一つの強大/三兄弟
●
峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨――。
轟音が、妖怪百鬼夜行の空をびりびりと震わせる。
無限の妖力を備えた、強大な古妖『マガツヘビ』の怒りの咆哮だ。
――誰が『無限の妖力と矮小なる頭脳の持ち主』だ!あの後意味調べたぞこの野郎!!要は小せぇって事じゃねぇか頭小せぇってことは馬鹿ってことじゃねぇか糞糞糞が!!馬鹿にしやがって!!
マガツヘビが、怒りの侭に強靭な両腕を地に打ち付けると。黒々とした鱗が、肉片が剥がれ落ちていく。剥がれた鱗は小型のマガツヘビへと変じると、妖怪と人が暮らす街へ我先にと向かっていく。
この強大な古妖を突き動かすのは、今度こそ全て破壊せんとする怒り。
……あと。
――なんで出てこねえんだ、王劍『天叢雲』!!
とある王劍への……。
その様子を見ていたのは、三匹の鼬。隣には、マガツヘビの余波で壊された祠。
空を見上げて不安げにぺたんと耳を伏せる長兄『打巴』を、刃の尾が当たらない程度に軽く小突く次兄『斬巴』。二匹は薬壺を抱えてころころんと転がる末弟……『薬巴』を呼び、三位一体で小型マガツヘビの破壊を止めようと立ち向かう。
●アクアショップの星詠み
「『全てのあやかしよ、マガツヘビを討ち滅ぼすべし』――という、すべての妖怪内に於いての取り決めがある。この全て、というのは古妖達も含まれるんだ」
大小様々な水槽が並ぶアクアショップ店内にて、星詠み鏡林・硝太郎(水槽の付喪神・h05645)は、そう予知を切り出した。
「この取り決めにより、とある古妖達からこちらに一時休戦と、共闘の申し出があった。古妖だけでも、皆だけでもマガツヘビへの対処は極めて難しい。だから、此処は協力し、対処へ向かってほしい」
√妖怪百鬼夜行の現地では、マガツヘビの鱗や肉片が変じた「小型マガツヘビ」が暴れ回っており、予知を伝えている段階では既に現地の古妖と交戦しているようだ。
「現地にいる古妖は災いの鎌鼬『三巴』。常に三匹で行動し、古妖としても一緒に封印され、一体化していた鎌鼬の三兄弟だ。会話と言うより鳴き声だが、意志疎通は問題なく行える。普段ならば兄弟間の息の合った連携で悪戯を繰り返していたようだが、今回はその連携、そして三匹それぞれの得意な事がきみ達の力になってくれるだろう」
そして。小型マガツヘビは、元をたどれば本体から剥がれ落ちた肉片、鱗の類。
「流石に、本体が暴れる場所を残さず散らかしてしまう程ではないらしい。小型マガツヘビを倒していけば、おのずと本体の元へたどり着ける。その後の予知は大きく分かれている。本体が時間稼ぎのように建てる奇妙建築の突破になるか、そのまま本体との戦いになるか……まあ、何処かで本体とはぶつかる事になるだろう」
くれぐれも気をつけて、とアクアショップを送り出され、近くの路地を通ると……そこは小型マガツヘビが暴れ回る市街地だった。
ふと、甲高い鳴き声が三つ。同時、足元をふわふわとした感触が三度、横切った。
第1章 ボス戦 『災いの鎌鼬『三巴』』

●小型マガツヘビの暴れる市街地
小型マガツヘビの暴れる様を見て慌てて避難をする人々、対処に回る妖怪たち。其処に混ざって三匹の鼬が走り回っていた。
耳を伏せたままの一匹が小型マガツヘビの一体を転ばせると、意気揚々ともう一匹が刃の尾で切りつける。兄二匹が頑張る様をころんころんと転がりながら見る|もう一匹《末っ子》もまた、只遊んでいるだけではなく。毒を纏った弾を薬壺から撃ちだしている。
……ただ、それだけでは対処が間に合わないことは、戦場に着いた√能力者達もはっきりとわかることだった。
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●小型マガツヘビの使用√能力
POW:マガツカイナ
【腕】による近接攻撃で1.5倍のダメージを与える。この攻撃が外れた場合、外れた地点から半径レベルm内は【霊的汚染地帯】となり、自身以外の全員の行動成功率が半減する(これは累積しない)。
SPD:マガツサバキ
60秒間【黒き「妖の火」】をチャージした直後にのみ、近接範囲の敵に威力18倍の【禍津ノ尾】を放つ。自身がチャージ中に受けたダメージは全てチャージ後に適用される。
WIZ:マガツイクサ
【小型マガツヘビの群れ】を纏う。自身の移動速度が3倍になり、装甲を貫通する威力2倍の近接攻撃「【禍津ノ爪】」が使用可能になる。
鼬の一匹、打巴がくるりと回転し、棍棒の尻尾で地面をしたたかに打つ。
同時、薬巴が薬壺を揺らせば回避を潰すように毒弾が放たれる。衝撃波が地面を揺らし、小型マガツヘビの一群の体勢を崩す……だが、苛立つように振るった腕の風圧は古妖とはいえ小柄な鼬には大きすぎた。
追撃に行った筈の斬巴が、足をばたつかせて吹き飛ばされる様。クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が見たのは、そのような光景だった。
迷いなく走り、宙を舞う|茶色い毛の塊《斬巴》に向かって手を伸ばす。ぽふん、という着地音と共に受け止めれば、|ほかの二匹《長兄と末っ子》とはまた異なる斬巴の鋭い目と目が合った。
「危なかったね……。助太刀に来たよ」
