抜けたらどんどこしょ
●古臭く新しい街
そこはにぎにぎしく、明るく、レトロで、まぶしいのに闇が深かった。
通りを一歩でも離れたなら、暗い暗い闇の底へ落ちていきそうな不吉な気配がした。それはまるで、√(ルート)と呼ばれる複数の異次元の存在の危うさそのものだった。
「ここは√妖怪百鬼夜行です……」
神谷・月那(人間(√EDEN)の霊能力者・h01859)は、色素の薄いまつげを伏せた。
「『大妖『荒覇吐童子』』の復活を私の予知が感知しました……。そうです……今回の任務は、この古妖を倒すことです……」
そのために、と月那はひたとあなたを見つめた。
「あなたに……この御伽歌の原因を探ってほしいのです……」
おとぎうた? あなたは眉をひそめた。首を傾げたかもしれない。
「耳を澄ませてください……」
自らの耳へ手をあて、月那はあなたへもそうするよう頼んだ。視線がうつろう街角は、音もまた混じり合っている。人と人とが声を掛け合う音、肌寒さゆえに着込んだ衣服の衣擦れ、賭けにでも勝ったのかとつぜんあがる歓喜の声、酔っ払いの終わりのない愚痴、走りまわる子どもたちの明るい叫び……そんな中へ、すうっと笹舟が流れてくるかのように、あなたは歌を聞き取った。
『……追われてとっぴんしゃん……』
「聞こえましたか……古妖の封印を解き、復活させるために御伽歌を歌っている人がいます。まずはその人を探してください……。対象となる人は……女で……我が子を失ったことが受け入れられず封印を解くことにしたようです……。人の波に隠れながら、可能なかぎりたくさんの人へ御伽歌を聞かせることで、封印解放の儀式を行っています……。どうか……」
月那はあなたへ頭を下げた。
「まずは聞こえる歌を辿って御伽歌を歌う女を探し当て、あなたの前へ現れるであろう『大妖『荒覇吐童子』』を倒してください……といっても……」
月那が、ふっと微笑んだ。
「せっかくお越しになったのです。すこし散歩でもしていかれてはいかがですか……?」
いろんなお店がありますよ。彼女の声が雑踏へ溶けていく。
第1章 日常 『妖怪ハイカラ街』

「これはまた……」
熊鷹・吾郎(くマスター・h03295)にとって、この√は初めて足を踏み入れる場所だった。見るものすべてが新しいのに、彼がいまのねぐらとしている不思議路地裏にも似た雰囲気がする。人と人でないものが混じり合う空間はいつも何かしらの湿り気を帯びるものだ。その湿り気を心地よく思いながら、吾郎は深く息を吸った。
「趣深い場所だね。心地よくもあり、なつかしくもあり、それでいて不気味で薄ら暗い、けして見落としてはならない一点の濁りを感じる」
吾郎は歩き出した。するすると人混みを抜けていく。身にまとった茶色のトレンチコートのうえで、狐半面がにたりと笑っている。ぼさぼさの髪をかきあげ、吾郎はふと足を止めた。
「ふむ、ミルクホール」
白を基調とした華やかな西洋風の建物の前だ。コンクリートで形作られたエンタシス風の柱が、和洋折衷の雰囲気をかもしだしている。
「どんなメニューがあるか興味深いねえ。うんうん。これも仕事のうちだからね。たくさんの人にお伽歌を聴かせるってんなら人の多いところを当ってみるのが定石というものだろう」
なんとなく早口でそういいながら、吾郎はミルクホールへ入った。中は存外広く、表とは打って変わって、マホガニーの重厚感で室内は統一されていた。ソファ風の椅子へ深く座り、吾郎はメニューを品定めする。
「ただの氷水がこんなにするのかい。なかなか抜け目のない店だね。かといって、ここでおひやを飲んで去るだけってのも味気ない」
吾郎は女給を視線で呼び止め、メニューの一カ所を指さした。
「メロンソーダを一つ」
やがて運ばれてきたそれを一口。吾郎には味覚がない、けれども口の中でパチパチはじけるソーダ水の風味は嫌いではない。そのままソーダを喫しながら、吾郎は顔を伏せていた。耳を澄ましながら。
『……たわらのねずみが』
かぼそい歌声だ。けれど油断すると吸い込まれそうな魅力がある。吾郎はうつむいたままそちらへ視線をやった。女の影が雑踏へ消えていく。
