しちのわをん
●それは花の綻ぶように。
(きっと、皆……おじいさん……元気出してくれるはずっ)
ゼラニウムの株の根元に優しく土を掛け戻しながら、Aは微笑む。
Aの育った小さな町は庭木の育成や花農家、造園業を生業とするものが多かった、――かつては。
けれど、世界を覆うこの終末観。今更、誰が木を植え、花を植え、庭を整えて季節の移ろいを楽しむだろうか。花の咲くたび、花の散るたび、行き詰まりの壁に一歩近づく事を知るだけ。そうして、食えて多少の金になる野菜や麦を育てるばかりになった、この町。
だけれど、そんな時代だから皆には花が必要だと、Aは思っている――少なくとも、おじいさんには。
陰鬱な街の外れ、今や人の通っていた痕跡すら薄くなった曇ったような林の中で、放棄され荒れ果てた小さな温室と畑をこつこつとAは手直ししてきた。おじいさんが倉庫のものは好きにしていいと言ったから、それを使って。
おじいさんは、若い頃は庭師だったといっていた。俺は腕のいい庭師だった、と、どんなに素敵な庭を仕上げてきたのか、それを語る時だけは活き活きと若い瞳。いらないといいながら、錆びもない道具たちと、生きていた球根や種。
今、花をつけているものは少ないがもう幾分か暖かくなれば、この寄せ植えの区画はカラフルに綻ぶはずだ。花に溢れる場所に戻れば、きっとおじいさん、いや、皆の心だって――。
(あ、頑張ってるね!)
見つけた花芽。励ますように、Aが優しく葉へと指を滑らせた瞬間、だった。
「あ……あぁ、う、あっ……!」
苦痛とも違う、熱を持ったというのとも違う。Aは花壇の前で膝を抱え、体を丸めて蹲った。
感じる、何かの殻の割れるのを。心の臓に芽吹くもの。
瞬く間、身の裡に根の巡る感覚、そして――。
その背を割って、天使の羽根が、花開く。
●誰の上にも星は瞬く。
「「みつけた」」
――|魔女《おんな》は、開花の時を星に詠み、口元を綻ばせ。
――|幼児《おさなご》は、開花の時を星に詠んで、息を飲む。
美しき|天使《はな》に伸ばされる手が手折るものか、愛でるものかは、まだ定まらぬ。
それで、塔の窓辺から。積み上げられたゴミの山の上から、身を翻す。
一人は纏う布を優雅に翻し、一人は転げ落ちるようにして。
●しちのわおん。
「目のおく、ぐわんぐわんする」
頭を抱えるようにして、星詠みの幼児はいう。予兆が不安定に重なって見えて、何が起きるかよく分からないのだという旨をたどたどしく説明して。
「いま、絶対は、天使のおねえちゃんのいるところ。助けてあげて!
いまなら、いっちばーん!で行ける、と……思う……」
しゅ・らる・く(彷徨う穂先スピカの・h02166)の言葉は、しかし掴んだ切っ掛けについてすら自信なさげに尻すぼみだ。
「あのぉ、あのね?
おねえちゃんはくらーいイヤな感じするところ。木がいっぱいの中にいるよ。
皆は木のいっぱいのお外につくから、中に入って探さないとだよ! きをつけてね?」
あまり大きな声や音を出すと、後に影響するかもしれない。そのようなことをいう。これは考え方によっては――利用できるかもしれない。
「それとね、あのね……みんな、どうおもう?」
あとのことだよ、とシューは続ける。
「魔女のおばちゃん、魔女のオトモダチ、|オルガノン・セフィラム《ニセモノ天使》、それからシュー達。
みーんな天使のお姉ちゃん探してる。
だから、よく分らないけど……会うかも? 会わないかも?」
そしたらさぁ? と小首を傾げ、周囲の能力者達を見回して。
「やっつけちゃうのが強くて早い?
それとも、天使お姉ちゃん、だいじ大事で、安心あんぜん?」
いついかなる時も、戦闘には備えるべきではあるだろうが。
今回の騒動に乗じ、ヨーロッパ地域における《羅紗の魔術塔》の力を削ぐ事を主眼に置けば、今後この地域で《汎神解剖機関》は活動がしやすくなる、かもしれない。
或いは、魔術塔の抱える強大な羅紗魔術士《アマランス・フューリー》、その彼女がわざわざ自ら出向いてでも手に入れようというのが《天使》なるものだ。天使たちを確実に自分たちの元まで保護し、もし仲間と加えることが出来るなら――。
星詠みにも鮮明には見えぬという、この予兆。
「シュー、あんまり色々分らない。ゴメンね?
