楽園に顕れし仔産みの女神
「√EDENに怪異出現。邪神殺しの時間なの」
そんな連絡を受けて集まった√能力者達の前で、晦日乃・朔夜(シャドウペルソナのルートブレイカー・h00673)は自分が視た予知について語り始めた。
「√EDENにある豊富なインビジブルに惹かれて、√汎神解剖機関から『クヴァリフ』が顕現したの」
クヴァリフは『仔産みの女神』とも称されるように、人間を取り込み、忘我のうちに自らの『仔』とする能力を持つ、危険な怪異だ。彼女を崇拝する狂信者も多く、放置すれば√EDENでも大量の犠牲者が出かねない。
「今のところクヴァリフは表立った事件を起こさずに、用心深く自分の痕跡を隠しているの」
これは√EDENの√能力者を警戒しているのか、それとも別の理由なのかは分からない。
ただ、そうなると敵の情報を集めるのは困難になる。√EDENの人々は異常現象を忘れる力が強すぎる為、たとえ怪異にまつわる事件に遭遇していたとしても、曖昧な証言しか得られないのだ。
「けど、全く手がかりが無いわけではないの。例えば……√能力者の姿を見て『ちょっとした違和感』を覚えるようなカンのいい人間なら、なにか覚えているかもしれないの」
そうやって日常の中に残されたわずかな情報を集め、怪異の潜伏場所を突き止めることが第一段階。この調査をどれだけスムーズに行えたかによって、この先の展開も変わってくるだろう。
「調査が難航すると、クヴァリフは√EDENにいる邪悪なインビジブルを手に入れてしまうかもしれないの」
邪悪なインビジブルは通常のインビジブルよりも多くのエネルギーを内包し、簒奪者にしか力を貸さない。これが怪異の手に渡ると厄介なことになるため、まずは先にこれを撃退する必要が出てくる。
「そうでなければ、クヴァリフが√汎神解剖機関から連れてきた狂信者が襲ってくると思うの」
怪異を信奉する危険なカルト集団だが、彼らも√能力者には違いない。信仰心と「死後蘇生」によって死を恐れず向かってくるので、甘く見れば手を焼くことになるだろう。親玉である女神クヴァリフと戦う前に、余計な消耗は避けたいところだ。
「色々言ったけど、邪魔する奴らは全部始末して、最後にクヴァリフを殺ればオッケーなの。よろしく頼むの」
説明を終えた朔夜は各自のスマホや通信端末に、予知された「大雑把に怪異のいそうなエリア」の情報を送信し、怪異との戦いに送り出す。√EDENの住人が女神の『仔』となる未来を回避できるかは、この世界に集った能力者達の尽力にかかっている――。
第1章 日常 『ちょっとした違和感』

「ライター借りてもいいですかにゃ?」
とある都市の一角にある喫煙所にて、時代遅れの軍服にアホ毛を揺らした獣人が、隣にいる人間に言う。喫煙所において人に話しかける上でこれ以上ない自然なセリフだ。間違いない――この√EDENにおいて獣人の存在が一般的でないことを除けば。
「ああ、どうぞ」
だが、話しかけられた相手は特に驚いたふうもなく彼、神喰・蛙蟋(紫煙の売人🚬・h01810)にライターの火を差し出す。異常現象を忘れようとする力が強い√EDENでは、別√の住人でも多少取り繕った程度ですんなり馴染めてしまうのだ。
(この御人は何もご存知なさそうですにゃ)
自分の格好を見ても特に反応のない相手には、蛙蟋は適当に世間話をするだけして別れる。こんな具合に各地の喫煙所を周りながら情報収集を行うのが彼の作戦だった。目的の半分はただ煙草を吸う事なのは秘密である。
「ライター借りてもいいですかにゃ?」
「えっ? え、ええ……いいですよ」
次の喫煙所にいた先客に同じように話しかけると、その人間は今度は一瞬驚きを示した。√EDENで蛙蟋の格好は違和感だらけ。それに気づく喫煙者同士なら、なにかしら心当たりがあるに違いない。
(今の時代に喫煙者になるぐらいのストレスを抱えているだろうしにゃ)
煙草屋の店主としては嘆かわしい事だが、なにぶん昨今は喫煙者に対して風当たりの強いご時世である。それでも煙草を手放せないような喫煙者と、世間話や日頃の愚痴などを語り合いつつ、適当なところで蛙蟋は本題を切り出す。
「ついでに最近、変わった事はありましたかにゃ?」
「変わった事……ああ、そういえばつい先日、変なものを見たような」
思い出したようにその喫煙者が語る所によれば、蛸の触手のようなものが路地裏の奥に消えていくのを見たという。その時はひどく背筋が寒くなって、急いで帰路についたとか――。
「きっと、仕事疲れで幻覚でも見たんですかねえ」
「それはご苦労様ですにゃ。実直な働きには相応しい報酬にゃ」
まさしく求めていた情報を貰えれば、蛙蟋はお礼にタバコを1本プレゼントする。
たまたま目撃した「幻覚」が、この世界の危機に繋がる情報だとは、その喫煙者は知る由もないが。
「それでは、お元気でにゃ」
「ええ、さようなら」
商人らしいにこやかで含みのある笑顔で会釈して、蛙蟋は喫煙所を後にする。そして情報にあった路地裏の周辺でさらなる情報を集めるべく、早足に歩き出すのだった――。
「情報収集か。人と話すのは得意ではないが……そんなことを言える状況ではないな」
すでに√汎神解剖機関から√EDENに怪異が入り込み、狂信者を引き連れて暗躍しているという状況。一刻も早く所在を突き止めねば大変な事態になるのは、三東・玲一(漂白の|芸術家《ペインター》・h01887)も分かっていた。
「ひとまず、網を張ってみるか」
彼は懐から一本の絵筆を取り出すと、何もない空間をなぞるように振る。ただの筆ではなく、インビジブルにより形成した「|虚を描く絵筆《ホールピンゼル》」だ。同じくインビジブルを顔料にすることで、空中に図面を描くことができる。
「こんなものでいいか」
玲一はわざと人通りのある道の傍らに立って、空中に簡単な犬の絵を描く。普通の人ならパントマイムでもやってるようにしか見えないだろうが、"見える"人間なら違和感を覚えるはずだ。
「ん……?」
道を行き交う人のうち、ある者が微かに反応を示す。その視線の向きは確かに、虚空に描かれた犬の絵を追っていた。それを見つけた玲一は、怪しまれないようゆっくりと近付いて声を掛ける。
「そこのキミ、突然すまない。自分は都市伝説雑誌のライターをしている者なんだが、最近この辺りで不思議な現象が噂されていてね」
「えっ……ああ、そうなんですか」
急に話しかけられた相手は驚いていたが、取材中だと伝えれば納得してくれたようだ。
玲一は怪しまれないように礼儀正しい態度で、その相手から怪異の情報を聞き出そうとする。
「例えば……見慣れた路地で、見たことのないバス停を見た、とか。何か知っていることはないかな?」
「路地……そういえば、この近所で変な格好の人達が路地裏に入っていくのを見たんですけど……」
曰く、その連中は全身を黒い外套ですっぽりと覆った、いわゆるカルト的な見た目だったそうで――不審に思って路地裏を覗き込んでみると、彼らは忽然と姿を消していたという。
「その路地裏は一本道で、そんなに大勢が隠れられる場所もなかったはずなんですけど……これって不思議っていうより、ただの不審者の話ですかね?」
「いや。いいネタを聞かせてくれてありがとう」
話した方はピンときていないが、玲一はこの話が件の怪異に通じる情報だと確信する。
√間を移動できる√能力者なら、普通の人の目から消えたように移動することも不可能ではない――連中を目撃した場所を教えてもらうと、玲一はすぐさま現場に向かった。
「う~ん、忘れちゃうのが厄介だよねぇ」
欠落を持たない普通の人間が異なる√の事象に遭遇すると、自分の心を守るために見たものを忘れようとする。特にその作用が強い√EDENでは、√能力者の活動にメリットになることもあるが、情報収集においては大きな足枷になる。
「ま、オレは細かい事考えるのはあれだしさっさと聞き込みしようか」
それでも誰かしら覚えているヤツはいるだろうと、白石・明日香(人間(√マスクド・ヒーロー)のヴィークル・ライダー・h00522)は楽観的に調査を開始する。ひょいと飛び乗るのはヒーロー活動にも使っている、相棒のライダー・ヴィークルだ。
(ヴィークルいつも乗り回しているから、それに乗っているJCは違和感の塊でしょ?)
