことなんて自分に出来るだろうか。
 何も思い出せない、ちっぽけなひとのかたちに――。
「(ううん)」
 雪花の脳裏に、くしゃりとわらった幼い竜の面影が浮かぶ。
 ちいさな手で選んでくれたこの髪飾りも、『きれいね』とやわらかな頬をあかく染めながら笑ってくれたあの子のことも。守らなければ、戦わなければ、その全てが喪われてしまう。
「きっと何とかなるはず……いいえ。なんとかしてみせますとも!」
 顔を上げた雪花の双眸に、もう、迷いの色はなかった。

 駆け出した雪花を同業者だと理解したクラウスの次ぐ判断は迅速なものだった。
「右翼に気を付けて。強化された個体は俺が」
 友から譲り受けたそれはこの身によく馴染む。展開された決戦気象兵器は勇んで突出したものから、射程に捉えた瞬間から光の軌跡を描いて足元から跳ね返るように黒き獣を貫いていく。雪花に飛び掛かろうと跳躍するものがあれば、低く狙いを定めたライフル銃の弾道がひとつ、またひとつとバーゲストを撃ち抜きそれ以上の猛攻を許さない。
「(この森をあまり傷付けたくはない。迅速に終わらせたいところだけれど)」
 彼女の方はどうだろうか。戸惑いながら駆けるその姿は戦い慣れていないように見えて、下がっていた方が良いのではないかと口にしそうになるけれど。蹂躙せんとする牙を、爪を躱すその身のこなしは軽やかで、まるきり戦えないものの動きではない。であれば心配するのは無粋かと、クラウスは各個撃破に徹しライフル銃を構え直す。
「ありがとうございます!」
 自分の背を押してくれる仲間の存在があるのだと知れば、雪花も知らず勇気が胸の奥底から湧いて来るようだった。
 守りたい。守らなきゃ。
 今の自分に出来ることなんて、ちっぽけなものかもしれない。それでも。
「……落ちておいで」
 手を翳す。虚空へと祈る。
 そらがひととき、静寂を連れて凍り付いていく。
 大気が、雲が。やがて全てが冬に満たされ――幾百もの氷槍となってバーゲストの群れへと一斉に降り注いだ。

白水・縁珠
シルフィカ・フィリアーヌ

●破蕾
 はじまりの祝祭を楽しむ人々が異変に気付かぬよう。彼らの日々が平穏なままであれるよう。自分たちの手ですべてを終わらせなくてはと、シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)は人知れずその身を輝石の森の奥深くへと溶かしていった。
「……それにしても、本当に綺麗ね」
 木々も、花々も。何もかもが輝石の輝きを宿した森はうつくしい光に満ちていた。魔物さえ迷い込まなければこの風景をずっと楽しんでいたいくらいだと、シルフィカは胸いっぱいに澄んだ空気を満たして双眸を細める。
 いのちに満ちたこの森の中で小動物の気配が感じられないのは、地を叩く獣の気配に怯えてか。
「(美しいこの森に魔物の臭いなんて似合わないわ)」
 角に飾られた輝石が力を、勇気を分け与えてくれるから、恐ろしいものなんて何ひとつない。
「どうか、力を貸してちょうだいね」
 淡く綻ぶ少女の願いに応じるように、輝石の中心がなないろにきらりと煌めいた。

「(商売上手な女子だったな……私も、負けてられない)」
 さくさくと道なき道を歩きながら、白水・縁珠(デイドリーム・h00992)は先ほどまで言葉を交わしていた竜の兄妹のすがたを思い浮かべていた。
 この間出会ったちいさなあの子も弟のようで可愛かったけれど。
「……おにーちゃん、も良いな」
 愛情を以って育ててくれた祖父母に何の不満もないけれど。ちょっぴりの憧れを抱いてしまうのは、きっとおかしなことではなくて――それだけ彼らがしあわせそうに見えたから。
 なんて、『もしも』への想像を巡らせていた縁珠の耳にざわざわと騒がしく森の枝葉が揺れる声が届く。近付く死の気配に、全てを無遠慮に踏み躙るその足音に。不意に、竜の少女の言葉が過る。
『一度目のいのちが大地に還るときに、いままでの旅路でできたすべてのえにしに感謝をするの』
 もし。もしも――あの獣たちと出会っても、竜の兄妹は縁と受け入れるのだろうか。今はまだ懐の中に収めているちいさな蕾から伝わる温もりに、ううん、と縁珠はかぶりを振って否を唱えて見せる。
「出会わなければ、そんなの杞憂よね。……ね、蕾ちゃん」
 たとえ縁のひとつであったとしても、それを宿命だと決めるにはあまりに残酷だ。
 悲劇を打ち砕くために、道を切り拓くために自分はここに居る。道は決まったと頷けば、縁珠は急ぎ足音のする方へと駆け出すのだった。

 円舞曲がはじまりを告げる。
 カーテシーのその後に放たれた銃声は木霊となって森の中に幾重にも響き渡った。
「綺麗な花を、咲かせましょう」
 シルフィカが解き放った煌花の種は宙空でぱきりと割れ、瞬きのうちに花開いては光の弾道となって黒き群れを穿ち貫いて行く。『ギャン!』と濁った悲鳴が即座に遮られたのは、その身体を周囲の木々から伸びた荊が強く強く掻き抱いたが故の。
「……精霊さんたち、よろしくね」
「まあ。……ふふ、」
 それが|縁珠《仲間》からの援護であると気付けば、満ち満ちて背を伸ばす宿り木の守りに背を押されるようにシルフィカの銃撃はその勢いを増して行く。翠緑の弾丸と重なり、枝葉が伸び行くように描かれた煌花の軌跡はバーゲストの穢れた分厚い毛皮を撃ち抜いて、弱った個体から確実にその数を減らして行く。
 血に飢えた牙が、穢れた爪が襲い来るのを吸い上げた生命力で伸ばした宿り木がその悉くを弾き返す。縁珠が齎す翠の守護は紫花の影を覆い、瞬きのうちにシルフィカの姿を森の景色へと同化させバーゲストの目を欺いて。匂いはすれども見えぬその姿を探すように惑う黒犬たちを纏めて蔓薔薇の棘で捕らえ、縁珠は即座に精霊銃を構え直した。
「捕まえたなら、離さないよ……今度はこっちの番だね」
「ええ。本命はこの先にいるのだもの」
 ここで足止めを喰らう訳には行かないと。
 少女たちが放った銃撃が重なったあとには、あまい花の香りだけが残されていた。