だから、何があっても、みんなの気持ち、大事にして!」
能力者たちの意志で踏み出す足先の、それが|道《ルート》となるのだと。
第1章 冒険 『絡みつく不快な霊気が澱む地』

他よりもわずかばかり、草の薄い一本線。
線を手繰り見る一方には、日本で見るものより傾斜のきつい切妻屋根の、背の高い家々。まるで、玩具の家のようにも思える、見慣れぬものからは可愛らしくすら見える街並み。街の周囲は、一枚の大布をふわりと広げ撓んだ一瞬を押し留めたような、傾斜の緩やかな丘とも呼べぬ平原が広がる。走る農道、野菜の濃い緑や土の茶色がその布を牧歌的に飾っている。そこだけなら牧歌的な光景。
そうしてもう一方。足元の線も途中で草に飲まれ消えたその先には、森と呼ぶには低木で割合高さの揃った林が広がっている。予兆に言われた森に違いない。
そのどちらをも繋いで広がるのは陰鬱な曇天だ。
分っているのは女性の天使化、多分若い女性がその林の中で天使化するだろうと謂うことだけだ。名すら分らぬその天使をどう探す?
林や女性について、町へいけば得られる情報もあるかもしれない。
しかし一人天使化を果たした以上は、同じようなタイミングで住人達はオルガノン・セラフィム化し始めているかもしれぬという懸念はあるだろう。
それならば、直接、林で捜索を開始するべきだろうか。曇天のしたの林は、町側より更に淀んで重苦しく見える。何がしかの力でも働いているかのようだ。闇雲かもしれないが……この林を、少女の居場所を見通せないのは、天使を探す誰にとっても同じで、恩恵なのかもしれない。林をどう探索するかの見通しや工夫を携えるなら、いっそそれでも?
時間は誰にとっても平等で、大切なものだ。
確実なことは、この場に立ち尽くすだけでは、何も得られないということだけ。
●
踏み出す一歩は、やってしまえばなんとかなる、といったような|希望的《・・・》観測のようなものではなくて。
何故なら、持ち合わせていない。それはクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)の何処かから欠落しているもの。
だからこそ、見通せない林――鬱蒼とし、長らくと人の手の入っていなさそうな――を前にして、淡々と、踏み出す一歩は流れるように淀みなく、迷いない。ただ、必ず助けるのだという確かな目的と、自分の能力を軸にクラウスはそこに分け入っていく。
掌で触れる傍らの木、その樹皮。ザラリとした実感。子供のお絵かきなどなら、茶色に描きがちのそれも、こうして直に触れて、間近に見るならば、灰に近い。冬の名残で葉のまだ戻らぬ木々の隙間から天を仰いだとて、そこすら曇天で。木々の間に満ちる淀んだ空気は、薄靄まで招いている。
ああ、どこも、かしこも灰色だ。
――行く先などない、戻るべき道もわからない。
林を、街を、いや、この|世界《ルート》を覆う、その圧倒的閉塞感。
それを切り裂くのは、クラウスの指の振るう鞭だ。舞う鉄の縄が空気の、靄の、灰の停滞を許さない。そうして生まれた空間に、彼のもつ|正常さ《霊的防護》で清浄を招いて、ひと息をつく。
(あまり派手に動きすぎると……)
此度は、単純なヒト探しではない。目的を同じくしながらも、相対する勢力がいくつもいるのだ。
希望はないから、失望もないその|眼《まなこ》。世界の在り様に感傷するのは兵士の役割ではないから、鋭い視線が、観察の為だけに開かれた周囲へ向く。地面には枯葉だけでなく、大きめのものから小さいものまで枝も落ちている。冬の間に雪の重みか雷にやられたものだろうか。それに、下に溜まる靄に隠されていた、木々の間、藪のささやかな緑も見えて。
うん、という声なき声は自分だけに。
(音を立てるのは避けたいな)
行く先が分らないなら、戻る先までも見失いそうなら、不用意に動かなければいいし、標を立てれば良いのだ。状況の確認出来た今、清浄さは最小に。兵士はこの不愉快な|灰色《戦場》すら味方に変える。
そうして、靄に紛れさせ飛ばす|小型無人兵器《レギオン》の、その|標《しるべ》はいつだって己自身だ。
●
朽ち掛けた柵。地面に落ちた薬草園の看板の文字は掠れて。
だが、それらには目もくれず、クラウスは駆け寄る。温室の横で、祈りを捧げるかのように、いまだ蹲って動けない少女にむけて。
「君、大丈夫?」
「あ……私、あの」
汚れるなど一顧だにせず、地面に手をつき、膝を折って。掛ける言葉は探索の冷静さと真逆の温かさ。彼女を心配し伸ばしかけた手は、けれど今は怯える女性に安易に触れなかった。そのささやかな丁寧さは天使の善性をもつ彼女にどれ程好ましく映っただろう。
突如現れた、けれど、きっと、優しい人。
クラウスを前に、ほぅと張り詰めていたものを吐き出して、ありがとうございます、と彼女は言った。
「立てそうかな?」
差し出す手をどうするか、彼女に委ねるなら、お借りしますと重なる手。信頼を知ったクラウスに腕を支えてもらい、ゆっくりと立ち上がった彼女は、それでもカタカタと身の震えを止めることが出来ずにいる。
なに、と何度も独り言のように。そうしてクラウスの前で動かされるのは、その美しい天使の翼だ。
「わたし、なにか、何か、お、可笑しくて。なに、これは何……?」
きっと彼女は自分が何を動かしたのか、よく分っている筈だ。完全に天使化を終えた身体は、まるで最初からそうであったかのように肉体には馴染んでいるだろう。それでもまだ心には。
「わたしっ……!」