人混みは嫌いではない。それは身を隠してくれる。とげとげしい無関心と、透明なことなかれ主義が人混みにはある。古久慈・硯(硯の付喪神の不思議古道具屋店主・h02752)にとって、この√は心地いい。誰もかれもが混ざり物。人であり、妖怪であり、どちらでもありどちらでもなく、今日もこの√は猥雑で美しい。
からろと下駄を鳴らし、ほっそりとした足で泳ぐように人混みを抜けていく。その動きは流麗で、流れにのった魚のように優雅だ。銀のうろこの代わりに黒い髪が光をはじく。帯を高めにとった和装の着こなしは、年若く見える美貌をさらにあでやかにみせている。
さわがしい年の瀬のにぎわいのなか、ひっそりと硯は思考を深めていく。
(子を失った悲しみは、どれほどのものだろうか)
考えてみる。想像してみる。ただ性別すら欠落した硯に、その悲しみは直接的にはわからない。けれどもと思考を変えてみる。
(母は子を中心に生きるという。ならば世界の中心がとつぜんなくなったようなものだろうか。彼女にとって、崩壊した後の世界など心底どうでもいいものなのだろう)
そうなったことへは同情する。だとしても。硯は決意を固くする。
(古妖の封印を解くのはいただけない。探し出し、あわよくば防ぎたいものだ)
硯が何気なく結った髪へ手をやり、何かを引き抜いた。そこには何もなかったはずなのに、硯の手の中にはべっこうの櫛がある。麻の葉文様の入った櫛だ。この健康と健やかな成長を祈る、皮肉な模様だ。それでも硯はこれを届けたいと思った。
「それにしても……追われてとっぴんしゃん、か。はて、何の歌だったかな?」
どこかで聞いたように思うし、そうでもない気がする。
「答えがここにあるといいのだが」
硯は古書店の前で足を止めた。地層のように古書が積み重なっている古い店だ。
「ふ、あるじも本の付喪神かもしれないな」
中へ入り、店主に案内を頼む。天井まであるなかから、迷うことなく店主は一冊を抜き出した。
「童歌集事始、か。感謝する店主」
書物には、詳細な歌詞と、この歌は本来、遊びでの鬼を決めるのに使われることが多いとある。
(鬼決めの歌か。楽しいこどものあそびうたが、古妖の封印を解くのに使われるとは)
しんみりと歌詞をながめていた硯の耳へ、蚊の鳴くような歌声が届く。
『茶壷に追われて……』
硯はするどく振り向き、店主へ礼を言って勘定を済ませると、櫛と古本を胸に走り出した。
「とざい、とぉざぁ~い、とざい、とぉざぁ~い」
きつい表情で黙々と道を行く人々が、顔を緩めて振り返る。チンドン太鼓に派手な着物、旗振り口上ビラ撒く姿。小さなパレェド、チンドン屋のお通りだ。通りは一気に華やいだ雰囲気になる。その真ん前には箒星・仄々(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)の姿があった。大きくてくりくりした緑の瞳のあいくるしさときたら、道行く人々を魅了してしまう。
「とざいと~ざい、黒猫はタンゴ。おどろき、よろこび、わかちあいましょう、東に病気のお子さんいるなら、枕もとでセロをごうごうとひき、西のつかれたおやごさんへは、跳ねるリズムのカーニバル、南の旅立つ人へへむけて、はなむけのレクイエムをやり、北であぐらかくしかめっつらへは、喜びと歓喜の第九をおすそわけ、笑顔、笑顔、楽の音の前には、誰しもが笑顔になる、私は下町パレードおてつだい、仄々です!」
仄々が笑えばみんなメロメロ、ビラは飛ぶようにはけていく。チンドン屋の団長もこれにはにっこり。
「仄々くん、おつかれさま。おかげで予定よりはやく仕事がはけちまったよ。これは少ないけれど礼だ、受け取っておくれ!」
「ありがとうございます、団長さん」
ぺこりとお辞儀する姿もチャーミング。かわいい緑のお目目でウインク。またよろしくたのむよと団長も頭を下げる。
ほてったからだを涼やかにするため、駄菓子屋の店先で氷水にひたしたラムネを見初め、仄々はひとつ買い求めた。ビー玉の小気味の良い音とともに栓が開けられる。よくみれば、あちらには人形焼き、こちらには飴細工、おいしそうな匂いがふんわりと漂ってくる。体の芯がうずうずするような惚れこんでしまうような香りだ。
「ああっ、あっちのどら焼きもおいしそうです」
右へ左へ、かたっぱしから。食べ歩きグルメのお味はいかに。
