それは悲劇か恩寵か
突然。
全身を走り抜けた衝撃に、ソーニャは息を呑んだ。
目を閉じたのはわずかな時間。
けれど目を開けたとき、ソーニャの世界は変貌を遂げていた。
「な、に……?」
触れる指も触れた腕も、まるで金属のよう。
違和感をおぼえて背に手をやれば、そこには翼。
何が起きたのか、分からなかったけれど。
「……っ!」
全身を走る悪寒……こちらにやってくる、あれは何?
つぎはぎされたような全身……いいえ、そんな外見よりも。
あれは危険なものだ。
その直感に、ソーニャは身を翻した。
逃げなければ。でもどこへ?
ぱっと頭に家族の顔が浮かんだけれど、ソーニャはすぐにそれを振り払う。
ダメ。あんな危険そうな相手を、家族や村の人たちに近づけてはいけない。
人がいないところにいかなければ。
そう、誰もが近づこうとしない、そんな場所へ。
竦みそうになる足を励まし、滲む涙をぬぐう余裕もなく、ソーニャは不吉の森へと走りだした。
●
「もう耳にしたことのある人も多いだろうけど、最近、√汎神解剖機関のヨーロッパ各地で、善良な人が突然『天使化』する事件が起きているわ。わたしが見た予知もその事件に関するものなの」
それは善なる無私の心の持ち主のみが感染するとされる風土病……けれど、既に根絶したと思われていた病だ。
天使化すると言われているが、実際は感染者のほどんどはオルガノン・セラフィムという怪物に変貌してしまう。だが、クレハ・エテルニテに見えたのは、怪物ではなく真に『天使』と化した人の姿だった。
「その天使をオルガノン・セラフィムが追っているの。天使が捕食されてしまわないよう、救出に行ってもらえないかしら」
そう言いながらクレハが差し出した地図は、この辺りのものだった。
「この路地を曲がったところが、√汎神解剖機関のノルウェーの小さな村に繋がっているわ。天使はそこから森へと……村の人が入るのを避けている不吉の森へと逃げているみたい」
不吉の森に入れば、不快な霊気が絡みつき、進む足を重く鈍らせ、心を蝕む。
まずは、必死にその中を逃げている天使を保護することが必要だ。
「この付近には、オルガノン・セラフィムを奴隷化しようと『羅紗の魔術塔』からの羅紗魔術士も送り込まれているわ。ルートによってはその敵と戦うことになるかもしれないけれど……まだ先は定まっていないみたい」
その先がどうなるかは、√能力者たちがこれから取る行動によって決まるだろう。
「天使が羅紗魔術士に見つかれば、奴隷化されてしまう。そうさせないためにも、どうか天使を護りきってほしいの」
お願いね、とクレハは出かけてゆく√能力者たちを見送った。
第1章 冒険 『絡みつく不快な霊気が澱む地』

豊かな緑の森であるにも関わらず、その場所に近づく村人はいなかった。
村の言い伝えでは、その森に入ると不吉なことが起きるとされている。
だが、その言い伝えがなくとも、森に入ろうという者はいなかっただろう。
見たことも無いものに追われながら、ソーニャは森へと足を踏み入れた。
境界からほんの数歩進んだだけで、何かに押されているような苦しさが全身を襲う。
もしソーニャの肌が人のものであれば、びっしりと鳥肌が立っていたことだろう。
何によるものかは不明だが、この森には悪しき霊気が淀んでいた。
まるで水の中を進んでいるかのように重い身体を、ソーニャは歯を食いしばって森の奥へと運ぶ。村の人々から危険を遠ざけようとの一心で。
森は見た目には特に変わったところはない。頭上からは葉ごしに光も射しこんでいる……というのに。
「(ゾッとするな……)」
クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は森の中の雰囲気に、顔を顰めた。
傭兵として戦いの場に身をおいているクラウスでさえ、そう感じるのだ。これまで平和に暮らしてきた天使たちは、どれほど不安になっていることだろう。
早く助けてあげないと。
クラウスは霊的防護を高めて森の霊気に抗いながら、天使たちを探した。
小型無人兵器「レギオン」を周囲に飛ばし、そのセンサーにて天使、そして敵性存在を捜査するのと同時に、目視でも足跡や草を踏んだ跡などの痕跡を辿る。
逃げるのに必死な天使たちは、己の痕跡を隠そうとしていないから、見る者が見れば目印の線が引かれているに等しい。
それほど手間取ることなく、クラウスは天使に追いついた。
水中を歩いているような緩慢さで、よろよろと進んでいる天使へと、優しく話しかける。
「無事で良かった」
クラウスの言葉に、天使は地面に向けていた顔を上げた。
「だめ……私に近づかないで……追われてるの。あなたを巻き込んでしまう……」
天使はクラウスを制するように手を掲げ、その拍子によろめいた。クラウスは手を伸ばし、天使が倒れるより早く支える。
「心配ない。俺は、君を助けに来たんだ」
「助けに……?」
真摯に話すクラウスに天使の顔は希望に輝き……だが次の瞬間、追いついてきたオルガノン・セラフィムの姿が目に入り、天使は絶望の息を呑んだ。
クラウスはレギオンミサイルでオルガノン・セラフィムを牽制しておいて、天使を抱えて走る。