見た目や服装から判断しても、明日香はまだ免許を取得できる年齢ではない。なのに平然と公道を走っていれば、違和感を覚えたりツッコミを入れる奴がいてもおかしくない。
「ねえ、ちょっと貴女……ちゃんと免許持ってるの? 学校はどうしたの?」
案の定、明日香が信号につかまって停車していると、通行人の1人が声をかけてきた。
一昔前にはよくあった、暴走族や不良の類だと思われているのかもしれない。ただ、彼女の姿を見て違和感を持てたのなら、普通の人間にしてはカンが良いということだ。
「ねぇ、なんか変な奴ら見なかった?」
「は? 今の貴女が一番変だけど……あっ、そういえば……」
面倒な事になる前に、こちらから知りたいことを尋ねる。急な質問に相手は困惑していたが、そう聞かれると思い出すことがあったようだ。目の前の少女と同じか、それ以上に怪しい人物を。
「なんかフードを被った怪しい連中が、夜道を歩いてるのを見たけど……」
「ビンゴ。そいつらを見たのはどこ? 数は何人くらいいた?」
手がかりをゲットした明日香は、相手に「ちょ、ちょっと?!」と困惑されるのも構わず質問攻めにして、聞き出せる限りの情報を聞き出す。ほぼ間違いなくそいつらは怪異を崇拝する手先どもに違いない。
「ありがと! じゃあね~」
「あっ、ちょっと!」
話を聞き終えると、明日香は相手の制止も聞かず、再びヴィークルに乗って走り出す。
こんな調子で彼女は片っ端から聞き込みを繰り返し、どの辺りで怪異や不審者の目撃情報が集中しているか、怪しい場所を絞り込んでいく。
「……面倒なことになる前に間に合えばいいけど」
どうやら簒奪者はすでに相当数が√EDENに侵入しているようだ。今はまだ表立った事件は起きていないが、これ以上時間を与えればマズイことになるかもしれない。軽薄なギャルっぽい振る舞いの裏で、彼女は危機感をつのらせつつあった――。
「ふむ。√EDENだと忘れようとする力が働くから私がこの格好してても通報されることはないし、せいぜいがちょっと大胆な格好してる女の子としか見られないわけだけど……」
そもそも「服はあまり着たくない」という考えから、大胆過ぎるファッションでアルブレヒト・新渡戸(人間農園の主・h00594)が表を出歩いても、現状騒ぎは起きていない。同様にこの√に侵入した簒奪者達も、ほとんどはスルーされていると考えられる。
「逆に言えば私を見て露骨にリアクションしたり、撮影したり、通報しようとする人に聞き込みをすればいいんだよね」
つまり、なるべく人通りが多くて人目に付きやすい通りを練り歩けばいい。汎神解剖機関から支給された制服(の成れの果て)を衣服の体を成していないレベルで着崩し、露出した体を惜しげもなく晒しながら、彼女は調査を始めるのだった。
「うおっ、なんだあの娘……?」「きゃっ……!?」
もともと人目を惹きやすいスタイルをした少女が、裸同然の格好で歩いているのに"気付けた"のなら、ノーリアクションでスルーするのはまず無理だろう。思わず凝視する者、逆に赤面して顔を背ける者、内訳は様々だがとにかく自分に反応した者に、アルブレヒトはフレンドリーに迫る。
「ねえ、人間。ちょっと私とお話してくれない?」
「えっ、いや、その……」
言葉を選ばず言えば露出魔に突然話しかけられて、素直にはいと言える人間は少ない。
だがアルブレヒトはこういう時に役立つ魅了や催眠の術を心得ていた。なまめかしい視線と共にちょっと魔力を送ってやれば、普通の人間は彼女の言いなりだ。
「最近、普通じゃない何かを見たことない?」
「は……はい……そう、ですね……」
催眠にかかった相手はぼんやりと虚ろな表情になり、アルブレヒトの質問に答える。
ちょうど今のアルブレヒトのように、街中で見かけるには明らかにおかしな格好をした人――あるいはヒトですらない存在の目撃情報が、ちらほらと集まってくる。
「ありがと。じゃあね」
1人から聞き出せる限りの情報を聞き出せば、彼女は同様の手口で他の人間をあたる。
たまに催眠が効きづらい強情な人間がいれば、魅了ではなく恐怖で。人間災厄としての本性も活かし、着実に情報収集を進めていく。
「素直に話してくれないと……こわーい目にあっちゃうかもよ?」
「ひっ……お、思い出しました!」
恐怖を感じることで怪異の記憶が刺激されることもあるのか、怯えた人間から得られる情報はなかなか精度の高いものだった。√能力を使えばもっと手っ取り早いかもしれないが、今回は控えておく。
(使うと周囲の人間を皆まとめておかしくしちゃうからね)
いかに魅力的な人間の姿をしていても、アルブレヒトの本性は災厄。本質的には寧ろ怪異側に近い存在である。彼女が人間の味方のように振る舞うのは、あくまで趣味と嗜好の一致に過ぎない。
「さてと。最近頑張ってるクヴァリフパイセンに会いに行きますかね」
得られた情報から怪異の所在を絞り込めるようになると、アルブレヒトはすたすたと陽気に歩きだす。人の命を糧に果実を育む災厄『プランテーション』と、人間を我が仔に変える『仔産みの女神』。果たして、より恐ろしいのはどちらなのだろうか――。
「なるほど。要は所謂霊感が強い人間を選別して情報を精査すれば、統計的に有効な結果が怪異の住み処を導き出すということ」
シティーアドベンチャーというやつだな多分、と呟いたのは二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)。いわゆる「忘れようとする力」の強い√EDENでは、適当にその辺のヒトに話しかけるだけでは有益な情報は得られない。
「試行回数を重ねて、虱潰しで取り掛かれば何れは答えも出てくるだろう。情報は足で稼ぐとするか」
そう言って彼はおもむろに【ハンティングチェイス】を発動し、長距離狩猟態勢に移行。獣人階梯を5から1に深化させることで直立する猫の姿となり、ヒゲと鼻をひくつかせながら調査を開始する。
「あれっ……あの猫、立ってない?」
√ドラゴンファンタジーでは珍しいと言うほどではない2足歩行の猫も、√EDENの常識だと「普通」ではない。ほとんどの者はスルーしていくが、ちょっとした違和感に気付き、自発的に近寄ってくる一般人もいる。
「こんにちは。今日は不思議な事が立て続けに起こるものですね?」
「こ、こんにちは……って、喋った!?」
そんな相手から話を聞いてみようと、紳士的に口を開く利家。当然相手はびっくりするが、周囲の人達はきょとんとしている。やはり、この者は一般人の中ではカンの鋭いタイプらしい。
「何か本能的に嫌な感じがした覚えや、妙なコスプレ集団を見掛けた記憶はありますか? 多分黒ずくめの姿だと思うんですけど」
「え、ええっと……」
状況を飲み込めないままあれこれと質問され、相手は思考をフル回転させる。普通の人間は怪異やそれにまつわる事象を目撃しても、勝手に目の錯覚だと思って忘れてしまう。だが、こうして改めて尋ねられるとどうだろう。
「そういえば……見たかも。怪しい黒ずくめの人達が、通りを歩いてる所……」
いかにも不審だったのに、誰も目もくれないのが不思議だったと。かくいう自分も、今の今までそのことを忘れかけていたと。その人物が語ったのは、まさしく利家が求めていた情報だった。
「こんな話を聞いて、どうするの?」
「ちょっと探し物の用がありましてね……」
相手の質問にはただそれだけ答え、協力感謝しますと言って利家はその場を立ち去る。
目撃情報のあった場所付近に向かってみれば――確かに、匂う。この世ならざる邪神の気配を嗅ぎ分けつつ、彼は追跡を続行するのだった。
「情報収集か、こういう時は警察って立場が役にたつんだよね」
|警視庁異能捜査官《カミガリ 》として、怪異事件の捜査を仕事とする志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)。その肩書はあくまで√汎神解剖機関でのものだが、制服を着てそれらしく振る舞えば、√EDENの警察官とも見分けはつくまい。
「すいません警察の者ですが、今、このあたりの防犯活動の為の巡視と声かけ活動を行っておりまして」
「あっ、はい。ご苦労さまです!」
身分証明となる「偽装式警察手帳」を見せながら話しかければ、ほとんどの人間は疑いもせず好意的な反応を示す。スカウトされ仕方なくなった職だが、やはり国家権力の影響は強大である。
「何か気になることなどが有れば教えていただきたいのですが?」
と、あくまでも防犯の為であり、不安を与えないように心がけながら、遙斗は一般市民への聞き込み調査を行う。まさか別の次元からやって来た怪物がこの辺りに潜伏しているかもしれない、なんてオカルト話をするわけにもいくまい。
「うーん……特にはないですね」
「そうですか。いえ、ありがとうございます」
ほとんどの人間からはこれといった情報は出てこない。そもそも怪異を見ていないか、あるいは見たことを忘れているかのどちらかだ。日常の「ちょっとした違和感」に気付けるような、カンのいい人間に出会うまで、彼は根気強く調査を続ける。
「そういえば……あの、聞き間違いかもしれないんですけど。昨日夜道を歩いてた時に、ペタッ、ペタッて、なんだか濡れたような足音がして……その日はずっと晴れてたのに」
何人目かになる聞き込みで、ついに遙斗は"アタリ"を引いた。それを語る当人は自分の記憶に自信が持てないようだったが、その怪談めいた話はまさしく怪異の手がかりだと、捜査官としての直感が告げている。
「ご協力感謝します。何か他にも気になることが有れば遠慮なく声をかけてくださいね」
そう言いながら自分の名刺を渡す遙斗。あくまでも警察官であることを意識した行動に、相手もすっかり信頼した様子で「はい、お仕事がんばってくださいね」と答える。
この調子で情報を揃えていけば、怪異の潜伏場所も突き止められるだろう。さながら獲物を追う猟犬の如く、カミガリの警官は捜査を進めていく――。
「こんにちは……! 聞きたい事があるんです!」
√EDENのとある街角で、星谷・瑞希(大切な人を守る為に・h01477)は通行人に聞き込みを行っていた。この辺りに√汎神解剖機関から侵入した怪異とその手先が潜んでいる事までは分かっている。奴らが事件を起こす前に潜伏場所を突き止めなければ。
「なにそれ、怪談?」「うーん、急に聞かれてもなあ……」
だが、√EDENの住民は怪奇現象を目撃しても「忘れようとする力」が強い。やはりと言うべきか、闇雲に尋ねても得られるのは曖昧な情報ばかりで、ただ時間が過ぎていくのみ。
「駄目だ……情報が集まらないよ……」
あまりにも情報が集まらず、瑞希は泣きそうになりながら公園のベンチで座りこむ。
手がかりを得る為にはまず、怪異という違和感を認識できる人間を見つけなければ。だが、その方法が分からない。
「あーあ……憂鬱ですね……瑞希が落ち込んでいる姿を見るなんて……でもその姿すら愛らしいですね」
そんな瑞希を、上空から見下ろす者がひとり――鳳崎・天麟 (大切な人を守る為に戦う狩人・h01498)だ。『ネガティブ・パラノイア』の力で日課のパトロールを行っていたところ、途方に暮れる幼馴染を発見したらしい。
「こんにちは! 瑞希……何か困っているようですね!」
「て、天麟?!」