「おいひいですー、これ私の大事なアンカーへも持って帰ってあげたいですね~」
ぱくぱく元気よく食べるものだから、まわりの子たちまでつられてほしがる。
「この軽焼きはとってもおいしいですよ。そこなおぼっちゃん、そんなさみしそうなお顔をせずにおひとついかがですか?」
またひとつ売上へ貢献。仄々は福を招く猫かも。きゃわきゃわわいわい、人だかり。だけど猫のお耳はつねにぴくぴく、油断なくよどみなく、あたりをうかがう。
自分の周りの楽しそうなにぎわい、そことは遠く離れたところ、そこから流れてくる音を、仄々はキャッチしてのける。
『……ずいずい……ごまみそずい……』
聞こえた。
「この軽焼きはとってもおいしいですよ。そこなおぼっちゃん、そんなさみしそうなお顔をせずにおひとついかがですか?」
またひとつ売上へ貢献。仄々は福を招く猫かも。
仄々は整った顔立ちをしかめた。
「今回のね、これはもう尻百叩き案件ですよ」
誰に聞かせるでもないつぶやきは胸の炎そのままのものだ。
「人の想いに付け入る古妖さんですよ、なんと卑劣なんでしょう。許しませんし、許せませんよ。だって……」
しゅんとした仄々、思い考えるのは今回の首謀者のこと。我が子を失ったという女のこと。失った子は男だったのだろうか、女だったのだろうか。それとも、そうわかる前に飛び立った命だったのだろうか。
「母親ですから……。もし我が子を蘇らせることが出来るのならと、どんな讒言にも耳を貸してしまわれるでしょう」
仄々にはわかる。誰かの役に立ちたいと常に願っている仄々だからこそわかる。人にはかなわない願いがあることを、それでもかなえたいとあがく人の悲しさよ苦しさよ、愛しさよ。
「お可哀想に。だからこそ、その無念を、古妖さんなんかに利用させるわけにはいきません」
「たいへんたいへん、急がなくっちゃ」
天宮院・流王(人妖「天狐」の御伽使い・h01026)が街を走る。人混みを切り裂くつむじ風のように。
「歌声が遠くなっていく。目的を達成しつつあるんだ。古妖が復活しちゃう」
走る足に力を籠め、流王はまっすぐに正面へ顔を向ける。小さな流王の小さなからだは、人混みなどいともたやすく走り抜けることができる。
呼び込みの男のわきをすりぬけ、荷物を落とした老婆を立たせてその腕へ大事なものを押し込んで、ついでに蕎麦屋の出前をきりきり舞いさせ、恋人たちの邪魔にならぬよう遠回り。周りを見る余裕すら流王にはあった。
「どいてどいてー!」
井戸端会議をするおばちゃんたちに会釈し、井戸へ足をかけ、そのまま壁を駆け上る。長屋の屋根にひらりと着地。一転、冷たい視線で周りを見回す。
「歌声、どこから……」
耳をすませば笛吹くような細い声音。いまにも息絶えそうな。
「子供がいなくなったのは悲しいだろうけれど、だからって古妖にあやつられちゃだめだよ」
飛び上がり、次の屋根へ着地する。そしてそのまま流王は走るスピードをあげた。
第2章 集団戦 『妖怪犯罪者』

四辻へ走りこんだ瞬間、空気が変わった。
あなたは走るのをやめた。
静かだ。季節外れの風鈴が鳴っている。こんな真冬に? あなたは静かに息を吸ってはいた。五臓六腑に冷気が染み渡る。
通りには誰もいない。ついさっきまで、菓子をほうばっていた子供も、それをたしなめる親も、ゆっくり歩く優しい目の老人も、あたたかな笑みを浮かべる通りすがりも。誰も、何も。四辻は空っぽで、いやな重圧感がある。
道の先は墨で塗ったようにまっくらだ。そこからだらりだらりと粘性の液がにじむがごとく、人影があらわれる。
「なぁんだあおめえ? あん? 古妖さまが復活するのを邪魔しようってんの?」
のっぺらぼうの若者がピアスの光る舌を見せた。蛇のように二つに裂けたその舌が、じゅるりと唇をなめる。
「したらおしおきだべえ~ってか、ギャハハハ!」
古妖の手下だ。あなたは先へ進むために、これを打ち倒さねばならない。
流王はつま先で地面をけった。とんとんと音がする。威嚇の音だ。重心を低く取り、胸を張って手を腰に、なめるように手下の妖怪どもを見やる。
「あん? なんだそのナマイキな目は。やろうってのかあ?」
ぬるい挑発に流王は笑みをひらめかせた。
「だとしたらどうするのかな?」