祭那・ラムネ

●碧霄に続け
 大切な輝石を、彼らの生きた軌跡を預かった。
 だから傷付かないように。首に下げて服の下に大事に仕舞おうと、過ったのは嘘偽りのない本心だったけれど、でも――このキセキを遺した竜は、天の名を持つ竜は誰よりそらを愛したのだと聞いた。そうであるならばと、祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)は一瞬の瞑目ののちに緩々とかぶりを振ると譲り受けたさいわいを緩く腕に巻き付けた。
「(……そらが見えないのはきっと悲しいし、つまらないだろうし……さみしいかもしれないから)」
 そらの石は陽光を受けたからか、それとも心に応じてくれたのか。きらりと光を反射して輝くのと共に、ちからを、勇気を分け与えてくれるような心地がして――それがどうしてか酷く嬉しくて、ラムネの双眸が眩しげに細まった。

 不意に枝葉の騒めきに乗って、風が死のにおいを運んでくる。
 しじまの森の中を踏み荒らす幾つもの獣の足音に青い夏を構えれば、遠く視線の先に黒き群れが迫っていることを見止め、ラムネはそのかんばせに犬の面を被せて低く迎撃する構えを取った。
『あんたの旅路にさいわいあれ、ってね』
『にぃちゃ、いってらっしゃい!』『またね!』
 今もまだ、彼らの笑顔が脳裏に焼き付いている。
 名も知らぬ旅人に先祖の生きたしるしを快く託し、手を振ってくれたコルヌの竜たち。まだ角も生え切っていないちいさな子どもたちにも、彼らに手を焼く父親にも。触れさせはしない。彼らがこの理性なき獣たちに怯えることすらあってはならない。
「あの人たちの元には行かせねえよ」
 生きるために喰らう獣の性を咎めるつもりはないけれど、自分にも護るべきものがある。背負ったいのちの、願いの数だけ強く在れる。
「(……はは。何か、大事なこと忘れてたな)」
 『ヒーロー』とはきっと、そういうものだ。
 強く地を蹴ったラムネの脚に、そらが、味方をしてくれている気がした。

 ――オォオ――……ン……。

 遠く、遠く。バーゲストが吠え猛る。
 けれど、より多くの仲間の声を集めんとするその遠吠えに応じるものは最早ない。場所を隔てたその先で、仲間たちがこの黒き穢れに立ち向かっているのをラムネは肌で、耳で感じ取っていた。
 だからこそ取り逃がしてはならない。一匹たりともこの先へと進ませてはならないと、出来得る限り大きな動きで以ってバーゲストたちの注意を引くべくラムネは黒き群れを相手取る。
「(……いつもより体が軽い)」
 地を蹴る足も、武器を持つ腕も。何もかもの重さを感じられない。
 まるで空を泳いでいるようだ。いや、実際に飛べてしまっているのかもしれないと、迫り来る牙を、赤黒い穢れを纏う角を蹴撃で押しやりながらラムネは薄く笑みを浮かべた。
 負ける気がしなかった。
 だから、何時も以上に無茶だって出来る。
 僅か無防備な様を見せたのは自らを囮にする為。我先にと齧り付いてくる牙が、引き裂かんとする爪がラムネの身体に突き立てられるけれど構うことはない。それこそが狙いなのだと、知恵なき獣が気付くことなどありはしない。
「捕まえ、た」
 歯の隙間から鮮血が溢れるのを構わず、食い縛って痛みをやり過ごす。
 消え掛けた燈に、そらの輝石がひかりを注いで――ばちんと音を立てて、夏が、咲いた。
 箒星の軌跡を描いて、星の光を抱いたバールの一撃が一際大きなバーゲストの頭蓋を全霊の力で以って打ち砕く。あぶくが弾ける音と共に急速に癒えて行く傷が、ラムネの勢いを後押ししてくれる。
「……カエルムさんの大事なもの、絶対奪わせない」
 今や天は共にある。
 群れの頭目を失い混乱するバーゲストたちをひとつ残らず打ち祓い、ラムネはこの森の奥に佇む更なる脅威のもとへと急ぎ駆け出した。

第3章 ボス戦 『喰竜教団教祖『ドラゴンストーカー』』


●幽明境
 おんなが憂う。
 おんなが嗤う。

「嗚呼。何故――何故、立ちはだかるのでしょう」
 ぶつりと音を立てたのは、おんなの脚を無理矢理に繋ぎ止める針金のものであった。
 理解できないとばかりに嘆いて見せるおんなの手にあったのは、千切れた竜の肉であった。
「わたくしどもはただ、ドラゴンプロトコルの皆様を救いたいだけですのに」
 √能力者たる己とひとつになれば。不死を得れば。終わりなき生のその果てに、彼らは輝かしき|真竜《トゥルードラゴン》の力を取り戻せるに違いないのだと、黒い紅を引いた唇に狂気の笑みを湛えておんなは宣う。尚も問う。『何故、わたくしどもの前に立ちはだかるのでしょう』と。
「目の前の些細な死を恐れることなど浅はかなこと。崇高なるドラゴンプロトコルの皆様の前で、死は、生は永遠なるもの」

 おんなは憂う。
 おんなは嗤う。
 
「|コルヌの竜《哀れなる貴方様》も、また同じこと。その生涯のうちに輝石の力を発揮出来ぬのは、貴方様がたが秘められた力の全てを忘れてしまっているから……嗚呼、なんとおいたわしいこと……!」

 だから。
 わたくしがすべてを殺し。
 その力を確かなものとして目覚めさせて差し上げるのです。

 おんなの瞳に正気のいろはない。
 いや。最早その両目とて、とうにおんな自身のものではない。 
「邪魔立てするのであれば。|コルヌの竜《哀れなる貴方様》の御前にて――疾く、その儚き命を散らして差し上げましょう」
 全ては|真竜《トゥルードラゴン》の御為に。
 恍惚と陶酔のいろを浮かべたおんなが、√能力者たちの眼前へと継ぎ接ぎの引き攣れる音を立てながら身を躍らせた。
クラウス・イーザリー
ベル・スローネ

●黒暗を裂く
「何故、はこっちの台詞だよ」
 手前勝手の殺しにどうして否を唱えるものが居ないなどと思うのか。
 一方的な|博愛《虐殺》をうたう狂気を目前にしてクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は僅か眉を顰めておんなを見据えた。
「(……なんてことを言っても、こいつには届かないんだろうな)」
 自らの肉が残らぬほどに罪を重ね、狂信に支配されたおんなはとうに戻れない所まで踏み込んでいる。であれば自分に出来ることはこの凶行を阻止することだと、クラウスは使い込まれたスナイパーライフルの照準を定めた。

