おいしいご飯を食べるために
●√EDEN上空
「uisdgcuilgasuilsakhytykx-as!!!」
人間には、いや、この|世界《√》にいるあらゆる生命体には解読できない叫びが響き渡る。
言語化不可能、解読不可能、理解不可能。
その叫びは√EDENに住まう生命体を震わせる。
その叫びは√EDENに住まう|生命体《・・・》を狂わせる。
それは、死して透明な存在と化した|見えない怪物《インビジブル》も含まれる。
やがて薄れ消えていくはずのインビジブルが叫びを聞き、その身をくねらせる。
その色が禍々しく染まっていく。
「uisdgcuilgasuilsakhytykx-as!!!」
再び、叫び声が聞こえる。
禍々しく染まったインビジブルは金切り声を上げて人々に襲い掛かる。
しかし、人々は傷つきながらも何が起こったのか理解できない。
ただ、気が付けば傷つき、倒れ、命を落とし、インビジブルとして浮上し、そして狂わされていく。
狂気の連鎖、死の連鎖、不可視の連鎖――。
空気を震わせ、そこに一つの人影が浮かび上がる。
黒く、鮮やかで、禍々しく、神々しい――「神」とも呼べそうなその姿に、それを「視た」ものは恐怖する――。
●とある√の地下アジト
「――っ!」
暗殺の仕事を終え、ひと時の休息をとっていた鏡見・氷雨(愛を掴んだ暗殺者・h00561)は目を開けた。
荒い息を整え、身体を起こす。
「……」
今見た夢は。今視たものは。
「――夢を、見た」
ぽつり、と氷雨が呟く。
自分に言い聞かせるように、まるでそこに誰かがいて、聞かせるように。
「|楽園《√EDEN》に――『DEEP-DEPAS』が現れた」
|星を詠んだ《夢を見た》だけなのに、いまだに全身が総毛だつような不快感。
「『DEEP-DEPAS』はその叫びでインビジブルを狂わせている。狂ったインビジブルは人々を襲い、それによって命を落とした人々がインビジブルとなって狂わされていく」
あまりにもおぞましい|ゾディアック・サイン《夢》。
ただ一つ、幸いなのはこれは|夢《予知》であり、まだ現実とはなっていないということ。
「……『DEEP-DEPAS』を倒し――いや、追い払ってほしい」
√能力者として得た知識としては、『DEEP-DEPAS』は倒せるものではない。厳密には「倒せたかどうか分からない」存在である。夢に現れた個体が過去に出現したものと同一の個体なのか別の個体かすら分からない。
だから、氷雨は「追い払ってほしい」としか言えなかった。
倒せていたのならそれでよし、倒せていなかった場合は――再戦もあり得る。
そう呟いた直後、氷雨の脳裏に映像が差し込まれた。
インビジブルを狂わせ、人々を襲わせる『DEEP-DEPAS』の混乱に乗じ、別の√から現れる別√からの敵。
まずい、と氷雨は呻く。
「厳しい戦いになりそうだ。だが、俺にできることは降ってくる星を詠むことだけ……」
しかし、と氷雨はさらに呟く。
「俺は、お前たちが|√EDEN《楽園》を守り切ってくれることを信じている。もし、『DEEP-DEPAS』と別√からの敵を蹴散らした暁には、『楽園の果て』という店に行くといい。幸せになれるはずだ――たぶん」
相変わらず呟くようにそう言い、氷雨は口元に笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、俺は信じている。お前たちが一騎当千の戦士だということを」
おいしいご飯を食べるために。そんな目標があってもいいだろう、と呟き、氷雨は次の|戦い《星詠み》が降ってくることを願い、横になり、目を閉じる。
――願わくば幸せな星が降ってくることを。
第1章 ボス戦 『『DEEP-DEPAS』』

吹き荒れるインビジブルの渦。その中央に、『DEEP-DEPAS』は佇んでいる。
『DEEP-DEPAS』自体は一見、何かアクションを起こそうとしているようには見えない――しかし。
「わたくし、欠落のせいで万年飢餓状態なので、√EDENの飲食店がなくなっちゃうと困るんですのよ!」
『DEEP-DEPAS』を前に、そう高らかに叫んだのは|フーディア・エレクトラムリーグ《"Who's the Dear crawled outof my Electrum League?"》(暴食汚職暴力お嬢・h01783)だった。それに続き、そうだそうだと『DEEP-DEPAS』を見据える二人の√能力者。
真眼怪人「サイクロプス」である|百目鬼・天巫《どうめき・あまみ》(真眼怪人「サイクロプス」・h02219)と、何が欠落したかも分からないまま√能力者として目覚めてしまった|雪月・らぴか《ゆきづき・らぴか》(えーっ!私が√能力者!?・h00312)。
「平和を乱す奴はこの真眼怪人「サイクロプス」がボコボコにしてやるっス!」
「ひええ、こんなのと戦うの!?やばくない?」
天巫とらぴかは口々にそう言うものの、心の奥で考えていることはフーディアとほぼ同じだった。
「√EDENの人々が、営みがなくなると困る」と。
√EDENは「約束の場所」。最後まで夢見る、楽園。
その楽園に生きる人々を、その楽園での営みを、誰も消し去りたくなかった。
おいしいご飯を食べるために、でもいい。どのような理由でもいい。ただ、「幸せに生きてほしい」という共通の思いがあれば、それでいい。
「行きますわよ!」