表情に乏しいながらも、無事受け止められた事には安堵するというもの。ひとつ息をついたクラウスは改めて声をかける。
「俺にも、協力させてくれるかな」
打巴が、承諾するように頷いて甲高く鳴く。先程手助けした斬巴も、何処か楽し気に前足を軽快に動かした。受け止めた際、尻尾の刃が掛からなかった事も、彼等が此方を味方だと認識している証明であるらしい。後方でこっそり遊ん……でなくて、状況を見ていた薬巴もまた、嬉しそうに尻尾を揺らす。そうして長兄とクラウスを交互に見ると、薬壺をぽふぽふ叩いた。
そんな三匹の個性豊かな様は、強大な力持つ古妖であるにしても。
(すごくかわいいな……)
クラウスは内心でそう呟いた。鼬は出身√では中々縁のないふわふわとした動物なのもあって、少しばかり和んでしまう。和みつつ、戦闘への意識はブレていなかった。
「わかった。|お兄さん《打巴》の作るこの状況、俺達で活用しようか」
薬巴の意図も汲み取って首肯を返す。レイン砲台を起動させると、電光の零れるスタンロッドを手に取った。
先ず確認したのは人々の避難経路。避難誘導をしている妖怪達も居るとはいえ、路を塞ぐように小型マガツヘビが割り込んで来ようとしている。さらに小型のマガツヘビを纏い動きの速くなった一群は、放っておけば避難に追いついてしまうだろう。
そこに、打巴、薬巴と共に割って入れば小型マガツヘビの攻撃対象は|クラウスと古妖達《邪魔しにくるやつ》に変わる。
そこに打巴が地面を揺さぶれば、小型マガツヘビの体勢は大きく崩れていくだろう。
「彼らに手は出させないよ」
次に見たのは射線だった。クラウスと、薬巴の。
クラウスは追いすがる小型マガツヘビから距離を取り、ちらり、と後ろに視線を移す。張り切った様子で薬壺を揺らす薬巴が目に入った。ぽふ、という音を立てて弾けた傷薬の弾はクラウスの強化に繋がり、続けざまに放たれた毒薬の弾は小型マガツヘビに降りかかる。その毒薬と射程範囲を被せるようにして、クラウスはレイン砲台を起動させた。冴え冴えとした光の夕立が降り注ぐ。
雨の後の雷はよく通る。続けざまにクラウスが振りぬいたスタンロッドが、弱った小型マガツヘビの群れに止めを刺していく。
小型マガツヘビの群れが晴れる事のない鬱憤を晴らすように暴れ回っている。力任せに振り回された腕は住宅に穴を開け、怒りの侭の咆哮が硝子窓をびりびりと揺らす。
破壊の現場となった市街地の某所、地元住民に馴染み深い郵便局舎も小型マガツヘビからは免れ切れていないようだった。中には少しばかりの局員や来客が取り残されており、小型マガツヘビの破壊の様、それを防ぐように三匹の鼬が駆け回る様を恐る恐るといった様子で窓越しに見つめている。
路地を抜け、市街地の郵便局舎付近に降り立った途端見えたのがその光景だったものだから。小明見・結(もう一度その手を掴むまで・h00177)の青い目に宿ったのは『これ以上被害を出さないように』というその一心だった。
出身世界、出身√は異なるものの、人々と妖怪が日常を送る街が、化け物によって破壊されゆくさまを黙って見過ごすなんて。そんなこと出来ない。結は自分の取れる手段で、小型マガツヘビと相対する面々のサポートへ回ることにした。戦う方法じゃなくても、自分の取れる範囲の手段でこの事態の打開を狙う。
「避難誘導と、此処の街路の修復は此方でするから……大変だけど、頑張って追い払いましょう。三兄弟さん?」
赤いポストにぴょんと登ってきた打巴と、|打巴《長兄》の鳴き声に呼ばれて次々とポストに登って来た|斬巴、薬巴《弟たち》に、結はそう声をかける。
「今のところ怪我は無いようだけれど、もし怪我をしたら私の所へ。治療をするわ」
頷いてぴょんぴょんと走り去る三匹を見送って、遥か上空、結は箒に乗った少年らしき影を見つける。仲間の√能力者が助力に来た事と、小型マガツヘビの群れの意識が郵便局舎から逸れたことを確認し次第、結は逃げ遅れた人々の避難誘導を始めた。手繰る√能力は存在修繕の『忘れようとする力』。瓦礫で塞がれた扉や、倒れた机等をその力で修復しながら。結の視線は油断なく戦況を見据えていた。
ほぼ同時、風にはためく三角帽子の縁を抑えながら、ネルネ・ルネルネ(ねっておいしい・h04443)は|ヴィヴィアン《箒》に乗り、眼下にそこそこちっちゃく走り回る三匹の鼬を見据えしていた。ぴょこぴょこ音が出ているんじゃないかという程軽快に走り回り、跳び、息の合った連携で小型マガツヘビ(これも上空からだとちょっとちっちゃく見える)と相対する様を見て、少年は何を思うのだろうか。
(んん~、見事な連携だねぇ~、なかよちだねぇ~)
めっちゃくちゃ和んでいた。|眼鏡《レンズ》越しの目はそれはもうニッコニコだった。
だが、和みつつもネルネの内心には僅かな葛藤も渦を巻いていた。
鎌鼬『三巴』かわいいのはかわいいが、普段の彼等は兄弟の連携を以て、洒落になっているなっていない問わずの悪戯を繰り返す所謂悪い子たちであり、古妖として三匹|揃って《セットで》封印されるだけのヤバイ事もやらかしているという事実がある。……でも、今は古妖の三匹も、マガツヘビという共通の敵の前に、此方に味方として加わっている。つまり、今は味方だから遠慮なく和める、かわいがれるというもの。
(その前に、この事態も何とかしなくちゃね!)