「君たちの言う教えは何時だってそうだ」
 崇高なる人々が生きる今を、生み出してきたものを、連綿と受け継がれるものを。すべて、すべてを切り捨てて我がものにせんと喰らい散らかそうとする。
 結局は何もかもを自分の好みに作り替えたいだけ。
 誰かのためと宣いながら、己の事しか考えられない。そんな傲慢を許してなるものかと、ベル・スローネ(虹の彼方へ・h06236)は後方で銃を構えるクラウスの姿を見止め、なれば自分はその間合いを詰めさせまいと歪な翼を広げて迫るおんなの前に立ちはだかるように騎槍を両手で深く構え直す。

 すべてを断たんとする禍々しい大剣は盾で受ける方が危険を孕むか。であれば。
「絶対に君の好きにはさせないよ!」
「まあ、勇ましいこと。人の子風情がよく吠える!」
 斬撃は然してベルを切断するには至らない。刀身を打つように、槍を鈍器が如く振るったベルの一撃におんなは目を眇めて手首を返そうとするけれど。光学迷彩を用いて木々に身を溶け込ませたクラウスの狙撃が脚を貫く方が僅かに早い。
「コルヌの竜達は殺させない」
 ごきりと。射創から血を滴らせたおんなが、本来あり得ぬほどの角度に首を捻ってクラウスを見る。いや。正確には銃撃があった方向を睨め付けたのか。何方にせよおんなの顔を彩るのは、未だ笑みのかたちであった。
「ひとつ、ふたつ……ああ。なんて羽虫の多いこと」
 髪を振り乱して煩わしげに吐き捨てるのを間近で見ていたベルとてこの場を譲るつもりはない。真正面から受け止めることはせず、切り結ぶが如く打ち合いに縺れ込めば相手を焦れさせることが叶う筈で。
「――うわっ!」
 最中、ベルの体制が崩れたかのように見えた。
 おんなの剛腕から繰り出される一撃がちいさな体を弾き飛ばし、次ぐ一撃がその胴を両断せんとした、その瞬間であった。
「きゃっ、」
 声だけはか弱いおんなのそれであったろうか。眩いばかりのそれは、ベルの背負う大盾の宝玉より齎された閃光。刹那周囲を満たした強い光はおんなの目をひととき灼いて、その剣戟を鈍らせる。おんなが体制を揺らがせるのを、ベルもクラウスも決して見逃しはしない。
「今だよ! ……まとめて、撃ち落とす!」
 ありったけのちからを込めた魔力弾が、光弾が、炎の矢となりおんなを穿つ。
「(……あの優しいひと達が、こんな狂人に殺される未来は許せない)」
 胸に提げた仄かな温もりを感じながら強く思う。これほどの狂気を、盲信を。彼らに決して向けさせてはならないと、クラウスは直ぐ様光の弾倉を銃身へと番え直した。

楊・雪花
シルフィカ・フィリアーヌ

●花に嵐
「嗚呼……嗚呼、なんてこと……!」
 陶酔に目を細めたおんなの先に、ふたりの少女が立っていた。
 可憐なる竜の少女たち。いまはひとの身に甘んじるその姿は、おんなにとっていじらしくいとおしい、狂おしいほどに|守りたい《殺したい》存在であったに違いない。
「立ちはだかる理由なんて考えるまでもないでしょう」
 シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)は花のかんばせに拒絶のいろを敷いてドラゴンストーカーをきつく見据えた。
 その悍ましい身体に継ぎ接ぎにされてしまった誰かを救えなかったことがただ悔しい。だからこそ、これ以上誰も奪われることがないように。
「……あなたが目障りだから。ただそれだけよ」
 この場で止める。たとえこのおんなが何度蘇ろうとも倒してみせる。
 シルフィカの確かな決意と同様に、もうひとりの竜の少女――楊・雪花(雪月花❄️・h06053)もまた、おんなを真正面から見詰めていた。
「私もドラゴンプロトコルです。ですが……貴女の言うようなことは何一つ望んでなんかいませんよ?」
 多くは望んではいない。友と語り合い、笑い合い。たくさんの『はじめまして』に満たされたこの世界で、大好きな甘いものを頬張って。毎日を楽しく穏やかに過ごすことが出来たなら、それでいい。
「|真竜《トゥルードラゴン》の為にコルヌの竜や他の√能力者さん達を傷付けるなんて許せません!」
 動機こそ違えど目的はひとつ。少女たちは視線を交わして頷き合う。
 そんなふたりの|ドラゴンプロトコル《哀れなる竜》の言葉に、狂気に支配された女は大袈裟にかぶりを振って憐れみの言葉を口にした。
「お可哀想に。貴女様がたは忘れてしまっているだけなのです」
 輝かしき栄光も、穢れなき|真竜《トゥルードラゴン》のその姿も、何もかもを。
 数え切れぬほどの死の果てに、貴女様がたは屹度思い出すでしょう。
「ええ。ええ、ですから、わたくしと」
 ひとつに。
 なりましょう?
 うっとりと瞳を蕩かすおんなの様を見て、少女たちはそこに対話の余地がないと否応にも理解する。
「丁重にお断りするわ。……あなたにわたしは救えない。あなたの願いを、わたしは否定するわ」
 込み上げる怒りを抑え込み、シルフィカは花蕾の銃を構えそれ以上の接近は許さぬとばかりにおんなの足元へ雷霆の弾丸を撃ち出した。空気が割れる音を立てて広がる雷鳴に背を押されるように、雪花もまた己のうちに秘められた竜のちからを呼び覚ます。
「そんなに竜の力をお望みなら……この力を使います……!」
 輝石の森の枝葉が揺れる。凍り付いていく空気に呼応するように、その生命力を出づる竜の少女へと注いでいく。
「なんて……。……なんて素晴らしいの……!」
 変じて行くその姿に、目前に現れた荘厳なる竜の姿に、ドラゴンストーカーの声が歓喜に震えた。

 ――欲しい。欲しい。救って差し上げなければ。今直ぐに――!