ネガティブ・パラノイア態の変身を解除して近付くと、瑞希はびっくり。まさか√能力者としての活動中に突然幼馴染が現れるとは思わなかっただろう。特殊な力を持っているのは知っているが、彼女は瑞希のAnkerであって√能力者ではない。
「はい! 貴方の天麟にお任せください! わたくしも手伝いましょう!」
「ほ、本当に? ありがとう天麟!」
だが、調査に行き詰まっていた所でこの申し出はありがたい。天麟の申し出に甘え、瑞希は怪異の情報収集を手伝ってもらうことにした。単純に人手が1人から2人に増えるだけなら、大した違いはないだろうが――。
「すみません……聞きたい事があるんです……!」
「なんですか?」
さっきまでと同じように、道端で通行人に声をかける瑞希。それで相手と振り向けば、天麟は一瞬だけ頭部のみ変身する。蜘蛛の複眼の様なゴーグルと、龍の歯が剥き出しのマスク――ネガティブ・パラノイア態となった彼女の姿は、この√では異形だ。
「えっ、今そっちの子……目の錯覚かしら?」
「失礼してもよろしいですか? ……憂鬱です」
それを見た通行人は、明らかに妙な態度を取る。この外見に違和感を覚えたのなら、異常を認識するカンが普通の人間より鋭いということ。そこで天麟は怪異について尋ねてみた。
「最近、奇妙なものを見なかった、か……そういえば昨日の夜、近所の公園で……」
その通行人が語るに曰く、夜中の帰り道に「なにか」が這いずったような跡を見かけたと。雨も降っていないのに濡れていて、蛇にしては太かったと。その跡は公園を抜けて反対側の路地裏まで続いていたらしい。
「あの……当時持っていた物とかありますか? お願いします!」
そう瑞希が質問すると、通行人は「これでいいかな?」とハンカチを出してくれた。
受け取ったハンカチに【|武装化記憶《サイコメトリック・ジオキシス》】を使用すると、当時の記憶が頭の中に流れ込んでくる。それは間違いなく怪異が残した痕跡だった。
「やった! 一歩近づいたぞ!」
記憶を見て、やっと怪異の手がかりを掴んだ瑞希は、人目もはばからず歓声を上げる。
きょとんとしている通行人に「ありがとうございます!」とハンカチを返して見送ってからも、喜びを噛みしめていた。
「嬉しいな!」
「……ネガティブ・パラノイアは確実に怪異側ですからね、瑞希の格好は可愛いから違和感を持たれなかったのかもしれませんね」
その隣で天麟がぽつりと語る通り、見た目も中身も√EDENの人間と変わらない瑞希では、今回の調査は難しかっただろう。可愛いさについては天麟個人の感想だが――嬉しそうな幼馴染を見て、彼女も満足げに微笑むのだった。
「くそが……忘れていた!」
とある都市の道端で、膝(?)からガクリと崩れ落ちてしまう、一羽の鳥。カトル・ファルツア(ラセン使いを探す者・h01100)は√能力者として、この√EDENに侵入した怪異の調査を行って――行おうとしていたのだが。
「俺の言葉は√能力者以外にはピヨーしか聞こえないんだった……」
異界人である彼の発言は√能力者にしか伝わらず、例えば「最近変なものを見なかったか」と普通の人に尋ねても、ピヨピヨと鳥が囀っているようにしか聞こえないのだ。悲しいかな、これが言語と種族の壁である。
「仕方ねえ段ボールに質問を書いた紙を貼り付けるしかねえ!」
苦肉の策としてカトルは翼で器用にペンを操り、質問内容を書いた紙を段ボールに貼って、再び聞き込みを開始する。言葉が通じなくても文字なら読み取ってくれるはず――。
「パパー、鳥がなにか聞き込みしてる~!」「ピヨーって変な鳴き声」「うわあ、こっち来た!」
しかし通行人は彼を見かけるとスマホで撮影したり驚いて逃げたり、一時的に何らかの反応は見せるものの、すぐに何も見なかったように去ってしまう。異常現象に対するショックから無意識に心を守ろうとする、一般人の「忘れようとする力」の作用である。
「そもそも鳥が聞き込みしてる時点で違和感満載だった……」
再び膝(?)から崩れ落ちるカトル。そもそも話を聞くことができなければ、情報収集以前の問題である。頑張れば頑張るほど普通の√EDEN人からは無視されてしまう悪循環。
「俺、聞き込み向いてねえ! だから50年ラセン使いの手がかりを掴めてねぇんだ!」
そんな嘆きの叫びすら、非√能力者には「ピヨー」としか聞こえない。故郷を救う英雄を探し出すことも、調査の役に立つこともできない、自分はなんて無力なんだ――と、彼が打ちひしがれていると。
「あー……この鳥に向かって喋ればいいのかな? なになに……」
戻ってきたのは、さっきカトルの姿を見て逃げだした人だ。彼は道端でうなだれてるヘンな鳥のもとにしゃがみこむと、抱えている段ボールに書かれた内容を読み、質問に答えてくれた。
「えーっと……あれは一昨日の事だったかな。うちのバイト先の裏口で、ヘンなものを見たんだよ」
最初はてっきり野良犬か野良猫だと思ったのだが、暗がりに浮かぶそのシルエットは犬よりも大きく、そして長かったと。なんとなく不気味な感じがして、正体は確認できなかったという。
「これでいいのかい? じゃあね」
怪異の手がかりを話してくれた通行人は、ぽんぽんと鳥の頭を撫でて去っていった。
重要そうな情報をゲットしたカトルではあるが、あまり素直に喜ぶ気にはなれない。
「……哀れに思われてるなこれ」
たまたまカンのいいタイプの人間がいて、かわいそうに思って話しかけてくれた。
精霊憑依獣国の王族としては不甲斐ない扱われ方に、彼は再び落ち込んだのだった。
「んにゅ……敵に知られない事より見つける事を優先した方がよさそうですね」
すでに簒奪者は√EDENに侵入し、いつ事件を起こしてもおかしくない状況。一般人の被害やインビジブルの強奪を防ぐためには、多少派手な手段に訴える必要もあると神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)は考えた。
「少し目立ちすぎそうですが、頑張りますか」
彼女は予知があった現地で浸食大鎌「エルデ」を持って、人通りの多い所に向かう。
老若男女問わず大勢の人が行き交う駅前の広場などが、彼女の目的にはうってつけだろう。
「う~ん、ここでいいですかね? では、一曲……♪~~」
七十は広場の真ん中に立って【世界を変える歌】を使用。伸びやかな歌声を響かせて、通行人の注目を集める。普通の人間ならほとんどは、単に「いい歌だな」と思う程度で、すぐに通り過ぎていくだろう。
「ん~……? あの子、なに持ってるんだ……?」
「疲れてるのかな? 今幻が見えたような……」
だが。立ち止まって歌を聞いてくれる人の中には、違和感を覚えていそうな人もいる。
彼らの視線は七十が持つ「エルデ」、あるいは√能力が出現させた歌い手の幻影に向けられている。これらを奇妙だと自覚できるなら、一般人にしてはカンが鋭いようだ。
「聞いてくれてありがとうございます。あの、ところで最近、身近で変なことがなかったですか?」
七十はそういった違和感を覚えている人を見つけ出しては、怪異について聞いて回る。
急にそんな事を聞かれてもと、困惑する人も多かったが。その中の1人は「そういえば」と、思い当たる節を話してくれた。
「こないだ、全身を真っ黒な布で覆った連中が夜道を歩いてるのを見かけたんだよ。不審者かなって思ったんだけど、ちょっと目を離した次の瞬間にいなくなっててさ……」
「あっ。その人達、どこで見ましたか?」
おそらく、それは怪異を信奉する狂信者達である可能性が高い。詳細が分かれば大元の怪異の所在を突き止める手がかりになるだろう。七十はその連中の目撃場所など、詳しい話を聞かせてもらう。
(うぅ……思っていたより物凄く目立ちます……)
こんな具合で情報収集自体は順調に進むものの、予想よりも多くの人に歌を聞かれて注目を集めてしまい、七十は恥ずかしさで頬を赤らめる。もともと彼女は人見知りなところがあり、初対面の相手と普通に話すのも本来は珍しいのだ。
(恥ずかしいですがそれだけ該当する人に会える可能性も上がるはずですし……頑張りましょう)
駅前での聞き込みを終えた七十は、場所を移してはまた歌い、違和感を持っている人に話を聞いてを繰り返す。羞恥心をぐっと堪えながらの努力は実を結び、怪異の足取りは徐々に掴めつつあった――。
第2章 集団戦 『狂信者達』

√能力者達による調査の結果、都市に潜んだ怪異の所在はほぼ絞り込む事ができた。
人気のない裏路地に面した、古びた雑居ビル。聞き込みで得られた敵の目撃情報は、ここが中心となっている。
「貴様ら……! ここに来たという事は、√能力者か!」
「まさか、もう嗅ぎつけられるとは……!」
√能力者達がビルに乗り込むと、そこにいたのは情報にもあった黒装束の人間達。
怪異を信奉し、その走狗となって働く、√汎神解剖機関出身の危険なカルト集団――いわゆる『狂信者』達だ。
「我らが女神のため、この楽園のインビジブルを捧げる計画が……」
どうやら、これほど早くに潜伏先がバレることは、狂信者達の想定外だったらしい。
この分では、簒奪者の目的であるインビジブルの確保も済んでいないとみていい。
つまり、倒すべきはここにいる連中と、その背後にいる怪異「クヴァリフ」だけだ。
「こうなっては拠点を移すしかないか。だが貴様らは無事には帰さん!」
「我らが女神に指一本触れさせるな! 刺し違えてでも止めろ!」
身も心も魂も怪異に捧げた狂信者達は、√能力者達を排除すべく武器を構える。
彼らもまた√能力者である以上、死亡しても時間が経てば蘇生する。それ故に命を投げ捨てる覚悟を持った連中は、実力以上に厄介なものだ。
折角ここまで来たのだ。簒奪者共の好き勝手を許す訳にはいかない。
仔産みの女神討伐の前哨戦として、√能力者達は戦闘態勢に入る――。
「そうか、まだ準備は整っていないのか」
明らかに動揺した『狂信者』達の振る舞いや発言から、ここまで早く拠点を嗅ぎつけられたのは本当に想定外だったのだろうと、玲一は推察する。簒奪者の力となるインビジブルの確保はもちろん、撤退の手筈やセーフハウスの用意もできていないと見える。
「なら僥倖だ――体制を立て直すスキは与えない」
彼は空中に、|虚を描く絵筆《ホールピンゼル》で素早く古代語を記し、√能力【|描き記す者・天《ヴライヒェン》】を発動。白きインビジブルの奔流を身に纏い、√ドラゴンファンタジーにおける|竜《ドラゴン》の如き翼を具現化した。
「なんだ、その翼は……?!」
怪異に魂を捧げた狂信者達でさえ、その姿には本能的な畏怖を感じる。言語の始まりとは世界への畏れであり、故に玲一の古代語魔術は竜への畏敬を始点とする。その翼は太古から人類が見上げ続けた空への憧憬そのものだ。
「ええいッ、怯むな! 我らが女神の為に、√EDENの異教徒共を討ち果たすのだ!」
「「ハッ……我らが女神の為に!」」
狂信者の中から教主と思しき人物が檄を飛ばすと、平信者達は拠点の奥から魔力砲『信仰の炎』を持ち出してきた。それは複数の√能力者をの力を束ねて撃ち出す、教団の切り札であった。
「|円冠《rmlsm》、|覇道《jsfpi》、|天翔けるもの《lslrtizpnp》――記す、始原の威光」
