シナリオ

善なるものを喰らうモノ

#√汎神解剖機関 #天使化事変 #羅紗の魔術塔

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 #√汎神解剖機関
 #天使化事変
 #羅紗の魔術塔

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●溢れかえるモノは
 どうして、こんなことに。

 幾度となく頭に浮かぶ疑問を振り払い、男は足を進める。
 昨日までのどこにでもあるような平和な村は見る影もない。今や、得体の知れないモノが溢れかえり、何かを求めるように彷徨っている。
 それが求めるモノがなにか――男には予想がついていた。

 自分を見つけた時の、そいつの視線に。
 伸ばされた手に。
 開かれた口に。

 咄嗟に物陰に隠れたが、見つかるのは時間の問題だろう。すぐに逃げなければ、そう、男の本能は叫んでいる。が――。

「まだ、逃げ遅れた人がいるかもしれない」

 ならば、まずは探さなくては。もしかしたら助けが要る人が残されているかもしれない。このまま一人で逃げることなど、男の頭には浮かばなかった。
 足を踏み出した男の背に、異形の腕が伸ばされて――。

●ヘヴンズフォール
「皆さん、天使を予知しました。至急、助けに行ってほしいです」
 幾分焦りを滲ませて影本・マキア(魔法使いの裔・h00109)が声をかけた。切羽詰まった事態なのか、言葉足らずになっていた、と一呼吸してマキアは続ける。
「ご存知の人も多いかと思いますが、√汎神解剖機関のヨーロッパ各地で善良な人々が天使化する事件が起きています。今回の予知もその一件です」
 天使化とは「善なる無私の心の持ち主のみ」が感染するとされるヨーロッパの風土病。現在ではそのような心の持ち主ともども消えた病かと思われていた。
「ですが、村一つまるまる天使化するみたいです」
 多くの村人が感染して天使化するものの、その多くはなりそこない……オルガノン・セラフィムとなってしまう。ヒトとしての理性、もともとの善良な心は失われ、ただの怪物となり果てた存在。
「その中に、怪物にならず真に「天使」と化した男性がいます。その天使を助け出してほしいのです」
 オルガノン・セラフィムは本能的に天使を襲い、捕食しようとする。そんな只中に取り残された天使を放っておけばどうなるかなど火を見るより明らかだ。
「天使化した男性は、周囲のオルガノン・セラフィムが同じ村人だったことにはまだ気がついていません。ですが、自分と同じように取り残された人がいるかもしれないと思って村に留まっているようです」
 説得するにせよ、力ずくで保護するにせよ、急いだ方が良いだろう。√能力者たちが着くころには、男はオルガノン・セラフィムに見つかっていることも考えられる。
「ならばオルガノン・セラフィムを掃討すれば安全確保できるか、なのですが……」
 オルガノン・セラフィムを狙って「羅紗の魔術塔」から魔術師が来ているのだという。
「その名をアマランス・フューリー。怪異を隷属化して使役する、やっかいなヤツですね」
 アマランスはオルガノン・セラフィムの隷属化を進めているらしいが、天使を見つければその確保に移るだろう。オルガノン・セラフィムの隷属化も見過ごせないが、すべてに手を伸ばせるものだろうか。
「最初の天使の保護で派手に動きすぎるとアマランスに気取られる可能性もありますが、迅速に保護してさっさと帰還するならそれも手ではあると思います」
 どのような手段をとるかは実際に行動する者に委ねられる。
 敵に見つからないよう最小限の戦闘で切り抜けるか。或いは派手に動いてでも最短の行動で突破するか。
「皆さんが着くころには天使はオルガノン・セラフィムに捕捉されていると思います。ですので襲われる前に助け出し、保護してほしいのです。後のことはできる限りで大丈夫ですので」
 そう言葉を括り、マキアは能力者たちを見送った。

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第1章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』


古出水・潤

 昨日までは平穏だった村。特筆すべき何かがあるわけでもないが、善良な人々が暮らす穏やかな村。
 だが、今は。

「善なる心の持ち主は一人のみ、でしたか」
 異形のモノが徘徊する村の様子を見て古出水・潤(夜辺・h01309)は言葉を零した。予知された天使は一人のみ。その資質を備える者は稀なのだ。今という時代においては、特に。
「悪心を抑える理性もヒトの美しさかと存じますが……今回は、一人でもそのようなヒトが居たことを喜ぶべきなのでしょうね」
 既に理性なき化け物と化した村人だったモノ。それらが蠢く村の惨状に嘆息するも、憂う事ばかりではない。たった一人とはいえ天使となった者がいるのだ。
 叶うなら、話をしてみたいものです。
 そう胸の裡に呟き、潤は霊紙を取り出した。正方形の霊紙は慣れた手つきで手早く折上げられてゆく。細い手足、飛び出した目、そして最後に尻尾をくるりと巻いた姿は小さなカメレオンだ。
「ではよろしくお願い致します」
 折紙を肩に乗せた潤は|Code//避役《コード・カメレオン》を使い、潜伏した。次いで放った椋鳥の群れを模した折紙、|Code//白頭翁《コード・スターリング》が周囲に散開し、索敵を行う。オルガノン・セラフィムは捕食対象でもなく自身に攻撃を仕掛けるでもない折紙には然程注意をひかれないようだ。目立つ動きをしなければ大丈夫だろう。
「もっとも、羅紗の魔術士に見つかれば見逃してはくれないでしょうが」
 件の魔術士は障害ならば排除しようとするだろうし単に興味をひいてしまうかもしれない。天使に合流するまでは余計なリスクは避けるべき、と潤は物陰に散らすように椋鳥の折紙に索敵をさせながら、自身も身を隠しながら天使の捜索を開始する。