 木々を、シルフィカを守るように真の姿を目覚めさせたうつくしき白銀の竜。氷花を纏うその姿を取り込まんと大剣を振り上げながら迫り来るおんなを押し留めるは、シルフィカが撃ち放った稲光の嵐であった。
 命は終わりがあるからこそ美しい。
 コルヌの人々がその生きた証を輝石として遺すように、巡り、廻り――繋いでいくことこそ、正しき形に違いない。
「……あなたにはきっと、死んでも理解なんて出来ないでしょうけど」
 花が散るかの如く弾けた雷がおんなの目を灼き、雪花を後押しする力となる。転身した氷雪の化身が、全てを静寂に帰す冷気を解き放つ。
『妾の同胞達を傷付けたこと、万死に値する!』
 その命の終にて悔い改めよ。 
 刹那、凍て付く氷の息吹がおんなの全てを多い尽くした。

四百目・百足
シルヴァ・ベル

●百穴の百目鬼
「クァハ! 邪悪に笑う人外は俺一人で十分!」
 尖った歯を軋ませながら歪に笑みを形作る四百目・百足(回天曲幵・h02593)は、正しく『紛い物』のおんなよりも邪悪であったのだろう。けれど――数多の怪異がそうであるように、百足の齎す災厄にも作法がある。
「俺は罪無き者には優しいのです」
 善を喰らう趣味はない。ましてやコルヌの竜たちからは既に|供物《輝石》まで捧げられている。そんな者達を巻き込むなど言語道断であると、異形は笑う。
「やはりあの心優しいかたがたを手にかけると言うのですね」
 ひらりと宙を舞うシルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)もまた、その胸に義憤の炎を宿していた。
 女子どもさえ構わず殺す。殺してきた。その身を罪と禍で染め上げて、今なお盲信の果てに血を流さんとするその兇行を決して許す訳にはいかない。
「そんなことはさせません。……百足様、先方はお任せいたします」
「ええ、ええ! シルヴァ。お任せあれ!」
 風に紛れ、散る葉の煌めきにその翅を隠し、シルヴァが光の中に溶けて行くのを認めて百足が嗤う。
「懲らしめてやるですよ。さあ、」
 お戯れといたしましょう。

 ひい、ふう、み。
 百足に宿るすべての『目』が、狂ったおんなを、視る。

 それは霊震。四百の目が齎す霊能震動波はおんなの脳を揺らし、ぐらりとその身が大きく傾いだ。
「な、んて。悍ましい。なんて穢らわしいこと……!」
「クァハハハ! その言葉、そっくりそのままお返しいたしますですよ!」
 直接脳を鷲掴みにされたかのような霊障に、定まらぬ焦点がぐりんと天を仰ぐ。ぶちり、ぶつりと音を立てながらおんなの脚が竜のそれへと変じて何とか地に足を留めようとするけれど、それを待ってやる義理などありはしない。
「嗚呼、脳震盪になってしまいますね、お可哀想に! 止めて差し上げましょう!」
 お手伝いして差し上げますと。言葉ばかりは親切なものであったのかもしれないけれど、一気に距離を詰めた百足が伸ばした四つの腕は容赦無くおんなの腕を、脚を鷲掴みにして動きを阻む。
「放し、なさい。この、澱みが……ッ!」
 互いに尋常ならざる剛腕に違いなかった。
 けれど、脳を揺さぶられたままのおんなと百足では力比べも勝負にならない。完全にドラゴンストーカーの自由を奪った百足は、にい、と唇を歪めてそれまで気配を消していたちいさな妖精の名を口にする。
「シルヴァ、貴方の他の姿も是非是非お披露目していただきたく!」
「まあ、鮮やかな手際。まるで磔刑のようですわ」
 重ねてきた罪にはお似合いね、と。葉擦れの音に混じってくすくすと笑う声が風に揺れる。枝葉の輝きにその身を隠していたシルヴァの姿はおんなの背後にあった。
「そうそう、磔刑! まさにその通り! ドカーンと! やっちゃってくだしあ」
 名を呼ばれた小妖精が形作るのは首のない騎士の姿。百足が仰ぐ程の黒馬の嘶きが響き渡るのに、おんなが振り返れどももう遅い。
「さながら、断罪!」
「止めなさい! 止め――、」
 地鳴りと共に走り出した黒馬を止められる者などありはしない。
 十分な助走を乗せた斧槍の重い一撃が、おんなの胴を深く深く貫いた。

「……ほんとうに独善的な主張だわ。わたくしも過ぎたお節介には気を付けましょう」
「ふうむ。相手が喜んでいればお節介も『素敵なお世話』なのでは?」

薄羽・ヒバリ
野分・時雨

●風切
 黒犬の残党を一手に引き受けてくれた仲間に背を押され、野分・時雨(初嵐・h00536)は薄羽・ヒバリ(alauda・h00458)と共に軽やかに森の中を駆けて行く。
 『レディのエスコートは時雨さんにお任せします!』なんて言葉を受けたのはついほんの少し前のこと。お任せあれと駆け出す時雨に手を引かれながら、ヒバリはそのやりとりの気易さに思わず吹き出してしまった。――異性からの強引なエスコートは容赦無く手を振り払うようにママから言われてるけれど。
「ママさんの教えは素敵ですが、特例許して!」
「ふふっ。時雨さんとは利害一致のビジネスだからおけ!」

 そうして、至る。
 腹部からどす黒い血を滴らせながら、憎悪の炎をその瞳に宿してこちらを見据えるおんなの元へ。
「次から次へと煩わしいこと。まるで血肉に湧く蛆のよう」
 吐き捨てるように呟く声には確かな苛立ちが滲んでいた。それは仲間達がこれなるドラゴンストーカーと相対し齎した成果に他ならない。
「どの口が言えたことか。やれ、無理に救おうとするならば押し付けでしょうに」
 蛆はそちら、と時雨が笑う。
 勝手に悦に浸っている彼女には悪いけれど、現実を見て貰わなければ。
「推し活で|推し《竜》に触れようだなんて論外っ!」
 しあわせを願い、その煌めきを陰ながら応援することこそ推し活の本懐。無闇矢鱈に触ろうなんて、ましてや傷付けて、あまつさえ殺してしまうなんて。そんなのそんなの、絶対許せないし認めない。彼らの生きた証を、決して穢させはしない。
「その通り! ――ではヒバリちゃん、いってらっしゃいませ」
「へっ? ちょっと〜、私!?」
 てっきり飛び出すかと思った時雨がにこりと微笑む。印を組み、金剛杭を虚空より生み出す彼の本意は即ち『趣向を変えてみましょう』と云うお誘いに他ならない。
「……しょーがない! 本気、見せちゃうんだからねっ」
 微かな電子音と共に算出されたコードは『Smash』。Enterの指示を受けて一斉に展開されたレギオンの弾幕が異形のおんなを襲うのを、咄嗟に広げられた竜の翼が受け止める。おんながそうして竜翼を、竜の部位を硬化させることに集中すれば、防御に徹している間はそれ以上の進撃を許すことはない。
「小賢しい、穢らわしい! わたくしの愛を、崇高なる誓いを、何故阻むの!」
「何故もなにも……わお、正気ではないおめめ。いや、それさえ既に貴女のおめめではないと!」
 では、誰のものなのか。
 どれほどの罪を重ね、どれほどの死をその身に縫い留めたのか。
 確かめさせて貰いましょうかね、と。躍る杭がおんなの目を狙うのに惑わされ、振り翳した大剣はヒバリを捉えるには至らない。
「ほら。風を切る音、聞こえます?」
 霊的防護を敷いた時雨の金剛杭はヒバリを守り、宙空へと配置された幾重ものそれはヒバリにとって盾になると同時にもうひとつの足掛かりとなる。
 未だ悟るに至らぬか。
 妄執に囚われたおんなの目には、時雨の杭しか映らない。映せない。
「空を駆ける鳥のお迎えでございますよ!」
「――目標補足。決めるよ!」
 伸ばされたリンケージワイヤーが杭に絡み付き、地を蹴るヒバリの身体を支えて大きな軸となり――遠心力を用いて勢いを増した回し蹴りが、お気に入りのパンプスの先端に仕込んだ刃が、おんなのこめかみを強く強く打ち据えた。
「ぁ、が……ッ!」
 草葉は柔くヒバリの足を受け止める。
 軽やかに着地した少女は、ぱちん、と片目を瞑っていちばんの見せ場に仲間を仰いで笑って見せた。
「ありがと、時雨さん! この|杭《止まり木》ちょーイケてましたっ」