「助けに来たよ~!サポートは僕とフレミーちゃんに任せて!」
後でちょっと触ってもいい~??という私情も小声で付け足しつつ、ネルネは被弾を割けるべく高い所に|ヴィヴィアン《箒》と共に移動して、ウィザード・フレイムの詠唱を始める。色彩豊かな沢山の炎が降り注げば、心なしか薬巴の目がキラキラしているような。
(ふふん、うちのフレミーちゃん達はキレイなだけじゃないんだ!)
薬巴の様子に嬉しくなりつつ、卓越した詠唱で|ウィザードフレイム《フレミーちゃん》を降らせるネルネ。降り注いだ炎たちは三匹の鼬の元へ。動きの速まるマガツヘビに火の粉を振りまき牽制をしたかと思えば、爪を真似たような炎で攻撃の反射をしたり。フレミーちゃん達の数だけ手数が増えるというもので、打巴、斬巴も炎に照らされる合間を軽快に走り回っては、各々の得意な打撃、斬撃を小型マガツヘビに浴びせていく。
ぐらつく地面や風圧を巻き取るようにして、|フレミーちゃん達《炎》の勢いも強まっていく。薬巴も楽しそうにぽんぽん、と毒の弾を振りまいて。ぽん!とひときわ大きく撃ちだされた薬弾が宙で弾けると、上空に待機しているネルネと、避難誘導を終え、郵便局舎から出てきたばかりの結の元へ降り注いだ。
「わ~~ぽんぽん叩いてかわいい!薬のシャワーみたいな?さっすが!」
心なしか火力の増したフレミーちゃん達と、強化を受けた|打巴、斬巴《兄二匹》が、小型マガツヘビの群れを押し返していく。
「なるほど、これなら範囲に届くわね……動きも、なんだか可愛い」
「わっかる~!ちょっと触らせてもらいたいよね、もこふわしてそう!」
何処かそわそわした結の呟きを聞きとって、軽快に頷くネルネだった。
小型マガツヘビの群れが、街路樹や沿道を破壊しながら何処かに向かって駆けていく。市街地の公民館付近を暴風の様に通りすぎると、焼け焦げた掲示物がその風でぱたぱたとはためいた。
小型マガツヘビの群れは、√能力者達と三匹の鎌鼬によって、徐々にその数を減らしつつある。この調子で群れを倒していき、本体までたどり着けるといいのだが。
群れの背を追う最中、ベニー・タルホ(冒険記者・h00392)はふと公民館の掲示板に目をやった。剥がれかかった市内広報に映る妖怪達の写真と目が合う。ベニーが行った事のある商店街とは違うものの、市内の商店街の記事が映っていた。
(本当に、|ここの√《√妖怪百鬼夜行》では、多種多様な妖怪がいるんだな)
姿を偽る必要が無い、多様な種族が共存する√。ベニー自身も其処には楽しい思い出がある。故にこの√の、この世界の危機は見過ごせなかった。
(さて、未だ多勢に無勢ですが……状況を覆さないと)
(|彼等《小型マガツヘビ》が行くのは……広場?それと、向こうのは……)
ぱたぱたと風になびく端を画鋲で留め直し、改めて目の前の光景に視線を戻す。同時、ベニーの視界に映ったのは、歩幅の差を補うようにして跳ね走りながら追いついた鎌鼬の三兄弟と、翡翠のような目の色をした少女の姿だった。
「こんにちは、私にも手伝わせてくれませんか?」
少女はラージニー・スバルナンガーニ(|電脳皇帝|《インフォメーション・オーヴァーロード》・h00140)と名乗った。黄金色の両手を合わせ、ベニーと鎌鼬の方を見る。普段から歌に親しいのだろう、声は喧噪の中に於いてもよく通った。
ベニーは、申し出にこくりと頷く。既にひとつ、数の差を覆す一手は浮かんでいた。精霊信号拳銃を取り出して、瞬くような星の信号弾を込める。鎌鼬の三兄弟にも目線を合わせるようにしながら、作戦をラージニーと話していく。
「……ならば、逃げ場を奪うように、より小型マガツヘビさんたちが集まるようにしますね」
頷いたラージニーに、肯定の意味でベニーが笑顔を返す。要点をまとめた伝達能力は記者ゆえだろう。
「ええ、避難は済んでいるので広場の方に。一度の攻撃で多くの敵を狙いましょう。……私が敵を引き付けます。攻撃は三兄弟さんに。特に末っ子さん、頼みましたよ。」
ころろんと薬壺を抱え転がる|薬巴《末っ子》を一撫ですれば、薬巴も元気よく返事の様に鳴いた。|打巴、斬巴《兄二匹》も頼んだよというようにめいめい鳴く。
そうして、二人と三匹は行動を開始した。
「ほらほら、こっちこっち!」
ベニーの声と、信号拳銃から瞬く星の弾は小型マガツヘビの興味を惹くには十分だった。きらきらとした光を合図にして、ラージニーもまた踊りの振り付けのような所作でプロジェクターを起動させる。上空へ静かに浮かぶ|昼の月《ホログラム》に、小型マガツヘビたちは気づかない。