パニックを起こし、叫びあげそうな彼女の肩に、クラウスの両手が置かれる。それは大声を避けるものではない、体温に安心を託す為。
真正面から見据える少女の瞳は潤み、不安に揺れている――けれどクラウスには、どうしたって、安易な|慰め《希望》など提示できなくて。
「大丈夫」
だから、先と同じ科白は、問いの音をなくしている。慰めではない、クラウスのこれは確約であり。
「大丈夫。君を――助けにきたんだ」
この事変を切り抜けるという宣言であるから。
――と、その時だった。
右の方、崩れた柵の先。藪を揺らす、音がしたのは。
●
ここは途上。
だから、行く道を決断せねばならない。
遠く見える切妻屋根に目を遣ったガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く|演奏家《ピアニスト》・h03764)は、緩く|頭《かぶり》を振ると傍らの友に目線だけを送る。
「林へ行くぞ、ジョーニアス。
……街に行けば余計な戦闘に巻き込まれる可能性がある」
もし住人に話がまともに聞けるのなら、林の中の温室の場所だって分かるのかもしれない。そうすれば誰より早く天使の元へ辿り付ける可能性はある。
けれど天使化は既にあちらこちらで始まっているのだ。町への道を選ぶのはあまりにもハイリスクハイリターン――|オルガノン・セラフィム《成り損ない》を引率しながらの森林浴と成りかねない。
冷静と、そのように言いながら。事変の解決へ向けて、ガルレアはもう歩みだしている。此度はのんびりと散歩できるような場面ではないのだから。
応と返する、彼の守護者――ジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)の足はしかしまだ、動かない。見つめるのは守るべきその背中。今は具現されていない。けれど友は知っている。彼の背中にある|翼《もの》を。
翼を持ちながら今や地を彷徨う者たちと、地上に生まれながら新たに翼を得た者たちと。
ああ、美しいその翼は|思《ねが》いと裏腹にいつだって我々を救済から最も遠い場所に運ぶ――ジョーニアスは、少なくとも、そう思っている。
|彼《とも》はこの事態に何を思うのだろう。二つの翼の邂逅は、何かを、生むだろうか?
「……急がないとな。
慣れてるんだろうが、それにしたって女の子一人林の中だなんて、心配だ」
追いついて肩すくめ。並び歩くジョーニアスが苦笑する。きっと、この場面だからこその、敢えて単なる一般論。大人としての見解を述べるジョーニアスに、だから淡々と歩むガルレアも、常の薄い微笑を取り戻して頷いた。
こういう風だから、二人、友で在れるのだ。
●
林の中を立ち込める、薄靄。足元から這い登るように纏わりつくその不穏は、見通せないという焦りと己の立ち位置の分らなくなる不安を、ここへ訪れる全ての者へ与える。
「嫌な空気だな」
曇天。継いで、薄靄と確認するジョーニアスの表情は、だが、科白に反してさっぱりしている。思うところは同じと、満足したかのように尊大な様子で頷いてガルレアが続ける。
「ああ、利用せぬ手はあるまい」
すべての者が、この妨害を受けるなら、払うことはしない。特に、オルガノン・セラフィムのような衝動だけで動いている存在がいるなら、この薄靄は今暫くは天使を守るベールとして有用に機能するだろう。
「ガルレア。Energeiaで対象が大体どの方向に居るのか聞くから」
あとは頼むと微笑むジョーニアスは、密やかな声で|希《こいねが》う。
応えて顕現した幼い|当主《かのじょ》。傷つけぬ願いを叶える者――ただそういう|能力《もの》だとして、彼女に問うだけのジョーニアスの表情。
ガルレアはだから、――何も言わない。
進むべき方向を得て歩む二人は、音を立てぬよう細心の注意を払うから、暫しの沈黙。
「安全にいこうか」
腕時計を確認し、ジョーニアスがいう。知らぬ場所は、進めど変化のないように見えるものだが、時間は進んだ距離のイメージを与えてくれるから。そもそも少女の足でいける範囲、この当たりで今一度進むべき道を確認すべきだろう。
ああ、と頷いたガルレアがその手をすいと流れるような美しい所作で掲げるのなら、靄の海を舞うインビジブルの一匹が、身をくねらせて舞い降りる――ガルレアの《ゴーストトーク》だ。
そのエプロンもワンピースも今よりも随分と古めかしく見える――現れたのは正に絵に描いたような、近代農村のふくよかなお母さん、といった風情の女性。彼女は頭巾を正すと、にこりとガルレアに向いて。
「女の子? はい、えぇ、今日もお嬢ちゃんが通っておりますですよ。可愛い子でねぇ。
どこにって……薬草園で御座います。ほら、ハーブは育ちの強いものが多いでしょう、だから花畑とは離しておりまして。ここで育てているハーブは質がいいって、評判ですのよ。特に、」
「……マダム、それはまた機会があれば聞こう」
勢いの凄い女性と、押しにも負けぬ冷静さのガルレア。そのコントラストに、ジョーニアスがくすりと笑う。
「では、薬草園へ案内してくれないか」
――えぇ、すぐそこですわ。
そして、導かれる先。
勤めを果たしたマダムの掻き消えた先に二人が見出すものは、この探索の成功である。
心強い|能力者《なかま》と、美しく開く一対の翼が、今二人を招き入れる。
第2章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』

●What on ”EARTH” ?