だが。【狂信の炎】が放たれる前に、玲一は古竜の翼で空中を駆ける。疾風の如き速さで敵群に接近すると、身に纏ったインビジブルの奔流を制御し、筆先に纏わせる。虚を描く絵筆はこの瞬間、鋼鉄の装甲すら貫通する竜の爪となる。
「|竜虚疾閃《ドラヒェン・ヴァイス》!」
「「ぐわぁぁぁーーーーッ!!!?!」」
一閃。魔力砲を担いでいた狂信者達が一斉に切り裂かれ、真っ赤な血潮が床を濡らす。
一人たりとも逃がすつもりはない。そのまま玲一は速度を落とすことなく、次の標的を狙って翔け続けるのだった――。
「雑魚にゃ。雑魚どもにゃ。狂信するしか道がない、紛い物に縋る落脱共にゃ」
怪異を崇拝する『狂信者』に対して、蛙蟋の評価は辛辣だった。おもむろに懐から葉巻を取り出して、カットして、火をつけて吸いはじめる。慣れた様子で使う道具は、どれも√能力で作られた【不思議骨董品】だ。
「戦いの最中に一服とは、呑気なものだ!」
その態度に狂信者達はいきり立ち、複数名で魔力砲『信仰の炎』を担ぎ上げる。発動には複数の√能力者が必要だが、人数に比例した威力を発揮する大砲だ。コイツで不届きな異教徒を消し飛ばそうとの腹か。
「喧しいにゃ」
だが蛙蟋は【狂信の炎】の発射準備が整う前にシリンジシューターを発砲。装填された薬剤入りの注射器弾が、魔力砲を撃つために密集した狂信者どもに次々と突き刺さる。
「ぐあっ?!」「な、なんだコレは……!」
「怪異から生成した麻痺薬にゃ」
√汎神解剖機関では、こういった怪異を利用した新物質や兵器の研究が盛んに行われている。怪異に魂を捧げた結果、心身ともに怪異になりかけている狂信者達だが、この手の薬物が通じる程度にはまだ人間だったようだ。
「けど、いい加減の調合をしてるので呪詛 に精神汚染 などが混ざってるかもしれんにゃ」
「な、なんだそれは……ガハッ?!」「ゴホッ……お、おのれ……!」
怪異薬を撃ち込まれた狂信者達はばたばたと倒れ、床の上をのたうち回る。本当は麻痺した奴を捕縛出来れば1番良いんだけどにゃ――と蛙蟋は言うが、毒使いの技能保有者が錬金術で生成したものに、うっかりミスがあったとは考え難い。
「楽しい。にゃあ、楽しいよにゃあ? 借り物で遊びに興じるのは。だから蛙蟋からもあげるのにゃ」
それは怪異から授かった力を振りかざす狂信者への、彼からの意趣返しなのだろう。
√能力者には死後蘇生があるが、毒物や呪詛による苦痛は感じるし、ともすればトラウマになる事だってあり得る。連中からすればとんだプレゼントである。
「だから潔く協力して欲しいにゃ」
「や、やめ、ろ……!」
いい具合に麻痺薬が効いて呪詛で弱りきった狂信者を何名か見繕って、戦闘のどさくらに紛れて持ち帰ろうとする蛙蟋。抵抗しようにもできる状態ではない相手は、芋虫のように引きずられていく。
「なあに、お前さん達がしてきた事に比べれば、大した事じゃないにゃ」
果たして連行された者の末路がどうなるのか、蛙蟋はここで多くを語ろうとはしない。
だが、捕らえた獲物を見下ろすチーター獣人の眼差しは、おそろしく冷ややかであったという――。
(本のネタを求めて道を外れたらすぐこれだ。偶然にも居合わせたことだし……協力するよ)
調査の結果ではなく不幸な偶然によって、√汎神解剖機関と√EDENの√能力者達が争う現場に遭遇してしまった柴井・茂(SHIBA狗・h00205)。この状況でどちらに味方するかといえば当然、いかれた怪異の『狂信者』よりも√EDEN側だろう。
「貴様も我らの邪魔立てをするというなら……」
「……待て。おれの言葉を聞け」
ドス黒い殺気を感じても、茂は平静を装いながら狂信者達を鋭く捉え、静かに詠唱して【|護霊《怪異》「|狗神《ブラックドッグ》」】を召喚する。それは血塗られたような赤い爪を持つ、黒い影狗の怪異であった。
「なんだ、こいつは」「インビジブル……なのか?!」
自分達の理解を超える存在を前にして、狂信者達の動きが止まる。これに怪異としての名はあるが、個体としての名前は特に無い。そして正体さえも定かではない。護霊も怪異も妖怪も、茂にとっては同じものを指す。
「ブラックドッグ、……敵に融合しろ」
確かなことは、それが人に"憑く"存在であるということだ。ブラックドッグは茂の命令に応えて狂信者に飛びかかり、彼らの肉体とひとつになる。ダメージこそないものの、引き換えに行動力を低下させる技だ。
「う、動けん……!?」「まずい……!」
ブラックドッグを取り込んだ狂信者の動きが止まり、それを見た他の連中は憑かれないよう距離を取ろうとする。そこで茂はなけなしの殺気をフル活用して、連中を挑発する。
「……どうした? 逃げるのかい?」
「なッ……誰が!「我々を舐めるなよ!」
などと冷静に問われれば、狂信者にもプライドがある。仲間を見捨てて逃げようとした連中は、逆に【狂信の斧槍】を振りかざして襲い掛かってきた。狩る側としてはこちらのほうが楽でありがたい。
(おれは戦闘員としてはあまり器用ではないからね)
立ち向かう狂信者を、茂はメスと探偵刀を用いて処理する。大ぶりな斧槍をひらりと躱して、反撃で斬り捨てる。あまり荒事は得意ではないような態度だが、素人の動きでもなさそうだ。
「おれは手を汚すのは苦手でね。汚れに染まった手じゃあ原稿用紙を台無しにするだろう?」
「がはッ……?!!」
倒した敵から返り血を浴びないように下がる茂。その表情にはまだまだ余裕がある。
ブラックドッグの憑依で動けなくなった者も含めて、彼の周りには狂信者の躯がばたばたと散らばった――。
「ここまでのようだな! 無駄な抵抗はやめて今すぐ投降しろ!」
怪異の拠点となった雑居ビルに乗り込んだ遙斗は、『狂信者』達に銃を突きつけながら叫ぶ。怪異を崇拝するイカれた連中相手でも、まずは発砲する前に警告から入るのが|警視庁異能捜査官《カミガリ》らしい。
「って言って、素直に従うヤツなら楽なんですけどね」
敵は投降するどころか、部屋の奥からヤバそうな大砲を持ち出してきた。教主の許可がある場合にのみ使える、教団の切り札たる【狂信の炎】だ。奴さん、意地でも抵抗する気まんまんである。
「ふぅー。さて、やるか」
向こうがその気ならこっちも【|正当防衛《セイギシッコウ》】だと、遙斗は愛用のジッポライターでタバコに火を付ける。立ち上る煙は殺戮気体となって彼の周囲を漂い、移動速度を大幅に引き上げる。
「どうした、撃て!」
「教主様……ですが、敵が速すぎて!」
狂信者達は9人がかりで魔力砲『信仰の炎』を担ぐが、高速で走り回る遙斗に照準を合わせられない。どんなに強力な√能力も当たらなければ意味はない――闇雲に撃っても自分達の拠点を破壊するだけだ。
「悪いが【悪】は斬る!」
「ぎゃあッ!?!」
敵がまごついている隙に遙斗は霊剣「小竜月詠」を抜き、【霊剣術・|朧《オボロ》】で狂信者を斬り捨てる。一太刀見舞えばすぐさま離脱するヒット&アウェイで、距離を保ちながら戦うスタイルだ。
「ついでに鉛玉もどうぞ」
「ぐわっ?!」「がはッ!!」
反対の手には特式拳銃【八咫烏】を持ち、魔力砲を担いでいる連中に向かって連射。
攻撃の手数を切らさないようにしつつ、砲撃の射線上には入らないように回避する、隙のない戦いを披露する。
「お、おのれ……我らの、計画、が……」
霊剣に斬り伏せられ、銃弾に貫かれ、力尽きた狂信者達は無念の言葉を遺して斃れる。
警視庁が誇る秘密捜査官、その実力を遺憾なく見せつけた遙斗は、刀と銃をしまい、新しいタバコに火をつけながら呟いた。
「手間取らさないでください」
こいつらは所詮怪異に隷属するだけの下っ端、本当に倒すべき主犯はこの先にいる。
拠点の奥から発せられる禍々しい気配に、彼はまだ警戒を解いてはいなかった――。
「よし、さっきの失敗を取り返すぜ……」
情報収集の時はあまり役に立っていなかった気のするカトルは、ここで名誉挽回する為にも戦闘に参加する。怪異を崇拝する『狂信者』を倒し、簒奪者の計画を阻止すれば、功績と失敗の差し引きはプラスになるはずだ。
「これ以上の好き勝手は許さん!」「うおおおおッ!」
もちろん拠点に攻め込まれている狂信者側からすれば、ミスなど取り返されないほうが良いわけで。攻撃の構えを取ったカトルに【狂信の斧槍】で先制攻撃を仕掛けてきた。
「まずは数をどうにかしないとな……」
カトルは全身にエネルギーバリアを張って攻撃を防ぎつつ、飛びかかってきた敵の周りを破壊の炎で焼却しながら後ろに下がる。追い討ちをかければ火の手に巻かれるため、狂信者達は「チッ!」と舌打ちしながら隠密状態に移った。
「やっぱ消えたか、でも周りが燃えているからな……敵を炙り出してやるぜ」
怪異への崇拝により得られた魔力は、普通の手段では見破れない。だが姿を消しても存在自体は消えていないはずだ。不意打ちを警戒してエネルギーバリアを張ったまま、カトルは【ラセン連撃】を発動――まずは風と雷を放つ。
「ぐッ?!」「し、しまった……!」
破壊の炎で燃えていない場所に潜んでいた狂信者達は、狙いすました攻撃を受ける。
雷は矢のように貫いて敵を痺れさせ、風は鞭のように絡みついて敵を縛り上げる。これでもう姿が見えなくても関係ない。
「捕まえたぜ……オラァ!」
「がはぁッ!!?」
風と雷で敵を捕まえたカトルは、光速で接近しながらオーラパンチを放つ。ただの牽制にしては絶大な威力を誇るそれは、食らった狂信者を一撃で吹き飛ばし、ビルの壁にめり込ませた。
「さあ、ラセンの力を味わいな!」
間髪入れずに追撃を仕掛けるカトル。彼の故郷に伝わる『ラセン』の力を込めた爪弾が、周囲の敵を貫通する。神速に到達するその強撃を見切れる狂信者はおらず、「ぐわぁぁぁーーーッ!?」と悲鳴を上げて力尽きていった。
「まだまだ体力を残さねえと……」
どこかに隠密中の敵がまだ潜んでいるかもしれない。隙を狙われないようにエネルギーバリアは展開したまま、カトルは慎重かつ大胆に戦闘を進める。ここにいる下っ端連中よりも、ボスである怪異との戦いを見据えて、力を温存しているようだ――。
「どうやら成功か。間に合ったみたいだな」
簒奪者にインビジブルを確保される前に、首尾よく拠点を発見できたのはなにより。
雑居ビルに乗り込んだ利家の前に立ちはだかったのは、人間にしては異様な雰囲気を帯びた集団だった。
「こいつらも√能力者であるならば、欠落を抱えるが故に完全なる死からは遠い存在。その執着や根源的な渇望は推して知るべしというところか」
邪神に身も心も魂も捧げ、新たな怪異となりつつある『狂信者』達。その常軌を逸した信仰心は侮れるものではないと、彼は油断せずに戦闘に入る。使用する武装は両腕に装備したバトルガントレット「カイザーナックル=アウグストゥス」だ。
「我らが女神のために!」「うおおおおおッ!!」
利家が攻撃体勢を取ると、狂信者達は【狂信の斧槍】を構えて跳びかかってくる。怪異への信仰によって魔力や身体能力も向上しているようだ――が、向こうから近付いてくるのなら利家には好都合だ。
「いくぞ」
「ぐお……ッ?!」「ぐはぁっ!?」
斬りかかってくるタイミングに合わせてダッシュで切り込み、タックルを食らわせる。
最初の敵をふっ飛ばした後、別の敵にフックを放てば、脳を揺らされた狂信者はバタリと崩れ落ちた。
「同列に語るなら、王権執行者に利用され続けて、決して終わることも無く心を苛む女神の|眷属《奴隷》。それもまたひとつの|地獄《Anker》ではあるな」