フーディアがそう音頭を取り、『DEEP-DEPAS』に向かって駆けだす。
それに続き、天巫とらぴかも地を蹴った。
「kdhielajskgoekzjgkslaj-zo!!!!」
三人がこちらに向かってくることを悟った『DEEP-DEPAS』が絶叫する。
周囲を漂うインビジブルが狂った色に染まり、三人に向かって突撃する。
「食べ過ぎで出禁になってる店も結構ありますけれども!!そういうわけでガチで戦いますわ~!!」
初手から全力全開、フーディアが√能力『|流麗白銀蜘蛛蟷螂《クイックシルバー・デスサイズスパイダー》』を発動、カマキリの鎌腕を持った巨大な白銀の蜘蛛へと姿を変える。
「美〜味しそ〜ぅですわねぇっ、アナタッッッ!!!!!」
まずは手近な暴走インビジブルに襲い掛かり、一息に捕食するフーディア。
その動きに触発され、周囲の暴走インビジブルが一斉にフーディアに襲い掛かるが、その全てをフーディアは片っ端から平らげていく。
フーディアが周囲の暴走インビジブルを一手に引き受けたことで、天巫とらぴかには『DEEP-DEPAS』への道が開かれる。
「その叫び、煩いっス!」
天巫が吠え、「御霊武装・クラッシュパンチャー」を装備した両腕の拳を『DEEP-DEPAS』に叩き込む。
「jsigjewjskshfjkidfla;emcnei!!」
『DEEP-DEPAS』が叫ぶ。その姿が掻き消え、暴走インビジブルが天巫の前に現れる。
「――ッ!」
『DEEP-DEPAS』が天巫の背後に出現する。その手が、天巫へと伸ばされようとする。
しかし、それをらぴかが突進して阻止した。
「天巫さん、大丈夫!?」
両手の拳を握り締め、らぴかが叫ぶ。
「大丈夫っス!」
即座に体勢を立て直し、天巫がらぴかの隣に立つ。
「そっちこそ大丈夫っスか?」
天巫には見えた。らぴかの拳がわずかに震えているのが。
そして思う。らぴかはまだ√能力者としての戦いに慣れていないのでは、と。
その天巫の読み通り、らぴかはまだ戦いに慣れていなかった。
ある日突然√能力者として目覚め、いくつかの√を見た程度だ。
だから、正直なところ戦うのは怖い。
それでも、らぴかの心は闘志で燃え上がっていた。
『DEEP-DEPAS』と対峙する直前、聴こえた「声」はらぴかに「一騎当千の戦士だ」と伝えてきた。
今ここで共に戦うフーディアや天巫にもその声は聞こえていた、つまりらぴか一人に向けられた言葉ではなかったが、それでもその一言があっただけでらぴかの心は燃え上がっていた。
(まだ実戦経験ほとんどない私が一騎当千!?今回の星詠みさんは見る目があるね!えへへ……)
まだ、共に戦う二人ほどうまく立ち回れないかもしれないけれど――それでも、今は目の前の『DEEP-DEPAS』と戦う。
その闘志が、フーディアと天巫にも伝染していく。
「ま、アタシらはあいつをぶっ飛ばすだけっス! 余計なことは考えないっス!」
「うん!」
再度、天巫とらぴかは『DEEP-DEPAS』に突撃した。
らぴかの拳が『DEEP-DEPAS』に叩き込まれていく。
「イイ感じっスね! アタシもやるっス!」
そうらぴかを励まし、天巫が√能力『|爆裂百裂粉砕撃《ライオット・ビート》』を解き放った。
「歯ぁ、食いしばるっスよ!」
天巫が自身の怪力で『DEEP-DEPAS』に拳を叩き込んでいく。何発も、そう何発も。
御霊武装・クラッシュパンチャーに込められた御霊の力が天巫に力を与え、『DEEP-DEPAS』を穿ち、削っていく。
「あっ!?逃げるなっス!うわっ!?こっちにくんなっス!」
時折『DEEP-DEPAS』が暴走インビジブルと場所を入れ替え、天巫とらぴかを翻弄するが、二人で見ている限り、見失うことはない。
そうするうちに、『DEEP-DEPAS』は作戦を変えたかのように叫び声を上げた。
その叫びが微妙に違う、とその場にいた三人が思った瞬間、三人の周りに新たな暴走インビジブルが大量に現れる。
『カウントレス・インビジブル』――まさに計測不能のインビジブルの数に、三人はおじけづく――
「新しいご飯が来ましたわよ~!!」
――はずがなかった。
まずはフーディアが歓喜の声を上げる。
「嫌なものこそ「食べる」に限る!!」
そう叫ぶフーディアの声は全く嫌そうではない。むしろいただきますとばかりに無数のインビジブルを貪りつくしていく。
らぴかもフーディアに続けとばかりに√能力『|霊雪叫襲ホーンテッドスコール《レイセツキョウシュウホーンテッドスコール》』を発動した。
らぴかを中心とした半径15mを叫ぶ死霊と硬い雪の混ざった暴風が吹き荒れる。
それに合わせ、天巫も飛んできた暴走インビジブルを殴ると、その拳圧で暴走インビジブルを『DEEP-DEPAS』へと吹き飛ばしていく。
らぴかと天巫の息の合った吹き飛ばしで、無数の暴走インビジブルが濁流となって『DEEP-DEPAS』に押し寄せていく。
それを追ってフーディアが突撃し、その鎌腕で『DEEP-DEPAS』に取り付いた。
「本命、いただきですわ~!!」
がぶぅ、とフーディアが『DEEP-DEPAS』に噛みつく。
食いちぎられまい、と『DEEP-DEPAS』が叫び、その音波がフーディアを激しく揺さぶるが、蜘蛛糸での捕縛も交え、喰らいつく。
射程度外視で解き放たれた白銀貫糸砲の銀糸が、蜘蛛の針脚による白銀針連脚が『DEEP-DEPAS』に突き刺さる。
