チャイナタウン・コネクション
神奈川県横浜市中区には日本で最も有名な中華街である——いわゆる『横浜中華街』が存在する。都心からも近いこの一大観光地。『老上海酒家』『中国菜館郷里』などの看板。赤や金色のオリエンタルな飾りつけ、蒸される萬頭の匂い、雰囲気を醸し出す胡弓の音などが入り交じる中、あなた達は『大海浜貿易有限公司』なる小規模な輸入雑貨店を見られる広場に止まったアイスクリーム・バンの中でジョン・ボイド(人間(√EDEN)の職業暗殺者・h06472)からブリーフィングを受けていた。
「あの雑貨店の店主が中国マフィア筋からの密輸を請け負ってる日本側の『窓口』だ。まぁ、長年ほそぼそとチンケなシノギをやってたようだが、何を思ったか今回はヤバいブツを扱いやがった。『シデレウス・カード』ってやつだな」
シデレウス・カード。十二星座と英雄で一組となったそのカードを持つものは凄まじい力を得る。が、√能力者でもない限りはそれを制御しきれずシデレウスと呼ばれる怪人と化してしまうのだ。
「今回、秘密裏に捌かれたカードは『サジタリウス』の『花栄』。サジタリウスは射手座、花栄は射手座らしく中国古典『水滸伝』の弓の名手だな。ご想像どおり、持ち主はあらゆるものを射抜く事ができる能力を身につけるらしいが……お前たちはあの店を探って誰に対してそれが売られたのかを特定しろ。その後、買い主がコトを起こす前にどうにかするのが今回のお仕事というわけだ。簡単だろ?」
シデレウス・カードを持つものには『事件』が降りかかる——そんな言葉がある通り、所有者は大抵事件を引き起こすが、このようなマフィアと取引のある人物がシデレウス・カードを持ったならば、悪意を持って何かしらの犯罪を起こそうとしていることは想像に難くない。
「もう一つ。この件にはドロッサス・タウラスの下で働く√能力者『ドクター・クォーツ』が関わっているようだ。なんでも未来人らしいが、奴らにとってもシデレウス・カードは貴重品だろう。もし、シデレウス・カードによる犯罪が失敗した場合はこいつが回収に出張ってくるかもしれん。未来技術による兵器やらなにやらは脅威だろうが、本体はヒョロっとした男だ。出くわしたら右フックを一発食らわせてやれ」
第1章 冒険 『悪の権力者の証拠を掴め!』

「ヒャッハー! 真綾チャン一番乗りデース!」
もはや辛抱たまらず、といった風にアイスクリーム・バンの後部ドアを蹴り開け飛び出したのは人間兵器とすら言える戦闘能力を持つ白神真綾だ。とはいえ、ここは市街地であり主目的は通常の警察などでは対処できないシデレウス・カード絡みの犯罪を抑止することである。相手が裏社会と通じている可能性がある以上、ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。もしこの店で騒ぎがあったことがシデレウス・カードの所有者に知られたり、あるいは店主から直接、買い手側に助けてくれだとか泣きを入れられたりなどすれば相手が地下に潜ってしまう場合も考えられる。そうなれば買い手の特定および犯罪の発生を抑止することは難しくなってしまうからだ。
「少々時代錯誤と言われてしまうかもしれないけれど、私は真綾さんの後ろを三歩下がってついていくとしましょうか。といっても、我慢できなくなってつっこんではだめよ」
「分かってるデース! 後々大暴れするための……いわば『フリ』デスからねェ」
真綾が蹴り開けた扉からふわりと地面に降り立つのはシンシア・ウォーカー。血気盛んな真綾とは正反対の温厚な淑女ではあるが冒険者や√能力者としての経験は随一であり、その見た目以上のバイタリティを祕めている。
「ここが横浜中華街……オリエンタルというのかしら。赤い灯籠の飾りつけがとっても綺麗。中華まんや焼き甘栗などの食べ歩きスナックなんかもあるみたいだし、ちょっと周囲を散策するのもいいかもしれないわね。真綾さんもどう?」
「真綾はさっさと暴れたいデース! なのでちゃっちゃと仕事をやろうかと思いマース! シンシアは中華まん買いに行くなら真綾ちゃんの分もよろしくデース!」