「……風土病?」
軽い自己紹介を終えた少女は、首を後方へ捻ると、己の翼の端を視界に収めながら聞いた単語を鸚鵡返しする。それなら、と翼から目を外した彼女は、不安と期待に揺れる瞳を前へと向けた。
「それなら……、治療すれば元に戻れるのでしょうか?」
その答えを探す為にも、まずは安全な場所に移動し、|天使化《それ》が齎すものを知らねばならないのだ。わかりましたと少女は頷く。
「お花でも防疫は大事ですもの。勝手をしない方が良いのでしょうね。
私が、他の方の治療のお役に立てるなら嬉しいです。是非お連れ下さい」
歳は14、5だろうか。年頃に見合わず、警戒心は薄く、素直で従順。そして示される献身性――善性、と呼ばれる何かは、どこか空恐ろしくもあって。
ここで話が終わり、ではと連れて行けたならば良かったが、少女の善性は懸念の通り。その発露が留まらない。
「あ……待って。待ってください。あの、風土病……? じゃあ、みんなは……?」
思い至り、ぽつり零した少女が肩を、翼を、揺らす。
「すみません。林を出た先、近くに私の家が……、町があるんです。
私と同じ症状が町の皆にも現れているんじゃないかって。ご案内しますから、先に一緒にそちらへ」
それは出来ないと首を振る時間を、今知る範囲の天使化の事実を話すことが出来る時間を、得ることが出来たのは素早く彼女に接触できたからだ。
天使とオルガノン・セラフィム――誰もが少女のようになれるわけではないと謂うこと。
「でも! 町のみんな、いい人たちです! だからきっと私と同じに……!」
そして、オルガノン・セラフィムと羅紗の魔術塔――隷属化と彼らの求める対象について。
「イヤっ! どうして。なんで……」
|What on earth《一体なにが》?
答えはない。発端も、行く末も。全貌など誰にも知れないこと。そうとも、|地球《ちじょう》で起きるすべては|途上《・・》なのだから。
その中で選んだのは、今、救える一人を救う道。
最早戻れない道、街のあるだろう方角に満ちる不穏がざわつく気配。言葉だけでは信じ難いことも、ここからの脱出を図るならば少女は目の当たりにする事に成るだろう。
少女の名はアザレア――それは愛と充足の言葉を持つ花と同じ。
その|天使《アザレア》の血肉を以ってして、己が虚空を埋めんとする|飢えたものたち《オルガノン・セラフィム》を振り切って、先へ――そろそろ出立の頃合だ。
●MSより
一章の隠密と迅速の《選択》の結果、少女へ状況説明の時間を獲得しました。
このことから二章は下記の状況で行われます。
・天使アザレアは協力的である。
→不測の行動(町へ帰ろうとする、など)をしない。
・羅紗の魔術塔勢力には|現時点《・・・》、見つかっていない。
天使を求めくるのは発症した町人、野良オルガノン・セラフィムです。
どの程度を戦闘にさき、どの程度を安全な脱出へと割くかで三章は分岐します。
2章から参加をご検討の場合は、説明中に追いついたか、成り損ないを追って合流したか、ご参加しやすい形をおとり下さい。
以上です、ヨロシクお願い致します。
●
選別――何を以って?