 そうして村を進むこと暫し。
「見つけました」
 天使化した男は建物の影から広場にたわむろするオルガノン・セラフィムの様子を窺っているようだ。まだ村の中を、生存者が居ないか探し続けるつもりのようだ。身の潜め方、足の忍ばせ方、どう見てもこのような事態には慣れていない素人の動き。このまま動けばオルガノン・セラフィムに見つかってしまうだろう。それに男の背後から近づいてきている異形の化け物にも気がついていない。
 潤は男を驚かせないようそっと近づく。男の視界の端に入り、こちらですと手招きする。男は、久しぶりに見たであろう人の姿に安堵の表情を浮かべて潤の近くへと歩み寄る。
「ああ……! よかった、まだ無事な人がいた!」
 自分の置かれた状況よりも出会った者が無事であったことを喜ぶ。その姿に目を細め、潤は静かに、と小声で伝える。
 身を潜めた二人の傍、先ほどまで男がいた場所をオルガノン・セラフィムが一体、通り過ぎていった。息をのむ男に潤は静かに話しかける。
「村の中を見て回っていましたが……生存者は貴方だけのようです」
 男の瞳が動揺に揺れる。だからこそ男の目を見つめ、潤は言葉を重ねた。
「もうこの村にヒトは残っていません」
 僅かでも可能性を残せば、男は一縷の望みに縋って村に留まろうとするかもしれない。厳しい言葉と理解しつつも男にはそのことを認識してもらわねばならなかった。
「大丈夫です、もしかしたら先に逃げ延びた人もいるかもしれません。その人を悲しませないためにも、安全な場所へ逃げましょう」
 村人は異形へと変じてしまったなどと伝えれば、それでも助けようとするかもしれない。それならば消えた村人は避難しているのかもと、その人たちに心配をかけさせないようにと男の思考を向けることでこの場から避難しやすくなるかもしれない。男の受けた心の衝撃を和らげるように潤は表情を和らげて言葉を続ける。
「あの化物達はあなたを狙っています。迂闊に身を晒さぬよう、私に着いてきてください」
 既に散らした椋鳥の折紙で化け物から隠れて進むルートは見つけてある。往く手を塞ぐモノも多少の数ならば気を散らせば抜けられるだろう。
「大丈夫、安全な所までお連れします」
 潤の言葉に頷いた男と共に、潤は移動を開始した。

ラグレス・クラール

 異形の化け物で溢れる村の中を突き進む一人の男がいた。ラグレス・クラール(陽竜・h03091)である。ラグレスを見つけて寄ってきたオルガノン・セラフィムをまた一体倒して一つ息を吐く。呼気を整える為か、あるいはため息か。
「天使になるか、化物になっちまうか……とんでもねえ病気だな、ってかこれ病気って言えるもんなのか?」
 オルガノン・セラフィムの胴からいまだに蠢いているはらわたに思わず疑問が浮かぶ。ヒトと同じところなど、もはや四肢や頭の数が同じくらいではないだろうか。
「……ま、それ考えんのはあとでだ」
 後々のことを考えれば天使化する病についても対策した方が良いだろう。
 だが、今は。
「天使になっちまったけど、無事な人がいるんなら助けなきゃな」
 ラグレスの想いに呼応するように山吹色の狼のような姿の御霊が揺れる。
「てなわけでテラ、マッハで行くぜ、近づく奴らに天照光輪だ!」
 気概と共に|天照顕現《アマテラスケンゲン》で召喚された御霊、護霊「テラ」が光を放つ。合わせて打ち込んだラグレスの拳が正面を塞ぐオルガノン・セラフィムを吹き飛ばした。
 派手に動けば羅紗の魔術士に気づかれる可能性は上がる。だが、それを恐れて守るべき者を救えなければ本末転倒だ。だからこそラグレスは最短の方法で村を進む。天使と化した男を、異形に襲われる前に助ける為に。
 羅紗魔術士が来るならば護るまで。そう腹を括ればやることはシンプルだ。異形を蹴散らし村を進むラグレスの視界に金属質な人の姿がちらりと映る。天使化した男だろう。どうやら他の√能力者と共に避難を始めているようだ。
「なら、やることは決まりだ。ちっと派手でも全力で行くぜ」
 こちらで引き付けるオルガノン・セラフィムが多ければその分天使化した男への脅威が減る。進む先も予想はついた。先んじて道を拓くようにラグレスは周囲のオルガノン・セラフィムに闘気をぶつける。
 一斉にラグレスへと向かってくるオルガノン・セラフィム。捻じれた異様な腕がまるで何かを求めるように伸び、その指先から勢いよく爪が飛び出る。牽制と見切ってラグレスは妨げになる攻撃のみを捌く。数が多すぎる為にすべてを完璧にいなすよりも最低限の防御で最大限の攻撃に繋げるべきと割り切ったラグレスに、さらにオルガノン・セラフィムの蠢くはらわたが殺到する。捕縛する意図の攻撃、躱さねば追撃を喰らいかねないが。
「テラ、任せるぜ!」
 剥き出しのはらわたをテラの天照光輪が灼き尽くす。続けて齧りつこうと大きく開いた異形の口にラグレスは拳を叩き込み、振り抜く勢いで周囲を薙いだ。光が収まり、ラグレスの負った傷を天照翔風が癒してゆく。
「……こいつらも元は村人だったんだな」
 ぽつりとラグレスの口からこぼれた言葉。拳で割った化け物の頭蓋は、たしかに人の骨を砕いたような感触がした。
「せめてテラの……太陽の光で浄化されるといいんだけど」
 周囲の敵は一掃され、いまや異形の骸が散らばるのみ。それすらも陽の光に融けるように崩れてゆき、温かな風に吹かれて消えていった。

