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善行

#√汎神解剖機関 #天使化事変 #羅紗の魔術塔

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 #√汎神解剖機関
 #天使化事変
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●孵化
 それは奇妙な夢だった。いや、奇妙な夢だったと思う。目が覚めた時には殆ど忘れてしまっていたけれど、天井に向けた伸ばされた自分の右腕が、その名残のように思えた。
 カーテンの隙間から零れる朝の光に目を細めて、遅まきながらそれに気付く。奇妙に硬質化した自分の腕と、背中に感じる異常な重み。シーツに収まらず飛び出したそれは、出来損ないの翼のように見えた。
 まだ夢の続きを見ているのかと考えるが、周囲にはいつもと変わらない自分の部屋があるだけだった。
 朝食の支度を手伝って、ねぼすけな弟たちの面倒を見て、おばあちゃんが起きるのを手伝って――今日もやることはたくさんあるのに。
 どうにかベッドから這い出して、手摺に身を預けるようにして階段を降りる。

「ねえ、かあさん」

 なんだか体がおかしいんだ。廊下の向こう、キッチンへと声をかける。
 お気に入りの髪飾りと誕生日にプレゼントしたエプロン。見覚えのあるそれらを纏った怪物が、ゆっくりとこちらを振り向いた。

●雛鳥
「皆さん大変です! また天使化に関わる事件が予知されました!!」
 通りの良い声で、漆乃刃・千鳥(|暗黒レジ打ち《ブラックウィザード》・h00324)が√能力者達に呼び掛ける。星詠みである彼の見たそれは、√汎神解剖機関のヨーロッパ各地で発生している風土病による案件。「善なる無私の心の持ち主のみ」が感染するとされるその病は、ほとんどの場合罹患者をオルガノン・セラフィムという理性を失った怪物に変貌させてしまうが、その中で真に「天使」と化す者が現れている。
「人心の荒廃した√汎神解剖機関においては根絶した病と思われていましたが……都会から離れた閉鎖的な村という立地が幸いしたのでしょうか?」
 この辺りは何とも言えませんけどね、と星詠みが唸る。彼の歯切れが悪いのも当然のことか、そんな「善人」が、今回の件の被害者である。
「この病を止める方法は現在のところ発見されていません。ですので皆さんには……この村でただひとり『天使』となった少年を救出してほしいのです!」
 ただひとり、と星詠みは言った。つまりこの村には多数の感染者が居るのだ。オルガノン・セラフィムとなった村人達は、天使を発見すれば、本能的にすぐさまそれを捕食しようとするだろう。
「少年の家に辿り着くまでは大した障害もないでしょう。まずは周辺のオルガノン・セラフィムを倒し、天使の少年の安全を確保してください」
 最も脅威となるのは、少年の家の各所に居る5体のオルガノン・セラフィムだろう。真っ先に襲い来るそれらを確実に討伐しておかなくては、任務は失敗に終わる。

 そこまで口にしてから、星詠みは一度つばを飲み込んだ。言わねばならないそれを、察している者も居るだろう。
「――この5体のオルガノン・セラフィムは、全て少年の家族です」
 両親、祖母、弟と妹がひとりずつ。彼等を元に戻す手立ては、現状では存在しない。
「この村には他にも、オルガノン・セラフィムを奴隷化しようとしている者達も乗り込んできています。『保留』という選択肢はありません。ここで、仕留めてください」
 少年を確保した後は、どうにかこの村から連れ出す算段を立てることになる。追手となり得る他の村人、オルガノン・セラフィムの群れを蹴散らすか、見つからぬよう隠れ進むか。そして秘密結社『羅紗の魔術塔』からの刺客、『アマランス・フューリー』と遭遇することになれば、彼女自身かそれの従える怪異に対処することになるだろう。
「先の展開は……不確定要素が多いため確たることは言えません。申し訳ありませんが、状況に合わせて臨機応変に対応してください」
 それでは、後は頼みます。険しい表情のままそう言って、星詠みは一同を送り出した。

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第1章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』


夜縹・熾火
香柄・鳰
道明・玻縷霞
佐野川・ジェニファ・橙子
ゾーイ・コールドムーン

 キッチンに立っていたそれは、気味の悪い化け物だった。かろうじて人間のような形はしているものの、体の一部は組成そのものが変質したかのような色合いをしており、また一部は肉が削げ落ちて骨が剥き出しになったように見える。さらに服と思しきものを突き破って、背からは骨組みだけの翼が伸びている。
 総じて継ぎ接ぎの怪物とでも呼ぶべきそれは、少年の声に反応して振り向くと、奇怪な形の口を開いた。
『――!!!』
 言葉ではない、咆哮。理性を感じ取れないそれと、鋭い牙を前にして、少年はその場に立ち尽くしていた。
 彼の足を止めたのは、恐怖。ただし命の危機に瀕したためというよりは、思い浮かべてしまった『可能性』によるものだろう。自分の身体の変質を自覚しているからこそ、その最悪の想像は、確信に近い感覚を伴い、彼の思考を埋め尽くした。
 そんな少年の様子に構わず、『彼女』の爪は空を裂き、迫る。


 鋭いそれを受け止めたのは、天使ならぬ人の腕。両者の間に割り込んだ道明・玻縷霞(黒狗・h01642)は、オルガノン・セラフィムの攻撃を抑えながら少年の姿を一瞥する。
「間に合ったようですね」
 素早く探り見た様子からして怪我はない。だが変異した身体を重そうに引きずる様子と、見開かれたその目が印象的ではあった。
 玻縷霞に爪を突き立てた敵を、同時に駆け付けた香柄・鳰(玉緒御前・h00313)が太刀で以て斬り付ける。有機的な肉と金属の感触が入り混じる異様な手応え、それと共に軋むような悲鳴を残して、敵は虹色の燐光を纏って姿を消した。√能力による隠密状態、そこからの奇襲を警戒しながら、彼女は少年へと声をかけた。
 突然の出来事――いや、彼にとっては今日の全てが突然のことだろうか、恐らくは思考も定まってはいない彼を、導くように。
「我々はあなたを救出しに参りました。混乱されていることと思いますが、今はご自身が生き延びる事をお考えください」
「え、そんな、でも……!」
 しかしながら、この戸惑いはすぐに消えるものではない。成熟した大人でさえ受け入れるには時間がかかるだろうに。ゾーイ・コールドムーン(黄金の災厄・h01339)もまたそれには理解を示すが。
「……悪いけど、時間はあまりないんだ」
 命の危機が迫っている今、待っている暇は無い。自らの力で指輪を黄金へと変えて、腕に嵌っていた魔具を外す。惜しみなく、『黄金の手』を振るえるように。
 ちりん、と鳰の備えていた鈴が鳴って、その反響を彼女が捉える。
「来ますよ」
 瞬間、跳びかかってきたオルガノン・セラフィムの爪を、鳰は掲げた太刀の腹で受け流す。返しの一太刀が敵を掠めるが、オルガノン・セラフィムはなおも前進を試みてきた。
「やはり、その子が狙いですか……!」
 本能のまま、天使を食らうべく突き進む敵の前に、再度玻縷霞が立ち塞がる。その爪を、牙を、躱すのではなく、足を止めて受け止めた彼は、そのまま敵の動向を探る。
 理性の色もない、獣よりもどこか機械的で、殺意に満ちたそれを見定めるように。
「やめてください、僕のために、傷を――」
 玻縷霞の背に庇われた少年の声がする。わけのわからない状況だろうに、最初に口にしたのが他者の心配であることに、玻縷霞はどこか安堵してしまう。
 彼からすれば、今回の任務に当たって考えずにはいられないのだ。一を救う為に、五を殺す。果たしてこんなものが善行と言えるのか。
 当然、目の前のことを見過ごすことなどできない。だからこそ、不平等な天秤が釣り合うだけの何かがあれば、そう――少しは心が軽くなる。
「……本当に、殺意しか残っていないのですね」
 これもまた身勝手な言い分だと、苦いものを噛み潰しながら玻縷霞は反撃の拳を振るう。『因果応報』、カウンターの一撃が半ば機械の身体を揺らし、足の止まったそこにゾーイの手が伸びた。掴み取ったオルガノン・セラフィムの腕、そして長く伸びた爪が、瞬く間に動かぬ黄金へと姿を変えていく。
 異常を察したか、固まった腕を引き千切るようにして跳び退いた敵は、こちらを威嚇するようにぎちぎちと歯を鳴らす。虹の燐光と共に消え去る前に、天より降る奇妙な光、祝福が、敵の傷を癒し始めていた。
「『天使化』……この辺りの風土病なんだけど、聞いたことあるかい?」
 追撃の前に少年の周囲を固めながら、ゾーイは手早く事情の説明を試みる。善人だけが罹る、天使と化す病。少年はそれに感染し、そのことによってあの怪物達に狙われていることを。
「で、でしたらはやく、僕から離れてください! いっしょに居たらあなたも危ないですよ!」
 少年はそう訴えるが、それに従うわけにはいかない。今さっきの剣戟は、このごく普通の民家を大いに揺さぶることになった。他のオルガノン・セラフィムも、状況に気付いたことだろう。