(これで多分、この周辺の個体は全部集まったはず……)
ひと際大きく撃ちあがった信号弾を合図に、ラージニーはプロジェクターから迎撃レーザーを作動させる。攻撃と逃げ場潰しを兼ねた広範囲。当然のことながら、小型マガツヘビの群れの退避は間に合わないだろう。そうして、その広場は鎌鼬の三兄弟の間合いでもあった。打巴が思い切り打ちおろした棍棒は、意識外の攻撃だけあって小型マガツヘビに激突する。次いで斬巴の斬撃が降り注ぎ、薬巴によってぽんぽんと軽快に揺らされた薬壺が、薬弾と毒弾を撃ちだす。
薬弾はベニーたちの回避や支援に力を貸し、毒弾は宙で広がるとまとめて小型マガツヘビの群れを呑み込んだ。
轟音のような声が消えた後は、小型マガツヘビの姿はすっかり消えていた。
第2章 ボス戦 『災いの鎌鼬『三巴』』

●奇妙建築の突破
夕暮れの市街地で小型マガツヘビの姿が消えたつかの間。広場に地鳴りのような轟音が鳴り響く。
――巫山戯た真似してくれてんじゃねえか、糞糞糞餓鬼共が!
広場を通った奥、駅に続く道に陣取る山のようなマガツヘビ。それは√能力者達を見下ろすと、苛立ち混ざりに腕を路上に、地面に打ち付ける。
――未だ未だ未だ未だ暴れ足りねえ!構っている暇はねえ!別のまだ壊し足りねえ所へ行ってやる!!
視線の先には線路。駅を破壊され、別へ逃げられたら不味い事になる。
直後、咆哮と共に組みあがるのは奇妙建築。小柄な鼬が吹き飛ばされ、やっと通れる
入り組んだ筒のような通路に押し込められていくと同時、√能力者達の周囲も迷路のような建築物に組み変わる。
打巴が筒を通って中のお札を剥がすと扉の鍵が開く音。斬巴が跳びあがってお札を齧ると、穴に橋が架かる音。薬巴がお札を見つけ……た直後に薬壺を押し、転がった壺がお札を巻き込むと、階段ができる音。まるでアスレチック迷路のようだった。
三巴がお札を剥がせる指示を出しつつ、阻むような建築迷路をを突破する必要があるようだ。
(――絡繰細工)
ミミズクよりも細長い小動物の体躯でやっと通れる筒が張り巡らされ、各所に鍵のようにお札が撒かれ、そして様々な物で道が塞がれる迷路。ふと、ベニー・タルホ(冒険記者・h00392)の頭を過ったのはその言葉だった。広場で小型マガツヘビを倒し切り、息を整えていたところの出来事だったので、尚のこと目の前の組み変わりが細工のように思えた。マガツヘビ本体の矮小な頭脳らしからぬ、でも何処か玩具の迷路のような奇妙建築。突破し本体に辿り着くまでには、まだ気を抜くわけにはいかない。迷路の鍵になるお札を探すべく、視線を上に動かすと……漂うインビジブルの尾鰭が、ひらり。
「迷っている暇はないな。早く追いかけないと……。」
一方クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は、組み上げられた奇妙建築と筒の中で慌ただしく走り回る三匹の鼬に視線を移していた。驚いた様子であるがその目に絶望の色は無い。頭の中は『問題が起こったなら突破せねば』という思考に切り替わっていた。筒の中を走り回る三巴は最初こそ近場にお札を見つけていたものの、筒自体も迷路になっているのだろうか、薬壺に道を塞がれる打巴や、行き止まりで苛立つようにチィチィと甲高い鳴き声を上げる斬巴が見えた。そう、皆迷っている暇はないのだ。突破し、先に進まないと。
そんな二人の目の前には、途中で外れて大きく奈落に口を開けた吊橋に、瓦礫を組み上げたような障壁。そして、跳んだり登るには時間を食いそうな大きな壁。
「彼らのセンサーも、こういう時は役に立つ」
「なら、私は……あの方々に聞いてみましょう。生前妖怪だった方もいるはず」
クラウスが何機ものレギオンを呼び出した直後、ベニーの翼がぱたりと羽ばたいた。変異階梯である彼女が階梯を変え、ちいさなミミズクの姿になると少しだけ地面を離れる。飛ぶ先はやや理不尽な仕掛けに対してではなく、行先は上空を飛ぶインビジブルたち。その様子に察したのか、クラウスは零す。
「なるほど、彼等なら確かに協力的だろうね」
√能力、ゴーストトークで干渉するインビジブルたちはもとより協力的だ。今回はさらに、「マガツヘビの掟」の下という状況でもあった。
「詳しい自己紹介と挨拶は割愛させて貰います。何しろ今は√妖怪百鬼夜行の一大事。是非とも助力お願いします」