継萩・サルトゥーラ

 天使化した男の移動経路から離れた場所、村の片隅で警報がけたたましく鳴り響いた。既に理性のないオルガノン・セラフィムが村の設備を破損させ、火災か何かの防災装置が誤作動したか――何も知らない者ならば、そう思うかもしれない。だが、その実態は――。
「さぁ遠慮なく寄ってきな! 残らず相手してやるよ!」
 騒音の只中で継萩・サルトゥーラ(|百屍夜行《パッチワークパレード・マーチ》・h01201)が声を張り上げる。近場の火災報知機を叩いて鳴らし、周囲に響く|危険地帯《デンジャーゾーン》の警告音を偽装する。元より異形の溢れる地獄、羅紗の魔術士が気づくまではしばらくかかるだろう。
「それまで思いっきり楽しもうぜ!」
 音に反応し、ぞくぞくと集まってくるオルガノン・セラフィムにソードオフショットガンで一撃叩き込む。のけぞったところに蹴りを入れて倒し、頭部にもう一度ショットガンを放った。頭部を粉砕されたオルガノン・セラフィムは動きを止めるが、その骸を乗り越えるように次から次へと新手が襲ってくる。
「まぁ焦んなや、楽しいのはこれからだ」
 どこを狙えばいいかもだいぶ掴めてきた。サルトゥーラは楽しくなってきたとばかりに口の端に笑みを刻み、ショットガンの銃口を向ける。オルガノン・セラフィムが振り回す伸縮する爪をいなして至近から散弾を撃ち込む。派手に飛び散るはらわた諸共オルガノン・セラフィムの胴をキックで砕く。四方から伸びてくる爪を、喰らい付こうとする口をかわし、あるいは身体に食い込んだそれらを引き剥がし、サルトゥーラの動きはますます冴える。自らの身体を濡らすのが自分の血か飛び散った敵の臓腑かも定かではない、そんな戦場で、サルトゥーラは今まで培ってきた戦闘知識と勘を活かして戦いを楽しむ。
 ――その化け物が、かつてヒトだったとしても?
 身体が呟いた、意識にすらならない欠片に、もちろん、と応える。
 墓作って供養するだけが葬送じゃねぇ、戦場には戦場の送り方があるのさ――。
 デッドマンとして戦場で死を見てきた。自分も死んだ。ツギタシてきた。戦場で引き金を引く事に躊躇いはない。むしろ戦うことは好きだ。
 村の外れに逃げていく天使化した男を見た。彼はきっと、この村を、村に居た人々を忘れないだろう。それが弔いになるのだと、知っている。だからこそ――。
「いっちょハデにいこうや!」
 天使化した男が逃げる助けとなる為にも、異形と化したヒトだったモノを屠る為にも。サルトゥーラはより派手に立ち回り、戦い続ける。表情の端々から戦う楽しさを滲ませながら。

春原・騙名

 ――少し語ろか、寂しい話。

 村に溢れるオルガノン・セラフィムは戦闘による興奮からか、単に警戒を強めただけなのか、まるで獲物を探すかのように動きが活発になっていた。かつてののどかな雰囲気からは程遠い、地獄の蓋を開いたかのような狂騒に足踏み入れたるは旅猫ひとり。

 一人、二人、変わっていったわヒトが化生に。
 けれど残念、一人足りない。

 和装の旅猫、春原・騙名(人妖「旅猫」の御伽使い・h02434)は戦いを主とする者たちからは離れ、村の中を進んでいた。戦闘の喧騒は天使化した男からは離れている。その辺はさすが、上手くやってくれている。

 変わらなかったわ。お一人さんだけ。
 けれど、欠けたのどっちやろか?

 オルガノン・セラフィムが回復するため頭上からさす光、それを見ればおおよその位置は把握できた。それでも数の多さ故に騙名に目を付ける化け物もいた。掴みかかるは引き裂くためか、あるいは飢えを満たすためか。バケモノになってなお餓えるは何が欠けたためか。

 本当に欠けたのはきっと――お前さん達の人の姿。

 騙名の語り、怪談「番町皿屋敷」が呼び起こすはバケモノのかつての姿。オルガノン・セラフィムに変じる前の人の時の自分の姿が、自らを慰めるように抱きつく。幻影にすぎないその姿は、だがたしかにオルガノン・セラフィムの動きを止めた。軋む音がして、小刻みに震える姿は、泣いているようにも見えた――こころなど、すでにあるはずないけれど。
 そして騙名の目に映る天使化した男の姿もまた、泣いているように見えた。自責か、焦燥か、何かが男の裡から急かしているのかもしれない。
「はやる気持ちはわかるけど、専門家が来たから任せてな」
 聞く者の耳に沁み込むような騙名の語りに男は頷いた。焦ってもどうしようもないこともある、そう思って自分を落ち着かせたのかもしれない。男の様子に笑みを返し、騙名は男と共に足を進める。
「逃げ遅れを全員助けるためのコツは1人づつ順番に安全地帯へ運ぶこと」
 男になじみのあるこの国の言葉で喋る騙名の言葉は男の不安を和らげていった。ニャンリンガルなんよ、うち、とは騙名の弁だ。ともすればどうにかなりそうだった心を落ち着かせた様子の男を導くように騙名は歩き出す。
「まず一人目、お前さんを送り届けるんが先決。ついといで」
 こうして天使となった男は√能力者と共に村から避難を開始した。