見方によっては彼らも怪異が現世に干渉するための楔。そう考えれば哀れやもしれないが、それで情けをかける利家ではない。怪力任せの飛び蹴りで敵をなぎ倒したかと思えば、すぐさま立ち上がってアッパーカットを放ち、攻撃の手を休めない。
「ぐへぁッ?!」「つ、強い……!」「なんだコイツは……ごはッ!!」
動揺する狂信者の脳天を重量を乗せた頭突きが砕き、驚愕する者に正拳が叩き込まれ。
狂戦士の如き乱撃で周囲の敵を滅多打ちにしたかと思えば、トドメは渾身のアッパーカット。持てる技能の全てを尽くした【|百錬自得拳《エアガイツ・コンビネーション》】だ。
「どうした。こんなものか?」
わずか数秒の内に利家の周りには、蹴散らされた12体の狂信者達が倒れ伏していた。
常軌を逸した怪力と、それを制御するための装備と格闘技術。圧倒的な実力を見せつけた|職業冒険者《ダンジョンエクスプローラー》は、残敵に向かって手招きする。
「お前達が真の安寧を望むのであれば、その覚悟を証明してみせろ」
「こ、小癪なぁ……!!」「貴様こそ、覚悟しろ!」
この発言を挑発と受け取ったか、いきり立った狂信者達が武器を両手に襲いかかる。
だが結果は変わらず。蛮勇と狂信によって立つ愚者の群れは、その理想を果たすことなく剛拳に打ち倒されるのだった――。
「天麟、今回は危ないから……」
怪異の拠点が判明した後、瑞希は天麟を家の近くまで送っていた。『死後蘇生』できないAnkerの彼女を、√能力者同士の戦いに巻き込むのは危険過ぎる。最悪の事態を考えれば妥当な判断だろう。
「はい! 気を付けてくださいね」
天麟も文句はないようで、送って貰った後は、取って返す瑞希の後ろ姿を見送りつつ家路につく。このまま何事もなければ、彼女の冒険はこれで終わりのはずだったのだが――。
「はあ……憂鬱です……」
調査の途中から、誰かが自分達を尾行している事に、天麟はとっくに気付いていた。
深くため息を吐いた彼女はネガティブ・パラノイア態に変身しつつ、さっきから後ろにいた『狂信者』達に声をかける。
「わたくしに用があるなら出てきて下さい」
「……気づいていたのか」
暗がりから現れた黒装束の集団は、√EDENの日本では銃刀法に問われる武器を携えている。間違っても穏便に話し合いをするような空気ではない。天麟達が怪異の計画を阻止せんとしている事は、彼らも知っているはずだ。
「はー最悪です」
問答無用で襲い掛かってきた狂信者達に対し、天麟は素早く「天麟の魔力宝珠」を投げつける。黄泉の回転を纏ったそれは吸収効果を持ち、ヒットした敵から魔力を奪い取る。
「ぐっ……こいつ、√能力者でもないくせにッ!?」
「遅いです」
相手を普通の人間だと侮ったか、動揺する狂信者達の背後に、空中ダッシュで天麟が回り込んでくる。√能力がなければ√能力者に対抗できないわけでは無い――蜘蛛を模した「パラノイア・ソード」の斬撃が、悪しき者を切り裂く。
「パライン……お願いします」
天麟は反撃が来る前に空中に避難すると、残った敵を「パラノイア・インビジブル」に始末させる。ネガティブ・パラノイアに従属する攻性インビジブルの群れは、バイクの突進で敵を跳ね飛ばした。
「「ぐわぁぁぁぁーーーっ!!!?」」
町に響き渡る狂信者達の悲鳴。彼らが崇拝する女神クヴァリフ以外にも、この世には数多の怪異や神秘が存在する。その力を操る者に喧嘩を売ってしまったのが、彼らの過ちであった。
「わたくしを人質にしようとはいい度胸ですね……」
天麟はまだ息がある狂信者の胸ぐらを掴まえ、他の仲間や怪異がいる場所を聞き出す。
どうやら、こいつらは√能力者である瑞希に対する人質として、天麟を捕らえるつもりだったようだ。調査中の仲の良さを見れば、彼女がAnkerだと推察するのは難しくない。
「良い事を思いつきました」
だったら、その愚かな作戦を逆に利用してやろうと、天麟は狂信者のローブと武器を奪って気絶させ、支配の糸で拘束する。果たしてなにを思いついたのか、その口元には微笑が浮かんでいる――。
●
「さあ……行くよ!」
一方その頃。怪異の拠点まで急いで戻ってきた瑞希は、狂信者集団と戦闘中だった。
全身にエネルギーバリアを展開しつつ【|霊力超解放《オーバー・ライド》】を発動。身体能力を始めとする各種ステータスを強化しつつ、星剣レイチェス・フランを構える。
「来たれ同士よ! 我らが神に仇なす者を討て!」
狂信者達も【狂信の旗印】を掲げ、事前に招集しておいた同胞を戦闘に参加させる。
個人の戦闘力では√EDENの√能力者に劣るが、数の暴力と死を恐れぬ狂信こそ彼らの武器だ。
「速攻で蹴散らしちゃうよ!」
だが霊力解放形態の瑞希は、2倍になった身体能力にものを言わせて敵の動きを見切り、星剣で切り払う。【狂信の旗印】による指揮中は全員の反応速度が落ちているので、狂信者達は彼の動きを実際以上に速く感じているだろう。
「勿論……油断しない!」
「ぐげはッ?!」
さらに瑞希は霊力で具現化した巨大な念動力の手を操り、剣だけではカバーしきれない敵を殴り飛ばす。その手には概念に触れて書き換える力もあるため、物理的な衝撃以上にダメージは甚大だ。
「くっ、こうなったら……あのガキを連れてこい!」
窮地に立たされた狂信者の指揮官が叫ぶ。すると奥から小柄な狂信者がやって来る。
その狂信者が誰かをロープで拘束し、首元に武器を突きつけているのを見て、瑞希は目を丸くした。
「え……? て、天麟?!」
それは紛れもなく、危ないからと家に帰した筈の幼馴染――天麟だった。気絶しているのか瑞希の呼びかけにも反応はなく、微かに苦しげなうめき声を上げるのみ。優勢だったはずの戦況は、一瞬にして逆転した。
「我らの事を嗅ぎ回る輩を、我らが警戒していないとでも思ったか。迂闊だったな」
「しまった! 後をつけられてた……」
情報収集の最中に、狂信者達に運悪く見つかってしまっていたのか。もっと警戒すべきだったかと考えても後の祭りだ。幼馴染を人質に取られては手の出しようがなく、瑞希は武器を捨てて両手をあげた。
「ククク、話が早いな」
万が一の備えは用意しておくものだと、ほくそ笑みながら瑞希を取り囲む狂信者達。
このまま卑劣な数の暴力になぶり殺されてしまうのか――そう思われた時、天麟を拘束している狂信者が声を発した。
「覚悟しなさい……憂鬱です……」
ローブを内側から突き破って、龍の翼と大蜘蛛の足が飛び出す。その尖端から放たれた糸は、1人の狂信者に絡みついて心身の自由を奪い、マリオネットのように味方に武器を向けさせた。
「なッ……?!」「き、貴様ッ!!」
まさに全員が瑞希の方を見ていたタイミングでの、背後からの裏切り。いや、彼女はそもそも裏切る以前に仲間ですらない――破れたローブの下から現れたのは、ネガティブ・パラノイア態に変身した天麟だった。
「て、天麟?!」
「はい! 貴方の天麟ですよ!」
襲撃を返り討ちにした後、天麟は奪った装備に着替えて敵になりすましていたのだ。
武器を突きつけられていた天麟は、パラノイア・インビジブルが変身したもの。人質に取られたように見せかけて奇襲のチャンスを見計らっていたのだ。
「よくも瑞希を傷つけようとしましたね」
自分のみならず大事な幼馴染まで手をかけようとした狂信者に、もはや慈悲はない。
天麟は支配の糸で操った狂信者に同士討ちをさせつつ、片手で素早く銃を抜き、黄泉の回転魔弾で敵を撃ち抜いていく。
「ぎゃああッ?!」「お、おのれええっ!!」
切り札のあてが外れたばかりか不意打ちまで食らって、もはや狂信者達は総崩れだ。
右往左往する連中を変身を解いたパラノイア・インビジブルが殴り飛ばし、天麟も空中を自由自在に駆け、パラノイア・ソードでトドメを刺す。
「大丈夫ですか……? 瑞希」
「うん! ありがとう天麟!」
人質が無事だったと分かれば、瑞希も我慢する理由はない。落とした武器を拾い上げて、天麟と一緒に残りの敵を蹴散らしていく。悪辣な策を弄する狂信者にもたらされたのは、悪党にふさわしい無様な最期だった――。
「ほう……こんな狭いビルに籠っているの?」
√EDENを侵略する邪神カルト教団のアジトにしては、随分と慎ましい外観の建物を見上げて、明日香は笑う。下手に立派な拠点を構えるよりは、こちらのほうが目立たなくて良いのかもしれないが。
「どちらにしてもやっちゃうけどね!」
彼女はライダー・ヴィークルのアクセル全開にして、全力疾走で雑居ビルに飛び込む。
ドガァン! と突き破られたドアが吹っ飛び、中でたむろしていた『狂信者』達が慌てて振り返る。顔をフードで隠していても、びっくりしているのが分かる。
「な、なんだ貴様は!」
「決まってるじゃん、ヒーロー登場だよ!」
向こうが驚いている間に明日香はヴィークルの座席から立ち上がり、ジャンプ。天井ギリギリまで飛び上がると、眼下のレン中からターゲットを選ぶ。どいつもこいつも似たような格好の黒装束だが、微妙に役割や階級で違いがあるようだ。
「あのリーダーみたいな奴にかましてやる!」
見えている中で一番派手な【狂信の旗印】を持った奴に狙いをつけた彼女は、空中で華麗な三回転捻りを披露し、勢いをつけてから必殺の【ライダー・キック】を放つ。流星の如く落下していく少女の蹴り足が、紅蓮の炎を纏った。
「ま、まずい、逃げろ!」
自分が狙われているのに気付いたリーダー格の信徒は、他の狂信者達に指示を出しながら回避を図る。回転を加えた【ライダー・キック】は予備動作が増えるぶん命中率は半減するため、避けるのは容易い――だが、ただ避けるだけでは意味がない。
「しめやかに纏めて爆散しろぉ!」
「「グワーーーーッ!!!!?!」」
キックの着弾点から半径15mに渡って広がる、爆発的な衝撃と炎。キックそのものが外れても、それらは敵を倒すのに十分な破壊力があった。ふっ飛ばされる狂信者達の断末魔が、狭いビルの中に反響する。
「あ、顔隠すの忘れた……まあ全員始末すればいいか♪」
豪快に敵を爆散させた後で、ようやく素顔を晒したまま戦っていた事に気付く明日香。
マスクド・ヒーロー的にそれは良いのか疑問だが、目撃されてもどうせ倒すのだから問題ないと判断したようだ。
「とりあえずタコ殴りはごめんだから」
「お、おのれぇぇ……」
まだ何人か生き残っている狂信者を見ると、明日香はヴィークルに乗りなおして距離をとる。狭い屋内とはいえ機動力はこちらが有利だ。反撃の隙も与えずに、華麗に蹴散らしてしまおう――。
「んんぅ……なんとか見つけましたし間に合いもしましたね」
怪異の拠点と化した雑居ビルの中で、邪神を崇める『狂信者』集団と対峙する七十。
先に突入した√能力者達との交戦により、すでに相当の被害が出ているようだが、それでも逃げ出そうとする者はいない。
「我らが女神の為に!」「女神の為に!」
壊れたラジオのようにそればかりを叫びながら、教主の号令で魔力砲『信仰の炎』を構える狂信者達。命にかえてでも神敵を討ち滅ぼさんとする、異常な覚悟が見て取れる。
「事前に聞いてた通りの物凄い信仰心ですね……でも、私も貴方達の女神に用がありますので通して貰いますよ?」