鴛海・ラズリ
八卜・邏傳

●極光
 背にした|ひと《竜》を守るように両腕を広げた鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)は目前の悍ましいおんなを精一杯きつく睨んでそれ以上の接近を強く拒む。雑に切って縫合した悪趣味の紛い物。仕立て屋としても見過ごせないし、何より彼女の妄信する竜である八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)には絶対に近付かせたくない。
「は〜い♡ あなたの大好きなドラゴンちゃんよ」
 ひらひらと手を振る邏傳の口調こそ軽いものだけれど、翠の双眸は笑っていない。心優しいコルヌの竜を狙うだなんて有り得ないし、その身体が今日に至るまでどれほどの竜を殺めてきたのかを考えるだけで不愉快だった。
「そこをお退きなさい、仔兎」
「いやよ、だめ」
 ぶちり、ぶちりと音を立てて継ぎ接ぎの腕が、皮膚が煮え滾るかの如く腫れ上がり歪に喰ろうた竜のそれと化して行く。邪魔立てするならば容赦無くその柔い白を引き裂こうと云うのであろうことを伝えてくるけれど、ラズリは決して怯むことはない。
「ラズリちゃん……! 頼もし♡」
 言葉に嘘はない。本当に頼もしいと思っているけれど――だからこそ、守られるだけでは居られない。胸は決まった。であればと邏傳はラズリの隣へ並び立ち、彼女は決して一人ではないのだと笑い掛ける。
「裁縫得意なら、可愛えの作りゃあええのに。|仕立て屋さん《ラズリちゃん》、どう思う?」
「そう、かわいいのを作るべき……! なの!」
 コルヌが遺す輝石は尊いもの。ドラゴンたちは決しておんなの玩具ではないのだと。ラズリが唱えればおんなはまるで憐れむかのように少女を見下ろした。
「わたくしどもの崇高な願いを、祈りを。低俗なる貴女は理解し得ないと仰るのね。お可哀想に……彼らは、そして貴方様は。死を以ってわたくしどもと永遠となるのです……!」
 そこに正気のいろはない。それこそが揺るがぬ唯一の真実だと宣うおんなに、邏傳は緩とかぶりを振って否を唱える。
「ラズリちゃん。今から可愛うない姿なるけどドン引かないで」
 色彩が揺らぐ。それが周囲の温度が急激に引き上げられて行く為のものであると、誰が知っただろうか。それでもおそろしいことはありはしないとラズリが頷けば、邏傳は目を細めてその姿を変じさせて行く。どうか手綱をきみが握っていてと願えば、当たり前のように是が返ってくることがただ嬉しかった。
「わあ……! 邏傳の竜の姿、初めて」
 どんな姿でも貴方はあなた。
 格好良くて可愛いやさしいひと。
 姿かたちが変わったとてなにも違いはありはしないのだと。眸のいろを見つめ、そっと鱗に覆われた背に触れれば、グル、と真竜の姿を取った邏傳の喉が大きく鳴った。
「俺の背に乗って。大丈夫」
 |この身体《可愛くない姿》は少しばかり冷静さに欠けている。自分一人であれば構うことなどないけれど――今回ばかりは無様を曝け出す訳には行かない。
「俺が堕ちても落としゃあせんよ」
「連れて行って、邏傳。私も絶対離さないの」
 大いなる翼が宙を打つ。ラズリを乗せた真竜は、一気に空へと駆け上がる。
「さ、近づくよ。一緒に行こー!」
「うん。一緒に……!」
 その歪な爪で触れることさえ許しはしない。編み上げた瑠璃氷花の魔力は星屑の煌めきを纏って驟雨となる。ラズリの祈りに依って輝きを増す幾重もの星々は刃となっておんなの頭上へと降り注ぐ。
「悪いおねえさんはお仕置きなのよ!」
「俺達のお仕置き召し上がれ☆ 不快ちゃん?」
 焦がれるならばお望み通り。この焔で以って焦がしてやろう。
 極彩が光となって、星の雨を纏いておんなを襲う。悪しきもののみを灼き尽くす獄炎が、ドラゴンストーカーを容赦無く浚って行った。

緇・カナト
廻里・りり
葛木・萩利

●心魂
 時折夢を見る。
 葛木・萩利(ぬくもりなき手・h03140)が|形成される《蘇生される》までに至った、元となった人々の死の記憶を。
 嘗ては戦場で戦った彼らのように、襲い来る死を承知の上でその道を駆けたのであればまだ理解は出来る。けれど、目前に立つおんなはそうではない。戦いを知らぬ者たちへあのような死を齎し全てを奪うことは決して赦すことなど出来はしなかった。
「継ぎ接ぎ他者を取り入れたところで、狂気の沙汰にしか思えんなァ」
 似類補類か同物同治か。あくまでそれは治療に於ける考え方の一種であり、無理矢理他者の肉を、骨を継いだ所で良きようにことが運ぶわけもないと、緇・カナト(hellhound・h02325)は肩を竦めながら手斧をくるくると弄ぶ。この地で生きるコルヌの民に手出しをさせる訳にもいくまいと息を吐けば、むっと眉を寄せていた廻里・りり(綴・h01760)も同意を込めておんなを強く見据えた。
「そのひとが望まない、あなたの勝手な理想を押し付けていのちを奪うだなんてもってのほかです」
「ふ。ふふ。であれば、どうなさるおつもりで?」
 口内に溜まった血を吐き捨てておんなが嗤う。それはまるで、多対一であっても『竜でないもの』に遅れを取るまいと物語っているかのようだった。
 コルヌの祭りはあたたかで素敵なものだった。
 あの笑顔を翳らせることなど許しはしない。彼らが何も知らぬまま、怯えることなく笑ったままでいられるように。
「あなたを行かせるわけにはいきません」
「そうそ。此処で朽ち果てて逝っておくれよゥ」
 カナトの足元から伸びる影がざわりと揺れる。
 呼応するように木々がざわめくのに連れて、三人はそれぞれの武器を構え直した。