第2章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』


「なにやら騒がしいと思って見てみれば……」

 魔術文字の刻まれた布――羅紗が舞う。迸る魔力が周囲のオルガノン・セラフィムを押さえつけていた。

「√能力者か。思いのほか早かったというべきか、あるいは必然と捉えるか」

 羅紗を身に纏い、それを媒介として羅紗魔術を操る秘密結社「羅紗の魔術塔」の魔術士、その一人。
 名をアマランス・フューリー。

「魔力リソースはオルガノン・セラフィムの隷属化に極力割きたいところだが」

 アマランスの目的はオルガノン・セラフィムを回収し、羅紗の魔術塔によるオルガノン・セラフィム奴隷化だ。
 |新物質《ニューパワー》として活用されればどのような結果になるか分からない。なにより、今は異形となっているとはいえヒトであった者を道具として使うのを看過できようか。

 天使化した男を保護するのは最優先であるとはいえ、オルガノン・セラフィムの群れを突破しなければ避難することもままならない状況。であれば、アマランスに回収される前にオルガノン・セラフィムを倒し、隷属化を防ぐのも良いだろう。
 無論、男をアマランスに見つからないようにしながら異形の群れを抜けるのもいい。

 失われた平穏は戻らない。だが、踏みにじられるものは少ない方が良いだろう。
 まだ、アマランスは天使化した男がいることまでは把握していないようだ。もし気が付けば天使の回収を最優先に動くと思われる。
 どこまでのリスクをとるかは各々の判断に任される。
ラグレス・クラール

 村の中心部からは離れた位置。もとあった村では人の集うようなところではなかった場所にまでオルガノン・セラフィムが群れているのが確認できた。それは天使を喰らうために集ったか、あるいは――。
「√能力者が現れたとて、|予定《プラン》に変更はない。このまま隷属化を進めるか……」
 羅紗魔術士『アマランス・フューリー』による回収・隷属化から逃れてきたのか。天使化した男を見つければ狙ってくるのはアマランスも同様だ。オルガノン・セラフィムのように行動が予測しやすい訳ではないが。
 そんな状況を把握し、ラグレス・クラール(陽竜・h03091)は男の逃げる方へと目をやる。
「男の人、ここまではうまーく逃げてる」
 男が逃げる方向は比較的オルガノン・セラフィムが薄い方だ。素人然とした男の行動だが、サポートすれば十分に逃げ切れる目はある。
「オルガノン・セラフィムに止められてる場合じゃねえし、なるべくアマランスにもバレたくねえな」
 もし男がアマランスに見つかればさらに避難が困難になるのは明白だ。ならばやるべき事は決まっている。
「とりあえず……まずは道、作るか」

 男は必死に足を進めていた。なんども足がもつれて転びそうになるのは変質した慣れない体のせいか、あるいは認めたくない悪夢から逃れるためか。
「はぁ、はぁ……ひっ」
 遠くで何かが吹っ飛ぶような音がして、男の喉から声が漏れる。なんども村の事が頭に浮かび止まりそうになる足を叱咤する。自分を逃がそうとしてくれている人のためにも。

 男が音から遠ざかる方へと進む様子を確認し、ラグレスは次々と寄ってくるオルガノン・セラフィムに拳を叩き込む。繰り出された|闘波連撃《トウハレンゲキ》が周囲の敵を吹き飛ばした。一撃目で倒れなかったモノも体勢を崩したところに続く二撃目を受けて倒れ伏す。
 そんなラグレスの頭の傍、欠損した角のあたりに浮遊する御霊のテラが周囲の状況を伝えていた。アマランスの動向、見つかりにくい逃げ道、その他、戦っているラグレスでは気づきにくい情報をテラが集めてくれている。それ故にラグレスは迷いなく戦闘に注力できていた。
「こいこい、こっちだぞー!」
 元気よく響くラグレスの声に引き寄せられるようにオルガノン・セラフィムが集まってくる。天使化した男の逃げ道を拓くように、集めたオルガノン・セラフィムを避難路とは異なる方向へと闘波連撃で吹き飛ばす。その姿は男に見せぬように異形の群れに回り込んで隠しながら。
 だが、オルガノン・セラフィムも簡単に死ぬ存在ではない。かろうじて息のあるオルガノン・セラフィムに光が射す。聖者本能により増幅された祝福が、異形の生命を繋ぎ止めようとする。それは生きていたいと思うが故か。既にその身がヒトならざるモノに変わっていたとしても――。
「せめて隷属化しないようにするから……カンベンしてくれな」
 闘気を纏った拳を振り下ろし、異形を砕く。拳と共に呟いた言葉に乗せる想いはいかなるものか。動かなくなった異形から離した拳をきつく握り、ラグレスは周囲のオルガノン・セラフィムへと再び向かって行く。男を無事に逃がすため、そしてアマランスに回収されるモノを少しでも減らすために。

継萩・サルトゥーラ

 不意に物陰から襲い掛かるオルガノン・セラフィムにショットガンを撃ち放ち、継萩・サルトゥーラ(|百屍夜行《パッチワークパレード・マーチ》・h01201)は独り言ちる。
「しかし、天使もあーなっちゃったらもうバケモンなんだよなぁ」
 撃たれた衝撃で腹が砕かれ仰向けに倒れた異形を一瞥したサルトゥーラは銃の具合を確かめる。自分の手に馴染む、いつもの感触。だがその手は生来のモノか、いつツツギタシたモノだったか。
「まぁツギタシだらけのオレもバケモンっちゃバケモンといえるか、なーんつって」
 口に浮かぶは自嘲か、あるいはまだ戦えることへの喜びか――それとも。
 弾を込めたソードオフショットガンを次の標的へ向け、サルトゥーラは異形の群れを引き付けるべく駆けだした。
「死人は弔った。次は生者のためにがんばりますか」
 再び銃声が響く。まだ生きようと足掻くもの、天使となった男を逃がすために。