天翔ける狐こそが流王、その象徴たるしっぽが大きく膨れ上がる。妖怪どもがひるむ。
「数がいるのはありがたいね、ぼくの能力は、乱戦でこそ輝くから!」
流王はこぶしを握ると、それを振るって片足を軸に回転した。扇のように広あったしっぽが、手下どもを打ちすえる。重く一撃、さらに強く一撃。強烈な二連撃が決まり、妖怪どもは苦痛にもだえている。
「て、てめえ~、やるじゃねえかよぉ! だけど俺らだって、まだ本気じゃねえだけだかんな!」
「そうんだね? よかったあ、つまり、まだまだ遊べるってことだよね! ぼく……」
ぶわりと風が集まる。流王のしっぽがまたも大きくなる。銀の瞳がぴかりと光った。
「楽しみだなあ!」
短く切った髪のせいか、どうもうなじがうすらさむい。冷えきった空気は異界のそれ。肺の奥まで凍り付きそうだ。みじろぎをするたびに、耳飾りがからんとゆれる。その音が鮮明に聞こえるほど、あたりは静かだ。
なにもなく、だれもいない。四辻の景色が、舞台の背景にすら見える。
「寒いな。」
うすっぺらい冷たさのなかへ、あえて気配を埋もれさせる。状況不明ならば、まずは偵察。硯はまぶたを半ばまで落とし、あたりを観察する。
(狐狸のたぐいが人をたぶらかす時のことを思い出す。おそらくこの空間は古妖の手のもののしわざ。そして標的は、そこまで強くなどない)
硯の優秀な思考回路はそこまで看破していた。しんしんと冷気降り積もるみちばた。硯はゆっくりと振り返る。そこには下品な笑みを浮かべた妖怪犯罪者、古妖の手下がいた。
「おうおう、マブいスケだぁな。ひとつデートとしゃれこまねぇか?」
「お断りします。」
硯は涼やかな笑みをみせ、一刀両断した。妖怪たちが殺気立つ。彼らは硯のうわべだけをみて、なめてかかっていたのだ。メンツをつぶされたと感じたらしい。導火線に火をつけられた危険物の答えはひとつしかない。
「ざけてんじゃねぇぞこらぁ! ぶっころしたるぁ!」
「お好きにどうぞ。できるなら。」
「ぐがが、ああいえばこういう! だいたいここにいるってことはよぉ、あのお方の邪魔しに来たんだろ!? 邪魔者は消えてもらうぜ!」
「硯からすれば、邪魔者はお前様方なのですが。」
呆れ果てたようにため息をこぼし、硯はどこからともなく取り出した杖で地面をおさえる。わずかに下を向いた硯へ近寄る妖怪どもは、次の瞬間、背筋が寒くなった。圧倒される。臆してしまう。この、儚げな肢体のほっそりとした見た目の付喪神が発する、三日月を思わせる冴え冴えと冷たい笑みに。
「う、うらあああ!」
散開した妖怪どもが迫る。正面からやりあうのは得策ではない。硯は己の身体能力もおりこんでそう考えた。ゆえに、後ろへ跳ぶ。どこからともなく取り出した杖を、ひるりと手首のスナップだけで回して、踏み込んできた妖怪の鼻面を、とん。
「はぶっ!」
相手の動きを読み、その出だしをつぶす。最小の動きで最大の成果をあげる術。硯は妖怪の背後にまわりこみ、膝を打った。
「ごげええ!!」
倒れ伏した妖怪は黒い影となってぼろぼろと崩れて消えていく。
誰もいなくなってしまった通りを、熊鷹・吾郎(くマスター・h03295)はポケットへ手を突っ込んだまま歩く。おおまたで、早足だったそれが、ゆっくりと速度を落とし、やがて止まった。
「こっちの方であってるのかどうかわからなかったけど、わざわざ『道案内』が出て来てくれるとはね、助かったよ」
闇からにじみでた妖怪どもに囲まれながらも、吾郎は余裕の態度を崩さない。どろんとにごった目のチンピラが、吾郎へ近づきメンチを切る。それがどうしたといわんばかりに、吾郎は口元を笑いの形にゆがめた。
「君らのおかげで無事に探し人の所までたどり着けそうだ。……無事って言い回しが気に入らないかい? あっはっは」
「なめてんじゃねーぞおるぁ? ギタギタにしてやろうか、あん?」
「ギタギタって、具体的にどうしてくれるんだい?」
「そりゃあてめえ、こうするのよ!」
おおぶりなパンチが吾郎の頬を殴った、ようにみえた。当たる直前で拳をつかみ取られたチンピラが目を血走らせる。
「よしんば五体満足じゃなくなったって、僕が無事と言うなら無事なんだよ。丁度狐面もかぶっているし、くマスターになるまでもない」
ワントーン落とした声で、吾郎は宣言した。