「辛くなったらすぐ言えよ」
「っ……はいっ!」
無理はさせたくないが、戦闘に備える手は多いほうがいいから、今は少女を信じ、横で共に。
体力の高いジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)が、直接の天使の守護者、足取りの支援を引き受けるなら、ガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く|演奏家《ピアニスト》・h03764)がその脇に。
先導するのはクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)だ。
ここまで、何度かの邂逅。隷属化の為されていない野良と呼んで差し支えない成り損ない達。統率の取れているわけではないからこそ、オルガノン・セラフィムの一体が時折藪の中から、という事態が断続的に繰り返されるのは、戦闘面の苦労は少なくとも、案外疲弊させられるものであった。
このまま、魔術塔の注目から逃れようと、一掃を考えない者たちにとっては特に。丁寧な対応が求められたからだ。
オルガノン・セラフィムを見て、最初ばかりは短く叫びあげたをあげた少女も、今は懸命に駆けている。守り、駆ける三人の耳にこびりつく、その悲嘆の声色。|垂れ下がる布の合成《オルガノン・セラフィム》に辛うじて引っかかったようなイヤリングをみて、彼女は言った――おばさま、と。
だが、返されたのは天使を喰らえば救われると信じるその爪先だけ。
誰と知って案じた少女と、そうは成れなかった誰かと。
咄嗟に庇ったジョーニアス、それは彼自身や能力者にとっては浅い傷といえる、服を裂くも皮膚を撫でられた程度のものであったのだけれど。
それでも成り損ないから転がり落ちたイヤリングと、そしてジョーニアスの腕から舞った血を見て、少女はもう何も言葉を発さなかった。手を引くクラウスに逆らわない。
「……急ごう」
切迫した場面の、けれど先ほどまで薬草園で話していた時と変わらぬその柔和な呼びかけに、意思の篭った目で少女は頷いた。嗚呼、本当に聡い子で――それを助かる、と割り切れるほどこの場の誰の心も凍ってはない。
(この子にとって『いい人』たちが。この子を喰らうなんてこと)
少し前のがさりと揺れた藪を見逃さぬ傭兵が、決戦気象兵器《レイン》から振り下ろす――侵入を拒んで、或いは自分たちの進路を確保する為に。林の木々の間を埋めるように、天より降りるその光は、雷のようではないか。書物の中ではしばしば神の力の現れとして地に降り注ぐもの。
だが世に称えられる神の力とひとつ違う点があるとすれば、それは選別に適わなかった者を打ち据える為の力ではないということだ――成り損ないを残した|未来《さき》、隷属化がちらつくとしても、今は。
そして、それは図らずも、少女の両脇を守るガルレアとジョーニアスの選択とも同じであって。
この|√《セカイ》だけではない。数多を歩き、旧きを知るガルレアが杖を軽く振るうならば、気ままに舞うインビジブルが水滴の落ちた水面のように揺らいで音を出す。一音一音はピアノの鍵盤を叩いたようなそれが奏者の意のままに、重なり合う。美しい旋律。今、背後から追いすがる者は腕を伸ばしたまま、暫しその音に足を止める。酔いしれたように――或いは音のその重厚さに押しつぶされるようにして。
選別――多くのセカイの多くの文字は伝える、讃える。神なる存在――愛を授ける者を、選別するナニモノか。その選別は往々にして悲劇を以って成し遂げられる、今、目の当たりにしている通りに。
アザレアは確かに、善い子だろう。何故、それだけでは済ませられないのだ、|運命《かみ》といったようなものは。
(碌なものではない、何処の世界でも――)
致し方ない、演奏。敵を不必要に減らせば、その残骸をここに残せば、それは御伽噺でパンくずを道標と森へ撒くようなものだから。とはいえ、光と音と――林のどこまで覆い隠してくれるものか。一抹の不安は、ガルレアの友とも共通して。
最低限、自分の側から伸ばされる手を、撃ち払うに止めながら少女を励まし庇いかけてきたジョーニアスの脇で、遂に少女が盛大に転ぶ。
眼前に、高い岩壁の現れたからだ。大人達より尚高い壁、その事実が、行き止まりの絶望が少女の意志を越えて足に来た。足が疲れきり震えて、上手く立てないのをジョーニアスは無言で素早く背負い始める。
「よく頑張った、お陰でここまでだいぶ助かった」
ガルレアが時間を稼ぐ為、顕現するのは叢檻――木々が、蔦が、藪がその生命力で応えて作る一時的な楽園に、追い縋るうち一団となり始めていた成り損ないたちが遊ぶ様。
眼前に、壁。少女をジョーニアスが背負うなら、これで戦力足りえるのはクラウスとガルレアのふたりだけ。
