シナリオ

ダアトへの献身

#√汎神解剖機関 #天使化事変 #羅紗の魔術塔 #イチゴ

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 #√汎神解剖機関
 #天使化事変
 #羅紗の魔術塔
 #イチゴ

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●黒死すらも裸足で逃げ出す
 瀉血をしなくてはならない――最初に、天使はそう思った。
 この|血《●》が悪いのだから、この|液体《●●》が悪いのだから、全部を抜き取らなければならない。私が感染源なのだから、私が悪いのだから、私が、綺麗にならなければ、いけない。手首を切った。足首を切った。切っても、切っても、銀色の『それ』は無くならない。いよいよ、眩暈がしてきた。それでも、どろりとしたものは失われない。それなら、私はもっと瀉血をしなければならない。
 嗚呼――つめたい。
 私の身体はこんなにも、冷えていたのか。

●死には至れぬ
「君達ぃ! 急に呼び出して悪いね。いや、勿論、仕事だとも。おっと、今回はマジで気を引き締めた方が良いぜ? 何せ相手は『羅紗の魔術塔』の魔術士だからねぇ!」
 星詠みである暗明・一五六は普段通りだ。
 普段通りを装ってはいるのだが、興奮とやらは抑えきれない。
「アマランス・フューリーについては、君達、既に知っているだろうさ。羅紗の魔術塔の魔術士たる彼女は如何やら『天使』を探しているらしい。ああ、そうそう。今はヨーロッパの何処かを探しているらしいぜ。まあ、つまり、其処にしっかりと『天使はいた』と謂うワケさ。君達には……アマランス・フューリーが到着する前に『天使を保護』してもらいたい」
「問題なのは『天使』がスッ転んで、血を見た所為か、自分の血液が原因で『村の皆が化け物になった』と思い込んでいる事さ。君達、早く辿り着かないと、天使が失血死するかもしれない」
「それじゃあ、頑張ってくれ給え」

●天使の気配に導かれし
 此処に――出来損ないではなく――天使となった『もの』がいる、それは『私』の長年の勘であり、確信であった。|新物質《ニューパワー》と呼ぶべき『もの』ではないが、おそらく、此処には『天使病』の感染に深く関わっている、高濃度の何かしらが蔓延っている。丁度いい、私は、私が想っていたよりも、欲張りなのだ。|出来損ない《オルガノン・セラフィム》も天使も、奴隷として持ち帰る事にしよう。

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第1章 冒険 『高濃度新物質汚染地帯を越えろ!』


 瀉血をするかのような、行進。
 黄昏色の世界――陰鬱を極めた世界――其処に、一滴の『無私』を垂らしたならば、如何様に晴れ渡ると謂うのか。まるでひび割れた硝子への修復作業、無理やり、元に戻してやろうと『する』人類の性質のようなもの。いや、結局のところ『天使病』と呼ばれるものは『怪奇』な『変異』に過ぎない。身体が、体内が、体液が、徐々に徐々に化かされていく。
 天使はこの先に存在している。
 天使が存在しているのであれば、保護に向かわねばならない。
 されど、理解をせよ。
 もしも、君が『善なる無私の心』を抱いているので在れば、
 それは――病への献身に他ならないのだ。
四之宮・榴

 愚かなものだと、盲目なものだと、白痴――微睡む|魔皇《ダイモーン=スルタン》めいた掻き毟りは、果たして、笛の音や太鼓の乱打を把握するのか。理解して初めて『恐怖』はやってくる。咀嚼してようやく『狂気』はやってくる。何もかもは脳髄から滲み出た、ある種の混乱に過ぎない。……僕には理解できない。一部は、ほんの僅かなら、理解できるかもしれない。献身ではなく聖餐なのであれば、嗚呼、きっとオマエは麺麭を差し出す筈なのだ。……僕の、僕以外を……誰かを、助けると謂う天秤は、独善性は、変えられないモノだから。乱打された頭蓋の偽物な具合、いったい何者が、いったいどのような化け物が、棒状の物質で讃えてくれる。……自分の血が……病の元なら……僕も死のうと、するだろう。間違いなく。だとしても、瀉血という行為は経路の増殖でしかない。ああ、世は無慈悲である。
 榴が――柘榴の色のカーペット――その気配を、予感を、発見する事は容易ではあった。されど、|半身《レギオン》の悉くを繰る沙汰は、超感覚を酷使する沙汰は、常日頃からの眩暈を要求してくるのか。……ええ、いつもの、酔いそうな状況ですが、今回は命がかかっていますから……。ああ、いっそ、今からでも天使が√能力者にでも覚醒してくれたなら、楽だと謂うのに……。誰が、そんな冒涜的な事を思ったのか。まさか……僕ではないだろう。
 鞄の中に入っているものは――勿論、解剖用の道具も添えてはいるのだが――応急処置や治療の為の諸々であった。血液から感染するのかは不明だが、準備に『過剰』はない。兎も角、眼球が振盪する寸前で『目当ての天使』を発見した。保護をしなければならない。……貴方様は『原因』などでは、ありません。少なくとも、その病は、通常の人間には感染しません。あとは、僕たちに任せてください。救うための方法は、ちゃんと、ありますので。
 止血だ。止血をせよ。
 必要なのであれば輸血……?
 ――天使の血は何色だったのか。
 私よりも……私よりも、村の皆は、助かりますか?
 痛み止めは要らない様子だ。しかし、此方の頭が痛い。

物部・武正

 ピース、ピース、欠片か平和か。
 触らぬ神に祟りなし――そんな言の葉を引っ提げて、サングラスの裏側、宝石を隠すのか。カメラ目線か、ビデオカメラを優先か、覗き込んでくる連中はきっと騙されてくれるに違いない。無垢な人心など、無私の心など、|外星体《オレ》には元より、欠片すらも備わっちゃいない。無垢を超えた、無私の超えた、無。それを、どう捧げようか。まるで黄昏へと身投げした人型の何かしら、形容する事は容易かもしれないが、成程、奥底を暴く事は何者でさえ赦されない。だが、善なる者は守ろう……ってワケで、オレ欧州に立つ~~~。なんとも気の抜けるような、間を抜かすような、チャラチャラとしたものだ。いや、それこそ性質なのであれば、溶け込む為にも不可欠と解せよう。
 天使の居場所は誰かさんが見つけてくれた。天使の純真さは誰かさんが証明してくれた。無害そう――つっても実際、無害ですケドね――な面をして、てこてこ、歩み寄ってみたりした。優雅に、場違いに、未知との遭遇めいての……特技を発動。その場をしのぐ為の微笑みなのだ。ニコニコ、ニコニコ、ペテンのような有り様ではあったのだが、如何やら、天使は天使らしく受け入れてくれた。やっほ~天使さん、攫いに来たよ。……ダメ。こっちに来ては、いけません。私は病気なので、感染してしまうかもしれません。キザな冗談? いやいや、本気。それに、これだけ近づいてもオレはオレの儘なんだから、いいヒトなワケがないじゃない? ……え? 良い人にしか感染しないんですか? あ、そっからかぁ~。
 ぐらり、天使の身体が傾いた。あ~……血を流してんだし、そりゃそうだ。ぽいっと投げ込んでやれば棺桶の中、早すぎた埋葬なんて事には『しない』から安心させると宜しい。アンタが死んだって、みんなが元に戻るワケじゃないからね~。突き付けられた真実、棺桶のように真っ暗い底なし。ま、それでも? アンタの献身を、オレは称賛しよう。
 チヤラヲの笑いが蓋となって、眠気がやってくる。