「はいはい、といってもさすがに行きがけに偵察ぐらいはしておこうかしら」
ごく普通の観光客めいて、中華街へと歩んでいくシンシアを傍目に、真綾はマルチプルビット——砲台以外にもカメラや電子ジャマーなどを備えた多機能ドローンめいたそれを密かに操作し、店内を探る。ちょうどシンシアが店先に並べられたフカヒレスープのもとを手に取るふりをしつつ、店内を偵察している姿がビットに映し出されている。
「真綾さん、聞こえる? この辺のインビジブルと『会話』してみたんだけど……どうやらこのお店の『そういう仕事』の記録は帳簿に記されているらしいわ。当然、お店の何処かにあるみたい」
と、シンシアがビット越しに真綾に話しかける。√能力『ゴーストトーク』だ。インビジブルを生前の姿として降ろし、話を聞く能力。シンシアはただ散策をしていると見せかけて(一応、観光ついででもあるのだが)周囲に漂うインビジブルに話を聞いていたのである。死者は生者以上に語る、とはいつぞやか検死官をモチーフにした海外ドラマのキャッチコピーであったが、それは本当のことなのだ。
「帳簿。なるほど……ありそうな場所を引っ掻き回すには……店員が邪魔デスネー。あ~めんどくさい。全部吹き飛ばしたいデース! シンシア、なんとかなりまセン!?」
真綾はぬあ~と頭を掻きながら答える。ちょうど店の奥、レジスペースで退屈そうにしている店員がおり物色している物音などが聞かれれば厄介だ。店員の注意をどうにかそらす必要がありそうだ。
「んー、どうかしら。商品について聞くふりをして店先くらいまでなら誘導できるかもしれないけれどそんなに長くは注意は逸らせないかも……」
二人は相談しつつ、機を待つ……
「少しお時間いただいても? こういうものです、神奈川県警」
「私のほうは警視庁から」
と、先行の√能力者が機を待っているところに一組の男女が、直接店員に話しかけた。神奈川県警を名乗った女は黒木摩巳。とある『お仕事』についている謎めいた女。そして警視庁本庁からの出向めいた真新しいスーツのルーキー。現場で先輩の仕事を補佐している風の若い男は天吹一青。共に√能力者だ。二人は物怖じせず、警察手帳を店員に差し出す。店員は一瞬ぎょっとした表情を見せるが、婦警さんがなんのようで? それに警視庁本庁だなんて大事件が起きたみたいだ、としらをきるつもりのようだったが……
「ああ、警戒させてしまいましたね。大丈夫ですよ」
「『D刑事』からの紹介といえば話が通るときいています」
摩巳が口に出したのは、所轄の汚職警官の名前だ。既にこの仲介屋が取引をしている警官内部の『関係者』はあぶり出してある。長年、ほそぼそとやってきたということはそれにお目溢しする存在がいるのは少し想像すれば分かること。摩巳の手腕にかかれば造作もなかった。
(……正規の捜査方法とはちがうが、今は√能力者に話を合わせるしか無い。今は時間が足りない)
当然、本職の警察官である一青は摩巳が偽警官であることに気づいているが、シデレウス・カードは|警視庁異能捜査官《カミガリ》にとって目下、優先度の高いケースだ。超法規的措置になってしまうが独自の裁量で今回はこれを認める他無い。
「あぁ……あの刑事さんの……でもおかしいな、既に今月のアガリは収めてますよ、勘弁してくださいよ」
「大きなブツ、捌いたらしいですね。困るんですよ、D刑事も我々も……目立つことをされると。長年やっているなら目立たないことくらい心得ていると思っていましたが」
「本庁のほうでも感づいた人物がいる。黙らせるにはそれなりの手間がかかるというわけです」
「なんのことだかわかりませんね……他のお客さんも居ますし、今日はこれでもう」
この期に及んでしらを切ろうとする店員。他の客をダシに言外に『これで帰れ』とばかりに乱雑に輪ゴムで止められた札を目立たないようにカウンター上に置くまでは良かった。
「へぇ……売った相手は……いかにも無軌道なギャングって感じの男ですね。この辺でチャチな抗争してた半グレ相手に『カード』を売るなんて何を考えているんだか」
「えっ!?」