 60秒。
 萩利が仲間たちへ望んだ時間を繋ぐべく、カナトが、りりが動き出す。
「綴られし記銘を遂行せよ、と――……蛇も竜も大体似たような雰囲気してない?」
 添う影。闇がり。それらは形を成して蛇と成る。おんなへ喰らいつかんとするそれを幾ら禍つ大剣で薙ごうとも、光が絶えぬ限りカナトの猛攻が止まることはない。
「まぁ影業とはいえオレの所有物を喰わせたりはさせないケドも」
 振り上げられた大剣が共に前線で戦う萩利に届かぬよう、抜き放つ精霊銃の雷霆が弾けばおんなの唇が歪に歪む。
「お生憎様。わたくし、穢れには興味がありませんの」
「はは、どの口が!」
 それは常の軽口であったのか、それとも本心からのものであったのか。何方にしてもカナトがおんなの注意を引いてくれているから、萩利は防戦に徹しながらも力を貯めることに集中出来る。りりも、後方で術を編み上げることが叶う。トン、とまるい靴の爪先が草葉を叩けば、りりの手にしたキャンディ・ポットが夕映えの輝きと共に逢魔が時の夢を解き放つ。
「……な、に? これは、」
 黄昏の砂糖菓子が広げるは永梦。見る者の境界を揺らがせる、あまい、あまいゆめのいろ。
「今日はいっぱい持ってきたので、いくらでもおかわりあげちゃいますね」
 これは手向け。ドラゴンストーカーによって奪われたいのちに向けた、夢を紡ぐ薔薇の花束。幻影のいばらに捕らわれたおんなの大剣を、僅か力が緩んだ瞬間にカナトの手斧が大きく弾き飛ばす。
「あは。世界蛇にさえ目的阻まれるのはどんな気分?」
「萩利さん、いまです!」
 黒妖犬の牙が、黒蛇の毒が、おんなを追い詰めて行く。りりが見せるゆめが紡ぎ切る60秒が、萩利へと攻撃の手を繋いで行く。

 その剣で殺したのか。
 その剣で刻んだのか。

 体の内に抱え決して表に出すことのない殲滅衝動を、すべて、すべて押し込んで。
 両の目を見開いた萩利が強く地を蹴り、おんなを捉える。
「――此は、そのために造られた」
 業を背負う覚悟も、命を我が物にする重さも、お前には決して足りはしない。
 萩利のすべてを乗せたザンリェの一撃が、おんなの胴に真正面から叩き付けられた。

誘七・赫桜
ララ・キルシュネーテ

●花篝
 迦楼羅の雛は可笑しげに笑う。
 それはコルヌの竜に向けられたあいに満ちたものではなく、憐憫の情を寄せたもの。
「お前、かわいそうね」
 真竜とは程遠い歪で哀れなその姿。いくら真なる竜を想おうと、なろうとしようとも。もがき、足掻くほどにかけ離れて行く。
 妄信の哀れな傀儡。所詮は道化に過ぎぬと、ララ・キルシュネーテ(白虹・h00189)の言葉に誘七・赫桜(春茜・h05864)も頷きおんなを仰いだ。
「君のそれは愛でも何でもない。ただの歪んだエゴにすぎない」
「ふふ。お可哀想なのはどちらかしら。わたくしどもの崇高な誓いを解さぬものに、掛ける愛はありませんわ」
 おんなは嗤う。尚も嗤う。
 全ては愛だと。気高く尊き彼らのほんとうの姿を取り戻すためだと。余りにも多くを殺めて尚、おんなはそれを愛だと信じて疑わない。その有り様に眉根を寄せながら赫桜はかぶりを振って、とうにおんなが『手遅れ』であることを確信する。
「……竜はどんな姿になろうとも誇りは忘れないものだよ」
 手にした輝石の輝きは、ちいさな姫君が選んでくれた唯一は。彼らが竜であった頃の誇りや祈りを確かに感じられる。だからこそ、その穢れなきいのちの証を踏み躙らせはしない。
「でも、狂うほどの信は実に愉快ね」
 強くおんなを見据える赫桜とは対照的に、くすりと微笑むララの瞳にはただ純粋な|愛《狂気》があった。

「気をつけることね、赫桜。あの子は竜が欲しいみたい」
 愛らしくもいとおしい竜の子たち。そんな愛し子を独り占めするなんて――悪い子。
 風のように駆けるララの傍で、赫桜は数度瞬き息を吐く。
「気をつけて欲しいのはララちゃんのほうだけれど……」
 強くて真っ直ぐなお姫様。彼女を守るためなら、ぼくは。
 いや、彼女は必ずしもそれを望むまい。喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、赫桜は神刀の鯉口を切りドラゴンストーカーへと肉薄する。
「おいで、屠桜」
 宿すは破魔と浄化の呪。繊細な見目からは考えられぬほどの力がおんなを薙ぎ払えば、僅かに揺らいだ体の軸を切り崩すかの如く金翅鳥の軌跡がおんなの大剣を握る腕へと迸った。
「可愛い竜はお前には勿体ないわ」
「……ッ、小憎らしいこと!」
 手首を返したおんながララを切断せんと禍つ刃を持ち上げるが、それを阻むのは甘やかなる彩雲だった。質量を伴わぬそれは刃を通さず、包み込むように受け止めたかと思えば次にはおんなの真正面に身を踊らせた赫桜の刃が眼前へと迫り来るのを受けきれず、ドラゴンストーカーの肩口から赤黒い血が噴き出し周囲を穢した。
「ぼくの刃は守るためにあるものだ」
 君に残った妄執ごと、斬り祓ってあげる。
 あまく、やわく。子に言い聞かせるかのような声音とは裏腹に、攻撃の手が緩まることはない。
「教えてあげる。お前はとうに、『終わって』いるの」
 お前の願いは叶うことはない。
 ああ、でも、けれど。それでも、存分にあいしてあげる。
「ぁ、ああ――!」
 迦楼羅の焔が舞い上がる。破魔の炎は穢れたおんなの血液ごとを燃し尽くし、その勢いを増して行く。
「ララは竜が好き。コルヌの竜達の欠片だって、お前にはあげない」
「ララちゃんの言う通り。竜達は君には勿体なさすぎる」
 輝石の葉がひとひら、はらりと落ちる。
 浄化の焔は決してその葉を灼くことはありはしなかった。