押し留めるためとはいえ、襤褸切れとなり掛けていた成り損ないたちの、その布の輝きを取り戻し始めるのを見て、一瞬の逡巡。右か左か――そもそも何処へ向かえばいいか。この逃避行、判っていたのは町に戻れないことだけなのだ。
その時だった。ひ、と息を飲んだアザレアがジョーニアスの肩越し、地面を指差した。
|少女の流した血《Angel blood》が、地に染み込んでいたそれが、一つの方向を描いているように、見えるのだ――左を。
「……天使の主たる職務を知っているか?」
ガルレアがジョーニアスに問う。その先で屈むクラウスが血のシンボルをなぞるなら、それはサラサラと粉となって舞い上がり中空へと消えていく。そんなもの、なかったかのように。
改めて足の痛まないかと、治療の間がない中ではあったが問うジョーニアスにアザレアは大丈夫と気丈に頷く。
「それで? なんだって」
「導く者、そして、伝達者」
ガルレアの言葉に、決まりだなとクラウスが立ち上がり頷く。天使が何を為すものか、為せるものかは分らない。これもそう見えただけかもしれない。それでも――。
この僅かの時間が、楽園を知りながら、楽園を自ら捨てる成りそこないたちの祝福となる。
ガルレアがジョーニアスを後ろに引くなら、その横に鞭を構え下げるクラウス。
そして見る。
迫り来る成り損ないの一団の上を軽やかに跳ぶ者、その両足は、先頭の一体の上を着地点と定めて。
「騒がしいなと思ってさぁ」
成り損ないをクッションに一団に加わる者――トパーズ・ラシダス(|地呪珠《アースジェム》の|肉人形《フレッシュドール》・h03302)が、足元でもがく一体を踏みつけにしたまま、チラリと好戦的な笑みで4人を振り返る。
「助かる」
言いながら、クラウスが全てを無視して迫り来る次の一体の足を鞭で纏め上げ転がすなら、なるほどね、とは内心に。言葉にするのは「心配するなよお嬢ちゃん」と。翼を認めたトパーズがアザレアへ笑う。
「殺しゃしねーって」
(……アンタの前ではね)
自己紹介はあとあと、その状態ならいっそ邪魔だから先いけよ、と告げるときにはもう4人を向いていなくて。それで、ジョーニアスが、ガルレアが、クラウスが駆け出すものだから、アザレアは、嘘! と声をあげる。
「血を辿れ」
横の友を、その背の少女をちらり見て。いまだ止まぬ少女の膝の血にそう声を掛けたガルレアに返るのは、トパーズの手の、ダガーの冷たいきらめきだ。
成り損ないがこの一団だけの保障はなく、魔術塔もまた天使を探し回っている筈なのだ。能力者は能力者を上にも下にも見ない。
買ってでた殿。
「……無視すんなよ?」
成り損ないは本能的に天使を優先するから、その固執に顔を顰めて振るうダガーが綺麗な布地を切り裂いていく。何かを盲目的に崇拝するように、救いを、愛を求めるように。
「無様じゃん?」
放たれる黄金色――生体機械の羽と、ダガーが打ち合って跳ね返り、虹と陰があちこちで立ち上る。
誰の姿も見えぬかくれんぼ。
くく、と漏れるのは笑い声だ。そうとも、|肉人形《トパーズ》は能力を得た、忠誠心と引き換えに。お前たちも解放されたのじゃないか、人という生を。それなのに、埋めようとして、立ち上る虹の柱たち。
ああ、哀れな兄弟達を救う前に、救ってあげようか。
――天地を返すほどの|価値の転換点《パラダイムシフト》をお前たちにも。
やがて、林は静けさを取り戻す。
|不自然なほどに《・・・・・・・》、だ。
転がっていた成り損ないたちの切れ端が綺麗に消え、木々の傷の治っていくその異質。ありえない証拠隠滅の様に、先を行った能力者達の力と無事を知る。
あの少女もきっと、無事だろう。あの一瞬の邂逅で思い返せるのは伸ばされた土汚れた手だけ。置いていく自分に彼女が伸ばした手だけがダガーの面積で切り取れた全て。
伸ばすなら、辿ろうか。血の黙示を――。
トパーズの後ろには、ただ元の地面が広がるばかりだ。
第3章 集団戦 『さまよう眼球』

●見る
林の端で、整える息。
僅か先には開けた場所が木々の間から覗いている、今はまだ少し遠いグレーの塊。
「ああ、よかった! あれは領主の|お屋敷《カントリーハウス》なんです」
昔の話ですよ? と天使は言う。なるほど。中世、といった単語が想起されるその外観。ゲームの舞台として出てきそうな、実に雰囲気ある洋館だ。しかし今は現代、一族は全員、|首都の家《タウンハウス》へ出ており、ここは無人の館なのだと。
「……あのマンション、ちょっぴり怖いうわさがあって」
――人食いの館。いったきり戻らぬ者の噂。
「町の小さい子は悪戯して一度はいわれるんです。人食い館に連れて行くぞ、って……」
幼き日の思い出があるのだろうか。そして今切り抜けてきたばかりの出来事と。思うところのあったか、アザレアは唇を噛んで俯いた。
だが、それも僅かの間。顔を上げた時には懸命に作った笑顔――皆の、自分の、心を折らぬ為の笑顔でアザレアは続ける。