生前の妖怪の姿に戻った彼らに、ベニーがそう声を掛けて回ると。勿論、任せて、という声が広がっていく。それに後押しされるようにして、クラウスの操作するレギオンが滑るように宙を動いていった。レギオンのセンサーは雄弁且つ有能だ、周囲の地形を把握してクラウスに伝え、三巴の鼬にはマップにピン留めするようにしてお札の位置を知らせに行く。無数の妖怪たちの目や、声も後押しした。古妖であろうとも、掟があるなら力を貸す。その空気が満ちている。
かりかりと壁を掻いていた斬巴が、転がっていた薬巴が、迷っていた打巴が声や機械に誘われるように走り出し、遠くのお札を三枚剝がした。轟音を立てて沈む壁に押され、瓦礫の塊のような障壁の残骸が降るけれど、クラウスの扱うレギオンがミサイルを放ち、細かい石礫に変えていく。
(……今回の戦いが終われば、彼らとはまた敵になるんだよね。ちょっと悲しいけど)
ふわふわとした茶色の毛たちが、先ほどより前を見据えて走り回る姿にクラウスは内心でそう零す。でも、今回は今回、次は次という事は事実として知っていた。今回は思う存分連携して、マガツヘビ本体に追いつかねば。ベニーと目配せをして、共に迷路の行き止まりを乗り越えて先へ進んでいく。
眼前に広がるは、絡繰仕掛けの巨大迷宮。歯車の音が不気味に響き、滑車に連動して天井の筒が細かに揺れる。|小動物《鼬》一匹が通れる幅の細い通路を行く|打巴《長兄》が、途中で引き返してきた。心なしかしょんぼりと尻尾が垂れているみたいだった。
「……打巴さん、迷子になっちゃいましたか」
耳まで垂れそうな勢いの打巴を宥めるように、ラージニー・スバルナンガーニ(|電脳皇帝《インフォメーション・オーヴァーロード》・h00140)はこくこくと頷く。おそらく打巴は長兄として頑張りすぎる傾向にあるらしい、そう薄っすらと察せられた。やみくもに頑張ろうとしても、冷静さを欠くことはまた敵の術中に嵌るも同然。
「ええ、焦る気持ちは分かります。ですが――」
ラージニーはにこやかにそう伝え、金色の手をゆるく組む。息を吸い込むと、蒼の粒子が宙に舞った。次の瞬間、彼女の口からは澄んだ歌声が放たれる。√能力|青い幼生《ニーラパリカー》。音は言葉ではなく、意志を繋ぐ橋となり、打巴、斬巴、薬巴――三匹の鎌鼬たちの脳へ直接響き、三匹の丸い耳が歌を聴き取ったようにぴん、と立つ。
「――精神リンク、確立しました。お札の位置情報、視界共有。分担して効率的に探しましょう。貴方たちの素早さと感覚、私が最大限に引き出してみせます」
精神リンクの疑似サーバーとして、高速演算をこなした情報を共有すれば……きっと、ずっと効率的だ。
斬巴が威勢の良い鳴き声を上げる。感情がリンクを通じてラージニーの中に流れ込む。薬巴が斜面になった筒を転がるように滑っていき、打巴がその後を黙々と追う。迷子だった三兄弟は、連携するチームへと変貌していく。
「大丈夫です。私達ならば、初見RTAだって怖くありません!」
ラージニーは視界に映る地形をデータとして読み取ると、旋律のように宙に指を走らせた。
「では、情報共有しますね。斬巴さん、三時方向の枝分かれした筒の一番端にお札があります。薬巴さんは、丁度近い所に二つあるので八時方向を回収後、南側へ寄り道しちゃってください。お兄さん……打巴さんも薬巴さんについて行ってあげてくださいね。帰りの道をきっと一番覚えられるのはお兄さんですから」
旋律の軽やかな空気に乗るように、流れるような行動が始まった。斬巴が回転しながら札を引き裂き、薬巴がころころと薬壺を転がして滑り込みで回収。そして打巴が音もなく二匹を連れて迷わず走っていく。行動が全て、精密機械のように噛み合っていく。
「ジレンマという言葉、今はもう不要ですね。私達はもう――大丈夫」
金の義肢をかざし、開きかけた通路の先を見つめるラージニーの瞳が光る。――静かに、だが確信を持って口を開いた。
「では、突破します!」
音もなく舞い落ちる塵と、きしんだ歯車の影が夜色の瞳に映った。
――奇妙建築の摩天楼の狭間でその光景をしばし眺めて、静峰・鈴(夜帳の刃・h00040)は一歩を踏み出した。先行した仲間達の背を見送った後の彼女の視線は、未だ突破されぬ道を真っ直ぐに射抜く。
「……まだ、為すべきは此処にございます」
鈴の視界では、|打巴、斬巴、薬巴たち《三兄弟》がくるくると走り回り、迷路や血管のような上空の筒を器用に駆け抜けている。その様子に鈴がほんの少し目を細めるのと同時、鎌鼬の三兄弟は鈴の様子をじっと見降ろしている。落ち着いた目、吊り上がった目、興味津々のくりくりした目……三者三葉の目線を受けて、鈴は小さく頭を下げた。