ディラン・ヴァルフリート

 演じる事に拘るのであれば、演じる事を定められたのであれば、
 まっすぐに貫くと良い。
 人の善意を暴力と定めたのであれば、その矛先は自分自身に向かうと考えられよう。天蓋に対して、太陽に対して、唾を吐きかける行為は、成程、己の顔面の濡れによって把握をするのか。眼を開いていると謂うのに、覚醒をしていると謂うのに、寄り道をしてしまう存在。その道則こそが全てなのではないか、と、羨望が湛えられている。成程――天使化発症リスクが今も高い地とあれば、適任でしょうか。いえ……少なくとも、|無私の心《ほんもの》を模倣している以上、僕も影響を――たとえ欠片程度でも、たとえ僅かながらでも――受けて然るべきでしょう。なんとも傲慢な在り方ではないか。なんとも嘲笑的な有様ではないか。だが、それでも、可能性の三文字はやってくる。対策は必須ですね……。
 重要なのは臓腑である。元より己自身を作り変え、仕立て上げた被造物、調整は慣れたものです。怪異や古妖も仰天するかのような臓腑のひっくり返しではないか。悪性の腫瘍すらも裸足で逃げ出す変異の具合。それに、人の皮を被ってしまったのなら――嗚呼、詐欺師だって足を洗う。……僕は、僕の存在を否定する事はできません。できませんが、装う事、偽る事くらいは、赦されている筈なのです。滑り込むようにして発見した銀色の水溜まり。啜ろうとしている魔術士の影はなく、如何やら、間に合ったようだ。
 あなたのような天使たちを……保護している|勢力《●●》の者です。なので、悪いのは|天使《あなた》の血ではない事も知っています。理解と共に血へと触れ、正道、詩を捧げるが如く。献身に対しての献身は、成程、最悪の連鎖を止める為か。他者と、あなた自身が不幸になる事の無いように。共に、来て頂けるでしょうか……。天使は秒とも経たない内に頷いてくれた。おそらく、疑う事も知らないのだろう。
 それで、村の皆は、治せるのでしょうか。
 告げてやれ、此処で躊躇できるほど、オマエは上手ではない。

アーシャ・ヴァリアント

 黄金色が本物なのか、偽物なのか、そんな問答は重要ではない。
 重要なのは天使の保護だ。魔術士なんぞに渡したら面倒を起こすに決まっている。塔を登るかの如くに、塔を崩すかの如くに、大胆さを見せつけねばならない。靴の裏に粘着した泥濘、これが銀色なので有れば、素晴らしいほどの感染源か。
 ――吸い込んでも、呑み込んでも、罹りはしない。
 莫迦につける薬はないし、莫迦は死んでも治らない。それを体現したかのような日々に眩暈を覚えているのは誰であったのか。あらゆる組織が、あらゆる機関が|新物質《ニューパワー》を狙う中で、成程、キーウィの地獄とは世の理だ。いやいやいや、単に無駄死にするだけだからね、それ。頭を抱えたところで、痛みを堪えたところで、その愚かしさは糺せやしない。何せ天使は『天使になる』ほどに、度し難いほどに『無私』なのだ。どいつもこいつも天使になる奴ってのはどうして『こう』なのかしら。そのうち世界中の不幸な出来事は自分の所為だって、自分が悪いんだって、言いだすんじゃないでしょうね。オマエの懸念も尤もだが、きっと『それ』は杞憂である。それが現実のものとなってしまったら――それこそ、天使が今、絶命していないのがおかしい。
 はぁ……まぁ、とにかく。向かわねばならない。走らねばならない。どれだけの愚か者で在ろうとも、莫迦で在ろうとも、阿呆な事だけは止めなければならない。ええ、やめさせましょ。たとえ、アタシが悪い奴だって罵られようと……いえ、きっと、天使なのだから、そんなふうに思えないんでしょうけど。かっ飛ばしていくわよ。竜漿をオーラとして纏ったのならば往くといい。途中怪異に出くわしたとしても轢殺してしまえば問題などない。
 善なる無私の心? んなもんがアタシにあると思う?
 ある筈がない。結局のところ、脳髄を洗ったのは泥なのだ。

レティア・カエリナ

 理解が出来ない――意図がわからない。何故に、己がこの依頼に、この戦場に呼ばれされたのか。矛先ひとつでも違えたら、一歩でも踏み出してしまったら、おそらく、即座に感染してしまうと謂うのに。汚染地帯ギリギリ、線を引くところに立っている|鹵獲兵器《ウォーゾーン》。怪異ではなく機械であり、この上なく奇怪なサマではあるが、成程、この異常さは異常を叩くのには丁度よろしい。善なる無私の心を持つものが天使化する……? ごくりと、唾を飲み込んで女は騒ぎ始めた。って……私とってもピンチでは!? 感染してしまいます!!! あー、とか、わー、とか、喧しくしながら持ち込んだお菓子をモグモグする。所謂愉快な光景だが、安心してほしい。感染する、なんて喚いている時点でオマエはまったく問題ない。なんで隊長は私をこんな所に向かわせたのでしょう? 特別手当が必要じゃないでしょうか? 絶対に、ぜぇーったいに、要求します! がさごそ、追加のお菓子をもぐもぐ、ぽろぽろこぼしながらの慾垂らしだ。きっと隊長とやらもオマエの事で頭を悩ませていたに違いない。とりあえず輸送機から持ってきた防護服に着替えないと……ですね。着替える必要なんてないのだから、さっさと指示に従え。そんな声が届いた気もするが、何もかもは気の所為としよう。天使なんて知ったことではありませんが、私が病気になるのは困ります! 私は善良ですからね! 誰が善良なのだろうか。鏡でも持ってくるとよろしい。さて、面倒ですが……。
 お菓子の代わりに取り出したのはセンサーの類である。輸送機の内部から運んできた『それ』は如何様な役に立つのだろうか。先行偵察の他に汚染地帯の分析をしなくてはならない。そっと、そおっと、其処らの土を採取したりして成しておくとよろしい。うーん、反応してくれると楽なんですけどね……どれどれ……ん? 私には感染しない……ですって? そんな、いやいや、まさかまさか。きっとセンサーの故障ですね! いやー、まいったなぁー!
 ともかく、天使の保護がお仕事なのだ。
 そろそろ、動き出すといい。