「人に擬態したままで相手をしてやるよ」
次の瞬間、チンピラは我が目を疑った。正確には、衝撃が来て、苦痛が襲い、そのうえで我が目を疑うはめになった。拳を振り払われ、みぞおちを殴られ、苦悶のあまり地面を転がり反吐を吐きながら、チンピラは吾郎を見上げた。
「……てめぇ、何しやがった?」
「腹パンしただけだよ」
速すぎて見えなかったかな? 吾郎はおだやかな笑みを狐半面の下からのぞかせた。
空になったラムネの瓶をなめていた箒星・仄々(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)は、周囲の雰囲気が変わったことに気づいた。仄々は手の中でラムネの瓶を回し、真上へ放り投げた。回転しながら上昇する瓶は、中空で止まり猛スピードで回り続ける。もとの形がわからなくなったころ、瓶だったものは回転数を落とし、仄々の手の中へ落ちてきた。青いラインの入ったアコーディオン。それをしっかと抱えたまま、仄々はきついまなざしで正面を見た。
「なるほど。こういう如何にもなチンピラさんは、妖怪さんの世界にもおられるのですね。古妖さんの手下になるとは、見下げ果てた方々です」
妖怪の中でもリーダー格らしい、刺青の入った男がいらついたように舌打ちした。
「るっせえよ、時にはへりくだることもヒツヨーなわけ、おれぁ頭が回るからよぉ、セージとかセッショーとかも得意なんだぜ。おまえもこのあいだのガキみてえに、バラシてやろうか?」
「このあいだのガキ?」
仄々がいぶかしがると、聞きもしないのに男はしゃべりはじめた。
「しみったれた女のよぉ、チビいメスガキをラチって、こう、な? 部品を宅急便で送りつけてやったら、女のやつぁかんたんに気がふれちまって、いまじゃせっせと古妖様復活の儀式をガンばってるぜぇ。ヒャハハ、すぽっとマッチポンプにはまっちまってよぉ、笑えるよなぁ!」
沈黙を仄々は返した。目をすがめ、妖怪どもをながめていたが、やがてふるふると首を振った。
「楽しい気分を害されて、私は少々おこですよ。ええ、はっきりと、がっつりと、ここはとっちめてさしあげます」
きっと顔をあげアコーディオンをひと鳴らし。まるでほら貝が吹かれたかのような音に妖怪どもはとまどい、後ずさる。
「遠からん者は音にも聞け!」
アコーディオンから太い音が鳴り響く。威嚇するかのように。
「近くばよって、目にも見よ!」
口上が続く、だがそれは仄々の声ではなかった。すきとおった存在が現れ、色が収束していく。現れたのはサヴィーネ・ヴァイゼンボルン、仄々のアンカー、精霊にして使い魔。水蜜桃のように愛くるしいちいさな姿に、一目見たら忘れられなくなる藍色の目。彼女は空中で一回転し、ぽんと音を立ててタヌキに変わる。おなかが太鼓になっている、鼓タヌキの姿だ。仄々とサヴィーネの声が重なる。
「「我ら、愉快な二重奏、いずれ世界を変えるデュオ、さあ、歌って踊って目を回せ、すてきなコンサートの開演です!」」
仄々がアコーディオンでスケルツォを奏であげ、サヴィーネがおなかを叩いてビートを刻む。ずんちゃかぽんぽん、ずんちゃかぽぽぽん、いろとりどりの光の音符がふたりのまわりに浮かび上がり、演奏が続くにつれてむくむくと巨大化していく。
「怒りは胸にあるけれど、悲しみ心にあるけれど、でもでも笑顔を忘れはしない。音を楽しむ、それが音楽。我らの音色は万里に響く!」
音符が嵐となって妖怪へ襲いかかる。どでかい音符にしこたま殴られた妖怪たちが悲鳴を上げる。何体か倒れたのを確認して、仄々はさらにテンポを速くした。
「どうですか? 我ながら中々いいでしょ? 一緒に戦って下されば、もっともっとお聞かせできますよ」
ぱちんとウインクしてのけて、仄々はへたれた妖怪を裏切りへと誘う。打算に動いた妖怪のひとりが、リーダー格の男へ襲いかかる。
「てめえ、ボラ! あっちへ転んでんじゃねぇ!」
「へっへっへアニキぃ、おらぁ勝ってるほうの味方ですぜ」
「んだと、俺らが負けてるって言いてえのか!」
妖怪の蛇頭が膨張し、伸びあがる。こん棒のようなそれがサヴィーネをおそった。
「ふあ!」
サヴィーネが身を固くした瞬間、蛇の頭が彼女を目掛け大きく開いた。きゅっとめをとじたサヴィーネは、すぐに顔をほころばせた。