店員は何故、という風に目を見開く。言葉にすら出していない、摩巳の言葉を受けて薄ぼんやりと思い出しただけの事を先程まで店内の輸入雑貨を手に取っていた少女が全て言い当てたからだ。
「どうやらカードの価値を知らずに取引させられたようですね。最近はカードゲームのカードも投機目的で取引されますし、そういう『プレミア物』だと思った……なるほどね」
真心観千流。『人間情報運搬船』あるいは『量子に干渉する能力者』。√能力者の中でも経験豊富で場数を踏んでいる上、強力な能力を用いる彼女は一青と摩巳の言葉を受けて、店員が脳裏に浮かべた思考を読んだのだ。サイコメトリーでもなんでもない。思考だって結局はニューロンを走る電気信号なのだからその動きを読み取り、圧倒的な情報処理能力で『解読』しただけに過ぎない。二人が警官を名乗って動揺を誘い、観千流の能力でそれを読み取る。作戦はうまくハマった。
「首尾は上々みたいね、観千流さん」
「あとは律儀に帳簿もつけてるみたいですね、それも一応回収……あっ」
と、摩巳と観千流が会話している隙に店員がテーブルのしたから明らかに『帳簿』ですといった風のノートを引っ掴んで店の奥に走り出した。裏口から逃げるつもりか。
「はぁ……」
「一青くん、頼めます?」
観千流は無駄な抵抗にため息を付き、摩巳は眼鏡の位置を直しながら既に√能力を構える一青に声を掛ける。
「ええ! 任せて……!」
『霊震』。√能力者の中では比較的ポピュラーな霊的波動を対象にぶち当て強烈な震動を与える能力。その使い手である一青は逃げる店員に警視庁での訓練通り、その波動を当てることに成功した。別段、危害を加える気はない。ただ、立って走れない程度に振動させればいい。
「ぐわっ!!!」
走る途中で激しく転倒する店員。多少頭を打つぐらいは自業自得だろう。
「証拠物件を確保……これで取引相手の名前も特定できるはずですね。さっそく——あだっ」
と、激しく振動する店員が棚に触れたせいで物が落ちてきて、一青の頭にあたった。
「まだまだ青い……ルーキー卒業はもうちょっと先みたい」
苦笑する摩巳の言葉に観千流もあははと笑った。
第2章 冒険 『シデレウスカードの所有者を追え』

あなた達が輸入雑貨店で特定した買い手は、地元の半グレのリーダー『矢吹健三郎』なる男だった。軽く調べたところによれば地元警察にもマークされる暴力行為の常習犯であり、若い頃は少年院、現在も刑務所を出入りする危険人物であるらしい。そんな人物にカードが一組わたってしまった。明らかに危険な事態だ。
「で、なに? おまえら。いきなり押しかけてきてさあ。ブツがほしいの? いいのあるぜ? 気持ちよくなれるのは保証してやるよ」
そして今、重低音サウンドとカクテル光線。アングラな雰囲気のクラブのVIP席に腰掛け、あなた達の眼の前でケラケラと笑うピアスだらけの男。それが『矢吹健三郎』——あるいは『サジタリウス花栄シデレウス』だ。あなたたちを『客』とでも思っているのか手で威圧的にバタフライナイフを弄びながら『商談』をふっかけてくる彼からどうにかしてカードを取り上げねばならない。
「ヒャッハー! 売人見っけデース!」
「こいつは思ったよりファンキーな嬢ちゃんだなァ、もうハイになってんのか?」
半グレのリーダー『矢吹健三郎』は余裕の態度でソファに腰掛けたまま、真綾を見てせせら笑った。シデレウス・カードは強大な力をもたらす。『とある筋』からそれを知らされたこの男は例の雑貨商を通じて大枚をはたき、大陸ルートからそれを確保した。使い方がわからなかったため未だケースの中に入れたままだが、それがなくてもこの程度の小娘どうにでもなると思っている。
「それになんだァ? 女とメスガキ二人、あとは背広の兄チャンかよ。しかもションベンくせえ。おまえまだ二十歳かそこらだろ? 俺からブツを買いてえならもう少し『場慣れ』してから——」
「警視庁刑事部捜査第零課、天吹一青と申します。矢吹健三郎さんですね。少しお伺いしたいことがあります」
「なんだ、テメェッ……サツか!?」
警察手帳を見せ、警視庁の名を出す一青。売人は驚き、とっさに立ち上がってナイフを構えようとしたが……
——パキンッ!