 オルガノン・セラフィムたちが騒がしい。広げた術式から返る反応にアマランス・フューリーは眉を動かす。
「……なるほど。√能力者も派手にやる」
 だが、許容範囲だ。逆に節操無く暴れまわればそちらに集まるオルガノン・セラフィムを回収できるように手を打つまでのこと。
 全て、アマランスの想定の範囲内。――それは即ち、天使の存在という想定外の事態はまだ察知されていないということ。

 戦場に警告音が鳴り響く。サルトゥーラの放ったショットガンの射撃が民家の壁を砕き、その周囲が|危険地帯《デンジャーゾーン》と化す。派手に戦うサルトゥーラに引き寄せられるようにオルガノン・セラフィムが集まってきていた。
「さて、天使化した奴さんを美人のネーチャン、名前なんだっけ? アマランス? アライアンス? から気づかれないようにしないとな」
 すでに天使化した男の逃げている場所からは離れている。このまま自分の方に敵を引き付けて派手に騒げばアマランスの注意もこちらに引けよう。現に、時折向けられる視線なり意識なりをサルトゥーラは感じていた。おそらくはアマランスが干渉しているオルガノン・セラフィムをサルトゥーラが派手に倒しているからか。
 騒がしいバカが戦場にいると思わせて気を引かせりゃこっちのもんよ。
 顔に溢れる楽しさは紛れもなく本心。だが、その下に流れる冷静な思考は戦場の流れを掴んでいる。騒がしく動いてアマランスの注意をこちらに向けさせ、多少のスキを作れればいい。
「ヘイヘイヘーイ! 派手にいこう!」
 あちこちに撃ち込んだ|危険地帯《デンジャーゾーン》の警告音が多重に鳴り響く戦場で、サルトゥーラは自分はここに居ると誇示するように戦い続ける。より多くの異形を、そしてアマランスの目を引き付けるために。

古出水・潤

 多くのオルガノン・セラフィムが戦闘をする√能力者に集まる様に、そして天使の存在に反応するような素振りに古出水・潤(夜辺・h01309)は頷く。
「やはり捕食者、獲物の匂いには敏感なようですね」
 ここまでは天使化した男と共に比較的見つかりにくい道を選んで抜けることができた。それでも天使の匂い、気配、何かを感じているのかオルガノン・セラフィムがこちらに向かってくる時もあった。
「そして、それを捕らえんとする者も同様に……」
 アマランス・フューリーの広げている術はオルガノン・セラフィムを捕えるためのものだ。だが、なりそこないでないものが引っかかったのならば。あるいは天使がいることを気取られでもすれば。逃さない為の手を打ってくるだろう。
 見えている脅威だけでなく張り巡らされた魔術にも気を払い潤は男を連れて着実に進んでいく。その視線の先に、未知を塞ぐようにたむろするオルガノン・セラフィムの姿が。
「他に回れる道は?」
 手は霊紙を折り始めつつ男へと目を向ける潤に、男は首を振る。既に戦闘やアマランスの術などで建物などの損壊が進んでおり男の知る村の道は使えないことが多かった。今も抜け道となりそうな場所は塞がっているか、逆に見通しが良くなってしまっていた。申し訳なさそうな男に大丈夫と柔らかな笑みを向け、潤は探っていた道を示す。
「村の住人たるあなた様が知らないのであれば、あそこを抜ける他ありませんね」
 そこは僅かにオルガノン・セラフィムがまばらな場所。タイミングを計れば追いつかれる前に抜けることもできるかもしれない。そう頭では分かっていても、もし化け物に見つかったら、と不安を覚える男に大丈夫と重ねて伝える。
「私が合図したら、あれに向かって真っ直ぐに走ってください。できる限り速く……宜しいですね?」
 あなたのいう事であれば、と男は頷いた。緊張はしているようだが、動けないまでではない。指示した場所へ走るのは問題ないだろう。男の様子を確認し、潤はオルガノン・セラフィムの動きを注視する。
「3、2、1――走って」
 合図とともに男の背を押すように軽く手を添える。男は意を決して走り出した。天使の気配を感知したのか、オルガノン・セラフィムの一体が男に手を伸ばそうと――。
「おっと。あなたの相手は私ですよ」
 かけられた声にオルガノン・セラフィムは生存本能のままに飛び掛かる。瞬時に距離を詰めた異形の身体から伸びる黄金の生体機械が潤の身体を貫いた。引き抜かれた黄金は血の赤に染まり、潤の身体をも濡らす。そのままオルガノン・セラフィムの姿は虹色の燐光を纏い消えていった。その身に取り付いた数匹の折紙の蠍と共に。
「1、2――3秒も要りませんね」
 ガリ、と金属の削れる音が聞こえる。続けて断続的に肉の裂ける音が。
「|頂点捕食者《フクロウ》を前に、いつまでも己が捕食者側でいられると思わぬ事です」
 潤が取り付けた|Code//螺蠃《コード・スコーピオン》がオルガノン・セラフィムを穿ち、細断する。潤が受けた傷は既になく、何事もなかったように潤は男の逃げた先へと足をすすめた。
「さて、彼に追いつきましょう。安心させて差し上げなくては」

春原・騙名

 騒々しい戦場の如き状況と化した村。だが、その音に紛れるように、しかしたしかに耳に残る音。それは生き物が本能的に警戒すべき音だからだろうか。即ち、己を害さんとする者の――。

 迫る影、ひたひたとした足音。

「今にも追いつかれそうでピンチやねぇ」
 春原・騙名(人妖「旅猫」の御伽使い・h02434)はこっちこっちと天使となった男を先導しながら軽い口調で言う。びくりと反応する男に、いたずらめいた笑みを含んで騙名は続けた。
「……敵さん側が」
 聞く者を惹きつける騙名の語り。まるで演目を演じるかのようにその幕は上がった。