再度叫び、暴走インビジブルを呼び出す『DEEP-DEPAS』。
しかし、ただの数の暴力では、誰も怯むことはない。
『DEEP-DEPAS』の叫びに、|野分・時雨《のわけ しぐれ》(初嵐・h00536)が顔をしかめる。
「何言ってるかぜんぜん分かりませんが!意思疎通の必要が無いのであれば、お仕事をしましょうか」
先ほどの三人の攻撃で『DEEP-DEPAS』が呼び出した大量の暴走インビジブルは周囲を飛び回っている。幸いなことに、暴走インビジブルは三人に気を取られ、街の人々を襲っていない。インビジブルが視えない一般の人々は『DEEP-DEPAS』に一度は目を留め、恐れおののいてその場から立ち去るものの、少し歩いたところですぐに何事もなかったかのように去って行ってしまう。
心を守るための『忘れようとする力』がうまく働いているな、と確認し、時雨は『DEEP-DEPAS』に向かって駆けだした。
茶色の髪から覗く野牛の角を振りかざし、時雨は鋼糸を『DEEP-DEPAS』に向けて解き放った。
鋭く、細い鋼鉄の糸が『DEEP-DEPAS』を取り囲む暴走インビジブルを引き裂き、『DEEP-DEPAS』にも絡みつく。
――と思ったところで『DEEP-DEPAS』の姿が掻き消え、時雨の目の前には絡みついた鋼糸に粉々にされる暴走インビジブルが現れる。
「厄介ですね!」
『インビジブル狂化現象』による『DEEP-DEPAS』と暴走インビジブルの入れ替わり、その厄介さと、まとわりつく暴走インビジブルの攻撃に低く呻くものの時雨はそれを気合で吹き飛ばした。
多少のダメージは霊的防護で何とかなる。それよりも、早く『DEEP-DEPAS』を何とかしなければいくら√能力者が複数いてもどんどん追い込まれていく。
「入れ替わるわうるさいわ腹立ちますねぃ。ついでに身軽にするためにメシを抜いてて空腹なので腹立ちます。ご飯食うために早めにお帰りいただきたく!」
『DEEP-DEPAS』に対する怒りが時雨の中で膨れ上がる。それは身軽に立ち回るためと食事を抜いてきた、空腹による怒りも含まれていたがそんなことはどうでもいい。
「他人と真っ向から向き合うのはお嫌いですか?」
そう一言、時雨は『DEEP-DEPAS』に向かって突撃した。
『DEEP-DEPAS』が暴走インビジブルと入れ替わるよりも早く、頭部の野牛の角を突き立てる。
「慈悲はありません!」
叫ぶと同時に、√能力『|牛鬼力業《ウシオニチカラワザ》』を解放、牛の脚力で牽制し、『DEEP-DEPAS』が動きを止めたとこを背中に隠していた蜘蛛脚で捕縛、そこから全力のラッシュを叩き込んだ。
「uskeogjkajjbslkdfjkljadjglkkms!!!!」
『DEEP-DEPAS』が叫び、暴走インビジブルと入れ替わろうとするが、その入れ替わり対象の暴走インビジブルが幸運にも他の√能力者の攻撃で撃破され、不発に終わる。
「行きますよ!喧嘩殺法!」
時雨がさらに『DEEP-DEPAS』に拳を叩き込む。
「まだ居座りますか?ぼくはのんびりな牛さんです。いくらだって付き合いますよ」
あとは根競べと行きましょうか、と時雨は『DEEP-DEPAS』に向かってそう言い、不敵な笑みを浮かべた。
先の三人の攻撃と時雨の猛攻で流石の『DEEP-DEPAS』も疲労の色が見えてきたようだった。
あくまでも四人の目には「動きが少し鈍った」程度にしか映っていないが、それでも周囲を飛ぶ暴走インビジブルは少しずつ数を減らしつつあった。
「まったく、しつこいっスよ!」
先に仲間を励ましつつも『DEEP-DEPAS』に無数の拳を叩き込んでいた|百目鬼・天巫《どうめき・あまみ》(真眼怪人「サイクロプス」・h02219)は自身を奮い立たせるようにそう叫び、再び『DEEP-DEPAS』に突撃した。
こちらもかなり疲弊したところへの時雨の突撃は天巫たちを一息つかせるのにいいタイミングだった。
息を整え終わった天巫はここにきて自身の全ての力を解き放つべく√能力を解放する。
「目覚めろ、「サイクロプス」!」
『|一目開眼《アウェイクン・アイ》』。「護霊武装・クラッシュパンチャー」が虹色に輝きだす。
「うぉぉぉ!唸れアタシの拳!」
その、虹色に輝いたクラッシュパンチャーで天巫は自分の前に飛び出してきた暴走インビジブルを殴りつけた。
まるで飛んできた豆腐を殴り飛ばしたかのように暴走インビジブルが弾け、周囲に拳圧と共にその破片を飛び散らせていく。その拳圧と暴走インビジブルの破片が周囲の暴走インビジブルをさらに吹き飛ばしていく。
「どんどん行くっスよ!」
次から次へと天巫は暴走インビジブルを吹き飛ばしていく。
『DEEP-DEPAS』も暴走インビジブルを召喚するが、一騎当千の√能力者が4人集まった状態では、召喚するよりも撃破される暴走インビジブルの数の方がはるかに多い。
暴走インビジブルをぶちのめし、前進していく天巫。暴走インビジブルを殴っていくたび、クラッシュパンチャーに宿った虹色の光が青みのかかったものから緑、黄色、橙、と変化していく。
「おらおらぁ!遅いっスよぉ!」
クラッシュパンチャーの餌食になる無数の暴走インビジブル。そしてそのクラッシュパンチャーが真っ赤に光ったとき、天巫の闘志も最高潮に達していた。
ここで決める、その闘志がクラッシュパンチャーにさらに力を与え、クラッシュパンチャーが、いや、天巫の全身が真っ赤な炎に包まれる。