「仄々さん!」
「だいじょうぶです?」
「もちろん!」
開いた蛇のあごの中へ己の腕を突っ込み、仄々が妖怪の攻撃からサヴィーネをかばってのけた。そのまま蛇のあごを蹴りあげ、腕を引き抜く。鋭い牙の隙間を縫って引き抜いた腕は無傷だった。白いハンカチで手をぬぐい、仄々はアコーディオンへ手をかける。
「サヴィーネさん、オオサビいきます!」
「まかせてぽんぽん!」
仄々の演奏に合わせて輝く五線譜が宙へ描かれ、そこへサヴィーネのリズムに乗って音符がはまっていく。完成した楽譜は大きく動き、妖怪どもを一気になぎ倒した。
空間が割れ落ち、仄々はいつしか元の、人があふれる通りに立っていた。
「敵と分かっていても、傷つけるのは心が痛むものです」
仄々は道のわきへ寄ると目を閉じ、物悲しくもやさしい音楽を妖怪たちの手向けにする。その耳へとどくひっそりとした御伽歌。
「さあ歌を追いかけましょう」
第3章 ボス戦 『大妖『荒覇吐童子』』

「ずいずい……ごまみそずい……ちゃつぼに追われて……抜けたら……」
歌いながら女は進んでいく。生活に疲れ切った細い体、その身を支えていたかわいい笑顔はもういない。足はもつれており、いまにも倒れそうだ。女はいのちのほのおを、我が子と共にうたった歌へ乗せて散らしていく。
「たわらの……こめくって……ああ、食べさせてあげたかったねえ、おなかにいっぱい、まっしろなおこめを……」
がんばった。がんばったとも。彼女はがんばった。とつぜん惨殺された我が子にもう一度会うために、古妖と契約を交わしその封印を解くべくがんばった。祈りは天へ届かなかったが、地の底の古妖へは届いたのだと、女は考えていた。
「ああ、古妖様……『大妖『荒覇吐童子』』様……。もういちど、いまいちど、あの子へ会わせてください……」
そのためならこの命、惜しくはない。
女の手が古い石碑に触れる。石碑が内側から砕け、荒覇吐童子が雄たけびをあげた。女はうっとりとしたまま、荒覇吐童子を見上げている。
「ご苦労であった女! 邪魔な羽虫どもをたいらげたのち、貴様を食らって腹の中で我が子と会わせてやろうぞ!」
「……え」
信じ頼みにしていた何かが、歌う女のなかで崩れていく。
「まさか、あの子が、ああなったのは、おまえの、おおお! おまえのせいなの!?」
童子は返事の代わりににやりと笑った。
「あ、あ、あ、あああ!」
歌っていた女は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「おねがい、倒して! 倒してこいつを! せめて、せめてあの子のかたきを! うってちょうだい!」
※討伐対象「荒覇吐童子」が出現しました。
※歌う女は能力者の邪魔にならない位置に立っています。意図しない限り彼女を巻き込むことはありません。
※「荒覇吐童子」との戦闘がメインですが、歌う女を保護するといったプレイングも可能です。
「どうしたの、しかめつらしちゃって。ぼくと遊んではくれないの?」
天宮院・流王(人妖「天狐」の御伽使い・h01026)は青い袴から伸びるしっぽをうねらせ、鞭のように地面を叩いた。見た目に反した重い音が響き、大地にひび割れが広がる。童子は苦虫を噛み潰したような顔をさらにゆがませた。隙が見つからないのだ。
「それとも、もしかしてぇ……ぼくのことがこわいのかな?」
まばたきするたびに銀の瞳から輝きがこぼれる。星のように美しい光の粒がゆらゆらと揺れながら流王の周囲へ集まっていく。流王の声に煽る意図はない。あくまで思いついたことを無邪気に口へ出しているだけだ。けれど覚醒した能力者として底力を、童子はたしかに感じ取っていた。
「ねえねえ、遊んで? 遊んでよ」
「こわっぱが……」
童子は牙を見せて唸った。振り上げた右腕がごうごうと燃え上がる。場違いに明るい光に照らし出された流王を前に、童子はけたたましく笑った。
「見える、見えるぞ。こわっぱ、貴様の隙がな!」
「そうなんだ。いいよ、おいでよ」
流王は涼しい顔のまま、小さくジャンプした。大きなしっぽを左右に動かし、地面をはく。しっぽの先が筆のように陣を描いているのが見えた。
「みんなてつだって~」