 天使化した男のいる場所からはだいぶ離れた場所からは、今も戦闘を続ける音が聞こえる。多くのオルガノン・セラフィムがそちらに引き寄せられているのだろう。だがそれでもまばらに残るモノは居る。
 たんに、興味をひかれなかったか。なにか、心残りがあったのか。その場を彷徨うオルガノン・セラフィムの顔が、逃げてゆく騙名と男の方を向く。惹かれるように近づこうとして……刹那、後ろから何かに襲い掛かられた。不意を打たれたオルガノン・セラフィムの視線の先には人形ひとつ。再び、背に衝撃。生存本能のままに振り向き、飛び掛かった先にも人形があるのみ。

 ひたひた、ひたひた。

 視界の中に、自分に襲い掛かる者はいない。動く物はいない。なのに足音だけは、やけにはっきりと聞こえた。足音に振り向き、飛び掛かり、正体を確かめれば人形があるばかり。
 後ノ正面物騙り|「俑」《ヒトガタ》。それは背を向けている時だけ動く人形のかたり。語る物語に翻弄される異形を後目に、騙名は男の手を取って先へ急ぐよう促した。
「急なコトで力抜けてまうんはしゃあないんよ。お前さんの速度にあわせるさかい」
 男の姿を隠すように幻影を被せた騙名は、緊張をほぐすように話しかける。
「そやね、一息つける場所ついたらお前さんや村のお話でも聞かせてや」
 その言葉に男は頷き、搾り出すように想いを口にした。
「はい……この村のこと、村で過ごしたみんなのこと。少しでもお話しできたら嬉しいです」
 握った男の手が震えるのは緊張、不安、あるいは悲しみか。大丈夫と握り返した騙名の手のひらに伝わる感触は、金属の質感でありながらどこか温かく感じられた。

第3章 ボス戦 『対処不能災厄『ネームレス・スワン』』


 ついに男は村の外れまで辿り着いた。周囲にはオルガノン・セラフィムの姿はなく、先ほどまでの光景が嘘のように穏やかだ。
 村はずれにある、さびれたバス停。村と外を行き来するための主要な手段だった場所だが今や誰も待つ者はいない。故障でもしていたのか、古いバスが一台、打ち捨てられているのみだ。

 ここを抜ければ、もう村に戻ることはないかもしれない。

 心に浮かんだ惜別の情が、最後に村を目に映そうと男の足を止めたその時。

 ――――aaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!

 頭の中を掻きむしられるような音、いや声と共にバスの窓が軋む。否、窓の隙間から何かが這い出る。
 村は、アマランス・フューリーによって封鎖されていた。一体残らずオルガノン・セラフィムを回収し隷属化するために。であるならば。村から出さないための策もすでに敷かれていたのだ。
 聞く者を狂わせる悲鳴と共に出現したモノが白き翼を広げる。アマランスと契約を結んだ高位怪異『対処不能災厄『ネームレス・スワン』』は唯、与えられた|命令《オーダー》に従い、村から出るものすべてに襲い掛かる。

 幸いにして、ここに至るまでアマランスの意識は天使には向いていなかった。保険として置かれていた怪異を倒しさえすれば、後は逃走を阻む障害はない。
雨夜・憂
四条・深恋
ハインリヒ・リエラ

 窓枠から這い出て広がる災厄『ネームレス・スワン』の姿を前に、天使化した男は動けなくなっていた。日常からは程遠い、先ほどまでのオルガノン・セラフィムがまだましだと思えるような異形の、いや異質な存在。思考が追い付かず、理性が削れゆき、逃げることすらままならない男の背を軽く叩く者がいた。
「ここは危ない。あれの対処は俺たちに任せて下がっていてくれ」
 黒い粒子状の雲とともに現れた雨夜・憂(百鬼斬り・h00096)の声に男はようやくこの場から離れることに思い至った。
「でも、それではあなたが危険では……」
「だいじょーぶ、ぱっぱとお仕事済ませちゃいますから」
 四条・深恋(一般高校生の√能力者・h04100)が明るい口調で男の不安を吹き飛ばす。
「ああ、慣れた仕事だ」
 ハインリヒ・リエラ(愛を確かめるツギハギ・h01274)もまた、男に不安を抱かせないよう言葉を重ねる。
 天使化した男を下がらせた3人を前に、ネームレス・スワンの狂気に満ちた敵意が膨れ上がった。

「さてさて、何から取り掛かりましょうかね」
「俺が前に出る。二人はその隙をついてくれ」
「なら俺はアシストに回ろう」
 |Rain call《レインコール》で立ち込める黒い粒子状の雲の下、憂はツールバー&ユーティリティで模倣した力で味方二人を援護する。刀を使う相手じゃないと猿棍を作り出した。
 憂の援護を受け身体能力の向上したハインリヒと深恋がネームレス・スワンとの距離を詰める。正面から突き進むハインリヒ、相手の意識から外れるように回り込む深恋、そしてバフ効果を維持しながら憂が続く。
 aaaaaa―――!!!
 無数に連なるネームレス・スワンの白い頭が声にならない叫びをあげる。狂気と絶望に満ちた叫びを裂くようにハインリヒのハチェットが白い頭蓋を砕いた。
「その程度の絶望じゃ、俺は止まらないよ」
 身体に染み入る絶望の叫びは、ハインリヒの記憶に残るシミを浸すには至らない。
「はいはい、あまり時間をとらせないでくださいね」
 背後に回り、挟み込むように奇襲を仕掛ける深恋の刃がネームレス・スワンを繋げる柔らかな根のような身体を斬り裂いた。
「あまり一般人に聞かせたい声じゃないな」
 憂の振う猿棍が身をよじろうとする異形が距離をとらないように打ち据えて足止めをする。
 3人による多方向からの攻撃に対抗するように、ネームレス・スワンの翼が大きく広がった。肺を拡げて息を吸うように、連なる白い頭が広がり、その顔が再び狂気と絶望に染まる。
「ああ……悪手だよ、それは」
 再び放たれようとする絶叫を前に、憂はぽつりとつぶやき防御壁を拡げ。
「遅い……!」
「不意打ち、闇討ち、なんでもやりますとも」
 叫びが放たれるよりも早く跳躍し距離を詰めたハインリヒのオートキラーと深恋の|瞬斬《マタタキ》がネームレス・スワンを斬り裂き、叩き伏せた。
 異形の表情は変わらない。だが、着実にネームレス・スワンの体は、その力は削がれていた。