 キッチンに隣接したリビングで咆哮が上がる。同時に家の数カ所からも激しい物音が聞こえる。真っ先に現れたのは、リビングにいた個体。先の者に比べて大柄のオルガノン・セラフィムが、部屋の真ん中のテーブルを脇へと吹き飛ばし、けたたましい雄叫びを上げて突っ込んでくる。獣の如きその突進を、遮ったのはさらなる轟音、リビングの外壁に大穴が開いた。
「お邪魔しまぁす」
「おっと、丁度良いところに出たね」
 破壊した外壁の破片で敵の行く手を遮った佐野川・ジェニファ・橙子(かみひとえ・h04442)に続いて、夜縹・熾火(|精神汚染源《Walker》・h00245)は竜漿兵器の魔法剣を振るう。斬撃が金属と肉の混じった脚部を抉り、橙子の卒塔婆が敵の胴体に叩き付けられ、その身体を弾き飛ばした。
「機械だか獣だかわかんないわね、これ」
「天使ってこういうものだったかな」
 奇妙な手応えを口々に評した二人は、特に気負った様子もなくリビングを歩く。
「う、うちの壁が……」
「ああ、すまないね。邪魔だったから」
 この住居は、仮の住まいとしている今の自宅に似ていなくもない。親近感は湧いたのだけどね。目を白黒させている少年に対し、そんな風に応じて。
「日常の終わりはいつだって突然訪れる物だ、さっさと切り替えた方がいい」
「それって正当化してるつもり?」
 今の連撃の影響はほぼないか、動じることなく向かい来るオルガノン・セラフィムに対し、橙子が青い目を細める。一瞬の後、両手の爪が鋭く伸びる様を目の当たりすることになるが。
「単純な攻撃で助かるわ」
 本能任せの攻撃をそう断じて、力ずくで薙ぎ払う。歪な爪の根元に嵌った指輪、異形の身体に引き裂かれた服の切れ端、自然と目に付くそんなものを、意識にとどめぬようにしながら。
「とりあえずあなたが誰とかは関係ないの、ごめんなさいね」
 考えない方が良い事って、世の中結構あるのよ。そう呟いて、ありえない形に開いた敵の口へ、卒塔婆を真っ直ぐに突き刺した。
「そろそろ良いだろう? 退いてくれ」
 串刺しになったそこに、熾火の放った黒い影、闇の尖兵達が殺到する。それらは密着からの自爆という直接的な攻撃を繰り返し、爆炎と煙で敵を包み込んだ。
「――そっちはまだなの?」
「手間取ってる暇はないよ」
 割り切った彼女等の手は早い。素早く目の前の『障害』を退けた二人は、少年の方へと眼を向ける。そちらもまた、丁度決着がつくところだった。

「逃がしません」
 鳰の振るった刃から、横薙ぎの斬撃が飛翔する。『鵤』、閃く刃がテーブルを、食器棚を、壁を、一瞬でなぞるようにして斬り裂くと、その中の一点で硬質な音が響いた。明確なそれを、彼女が聞き逃すはずもない。衝撃波に打ち据えられたオルガノン・セラフィムに対し、鳰はすかさず追撃を仕掛けた。
 歪な体に引っ掛かったエプロンの切れ端、それを刀の切っ先が貫き、敵の身を縫い留める。
 痛みを感じているのかいないのか、オルガノン・セラフィムはなおも手足を、出来損ないの翼を暴れさせて抵抗を試みる。諦め悪くもがくそれを、玻縷霞の拳が叩き伏せて。
「知れ――黄金の災厄を」
 ミダスの手が、その身体を掴んだ。人間災厄たるゾーイの能力、それが真価を発揮して、敵の全身を黄金へと変えていった。


「育った家を壊してしまって、ごめんなさいね」
 目前に迫る敵を下し、訪れた一時の静寂。その間に、鳰が少年の気を紛らわせるように問いかける。
「いえ、皆さんこそ、けがはしてませんか?」
 返事は比較的落ち着いているように聞こえた。しかし少年の目は、やはり倒れた倒れた者と、黄金の彫像と化したオルガノン・セラフィムへと向けられていた。
「もしかして、これ……この、ひとは……」
 信じたくないと言うような、たどたどしい問い掛けに、鳰は静かに目を伏せる。先程仲間の一人が言った通り、惨劇や喪失――そういったものは、こちらの事情などお構いなしに訪れる。それは、彼女にもよくわかっていたはずなのだけど。
「その、病気なら、なおるんですよね?」
「……わからない」
 短く、ゾーイがそう応じる。変貌してしまったとはいえ、黄金の彫像のように形をそのまま残したことで、いつか元に戻せるのではという希望は当然生じるだろう。そして……この家に居た他のオルガノン・セラフィムも、同じ状態にあるのではと想像も働くはずだ。
 嘘は吐いていない。この病の治療法は今後判明するかもしれないのだから。だがゾーイは知っている。彼の能力による黄金化は、ほぼ死と同義である。√能力者以外は元に戻った試しはないし、ここに置いていけば『羅紗の魔術塔』の手に渡るのは避けられないだろう。
 打算と欺瞞、だが残った仮初の希望は、少年を歩ませる一助になったはずだ。
「今のキミに出来る事は何もない。さぁ、彼等にお別れを」
「……参りましょう」
 熾火に続いて鳰が促す。酷かもしれないが、ここで足を止めるわけにはいかないのだから。
「……とうさん、かあさん」
 さようなら、待っててね。堪え切れなかったように、続きの言葉は掠れて消えた。目に溜まった涙を、少年が硬質化した腕で拭う。決して、事態を呑み込み切れてはいないだろうが、それでも歩み始めた彼を連れて、√能力者達は少年の家を後にする。