ここからは……どうしようか。
森の霊気に今にも倒れそうな天使を抱え、クラウスは木々の間へと分け入り、逃走経路を探るのだった。
√汎神解剖機関のヨーロッパ各地で、善良な人々が突如として天使化する事件が次々と起きている。
その天使を捕食しようとオルガノン・セラフィムが押し寄せ、オルガノン・セラフィムを回収しようとアマランス・フューリーが現れ、天使を助けようとする√能力者たちが動き……と、この事件では様々な者たちが、それぞれの思惑によって入り乱れている状態だ。
「天使化か。昔の風土病がなぜ急激に広がってるんだろうね」
どうしてこの時期に突然天使化が見られるようになったのかと、|桐生・綾音《きりゅう・あやね》(真紅の疾風・h01388)は不思議に思う。
「風土病か」
|海棠・昴《かいどう・すばる》(紫の明星・h06510)は眼鏡のつるに手を当て考えこんだ。
「今までの世界の歴史でも風土病は暗い歴史を背負ってる。一つの島の風土病が世界に広がった例もある」
姉の研究を手伝う中で、昴も風土病の例はいくらか知ってはいるのだが。
「天使病が急激に広がった原因が気になるな」
「簒奪者が関係してるのかな」
綾音も原因を考えてみるが、推論を立てるにも情報が少なすぎる。まずは目の前の問題に取り組むところからだ。
「まだよくわからないけど、今は救える命を救わなきゃね」
「ああ。助ける命は救いたい」
2人はソーニャたち天使が逃げ込んだという、不吉の森へと入って行った。
「私の妖の力は生まれつきのものだけどいきなり持った途方も無い力はさぞや怖いだろうね。早く見つけてあげないと」
綾音は護霊「プリズマティック・ブルー」を喚び出し、ソーニャの保護を手伝ってくれるようにと頼んだ。
「それにしてもいやな霊気漂ってるなあ……」
霊気は、怖いというよりは不快で。
全身が圧迫されるような重苦しさに、心までずしりと重くなってくる。
「ああ、確かに気持ち悪い霊気だな」
霊感の強い昴には、一層顕著に森の不快な霊気が感じられた。だが、昴は次々に防御を展開し、霊気の影響をシャットダウンしてゆく。
「平気そうでよかった。こういう対策は万全なんだね」
ほっとした様子の綾音に昴は、まあ慣れたものだからなと返した。
「だったら、道の探索は探偵の昴さんに任せて良いかな」
「ああ、そっちも慣れたものだ」
|黎明の記憶《レイメイノキオク》を発動した昴が森を探索してゆく後について行きながら、綾音は森のあちこちへと視線を走らせ、天使の姿を探した。
「あ、あれかな」
綾音の目が、もう立っては動けないのか、物陰に座り込んでいるソーニャを発見した。
「翻訳アプリ用意してもらったけど、これで話通じるかな」
「あ、俺は英語は会話もできるぜ。探偵に必要だからな」
情報収集するのに、会話ができなければ始まらないという昴に、綾音は尊敬の眼差しを向けた。
「さすができる人は違う」
「綾音も補助ありがとうな」
礼を言いながら昴はソーニャへと近づくと、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、俺たちは味方だ」
「うん、私たちは味方。絶対守ってみせるね」
2人の声が届いたのか、ソーニャは薄く目を開け。
「逃げ、て……」
掠れた声で呟いた。
ヨーロッパで天使化が確認されたと|八辻・八重可《やつじ・やえか》(人間(√汎神解剖機関)・h01129)が耳にしたのは、それほど前のことではない。なのに今や、√汎神解剖機関の√能力者たちの間でその話が出ない日がないほどに広がっている。
「根絶したとされた病が再発するのは珍しくありませんが……」
人が撲滅できた感染症は天然痘と牛疫だけ。
発症者が確認されず根絶したと思われていた病が再燃したり、感染しないまでも下水からウイルスが検出されたり、などということはある。
「羅紗の魔術塔も出てきているようですし、このエピデミックには何らかの思惑が働いているようにも感じますね」
もっと推論を重ねたくはあったが、前方に不吉の森が見えてくると、八重可は追われている天使の保護へと考えを切り替えた。
森に入るなり、なんとも言い難い圧力が押し寄せ、忌まわしいものが肌を通して体内にまでしみ込んでくるような不快に襲われる。
こんなところに長くいたら精神がもたなくなってしまう。八重可は身の回りに霊的な防御を巡らせ、劣悪ともいえる環境に抗った。
早く天使を発見しなければ。
それだけではなく、早くこの不吉の森の外へと連れ出さなければ、天使たちの心に取り返しのつかない傷を刻むことになりかねない。
焦りを感じる八重可だったが、森に入ってそれほど行かないうちに天使を見つけることができた。
身体の大きさからみればまだ子ども。地面に倒れた天使へと八重可は駆け寄る。
「救助に来ました。痛むところ、苦しいところはありますか」
英語で話しかけると、子どもは小さく首を振った。
「ぼくはだいじょうぶ。だから、ここから、逃げ、て」
答える子どもの息が苦しそうとみて、八重可は服を緩めてやると、|【八辻ノート】《ザッキ》で様々な実験器具が並ぶ理想の研究室を呼び出した。