「感謝致します。たとえひとときであれど、同志であるならば――この想いもまた誠なるもの。応じるは、誠実さと、勝利にて」
鈴の様子に、薬壺を抱えた薬巴がくるりと跳ね、斬巴がやる気に満ちた眼差しで頷くように鳴いた。打巴は無言のまま、尾を一度打ち鳴らして静かに応える。
霊刀『夜帳』の柄を指先でなぞりながら、鈴は僅かに、穏やかに笑みを浮かべる。跳ねる足場、閉ざされた扉、複雑な筒。迷路のように入り組む構造――それを正面から進むのは、愚策に等しい。
「まともに進むのは得策ではないでしょうから……跳躍と疾走を以て、踏破致しましょう」
静かに鞘を撫でた鈴の指が、|夜帳《霊刀》の柄に触れる。
次の瞬間、空気がひときわ澄んだように静まり、刃の切っ先が静かな夜を纏った。
夜空色の霊気が薄く灯り、輪郭を曖昧にする。まるで夜そのものが刀となり、己の意思で切り裂こうとしているかのようだった。
「では、最短距離で……お願いします」
囁くようにそう告げ、鎌鼬からの返答を聞いた瞬間。音すら置き去りにして、|鈴《夜》は静かに走り出した。壁を駆け、柱を軽快に蹴って跳び、天井を滑るように走る。
異常なまでに増した移動速度は、すでに常人の目では捉えきれない。
三匹の鎌鼬たちもそれを追うように天井の筒を走る。時に先行し、時に彼女の進路を切り拓いていく。斬巴が札を切り裂き、薬巴が壺を転がし、打巴が進行先の確認やバックアップに回る。ふと吹いて木の葉を散らしていく夜風が形を成したような、無言かつ速やかな連携。 ――これが、鈴の選んだ突破のかたち。
「……必ずや、この刃にて。マガツヘビを討ち果たしましょう」
第3章 ボス戦 『マガツヘビ』

アスレチックのような奇妙建築は、攻略されたと同時ぼろぼろと砕けて消えて行く。直後、駅が裂けるような轟音に包まれた。三巴は茶色い毛を逆立て、眼前のマガツヘビを睨む。
――ふざけやがって……テメェら、俺様の迷宮を抜けただァ!?
√能力者たちを見下ろすのは、山のように巨大な蛇の姿。ねじくれた柱のような腕が地面を叩き、駅前に亀裂を走らせる。
マガツヘビ――長き封印から解き放たれた災厄の古妖怪は、怒り狂っていた。
――誰が『矮小なる頭脳の持ち主が作る迷路なんてこのぐらい』だと!?糞糞糞が!!バカにしやがって!!
咆哮に空気がびりびりと震え、黒き火と小蛇の群れが溢れ出す。
腕を中心に渦巻く妖力は暴風のように、霊的な汚染毒をまき散らすだろう。
ここでマガツヘビを止めなければ――この√だけでなく、きっと全部が終わる。
地を揺らす咆哮が、駅前にこだまする。びりびりと震える空気と風圧に、思わずベニー・タルホ(冒険記者・h00392)は顔を覆った。
(わっ、……と。危ない)
マガツヘビが振り下ろした両腕から、爆風のような衝撃と共に禍々しい空気が暴風となって立ち上る。
(……この腐った空気、霊的な汚染毒を含んでるな)
鋭い直感が告げる。ベニーのゴーストトーカーとしての知識が、マガツヘビの両腕に渦巻く瘴気をはっきりと感じ取っていた。
禍々しい暴風の間からは、大きな穴の開いた地面が見える。なおも暴風で瓦礫を巻き上げるその惨状が否が応でもマガツヘビの両腕の威力を示し、食らうと危険だと警鐘を鳴らす。このまま地上にいては瘴気に巻かれてしまうが、大きな腕を叩きつけられるよりはずっとマシだ。
「……なら、空から!」
姿を変えたのは階梯3、下半身はミミズク型のケンタウロス。背に大きく広げた翼が風を掻き、空へ舞い上がる。
その様子を見上げていた打巴が、ベニーと視線を交わす。彼の青い目が「まかせたよ」とでも言いたげに光る。
(ああ、信頼してくれてるんだな)
ベニーは頷き、マガツヘビの顔面めがけてひらりと飛ぶと、狙いを定めて銃口を向けた。
「――星よ、お願い!」
『星離雨散』。青白く凍える散弾(りゅうせい)が、マガツヘビの巨体を打つ。星のかけらのように弾けた霰が地に落ち、水たまりへと融け広がる。そこは触れるだけで凍える特殊な水溜り。
直後、甲高い鼬の鳴き声が響く。ベニーは僅かに口角を緩めると、ばさりと羽ばたいて距離を取った。……凍てついたマガツヘビの顎に、打巴が疾駆してゆく。巨大な尻尾を振りかぶると、重量級の棍棒が鈍い音を響かせて振り下ろされた。
命中――しない。しかしそれで良かった。
叩きつけられた地面の水溜まりが薄氷じみて割れ、辺りは水たまりを補強するような転倒多発地帯に変わる。氷の伴う水溜まり、そして転倒を誘う足場。マガツヘビは大地すら敵に変わったことに、怒り狂う。
――ふっっざけんなァァッ!!