「これで――最後っス!!」
最高潮に高まった闘志とエネルギー充填120%のクラッシュパンチャー、その二つが揃ったとき、天巫は一つの流星となった。
真紅の炎に包まれた天巫が真っすぐに『DEEP-DEPAS』に突き進んでいく。
『DEEP-DEPAS』もそれを喰らうわけにはいかない、とばかりに暴走インビジブルと場所を入れ替えるが、ただ一方向にしか飛べない流星と違い、天巫は立派な√能力者。
すぐにターンし、さらに炎を膨らませながら『DEEP-DEPAS』に向かって突き進む。
膨らんだ炎は暴走インビジブルを巻き込んで焼き尽くし、徐々に『DEEP-DEPAS』が入れ替わることができる暴走インビジブルが限られてくる。
そこを、天巫は見逃さなかった。
最後のターン、巨大な炎の流星となった天巫の拳が『DEEP-DEPAS』に叩き込まれる。
「fijkdjlakwduiubgjskl!!」
断末魔の叫びのような叫びを上げ、『DEEP-DEPAS』はその身をよじらせた。
次の瞬間、その姿がふっと掻き消える。
まるで初めから何もなかったかのような空気。
『DEEP-DEPAS』の叫び声から解放された暴走インビジブルが狂気から解放され、徐々に元の色を取り戻していく。
ふわり、とインビジブルたちが体をくゆらせ、散り散りに去っていく。
それを見て、天巫が拳を天に突き上げた。
「これが、アタシの…「サイクロプス」の力っス!」
|√EDEN《楽園》に迫った恐怖は一つ、消え去った。
――しかし、戻ってきた青空は一瞬にして曇り、次なる恐怖の気配を漂わせていた。
第2章 集団戦 『ナイチンゲール』

曇った空にいくつもの光が現れる。
街行く人々はちら、と空に目をやるが、すぐに何事もなかったかのように去っていく。
――と、その光を中心に、いくつもの裂け目が現れた。
裂け目から飛び出す無数の光の玉。
いや、それはよく見ると無数の「妖精」だった。
機械の羽を背負い、空を自由に飛び回る――|機械の妖精《ナイチンゲール》。
『DEEP-DEPAS』が去った直後に現れた新たな脅威。
戦いはまだ終わらない。この機械の妖精たちを蹴散らすまでは。
「ふひー、なかなか大変な敵だったねー!でも何だか楽しかった!」
『DEEP-DEPAS』が姿を消し、青空が戻り、|雪月・らぴか《ゆきづき・らぴか》(えーっ!私が√能力者!?・h00312)は大きく伸びをしながらそう声を上げる。
――が、青空が戻ってきたと思った次の瞬間には再び空が曇り、そしてそこから無数の|機械の妖精《ナイチンゲール》が現れたことに今度はうへぇ、と唸る。
「ってもう次の敵来てるの! ?はやいよ!」
確かに、星詠みは「『DEEP-DEPAS』の後に別√からの敵が来る」とは言っていた。
しかしこんなすぐに来るとは、とらぴかは苛立ちを覚えずにはいられなかった。
苛立ちは覚えたが、空中から襲来したナイチンゲールは数こそ多いものの先ほどの『DEEP-DEPAS』に比べればはるかに楽そうではある。むしろ『DEEP-DEPAS』が狂化させた暴走インビジブルの方が色々と厄介だったという意識まである。
勿論、ナイチンゲールの攻撃はそれはそれで脅威である。多くの人を巻き込む可能性もある。
だから、ここで逃げ出すことはできなかった。
一騎当千と言われたからではない。らぴか自身がここで逃げることを選択しなかった。
「でもでも、さっきのに比べると怖くないっていうか何か可愛いし、油断しないように頑張ればやれるよね!」
そう気合一発、らぴかは隣に「彷徨雪霊ちーく」を召喚した。
空中を飛び回るナイチンゲールに対し、らぴかは飛ぶことができない。それならばと呼び出したちーくちゃんはすぐさま空中のナイチンゲールに突撃し、時には体当たりで、時には自身の冷気でナイチンゲールの翼を凍らせ、空中でのバランスを崩していく。
空中でバランスを崩したナイチンゲールは浮力を制御できずに地上にばらばらと落ちてくる。
それに対抗するかのようにナイチンゲールも『ナイチンゲールライド』によって待機していた他の個体を指揮するが、ちーくちゃんはそれもまとめて地面に叩き落としていく。
地に落ちたナイチンゲールはそれでも戦闘能力を失っていなかったが、ここまでくればらぴかの独壇場。
「こいこい集まれ吹雪の力っ! ズバッと一発れっつごー!」
√能力『|雪風強打サイクロンストレート《セップウキョウダサイクロンストレート》』発動。らぴかの左拳を吹雪が包み込む。
「そぉーれ!」
らぴかの渾身の一撃。
地上で体勢を立て直し、らぴかに襲い掛かろうとしたナイチンゲールたちをらぴかの拳が、拳を包み込んだ吹雪が吹き飛ばしていく。
さらに吹雪はナイチンゲールの装甲を凍らせ、らぴかの拳で粉々に打ち砕いていく。
ナイチンゲールたちもこれはまずいと判断し、回避を試みるが『ナイチンゲールライド』の反動による反応速度の低下に加え、らぴかの『|雪風強打サイクロンストレート《セップウキョウダサイクロンストレート》』の補助効果による移動速度上昇で回避することもままならず、次々と拳に打ち砕かれている。
「どーだ、私の拳は!」
目の前の全てのナイチンゲールを打ち砕き、らぴかはへへん、と胸を張る。
しかし、ナイチンゲールはまだまだ空中を飛んでおり、いつ数が尽きるかは分からない。