 静かになった家を出れば、のどかな村のあちこちから聞こえる悲鳴と怒声、破砕音が聞こえることだろう。
 惨劇はまだ終わっていない。

ツェイ・ユン・ルシャーガ
ハスミン・スウェルティ
千桜・コノハ


 小型のオルガノン・セラフィムが二体、でたらめな姿勢で走り、階段へと飛び込む。二階から一階へ、天使の居る戦場へと突き進むそれを、彼等以上の速度で追いかけて。
「向かわせるわけにはいかぬな」
「ああ、ワタシがやる」
 ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)の伸ばした霊糸がハスミン・スウェルティ(黄昏刑務所・h00354)へと繋がる。送り込まれた霊力によって反応速度にブーストがかかり、精度を増した拳銃から放たれた銃弾が、オルガノン・セラフィム達の膝を撃ち抜いていった。
 走力の要を失い、折り重なるように倒れた二体へと、墨染の刃が弧を描く。
「一太刀で終わらせてあげる」
 千桜・コノハ(宵鴉・h00358)の斬撃が、その細い首を刈り取った。民家の二階に居た二体の敵を、三人はこうして仕留めることに成功する。
「……幼子は永らえておるようだのう」
「本当? よかった……」
 キッチンでの戦闘もこの辺りで収まったようだ。ツェイの言葉にコノハが胸を撫で下ろす。様子を窺う限り、少年も衝撃は大きいながらも、どうにかそれを受け止めようとしているようだ。
 ともに脱出を、彼等がそう考えたところで、ぎぃ、と廊下の奥で扉の開く音がする。
「……先に行ってもらうか」
「そうだね、ここは危ないから」
 ハスミンとコノハが、少年からそちらへの視線を切るように廊下に立つ。立ち上がろうとしてる少年の努力が、揺らいでしまわぬように。
 少年と、仲間達を先に行かせた頃に、部屋の中からもう一体の怪物が姿を現した。そう、前情報からすれば、オルガノン・セラフィムはあと一体残っていたはず。
「……そうか」
 その様子から、感染者が何者であるかを悟ってツェイが呟く。それは腰が歪み、立つことができないのか、獣のように這いつくばりながら部屋の外へと出てきた。本能の求める獲物、天使の存在を察知したのか、怪物は牙の並んだ口を開き、だらだらと涎を垂らしている。
「あの子の善性を共に育んだ人々……その末路が、これとは」
「……なんで? なんでこんなことになってるの……?」
 余計なことは考えたくない。そう徹していても止められないこともある。ツェイとコノハの言葉に、ハスミンの中の一人、紫と呼ばれた彼女も同意する。どうしようもなく理不尽な物語。こんな病、到底許せるものではない。
「陰で笑う存在がいたら、ワタシが即刻根絶してやる」
 そう、そんな黒幕が居れば、憤りのぶつけ先もあっただろうに。
「否、考えても詮無きが世の常――術を鈍らせるわけには参らぬ」
 ここで確実に仕留めてみせよう。そうして風を編み始めたツェイの動きを察したか、四肢を用いて素早く跳躍したオルガノン・セラフィムが、頭上から牙を剥いて襲い掛かる。そんな先制攻撃に対し、横合いからハスミンが銃撃を仕掛けた。即座に零距離に踏み込んだ彼女は、引き金を引く反動を駆使して打撃を叩き込む。幾重にも重ねられた風が、傷付いた敵の身体を宙へと攫う。浄化の炎を纏ったコノハが、その懐へと飛び込んで。
 『祓魔の桜』、舞い散る花弁と共に放たれた刃が、真っ直ぐに敵を断ち切る。燃える炎、両断された骸、それらが床に落ちるとともに、刀の切っ先が僅かに揺らいだ。
 どうして。
「……ただ普通に生きていた家族なのに、こんな終わり方でいいの……?」
 良いわけがない。誰もこんなもの賛同してはいないだろう。それでもこれは起きてしまった。そして、とどめを刺すしかなかった。
 刀を鞘へと納める手が、震えぬよう努める。
「無力を詫びる言葉など、白々しいばかりであろうな」
「……そうだね」
 可能なら全員助けたかった。皆救ってみせたかった。しかし、為せたことなどこの程度。ツェイの言葉に頷きながらも、ハスミンの口からそれが零れる。
「……悪い、少年」
 それでも、足を止めるわけにはいかないのだ。
 残されたのは一つの黄金と四つの骸、半壊した民家を後にして、三人もまた天使の少年を逃がすべく、その後を追っていった。

シルヴァ・ベル
鈴綺羅・こばと


 ああ、嫌だ。なんてひどい話なんだろう。
 今回の発端であるこの病を思えば、自然とそんな溜息が零れる。悪人であれば罹る心配がないとなれば、不条理にも程があるというものだ。
 圧殺銃を手にした鈴綺羅・こばと(peace sign・h05364)が身を潜めているのは、『天使』の家の外にある茂みの影だった。家の中における戦闘を仲間に任せ、彼女は外に居るオルガノン・セラフィムの対処に当たっていた。
 どのタイミングで発症したのか、家族や同居人はどうなったのか――想像が膨らみそうになるのを堪えて、彼女は外を歩くオルガノン・セラフィムの一体に狙いを定める。各々の事情など、斟酌してやるつもりはない。銃の引き金を引くと、攻撃の気配を本能的に察知したのか、敵はバネ仕掛けのように体を撓めて跳び上がった。
 瞬く間に迫る禍々しい爪。だがそれがこばとを捉える前に、彼女もまた敵の頭上に跳んでいた。
「悪いけど、そういうの、あたしも得意だから」
 無感動に、半ば自動的に手斧が振るわれ、伸縮自在の爪を備えた腕を斬り落とす。隠密状態を活かして、素早く追撃にかかる動きには慣れている。
「――あなた達みたいに、生まれたてのなり損ないじゃないの」
 攻撃手段を奪えば、次はとどめだ。淡々と、一連の作業のように、振り下ろされた手斧がオルガノン・セラフィムの頭部を割った。
 一撃では倒し切れず、手斧をさらに振り下ろす。力無く、甲高い断末魔が、奇怪な形の口から零れた。『善人』の最期の言葉が、それか。
「……ほんとに、嫌になる」
 胸の痛みは問題ない。少なくとも、我慢は出来る。
 救出対象、天使の退路を確保するために、こばとは付近に他の敵が居ないか、再度気配を探り始めた。
 地響きのような轟音が聞こえたのは、その時だった。

 巨大なメイスの一振りが、砂埃を巻き上げる。姿を隠していたオルガノン・セラフィムの居場所が、それによって明らかになった。
「見つけましたよ」
 そう呟くのは見上げるような巨人。シルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)が√能力によって変身した|大巨人《スプリガン》である。
「せめて、一撃で――!」
 怪力を活かした一撃が、オルガノン・セラフィムを地へと叩きつけた。
 敵を下したシルヴァは、その巨大な手をオルガノン・セラフィムに追われていた村人へと差し伸べる。
「この辺りは危険ですね。どこか隠れられる場所はありますか?」
『む、村の外の森まで行ければ……』
 それに頷いて返し、シルヴァは村人を抱え上げる。こばとが彼等を見つけたのは、この時だった。
「――ええ、心得ておりますわ」
 疑問の言葉を先回りするように、こばとに対してシルヴァが言う。
 飽くまでも、星詠みの告げた救出対象は『天使の少年』である。けれど同じ場所で起きている惨劇――無辜のひとびとを見捨てることは、シルヴァにはできなかった。
「でも、これは……」
 確かに、これならば多くの人を運ぶことができるかもしれない。しかしその反面、その巨体は散らばっている敵を引き寄せることにもなる。
 外に居たオルガノン・セラフィムの一体が雄叫びを上げて、シルヴァに運ばれていた村人達が身を竦ませる。シルヴァと共に、こばともまた迎撃の構えを取った。
 天使と違い、普通の村人ならば優先的に狙われることはないだろう。しかし、戦えない彼等を放置するわけにはいかない以上、このまま救助を続ければ、戦況は――。

第2章 冒険 『助けを求める声』


 エミリオ・ヴェール、天使の少年はそう名乗った。危機から救ってくれた√能力者達に恩義を感じているようで、すこしは心を許してくれたように見えたが、それも家を出ていくらか進んだところまでだった。
 天使化の感染者はエミリオの家族だけではない。村のそこかしこで、同じような状況が起きているのだ。

『何なのよ、この怪物!? 彼を返して!!』

『と、父さん……?』
『来るな……いいか、振り向かずに走るんだぞ!』

『どうして? どうしてこんな酷いことするの? ねえ、おねえちゃん……』

 血塗れの両手をぶら下げ、ふらふらと歩いているオルガノン・セラフィムから身を隠しながらも、聞こえてくる人々の声にエミリオは身を縮こまらせる。浅い呼吸を繰り返して、しきり唾を飲み込む様子が見て取れる。先程体験したことを思えば、恐怖の程は想像できるだろう。
 しかし、少年は顔を上げて、一同に対して口を開いた。
「僕のことは大丈夫です。ひとりで逃げられます。だから……」
 それが甘い見積もりにすぎないことはすぐにわかる。村の中には全体数のわからぬオルガノン・セラフィムが闊歩し、予知にあった『羅紗の魔術塔』の刺客も居るはずだ。天使化したばかりで√能力の使い方もわからない、慣れぬ身体を引きずっているこの少年が、一人で逃げ切れる可能性はゼロに等しいだろう。
 それでも、必死に、縋るように彼は言う。

「おねがいします。みんなを……村のみんなを、助けてください」


●第二章開始状況
 家族が、友人が、隣人が、オルガノン・セラフィムと化した状況が、村の各所で発生しています。助けを求める声が響く村の中を通り、天使を脱出させることが目標になります。
 二章で戦闘になり得るのは、一章と同じ能力のオルガノン・セラフィムのみですが、村には羅紗魔術士『アマランス・フューリー』と、彼女の従えた上級、下級の怪異が到着しています。皆さんが目立てば目立つほど、そして脱出が遅れれば遅れる程、羅紗魔術士達に発見されやすくなります。逆に、目立つ行動を避け、素早く隠れ進むことが出来れば、脱出までに遭遇する敵を最小限に抑えられるでしょう。
 要するに、『村人を助ければ助けるほど、第三章の状況が悪くなる』とお考え下さい。