七十は浸食大鎌「エルデ」を構えながら【|我隷我喰《ガレイガガ》】を使用。未知の植物の蔓を自身の体に纏わせて、瞬間再生能力を獲得する。この種の超常的な生態を持つ草花類を、彼女は大量に育てていた。
(この後に備えて手の内はあまり晒さない様にしましょう)
怪異の信徒程度に全力を出す必要もないだろうと、再生能力主体で突撃をかける。
正面から近付こうとすれば、敵の射線に入ることになる。不気味な異音を立てながら、魔力砲の照準がこちらを向いた。
「撃てッ!!」
号令と共に【狂信の炎】が発射される瞬間、七十は真横に少しだけステップを踏む。
だが直撃しなかったとしても、狂信者達の力を合わせた砲撃は直線上にいる全ての神敵を焼き滅ぼす――はずだった。
「ちょっと熱いですね」
「な……ばかなッ?!」
熱線を浴びたはずの七十の体は、未知の植物の作用で瞬時に再生されており。彼女は驚愕する狂信者達に大鎌を振るい、片っ端から切り裂いていく。致命傷は負わなかったとはいえ、二射目を撃たせるつもりはない。
「さて、消耗を避けるためにも追加しますね?」
さらに七十は切り裂いた狂信者の血肉を使い、狂信者を模した隷属者を作り出して、敵への攻め手を増やす。彼女もまた人の形をした怪異――人間災厄「万理喰い」。この程度の御業は造作もないことだ。
「ぐわぁッ!?」「も、申し訳ありません、クヴァリフ様……!」
貪食の鎌と隷属者の群れの餌食となり、口々に無念を叫びながら斃れていく狂信者達。
√能力者とはいえ、死の間際にさえ口にする言葉が神への懺悔とは、狂信者の鑑である。
「ふむ、ここまで信仰されているなら、どれほどの女神様なのか一層気になりますね」
信徒達の心をこうまで惹き付けて離さず、魂までも捧げさせた『クヴァリフ』とはいかなる存在か。実物を見るのが楽しみになってきた七十だが、それは単純な好奇心というわけでもない。
(……とても、美味しいといいですが)
クヴァリフの行動原理が『仔を産む』ことなら、七十の行動原理はさしずめ『喰らう』こと。狂信者の血肉を味わうように「もぐもぐ♪」と口を動かしながら、彼女は微笑むように目を細めていた――。
「なんかなあ。私の√の狂信者たちってどの神を仰いでてもやることも能力も大して変わらないよね」
これまでに何度か他の怪異と遭遇し、それを崇拝する『狂信者』とも戦ってきたアルブレヒトは、連中の変わり映えのなさと似たりよったりな中身に飽き飽きした様子でぼやく。
「もしかして依存できる対象でありさえすれば仰ぐ神は実は何でも良かったり?」
「貴様、それは我らの信仰を愚弄しているのか!」
当然、クヴァリフの崇拝者達からすれば不愉快な態度だろう。神は唯一無二であり、自分達の神こそが絶対だ。全身を黒装束ですっぽり覆っていても、一目で分かるくらいの殺意が漲る。
「いや、だってそうも言いたくなるよ。そこの君とか、前に私たちの√で別の神の生贄探してなかった?」
「するか!!」
「え、人違い? さすがにそうか……」
からかっているのか素で言っているのかはさておき、そんなどうでもいい雑談をしながらアルブレヒトは「命の果実」をもぐもぐと齧る。人の血肉を土壌にして育ったそれは、名前の通り命のエネルギーに満ちている。
「ぱわーあ~っぷ。じゃあサクサクいこうねー」
【|人間農家形態《ヒューマンファーマーフォーム》】に変身した彼女は、どこからともなく一本の槍を取り出し、近くにいた狂信者に突き刺す。あまりに無造作な動きだったにも関わらず避けられない、人外の身体能力だ。
「ぐ、ぐわぁぁぁッ?! お、俺の体が……!!!」
人間災厄「プランテーション」の槍に刺された狂信者は、生きたまま果実に変わる。
アルブレヒトはそれを食い、力を高め、また次の敵に槍を刺す。それを繰り返すだけで、戦場は阿鼻叫喚の地獄と化した。
「いただきます」
「や、やめろぉぉぉぉッ!!」
いくら【狂信の旗印】で仲間を呼んでも、果実の元が増えるだけ。これは戦闘と言うよりも一方的な作業――アルブレヒトからすれば「収穫」のようなものだろう。人類という畑に種を蒔き、果実を育てる農婦が彼女だ。
「どうせまた会うことになるんだろうけど……変えられて食べられて死んだ経験は皆あんまりないんじゃない? メンタル治るのには時間かかるかもだけどごめんね」
あまり悪びれていない様子でアルブレヒトが謝る頃には、そこに転がっているのは「人間」でも「人間の死体」でもなかった。果実に変えられた狂信者達は、ひとつ残らず彼女の腹に収まる。
「……女神様に食べられ慣れてるかな?」
だとしても自分の神様以外に食べられるのはやっぱりイヤだったかもね、とか考えながら彼女は先に進む。こいつらを使役していた怪異の「パイセン」と、いよいよご対面の時だ。
第3章 ボス戦 『仔産みの女神『クヴァリフ』』

「なんと……妾の『仔』になるはずであった者らが、こうもあっけなく」
怪異のアジトで√能力者達が『狂信者』集団を撃破してから、間を置かず。
どこか艶めいた女の声と共に、部屋の奥から「なにか」が姿を現す。
「なんと哀しき事か。なんと悦ばしき事か。あの者らより優れた汝らであれば、より強き『仔』が産まれるであろう」
人間の女と、蛸の触手と、眼球を、乱暴に混ぜ合わせたような異形。
彼女こそが仔産みの女神『クヴァリフ』。狂信者を率い、√EDEN侵略を企てた怪異だ。
当初の彼女の目的は、√EDENのインビジブルを集め、力を高めることだったはずだ。
だが今は、計画を阻害した√EDENの√能力者そのものに関心を移したように見える。
結局の所クヴァリフの望みは『仔』を作る事であり、そのためにインビジブルを得るのも、優秀な素体を得るのも、同じ事なのだろう。
「妾の『仔』となるべき汝らに、祝福を与えよう」
信徒を殺された怒りさえ見せずに、クヴァリフは慈母の如き微笑を√能力者に見せる。
だが彼女の与える祝福とは、その身の内に人間を取り込み、忘我のうちに『仔』へと作り変える事である。そんなものを歓迎する輩はそれこそ狂信者だけだ。
このように危険な怪異を、このまま√EDENにのさばらせてはいけない。
楽園に顕れし仔産みの女神を排すべく、一同は再び戦闘態勢を取った。
「ふぅー。悪いけどあんたの仔になるつもりなんてさらさらないんでね。とっと始末させてもらいますよ」
愛用の煙草をふかしながら、怪異『クヴァリフ』の呼びかけにそう答えたのは遙斗。
怪異の誘いに乗った人間の末路なんて、|警視庁異能捜査官《カミガリ》なら誰でも知っている事だ。 さっき見た狂信者どものようになりたくなければ、無視するに限る。
「ふふふ……威勢のいい『仔』は、嫌いではないぞ」
その発言を聞いたクヴァリフは笑みを深め、蛸のような触手をうごめかせる。女神からすれば矮小な人間如きに選択の権利など無いのだろう。望まぬと言うなら力ずくで『仔』にするだけだ。
「さあ、見るが良い……汝が成るべき『仔』の姿を」
クヴァリフは自らの記憶世界【クヴァリフの肚】から、かつて自らが産んだ中で最も強き『仔』を召喚する。それはもはやヒトの姿を留めていない、名状しがたき異形。ただ本能的に『母』を守らんと、眼前の敵対者に牙を剥く。
「俺もああなるって? おお嫌だ」
ぞっとしないねと吐き捨てつつ、遙斗はタバコを咥えたまま刀と拳銃を抜く。まずは特式拳銃「八咫烏」で『仔』を牽制、それで止まらなければ「小竜月詠」で迎撃だ。敵との距離に合わせて武器を変えるのが彼の戦闘スタイルである。
『オアアァァォォ……!!』
乱雑に触手と腕を振り回し、獲物を捕らえて締め上げようとする『仔』。その身体能力と怪力は尋常ではないが、知性は低いらしく動きは読みやすい。遙斗は触腕を刀で切り払い、眼球らしき部位に拳銃を向けた。
「ちょっとどいてな」
『オゴアァァ?!』
弾丸に目を潰された『仔』が不気味な悲鳴を上げる。この程度で怪異は死なないだろうが、隙ができればすかさず遙斗は√能力【|正当防衛《セイギシッコウ》】を発動。殺戮気体と化したタバコの煙を身に纏って、一気に移動速度を上げる。
「女神だかなんだか知らないけど、ずいぶん勝手なことをしてくれますね」
「ほう……?」
悶える『仔』の横をすり抜けて、あっという間にクヴァリフの元まで接近する遙斗。
そのまま足を止めることなく、すれ違いざまに小竜月詠による【霊剣術・|朧《オボロ》】を見舞う。
「たとえ神様だろうが、【悪】は斬る」
「おぉ……『仔』が母に手を上げるか……!」
両親の形見として受け継いだ退魔の太刀は、異形なりし仔産みの女神の触手を一本、根本より斬り飛ばした。吹き出した青黒い体液を浴びるよりも、敵の反撃が来るよりも速く、彼はその場を離脱する。
「ふぅー、流石に一太刀じゃ終わらないか。なら作戦続行っと」
タバコの煙を燻らせながら、ヒット&アウェーで一定の距離の確保しつつ、遙斗は署に戻って書く報告書の事を考えていた。あまりに非日常で非現実的、死の危険と隣合わせの過酷な業務――それももはや、いつも通りだとばかりに。
「やっと親玉のお出ましかよ! ……試してみるか?」
カルト教団の狂信者どもをぶちのめし、ようやく対面となった怪異『クヴァリフ』を睨みつつ、カトルは新しい兵器の準備をする。神と称される高位の怪異なら、試し撃ちの相手には不足あるまい。
「ほお、可愛らしい小鳥もいるか。汝も妾の『仔』にしてやろう」
一方、クヴァリフが『仔』にする対象は人間に限らないらしく、|精霊憑依獣《スピリットクリーチャー》のカトルを見ても喜んで【クヴァリフの御手】を伸ばす。蠢く無数の眼球と触手、そして抱擁するように広げられた腕が迫る。
「うお! 集合体恐怖症の人に優しくねえな……おい!」
エネルギーバリアを展開して敵の方へ向かうなり、無数の眼球を見てしまったカトル。
だが、ここで怯めば本体に捕縛される可能性がある。ゆえに気を強く保って、破壊の炎で眼球を焼き払う。
「さあ、妾の胸に抱かれよ」
「悪いがお断りだぜ!」
直後に迫ってきた女神の抱擁には、スピリットガンから放つ魔弾で拒絶の意思を示す。
あれに取り込まれた生物は忘我のうちに『仔』へと造り変えられてしまうとの話だ。絶対に捕まらないためにも素早く距離を取る。
「逃げても無駄よ。妾の手はどこまでも伸びる」
「触手もあるのか……だがな!」
追撃を仕掛けてきた蛸状の触手を、エネルギーバリアで防ぎつつ。ここでカトルは√能力を発動し、触手の一つに右の羽で触れた。彼は『ラセン』の使い手であると同時に、あらゆる√能力を無効化する√能力者【ルートブレイカー】である。
「はて……?」
触手の動きが止まり、無数の眼球が消える。不意に己の√能力を無効化されたクヴァリフは、きょとんとした様子で首を傾げる。その隙を見逃さずに、カトルは外に設置していた「新兵器」を起動した。
「レルドラセン! ぶった斬れ!」
ドガンッと雑居ビルの壁を突き破って、飛び込んできたのは大型のパワードスーツ。
これぞ√ウォーゾーンの技術を導入した新兵器――決戦型ウォーゾーン『レルドラセン』の中に入ったカトルは、装備されている剣を目の前の怪異に振り下ろす。
「おぉぉ……斯様な鉄玩具に、妾の体が……」
切り裂かれたクヴァリフの体から、青黒い体液が吹き出す。その表情は苦痛や怒りよりも驚きに満ちていた。なぜ、この『仔』らは我が祝福を受け入れぬのか――ヒトならざる怪異に、人間や鳥獣の心理は理解できぬようだ。