「あ゛ッづ……!?」
ナイフは男の手から弾き飛ばされた。いや、違う。刃が一瞬でレーザーによって焼き切られその切断面は溶融したように真っ赤に赤熱している。そして、その首筋には光子を収束した処刑刃が突き立てられているのだ。今までそんなものなどなかったのに。
「真綾ちゃんは真綾ちゃんデース! ヒャヒャヒャーッ!!!」
「そして私は真心観千流ちゃんです。ひゃひゃひゃー……はちょっとキャラにあいませんね。封印しましょう」
「ひっ……」
そう、人間大量破壊兵器たる真綾と、量子すら観測し精密な予測・行動ができる観千流に一般人が対抗できるわけはないのだ。。立ち上がりかけたところで腰が抜け、ずるずるとソファに戻る売人。
「悪いことはするもんじゃないわ。そうじゃないとこういう風にこわーいお兄さん、お姉さんたちがやってくるからね。そしてシデレウス・カードはこの中かしら?」
「ど、どうなってやがる。おまえら、一体……!」
シンシアは既に得意のインビジブル制御能力でクラゲ型のインビジブルを招集。とっくにシデレウス・カードがケースの中に入ったままであることを特定してそれを持ってこさせている……が、まだ一般人である矢吹の眼にはケースがひとりでに宙をさまようようにふわふわと飛んでくるようにしか見えない。
「矢吹さん、あなたが持っているそのカードは、あなたが想像されるよりもはるかに危険なものであることがわかっています。既にこのカード絡みで何人もの犠牲者が出ている。私たちは、矢吹さんを守るためにやって来ました」
完全に気圧された矢吹に対し、一青はダメ押しめいて言葉をかける。怯えたチンピラ相手にも真摯に、本当に貴方のことを案じているのだ、という視線をまっすぐ向け、本心から言葉を紡いだ。だからこそ、矢吹も嘘ではない。この警官は本気で俺の心配をしている……そう感じ取ることができたのだ。
「だッテメ……どうしろって……言うんだよ」
「どうか、そのカードを私たちにお預けいただけませんか。そして他の罪も償いましょう。今はマイナスかもしれませんが、マイナスはゼロに。ゼロはプラスにできるはずです。当然、楽な道と安請け合いすることはできませんが……私もできる限りお手伝いしたい」
「ハ……」
甘い、甘すぎる。眼の前の警官はまるでこの世の中に正義が本当にあると思っているような言葉を吐いた。が、その愚直なまでの信念が、ついに男を折れさせるに至った。
「わかったよ……あんたにゃ負けたぜ」
完敗だ。俺はこいつみたいに何かを信じることができず、楽な道に折れたのだ。だが一度折れた道でも。もう一度正しい方向へと戻れるなら……努力してみるだけの価値はあるのかもしれない。矢吹はそう思った。
「私としてはもうちょっと骨のあるヤツのほうがよかったんデスガ、まあ小物デスしネー……つまんネーデス」
「そうはいいっこなしよ、インビジブルたちに教えてもらって、おいしそうな酸辣湯麺のお店を近くに見つけたから任務が終わったら食べていきましょ。あ、葱餅? とかチマキなんかもあるみたいよ」
「ヤッタデース! 真綾ちゃんは北京ダックがいいデース! 肉肉肉!」
「グーッド! レシピを教えてもらって真心食堂で再現するのも良さそうね」
そしてその後ろでシンシアたちはすっかり任務終了とばかりに中華街グルメを楽しむ計画を立てていたのであった。
第3章 ボス戦 『ドクター・クォーツ』

「がっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
その時だ。矢吹の体が激しく、いやその存在自体が激しく振動したかのようだった。
「あ゛あ゛あ゛! あ゛あ゛あ゛あ゛!」
震動が強まるに従って、その輪郭すらも曖昧になり空気へと溶け込んで消えていく。ものの10秒も立たず、矢吹はこの時空から『消滅』した。
「まったく……過去人類がこれほど愚鈍とは……凶悪な半グレ? が聞いて呆れる。やはり悪の組織とは我々『秘密結社プラグマ』が至高にして至凶であり至宝の存在であることに疑いない……!」
地下クラブダンスホールの中心に立ち、矢吹に対して手のひらを向けていたのは——秘密結社プラグマが全√を征服した未来からやってきたという狂気の科学者『ドクター・クォーツ』!
