チェシャーキャットの密語
ネオン街の奥深く、雑居ビルの一番上。お世辞にも治安が良いとはいえない世界に住む男は、上司に呼ばれていた。
エレベーターのボタンを押すと扉が開いて、そこには先客が居た。
やたらと鮮やかな濃いピンク、艶ある黒のツートーンヘアー。まだあどけなさの残る顔立ちの少年が笑みを浮かべている。
「……此処はガキが来るとこじゃねぇぞ」
上から降りてきた箱から現れた彼に、男の警戒心は高まっていく。けれど少年は笑ったまま、口をひらく。
「そんなに怖い顔しないでくれよ、オレはアンタの味方なんだから」
ぐにゃり。ふいに頭のうらがわで、そんな音が聞こえた。なにかを言いかけようとした男の唇を、しぃ、と少年のひとさし指がふさぐ。
「オレが見てきたコトを知りたくない? アンタのこれからの人生にとって、とっても大切なコトだ」
そうして男は、箱のなかへ招かれていった。
最上階へとたどり着いたエレベーターの扉が開く。男が向かうのは、自分を呼び出した上司の待つ事務所。ノックをすれば、入れ、と一言。
「てめぇにしちゃあ随分遅かったじゃねえか。土産選びに時間がかかったか?」
声をかけた極道者が見たのは、優秀な舎弟が別の部下に拳銃を向けている姿だった。
「……は?」
何度かの発砲音、噴き出すまっかな噴水。倒れた仲間を見て、すぐさま他の部下達も自らの得物を取り出し、男へと向ける。
「どういうつもりだてめぇ!?」
突然の凶行を前に、気でも触れたかと極道者は舎弟に罵声を浴びせる。上司を見るその視線は、ひどく動揺していた。
「それはこっちの台詞だ! あんたが親父を裏切ってんだろうがぁ!?」
あっという間に、事務所内は血の海と化す。噎せかえるような鉄の匂いのなか、最後に立っていたのは男一人。
「これで、よかったんだ……親父も、組もぶっ壊されねぇで済む……」
「ああ、そうさ。これでよかったんだ」
ぐにゃり、ぐんにゃり。男の背後から囁くのは、先ほどの少年。
「けど、あとひとり残ってるだろ?」
ほんのわずかの時間、耳に流しこまれていった言葉達。最期のフレーズが引き金をひいて、男は静かに己のこめかみに銃口を押しつけた。
猫宮・リオ――またの名を、人間災厄『狂言綺語』。
彼の言葉はすべてがあやふやで、矮小な人間の世界など、あっという間に塗りつぶしてしまう。
「おつかれさま」
これでちゃあんと終わったよ。そんな言葉を遺して、チェシャ猫は闇夜に消えた。