一ノ瀬・エミ
赫夜・リツ

 この子を助けて。
 そう、「助けて」だけでは、なかったのだ。
 ヤケに静かだと思っていたら――嫌な予感と共に――人間災厄の思考へと『それ』は届けられる。想像していた以上の最悪に、想定していた以上の状況に、成程、赤の色はより赫々と閃いてくれるのか。……エミちゃんがいなくなった。あの元気で溌剌としたエミちゃんが、あの素直で優しいエミちゃんが、シュウヤさんにも黙って姿を消すとは思えない。何者かに攫われたのか――或いは、何者かに唆されたのか。ともかく、隅から隅まで、捜し尽くさなければならない。たとえ、自分の身が砕けようとも、やらなければならない。
 数日前、リンドー・スミスとの会話で得た『情報』と謂うものは、感情と謂うものは、如何しても拭える筈のないものであった。そこに、ひとつでも刺激を加えられて終ったのならば、ああ、居ても立っても居られない。……SNSで、知らない人からDMがきた。その内容は――まだ、天使は救われていないと。まだ、救われていない天使は無数にいる、と。そういう『教唆』をするかのような文面であった。そして、次の行にこそ、恐ろしいものがのたくっていたのだが――今にも心臓が凍ってしまいそうな為、考えないようにしておく。いや、考えなければならない。何度も何度も何度も、反芻をして、嘔気にやられる。
 あの時みたいに、あの、地獄みたいに。優しい人たちが、みんなが、死ぬのは嫌。嫌だと思った瞬間に、助けたいと心の底から思った刹那に、誰かに背中を押されて……。嗚呼、此処は何処なのかと自分に問いかけるよりも前に『答え』はでた。きっと、ヨーロッパだ。天使は確か『ヨーロッパ』で見かける事が多いのだと、シュウ兄から聞いたような気がする。もしかしなくても……ここに、天使が? きょろきょろと、視線をさまよわせていたところに何者かの遠吠え。いや、ワッフル君だ。地を這う獣が何かしらを見つけたようだ。まるで花を咲かせようとする君。……行ってみよう。行かなくちゃ、ダメなんだ。
 天使だ。天使が横たわっている。ナイフのようなもので、繰り返し、繰り返し、自傷をしていた様子だ。あの……私の声、聞こえていますか? お名前は……それと、住んでいる場所を教えてください……! 自分の服を破いて応急処置を行う。だけれども、こんなにも血を失ってしまったら、銀色に染まっていたら、助かる術なんて……。このままだと、この子……。脳裡に粘ついた光景――殺されたみんなの笑顔――今にも汚れてしまいそうな写真。……はぁ……はぁ……っ……。手にしたスマートフォン。身体が震えて、手が震えて、画面を操作する事も難しい。あの行が、文章が、恐怖を増幅させてきて、たまらない。
 何を……何を躊躇ってるの。
 しっかりしろ、私!
 リツ君に連絡して事情を話さないと!
 お願い……お願い……!
 予感は確信に変わった。震えるスマートフォンを操作しながら、エミちゃんの行方を把握する。エミちゃんは……そう、この間行ったヨーロッパの何処かにいる。それは、マズいどころの騒ぎじゃない。思い出したのはシュウヤさんの顔だ。いつになく、曇っていた、シュウヤさんの……。可能な限りの予防策を準備して行かなければならない。追いつくのか。違う。即座に参上をしなければならない。エミちゃん、僕に『助けて』って言ってくれないかな。言ってくれた。口にしてくれた。故に、√能力はその効果を発揮する。世界の枠を、距離の概念すらも超越した――英雄的なまでの跳躍であった。
 天使を|抱えている《●●●●●》エミちゃん。如何やら応急処置だけは『完了』をしているらしい。されど、この傷と出血……簡易的なものでは死を『遅らせる』事しかできない。だが、故にこそ間に合ったのだ。蝶々は燃えるように踊り、天使の傷を確実に癒していく。エミちゃん……ちょっと、痛いかもしれないけど、我慢して。ギョロ君に『天使の体液』だけを吸ってもらう。吸って、吸って、吸い尽くせば……同化する前であれば、何も起きない|かも《●●》しれない。エミちゃん……何があったの。くらくら、頭を左右に揺らしている人間……|まだ《●●》、人間……がスマートフォンの画面を差し出した。これ……は……。

 一ノ瀬エミ君
 君はまたあの時のように守られてばかりでいる気か?
 思い出せないなら、思い出させてあげよう。

 名前だ。名前が並んでいる。その名前は一ノ瀬・エミにとって、生涯、忘れられないものだ。写真に写っているたくさんの笑顔……虐殺事件の犠牲者、彼等、彼女等……。笑顔を決して崩さない、前を向いて歩いている。そんな女の人が……女の子が、隠そうとするものは、何か。……辛かったね。僕とギョロ君とワッフル君が側にいるから、もう、大丈夫だよ。
 痛痒からは逃れられない。
 献身をしなくてはならない。

花喰・小鳥

 鳥籠の中のオマエは脱出の機会を狙おうとはしない。
 あなたは死んだ。私を置いて、死んでしまった。
 隠された右目こそが小鳥なのではないか、そんな、言の葉を掛けてしまいたくなるほどに、美しい。金色のヴェールより覗かせた、真っ赤な、真っ赤な、宝石は如何様な事実を転がそうと瞬くのか。……自分はどうなってもいいと、そういうことなのでしょう。夢ばかりを見ているオコサマだ。御伽噺に狂わされたオコサマだ。ユリカゴの味を忘れる事すらもできない、長い、永い、幼年期だ。煙草に火を点けた女は、肺臓に『悪いもの』を溜め込む。ゆっくりと、ゆっくりと、紫煙を漂わせながら足を進める。かつての私は『そう』だった。そのような、綺麗な『もの』だった。けれども、いまの私は真逆の存在と謂ってもいい。そうとも、女、人間だった頃のオマエもだが、災厄と認定されてしまったオマエも艶めかしい。とはいえ……自分が善ではないと、無私の心を持てないと、突きつけられるのはショックです。害はない。何もない。汚染されようとも、既に、罪に侵されているのだから、隙間がない。事実、オマエは自らに忠実で、欲望や願望の奴隷なのだ。優しく見えても、善意の根拠が存在するわけではない。……天使は、こちらですか。
 √汎神解剖機関……この世界において『善の匂い』など、あまりにも異質だ。新物質として活用出来るのではないか、と、考えられても仕方がない。隠しようもないでしょう。何を啜るのかと謂えば、何を食むのかと謂えば、精気だ。まるでサキュバス、まるで|化け物《カーミラ》――花を散らすだけの小鳥が一羽。
 あなたの血は関係ありません。動けますか?
 動けない。天使は見惚れているのか、眩んでいるのか。
 無意味、無駄、ナンセンス。瀉血への否定とは、こうも、残酷なものであったのか。あっさりとした告げ口が改めての絶望をすりこむ。じゃあ、村の皆は……元に……。ええ、戻りません。正確には、今は、でしょうか。肩を貸した。力のない、途轍もなく、軽い……。

第2章 ボス戦 『アイオーン』


 |知識《ダアト》――√汎神解剖機関における、最も強力な武器。
 それの為ならば、武器の為ならば、人間の心など、塵の価値もない。
 成程……オレの予想していた通り、接触、と謂うものは病の亢進の鍵と謂えるか。これは実に『良い』実験の結果だ。これなら、無私の心を有する人間を集め、オルガノン・セラフィムや天使を『量産』する事も可能だろう。おっと、失礼。名乗るとしようか。
 神のように――王のように――坐している老獪。ぱちんと、指を鳴らした瞬間、背後に黒い『穴』が出現する。すると如何か。天使を追っていたオルガノン・セラフィムの群れが一体も残さず――吸い込まれたではないか。
 ……あ……あ……なんで……みんな……!
 天使の弱々しい声がこぼれた。
 オレは――どの機関にも属していない、中立すらもしていない、只の、男だ。いや、あえて名乗るとするなら『アイオーン』か。この世界の何もかもが偽りならば、オレこそ、それに相応しい。さて……少しだけ、遊んでいこうではないか。
 出来損ないも、天使も、オレが貰ってやる。
レティア・カエリナ

 ゲーム感覚ではあった。
 ただし、ミスは一度として赦されない。
 遥か彼方――上空。|鹵獲兵器《ウォーゾーン》の内部、取り敢えず、オマエは隠れる事を選択した。迷彩による溶け込みが果たして有効なのか、否か、そんな事を気にしている場合ではない。あれって……科学の力が通用するタイプなんでしょうか……? シンプルな疑問だ。おそらく、過程の類をすっ飛ばして『力』を揮うタイプの、ひどく面倒な超常の輩に違いない。うーん……どうしましょう? 私との相性もですし、仮に、相性が良かったとしても、とっても強そうです。通常のお給料の範囲内じゃない気がします。特別手当……も、たんまり貰わないと、倍は貰わないと、ダメな気もします。ごそごそ、くつろぎセットを漁ったオマエ、此処に来て重大とやらに晒された。お菓子がないのだ。……仕方がありません。此処は、ちょっかいを出して、逃げ回るとしましょう。ヒット&アウェイ、そういうもの。
 獣を攪乱するべく、動き回る獣。
 えーっと……。何処を狙うのが正解だろうか。人型……つまり、本体を直接燃やして終おうか。いや、先程の『穴』を見た限りでは、そう簡単に焼死してはくれないだろう。なら……あの椅子を燃やしてみますか。それこそ、カチカチ山みたいに……。放たれた赤外線レーザー。傲慢な『座』の後ろとやらを、じっくり、じっくり、じゅうじゅうと……。
 ……あれ? 気付いていないのか、或いは、気付いているけれども、泳がせているのか。兎も角、尻に火が付いても、立ち上がろうともしない。もう少し焼いてみましょう。じゅうじゅう、じゅうじゅう、香ばしい肉の音――それで、オレを焼肉にしようとする、愉快な女とも踊る事にしようか――バレている。性別までも、お見通しとは。男の重い腰がようやく空気に触れた。
 遁走だ――真正面からぶつかって、押し切れる相手ではない。
 オマエの役割は囮なのだ。
 何処までも、何処までも、旋回をする鳥のように。

物部・武正

 最優先なのは天使の安全だ。
 別に、敵を倒す必要などない。
 人類の本質とは悪である。この言葉を体現したかのような沙汰に、慾に呑まれた男の所業に、嗚呼、チャラチャラとしたオマエは如何様な反応をするのか。ちょいちょいちょ~い、オジサマオジサマ。スン、とした顔でのツッコミだ。幾らオマエがチャラくても、このような老獪を見せられたなら、サングラスの裏側だってギラギラとしてしまう。それはさすがに人の心なくな~い? 外星体もドン引きよ? ……オレの目に狂いはないようだ。やはり、貴様もオレの『蒐集物』として相応しい。ちょい待ちオジサマ、オレだってね、NO言う権利くらいあると思うんよ。もちろん、天使さんも。触らぬ神に祟りなしとは言うけれども、何方も『神』だった場合は、さて、何処に向かうのか。ぶわりと、|黒い穴《ブラックホール》が出現し外星体を吸い込もうと――しっかし、まァ……よりにもよって。
 外星体チヤラヲの力、その本質は『宙』である。故に、模倣した程度のものでは、贋作程度の超常では吸収する事など出来やしない。宇宙は|外星体《オレ》の|地元《ホーム》だぜ。異形な奴らはだいたい友達。円錐形から菌類まで、果ては七色のまん丸だってそう。でもオレってば、ただのチャラ男だしぃ? 非力だしぃ? ってワケで……。宙へと掲げた右掌、|終焉《ビッグリップ》への導きだ。ほう……オレと似たような力を揮うか、貴様。ブラックホールはバラバラだ。√能力は最早なく、あとは純粋な――。
 これでお揃い、仲良しこよしの非力同士。
 素敵なお誘いに感謝しよう。オレは『こっち』の方が得意でね。
 ……マッ???
 タイマンだ。接近戦だ。斧で脳天をカチ割――は、流石に無理だろうか。されど、隙を作って天使を逃がす事くらいは容易い。偉そうに助けた天使さんまで持っていかれたらダセーし、カッコつけてカラダくらいは張りますよ。あと、オレには奥の手ってやつがあるからね~。不意にやってきた怪現象。簒奪者の身体が重たくなる。それじゃあオジサマ、オレは善のチャラ男なんで、しくよろ~。天使を抱えて離脱せよ。

花喰・小鳥

 頭がおかしくなりそうだ。
 どうにかなってしまいそうだ。
 甘い蜜には毒しかない。
 丸っこい獣の顎が――大きなお口が――悪夢を好む偏食なので在れば、嗚呼、オマエはおそらく『雑食』の類なのだろう。相手が善であれ、悪であれ、蝕むオマエは災厄極めていた。大仰な名前です。それは、真実なのでしょうか。それとも、噓吐きさんなのでしょうか。アイオーン。時代や神を意味する、グノーシスからの言の葉。目の前の男が、威圧感を放つ簒奪者が、正気で口にしているのであれば、それは『羅紗の魔術塔』云々と騒いでいる場合ではない。いや、目の前の男は「ひとり」で怪異の蒐集を行っているとも断言していた。ならば、組織に入らずとも蓄えられる、逸脱とした力だけは本物であると思うべきか。……とりあえず、遊んでくれると言うのなら。遠慮は無用、慈悲も無用。天地無用とも記さずに、不意を打つかの如く――告死鳥を叩き込む。……危ないお嬢さんだ。いや、何方かと謂えば、おそろしい女と表現した方が良さそうだが。受け止めようとした簒奪者は何かを察知したのか身を逸らす。回避された。此処から反撃をされるのだろうか。いいや、たとえ攻撃が中らなくとも――問題などない。ああ、そうだ。無いのだ。無が『ある』とは災厄らしい。
 ちっ……! なんて女だ。オレの蒐集してきた怪異を『無』くしやがった。その余裕が本物かどうか……もう、わかってしまいました。あなたは、私が思っていたよりも、人間らしいのでしょう。羨ましく見えるほどに……。殴られたって、蹴られたって、そんなものは苦にならない。微笑み、誘い――天獄による、袈裟とやらを着せるのか。
 私がいるのに、余所見なんて酷いです。
 酷いのはどっちだ。これだから、人間災厄は……。
 寂しくて、寂しくて、口までも寂しい。簒奪者の|生命力《エネルギー》を啜りながら天使を庇ってみる。摂取した興奮に躰を委ねたならば、熱を帯びて、はらむ妖艶さ。……おそろしいを越えておぞましい。オレは、貴様のようなものと遊んでいる暇など……。
 ただの女ですから。何も、こわがる必要は、ありません。

四之宮・榴

 気持ちの悪さが重なっている。
 不可視の友からの贈り物であった。
 頭が痛いと――如何、返答をしようかと――悩んでいたら、種とやらの悉くが失くなった。オマエの目の前で、天使の目の前で、オルガノン・セラフィムの群れが消失して終ったのだ。より正確に描写をするならば、目の前の男の能力によって蒐集されてしまったのだろうか。……どういう……ことです、か……。理解するのに十秒ほど掛かった。頭を抱えたくなるほどの現実に目を逸らしたくなってしまう。いや、ダメだ。震えている声を糺すのには遅いだろうが、それ以上の醜態だけは晒せない。……わざと……この方は……わざと、助かる可能性も『あった』命で……実験を……! 赦せない。赦してはいけない。これなら、リンドー・スミスと戯れている方がマシである。絶対に、赦してはいけないと、脳髄とやらが訴えた。
 天使を守るべく――唯一残った天使を死守すべく――オマエが成すべき『こと』は囮だった。……僕は、もう、僕に、優しくするつもりは、ありません。たとえ僕が此処で死んでも、天使様さえ、守る事ができれば、僕たちの勝ちです……。確かに、天使を護り抜けば君達の勝利ではある。だが、オレを相手に守りの戦など、そう簡単には出来ないと……? ……わかっています。ですので、これは、意地の張り合いです。僕の脳が焼き切れるか、貴方様が倒れるのが先か。四方八方へと散らばった26の|半身《レギオン》。規則的ではなく不規則的に、バラバラとミサイル発射での撹乱を――。成程、オレの掌『ひとつ』では対処困難な攻撃をしてくるとはな。……疎らに、纏めてなんて、消させません。
 煙に巻かれたかの如くに、もうもうと、簒奪者の如くに嗤う灰色その他。超感覚センサーによる索敵は順調で、此処からはオマエの独壇場に等しい。投げ込まれたタロットは世界の逆位置――貴方様は、自分が『世界』なのだと、驕っているのでしょう……。
 ふふふ……謂ってくれるじゃないか。
 抉り取った脇腹、抱えているのは神なのか、冒涜していたヒトサマか。
 脳髄がヤケに冷えている。嘔気の治りも早い気がした。

ディラン・ヴァルフリート

 竜を屠れるのだ、怪異を屠れるのだ、ならば、偽りの神など……。
 窮極的なまでの善悪、二元論に誑かされたのか。天使も簒奪者もある種の狂信者であり、己の根底とやらからは決して逃れられない。悪性同様、善性の感染する例にも覚えはあります。その程度で新物質が――人類に進化を促すものが――量産できるなら、しない理由はない。……貴様は……成程、定められているのか。運命とやらに縛られているのか。可哀想に。憐みではなく嘲りだ。嘲りのついでに蜜味の不幸。如何やら目の前の簒奪者は悪徳らしく、只、オマエの根源とやらを覗き込もうとしていた。……だとしても。今はその手段を容認できないのが、寛容ではないのが、此方の立場ですから。反吐がのたうっている。汚物が座っている。紛い物にぶつかった紛い物――何処までも、何処までも、罪に喰われたかのように。
 僕のすべきは……そのアイディアを実行するリスクの実例を作り、抑止とする事でしょう。何……? オレの脳髄に、冴えたやり方に、危険性を唱えようと謂うのか? だが、貴様、もしも仮に、オレがリスクを好む馬鹿者で在ったのならば、如何するのか。いいえ、そういった『もの』ではありません。簒奪者の悪名。正道に反する行いは挫かれるという、極めて当たり前な結果です。よろしい、では、乗り越えて魅せろ。
 ブラックホールが出現し、天使諸共、吸い込まんとする。
 其処に展開されたのは『断界絶覇』、悪影響とやらが失せていく。
 つまり、黒い穴による吸引は無くなった。
 貴様ら……何処までも、否定するつもりか。絶望の類は決して、無くならないと謂うのに。冷静さを欠けた者の、悪党の、ヘドロのような言の葉であった。……あなたは、あなた自身が想像しているよりも、遥かに弱いのかもしれません。ええ、力の事ではないのです。あなた、人の痛みがまったく、わからないのでしょう……。解除されたリミッター、出現した絶対悪の『名』は何か。頭が高い――等と、失言はしませんが。沈黙だ。沈黙が『傲慢』の罪を垂れ流している。貴様……オレに対して、その不遜は……!
 まだ、後もつかえている事です。
 あなたには、退場してもらいましょう。
 早く――そして巨大な――強大な、剣の一撃。
 黒い穴を諸共に――邪悪そのものに――屠殺の味を教えてやれ。

一ノ瀬・エミ
赫夜・リツ

 天へと吐いた嗤笑の行方、額に染み込む以外にはない。
 自分のか弱さに――柔らかさに――ほんの僅かに嫌気を覚える。見て、聞いて、理解するまでは脆弱な自分でも可能だけれども、それ以上の『こと』と成った場合、自分は足手纏いなのではないか。脳髄にこびりついた『もの』を、後ろ向きな考え方を、無理やり拭い取って『今』と向き合う。……リツ君とギョロ君が助けに来てくれてほっとしてたのに……。異常や怪奇の類は如何やら、人間の悪意とやらは、オマエのような愛しさを放ってはくれないのか。この間みたいに天使を狙う人が現れて……。嗚呼、胸が苦しい。まるで、肺臓に水が這入り込んで、そのまま破裂したかのような、痛み……。あなたは、セラフィムを吸い込むだけじゃなく、優しい人も天使にして、新物質を得ようと……。玉座の男は――アイオーンは――優しい女の人を見て如何に嗤うのか。ほう……お嬢さん、お嬢さんは如何やら、その資格があるようだね。……それって、如何いう意味……? 気付いていないのかね。それとも、気付いていないフリでも、しているのかい? ……どうしてって、もう、思わないよ。欲しくてたまらないんだよね。そこまでするほど、みんな、我慢できないんだ……。嗚呼、我々は皆、悪徳の奴隷なのだ。お嬢さん、オレに、攫われてはくれないか……? 最悪なお誘いだ。忌々しいほどの老獪だ。……僕を無視しないでほしいな。
 出来損ない――赫夜・リツの精神に突き刺さった、棘よりも鋭利な言の葉。何だかもう……そういう風に言われるのは、良い気分がしないよ。それに……あなたは、実験を『した』と、そう嗤った。無私の心を有する人間を集めて量産って……。そんな男に、簒奪者にオマエの『大切』を攫われてはたまらない。……エミちゃんも天使も渡す気はない。あなたが、たとえ、人類を救う為に動いていたのだとしても、僕はあなたに心を許すつもりはない。簒奪者は神の演技をしている、只の邪悪に過ぎない。
 なあ、おい、リツ! わかってるよな? あの野郎を喰い止めなけりゃ、俺達は処分されちまう。あん? あの女が心配だって? 違ぇよ!!! 嘘吐きだ。わかりやすい嘘だ。ギョロ君はエミちゃんの事を気にかけていたから、あの銀色を吸い取ってくれたんだ。わかってる。僕も。できる限りギョロ君には負担を掛けない戦い方をするよ。……頑張ってくれて、ありがとう。おいおい、そりゃ、あの野郎を片付けてからだ。さっさと仕留めるぜ……!
 踊る剛腕が捉えたのはアイオーンの右|腕《●》である。そのまま、黒刃によって切断を試みるが――。やはり、それを狙ってくるか。ならば、ヤルダバオトを揮わずに、貴様と『戦って』やろう。殴り合いだ。殴り合いならば……敵が傲慢さを見せつけるなら……彼女から、距離を取らせてやるのも容易となった。
 差し出す事は出来ない。私には……そう、リツ君みたいな力はないけど。後ろを向いている暇があるなら、前を向けるだけの気持ちがある。守りたい、守りたい……守ってみせる。ぎゅう、と、天使を抱き寄せて簒奪者の『間合い』から脱していく。大丈夫。ギョロ君が天使の体液を吸って、助けてくれたもの。ギョロ君の頑張りを無駄にしない為にも、私は、もっと、もっと、上手くやれる。みんなで一緒に帰ろうね。
 エミちゃんを――天使を――逃がす事に成功した。やるではないか、オレを相手に此処まで粘るとは……称賛に値する。それは、どうも……! だけど、これでおしまいにするよ。オマエが最後に選択したのは目潰しである。顔面を殴る際に――極めて細い――異形の腕の『針』――『一』を描くか。ギャハハ! リツ! お仕置きする側ってのも悪くねぇなァ! もう少しだ。もう少しで、安全を確保できる筈だ。

アーシャ・ヴァリアント

 ……お嬢さんも十分、此方側ではないかね。
 爪の威力は見ての通り、断面がハッキリとわかる。
 ぽかん――と、開いた口が塞がらない。脈絡もなく、前置きもなく、何もかもを掻っ攫った男に対して『おもう』事は只のひとつ。つまりは、まったく腹立たしい事この上ない、だ。いきなり現れて何いってんのコイツ。何があえて名乗るとするならアイオーンか、よ。どう見てもいい歳したオッサンのくせに、どう見ても不愉快なオッサンのクセに、まだ中二病患ってんの? アーシャ・ヴァリアントの攻撃は……いや、口撃は、少なからずとも効果的ではあったらしい。アイオーンを名乗った男はひくりと、身体を動かす。……お嬢さん、随分な事を謂ってくれるね。確かに、オレはオレの事しか考えていないけれども、しかし、男子は幾つになっても『こういう』ものさ。……可哀想に。もう不治の病ってやつね。それは治しようがないわ。不治の病に留まらない。死んだとしても、巡ったとしても、この真っ黒い頁は憑いて廻るだろう。何もかも偽りなら、アンタって存在も偽りで、何も存在しないでしょうに。……偽りが『存在している』なんて、言い訳は赦してくれるかな、お嬢さん。面倒臭いオッサン。そんな事もわからない可哀想なアンタには現実を教えてやるわ、痛みってわかりやすい『証拠』でね。……存在しているからこその痛みではないのかね。……ああ言えばこう言う……!
 挑発をしたのだ。煽りに煽ってやったのだ。乗ってこないという選択肢はありえない。|偽神《デミウルゴス》の戯言を本気にして|簒奪者《アイオーン》が吶喊してくる。まるで猪だ。猪突猛進だ。速度と力は超常の『それ』では有ったのだが、その程度ではドラゴンプロトコルを倒す事など出来ない。アンタが何をしようと、悪巧みしようと、アタシの目が赤い内は――夢のまた夢なのよ、わかる? 竜が『偽り』を受け止め、その状態からの|反撃《斬》とすべきか。人の肉の柔らかさは理解している。腕のふたつ程度、赤子の手をひねるくらいには容易い。うーん、オッサンの肉は硬いわ、やっぱり牛が良いわね。
 吐息によるバーベキューは残念な結果に終わった。
 傷を癒す為の食料としては十分だが、味に関しては下の下である。
 せめて、完食してくれると嬉しいね。

ハコ・オーステナイト

 絶叫するパイプオルガン、言葉も交わさず、しかめっ面で。
 |錆びたナイフ《レクタングル・モノリス》の鋭利さ、此処に証明される。
 箱庭の中の毒虫の末路――数多の『死』の上に立っていた――二人の姿は最早ない。只、冷えていた脳髄だけが、愛の情など知りもせず、与えられもせず、されど懐かしく思ったのは何故なのか。いや、今更……そのような事を、あのような沙汰を、根絶やしを、患うかのように想像したところで意味などない。ないのだ。只管に、無い、のだ。だと謂うのに――何者かの言の葉が箱の隅を突いて、小突いて、鬱陶しい。力を付けた暗殺者一族を滅せよ。仕事は完遂されなかった。つまりは遁走、されど運命の導きとやらには抗えない。
 玉座の男は――偽りの神を冠する簒奪者は――アイオーンは『それ』を認めた。視認をした瞬間に今までの余裕を、傲慢な態度を『改めて』みせた。お嬢さん……まさか、このタイミングで遭遇するとは、お互いに、運の悪い……。溜息を吐いた老獪は舐るようにオマエ、箱らしき物質を睨めつけるのか。アイオーン……。怪異を追っていれば、災厄を追っていれば、いつかは、こんな日が来るとは思っていました。覚えていますか? ハコです。記憶している。記憶していないと宣うなど、まったく、冗談でも吐けやしない。あの時の無様は、あの時の悔しさは、簒奪者の心の内で蠢いているようだ。……お嬢さん。お嬢さんを仕留め損ねた時から、オレはオレなりに怪異を蒐集してきた。オレに油断や傲慢などないと、お嬢さんを侮る心などないと、ここに誓っておく事にしよう。……そうですか。これは『私怨』だ。愛情の欠片すらも貰えなかったけれども、求めてもいなかったけれども、仇ではあるのだ。ああ、伽藍洞。伽藍洞になった、伽藍洞にされた頭蓋の内を埋める為にも――家族の為にも。召喚されたモノリスが形態を変化させ、戦いの合図とする。銃口だ。銃口が|簒奪者《アイオーン》へと向けられた。
 あなたの力は直に戦ったハコが一番解っています。当時は届きませんでしたが、今なら、たとえ相手が『神』だとしても……!
 怪異の力を――|収束させた黒い穴《ブラックホール》を――偽神を――鉛玉の絨毯で削っていく。やはり……オレは、此処で決着をつけねばならないのか。お嬢さん、今から、オレは『オレの有している怪異の全て』を吐き出し、お嬢さんを殺すと宣言しよう。運命だ。そういう『運命』だ。ならば……その運命ですら、肉片としてしまえ。
 前へ――徐々に、徐々に、前へ――悉くを打ち砕きながら、|簒奪者《アイオーン》へと接近せよ。……ちっ! いい加減にしてくれよ。きみ、オレが時間をかけて集めたコレクションを、こうも容易く……! 暗殺者は表情豊かであってはならない。だと謂うのに、この、殺意に塗れた面構えは――オマエを『ハコ』に戻す為の、唯一の糸ではないのか。上等だ。お嬢さん、オレと勝負がしたいんだろ? だったら、死ぬ覚悟でかかってきやがれ……!
 ハコは必ず……必ず、仕留めます。
 ハコは、この日の為に……お父さん……お母さん……!
 撲られたのなら、斬り返す。蹴られたのなら、斬り返す。斬り返したのなら、皮膚を捲るようにして、切り裂いてやる。全てだ。己の全てを犠牲にして、確実に、目の前の『敵』を殺す。ぼろりと、眼球がこぼれたところで――ようやく、致命に届いた。
 くそっ……オレが……こんな場所で……だが……。
 オレは|オレ《●●》を完遂できた。きみはどうかな、ハコ・オーステナイト……。
 アイオーンは最期まで老獪だった。
 老獪で、何よりも、愉しんでいた。
 ……ハコ、は、やりました、よ。
 あの時のように、意識が薄れていく。

第3章 ボス戦 『羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』』


 奴隷化した|出来損ない《オルガノン・セラフィム》が一体も残っていない。この異常事態に気付いた『羅紗の魔術士』は困惑を隠せない様子であった。あの数を一瞬で『消した』のだ。かなりの強者がこの地に『いる』のだろうと、勘繰っていたのだが――如何やら、状況は転々としているようだ。いや、もっとシンプルになったと描写せねばならない。
 まさか――あのような男を、神を名乗っていた男を、倒してしまうとは。ならば、私も最初から全力で行くとしよう。天使の『捕獲』はあなた達を倒してからでも遅くはない。……一応、私も名乗っておこうか。私はアマランス・フューリー、羅紗の魔術塔に所属している、ひとりの女だ。さて……|新物質《ニューパワー》の取り合いをしようではないか。
 天使を此処で奪われるわけにはいかない。
 たとえ、頭部が破裂しようとも、護り抜くのだ。
四之宮・榴

 抉れるようにして撹拌をせよ、記憶は最早、ガラクタのように。
 残された影を喰う、泡のように溶けた。
 無神経かつ冷酷で在れ――魔術を扱うならば、そうで『在れ』――育まれたのは肉か心か。頭蓋の内の物質に邪悪を注入されたとしても、しかし、魔術士の本性は変わらない。つまりは、他人からはまったく、欠片として正体を暴けないと謂う事だ。……奪う? 簒奪する? もう、その科白は、聞き飽きました。聞き飽きたとしても、辟易したとしても、羅紗の魔術塔の『彼女』はそうやって『宣告』する以外に道はない。確かに。あなたの謂う通りに『簒奪』などと、口にしたって今更。しかし、馬鹿正直に『私』を晒したのだ。少しくらい、あの老獪のように格好をつけたって良いだろう。眩暈がした。きっと|半身《レギオン》を揮った後遺症の類に違いない。……僕は貴方様を、あと、何度倒せば……。お互い様ではないか。戦争ではないか。両陣営、正義とやらが味方に憑いているのではないか。溜息を吐きたいのは私の方だ。ともかく、邪魔者を片付けてしまえば、残るのは追いかけっこだけなのだろう……? 無理です。もう、早々にお帰りを。珍しいほどに冷えていた。冷えているほどにムカムカしていた。僕は、今、虫の居所が悪いので……速やかな帰還を、お手伝いしますよ? ……なんだ、その顔は。感情を何処かに落としてしまったのか?
 天蓋が――宙が――オマエの代わりに滂沱をしていた。人類同士の争いに、能力者同士の衝突に、見えない怪物の群れが雄叫びをした。……ええ、貴方様を、帰すくらいであれば、今の僕にだって、できますので。瞑想なんてさせない、と、羅紗を蠕動させる事など赦さない、と、白鯨からの|雨《なみだ》を此処に。……邪悪でないなら『何をしても良い』と宣うのか? これだから、この世界は美しさを失くしたのだ……。たとえばアカシック・レコード、羅紗が『そう』なのだとしたら、おそらく、己の破滅も載っているに違いない。それは、如何いう、意味でしょうか。美しい世界を、望んでいると、そのような嘘を……。女教皇は何を想う。既に、ひっくり返っていると謂うのに。
 餌になってくださいませ。
 捕食者は深海より現れ――哀れな雑魚へと祈ってくれるのか。

物部・武正

 闇色の渦へと身投げをせよ、お気に入りのベッドと共に。
 紳士的な対応を求められる。ある意味、チャラい男にとっては聳え立つ壁よりも恐ろしいか。いや、むしろ、チャラチャラとしているが故に、その無敵性とやらを証明する『良い』機会なのかもしれない。これはこれは、ご丁寧にドーモ。オレは名乗るほどのチャラ男ではありませんよ、レディー。想像をしていたよりも、想定していたよりも、お辞儀の真似事が得意なのではないか。しかし、相手は簒奪者である。視線はちゃんと『あちらさん』へと向いている。てなワケで帰らせてもらいまーす。ずるずる、ずるずる、棺桶を引き摺ろうとしたところで『待った』だ。……軽薄な男に見えるが、しかし、私を油断させる作戦なのだろう。ならば、その企て、真っ向から叩き潰す……。こっわ。え? オレのことそんなふうに思っちゃってんの? マ? そいつは残念。いっそデートでもしてくれたなら良かったのに。簒奪者でなければ、アマランス・フューリー、魅力的な女ではある。
 深淵――アクロが云々――光輝を帯びた文字列、如何様な効果を孕むのか。頭爆発なんかしたら、オキニのサングラス割れちゃうジャーン。ヤダヤダ、まだまだピカピカなの。ふざけた科白を散らかしてはいるのだが、チャラ男のイメージは決して崩れないが、その動きは正体不明めいていた。当たらなければ、なんとやら。やられる前に、なんとやら。深淵に対抗するならば、嗚呼、宇宙。羅紗の程度にも依るだろうが、今回は、成程――魔術士の準備不足が祟ったのか。レディー、オレはアンタが考えているよりも、強いんだぜ。瞬間、見え隠れした|外星体《チヤラヲ》の特徴。気の所為だろうか、或いは……。
 悲鳴が聞こえる。何処からかと問われれば|棺桶の中《●●●●》。箱入り天使は予想していなかった|挙動《うご》きの所為でたっぷりと目を回していた。あー、ごめんちゃい。謝罪ついでに魔術士の頭部を砕け。爆発なんて流行らねーじゃん。時代はやっぱスイカ割りだぜ、レディー。眩んでいるのは誰だったのか。
 天使さんのお友達は、もういない。もう、ここには守るモノがないワケだし、天使さんさえ守り抜けば――まァ、負けではないよね。オレは多くは望まないタイプのチャラ男だし、破滅なんかしたくねーので。脳漿拭うよりも素早く撤退だ。再生していく魔術士、最早、追いかける相手すらも失くしたのか。あとは地球の子同士ってコトで~……?
 いやホントに地球の子?
 こわ、なにあれ。

アーシャ・ヴァリアント

 病的なまでに執着をしている。
 団栗の背比べに近しい。
 ある種の黒さを突破して――面倒臭い野郎を撃破して――ようやく、本命様のご登場だ。中二病なオッサンもだけど、アンタも、そっち側の人間ってわけ? 神よりかは魔女の方がマシなのかもしんないけど。……っていうか随分と扇情的な格好だけど、何? 誘ってんの? 煽っているのはオマエの方ではないか、と、挑発しているのはオマエの方ではないか、と、アマランス・フューリーは溜息を吐いてみせた。これは魔力を可能な限り『保たせる』為の装い、まさか、私が、あの男のような傲慢だと……? まぁ、普段引き籠ってるなら溜まってても仕方ないかもね、それじゃたっぷり運動して発散しましょうかっ。ひどく強引な流れだ。しかし、魔術士はオマエとの勝負に『乗る』つもりはないらしい。私は冷静さを失ったりはしない。たとえ、外見や内面を罵られようと、私は決して、任務を疎かにはしない。出現した奴隷怪異は死の気配と共に――覗くかのように。融合をしようと迫ってきた。
 態々呼び出してもらって悪いけど、そんなもんとひとつになりたくないし、邪魔だから消させてもらうわっ。ああ、一緒になるなら、融合して終うなら、義妹と以外にはありえない。ふわりと這い寄ってきたイメージにやられつつ、右の掌を|差し出して《●●●●●》魅せた。良い? アンタが何を望んでるのかはしらないけど、能力に頼っている時点で『勝ち』はないの。わかる? ……これは……ッ。今度は此方が迫り、攻め込む番だ。竜の爪は万物に届き、その鋭利さは神だろうと魔術士だろうと、平等にしてしまう。
 良い感じに血化粧になったじゃない、白い肌に赤がよく似合ってるわ。
 つう、と、爪によって舐られた果実。
 そういえば……そこの天使の出血、止めてやらなきゃいけなかったのよね。これ以上痛い目に遭いたくなかったら……死にたくなかったら、帰んなさい。帰らない……? そうよね。アンタ達は莫迦みたいに強情なんだから。
 ズタズタにされた雑巾、垂れているのは腸だろうか。

花喰・小鳥

 死霊だろうと、生き物だろうと、女の前では塵に等しい。
 霞を食んでも満たされないが、満たされなくとも、齧れはするのだ。
 磔刑とせよ。
 プロのサキュバスに――プロのインキュバスに――情けや容赦を期待してはいけないと、魔術士は学ばなかったのか。神を名乗っていた男の混迷に如何して気付けもしなかったのか。|新物質《ニューパワー》の取り合いだなんて、天使の奪い合いだなんて、期待外れの科白です。ふわりと、もうもうと、紫煙を散らかしながら、私怨に塗れている『それ』を見定める。まるで真実を――真理を探究する、ある種の愚者への手向けめいて、熱は感染してしまうのか。私は戦闘狂ではないし、今でも、彼女が退いてくれたらとは、考えているけれども――嗚呼、駄目そうだ。火照った身体が、茹だる脳が、さらなる刺激を欲している。命の取り合いをしましょう。何方かが息絶えるまで、吐息の交換をしましょう。嗚々、眩暈。恍惚に似た『もの』が臓腑を撹拌してきてたまらないのか。……良いだろう。私に挑むと謂うのであれば、相応の覚悟を持っていると見た。
 たとえば、あなたが神よりも強烈だったとして、それは言の葉による幻想にすぎない。たとえば、あなたが怪異の主人だったとして、それは力による呪縛にすぎない。でしたら……変化をしてしまった、狂わされてしまった、そんな私の『敵』ではないのでしょう。領域は最早『無』ですらなく、只、夢と現の狭間とやらが垂れ流しの状態になっていく。どうしました? 動きが鈍くなっています。それに、なんだか顔色も悪いようで……。誰の所為だと、何者の仕業なのだと、アマランス・フューリーは頭を抱えた。……何故。何故、如何して、目が離せない……? 赫々としたキャンディは甘くないと謂うのに、甘いものに思えて、度し難いのだ。右の瞳のファム・ファタール、傾いていく、堕ちていく。
 次はあなたの味を教えてください。
 喰らえ、喰らえ、怪異は愈々、前菜だ。
 メインディッシュを喰らう為にも、際限なく。
 ――花が散り逝くまで。

ディラン・ヴァルフリート

 罪には罰を。和らげる術がなくとも、子守唄くらいは。
 羅紗の魔術塔――その正体は未だに不明であり、おそらく、連邦怪異収容局とは『また』違った意味での脅威と、驚異と考えられよう。もしも、名前の通りの組織なのであればアカシック・レコードめいた『蒐集』を目的としているに違いない。いや、勿論、この予想は『想像』の域を越える事などないのだが。……魔術塔の簒奪者を討つのは……二度目ですね。オマエの発言に対して、オマエの態度に対して、アマランス・フューリーは怪訝そうな顔で返した。何故、そのような科白を? 既に、あなたの中では、私は倒された存在なのだろうか。いえ、僕は貴女とは別の『魔術師』を討つ機会に恵まれましたので、あなたも、倒せるだろうかと、そう思っただけです。名乗りは返すべきでしょうか? 僕は……ディラン。ディラン・ヴァルフリート。あなたに敵対している者です。……紳士的なところが、礼儀を知っているところが、余計に、忌々しく思えてならない。あなたは、もしかして私『も』蹂躙するつもりなのか。この一言に隠された真意は情報の共有である。成程、呪いは『七つ』程度では終わらないと、そう、告げているのだろうか。
 おどる羅紗の目的は天使の捕獲だ。能力者を排除してから『ゆっくり』云々とアマランス・フューリーは口にしたが、それは、意識を誘導する為の企てに過ぎない。……魔術士ではなく詐欺師をしていた方が、お似合いなのではないですか? 飛翔する剣によって『布』を裁つ。縫い合わせる糸すらも赦さずに破壊の炎めいて、嗤うかの如くに。仕方がない。私の怪異が何処まで通用するのか、やってみるとしよう。死霊どもの誘いが齎すのは喪失であれ。
 ……人の慾に際限はありません。それは|怪異《●●》で在ろうとも、同じ事です。もっと言えば、あなたの操る怪異たちは|奴隷《●●》なのでしょう。奴隷ならば、底辺へと落とされた『もの』であれば、必死に『好機』を窺っていた筈だ。ならば、ほんの少しだけ背中を押してやれば――あとは、武器を持たせてやる程度。一気に爆発する事だろう。……もう、斬りました。僕が、斬ってしまいました。その魔術はもう自死への誘いに他なりません。暴走する怪異に囲まれ、呑まれ、黒い穴へと消えて行く傲慢が如くに。
 ……私の魔術に、羅紗の魔術に、干渉してくるとは。
 混沌め……無秩序め……。
 帰路は……天使も疲弊しているでしょうし……。寝ていた方が良いでしょう。先程の棺桶の件もありますし、それに……今は、思考をしない方が健全かと。自分を責める必要はないのです。いえ……僕が、精神を癒せない、只、それだけの今ではありますが。

一ノ瀬・エミ
赫夜・リツ

 ゆるやかな時間にありついて、お互いを思いやる。
 そんな、当たり前を幻想とする世界に価値はあるのだろうか。
 ドクン、ドクン、脈打っていた。指先から伝わったぬくもりなのか、或いは、響くような頭痛なのか。何方にしても大丈夫だ。何方ともだとしても大丈夫なのだ。リツ君とギョロ君が戦ってくれてる。ワッフル君だって、私の側にいて、守ってくれてる。ほんとに、本当に、心の底から――みんながいてくれてよかった。たとえ世界が美しくなくたって、たとえ何もかもが絶望的な状況だったとしても、そう、大丈夫。きっとみんなで……私たち、みんなで……この窮地を乗り越えられるはず。ううん、乗り越えられる。その瞳には確信が宿っていた。その脳髄には優しさが籠っていた。さっきと同じように……ゆっくりと、慎重に、目立たないように。天使と一緒に、只、後ろへと……。息を殺してしまえ。
 エミちゃんが――強くて優しいあの人が――天使の『ケア』をしてくれている。ならば、オマエは先程まで以上に、異常に対しての『囮』にならなくてはいけない。今度こそアマランス・フューリーに、羅紗の魔術士に、出会えたね。勿論、これは最悪のケースである。最悪ではあるのだが、予想できる程度の最悪だ。全力で奪いに来るなら……殺しにくるなら。ギャハハ! ようやく本命のご登場だ! なんとか武蔵気取りも此処までくると滑稽じゃねぇかよ! ギョロ君が『挑発』してくれた。レモンの汁気がなければおそらく、このままお喋りしてくれるだろう。なら……エミちゃんに近づかせない、気づかせない、騒々しさは丁度いい。……主人よりもお喋りな異形とは、変わったものだ。それも奴隷として持ち帰っても構わないか? 奴隷……あなたは、怪異を奴隷としか見ていないんだね。悲しいものだ。いや、きっとエミちゃんが特別なだけなのかもしれない。
 ぐったりとしている、目を回している、天使がひとり。大丈夫……じゃ、ないよね。あんなに血を流していたし、それに、棺桶の中で振り回されてたんだし。体温は……正常だろうか。……ちょっと冷たいね。ゆっくりと、じんわりと、その手をさすったり握ったりする。もう、大丈夫だよ。私が……私たちが、全部、全部、解決しちゃうから。いつも通りの笑顔で、いつも通りの振る舞いで、安心感を齎してやると宜しい。
 身体が金属に変わったとしても、翼が生えたとしても、あなた達は何も感じなくなったわけじゃない。オマエは一人の職員としてではなく、人として、接する事に決めたのだ。温かさも冷たさも、苦しみも喜びも、しっかりとわかるし……だから、心だって、あたたかさに溢れている。ぎゅう、と、抱きしめた。わかりやすく、囁くようにして。
 やはり――能力者を相手にするのは面倒だ。まさか、私の羅紗を、魔術を、拒絶するとは。輝く文字列が世界の歪みによってはじけ、何処かへと失せていく。お返しのように掲げられた異形の腕、ギョロ君はいったい何を謂うのか。これだから魔術ってのはなァ! まったく! 喰えたもんじゃねぇ! 喰えない奴ってのはテメェの事じゃあねぇのかよ! 魔術士の完璧と思われた精神に罅が入る。それはお互い様だな、お喋りなアーティファクト……! 前へ。文字が途切れたのだから、此処が最大の好機だ。急げ、急げ、あの男へのお仕置きめいて、この女にも致命な『沙汰』を……!
 数秒後かもしれない。数分後かもしれない。アイオーンみたいに、あの男みたいに、エミちゃんの存在に興味を持つかもしれない。そうなったら最悪だ。天使は勿論だけれど、エミちゃんも捕獲の対象になってしまうかもしれない。させるものか。……随分と焦っているな、人間災厄……そうか。あの女、可能性を孕んでいると謂う事か。……させないよ。ぶん殴る。ぶん殴ったついでに、眼球を狙う。引かない。退かない。たとえ、身体が泥濘となっても、此処から先は行かせない。……その深紅、覚悟をしている生物の目だ、嫌いではない。
 天使だとか、人間だとか、僕はそんなの気にしない。
 守りたいから守る、それだけだよ。
 なら――その理想と共に、滅びてしまうといい。
 赫々とした腕、その連撃によってアマランス・フューリーは地に落ちた。しかし、まだ、完全には斃せていないようだ。天使を保護するのには十分な時間は得たと謂えよう。リツ君! ギョロ君! 機関の方には連絡入れておいたから、あとは、帰るだけだよ。天使の子は……うん、少し休めば、回復すると思う。
 私たちには、それだけで十分だよ。
 あなたたちのような存在こそ、世界に広がってほしい。
 優しい気持ちを……心を……忘れない世界になるといいね。

レティア・カエリナ

 閃光――理解した時には死んでいる。
 天使の救出には――保護には既に成功している。あとはゆっくりと帰還をするだけか。されど羅紗の魔術塔の『彼女』は生きているらしく、ボロ布のような有り様を、無様を、晒す破目となったのか。……出来損ないも、天使も、ひとつも手に入れる事ができなかった。しかし、今から肉体を再生すれば、もしかしたら間に合うか……。藁にも縋る思いだった。猫の手も借りたい思いだった。しかし、アマランス・フューリーの思いは欠片として届かず、やはり因果応報は有ったのである。……あれ? なんか結構弱ってない? 召喚は厄介だけど、本体はそうでもないってデータがありますが、如何やら、信じても良さそうですね。ある種の棚から牡丹餅だ。しっかりとトドメを刺してやらないと、そう、相手にも失礼だと考えてやるのが宜しい。モグモグ、モグモグ、美味しいお菓子は少ししょっぱい。ま、さっきの奴よりは何とかなりそうな気がするけどねー。決めるなら……一瞬で、かな? ごくん。すっからかんだ。空の袋をポイとやって迷彩を維持しながらの接近。……此処まで近づいても気付かないなんて、そうとう、弱ってるようだね。でも、手負いの獣ほど厄介って誰かが言ってたし、油断はしないよ……。目と鼻の先だ。不意に向けられた殺意に、|鹵獲兵器《ウォーゾーン》からの贈り物に、アマランス・フューリーは仰天する。な……いつの間に。死霊の召喚を試みたが最早手遅れ、完治寸前だった双眸に新たな脅威が迫る。
 運が悪かっただけです。私が戻ってこなかったら、今頃、這う這うの体くらいではいられたのかもしれません。目玉だけではない。顔面だけではない。頭部だ。アマランス・フューリーの頭部が完全に、絶対的に焼却され、風によって塵は失せた。断末魔すらも赦されなかった魔術士は果たして蘇生をした時、如何なる思いに苛まれる。……一件落着ですかね。大物の首を獲ったのです、これはもうボーナス確定ですね。
 知識への献身とはまったく、ご苦労な事だ。
 死には至れぬ病の如く、只、世界は黙り込む。

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