こてんと首を寝かせれば、陣から妖狐があふれだす。まるまっちい見た目の妖狐たちが童子へ向かって襲いかかる。
「隙を見つけても、この数をすべていなすのは無理じゃないかな?」
額から血を流しつつ童子は返事の代わりに憎悪の雄叫びをあげた。
歌う女はくらくらと地に伏せた。彼女を立たせていた心の支えはポッキリと折れてしまった。信じていた、祈りは通じたのだと。なのにそれすら仕組まれたものだったなんて。最初の涙がこぼれ落ちようとしたとき、その肩へ手を置く誰かがいた。顔を上げると、娘とも若衆ともつかぬ美しいかんばせがあった。古久慈・硯(硯の付喪神の不思議古道具屋店主・h02752)の静かに深い黒い瞳が女を映している。
流水紋の踊る羽織から伸びた素手。脱いだとおぼしき手袋が、べっこうの櫛といっしょに帯に挟まれている。己の肩へ触れる硯の手はひんやりと冷たく、けれども心を落ち着かせる優しさがあった。
「さぞかし無念なことでしょう。」
大粒の瞳に真摯な光を浮かべ、硯は女へ言葉をかける。
「わかるとは言いません。お前様の思いはお前様だけのもの。他者である硯が簡単に理解してしまえるものではないことは重々承知。」
しかして、と硯は瞳の光を強くする。
「だからこそ願います。硯に力をお貸しください。」
肩においた手を動かし、胸元の櫛を抜き取る硯。櫛に入った麻の葉文様は子の健康と成長を祈るものだ。
「この櫛に触れて念じるのです。我が子への愛を、喪失の悲哀を、仇敵への憎しみを。むごい願いだと知っています。しかし……」
硯の声はけして大きいとは言えない。どちらかといえば、ほっそりとしている。平時には時にささやくかのようなその声が、今は凛と発せられる。
「硯は必ずや、お前様の想いを刃に変え、かの古妖を討つと約束しましょう。」
「あ、ああ……!」
櫛を手にした女から、地獄を見た者だけが流せる涙が落ちた。ぼとぼとと落ちるそれが櫛に降りかかる。
「お願いします、あの子の、仇をうって!」
女が叫んだ直後、空気が揺れた。地響きが続き、童子の放った攻撃が地をえぐる。巻き込まれた立ち木が木っ端微塵になり、木切れが飛び散る。砂埃が当たりを覆い隠した。今の攻撃がまともに入ったならば硯も女もただではすまないだろう。だが童子は警戒を解かない。
「……そういう事かい」
風に吹き散らされ砂埃が薄くなっていく。女をかばいながらも強い眼差しのままの硯。その硯を守るように熊鷹・吾郎(くマスター・h03295)が立っていた。突き出した片手によって張られた障壁が、木くずを食い止めている。宙へ浮かんでいた木くずが地に落ち軽い音を立てた。
「古妖に言っても仕方ないが酷なことをする。俺の舌は味を忘れたが、俺の心はまだ人間そのままのようだ。理不尽に憤る炎がこの胸にある」
吾郎はボクサーのようにステップを踏んだ。上背のある筋肉質な体が影をともなって踊った。
「子に会いたいという望みはかなえてやれないが、『あの子のかたきを討って』なら叶える手伝いはできるだろうさ」
――転装、くマスター
トリガーボイスを口にすると、吾郎の足元が闇に包まれた。
「モードシフト・ワイルドベアー・フォーム」
闇が伸び上がり吾郎の肉体へまとわりつく。鋭い爪があらわれ、吾郎の姿が猛獣のそれへ変わっていく。童子が唸り声をあげて拳を振るう。吾郎は重心を落としてためをつくると、童子の巨大な拳を迎え撃つかのように飛び上がった。重く硬いものがぶつかりあう、砂袋で殴り合ったかのような鈍い音が立って続けに二回。強烈な二連撃を受けて拳を砕かれた童子が聞き苦しい悲鳴をあげる。
「親にとって子を奪われるのは我が身を裂かれるほどの苦しみだ、俺が貴様を引き裂いてやる。少しはその苦しみを味わうが良い」
「吾郎様、お怪我を。」
「気にしないでくれ古久慈。俺の心が望むんだ。この鬼畜を地獄へ叩き返せと。そのためなら片腕くらい、安いもんだ」
硯は深くうなずき、吾郎の作った間隙を縫って走る。硯の手からは一筋の白い光が伸びている。小太刀に似たそれはオーラソード、因縁の相手へ痛撃をもたらす。童子が残った腕をむちゃくちゃに振るう。走りながらかがみこんだ硯の体が地から跳ね上がり、童子の腹から顎にかけてを復讐の刃で切りさく。月光が硯が身をひねるさまを照らし出す。そのあとを追い、怒り狂う童子の太い腕が迫る。着地地点へ滑り込んだ吾郎が、間一髪硯を受け止めた。