「パイセンはパイセンではなくママだったか……まあどうでもいいけど」
人間災厄である自分の事も構わず全員『仔』にしようとする『クヴァリフ』の|女神《ママ》っぷりに、ちょっとだけ感心するアルブレヒト。彼女も人間から見れば大概"外れた"ほうだが、目の前の相手はそれ以上だ。
「流石は怪異の大先輩。思考が完全に自己完結してる。対話の意味がない雰囲気がぷんぷんするよ」
「ふふっ……ははは……さぁ……我が『仔』よ……来たれ……」
明確に敵対している√能力者でも、攻撃ではなく抱擁するように腕を広げるクヴァリフ。
あれの思考を理解できるようになってしまったら、いよいよアッチ側の仲間入りだ。その瞬間アルブレヒトも「狩る側」から「狩られる側」に回ることになるだろう。
「私はああならずに済んだから今こうして人間の犬やって生きていけてるわけで……どっちが正解なんだろうね、実際」
本能のままに生きるのか、それとも本能を抑えてでも共にありたい人達と生きていくのか。こうやって考えること自体が、ある意味「人間くさい」仕草と言えるかもしれない。目の前にいる怪異のパイセンは、明らかにそんな悩みとは無縁のご様子だ。
「私は自分の選択が正しかったと信じているけれど。パイセンの生き方に憧れるところがないと言えば嘘になるかな」
「ふふ……ははは……」
アルブレヒトがそんなことを言っている間も、クヴァリフはずっと受け入れるように腕を広げて笑っている。逆に言えば、それしかやっていない。単なる余裕の現れではなく――物理的に身動きが取れないのだ。
「確かこんな感じだったよね」
|警視庁異能捜査官《カミガリ》に所属する霊能力者の√能力を模倣した【|見様見真似霊震《サイコクエイク・イミテーション》】。霊能波ではなく怪異由来の邪悪な波動を放ち、最大震度7に相当する振動を局所的に発生させる技だ。
「ははは……よもや妾が、斯様な技で封じられるとは……」
今、クヴァリフの全身は最大威力の振動を受け続けている。無数の眼球、強撃用の触手、そして抱擁する【クヴァリフの御手】――いずれもアルブレヒトの元に届く前に、力ずくでその場に押さえつけられているのだ。
「どうよパイセン。人間の真似事も意外と効くっしょ」
人間の仲間の物真似をすることで獲得した能力で、人間を餌としか見ない怪異を滅ぼす。それがアルブレヒトの「選択」だった。もし正解でなかったとしても、正しかったことにしてみせる。パイセンだろうがママだろうが、これ以上の好き勝手はさせない。
「それでこそ……我が『仔』に、ふさわ……」
「それはもういいってば」
振動で身体がコナゴナに砕けるまで、一秒たりとも休まず負荷を与え続ける。「プランテーション」の意思と力は強く、「仔産みの女神」とて容易には抜け出せない。依然として微笑を崩さぬクヴァリフだが、ダメージは着実に蓄積していた――。
「ここまで来たら戦うしか無いです……はあ……憂鬱ですね」
「よし……やろう! 天麟!」
ため息を吐きながらもネガティブ・パラノイア態に変身する天麟と、そんな幼馴染を守る為に前に出ながらエネルギーバリアを展開する瑞希。怪異崇拝者達のアジトで、二人はついに元凶たる国産みの女神『クヴァリフ』と対峙する。
「ほほほ……活きの良い『仔』が、ふたりも……」
新たな『仔』を歓迎するために、クヴァリフは記憶世界から過去の『仔』を召喚する。
【クヴァリフの肚】より現れた異形は、かつてヒトであったものが女神の抱擁を受けたもの。怪異を崇め続けた愚か者の成れの果てだ。
『WOOOOOO……!!』
「気味が悪いですね……」
名状しがたき異形は咆哮を上げながら、新たな『仔』を母に献上せんと襲いかかる。
天麟は素早く黄泉の回転をかけた魔弾を放ったが、先程の狂信者ならともかく、完全に怪異化した者は多少のダメージでは止まらない。ここは一旦回避するべきか――。
「むっ……捕まえた!」
「瑞希……!」
そこで瑞希が、エネルギーバリアで敵の突進を防御しながら、覚醒霊気による念動力の手で捕まえて「それっ!」と投げ飛ばす。天麟も念の為に防御オーラを展開していたが、頼れる幼馴染がいれば心配はなかったようだ。
「なら、こちらは敵の動きを鈍らせます!」
天麟は再び黄泉の回転をかけた魔弾を放ち、投げ飛ばされた『仔』の魔力を吸収する。
敵が落下する場所とタイミングにぴったりと合わせた追撃。魔力を奪われた『仔』は苦しげなうめき声を上げる。
『GUOOOO……!』
「なにをしておる、妾の『仔』よ。もっと励まぬか」
だが、母たるクヴァリフに声をかけられれば、『仔』はよろめきながらも再び立ち上がる。それは狂信の域すら超えた絶対的従属。母に命じられ、母の役に立つことが無上の喜び。最も強き『仔』とは、最も忠実な『仔』であった。
「ようやく見つけたぜ!」
『GYAOOO?!!』
だが、そこで。一人の男が窓を蹴破ってビルに飛び込んできたかと思うと、手に持っていた釘バットで『仔』を殴り飛ばした。豪快なフルスイングを顔面に食らって、吹き飛ばされる『仔』。
「あっ……おじさん!」
「蓮之助……スマホの連絡見てくれたんですね!」
瑞希と天麟は、その男のことを知っていた。名を鳳崎・蓮之助 (朱鱗159代目・h04842)といい、天麟の義理の父親にして黄泉の回転技法を教えた師匠、そして√能力者でもある。二人の表情が嬉しそうに綻ぶのを見るに、信頼されているようだ。
●
「何で家の周りに変な奴らが居るんだぜぇ……怪異か」
久しぶりに家に帰って休もうとしていた蓮之助は変なローブを被った連中と天麟が争っているのを目撃した。ローブの連中を倒した天麟が何処かへ走り去って行くのを、密かに後ろから追いかけていたのだ。
「どうやら面倒なことになってるみたいだぜ」
道中で蓮之助自身もローブの連中に絡まれたが、全てバットで殴り倒して進み。途中で天麟からスマホに連絡があったのに気付いて状況を把握し、遅ればせながらここに辿り着いたというわけだ。
●
「ふふ……また新たな『仔』が増える……歓迎しよう……」
√EDENの√能力者側に増援が現れたのは、クヴァリフにとっては不利な事態のはず。
にも関わらず彼女は悦ばしいと微笑み、殴り倒された『仔』を取り込んで√能力を発動。新たなる【クヴァリフの仔『無生』】を誕生させた。
「俺も変身出来るぜ」
先程の『仔』以上に名状しがたき『未知なる生命』を前に、蓮之助も異形へと変じる。
海奪龍の牙の様なマスクとヒレ、背中から生える蜘蛛の脚。天麟のネガティブ・パラノイアとは姿が異なる――これが彼の変身形態、パラノイア・デッドライフ態だ。
『AoOぉoooァア……!!』
「う……うわあ……引っ張られる!」
産まれたばかりの『未知なる生命』は、産声と共に空間を捻じ曲げ、√能力者達を引き寄せる。まるでブラックホールのような凄まじい吸引力に、瑞希は慌てて念動力の手で壁を掴む。
「まったくよぉ……折角休めると思ってたんだぜ」
しかし蓮之助のほうは動じず、蜘蛛脚から「簒奪の超糸」を柱と壁、さらに瑞希と天麟に貼り付けて、全員の身体を固定する。特別な効果はないが非常に硬く、敵の引き寄せにも耐えられる強靭な糸だ。
「ありがとう! おじさん! 天麟!」
ぼやきながらも一緒に戦ってくれる蓮之助に感謝しつつ、瑞希は【|シュリンの覚醒《シュリン・フォース》】を発動。自身のAnkerたる天麟を抱擁し「霊王シュリン」に変身させる。この√能力の効果中は、Ankerも一時的に√能力者となる。
「じゃあ……行きましょうか!」
名実ともに幼馴染と並び立つ存在となった天麟は、ロリータ系マフラーをなびかせながら黄泉の回転弾を射出。霊王に変身したことで弾速も増しているようで、放たれた宝珠は一撃で『未知なる生命』を貫いた。
『ごGYァaaaあァa……!!』
「ふふ。まだ斃れぬ、斃れてはならぬぞ」
致命傷を受けたかに見えた『未知なる生命』だが、どうやら蘇生能力まで持っているようで、クヴァリフが命じれば即座に息を吹き返す。そして母の御下に新たな『仔』を献上せんと、再び引き寄せ攻撃を仕掛けてきた。
「……隙を作ってやるか」
そこで蓮之助が「フェニックスオーブ」を、敵の空間引き寄せに合わせて投げつける。
義娘の得意技である黄泉の回転は、当然義父である彼も使える。『未知なる生命』の元に吸い込まれていった宝珠は、爆発的な衝撃波を発生させた。
『Guァあぁaaaa?!』
「ほう……!」
大きな衝撃に加えて魔力吸収を受け、『未知なる生命』とクヴァリフの体勢が崩れる。
蓮之助の義娘は、このチャンスを見逃さない。まるで蜘蛛のように壁や天井を足場に駆けると、神速のタックルを敵にお見舞いする。
「これで終わりです!」
『AGがガぁaッ?!』「おおッ……なんと……!」
瑞希から与えられた霊王の力とネガティブ・パラノイアの力。ふたつを合わせた全力の突撃が怪異どもを吹き飛ばす。流石に二度目の即時蘇生はなかったか、この一撃で『未知なる生命』は消滅していった。
「天麟……! ありがとう!」
敵に体勢を立て直す隙を与えず、今度は瑞希が追撃をかける。魔術と霊力による自動照準機構を備えた、ライフル型の「霊力狙撃銃」。その狙いすました一射がクヴァリフを撃ち抜く。
「おぉ……見事なり、我が『仔』よ……」
「俺はてめぇのガキになりたいんじゃなくて……ぶっ飛ばしたいんだ……ぜ!」
二人が攻撃し終えたところで、蓮之助も攻撃に参加。まだ戯言をほざく怪異に【|轟雷の無限回転弾《サンダー・スピンバレット》】を放ち、絶縁体すら貫通する電撃で痺れさせ――とどめに釘バットで殴り飛ばす。
「すばら、しぃ……これほど強き『仔』を、妾の肚に迎えれば……」
√能力者三名による猛攻を立て続けに受けたクヴァリフは、口から青黒い体液を吐く。
いかに神と称される怪異でも、これだけのダメージを受けて平気ではいられないはず。だが、それでも――あるいは、だからこそ彼女は√能力者達を『仔』にすることを、諦めていない様子だった。
「お前の理屈はよくわからんけど、|所有物《仔》になるつもりは毛頭ないよ」
まともな人間からすれば戯言でしかない『クヴァリフ』の呼びかけを、利家はきっぱりと拒絶する。あれの抱擁を受け入れるのは、それまでの自分を忘れて怪異の眷属に成り下がるということ。先程の狂信者のようになるのはごめんだ。
「次の当てを探してこの場は滅んで消えていけ」
「ほほ……幾ら滅ぼうと、妾に真の滅びはない……」
敵意を突きつけられてなお、妖しく微笑むクヴァリフ。この怪異も√能力者である以上、ここで倒してもいずれ蘇生するのは利家にも分かっている。それでも√EDENでの暗躍を阻止し、新たな『仔』を増やさせない事には意味があるはずだ。
「来たれ、我が『仔』よ……新たな弟と遊んでやるがよい……」
『ウオオォォォォォーーーッ!!』
【クヴァリフの肚】より召喚される、女神が過去に産んだ中でも最強の『仔』。それは対峙する相手の能力に合わせているのか、驚異的な瞬発力と怪力で襲い掛かってきた。自身が壊れる事も厭わない、全力の一撃が来る。
「耐えてみせる」
利家は「トランスフォームシールド」を展開し、真っ向からガードの構えを取る。
インパクトの瞬間凄まじい衝撃が走るが、機械腕「タイラントギガース」でアシストした怪力は『仔』の膂力にも負けず。ジャストのタイミングと角度で威力を受け流す。