白水・縁珠
ベネディクト・ユベール
賀茂・和奏
祭那・ラムネ

●さいはて
 何故だなんて。
 きっと正論を返したところで彼女は聞く耳など持たないのだろう。
「(……それでも、意思表示が必要な時もある)」
 黄昏の世界で生きる、とっくの昔に希望を捨ててしまった人々にだって心からの言葉を乗せれば届くことがある。諦めなければ、見捨てなければ、救えるいのちが増えることを賀茂・和奏(火種喰い・h04310)は知っている。
 失われた竜たちのいのちは救えない。それでも。
「救いの押し売りは単なる欺瞞か暴論で。やり方が寧ろ、ドラゴンプロトコルさん達の誇りや尊厳を踏み躙っているからですよ」
 彼らの尊厳を、生きた証を守ることは出来る。『短命のものはこれだから』とせせら嗤うおんなを前にして、和奏は静かに冴え渡る霊刀を構え直す。
 恐れはない。
 犠牲になった竜たちの、輝石を託してくれた竜たちのために、この森を覆う悪しき闇を討ち祓うのみ。

「貴方の言う『救い』が、コルヌのひとたちの『救い』だとは限らない」
「まあ。……所詮ひと風情。崇高なるわたくしどもの祈りは理解できないのでしょうね」
 おんなは憂う。
 おんなは嗤う。
 祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)を見詰める瞳は然しておんなのほんとうのものではなく、それさえも手が届かなかった竜たちのかけらなのだと理解出来るからこそ許せない。
「彼らのすくいは、願いは、彼ら自身が決めるものだ」
 コルヌの竜たちの生き方を知った。
 一度の生が終わるとき――彼らにとってそれは祝福に満ちたものであり、新たなるはじまりの瞬間なのだと知っている。そんな彼らの眠りは何処までも安らかであればいい。理不尽に齎され、恐れと嘆きの中で迎える別離など決してあってはならない。だから。
「……だから、俺は貴方を止める」
 家族や友を喪うことで得られる救いなんて、そんなものはただ悲しいだけだから。

「身勝手だな。お前達喰竜教団の話を聞いた時、正直腸が煮えくり返るかと思ったよ」
 鋭い瞳に激情を乗せ、ベネディクト・ユベール(ドルイド・h00091)はおんなを強く睨んだ。
 勝手に憐れみ、勝手に不幸だと決め付けて。救うために殺すなど――竜人たちの為と宣いながら、自分たちの意思などまるで無視している。
「嗚呼……親愛なる貴方様も。わたくしとひとつになった皆様も。どうして、目先の怒りや恐れに捕らわれてしまうのでしょう。お可哀想に……それもすべて、その弱きひとの肉の檻に捕らわれているからこそのこと」
「……私たちはそんなにも可哀想か」
 ひとに堕とされ、力と記憶を失った私たちは、そんなにも哀れか。
 淡々と呟くベネディクトの足元の、周囲の草葉が、木々がざわめく。それに気付かぬおんなは尚も憂う。『ですから、わたくしが救って差し上げます』と。手にした竜の断片を己が傷を修復するかのように咀嚼するおんなの姿に、ベネディクトは己の中で何かがぶつりと切れるような感覚を何処か遠くのことのように感じていた。
「それを決めるのは、お前ではなかろう――!!」
 大気が震える。
 怒れる竜の咆哮が、森に響いた。

「……もう、アナタは止まれないんだね」
 ことばを交わせるのなら。話し合って、心を交わして、手を取り合うことだって出来るのに。自らの立てた唯一に心酔するおんなに白水・縁珠(デイドリーム・h00992)の声は届かない。止まらない。止まれない――だから。
「じゃあ、ぶつかるだけだ」
「勇ましいこと。矮小なるひと如きに、わたくしどもが止められるとでも?」
 背筋がびりびりする。つめたい、嫌な、変な汗が滲んでくる。
 私、怖いんだ、きっと。
 でも。それでも。アナタがしたいこと。私がしたいこと。全部全部ぶつけあって勝ち取るんだ。
「止められるかどうかなんて、関係ないよ」
 やれるかどうかじゃない。やるんだ。
 ああ、それから――ひとつだけ。彼女にどうしても言っておきたいことがある。
「……コルヌの人達も、大きなお世話、って思うんじゃないかなぁ」
 彼女の主張は最初から最後まで、竜たちの意思などお構いなしなんだもの。

 ――とは言え、自分ひとりではきっとぺしゃんこにされて終わってしまう。
 それでも縁珠が銃を構えようとするのとほぼ同時に響き渡ったベネディクトの咆哮に、自分は決してひとりではないのだと云うことを知る。
「精霊さん達……もう一度、頼めるかなー」
 であれば、彼らの背を押す自分でありたい。
 護りに、力に。宿り木達よ、どうか。
「何? ……ッ、煩わしい……!」
 願いと共に撃ち出された翠緑の弾丸は宙空で弾け、めきめきと音を立ててその姿かたちを変えゆく異形のおんなの皮膚へと寄生して行く。吸い上げられた過剰な生命力は瞬きのうちに枝葉と蔓となり、振り上げられた大剣を絡め取ってはその動きを阻んでいく。ひとつひとつは大きなちからを持たないけれど、僅かな時でも繋げたならば仲間がきっと足掛かりにしてくれる。
「わたくしは、ドラゴンプロトコルの皆様をお救いしたいだけなのに。何故邪魔をするの。何故、どうして――ッ!」
「言っただろ。貴方の救いじゃ、彼らを救えない!」
 青い輝石が確かに煌めく。澄み渡るそらのいろが、己の魂を証明してくれる。
 ラムネの胸に淡い白焔が点ったかと思えば、それは見る間にかたちを成して長槍となっててのひらの中に吸い込まれて行く。仲間達へと振り上げられた大剣を受け止めれば、空駆けの青年はそのまま深く深くおんなの胸を貫かんと足を踏み出す。その瞳に映るは天穹のあお。この背を何処までも押してくれる力強い風。
「(間合いは読みやすいが……それでもあれに斬られるのはやだね)」
 宿り木の緑の合間を縫うように身を踊らせた和奏が無理矢理に蔓を引き千切ろうとするおんなの利き腕を強く打ち据えれば、ぐらりと継ぎ接ぎの体が揺らぐ。力任せに振り抜かれる大剣は和奏を捉えるには至らず、勢いを殺さぬままにぶつんと音を立てておんなの腕と肩を繋ぐ縫い目の一部が弾け飛んだ。
「生きてきた意味も、死生観も。彼らが見出し継いできたことを、嗤うなよ」
 コルヌの竜たちは勿論、犠牲になった竜たちのことも。彼らの立場で怒ることは違うと思うから。この刀に乗せるはその生き様を嗤う彼女への反骨と、心地よい守護をくれた彼らを害させないという決意だけ。
「私は、ひとになったことを『悲しい』と思ったことは一度たりともない」
「それは誤りです! 貴方様は忘れているだけ。わたくしとひとつになれば、何時の日にか――」
「黙れ!!」
 萌芽せしは竜の膂力。この力でさえ、|真竜《トゥルードラゴン》であった頃には遠く及ばぬかもしれないが、目前の愚かなる者に知らしめねばならない。この者にだけは正面から立ち向かわねばならないと、ベネディクトは尚も吼える。
 ひとになったからこそ救えた命があった。
 ひとの姿だからこそ、共に過ごせる者がいる。
「私は確かに真竜ではなくなったが、だからといってお前に可哀想だと思われる謂れはない……!」
 芽吹く。息吹く。ベネディクトの腕を、肌を覆うは、おんなとは対照的ないのちを宿した苔生す樹皮の鱗。ベネディクトの怒りに呼応する竜の力は理性を、思考を灼くけれど、それでも。――それでも、竜には帰る場所がある。だからこそ、忘我の境地には至らない。
「かわいそう、なんかじゃないよ」
 縁珠が紡ぐはえにしの緑。
 舞って、咲いて。揺れる蕾が、さいわいを運んでくれる。
「――いこう、カエルムさん」
 あおとひとつになったラムネが、天を翔ける光が迸る。
 コルヌの人々の旅路を拓くよう。未来を、とわに照らすよう。
「彼らの道は、彼らが決める」
 定命のもの。嘗て、とことわを生きたもの。
 彼らの旅路を穢させまいと、和奏は今一度青雷を纏うた刃を振るう。
「コルヌの民の平穏を、お前の思い込みで壊すなぞ以ての外だ」
 力で競り合っていた大剣同士に亀裂が奔る。
 守護竜たる力の全てを以ってして振り下ろされた一撃が、おんなの肩口から胴を深く深く切り裂いた。