童子があがく、見苦しく。傷跡からだくだくと血を流し、残った腕が生贄を求めている。だが同情してやるつもりはさらさらない。箒星・仄々(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)には。
「何という邪悪! 封印されていたのも当然です。他者の命と運命を玩具のように弄ぶ非道さには、断罪をもって臨みましょう」
手にするはアコーディオン、今日の気分はラムネ色。筐体に走る青いラインが攻撃的な光を放つ。
「きぃさまぁ!」
童子が間延びした声でがなりたてる。ひびわれた声が当たり一面へ叩きつけられるも、仄々はひるんだりなどしない。
「我こそは大妖荒覇吐童子なるぞぉ! ひれふせぇ!」
空気を引き裂いて童子が腕を振り下ろす。その爪のするどく凶悪なことといったら、かすっただけでミンチにされてしまうだろう。けれども童子は手応えのなさに怪訝な顔をする。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」
声は真上から聞こえた。憤怒で顔を赤く染めながら、童子は顎をあげた。攻撃をかいくぐり、童子の頭に乗ってみせた仄々は、アコーディオンから四分音符を召喚するとそれへ飛び乗った。
「猫ごときが!」
またもや強烈な一撃が来る。だがそのたびに仄々はアコーディオンを鳴らして別の音符へ飛んで避ける。
「アン、デュ、トロワ、アン、デュ、トロワ、攻撃が単調ですよ? 猫のお耳とおひげと目、そしてあなたのその動き。あかぬけないワルツなど、楽譜を見るまでもありません」
ひらりひらりと夜空を舞い飛ぶ仄々の姿は、さながら五線譜を駆ける蝶。まるでからかうように笑みすら浮かべて、仄々は童子を翻弄する。童子の怒りが煮詰まり頂点へ達したとき、かの古妖はリズムを乱した。突然の再行動。仄々の乗っていた音符が吹き飛ぶ。しかしそのときには、仄々は高く空へと跳んでいた。傷を追った左脚が痛むが、仄々は笑みをくずさない。
「今のトリルはなかなかよかったです。でもやはり振り付けが時代遅れですね。令和の今には通用しませんよ」
こけにされたと感じた童子に冷静さなどかけらも残っていない。次々とその身を犠牲にし、素早く重たい攻撃を仄々へと浴びせる。仄々の動きが精彩を欠いていく。ワルツは童子の勝利に終わるか、そう思われた。
「我が糧となれ、羽虫!」
足場を失い、空から落ちてくる仄々の下で、童子は牙の並ぶ口を大きく開けた。がぱりと開いた肉色の穴。仄々はそこには落ちなかった。童子の鼻先へひらりと止まり、アコーディオンから和音を奏でる。怖いほどに澄んだ、場違いに耳へ優しい音に、童子はまなこを見開いた。仄々の傷が癒えていく。
「子犬が自分の尾を追うように、果てがないかと思われたワルツも、どうやらコーダを迎えるようです。音を濁らせ涙を振りまく、そんなあなたは退場、出禁。悲しい思いは私が断ち切る、音にはその力がある」
アコーディオンが紡ぐ、物悲しく切ない旋律。一転、愉快な長調へ変わる。輝かんばかりの音符があちらへこちらへそちらへ、広がっていく、育っていく、大きくなっていく、音が。音符が。ばらばらだった音符が仄々を中心につどい、龍のように大きく身をひねる。
「せめて最後は元気よく! それでは童子、また会う日まで!」
百万の音符が童子を包み、閃光が走る。あたりは昼間のように明るくなった。童子のどす黒い声が仄々の音で打ち消されていく。光が薄れ音がしなくなる頃、悲鳴ひとつ残せず、童子は消え去っていた。
童子の敗北を確認すると、仄々は自分のアンカーと共に歌う女へ寄り添った。アコーディオンが鳴らされ、弔いの音色が流れていく。女の瞳から透明な涙が溢れていく。泣き伏した女は後悔のあまり大声でわめいた。
「お泣きなさい。お泣きなさい。泣き尽くして声も枯れて、そして明日を迎えたならば、立って朝食をとりなさい。お母さんもどうか、娘さんの分までお健やかに。それが娘さんの願いだと思います」
アンカーの精霊が女の背をさする。それを優しい目で見つめながら、仄々は一心に少女のみたまが安らかなることを祈った。