「ほほほ……どうだ? 妾の『仔』の力は……」
「まだやれる。戦闘続行だ」
今の一撃で盾はひしゃげ、衝撃をもろにうけた両腕はズタズタ。だが、そうなる事も見越していた利家は口に含んでおいた「センタン」を嚥下して、継戦能力を維持する。味はひどくまずいが治癒効果は抜群だ。
「目覚めろ……俺の血に宿る龍の力」
さらに彼は体内にある「偽物の臓器」からの血流を全身に巡らせ、血中竜漿を活性化。
融合したインビジブルの力で一種のバーサーク状態に入り、血肉に眠る太古の神霊「古龍」を呼び起こした。
「ここからが反撃だ」
言うやいなや、利家は屠竜大剣「殲術処刑人鏖殺血祭」を担いで切り込みをかける。
【古龍降臨】にて神霊を身に纏った彼のダッシュは3倍速。まばたきする間もなくクヴァリフと『仔』の元に迫ると、怪力にものを言わせて剣を振るう。
「――霊剣術・古龍閃」
「おぉぉ……!」『グギャオォォ?!』
使い手の竜漿を飲み干した屠竜大剣は、恐るべき切れ味で怪異の肉を削ぎ、骨を断つ。
重量と膂力を兼ね備えた乱撃によって、たちまち『仔』は肉塊と化し。その母たるクヴァリフもまた、全身に深手を負うのだった――。
「にゃあ、蛙蟋達の猫とは大違いにゃ。あんなのがお前さんらの猫にゃ? 醜いにゃあ」
葉巻を吸って。煙を吐いて。吸って、燃え尽きさせて。大量の煙と共に登場するのはチーターの獣人。さっき捕らえたばかりの荷物――狂信者どもの体を引き摺り、怪異『クヴァリフ』を見やって感想を述べる。
「とりあえず、お前さん等は蛙蟋の物にゃ。あんなのより有効活用してやるにゃあ」
麻痺薬で動けない彼らが聞いているかは分からないが、そう言った時の蛙蟋は実に楽しそうな笑顔だった。すでに次の煙草に火を点けて、その次の煙草の準備もして。女神を狩る準備は万全のようだ。
「それは妾の『仔』となるべき者たち。返してもらおう」
みすみす自分の信者を持ち帰らせるつもりはないようで、無数の眼球、長大な触手、そして【クヴァリフの御手】の抱擁が迫る。なんなら狂信者もろとも蛙蟋も纏めて『仔』にする気であろう。
「スウゥーー……にゃはぁ♪」
だが。常人であれば直視しただけで正気を失うような光景を前にしても、蛙蟋は引き摺る荷物に笑顔と紫煙を振りまいて。直後に√能力【|煙草を喫む。そして至る。《メイク・アップ・ジャンキー》】を発動した彼は、濃密な紫煙を纏って走り出した。
「にゃあ。にゃはは」
止まらない嘲笑とともに蛙蟋の口から漏れる吐息は、呼吸器系・心肺機能に重篤な被害を齎す猛毒のブレスと化している。人間や獣人はおろか怪異にすら有効な、超々有害な副流煙だ。
「ごほっ……ほほ、面白い……妾を蝕む毒がこの世に存在するとは……」
毒煙を浴びせられたクヴァリフは咳き込みながらも、眼球による牽制と触手の強撃を叩きつける。いかにチーターの脚力でもこれを避けきることはできない――だが、直撃を受けたはずの蛙蟋は依然として笑っていた。
「にゃはははぁ♪」
|重度中毒喫煙者《ヤニカス》に変身(?)した蛙蟋は、ヤニ切れを起こすまでは色んな意味で無敵だ。特別な添加物――故郷の味「サンソルト」も混ぜて燃やしてあるので、それはもう最高にハイッてやつである。
「ほほ……相当に脳を煙で燻されておるな」
「お前さんにケチつけられる筋合いはないにゃぁ」
敵からなにを言われようが被弾はガン無視して、猛毒のブレスを浴びせ続ける蛙蟋。
向こうが先にくたばるか、こちらのニコチンが枯渇するかの勝負だ。怪異とは違うベクトルのイカれっぷりだが、|上位存在《猫》に立ち向かうなら此の位の非常識さも必要なのかもしれない。
「さあ、そろそろ終わりにするにゃぁ。にゃはは」
√能力者でなければとっくに肺ガンでくたばってそうな量の煙草を吸っては吐き、愉快痛快と怪異を嘲笑する蛙蟋。全てが終われば、彼は本当に捕らえた狂信者を連れて帰る気だろう。もし「どうするのか?」と尋ねれば、きっと同じ笑みを浮かべて答えるはずだ。
『面白いことを気にするにゃあ?』と。
(囮としてなら役に立たなくもないだろう、とは思う)
正面きっての殴り合いで、自分が神に勝てると茂は考えていない。だが、それでも自分がここにいることは無意味ではないとも考えていた。しがない文字書きでも体を張る覚悟さえあば。
「ふふふ……さあ『仔』よ、妾の腕の中に……」
故に『クヴァリフ』が再び攻撃態勢に入った瞬間、彼は前線に躍り出た。他の√能力者達が対処する間を稼ぐために。同時に、眼前にて艶笑する女神に"不幸"を届けるために。
「……おれの√能力は、攻撃・回復問わずいろいろを受け付けない」
【|黒妖犬の怪《バーゲスト》】。狗神ブラックドッグと融合した茂は限りなく無敵に近い存在となる。影そのものが立ち上がったかのように昏い、漆黒の魔犬に【クヴァリフの御手】が迫っても――。
「おや……妾の手を拒むというのか?」
無数の眼球に睨めつけられても、長大な触手を叩きつけられても。茂の心身にはいかほどの痛痒も与えられない。それこそ本物の影をすり抜けるように、あらゆる干渉が完全無効化されている。
「――お前のチカラに頼る、なんてな」
茂はブラックドッグの力をさらに引き出し、赤黒い灼熱のブレスを吐く。紫色の霊障波動を纏ったそれは見るからに自然のものではなく、危険を感じ取ったクヴァリフは後退するが――。
「おおっ……??」
後ずさった彼女の足元が、ふいにガラガラと音を立てて崩れる。戦闘の余波で建物の耐久性が下がっていたのだろうが、このタイミングとは"運が悪い"。バランスを崩した女神に、黒妖犬の炎が浴びせられる。
「此処に不幸の交差地点は存在する」
ブラックドッグは不吉の象徴とされ、死や不幸の先触れとして現れるとの伝承がある。
その伝承を真実にするかのように、茂はそこらじゅうを不気味な炎まみれに炙ってやる。この雑居ビルそのものを敵の火葬場にするかの如く。
「ははは……良い、良いぞ。それでこそ妾の『仔』にふさわしい……!」
クヴァリフは哄笑しながら【クヴァリフの御手】で反撃するが、やはりどの攻撃も通用せず、炎熱のダメージがじりじりと蓄積していく。まるで圧倒的な光景だが――その状況を作り出している茂の表情は暗い。
「……不幸を嗅ぎつけて嗤う嫌な獣になった気分だ……」
【黒妖犬の怪】は無敵ではない。外部からの干渉を無効化するたびに、使用者の満足感や多幸感を消費する。茂の場合はこれが一気に減ると、言動はおおよそネガティブになり、最終的には気絶に至る。
「はあ……憂鬱だ」
懐にしまった私物のメスは、自殺目的で扱うもの。戦闘が長引けが長引くほど、「しねない」のに「しにたくなる」が加速する。それでも彼が戦いを投げ出さないのは、まだ一抹の満足感が心の中に残っているからだろう。
「……元々明るいほうではないが、"任された"というのはどの場面においてもポジティブ要素だ」
つまり、茂の完全無効化時間はさほど長く保つものではない。だが役目を引き受けた以上、出来る限りのことはやってみせようと、彼はブラックドッグの霊能を行使する。
妖しく燃える狗神の火に、炎上する怪異の女神。果たして先に消え去るのはどちらだろうか――。
「ふぅ……やっと会えましたか」
調査を重ね、狂信者どもを退け、ついに対峙した怪異『クヴァリフ』に、七十は笑みを見せた。随分手間がかかってしまったが、ここからが「万理喰い」のメインディッシュの時間だ。
「ふふふ、とても食べがいがありそうですね」
そう言って彼女は√能力【万花変生】を発動。眷属である未知の植物群と、狂信者の血肉から作った隷属者達を呼び出し、一斉攻撃を行わせる。彼らが飛ばす種子や胞子等の遠隔武器には、命中した対象を隷属化する効果があった。
「ほほほ……よい、汝らも纏めて『仔』にしてやろう……」
だが仔産みの女神相手にこの程度は牽制にしかならない。【クヴァリフの肚】より召喚された『仔』が、不気味な触手と捻じくれた爪牙で植物と隷属者の攻撃をはたき落とす。
「んんぅ? とても強いですね、それ……私と似て呼び出した感じですかね? それも一番強い『仔』ですかね?」
「ふふ……汝であれば、これより更に強い『仔』になるやもしれぬなあ」
過去数多の『仔』を産み落としてきたクヴァリフの記憶から呼び出された、最も強き『仔』の1体。盲目的に命令に従うだけの存在でしかないが、単純な強さだけで言えば母親と同等かもしれない。
「……ふふふ、ならその『仔』ごと喰らい尽くしてあげますよ♪」
七十は遠隔攻撃組に植物での追加強化を施し、さらに近接組の眷属も追加で呼び出して『仔』に集中攻撃を仕掛けた。単体の戦力では及ばずとも、こちらには数の優位がある。
『グGャァおォoぉッ?!!』
人間の悲鳴のような、獣の雄叫びのような、奇怪な声を上げて抵抗する『仔』。しなる触手に植物達の遠隔攻撃は振り払われるが、その隙に近接組が捨て身の突撃を行い、枝や根や刃物を突き立てる。
「今です♪」
『オゴォ……A……アaaa……!!』
波状攻撃で弱らせた『仔』に、七十の配下は種子を植え付け、根を張り、血肉と精髄を喰らい尽くす。断末魔が止んだあとでそこに残るのは、カラカラに干からびた苗床だけだった。
「さて、次は貴女ですよ? 安心してください……骨の髄まで一片残らず食い尽くしてあげますから♪」
『仔』の始末が済んだところで、七十は【我隷我喰】を追加発動。【万花変生】との併用で自己強化を繰り返し、さらに追加した隷属者達と共にクヴァリフに突撃する。その姿はまさに怪異を率いる植物の姫君だ。
「ふふふ、触手も貴女自身も……改めて見てもとても美味しそうですね」
「汝もなんと愛いことか。さあ、妾の腕に抱かれるがよい……」
捕食と産出。怪異としての本性のままに行動する二柱の災厄が、互いの支配権をかけて争う。七十は全ての攻撃に隷属化の力を加え、クヴァリフの触手を【隷刃】で切り刻み、刃を通じて血肉を啜る。
「ほほほ……女神である妾さえも喰らわんとするか! なんと貪欲な『仔』よ……!」
クヴァリフも応戦するが、多くの√能力者達と激闘を繰り広げたその体は、すでに限界が迫っていた。いくら触手で締め上げ、抱擁を与えても、次々に隷属者達が襲いかかる。もはや一柱で対処しきれる数ではない。
「ちょっと似てるんですかね? 私たち。まぁ、私は産むより堕とすと言った方が正しいのですがね」
ここまで追い詰められても命乞いすらせず、ただ『仔』を抱擁せんとする女神に、少しだけシンパシーのようなものを感じつつ。七十は最後まで一切容赦せず「エルデ」を振るった。
「ふふ、ふ……今宵は、これまで、か……」
綺麗な金属の響く音を立てて、大鎌が女神の首を切断する。ごろりと落ちたクヴァリフの頭部は、口惜しやと言いながらも笑みを浮かべ――群がる隷属者達に食い尽くされながら、眼球ひとつになるまで√能力者達を見つめていた。
「汝らの事……覚えておこう。いずれ、また……」
その言葉を最期に、仔産みの女神『クヴァリフ』は消滅する。
彼女も√能力者である以上、いずれは何処かの√で蘇生するだろう。そもそも怪異に「死」の概念があるのかも定かではないが。
しかし少なくとも、これ以上この街で新たな『仔』や信者が増えることはない。
密やかに√EDENを侵食していた怪異の陰謀を、√能力者達は見事阻止したのだ。