怒声が地に響く中、ベニーは空から突撃。鉤爪で頭部を抉るように切りかかる。
「ずっと冬眠しててください!!」
マガツヘビの目がぎょろりと動く。ベニーの爪と同時、打巴も次の攻撃に動いていた。ベニーの霰が濡らした地面で滑り、回転の勢いをつける。そうして尻尾を再度振り上げ、渾身の殴打を加えた。
衝撃。マガツヘビの上体が仰け反る。巨大な咆哮が、駅前を裂いた。
峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨――――
張り付いた氷を振り落とす様に、マガツヘビが顎を大きく開ける。咆哮と憎悪が空気を揺らす。暴威と化したその声の直後、鱗と肉片がばらばらと剥がれ落ちた。その群れは小型のマガツヘビの群れへと変わっていき……マガツヘビ本体が、分厚い装甲の様に小蛇群を纏った。
無数の小蛇が滴り落ちては群れをなし、無数の獰猛な目線が√能力者達を射抜く。それはすでに一つの大妖怪というより寧ろ蠢く災厄だった。
「なんと醜悪な……いえ、外見の話ではありません。さっきのような罵詈雑言が、狼藉にも形を得ているなんて」
静かに告げたのは、翡翠の瞳を持つ少女・ラージニー・スバルナンガーニ(|電脳皇帝《インフォメーション・オーヴァーロード》・h00140)。機械仕掛けの義肢が夕暮れの陽光を弾き、その真鍮色の掌の所作に誘われるようにして、彼女の周囲に静かに|昼の月《ホログラム》が浮かぶ。ふわふわと念動力で浮遊するプロジェクターから表示される満月の映像が淡い光を放ち、√能力の発動を告げる。無数の小型マガツヘビは、奇妙建築の迷路に行く直前にも相対したことが有る。なので、この能力にもある種の実績があった。
「浄化され、たおやかに地へとお還りください――|月の爆発《チャンドラヴィスポータ》、展開します!」
澄んだ声と共に、|昼の月《ホログラム》が光を放つ。プロジェクターから放たれた月光がが閃光となり、上空より降り注ぐ。流星のような迎撃レーザーが向かってくる小蛇たちを次々に焼き払う。
――どいつもこいつもふざけた真似しやがって!!
怒りに染まった声と共に、装甲が剥がれつつもマガツヘビがラージニーの方へ飛びかかろうとする――その一瞬。
「別にふざけてなんていないよ。俺たちは、お前を倒すために来たんだ」
青年の声。直後、瓦礫の向こうから小さな影が跳ね、苛烈な|光《沛雨》が降り注ぐ。マガツヘビは揺れに体勢を崩し、そのまま攻撃をまともに浴びて装甲が剥がれていく。
尻尾の棍棒で地面を打ち据えた|打巴《長兄》が、追撃に出たクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)と目線を合わせてチィと鳴いた。その様子にクラウスはほんの少し目端を緩めると、黒衣を翻し、二基の大型レイン砲台の照準を再度マガツヘビへ向ける。重厚な振動音と共に、青い目が鋭くマガツヘビを見据えた。
「弾道補正……ラージニー、少しの間、時間を稼げるかな」
「はい、承りました!……それに、頼もしい兄弟さんも協力してくれますから!」
ラージニーのその声に、賑やかな鼬の鳴き声が加わった。一番末っ子らしく、褒められると機嫌が良くなる声の元は、末弟・薬巴。後ろでじゃれるように薬壺を振ると、放たれた薬の弾丸が火花のようにぽんと弾けた。炸裂と共に淡い煙が広がり、マガツヘビの傷口に毒が染み渡る。肉が泡立ち、苦悶の呻きが響いた。
反対にラージニーとクラウスの足元には癒しの薬が舞う。そうして、連携のタイミングが整った。
「力を合わせたら、きっと勝てない相手じゃない。……ありがとう、これで行ける」
「――感謝します、薬巴さん!投影データ、再展開します!」
強化された視界、加速した指先。ラージニーの足が軽やかに瓦礫に触れ、弾く音と共に|月の爆発《チャンドラヴィスポータ》が再度降り注ぐ。淡く鮮烈な月光に蛇の群れが消し飛び、マガツヘビの外装が剥がれていく。直後、クラウスはレーザー砲台に手をかざし、同時発射を命じた。砲台が咆哮する。高出力レーザーの奔流が二条、露出したマガツヘビの胸部を貫いた。
だが、直後マガツヘビが咄嗟に腕を振り下ろす。地面が揺れ、瘴気の本流……霊的汚染地帯が広がっていく。