●選択肢
 POW、SPD、WIZに関わらず、『助けを求める声を振り切って進む』こともできます。エミリオは抵抗しますが、彼の安全確保を目指す場合、この手段が最も有効になるでしょう。
 なお、『先に逃がす』、『同行する』など、エミリオに対する扱いが複数のプレイングで重なった場合、より多数の案を採用します。その影響で無効になる部分の多いプレイングは、不採用になることがあります。ご了承ください。
夜縹・熾火
ツェイ・ユン・ルシャーガ
佐野川・ジェニファ・橙子
ハスミン・スウェルティ
ゾーイ・コールドムーン
千桜・コノハ
香柄・鳰


 村のみんなを、助けてください。
 エミリオの口にしたそれは、√能力者達の第一目的――『天使の確保』からすると正反対の願いだった。
(「……うん、そうだね。きみならそう言うよね」)
(「……まぁ”優しい子”、だものね」)
 ゾーイと橙子をはじめ、この反応は√能力者達にとっても予想できたものだった。
 少年からしてみればこちらの思惑など知る由もない、それゆえの発言だろう。だがそれは同時に、それだけ一行のことを信頼している証でもある。見ず知らずとはいえ身体を張り、助けてくれた力ある人々。そんな√能力者達が力を振るえば、自分一人ではなくもっと多くの人を救うことができるはずだと。
 だがそんな少年の『善意』は自己犠牲の精神の上に成り立っている。こちらとしては、そう安易に認めるわけにはいかない。
「悪いけど、それは聞けないね」
 その辺りを躊躇なく言える者、熾火が真っ先にそれを否定する。
「大いなる力には、大いなる責任が伴うのだよ。キミに出来ない事を代わりにしてあげるのは構わない。けど、それを為した事で引き起こされる良否の全てを受け入れる覚悟は無いだろう?」
 この年頃の子供に反論はできないだろう。そもそも彼女の言う道理を飲み込むことすら難しい。だが続く言葉は、少年にも理解できた。
「キミは私達にいらぬ危険に挑み、他者の命を救えと言ったんだ。この意味がわかるかい?」
「……!」
 子供の我儘を諭すようなそれに、少年が口をつぐむ。そんな彼の様子に、ツェイは一度瞑目する。
 少年にしてみれば自分だけが助けられる意味も、こちらの目的も理解できていないのだからこの反応も無理からぬこと――だからと言ってそれを汲んでいる暇はないのだ。選ばざるを得ない時というのは、幾度対峙しても慣れぬもの。それでも、泣き言を並べるべきは自分ではないのだから。
「まずはエミリオ殿を逃がす。それで構わぬな?」
「そうね。その方針で行きましょう」
 恨んでくれても構わない、そんなツェイの言葉に橙子が頷く。助けを求めるようにエミリオは視線を彷徨わせ、ゾーイを見るが、彼はそれを振り払うように首を横に振った。
 気持ちとしては、彼の願いに添いたい。だがそのために、彼の安全は捨てられない。
 どうして、と少年が問う。エミリオにしてみれば、黄金化という手段で母親を助けてくれた存在だ。それと同じように、他の皆を助けてくれないのはなぜなのかと。
「一番危険なのは、天使である君の身だ」
「貴方がもし彼らに捕まってしまえば、今後更に事態が悪化する可能性があるのです」
 だからひとりにはできません、鳰もそう言葉を重ねる。
「それに、あなたを一人にしたところで、全員を助けることは出来ないの」
 何を言ったところで、きっと納得はできないだろう、それでもせめて理解を、橙子はそう願って。
「あなたが無事逃げられるのなら、もしかしたら病気を治す未来があるかもしれない」
 希望を捨てるような選択だけはせぬようにと釘を刺す。そしてコノハは……未だに揺らぎそうな心を抑えつけるようにして、苦し気に言葉を吐いた。
「エミリオ……僕達は君を救いにここへきたんだ」
 それはどこか、自分に言い聞かせるようでもあったが。
「君が生き延びないと、君の命を繋ぐために振りほどいた命が無駄になる」
 だから、お願いだから一緒に行こう。コノハの差し出した掌を見て、少年の目が涙に濡れる。その仕草が、声が、もうどうしようもないのだと明確に告げていた。
 既に失われているであろう村人達、そして何よりも家族の犠牲が、消極的にではあるが少年の背中を押す。
「君の腕で抱えられるものが如何に少ないかわかったかい? まあ、喪失を糧にした者だけが進める道があるし、善を為すには悪を知る必要があるものだよ」
 慰めとも励ましともつかないそれを口にしたところで、熾火は軽く溜息を吐いた。
「とはいえ、誰かを救いたいと願うのは尊い精神だ。故に妥協しよう」
 え、と顔を上げた少年に対して肩を竦める。この程度、救いの言葉には程遠いが――とにかく、鳰もその言葉の後を継ぐ。
「先程申し上げた通り、どうあっても村の方全員の救出は叶いません」
 ですから、手を伸ばすのは脱出するまでの道筋で届きそうな方だけ。言い含めるようにそう伝える。
「そういうこと。あなたがこの村を出る中で、最低限はどうにかしてみる」
 ……皆、助けたくない訳じゃないの、わかってね。続く橙子のそんな言葉に、ゾーイは視線を逸らしたまま溜息を吐いた。そして、少年には聞こえないように、呟く。
「本当は手分け出来ればそうしたいんだけどね」
「……頼まれたら断れないってのはわかるけどさ」
 それに対し、こちらも小声でハスミンが応じる。とはいえ、今後予想される状況、そして依頼の成功率を考えれば、ハスミンの中でもひとつ明確な答えは出ていた。
 他の村人を見捨てた方が、脱出は容易だ。それでも、後ろ髪を引かれる思いがある。
「では、私が行きます」
 一行の中でも何人かに共通した、そんな感覚、それを代表するように、玻縷霞はそう声を上げた。
「だから、今はここのみんなと一緒に脱出することを考えてください」
 エミリオはようやくそれに頷いて、コノハの差し出した手を取った。
「後は、そうだね。『それ以上』を求める時が来たら、これを使ってみると良い」
 願いを形に変えられるかもね。そんなことを言いながら、熾火は少年の空いた手に輝く星の欠片を生み出してみせる。
 √能力によるそれをいきなり有効に使えるかは不明だが、お守り代わりと、もしもの時の保険くらいにはなるかもしれない。

 エミリオと同行し、彼の守護と脱出を最優先にして隠れ進む。そしてその道中に限り、救える者は救う。任務の達成を第一に考えながら可能な範囲で手を尽くす、それはとても現実的な選択と言っていいだろう。
 重ねた言葉と行動、玻縷霞の申し出もあり、エミリオもそれを強く拒否せず、受け入れた。
「……さ、行きますよ」
 鳰がそう促して、一行は静かに行動を開始する。
「あたしは少し先を行きます。あと1、2人一緒に来てくださる?」
「それなら、私が」
 橙子に続いてハスミンもまた先行する。前を行くということは、道筋を選ぶということ。率先してそちらを選んだ彼女は、自然と苦いものを感じて、奥歯を嚙みしめる。
 全員を救うことはできない、視界に入る範囲は助ける。つまり、それは。

 ――君の腕に抱えられるものは多くない。
 力を持つ者は、自分の選択で引き起こされる全てを受け入れる覚悟を持て。

 仲間の一人が少年に対して語った言葉が、自然と思い返される。


 ここからどう進むにせよ、行先を見通せるならばそれに越したことはないだろう。偵察、そして周囲の警戒を行える能力の持ち主は、それぞれに力を発揮する。
 ゾーイは邪眼の使い魔を、熾火は緋翼の鳥を呼び出し、コノハもまた血桜の蝶を舞わせて視界を共有、隠れて展開させたそれらから情報を得る。それはつまり、周囲で起きている出来事をまとめて捉えることになるのだが。
 怪物へと変貌した家族を目撃する者、さらにそれに襲われる者、そして既に手遅れになった者――被害者が真の天使ではないというだけで、予知されなかった悲劇がいくつか。エミリオのそれと同じものが、いくつも視界に飛び込んでくる。
 ――これは、どうするべきなの。
 コノハの頭にそんな言葉が過る。妥当で合理的な方針の実態がこれだと、理屈ではわかっているのだが。
「向かうとするなら、こっちかな」
 熾火の口にしたそれに、ゾーイが遅れて同意する。コノハもまた、それに頷いて返した。『比較的安全な道を選ぶ』、それはつまり、今見えた悲劇からできるだけ遠い道を選ぶということだ。蝶が視界を塞ぐように飛んで、邪眼の使い魔が邪視で敵を捉えて、ほんの少しその瞬間を遅らせて……できることはそれで終わり。
(「また僕は救いを求める人々を捨てるのか……?」)
 自然と思い出される過去の光景を、振り払うように首を振った。
「どこかで、見切りを付けなばならん」
 それを察したのかツェイが呟く。道中で救える限りは救う、そうは言っても手を伸ばせば伸ばすほど、護衛対象は増えて行軍速度は落ちていくだろう。それは味方を、エミリオを危険にさらすことになる。
 そう、何も救えないわけではない。少年を救うための選択を。そう自分に言い聞かせて、コノハは表情を変えぬよう努めながら、少年の手を引いた。

 その家の周辺には、馨しいパンの匂いが漂っていた。村で取れた麦を使い、この辺りの住民に売っていたのだろう、玄関先の素朴な看板が、往時の村の生活を思わせる。朝の仕込みの時間、それまではきっといつも通りだった……少なくとも、ゾーイにはそう感じられた。
「中に一体居るよ」
 使い魔の視界から得られたそれを、味方に伝える。茂みや建物の裏、遮蔽物を活かして進んでいたハスミンは、それに頷いて中に消音器を取り付けた。
「出てこないことを祈る……ってわけにはいかないものね」
 できることをやりましょう、そう言って橙子も得物である卒塔婆を握る。
 助けるべき者はここには居ない、それは事前のゾーイの偵察によってわかってはいたが……パンのそれに混じる鉄錆のような血の臭気、それがここで起きた惨劇を感じさせていた。
「……仕留めよう」
 ハスミンの言葉にゾーイが頷き、その家の中に身を滑り込ませる。可能な限り素早く、静かに。そう努めて呪詛の刃を展開する。
 部屋の中央のテーブルを跳び越え、振るったそれは、既に誰かの返り血で濡れたオルガノン・セラフィムの脚部を斬り飛ばした。膝下を失い地に倒れたそこに橙子の卒塔婆が叩き付けられ、ハスミンの銃口がその頭部を照準する。
 紫色の拳銃、その消音器から二度空気の漏れるような音が響いて、オルガノン・セラフィムは動かなくなった。
「……今の音で他のやつが集まってこないか見張ってるわ、先に進んで」
「わかった。殿は任せるよ」
 橙子の申し出に応じたハスミンがまた先頭を務め、ゾーイが後続についてくるよう合図を送る。
 ――今倒したのが村人の誰だったのか、エミリオに聞けばわかるだろう。だが、足を止めるつもりはないし、そんな心労を負わせる気もない。誰かはきっと、わからぬまま。
 あとは、何があっても進むだけ。橙子と同様に、彼等はそう決めたのだから。

 村の外れに近付いて、道の脇の草むらもどんどん背が高くなっていく。そのまま森まで行くことが出来れば、追手を撒くことも容易になるだろう。広範囲に偵察を行い、先行する者達が避けられぬ障害を速やかに排除、その後に続くエミリオと同行するツェイや鳰は、そのおかげで安全に隠れ進むことができた。
 草むらに身を潜め、掻き分けるようにして進む。だがもう少しで森に着くかというところで、エミリオが何かに躓いた。
「大丈夫ですか?」
 転びかけた彼を鳰が支える。その足元に落ちていたのは、血のついた手斧だった。
 悲鳴を上げそうになった少年を手で制し、ツェイはそこから続く血痕を追う。背の高い草を分け進むと、そこには中年の男性が倒れていた。
「テオドールさん……!」
 少年の顔見知り、村人の一人。彼は既に息絶えていた。オルガノン・セラフィムが近くに居る、そう察した二人は、エミリオのことをコノハに任せ、草を踏み付けて進んだ痕跡を追う。ここまでに痛感した自らの力不足、今はそれに関わっている暇はないと押し殺していたそれが、鳰の足を速めていく。
「この先、すぐそこに居ます」
 森の入り口に差し掛かった場所で、足音を耳にした鳰が警句を飛ばす。草むらを抜けたそこでは、オルガノン・セラフィムが一体、禍々しい爪を振り上げていた。
「させません……!」
 その足元に幼い子供。うずくまったその姿ははっきりとは見えなかったが、『誰か』を救うべく、鳰は素早く刃を振り抜いた。『鵙』、狂刀がその爪を両断して、さらに敵の動きを縛る。次の瞬間、ツェイの片目が激しく光を放った。
 『爆花捧灿』、白群の炎がツェイの瞳を焼くのと同時に、同じ色の炎がオルガノン・セラフィムの頸を焼き切った。
「……そこな幼子、怪我はしておらぬか」
 そう声をかけるのと、『ここまで来れば、要救助者を一人抱えても大差ない』という打算、どちらが先であったのか、自分でも明確にはわからない。
 ……いつまで経っても未熟よの。胸中でそう呟きながら、彼は幼い子供へと歩み寄っていった。

シルヴァ・ベル
道明・玻縷霞


 助けてください。
 無力な市民の救いを求める声は、何度聞いても心が締め付けられるもの。しかもそれが、我が身を顧みない、他者を慮ってのものとなれば、その重みはさらに増して感じられる。
 定められた警備対象を危険に晒すことは、果たして警察官として正しいのか。しかしだからといってこの懇願を断るようでは、何のための警察なのか、何のための力なのか。
「私が行きます」
 だから、玻縷霞はそう口にした。無辜の村人が傷つき死んでいくのを、見捨てることはできない。たとえそれによってこの先の戦いが不利になるとしても、責は負うという覚悟の上で。
「助けられる限りは手を尽くします。だから……」
 こちらは任せて先に逃げて欲しい。そう告げると、少年は目に涙を浮かべて頭を下げた。

 少年の護衛を仲間に任せ、ひとり別行動を取る。助けを求める声に応じ、迅速に駆けた玻縷霞は、一人の村人を狙うオルガノン・セラフィムの姿を発見した。
『ねえ、どうしちゃったの? 私の事がわからないの?』
 後退りながら民家の入り口から出てきた女性が、正面に立つオルガノン・セラフィムに訴えている。しかし、その言葉は届いていないようで、怪物は蠢く内臓を、伸びる爪を、彼女へと向けた。
 一般人の命など容易く奪えるであろうそれを、玻縷霞は身を挺して庇う。攻撃自体は先程戦った者と大差ない、動きを見切った彼は反撃の一撃で敵の爪を叩き砕く。
 そこにすかさず駆け込んだのは、黒い猟犬、√能力で変身したシルヴァの姿。玻縷霞の姿を認め、村人を庇う必要がないと察した彼女は、静かに素早く敵へと牙を突き立てた。
「天使の子は?」
「他の方々が護送しています」
「そう、よかった……」
 二人は簡潔に状況を共有する。黒い毛並みに負った傷の数々から、シルヴァが村人を庇い、救助活動に徹していたことが、玻縷霞にも伝わる。
「村の人には村外れの森へ逃げてもらっているわ。そちらに案内しましょう」
「助かります。それでは――」
 避難経路がある程度定まっているのならそこに向かってもらえば良い。玻縷霞は先程助けた女性へと向き直った。
『……殺したの?』
 先程そう呟いたのを最後に、女性はオルガノン・セラフィムの傍らに座り込んだままだった。圧し折れた爪の根元、歪な手を取り、そこに嵌った指輪を撫でている。
「怪我はない?」
 見たところ外傷はないようだが、シルヴァの問いかけに答えは返って来なかった。

 この歪な存在、|出来損ないの天使《オルガノン・セラフィム》と戦うのは、慣れてしまえばそう難しくはない。素早く身を隠しながら駆けるシルヴァと玻縷霞は、森への道を確保するように幾らかの敵を仕留める。そのすべてが、「間に合った」などと言えるものではなかったものの、何人かに避難を促せただろうか。
 こうした救助活動は極力迅速に行われたが、オルガノン・セラフィムを討伐している以上、目的を同じくする第三勢力の目は逃れられない。
 助けられた数人の村人を案内しているところに、それは現れた。
『お前達か、天使を殺して回っているのは』
 羽衣のような布を周囲に浮かべた女――羅紗の魔術塔の刺客である。

第3章 ボス戦 『対処不能災厄『ネームレス・スワン』』


●森の入り口
 天使の少年を逃がす道中、一人だけ助けることができた少女の元に、エミリオが駆け寄る。
「ローザ! よかった、無事だったんだね!」
「エミリオお兄ちゃん……なの?」
 √能力者達によって危うい所を助けられたその少女は、泣きはらした顔を上げて、エミリオを見た。その目に一瞬恐怖の色が混じったのは、オルガノン・セラフィムに襲われた経緯を考えれば仕方のないことかもしれない。
「そ、そのからだは……?」
「ああ、これはね……」
 説明は難しいだろう、目を逸らし言いよどむ少年の方を叩いて、一行はさらに森の奥へと逃げるよう促す。

 ここまでは、オルガノン・セラフィムとの接触を極力抑え、隠れ進むことに成功した。徘徊するオルガノン・セラフィムはもとより、この村に来ているという羅紗魔術師も、ここに『天使』が居ることを把握できていないのではないだろうか。
 今の内にこの村を後にしよう。他に追手が居ないか最後に確認しようと、一行が村の方を振り返ったそこに、『それ』は突如現れた。

『おおっと、これは驚きましたね』

 特徴的なのはその白い翼。そしてその根元にある肉の塊には、『肉体のパーツ』が、でたらめに並んでいる。オルガノン・セラフィムとは明らかに違うそれは、羅紗魔術師が契約し、従えている上級の怪異だった。

『天使だ! 本物の天使が居たぞ!!』『ははは、あの女に教えてやらねえとなあ!』

 肉体に生えた無数の頭部が、口々にそう騒ぎ立てる。大いに喧しいが、その言動からして、こちらに気付いているのはこの怪異だけ。情報が羅紗魔術師にまで伝われば、脱出は非常に困難になるだろうが、その前に倒してしまえれば――。
 こちらを甘く見て、足止めのために挑みかかってくる怪異に対し、一行はそれぞれに得物を構えた。

●森側:対処不能災厄『ネームレス・スワン』
 脱出のためにはこの怪異を討伐する必要があります。
 他の味方が到着するまでの時間稼ぎのため、エミリオの逃走阻止、捕縛を狙ってきます。WIZの能力でも恐らくそのための行動を取るでしょう。
 時間をかけすぎると他の怪異が到着するほか、ネームレス・スワンは自分が倒されそうになると、羅紗魔術師のところへ撤退しようとします。

 エミリオの存在が羅紗魔術師に伝われば、森の中にまで追手がかかるので脱出が非常に困難になります。


●村の片隅
『お前達か、天使を殺して回っているのは』

 村人の救助に回っていたシルヴァと玻縷霞の前に現れたのは、羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』である。二人の様子と、彼等の庇う村人たち――まだ逃げきれていないのは三人程度だろうか――を一瞥すると、彼女は自らの契約している怪異を呼び出した。

『何のつもりか知らないが、邪魔をしないでもらいたい』

 もったいないだろう? そう言いながら、彼女は怪異をけしかけてくる。
 真の天使――エミリオに関する言及はない。恐らく、彼等が目立たず行動し、こちらが別動隊として動いたことで、期せずしてこちらの救助側が『囮』として機能したのだろう。
 相手の実力からして、ここでの目標は『生還』になる。しかし、やりようによってはさらに時間を稼げる……かもしれない。

●村側:対処不能災厄『ネームレス・スワン』&羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』
 森側とは別個体です。こちらに対処し、生還を目指してください。
 三章開始時点での彼女等の目的は、『オルガノン・セラフィムを殺して回る√能力者を追い払うこと』です。対応は怪異に任せているため、羅紗魔術師は自分からは戦闘に参加してきません。
 両者ともに普通の村人に興味はありませんので、彼等を積極的に狙うことはありませんが、逆に巻き添えが発生することを全く気にしません。

 こちらの行動次第では、森側の状況に関わらずエミリオの存在に気付かれる可能性もあります。ご注意を。
道明・玻縷霞
シルヴァ・ベル
櫃石・湖武丸


 羅紗魔術士の従わせている怪異、白い翼の怪物が品のない嗤い声を上げながら迫り来る。本能任せで襲い来るオルガノン・セラフィムとは違う、悪意に満ちたその気配に、玻縷霞はその身を呈するように立ち塞がった。
 多数の翼が一斉に打ち振るわれて、加速した怪異の突撃を、玻縷霞は白狼――神獣の力をその腕に宿して受け止める。纏ったオーラで敵の動きを封じ込めるように抑えつけ、阻む。それは背に守った村人達へ、攻撃の影響が及ばぬようにという配慮の元に行われた動き。
『ほう、その足手纏いがそんなに大事か』
「√能力者として、襲われている人を助ける……それがおかしいとでも?」
 感心したようなアマランス・フューリーの声に、玻縷霞が忌々し気に応じる。そもそも発端となった依頼――その目的については伏せたままだが、玻縷霞が口にしたのは半ば本心であり、真実味が滲んでいる。
『見上げた姿勢だと褒めているんだ。天使の破壊にさえ至らなければ手を貸したいくらいだとも』
「――変わり果て、さまよい、かつての隣人を襲う姿を「天使」と称しますのね」
 敵の動きを警戒しながら、シルヴァが羅紗魔術士にそう返した。
「ではあなた方は悪魔ですわ。これ以上の狼藉は許しませんわよ」
『ふむ、より正確に「出来損ない」と呼ぶべきだったか?』
 困ったな、と言うようにアマランス・フューリーは眉根を寄せる。決裂は決定的……少なくともそう印象付けることには成功しただろう。
「此処でお前が得るものは無い……お引き取りを」
 敵との会話を打ち切ることで、羅紗魔術士側に情報が漏れるのを抑える、シルヴァと玻縷霞のそんな思惑はこの状況において的確なもの。これで相手は余計な疑いを持たず、手駒に任せたこの状況に介入してくることもなくなるだろう。エミリオを護衛している仲間達に気付かれる可能性も、十分に抑えることができるはず。
「玻縷霞様、ここはお任せしても?」
「ええ、まずは彼等の避難を」
 玻縷霞が頷くのに合わせ、シルヴァは残った村人達についてくるよう促す。せめて戦いの余波の届かぬ所まで――しかしそんな彼女の思惑に構わず、怪異は広範囲に影響を及ぼす手段を選ぶ。ぼこぼこと生まれ出でる複数の頭部、それらが一斉に叫び声を上げた。
『――ッ!!!』
 言葉にならぬ、狂気と絶望に満ちたその声は、聞く者の理性を削る。戦う力を持たぬ村人達への影響は大きいが。
「立ち止まらないで!」
 そう呼び掛けるとともにシルヴァは魔術を展開し、森の木々――逃げる際の障害物を薙ぎ払うように星を降らせる。衝撃波と破砕音が続いて敵の叫びを打ち消し、村人達を正気へと立ち返らせた。
「さあ、こっちへ!」
 助け出せた村人は残り三名、彼等を導くようにして、シルヴァは村の外れへと駆ける。幸いと言うべきか、オルガノン・セラフィムの生き残りや羅紗魔術士の低級怪異はこの辺りまでは辿り着いていないらしい。
「このまま森の奥へ逃げて、他の人達もそこに居るはずだから」
『あ、ありがとう……!』
 戦闘の気配から十分に離れたところまで彼等を逃がし、シルヴァは急ぎ、来た道を引き返していった。

 一方の玻縷霞は、その場に踏みとどまって怪異の攻撃に対応、囮と壁を担う。とはいえ上級の怪異の能力はオルガノン・セラフィムを大きく凌ぐ。分が悪いか、と思われたそこに。
「また難儀な状況だな、道明」
 風を裂く音と共に、不可視の斬撃が怪異の翼をひとつ斬り飛ばす。駆け付けた√能力者、櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)はそのまま玻縷霞の横に並ぶ。
『なるほど、他にも仲間が居たか』
「頭数の差を考えろよ。こっちも助太刀に入るのは当然だろう?」
 一人より二人、二人より三人ってやつだな。軽い口調で羅紗魔術士に応じつつ、得物を再度鞘へと納める。霊力を宿したその刃は、正体不明の怪異に対してもしっかりと成果を上げていた。
「時間を稼ぎます。手を借りられますか?」
「こんな奴と戦うのは初めてだが……刃が通るなら十分いけるな」
 切り裂かれた翼の代わりに生えた頭部が雄叫びを上げ、怪異はその歯を突き立てようと襲い来る。耐久力を活かし、それを正面から迎え撃った玻縷霞がカウンターの一撃を打ち込んだところに、湖武丸がその刃を抜いた。
 居合の一閃が風を斬り、舞う斬撃が拡大する怪異を削ぎ落す。敵の攻撃を阻止し、留めることに重点を置いた立ち回りで、二人は怪異の猛攻を凌いでいった。
 ネームレス・スワン、異形の白鳥が攻めあぐね、焦れたように叫ぶ。精神を侵す雄叫びが響き渡るが、それを阻止するように、上空から隕石が飛来した。
 それが味方の手によるものであると、玻縷霞と湖武丸はすぐに悟る。
「シルヴァさん、村の皆さんは……」
「無事に逃げられたわ。わたくし達も退きましょう」
 流星の加護を味方に纏わせ、戻ってきたシルヴァがそう促す。大きく身体を抉られた怪異は、足が止まったばかりではなく追撃の好機にも見えるのだが。鞘に納めた霊剣に手を遣り、湖武丸が逡巡する。
「どうせなら、少しでも戦力を削っておきたいところだがな」
「そうですね、しかし――」
 さすがに目の前でこの怪異が倒されれば、羅紗魔術士も本気で向かってくるだろう。そこまでの準備はできていない。
「仕方ない、か」
 名前はアマランス……何だったか。怪異の後方の彼女を一瞥し、湖武丸もシルヴァと玻縷霞に続いてその場を退く。
 敵を倒せぬままに戦場を後にする。だがそれは敗北ではない、目の前の目的を果たした上でのことだ。後は、仲間達がきっと――。

千桜・コノハ
ツェイ・ユン・ルシャーガ
ハスミン・スウェルティ
香柄・鳰


 既に根絶されたと思われていた病、『天使化』。その蔓延によって崩壊した村を切り抜けて、森の傍まで辿り着いた一行だったが、舞台を降りるにはまだひとつ障壁が残っていた。
「そう簡単には脱出できない、か」
 とはいえそれも予想の上だ。そう小さく呟いて、コノハが得物に手を添える。目の前にあったご褒美を取り上げられたような気分……ではあるが、気落ちしている場合ではない。敵に発見されたとはいえ、まだ希望は残っている。大事なのは、ここでの立ち振る舞いと、戦う意志だ。
「エミリオさんと、ローザさん。どうか我々から離れぬように」
「前に出ちゃ駄目だよ」
 まだ怖い思いをさせてしまいますが、ごめんなさいね。天使の少年と、先程救出した少女を後ろに庇うようにして、声をかけながら鳰もまたコノハに並んだ。突然現れた怪異、その異形を目にして怯える少女を、エミリオを支えるようにして後ろに下がる。そちらを一瞥して、ツェイもまた敵に向き直った。
 護るべきもの、選択を強いられる中でかろうじて救えた命、それは意識せずとも胸に刻まれる。これ以上奪わせはしない、そう心に決める。
『おいおい、何か変なのが混ざってるぞ』『邪魔する気かア?』
 こちらの様子を察し、怪異が複数の口で騒ぎ立てる。対するハスミンは、その姿に覚えがあった。
「また|ネームレス・スワン《おまえ》か……」
 いや、さすがに同種の別個体だろうか。これまで怪異関係の事件を追っていた者であれば、遭遇することもあっただろう、それだけ『よくある』タイプの怪異である。しかしながら、よく見かけることと戦闘力の高さに関連は無い。油断できる相手ではないだろう。
「随分とお喋りな怪異ですね……ですがお陰で、あなたが疾く討たねばならない存在であることが良く解りました」
「ああ、手短に殺ってやろう」
 ハスミンが頷き、地を蹴ると同時に、鳰は手にした太刀を掲げる。
「――参りましょう」
 『鶎』、意志を示すような言葉は、聞く者の胸に生き残るための力を宿らせる。滾る戦意のままに駆けて、ハスミンは大口径の拳銃を敵へと向けた。
「誘拐未遂、といったところか。見逃すわけにはいかないな」
 罪人へと向かうは無慈悲な弾丸、銃火と共に射出されたそれは、敵の肉体に喰らい付いたところで爆ぜて、その身を抉り飛ばす。着弾と共に広がる彼女の災厄、黒い靄のようなそれを抜けて、コノハの白刃が閃いた。
 再生するように湧き出でる怪異の肉体を、斬撃が次々と削ぎ落す。
『ははは、元気が良いなァ』『そんなことしても無駄だってのによ』
「黙っててくれる?」
 次の一太刀が哄笑を上げる怪異の口を貫き、両断。しかしそれに怯む様子もなく、怪異は愉快気に笑みを浮かべた。増殖する身体に生じた、無数の唇が同じ弧を描く。そして。
『ここから逃げられると、本気で思ってるのか?』『まさか自分だけそんな、なァ!?』
 それらの口が一斉に声を上げる。怪異が呼び覚ますのはこの村の惨劇、聞き覚えのある悲鳴が、嘆きの声が、怪異の叫びに重なって頭の奥に反響する。工夫のないシンプルな精神攻撃、だがそれゆえに防ぎ難いのもまた事実だ、コノハは咄嗟に耳を塞ぐが、頭の中で鳴り響くそれが正気を揺さぶる。
 だが、それで戦意を喪失する者はいない。耐えるコノハと同様、黒い災厄と確たる意思でそれに抗い、ハスミンは敵を睨めつける。
「そちらに罪はないとでも?」
『おいおい、俺達は『新物質』を集めに来ただけだろ?』『責任転嫁はやめてほしいなあ?』
 せせら笑うようなそれを聞いて、目を細める。確かにこの怪異はよく喋る、目的を軽率に口にしたように、さらなる情報を引き出せそうに思えるが……それ自体も、尋問に時間を割かせるための誘いかもしれない。
 それに何よりも、とツェイは後ろに庇った二人の様子を横目にする。この距離ではいくら立ち塞がろうとも、『叫び声』は防ぎようがない。鳰とハスミンの√能力によって影響は軽減できているが、攻撃の影響下に置かれた二人は苦し気に頭を押さえ、その場にうずくまっていた。
「やはり……口を塞ぐのが最優先かの」
 あまり時間をかけるわけにはいかない。当初の方針通り、迅速に敵を仕留めるべく、鳰は聞こえる『声』の方へと踏み込んだ。
「視界が少々狭いが――」
「賑やかなお陰でやりやすいですね」
 敵の位置と、その距離は敵が勝手に知らせてくれる。駆ける彼女に対し、怪異は増殖するその肉体を活かして反撃に出た。歯を持つ頭部に槍のような脊髄、そして筋肉の塊である白い翼、それらを駆使した連続攻撃。
 次々と繰り出されるそれらに対し、鳰は太刀を、手斧を、それぞれ駆使して弾き飛ばす。手斧の刃が脊髄を叩き斬り、長い刀のひと振りで迫る翼を両断。しかし、それでもなお敵の四肢が芽吹き、彼女を覆い包もうと伸び行く。
「まったく、しぶといな」
 動じることなくそう呟いたハスミンもまた、それを迎え撃つように引き金を引く。両手の拳銃から放たれた弾丸は敵の骨を、関節部を正確に射抜き、勢いを殺したそれらを続く打撃でへし折っていく。
 足を止めることなく、さらに至近距離へ。敵の身体を刻み、さらに深く切り込んでいく二人に対し、怪異は再度の叫びで抵抗を試みた。
 悲嘆の声、絶望の断末魔、怨嗟と共に罪悪感を煽るそれらを受けて、なお。
「わかっていますよ、けれど――だからこそ、残されたお二人には、必ずや生き延びて頂かねば」
「……そうだよね」
 コノハもまた、それに応じる。見てきたもの、選んできたもの、そしてそうせざるを得なかった自分の無力。そこから眼を逸らしてはいられないのだ。
「二人だけは、絶対に救うよ……!」
 これ以上取り乱して無様を晒すわけにはいかない。決意の宿った言葉と共に、桜色の炎が零れる。『篝火の桜』、そこから湧き上がるのは、彼が司る浄化の炎。
 ――この気持ちも、全部炎にして燃やしてやる。
 そんな意志を反映するように、鳰やハスミンの攻撃で手折られた翼や脊髄に燃え移り、焔はさらに勢いを上げる。