春原・騙名

 世にはかくも怖ろしきモノあるものか――。
 眼前で繰り広げられる『ネームレス・スワン』との戦いに、天使化した男が感じるは不安、恐怖、今までおぼえた事のない感情。そんな男の耳にするりと入り込む語り声。
「敵さん来たね。後は専門家任せとき。隠れて待っててな」
 春原・騙名(人妖「旅猫」の御伽使い・h02434)の言の葉が、男の心にひらひらと沁みる。
「は、はい……お気をつけて」
 頷いた男が物陰に移るのを目に映し、騙名は広がりゆく災厄に向き合った。

 少し語ろか、生き物の話。

「|どんな異形《天使でさえ》も、生き物なんよ」
 とつと語るは|童話「赤ずきん」《オオカミサンノハナシ》。それは赤ずきんの少女がオオカミに食われ猟師に助けられる話。返せば、喰らったオオカミが猟師に狩られる話。
「姿形が違ったり、時にはココロも違う存在もおるけど、懸命に生きとるし」
 ざわざわと蠢くようにネームレス・スワンが啼く。無秩序に増える脊髄が数を増す翼を押し広げ、嘆く虚ろな白い頭部がその奥から湧き出てくる。虚ろな眼窩が一斉に騙名へと向いた。いつ現れたか、騙名の傍らには狼の幻影。
 異形が、雪崩れる。災厄拡大した身体は、大きく口を開けて飛び掛かった狼の幻影を飲み込み、そして。

 ――獣と同じく撃たれたら痛いんよ。

 手に構えるは獣道童話物騙り「狩」、即ち“猟銃”。それを手にする者は狩人に他ならない。災厄の中には飲み込んだ狼の幻影がある。否、今や融合し狼と一体となった災厄は、其れ即ち獣である。
 |“狩られる存在”《獣》が狩る者に対すれば、それは自明の理。
「元はスワンさんも崇高な何かやったかもしれへんけれど、話が通じる相手をうちは守るわ」
 一発の銃声が響き、ネームレス・スワンが怯み、動きを鈍らせる。拡大していた災厄が怯えるように枯れ崩れて元のサイズに逆戻りする。
「これから先、色々変わるわ。
 辛く思うかも知れへんけど」
 異形の耳障りな叫声の中、するりと語る騙名の声ははっきりと届いた。
「思い出してな、どんな姿でも――お前さんは生きてる」
 男の心にひらひらと積もる言の葉は、まだ変わらぬこころはここに在ると男に示すように。
「自分を見失わず、生き物として、今も」
 落とした男の目に映る、黒い金属と化した手。確かめるように握りしめ、男は顔を上げる。しっかりと、前を見るように。

ラグレス・クラール

「せっかく逃げられそうだってのに、邪魔してくれるじゃねえか」
 √能力者たちの攻勢に、怯み、警戒するような素振りを見せる『ネームレス・スワン』。その様子を目にラグレス・クラール(陽竜・h03091)は拳を手のひらに打ち合わせる。先に戦った者が与えたダメージ、一度動きを止めた災厄。流れはこちらに傾きつつあった。
「男の人を無事に逃がせるように、オレももういっちょ、やってやろーじゃん」
 気合十分、ラグレスの闘気に呼応するように傍らに浮かぶ御霊テラも輝きを強める。|天照憑依・天照波動掌《アマテラスヒョウイ・テンショウハドウショウ》を以ってテラと完全融合したラグレスから溢れ出る闘気は陽光に似て、荒涼とした大地を熱く照らした。
 aaaaaa――――!!!!
 その光を拒絶するかのようにネームレス・スワンが叫ぶ。それはもはや陽の射す道を歩けぬが故の慟哭か。狂気と絶望に満ちた叫びが強まり、聞く者の精神を蝕んでゆく。
「向こうが暴れようとこっちだって」
 ラグレスが拳を構え、空間が歪む。異形の叫び、ネームレス・スクリームは己が霊的防護と気合で何とか吹き飛ばせている。
「それにテラと一緒なら簡単に引きはがされやしねえぞ」
 ネームレス・スワンを空間ごと引き寄せ彼我の距離を零にすると同時にラグレスは天照波動掌を打ち込んだ。
 感情のあるかも定かでない異形の口々から苦悶に似た叫びが広がる。距離をおいてさえ狂気に浸す叫びは、今度は至近の距離でラグレスに襲いかかった。
「ああ……」
 天使化した男はその様子を見た。狂気と絶望に満ちた叫びがラグレスの魂を砕くのを。天使となったからだろうか、少年の身体から生命が失われたのをはっきりと見た。男の心に、絶望と後悔がじわりと滲む。
 その心に、温かな光が射しこんだ。
「まだ、終わりじゃない……やってやろーじゃん!」
 天照憑依にてテラと完全融合したラグレスは即座に蘇生する。放たれる天照波動掌が叫び続ける異形の白い頭を纏めて砕いた。多少ましになった叫びにラグレスは口の端に笑みを刻み、呆然としている男を見やる。
「ま、姿だけじゃなくていろいろおかしい? とにかく常識外れなのは案外たくさんいるんだぜ、ってな」
 絶望するには、後悔するにはまだ早いと、ラグレスは陽の光を纏った拳をネームレス・スワンに叩き込む。目が眩むような光は、だが男の心に鮮烈に焼き付いた。どのような絶望を前にしても、光は在るのだと。
 陽の光に溶かされるようにネームレス・スワンの力が弱まってゆく。依然として脅威には違いない。だが着実に、戦いは終局へと近付いていた。