すぐに体勢を整え、らぴかはもう一度ちーくちゃんを呼び出した。
「次はどの子が私の相手かな? どんどんおいでー!」
「よっし! これで平和が…って、また別の敵っスか!?」
『DEEP-DEPAS』が消えたことでほっと息をついた|百目鬼・天巫《どうめき・あまみ》(真眼怪人「サイクロプス」・h02219)も空中に無数に現れたナイチンゲールに驚きの声を上げる。
「狙われやすいとは聞いていたっスけど、来すぎっス!?」
√EDENはこんなにも狙われやすい世界だったのか、と天巫は改めて思い知る。
楽園で、本当なら平和なはずで、人々が笑って暮らせるはずの√。
そこに押し寄せる数々の脅威に、天巫はぐっと拳を握る。
が、その目は闘志に燃え、口元には笑みが浮かんでいた。
「けど、今のアタシはノリに乗ってる「サイクロプス」っス! このアタシがどんな敵でもぶっ飛ばしてやるっスよ!」
先ほどの戦いでウォーミングアップは十分。気力は減るどころか増える一方。
来るなら来い、と天巫は拳をナイチンゲールの大群に向けた。
「飛んでくるなら飛んでくるっスよ! アタシの拳でぶっ飛ばしてやるっス!」
その挑発に、ナイチンゲールは易々と乗ってしまった。あるいは、視界に映る天巫を脅威と判断し、排除のために向かったのかもしれない。
いずれにせよ、ナイチンゲールの大群は一斉に天巫に向かって襲い掛かった。
「来たっスね!」
腰を落として身構え、天巫が両の拳に力を蓄える。
そして最初の1体が拳の届く範囲に到達した瞬間に、天巫は『|爆裂百裂粉砕撃《ライオット・ビート》』を解き放った。
天巫の「護霊武装・クラッシュパンチャー」によるパンチがナイチンゲールの最初の1体を吹き飛ばす。
「殴りまくるっスよぉ! ボコボコっス!」
即座に左の拳がそして再度右の拳が、と天巫の両の拳がパンチ1発につき1体のナイチンゲールを粉砕していく。
ナイチンゲールもただ粉砕されるだけではない。数にものを言わせて天巫を取り囲み、『ナイチンゲールドライブ』による超高速飛翔突撃で天巫に反撃した。
だが、
「そんなもの、効かないっス!」
天巫の気合と、「護霊武装・ヘビィテクター」による鉄壁の防御でダメージを全て跳ね返していく。
「もういっちょっス!」
天巫の拳がナイチンゲールの背中に叩き込まれる。
鈍い音が響き、ナイチンゲールの機械の背骨が砕け散る。
「おらぁ!へし折れろっス!」
ナイチンゲールも人の形をした機械である。姿勢維持の要となる背骨を砕かれてはまともに動くことすらままならない。
地面に頽れたナイチンゲールをもう一発のパンチで粉砕し、天巫は危険を察し距離を取り始めたナイチンゲールに拳を向けた。
「アタシはまだまだっスよ! どんどん来るっス!」
まだまだ、心は折れるどこか燃え上がっていく一方。
天巫はにやりと笑い、
「来ないならこっちから行くっス!」
そう宣言し、地面を蹴った。
「へっ! 逃げても無駄っスよ!」
近接攻撃は分が悪い、と空中に飛び上がったナイチンゲールに向かい、|百目鬼・天巫《どうめき・あまみ》(真眼怪人「サイクロプス」・h02219)は「護霊武装・クラッシュパンチャー」を振り上げて叫んだ。
「うるさい声が静かになったかと思えばこれなんだよな」
天巫の隣に|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)が卒塔婆を担ぎ、立つ。
「どうですか、ここは二人で」
何か策を思いついたのか、時雨は天巫に声をかける。
「なんかあるっスか?」
「何もないです」
時雨の即答に、天巫は思わずずっこけた。
「何もないっスか!?」
策も何もなく、時雨は共闘を申し出たというのか。
しかし、時雨はにやりと笑い空中を飛び回るナイチンゲールたちを見る。
「できますよ。気合さえあれば」
その時雨の答えに、天巫もその顔に笑みを浮かべた。
「それは同意っス! 気合さえあればなんとかなるっス!」
それならば、と天巫はナイチンゲールから視線を外し、虚空の一角を見た。
「おい、どうせ見てるんスよね……力を貸すっス『プロヴィデンス』!」
天巫が虚空に呼びかける――と、そこに一つの球体が出現する。
その球体を「護霊武装・クラッシュパンチャー」の巨大な拳でむんずと掴んだ。
「やるっスよ!」
その掛け声とともに、天巫は球体をぽんと上空に投げ、その落下に合わせ「護霊武装・ヘビィテクター」に格納した。
球体がヘビィテクターに格納された瞬間、ヘビィテクターが変形、展開、天巫を包み込んでいく。
√能力『ギガンティック・サイサリス』――「超武装モード」へと変形し、攻撃力を倍増させる攻撃特化のモード。
全身が|強化外骨格《パワードスーツ》に纏ったがごとくヘビィテクターに包まれた天巫を見た時雨も、それならば、と手にした卒塔婆をバットのごとく素振りして身構えた。
「虫退治上等、叩き落とします」
「その卒塔婆でっスか?」
全身をヘビィテクターに包まれた天巫と、生身のまま卒塔婆を素振りして整える時雨。
時雨ははい、と満面の笑顔で頷いた。
「そんな時に便利なコレ。卒塔婆です!」
時雨の武器であり手足であり相棒の卒塔婆。
今回も頼みますよ、と大きく素振りした時雨は天巫に向かって頷いた。
「行きますよ!」「行くっス!」
同時に、二人は動く。
空中は『ナイチンゲールライド』によって呼び出された大量のナイチンゲールによって埋め尽くされている。
数が揃ったことで再び攻撃可能と判断したか、ナイチンゲールは一斉に二人に襲い掛かった。
「諸々の計算はそっちに任せるっス、『プロヴィデンス』!」
超武装モードのコアユニットとして格納した|球体《プロヴィデンス》に一声かけ、天巫は超武装モードの出力にものを言わせ、地を蹴り、空中高く飛び上がる。
ナイチンゲールの集団に飛び込み、天巫は巨大な両の拳を振り回す。
巨大な拳に捉えられ、何体ものナイチンゲールが空中での制御を失い、地上に落ちる。
「待ってました!」
天巫が空中にいるなら地上は安全地帯になるか――否、今度は時雨の土俵となる。
空中での制御を失ったとはいえ、ナイチンゲールもただ墜落はしない。
墜落の軌道を計算し、時雨を攻撃すべく態勢を整え落下していく。
そこを、時雨は真正面から立ち向かった。
手にした卒塔婆をフルスイング、落下してきたナイチンゲールに√能力『禍祓大しばき』をお見舞いする。
気合十分、通常以上に威力の乗った卒塔婆の一撃がナイチンゲールを粉砕する。
とはいえ多勢に無勢、卒塔婆のフルスイングを受けたナイチンゲールもいれば辛うじてそれを回避したナイチンゲールもいる。
しかし、それも時雨の計算のうちだった。
卒塔婆が外れたナイチンゲールの半径15mがどんよりとした空気に覆われた「載霊無法地帯」へと置き換わる。
この載霊無法地帯に踏み込んだものは全てやる気がそがれ、あらゆる行動が決まりにくくなる。
幸い、天巫は空中高く飛び上がっていたためその効果範囲から外れていたが、ナイチンゲールの大半がこのエリアに巻き込まれてしまい、計算能力が大幅に低下してしまっていた。
行動が|決まり《当たり》にくくなるとはいえ、完全に外れるわけではない。
数体のナイチンゲールが時雨に捨て身の体当たりを当ててくる。
「く――! それでも!」
霊的防護でダメージを軽減、第六感による直感でナイチンゲールの体当たりの被害を軽減しつつ、時雨は手を伸ばしてナイチンゲールの四肢を掴んだ。
「せぇ――のっ!」
びたん、とナイチンゲールを地面に叩きつける。喧嘩殺法で鍛えられた時雨の叩きつけにナイチンゲールが粉々に砕け散る。
「これもなかなかの手ごたえですが、しかし、やはり狙うは正々堂々のホームラン!」
地面に叩きつけたナイチンゲールから手を離し、時雨が卒塔婆を握りなおす。
その隣に天巫も着地し、地上のナイチンゲールたちを睨みつける。
「空中の奴はなんとかしたっス!」
天巫の言葉に、時雨がちら、と空を見ると、本当に天巫が全て叩き落したようで空中を飛ぶナイチンゲールの姿は一つもなかった。
地上に叩き落とされたナイチンゲールたちはここまでかとばかりに捨て身の行動に移る。
地上にはいるが、それでも低空飛行は可能と判断したのだろう、『ナイチンゲールドライブ』での超高速飛翔突撃を試み、一斉に二人に襲い掛かる。
「さて、どこまで飛んで行ってくれるでしょう! そぉーれっ!」
「粉砕するっス!」
時雨の卒塔婆フルスイングが炸裂、同時に天巫のクラッシュパンチャーがナイチンゲールの群れに叩き込まれる。
粉々に砕け散っていくナイチンゲールたち。
「卒塔婆、割れずに持つといいんですがねぃ」
卒塔婆でナイチンゲールを粉砕していた時雨がふと、呟く。
だが、護霊武装である天巫のクラッシュパンチャーとは違い、ただの木の板である時雨の卒塔婆はその攻撃に耐えられなかった。
ぱぁん、と卒塔婆が木の繊維に沿って真っ二つに裂ける。
「あっ!」
そう声を上げる時雨。しかし、卒塔婆が割れてもそれで戦意喪失する時雨ではない。
むしろさらに心を奮い立たせ、時雨は両手に真っ二つに割れた卒塔婆を握り締めた。
「むしろ槍のようになっていいですねこれ!」
まさに双槍卒塔婆流。時雨は両手の卒塔婆を振り回し、ナイチンゲールたちを葬り去っていく。
「負けてられないっスよ!」
天巫も気合十分、クラッシュパンチャーでナイチンゲールを殴り、殴り、殴り飛ばしていく。
たまに粉砕されずに弾き飛ばされたタフなナイチンゲールも時雨の|双槍《卒塔婆》によって打ち砕かれていく。
――そうするうち、いつしか全てのナイチンゲールは打ち砕かれ、二人の周りには無数の残骸が転がるだけとなった。
「やりました!」
「やったっスね!」
ナイチンゲールを一掃し、二人は軽くハイタッチする。
「それじゃ」
「ご飯食べるっス!」
大暴れした後は腹が減る。
そういえば星詠みさんが行けと言った店があったような……と思い出し、二人はその店に向かうことにした。
第3章 日常 『食べ放題に行こう』

――脅威は去った。
とはいえ、√EDENの住人は「忘れようとする力」によって今まであった脅威を全て忘れ去り、何事もなかったかのように生活している。
そんな町の一角に、「その店」はあった。
星詠みが「幸せになれるはずだ」と言った一軒のバイキングレストラン、「楽園の果て」。
ここでは一体どのような料理が食べられるのだろうか。
ウィンドウから見える店内には様々な料理が並び、客を待っている。
戦いを制した√能力者たち、心おきなく食べるといいだろう。
バイキングレストラン「楽園の果て」の厨房はいつにもまして修羅場と化していた。
と、いうのもいつも多数の客で賑わう店が今日は数人の客によって蹂躙されているからだ。