「下らないお話してごめんなさいっ。えっと、何にせよ、あのマンションは私有地なので……。
それより、マンションを挟んで、今来たのと……多分、同じ位進めば、|幹線道路《Aロード》に出るはずなんですっ」
実際には町から離れたことがないとのことだったが、地元民のいう地理情報に大きな間違いはないだろう。
……これは、ひょっとするのではないだろうか。
元来た道には現状戻れず、当所もない逃避行。その最中、血のメタファーの先に見つけた《人食いの館》。手放さず、それでいて、一族の誰も残していないというあたりも、なんともそれらしいではないか。
向かう価値はあるだろう。それで駄目ならアザレアのいう幹線道路を目指せば良い。
なれば、問題は――。
●見られる
数多の目が、牙が、不定形に入れ替わりながら、荒れた草原と藪の上で遊んでいる。
今、空を行く鳥の群れを見つけたそれは、団子状の一部を次々とチューイングガムのように伸ばし――捕食する。声なき歓喜。中空で、ぶるりと震え回転するならば、団子は、目を増やし口をふやして一回り大きくなった。
怪異だ。
特段、何かを探し回っているというようには見えないが、屋敷の周辺を行きつ戻りつとしており、場を離れる様子もまた、見えない。屋敷の噂を考えるなら、屋敷から出てくるかもしれぬ対抗勢力を削ぐ目的に、魔術塔により置かれた監視者かもしれなかった。
いや増すのは屋敷への期待。
いこう。戦えぬ少女を抱えて、それでも。
監視者を、掻い潜り、祓い。誰一人欠けることなく、だ。
元より道を歩むとは安易でないと知り、それでいて足を止めぬ者こそ――√能力者なのだから。
●
藪を揺らし駆け寄る足音。
あ、とも言わせぬ。一陣の風のようにして先行者達の横を過ぎ行き、追い越し、林を抜ける。一気呵成とは正にこのこと。
黒球の表面の眼球が、一斉に、突出するものへと注がれる――|注目《・・》する。
「そんな見るなよ。照れるじゃ……んっ!」
少年は嘯いて嗤い、駆ける勢いを乗せ、高く飛び上がる。振り上げる|短刀《ダガー》。
守ってやるとは、いつだって音ではなく、行動で。
飛び出したのは、トパーズ・ラシダス(|地呪珠《アースジェム》の|肉人形《フレッシュドール》・h03302)だ。
「行こう。俺達から離れないで」
彼の意図を知り、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が、駆け出したトパーズの背を追うアザレアの視線に割り入って、目線をあわせ声を掛ける。
たて続く異常事態を彼女はどう思っているだろう――彼女の《ありふれた日常》の死であるそれを。別れを嘆くも惜しむも出来ぬまま、ここまで。
……まだ名も聞いていない少年は駆け、跳んだ。跳んだ以上は軌道は変えられない。ここまで追って来た実力、彼に手段はあるとクラウスは確信している。ただ、多分、それはアザレアには大口を開けた黒球に自ら飛び込むように見えるだろう。だから。せめて。
今してあげられるささやかで優しい気遣いの最後に加える言葉は――恐れないで、と。
「必ず守るから」
約束するクラウスの言葉に合わせるように、大きな手がアザレアの頭をわしわしと撫でる。手をなぞりアザレアが顔を見上げるなら、笑顔とまでは言わない、けれど優しく弧を描いた瞳で、ジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)が頷いた。
「行けるよな」
自分達を信じて欲しい、とクラウスの言葉。
敵の攻撃の全貌の見えぬ今、全員が戦闘に備えるために、アザレアには再び自分の足で道を歩む事を頼むのだ。スピードは落ちるだろう、だが成り損ないもいつ再び追い縋るかわからないなら悠長に黒球を打ち払うまで待っていてなどいえない――不安がないといえば嘘になる、それでも、だからこそ。
そして少女を信じる、とジョーニアスの言葉。
「はい、行きます! お願いします!」
二人の言葉に、善なる天使が、今、己に出来る|最善を尽くす《・・・・・・》ことを誓う。
そして三人が駆け出した。
屋敷を正面とするのなら、今現在は右に黒球とトパーズがいる。正面最短ルートを避け、それと距離を開けるようにして左側といっていいルートをとる3人、ジョーニアスとクラウスでアザレアを挟むようにして横並びに。
指揮者は、奏者の整って最後に姿を表すもの。
戦場全体の配置をこのように確認しながら最後に林を抜け出るものはガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く|演奏家《ピアニスト》・h03764)だ。
駆け出し際のジョーニアスがちらりと振り返り小さく頷いた時、返事の変わりに軽く掲げた、その|魔杖《タクト》を握りなおして。
●
乱杭歯の大口がえずくように震えるなら、飲み込むのを待ちきれず|消化液《強酸》が吹き上げられる。