「さて、さて……お初にお目にかかる。が、時間というのは有限でね。私は研究で忙しいゆえ君たちに対する挨拶は割愛させていただき、そのシデレウス・カードを回収するためにお別れの言葉を送らせてもらうよ。つまり『我らがプラグマのために死んでいただく』!」
問答無用で襲いかかってくる! この未来からの刺客を打ち払え!
「うわっ死んだ……」
「そのどうでもいいクズが気になるか、お優しいことだな。だが気を取られている暇などあるまい! やれ、我がプラグマの同志たち!」
時空震動に巻き込まれ分解されていった矢吹。正直言って悪人だし、こういう手合はなんだかんだ変われないものだ。などと若干シニカルに考えつつも——更生の意志を見せていた人物を見捨てるのも目覚めが悪い。少々の無茶を行ってみるとしよう。
——『レベル3兵装限定解除』。
リミッターを無視し、自身の量子干渉能力を一つの事象に集中する。当然、予知めいた演算能力等の機能はその間、処理に追われほとんど使用できないが……たとえ演算が十全にできないからといって真心家の長女は無力とはなり得ない。『叢雲』は既に体の一部と言っていいほど手に馴染んでいる。
——BLAM! BLAM! BLAM!
ドクター・クォーツの号令一下、下級怪人たちがこちらに飛びかかってくるのが見えたが冷静にそれらに量子干渉弾頭を打ち込んでやる。マンストッピングパワーにおいては、45口径なんかよりも格段に上だ。なんせ、量子の動き自体を止めてしまうのだから。
そしてそれを空間歪曲装甲に巻き込んで……シュート!
「何……これは、量子を操っているのか……! これほどの技術をッ!」
「未来技術はあなただけの専売特許だと思いましたか? 生態型情報移民船を舐めないでほしいですね。あ、ついでに矢吹さん。さっさと逃げたほうがいいですよ。一度拾った命ですし、そう何度もやれといわれても困りますからね」
「え……!?」
ドクター・クォーツに啖呵を切りながら『矢吹』に話しかける。量子干渉能力をすべて注ぎ込んで、消え去ったという事象そのものをなかったことにした。つまり、『死』という結果そのものが消え去る。矢吹は何がなんだかわからない、という顔をして周囲を見回したあと、逃げ去っていくのが視界の端に見えたがこれ以上は彼の運と逃げ足に任せる他無いだろう。
「……自ら悪の組織を標榜するだけあって、中々えげつないことを。とはいえ、早く終わらせたいというのには同意だし一本筋が通っているのも気に入ったわ。あなたの言う通り、さっさと終わらせてしまいましょう。完ッ全に中華の口で。酸辣湯麺が!私を呼んでいるから!」
さっさとブチのめして中華のお店に行こうね、と周囲に冗談めかして言うと次の瞬間には既に古代語魔術の高速詠唱に移る……と同時に、雑用インビジブルに命じてカードの入ったケースを味方の後ろへ。魔術師はハッカーめいて思考をレイヤー化し、マルチタスクして当然。いくつかの術式を展開しながら——呼び出したのはウィザード・フレイムだ。古代語魔術師においてポピュラーな術式ではあるが……例えばプロボクサーの『ジャブ』と常人の『左パンチ』が明確に差があるように、シンシアの高い技量から放たれるそれは凡百の魔術師のそれを凌駕する。
「魔術が如き苔の生えた詐術で私の科学に対抗するつもりか! 科学の力を識れ!」
「あら、科学者ともあろうお方なら積み上げられた技術体系の価値を知っているものだと思ったけれど」
対するドクター・クォーツは嘲笑するように笑いながら大仰な機械砲を取り出し、トリガーを引く。すると容易に視認できるほどの熱量を誇り白熱するようなエネルギー波が放出された。進歩した技術は魔術と区別がつかない。アーサー・C・クラークの有名な言葉だが、同じ魔術であるなら——『強いほうが勝つ』。
——DOOOOOOOM!!!