ホールから聞こえてくる「ハンバーグ、なくなりそうです!」や「ポテトサラダ、なくなりました!」という叫びに厨房は本日休みのシェフまで動員した総員体制で鍋や包丁を振るっている。
そんな厨房の修羅場を知ってか知らずか――。
「すんばらしいですわね、このお店のお料理!!√EDENはホントに楽園ですわ~!!」
店内の皿という皿に盛りつけたのではないかと思わせるほどテーブルいっぱいに様々な料理を乗せた|フーディア・エレクトラムリーグ《"Who's the Dear crawled outof my Electrum League?"》(暴食汚職暴力お嬢・h01783)が目を輝かせて声を上げていた。
『DEEP-DEPAS』との戦いでは暴走インビジブルをたらふく食べたうえに『DEEP-DEPAS』本人ももぐもぐしてしまったほどの食欲魔人、しかし料理は別腹とばかりにミートローフの塊を口に入れ、うっとりと頬に手を当てる。
「あぁ、このミートローフ絶品ですわ~! 中のゆで卵もなかなかオツなものでしてよ」
だって『DEEP-DEPAS』様、ほんのりコズミック? なイメージのお味で、それはそれでよかったのですがやっぱりプロの方が作ったお料理が一番ですから~と、気分は完全に口直し。
噛みしめるほどにあふれる肉汁、焼いたときに出た脂を利用したソース、ここはバイキングレストランだというのにまるで高級レストランに来たかのような味にフーディアはご満悦である。
そもそも、『DEEP-DEPAS』が消えた後に現れたナイチンゲールに対しては流石のフーディアも歯(物理)が立たなかった。試しにかじってみたもののあまりの硬さ、まずさにしょんもりして他の√能力者が大暴れしている横で撃ち漏らしをぺちぺちしていた――というのが、本人の談。
それでも人々の平和を守るという中間目標は達成していたので、フーディアは心おきなく最終目標――「楽園の果て」での食事を楽しむことにした。
いくつもの皿に盛られた様々な料理。バイキングレストランで稀によくある「気に入った料理だけを全盛りしていく」という不作法は行わない。どの料理も他の客が楽しめるように少し(?)ずつ取り分け、どうしようか迷っている客には「そのチキンソテー、絶品ですわよ~」と背中を押していく。
「ああ、本当に絶品ですわ~! 何度でもおかわりしたくなりますわ~!」
あっという間に全ての皿を平らげては料理を盛りに行くフーディア。そのスパンは他の客の比ではないほど早いが、決して料理の味を楽しんでいないわけではない。
食べる勢いは凄まじく、盛りに行くタイミングもほぼノンストップだが、それでもフーディアは料理一つ一つの味を確かに楽しんでいた。
「このオムレツ、冷凍じゃありませんわね! マヨネーズでフワフワにしているのかしら? あっ、こちらのポテトサラダも素晴らしいですわ! マッシュポテトと中途半端に潰したポテトが程よく混ざって歯ごたえがありますわ~!」
フーディアのテンション高い食レポが店内に響き、それによって興味を持った客がフーディアに取られる前に、とばかりにその料理を取りに行く。
その結果――。
「またポテトサラダなくなりました!」
「もう!? 芋がまだ茹で終わってない!」
そんな会話が厨房で繰り返されていた。
そんな会話が繰り広げられているとはつゆ知らず、フーディアは猛烈な勢いで料理を平らげていく。
店側もノンストップで補充しているがフーディアが食べつくすスピードの方が速く、店内の料理は徐々に品切れになりつつあった。
「だ、大丈夫かな……」
「補充が追いつかない……」
ホールの店員たちがちらちらとフーディアを見ながら囁きあっている。
しかし、そんなことはどこ吹く風とばかりにフーディアは料理を堪能するのだった。
「お疲れさまでございました! しっかり動いて腹も空かせましたからねぃ」
テーブルの上に乗せられた皿、そこに盛られたビフテキを前に|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)は手を合わせていた。
人妖「牛鬼」でありながら牛を食べるのか、共食いではないのか、と心のどこかで思わないでもないが、仕方ないのだ、ビフテキがあまりにもおいしそうな香りで「ほら食べて、食べて」と囁きかけてきたのだからここで食べないのは男が廃る。
それに魚だって魚を食べるでしょうに、と誰に言うとでもなく言い訳しながら時雨はナイフでビフテキを切り分け、一口口に運んだ。
「……!」
程よくミディアムレアに仕上げられたビフテキは赤身肉でありながらも程よい脂身を纏っており、その脂が甘味と共に口の中を暴れまわる。
噛みしめるごとに広がる肉の味、A5ランクの霜降り和牛のように口の中でとろけるのではなく、しっかりとした筋線維が確かな歯ごたえを顎に与え、そして噛むたびにほぐれ満足感を底上げしてくる。
これはすごい、と次の一口を食べる前にそういえば、と時雨はテーブルに備え付けられたピンク岩塩のソルトミルを手に取った。
ビフテキを盛った皿を持ってテーブルに向かう際、ものすごい勢いで料理を平らげていた客がビフテキに少しこの岩塩を振りかけていたことを思い出したのだ。
自分も試してみよう、と時雨がペッパーミルを回すと、細かく砕かれた岩塩がパラパラと肉に降りかかる。
塩粒が乗った肉を口に運ぶ。
「――ッ!」
再び目を見開く時雨。
ビフテキにただ塩味が乗っただけではない。塩味が口の中に広がる肉の味を引き締め、脂の甘味と絡み合い、絶妙なハーモニーを奏でていく。