ルナ・ディア・トリフォルア
レスティア・ヴァーユ

●たびだち
「この程度、貴女の手を煩わせる程では……!」
 自らの腕を覆う布を裂き、流れるままのあかいろを押し留め、ルナ・ディア・トリフォルア(三叉路の紅い月・h03226)は先の無茶を咎めながらレスティア・ヴァーユ(信心の代わりに・h03581)に簡易的な手当てを施していた。
「大きな声を出すな、傷に障る。……まったく、戦いの最中に出てくるなど愚の骨頂! 危ないではないか!」
 今はこの位しかしてやれないが、終わったら説教だと頬を赤く染めながら己を叱る女神の様子に申し訳なさと共にレスティアの胸に湧くのはほんの少しの喜び。
「……気持ちは嬉しいがな」
「女神よ、」
 いや、いや。彼女に心配させてしまったことは事実に違いないし、表立って負荷を露わにしてしまったことに不甲斐なさは勿論感じるのだけれど。気高くもうつくしい女神が今は自分だけを瞳に映してくれることが嬉しい。願わくば、それが永遠であればよいのだけれど――『存在が迷惑甚だしい存在』が、居る。迷わず霊剣の柄に手を掛けようとするレスティアの手に触れたのは、他ならぬルナのものだった。
「今度こそ、背中を任せたぞ」
 そっと。互いだけに聞こえる音で囁けば、懐から取り出した青白い月を宿した石を手にルナはドラゴンストーカーの前へと立ちはだかる。最高純度を誇る竜漿石は砕けば相応の魔力を齎してくれる筈。これより目覚めさせる力を一秒でも長らえさせてくれる糧となろうが、時が過ぎれば無防備となることは避けられない。
 だからこそ、託す。他ならぬ片翼である愛し子へ。
「……私が、貴女の翼となろう」
「よい。であれば――共に行こうぞ」
 ぱきん、と。軽い音を立てて月光石が割れると共に、ルナの姿が雷を纏いながら変貌していく。陽炎の如くゆらめくは、神気を宿した焔であったか。
「真の永遠を知らぬ者ほど、不死をほざくものよ」
 これなるは神の怒り。死を冒涜せんとする愚者への裁き。
 荘厳なる黄金の|真竜《トゥルードラゴン》の咆哮が、輝石の森の大気を揺らした。

「嗚呼……!」
 それは畏れか、歓喜であったか。
 青白い喉を震わせてルナを仰いだドラゴンストーカーの双眸が見る間に潤み一筋の滴を溢した。
 ただそれだけであれば神威に慄く殉教者のそれであったのかもしれないが、ルナの姿は彼女にとって『その姿のまま留めたいもの』。『その姿のままひとつになれば、貴女様はわたくしと永遠になるでしょう』と断じて、おんなは自らの両腕を歪な竜のそれへと変じさせていく。爪を立て、引き裂き、喰ろうてしまえば、きっと。傷付いた身体で以って尚も勢いの衰えぬその姿に眉を寄せ、レスティアは麗しき白弓に矢を番える。
「……コルヌの民よ、どうか力を」
 互いに宿した輝石の光が一際強く煌めき呼応する。出づる翼の輝きが、レスティアの内に宿した神性を後押ししてくれる。
 迷わない。女神に傷を付けることなど許さない。
 限界まで引き絞られた光の矢が放たれると共に割れ、今まさにルナの喉笛に喰らいつかんとするおんなの剛腕を貫いて行く。狂気に支配されたドラゴンストーカーの勢いは止まらないが、それでも力を削ぐことは叶う。逢瀬を害されたと知ったおんなの焦点の合わぬ憎悪の目がぐるりとレスティアを捉えるけれど、それを即座にルナが阻む。踏みしめた前脚で行手を遮り、広げた翼が視界を覆う。食い込んだ互いの爪が血のあかいろを流そうと、決して揺らぐことはない。
「どうか。わたくしと――、」
 その身が傷付こうとも、今やルナはドラゴンストーカーを完全に捕らえた。それでも尚陶酔のいろを双眸に乗せて言い募るおんなを見下ろし、女神は憐れむ。
「哀れだな。汝が喰ろうた命の数とは釣り合わぬが」
 せめて。その身に継がれた竜たちのいのちが、これ以上穢されぬよう。
 今持てる全ての力を以ってして放たれた雷撃と聖なる炎が、おんなの姿を諸共飲み込んだ。

 すべて、すべてが静まり返り――どの位の時が経っただろうか。
 小鳥たちの囀りが、精霊たちの囁きが、次第に森の中に戻ってくるのを√能力者たちは確かに感じていた。
 今一度コルヌの竜たちのもとを訪れるのも良いかもしれないと、誰かが口にすれば微かな笑い声と共に是が返ってくる。木漏れ日に満ちたこの輝石の森をもう少しだけ散策したら、彼らに旅のはじまりを告げに往こう。
 これからの旅路を共にする、輝石の輝きを連れて。

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト