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点Pの逃亡

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●点Pの逃亡
 漆黒の森の中を、青年は駆けていた。星は空に無く、暗闇が周囲を満たしているというのに、人離れした知覚によって周囲を認識することには困らない。
 背を破って生まれたばかりの器官は、柔らかな感触で痛む皮膚を撫でる。仕事で焼けた浅黒い肌は、今やブロンズの輝きが侵蝕しきっている。
(まだ、逃げ切れないか)
 青年が抱いているのは赤子であった。泣き叫ぶか弱い命は、青年が持つ金属質の肌に怯えているようであった。
(おれは、どうしてしまったんだ)
 運命の不条理を恨む、という心はなく、そういう宿命であったのだろうという思いが青年のうちを満たしている。働いていた畑から見えた教会の天使像のようだ、と己の腕を見る。背に生えているのは、おそらく翼だ。それが柔らかく、白に輝いていることを、本能的に彼は知ってしまっていた。

 いつものように、平和でそれなりに充実した一日が終わる気がしていた。夕暮れの寒さの中、勝ち気な妻と生まれたばかりの双子が待つ家に、帰ったはずであった。
(アガーテ)
 妻が双子を喰おうとしていた。贈った赤いスカーフ、名前に因んだ瑪瑙のブローチ。それをいつものように身につけていた妻は、目の前で化け物へと変じた。天使のまがい物のような、ツギハギの存在が、彼女の体を割いて生まれたのを見た。スカーフは破れ、ブローチは砕けた。
 アガーテ。震えた唇で彼女の名を呼ぶ。赤子が泣いた。『まだ生きている方の』子を抱いて、駆け出した。その時は己の異変に気付いていなかった。
 走るたびに激痛が身を貫き、激痛が引くたびに異様な活力で満たされたことを感じる。
 追いかけてくる『アガーテであったもの』は、中々追い放せない。彼女を殺すことはできなかった。少なくとも、子を抱いているうちは。まだ開ききっていない目に映ったのが殺し合いなど、あまりにも残酷だ――。
(だからせめておれが、正気を保てているうちに)
 隣村は無事だろうか。化け物に襲われていないだろうか。
(この危険を知らせなければいけない)
 行き止まりの崖から彼は身を投げる。生まれたばかりの翼が風をはらみ、大きく羽ばたいた。飛び方は、知っていた。なぜか。

●ドメスティックな受難
 綾織・つづれ(綾なす糸のシャトレーヌ・h02904)は居城の工房で顔をしかめ、編み上げた糸を眺める。そして、あまり良い卦ではない、と呟いてから、皆の方を向いた。
「√汎神解剖機関のヨーロッパ各地で、無私の心を持つ善良な者等が天使病で『天使化』する事件を予知した。もっともこのご時世、善良な人間など、居なくなって久しいと思われていたが……」
 つづれの話によれば、ジュスティン・ゴーシェという男性が天使と化し、そして天使のなり損ないである『オルガノン・セラフィム』に追われている、と言うことらしい。
「ジュスティンは己の子を連れて逃げている。……嘆かわしいことに、ジュスティンを追っているオルガノン・セラフィムは、彼の妻、アガーテが変じたものだ。ジュスティン自体は赤銅の肌に、黄金の紋様が描かれている」
 つづれは、目を伏せ、溜息をついた。空中に魔術で地図を投射する。ジュスティンを示す点と、アガーテを示す点が現れる。片方は青。片方は赤。味方と敵。
「ジュスティンは生まれたばかりの赤子の無事を願い、また、隣村の危機を心配している……その上、こんな状況下故、些か混乱しているかも知れないな。まずは、保護を優先して欲しい」
 しかも、とアガーテの点から目を離したつづれは忌々しく呟く。
「オルガノン・セラフィムや天使を奴隷や新物質として利用するために、『羅紗の魔術塔』も動き出したという。魔術士の記憶を織り込んだ『羅紗』を纏った輩だ。時代を重ねたその技を侮ってはならない。とにかく、急いでくれ――連戦になるだろうから、気をつけて」
 糸巻きを手に難しい顔をするつづれであったが、こくりと頷き、皆をじっと見た。

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第1章 冒険 『助けを求める声』


黒滝・恭一郎
都留・臻
早乙女・伽羅

 赤銅の肌、白い翼。何かを抱いたまま駆ける天使。その髪は乱れ、抱かれた『何か』は命の危機を告げるように、泣き声を上げている。
「あれが、ジュスティンか」
 早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)は猫族特有の俊敏さで駆けながら、後ろを追う。
 その後ろには、都留・臻(枳殻|《きこく》・h04405)、黒滝・恭一郎(セレスティアルの神聖祈祷師|《ホワイトクレリック》・h02448)の姿もあった。
「探索が得意な方がいて助かりました」
 感謝するように、恭一郎は臻に笑みかける。夜暗い森の中、敵に見つからずにジュスティンを探すのは苦労の技であった。
「こういうのは、意外と手がかりがあるもんだ。鳥が騒いでいた。枝が折れていた。そういったもんで分かる」
「その鋭さ、警察にいた時だったら喜んで勧誘したものだが」
「そりゃ、どうも」
 元警察官である伽羅は一瞬昔を懐かしむような目をし――そして前を行くジュスティンの方をじっと見る。己を追う存在が増えたことを知ってか、彼の走る速度は上がっていた。
(不味いな、ペースが乱れている)
 伽羅は思う。このままでは、彼はやがて息切れを起こして、立ち止まってしまう。
 だいぶまいたとは言え、アガーテ――オルガノン・セラフィムの存在はまだ、側に感じる。見つかっていないだけだ。
「アガーテ様を救う手立ては、もう無いのでしょうか」
 恭一郎の言葉には、誰も、答えない。

 荒い息が、森の闇に響く。一度離れた距離は、ジュスティンの疲労でまた狭まってきた。併走する形となった臻と伽羅は、声をかける。
「おい、あんた。ジュスティンだろ――」
 ジュスティンは答えない。ただ、泣いていた赤子が臻の言葉を聞いて、不思議なことにきゃっきゃ、と笑い始めた。困惑したような表情をジュスティンは臻に向ける。変わった気配の人だ、と言いたげに。そして、少し心を開いたようにじっと一同を見た。
「君、達は?」
「味方だ」
 伽羅は何カ国語かで話しかけ、臻もまた、翻訳機を使って通訳をする。訛りの強さはあったが、数度のやりとりの末、英語が帰ってくる。
「信じたいが、しかし……」
 そこに、少し遅れて恭一郎が滑り込んでくる。
「ジュスティン様。私も、翼持つ者です! 敵ではありません!」
 恭一郎の白い翼を見て、ジュスティンは何事かを呟いた。古めかしい祈りの言葉であった。そして、覚悟を決めたように全員を見る。
「信じましょう。しかし……おれにも、何が何だか分からないのです」
「今、何をしたい?」
 臻の言葉に、ジュスティンは地面を見る。
「あなた方が神の遣いであろうと、そうでなかろうと……この危険に巻きこんでしまうわけには」
 大丈夫、と恭一郎は言う。
「聖なる竜の庇護がありますよ、ジュスティン様。貴方が人のためを思う心に、私も応えたいのです――そして、貴方達二人のいとし子を無事に護りたいとも」
 アガーテ、と嘆くような言葉がジュスティンの唇からこぼれた。抱きしめられた赤子は、臻の方を見てきゃっきゃ、と笑んでいる。
 伽羅は思う。天使化の病が今のタイミングで顕在化する理由は解せぬ――。
(だが。家族を目の前で失い、己の危機が迫るこの瞬間でさえ、隣人の安全を考えて行動できる……そういう君だからこそ、そしてそういう君の家族だからこそ、こうなってしまった……とは、言葉にすべきではなかろうな)
 だから、その代わりに問う。
「君の願いは何だ」
 願いと覚悟を見定めるように、伽羅の瞳がジュスティンを見据えた。
「……皆の無事です。この子と、隣人と……そして」
 せめて、アガーテが誰かを殺さずにいられる終わりを。
「よく言った」
 寄り添い、肯定するように、伽羅は声をかける。赤銅の肌持つ天使は、何も言わず、ただ頷いた。

「さて、子連れで追われているんだってんなら、まずはその子を保護するのがあんたの一番大事な役割だ。隣村への伝令はおれに任せろ」
「……はい」
 臻が提案すれば、ジュスティンは頷く。その様子には、決意が表れていた。己がやるべきことを、やるという決意であった。
「この子は双子なんだな」
「はい。双子、でした」
 過去形の重みを一同は感じる。
「おれのきょうだいも、そうだ。生きていることが優先だ……じゃあ、な。ここから先は別行動だ」
 例え、離れ離れはつらいとしても。その言葉を心の中にしまいながら、臻は去って行く。
「そう、ですか……そうですね。生きなければ」
「そうですよ、生きていれば、ジュスティン様のいとし子は、幸せでいられるのですから。何よりジュスティン様はまだ生きています、それが大事なことです」
 そして、恭一郎は祈りの言葉を紡ぐ。言葉は白い鱗めいた破片となり、きらきら輝きながらジュスティンと赤子を包み込む。
(ジュスティン様の神とは、違うでしょうが――)
「神聖竜よ、善良な心を持つものと、無垢なる小さな者を、護りたまえ――」
 白い竜の姿が現れ、バサリと翼を羽ばたかせ、空中に融けた。

神薙・ウツロ

●点Pの疾走
 走る、走る。ジュスティンはアガーテの存在を近くに感じる。何時襲ってくるかも分からないそれが、己の妻であったなど、腕に抱く赤子の母であったなど――まだ受け入れられない。それでも変質した己はアガーテの存在を異物と感じ、生命の危機を告げる。
 それが、たまらなくかなしかった。

 と、ふわり。澄んだ樹木の香りがしたような気がした。春の瑞々しい木の香りだ。
「こんばんは、パパさん」
 刹那、後ろから声をかけられる。異国の訛りがあるその響きは、先ほどの集団の言葉を彷彿とさせた。
「どなた、ですか」
 赤子をぎゅっと抱く。男の声だ。どこかおどけたような、それでも興味を引くような不思議な調子の声。後ろを見る。黒ずくめのスーツ姿で崩した襟元には赤いネクタイ、そして青サングラスを頭にひょいとかけた男が、悠々と青い何かに乗っていた。詳しくは分からないが、青い何かは東洋の龍だとジュスティンは知っていた。昔、そんな柄の壺を美術館で見たことがある――。
 澄んだ香りは、その龍から漂っていた。
「何か変なのに乗ってる変な奴に見えるかもだけど、『助けに来た』ってことだけ信じてくれると嬉しいな」
 神薙・ウツロ(護法異聞・h01438)、と名乗った男は、悪戯っぽく笑む。
「では、さっきの皆さんの、お知り合いですか……」
 併走する男は、あー、成る程、と呟いて、それから頷いた。
「そうそう、そんな感じ」
 どうやって、己を見つけたのだろう、とジュスティンは思う。どうして、自分を助けてくれるのだろう。勿論善意を疑うわけではない。文字通り、何かの救いなのだろう。しかし、森の中から己を探し出すなど、砂の中から粒一つを見つけるに等しいはずだ……。
 思いに耽るジュスティンの横で、男は奇妙な響きを口から発する。言語だろうか。その内容は、ジュスティンが理解することはない。厄を祓い、封印し、縛る、その結界術を、DOMINATORという。ウツロの血筋に刻まれた術だが――ジュスティンはそれらも知ることはない。
 ジュスティンは、世界の『何か』が組み変わったのを感じる。アガーテの羽ばたきが遠くなる。
「ま、こんな感じですかね? お次は……」
 クロ、と短くウツロは空中に呼びかけた。蛇を巻いた奇妙な亀が、のそりと姿を現す。冷たい水の香りが漂う。凍てつきそうなほど寒い、冬の気配。
 ウツロが何かを亀に呟けば、亀は心得たとばかりに蛇の頭で地面を叩く。
 一度。水が流れ出す。
 二度。ジュスティンの背後に、ぬかるみが出来る。
 三度。四度。ぬかるみは沼となった。アガーテの叫びは、いまや絶叫に近かった。
「行こうとしている先はそっち?」
「分かりません、ただ、安全な場所に逃げたくて――」
 成る程、とウツロは頷く。
「もうちょっと行ったら小屋があるからね。しばらくはそこで息を潜めてて」
 ありがとうございます、とジュスティンが答えようとするのを、ウツロは手で制する。
「この虎に乗っていったら?」
 虎? とジュスティンは辺りを見回す。いつの間にか、己の横で白い虎が優雅に走っていた。生ける金めいた瞳を持つその虎は、己に乗れ、と言いたげに首を動かす。
 何が何だか分からなかった。映画で見たような不思議なことばかり起こっている。
「まあまあ早いよ? 息きれそうでしょ?」
 ウツロは「小屋の場所も覚えさせておいたから」と白い虎にちらと視線をやる。
「――ありがとうございます!」
 ジュスティンは、虎に騎乗する。柔らかな毛並みの色合いは、銀のようだった。
 ジュスティンの赤子はきゃっきゃと笑っていた。虎に害意のないことを気づいたのだろうか。よしよし、と髪の毛を撫でてやる。
「赤ちゃんしっかり抱いてなよ」
「はい。皆様に幸運がありますように――」

 白虎は夜を駆ける。ウツロはそれを見送ってから、天を見上げた。
 樹木の隙間から、ましろの月が見えた。

第2章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』


 ばさり。ばさり。翼の音は数を増す。
 長い距離を、沼地と化した大地を、愚直に進み、彼らは追ってきた。
 先頭にいるのは、アガーテであったもの。その周囲にいるのもまた、ジュスティンの知り合いであったもの達であった。必死に逃げていたジュスティンは、村でオルガノン・セラフィムにならなかったのは己と赤子のみだ、ということに気づかなかった。
 ばさり。翼の群れはあなた方を見つける。
 暗い森に、月光が差す。冷たい光は、異形の群れを照らす。
 大量のそれらを、あなた方は倒さなければならない。
早乙女・伽羅
都留・臻
神薙・ウツロ

「さてと、パパさんと一緒にお子さんも向こうへ行ったことだしね」
 神薙・ウツロ(護法異聞・h01438)は跳ね上げサングラスのレンズを下げ、悪戯を行う子どものように笑む。
「ここからはちょっと暴力的な表現解禁でいこっか」
 その目は視る。この世ならざる視点は、襲い来る異形を捉え、認識した。
「どれだけだ?」
 早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)はウツロに問いかける。ウツロはなんともない、という様子で、答える。
「森の中で、金属質のおっかないのが、ひのふのみの――オーケー、たくさん」
「それは結構――どうする?」
 ちらりとウツロを視た伽羅。異形の羽ばたきがはらむ殺意を、彼も猫族の直感と髭で感じていた。
「この場合の適解は、まあ『火を見るより』明らかだね」
 ――『木生火』で、『火剋金』だ。
 五行の相生と相克を口にするウツロの様子は、手練れの術師そのもの。
「奇遇にも南東から来たな――いや、必然か?」
「さあね?」
オルガノン・セラフィムの姿を捉えた二人は、素早く飛び出した。

「ひとりとして、救うことはできないのだな?」
 伽羅の言葉に答える者はない。
「よかろう。ならば、斬る」
 伽羅は素早くオルガノン・セラフィムの懐に飛び込む。伽羅が感じたのは、祝福のまがい物。意志に反した暴走を助長するなど、許容されるべきものではない。
 傷を癒やすその能力を、『虚飾』だと、伽羅はいい――オルガノン・セラフィムに左掌を押しつける。刹那、加護は消える。動揺したのか、オルガノン・セラフィムの叫びが激しくなる。
 伸びる爪が伽羅を捉えようとするが、
「ジュスティン君を苛ませるわけには行かないのでね」
 体をひねり、避ける。善良無垢なジュスティンのこと、例え異形と転じていたとはいえ、知った顔が、否、誰かが傷つくのは受け入れにくいだろう。故に、伽羅は寒江独釣を振るう。仕込み釣糸が籠手から放たれ、腸を切り裂く。
「我々は、一般人を救助する手立てがないという、情けない状況下にある」
 サーベルを抜き放つ。その色は冷たい鋼。
 徒に苦しみを長引かせてはならない――。その言葉と共に、オルガノン・セラフィムの頭部は切断される。

「へえ、やるじゃないの」
 伽羅がかき消していく『祝福』を好機と見たウツロ。纏う朱雀の炎は篝火のごとく激しく燃える。上空から襲い来ようとするオルガノン・セラフィムを捉え、素早く跳躍。
「うーん、ここじゃない? いや、ここかな?」
 重い炎は二発。拳を突き上げるように、敵を捉えた。ねらうは頭部、そして胸部。
 半端な攻撃では再起されると考えたウツロであった。その思考は行動となり、効率的にオルガノン・セラフィムを即死させられる部位を探っていく。
 故に、一発一発はどんどんと鋭くなっていく。オルガノン・セラフィムの頭部がひしゃげ、胸部が吹き飛ぶ。
 朱雀の赤は防御を許さない。当たった箇所で爆ぜ、オルガノン・セラフィムを正確に殺していく。
 二体のオルガノン・セラフィムに挟まれたウツロは再び朱雀の炎を放つ。
 両者の頭部を炎は正確に撃ち抜き、そして翼のざわめきが二つ消える。

「しかし、これじゃあ埒があかないね」
「同意見だ」
 背を合わせ、死角のないようにする伽羅とウツロ。息を整え、再び攻撃に出る。
 あと一人二人いれば、拮抗状態を解決出来るのだが――。
「離れていろ」
 と、気だるげで、しかし真剣な新しい声が、二人の耳元に届く。
 飛び退く伽羅とウツロ。刹那、死角から飛び出したのは、一人のデッドマン。鉄棍を振り上げ、オルガノン・セラフィムを強打しようとする。オルガノン・セラフィムはそれをすんでで避けるが――。
「かかったな」
 デッドマン――都留・臻(枳殻|《きこく》・h04405)は打ち据えた地面の方に視線をやりながら、ぼそりと呟いた。不活性のオーラが周囲に広がり、オルガノン・セラフィムの動きが鈍る。
「なるほど、あそこにいたら私たちも巻きこまれていたわけか」
 こわいこわい、と仕草をしてみせるウツロ。
「大量の敵に対する集団戦てのは、とかく消耗戦に陥りがちだ」
 体力勝負ならば、おれたちの――即ち、デッドマンの領分だと、臻は言う。飛び込んで薙ぎ払えば、不活性オーラに体を捉えられたオルガノン・セラフィム達は、紙細工の人形のように、次々とへしゃげていった。
 そして、振り返りざまに伽羅に飛びかかろうとしていた一体に強打。重量を生かした一撃が、オルガノン・セラフィムの肉体を吹き飛ばす。
 ウツロや伽羅との即興の連携は、徐々にオルガノン・セラフィムを追い詰める。
 ウツロの炎が、伽羅の刃が、そして臻の重い一撃は刈り取るようにそれらを屠り――。
「行かせるかよ」
 最後に残った一体のオルガノン・セラフィムが、よろよろとジュスティンの逃げた方角に向かうのを、鉄棍が無慈悲に打ちのめした。
「次は何だ。魔術師か? 俺は今むしゃくしゃしているからな――連戦だってやってやる」
 地面に伏したオルガノン・セラフィムに、臻は吐き捨てた。

エレノール・ムーンレイカー

 エレノール・ムーンレイカー(怯懦の|精霊銃士《エレメンタルガンナー》・h05517)は、三人とは別の方面で戦っていた。暗い森に潜み、狙撃を行い、一体一体を精確に撃っていく。後方からの攻撃と隠密行動を得意とするエレノールにとって、夜の森はおあつらえ向きの戦場であった。その姿に気づくオルガノン・セラフィムはいない。
 いない、はずであった。
 エレノールの銀の髪が、月の光に輝く。冷たいその光を、オルガノン・セラフィムは見逃さなかった。攻撃に、高速で反応する。生体機械の射程まで跳躍し、虹色の燐光を纏おうとする――。
(見失う!)
 生体機械からの一撃を、エレノールは避けなかった。その代わり、高速で詠唱する。手に現れたのは、不浄の魔剣。その色は夜よりも暗い漆黒。これこそがエレノールの切り札、戦闘錬金禁術、闇に葬られた刃の具現。
 禍々しい瘴気を纏った魔剣は、今まさに消えようとするオルガノン・セラフィムを貫く。
 絶命の声と共に、エレノールは荒い息を吐いた。

第3章 ボス戦 『羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』』


 √能力者達の前に、ふわり、と音もなくそれは降り立った。
 魔法文字を織り込んだ無数の白羅紗と薄布を纏った女であった。羅紗よりも更に白い肌をした女は、傲慢な表情で皆を見下す。
「いかなる技であの天使を隠したかは、今は問わぬことにしよう」
 アマランス・フューリー。纏った羅紗から古き記憶と秘術を解き放つ、西方の魔術士。
 彼女の狙いは、オルガノン・セラフィム達と『天使』――即ち、ジュスティン。彼らを奴隷化することが目的である、と√能力者達は知っている。
「どのような義憤に駆られたかは知らないが、怪異という大悪に対するには、少々の犠牲は必要なこと。西欧のことは西欧にまかせよ、異邦人」
 冷たく言い放つアマランスに、慈悲の心は一片も無いことは明白。
「邪魔立てするならば、死ぬが良い」
 ――天使の行方も、何があったかも、そなたらの屍から、全てを識れば良いことなのだから。
 そう囁く女の周囲で、羅紗が生き物のように蠢く。

 さあ、戦いの時だ。
神薙・ウツロ
早乙女・伽羅
エレノール・ムーンレイカー

●13%に賭けろ
 神薙・ウツロ(護法異聞・h01438)の口笛が、ひゅう、となる。その視線の先にはアマランス・フューリーの冷たい表情があった。
「かわいい子じゃーん! ねえねえ、お名前なんてーの? 彼氏いる? えっまさか結婚してたり?」
 早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)は
「どうやら大物を釣り上げたようだな。アマランス・フューリーだ」
 といい、ウツロ街角のナンパのめいたそぶりでアマランスに声をかける様子を、チラリと見た。
 伽羅は何をしているのだ、と問うことはしなかった。横にいる男が口説くだけの目的で「それ」をしているとは思えなかった故に。
 もっとも、その様子は攪乱というには少々熱が入っているようにも見えたが。
(妻に比べれば、まだまだだ)
 伽羅は額縁をひとつ、召喚する。
 その中に描かれているのは、伽羅の肖像画。
 作者は伽羅の妻――思い出の前では、アマランスの美貌など、塵芥に等しい。
 (少しばかり力を貸してはくれまいか)
 挨拶と共に、もう一人の『伽羅』が絵から現れる。剣を構えた『伽羅』は、成る程、と言いたげに頷いた。
「絵姿を操るとは、猫にしては中々やるようだ――」
 アマランスの前で羅紗が蠢く。しかし、召喚の為の短い瞑想を行おうとする彼女の意識は、ウツロの飄々とした口調に乱される。
「てか何歳? スタイル良! 肌キレー! ちな私34ー」
「黙れ、道化が」
 立て続けに放たれるウツロの言葉に、思わず反応したアマランス。その美貌に怒りの表情は露わ。 
「私の名前は神薙・ウツロ。そっちが西方の魔術士ならこっちは『東方』ってとこかな」
 東方の術師、と聞いてアマランスの表情が冷たく笑む。獲物を見つけた人のように。
「成る程、成る程。四大を五と見誤る東方の民か」
 アマランスは、あえて挑発する。しかしウツロはそれに構わず、更に喋り続けた。
 短い十秒の時間を、アマランスは中々稼げない。集中はウツロの言葉に、伽羅とその絵姿の影が行う斬撃に妨害される。言葉の隙を武器が埋め、武器の隙を言葉がカバーする。即席ながらも息の合った攪乱であった。
「おたくさん、世の中をアレする為にニューパワー探しに躍起な訳でしょ? ならさ、西と東で魔術の文化交流から始めない? あんまり悲鳴とか断末魔とか怨嗟の声とかがデフォでくっついてくるような探索行なんて、絶対あとでよくない呪詛返しとかくるって」
「貴様……よくも口が回る。東方の術師とやらは、術より妄言詭弁の才ばかり磨いてきたようだな」
 伽羅の斬撃をかわし、もう一体の『伽羅』の刃を羅紗で絡め取るアマランス。
「新大陸の連中のように、隙あらば侵食するとでも思ったか。奴らは自分が上座に座らなければ気が済まぬようだからな……君たちも気が気でないのだろう」
 連邦怪異収容局の存在を暗にほのめかす羅紗。その言葉にアマランスは苦い顔になる。
「だが俺たちは末席から助けを求める声に応じるのみ――君たちのものであっても」
 羅紗は続ける。寒江独釣の釣り糸が、サーベルの鋭い刃が、月に煌めいた。
「君らの領分を侵しはせぬ――羅紗の魔女よ。君が「助けてくれ」といえば、俺は手を差し伸べるだろう」
 アマランスは応えない。ただ、なんとか稼いだ十秒の中で、古代の怪異を召喚する。
 おぞましい肉塊であった。それは徐々にいびつな人型となり、巨人のなり損ないになる。「うわ、エグ。随分古い製法のフレッシュゴーレムじゃないの。こんな薄暗い森の中じゃなくてさ、もっと明るいとこでゆっくりお茶でもしながらお喋りしよーよー。グリーン・ティーとか好き?」
「そろそろ黙れ、東方の!」
 フレッシュゴーレムの拳がウツロを狙い、襲い来る。大人であっても容易く掴み、握りつぶそうとするそれは、しかし、届くことはない。
 軽口の中でも、ウツロは術の維持を止めることはなかった。
 『DOMINATOR:陸仟弐佰伍式』、そう名付けられた結界術は、ゴーレムの拳を容易く弾き、逆に縛り上げようとする。
「ほう、面白い術だ。東方の術にも洗練されたものがあるとは。――その秘術、貴様を隷属させ、奪うとしよう、道化の魔術師よ」
 フレッシュゴーレムの連撃は執拗に伽羅とウツロを狙う。軽口に慣れ、伽羅の動きを見切ったのか、ふたたび時間を稼いだアマランスの足下に、忌まわしい肉塊が現れる――はずであった。

 タン。魔弾が肉塊を狙う。ふたたび魔弾が襲う。肉弾は急所を突かれ、もだえる。肉塊の変化を止めたそれは、エレノール・ムーンレイカー(怯懦の|精霊銃士《エレメンタルガンナー》・h05517)のものであった。
「仕留めるまではいきませんか」
 エレノールは影に潜んで狙撃の瞬間を待っていた。
(……尋常じゃない魔力を感知したので、こちらに来てみたら……どうやらとんでもないものに遭遇したようですね)
 アマランス・フューリー。羅紗の女魔術師。交戦しているのは二人、いや三人か。一人は結界を張り続けているようで、フレッシュゴーレム二体に狙われている。残りの二人は双子のように同じ姿。魔術によるものか、それとも本当に双子なのかはエレノールにはまだ判別は付かなかったが、アマランスの敵には違いない。
(事情はともかく、今においてはアマランス・フューリーは共通の敵ですね。助太刀しましょう)
 三発目の魔弾がライフル銃から放たれる。銃の名は、水精の名を冠した『オンディーヌ』。水の加護を受けた、竜漿兵器。
 エレノールは右目に意識を集中させる。竜漿が瞳に宿り、燃え上がるような熱と共に、
 ――見えた。
 魔眼と化した右目が、ありとあらゆる隙を捉え、的確な瞬間を脳に伝える。
 あとは、オンディーヌの引き金を引くのみ。
 タン。魔弾が夜風を割く。
 片方のフレッシュゴーレムが、核を砕かれてただの肉に還る。

「何奴」
 アマランスが森を見るが、エレノールの姿を捉えることはできない。森に身を潜めたエレノールは、次にもう一体のフレッシュゴーレムを狙う。
「羅紗の束縛により来たれ、レムレース・アルブス。森に潜む者を探せ!」
(召喚。ならば、こちらにも打つ手があります)
 二体のレムレース・アルブスがこちらに来るのを見て、エレノールは幻影を紡ぐ。月光からエレノールとにた姿の影が現れ、そしてかき消える。
 レムレース・アルブスたちが二手に分かれた瞬間、エレノールは疾風の如く片方に近づき、
「残念ですがその力、断ち切らせて貰います!」
 右掌を、レムレース・アルブスに押しつける。浮かび上がった魔法陣が輝き、その光にかき消されるレムレース・アルブス。残りの一体がエレノールを見つければ、
「こっち、こっち。安全地帯だから」
 こんな混戦状態でも飄々としたウツロが結界内に招き入れる。
「もっとも13%で壊れるけど、まあまあ信用出来る数字じゃない?」
 結界内に滑り込むエレノール。
「ありがとうございます――で、壊れたら、どうします?」
 みしり、とフレッシュゴーレムの拳が、結界にめり込む音がする。そして何かが砕け、解ける気配がし――。
「ちょっと痛いかなー。でも、次の手はもう打ってあるから。水も漏らさぬ二段構え。できる男だからね、私」
 激しい苦痛を一瞬表情に出すが、すぐにウツロはおどけた調子へと戻った。
 フレッシュゴーレムの拳は二つ目の結界に受け止められ、その瞬間、エレノールの銃が、伽羅の釣り糸とサーベルがゴーレムとレムレース・アルブスの息を止める。

「さて、振り出しに戻った訳だけど。今からでもデートにしない? ジャスミンティーとか、好き?」
 ウツロの言葉に、アマランスはしかめ面となる。

都留・臻

 アマランス・フューリーが怒りと共に呪文を紡ごうとした刹那、その衝撃は襲い来る。
 能力者達がとらえたのは、剛力で薙ぎ払われるアマランスのレムレース・アルブス、そして、無骨な鉄棍。七尺ほどのそれを難なく操るのは、
「何奴!」
「御託が長ぇんだよ」
 都留・臻(|枳殻《きこく》・h04405)。能力者達に襲い掛かる布の数々を、衝撃を、気だるげな口調ながら、確実に見切っていく。
「死に損ないか。面倒な」
 そのツギハギの皮膚を、魂を視たアマランスは、歯がみする。数で不利な上に、援軍が耐久力に長けたデッドマンである、という現実は、不利を感じさせるには十分であった。
 しかし、彼女はその様子をおくびにも出さず、布を操り、臻に怪異を襲い掛からせる。
「――だああっ!」
 一歩、一歩、アマランスの魔力をはらんだ羅紗が、レムレース・アルブスの妖光が体を切り裂こうが、皮膚を灼こうが、臻は足を止めない。森を行く風に、死臭が混じる。
「ステゴロ得意な魔術師ってなワケがないだろ」
 臻がぐるりと棍を回せば、魔力の羅紗は逆に絡め取られ、アマランスは引きずられる。憎しみを込めた顔でアマランスが手を振れば、絡め取られた布は切り離され、塵へと帰る。
「さあて、こんなに攻められちゃ得意の瞑想もできねえな?」
 他能力者の攻撃が、防壁が、アマランスの守りに攻め込み、攻めをくじく。気だるい挑発の声はアマランスの理性を、平常心を削る。
「大義を知らぬ愚か者が! 僅かな犠牲でヨーロッパは、古き文化の地は護られる――その価値を、認めぬならば……!」
 叫ぶアマランス。触手のようにのたうつ羅紗が、魔力の銀光を帯びる。それは炎のように燃え上がり、今やまぶしいほど。
「犠牲だ? 上から目線の発言が一番イラつくぜ」
 とどめとばかりに、つばを吐き捨てるポーズをしてみせる臻。
 アマランスはもはや此奴は生かしてはおけぬ、とばかりに臻を睨み付け、古の呪詛を呟いた。羅紗がのたうち、レムレース・アルブスが黒の光となり、弾丸の如く臻に襲い掛かる。
「魂の宿り木、暗き刃、あやつの魂を喰ろうてしまえ!」
 簡単に見ただけでは、アマランスはレムレース・アルブスに指示をしただけ、としか思えないだろう。
 ただ、能力者のうちで神秘に詳しいものは気づいたはずだ。それが最悪の指示であり、羅紗と魔の技に優れているが故に編み出した術である――ということを。
 肉体に融合し、魂ごと蝕み、喰らう技。
 レムレース・アルブスと共に、臻の魂は消える。

 ぐ、と臻はうめく。
 必殺の鉄棍を避けて融合したレムレース・アルブスの異質な感触が、肉体から力を奪い、魂と肉体の繋がりを割いていく――。
 が、しかし。
「ここは満員なんだよ! テメェは入ってくるんじゃねえ!」
 きょうだいのうち、どれが『自分』なのかはわからない。
 曖昧な魂の持ち主である臻は、しかし、新たな魂が入り込むことに全身全霊で抵抗する。それが自分の有り様だ、と言わんばかりに。
 一歩、一歩、愚直に進む。その動きはどんどん遅くなっては行くものの、まっすぐだ。
 衣すらも重い、とパッチワークスーツを脱ぎ捨てる。
(おれたちが本当におれたちなのか――そんなのは、関係ない)
 倒す、ただそれだけ――。
 アマランスの布を棍が跳ね飛ばす。
 乾坤一擲、臻がアマランスへ跳躍する。

 なぜ、とアマランスは唇を動かした。
 肉体を殴打され、粉砕される直前の女に、臻は返す。
「義憤どうこう何も関係ねぇよ、俺がムカつくからぶっ飛ばすだけだ」
 ぶっきらぼうに、気だるげに。
「理由を教えてやる義理も無ぇ」

 アマランスの肉体が、銀の炎となって燃え上がる。
 静かになった森に、風が吹いた。

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