それにラージニーがとっさに跳躍し、クラウスは滑り込むような走りで後退する。だが、汚染地帯にかすめた砲台が一つ、動きが鈍る。
「……大丈夫、まだ行ける」
クラウスの声が低く響いた。視線の先には打巴の跳躍と、ラージニーの操る月光の次弾が降り注ぐ姿。強打を叩き込まれ、マガツヘビの巨体は前のめりに崩れ落ちる。そこを狙ったクラウスは、残る一基のチャージを終えると、再度の照射を放った。悲鳴のような咆哮に、誰もが確信した。あれは、確かに――効いている。
「あと一押しですね!」
「そうだね……!」
どちらからともなく会話を交わすと、ラージニーとクラウスは再度マガツヘビを見据えた。
マガツヘビは、呻くように首をもたげる。剥がれた鱗の間から迸る光に、その巨体は確実に蝕まれていた。まだ終わっていない――その巨体から立ち上る黒煙が空を焦がし、怨念が地面に染みてゆく。
広場を埋め尽くす、禍々しき妖力の奔流。その中心、破滅の象徴――マガツヘビが吼えた。封印を破られた災厄が、憤怒の咆哮で空を裂く。
たやすく押し潰すであろう狂気の余燼……だが、度重なる√能力者達の攻撃により、その勢いは削がれていた。
静峰・鈴(夜帳の刃・h00040)もまた、暴風のような瘴気の中、ひるむことなく一歩進み出る。
|夜帳《霊刀》の冷たい光が、吹き荒れる風の中に一点の静謐を築く。鈴の眼差しは澄み、怨念すら見定めているかのようだった。
心の内で、彼女はただひとつだけを確かめる。
(静かなる一念の刃は、如何なる者をも断つと……示しましょう)
どれほど異形であれ、どれほどの業であれ、命を懸けて相対する者に彼女は軽蔑を抱くことはない。ただ世界を護るために、討つのみだ。
彼女の足元には、|打巴《長兄》の気配。無言のまま立ち、小さく尻尾を振ってその存在だけで鈴を支える。性格上、どちらも口数は少ない|鈴《一人》と|打巴《一匹》。……でも。
「……。」
目が合えば、確かに伝わる意図がある。
一息。鈴はわずかに前屈みになったその姿勢から、突風のように飛び出した。
|叢雲《ムラクモ》――まずは布石。間合いへと踏み込み、初太刀で牽制。
流れるような歩法で回り込む先、狙うは一点……マガツヘビの右掌。そこに鋭く、的確に、三連の刺突。その斬撃は鱗の隙間へ届き、微細な傷を刻んでいく。
峨旺旺旺旺旺旺旺雄雄雄怨――。
その直後、マガツヘビが咆哮とともに拳を振るう。怒りの波動に空間が歪む。瘴気が渦を巻き、拳が周囲を薙ぐようだ。
そこに、茶色く小さな影が飛び込む。打巴が跳ねるように間に入り、くるりと回ると思い切り尻尾を地面に打ち付けた。響く地鳴りに、僅かにマガツヘビの体勢が僅かに崩れた。
鈴の肩から、「夜天の紗衣」がふわりと滑り落ちる。
羽織を取り払った彼女は静かに|夜帳《霊刀》を鞘に納め、居合の構えを取った。
「いざ、尋常に決着と参りましょう」
目前、マガツヘビが動く。怒りに任せた渾身の腕撃が振り下ろされる。
だがその軌道は、転倒多発の地形を避けようとした事や、先程刻まれた傷跡を庇うように動いたせいか乱れている。
鈴の足元に、瘴気が渦を巻く。構えが崩れたかに見えた時……白刃が鳴った。マガツヘビの腕撃は弾かれ、逸れ、進路を失う。
そのすれ違いざま。鈴の斬撃が、先程刻んだ傷跡をなぞるように貫いた。
|竜胆《リンドウ》の|剣刃《ケンジン》。夜に咲くは、臆せぬ花。破滅すらも射貫く強き意志。その霊力を帯びた刀が、鋼鉄の如き肉と鱗を断ち切った。
マガツヘビの動きが止まった。
あれほど荒れ狂っていた霊力が、風のように、静かに散っていく。
巨躯が軋みを上げ、膝をつく。咆哮はもう届かず、そのまま崩れ落ちた。
打巴は無言のまま、ただ空を見上げていたが。直後ばしばしと斬巴に背を叩かれ、壺を抱えて呑気に転がる薬巴を慌てて止めに行く。なんとか回収し終わると、三匹で封印祠のある方へ走り去っていった。次に会う時はおそらく掟の話は終わっている。彼等もまた遠慮なく悪戯を重ねているだろうし、その時になれば、√能力者達は止めに行くのだろう。でも今回の共闘が無くなった訳じゃない。
鈴は静かに刀を納めると、彼等の背を見送って、ちいさく頭を下げた。風が、鈴の夜色をした髪を揺らしている。