避けようのない中空で、そしてトパーズは――掻き消える。消化液に飲まれて? まさか。
「……ざーんねん」
乱杭歯の縁に配された眼球のひとつに全力で振り下ろすダガーは、まるで金属の上を滑る様で刺さらない。相手の先制をこちらの先制と入れ替える、トパーズの転換の能力は発動したものの……、これが大喰らいたちの能力のひとつのようだ。
ダメージの入った様子はない代わり、亀裂の入ったようにして解けゆく黒球。トパーズが背面跳びに地上へ降り立とうというなら、着地を狙う繊維のひとつが、大口を開け、うねり蛇のように這い寄るから光線は縫いとめるように降りおろされる。
クラウスの気象兵器だ。貪食が欲望のままに分りやすく動いてくれるなら、振り下ろすべき位置を予測し実行するのはクラウスには簡単なこと。
眼球たちは己の喰おうと目に捉えた対象には無敵を発するが、眼中にないものの攻撃は受けるようだった、その光線に縫いとめられた繊維は、しなびて枯れていく。
今一度跳んだトパーズが、解けた敵を鑑みて一団に加わることを選ぶなら。
「どうも」
「お互いにね」
一瞬の薄い笑みで、クラウスがそれを歓迎する。
二人の連携で、攻撃を押し通す|方法《みち》は一つは見えた。
ただ、眼球たちもまた知った。他にも喰えるものの存在のあることを。
鳥だっていい、喰えるものなら。命があるなら。
それなら、一番喰いやすそうな命から。
ほぐれた繊維の一つが瞬間に、移動する。アザレアの正面だ。
漂うインビジブルと位置を入れ替えたのを、ガルレアが捉える。そして、今、それに対処するものは彼ではなく――。
駆ける勢いですぐに止まれぬアザレア。その前に、速力を上げて滑り込むように回り込むようにジョーニアスが割り入る。とんと、優しく彼女を横に押す手と共に。
「……っと。大丈夫?」
アザレアの軌道を変えるジョーニアスの手は、彼女を受け止めるクラウスとトパーズを信用してだ。
「はい、大丈夫っ……!」
体勢を立て直しながらクラウスに気丈に返すアザレアは、トパーズがいつの間に近くにいたのにやっと気付いたか、瞬間に花の綻ぶように微笑んだ。上がった息をこの僅かの間に整えながら彼女が言う。
「今度はっ……、皆で、一緒にっ!」
言葉のかわり。この小集団の先頭をトパーズに。再び駆け出す合図。
今は眼球だけが、逸れながら駆けゆくアザレアを――獲物を追う。
乱杭歯の間を強酸の糸がおぞましく結ぶ、汚らわしく未練たらしいそのマヌケな大口をそのままに。だからジョーニアスが、愛銃の、その持てる火力をぶちかます。
「……女の子にキス強請れるような口かよ」
追いつかんと駆け出すジョーニアスの足が踏み抜くのは、しなびた眼球だ。
――これが今、見るべき、知るべき全て。
僅かの間、伏せられる睫毛。
瞼の裏に浮かぶのは確かに今まで見ていた草原、仲間、敵……目標とすべき洋館だ。それが、だが、書き換わっていく。知らない屋敷に、その前で微笑み手招く――知らない、少年に。
瞼を上げたとき、最初に見えたものは完全に解けた眼球たちだ。おのおのが、最早好き好きに、眼球に捉えたものを喰わんとして動き出す。一刻の猶予もないというような、必死さで。
それをダガーが、電撃を纏う警杖が、銃弾が、払う。
中央で揺れ、咲くのは極彩色に煌く二枚の大きな翼。
――悪魔と天使と人と。終末を切り取った宗教画のような光景を、ガルレアは見ている。傍らの少年の歌声の中で。
少年の讃美歌に、音の波に酔いしれて踊り、跳ね、集まり、散るインビジブルたちと共に。
だから、眼球はインビジブルを捉えられない。思う場所に移動出来ない。その上、獲物たちもまた動いている。その全てを追おうとして、文字通り、目まぐるしく動き回る角膜、虹彩、瞳孔――定まらない焦点。
何度もの攻防を繰り返して、目の回った一匹が、闇雲に放った強酸が、最後だ。
個にして全だったものか、突如すべての繊維が力をなくし地上へボトリと落ちた。
「エネルギーの切れた、ということだろうな」
追いついたガルレアが、背後からみなに声を掛けるなら。
「赤ん坊みたいな? 急に寝ちまうよな」
ジョーニアスがニヤと笑って応じる。その近くで身を屈めたトパーズがダガーの切っ先で突くそれは、先ほどまで何度かみた枯れ果てた状態とまでは見えない。死んではいないのだろう、と思われる。
「……怖くなかった?」
クラウスが、アザレアを見遣るなら、彼女に大きな怪我などはなくて。あちらこちらと駆けた疲労と……安堵に弧を描く口元。だけれど、上がる息に言葉がまだ告げない様子に、もう大丈夫だよ、とクラウスも微笑んだ。
「今度は、皆一緒に。君が、かなえたね」
●
逃避行の齎したもの。
一時的に、この場では――そんな安全ではない。もっと確実な。
屋敷の地下室の扉の先に広がる、彼女の予想するものとは違う――。
「ようこそ、アザレア」
新しい|世界《ルート》へ。