 大きな躰に多くの頭、これら全てを相手取るには一人の手には余る。それが当初のツェイの見立てだったが。
「――ようやく見えてきたかの」
 仲間達と協力しての攻撃によって、攻撃と共に防御を担う『枝葉』は大きく削り取られていた。
 頭部や翼といった部位を攻撃するのも重要ではあるが、やはり確たるダメージを与えるのなら、狙うべきはその根本だ。辿り着くのに時間はかかったが、ここまで来れば|片目《ひとつ》あれば充分――。
「折角永らえた子らの道を、ぬしのような、小間使いごときに鎖させはせぬよ」
 『妖威咒睨』、ツェイの残った片目が妖しく輝き、込められた呪詛が青い炎となって敵の四肢を焼き焦がし、その再生を阻んでいく。
「報告は彼岸で果たすがよいさ」
 開いた道、見えた『本体』、重ねられた炎の熱に絶叫する怪異へと、ハスミンの銃口が、鳰の刃が向けられて。
「躊躇いなく弾丸をブチ込めるという意味で、貴様の存在に感謝しよう」
「――そろそろ、お静かに願います」
 続く攻撃がひときわ大きな口を貫き、森の空気を震わせていた叫びが、途切れる。

夜縹・熾火
ゾーイ・コールドムーン
佐野川・ジェニファ・橙子


 √能力者達の攻撃を捌き切れず、追い詰められた怪異は、自らの身を引き裂きながらも離脱を試みる。
『おいおい、やるじゃないかこいつら』『クソッ、さっさと援軍を寄越せよあの女!』
 新たに生えた頭部が口々にわめく、折れた翼で地面を打ち、無様に這いずるように動く怪異だったが。
「まさか、逃げられると思ってるの?」
 逃れようと向かった方角には、既に橙子が先回りしていた。待ち構えていたように掲げられた二本の卒塔婆が、十字を描くように振り下ろされる。随分と体積の減ったネームレス・スワンはそのまま地へと叩きつけられ、いくつか残った口から悲鳴と共に怨嗟の声を迸らせる。
「ああもう、クソ喧しいわね!」
 頭を揺さぶるそれを至近距離で聞きながら、橙子は耳を塞ぐ代わりにその両手でさらなる攻撃を加える。彼女の駆使する|能力《3秒ルール》によって、負傷はすぐさま消えてなくなった。退路に立ち塞がり、道を阻むには最適な力、それを活かして、橙子は敵の動きを抑え込む。ネームレス・スワンもまた、増殖する肉体を彼女の側に集中させ、抵抗を試みる。歯を持つ口、うねる脊髄が橙子の元に殺到するが。
「熱烈じゃない! 目立つ美女でごめんなさいね!」
「ああ、羨ましいかぎりだよ」
 四方から放たれた詠唱錬成剣による斬撃が、それをまとめて斬り潰していく。『狂焔の牢獄』、熾火もまた敵を逃すまいと攻撃を展開。爆破を伴う派手な攻撃ではあるが、ここまで素早く隠れ進んできたおかげで、これくらいやってやる余裕はまだあるだろう。
「状況を見誤ったようだね。口数が多いだけでそこまでの知性は無いらしい」
 そんな熾火の見立てにゾーイが頷く。幸いと言うべきか、この怪異は倒して即復活するようなタイプではなさそうだ。こちらを発見したのがこの一体であるのなら、急いで倒してしまえば敵の目的は阻止できるだろう。
「とはいえ、そう簡単に倒れてはくれないみたいだね」
 予測していた通り、敵の動きを察知して、ゾーイはそちらへと地を蹴る。そこに現れたのは、もう一体のネームレス・スワン、怪異の√能力によって召喚されたそれは、エミリオとローザの方へと向かっていた。
『逃がさない、ってか?』『それはこっちの台詞なんだよなァ』
 新たに生じた個体は見せかけだけで、まともな戦闘能力は持っていないようだが、最大の目的である『天使』を拘束するだけの力はあるのだろう。エミリオの脱出さえ阻めば、いずれやってくる援軍によって彼等の目的は達成される。
「やると思ったよ」
 が、それを許すほどこちらも甘くない。こちらに手は出させまいと、飛び掛かるようにして新たな怪異に組み付いたゾーイは、持てる力を駆使してそれを黄金へと変えた。ごとりと音を立てて地に落ちる歪な彫像、その上に立ちながら、彼はエミリオ達の無事を確認する。
 恐怖と攻撃の余波に震えながらも、彼等はまだ正気を失わず耐えていた。それを確かめたところで、ゾーイは少年が顔を上げる前に視線を切る。これ以上、恩を着せるような真似をする必要はない。
 戦う力を持たない彼等を守るため、そう言えば聞こえは良いのだろうが、彼にとってこれまでの選択は全て私情によるものだ。少年の願いに配慮しているように見えても、そこに打算がなかったとは言えないし――ましてや無私の善行などではありえない。それでも、だからこそ。
 自分と違って真に誰かを助けられるかもしれない彼を、ここで捕えさせはしない、そのために。

『ふざけんなよ、こんなところで……!』
 分身を即座に行動不能に貶めたゾーイの姿は、敵にとっても脅威に映っていただろう。迫り来る彼に対して、ネームレス・スワンはさらに反撃を試みる。伸ばした翼、脊髄、それらはしかし、熾火の振るった刃が薙ぎ払う。そうなれば残ったものは絶叫による範囲攻撃のみ、随分とか細くなった声量の叫び、この程度であれば√能力者達の精神に影響が出ることはないだろう。残るは、あの二人だが。
「戦う力が無かったからと悲嘆に暮れるのは後にしろ。心が壊れてはどうにもならない」
 狂獣ノ面を、夜戯ノ装束を纏い、表情を隠したまま熾火は言う。
「少年。いや、天使エミリオ。キミにはまだ成すべきことがあるだろう」
 責任を果たせ。喪ったものは多くとも、キミの願った命が、今そこにあるのだから。
 そう煽ってやったところで、少年は戦う技も、その方法も持っていない。しかし、思い出したはずだ、その手に預けられた『星』を。
「……!」
 震えるローザの身体を抱き寄せるようにしながら、エミリオは願う。すると避難の際に熾火の預けていた星が輝いて、彼等の周囲に音を阻む障壁を形作った。
「……まぁ、少し物足りないけどね」
 とはいえ、十分だろう。それを見届けたところで、彼女は冥顕の剣をその手に掲げる。
「――面倒事にはさっさと御退場願おうか」
『あああ、クソッ、さっさと来いよあの女ァ!』
 振るう刃は伸びる枝葉を根こそぎに、そしてか細い絶叫に対しては、橙子が吼えて返した。
「|莠疲怦陜ソ繧ァ 荳我ク九′《五月蝿ェ、三下が》!!!」
 喝破し、叩き潰すような打撃をそこに付け足せば、怪異の声は途切れて消えた。ひしゃげるように地へと叩き付けられた怪異に、反撃を試みる暇は既にない。
 『遍在性災厄』、すぐそこに忍び寄っていたインビジブルと、瞬間的に位置を入れ替え、ゾーイの手がその本体に触れた。
 溢れ出る黄金の光が、戦場を眩く照らす。



 ネームレス・スワン、羅紗魔術士の手駒であった怪異は消滅し、森に一時の静寂が戻る。今となっては、村の方からの悲鳴も聞こえない。居るのは天使のなりそこない、オルガノン・セラフィムと、それを捕縛しようとしている羅紗の魔術塔の者達だけだろう。
 まだ追手の気配がないことを確認して、√能力者達はエミリオとローザの方へと駆け寄った。
「……ありがとうございました」
 疲弊や消耗は隠しようもない、それでも、「手を尽くしていただいて、感謝しています」と、少年はそう言って頭を下げる。協力して事態に当たった√能力者達は、ついに天使を救い出すことに成功したのだ。

 傍らのローザは、落ち着かない様子でこちらと、異形と化したエミリオの姿を交互に見遣っている。そう、何人か――救出に向かった√能力者達によって救われた村人が居るはずだが、彼等と合流できたとしても、変わり果てたこの少年は、ともに暮らすことはできないだろう。

 今は目の前の状況に対処するのに必死で、何もわかっていないだろう。ここを逃れ、落ち着いたところで、この少年は同じことを言えるだろうか。
 それはわからない。全てを解決する手段はない。けれど、それでも。

 ――行こう。誰ともなくそう促して、一同は天使と共に、彼の故郷を後にした。

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