古出水・潤

 このまま押し切れば対処不能災厄『ネームレス・スワン』を退け、天使化した男を助け出すことができる。そう思われた。だが――。
「え……?」
 不意に男へと異形の白面が一斉に向けられる。明らかに天使のみを標的とした挙動。それはアマランスがネームレス・スワンを通して状況を察知し、優先事項を指示したからに他ならない。ざわざわと軋むような音を立てて騒めくように急速に近寄ってくる異形の災厄に、天使は為す術もなく立ち尽くし。

「遅くなりまして、申し訳ございません」

 折紙の狼がネームレス・スワンに喰らい付く。男の傍らに駆け寄った古出水・潤(夜辺・h01309)は|Code//餓狼《コード・ガロウ》で折紙で模った狼を操り、男に伸ばされた異形の脊髄を切断する。
「これだけの規模の天使化……増援があることは予想していましたが、あなた様の身を長らく危険に晒してしまいました」
 男を安心させるように潤は言葉を重ねる。村で起こった惨劇、地獄のようなこの場でも、手を差し伸べて救い出す者は居るのだと。
 そして、つと戻した視線の先に広がるは対処不能と名を打たれたモノ。
「あれは……災厄ですね。それもなかなか厄介な」
 尋常の世界においては干渉するのも難しい現象のようなモノ。災厄の名は伊達ではない。潤の言葉を耳にした男も緊張した面持ちだ。そんなモノに狙われているのだから。
 男の様子に潤は柔らかな口調で大丈夫、と続ける。
「ご安心ください。私はどちらかと言えば、|災厄《こちら》の方が専門ですので」
 日常を脅かす怪異に立ち向かう者、|警視庁異能捜査官《カミガリ》。尋常ならざる存在に対するには心強い存在。そして何よりこの手の怪異に巻き込まれた者を如何に助けるかに通じている者の存在は、この場においてなお頼もしい。
 次いで折紙の狼が異形の頭を一房切り落とし、ネームレス・スワンは抵抗するように叫びをあげる。口々が大きく開いてこの世ならざる狂気が絶望を伴って伝播する。
「……来ますよ。目を閉じて、耳を塞いで。あれはヒトの精神を狂わせます」
 明らかに天使を狙って放たれた叫びに、潤は冷静に男にどうすべきかを伝える。すでに幾度か余波を耳にしていたからか、潤の落ち着いた指示に男は従い事なきを得た。男は大丈夫そうだと判断し、潤は対処すべき災厄に目を移す。
「|梟《わたし》の耳にあの声は少々堪えますね。まだ先程のセラフィムの金属音の方がマシでした」
 狂気には耐性のある潤ではあるが、耳障りな叫びなどいつまでも聴いていたいものではない。まずはその、叫びをあげる多すぎる口を減らすべく霊紙を取り出す。
 取り出した攻性インビジブルを封じた正方形の霊紙は、|Code//頭黒森百舌《コード・ピトフーイ》により毒鳥を模した折紙に変じた。その最中も狼を指揮して白き頭部を切断し、減らしてゆく。弱まりはした物の依然響く絶叫に向けて潤は折紙の鳥を飛ばした。
「歌のお手本をお聞かせしましょう」
 囀りに乗せて届ける神経毒がネームレス・スワンを蝕む。それは異形の脊髄を伝い速やかに全身に浸透していった。狼が噛み千切った頭が、その下に繋がる脊髄ごと捥げて翼までボロボロと崩れてゆく。
 飛び回り囀る|頭黒森百舌《ピトフーイ》の下で踊るように跳ね、喰らい付く|餓狼《ガロウ》。折紙が織りなす饗宴の最中でネームレス・スワンの姿が崩れ出す。存在を維持できなくなった災厄は、ついにその身を崩壊させて消え去った。

「天使様、もう大丈夫ですよ」
 安堵の表情を浮かべる男に向き合って潤は言葉を続ける。
「申し遅れました、私の名前は古出水・潤。
 警視庁超常現象関連特別対策室、災厄係第五班副班長を拝命しております。
 お困り事があれば、何でもご相談くださいませ」
 ありがとう、ありがとうと繰り返す男に潤はさあ、行きましょうと先を促す。
 男は駆け付けてくれた√能力者ひとりひとりにありがとうと感謝を述べ、そして歩き出す。
 この災厄を越えて、新しい道へと。

 ―――風が、既に異変の去ったバス停を撫でる。
「遅かったか。想定が甘かった故の当然の帰結、か」
 既に残骸すらない災厄にアマランス・フューリーは独り言ちる。
「……いや、√能力者たちが私の想定を超えていた、と認識すべきだな」
 自身の感知しないイレギュラーがあった場合に備えてかけた保険もこうして倒されている。
 既に手の届かない所へ去った天使は惜しいが、次に考慮すべき事柄が見えたのは良しとしよう――。
 アマランスは羅紗を翻し、姿を消した。

挿絵申請あり!

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挿絵イラスト