プロのサキュバス
においをごまかす、その為だろう。
甘くて危険な――合法的な――火を点けても、尚、逸る。
もくもく、もくもく、ただよう紫煙……。
怪異とは――人類には理解できない、或いは、理解できるが故に恐ろしい、そのような存在を示す言の葉である。彼等彼女等は常に自らの『在り方』に縛られて生きているとも考えられ、その不自由さは人類よりも難儀なのかもしれない。たとえば、仔産みの女神クヴァリフを例にして挙げよう。怪異であると同時に女神であるクヴァリフは毎秒、仔を産む事を第一に思っているのだ。思えば思うほど、女神の強大さは、膨大さは増していくのだが、それと同時に女神の『可能性』を確実に奪っていくのである。勿論、この一連の『例』は所謂、憶測の類に過ぎないが――怪異である者に、頷いてもらえる程度には『ありそう』な話だ。加えて、この『理解』の流れは人間災厄にも当て嵌められる。黙示録曰く、怪異や神、人間災厄とはある種の、人間で居られなかった者の苗床である、と。
人間災厄「夢蝕み」の場合は比較的『人間』に近しい、つまり、理解のし易い方の超常ではあった。三大欲求の『ひとつ』を内包している彼女は何処までも、何処までも、籠の鳥のようではあった。そもそも、個体名からして可愛らしいではないか。人間災厄「夢蝕み」の花喰・小鳥――花を食むだけの小鳥である。きっと、蝶のように、芋虫のように、葉っぱや蜜だけで生きていけそうな、無害に違いない。いや、もちろん、ご想像をしている通り、彼女の『異能』も人間を、人類を破滅させる程度の力は有している。たとえば、妖怪の類と一緒にしたくはないのだが、獏を彷彿とさせるのだ。ただし、彼女の場合は『悪夢を喰う』だけに留まらない。接吻をされたが最後、別の人間の夢と繋げられ、改変され、汚染され、挙げ句の果てには精神の崩壊へと至るのであろう。ああ、かわいそうだ。可哀想なのは果たして喰われた人間なのだろうか、肚を壊した彼女なのだろうか。一度だ。一度の暴走だけでこの有り様だ。でも、彼女は今の状況を受け入れている。受け入れなければ、協力をしなければ、都合の良い女としても扱われないのだから。……それで。私の、今日のお相手はあなたでしょうか。いえ、答えなくても大丈夫です。私は、機関の命令で此処にいるのですから。灰は灰に、塵は塵に、鳥は鳥籠へ――此度のお相手は、成程、男性型の怪異であった。
お相手の怪異についての情報は要らないだろう。身長も体重も、いや、容姿が整っている事くらいは描写しておいても悪くはない。兎も角、怪異の事よりも人間災厄「夢蝕み」の格好の方が重要である。花を食むと謂うよりも、花を売る。されど、只の花売りではなく、自身の好みに『あった』ものを選ぶ、そのような妖艶さであった。たとえば、濡れた烏の砂時計。膨らんだ箇所にほっそりとした箇所、滑らかな曲線を描いている身体は、成程、今直ぐにでも撫で回したくなってしまうか。人形のような白い肌、首の上に乗っかっている頭部は――装飾にも負けないほどの、美、その化身とも思える。金色のヴェールをさらり、捲ってやったならば――宝石が嫉妬するほどの、磔刑をされたくなるほどの、十字架とのご対面。……あなた、もしかして、緊張しているのでしょうか。心配をしなくても、私は、あなたを見捨てたり、無碍に扱ったりはしないのです。人間災厄「夢蝕み」の視線は確かに怪異の『カタチ』を捉えてはいた。しかし、その視線はまるで――虚空を見つめているかのような、一種の諦観を湛えているかのような、そんな様子であった。……あなた、どうしたのです。そんなに、落ち着かない様子で……まさか、今頃になって、私を食べてくれないのでしょうか。そんな事はない。ありえない。お相手の怪異はブンブンと首を振った。眩暈がするほどだと、火照って仕方がないと、人間災厄「夢蝕み」を褒めたりしてみた。……そろそろ、お店に到着します。ええ、あなた、欲しがっているのでしょう。でしたら、私をどうか、蹂躙してください。ちりん、ちりん、と、鈴のような音。戸口の先に待ち構えていたのは喫茶店の……カフェーの……店主であった。待っていたのだよ、君ぃ。奥の部屋の準備は出来てるぜ? ところで君、我輩が混ざるってのは……? あなたは……その、私と、キスができないでしょう。それが唯一の不満点です。あと、今日は『ふたりで』が決まりです。そう、ふたりだ。|接待《セデュイール》は一人ではないと。亡くした最愛の兄も、一人だったのだから。哄笑が聞こえる。薔薇色をした、哄笑だけが――背中を押した。
外との繋がりが完全に失せた事を確認した後、怪異は――彼は――徐に、夢蝕みの衣服を剥ごうとしてきた。彼の『情報』を理解していた夢蝕みは若干の抵抗だけを見せ、魅せ、まるで柘榴のように『されて』しまった。あなた……随分と、乱暴です。私の事を人形か何かだと間違えてはいませんか。間違ってなどいない。間違ってなどいないし、何より、受け入れたのは『きみ』じゃないか。男漁りが好きなわけではない。積極的に何かをするつもりではない。結局のところ夢蝕みは――オマエは――自己の保身とやらが、ひどく乏しいだけなのだ。あなた……愛してくれるのでしょう。愛してくれるのなら、私を、狂わせる勢いでやってください。先延ばしにするな、と。いぢわるを、焦らしをするな、と。これは定期的な食事なのだから、全力でお願いをしているのだ。彼はばさりと衣服を棄て、いよいよ、その魔羅の塔を聳えさせて魅せた。這う這うの体で掴んだのはシーツである。無理やり、両足を掴まれて、裂けそうなほどにされ、彼の腰、簒奪者が如く――待ってください。|小夜啼鳥《ナハティガル》を鳴かせたいのなら、ひとつ、|興奮剤《エクスィテ》をください。ひとつで良いのか? きみのことだ。卑しいのだから、もっと、必要なのだろう。こくりと、頷いた。おねがいをして、何度もして、何個、豆を与えられたのか。……準備はできました。あとは、あなたの……ッ……。乱暴ではないか。蹂躙ではないか。臓腑の奥へと吐き出された――莫迦みたいに熱っぽい――怪異からの泥濘――プロのサキュバスへの贈り物。
脳味噌がグズグズに溶けている、そんな感覚。痙攣が止まらないクセに、如何しようもなくドロドロなクセに、まだ、足りない。もっと……もっと……。とろけた目の玉で怪異を誘い、そのまま、堕ちるところまで、堕ちていきたい。わたしは……わたしは……あなたの愛奴隷です。いっぱい、いっぱい、愛してください。既に空っぽだった。虚無のような顔だった。だと謂うのに怪異は……彼は、常日頃以上の、異常なまでの『慾』に中てられ、それこそ、大海の如く――吐き出して、吐き出して、吐き出した。……ずるい女だ。小賢しい女だ。きみは、俺以外にもそうやって、やっているんだろう。だから、俺はきみが気に入った。夜は長いだって? 何を宣うかと思えば――俺は、丸一日だって、一週間だって……! 甘い、甘い、噛み方であった。彼に抱かれ、花を食み……耳を食み……永久めいて求むる。
ああ……わたしは……いったい、何度……。
意識が朦朧としていた。違う。気を失っていた。
失くしたとしても――亡くしたとしても――。
人間災厄「夢蝕み」は――花喰・小鳥は、
いきている。