この中では八重可が物語の主人公……とはいえ、これが一時的な措置であるのは分かっている。
このままにしてはおけない天使を前に、八重可はどうしようかと思案を巡らせた。
「天使の逃げ込んだのってこの森かな」
ユナ・フォーティア(ドラゴン⭐︎ストリーマー・h01946)は、木々の間を通り抜け、森に踏み込んだ。
その途端、周囲の空気が一変した。何かの理由でもなければ回れ右間違いなしの嫌な気配が、ユナを取り巻き押し寄せ纏わりつく。
「なんか不気味だな~。肌もピリピリするし」
無意識に手で払う仕草をしてしまうけれど、それしきで払われてくれるような生易しい気配ではない。
「あ~あれに似てるかも。心霊スポット!」
「う~ん、ここの子は積極的に悪さをするイケナイ子達なのかなあ」
ルメル・グリザイユ(半人半妖の古代語魔術師・h01485)は空中に視線をさまよわせていたが、やがて首を振る。
「悪い子がいるというよりは、悪い気が淀んでるみたいだねえ~。地形的なものが影響してるのかなあ」
だとすれば、この場自体をなんとかするよりも、天使をひとまずこの場から遠ざける方が手がかからないだろう。
「天使の心が病んじゃわないうちに、早めに見つけてあげよっかあ」
「そうだね。奥にいる天使の保護の為にも頑張ろ、ルメル氏!」
やるぞとばかりに、ユナは張りきった。
|Automata Detonata《オートマタ・デトナータ》。
ルメルの詠唱から次々に、魔法人形が生み出されてゆく。
……21、22、そして23。
ずらり並んだ魔法人形に、ルメルは笑みを含んだ声をかける。
「行っておいで、僕の可愛い玩具ドール達」
これぞ、人(形)海戦術。続々と森の奥へと進む人形たちを、ルメルは森の入り口に立ったまま見送った。
動けば魔法人形が消えてしまうから、ルメルは動けない。その代わりに、ユナがドラゴンウィングで上空へと舞い上がる。
もしかしたら空から敵がやってくるかもしれないと見回したが、今のところは怪しい影はなさそうだ。警戒は緩めずに、ユナは今度は眼下を見下ろす。
繁る木々に隠されて、森の様子は上空からはかなり見辛い。凝らす目でルメルの人形たちの姿を見つけ、ユナはがんばれーと声をかけた。
森の中には他の√能力者たちの姿もある。彼らが天使を救助する様子にほっとしながら、ユナは他にも天使が逃げ込んでいないか探す。
……そのとき。
森の端に近いところで、爆発が起きた。ルメルの魔法人形に組み込まれた高威力の爆破魔術が発動したのだ。
「むむ。どうやら敵も追いついて来たみたいだねー」
爆発の位置を頭に入れて、ユナは構えた大剣を握る手に力をこめた。
「みーつけた」
先に敵と接触したときにはひやりとしたが、ルメルの魔術人形は天使を発見することができた。
すぐに動いてしまえば人形は消えてしまうから、ルメルはまずは天使を見守りつつユナを現地まで誘導する。そしてユナが天使に接触するや否や、ルメルもダッシュで駆けつけた。
駆けつけた先では、ユナが怖がらせないようにゆっくりと、天使に話しかけていた。
「私といると、お姉さんまで……」
森の霊気にあてられて、天使の少女の頬は蒼白になっていて、呼吸も浅い。けれど必死に、ユナを巻き込まないように離れようとする。
「大丈夫、ユナはあの怪物からキミを守りにここに来たの! ほら怖くないよ★」
ユナは八重歯を覗かせてにこっと笑うと、
「はい、プチゴンちゃん貸してあげる。ぎゅっとすると安心できるよっ」
お気に入りのぬいぐるみを天使に抱かせてあげた。ぬいぐるみの柔らかな感触に、天使は小さく息を吐いて頬を寄せている。飲み水や携帯食も持ってきたが、この様子では何かを口にする余裕はなさそうだ。
「キミのその変化も、あの怪物も、天使化の影響なんだよお。僕たちはそのために来てるんだけど、今は詳しい話はしていられないかなあ」
天使に話しかけながら、ルメルはさきほど人形が敵と接触した地点からここまでの距離を脳裏で測る。きっともうあまり時間はない。
天使をこのままにして敵と戦うか、天使を連れてこの場を離れるか。
そのとき……流れてくる白いものに気付いて、ユナは周囲を見渡した。
第2章 冒険 『霧に閉ざされて』

不吉の森へと、急速に霧が流れ込んできた。
たちまち周囲は霧に閉ざされてゆき、視界は白一色に塗りつぶされる。
だが反面、霧は森の霊気を遮り、さきほどまでの重圧感はやや和らいだ。
こちらも何も見えないが、敵も同様に視界を奪われているだろう。天使を逃がすなら、今が好機だ。
森の霊気に喘いでいた天使も、少し呼吸が楽になったようだが、今度は深い霧に怯えて身を縮め……その口から、我慢しきれなくなった嗚咽が漏れだした……。
天使の心が壊れる前に、そして天使が敵に襲われる前に、森を抜け出し安全な場所へと送り届けることは出来るのだろうか。
クラウス・イーザリーの耳に、すすり泣きが聞こえて来た。
天使が声を殺し、ひっそりと泣いている……。
自分の姿が変わり、見慣れぬものに追われ。
村の人を巻き込むまいと足を踏み入れた不吉の森では、息苦しくなるほどの不快感と戦いながら、なおも追われ。
その上、視界は霧に覆われてゆく。
不安にならないはずはない。
天使の辛そうな様子に内心焦りながらも、
「大丈夫だよ。落ち着いて……」
クラウスは優しく声をかけると、自分の|ペンダント《赤き護り》を外して天使の掌に置いた。
「持っていて。きっと君を守ってくれるから」
「でも……」
「お守り代わりだよ」
クラウスは天使の手を包むようにして、ペンダントを握らせた。
「? ……あったかい」
少し表情を緩めた天使にほっとしながら、クラウスはその手を引いて歩いた。
周囲は霧に包まれているが、レギオンたちが状況を知らせてくれる。
その情報から、敵の追跡を逃れ、森を出るためのルートを探りながらクラウスは進んだ。
幸いというべきか、オルガノン・セラフィムもこの霧によって、天使の居場所を見失っているようだ。
不吉の森の効力も薄れてきてはいるが、周囲が見えない恐怖はあるだろう。天使の気を紛らわせようと、クラウスは道を進みながら少しずつ、会話を試みた。
「俺はクラウス・イーザリー。君は?」
「キルスティ……」
天使はぽつり、と呟いた。
「キルスティか。大変だと思うけど、あと少しの我慢だよ」
クラウスは励ましながら、できるだけ明るい話題を口にする。
好きなものや好きなことを尋ねてゆくうちに、キルスティの恐怖も緩んできたのだろう。最初は単語が返ってくるだけだったのが、だんだん会話になっていった。
好きな場所を答えたあと、キルスティは残念そうに言う。
「こんなときでなければ、案内できるのに……どうしてこんなことに」
突然の変化、突然の襲撃。
己の身に降りかかった事態に、キルスティはひたすら困惑をみせていた。
森が霧に閉ざされてゆく。
流れ込んでくる白い霧に、ソーニャは顔を覆ってすすり泣いた。
「……限界だね」
立て続けに降りかかる事態に、ソーニャの心身がもたなくなってきていることを、|桐生・綾音《きりゅう・あやね》は感じた。
「ただでさえ私と昴さんが能力使ってようやく耐えられる霊気だし、心身ともにすごく消耗してる天使さんは生きているのも辛いはず」
「うん、綾音の言う通りだと思う」
流れ込む霧のために森の霊気が遮られ、ソーニャの呼吸はさきほどよりも楽になっているが、それもどれだけもつか。
|海棠・昴《かいどう・すばる》は身をかがめ、ソーニャに聞き取りやすいよう、耳元でゆっくりと話しかけた。
「ここまで頑張ってくれてありがとう」
みつけた時点で限界間近だったのに心配させないように我慢してくれたのだろうと、昴はソーニャへと礼を言い、そして宣言した。
「その頑張りに報いるために、責任もって貴方を安全なところに送り届けることを約束しよう」
「昴さんに任せておけば大丈夫。なんの心配もいらないからね」
綾音はソーニャにそう太鼓判を押すと、昴を見やった。
「あまり余裕はないよね。すぐ森を抜けださないと」
「わかってる。こういう探索は探偵の仕事だ。大丈夫、任せてくれ」
昴はレギオンスウォームを発動させると、超感覚センサーによって周囲の状況を把握にかかった。
自分たちならなんとでもなるが、ソーニャを連れていくとなると、より安全な経路を選択しなければならない。
どこかに抜け道はないか、近づいてくる敵はないか。逃げるのに邪魔な障害物はないだろうか。
レギオンと自身の感覚を総動員して、昴は逃げ道を探ると、ソーニャを背負いあげた。
「綾音、警戒は任せた」
「うん、行こう」
視界は悪いが、霧は森の霊気を遮ってくれている。ソーニャの身体にとっては、森を出るまでは霧があるほうが良いだろう。
「キャンピングカーを停めたところまで戻れると良いんだが」
「車だったら、敵を引き離せるよね。大変だろうけど、そこまでがんばろう」
ここを抜けるまでがんばれば安全なところに逃げられるからと、綾音はソーニャを励ました。
不吉の森の影響が及ばないところまでソーニャを運ぶと、綾音は|神聖竜詠唱《ドラグナーズ・アリア》で|神聖竜《ホーリー・ホワイト・ドラゴン》を顕現させた。
「この霧そのものを消すか、もし無理なら霧の影響を弱めることはできないかな」
綾音の願いは神聖竜に聞き届けられ、周辺の霧が消えてゆく。クリアになった視界の中、2人はキャンピングカーを目指して足を急がせるのだった。
見る間に霧が深くなってゆく。
また異変かと観察していた|八辻・八重可《やつじ・やえか》は、この霧によって森の霊気が薄れていることに気が付いた。
この霧が吉と出るか凶と出るか。
八重可は泣き出した男の子の傍らに膝をつくと、しっかりと視線を合わせた。
「わたしは仲間と、天使の皆さんを追いかけてくる怖いものから守るために来ました」
「天使?」
男の子はきょとんとして聞き返した。
「正確に言うならば……あなたのように天使化した皆さんを、となります」
「天使化って、これのこと?」
男の子は泣くのを忘れたように目を瞠ると、自分の肌に触れ、翼に触れる。
「ぼくの知ってる天使とちがう……」
「そう呼ばれている病気です。わたしたちはそれにかかった人を保護しています」
「病気……。治る、の?」
「正直まだ分かりません。ですが解明していきたいです」
その治療法も含めて。八重可がそう答えると、男の子は黙り込んだ。ゆっくり考える時間をとってもらいたいところだけれど、オルガノン・セラフィムがうろついているこの状況では、そうもいかない。
だが無理に連れてゆくことはしたくないから、八重可は男の子にその意思を問うた。
「会ったばかりのわたしを信じるのは難しいでしょうが、一緒に来てくれませんか?」
「……ん」
答える声がちゃんと出なくて、男の子はこくりと頷くことでそれを補った。
男の子を負担にならないよう抱きかかえると、八重可は森へ入ってからの道筋を思い出す。よけなければならない大木の位置、道が消えかけて判り難くなっていた場所……。
思い出せない部分に関しては、幸運や第六感にも頼って、八重可は森の出口を目指した。
霧で先が見通せず、不意に現れる障害物にぎくりとすることもあったけれど、見えないなりに目を凝らし、感覚を研ぎ澄まして進んでゆく。
視界が悪いのを除けば、霊気が薄れた今が脱出の好機。
男の子は泣くまいと歯を食いしばり、八重可に運ばれている。
自分の知人を巻き込まないようにと、こんな恐ろしい場所に足を踏み入れた優しい少年。彼が安心して暮らせるために尽力することを心に決めつつ、八重可は森を抜け、霧を抜けた。
不吉の森が近くなると、周囲に霧がたちこめてきた。
森を囲む範囲にだけ発生している濃い霧は、おそらく自然現象ではない。
村から森へ続く道は普段使われていないこともあり、ただでさえ悪路なのに、その上に霧に視界を妨げられては、|霊柩車《火車》の運転に支障が及ばぬわけもなく。
「何よこれ。走りにくいったらありゃしない」
|玉・蓮《イーリャン》(骸花・h00691)はうんざりしたように吐き捨てた。
樹はぶち倒しても構わないだろうが、森には天使が逃げ込んでいる。というか、そもそもその天使の保護に来ているのだから、轢いてしまうわけにもいかないだろう。
こんな場所を歩くのも面倒だが、仕方がない。
玉蓮は火車をとめ、外に出た。
それに続いて、火車から這い出てきたのは|四百目・百足《しひゃくめ👁🗨むかで》|(回天曲幵《かいてんまがりそろえ》・h02593)。
「ギウギウでしたね」
ヘンな癖がついてしまいそうだった身体を、百足はぐっと伸ばした。
「よっ、と」
勢いをつけて降りたケオ・キャンベル(Ceo Caimbeul・h00695)は、火車を振り返って声をかける。
「アルテミウスくん大丈夫?」
なんだか楽しくて、ノリノリで詰めてしまったけれどと見守れば。
やや疲れた表情で、アルテミウス・ノクターナル(吸血鬼の不思議アンティークショップ店主・h03897)が降りて来た。
天使化事変に関わる依頼に同行しないかという誘いに頷きはしたが、まさかぎゅう詰めで運ばれるとは。
これは侮れないとつくづく感じるアルテミウスへと、百足はじっくりと観察の目を向けた。
今回同行した中で、アルテミウスだけはまだ知り合ったばかり。
「さてこの謎の吸血鬼。使えるか、観察といたしましょう。俺達の仲間になってくれるやもしれぬですしね……」
そこまで言って声に出していたことに気付き、百足はおっとと口を押さえる。
うっかりうっかり。本音と建前が逆、逆。
だが観察は一方通行ではなく。アルテミウスの目もまた、3人へと向けられている。
アルテミウスの百足に対する印象は、見るからに力に自信がありそうだ、と。
ケオから受けたイメージは穏やかだったが、抜け目なさも感じられ。
そして玉蓮は……。
アルテミウスに見られているのに気づいているのかいないのか。ちらともこちらに目をむけず。
「到着が遅れちゃったわ……そもそも、狭い|霊柩車《火車》にお前たちをギチギチに詰め込んだのが間違いなのよ」
おかげで霧につかまった、とおかんむり。
「それで……なんだったかしら。天使を探す?」
「うんそう。このまま放っておいたら食べられてしまうから、護ってほしいんだって」
玉蓮に説明できるのが嬉しいのだろう。ケオは星詠みから聞いた情報をにこにこと話す。
「天使を導くだなんて、荒んだ世の中のくせに人間も偉くなったものね」
ケオの答えに、ふっと息を吐く玉蓮を眺め、
(「麗しい見目に反して苛烈な淑女のようだ」)
アルテミウスはこっそりとそんなことを考えるのだった。
天使を助けるには、まずは探すところから。
「ふむ、こうした場は実に不慣れなのだが……」
そうは言っても、共に来た皆には自分の使い魔を送り届けてもらった借りがある。ここは尽力しようと、アルテミウスは自身のAnker、使い魔であり良き友人でもある|白き柔らかな獣《ふわふわフェレット》を召喚した。
どうしたのと、つぶらな葡萄色の瞳でこちらを見てくるそのフェレットを抱き上げて、首筋に牙を立て。
「ふふ、先導は任せたぞ」
【血の誓約】によって従属吸血鬼へと変身させたふわふわフェレットを地に下ろせば、素早く前へと走り出す。
「やや! 喋る鼬の類。なんと珍しい! 小さき者、俺も前に出て、先導に加勢しましょうです」
百足が掲げる卒塔婆たち。それはいつのものか誰のものか分からぬ血に塗れ。
玉蓮はフェレットが駆けてゆくのとは別方向へと、周囲に揺蕩う死霊を手で払い。
「ほら、そんな辛気臭い面をしてないでさっさと散りなさい。コソコソ動くなんて性に合わないの、アタシ」
さっさと天使を見つけて保護してしまおうと、索敵を命じた。
フェレットがしゃがみこんでいる天使を見つけ、それとほぼ同時に玉蓮の放った死霊がオルガノン・セラフィムを発見した。
深い霧にはばまれて、オルガノン・セラフィムはまだ天使に気付いてはいないようだが、二者の距離は近い。急ぎ駆けつけなければ、ほどなく天使は見つけられてしまうだろう。
「気が変わらないうちに前に進むわよ。道がないなら力尽くで薙ぎ倒していけばいいわ」
玉蓮は口の端で笑うと、百足にピンクの瞳をあてた。
「百足、お前の仕事よ」
「玉蓮、お任せ下さい」
ぶん、と百足の持つ卒塔婆が風を切り、周囲のものをなぎ倒す。最短ルートを通る道がないなら、作れば良いだけの話だ。
ケオは道を強引に切りひらきながら進む一行の一番後ろにつく。この位置からなら、ずっと|玉蓮《好きな子》を見ていられる。玉蓮の翻す白衣、つややかな髪。どれだけ見ていても見飽きることはない。
とはいっても、見ているだけじゃだめだから、|お仕事だってしっかりと《玉蓮に良いとこ見せないと》。
天使を発見したオルガノン・セラフィムが声にならない叫び声をあげ、天使が怯えて目を閉じる。
そこに到着した玉蓮は、善い子になさいとオルガノン・セラフィムに【|Good boy《グッドボーイ》】を。
「おすわり」
玉蓮の瞳に魅入られて動きを止めたオルガノン・セラフィムへと、|人間災厄「聖なる光」《ケオ》が仕掛けるのは|崩壊の坩堝《クルーシブル・オブ・コラプス》。
牽制からの封じ込め。ぎゅっと敵の首根っこを捕まえたら、その内部へと強撃を。
「ねえねえ、見て見て。お仕事出来たよ」
えっへんと胸を張ると、ケオはぽいとオルガノン・セラフィムを百足へと放り。
「はい、百足。|遊び相手《あげる》」
「ケオ、俺に遊び相手を分けていただけると申すか。有難し!」
では遠慮なくと、百足は【禍祓大しばき】。
「成敗! 成敗!」
右から左から。打ち据えるその有様は、嗚呼、純朴な天使には見せられぬ場面なり。
「アルテ、よくよく隠しておくよう、オネシャス」
「ああ、分かっている」
アルテミウスはヴァンパイアマントを天使に覆いかぶせ、見せてはならない惨状を隠した。天使は訳も分からず泣いているが、これを見せることと比すれば、しばらく耐えていてもらったほうが良いに決まっている。
ケオはアルテミウスと天使の姿を隠すようにして、オルガノン・セラフィムに話しかけた。
「君たち天使が欲しいんでしょう? でもこの子たちはだめ」
玉蓮が天使を守るほうにつくならば、ケオも同じほうを選ぶ。
「|すぐ会わせてあげるから《しねばいいんだよ》。だからそっちにしてね」
死にゆくオルガノン・セラフィムに、最期にかわいいフェレットも見れてよかったねと、ケオは笑った。
第3章 ボス戦 『羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』』

最初は怖がっていた天使も、√能力者たちの働きによって落ち着きを取り戻し、パニックを起こすことなく指示に従ってくれた。
不吉の森を抜けると霧も薄れ、天使を連れた他の√能力者たちとも合流することが出来た。
霊気と濃霧から解放されて、これでようやく一息つける……と思ったそのとき。
道の行く手に、白いドレスに羅紗をかけた女性が現れた。
「天使を連れてきてくれるとは有り難い」
オルガノン・セラフィムを回収に来たところで、貴重な天使を手に入れられるとはと、羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』は満足そうに天使たちを眺め渡し。
「ご苦労だったな。天使を置いて去るが良い」
√能力者にそう声をかけたあと、天使へと呼びかけた。
「さあ、来るのだ。仲間のところに連れていってやろうぞ」
「仲間のところ……?」
羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』の呼びかけに、キルスティはふらりと一歩踏み出しかけた。
それをクラウス・イーザリーは繋いでいた手にぐっと力をこめて引き留める。
「聞いては駄目」
えっ、とキルスティはクラウスを見上げた。曇りない天使の瞳は、誰かに悪意を見はしないのだろうけれど。
「あいつは、君を捕らえて利用しようとしているんだ」
アマランスに天使を渡したら、実験台にされてしまうかもしれない。こうしてかかわったのも何かの縁。キルスティをそんな目に合わせたくはない。
キルスティはアマランスとクラウスの間で視線を往復させ……そしてこくりと頷いた。クラウスの真摯な気持ちが届いたのだろう。
そのキルスティを背に庇い、クラウスは武器をアマランスへと向ける。
「必ず守るからここにいて」
キルスティに伝えると、クラウスはアマランスの懐へと飛び込んだ。
クラウスの手にあるのは剣の柄の部分だけ。
だが身軽に飛び込みトリガーを引けば、現れた光刃がアマランスを貫く。
アマランスはクラウスを突き飛ばすように距離を取ると、奴隷怪異「レムレース・アルブス」を召喚した。
「純白の騒霊よ、かの者と融合せよ」
命じられたレムレース・アルブスはゆらりとクラウスに向かう。もし融合されれば行動力は低下し、やがては騒霊とともに消滅死亡することとなるだろう。
レムレース・アルブスがクラウスへと手を伸ばす……と合わせて、クラウスも手を伸ばし、右掌で騒霊へと触れた。
途端、【ルートブレイカー】によって、レムレース・アルブスは消滅する。クラウスはその先に立つアマランスへと、強い視線を向けた。
「正直、この世界のためにどうするべきか、俺にはわからない。けど、普通の人生を送っていたキルスティを、これ以上辛い目に遭わせたくはないんだ」
そのための刃となると決めたクラウスは、ふたたびアマランスへと光刃を振るう。
この攻撃がダメージとなり、また魔術の行使を邪魔するものとなるようにと。
羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』からの問いかけに、ソーニャが答えるよりも早く。
「悪いがアンタの要求は却下だ」
海棠・昴はきっぱりと言い切った。当然とばかりに、桐生・綾音も続く。
「アマランス・フューリー。悪いんだけど、ソーニャさんは渡さないよ。あなたの目的は知ってるんだから、今更あなたに渡すわけないでしょう?」
「ほう。何を知っていると?」
アマランスは面白がっているような視線を向けてきた。
「そのままにしておけば、そのうち|天使になれなかった出来損ない《オルガノン・セラフィム》に喰われてしまう天使だ。そうならないように連れてゆくことに、感謝でもしようというのか?」
「……羅紗の魔術塔関連の話は山ほど報告されている。アンタらの目的と巻き込まれた被害者の苦しみも」
アマランスの煽りには乗らず、昴は冷静に言葉を返す。
「それにアンタの態度は人に物を頼むには不適当すぎる。自分の目的優先で他人の意思はマル無視。そんな被害を広げさせるわけにはいかない」
「昴さんの言う通り! そもそも、その上から目線は何様?」
アマランスの言い草に気分を害した綾音は、すでに臨戦態勢だ。
「昴さん、無茶するのでフォロー頼んだ!!」
宣言する綾音に微笑すると、昴はアマランスへと視線を戻した。
「これが俺たちからの返答だ」
『我が力を全開に!!』
展開した【|鳳凰の戦乙女《ホウオウノイクサオトメ》】により、綾音の腕には盾が装着され、背には鳳凰の翼が出現する。
鳳凰の大太刀を握りしめ、綾音はアマランスに突っ込んでゆく。
迎え撃つアマランスの腕にかけられた羅紗がふわりと舞い上がり、文字列が輝く。
「輝ける深淵を覗くが良い」
羅紗から文字列を放とうとするアマランスへと、
「本当に綾音は無茶するな」
昴はマルチツールガン「明星の担い手」を撃ちこみ、綾音を援護する。
アマランスの集中が途切れたその隙に、綾音は文字列をかいくぐって避け。そのまま前に出て肉薄したアマランスへと、綾音は全力で鳳凰の大太刀をふるった。
「昴さん、ありがとう」
「ああ、フォローはまかせろ」
綾音がどう動くか、自分のように分かる昴だからこそ、先んじてのフォローが可能となる。
そんな昴へとアマランスはちらりと目をやり。今度は昴へと羅紗から文字列を飛ばした。だが。
それを受けて【|黄昏の疾走《タソガレノシッソウ》】が発動し、昴の身は距離を超えて跳躍し、
『ま、こういう攻め方もありだよな』
銘刀「九曜」を大振りに叩きこんだ。憎々しげに向けられたアマランスの視線は、黄昏の闇に阻まれる。
そこを狙って攻撃しながら、
「一人で驕り高ぶるあなたに負けるわけにはいかない!!」
一歩も引きはしないと、綾音は言い放つのだった。
「ご苦労だったな。天使を置いて去るが良い」
アマランス・フューリーに言われた|八辻・八重可《やつじ・やえか》は、抱えていた天使をゆっくりと下ろした。
「立てますか?」
天使が地面を踏みしめるのを確認してから八重可は手を放す。
「さあ、来るのだ。仲間のところに連れていってやろうぞ」
呼びかけてくるアマランス・フューリーの視線を自分の背で遮ると、八重可は天使の少年と目を合わせた。
「あの声を聞いてはいけません。仲間と一緒に来た天使さんたちと待っていてください。必ず村へ送っていきます」
少年は目を瞠り、そして。
「うん」
今度はきちんと言葉に出して頷いた。
「天使を渡さぬつもりか」
アマランスの視線を圧が強まるが、八重可は正面からその目を見据えた。
「はい、お断りします。奴隷化には反対ですし、病の完治を目指すのが研究者としての務めです」
病に罹患した少年をみすみす渡したりはしない。
「ここでもアマランスが子どもを攫おうとしているの?」
いつもの道を曲がったらこの場所に導かれ、事情が分からず戸惑っていた|柳檀峰・祇雅乃《りゅうだんほう・ぎがの》(おもちゃ屋の魔女・h00217)だったが、八重可とアマランスとのやり取りから状況を読み取る。
「そうです。アマランスに天使を奴隷化されるわけにはいきません」
子どもが奴隷化されるというフレーズに、祇雅乃の顔に嫌悪の色が走る。
「そんな輩には、ちょっと本気出しても構わないわよね」
言いながら祇雅乃は魔導書を手に取った。そのタイトルは『混沌の生成と分解、再構成について』。万物から原初の混沌を作り、分解し、万物に再構成する手段について記した魔導書は、なんというか……かなり分厚い。
「当然です」
八重可はシリンジシューターを、狙いがぶれないようしっかりと構えた。
最初に飛び出したのは祇雅乃だった。
力強く大地を蹴り、瞬く間にアマランスに迫ると魔導書を振りかざし。
「あなたは痛みを知ったほうが良いわ」
殴る、そしてまた殴る。
魔法での攻撃を予測していたアマランスが不意をつかれ、動きが鈍ったその隙を狙って、八重可の|怪異解体連射技法《ジンソクカンゼンカイシュウ》。
シリンジに満たされた八重可が怪異と薬品から作り出した特製薬は、命中した箇所から中身をアマランスへと流し込む。
シリンジを受けたアマランスへはだらりと片腕を垂らした。だがその肩にかかった羅紗はひらりと舞い上がり、浮かばせた文字列を八重可へと放った。
文字列は逃れようと走る八重可を追い……だが、張り巡らされた防御に弾かれ散らばった。
祇雅乃へは、アマランスが羅紗の記憶海から呼び出した知られざる古代の怪異が襲いかかり、牙の生えた顎をがっと開く。そこに金属製の装丁の魔導書を噛ませ、祇雅乃は飛びのいた。
一刻も早く天使たちを追われる苦行から解放したい。そのためにはアマランスを倒さなければ。八重可は再びアマランスへとシリンジを撃ちだした。
天使を置いて去れと言うアマランス・フューリーに、ユナ・フォーティアはむっと顔をしかめた。
「突然出てきて、天使を置いて去れって、失礼にも程があるよね?」
そんな言い方をされて、はいどうぞと天使を渡せるはずがない。ユナは背中に隠れている天使へと、プチゴンちゃんのぬいぐるみを預けた。
「この子を持って下がってて」
「でも、お姉さんは大丈夫……?」
プチゴンちゃんの後ろから、天使は心配そうな顔を覗かせる。
「だいじょーぶ。だから後はユナ達に任せて。絶対に護ってあげるからね★」
安心させるように言うと、ユナはアマランスを見返した。
「怖がって、苦しんでいる天使氏にそう言う悪いお姉さんには、お仕置きしないとね?」
「これは異なことを。仲間のところに連れて行ってやろうというのに」
いけしゃあしゃあと言うアマランスに、
「仲間のところ、ねえ~……」
ルメル・グリザイユは面白がる目を向けた。
「ふふ、知ってるよお。キミ、ぜ~んぜん天使を連れ帰れていないんでしょお」
ぴくりと震えたアマランスへとルメルは続ける。
「焦るのも無理ないけどさあ……少しゆっくりしていったら~? ……ほら」
言葉と同時の|Nexus Gravitor《ネクサス・グラヴィトール》。加えられた重力に、アマランスの身は地面へと抑えつけられる。
そこに。
(――天使は、アンタの奴隷じゃない……!!)
ユナが怒りとともに焼却ブレスを放射した。
ルメルとユナばかりではない。あちらでもこちらでも、天使を守るため√能力者たちがアマランスへと立ち向かう。
「大人しく渡せば良いものを」
アマランスは奴隷怪異「レムレース・アルブス」を召喚し、ユナへと向かわせた。純白の騒霊は命じられるままに、ユナへと嘆きの光ラメントゥムを放つ。
それをユナは……避けない。
まばゆい光がユナへと命中した……と見えたが。
ドラゴンプロトコル・イグニッション!
当たる寸前にユナは無敵の|真竜《トゥルードラゴン》へと姿を変じ、敵の攻撃を完全に無効化した。
そしてすぐさま、カウンターの全力ブレス。
「地獄の業火の熱さ、教えてあげる★ ガオーッ!」
灼熱のブレスが、レムレース・アルブスを焼き尽くし、背後にいたアマランスまでも巻き込んだ。
真竜となったユナがブレスで派手に攻撃する裏側で、ルメルは奴隷怪異を挑発し、自分へと敵視を集めた。
敵の攻撃は可能な限り見切り、受け流して消耗を抑え、不意打ちに錬成した剣で攻撃する。レムレース・アルブスは回復技が使えるけれど、そうしている間は攻撃も融合も出来ないのだから。
さすが真竜というべきか、がんがん前に出るユナの吐くブレスは強力だ。アマランスの優雅なドレスは見るも無残に焼け、回復しきれない火傷が重なってゆく。
だが、あと少しというところで。
竜漿が枯渇したユナは、糸が切れたように倒れた。
アマランスの口元に笑みが浮かぶ。
だが、倒れたユナの背後からルメルがするりとアマランスへと肉薄する。
「勝ったとでも思った? それはちょっと甘すぎだよお」
ルメルが操作した重力がアマランスを抑えつけ、その脚を亜空間へと転移させて捕え。
「逃がさないよ……」
その急所へと|Requiem Fang《レクイエム・ファング》を。切りつけるのではなく、深く深く差し込んで、ぎりり……力を込めて手首を捩じり、傷口を抉りこむ。
回しきったナイフを無理やりに抜けば……血と生命を傷口から流し出したアマランスの身体はぐらりと傾き、地へと頽れた。
天使は守られた。
だが今後もオルガノン・セラフィムの襲撃があるかもしれない懸念もあり、√能力者たちは村の人々に報告したのち、保護した天使をひとまず連れ帰ったのだった。