「ほわぁ……」
思わずそんな声が時雨の口から漏れる。
これはもうこのビフテキばかり食べていたい、と思いたくなるがここはバイキングレストラン、せっかくなのでと、ビフテキの皿とは別にもらってきたとろろそばをの椀を手に取った。
とろろそば、大好物なんですよねえと呟きながら、まずはとろろをつけずにそばを一口。
「おぉ……」
挽きたてのそば粉の香りが時雨の鼻を抜けていく。
なんと、この店は機械で打ったそばではなく、手打ちそばを出しているのかと感心し、今度はとろろを絡めて口に運ぶ。
とろり、と口の中で広がるとろろいものとろみ。
自然薯だ、と時雨は再度驚いた。
このレストラン、確かに入場料はそれなりにしたがそれ以上の満足度を客に与えてくれる。
こんなに高級食材を使用して赤字にならないのかと思いつつも時雨はとろろそばを平らげ、それから店員を呼んだ。
「あのぅ、お酒、ありますか?」
ここはせっかくなので辛口の熱燗を、と頼むと店員は笑顔で「かしこまりました」とテーブルを離れていく。
しばし待つと出されたのはオーダー通りの辛口の熱燗。
お猪口に入れてくいっと煽ると程よい辛みが喉から全身に染みわたっていく。
いいですねえ、と時雨は幸せそうに熱燗と料理を楽しみ、ふぅ、と姿勢を楽にした。
動いて、食べて、飲んだ後の締めの一服。
さて、そういえばお土産コーナーもありましたね、お土産何にしますかねぇ、和菓子のお饅頭も定番ですが洋菓子のマカロンもよさそうですねえ、後で店員さんに相談して見繕ってもらいましょうか、そう考えながら、時雨は食後の平和なひと時を楽しむのであった。
「ふひい、大きな被害もなく終わってよかったねー! それに無事に生き延びられた!」
戦いが終わり、|雪月・らぴか《ゆきづき・らぴか》(えーっ!私が√能力者!?・h00312)はほっと息をついて周りを見た。
周りは何事もなかったかのように人々が歩いている。
それなら、とらぴかも歩き出した。
「さてさて、星詠みおすすめのお店ってどんな感じかなー?」
「幸せになれる」と言われた「楽園の果て」、さて一体どのような店なのか、と記憶を頼りに歩くらぴかの足取りは軽い。
「√能力者は死んでも蘇るっていっても死ぬのは怖いよ!」
√能力者とはいえ、肉体があるのだから致命的なダメージを受ければ死ぬこともある。しかし、√能力はたとえ肉体が木っ端微塵になったとしてもインビジブルをエネルギー源とする都合から蘇生すると言われている。
それでも死というものをそう何度も体験したくない、というのが生命なので、らぴかもそれに漏れず生き延びられたことに喜びを覚えるのだった。
そうこうするうちに、らぴかは一軒の店の前に到着する。
「楽園の果て」、見るとそこは一軒のレストラン。それも、
「バイキングじゃん! やったー! 好きなだけ食べられるねー!」
多くの客で賑わうバイキングレストランだった。
「もー、星詠みもバイキングだって言ってくれればよかったのにー」
そんなことを言いながら、らぴかは勢いよく店に入る。
「たーのもー!」
まるで道場破りのようなノリで店内に入ったらぴかは店内の光景に目を輝かせた。
色とりどりの料理の山、山、山。
その山が作られるしりから崩されて即座に作られているような気がしないでもないが、とにかく目を見張るばかりの料理が並んでいる。
まずは入場料を支払い、そのあとで追加料金が必要な場合は帰りに清算するらしい、とらぴかは財布を開いて入場料を支払う。
それから皿を手に取り、料理の山へと近づいた。
「はじめに狙うのはいちご!」
らぴかが真っ先に歩み寄ったのはデザートコーナー。
そこに盛られた色とりどりの果物の中から、らぴかはいちごを皿に積み上げていく。
別の皿にはピラフ、ビフテキ、唐揚げ……とまるで運動部の男子高校生かと思いたくなるようなラインナップで盛っていく。
テーブルにつき、らぴかは勢いよく両手を合わせた。
「いただきます!」
まず、いちごをぱくり。
甘酸っぱい果汁と、種のつぶつぶが口の中で弾けていく。
「ん~!」
幸せそうな顔で、らぴかはいちごをもう一粒食べ、飲み込んでから唐揚げを口に運んだ。
パリッとした衣に肉汁あふれる唐揚げに再び「ん~!」と唸り、唐揚げを食べたら再びいちごをぱくり。
塩味と甘酸っぱい味を交互に楽しみ、らぴかは先ほどの戦いの疲れが全て吹き飛んだような錯覚を覚えた。
こんなおいしいご飯が食べられるなら、戦うのは怖いけれども守りたい。
√EDENは楽園と言われるらしいけれども、多くの簒奪者に狙われる危険な世界。
それでも、このご飯を守るため、らぴかは戦いたいと思った。
もしかすると、みんながおいしいご飯を食べるために√能力者になったのかもしれない。
何が欠落したかは分からない。それでも、「おいしいご飯を食べるために」という思いは欠落していないのは確かだ。
いちごの合間に様々な料理を楽しみながら、らぴかはこれからのことを考える。
もっといろんな人がおいしいご飯を食べられますように、その思いが、らぴかにさらに食欲をもたらし、気が付けば大量の空き皿がテーブルに積みあがっていた。
「た、食べすぎた……た、体重は……さ、さっきの戦いでいっぱい動いたからだ、大丈夫なはずっ!」
たくさん食べてしまったが、らぴかは花も恥じらう乙女の一人。
体重は気になるが……運動したから実質0カロリー!