ウィザード・フレイムとエネルギー砲がぶつかり拮抗……いや、古代の魔術が! 徐々にそれを押し戻す!
「馬鹿な!」
「馬鹿でもなんでもないわ。これが『結果』よ。科学者さん」
「ちぃいっ!!!」
完全にウィザード・フレイムが科学エネルギーを押し切り、ドクター・クォーツはとっさに横にローリングしてそれを躱す他無い。手にした機械からはオーバーヒートめいて煙。もう使い物にはなるまい。
「……連綿と受け継がれた古代語魔術の一片をご照覧あれ」
(矢吹の身柄を洗ってたらちょっと出遅れたかしら……まぁ、シデレウス・カードは確保してあるようだし最低限の仕事は完了。怪人相手に正面から太刀打ちできないし、ここで離脱してもいいんだけれど……)
「……お姉さんとして、妹と同じような年代の子が頑張ってる中撤退、というのもカッコつかないわよね」
できることは少ないかもしれない……が、皆無である訳ではない。なら、多少気張っても悪くはあるまい。ちょうど味方√能力者と敵怪人集団はこちらに気づいていない。奇襲できる絶好のポジションに居るとも言える。
「……いくわよ」
物陰に隠れて密かに敵側面を取ると、『籠魂術符』——妖力が込められた折り紙を細かく千切ったものをぱっと戦場にばらまく。それらが意思を持ったかのように舞い散り、下級怪人たちの周囲に展開したのを確認、すぐさま9mmオートでの援護射撃を行う。
「なんだ!?」「グワッ、畜生」「くそ、うっとおしい!」
小口径の9mm弾では怪人相手にはいささか力不足だが……『籠魂術符』の破片に弾丸を反射させピンボールのように跳ね回らせてやった。音と見た目の派手さでねずみ花火めいて敵集団の動きを止める。幸い、味方の火力は高い。足が止まれば……
——DOOOOOOOOOM!
「ギャーーーッ!!!!」
味方能力者の√能力が直撃し、数体の怪人がバタバタと倒れた。
「ふーっ、ふーっ……やれるじゃない、私」
それを確認すると、すぐ薄暗いクラブ内の物陰に隠れ、息を整える。まさしく、一矢報いてやったといっていいだろう。
「……なんてことをするんだ……秘密結社プラグマにとっては彼すら……!」
「フン、だからどうした。むしろこの時代のチンケなクズ……半グレとかいうのに期待したこちらが馬鹿だったよ。それにくらべて、我々プラグマは純粋なる悪だ!」
人一人をなんの躊躇もなく消し去ったドクター・クォーツ。この段に来てはさすがの一青も交渉と対話は不可能であろうと判断する他無い。
(街のおまわりさんになるつもりが、未来から来た怪人と戦うなんてな……怖い、だけど……ここで正義を果たせず皆を守れないことのほうが、もっと怖い……!)
率直に言えば、今にも逃げ出してしまいたいとすら思う。だが、今自分がそうすればなんの罪もない市民が涙を流すかもしれない。それは嫌だ。そんなシンプルな『男の意地』が一青の足を前に進める。
「来るか。ならばあのチンピラと同じくお前も時空の彼方に消し飛ばしてやる……!」
「くっ……」
『来る』。あの恐るべき震動波。自身の霊震と似ているがあれほどの出力を出せるほどの力はない。もし対抗しようとしてもきっとこちらが力負けする。そもそも似ていると言うだけでどういう理屈であの現象が起きているのかもわからない。避け方すら思いつかない。それでも……
「おおおっ!」
「バカめ、進退きわまり暴発めいて無謀な突撃に出たか! 愚民の考えることは理解できないね!」
声を上げ突撃した途端、ぶおん、と自身の身体が『ブレ』た。存在そのものが揺さぶられ、少しづつ消え去っていく感覚。なんの音も聞こえない。触覚も消える。自身がこの世界から隔離され、ばらばらになっていく。おお、ここに天吹一青異能捜査官は殉職の最後を遂げてしまうのか!? 否!
(僕の右腕……これで!)
何もかもがあやふやな中で、右掌で自分の頬を張るように触れる。その瞬間ぱしんという音とともに『宿った力』が自分をこの世界に引き戻した。
「何……?」
これが一青の|もう一つの√能力《ルートブレイカー》。右手で触れた全ての能力をゼロに戻し、無効化する。切り札たる力。
「私の時空震動波を耐えただと? ありえん!」
「……聞きたい、あなたには『守りたいもの』はありますか?」
地面が揺れるなら床を。什器が揺れるならそれを。僕が揺れるなら僕自身を叩いて振動を止める——。一青は自分が一瞬先にも完全にバラバラになってしまうのではないかという恐怖を荒削りな『勇気』で抑え込み、一歩一歩前に進む。そして。
「僕が守りたいのは、僕の見知った世界だ。せめてこの『手』が届く範囲ぐらいはッ!」
「よ、寄るnゲブッ——」
青臭い叫びと共に一青の右拳がドクター・クォーツの顔面を捉えた——。
「クッ……私の顔を殴るなどと……崇高な頭脳が——ギャアアアアッ!!?」
一青に殴り飛ばされ、半回転しながら無様に地面を舐めるドクター・クォーツ。顎を抑えながら立ち上がろうとするものの、床についた手を縫い留めるようにフォトンシザースが突き立った。
「警察官サンはグッジョブデスがァーーー……√能力者はブッ殺さないと止まらないデスカラネェ……ここから先は真綾ちゃんに任せて貰いマスヨォー……待ってましたァーーー……ずっとこの時をォォォ……」
「ひい!?」
ドクター・クォーツが身をひねり、見上げた先にはカクテル光線を後光めいてうけつつも薄暗いクラブホールの陰を顔に落とし、真っ赤な瞳を嗜虐的殺人快楽への期待に爛々と輝かせた真綾の姿だった。
「その崇高な頭脳とやらをえぐり出してェーーーーッ!!! バラッバラにしてやるデェーーース!!!!」
既に周囲には燐光を纏ったマルチプルビットが展開済みだ。逃げ道はない。ドクター・クォーツの脳がどれほど優秀であろうともこの状態からの脱出経路は導き出せないだろう。
「ヒャアッハハハハアアアハハハハハハハハハハァーーーーーッ!!!!!」
◆◆◆◆◆◆
「すっぱ! でも辛味もあってうまいデース! そこにさらにまんじゅうに包んだ……北京ダック! ウマーイ!!!」
「真綾さん、野菜も食べたほうがいいわよ。バランスバランス」
「はーい」
「じゃあこれ食べる? 空芯菜の肉味噌炒め」
それから2時間ほど経って、まじめな一青は事後処理を担当すると申し出てこなかったが約束通り皆でシンシアの見つけたおいしい中華のお店で舌鼓を打つのであった。たまにはこういう終わりもいいものだろう。